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参考人(
浅田敏君) それでは十五分
程度お話し申し上げたいと思います。
現在非常に問題になっておりますのは、
仮称東海地震という
地震でございますが、
内陸に
地震が起こらないという
趣旨ではございません。ただ、
東海地震という
地震が非常に大きいので、いろいろなものが目立ちやすいのでございます。
内陸の
地震はもちろん非常に
可能性がございますが、これは
国土地理院によって
測量を繰り返す
——いまは五年ということになっておりますが、そういう
繰り返しを必ず行うということが絶対に
基本として必要なことでございます。
で、
内陸の
地震は数百年に一回とか千年に一回とか、同じところで起こりませんので、そういうふうに目立たないわけです。
太平洋岸の
地震は非常に
繰り返しがはっきりしておりまして、たとえば
南海地震などはもう九回ぐらい
歴史上記録されております。
東南海地震も同じでございます。
問題の
東海地震は、
東南海地震とまざっておりますので、非常にはっきりしない面がございます、
歴史の上では。たとえば、そういうふうに
繰り返しのことを考えますと、
関東地震、
東南海地震、
南海地震という順で起こってまいりました、最近は。しかし、このうち
関東地震は、その
発生の直後から
測量が繰り返されておりまして、いまも繰り返されておりまして、
測量の結果によりますと、地面のひずみがまだ次の
地震を起こすには少し間があるだろうという
程度のひずみしかないわけであります。でありますから、少しひん曲がっておりましても、これは
地学的現象のことでありますから、五十年とか百五十年とか二百年とか、そういうふうな不
確定性が入っております。でありますから、これはいまから心がけておけば、そのときには私は非常に確実に
予知ができるものと考えております。
で、
南海地震は非常な
特徴がありまして、
東南海地震と同時か、
東南海地震の後でしか起こったことがございません。これはもう
歴史上ほとんど九割九分そういうふうに
繰り返しておるのであります。で、
南海地震はそのリストから除かれるということになります。
問題は
東南海地震と
東海地震でございますが、
東海地震が最近目立ってきました
理由としましては、実はこれは三、四年前から問題になっておったんでございますけれども、一番目立ってきた
理由といたしましては、一八五四年の
地震のときの
地殻変動の様子などを非常にはっきり記録されました
古文書が次々と発見されたことでございます。
で、ここでひとつ申し上げておきますが、ただ
古文書が発見されて、ここが隆起しておるからここが
震源であるというようなものではございません。この数年来、この十年以内の
学問の発展によりまして、ことに
断層模型の理論というものが発展いたしまして、
仮想地震の
仮想断層ですね。
仮想地震の
仮想震源を考えまして、それに基づいてその結果起こる
地殻変動を計算することができるようになったのでございます。そうやって計算された
地殻変動と、実際に起こったらしい
地殻変動とを比べまして、そういうことに基づいて推論がなされておるのであります。でありますから、十年前、まあ五年前と申してもよろしゅうございますが、仮に
古文書が見つかりましても、今日のような的確な発言はすることができなかったのであります。ここにやはり
地震予知というものは
基礎的研究がいかに大事であるかということの
証拠を全くもう目の前に見せておるわけでございます。
それから
東海地震が問題になるもう
一つの
理由は、
測量の結果
——これは
国土地理院の役目でございますが、
測量の結果、やはり
御前崎から清水にかけてのあたりがひずみが残っているということでございます。たとえば、
南海地震、
東南海地震のところは、結局
地震でひずみを示している
地層面の変形は全部消されてしまったわけでありますが、この
部分は残っておる、こういうことでございます。
それからもう
一つは一
あと幾つかございまして、たとえばあの近辺で
地震波の
速度が非常にのろい。しかしのろいから
長期的前兆に入っているのかということは、現在まだ申し上げるほど
学問的に煮詰められてはいないのです。ということは、こういう
地震は
日本はもちろん
外国でも全く初めてのことでありまして、でありますから、われわれはすべて初めてのことに立ち向かって
地震予知を進めていかなければならないというのがもう非常な
特徴でございます。この
地震波が異常にのろいということを注目いたしましたのは、われわれには終戦後この二十五年間、爆破時震動ということで、
日本のほかのところの
地殻の
速度に関する
経験が集積しておりますので、ここはおかしいのではないかというふうな着想が出るわけでございます。これもその
基礎的研究がいかに重要であるかということの
証拠だと思っております。このほか、たとえば
気象庁の
容量変化計が
御前崎がどうも変な挙動を示すということがございます。これもぜひ解決しなければならない問題でございます。で、あれやこれやを考えまして、まだ
学問の
状態から言いましていつ起こるとか、起こらないとか保証することは、これは両方ともできないことでございます。でありますので、目下の時期の幅としましては、一番近いのはもうすぐであろうと、あしたでも起こっても不思議ではないという
言葉が有名になり過ぎましたけれども、これはその時期をすぱっとそこで切ったというふうに御理解ください。
もう
一つは、
坪川さんなどが言っておられるように、次の
東南海地震と
一緒ではなかろうかと、そうすると
歴史上の
繰り返しから考えましてやっぱり五、六十年、七、八十年後ということになります。で、ここで
忌憚なく申しますと、
坪川さんの
統計的根拠は全く私は買わないのでありますけれども、といいまして
坪川さんの
学問的根拠は買いませんが、次の
東海地震と
一緒だろうという一種の目測は、これはもしかしたら
本当かもしれない、打ち消すことはやはりできないのであります。というわけでございますので、といいましても何十年も緊張することはとても
人間にはできませんので、そういう時期の幅を狭めなければなりません。狭めるのは、やはり
学術的方法によって押し縮めていかなければならない。たとえば、これは一七〇七年とか一六〇五年の
地震がどういうふうな
地殻変動を示したかということがわかりますと、これは非常に
参考になります。それから、
長期的意味の
前兆があるというふうに学界では世界じゃうにほとんど定説となっておりますが、そういう長期的な
意味の
前兆に入っているのかどうかという問題でございます。小さい
地震についてはそういう
研究はあるのですけれども、こういう大きい
地震についてはもちろん何の
経験もないわけでございますので、一々
判断をしながら、いろいろな
観測をして
判断をしていかなければならない。もし運がよければ早く解決するでしょうし、運が悪ければいつまでもなかなかわからないまま
事態が進展していくという
可能性があると思います。
予知というものは、そういうふうに全く初めてのものを相手にしていかなければならないのでありますから、非常に
研究的なアプローチが必要なのであります。とともに、
観測の
積み重ねが必要であります。たとえ何十年後に起こるといたしましても、今日から的確な
積み重ねがないと何も言うことはできません。今日いろいろなことを申します上に問題、足かせになるものは、やはり昔からの
測量、
観測、
地震観測の
積み重ねが少ない。今日もし何かちょっとでも言えるとしたら、それは
明治時代から比較的正確な
測量が行われていたと、そういう
積み重ねに基づくものであります。
最後の方になりましてもう
一つ申し上げたいことは、
地震の起こる
直前にいろいろな
変動が起こるかもしれないという期待は、これは十分持てるのであります。非常に極端な場合は
人間の目で見えるような
前兆現象が起こり、それで三十分とか一時間後に
地震が起こった例も少しはあるのでございますから、
機械でちゃんとはかればこれは見込みがあるわけです。これの一番最初にやはりなすべきことは、もう遠慮せずに申しますれば、いまのところは
容量変化計をもう少し密度をふやすということです。一般的に申し上げれば、この種の
観測は数が多ければ多いほどわずかな
前兆をとらえる能力が高くなります。たとえば数が
一つでも、もう非常な
前兆が起こればわかるわけです。極端な場合は
人間の目でもわかるわけです。しかし、微弱なものをとらえるためには数が多くなければならない。それから、
前兆かどうか
判断するためにも数が多くなければなりません。そのほかの
地殻変動連続観測とか、あるいは
中国での話を総合しますと、井戸の水位も非常に変わるそうであります。
日本には言い伝えだけが残っております。たとえばラドンの濃度その他、あるいは
地殻中の
電気伝導度その他あらゆることがございますので、私の
個人的感想を申し述べますれば、もし少しずつ
事態が逼迫しているということが
科学的証拠に基づいてそういうふうに
考え方が進んでさましたら、それに従ってあらゆるこういう
観測を少しずつふやしていくということが必要ではないかと思います。
それから一般的に申しまして、
地震予知というものはいま何回も申しましたように、非常に
研究的な要素が強いものでありますので、非常にデリケートなものでございます。でありますから、はっきり言いますと、普通の
行政のような
考え方よりもっとデリケートに、死にやすいと言ってはいけませんけれども、大人になっていないものとして考えていただきたいという希望がございます。
それからもう
一つ、
地震予知というものは非常に幅が広いものでありまして、たとえば
中国などでは
一般大衆まで巻き込んでおります。
日本ではその必要はないかと思いますけれども、非常に小さなものが
幾つかありまして、そういうものがまとまってやるわけであります。でありますから、すぐたとえば
一元化というものが問題になりますが、
一元化という乙とはもちろん結構でございますけれども、やはりデリケートに扱われた
一元化でないとよろしくないかと存じております。
現在、
地震予知をだんだん軌道に乗せることとして大事なことは、やはり根幹的になるものは
気象庁の
地震関係の事業と
国土地理院の
観測だと考えております。そのほかに、もしかしたらもっと大事なものはその
研究による裏づけでございます。そうでなければ、常時
的観測の結果、出てきたものを解釈することに間違うかもしれません。で、この
研究は
大学が非常に人数が多いのでございますけれども、そのほか、いろんな官庁に実力のある
研究機関がついてございます。こういうような
状態でございます。
それから
最後にもう
一つ申し述べたいことがございます。これは
中国の
海城地震というのが一九七五年にございまして、これは
予知されたといわれております。
結論から申しますと、非常に幸運であったと言わざるを得ないのです。で、結局、
地震の
専門家には何がわかりますかというと、皮肉な言い方をいたしますと、こういうことはわからないんだということがよくわかるわけです。たとえば、
海城地震で二月の何日かになりまして
専門家にわかったことは、
マグニチュードは六・
幾つかもしれないし、七・
幾つかもしれない。それから
地震はもう一時間後かもしれないし、一週間、二週間後かもしれない。ただ、非常に逼迫しておりますね、地学的には。しかし、それを時間まで決めるということはできなかったわけでありますが、それは
遼寧省の省庁でしょうか、が、それでは
マグニチュードは大きいと仮定し、時間はいますぐと仮定して行動を起こそうと、こういうふうに
決断いたしまして、それが非常に幸運にも万事うまくいったというのが実情でございます。でありますから、
最後の
責任は
地震学者がとったのではない。
地震学者はこういうことはわからないということはよく知っておりますから、そういう
意味で
本当の
責任はとれないということもよく知っておるわけでございます。で、これはやはり
予知というものの一面を示す話かと存じます。
簡単でございますが、これで終わりたいと思います。