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説明員(樋口淳雄君)
お答え申し上げます。
網走刑務所における身分帳閲覧事案につきまして
中間報告を申し上げます。
本件につきましては先般来
調査を実施しておりますが、現在もなお引き続き実施中でございます。これまでに、前網走刑務所長程田福松氏、同庶務
課長南部悦郎氏、この二人から事情を聴取いたしております。この
調査の基本方針といたしましては、事案の
関係者は三人おりますけれども、いずれの者に信をおくという前提をとらずに行うとともに、当方
関係者に対しましてはできるだけ記憶を思い出して供述するようにという喚起を行ってまいったわけでございます。したがいまして、この二人を会わせるということはないように配慮をして
調査をいたしました。記憶によります供述をもとにいたしましてした
調査の結果を一応まとめましたので、
中間報告として
報告いたします。まだ各供述には不一致の点がございますが、その不一致の中にこそ真実があろうかと思われますので、その点おくみ取りの上お聞きを願いたいと思います。
まず、
調査対象者及び
調査期間について申し上げます。
一人は、先ほど申しました程田福松氏でございますけれども、程田氏は、昭和四十九年四月一日から五十一年三月三十一日までの間、網走刑務所長として在勤いたしました。昭和五十一年四月一日に勧奨退職により退職しております。
本人に対します
調査期間は本月二十一日、二十六日及び二十七日という三日について実施いたしました。
次に、南部悦郎氏に対しましては、南部氏は、昭和四十八年三月十六日から五十年三月十六日までの間、網走刑務所庶務
課長として在勤いたしました。現在帯広刑務所庶務
課長として勤務中の者でございます。同人に対します
調査は、本月二十五日、二十六日及び二十七日の三日間にわたりまして実施いたしました。
初めに、
鬼頭判事補からの依頼の経緯、
内容について、次に、南部庶務
課長が
鬼頭判事補と応接しておりますので、その状況から御
報告申し上げます。
鬼頭判事補からの依頼の経緯、
内容についてでございますけれども、まず程田所長の言うところから申し上げます。
昭和四十九年七月二十三日、
鬼頭判事補から「二、三日中に終戦直後の
政治犯収容者の書類を
調査したいので伺う」という旨の
電話がございました。法務省または管区あるいは裁判所からの正式の依頼状が必要である旨申して断っております。なお、その際、返事をする必要もあろうかと思い、
電話番号を尋ねたところ、「市内
電話を使っている」という先方の
答えであった。
翌二十四日、札幌矯正管区第二部長から「
鬼頭判事補が終戦直後に執行停止した者についての
調査につき取り計らってくれ」という旨の
電話を受け
——この部分につきましては程田所長の供述のみで確定いたしておりません
——依頼状が必要な旨を
答えて断った旨を告げましたところ、第二部長は「そのために当方に照会があったのであろう」というので、事情を聞いた上、必要が認められれば許可しようと伝えたのであります。
ところが、二、三日中と言っていたのに、二十四日管区からの
電話があった後、
鬼頭判事補から「網走駅に着いたから間もなく伺う。宮本顕治氏が終戦直後出所しているはずなので、そのことで尋ねたい」旨の
電話を受けた。そこで、南部
課長に
鬼頭判事補の身元を確認する旨命ずるとともに、自分自身は果たして宮本氏が出所していたか否か知らなかったので、南部
課長に聞いたところ、網走刑務所を出所したことがあるという
答えでありましたので、南部
課長に身分帳があったら用意しておくようにと指示したのでございます。
その後、間もなく南部
課長が
鬼頭判事補を案内して所長室に来室いたしました。名刺交換後、
鬼頭判事補は「職務上の参考として研究したいので来た」旨申し述べるとともに、「宮本氏が当所を出所しているので、確定裁判所名、確定年月日、罪名、刑名刑期、入所年月日、出所年月日を知りたい」と言ったわけです。そこで、自分は
鬼頭判事補が現職の八王子支部裁判官である旨南部
課長の確認で
報告を受けておいたので、わざわざ東京から来たのは担当する
事件の参考のため大事な急用で来たものと思い、宮本氏の身分帳により、先ほど申し上げた点について
説明した。なお、その際、宮本氏は病気のため執行停止で出所したということは述べた。そうしますと、
鬼頭判事補が、私の話したことを「メモさしてくれ」と言ったので、同室していた南部
課長に「庶務課に案内し、いま言った範囲内で
説明するよう」に指示し、南部
課長は
鬼頭判事補を案内し、退室した。面接時間はそう長くなかったというものでございます。
次に、南部
課長の言うところについて申し上げます。
昭和四十九年夏ごろ、東京地裁八王子支部の
鬼頭判事補と名のる者から、「職務上、治安維持法の研究のため、宮本顕治氏について
調査したいので、あすお邪魔する。これは外部に発表しない」との
電話を受けた。そこで、程田所長の指示を受けまして、
鬼頭判事補の身元を確認するため、八王子支部の
電話番号を調べ、
電話をしたところ、
電話に出た書記官
——この書記官の
名前は聞いておりません
——から「
鬼頭判事補は確かに同支部に勤務しており、きょうは不在であるが、明日網走刑務所に行くと言っていた」という回答を得ました。翌日、「網走駅から
電話をしているが、いまからお邪魔する」という
電話を
鬼頭判事補から受けまして「承知した」と回答いたした。
その後間もなく
鬼頭判事補が来ましたので、所長室に案内し、かねてから程田所長から用意するよう指示されていた身分帳を程田所長に渡したが、自分はお茶の接待のため退室し、程田所長と
鬼頭判事補との詳しい話し合いは聞いていない。なお、
鬼頭判事補の所長室在室時間は約二十分程度との記憶であるというものでございます。
これまでの点について申し上げますと、一つは、東京から及び北海道からの
鬼頭判事補の依頼について、両者
——程田所長と南部庶務
課長との供述は一致しておりません。私どもは供述
内容を検討したとき、
最初、程田所長に
電話で依頼したとき、正式に話がないとだめだと断られたために改めて南部
課長に
電話をしたかもしれないと
考えられますので、さらに
調査を実施することとしております。
なお、当時の札幌矯正管区第二部長、これは森律夫と申しますけれども、この方は現在秋田の刑務所長でございます。この森所長からは本日から事情聴取の予定でございます。
また、
鬼頭判事補が網走刑務所を訪れた七月二十四日という日は「
電話書留簿」によりまして確認しておりますが、たまたま簿冊がありまして、ここに書かれます
鬼頭判事補という名字が、鬼の頭でなくて木の藤、「木藤」と記入されていることから見ましても信憑性があると思われます。
次に、南部
課長の
鬼頭判事補との応接状況について申し上げます。
程田所長から「必要なところを聞いて、教えてあげなさい」との趣旨のことを言われまして、その他の具体的な指示は受けなかったので、庶務課の応接コーナーに案内し、センターテーブルをはさみまして、向かい合って着席し応接した。
鬼頭判事補は、
最初、罪名、入所日等について聞いたので、自分が身分帳を見ながら
答えていたところ、途中で「ちょっと見せてくれませんか」という申し出がありました。自分としては一瞬ちゅうちょしたが、前日、職務上で来るとの
電話があったし、身分を確認するため
電話したところ、確かに八王子支部に勤務しており、明日網走刑務所に行くと、そういった書記官の回答があった上、東京からわざわざ来た判事補なので、身分帳を渡してメモさせた。
その間、自分は
電話、来客のため二、三回中座したが、一、二回出た後入室した際、
鬼頭判事補は身分帳の写真を撮っていた。理由を尋ねようと思ったが、すでにパチパチと写していたので、東京地裁八王子支部の裁判官であるという肩書きに押されて黙っていた。
鬼頭判事補は間もなく「終わりました」と言って身分帳を返したので、これを黙って受け取り、所長室にも寄らせず退室させたが、自分としては気分が悪かった。応接の時間は約二十分ぐらいだった。
それから約一週間ぐらいして、
鬼頭判事補から「記録をよく見なかったので、診断書の写しをゼロックスで写して送ってほしい」旨を、
電話か手紙であったか忘れたが、依頼を受けたので、程田所長の指示を受けた上、診断書を法務省の用紙を使って課員に原本どおりに筆写させ、送り文をつけて
鬼頭判事補に郵送した。ゼロックスは一当時網走刑務所にあったが、これを使うと費用がかかるので手書きした。
南部
課長の供述書はそういうものでございます。
この点について程田前所長は、応接状況につきましては知らないという供述をしております。南部
課長の供述中、筆写しました診断書を程田所長の指示を受けた後に発送したということについても、程田所長は存じないという供述でございます。その後、札幌管区に対しまして、
鬼頭判事補が来所をし、
調査して帰った旨の
報告をいたしております。
以上をもちまして
中間報告を終わりますが、今後とも
真相の究明をすべく
関係職員等について鋭意
調査を実施中でありまして、
調査結果がまとまった暁には改めて御
報告をする予定でございます。
以上でございます。