○秦野章君
総理ね、灰色高官の問題で最終的には
総理が公表問題についてある程度の決着をしていかなきゃならぬということは、私は従来の経過から見れば仕方のないことだと思うんですね。ただ、ここで私が特に
総理の所見を、十分に
決意のほどをお聞きしなきゃならぬのは、いままでの経過から見て、私はこの前の予算
委員会でも制度の基本原則のことを申し上げましたけれ
ども、それに足らぬことでちょっと基本的な問題は、検察というものを信頼するということは当然だけれ
ども、しかし、検察を信頼するっていうことと、それから検察で集めた
資料を信用するということとは問題が別なんですよね。検察の機能というものは、三権分立の中で
行政組織としてこれがきちっと動くという、そのいまの検察を一応信頼していろんな仕事をやってもらう、この信頼は当然のことだと思う。ところが、検察が集めた
資料を全部信用するということは間違いだと私は思う。信用できるものも信用できないものもある。むしろ、権力機関が集めた
資料なんだから、これは大丈夫かと疑いの目をもって見るのが政治の姿勢だと私は思うんです。政治家ってものはそういうものだと思う。で、
総理は長年議会政治をやってこられたんだから、権力というものに対してちゃんとそういう御見識をお持ちだと思いますけれ
ども、検事とか警察の集めた
資料というものは疑いの目をもって見るという姿勢なくしては政治は成り立たない。検事が調べた
資料だから
——これは起訴になったならこれは有罪の確信を持って起訴したんだろうと思いますよ。それでも無罪になることはある。有罪の判決でも、五十年、六十年たって再審だなんてこともある。なかなか真実の追求、真実っていうものは何かっていうことくらいむずかしいことはないんですよ。いわんや不起訴処分なんてものはええかげんなものなんです、極端なことを言えば。これは中にはいわゆる有罪の確信を持つに近いようなものも時効やなんかでなっちまったっていうようなものもあるかもしらぬが、しかしいずれにしても一方的な認定ですわね、これ。だから、検察の
資料、特に不起訴処分の
資料なんていうものを間違いのない
資料だと思うくらい非政治的、政治家として間違った姿勢はないと私は基本的に思うんですよ。疑って疑って疑いまくるというのが
——これは野党の一部の諸君なんかも権力に対しては対決の姿勢でしょう。われわれも野党じゃないけれ
ども、やっぱり検察の
資料というものは疑ってかかるというこの基本の一面の姿勢がなかったら政治家とは言えない。これは
総理大臣といえ
ども、権力機関を采配のもとに置かれて、下のやったことは何でも間違いないと信ずることでは、
行政の
責任は尽くされない。やっぱり検事がやったことでも、それは大丈夫なのかなという
一つの疑いの眼を持つことが私は当然のことだと思うんですよ。いままでの議論を聞くと、どうしても野党の諸君なんか検察の
資料を何のしんしゃくなく持ち
出して、それを政治的効果を伴うことにしようというくらい
——権力を尊重する姿勢はありませんね。権力を尊重するどころじゃない、権力指向型。私はびっくりするんだ、この野党の諸君の議論を聞いてると。これは非常に間違ってると思う、根本的には。権力に政治が従属しちゃうんですよ。この基本だけはね、やっぱりぴちっと
政府もはっきりしとかにゃいかぬと思う。
政府は、官僚機構の上に政治がある、政治はまたその姿勢でなきやならぬ。
私はこの不起訴処分なんかの問題についてはその点が根本だと思うんです。なぜいいからかんだと言いますと、いいからかんだと言うことはちょっと言い過ぎかもわからぬ。しかし検事の一方的認定だし、それから事実の認定ということは非常にむずかしい。しかもその上に犯罪性があるかという評価の問題、この二つの問題というものがそう絵にかいたようにぴしっといかないんですよ。特に不起訴の場合は、あっこれは不起訴だなというようなものについては
捜査を尽くす
責任はないんですよ、これ、法的に。だから十分にやってないわけですよ。そんなものを出せますかね。私は
ロッキード隠しでも何でもない。この制度というものは、かなり日本の憲法、刑訴の体制というものはよくできているんですよ、これ、列国に比べて。もし悪いところがあれば立法論として憲法改正やっても刑事訴訟法改正やってもいいんですけれ
ども、現にあるそういう秩序というものを守るということは、これは憲法上の
——国会議員だって
政府だって、憲法上の
責任ですよ、これ。この制度というものをいいかげんにやったんではいけないというのが
一つの根本だと私は思いますが、そういう点についていささか
政府の旧来の姿勢が、時間の経過を見てみるとやっぱり、たとえば氏名の公表なんかがいかにも簡単にできるがごとき
印象を
国民に与えたということについて、私はちょっと問題があるという感じがするんです。これはもともと、アメリカの
資料が日本に入ってきたら氏名を含めてできるだけ公表すると、こう二月
段階、四月
段階で
総理も記者会見でおっしゃっている。ところが、この
資料が外交とか
国会へ来ないで司法機関にがばっと来たというところにおいてころっと軌道修正せにゃいかぬ。司法機関に入っちゃって、司法の
資料になったら、人権問題、あるいはまた検察のファッショになっちゃいかぬ、政治のファッショになっちゃいかぬ、そういう厳しい長年の歴史の上に築かれたこの制度を守るということに立って
考えたときには、ころっとそれ以前の
考え方とやっぱり変わってこにゃいかぬのですよ、公表問題というものは。その軌道修正で世論を誘道するというようなことに果たして、その点に心がけが十分おありだったかどうかということについては私はいささか疑問に思うのでございます。
そこで、刑事局長にちょっとお尋ねをしておきたいと思う、そういうことを前提に。
国会が秘密会でなら
資料を出すと、氏名を含めてです。氏名ですよ、いまや問題は。人数とか何か、そんな問題じゃない。この間の
中間報告でも、あれは
中間報告なんだから私
どもはまああんなもんだと思うんですよ、正直言って。だけど氏名がないということで非常に期待を裏切られたような、意外と
中間報告が評判悪いんですよね、
一般には。ところが
中間報告ならあんなもんなんだ、正直言って。私
どもはそれなりに評価しますよ。しかし
国会が秘密会をやるならば、そこにいわゆる氏名だ、それを出すことができるのかどうか。秘密会というものは、これは黒柳さんなんかもこの間も言っておられたけれ
ども、秘密会なんて言ったって守れるわけないんだと。私
どももそう思いますよ。秘密会が全うできないということがまず間違いないという状況においても、そこにこれは三十万円の盆暮れの何だ、やれ何だかんだといって、この中にある五十万、百万というそういう、要するに不起訴処分の
内容の氏名を出すかどうか、これはっきり答えてください。まずあなたは検察を代表する最も身近な
政府委員だ。
法務大臣よりも身近だ。だから制度を守るとか、そういうことについては非常に、一番心配している人間だと、
立場だと思うので、それを答えてください。