○
紺野与次郎君 私は、ただいま
提出された私を
懲罰委員会に付する
動議に断固として反対し、心からの憤りをもって一身上の
弁明を行うものであります。(
拍手)
本
動議の
対象となった私の
発言は、
会議録にも記載されない議席からの
発言、いわゆる
不規則発言であり、これはいまだかつて
懲罰されたことのないものであり、これを
懲罰に付することはまことに不当なものであります。
第一に、私の
発言は、
公明党の
矢野君の
質問演説に対する、私の
体験に基づく、や
むにやまれぬ抗議の声だったのであります。
私は、
戦前の暗い時代を二度と繰り返してはならないという歴史の生き証人の一人として、
特高警察のあの
拷問によって虐殺された
人々、また
獄中で虐待によって
生命を奪われた
人々、そして耐えがたい苦痛を受けた
治安維持法や
特高警察による
犠牲者にかわって、
抗議の声を上げずにはいられなかったのであります。(
拍手)
私は、四十八年前の
昭和三年、十八歳のときに
労働運動に身を投じたものであります。あの
戦前から、
暗黒政治と
侵略戦争に反対し、平和と
民主主義、
人権の確立のために闘ってきた者の一人であります。
私は、
昭和四年四月十六日、いわゆる四・一六
事件のとき、ストライキ中の工場から
特高警察によって検束されました。
警察署では、私は後ろ手に
手錠をかけられ、引きずり倒されて、十数人の
特高警察に四方八方から棒と竹刀で
全身を殴られ、腰から
大腿部の急所をくつの先やかかとでけられ、足腰が立たなくされ、動けなくなると、大ぜ
いが馬乗りになって体を押さえつけて、顔をあおむけに押さえて、大きなやかんで水を口、鼻、目に注ぎ込み、私は窒息させられようとしたのであります。私は必死に息を求め、渾身の力でわずかに顔を左右に動かしながら、人間をけだもの扱いする
権力の重圧、
殺人鬼のような
暴力を
全身に感じながら、生と死の境で必死の抵抗をし、辛くも命を守ったのでございます。
私の
同僚の
岩田義道は、六本のくぎのついた鉄のマスクをたたき込まれ、
拷問衣を着せられて殴り殺されたのであります。婦人の
活動家は全裸にされて辱めを受け、「落ちろ、落ちろ、地獄に落ちろ」ということを言いながら、この
特高によって、その操を棒でじゅうりんされたのであります。
矢野君、あなたは果たしてこのような
特高警察の
実態を知っているのでしょうか。
治安維持法によって私は十年間投獄されたのでありますが、その
裁判はまさに
暗黒裁判であり、
法廷に通ずる人けのない地下道の真ん中で、
法廷での
侵略戦争反対の陳述がけしからぬと言って、
手錠をかけられたまま、看守にさんざんに殴りつけられたのであります。また、
反動権力は、監獄では、夜になるとたくさんの南京虫が天井から落ちて畳をはって襲来する魔の監房に私を移して、冬は、零下十度の火のない独房で苦しめたのであります。
わが党の
指導者市川正一氏は、十六年間にわたる
獄中生活のため、次第に衰弱し、やせ細り、まだ五十三歳だったにもかかわらず、歯は皆抜けて、飯粒を指でつぶして、ようやく口に入れるという
状態に追い込まれ、
終戦の年の三月十五日、ついに
肉体的破壊で殺されたのであります。
哲学者の
三木清氏も、
治安維持法で捕らえられ、
終戦後の九月二十六日、同様にして
獄死をし、
創価教育学会の
初代会長牧口常三郎氏も
獄死をさせられたのであります。
数十万人の人が検挙され、七万五千六百八十一人が送検、投獄され、千六百人以上の人がこうして
獄中で命を奪われたのであります。私は、
体験者として、二度と再び、このような
人権弾圧の制度を許してはならないとかたく決意をしております。(
拍手)
このような検挙、
弾圧は、時の政府の気に入らない
結社と
活動、果ては、その
思想そのものを重罪とし、死刑を含む極刑をもって臨む
治安維持法によったものであります。この
治安維持法と
特高警察による
恐怖政治こそ、
日本国民をあの
侵略戦争に駆り出し、三百十万人の
生命を奪い、国土を焦土と化したのであります。
この
治安維持法と
特高警察による迫害が、私
たち日本共産党に対して最も残虐に加えられたのは、まさに
日本共産党が、
国民の
根本的利益を守る
立場を堅持し、
侵略戦争反対、
主権在民の
民主主義、
労働者、農民を初めとする
国民大衆の
生活と
権利の
擁護の旗を高く掲げて、
治安維持法によって
非合法下に置かれつつも
結社の自由をあくまでも貫き、
特高警察の野蛮な圧迫にも屈せずに一貫して闘ってきたからであります。(
拍手)
現
日本国憲法は、その前文に示すように、
治安維持法や
特高警察や
暗黒裁判を、
国民主権と
不可侵の
基本的人権という
人類普遍の原理に反するものとして明文で排除しております。しかるに
矢野君は、「
治安維持法のもとでの
思想や
政治活動が不当に
弾圧された誤り、これは再び絶対に許してはなりません。」などと言いながら、この
暗黒、
弾圧政治を厳しく究明しようとはしない。逆に、それと命をかけて闘った側を、さまざまな口実で非難、攻撃する
質問を行ったのであります。(
拍手)これでは、口と実際が全く違うではありませんか。
矢野君のこのような
質問に対し「
反共の
イヌがほえるようなことはやめろ」という私の
抗議は、私
自身の
体験からほとばしり出た憤りの声であり、現
憲法の
民主主義的原則に立った正義の声であることを、
矢野君は改めて知るべきであります。(
拍手)
私の
抗議の声を呼び起こした第二の
理由は、
矢野君が、わが党の
宮本委員長に対する
治安維持法下の
暗黒裁判の
判決を全く無
批判に扱ったことに対する憤りにあります。
矢野君は、「リンチ的な
行為が果たしてあったのでしょうか、なかったのでしょうか。」などと問い、
宮本氏があたかも
治安維持法とは無関係に、刑法上の罪名のゆえに重刑を科せられたかのように印象づけようとしたのであります。
当時、
宮本氏らは、
日本共産党の
指導者として、
侵略戦争反対、自由と
民主主義、
国民生活擁護のために闘い、わが党を破壊しようとする
特高警察の
スパイ挑発政策の
実態を見抜いて、
特高警察が当時の
党中央に潜入させた二人の
スパイ挑発者を、
調査の上摘発したのであります。当時の
特高警察が
日本共産党破壊のために
スパイを送り込み、
挑発政策を繰り返したことは、私の経験によっても明白な歴史的事実であります。
昭和七年十月三十日に私や
岩田義道が検挙されたのも、
スパイMこと
飯塚盈延によって
特高警察に売り渡されたためであります。またこの
スパイ飯塚は、
警視庁毛利基特高課長らの指示のもとに、
東京大森の川崎第百
銀行で
銀行強盗をやらせ、これを
共産党がやったとして宣伝するという卑劣きわまる
権力犯罪をも仕組んだのであります。
宮本委員長らによるこの
スパイ挑発者の
調査は、今日では
日本国憲法第二十一条によって
不可侵の
権利と認められている
結社の自由、
政治活動の自由を守るための当然の正当な
政治活動でありますが、
戦前においてさえ、
共産党に
スパイを送り込み、これを使って
共産党を破壊することは、これを正当化することができなかったのであります。だからこそ、当時の
法廷で
スパイが、自分は
スパイであったと何度も繰り返していても、当局は絶対にこれを認めようとしなかった、
判決においても認めなかったのであります。なぜならば、これを認めることは、
特高の
権力犯罪をみずから認めることになり、裁かれるべきは彼ら
自身であることにならざるを得なかったからであります。
宮本氏らが党に送り込まれた二名の
スパイを発見し、その
調査を行ったことは、まさに当然の
防衛措置であったのであります。ところが、たまたまこの
調査中、
スパイの一人が
急変状態で発見され、
宮本氏らはその回復のため努力をしたが死亡するに至ったという、予期しない不幸な
状態が生じたのであります。
特高警察はこれを利用して、
宮本氏らを
殺人者に仕立てようとしました。これに対し
宮本氏は、
被告人の
権利が全く奪われていた困難な条件のもとで、全面的科学的な反論を公判廷で堂々と展開して、
スパイ挑発者に対する
最高の
処分が党からの除名であり、摘発された二人が
特高警察の正真正銘の
スパイだったこと、この
調査が全体として平穏に行われたこと等々を、事実に基づいて解明し、
指導権争いだとか、
殺人の共謀だとか、
リンチ殺人だとかということが、
特高警察のつくった虚構にすぎないことを明白にしたのであります。また、不幸にも急死した
人物の死因についても、
宮本氏は、
鑑定書について学問的にも
批判を加え、
特異体質による
ショック死あるいは
急性心臓死、すなわち
内因性急死と見るべきであることを
主張しました。これは最近の
専門家の研究によっても、当時の
宮本氏の
主張が基本的に正しかったことが裏書きされているのであります。これらの
宮本氏の当時の
主張は、
宮本氏の
公判記録でも明らかであります。
であればこそ、当時の
暗黒裁判でさえ、さすがに
殺人や
殺人未遂という
特高警察のつくり上げた筋書きをそのまま通すことができなかったのであります。(
拍手)
しかし、当時の
暗黒裁判は、
弁護人選任の自由を奪い、証人喚問の要求を拒否し、控訴権さえ剥奪し、今日の
憲法と刑事訴訟法のもとでは、それだけて原審が破棄されるようなやり方で、一方的に有罪と
認定してしまったのであります。それは結局、その大前提に
治安維持法があり、この天下の悪法によって、
宮本氏が
日本共産党の
指導者として
活動すること自体を、頭から重罪と決めてかかる
態度があったからであります。問題の核心は、
思想を処罰の
対象にしたということであり、したがって、転向、非転向の別によって量刑を決めたということであります。
実際に、
宮本氏は中央委員で非転向であるがため、無期懲役を求刑するという検事の求刑論告そのままの
判決を受けたのであります。
他方、
調査において同等の
立場にあった四人のうち、検挙後間もなく転向した一人は、
宮本氏よりも党歴も年齢も古く、
調査の公的な責任者であったにもかかわらず、党
指導者に対する
治安維持法の刑としては最低の懲役五年、五年ですよ。未決通算九百日となり、これに対して
宮本氏は無期懲役でありました。
スパイの一人も名目的に中央委員であったため、
治安維持法違反とされて懲役五年、未決通算七百日を科されたのであります。
こうした事実は、
宮本氏らの
裁判が、まさに
思想を裁くものであって、刑法上の罪名などはつけ足しにすぎなかったことの有力な証明であります。(
拍手)
また、
宮本氏らに対する
判決は、
スパイ挑発者の
調査に関する
行為を含め、その
行為を
日本共産党の
指導者として党の目的遂行のために行った
政治活動として
認定しております。つまり、すべてが政治犯という
認定なのであります。
判決はこういう
認定に立って、
治安維持法違反と刑法上の罪名との関係を、一個の
行為にして数個の罪名に触れる場合、すなわち観念的競合の関係にあるとしております。
このように、
宮本氏につけられた刑法上の罪名は、
日本共産党指導者としての
活動と一体不可分に伴ったものとされ、
治安維持法と切り離して語ることのできないものであったことは明らかであります。(
拍手)
実際に
裁判では、この
事件が政治犯であるという本質と
実態に基づいて、最も重い
治安維持法によって処断、
弾圧されたものであります。
ところが、
矢野君の
質問は、
宮本氏につけられた刑法上の罪名が何か
政治活動とは別個の
行為に対してつけられたものであるかのように扱って、
治安維持法下の
暗黒裁判に無
批判な
態度を示したのであります。常々護憲を口にしながら、現
憲法が排除した
治安維持法、これを前提とした
暗黒裁判をあたかも公正な
裁判であったかのようにみなす
矢野君の
発言に対して、私が
抗議の声を上げたのは当然ではありませんか。(
拍手)
第三に、私の
抗議発言は、
宮本委員長の復権に関する
矢野君の
発言が、事実を正しくつかまず、戦後の民主化措置を正しく理解しないでなされたことに対するものであったという点であります。
宮本顕治氏は、すでに明らかにしたように、また、
判決自体も示すように政治犯とされたのであり、したがって、ポツダム宣言受諾後、一九四五年十月四日の政治犯釈放などに関する連合軍指令によって、当然にも政治犯として釈放されました。当時の日本政府も、
宮本氏を十月四日指令によって釈放した政治犯の一人として連合軍に報告しております。この事実は、前
国会でも今
国会でも、安原刑事局長が確認しているところであります。一連の連合軍文書が明示するように、
宮本氏らの刑法上の罪名は付随的なものとされており、政治犯なるがゆえに釈放されたのであります。
宮本氏らが十月四日、指令によって政治犯として釈放され、したがって、勅令七百三十号第一条本文に基づいて資格を回復したことは、きわめて当然のことであります。なぜなら、勅令七百三十号は、十月四日指令による釈放政治犯のすべてを復権させよという一九四五年十二月十九日の連合軍指令を実施するためのポツダム勅令であったからであります。
ところが、当時の日本政府は、勅令七百三十号第一条のただし書き、すなわち、刑法上の罪名がある人は復権させぬという文言を口実に、
宮本氏らの復権措置をとろうとしませんでした。しかし、このただし書きの文言は、政治犯の復権を妨げようとする当時の日本政府の抵抗の産物でありますが、ポツダム勅令という性格からいっても、
宮本氏らに対してこのただし書きを適用できないことは明白であります。だからこそ、当時の連合軍も、ポツダム宣言に基づく民主化措置として、当時の政府が最後に意図したような、特赦というものによってではなく、勅令七百三十号による復権を指示したのであります。
ところが、
矢野君は、勅令七百三十号第一条ただし書きを口実として、
宮本氏らの復権を妨げた当時の日本政府と同様の
立場から
質問を行ったのであります。しかも、
矢野君は、刑事犯などの併合罪がある者については適用除外が明記されているなどと、あたかもただし書きの文言が併合罪だけを復権から除外しているかのように誤って述べた上、
宮本氏につけられた刑法上の罪名が、
治安維持法と観念的競合の関係ではなく、併合罪の関係にあるかのようにみなし、
宮本氏が党
活動とは別個に刑法上の罪となる
行為を
認定されたかのように扱ったのであります。
この違いは、
宮本氏につけられた刑法上の罪名を
治安維持法と一体の党
活動に付随したものと見たかどうかということにかかわり、したがって、
宮本氏が政治犯として復権すべきものだったかどうかにかかわる重大な違いであります。その重大な問題について、いま私が指摘したように、いいかげんな認識で
代表質問において公党の委員長の名誉と
人権に関する
発言をしていることに対し、私は心から憤りを感ぜざるを得なかったのであります。(
拍手)
第四に、私が議席から
抗議の声を上げなければならなかったのは、
矢野君が自己の
質問を正当化するために掲げたさまざまな口実が、わが党に対する全く不当な言いがかりであったからであります。
矢野君は、
スパイ調査問題について、「過去のことは過去をして葬らしめるべきであるという
意味で、前
国会、私は余り関心を持っておりませんでした。」が、「
共産党の
諸君の異常なまでの反応ぶり」に「大変興味があります」などと言って、今
国会で
スパイ調査問題の真相なるものを行政府に
質問する
理由の
一つとしました。
しかし、
公明党がさきの
国会、民社党春日
議員の
質問の後、そうしてこの
国会の前にも竹入委員長を先頭として、各地の演説会で大々的にこの問題を取り上げて、
戦前の
暗黒裁判でさえ認めなかったのに、事実上
殺人とか人殺しなどと口汚くののしってきたことは、周知の事実であります。(
拍手)
矢野君が関心を持たなかったなどという言明が事実に反することは明らかであり、私がこのような
態度に
抗議したのは当然であります。(
拍手)
また、
矢野君が「
共産党の
諸君の異常なまでの反応ぶり」などと言うのも、根拠ある
質問理由とはなりません。
治安維持法下の
暗黒裁判の
判決を絶対化して、それをわが党が認めないからといって非難する議論に対して、わが党が
国会外の
言論によって厳しく反撃するのは当然であり、正当な
権利に属することであります。(
拍手)それがいけないなどと言うのは、
国会外での
国民の
裁判批判の
権利、
言論、出版の自由を否定することにつながるものであります。
同時に、
国会外で過去の
裁判をめぐる論争があるからといって、それを
国会に持ち出して
裁判の
当否について政府の判断を求めることが
憲法上許されないことも、三権分立の
立場から言って明白であります。(
拍手)
矢野君が「犬は吠えても歴史は進む」という文化雑誌の論文のタイトルに的外れの言いがかりをつけて、「自由と
民主主義にかかわる」などと言うことは、要するに四十年以上も過去の
裁判の
判決の
当否を、本来その権限のない政府にただすことの口実をつくり出す術策にすぎません。このことは何よりも
矢野君の
質問自体が雄弁に物語っているではありませんか。
矢野君の第一問は、「リンチ的な
行為が果たしてあったのでしょうか、なかったのでしょうか。」また、「異常
体質による
ショック死なのでしょうか。あるいは外から加えられた傷、外傷性
ショックによる死なのでしょうか。」「これらの事情について詳細に御
説明願いたい」というものであります。こういうことを
国会の壇上において法務当局に聞いているのであります。これは、前
国会における民社党春日君の
質問の繰り返しそのものであります。
しかし、行政府の一員である法務大臣には、
裁判関係の事実
認定をする権限もなければ資格もありません。法務大臣が、
裁判の
対象となった事実の存否について答弁することが
司法権に対する侵害であり、三権分立の原則のじゅうりんであることは明白であります。(
拍手)
すでに
国会において、法務省刑事局長も、内閣法制局長官も、さらに
最高裁事務総長も、「
国会において
確定判決の
当否を論ずることは、
国政調査権の行使の範囲を逸脱し、
憲法の
趣旨に反し、許されない。」と明言しているのであります。にもかかわらず、それを承知の上でなされた
矢野君の
質問こそ、まさに徹底的に
批判されて当然であります。(
拍手)
このような
矢野君の
質問に対して私が
抗議したことは、まさに三権分立に基づく
民主主義を守る者としての義務でさえあります。
矢野君はまた、その
質問演説の中で、「犬は吠えても歴史は進む」という論文の題名に言いがかりをつけて、「
戦前の
権力者が
共産党の
諸君をアカ呼ばわりしたと同じ発想で、
批判拒否、
独善そのもの」などと攻撃しております。これは
戦前史を知らないか、または故意に直視しようとしない
発言であります。大体、アカ呼ばわりというのは、単に
共産党に対してだけではなく、
共産党以外の者でも、時の政府に
批判的な者に対しては際限もなくこれを拡大しました。そういう重大な特徴があったのであります。つまり、
反共主義という点にこそアカ呼ばわりの特徴があるのであります。このことは、
戦前の
侵略戦争の拡大が、日独伊防共協定を武器として際限なく進められ、聖戦として美化されていった経過でも明らかであります。
さらに、
戦前の支配勢力のアカ呼ばわりは、
治安維持法や
特高警察による
思想、
言論への
弾圧、迫害と一体のものであり、戦後の反動勢力のアカ呼ばわりも、レッドパージや職場における
思想差別と固く結びついております。
日本共産党は、
反共主義に対する
思想的、理論的な
批判は厳しく行いますが、それ自体はあくまで
言論戦であって、
権力的に
言論を抑圧することとは全く無縁であります。
言論戦での厳正さと、
権力による
思想、
言論の抑圧とを混同する
矢野君の
態度こそ、私の
発言への
公明党の
態度が示すように、
言論の抑圧を招きかねない重大な危険性をはらむものと言わなければなりません。(
拍手)
こういう自分の
態度は省みず、
日本共産党に対しては逆に独善呼ばわりする
矢野君の
発言に対して、私が
抗議するのは全く当然であります。(
拍手)
第五に、私が
公明党矢野書記長を
犬扱いしたという非難についてであります。
矢野君は、雑誌論文の題名を挙げて、
日本共産党に対して、「みずからに対する
批判者を
犬扱いする
体質」などと非難しました。これに対して、私は自席で「
反共宣伝をやめろ」というのに続けて、「
反共の犬が吠えるみたいなことはやめろ」と言って
抗議したのであります。
懲罰動議の
提出者は、この私の
発言が
矢野君を
犬扱いにしたものだというのであります。しかし、それは全く誤っております。
矢野君が言及した「犬は吠えても歴史は進む」という雑誌論文の題名の
表現は、中央アジア、いわゆるシルクロードの地域に伝わる「犬は吠えてもキャラバンは進む」という
言葉からとったものであります。それは、
中傷や雑音を犬にたとえて、どんな雑音や
中傷があっても真理と真実は貫き、歴史も進むべき方向に進んでいくという
意味であります。(
拍手)私の
発言も単にこの比喩を用いたものであります。
もともと、犬など人類と古くから関係の深い動物にたとえて、あるいは動物を象徴として人間関係などを
表現することは、古今東西を問わず、言語
表現として広く行われているところであります。
特に、犬にたとえた
表現方法はきわめて豊富であります。「犬馬の労をとる」「犬猿の仲」あるいは何々の「走狗」とか、その例は枚挙にいとまがありません。たとえば「反動の走狗」という場合、それが、言われた相手が動物になったのではなく、反動勢力の手先としての
個人ないし集団を
意味することは言うまでもありません。「犬馬の労をとる」という
言葉が本当の犬のことを言っているのだなどと理解する人はありますまい。「狡兎死して走狗烹らる」「一犬虚にほゆれば百犬実を伝う」など、中国の古典に出所を持ち、日本語の慣用句となっているものも少なくありません。
私の
発言は、当然、比喩、象徴として行われたものであり、何ら
議院の
品位を汚すものではなく、何ら
懲罰に値するものでないことは、きわめて明白であります。(
拍手)私が
矢野君を動物そのものの犬として扱ったなどという非難が成り立たないことは、全く明瞭であります。私の
発言をあえて
懲罰対象だと
主張する
諸君は、日本語の豊富な
表現を事実上タブー視する道を開くものと言われても仕方はないでしょう。
最後に、私はこの際、私に対する
懲罰動議が全く不当であることを指摘するとともに、真に非難され、
懲罰されるべき者はだれであるかを述べなければなりません。
まず、
不規則発言について言うならば、たとえば
公明党の大野潔君は、
矢野君の
質問中にも、わが党に向かって「人殺し」などと怒号しております。また、自民党の浜田幸一君のごときは、去る八日の本院運輸
委員会で、わが党
議員に対して、「
宮本顕治は人殺し」などと繰り返しています。もし、
不規則発言を問題とするならば、こうした
発言をこそ厳しく指弾されるべきものであります。(
拍手、
発言する者あり)
さらに、私は、本
会議場で私に対して
暴力をふるった
公明党の
正木良明君こそ罰せられるべきであることを強調するものであります。(
拍手)
正木君は、
矢野君の
質問演説についての私の
抗議発言を耳にすると、突然立ち上がって、演壇を背にして私の方に向き直り、自席に着席して
質問演説を聞いている私の胸、肩を猛烈な勢いで数回にわたって強く突き、そのために私の上体が後方のいすの背でようやく支えられるほどの理不尽な暴行、
暴力に及んだのであります。(
拍手、
発言する者あり)この事実はテレビを通じて全国に放映されました。
正木君の
行為は、ここに私の持っているテレビ画面の
写真が明白に示しているところであります。
公明党は、この天下に隠れもない厳然たる事実を否認して、覆い隠すだけではなく、公明新聞によれば、伏木国対委員長は記者会見で、「テレビを見ていた人に聞いてもそのような事実はなかったと言っている。
共産党一流のでっち上げであり、かかわり合う必要はない」と
発言しております。
言論で
批判した者に対し
暴力でこたえ、その事実を指摘されると、事実無根と言い張る、この事実こそ、
公明党の一貫する
言論抑圧、
批判拒否、独善の
体質を重ねて示すものではありませんか。(
拍手、
発言する者あり)
議長並びに
議員諸君、
懲罰に付されるべきは、
暴力の被害者である私ではなく、議場において理不尽に
暴力をふるい、あまつさえ多くの
国民がテレビを通じて確認しているみずからの
暴力行為を否認し、恥じるところのない
公明党の
正木良明君ではないでしょうか。
正木君のこの
態度こそ、議場の秩序を乱し、院の
品位を著しく汚したものと言うべきであります。
すでにわが党は、
正木君を
議長職権によって
懲罰委員会に付するよう要求しております。私は
正木君の
暴力行為を強く弾劾しつつ、
議長がその職権において事実を厳正に
調査し、
正木君を
懲罰委員会に付することを、この壇上において重ねて要求するものであります。(
拍手、
発言する者あり)
私に対する
懲罰動議を提起し、真に
懲罰されるべき
行為を
擁護するという、かかる理不尽な行動がなされていることは、この臨時
国会において一連の党が
国会の場を時代錯誤の
反共宣伝の場にするだけでなく、事もあろうにわが党の
宮本委員長を、
戦前の
暗黒裁判さえ認めなかった
殺人者呼ばわりさえしていることとあわせて、
わが国の自由と
民主主義にとってきわめて重大な危険であります。
議長並びに
議員諸君、党派によって世界観や政策などは異にするとはいえ、われわれはすべて
日本国憲法を尊重し、
擁護する義務を負い、
国民代表として責務を負っております。
ロッキード疑獄の徹底究明と
国民生活防衛の緊急対策確立を
最大の課題としているこの
国会において、現
憲法が排除している
治安維持法のような悪法に基づく
裁判の
判決を、三権分立の原則を侵して蒸し返すようなことが果たして許されるものかどうか。それは、
議会制民主主義をみずから破壊する道に通ずるものではないかどうか、冷静に考えられるよう希望するものであります。
あの
暗黒時代を再び繰り返すまいという
立場に立つのか、
反共のためには、
暗黒、
弾圧政治と闘った者に加えられた
治安維持法下の
判決を絶対視する
立場に立つのか。まさに、この重大な問題が問われているのであります。
私は、私に対する
懲罰動議が全く不法、不当なものであることを、
憲法と
議会制民主主義の名誉にかけて強調し、本院がこの
動議を否決されることを求めて、私の
弁明とするものであります。(
拍手)
—————————————