○石原政府
委員 十月二十一日以来引き続き
調査をなお続行中でございますが、これまで
調査した
関係につきまして、中間的にではございますが、申し述べたいと思います。
調査の対象者及び
調査期間を先に申し上げますが、一人は程田福松氏でございまして、昭和四十九年四月一日から五十一年三月三十一日まで網走刑務
所長をいたしており、本年四月一日勧奨により退職いたしております。
程田氏に対しましては、本年十月二十一日及び昨十月二十六日に
事情聴取をいたし、本日も実施中でございます。
もう一人は南部悦郎氏でございまして、昭和四十八年三月十六日から五十年三月十六日まで網走刑務所の庶
務課長をいたしており、現在帯広刑務所の庶
務課長でございます。
南部氏に対しましては、一昨日、十月二十五日及び昨日、十月二十六日に
事情を聴取いたし、本日も実施中でございます。
まず、
調査に当たりましては、御
承知のように
関係者が三人でございますが、いずれかの供述に信が置けるというような前提をとらず、また
鬼頭判事補の供述が先に報道されておりましたことも勘案いたしまして、自分たちの記憶のままにできるだけ思い出して供述するようにという方法をとりました。
本日御報告申し上げます点は、まだ十分な
事情聴取が済んでいるわけではございませんが、二人の記憶に基づく供述では一応のところまで来たというふうに思いますので申し上げるわけでございます。ただ、二年以上前のことでございますので、二人の供述に不一致の個所が多いのでございますが、むしろ不一致の中にこそ真実があるのではないかというふうに思われますので、そういうことでお聞き取りを願いたいと思います。
大きく分けまして、
鬼頭判事補から依頼を受けて網走刑務
所長室において面接したときの状況を先に申し上げ、次いでその後の状況について申し上げます。
最初の部分につきましては、程田氏の供述と南部氏の供述の間に相当な差異がございます。それを、
調査の結果といたしましてそのまま申し上げたいと存じます。
まず程田前
所長の供述でございますが、昭和四十九年七月二十三日、
八王子支部の
鬼頭判事補から、二、三日中に終戦直前の政治犯収容者の書類を
調査のため伺う旨の
電話を受けまして、これに対しましては、
法務省または管区あるいは
裁判所からの正式な依頼状がなければ困ると言って断っております。なおその際、程田
所長は、
鬼頭判事補に返事をする必要もあるかと思い、
電話番号を聞きましたところ、市内
電話でかけているということで、自分のところの
電話番号は明らかにしなかったようでございます。ところで、翌七月二十四日、札幌矯正管区の第二部長から、
鬼頭判事補が終戦直前に執行停止した者についての
調査につき取り計らってくれという趣旨の
電話を受けました。なお、この
電話の内容については、程田
所長の供述のみでございまして、まだ確定されているわけではございません。それに対しまして、程田
所長は、何らかの正式な依頼状が必要だと
答えて断ったということを申しましたところ、第二部長は、そのために自分の方に照会があったのであろうということであったようであります。そこで程田
所長は、
事情を聞いて必要があれば
許可しようというふうに
答えました。ところが、二、三日中と言っていたのにかかわらず、その翌日、すなわち七月二十四日、これは矯正管区から
電話があった日でございますが、
鬼頭判事補から、網走駅に着いたから間もなく伺う、宮本顕治氏が終戦直後出所しているはずなので、そのことで訪ねたい旨の
電話を受けました。
〔
委員長退席、小島
委員長代理着席〕
そこで、南部庶
務課長に、
鬼頭判事補の身元の確認をするよう指示するとともに、自分
自身宮本氏が果たして網走刑務所を出所したか否か知りませんでしたので、このことを南部庶
務課長に聞きましたところ、実は前に網走を出たことがあるという
答えでございましたので、南部庶
務課長に
身分帳があったらば用意していくように指示したのであります。その後間もなく南部庶
務課長が
鬼頭判事補を案内して
所長室に参りました。名刺を交換いたしました後、
鬼頭判事補は、職務上の参考として
研究したいので来た旨申し述べるとともに、宮本氏が当刑務所を出所しているので、確定
裁判所名、確定年月日、罪名、刑名、刑期、入所年月日、出所年月日を知りたいと申した。そこで自分は、
鬼頭判事補が
現職の
八王子支部裁判官である旨南部庶
務課長から報告を受けていたので、わざわざ
東京から来たのは、担当する
事件の参考のため大事な急用で来たものと思い、宮本氏の
身分帳により、先ほど申し上げました点について説明をした。なおその際、宮本氏は病気のため執行停止で出所したことを述べておいた。
そうしますと、
鬼頭判事補は、自分の説明したことをメモさせてくれと言いますので、同室していた南部庶
務課長に、庶務課に案内して、いま言った範囲内で説明するよう指示し、南部庶
務課長は鬼頭を案内して退室をした。その面接した時間はそう長い時間ではなかったということであります。
以上が程田前
所長の言うところでございます。
次に、南部庶
務課長が申している点を申し述べます。
南部庶
務課長の記憶によりますと、昭和四十九年夏ごろ、
東京地裁八王子支部の
鬼頭判事補と名のる者から、職務上、治安維持法の
研究のため、宮本顕治氏について
調査したいのであすお邪魔する、これは外部には発表しないという
電話を受けました。
〔小島
委員長代理退席、
委員長着席〕
そこで、程田
所長の指示を受けて、
鬼頭判事補の身元を確認するため、折り返し
八王子支部に
電話いたしましたところ、
電話に出た書記官から、
鬼頭判事補は確かに私の支部に勤務している。きょうはいないが、あしたは網走刑務所に行くと言っていたという回答を得たのであります。
そこで、待っておりますと、その翌日
鬼頭判事補から、網走駅から
電話しているが、いまからお邪魔するということがあり、
承知したと回答をいたしました。間もなく
鬼頭判事補が参りましたので、
所長室に案内し、かねて
所長から用意しておけと言われた
身分帳を程田
所長に渡したのですが、自分はお茶の接待等をするため退室して、程田
所長と
鬼頭判事補との詳しい話し合いについては聞いていない。なお、
鬼頭判事補が程田
所長の部屋にいた時間は二十分くらいの記憶であるということであります。
これまでの点で申し上げますと、
東京からの依頼につきまして両者の供述が必ずしも一致いたしておりません。私
どもは、この両者の供述を見まして、
最初程田
所長に
電話いたしましたところ、
法務省矯正管区あるいは
裁判所からの正式の話がなければいけないのだといって断られたので、改めて南部庶
務課長に
電話したのではないかということも考えられると思っております。
なお、間に入っております札幌管区第二部長につきましては、近日中に
事情を聴取する予定であります。
また、七月二十四日であるという日時は、網走刑務所にありました
電話書きとめ簿という書類によりまして確認いたしておりますので、その日が正しいものと思います。
そのほか、北海道に行ってからの依頼状況につきましても、両者の供述内容は必ずしも一致いたしておりません。さらに、
所長面接時の状況も一致いたしていないと思います。
次に、南部庶
務課長による
鬼頭判事補の応接状況について申し上げますが、これは南部庶
務課長一人が応接したことでございます。
程田
所長から必要なところを聞いて教えてあげなさいというような趣旨のことを言われ、そのほかの具体的な指示はございませんでしたので、庶務課の応接コーナーに案内いたし、センターテーブルをはさみ、向かい合って着席して応接いたしました。
鬼頭判事補は、
最初、罪名、入所日等について聞きましたので、
身分帳を見ながら
答えておりましたところ、途中で、ちょっと見せてくれませんか、と申し出た。自分としてはちゅうちょしたのであるが、前日、職務上で来るという
電話があったし、自分が
電話をしたところ、確かに
八王子支部に勤務はしているし、あすは網走に行くという書記官の
答えもありました上に、
東京からわざわざ来た判事補でございますので、信用して
身分帳を渡してメモをさせた。その間、自分は
電話、来客のために二、三回中座いたしましたが、一、二回出た後、その部屋に入室した際、
鬼頭判事補は
身分帳の写真を撮っていた。理由を尋ねようと思ったのだが、すでにぱちぱち写していたし、
東京地裁八王子支部の
裁判官であるという肩書きに押されて黙っていた。
鬼頭判事補は、間もなく、終わりました、と言って
身分帳を返したので、これを黙って受け取り、
所長室にも寄らせずに退出させたが、自分としては気分が悪かった。なお、自分と
鬼頭判事補との応接の時間は十五分ぐらいである。
そうしましたところ、一週間ぐらいたちまして、
鬼頭判事補から、記録をよく見なかったので、診断書の写しをゼロックスで写して送ってほしいという旨の依頼が、
電話であったか手紙であったかは忘れたがあったので、程田
所長の指示を受けた上、診断書を
法務省の名入りの用紙を使って庶務課の課員に原本どおりに筆写させ、送り文をつけて
鬼頭判事補あて郵送した。ゼロックスは当時網走刑務所にあるが、これでコピーをとるのには費用がかかるので手書きにしたということでございます。この点につきまして、程田
所長は、南部
課長と鬼頭氏との応接状況につきましては記憶がございませんが、南部
課長の供述中、筆写した診断書を送るに当たって
所長の指示を受けたという点につきましては、どうも記憶がないと供述いたしております。しかし、いずれにいたしましても、その後、程田
所長の言によりますと、札幌管区に、
鬼頭判事補が来て
関係部分を
調べて帰った旨の報告はしているということであります。
以上がこれまで
調査いたしました点につきましての両名の供述内容でございます。