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1976-10-08 第78回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十一年十月八日(金曜日)     午前十一時二分開議  出席委員    委員長 田代 文久君    理事 篠田 弘作君 理事 菅波  茂君    理事 三原 朝雄君 理事 岡田 春夫君    理事 多賀谷真稔君 理事 多田 光雄君       愛野興一郎君    三枝 三郎君       野田  毅君    塚田 庄平君       細谷 治嘉君    渡辺 惣蔵君       鬼木 勝利君    松尾 信人君       稲富 稜人君  出席政府委員         資源エネルギー         庁石炭部長   島田 春樹君  委員外出席者         参  考  人         (北海道炭礦汽         船株式会社会         長)      萩原吉太郎君         参  考  人         (日本炭鉱労働         組合中央執行委         員長)     里谷 和夫君         参  考  人         (北海道炭礦汽         船職員組合委員         長)     佐々木仁三郎君     ————————————— 十月七日  筑豊地域総合的復興等に関する請願大橋敏  雄君紹介)(第四二八号)  同(大橋敏雄紹介)(第四六〇号)  同(多賀谷真稔紹介)(第五二二号)  炭鉱離職者緊急就労対策事業及び産炭地域開発  就労事業昭和五十二年度以降の存続等に関す  る請願多賀谷真稔紹介)(第五二三号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  石炭対策に関する件      ————◇—————
  2. 田代文久

    田代委員長 これより会議を開きます。  石炭対策に関する件について調査を進めます。  本日は、参考人として北海道炭礦汽船株式会社会長萩原吉太郎君、日本炭鉱労働組合中央執行委員長里谷和夫君及び北海道炭礦汽船職員組合委員長佐々木仁三郎君に御出席をいただいております。  参考人各位には、御多用中のところ御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。本件につきまして、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。  議事の順序につきましては、まず参考人各位から御意見を二十分程度お述べいただいた後、委員各位から参考人の御意見に対し質疑をいただきたいと存じます。  まず、萩原参考人お願いいたします。
  3. 萩原吉太郎

    萩原参考人 本日は、大変貴重な時間をお割きいただきまして、ありがとうございます。  最初に一言、私の北炭経営における姿勢を申し上げたいと思います。それは九月九日、北炭再建案路線変更を発表以来、会長社長意見対立しているように誤り伝えられているからであります。  昭和四十七年五月、社長を辞任してから、北炭経営者として在任期間三十年に至りました私が経営に関与をしていれば、指揮の統一が乱れるおそれがあると考えて、ほとんど重役会にも出席せず、出席しても発言を差し控えてまいりました。意見対立が起こりようはないのであります。しかるに、このたびの北炭再建案の方針が余りにも急激に変更いたしましたので、意見対立があったように外部の人々には映ったのではないかと思います。  六月末から北炭は、通産省また石炭鉱業審議会経営部会北炭問題専門委員会指導のもとに再建案を作成してまいりまして、八月十三日の北炭役員会で、それを決定したのであります。会社単独で作成したものではないので、心中、反対でありましたが、私は特に意見を述べませんでした。  しかるに八月末に、すでに炭労はこの再建案内容を知っていて、会社交渉に応じないこと、また九月九日には全石炭企業統一抗議ストを行うことを機関決定していることがわかったのであります。  そこで急遽、緊急役員会を開催することとなりました。その席上、初めて私は原案に対する意見を述べたのでございます。もともと全面復旧会社本来の原案でありましたので、全員異議なく幌内鉱全面復旧決定した次第であります。二日後に団体交渉を控えて、関係各方面に御理解を求める時間の余裕がありませんでした。  九月九日、団体交渉終了後、記者会見して、この旨を発表したのでありますが、果然、各方面の反発、非難が巻き起こりました。私は今日まで、あえてその理由を釈明いたしませんでしたが、本日の機会に私の意見を述べさしていただきたいと存じます。  第一に、保安上不安があれば再開すべきでないことは申すまでもありません。取り明けてみなければ何人も断言できないことでありますが、私は、この事故は深部なるがゆえに惹起したものでなく、発破に当たって対策が十分なれば起こらなかったと思っております。幌内鉱養老断層に近づけばガス突出のあることはわかっていたことであります。過去において浅部においても、しばしば起こった現象であります。全山水没という結果となったために、初めから大災害が起きたような印象を受けておりますが、全鉱火災に発展したのは事後の処置に慎重さを欠いたためだと反省いたしております。極言すれば、山が悪いのではなく、人が悪かったのだと言いたいのであります。  第二に、原案では二百四億円投入して十年目に百十億円の採算割れとしていますが、私は次の理由により採算割れにはならないと思います。  その一は、原案では日産四千トンとしていますが、幌内鉱機械化完了後の実績は、日産四千五百トンを割ったことはないのであります。  その二は、金利を八分としていますが、政府補助によって市中銀行借入金と平均して、金利五分が過去の実績でございます。  さらに、新石炭政策に従ってコストアップ分のほかに赤字解消のための値上がり分を加えれば、すなわち五十二年度はトン六百円と予想されますが、幌内だけで年額八億円の増収となります。その後はスライディングしてコストアップ分だけとなりましても、十年間に八十億円の増収があります。  この三点を修正してみると、幌内鉱全面復旧経済性が成り立つのであります。  原案では、同区域を全面閉鎖して浅い区域常盤坑日産九百トン採掘することとしていますが、六十度の傾斜の同区域は、能率が悪いばかりか、労働者を充足することは困難であると思います。これに要する開発費百二十六億円はとうてい返済し得ないでありましょう。閉山に対する申しわけに常盤坑を開発することは、経営悪化の種をまくようなものでございます。  その三は、復旧費二百四億円のうち、揚水完了遺体収容までに一年七カ月の日子と四分の三の経費を使ってしまいます。そうして、あと三カ月の日子と四分の一の経費で出炭できるのに、なぜ閉山決定しなければならないのでしょうか。閉山すれば、すでに使ってしまった資金を返済するために、夕張新鉱に重荷をかけることになります。投下した資金は投下した山で回収したいのであります。  その四に、夕張炭鉱日産五千トン体制はおおよそでき上がっていますが、現在が坑内を再点検して整備を図る大切なときであります。そのためには、幌内鉱員の一時的配転をしたいのであります。幌内炭鉱閉山すると決まれば、幌内鉱鉱員は新鉱への配転に応じないと思います。  以上のごとく、北炭としては長期展望に立って、ぜひ全面復旧をしたいのであります。  しかも、これは会社だけの問題ではありません。これを国家的に見れば、実収炭量三千二百万トンの資源を捨てることであります。これを社会的に見れば、二千人の失業者を出し、さらに三笠市の人口二万七千人のうち、約四割の一万人の人口を失うこととなり、地域社会経済を崩壊させるおそれがあるのでございます。  さて、わが国のみならず世界産炭国において、いわゆるエネルギー革命以後、経済性を重視するか供給確保を重視するか、繰り返し論議されたところであります。論議論議として現実には、わが国が、石炭産業の静かなる撤退を根本理念として、埋蔵量があっても経済的に成り立たなければ山は閉山に努めるというのに対して、世界産炭国石炭生産力の温存に努めてまいりました。四十八年のアラブ・オイル・ショックに遭遇するや、英国も西ドイツも直ちに石炭の大増産に乗り出して成功しているのであります。これは、石炭産業生産能力を温存して、この日に備えていたからであります。両国政府は十六年前にこのことを予言しているのであります。  わが国石炭産業は、六百に上る廃山と三十五万人の離職者を生み、いまや往時の五千万トン体制から二千万トン体制に転落してしまっております。しかし、石油が三十数年後で枯渇してしまうと見られているとき、エネルギーギャップを埋める役目は、まだ石炭産業に残されているのであります。わが国実収炭量十六億トンを活用しなければならないと思うのでございます。  ところで、北炭借入金九百億円が大きな問題となっておりますが、政府肩がわり金二百億円を除けば七百億円になり、そして、その半分は実収埋蔵量一億トンの夕張鉱開発のために投じたものでございます。  私は、夕張新鉱に加えて、さらに他の四区域実収炭量一億二千万トンの新鉱開発の夢を抱いておりますが、これは年産二百三十万トンとして、おおよそ七百億円の資金を必要といたします。借入金が問題というなれば、この四鉱区を国に献上いたしますから、政府の力で一日も早く開発していただきたいと思うのであります。昭和二十九年、炭主油従時代石炭奉還論を私は唱えましたが、いまでも同じ思想であるのであります。いま幌内鉱全面復旧して、年産百三十万トンの山が二百億円で再現できるなれば、実収埋蔵量三千二百万トンの新鉱を開いたことになるとお考えいただけないものでございましょうか。政府は、過去において石炭対策額四千億円のうち三七%を、炭鉱の整理を促進するために使ったようなことは繰り返さないで、幌内鉱全面復旧援助されますことを切望する次第であります。  以上、政府救済に対して率直に私の希望を申し述べましたが、心中では幌内鉱事故を惹起した責任者として、僭越な言い方にはならないかと反省もしております。常識として、救済を求めている者が理屈を言うべきでないことも、よくわかっておりますが、窮地に陥って、やむにやまれぬ悲痛な願いであるとお聞きくだされば、まことに幸いでございます。  最後に、復旧費について申し上げます。  もともと、いつ起こるか知れない変災に対する資金予算に組み込まれているはずはありません。また、現行石炭法規に大災害に対する条文はないのであります。しかも、石炭産業変災はつきものであるとさえ言われております。まことに申しわけないことでありますが、北炭といたしましても、本当にお恥ずかしいことでございますが、四、五年に一度の災害を起こして今日に至りました。申し上げるまでもないことでございますが、確かに石炭鉱業合理化臨時措置法経営改善資金条文があります。石炭鉱業合理化事業団業務方法書でも、貸し出しできる場合として、重大な災害が発生した場合を第一番の項目として取り上げているのでございます。しかし、これは六カ月で返済する条件であります。また、貸付額も厳重に少なく限定されているのであります。この条文は、大災害に通用しないものだと思うのでございます。近代化資金坑道補助金保安補助金制度はありますが、この予算は全石炭企業に割り当てて組み立てられたものでございます。したがって、幌内復旧費現行制度予算の枠内で調達することは、はなはだむずかしい状態でございます。しかし、現に変災は起っているのでございます。政府に特別の御配慮がいただけるよう諸先生方にお力添えを、この席をかりてお願い申し上げる次第であります。  私は、この点について三つのことを申し添えたいと思います。  来年三月、時限の到来する石炭鉱業合理化臨時措置法に大災害措置に関する条文を入れ、すでに事故発生中の幌内鉱にも、これを適用していただきたいということであります。  第二に、措置法改正まで予算の枠がないのでありますから、資金調達のため政府保証の道を開いていただきたいと思います。元利たな上げを行う市中銀行に、担保もない状態のもとにおいて、全く資金調達の道は閉ざされております。  さらに第三に、現在の予算の枠を破らないで資金を捻出する方法があるのでございます。ただ省令の石炭鉱業合理化事業団業務方法書の一部改正によって、一年間の資金捻出の道は開かれるのでございます。予算が現在なくとも開かれる道があると思います。これは法律ではありません。いままでにも、この方法書は二十数回の一部改正を行っているのでございます。  そこで、幌内鉱全面復旧費二百四億円でありますが、すでに五十年下期三十九億円、五十一年上期に四十五億円が支出されております。その合計額八十四億円でありますが、そのうち政府資金として援助いただいたのは二十四億円であります。したがって、今後の分としては百二十億円が必要でございます。すなわち、五十一年下期四十七億円、五十二年上期に七十三億円を必要といたします。  本来、復旧費の二分の一ないし三分の一は当然、会社が捻出しなければならないものであることは重々承知いたしております。しかし、社内の合理化に努めることはもちろん、債権者元利返済について非常に思い切った御協力を得ることとしましても、五十一年下期に五十二億円、五十二年中に五十七億円の資金ショートをする状態でありますので、こういう状況の中から、この復旧費の二分の一または三分の一の経費を支出する余裕がないのでございます。もちろん私どもとしましては、本来いかに国の御厄介になっていると申しましても、これは私企業でございまして、したがって、できれば、できるだけ自己の起こした事故に対しては自己によってその資金を捻出したいというのは、もともと念願でございます。全く断崖に立っている窮地と言えるのであります。政府に無理をお願いいたしておりますが、この実情を諸先生方に御賢察いただきたいと存じます。  まことにありがとうございました。
  4. 田代文久

  5. 里谷和夫

    里谷参考人 日本炭鉱労働組合中央執行委員長里谷でございます。  本日、北炭再建幌内炭鉱全面復旧意見を申し述べる機会をいただきまして、ありがたく思っております。なお諸先生方には、昨年の十一月以降、何度もお邪魔をいたしまして、現在の状況についてお願いをし、幌内炭鉱全面復旧の陳情をいたしてまいりまして、温かい御支援をいただいていることを、冒頭感謝を申し上げる次第でございます。  北炭再建幌内炭鉱全面復旧実現のために、今日まで炭鉱労働者は多くの苦しみを乗り越えて闘ってまいりました。北海道道民皆さんの温かい援助を受け、中でも産炭地皆さんとは、その苦しみを分かち合い、ともに手を握り合って今日を迎えています。  昨年の十一月二十七日午前二時ごろ、幌内炭鉱七片操車坑道の掘進現場で起こったガス爆発に続く坑内火災のため、行方不明者は二十四人を数え、そして、まだ十三人の遺体坑内に眠っているのでございます。災害以来、実に十カ月経過をいたしています。十三人の遺体収容作業は、本年七月、労使決定をいたしました復旧計画に基づいて懸命に努力をいたしています。計画は、取り明け当初のつまずきが影響いたしまして二カ月おくれになっていますが、現在の取り明け作業は、きわめて順調に進行いたしております。  幌内炭鉱全面復旧要求は、こうして現在を迎えておりますが、炭鉱労働者家族は、いずれにせよ初めての体験であり、心情的には耐えられない苦痛を味わっております。しかし、必ずや国内最優秀幌内炭を国民の皆さんに利用していただくために、がんばり抜く決意でございます。国会並びに政府の熱情あふれる御援助と高度の政治決断によりまして、新石炭政策の再度の見直し北炭再建幌内炭鉱全面復旧のための御協力を、冒頭お願いをする次第でございます。  第二に、炭鉱保安重大災害現状についてでございます。  五十一年の七月に北炭新鉱のガス突出を初めといたしまして、三井砂川炭鉱三菱高島炭砿北炭幌内炭鉱、そして台風による入水によりまして、北炭万字炭砿はことし三月、閉山せざるを得ませんでした。そのため、これらの数多い災害の連続でございましたので、当石炭特別委員会決議をいただきまして、私どもは徹底した保安最優先の現場指導を行ってまいりました。幸いにいたしまして、今年は今日現在、重大災害を防止し、死亡者は十八名という現実であります。十八名の犠牲者を出したことはきわめて残念でありますが、私どもは、より一層の保安確立のため努力をしてまいりたいと思います。  炭労が、いま政府その他にお願いをしております要求については後ほど炭労政策見直し具体策説明をいたしますが、現存する炭鉱会社幌内に類似をするような重大災害が惹起をいたしますれば、会社経営は直ちに危殆に瀕することは間違いございません。ぜひとも重大災害対策特別資金制度実現願いたいと思うのでございます。  三番目に、北炭経営現状についてでございますが、ただいま萩原会長説明がございましたし、団体交渉の中で説明を受けているのと同様でございますので、省略をさせていただきたいと思います。  四番目に、炭労災害以来、現在までとってまいりました実情について御説明を申し上げたいと思います。もちろん、これは会社に対して労働組合が許容できる協力の実態について申し上げをいたしたいと思うのであります。  もともと、昨年七月の石炭答申に私どもも参加をいたしましたが、九項目炭労意見を当委員会でも申し上げましたように、政策の補強を主張いたしてまいりました。現在もなお、その主張に変わりはございません。しかしながら、災害が起きると閉山というパターンが続いてまいりましたが、幌内炭鉱の場合は十カ月を経て、なお全面復旧を期待をして私どもは、いまがんばっています。これは日本炭鉱史上初めての実例でございます。再建実現のために組合員家族ががんばっていますが、がんばっている内容について御説明を申し上げたいと思うのであります。  幌内炭鉱災害が起きまして、いろいろ協議をいたしましたが、千九百名の組合員の中から他山への出向を行おう、他山へ参りまして他山で稼働する、こういうことを労使決定をいたしました。幌内組合員は、夕張新鉱に四月十二日と十六日の二回にわたりまして二百八十八名、清水沢炭鉱には四月十六日、七十五名、真谷地炭鉱の桂、楓両坑に四月十六日に百二十二名の出向をしているのであります。家族幌内現地に残して単身で現地に赴いているのであります。土曜日に帰宅をいたしまして日曜に帰山をする、こういう勤務状況でございます。これらの実情につきまして組合員からは、もう山に帰してくれとの切実な要求がございます。しかし、清水沢炭鉱真谷地炭鉱との労使協定が十月十二日で切れるのでございますけれども、十月六日の炭労中央闘争委員会は、いま労使再建案を作成をする、その作業を重視するという意味で、十月末まで残存をして働いてもらえないか、こういう決定をいたしたところでございます。  この間におきまして九月二十七日、再建に基づく団交を行っていますが、会社からは幌内炭鉱にまだおります組合員を再度、夕張新鉱に出向してもらいたい、こういう提案を受けているのであります。私どもは、幌内全面復旧の確約が実現をすれば、組合員とひざを交えて協議をして、この会社提案をどのように理解をするのか、その用意をしていることも申し添えておく次第でございます。災害以来、私ども再建案について、労使合意をしてこい、それも国民的に理解がされるもの、あるいは債権者銀行、ユーザーを含む、これらの諸団体について納得のいく案を持ってこい、こういう要請をされていますが、私どもは耐え抜きながら、これらの労使合意を早急に進める、こういう作業現状、行っている次第でございます。  賃金の問題でございますが、昨年の十一月二十七日に重大災害がございまして、取り明け作業が進む四月までの間、組合員自宅待機を余儀なくされましたけれども、このときの賃金が六〇%ということで耐え忍んでまいりました。今年の春の賃金闘争炭労四社は日額四百二十円の賃金決定いたしましたが、北炭炭鉱労働者は本年は四〇%ということで妥結をいたしました。これは債務といたしまして来年以降、返済する、こういう条件つきでございます。期末手当をこの七月に決定いたしましたが、四社の炭鉱労働者は三十三万一千円の妥結でございましたが、北炭現状理解してもらいたいという前提で、まだ十三万五千円の回答より出ていないのでございます。これらの問題につきまして、炭労全体の組合員家族が、北炭仲間救済をしよう、こういうことで、十三万五千円の回答がございますが、会社から支給をされませんので、私ども労働金庫から借りて十万円を北炭仲間支払いをしている、こういう現状も御理解を願いたいと思うのであります。しかもなお、ベースアップの実情はいま申し上げましたが、これらの賃金支払いについてでございます。五月分稼働賃金、六月、七月、八月の稼働賃金についても支給がございませんので、私どもが月約七億八千万の金を労働金庫から借りて、みずからが金を受け取っている、こういう実情にあることも御理解願いたいと思うのであります。  この間、北海道道庁あるいは日本じゅう革新市長会が、この炭鉱労働者窮状を救う意味で多くの預託をしていただいていることについて、炭労は非常に感謝をいたしておるところでございます。  思い出しますと、第五次の石炭政策論議しているときに、労働組合労働金庫から金を借りてきて支払いをするという制度について、これは全体でございますが、これをぜひやめてもらいたい、こういう主張をいたしましたが、当時の政府からの答弁といたしましては、労働組合労働金庫から借りてくる制度については計画として盛り込んでいる、したがって、これを変えることはできない、ぜひ労働組合会社窮状を察して、この制度を存続していただきたい、こういうことで、第五次石炭政策のときの議論をいたしましたが、この制度改正をされていないのであります。ぜひ、これらの問題についても今後の御援助お願いいたしたいと思いますし、新答申では労働賃金問題労働条件の問題、労働者環境整備について、これがなければ石炭見直しの新政策はないということで、三本の大きな柱のうちの一本でございましたが、現実には、いま申し上げました、世の中がきわめて近代化をしていますが、労使の間で行われている処置は、まさにどろ臭い方途と言わざるを得ないと思うのでございます。  五番目に、マスコミを通ずる各界の意見あるいは会社対応内容について触れたいと思います。  その第一は、災害以来、通産大臣と何回もお会いをいたしまして、幌内全面復旧についてお願いをしてまいりました。通産大臣からは、必ず幌内炭鉱を再開する、こういう約束が出てまいりましたが、今年の四月以降、北炭の全体的な経営状態を見なければならないという意味発言がございまして、自来、幌内再建については労使合意案を持って来い、こういう内容現状まで推移をしております。  二つ目の動きといたしましては、石炭鉱業審議会でいろいろ議論をいたしておりますし、政策部会でも議論をし、経営部会が開催をされまして、専門委員会で現在検討中でございます。炭労も幾多の意見を申し述べておりますが、この過程にありましては、幌内再建ができ上がるときには、北炭葬式も出さなければならないのではないか。十三名の遺体が救出をされたときは、北炭葬式も出さざるを得ないんではないか、こういう当初の意見がございましたことについても申し上げておきたいと思うのであります。当委員会におきましては昨年以来、何度もこの問題を取り上げていただきまして、御論議あるいは、たくさんの決議をいただきましたことを感謝申し上げる次第でございます。  そうしていますうちに、先ほど萩原会長の話にございましたが、八月十三日の会社取締役会の決定について、私どももその内容を入手する機会がございました。いろいろ全面復旧その他の確約をいただいておりましたが、そのときの内容は、幌内を縮小する、真谷地炭鉱を分離する、坑外部門については首切りをせざるを得ない、こういう内容のものでございました。この提案を受けると北炭と対決をしなければならぬという決意をしたのは、いま行われています政策の中の基本理念を破壊するものである、こういう前提に立ちまして、私どもは断固として八月十三日案を提案をさせない闘いを組んでまいりました。  四点目に、非常に多くの各界からの意見が出されていますが、その中で一番私どもが問題にしておりますのは、新政策があるから重大災害を起こしても炭鉱閉山にならないんだ。まさに新政策が邪魔だというような意見を聞いたときには、まさに国民的なコンセンサスを得た石炭政策を無視するものである、こういうことで憤激を禁じ得ませんでした。  八月十三日以降のマスコミは、閉山は確実である、この点を喧伝をされました。炭鉱が縮小になる、このことも当然ではないか。不当な炭労要求である、経済性を無視している等々の御意見をいただきましたが、先ほど炭鉱労働者が置かれている労働条件を申し上げましたように、私どもは耐え忍びながら、がんばっているにもかかわらず、これらの意見を甘受せざるを得ない状況でございましたが、これらの幾多の苦難を乗り越えても私どもはがんばり続けてまいりました。  九月七日、会社の取締役会が八月十三日の案の路線変更をしたことにつきまして、私どもはこれを支持いたしまして、直ちに労使会議を開催をしているところであります。会社提案に基づきまして、どうしてもりっぱな再建案をつくろう、こういうので組合員家族意見を聞きまして要求をまとめ、昨日、会社政府に提起をしてまいった次第でございます。  時間が超過をしておりますので、最後に炭労要求について御説明を申し上げ、御理解をいただきたいと思うのであります。  答申の中では、新鉱開発あるいは政府保有鉱区の開発、現有炭鉱を育成強化する、この三つの方向で示唆されていますが、新鉱開発あるいは隣接鉱区、保有鉱区の開発の問題について調査は行われていますが、二千万トン以上確保するという動きについて、私どもはまだまだ足りないのではないかと思っています。しかもなお問題がありますのは、十五年間スクラップに次ぐスクラップでございましたから、現在ある炭鉱は想像以上に疲弊をしているのであります。近代化の準備がおくれているのであります。そういう意味で、二千万トン以上の体制確立を急速に推進することは非常に困難であります。  しかしながら、私ども労使協議を前提にしながら、国内炭の完全開発を行うという意味で・政府も含めまして炭労の九項目政策に対する意見に基づいて現在も要求行動をしております。当面の問題として、三点だけ御説明を申し上げておきたいと思うのであります。  いま申し上げましたように、現有炭鉱の長期の視野に立った坑内骨格構造の確立、急傾斜払いも含めた採炭機械化その他、生産近代化を図るとともに、新区域の開発を積極的に推進していける政策的裏づけを確立していただきたいというのが第一点であります。  第二点は、深部開発に伴う保安体制の確立に万全を期するとともに、不幸にして万一、重大災害が発生しても、これにより当該企業、炭鉱が直ちに閉山縮小等に追い込まれるといった事態を回避していける制度を確立していただきたいと思います。  第三に、未開発鉱区の開発、閉山鉱区の再開発を積極的に推進していける政策的裏づけを確立をしていただきたいと思います。  これが最低限必要な政策である、こういうように考えますし、北炭再建幌内炭鉱完全全面復旧のために本日以降、労使交渉も精力的に続けてまいるつもりでございますので、ぜひとも高度な政治決断によりまして再建実現させていただけるようお願いをいたしまして、意見にかえる次第でございます。  ありがとうございました。
  6. 田代文久

    田代委員長 次に、佐々木参考人
  7. 佐々木仁三郎

    ○佐々木参考人 私は、北海道炭礪汽船職員組合の委員長をしております佐々木でございます。  最初に、委員長を初め先生方には、ふだん石炭対策の安定のために特段の御尽力を賜り、かつまた、特に幌内炭鉱の復旧と北炭再建の問題に関しまして格別の御配慮をいただきまして、厚くお礼を申し上げる次第でございます。  先月の十六日と二十七日に、会社の方から北炭再建対策につきまして具体的な提案がございました。私ども北炭の職員組合といたしましては、この提案を受けまして昨日まで組合員意見を求めて、いろいろ内部で検討してまいりました結果、昨日、会社提案に対しての一応の結論を見たわけであります。したがって本日以降、この結論に基づきまして会社との協議を具体的に進めていく予定でございます。  以下、その結論に基づきまして、主要な点について意見を述べさせていただきます。  北炭経営実態は、まさに危機に瀕しておりますが、今後われわれ労使再建の方向を見出すに当たりまして、一体この経営危機の要因がいずれにあったかを振り返ってみる必要があるのではないかというように考えるわけであります。その要因といたしましては、これまでの石炭対策のあり方にかかわる部分が、もちろんあったと思いますけれども北炭独自の大きな要因としては、第一に、重大災害の続発にあったと思います。  過去十数年来の間に発生をした大災害だけを見ましても、昭和三十五年には旧夕張二砿、四十年には旧夕張一砿で非常に大きなガスの爆発がございましたし、また四十三年には旧平和鉱におきまして坑内で火災が発生し、また昨年は、いま問題になっております幌内災害がございました。この四回の大災害だけで百数十名に及ぶとうとい人命を失ったことも事実でございます。さらには、人災はありませんでしたけれども、昨年、関連会社の万字炭砿で出水事故がございまして、ことしの三月には、やむなく閉山をしなければならないという事態を迎えております。そのほかにも数々の災害が発生しておりますけれども、この影響は非常に甚大でございます。  その要因の第二は、このような災害の後遺症などの影響と夕張一砿あるいは平和炭鉱閉山また夕張炭鉱の出炭開始のおくれで、慢性的とも言うべき出炭減が長期にわたって続いておりまして、生産性の面におきましても全国水準を非常に下回る状態で推移をしていたことにあると思います。  したがって、今後の再建に当たりましては、労使協力のもとに災害の絶滅と各炭鉱の体質の強化を図ることがその基本であろうと考えるわけであります。  北炭再建の具体的問題として、その第一は、言うまでもなく幌内炭鉱の復旧でございます。  幌内炭鉱は、災害の前は北炭の中核的存在でしたが、将来におきましても夕張炭鉱とともに、その役割りは変わらないとの観点から、幌内炭鉱の復旧に対し、われわれ職員組合としては、組合員家族の雇用と生活の安定確保のために完全復旧を強く求めているところであります。また、幌内炭鉱の完全復旧は、国内炭の二千万トン体制の確保、地域社会を守る意味合いからも非常に重要であると考えるからであります。幸いにいたしまして幌内炭鉱地域は、一般炭ではございますけれども、良質の炭量が豊富でございまして、しかも道内では最も自然条件の安定しているところでございます。したがって完全復旧の実現に対しまして、先生方の一層の御尽力をお願い申し上げる次第でございます。  次は、夕張炭鉱日産五千トン体制づくりの問題でございます。  北炭経営危機の現状のもとで幌内炭鉱の復旧をするためには、当面、何といいましても、やはり中核である夕張炭鉱体制整備を図ることが急務であることを、私どもは深く認識をいたしておるわけでございます。したがって、この体制づくりのためには、私ども北炭職員組合としては積極的に協力をする考えを持っております。  ただ、私どもが非常に重要視している問題といたしましては、地圧とかガスなど自然条件が既存の炭鉱よりも非常にむずかしい条件のもとにありまして、会社に対しては、保安の管理体制を含めまして保安の強化を強く求めていくつもりでございます。  今後、深部対策につきましては、夕張の新炭鉱ばかりでなく、炭鉱全般にわたりまして深部移行に伴って、ますます地圧、ガス、高温など条件が一層厳しくなることが予測されます。しかし、深部対策の問題につきましては技術的に未知の部分がございますので、この対策の検討と技術の開発に関しまして一層の促進方をお願いする次第でございます。  次に、各炭鉱の体質強化に関しての問題でございますけれども会社提案の中で私ども大きな問題として受けとめておりますのは、夕張新第二炭鉱の終掘の問題でございます。  可採炭量の状況あるいは終掘の時期の問題につきましては今後、労使双方の間で協議することになっておりますけれども北炭の職員組合としては、その結果、炭量に限界があって終掘を認めざるを得ない場合には、これを吸収する受けざらの確保が絶対条件でなければならないというように考えておるところでございます。これまでのところ、会社提案では資金確保の見通し、あるいは計画達成の見込みなど今後に持ち越されている点がありまして、この実現の可能性について非常に疑問の残るところでございます。しかし、先般、石炭鉱業審議会経営部会でまとめられた中間報告の意向なり、あるいは北炭経営危機の現状を踏まえるときに、会社提案の個々については、いろいろ問題はございますけれども、大綱としては会社提案の路線を基本にして早急に再建案をまとめ、その上で政府初め関係先の協力と支援を仰ぐ以外にないとの結論を得たところであります。  ただ、私どもが最も懸念しておりますのは、膨大にわたる幌内炭鉱の復旧資金の確保が得られるかどうかという点でございます。それは、石特会計など現行制度の枠内では、おのずから限度があるというように思われるからであります。また、民間からの融資を仰ぐにいたしましても、現状北炭の財務内容からいたしまして、果たして、その可能性があるかという点でございます。したがって、この資金確保につきましては今後、特別の融資制度を設けていただくなど、格別の御配慮をお願い申し上げる次第でございます。  北炭再建の問題は、私たちみずからの重要な課題でございます。したがって、私ども組合員協力を得て再建計画とその実現のために全力を注ぐ所存でございます。  重ねまして、政府並びに先生方の一層の御尽力をお願い申し上げて終わりたいと思います。  どうぞよろしくお願いをいたしたいと思います。
  8. 田代文久

    田代委員長 これにて参考人の御意見の開陳は終わりました。  この際、午後零時三十分より再開することとし、暫時休憩いたします。     午後零時三分休憩      ————◇—————     午後零時五十分開議
  9. 田代文久

    田代委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  これより参考人に対する質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。岡田春夫君。
  10. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 先ほど三人の参考人から貴重な御意見をいただきまして、大変ありがとうございました。時間も制限されておりますので、簡単にお伺いをいたしてまいりますが、私は主として萩原参考人に御質問をいたしてまいりたいと思います。  先ほどのお話を伺っておりますと、萩原さんからもお話があったのでありますが、八月十三日と九月七日ですか、この二つの再建案に非常に大きな違いがある、そういう点からいって、いろいろ問題にもなっているようだが云々というお話もありました。私はこの点が非常に重要な点の一つになると思うのですが、八月の十三日の案については、萩原さんのお話では、その際に会社単独でつくったものではないものだから、こういう意味のことをお話があったように私は記憶をいたしております。そうすると、単独でないということになると、単独ではない、どこの人と御相談になった案であったのか。  それからもう一つは、常盤坑中心の案が八月十三日の案であったと思いますが、とするならば、九月七日以降における再建案の柱になるもの、常盤坑ではなくて、どこを中心にして、どういうようにする、そういう点をひとつ御意見を伺いたいと思うのです。というのは、北部の開発の問題も実は当然あるわけなのでありまして、そこら辺の点を含めて再建をする、全面再建をするというようなお考えであるのかどうか、そういう点を中心に、ひとつ私はぜひ、ここで確信のある御意見を伺いたい。こういう案をつくったんだが結果においては、だめになったんだというお話では、これは単なる絵話に済んでしまいますので、ひとつ確信のあるお話を伺いたいのが第一点であります。その点まず伺いたいと思います。
  11. 萩原吉太郎

    萩原参考人 二点についてお答えいたします。  八月十三日に一つの再建案ができ上がりました。それが九月七日の緊急役員会で変わった、そのことでございますが、いろいろありますが、最も主要な点は何といっても幌内の中央区域ですね、災害を起こしました区域の全面回復するのか、閉山にするか、こういう問題。そして八月十三日の時点におきましては、いわゆる災害を起こした中央区域閉山となっております。それのかわりに常盤坑を開く、こうなっておったのでございます。  この問題は、先ほど申し上げましたとおり八月二十八日に私は、炭労が知っているということはわかったのです。この案が先にわかりますれば、組合サイドといたしましてはテーブルにつかない。事実そうなったのでございます。これは私としても、事前に知れば、この案ではテーブルにつかないのは当然だと思うのです。そこで炭労社長たちと、ちょうど九月の四日に、再開を要請して下交渉をやったわけです。ところが炭労といたしましては機関決定いたしておりますから、一部の人と話したところで、これはなかなか変更できない。いろいろ折衝した結果、最後に社長から修正する意向があるという表明をいたしました。それで、それなればテーブルにつこうということで、九月九日の全企業の統一ストは中止しましょう、そして九日に団体交渉を開きましょう、こういうことになったのです。  さて、そういうふうに路線を変更した経緯についてお尋ねだ、こう思うのでございます。まず、八月十三日の案がどうしてできたんだ、こういうお尋ねでございますが、これは最初は、先ほど申し上げましたとおり会社全面復旧の線で進んでおりまして、これが六月の初めごろまでです。その話を聞いておりまして私は五月の十三日ですか、札幌で記者会見をしましたとき、幌内全面復旧するということを記者会見で発表いたしておる。これは、その時点においては会社ではその方針で進むことに決定しておりまして、そのとおり発表いたしました。これにつきまして当然、行政官庁としてエネルギー庁の石炭部の指導ですね、いろいろ相談をかけますから。そして、やがて石炭鉱業審議会経営部会の中に北炭問題再建委員会というものが設置された。そして、いろいろのこの間の議論がありまして、まあ、うちの経営担当者いろいろ折衝しておるうちに、だんだん話が変わっていっちゃった。そうして全面閉山常盤坑という問題。率直に申しますと、会社単独でつくったものでないというのは、そういう意味で、会社単独でつくっておれば全面復旧だったと思います。ところが、いろいろの点の議論を重ねておるうちに、あのように変わった。私とすれば、納得のいかないなれば、なぜ自分の方の主張はあくまで貫かなかったか、これを頑強に言ってやればいいことです。会社側の説明も悪かったでしょうとも言われますし、また何分にも援助を受けている立場ですから、事務当局としては弱い点もあったでございましょう。そういうわけで、こういうふうに変更して、先ほど申しましたとおり、もともと会社本来は、そういうことは望んでいなかったのだから、これは単独で作成したものではない、こういうわけでございます。  その際、確かに八月十三日に私、初めてその案を見ました。本来なら、もう先ほど申したとおり私は初めから非常な反対、不満だったのですが、何しろ三月もかかってやったものだし、早く言えば、私とすれば、その前段で会長としての姿勢として申し上げたのは、このことなんでございます。自分とすれば命令が二途に出てはいかぬ、統一が乱れるといかぬから私としては役員会も出ないし、出てもなるべく発言を差し控える、こういったわけで、いわば私がそもそも、このたび会長にまた残りましたのは、斎藤社長は私が三井銀行からもらってきた人です、何分にもなじみがないのです。役員間でもなじみがないから組合ではなお、なじみがない。こういう状態で一人でやって、もし摩擦があったときは困ると思って、相談役で引っ込んでいたのが昨年三月あえて会長に就任した。そうしてそのときも、新鉱が五千トン体制が確立したときに自分はやめる、それまで席にいよう。そうして何かのときは相談をかけてくれ、中がまとまらないようなときには出よう。こういうことで会長に就任しました。実は、四十七年五月退任しましてから、会長室というのはあるのですけれども、一度も、そのいすに座ったことがない。そういう状態で来ましたものですから、十三日にその案を初めて見て一応説明を受けて、言いたいことはありましたけれども、ともかく自分はすでに隠居をしているのだから、みんなが相談したのなら言うべきでないというので、これはそのまま黙って、その案は自分がもらっていってもしようがないから、なくすといけないから返すといって返して、役員会で決まっている、こういう次第でありまして、単独でないというのは、いろいろ意見を聞かれ、やっているうちに、いつの間にか変わったのだから、一緒に合作と言っていいかどうかは別として、変わっていった事態を指している、こういうことでございます。  そうして九月の七日になって変わったのは、先ほど申し上げましたとおり炭労がテーブルにつかない。これはつかないと大変なんです。労使でまとまったものをつくれということが前提になっております。もし、これでテーブルについてくれなければ、よかれあしかれ永久にできっこありません。そうして、大体あの案とすると察知したのでありますから、里谷君たちにもいろいろ聞いてみましたが、これはいつになっても片づかないな、労使一致した案はでき上がらない、幌内全面復旧か否かの一つの問題のために。これが一つであります。これでは会社再建が永久にでき上がらない。再建案ができ上がらなければ、これは労使まとまらないじゃないかというわけで、会社内部の労使のまとまらないものは相手にならぬということになってまいります。  そこで、変更の意思ありと社長が言ったと聞いたから、初めて、それなれば九月の七日の役員会、それには、いままで黙っていたが自分としての考えを言おう。そういうわけで、るる、先ほども申し上げた点、保安の点でどうだ、それから採算の点でどうだ、その他もろもろの理由について、そのときば今度は逆に独演会になりましたけれども、そこで述べて、それで役員の者も、もともと全面復旧を望んでいたのでございますから、言われてみるとそのとおりだ。さらに、これをよく調べてみると単に理論の問題でなくて経営上、北炭の将来に及ぼす影響は非常に大きい。それで七日の日に、それなれば全面復旧決定しよう。だから役員会の決定が、また覆った役員会の決定となったわけです。  これが非常に問題というのは、会社単独で案をつくったのなら、また内輪の問題で済んだ問題で・すけれども、各方面意見がこれに反映していると見ると、ここらの人に理解を得ないで突如、変更したから、これは果然と私は言っておりますが、各方面の非難と批判が集中した。果然というのは、はからずもじゃないので予期していた。それで新聞紙上でも、新聞記者の諸君おりますが、非常に酷評もいただきました。居直りとかどうとか、思い上がっている態度だと非常に非難されましたが、私はもう覚悟していた。  それでも私は、実は三日前に長官に会うまで通産省へ顔を出したことはない。それというのは、社長がいるのだから、執行しているのは社長であるから、自分が出向くべきでないという立場から、それはいろいろお願いに行ってごあいさつなどはしておりましたけれども、実は三日前ですか、長官や部長にあった、これがことしに入って初めて会ったのでございます。それまでは一切、差し控えておりました。  この案ができるまでに、どういうふうな経過をたどったか、これはそういう次第で私も、そのやりとりの報告を受けてないのです。しかし、これではいかぬということで突然、変更したということが事実であったわけでございます。  率直に申し上げますれば、この重大な交渉をすべき再建案全部が、なぜ炭労の手に渡っていたのか。私が聞いたのは八月十三日であります。聞いたころには、もうすでに炭労に渡っていたようです。非常に私はそれを心外と思っております。これが第一番でございます。  それから第二番の問題ですが、前の案のときは常盤坑となっております。私が思いますのに、いまの区域がいけないなれば常盤坑はなおいけません。と申しますのは、採算の点から見て、もう初めからわかっております。あれは非常に斜坑で、いまの災害のところにおりるところの上部の方にあるのです、二片あたりからくっつくのですから、やろうとしたことがあるのですが、五十度ないし六十度の傾斜のところで、かつて考えて、やめた区域でございます。ずっと前でございますけれども。これは能率が悪くて、とても採算が合わない。だから会社とすれば、あそこを開くようなことは、それ以来やめた方がいいということを決定して、あそこを再開しようと考えたことは一回もございません。しかし常盤坑を開けということになっている。私はこれも非常に意外なんでございますが、これは何といっても会社も参画してやっていることですから、文句を言うのはおかしいのですけれども、この常盤坑の開設というものを、もし悪く邪推すれば、地域の反対いろいろあります。そうするなれば中央区域災害が起こったところを廃止する。まるっきり廃止したら幌内は全滅です。あの幌内炭田一帯に会社は一社も残らないということになる。住友さんはすでに奔別でやめておりますし、いろいろあるので、三笠の背後の幾春別その他、新幌もとうの昔になくなってきて、いままた幌内の、いまの火災を起こしたところがなくなれば、あの区域幌内炭田は全く放棄したということになる。これは炭量は十分にあるのです。未開発のものもある。そういう区域を放棄したという問題があるので、採算はともかくも、かっこうはつけて残そうとしか私はとれない、それで常盤坑の開設には反対である、そういうことでございます。  さて、そこで中央区域の問題であるが、これはその区域から災害地区を廃止した場合は、元奔別の住友さんの区域合理化事業団の方に買い上げになっておる炭量がある。ここはわずかの距離です。しかも七片のいまの火災を起こしたところを何百メーターか横へ行きますと、御承知のとおり奔別のところがあるじゃないか。しかも、これはどちらかというと住友さんは当時、深部をやっていた。立て坑をやっていて、でき上がったところでやめた、人様のことだから事情は別として。それからしかも、七片より上の方の炭をねらいたい。逆に下から上に上がっていったっていいじゃないか、こういうふうに考えます。そうして中央区域を開きますというのは、十年目、約十一年になりますけれども、いまの火災のところは八片、九片まで行ったところで打ち切るべきだと思っております。これで炭量はその下は掘れない、あるとしても九片までだ。これだって、これから、もっと研究しなければいけません。そうして、やっていって、むしろ七片辺から次に十年の間で向こうへ移っていこう。十年というのは、こっちだけではなくして、そっちをねらっておりますけれども、そういうふうなことで中央区域、自分の山の災害地を開くと同時に、これは合理化事業団所有の北部も開かしてもらいたい、この案を含めて考えております。よろしいでございましょうか。
  12. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 参考人お願いしておきますが、委員会というのは質問の時間が大体決まっているのです。それで、あなたのいまの御答弁を伺っていると、十分以上おやりになっておると、予定しております質疑ができなくなってまいります。それで簡単にひとつお願いします。  いまのお話を伺うと、そういう経過の中で会長が決断をされるとするならば、まあ世間の風は冷たいといいますか、非常に困難な状況の中で決断をされた。それだけに、あなたの場合に非常に責任がおありになるということですね。特に、これは大変失礼ですけれども、その問題に限らず会長にはとかくのうわさがありますだけに、やはりここでは責任を持った御意見で全面再開をするということならば、資金の問題にいろいろな困難があっても、万難を排して必ずやる、そうでなければ、おれの責任であるから、これはもう腹を切ってもやるのだという重大な決意をしていただかなければならぬと思うのです。これは、いま伺っている限りでは、全面再開という点では会長労働組合、職員組合、全部一致しているのですから、そういう点では全面再開の方向に、ぜひとも、これは進んでいただかなければならない。そういう点の御決意があるかどうかというのが第一点。  第二点は、それじゃ資金の問題どうするのだ。まあ簡明直截に伺いますが、先ほども百二十億を新年度で何とかしてもらいたいのだという意味のお話があるのですが、これはやはり会長も長い間、経営者の中心としてやってこられた経験上、政府に全部出せというようなことでは話は通らぬだろう。われわれの方も、これだけの努力はするのだよ、しかし政府の方も、こうしてくれないかという、そこら辺の点をはっきりされることが、私はやはり全面再開のために重要なポイントになると思う。そこら辺の点を、ひとつここで、ざっくばらんにお伺いをしたいというのが第二点でございます。
  13. 萩原吉太郎

    萩原参考人 ただいま御質問のありました金がなくては再開はできません、おっしゃるとおりであります。ただ、原案におきましても二百四億のうち百五十億までは、常盤を開くにしても、やらなければならぬ金です。だから原案のまま、ほうっておいても百五十億の資金は調達しなければならない。あと残りは五十億でございます。これは、もし出していただけないとしても、どうしてもやり遂げなければならない。政府が出さなければ民間の協力を仰いでもやらなければならない。ただし、それは二百億じゃない。原案に従いましても、百五十億で水を取り出して遺体を揚げたら、それで放棄するということです。それから常盤をやっても百二十八億かかる。ところが、これは百二十八億かけて開きますばかりじゃなくて、来年の六月までに百五十億をやらなければならない。原案のとおり黙っていましてもこれはかかる。それから常盤を開くに百二十八億、これで二百八十億というものは、あの原案に従っても必要なんでございます。まず理由としますのは、金額的に見てそういう結果になるじゃないか。しかも、これを分析しますと、取り明けまでの百五十億というものは死に金でございます。率直に言えば、水を揚げて遺体を収容しておしまい、こういうことで、これをやらなくてはならぬ。それから常盤の方でございますけれども、常盤の方は百二十八億かかる。しかも、どう見ても六十度の傾斜の中で、そろばんは永久に合わない。金額的に比べましても、これはとうてい原案には予算的に見ても従えない。いかにも二百四億の山の再建を切り出したのは、政府がしてくれなければ非常に資金の目当てがないじゃないか、こういうことになりますけれども、さて原案に従ったら、なおよけい金がかかる。そうして百五十億というものは地中に捨てるようなもの。それからさらに要る百二十八億というものは、二百四億でも困難なのに、果たして二百七十八億というものが、合議した案に従いましても、これはどこで調達するのかということになるわけでございます。同じじゃないか。それなら、むしろ復旧した方が安上がりで、しかも、いいじゃないか。これが第一点。  それから第二点に、百五十億というものをどうしてもかけなくてはならない。もし、これがやめろと言えば、私は非常な人道問題、社会問題に発達すると思うのです。十三の遺体が地中に眠っているのでございます。これは絶対に避けなくてはならない。また、こういうことをやったら今後、炭鉱経営はできません、会社は、死んだような場合は、そろばんが合わなければ遺体も捨てるのだと言われるから。われわれは、そういうことになれば、よもや行政官庁でも遺体は放棄せよという命令は下るはずはないと思う。だから、どうしてもやらなくてはならない。  さらに自信がないのにどうだと言うけれども、私は原案に従ったら、なお自信がありません。おれの言うことを聞くのだから、この金を二百七十八億全部、政府が出してやるとは言ってないのでございますから。二百四億のうち、すでに八十四億はもう支出済みでございます。先ほど申し上げたとおり残額は百二十億、そういうわけでございます。そういうわけでございまして、しかも百五十億というものは原案に従っても一出さなくてはならないから、どっちをとっても同じなら、残るところは五十億じゃないか、これは出炭までですね。もちろん政府で先ほど申し上げましたとおり非常に財政が不足しております。この復興費を除きましても百十億というものが、この下期と来年一年で資金繰りを見るとショートしている。こういう中だから、政府が出してくれなければと言っても、この中で、われわれはさらに五十億というものについて政府が出さぬと言われても、これは私の方は捨てられません。先ほど組合側からも言いました。北炭とすると現在においては幌内の一般炭それから新鉱の原料炭、これは二本の柱なんでございます。そういう意味と、幌内炭は優秀であるのです。事故が起こったから、いかにもむだなことをするように見えますけれども、過去の実績がそうなのです。余り長くなって済みませんが、ひとつ、そういうわけで、われわれは、もし政府で出なければということは、どっちにいっても百五十億はかかるのですから、もし、よし水を揚げるまでは出してやろう、あとは知らぬよと言われても、われわれはこれを放棄することなく、さらに一段と努力をしなくてはならぬと思っております。
  14. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 ちょっと最後のところ、非常に重要なんですが、政府が出さないと言えば、あなたの方で何としてでも出してでも全面再開をおやりになる、そういう決意であると受け取ってもよろしゅうございますか、どうですかということを伺いたい。
  15. 萩原吉太郎

    萩原参考人 結構でございます。ただし、政府で出してくれないでもいいというふうにはおとりにならないようにお願いいたします。
  16. 岡田春夫

    ○岡田(春)委員 それはやはり重大なせっぱ詰まった段階ですからね。われわれも政府の方から、できるだけ出してもらうことについても、委員会でもいろいろ話は出ています。しかし、やはりこれは国民の税金ですからね。簡単にただ、まるまるという形ではなく、やはりあなたの方で努力をされるという、そのことがあって初めて、そういう問題が出てくるのであって、そういう決心があるというお話なら、その点が重要なのです。その点が一つです。  あなたが大分長いことお答えになるから、もう時間です。私は七問か八問考えたのに、まだ二問なのですよ。その決意の点ですね。私の方はどうしても努力するから、また政府の方も協力してくれ、こういう御決意をやはり、ここで明らかにされる必要があると思う。その点が一つです。  それから、先ほどのお話の点で、予算がなくても、政府協力をしてくれるならば資金の出る道はあるはずだ、こういうことを先ほどお話しになりましたね。この点が第二点です。よろしゅうございますか。  第三点は、話はちょっと変わるのですが、重要な問題ですから、もう質問できませんから一緒に伺っておきます。やはり言うまでもないことですが、石炭産業の問題は保安問題第一ですね。新鉱では、やはり北海道のあの地区でありますだけに、私はいろいろ知っておりますが、盤圧の問題、ガスの問題というのは最近いろいろ問題になっておりますね。こういう点から保安重視ということが最大の問題でなければならない。  それから、やはり労働者の犠牲でおやりになるということになりますと、結果においては、それが事故につながるか、あるいは、その結果労務倒産になるか、どっちかの結果になってしまうということなのですよ。ですから、労働者の犠牲においてやるという結果になるような再建案では、われわれは了解できないわけです。こういう点についても率直な御意見を伺いたい。  最後に第四点は、やはり新鉱開発を並行して進めるか、そこら辺をやはり計画として考えていかなければならぬのじゃありませんか。たとえば夕張新二鉱の場合にしましても、ちょっとこれについては私、意見があるのですよ。初めは五十三年と言っておったのが、急に五十二年に切りかえられたりしている点がありますね。ここら辺は組合としても、なかなかそれでは納得しないと思います。やはりそれの展望としては鹿の谷の開発が問題になってくるのだと思うのですよ。そこら辺の点は、いま再建をしなければならないときに、金をどうするというような問題を、いまからはっきり断定的に言うことはできないにしても、一つの展望だけは持っておりませんと、将来の石炭産業の二千万トン体制を守るためには、こういう点に問題点があろうと思いますので、われわれ新政策石炭特別委員会で守る者としては、あなたの御意見も伺っておきたい。  以上四点です。もう時間が大分あれしましたので、簡単にひとつ御答弁を願いたいと思います。
  17. 萩原吉太郎

    萩原参考人 第一点ですが、これはやります。あれを言ったときは、もうすでに大前提になって、やらなければならぬと思っています。やるべきだと思って、やります。(岡田一春)委員「政府が出さなくても、自分であれしてもやるということですね」と呼ぶ)何百億というものがあればですね。それが第一点。  それから第二点の、先ほど申し上げました予算がないならば資金捻出方法があるじゃないか。これはちょっと言い過ぎているかもしれませんけれども、ありていに申しますと、経営改善資金もフルにいっぱいです。何もありません。これは会社名を発表するのは悪いことではないと言いながら、遠慮いたしますが、同系グループの中で、こういう話が起こっている。いままでの借りている分を繰り上げ償還しよう。さらに、下期の経営改善資金というのは七分五厘の利子がついておりますから、これを一括返済、約百二億になる。そして、さて、その資金だって二社にもありませんが、率直に言えば三井銀行で見ようじゃないか、返したものを回せば、ここに百億の資金経営改善資金の中に生まれるじゃないか、こういうことでございます。ただしこれは、その場はしのげましても長続きしない。ということは、先ほども申し上げましたけれども、来年度において石炭合理化臨時措置法の中に大災害に対する措置条文が入ることが前提となります。これがなければ、六カ月で返さなければならない金ですから、ただ全くのつなぎ資金ですが、これをわれわれの方でも協力しようじゃないかという話が、これは三井グループ内の話でございますが、あるのでございます。  ところが、経営改善資金は前年売上高の十二分の二ということです。当社では六十億です。これには及びません。したがいまして、これに何かの付則がつかないものか。十二分の二は残しておいても、こういう場合には、こういうふうに資金が返ってくれば、やれるというようなことがあれば、できるじゃないか、こう思ったのでございます。  それから、これは法律でなく省令でございます。告示である。すでに二十二、三回あの告示は改正しております。頻繁に改正している。それならば、なぜこの問題だけは改正できないのだ。世の中移っていくのでございますから、事情に合わなけば、これは変更してくれてもいいじゃないかという問題です。長くなりますから、この辺にいたしますけれども。  それから、この点につきましては実は通産省にも、この旨を打診してございます。返答はもらっておりませんが、できないものかなとエネルギー庁長官、石炭部長にも、この意見は述べてあります。恐らく規則があるからだめだ、こういうことでございましょうけれども、ただ率直に言えば、規則とは何だ。省令は議会で決めたものじゃない。通産省の皆さんがつくった規則じゃないか。規則に反すると言うけれども、自分の規則だから、ぐあいが悪ければ変えてもいいじゃないかというのが私の主張なのでございます。乱暴かもしれないけれども、そういうことです。国鉄の会計規則や何か、いろいろ運賃値上げのとき、やりました。私は運賃値上げのとき協会長をやっていましたけれども、その会計規則というのはどこでつくったんだ、あなたたちがつくったんじゃないかと言ったことがある。それと同様じゃないか、こう思うのでございます。」それから夕張の新炭鉱、これはなかなかむずかしい山です。これはこのまま五千トン体制へ突っ走ったら大変であります。ちょうど、いま幌内にも人があるから、この機械に全部、過去の整備をする。むしろ準備を十分にすれば自然に出てくる。出てくるというのはおかしいので、ひとりで出てくるわけじゃないけれども、準備を十分にすれば黙っていても炭は出てくるのだと思います。そして、五千トンというものも実は十月からとらなければいかぬと言っている。さらに、実は今度の再建案でも、素人考えで言うと、もう出せる状態であって十二月からでも出せると言ったけれども、私は、それだけはやめてくれ、事故が重なったら大変だからということで、来年の二月、これは何ら根拠がないけれども、大事をとって二月に延ばしてくれということで了解して、今度の再建案で二月まで延ばしてあります。十、十一、十二、一と四カ月延ばして、その間に中を整備してやる、こういうことになっております。  一番つらいのは、事故を起こして労務者に犠牲者が出たことで、実は私も長いだけに何度も何度も、その苦い経験はなめております。それはもちろんのことでありますし、もし、そうでないと労務倒産にもつながる。実は、ここに資料がありますけれども、毎年の各山の採用する労務者、幸いにして、数年間をずっと見ますと採用する人員よりも応募者の方が多い。というのは人がうまく合わないのかもしれませんけれども、ないのじゃないのでございます。しかしそれが、この趨勢をたどって毎年この山で百人、この山で二百人というふうな案をもし立てていくと、過去数年間の実績でやっていった場合に、もし、ここでうちが労務者に犠牲を払ったら集まらなくなって、したがって、倒産にもつながりますから、これは厳重に気をつけます。  それから新鉱開発。実は新鉱開発と申しますのは空知の桜沢、鹿の谷、穂別、盤の沢でございます。この四鉱区を合計して二百三十万トンというものを出したい。この件につきましては、昨年十月半ば河本通産大臣と二時間にわたって懇談いたしました。そうしましたところ、大臣の言うには、これはぜひやるべきことだ。ちょうど九月に私は一つのパンフレットを出して世論に訴えたのでございます。そして一つずつでもやりたいと言ったら、いや私とすれば、そんなぐずぐずしていられないから、二つか三つ開くべきで、調査費は早速つけようということで話がまとまってから、一カ月たたないうちに、あの事故になってしまったわけであります。そして桜沢の方は実はほとんど調査は済んでおります。それから鹿の谷はかってボーリングして調査しましたけれども、安全として見られていた炭は二百八十万トンしかありません。その先の方は非常にむずかしいところですから、十分な調査をしなくちゃかかれませんけれども、これは希望を捨てておる。それから穂別は、炭量も進むに従って炭はよくなっていく。昔、私のところで穂別を開いた。これは坑口のつけどころがまずかった。それでやめましたけれども、これは合理化事業団に買い上げてもらっておりません。それは将来もう一度やりたい。坑口をつけかえて、ほかの方面から入ろうというので持っておるのでございます。それから、あとは盤の沢。盤の沢は幌内の近くでございますけれども長い帯みたいなところで、厚さからいっても、これは一般炭であるし早急にはかかれない。  それで将来の展望はありますけれども、私は先ほど非常に乱暴なことを申し上げましたが、この幌内事故を起こした結果、いま私のところでは、新鉱を開くとしても、全部整理するために向こう十年間はその力はありません。しかし、いろいろなことを考えますと、これはいま開いておくべきだ。それで、国家に献上するから国の力でお開き願いたいということは、この議会の場で申し上げたのでございますけれども、実はこの間、三井鉱山のある人と話した。これは、終掘する山が非常に多いのです。そうしたならば、おれの方、桜沢というところで労務者がいないのだから、もし桜沢を開発していったら、何も北炭が新鉱を持っていなくちゃならぬということはない、国の資源なので、ひとつ共同でやる手もあるのじゃないかというような笑い話をしたことがあるのでございますけれども、もし、ほかで終掘に近づいてきていて労務者があるところがあれば、われわれは鉱区を、政府ばかりでなく、これは一緒にやろうということにいたすことには、いささかも惜しむところじゃないのでございます。何としても新鉱は開きたい、こう考えておりまして、ことに一番大きいのは夕張なんでありますけれども、鹿の谷区域の住民のことを考えると、非常にこれが遅延したことを残念に思っております。  以上でございます。
  18. 田代文久

  19. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 先ほど三参考人からお話がありましたように、幌内災害による会社の損失というものは恐らくわが国石炭史上、最大なものではないかと思う。もっとも三池の災害の場合、これは人間的な損失あるいはその傷跡というものは、四百五十八名の死者と一千名に上るCO患者が依然としておられるわけですから、まあ非常に大きいものですが、会社の金銭的な損失というものは、あれだけの事故がありましたけれども、それほど大きなものではなかった。ところが今度の場合は、いわばガス爆発から、また火災が起こりまして、それを鎮火するために水没をさせなければならぬということになって、大変な損失になったと思います。  そこで、私どもも率直に言いますと、これだけの炭量があり、しかも、いまエネルギー見直し論が出ておるときに、新鉱開発と考えてみたらどうかというような物の考え方もするわけでありますが、しかし政府は、通産大臣もいろいろ条件をお述べになりまして、まず経営会社に責任があるということを確認しなければならぬ。労使意見が一致をしなければならぬ、あるいは主力銀行を初めユーザーの協力が得られる体制でなければならぬ。その次に、国民の納得する案でなければならぬという条項があるわけです。  その国民の納得する案でなければならぬという条項は一体どういうことを意味しているのか。これは率直に言いますと、推測なんですけれども、私の経験で申し上げますと、かつて炭労が三十七年から三十八年にかけまして大政転闘争をやりました。可採炭量は十分あるけれども当面、資金がなくて、それによって閉山のやむなきに至る炭鉱について、再建中期資金を貸してもらいたいという炭労の要望がありました。私はこれにずいぶん努力をいたしたわけですが、その結果、結局当時、社会党と自民党さらに政調会長、大蔵大臣と折衝した結果、現在、合理化臨時措置法の中の二十五条の十二に「石炭鉱業の再建に必要な資金の貸付け」というのがあります。この条文は現在は停止をされておる。しかし、これを最初に適用を受けましたのが貝島炭砿で、この時期は率直に言いまして、萩原さんが会長であったかどうか記憶がないのですけれども石炭協会というのは非常に冷たい、これは個別企業の問題とされた。しかし、その次には明治、杵島、高松炭鉱がその適用になって、いわゆる再建管理炭鉱といった。こういう情勢になってまいりますと、今度は逆に三井、三菱、北炭を初めとして、じゃ肩がわりをしてくれという要求が出てきた。そして、いまの第一次肩がわり制度ができたわけです。  ところが最初、適用を受けますときに結局、法律改正をして、開発銀行は設備資金しか貸しませんでしたけれども、中期の運転資金を貸そうということになりまして、ところが開発銀行は、会社幹部の個人の財産の抵当権を設定するための担保を要求してきたわけです。これはきわめて辛らつなものでしたよ。現在、御存じのように貝島炭砿会社更生法の適用を受けるようになりました。いま副社長をしている今村さんは当時、専務でしたけれども、要するに会社員として、サラリーマンとして勤めて、ようやくつくった小さな家も抵当に入った。いまだに抜けないのですよ。ですから永遠にこの家は返りません。いま奥さんと二人でアパートを探さなければならぬというようなことになっている。あるいは、あなたも御存じのように雄別炭砿の岡田社長の場合、これもほとんど財産を提供されました。ですから、私は国民の納得する案というものの中には、会社役員の姿勢というものが含まれているのじゃないか、こういうように感ずるわけです。これだけの膨大な資金政府から支出してもらいたいという場合に、一体、会社幹部はどういう姿勢で臨まれるのか。私は、やはり会社幹部としては私財をなげうってもという態度が最も必要じゃないか、こういうように思うのです。そこが一つ問題です。  もう時間がありませんから、私は続いて質問します。第二点は、かつて北炭は、かなり繁栄をした時期に石炭以外の投資をなさった。われわれも十分知りませんけれども、ホテルもつくられた、あるいはまた観光施設もつくられた。こういう時期に、一体そういうものが、いま北炭のこの会社の外にあるのか内にあるのか。外にあるとするならば、今日、北炭は最大の危機に直面をしておるわけですから、また一回合併をして、その中で再建を考える必要があるのではないか。あるいは合併できないとすれば、北炭に対して、かつて北炭から出資をされたそういう施設は、第三者の担保として提供する必要があるのじゃないか、こういう時期に実は来ているのじゃないだろうか、こういうように思うのですが、その二点についてお聞かせ願いたい。
  20. 萩原吉太郎

    萩原参考人 お答えいたします。  第一点、会社の危機について私財を提供すべきだということ、この点については確かにお説、拝聴すべきものがあります。決してそれに反対であるということではありませんけれども、軽々に、この席で私としては御返事申し上げられません。  それから、第二点の北炭と三井観光の関係でございます。これは、先生から御質問があったように、たびたび議会でも問題になっておりますけれども、そもそも現在の三井観光は、三十三年八月に北海道不動産として創立いたしました。確かに北炭から二千万の立ち上がり資金をもらって、これはすぐお返しできました。そして三井銀行と北拓を中心として十八億の協調融資を受けて、これは返しました。それでまずスタートを切ったものです。そして、いま御指摘のありました、北炭から非常に財産は持ってきたようにおっしゃいますが、その北炭からまいりました地所、現在三千三百七十万坪持っておりますが、そのうちの二千九百七十万坪は現在、北炭借入金の担保に出てしまっております。そして担保に出して、その上に支払い保証をしております。担保を出しただけではありません。支払い保証をしております。さらにまた、それでも足りないで四十四億円の期限なしの貸し付けをいたしております。  これは三井観光といえども今日、二千人以上の人間になっております。非常に問題になりまして、私は社員一同を集めて、ともかく、この会社を興したときは二千万もらっただけであるけれども、幸いに北炭の信用力というものがあればこそ、こういうふうに伸びたのだ。しかも来ている人間は、ほとんど北炭にいた者であるから、これは自分の実家のようなものであるから、貸した金は返らないと思うけれども、これはおれに免じて許せということを、正月に社員を集めて一席ぶったことがあります。ですから担保を除きますと、残っている地所は四百万坪にすぎません。全部担保に入っております。北炭借入金の担保に入っておる次第でございます。  確かに土地は十年あるいは八年前、そのころ、こっちが買いました。これはこんなに土地が上がろうとは予期しなかった。しかし、その後上がったればこそ今日、北炭の担保の役に立っておるわけでございます。それを実は王子製紙に苦しいときに売ろうとしたり、いろいろありました。また銀行で直接貸せないとき、こちらで借りて、借入金北炭の土地を買ったもので、いかにも北炭から黙って出資のように持っていったように誤解されておりますが、そういうものじゃないのでございます。しかも現在、持ってきたものはほとんど九割方、北炭借入金支払い保証の担保として提供してございます。たとえば三井銀行もそうでございますけれども、ユーザーから借り入れまして、この抵当は北炭のもと所有だった土地でございます。それから三井物産が七十億貸しております。これも全部三井観光の土地が担保に入っております。そうしまして、その担保に入った額の坪数の総額は二千九百七十一万坪で、担保の設定額が百四十億でございます。そのほかに四十四億、これはむろん担保もありませんし、約百八十五億というものは三井観光です。したがいまして、いかにも三井観光は何をしているのだというようになりますけれども、実は北炭の方が非常に穴が大きいのでございます。しかし、これあるがために三井観光というものは新たに何かしようと思っても、資金の借り入れが非常に困難です。というのは、担保がもうなくなってしまっている、こういう状況でございます。そしてホテルはいろいろ建ったというけれども北炭において建ったものは一カ所もございません。この会社として借り入れて建てたものでございます。
  21. 多賀谷真稔

    ○多賀谷委員 終わりますが、第一点の事態は非常に急迫をしておるし、資金の要ることも事実です。しかし経営者の姿勢というものが、やはり問われる時期になっておる、こういうように思いますので、第一点の点についても十分御考慮願いたい、かように思います。
  22. 田代文久

    田代委員長 塚田庄平君。
  23. 塚田庄平

    ○塚田委員 時間もございません、イエスかノーか、あるいは、やるかやらないか、それでいいですから端的にお答え願いたいと思います。  いま質問の中で萩原さんから、仮に政府援助しなくてもいいととってもらっては困ります。しかし、重大な決意で全面再開に立ち向かっていく、こういうお話がございましたが、しかも具体的には金の問題になってきておると思うのです。それらの問題について、いま担保その他ほとんど入っている。それでは萩原さんの言う、その決意を生かす道は、具体的になってくると、あれも閉ざされておる、これも閉ざされておる、こういうことになりますので、それではこの際、具体的にどういう方途で全面再開をしていくのか、あるいは夕張新鉱を初めとして、さらに周辺の新鉱開発を進めるのか。それは後の話になりますけれども、とりあえず幌内の問題について、この点、簡単にお答え願いたいと思うのです。
  24. 萩原吉太郎

    萩原参考人 これはいろいろの道があるのでございます。経営のからくり全部をすっかり申し上げてしまうのもどうかと思いますけれども、実は今日の状態においては相手が承知してくれるかどうかわかりませんが、一つとすれば三者協定があります。これを三井観光は出す金はないけれども、さらに協力——たとえば三井鉱山、三井物産から七十億の資金が行きました。私と物産の社長との協定、三者協定の精神、三カ条きりありませんけれども、中を言えば長くなりますけれども、それに基づいて七十億の資金北炭へ貸してもらえた。こういう経過がありますので、いろいろあれもある、これもあると言っては何だけれども、いろいろの御指摘がありました。ありましたけれども、こうしますと言わないのは、ともかく原案をとっても五十億じゃないか。これは水を揚げるのも一銭も政府が出しませんと、そこまで言われたら、遺憾ながら、これはやれないと私は思います。いかに重大な国の資源でありましても、政府は知らぬよと言われたのでは、われわれも力の限度に来ているから、これは組合の委員長がおりますけれども、そのときは私はやめざるを得ない。こう思っておりますけれども、もしそうとすれば、せんじ詰めれば、それまではどっちへ転んでも出す金じゃないかという点から考えて、その五十億が足りなくても調達の方法はあるのじゃないか、こう考えております。ただ、どこでどうするのだと言われましても、頭の中にあっても、これは相手のあることでございます。また、私自身も考えておりますけれども、この席では申し上げかねる次第でございます。
  25. 塚田庄平

    ○塚田委員 きょう石炭部長、来ていますね。いまの萩原相談役の答弁を受けて私から一つ質問をしたいと思います。  何といっても、この問題については政府の肩入れと会社も相当の決意を持って再建に臨むということですが、一つの方法として業務方法書、これは経営改善資金の問題だと思いますが、十二分の二これは二カ月あるいは十二分の三これは三カ月、こういう問題が出ました。私の記憶では、たしか、これは一億の限度があるのですが、これを打ち破って労使の意気込みにこたえるという決意があるかないか、まず第一点。  第二点は、私の記憶によりますと、かつての水俣に対する融資かと思います。これも記憶に間違いないと思いますが六十四億、特別な融資をしたはずです。開銀を使ったと思いますが、こういう特別な災害あるいは、むしろ国家的な企業の存続という場合については、そういう特別の融資の関係について政府は一層努力をする。  第三点、今度の問題について一番ネックになってきているのは、石炭特別会計が一定の枠内で抑えられているということだと思うのです。御承知のとおり十七号台風あるいは冷害、これについては激甚災指定等がありまして、予備費を使うという道が開かれております。石炭会計という枠内だけで物事を解決するということになれば、これは当然、頭打ちになるので、その際、石炭会計の枠を越えてやる。たとえば幌内がだめになれば三笠市というこの地域がいわば全滅、これは台風どころの災害じゃないと思う。夕張も同じような連鎖作用を受ける。こういう事態になりますと政府の考え方も、先ほどの里谷あるいは佐々木両委員長の決意あるいはまた萩原相談役の決意等の中で、いま言ったような二、三の方向で取り組む姿勢があるのかないのか、率直なお答えをいただきたいと思います。
  26. 島田春樹

    ○島田(春)政府委員 お答え申し上げます。第一の点と第三の点とあわせてお答えいたします。  その前に、第二の水俣の件でございますが、手元に資料がありませんので正確な記憶がございませんが、水俣のチッソに対する融資は、たしか開銀から行いました。ただ、これはチッソ自身に対してではなくて、チッソの子会社であるチッソ石油化学だったと思いますが、に対して設備資金の融資を行ったということでございまして、結果としてチッソ全体のグループの資金繰りにどういう影響を与えたかという問題は別としまして、やった措置としましては開銀からの設備資金の融資ということで、特別に何か救済融資というようなかっこうのものではなかったと存じております。  それから、いまお話のありましたような幌内の問題につきまして、私ども、いま、どういうようなかっこうで考えているかという点これは再々、おとといのこの委員会、前の予算委員会で大臣も答弁いたしておりますが、私どもといたしましては現在、労使で鋭意交渉を急いでおられます再建計画、これの提出を待って、先ほどお話もありましたが、石鉱審の経営部会でも検討をお願いしながら政府のとるべき措置を検討するというかっこうで、いま進めております。もちろん計画内容といいますか、再建計画の考え方につきましては、先ほどの経営部会の中間的な考え方で示されておりますような考え方に沿っての計画が出てくることを、私どもは切望しておる次第でございまして、そういったものの出てくるのを待ってやりたいと、先ほど里谷委員長からも話がありまして鋭意、急いでおるという話でございますので、私どももそれを期待しておる次第でございます。
  27. 塚田庄平

    ○塚田委員 さらに念を押したいのですが、いまの答弁、私、具体的に二、三の例を言いました。特に組合は血へどを吐くような思いで、いま参考人としての陳述があったわけですが、いま言った二、三の具体的な問題も含めて、政府は前向きでこれに対処していく。  さらに、チッソの問題については、これはチッソを何とかしょうという意思が先行して、いろいろな方法を模索したと思うのです、五井のあの事件等を契機としまして。つまり何とかしょうという政府の意思のない限り、どんな方法を模索してみても、そこから何も出てこない。だから、その辺を、きょうは、ひとつ決意を含めて御答弁を願いたいと思うのです。
  28. 島田春樹

    ○島田(春)政府委員 お答え申し上げます。  私どもとしましても、この問題の重要性につきましては、われわれとしては非常に強い関心といいますか、重要性は痛感しておるわけでございまして、それでありますがゆえに、先ほど特別に経営部会でも御審議を願い、われわれの方としても各種のとるべき措置につきまして勉強いたしておりますが、前提は先ほど申しましたように、まず会社計画というしっかりしたものが出てこないと、具体的にどういう措置をとるべきかについても、なかなか細目の詰めができませんので、先ほどのようなことを申し上げたわけでございまして、決してわれわれとして、この問題について熱意がないというわけではございません。
  29. 塚田庄平

    ○塚田委員 それでは、これで終わります。
  30. 田代文久

    田代委員長 多田光雄君。
  31. 多田光雄

    ○多田委員 三人の参考人皆さん、御苦労さまです。  まず冒頭萩原参考人にお伺いしたいと思います。十三名の遺体の救出と、それから良質の炭を持っている幌内の再開ということにつきましては、私どもの共産党としても何回か通産大臣に会い、それを強く要求してまいりました。しかし、ここで私はっきりしなくちゃならない何点かがあると、こう思います。  そこで、まず冒頭ひとつ意見を含めて申し上げたいのですが、率直に言って北炭という会社政府の金を投資することについて、なお私はすっきりしないものがあるのです。それは北炭炭鉱事故は昨年一月から十二月を見ても大手の中で最高です。平均の一・五倍です。これは昨年だけでなく、ずっと戦後の事故を見ると、政府自身も北炭事故が多いということを再三述べているのです。そして私、先ほど用件があって遅刻してきたのですが、私の聞いたところによりますと、幌内事故は、会長さんは山ではなく人だというような意味を言われたといいます。これは自然条件ではなく、人ということは経営だと思います。そうだとすれば、北炭のこの事故の多発する、それをいま国がしりぬぐいをするわけです。また、それを要望されているわけです。その点について簡単にひとつ、その原因なり、人のどこにあるのか、これをお伺いしたいと思います。簡単にお願いします。
  32. 萩原吉太郎

    萩原参考人 第一に、人であると申しました意味を申します。もしガス爆発の前に、もう少しガス抜きを十分やっていたら、これはガスの少ない山ですけれども、もっとやっていたらよかった。それから噴霧式で水幕を張っていたらどうだったろう。いままでやったことがないのです。ないけれども、それをやっておいたなれば、これは防げたであろう。だから、むしろ手を抜いたというよりも油断があったんじゃないか。こういう二つの処置を、あそこでも、とっておけばよかったという、こういう反省でございます。それからさらに、あの大事故になったときに、これは後のことでございますけれども、もし水の入れ方を違えていたらどうなったかということでございます。  その山じゃなくして人だったというのは、あの山はガスが少なくて深いから起こっているのではないということを申し上げます。浅いところにでも、あそこの養老断層のところに行くと突出するのでございますね。だから、それだけに、なぜガス抜きを十分にしておかなかったか。こういう点であると同時に、あれが起こったのは非常に大事故でございます。しかし、本来その事故が起こったときの善後処置に、もしも、あの水の入れ方を、後からのことですけれども、ああいう入れ方をしなかったなれば、火災があの上の方まで波及しなかったんじゃないかと思っております。と申しますのは、これはもし人気坑の方からしますと一週間はかかります、七片まで。ところが川から、排気坑から入れますと一日ちょっと、一日半で入る。それで火を消すのに急いで、排気坑から急激に水を入れたせいじゃないか、結果論でございますけれども。あるいはまたパイプを通して、そういう水の入れ方をしていたために、さらに拡大されたかもしれませんけれども、少なくとも起こった現象としては、排気から一度に水をざあっと入れたために、人気坑が逆に排気坑になった。火は風下へ向かうものであります。そのために炎上したんじゃないか。そういうふうなことで、どうも幌内というのはガスの少ないところだから、もし十分な対策を、もっと危ない山のように対策をとっていたならば、こんなことにならなかった。あのときに、もしこっちの方法をとっていればこういうことにならなかったという二点で、もし、そうとするなれば、これはたってみなくちゃわかりません、あけてみなければ何人も断言できないと申しましたのはそれで、恐らく私のそういう見解について会社の技術陣にもいろいろ異論があると思います。ただ率直に自分の考えを申し述べろということで、自分はそういうふうにかんがみて反省していると、こう申し上げた次第でございます。
  33. 多田光雄

    ○多田委員 私は非常に重大な発言だと思うのです。十三名の遺体が揚がらず、そして二百億に達する資金が足りない、国が何とかめんどう見てくれ、こういう大きな政治問題になっているさなかに、御隠居とはいっても会長さんが、一番決定的な問題です、ガス抜きが十分やられたのかという疑義を持っておられる。それから水を入れるかどうかということは、十三名の遺族にとっては、これは決定的な問題だと思うのです。そういう問題について、いま疑義を出されるのです。ここに私は北炭のこの事故に対する反省あるいはまた、この問題にどういう深刻な問題としてアプローチしておられるのか私、危惧を感ずるのです。恐らく、いま会長さんがおっしゃったようなことを十三名の遺族の方が聞いたら泣くにも泣けないと思うのです。万全でありました、水を入れる以外にないというのが政府や企業の一貫した言い分だったのです。  そこで、私は組合にお伺いしたいと思うのです。先ほど職組の委員長さんが北炭経営危機という言葉を使われて、その原因として災害の続発と、その後遺症などによる慢性的な生産減という二点を挙げておられたわけです。一体その原因は何でしょうか。もう一歩探って、その原因は何でしょうか。こういうものをはっきりしなければ、貴重な国民の金を、すでに北炭には数百億という金を出しているのです。私は、幌内再開は一貫して主張しておりますけれども、それだけに、この辺をはっきりしなくちゃいかぬ。それを国民も望んでいるし、きのう、おととい通産大臣が国民の納得のいくという言葉を使っていて、客観的、合理的でなければ出さないのだということを言っていた、そこが一番肝心なところだと思うのです。そこで、これを職組の委員長さんにお伺いしたい、突っ込んで一体どこに原因があるのでしょうか。
  34. 佐々木仁三郎

    ○佐々木参考人 私が申し上げたのは、やはり今後の再建の方向をつかむに当たって、過去における、われわれ自身あるいは労使ともに歩んできた道への反省を、まず、しなければいけないということで、いろいろ考えてみた結果、先ほど申し上げました二つが、やはり膨大な非常に貴重な人命を失う結果にもなりましたし、また経済的に今日における経営危機を招来したという反省の点から申し上げた次第でございます。  なお、いま指摘ございました、その要因はどこにあったかという問題については、いろいろな観点の相違なり、その他で取り違えもあろうかと思いますし、私どもは将来への反省として再建をつかむための方向を見定める意味合いにおいて申し上げたつもりでございますので、その点ひとつ御了承いただきたいと思います。
  35. 多田光雄

    ○多田委員 組合の御意見はわかります。しかし、私ども政治を担当する者として、そして巨額の金を出費させるかどうかという立場に立てば、禍根を断つためにも、こういうことを皆さんに、皆さんにとってつらい立場だと思いますけれども聞かざるを得ないし、また、多くの国民は、援助する場合に、そのことを求めているのじゃないかという立場で私はお伺いしているわけです。  そこで、これは会長さんにお伺いしたいのですが、私は別に石炭のベテランでもないのですが、日本石炭の歴史その他を見ますと、これはイデオロギーの立場を超えて多くの学者が書いているのは、日本石炭産業ぐらい国に寄生したものはない。そして大手はほとんど優良な鉱区を独占的に持っておられる。これは明治以来そうなんです。そして賃金は非常に低かったのです。特に大事なことは、非常に国に対する寄生性が強いのですよ。わけて北炭の短期、長期のいまの債務その他見ますと多いんですね。この辺に一つの問題があるのじゃないのか。だから、機械化をする、近代化をしていく、そういうことが、政府がいつか言っておりましたけれども、おたくは大手の中で比較的おくれている。これなどは多くの論者が指摘しているところなんです。この辺は会長さん、どのようにお思いになるのでしょうか。非常に抽象的な質問ですけれども、これから幌内をどうするのかという問題で、これは私にとっても、どうしても避けて通ることのできない疑問であり、解決しなければならない問題なんです。
  36. 萩原吉太郎

    萩原参考人 機械化がおくれている、かつては技術が低い、これは確かに御指摘のとおり言われました。私はこの点を心配して政府に要請いたしまして、三井、三菱からも技術の者を、これは開発銀行へ行っておったりしていた人でございますが、来てもらって点検してもらいました。そうして、その不足の部分を補うようにやっていたのが新鉱開発の当初のことでございます。しかし、北炭をひっくるめて設備その他が非常におくれているといいますけれども、さて、そうした結果、今日、新鉱ほど近代化され、機械化されたところはないと思うのですが、古い山であるなれば、途中から、これを切りかえて、さらにどうするということはできませんので、御指摘のように、うちの山は完全だとは申しませんけれども夕張新鉱においては、あれだけの設備と機械化をやって完全を期しているところはないと自分では思っているわけでございます。  それからいま一つ、借入金が非常に多い。これは御指摘のとおり。先ほど申しましたように借入金九百億。もし、ちょうど新鉱の開発をしなければ、むしろ三十九年、四十年のころは、通産省の石炭部長もおいででしょうけれども資金の割り当てで北炭は考える必要ない、除いてもいいじゃないかと言われたときがある。そうして非常に悪化したのは、一つには佐々木委員長が言ったとおり災害が起こったことがありますと同時に、一つは負債のふえた原因は、政府肩がわりを除いた半分というものは新鉱を開発する資金であったのでございます。これがすべてだとは決して申しません。しかし、半数はそれで、その資金の半分をつぎ込んだればこそ、これから——あれはまだフルに活用に達しません。
  37. 多田光雄

    ○多田委員 そこで、幌内再建のために主として資金の問題が中心になってきている。これは当然です。金がなければできないことは当然なんです。しかし、再建を語る場合に、資金と並んで避けることのできないのは保安の問題です、特に深部であるだけに。それと人員の確保です。それと労働条件です。いまの石炭産業の最大のネックは、会長さんも御存じのとおり、根本的には政府の施策がありますけれども、私は炭鉱労働者の不足が大きなネックだと思うのです。そこで賃金について言えば、いま、おたくは凍結です。せめて大手四社並みに出してくれというのが労働者の願いなんです。これについて会長さんから、ここで労働者賃金を大手並みに上げるから頼むという声が出てこない。  第二の問題は新鉱の五千トン・パーデーの問題です。現在、二千七、八百トンでございますね、来年二月という。幌内を、あなたのおっしゃるとおり全面再開すれば、新鉱に行っている三百名近い第一線の出向している労働者幌内に帰さなくちゃいけません。そうすると、この労働者不足の中で新鉱の五千トン体制、つまり年産百五十万トン体制というのは労働力の面から私は崩れると思う。おっしゃるとおり北炭の新鉱は一番機械化されていることは私はよく知っております。私は先ほど言ったのは、いままでの歴史のことを言っているのですが、一体これに対して、どういう確信をお持ちなのか。  それから三点目です。先ほど言ったように保安事故死は、どの大手と比べても、おたくは最高なんです。この問題を抜きにして、はい、そうですかと簡単に金を出すということは、再び過ちを繰り返すことになるのです。心ある労働者は、北炭幌内再建したい、しかし労働者の命をどうするんだ、保安をどうするんだ、これを述べているし、組合の要望もそれなんです。資源が大事だからといって、労働者を犠牲にして資源を掘ることに私は余り賛成しません。なぜなら、根本的に資源も経済も国民の生活をよくすることが最終目的だからです。しかも、大手であって、どの山よりも激しい労働を強いられている北炭賃金凍結をしているのです。私は、資源を尊重するということと労働者の命を守っていくということと、うらはらでなければならぬと思う。そうでなければ、どんなに口頭禅で資源を掘ると言っても、現に幌内の今度の事故が示すように重大な蹉跌を呼んでいるわけです。その点で私は、資金の問題は先ほどからかなり論議されているし、後で伺いますが、この賃金をいつまでに大手並みにするのか。それから新鉱を含めた北炭の労働力の強化をどうするのか。それから労働条件を根本的にどうするのか。この一番大事な問題をもう少しリアルに、先ほど資金面でおっしゃったように述べていただきたいと思うのです。
  38. 萩原吉太郎

    萩原参考人 労働力の不足、これはまさに炭鉱においては最大の問題になっております。  さて、新鉱へ幌内から出向した約六百名でしたか、後どうするのか。これは、いまちょうど団体交渉のさなかでございますけれども出向した鉱員を引き揚げるとすれば、その補充として、もし夕張新二鉱を充てるとすると、その出炭量をこれから調べなくちゃなりませんが、大体そうとして、もしその時点において、あと半年か一年だというなれば、その後に、ちょうどタイミングが合うときに向こうへ移ってもらいたい、こういうことをいま提案しているところでございます。  さらに、労働者がこれからも不足してくるのじゃないかという点でございますが、実は五十一年度は、こういう事故が起こったから幌内においては採用しておりませんが、四十八年度におきまして労務者を募集しましたときに、坑内員として三百十八名応募して二百二名採用しております。それから四十九年においては応募者五百五人でございます。それに対して三百七名採用いたしました。五十年、昨年度は応募者数三百六十五人でございまして、そのうち新規採用は二百二名、こういうふうに採用しておりまして、この事故が起こってから後は、幌内では中止しておりますが、大体まず充足するとすれば、今後も、もしこれが改善されていければ、応募者は絶無というような状態ではなく、これをさらに推進していきたい、坑内員の充足を図りたい、こう思っておるのでございます。  新鉱については、確かに千八百名と申しますけれども坑内整備を十分にしようとすれば、大体千八百人から九百人の間ということを言っておりますけれども、あのむずかしい山のことだから、私は最低二千名は要るなと思っております。千八百何人ですけれども二百名の増員を図るべきだと考えております。その件についても検討をさせるように言っております。何としても人員不足は、整備保安とはいいながらも労働が過重になりますと事故の原因になりますので、十分また跡を整備するために人間の手がなくちゃならないので、この新規募集と同時に、ことに夕張新鉱においては千八百名とは言ってますけれども、私は二千名に持っていきたい。これは採算上からいうと相当な違いがありますけれども、採算のそろばんではなくて、あのむずかしい山です、だから、そのぐらいの人員は増加すべきだ、こういうことにしております。  それから賃金の格差の問題、おっしゃるとおりの大手四社との格差となっております。実は、この点につきましては恐らく、きょう、これから帰りまして団体交渉が継続いたします。確かに四社並みよりも格差をつけておる。格差をつけても苦しいから、それで待ってもらうけれども、それもいつまでも、そのままにしておくべきものだとは絶対に思っておりません。これはきょう、それを交渉で言いますけれども、やはり苦しいとき待ってもらって、おくれるけれども、これは格差をいつまでもつけておいたんでは、労務者の勤労意欲というよりも、後からの人も来ず、能率も下がって、結局においては会社経営がうまくいきませんので、格差は出たんはつけても一日も早く解消したい、こう考えております。
  39. 多田光雄

    ○多田委員 前に石炭が国管問題など話題になりまして、大体、私企業の限度だという話がよく出たんですが、確かに会長さんも独自の見解を持っておられたように伺って、昨年も私は、あなたのお書きになったパンフレットを拝見させてもらいました。そこで、私は北炭を見ていますと、ずいぶん国から金を出しているのですよ。今度も二百億足りない、先ほど五十億というふうに言われました。それでは、その残りの百五十億は全く見通しがあるのかということも含めて、日本石炭産業がもう私企業の限度に来ている。その意味では北炭がそれを象徴的に物語っているように思うのです。ですから、一社案だとか国有化案だとか公社案だとか、また再燃してきたのですけれども、率直に言って、日本石炭を守り発展させていく上で、会長さん、どういう形態がよろしいとお思いになりますか。従来のお考えなのか、国有化した方がいいのか、一社案がいいのか、いまのように私企業がいいのか、あるいは同じ系列であっても、たとえば先ほど御指摘になった三笠のようなところは思い切って公的機関で掘った方がいいのか、あるいは北炭さんは新鉱なら新鉱に集中された方がいいのか、いろいろな案もあります。現に、それは発表もされているわけです。これは非常にむずかしい問題ですけれども、私はまだ一、二問ありますので、簡単にお答え願いたいと思うのです。
  40. 萩原吉太郎

    萩原参考人 まず、石炭産業の形態いかにあるべきか。おっしゃるとおり石炭産業は、何だかんだいっても無配が長年にわたっております。それから、たとえ赤字を解消しても、その裏には政府の莫大な経営改善その他の援助を受けておる。そういう形にかんがみますと、私は会社経営者としてはなんですけれども、前から言っているのは、石炭産業は私企業としての存在価値を失っている、なくなっているのだ。これはいい悪いは別として、私はそういう認識に立っております。そうして、四十二年のころです、全国一社案を提唱いたしました。当時言われましたとおり、あの全国一社案というものは形を変えれば、一歩進めば国営の変形でございます。あえて、それは言いませんでした。しかし、経営の上からいきましても、たとえば能率的に鉱区の整理をしたりなんかというようなのは全国一社の方がよい。  また私は、いまでも思いますが、あのとき全国一社案ができていたら、もし成功しておりますれば、あのときの大手十七社というのは、いまの五社や六社に減らなかったと思う。それで私としては、いまここまで来たから、かえってやりよくなっていると言えば、やりよくなっていますけれども、あのとき全国一社案が実現しなかったことを、この間もあるところで書いたのです、自分の石炭生活の中で一番悔いの残るのは全国一社案の成らなかったことだ、こういう次第でございまして、今日になって、このわずかの数になりまして、三井さんのように、恐らく全部の会社が来年のトン当たりあれば累積赤字は黒字になると思う。うちの会社幌内事故がなくなれば黒字に変わるところでありまして、しかし、黒字に変わっても、なおかつその黒字というものが本当の黒字かというと、その裏には莫大な政府援助資金があっての黒字でございますから、そういうことを考えますと、私としてはえて国営とは申し上げませんが、全国一社であったらよかったなと、いまでも思っております。
  41. 多田光雄

    ○多田委員 それから、ちょっとこれは政府に伺いますが、きょう長官は来ていませんね。部長に伺いますが、きょうの各新聞を見ますと、十月六日の夜に橋本エネルギー庁長官と島田石炭部長が北炭萩原会長さんと斎藤社長さんを都内大手町の日経ビルに招いて二時間ほど懇談した。これには石鉱審の円城寺次郎経営部会長も同席したというふうに報道されているわけであります。この十月六日という日は御存じのとおり、おとといです。石炭特別委員会が開かれて、ここにおられる萩原会長さんを参考人として国会に来てもらうということを決めた日なんです。  そこで私はお伺いしたいのは、こういう会合が開かれたのは事実ですか。事実か事実でないか、簡単に言ってください。
  42. 島田春樹

    ○島田(春)政府委員 お答え申し上げます。そのとおりでございます。
  43. 多田光雄

    ○多田委員 その目的は何なんですか。何を話し合うつもりでお呼びになったのですか。
  44. 島田春樹

    ○島田(春)政府委員 その前に、先週に予算委員会がございまして、予算委員会のときに岡田先生から、いろいろ北炭の考え方について巷間伝えられているけれども萩原会長にお会いして聞いたことがあるのか、聞いたことがないとすれば、それは速やかに聞くべきではないかというような御指摘もございましたので、私どもの方も斎藤社長からは、いろいろお話を伺っておりますけれども会長からも一度お話を伺うのが適当であろうということで、お話を伺った、こういうことでございます。
  45. 多田光雄

    ○多田委員 そこで、円城寺経営部会長を呼んでいるわけですけれども、石鉱審としては、すでに九月十七日に北炭再建の三つの条件を示しているのですね。この石鉱審の部会長を呼んだのは、参考のために呼んだのですか、その答申内容を詳しく聞くために呼んだのですか。
  46. 島田春樹

    ○島田(春)政府委員 それはこういうことでございます。会長社長の御意見を伺う場合に、長官と円城寺部会長とが一緒にお話を伺おう、こういうことでお話を聞いた、こういうことでございます。
  47. 多田光雄

    ○多田委員 そうすると、たとえば、ここに朝日新聞があるのですが、これには北炭萩原会長幌内鉱再開の二百億円を公式に要請した。それから私はきょう、まだ各紙全部、目を通していないのですけれども、北海道新聞を見ますというと、北炭会長、通産省に二百億円を要請したという意味のことになっているのですけれども、この要請は、そういう事前から予定された会議に出されたということですか。それとも、その要請に対して会われたのかどうか。それから、それで会われたとすれば、どういう態度をとられたのですか。
  48. 島田春樹

    ○島田(春)政府委員 冒頭、申し上げましたような趣旨でございますので、あくまで御意見を伺うということでございまして、会議のそのお話を承る冒頭、きょうは御意見を承るという趣旨である、したがって、私の方としては御意見を承るだけで終わりたいということを申し上げました。それで、萩原会長、斎藤社長から、それぞれ御意見をおっしゃった。私どもの方は、その意見を拝聴といいますか、そこで御意見を聞いた。こういうことでございます。
  49. 多田光雄

    ○多田委員 よろしいです。私は、やはり事前に準備していても相当慎重に対処しないというと非常に誤解を与える結果になると思うのです。それで私は聞いたんです。  最後に、ちょっと会長さんに、私は非常に聞きづらいことを、あえてお伺いしますが、先ほど私は北炭の国依存その他の体質のことに、ちょっと触れました。御否定になっておらないし、石炭産業全体に、そういう傾向があるということも会長さんはおっしゃったわけです。そこで、これは何か非常にあれですけれども、今度のロッキード問題で金権政治その他が話題になっている。そして、その金権政治あるいはロッキード問題その他に出てくるのは、これはやはり企業、財界と、あるいは政府の高官だとか、あるいはまた政治家との癒着の問題ですね。こういう問題なんですよ。これは、ただ政治が好きで、おやりになったんじゃないと私は思うのです。やはり、それなりの相互にギブ・アンド・テークがあったんだろう、こう私どもは想像するんです。そしてまた会長さん自身が、御自分はどうお思いになっておるかわかりませんが、政商という言葉をよく新聞、雑誌に書かれている。永田大映社長さんと一緒に多くの政治家とおつき合いになったということも御否定なさっておらないわけです。そういう意味で、今日の石炭産業の非常な国依存、こういう体質を持ってきているという問題を含めまして、金権政治あるいは財界と政界との癒着の問題ということについて、週刊誌にもいろいろ書かれておるようでございますけれども、どのようにお思いになっているのか、ひとつ簡潔に述べていただきたい。これも、これからの幌内再建の問題の参考にしたい、私はこう思っているからです。
  50. 萩原吉太郎

    萩原参考人 まず一番、私の点については、某週刊誌でロッキードをつくというような題で妙に書かれまして、そして八回にわたって連載して、あれで非常に政商としてこれを印象づけられた、強くなったことは否めない。ただし、この点につきましては、講談社の社長、副社長から、さらに再度調査の結果、捏造または事実無根のことが多くて申しわけなかったと言ってきて、近く釈明するという返事はいただいております。また、事実あの中では、児玉君と親しかったということを除いては、全部事実無根でございますから、この機会にひとつ釈明させていただきます。  さて、それを除きましても、確かに私は政治家とのつき合いが多うございました。しかし、私の過去を振り返ってみますと、政治家の知り合いというのはだんだんふえていくものなんでございます。最初知ったのは鳩山さんだけです。私も三井に育っていて、三井は政治を厳禁しておった家憲がありまして、あそこで育っていたものですから、後は、ああいうところに出てきましても、それはよく覚えております。しかし、鳩山さんと知り合いになったときは、鳩山さんが中気で倒れてからです。鳩山さんを知ることによって、その子分である三木さんを知る。さらに、その系統である河野さんを知るというように、だんだん自分で意識しないでも政界の知り合いは非常に多くなったことは事実でございます。政治家を非常に多く知っているから、政治家の知り合いの方がとんとんぐらいにあるとなれば、これは政商と言われても仕方がない。しかし、週刊現代は恐らく洗いざらい書いたつもりでしょうけれども、あれは全部事実無根でございます。  ただ自分として、いま考えてみますと、政治家に多くの知己を、これは求めようとはしないでもふえてきてしまったのでございますけれども、それで振り返ってみて、これが自分の人生にとってプラスであったか、マイナスであったかということは、この年になって、よく反省いたします。多くを知っていることがプラスであった、非常に大きく会社その他の役に立ったとも決して考えられない。ただ、政治家諸君には政治家としての非常に味があるのです。そういう意味では、政商と言われておりますけれども、自分の人生において政治家とつき合っていて、その人生を彩る上においては非常にマイナスではなかった、こういうふうに考えておりまして、世間がどう言おうと、具体的なことでありませんけれども、多くの政治家に知り合いがあったということ、まあ、どれだけプラスがあったかと言われると、おしまいですけれども、しかし、決してそれはつまらない人生であったとは思わない。  たとえば児玉君とのつき合いにしても、信じていたのがああいうことだ。あのロッキード事件でも、あれで知るまでは何も知らない。いつ、ああいうふうに変わったか、いまだに考えております。そういうふうなことで、自分の過ぎてきたことは、世間の批判いろいろあるかもしれませんけれども、相手が悪くなったらなったで、それはそれとしても、政商と言われるように多くの政治家を知ったということは、やがてもう七十四になりますから、なんですけれども、振り返ってみて知己、友人を得たということは、やはり自分の人生の彩りにおいて決してマイナスとは言えない。これは実は政治家ばかりじゃありません。私は縁のある人すべて会って、実に多方面の人を知っております。そして、それが何のプラスになるか、むしろ、もう少し人生の活動の形式において、ある目標を持って、きちんとした動きをとっていた方がよかったかもしれません。私は縁を頼りに、どこへ飛んでいくかわからないような人生を送ってきたということ、これがプラスであるかマイナスであるかというと、マイナスとばかりは私はとっておらない。こんなことは、こういう議会の席でございますから、なんですけれども、自分の考えたままのもの、気分を率直に申し上げます。
  51. 多田光雄

    ○多田委員 どうもありがとうございました。
  52. 田代文久

    田代委員長 鬼木勝利君。
  53. 鬼木勝利

    ○鬼木委員 萩原会長さんには、過去においてもお宅にもお伺いしたことがありますので、よくあれですが、時間がございませんので、簡単に一、二お尋ねしたいと思います。  先ほどから各同僚議員から詳細いろいろお尋ねがありましたので、細かいことは私はお尋ねは遠慮しますが、これからも帰ってまた団体交渉をやらなければならぬ、こういうようなお話でございましたが、労組の方々が、団体交渉を九月十六日、二十七日とやられた、その内容について非常に不満を持っておられる。われわれは会社には徹底的に協力したい。しかし提示された内容については非常に不満だ。一番その根本となる大事な資金の問題、こういうことが、いささかも、われわれがなるほどと思うような提示があっておらない。会社の方としては、先ほど多田先生からもお話がありましたが、賃金の問題あるいは大事な保安の問題だとか鉱害問題とか労働力確保の問題とかいうようなことは、われわれが納得するようなことは何も言ってもらっておらぬ。がまんをしてくれ、がまんをしてくれということはわかるけれども、がまんにも程度がある、限度がある。こういう非常に不満の声が私、聞こえてきております。これからもお帰りになってまた団体交渉をなさる。しかし、どういう前向きで労組の方々も納得いかれるようにされるのか。これは率直に申し上げまして、いままでの会長のお考えを何らかの形で方向をお変えにならないと、私は、団体交渉をやるんだやるんだと言っておやりになっても、とうてい解決ができないと思う。  私らも一昨日もこの委員会をやりまして、一体会社はどう考えておるのだ。再建案が出てきたか、政府としては会社側に督促したか。どういうふうにやって、どういうふうに再建しようというのか、北炭再建を、幌内再建をどうする、こういう考えは会社側から出てきておるか。それが出てこぬ限りには、われわれは単に空手空拳で石特委員会をやったって意味がないじゃないかということで、けさほどからも理事会をいたしまして次回の委員会はいつやるか。これはもう私らの方のことでございますから、会長はおわかりにならぬと思いますが、毎週水曜日を定例日としておる。だから、この次の水曜日の定例日にできるか。会社から何も話が出ていない、政府側としても何もわからない。なるほど団体交渉はやっておられることはわかっているけれども労組側としては不満だ。それでは、いつまでたっても話にならぬじゃないか。こういうことで今日まで来ておるわけでございます。これは非常に卓越した炭鉱経営をなさっておる萩原会長ですから、私らがどうだこうだ言うべきあれじゃございませんが、会長さんはどのようにこれを解決しようとなさっておるのか。  労組側としても非常に当を得たことを言っていると私は思うのですね。おたくの関係のグループの自己資金関係はどこまであるか、労組側は、そこまで会長に伺っておると聞いておるのです。しかし何も示さないで、ただ先ほどから仰せになったように政府に頼むんだ、国に何とかしてもらえ。これは会長さんおっしゃったか、おっしゃらぬか知らぬけれども、大変御無礼なことを申し上げますけれども、漏れ承ったのですから事実がどうかこうか真偽のほどは不明ですけれども、いよいよいけなければ、いつでも政府に返上しても差し支えないというようなことを会長はおっしゃったという。そういう姿勢で、そういうお考えで労使のお話し合いをなさっておるとするならば、とうてい合意点には達しないのじゃないか。いかなることがあっても北炭は守っていくんだ、幌内再建するぞ、諸君の生活は断じておれは引き受ける、私はこういうお気持ちでおやりになるならばと思います。これは釈迦に説法で、はなはだ御無礼千万ですが、どういう御姿勢で再建をなさろうとなさっておるのか。先ほどからお話がありましたように幌内には、まだ十三名もお気の毒な方が眠っておられる。そういう状態でどうなさるのか、その点をお伺いしたいと思います。
  54. 萩原吉太郎

    萩原参考人 ただいま組合の方にも再建案を出した、また通産省も案を受け取った、二つとも事実であります。通産省の方に対しては、組合とまとまったものを持ってこいとおっしゃるのですから、これはまとまらないうちは提出できません。しかしまた、債権者との話し合いも全部まとまった最後の詰めた再建案を通産省にお出ししなくちゃならぬ。この点はまだ未解決ですよというものは出せない状態です。ただし、石炭部長がおいでだけれども、どんな動きになっておるかということは、私はいま直接、日常の業務に携わってないけれども、うちの担当者が通産省へ伺って、刻々の変化は御報告していると思います。しかし、でき上がった再建案というものは、まず労組との間でまとまったものが出発点になる。  それで、ただいま、いろいろ御指摘がありました。案が出てないじゃないか。これは交渉いたしましても、なかなか経過があります。きょうも言ったのですけれども、初めから全部出したらいいじゃないか。私から見ると、めんどくさいから洗いざらい言いながら両方でやっちゃったらいいだろうと思うことが間々あるのですけれども、恐らく、やはり順序は経ていかなければならないという経過をたどっているようであります。それで組合としての不満な点、希望する点はよく承知しております。それでまた組合に対しても、これは会社としてこういくのが正しいんじゃないか、これは経営上これでいいんじゃないか。しかし、これによる犠牲に対しては、どうするかという問題になりますけれども、これは双方とも十分審議しなくちゃならないことでありますけれども、一から十まで会社の言うことは会社で押し通そうとする、それから組合が希望することを一から十まで通そうとしても、妥結の道はありません、そうして、ここに炭労の組合長もおられますけれども、長い間、労働問題に携わっておられれば、組合の意向を反映させなくちゃならない責任もあるわけです。会社実情も十分知らなくちゃならない。組合と真っ向から対立して、けんかをしていて、まとまらないように書かれておりますけれども、そういうふうなことは全然ございません。対立してやるときには、こんななまぬるいことはしておりません。  それから、誤解をされるといかぬから一つだけ申し上げたい。  私が先ほど申しました新鉱、これは、北炭は恐らく十年たっても再建困難だろう。まずもって北炭借入金や何か、たな上げをしましても、これを返したりすることから、まず足元を固めてからでなくちゃ、やりたくても進めません。十年か、あるいは十三年くらいになるかもしれない。それからかかったのでは、せっかくの国家の資源が生きない。恐らく全国一の会社が終掘する山があるだろう。二千万トンは維持しなくちゃならぬ。それには、いまから開いておかなくちゃ間に合わぬのじゃないか。そうとすれば、これは自分の財産だからといって、これだけ国家に御厄介になっている会社が、自分の鉱区だからといって、十五年後に開く、十年後に開くようになっても持っているべきものでないということを申し上げたいわけです。一つの非常に大きな財産なのだ。しかし、これはそうあるべきではないかと私は考えております。  私が先ほど申したとおり、いつごろだったか忘れたが、この間、円城寺さんに昭和二十九年ごろだと言われて思い出したのですが、昭和二十九年ごろからの私の一つの主義、思想でございます。いいか悪いかということは別でございますけれども、あれだけの四つの鉱区を十年も十五年も眠らせる。やれれば自分でやりたいです。しかしながら、いま幌内復興というものを抱えていて、新鉱で七百億と言ったところで、これは相手にされません。だとすれば国家的に見ると、開くとなれば、これは国でお開きになっていただきたい。いかに新鉱開発というものが大変であるか、そのとき、おわかり願えると思うのです。北炭のものだから北炭で開くということに私はあえて固執しないと申し上げます。  ことに、一面から見れば、夕張市、あれは新区域に移りますと夕張市というものは衰微して全くなくなるのじゃないかと思います。それを考えれば、いろいろなことがありますけれども、もし国でおやりくださるのなら夕張鹿の谷から、まず手がけていただきたい。これは喜んで提供いたします、そう思っております。長年の歴史ある、北炭と切っても切れない北炭で育った夕張市ですから。実は私は新鉱開発の竣工式に参りました。余談になりますけれども夕張へ行って、今度、夕張神社が引っ越そうかと考えていると聞きまして、びっくりしました。それで、これはいかぬ、夕張市民のためにも、もともと希望があったのだ、この辺で発表しようと思って、役員会にかけないで四炭鉱の開発をしたいということを竣工式のときに初めて発表した。これは役員会にも何にも諮っておりません。しかし、遺憾ながら幌内のようなことが起こってしまった。そういう意味から見て、夕張市民のことを考えますと、われわれは幌内でさえ精いっぱいなのだから、これは買い上げてくれとは申しませんが、開いてくださるのなら国で開いていただきたいと本当に願っている、そういう気持ちを先ほど申し上げた。北炭は何でもいいから売り払ったらいいのだというようなつもりで申したことじゃございませんので、その点、誤解のないようにお願いいたします。
  55. 鬼木勝利

    ○鬼木委員 夕張の新鉱の問題につきましては、これは私も視察をさせていただいて見せていただきましたが、いまおっしゃるとおり日産五千トンですね。労務者の方も二千名ぐらい必要じゃないかと思うのですが、その点は、いま会長のおっしゃるようなお考えを、われわれはどうこう言うわけじゃありません。結構だと思うのですが、北炭再建幌内の復旧、回復ということについては、私の考えでございますが、これはさしあたり重大な問題ですから、全面回復するか閉山するか、大きな岐路に立っておるわけですね。その都度、政府には話はしておる、なるほど、それはそうかもしれません。いま交渉中だから、それがまとまらない限りにおいては、いわゆる、まとまった報告ができない、それもごもっともだと思います。しかし、先ほど石炭部長がお話しになったように、一方においては二百億要請されたというならば、それは漫然と二百億という数字が出てきたのじゃないと私は思う。それはただぼんやりと二百億あれば大体よかろうじゃないかぐらいの話じゃないと思う。そうしますと、これはこういうふうにやっていくのだ、再建に当たっては、こういう点はどうだ、保安の問題では、日本で一番の深部開発ですから、これだけの金が要るのだ、これはこのくらいだ、こうだというような大体の積算が、あなたにはできておると思うのです。でなければ漫然と二百億くれなどということはおっしゃるわけはない。そうしますと会社側としては、会長のお心の中では大体、御計画をなさっているのじゃないか。これは言葉が大変御無礼かもしらぬけれども、あなたはいろいろな駆け引きをしておられるのじゃないか。これは早く出すべきじゃないぞ、もうちょっと引っ込めておく方がいいのじゃないか、腹の中を全部さらけ出したら、とんでもないことになるというような老練な——老獪と言うと、はなはだ御無礼だから老練と申し上げます。老練な萩原会長のお考えのもとに、そういうことをなさっておるのじゃないか。一方においてはまだまだできぬ、まだ交渉中だ交渉中だといいながら、一方では夜中ひそかに話し合いをして、これだけくれ、そうしたら何とかなる。では、その何とかなるという案をなぜ出していただけないか。まことに御無礼なことをお尋ねしますが。
  56. 萩原吉太郎

    萩原参考人 ただいま非常に老練だというお言葉をちょうだいしましたが、老練なら、もっとうまくやるので、少ししゃべり過ぎてばかな方ですからね。しゃべり過ぎてはしくじっておる。  おおよそ一つの案を立てるときには、下から積み上げてきまして、現地の者から、現場に当たっている者から詳細なる数字が出てきて、一つの表の裏には膨大な資料がある。そうして計画というものは、寄せ集めて最後の集約したものになってくる。われわれが最後に見ますのは、集約されて、膨大な資料が何枚かにまとまったところで見てくるのでございますけれども、これには駆け引きも何もあるはずはなし、また、これはするような段階ではありません。駆け引きしようにも、しようのないようなせっぱ詰まった状況で、あえて政府から金をもらおうなんということも絶対に思っておりません。先ほど、これからの新鉱開発で、こういうふうにかかります、それから会社の収支はこうでございます。こう申し上げましたけれども政府でこれだけ出してくれということは、この責任ある議会の場で私は申し上げてないはずでございます。というのは、これは挙げて政府でどうお考えになるか。われわれの方の財政状況はこうでございます。これだけかかります、これだけを申し上げまして、だから幾ら出してくれということは私は申し上げておりません。  それから、ただいま夜中ひそかにと言われた。これは言葉のあやですが、夜中ひそかでも何でもないのでございますよ。あれは実は率直に申し上げると、長官も部長も、そのとき初めてお目にかかって名刺を交換したようなわけです。私は実は近来においては、ごく親友を除けば政治家とも役所へも一切動かない。まあ友達が政治家が多いから、知らない間に、また動き出しているかもしれませんけれども、現在は、そういう心境で慎んでおるわけです。それで夜中ひそかにじゃなくして、石炭部長がおられますけれども、いろいろなことが新聞に載りますですね。そうして私は何もしゃべらない。恐らく、ああいうことを言っているのは本当か、意見を聞いてみよう。社長会長と、さっきから、そうおっしゃいますが、二人聞いて、意見が違うのか真相を確かめよう、それからじゃなくちゃ動けないということで、お呼び出しになったのだと思う。ですから私としては、二人に相違はなく、そのとおり申し上げました。ただ、夜中ひそかにと言われるほどのものは私の方はない。社長の言った、あれとは間違いがあるのか、おまえどう思っているんだということを聞かれましたが、率直に申すというと、意見聴取し、承りおくでおしまいになりまして、もう少し何とか、ちょっと見当のつくようなお話が出れば、後われわれが案を立てるとき非常にやりいいのですけれども、まあガードが厳重でして、こっちの言うことを承ってくだすったまではありがたいのですが、あと率直に言えば何のつかむものなく帰ってきました。お役所の方では、ああそういう考えか、それだけ聞けばわかったというのですけれども、私の方は、役所がどう考えているか、つかめるかと思ったら何にもつかめずに帰って、夜中としては余りありがたくない会合だったことをつけ加えておきます。
  57. 鬼木勝利

    ○鬼木委員 時間が参りましたので、これで御無礼しますが、私らも実はお待ちしておりますから、なるべく早く再建案を、まとまったものを出していただいて、私らも十分検討いたしたいと思っております。
  58. 萩原吉太郎

    萩原参考人 組合長がいるから申し上げますが、率直に言いますと、これはわれわれの方としては、十日、十一日はお休みですから、組合の方で休みでも返上してやってくださればありがたいと思っているのですけれども、できれば十二日までには取りまとめてくれということを言われているので、そのとおり、会社の希望どおり、いくかどうかわかりませんが、一応、目標十二日、債権者に対しても十二日、それで最後の全部の日にちのまとまったところで、これはもう後は資料があるから一日でできます。でき得れば、希望とすれば十五日までには政府に出して、政府でどうしてくださるか、これは後はわかりません。わからないけれども、御判断の材料になる資料の再建案というものを十五日には提出したい。いろいろなことは言いますけれども、これは結局、通産省御当局の考えでその再建案をだめだと言われるか、さあ見てやろうと言われるか、どういうことになるか私たちにも全然つかめない。少なくとも言われたとおりに再建案は、そのころまでにはつくり上げて御提出して、ひとつ何分の御援助をということで御判断を仰ぐつもりでおります。ひとつ先生方にも、わきから御尽力を、この際お願いいたします。
  59. 鬼木勝利

    ○鬼木委員 わかりました。まことにありがとうございました。どうもお疲れさまでした。  じゃ、これで終わります。
  60. 田代文久

    田代委員長 これにて参考人に対する質疑は終わりました。  各参考人には、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。  次回は、来たる十月二十日、委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後三時六分散会