○
金子(み)
委員 私は本日は、最近
新聞で話題に上っております中国の孤児、伊藤司さんという方のことを
中心にいたしまして、このことを
一つの例として
考え、戦後処理の問題について
関係の御当局から御意見やあるいは対策などを聞かせていただきたい、そういうふうに
考える次第でございます。
申し上げるまでもございませんけれども、この問題は、もう三十年も三十一年も前の
お話になるわけでございますが、
日本が敗戦ということで戦争の幕が閉じられた結果でございますが、侵略戦争を
日本では大東亜戦争と称しておりました。世界的に広がった戦争で、第二次世界
大戦とも呼ばれている戦争でございました。その結果、
日本では約三百万人近いとうとい生命の犠牲を出しておりますばかりでなく、そのほかに今日なおはっきりしないと申しますか、所在もはっきりしないという実例もございますし、とりわけきょう私が取り上げたいと
考えております問題は、中でも一番多いと言われております中国における孤児の問題でございます。これは当時、戦争が終結いたしました際に逃げまどって、内地にすぐ引き揚げてこられなかった
家族もあったと思いますし、あるいは引き揚げる際に子供を連れて帰ることができなくて、子供をよそに、中国の方に預けるとかあるいはその他のところに預けるというようなことで、自分だけ引き揚げてきたという
家族もあると思います。いろいろなケースがあると思うのでございますけれども、幾つもあると思われますそういう実例は余り
新聞等には載って出てまいりませんし、戦後処理の問題としては大方の国民の目の前には余り知らされてきていなかった問題だと私は思います。これは隠された戦後処理の問題として非常に重要な
意味を持っている。しかも、親子ばらばらになった
人たちが再びそのきずなを結び直すというような問題であったりいたしますから、私ども体験をしない者にとってはまことに想像もつかない非常にデリケートな、機微に触れた問題だと思うわけでございます。それでこの問題については、十分国の責任ということを感じて政府御当局は処理をなさるべきだというふうに思うわけでございますが、
昭和四十七年以来、日中国交回復が図られまして大変によかったと思っております。その結果、いま
お話をしたようなわけで中国に取り残された孤児が中国の方と結婚をして、そして
日本に里帰りのようなかっこうで戻ってこられる
日本の婦人もあるというふうに聞いております。あるいはまた親捜しというようなことでございましょうか、孤児の
人たちが自分の親を捜してほしいという申請も政府に出ているということもございますし、そういうような
関係もございまして、帰国が大変に急激に広がってきたように最近は感じられるわけでございます。
そこで、きょうの本論、質問の
中心になると思われます伊藤司さんの件でございますが、今回、九月の二十二、三、四日ごろから
毎日新聞を
中心といたしまして、朝日にも読売にも、日刊
新聞がそれぞれこの問題を取り上げて報道しておる事件でございますから皆様方も十分御
承知のことだと思います。詳しいことを申し上げる必要はないと思いますから省かせていただきますけれども、私は問題だと思いましたのは、この報道されている中国孤児、伊藤司さんとおっしゃる三十六歳になられる方が、お母さんだと
考えられておりました高野竹野さん、北海道に住んでいらっしゃる方ですが、この方との間に長い間かけていろいろと文通をして、そして親子であるだろうかということについての確証を得るような材料のようなものをお互いに取り交わしをしながら、親子だということをお互いに認識し合って、そして
日本へ帰ってこられた。中国で結婚されて子供さんもできて、一家五人で
日本へ戻ってきて、そしてお母さんと会われたという、大変美しい、うれしい報道を私
たちは見てきたわけでございます。
ところが帰国後、ただいまの
時点ではこれが一変いたしまして、大変に悲しい事情になってしまったという事実でございます。これは皆様方も御存じでございましょうから簡単に申し上げますが、
終戦直後に中国に残してきた息子さんを四十九年秋、中国名で何と読むのかよくわかりませんが、曲民利とでも読みますのでしょうか、と名のっていた男性の一家五人を呼び寄せられた高野さんと言われる老婦人が、あれほど子供だと思って呼んだのに違う、あれは私の子供ではないということを言い出し始められたという事件でございます。このことは、御
本人の伊藤さんに言わせれば、四十九年に北海道のお母さんのところに帰ってから一カ月ぐらいしたときに、警察の人がお母さんのところに来て、あの人はあなたの息子さんではないですねと言われた。それ以来お母さんが大変に態度が変わってしまった。ところが自分は
日本語が余り上手にできないのでそれに十分反論もできなかったし、うまく言えなかった。とてもつらかった。それで
日本語を勉強しなければいけないというので、東京に上京してきて
日本語の勉強をしているというのが現状なんでございます。これは
一つの例なんでございますが、私は、似たようなケースがほかにもあるんじゃないだろうか、たまたまこれは報道の線に乗りましたからこのようにみんなの目に触れるようになったわけですけれども、報道の線に乗らなかった方
たちもあるのではないかというふうに思われるわけなんです。
そういうことでございまして、中国を
中心とする孤児の問題は、いま申し上げた伊藤司さんと高野竹野さんとの親子
関係、実子か実子でないかということの認定という問題があると思うのですが、ただ親子
関係の認定をすればいいというだけの問題ではなくて、これはむしろそれよりも戦後処理の重大な問題だというふうに取り上げて
考えてみる必要があるのではないかというふうに思うわけでございます。したがいまして、政府は国としての責任を深く感じてこの種の事件をお取り扱いになっているものだと私は確信いたしますから、そういう
意味で
関係御当局の対策や方針を聞かせていただきたいというふうに思うわけでございます。そこで、このケースの
中心の所管となりますのは
厚生省でございますから、まず
厚生省の
関係からお尋ねをさせていただきたいと思います。
まず最初にお尋ねしたいと思っておりますことは、この伊藤さんの問題だけではございませんけれども、伊藤さんを例にとってくだすっても構いませんが、要するに中国その他、大東亜戦争と言ったぐらいですから範囲は広うございます。その広い範囲の中で中国が
中心になると思いますが、こういった国に残されておられる孤児の方
たちの親子の
関係の確認の問題なんでございますけれども、これは従来
厚生省の方の調べでは、五十人近い数の孤児が
日本に帰ってきて親子の対面をしていらっしゃるという大変に明るい御報告もございますようです。それは大変に結構なことだと私は思うのですけれども、私がお尋ねしたいのは、そういうようなよいケースを踏まえて
考えるのですが、いままで五十人ぐらいそういうケースがあったということなんですけれども、どういうふうな方法で親子であるということの認定をなさったのか、それが知りたいわけでございます。単なる記憶だけを頼ってなさったものなのか、あるいは
血液検査などの科学的な
調査もなさったものなのであるのか、それらの点につきましてまず伺わせていただきたいと思います。