○三井説明員 水道
環境部の参
事官でございますが、事実
関係が大変、錯綜しておりますので、まず事実
関係から申し上げたいと思います。
現在、高共丸に積まれておりますのは廃油と称しておりますが、この
内容は泥油、いわゆる廃油と、それからどろのまじったものでございますが、その泥油と、それから溶剤でございます。この廃棄物は、東京都でかつて
許可を受けておりました三基実業、これは収集、運搬の
許可でございますが、三基実業という会社が東京都周辺におきまして東京都を含めまして収集した物でございます。
この辺のところ、私
ども必ずしも十分につまびらかに実体を把握できていない点もございますけれ
ども、その物を東京都周辺において集積しておきましたところ、その後、具体的に時間的に申し上げますと五十年の七月になりまして、宮城県の女川町というところに、これは、その三基実業の従業員が、たまたま個人的に知っておる人が土地を提供してやろうというようなことがございましたので、そこへ搬送いたしたわけでございます。
〔
委員長退席、木下
委員長代理着席〕
それでこの
段階で、その三基実業といたしましては、収集、運搬の
許可を東京都において受けておりましたので、宮城県まで持ってまいりましたのは
許可を得ないで行った
行為ということになるわけでございます。宮城県におきまして、その事実を把握いたしましたので、この三基実業と連絡をとりまして、それを撤去するように、いろいろ指導したわけでございますけれ
ども、相当、時間を要しまして五十一年の九月になりまして、ようやく物を運び始めたというようなことでございます。この場合、三基実業
代表者は穴吹という人でございますけれ
ども、この人が、自分みずから
責任を感じまして船を雇ってまいりまして、その物を運ばせたということでございます。この船が高共丸でございますが、山本海運というところに所属しておる船でございます。山本海運は処理業者でも運搬業者でもございませんけれ
ども、穴吹氏の
責任におきまして物を運び事実
行為を行ったということでございます。
当初、その運搬先は、穴吹氏は宮城県に対しましては広島に持ち込むということを言っておったわけでございます。実は、若干細かくなりますけれ
ども、この穴吹氏、三舞実業の持っております
許可の
内容と申しますのは、東京都で物を収集いたしまして、それを広島に運んで、瀬戸内タンククリーニングと申しますけれ
ども、そこへ持ってまいりまして処理をするという
内容の
許可を持っておるわけでございます。宮城県におきましては、そういう
許可内容を見まして、広島に持っていくということでありますものですから、それでよろしかろうという
判断をいたしまして船の出港を認めたということでございます。ところが女川港への出港届けを見ますと、行く先地が今治となっております。すでに、この
段階で大変、奇妙であったわけでございますけれ
ども、宮城県から愛媛県に連絡をいたしまして、愛媛県といたしましては、どういう処理をするかということを穴吹氏に聞いたわけでございます。そういたしましたところ、最終的な処理について必ずしも十分な当てがあるわけではなくて、当面のところ、はしけに物を載せまして若干の期間、保管しておくというようなことを申し立てたものでございますから、それは物の保管としては大変不適当でもあり、かつまた愛媛県におきまして、そういう保管をするという
内容の
許可を持っておりませんので、愛媛県はこれを拒否したということでございます。
そしてさらに、その次に広島県に船を寄せたわけでございますが、この辺のところは全部、穴吹氏が高共丸に指示をして船を動かしておるわけでございます。広島県に物を持っていったわけでございますけれ
ども、広島県におきます瀬戸内タンククリーニングと申しますのは、これは油水分離を行う施設でございます。ところが物の
内容が先ほど申し上げましたように泥油と、それから溶剤でございます。瀬戸内タンククリーニングでは、ここでは処理できないということで、広島県におきましては、その処理業者たる者の態度としては大変不適当であるということで、これを拒否したということでございます。
それから、さらに香川県に行ったわけでございますが、香川県におきましては豊島という、これは小豆島のすぐそばにある小さな島でございますが、ここに、たまたま空き地がございまして倉庫がございます。そこへ物を入れておこうということだったわけでございますが、これも処理業者たる穴吹氏の
行為といたしましては、
許可を得ていない
場所で、そういう最終的なめ
どもなしに保管をしておくというのは、きわめて不適当であるという
意味で、香川県がこれを拒否いたしまして、相当、長期間滞在しておったというわけでございます。
なお、
許可業者という申し上げ方を、いままで、してまいりましたけれ
ども、これも若干いきさつがございまして、この業者が策京都において
許可を得ましたのは四十九年の十二月でございます。その
段階におきましては収集車、自動車でございますが、自動車を持っており、それから東京港に津壁を持つ運搬船も持っておりました。これは東京都当局において確認しておるわけでございますけれ
ども、その後、五十年の夏ごろまで確かに実体がございまして、そういう収集活動をしておったわけでございますが、その後、実体的な活動がなくなってまいりまして、東京都におきまして追跡をいたしましたところ、オフィスもなくなっておる、いつの間にか自動車もなければ何もないというようなことになりましたので、もう実体がないという
判断をいたしまして、東京都におきましては五十一年の七月十五日で
許可の取り消しをしております。したがいまして、その時点以降、具体的に申しますと、宮城県から物を運び出した
行為、瀬戸内海を転々といたしました
行為は
許可を得ていない
行為になるわけでございますけれ
ども、
考え方といたしましては、その
許可を得ていた期間に収集した物につきまして最終的な
責任をとるというのは、これは当然のことでございますから、処理業者の
行為として私
ども認識をいたしてまいったわけでございます。
私
ども、そういうことでございますので、物そのものにつきまして特にその処理が困難であるとか、あるいは危険であるとかという認識は全然持っておりません。通常のルートで収集され処理されるならば、きわめて容易に処理できるものであるというふうに考えておりますが、この穴吹氏の
行為が、こういうふうに最終的に処理をする意図が果たしてあったのかどうかということを大変疑わせるような
行為の結果、こういうふうになったということでございますので、私
どもといたしましては、あくまで、この穴吹氏の
責任において、この処理を完全にせよということを直接に提示し、穴吹氏に何回も会いましたけれ
ども、そういう指導もいたしました。いろいろ具体的な指示もいたしました。それから宮城県、東京都、広島県その他の
関係県等におきましても、穴吹氏に対していろいろな指示をしたり助言をしたりということをやっておったわけでございます。その後、穴吹氏も若干のことをやったようでございますけれ
ども、いずれにいたしましても十分なことではございませんで、一方、山本海運の方、山本さんというこの高共丸の船主、これはチャーターをしておられる船主でございますけれ
ども、いつまでたっても物がおろせないということで大変困られまして、山本氏の
責任において、この物を運搬し処理をするという決心をされて、
北海道へ向けて出帆されたというふうに聞いております。
その出帆されました時点、それから、そのときのいきさつ等、これは実は厳密に申しまして、私
どもに十分な御連絡をいただいておりませんので、その辺の事情、必ずしもつまびらかに存じ上げておりませんけれ
ども、
考え方といたしましては、この山本さんという方は排出事業者でもなければ処理業者でもない。むしろ、その船に廃棄物を積み込まれて困っておられる方である。この方が物を自分の
責任において撤去し、それからまた最終処理をする業者に持ち込まれるということにつきましては、これは廃棄物処理法上、何ら、とがめ立てをすることではございませんので、そのことにつきましては私
ども異存ございません。
そういうことで
北海道に行かれたわけでございますけれ
ども、十月の二十四日になりまして低気圧が近づいてまいりましたので、室蘭港に緊急避難で入港されたというようなことでございます。釧路港であるとか、あるいは私
ども聞いておりますところでは苫小牧港であるとかという名前も挙がっておりますが、私
ども、間違っておりますと大変恐縮でございますけれ
ども、推測を交えて申しますと苫小牧港に入港される予定であったというふうに考えております。
それで現在のところ、
北海道庁も言っておられますように、
北海道サイドにおきまして現在の
段階では、受け入れる処理業者がいまのところ決まっていない、それからまた荷役をする業者も決まっていないという
段階でございますので、こういうことになりますと基本的に、やはり民間企業同士での契約ということが中心になります。それによって事を運んでいただくということになりますので、まず、それをお決めいただきまして、それによって事をお運びいただきたいというふうに当面のところ考えておる次第でございます。
大変長くなりましたけれ
ども、いきさつは、そういういきさつでございます。