○小野明君 私は、
日本社会党を代表して、
昭和五十一年度予算三案に対し、反対の意思を表明いたします。
三木内閣は、列島改造と狂乱物価の田中内閣の後を受けて登場し、発足以来、インフレと不況の克服、社会的不公正の是正を経済
政策の重要な公約としてまいりました。しかるに、今日の状況を見ると、狂乱物価は全治三カ年と言っていたにもかかわらず、消費者物価の水準はいまだ年度平均で前年度比で八%であり、定期預金の金利を上回る高さにあります。景気は最悪期は脱出したとはいえ、中小企業の倒産や完全失業者の数は依然として過去に例を見ない高い水準を示し、社会的不公正は是正されるどころか、かえって拡大をしております。これは
三木内閣が賃金と物価の抑制に偏した経済運営を行い、景気
政策転換のタイミングを誤った結果であることは、すでに天下周知の事実であり、今日の不況は、まさに
三木内閣が景気
政策を誤ったことによる
政策不況であることは明白であります。
財政もまた、五十年度に続き五十一年度も七兆円を超える巨額の赤字を出し、その半分以上は赤字公債によって賄わざるを得ない状況にあります。このような事態は、戦後歴代内閣にいまだかつて例を見ないことであり、われわれは、
国民とともに
三木内閣の経済・財政
政策の失敗の
責任を追及せざるを得ません。
日本経済の現状は、インフレと不況の併存するスタグフレーションの状態にあり、財政も企業も家計もすべて赤字で、
国民は将来の生活設計さえ立てられない状況であります。このような状態から
国民生活を守るためには、これまでの大企業や高所得者
中心の高度成長
政策をやめ、雇用不安もインフレもない、真に安定した生活
中心の経済
政策への
転換が必要であります。しかるに、五十一年度予算を見ますときに、その内容には、経済
政策転換への
姿勢が全くあらわれていないのみならず、かえって経済
政策失敗の結果を
国民負担の増加という形で
国民に転嫁しており、われわれのとうてい賛成できるものではありません。
以下、主なる点についてその理由を申し述べます。
その第一は、景気対策についてであります。
戦後最大の不況の中で
国民が一番望んでいるものは、速やかな不況からの脱出であり、景気の回復でありましょう。しかるに、景気の現状を見ると、ようやく最悪期は脱出したとはいうものの、その回復力はきわめて微弱であります。しかるに、五十一年度予算の景気対策を見ると、大規模プロジェクトを
中心とする公共投資と輸銀を
中心とする輸出振興対策だけであります。公共事業費は二年間も伸び率ゼロであり、雇用対策や社会資本整備の立ちおくれから
考えても、ある程度の増額は必要であります。しかし、今後の経済
政策は、再び高度成長への復帰は許されないとするならば、公共事業費の内容は、当然住宅や生活環境の整備を
中心とした生活関連事業が
中心でなければならないのに、五十一年度の公共投資は、依然として道路や新幹線等の大規模プロジェクトが
中心であります。これでは田中内閣時代の列島改造論の再来と言われるのも当然であります。
不況の原因が個人消費の停滞にある以上、当然低所得者を
中心とした所得税の減税こそ必要であり、
国民多数の声でもあります。にもかかわらず、これも行わず、公共料金や社会保険の保険料を軒並み値上げし、しかも、公共事業は地方財政の窮迫で進捗率が落ちているとすれば、
政府の言う財政主導による景気対策とは一体何であるのかと問わざるを得ません。
その第二は、公共料金の値上げについてであります。
インフレと不況の併存するスタグフレーションのもとにおいては、景気対策は物価に悪影響を与えるようなものであってはならないことは言うまでもございません。しかるに、五十一年度予算の内容を見ると、国鉄、電電、住宅の家賃、授業料等公共料金は軒並み値上げが織り込まれており、地方財政
関係の手数料、使用料の値上げまで含めれば、公共料金はほとんどすべてが値上げであります。
政府の公共料金値上げに対する基本的な
考え方は、石油値上げに伴う価格体系の是正ということであるが、このような
考え方は、製品価格の値上げによって不況を脱出しようと
考えている企業の値上げ機運を促進することは明らかであります。これでは物価に対する配慮を全く忘れた予算と言わなければなりません。欧米諸国の経済運営はすでにインフレ対策に移っているとさえ言われているのに、このような公共料金の大幅値上げを予算に織り込んだことはきわめて遺憾であり、五十一年度予算は物価に対する配慮を全く欠いた予算と言わなければなりません。
その第三は、福祉
政策についてであります。
経済
政策の最終目標は
国民福祉の確保であり、福祉
政策を財政事情により
後退させるようなことはあってはならないことは言うまでもありません。しかるに、五十一年度予算を見ると、社会保障費の伸び率が最近四年間の最低となっており、その内容も、福祉年金の引き上げが二万円という公約が一万三千五百円にとどまったのを初め、生活保護費等社会福祉
関係の諸手当の引き上げ率は平均一二・五%にとどまり、物価上昇率を
考えれば、その改善率はわずかに三%にも満たない金額であります。しかも、公共事業費は生活関連事業の比率がほとんど高まっていないとすれば、福祉
政策は大幅な
後退と言わざるを得ません。その上、保険料は値上げされ、所得税は名目所得の増加に伴う物価調整減税すら行われていないとすれば、高福祉高負担どころか、低福祉高負担以外の何物でもありません。
その第四は、地方財政についてであります。
地方財政の現状は、不況に伴う税収の減少と義務的経費の増加によって深刻な状態にあり、景気対策や福祉
政策にも支障を来たしかねない状況にあります。しかるに、五十一年度予算の地方財政対策を見ますと、
政府の財源措置はわずかに二兆六千億円であり、その大部分は運用部資金からの借入金と地方債の増発であります。また、交付税については、三二%の交付税率は、国債の大量発行時代のもとではもはや全く存在理由はなくなっているのにそのままに据え置かれ、地方団体が常に問題にしている超過負担は、自治体側の発表によれば四十九年度だけでも六千億円を超すと言われているのに、五十一年度予算の解消措置はわずかに六百四十二億円であります。
国家財政が大幅な赤字のもとでは地方財政も当然耐乏は必要としても、税収の減少は
政府の景気
政策の失敗によるものであり、補てん措置の内容も大部分が自治体の借金で賄わなければならないとすれば、経済
政策失敗の
責任を二重に地方に転嫁するものであり、地方財政対策はきわめて不適切、不十分と言わざるを得ません。
その第五は、財政赤字の補てん対策と公債
政策についてであります。
五十一年度予算の歳入は、租税収入の二兆円の減収と歳出需要の確保のため七兆二千七百五十億円の公債が計上されており、そのうち半分以上は赤字公債である特例公債であります。公債依存率は二九・九%であり、戦時中を除いては全く例のない高さであり、先進国中
最高であります。公債
政策はすでに限界であります。
公債
政策は、経済
政策における
政策手段の
一つであることはわれわれも十分承知しております。したがいまして、何でもかんでも反対しているものでないことは言うまでもありません。しかし、一たび運用を誤るならば、財政インフレを通じてインフレの促進要因になることは、戦前の例を引くまでもなく明らかであります。しかも、赤字公債が毎年発行され、市中消化された公債は一年後には日銀に買いオペで買い上げられるとすれば、建設公債と市中消化という
政府の言う公債の歯どめはすでにないも同然であります。今年度の公共債の発行額は、国債、地方債を合わせれば十四兆三千六十億円の巨額であり、これが景気回復に伴う民間の資金需要と競合すれば、新たな景気過熱の要因となりかねないことは火を見るよりも明らかなことであります。公社債市場の整備も行われず、公債管理
政策の用意もなく、単なる財政赤字の補てん策として発行される
政府の公債
政策は、財政
政策としてきわめて危険と言わざるを得ません。
真に
国民のサイドに立って財政赤字の補てん策を
考えるならば、不公平税制を改革して、富と所得の再配分をこそ
考えなければならないのに、不公平税制は、わずかに法人
関係の特別措置を廃止して百五十億円を増徴しただけであります。しかも、企業には臨特税を廃止しながら、配当課税や医師の不公平税制すら直せないとすれば、一体、
三木内閣の公約である社会的不公平是正はどうなっているのかと疑わざるを得ません。
このほか、私学助成策、農林漁業、中小企業予算もきわめて不十分であります。
以上、要するに、五十一年度予算には経済
政策転換への
姿勢は全くあらわれておらず、その内容も、
政策失敗の結果を
国民大衆に転嫁する形で予算が組まれており、われわれのとうてい賛成できるものではありません。
以上の理由により、われわれは五十一年度予算に反対をいたします。
最後に、
ロッキード事件と
三木内閣の
政治姿勢について一言いたします。
三木内閣の
政治姿勢の基本は、金権
政治を打破し、清潔
政治を打ち立てることにありましたことは、改めて指摘するまでもないことであります。しかるに、今日の状況を見ると、田中金脈問題さえはっきりした決着がついていないのに、いままた
ロッキード事件という一大疑獄
事件を起こしておりますことは、きわめて遺憾であります。今日の
政治不信のもとは、
ロッキード問題に対する
疑惑が
解明されないことにあることは明白であり、
国会が米国に対し資料要請の決議をしたのも、
ロッキード問題の
真相究明を望む
国民の声にこたえようとしたものであります。
しかるに、
政府与党のこの問題に対する態度を見ておりますと、
総理自身が公開を約束していたにもかかわらず、米国から提供される資料はすべて非公開とする協定を結び、公開について米国に再交渉を要求するわれわれの主張を拒否して、長期にわたる
国会審議の空白を招き、四十日間の暫定予算の編成を余儀なくされたのみならず、
国会審議の最重要案件である本予算を、実質上の単独審議にもひとしい自民、民社の二党による強行採決により
衆議院を可決させて本院に送付したことは、対話と協調を旨とする
三木内閣の
政治理念とは全く相反する行為であり、まさに憲政史上例を見ない暴挙と言わなければなりません。したがいまして、本院の予算審議の空白も、その
責任は挙げて
政府・与党の態度にあることは明白であります。
国会は
正常化されたと言いましても、
ロッキード事件の
真相を究明し、
政治不信のもとを正そうというわれわれの
考え方は、いささかも変わっておりません。しかるに、本
委員会における
政府側の
答弁は、終始一貫して
検察当局のみに
事件真相の使命を課し、
国会では
政治的、道義的
責任を追及すると言いながらも何らその具体案は示さず、
刑事訴訟法四十七条ただし書き、また議院証言法を用いても、なおかつ
国会の議決よりは司法権の
捜査上の守秘義務が優位するといったような態度は、
ロッキード事件の
真相究明を望む
国民の声を無視するものであり、きわめて遺憾であります。このような
政府の態度は、去る四十九年の本
委員会における、
政府は
国会の国政調査活動が十分その目的を達成できるよう最大限の協力をすべきものとの統一見解に沿わないのみならず、今回の
国会正常化の条件である、国政調査権の行使に当たっては
刑事訴訟法の立法趣旨を踏まえ最善の協力を行うものとするとの議長裁定第四項の趣旨にも反する行為と言わざるを得ません。
われわれは、本件に関し、本院における
質問趣意書に続き、第二次の
質問趣意書の提出を準備中でありますが、これに対するさらに明確な
答弁を要求するとともに、今後国政調査権に基づいて、不起訴になった場合の
政府高官名の公表及び
関係資料の提出を要求した場合、速やかに
国会に提出することを要求いたします。したがって、もし
三木内閣がこの要求にこたえられないときは、もはや政権担当能力を失った内閣と断定せざるを得ません。このときには、当面の生活関連法案を処理した後、総辞職を行うか、もしそれができないとすれば、
衆議院を解散して信を
国民に問うべきことを要求して、反対討論といたします。(拍手)