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佐々木静子君 大変に私も心強い
答弁をいただいて喜んでおります。この
民法の一部
改正案、これも
婦人の権利を守るためにぜひとも大事だし、また同時に、これから
質問さしていただく
戸籍法の
改正についても、これは男女同権を実現する
意味においても大事な
規定だということで、これ鋭意取り組んでいるわけでございますけれ
ども、それではまあごく一部、続いて次の国会でまたその相続法において
婦人の権利を守るために政府が御努力いただくと、政府案として提出できるということ、まあ確約していただきまして非常にうれしく、
法務当局にもぜひとも今後ともがんばっていただきたいということを申し上げてお願いしておきたいというふうに思うわけでございます。
そのように
改正できますと大変にありがたいわけでございますが、この
戸籍法に今度問題を移すわけでございますけれ
ども、いま物理的な家のことを申し上げたわけでございますけれ
ども、これはまあ日本では昔から女三界に家なしと言われるけれ
ども、この
戸籍法を見ておりますと、私は実にそういう感じがするわけです。この
法律の
規定から言うと、生まれたときに親の
戸籍に入っておって、それから
婚姻するときに
婚姻当事者が別の
戸籍をつくるというふうになっておるわけでございますけれ
ども、また事実そうですけれ
ども、この
戸籍の氏が、大体九八%以上が夫の氏に変わるということは、
戸籍の筆頭者が夫になるということになるわけでございますから、結局この
戸籍を見ておりましても、女は初めは生まれた父親のうちにおり、それから夫の
戸籍に入り、そしてそのまま終わることもあれば、
離婚とか何とかいうことになれば夫の
戸籍から出てまた親の
戸籍に入る。結局、
戸籍法の
規定は男女同権ということになっているけれ
ども、実際の日本の
戸籍を見ると、男は余り変わらないけれ
ども、女の一生というものは
戸籍によって振り回されておるし、そして夫が筆頭者である限り、その夫の同一
戸籍に載っておる者は、その夫を中心に筆頭者との続柄として出てくる。そういうことになってくると、やはりこれは夫中心のもとの家父長的家族制度というものが、形の上ではもう家はなくなったと、封建的な家族制度はなくなったのだと言いながらも、
戸籍を見ると厳然とここにもとどおりの家族制度というものが残っていると思うわけなんですね。ですから、私はもうかねてこれは言っていることなんですけれ
ども、本当に
戸籍法というものを
改正するなら、いまとりあえずの
改正も決して反対ではありませんけれ
ども、これはやはりこの最初の
戸籍法の
改正が中途半端になったからこういうことになってしまったので、
戸籍というものは、人間が個人として尊重されなければならないという法の精神から考えても、当然一人一枚の
戸籍というものに切りかえなければならない。そして、その
戸籍を見るならば、一人一人の、男であろうと女であろうと、いつ生まれて、いつ結婚して、そしていつどうなったというふうな、これは個人個人の履歴として
戸籍に書かれるというふうに、一人一枚の
戸籍法にならなくっちゃ私は本当は家族制度もなくならないし、
婦人は解放されないと、私はそういう考え方を昔から持っているわけなんで、これは家の制度がなくなったとは言い条、やっぱりここに
戸籍法を見ると、これはやはり家の制度がある。
戸籍の
法律のたてまえから言うと、何の何がしという男と何の何がしという女が結婚して新しい
戸籍をつくるわけですけれ
ども、やはり筆頭者が夫になり、そしてその次の欄をめくれば夫の半分の幅で妻が出てくる。そして、それから後、
婚姻によって生まれた
子供があればそこへ載ってくるでしょうけれ
ども、たとえば夫が筆頭者でそして
婚姻——前婚で生まれた
子供がそこにあれば、これは本当のところはこれ、どうなるんですか、やはりその
戸籍に載る場合があるわけですね。ともかく、夫を中心としていろんな
戸籍が出てくるわけです。ですから、やはり私はそこで家族制度というものがなくなったなくなったと言いながら、
戸籍を見ればはっきりここに残っているんじゃないか。そもそも昔家族制度があったと、家があったと言うけれ
ども、家とは何ぞやというふうに突き詰めてみると、結局、いわゆる物理的な家、何かといえば結局、これは中川善之助
先生の本にも書いてあったけれ
ども、古い
民法でも、家を大事にしなければならない、個人より家を大事にしなければならないと言っているけれ
ども、家とは何かといえば、結局、突き詰めれば一枚の
戸籍になるというふうな表現が中川善之助
先生の著述にもあるわけですけれ
ども、結局、それはいまも余り変わってないわけですね。この点をまずやはり本当に根本的に考えなければならなかったんじゃないか。これは最初に
戸籍法を戦後つくるときに、我妻
先生が一人一枚の
戸籍にすべきじゃないかというような御議論もお出しになっていたことがあるやのように承っておるわけでございますけれ
ども、これはどうせ
婚姻によって新しい
戸籍をつくる、また
子供が出生したのを機会に新しい
戸籍をつくるという作業をするときに、一遍には変わらなくても、どうしてその一人一枚の
戸籍のところまで踏み切らなかったのか。私は、いまこの全部の一億一千万の
戸籍を書きかえるということは大変だと思いますけれ
ども、やはり今後の展望とすると、人間が人間として解放されていくためには、やはり一人一枚の
戸籍じゃないといけない。
自分の
戸籍謄本を就職先へ出さないといけないと思うときに、夫と夫につながる親族
——まあ妻が
戸籍謄本要る場合ですね、全部がこれは数珠つなぎに出てくる。これはその夫以外の者が
戸籍謄本が要るときですね。やはりこれはまさに家制度そのものだと思うんですね。ですから、これから先の展望として、これは出生したときにはどのみち
戸籍をつくらないといけないんだから、何年か後から生まれた人については、一人一枚の
戸籍というものに切りかえていくということは、私はこれは長期計画に立てばそれほどたくさんの費用を要するものじゃないと思うわけでございます。百年もたてば皆死んじゃうんですし、
戸籍というものが一人一枚のに変わっていくんじゃないかと思うわけですが、なぜ日本はそういう家族単位の
戸籍というものに固執しているのか。外国の例なんかは家族単位の
戸籍になっているのかどうか。何かというと、すぐにアメリカではこうなっている、イギリスでは、欧米ではこうなっていると言うけれ
ども、
戸籍は私詳しくは調べておりませんけれ
ども、これは私は外国へ行くたびにそこの国の
戸籍謄本がどうなっているかと聞きますと、大抵が
——大抵って、聞いたところではどこでも一人一枚だと。いや日本は家族ぐるみの一枚になっているんだというふうに言うと、ほうっという珍しい話に
——これは専門家同士の話じゃなしに、雑談的な話ですけど、なるわけなんですね。私の知っているところでは、韓国は家族の
戸籍になっておりますが、これは恐らく日本が韓国を併合していたときに日本の
戸籍法を押しつけた結果、それが残っているんじゃないかというふうに思うわけです。これはほかの国の立法例はどうなっているんですか。普通の近代国家と言われる国は大抵一人一枚の
戸籍なんじゃないですか。