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参考人(矢嶋
俊良君) 私は
総理府統計局職員組合中央執行委員長を十五年在籍してきました。そういう立場で、総理府統計局がいま七
年間もの年月を費やし、手続作業をサボつた結果として、八月六日頸肩腕障害に対して公務外認定を出したことに激しい怒りを込めて、ずさんで不当な、今日まで、あるいは現在の健康管理、労務管理を含めて陳述したいと思います。
統計局
職員組合は、百七十名の組合員、そのほとんどが製表部一課から四課——電子計算課に所属し、主に組合員はマークシートあるいは符号づけ、あるいは換算の
一般集計事務に従事をしています。
一九六〇年、第十回国政
調査の集計からIBM大型電子計算機が導入され、
調査の集計は一挙に二年に短縮され、現在はさらに短縮の方向にあります。反対に
職員の数は当時二千四百名から、現在は二千名そこそこの人員に減らされてしまいました。
電子計算機の導入によって、キーパンチャーからまず頸肩腕症候群という病気が発生、長い闘いを経てようやく一九六八年四月、
国家公務員に初めてといわれる二名の公務災害認定が行われました。現在はその数は十一名に達しています。一九六五年国政
調査には、さらに電子計算機に光学的読み取り装置というのが取りつけられて、作業はいままでの符号による集計からマークシートに一変しました。この一九六五年、四十年国調の中で、その集計が終わる一九六九年には当局の
発表でも十五名という
一般事務の罹病者か発病しています。以後、急速に罹病者の数が増大をし、一九七三年、当局の明らかにしたものだけでも七十二名、ほかに退職者十一名を含めれば八十三名というたくさんの罹病者か続けて発生をしました。すでに現在、私たちがおよそ知り得る数でも百名を超えています。この年十一月に、松田さんほか十八名の罹病者がみずから申請手続をとりました。
同時に、統計局職組も
委員長の名前をもって、こういう
実態に即して職場の
実態、業務との
関係を含めて
意見書を
総務長官に提出し、直ちに公務災害として認定することを要求をしました。同時に、頸肩腕症候群の発生を予防するために、電子計算機によるコンピューターシステムヘの変化、その中でいままでと同じような労務管理のあり方を抜本的に
改善をすること、二番目には、年次休暇あるいは生理休暇等の休暇を保障すること、さらに、業務の進行が
職員に合うように適正な計画を立て直すこと、人員の増員等適正な配置がなされること、予防対策を含めた健康管理の抜本的な
改善が必要であるということ、それらを通じて働きやすい職場の施設も
改善をすることなどを強く申し入れました。
しかしながら、統計当局は、罹病者の申請さえあったにかかわらず、みずから法と規則が規定をする速やかな
報告義務を怠り、申請者、
職員組合の追及の中で、認定権者、総理府官房へ手続をとったのは二年半を過ぎた一九七二年三月でありました。さらに、これを受けた総理府官房も、みずから認定権者としての認定ではなく、受けた一週間後、三月二十八日、松田、渡辺、木村の三申請者のみを
人事院の
協議に移し、以後
人事院が
協議を中止する一九七三年末まで全く何も行わないまま、一九七四年二月みずから認定を行うことを決め、ようやく実質的な認定作業が始まるというありさまでした。そして七年目に入った八月の六日、全く抜き打ち的に、理由さえ明確にしないままに全員公務外という不当な認定を行ったのであります。
このように長
期間を経ながら、統計局は長くなった理由を、
職員組合及び申請者の協力が得られなかったとその責任を押しつけているのは、
国家公務員災害補償法や
人事院規則から、その目的、手続からいっても許せるものではありません。事実を捏造し、みずから
職員の健康管理の責任を含むみずからやるべきことを放棄してると言わざるを得ません。
以下、事実に基づき、怒りを込めて次の問題を告発をします。
一九七〇年十月、統計局は、災害防止協会サービスセンター北山医師ほか、三名の医師によるプロジェクトチームをつくって罹病者全員を対象とする特別検診を行うということを申請者、罹病者に通告をしてきました。
職員組合に対しては、申請者、罹病者が話に応じるように当局から組合に申し入れがありました。
職員組合では、罹病者及び申請者等がつくっている罹病者懇談会を通じてその
意見を聞きました。当局か
課長補佐、係長を通じて、一人一人に
説明をするのではなく、圧力をかけることだけに終始していることを知りました。当局に対し、その不当行為をやめ、検診の必要性やその目的を具体的に納得するように
説明することを求めました。同時に、センターの北山医師を執行委員三名と二名の罹病者
代表とで訪れて、検診
内容も聞きました。さらに、私たちはそのことを通じて、当局が受診者、いわゆる罹病者に
説明することが必要であるということを痛感をしました。ところが、当局は何ら
説明のないままに全医療器具を大
会議室に持ち込み、当日に至って全罹病者の集まった中で、当時の麓
課長は、
説明をするのではなくして、受けるのか受けないのか、受けなければそれでよい、受けないのならば何も手続をしないと激高をして全罹病者の怒りを巻き起こし、みずから三十万もするというこの計画を不可能にしてしまいました。
人事院協議に入って、
人事院は資料として全
職員の特別検診を行うことを示唆し、当局もこれを受けましたが、それを無理として百五十名の抽出検診を行うということを提起をしてきました。
職員組合ではその必要性と目的を
人事院に聞きただし明確にすることを要請をしました。同時に
職員組合では、一九七三年、当局が定期診断の項目をふやし、握力あるいは背筋その他問診を含めて診断項目をふやしたことについて、
人事院が必要としているのはそれでは足りぬのではないかということを申し入れました。しかし、以後
人事院はその資料が得られないとして
協議を中断した模様です。
一九七四年二月、認定作業が総理府に戻り、当局は慶応病院にプロジェクトチームをつくり申請者の再診断をする、そして総合診査
意見を求めることを申し入れてきました。
職員組合は慶応病院にゆだねる理由、認定をするためにどういう資料にするのか、すでに罹病者の一人一人が主治医を持ち診断をされている、その資料をとることが先ではないか、また、その医師の診断を再び医師がするということについてはおかしいのではないか、四番目に、すでに罹病者は発病の当時と全く状態が違っているなどということを明らかにすることを要求をしましたし、同時に主治医の
意見書をとることを要求をしました。当局はこれに対して、慶応病院は有名な医師だから信用できる、それをとらなければ医学的資料が全くない、病院側にすべて任せてあるのだから
内容は明らかにできないと全く誠意は見られませんでした。しかし、当局は一九七五年、組合が要求をした主治医の
意見書をとることに同意をしています。
このように、私たちは、当局が私たちに出してきた資料の収集について当局が言うように協力をしないのではなく、私たちは自分たちが要請、要求をしている、一日も早く認定をしてほしいということに沿ってきたことの事実は間違いありません。
次に時間がないようですから当局の健康管理について触れたいと思います。
統計局の健康管理について川村
局長は、最近行っている
職員の短期研修の中で、私が知り得た範囲で言っていることは、統計局はいま全国的に注目されており、集計の
発表の迅速が要求されている、少ない人員でいかに大きな仕事かできるのかを
考えなければいけない、このことを前提として、病気になったらみずから自分で管理をして一人一人が健康を守ることが大事である、毎月生理休暇をとるというのは異常であって病気であり、医者に相談をすべきだ、
局長などに会ったら必ずあいさつをすべきだし、初めて給料もらったら必ず親に渡すことが必要だ、いま統計局は半病人が非常に多い、疲れているのは仕事をやるからではなく、女性の職場からくる人間
関係にあるのだというような話をしているようです。この事実は、統計局の現在の健康管理そのものの方向がはっきり打ち出されているのだというふうに私は思います。
この長かった七
年間の中で、当局は、統計職組が明らかにし、主張している以上に
職員が健康を害されていることを、頸肩腕障害が多く発生していることを、それが仕事からきていることを知っています。それはこの
期間の中でさえ十一名に及ぶキーパンチャーの認定を行いました。さらにそれをもとにして
勤務時間の変更、職場施設の
改善を行っています。二番目に、全
職員の定期検診の中に、先ほど言いました握力、背筋力、その他問診などを入れて病気の発見の項目を入れています。四十年の国勢
調査の中から多数の罹病者が発生していることも認めています。
一般事務の職場に一時間末満に仕事の継続をやめて休息時間、休憩時間を入れています。厳しい条件をつけながらも頸肩腕罹病者の時間内通院を認めています。医務室にはマッサージ師を入れることも予算上要求をしていますし、マッサージ器を入れたりあるいは肩たたきを
一般事務の職場に入れています。
当局は職場に職制を通じて一貫してみずから電子計算機の導入による労務管理、
勤務条件を含めて頸肩腕障害を公務上と認めないために、組合の役員をやっていた、夜学に通っている、家事のやり過ぎだということを宣伝を行ってきました。職場の一部
課長の中には、罹病者を監視をし、罹病者自身の日常の会話をメモをとらせる、あるいは頸肩腕障害の診断書が出ると、それを紹介者を通じて取り消させる……