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参考人(
石坂悦男君)
石坂です。私は、本日の
昭和五十一年度
NHKの
予算審議の
参考とするために、
放送の
あり方あるいは
公共放送という理念にさかのぼって少し
意見を述べてみたいと思います。
御承知のように、
放送の
あり方について考えますときにまず
基本に据えなければならないことは、
放送事業が公共の財産であるあるいは
国民の財産である限られた電波を使って成り立つ事業であるということです。したがって、その
放送がマスメディアの中でも、本来、こういった社会的
性格の最も強いメディアである、こういう点を
中心に据えて、そこから論議を出発させるべきだというふうに考えます。そしてこの点で、
放送がどれほど
国民に開かれているか、
放送にどれほど
国民の声が反映されているかということが、実は、その国の
民主主義の発展の度合いを示す
一つのバロメーターだというふうに言っていいだろうと思います。こういうような観点から、私は、現在、
国民の強い関心の的になっている
NHKの五十一年度の
予算及び
事業計画について、それを単に
財政問題としてのみとらえるものではなく、より根本的に今日進行しているマスメディアの独占集中化、そういう事態の中で
国民を
基盤とした
放送事業、あるいは現在の
NHKがよりそういった
性格を強めていく、それにはどういうふうな方策があるべきなのかというような広い問題としてこの
受信料値上げの問題も位置づけられねばならないというふうに考えております。
そこで、この
機会に、
公共放送としての
NHKにより広範な
国民の声を反映させるにはどうしたらよいか、言いかえますと
国民の知る権利にこたえる
放送、公平な報道を維持し、より多くの
国民の
放送文化に対する要求にこたえる
番組づくりというものの実現を可能ならしめる必要条件について幾つかの観点から述べてみたいと思います。
まず第一に、最初に述べましたように、公共の財産である電波、しかもその使用はすべての人が使用できるというのではなく、特定の限られた人のみが電波を使用するという
放送の特殊性、メディアとしての特殊性が、これはアメリカの
放送行政が始まったときから、その理念として言われている言葉が的確にあらわしていますが、すなわちパブリック・インタレストあるいはパブリック・コンビニエンスあるいはパブリック・ネセシティ、つまり
国民の便宜、利益あるいは必要というものにこたえる、こういった
性格がまず第一に
公共放送、特にまあ
放送といっても、
公共放送として
NHKが
存在し続けるためには、こういった社会的な責任を果たすことが必要であり、そのために最も重要なことは、
放送の自律性あるいは
独立性というものが確保されることがまず第一に必要であるということです。直接的であれ間接的であれ、どういった形態にせよ、
放送が権力やあるいは行政
機関の介入、圧力に左右されることがあっては、言うまでもなく公平な
放送を維持したり、
国民の知る権力にこたえるということはできません。それは
放送が
国民を
基盤にした
放送という、そういった
放送が存立することができないということであります。
こういった観点から考えますと、
放送の自律性ということをどう確保するのかという問題は、単に
放送番組の
内容の自律ということはもちろんのことでありますけれ
ども、それ以外にも、これに影響を及ぼす
放送事業体の組織、人事あるいは財務についても、その
外部からの権力的な介入や干渉が及ばないような、そういった方策が、手だてが考えられなければなりません。そういう中で
財政的な自立性あるいは
財政的安定というものが重要な
性格を持ってくると考えます。
翻って
放送の現状を見てみますと、
放送の自律性、
独立性というのは残念ながらまだ十分に確立されているとは言えない状態にあります。では、
放送の自律性、
独立性というものを確立するにはどうしたらよいのか、そのことについて三点にしぼって話したいと思います。
その
一つは、
放送が、特に
公共放送としての
NHKの自律性、そういうものを考えるときに、第一には、
放送事業の民主的な
運営ということが考えられなくちゃなりません。それはさらにいま指摘した
財政の自立性、安定性及び
放送機関の
内部における
放送の自由といいますか、あるいはそこに働く人々の
言論、
表現の自由を初めとした
基本的な諸権利の
保障というものが
放送事業の民主的な
運営を支えている最低の条件だというふうに考えます。それから第二番目には、
放送への
国民の関与、あるいは
放送に対する
発言権の
拡大、その
制度的な
保障ということが考えられなければならないと思います。それから最後に、第三番目には、
放送制度全般の、特に免許行政を
中心とした
放送行政全体、
制度全体の
民主化、これへの
国民の声の反映ということを確保すること、こういう三つの点がとりわけ必要だろうと思います。
そこで、現在、
NHKが当面している
財政上の問題、
受信料問題というのは、こうした
放送の自律性をどう確保するかという
性格の問題として位置づける必要があるわけですけれ
ども、ここで強調したいことは、
受信料の問題も
放送への
国民の関与がどれくらい
拡大されているか、つまり
国民が
NHKをどれほど
支持しているか、あるいはどれくらい
支持されるための方策を
NHKの側が講じてきたかという点に問題があるだろうと思います。確かに
財政的な危機というものは、
財政的な安定性が
放送の自律性にとって
一つの要件であるというふうに考えられますから、その点では、この
支持を、
国民の
受信料に対する理解を、あるいはそれに対する合意というものをどのようにしてつくってきたかということが問われなくちゃなりません。確かにこういった手だてについては、
放送の
基本問題
調査会というような活動を
中心にして
一定程度なされてきましたけれ
ども、しかし、
受信料の
値上げについて
国民の合意を構成するという観点から見たときに、これだけではまことに十分ではなかったというふうに言えると思います。
結局のところ、こういう
財政的な問題についても、
経営の実態をより詳しく
国民の前に公開して
国民のさまざまな
意見をくみ尽くしながら、
国民の
支持と合意に基づく
財政の自立の確立ということを図ることが問題の解決の方法であろうというふうに考えます。そしてこれを可能にするための
内部的な
努力、事業体自体の
努力というものが
経営の民主的な
運営によって担当されるものであるという点をまず指摘しておきたいと思います。その点で、現行のたとえば
経営委員会の構成あるいはその
運営についてもこれを再検討する必要があるだろう。
放送法の精神にのっとって各階層の代表あるいは地域的な代表というものが十分にそういう形で
国民の声を反映させる、そういう
経営委員会の
あり方というものが再検討されなければならないと思います。
放送の民主的な
運営にとってもう
一つ重要なことは、先ほど指摘した
放送機関の
内部で働く人々の
言論、
表現の自由など
基本的な諸権利の
保障です。これは
番組の
制作に携わる人々が直接的に
放送の自由の担い手として
放送の
機関の
内部で働いているというわけでありますから、
放送活動に対する
外部からのさまざまな介入や干渉を排除する、そういうことが可能になるためには、
放送の
内部に働く人々の諸権利の確立、
保障というものがなくてはなりません。そういう人々の創造性や自主性が確保されなければ、また
国民の声を
放送に多様な形で反映させるということも困難になることは明らかです。
実際
一つの例を挙げますと、昨年公にされた
NHKの労組、日放労の
放送白書においても、こういった
内部的な自由、
制作者の自由という点が、はなはだそれに対する不満が多いという事実を明らかにしています。たとえば
番組制作現場の
意見が軽視されている、あるいは
企画を出してもなかなか取り上げられない、そのうちにもう
企画を出すそういった創意や
意欲というものも喪失してくる、あるいは喪失しがちになっている、こういう実態が
放送白書の中で明らかにされています。これは
放送の自律性というものを
内部的に崩壊させていく重要な契機になるということからも、そしてその結果が
国民の声を
放送に反映させることを困難にするという点で重視しておかなければならないことです。
この点で、こういう問題を解決する
一つの方法として、積極的に
一つの
参考として考えられるのは、ドイツやオーストリヤにおいて、
番組制作者の権利というものを確立するいわば編集綱領とかあるいは編集者規約とか、一種の労働協約というような形で
番組制作者あるいは
放送事業の中で働く人々の、特にジャーナリストの人々を
中心とした権利の
保障を
制度的に確立していく、
一つのそういう労働協約というような形で権利を
保障していく、こういう手だてが
日本でも考えられていいんではないか、そういうことが
一つの
参考として積極的に検討されるべきではないかということが言えます。
そこでは信念に反して、つまり自分の
意見と違う、見解と違うそういった
番組をつくることを
拒否する権利、あるいは信念に反してそういった活動を、
仕事をするそういうことを強制されない権利、あるいは
番組の
制作の全過程にわたって関与する権利、あるいはさらに人事の配転とか職種がえ、そういうものに対するジャーナリストの側での
承認あるいはそれに対する関与という点がいろいろと検討され、その結果が
一つの規約として協会と編集者相互の間で協定されております。これなどをもっと積極的に検討しながら、こういった方向で、いわゆる自主規制のような根を、そういった状態を生み出す根を断っていくということによって
国民の
放送要求を実現していくという手だてを考えるべきだろうと思います。
それから
放送の自律性、
独立性を確保するための第二点に挙げた
放送への
国民の関与、
発言権の
拡大という点であります。この点については、公平の
放送というものを維持する、この手だてが引き続いてより高められていかなければならないというふうに考えます。たとえばその方法として
反論権というものの運用についてより積極的に検討されてしかるべきだろうと思います。「総理と語る」という
番組がありましたが、それに対して公平の
放送という原則に抵触するという
意見が強くなり、「野党党首に聞く」という
番組が出てきたという、そういう
一定の前進はありますけれ
ども、より広範な見解を
放送に反映さしていくという手だてが公平な
放送の問題、
反論権を含めてさらに検討されなくちゃならないと思います。それから昨年の四月から
NHKが
放送への
国民の声を反映させる
番組として
参加番組というものを
放送し始めました。これも現状では非常に
番組の
企画、テーマ、人選等々においてさまざまな制約がありまして、その先例となったBBCの
番組等々に照らしても
参加の自由度がきわめて限定されたものであるという点を重視しなければならないと思います。その点で
参加番組というそういう形態での
国民の声を
放送に反映させる方法がさらに検討されなくちゃならないと思います。
それからもう
一つは、
番組内容への
国民の
意思をどう反映させるかという方法であります。これについては
番組審議会の構成や
運営をさらに
民主化していくということも必要でありましょうし、それからさらにこれもBBCにおいて
番組苦情処理
委員会というものが数年前から設置されております。これも
視聴者会議とかそういった似たようなものも
NHKにあるわけですけれ
ども、よりその
運営というものを
民主化し、より
番組に対する不満への対応、そういう不満を吸収していくという
制度的な
保障というものが考えられてしかるべきだろうと思います。こういう点では、まだ全く
制度的な
保障がないと言っても言い過ぎではない、そういう状態に現在のところはあると思います。そのほか、
番組内容への
国民の
意思の反映については、ローカル
放送を一層充実させる、そして人々の生活に密着したそういう話題や
放送というものを実現していくという手だてがまだ不十分だというふうに言えます。さらにまた
放送において
放送の
あり方自体を問題にするというような
企画等々も積極的に考えられていいと思います。
それから第三番目に挙げた
放送の自律性を確保するための方策として、
放送制度の
民主化について述べてみたいと思います。
これは特に免許行政の
民主化でありますから、特に
NHKに限ったことではありませんで、広く
放送事業を進めていく上での行政の
あり方であります。これは
一つには、
放送活動全般に対する
国民の
意見を
公聴会というような
制度をもっと拡充することによってこういう形で
制度的に
国民の声を
放送に反映させる、そういうことが必要であるということと同時に、
放送行政の主体をできるだけ政府の側あるいは行政主体の側から引き離していくということが考えられてよいと思います。少なくともアメリカのFCC、連邦通信
委員会のような独立行政
委員会の
制度というものが取り入れられることが考えられていいだろうと思うのです。この点については、戦後一時期、電波
管理委員会というような、そういった経験を、あるいは
放送委員会というような経験を歴史上も持っておりますので、こういった点をさらに
放送の自律性、
国民の
参加というものを実現する
制度的な
保障として実現させなくちゃならないと思います。
以上、幾つかの点についてごく簡単に、
国民の
放送に対する関与の
拡大、そういったものについて、それがとりもなおさず
放送の自律性というものを確保していく上で重要だという点を指摘したわけでありますけれ
ども、最後に指摘したいことは、以上のように
国民の声を
放送により広く反映させ、そして
国民の真に
国民を
基盤として
運営される
放送局として
NHKをそういう方向に変えていくためには、当面、最低限の改善策として示したにすぎないわけです。こういった以上の諸点は、いずれも現行の
放送法のもとで
放送法の精神を十分に生かして、これを忠実に
運営するならばすべて実現可能なものばかりであるという点を指摘しておきたいと思います。こういった全般的な
放送の
あり方、
国民を
基盤とした
放送の
あり方というものについての
国民的な論議をもっと広めていく、もっと活発にしていく、そういう中で
財政的な安定化すなわち
受信料の問題というものも検討されなければならないというふうに考えます。まだそのための手だてがきわめて不十分だというふうに考えております。
以上です。