○栗林卓司君 私は、ただいま
議題となりました
租税特別措置法の一部を
改正する
法律案について、また、本件に対し
委員会が一切
質疑を行っていないことに対し、民社党を代表して
反対の
討論を行います。
本件は、衆議院より参考人の
意見聴取を含むすべての
質疑を省略して送付されたものであります。もちろん附帯決議もありません。したがって、本件に対し衆議院
大蔵委員会がどのような意思を持ち、また主張を持っていたかはわれわれにとっても、また多くの
国民にとっても不明であります。同様に、本件の成立に伴って
政府が関連する政策をどのように
実施するのか、また何ができて、何ができないのか。さらに本件の
提案に先立って
政府・
税制調査会が何を検討し、何を考えたのか、これもその詳細は全くわかりません。そして、ただ明白なことは、わけがわからないうちに
国民に対して新しい義務が賦課されたという事実であります。聞くところによれば、衆議院
大蔵委員会は法案の成立後、適当な時期に集中
審議を行い、これをもって本件の
質疑にかえたいとしているようであります。しかし、税法は成立してしまえば後で何を言ってみたところでだめであります。そしてこのことが、租税法定主義という言葉の
中身であるはずであります。しかも、
質疑を法案成立の後に回すなどということは、二カ月以上にわたって本件が付託されていた衆議院
大蔵委員会の
態度として妥当なものではありません。
以上、本件に関する衆議院の
審議は不当かつ不正常なものと言わざるを得ません。この事態に対し衆議院の
審議を補正し、補完する
役割りと責任を負うものが参議院であるはずであります。しかるに、その参議院において
審議の補完に努力するどころか、参議院もまた一切の
質疑を排除して法案の処理を急ごうとしております。これは全く理解に苦しむ
態度であり、参議院の存在
理由をみずから否定するものにほかなりません。
租税特別措置法の一部を
改正する
法律案は、その
効果が四十日間に限られている暫定予算と同じではありません。一度成立すれば、少なくも一年間にわたって
国民の権利義務を拘束するものであります。したがって、これを
質疑なしに成立させることは、予算を例にとれば、本予算を
質疑抜きで成立させることと全く同じであります。これは国会として、また
国民として許容し得ることではありません。このようなことが通用するなら、議会制民主主義は死んだも同然であります。衆議院の
審議を補正し、補完する任務を参議院がみずから放棄するなら、国費を投じて参議院を維持する
理由がどこにありましょうか。今日の不当かつ不正常な事態は単に議会制民主主義の危機であるにとどまらず、参議院の存在
理由そのものが問われていると言わざるを得ません。民社党を代表し強く遺憾の意を表明しておきたいと思います。
第二の
反対の
理由は、今次
税制改正の不徹底であります。現在、
所得税の
減税が多くの
国民の一致した
要求となっていることは言うまでもありません。二年続きの深刻な不況の結果、民間
企業の収益力は著しく低下し、今次賃金交渉は、賃金か雇用かの厳しい選択に迫られようとしております。一方、多数の
勤労者の生活は、引き続く
物価高とローンの返済に追われ、実質生活水準をいかに維持するかが重大な課題となってきております。
このときに当たり、
政府は
所得税の
減税を行い、実質生活水準の維持に寄与するための努力をすべきであります。単に景気対策の観点からのみ
減税を理解すべきではありません。そして、その
減税を可能にするためにも、
政府は行
財政の改革に取り組まなければなりません。
租税特別措置の
整理合理化を徹底しなければなりません。
現状では不十分であります。また社会的不公正感を高める大きな原因である
交際費課税についても強化すべきであります。そこで問題とすべきものは、個個の支出行為の妥当性であって、枠の問題ではありません。ゴルフや飲み食いの接待が果たして
損金性を持ち得るか否かを厳格に検討すべきであります。寄付金についても同様のことが言えるでありましょう。これに対し、今回の
提案は、依然としてある枠までは何に使っても非
課税という発想であり、
税収面から見た強化の
内容は、わずかに百五十億であります。羊頭狗肉の
改正案と言わざるを得ません。
他方政府は、今日大衆
課税の性格を持つに至った
自動車関係諸税をさらに増徴しようとしております。該当する納税者は三千万人に近いでありましょう。これは
所得税の納税人員にも匹敵する数なのではありませんか。
政府・
税制調査会は、この
増税案の検討に当たって、問題点の筆頭に
担税力の有無を指摘しております。しかるに答申では、問題を指摘するだけで、その
実態の解明も、見解の表明も回避しております。怠慢至極と言わざるを得ません。
今回の
増税は、従来からもそうであったように、一台二、三十万円で買うことのできる中古車にも同様に
適用されるのであります。その中古車の七四%が
勤労者世帯であり、五五%が
年収二百万円未満の
所得層であります。ある人は、定年後再就職した仕事が夜勤であるために中古車を買いました。またある人は、朝早い出勤のために車を買いました。またある人は、通勤時間が一日で一時間四十分も短縮されるので車を買いました。そのいずれも必要とする時間にバスが動いていないからであります。また
地方では自家用車を抜きにして地域の交通は存在しません。また過疎地では自家用車の相乗りが一般化するなど、自家用車の公共的利用が広がりつつあります。しかも楽な家計で車を買っているわけではありません。そのために内職を始めたという例は決して少なくないのであります。
この人たちに向かって住宅政策、都市政策の充実を訴えることは容易であります。公共輸送機関の整備、職住接近、医療機関の拡充を公約するのも簡単であります。しかし、幾ら待っても政策が
実現しないから、仕方なしに
自動車を買って自活しているのが
実態ではありませんか。それなのに、どこを押せば不況期でも
増税してよいという理屈が生まれてくるのでありましょうか。
また
自動車ほど、使用過程に至るまで厳格に管理されている物品はありません。言いかえれば、至って税金がかけやすい品物であります。その結果生まれた税金の種類は、物品税、
自動車取得税、
自動車重量税、
自動車税、軽
自動車税、石油ガス税、軽油引取税、
地方道路税、そして
揮発油税と、並べ立てるのも苦痛なほどの税目であります。その整理の必要性を
政府が認めてからすでに数年が経過しておりますが、一体いつまでに整理する予定でありますか。
以上を通じての最大の問題は、
自動車の使用
実態、利用者の
実情、
担税力の有無などについて
政府が従来から関心が薄く、検討し得る資料を何ら用意していないことであります。またこの点について
政府にも、
税制調査会にも怠慢の自覚がほとんどないことであります。
税は
国民が
負担するものであります。
公共料金もまた
国民が
負担するものであります。そしてその
負担に耐え得るか否かを総合的に、かつ個々具体的に検討するのが、民主国家における
政府の当然の義務なのではありませんか。しかし今回の
改正案は、その努力を十分にしたものとは決して考えられません。
質疑抜きの
委員会審議とあわせて、日本の民主主義はいまや重大な局面を迎えていると言わざるを得ません。
以上をもって、
反対の
討論を終わります。