○
参考人(
村上處直君) ただいま御紹介にあずかりました
村上でございます。
私のテーマは、
都市計画サイドから見た
地震対策と申しますか、いままでの諸先生方のお話とかなり種類が違った話ではないかと思います。特に大
都市の
地震問題を
中心に考えていきたいと思います。私の事務所の名前でございますけれ
ども、防災
都市計画という名前を使っておりますけれ
ども、これの
一つの意味と申しますのは、やはり
災害現象を鏡にしながら
都市計画を考えていこう、そういうことを
一つ考えております。
災害というのは、人間社会が人間のそれぞれの約束事でいろいろなことを決めておりますけれ
ども、一たん
災害が起こりますとそういう約束事というのはほとんど関係なくある空間を占有してしまいます。そういう意味の中の最も最大の
災害が
地震ではなかろうかと考える。日本における
地震対策のきっかけといいますか、初期のころの動きと申しますものは、明治二十四年の濃尾
地震の後、震災予防
調査会というのがつくられて、そのときに、濃尾
地震というのは、はっきり申しまして、今日言います
都市災害的な様相というのをかなり示して、その当時の記事によりますと、とにかく文明開花がかなり進んでくるとどうも人間社会というのは
地震に対して弱くなって、思わぬ
災害が起こってくるじゃないか、そういうことを考えているわけです。そのことから、
災害から学ぶために震災予防
調査会というのがつくられたわけです。幸か不幸か、その後関東大震災まで大きな
地震というのが余りございませんのでまあ
都市災害と申しますか、そういう
災害起こっておりませんけれ
ども、関東大震災はきわめつきの
災害が起こったわけです。で、はっきり申しまして、私がいまこういう
地震問題についてこういう形で述べておりますけれ
ども、大正十年ごろのいろんな雑誌とか何かを見ますと、やはりその当時でもそろそろ
地震が来るんじゃないかと、まあ来るとしたらどんなことがあるんだと、
対策としてはどうしなければいけないんだと、そういうことは先達がほとんど正確に述べております。で、それと同じような
状況か、それともまだ
地震の危険というのは先にあるのか知りませんけれ
ども、一番最初に、
都市の
地震問題を考えるときに一番重要なことは、
都市にとって
地震は何かということじゃないかと思うのです。それは、いままで世の中で
地震といいますと、非常に
地震を自然科学的に
研究する、そういう
研究の部門というのは相当に進んでおりますけれ
ども、はっきり申しまして、
都市の
地震と申しますものは、原因が
都市の側にあって
被害が大きくなるわけです。さっき言いました、
生越先生が
説明されたような引き金説がございますけれ
ども、
地震は
一つの引き金でしがなくて、その後やっぱり
都市災害と言えるような
災害が展開してまいるわけです。そうしますと、やはり現実に起こってくるその
地震災害というのを
都市としてとらえたときには、単に物的な
被害というようなことで
被害を見ることはできないわけです。
最近、中南米とか、
大分あちらこちらで
地震ございますけれ
ども、そういう地方の
地震が起こりましたときに日本の社会の大抵の考え方というのは、ああいう地方は、何と申しますか
建物が耐震的でない。少なくとも日本に比べてはずっと耐震的でないし、ああいうどろを積み重ねてつくったような家はつぶれるんだと、だから壊れるのはあたりまえであると、そのために学ぶことは余りないのだから行ってもしようがないというような感じがございますけれ
ども、もし
都市社会といいますか、人間社会が
地震というものによってあるひずみを受けて、その中で死んだり、生きたり、助かったり、けがしたり、いろいろしますけれ
ども、その後どういうふうな形で
都市の社会、人間社会が回復していくかというプロセスは大いに学ぶべきことがあると思います。そういう意味で、今日たとえば日本で
地震対策とか、そういう
災害対策をお立てになる側の方は、やはり社会
災害と申しますか、人間の世界がそういう
地震によってひずみを受けて、そういうひずみからどういうふうに回復していくか、そういうことをやはり根本的に学ばない限り、
都市の
震災対策というものは本来的にできないと思います。で、やっぱりそういう人間の社会を支えるものというものは、はっきり申しまして構造物でございますから、やはり構造物が
地震に対して安全であるべきだというのは非常に
基本問題でございますけれ
ども、今日たとえば日本で一番恐れられております
地震による
災害はやはり火災でございまして、火災はたとえ
地震による
被害がそれほど大きくなくても、やはり大きな
被害をわれわれの社会に与えてしまいます。そのことは、関東大震災のときにもやはりいろんな雑誌が後から出たり、いろんな先達がいろんなことを書かれたりしているのを読んでおりますと、
地震は大したことはなかった。本当に大したことなかった。特に東京なんかでありますと、百軒のうち一軒か二軒ぐらいしか壊れてないわけですから、そんな大したことないわけです。その後に
発生いたしました火災、これは
地震を引き金にして起こりましたけれ
ども、その火災によってあれだけ十万近い死者を出すような
被害に発展していくわけです。今日の社会を見ますと、大正十二年のときの関東大震災当時と比べまして明らかにいろんな意味で危険な
要因をわれわれは抱えているわけです。
それで
地震対策が非常にむずかしい問題でございますのは、はっきり申しまして、
都市が成長してまいります。関東大震災の東京というのはどれだけの広さであったか、皆さん御存じだと思いますけれ
ども、とにかく錦糸町あたりから向こうはまだたんぼの中に工場がぽつぽつできていて、ほとんどまだ家はそろってない。それからこちらに参りますと四谷三丁目からこっちは畑の中に屋敷があったりして、まあ宿場町もございますけれ
ども、それほど市街化してない。そういう
状況の中で
地震がまいりまして火事が起こって、それでもなおかつあれだけの死者が出ておるわけです。ということは、当時は少なくとも二キロぐらい歩けばたんぼに出るとか畑に出るとか、そういう
地震の火災から安全な空地というのをわれわれの社会は持っておったわけですけれ
ども、それでもそれだけの
被害が出ておるわけです。ところが、今日そういうような空地を
都市の中に探そうと思いますと、ほとんど探せない。
都市の
地震対策をやるためにはどうしてもそういうものが必要である。今日の
地震対策の流れというのは、そういう
都市大火があってもどうも逃げる
場所がないじゃないか、だから
避難地をつくらなきゃいけない、
避難場所を決めなきゃいけない、そういう形になっております。これははっきり申しまして、どちらかと言えば負け戦の
地震対策でございまして、関東大震災のときにその程度の市街地の広がりであったにかかわらず、あれだけの方が亡くなっている。今日、対震的でかなり不燃化されたと
道路なんかを走っておりますと思いますけれ
ども、一たんヘリコプターなんかで空からごらんになればおわかりのように、
都市のどんどん薪の山というのが
拡大しております。そうすると、もはや十数キロ逃げない限り本当の意味で安全なところに行けない、そんなことになってきました。
それで、日本の
都市が危険じゃないかというような話が出てまいりまして、問題が提起されたのは
昭和三十五年ごろだったと思います。それは、日本というのは、関東大震災、それから戦災という
二つで関東地方——東京、横浜、みんなまる焼けになってしまったわけですけれ
ども、気がついてみますとまた木造の密集市街地が広がってまいりまして、どうするんだ、そういうことから
地震に対する問題提起がなされました。そのとき
地震によって起こる火事がどれだけの
被害を与えるかというようなことで提案がなされたわけですけれ
ども、その後はっきり申しまして
地震対策の本来の筋は一向に進まず、
避難地を決めるとかそういう、何といいますか、設備的と申しますか、応急
対策と申しますか、そういうことについての知恵はある程度できてまいりましたけれ
ども、それから十何年たって、十八年ぐらいたって今日見ますと、その当時少なくとも危険ではなかった、まだ安全であったところがすでに今日では危険になっているわけです。
地震対策を考えるときに一番むずかしいのは、そういう
都市が成長していくプロセスの中に危険化の
要因があるということだと思います。このことは、先ほどどなたかが、やはりそういう
桜島の
噴火と人間社会、人間の生命の寿命のサイクルの合わないことが
対策をむずかしくされているというようなことがございましたけれ
ども、やっぱりはっきり申して
地震というのは、人間のそういう寿命と、大きな
地震に人間が遭遇するチャンスというのはやはりある意味では合っていないわけで、そういう意味で非常に
対策が立てにくいわけです。公害
対策などでありますと、日々騒音に悩まされるとか悪臭に悩まされるとか、いろんな日常的に起こってまいりますので、そういう
現象に対してはわりあい人間というのは
対策を立てやすいわけでございますけれ
ども、思わぬとき、まあ六十年に一遍とか百年に一遍、そういう形のときに起こるような
災害に対してはわれわれ非常に弱いわけです。
そういういわゆるきっかけだけを見る限り、百年に一遍起こるんだからこんな町づくりでもいいやということもあるかもわかりませんけれ
ども、はっきり申しまして今日の
都市社会は危険を日々ふやしていっているわけです。さっき
生越先生の話の中にありましたけれ
ども、適正注入量というのが出てまいりましたけれ
ども、やっぱり
都市においても適正人口とか、適正何とかとか、いろいろあるはずでございます。そういうことの閾を越えて
都市がどんどんどんどん広がっていったり、いろんな危険物を抱えたり、そういう中で
地震対策を考えるわけでありますから、これは非常にむずかしい問題だと思います。
私がきょう与えられました問題は、
都市計画のサイドからということで
地震対策考えてみろということでございますけれ
ども、
都市計画ということになりますと、どちらかといえば、
地震の
対策のうち予防
対策的なことが
一つの柱ではなかろうかと思います。私はこういう仕事をやり始めましたきっかけというのは新潟
地震でございまして、その新潟
地震によって近代
都市が大きな
災害を受けてしまった。その後やっぱり
地震と
都市社会の関係ということについて深く考えなきゃいけない。そのときの河野建設大臣が軟弱地盤の上に
都市がずいぶんあるみたいだから、その
都市のことを考えようということで考え始めたわけですけれ
ども、そのために皆さんも御存じなように、たとえば東京では江東
地区の防災拠点構想とか、そういうことをやっております。ところが、よくよく考えてまいりますと、これは最近、前から考えていたんですけれ
ども、よく考えてまいりますと、地盤が悪いことと人間社会がその悪い地盤の上に乗ることの本質的な議論というのがいつの間にかなくなってしまって、地盤の悪いところにできている
都市の
対策ということになっているわけです。そのことは非常に重要な問題で、先ほど九州の
大分のお話が出て、四百ガルぐらいの力、加速度が加わったというお話がございましたけれ
ども、やっぱり東京のような広大な
都市の中で地盤の性状というのはいろいろ起伏がございます。いいところ、悪いところたくさんございます。そういう中に基盤面に同じような
地震が入りましても、上の方で受ける
地震動といいますか、そういう地盤の揺れる大きさというのは相当変わってまいります。そうすると、やっぱり悪いところは、はっきり申しまして相当にきつい加速度を受けなければならない
状況が起こると思います。そういう地盤のよしあしと上の構造物の関係というのは本当は新潟
地震は提起していたのではなかろうかと考えるわけですけれ
ども、それを東京の
地震対策に持ち込んだときに、地盤の問題でいうのはそれほどその当時十分な検討がなされてなくて、学者、
研究者の間では相当議論はされていたようでございますけれ
ども、まだ社会的にそれの問題を取り上げるほどじゃなくて、東京の
地震、火災の
対策というようなことで江東防災なんかが進んでいったんじゃなかろうかと考えております。これは
一つには大切なことで、そういう形の
一つの建設行為というのが起こったことも大事なことでございますけれ
ども、よくよく考えますと、その後気づいてみると、そこにせっかく
避難地としてそういうものをつくろうというような努力をしながら、一方では
都市がどんどんどんどんまた危険化を増している。その辺の
都市の成長と申しますか、時間軸で考えた中でどういうふうに考えるかということをやっぱり
都市計画サイドははっきり考えなきゃいけない。さっきの大正十年ごろの雑誌にも書いてございますけれ
ども、はっきり申しまして
都市でこれだけ過密に住んで
地震に対して安全にするためには少なくとも不燃化の道を歩まなければならないはずでございます。ところが、日本はその不燃化のチャンスというのをいつも逃しているわけです。それは現実にはある程度不燃化ができて相当できておりますけれ
ども、はっきり申しまして
都市大火から見て役に立つような形での不燃化の路線というのは今日でもまずないと思います。
これから先必要なことはやはり
都市を、そういう
地震災害ということをすなおに学んで、それからどうあるべきかということを考えたら、どことどこをどういうふうに不燃化しなきゃいけない。そうすると、それをどうやって不燃化すればいいかということを真剣に考えない限り、やはりこれから先起こる関東地方の
地震、日本のどこででも
都市がある程度過密化したところで大きな
地震が起これば、そういう問題が起こると思いますけれ
ども、そういう問題の解決にならないと思います。はっきり申しまして
都市の住まいと申しますか、
都市に住むための住まいというのをわれわれは持ってないんじゃないか、そんな気がいたします。
それでもう
一つ、そういう
都市が成長するということも
一つ大事でございますけれ
ども、もう
一つ大切なことは、いままでの
地震対策というのは
都市大火にこだわっていたと言えばおかしいんですけれ
ども、さっき一番最初に申しましたように、人間社会が
地震によってひずみを受けて流れていく、
生活していくわけですけど、そういう
地震が起こった後のいろんな時間軸の流れというのも非常に重要な問題ではなかろうかと思います。そういう時間軸の中で問題をいろいろ考えておりますと、やはり平常時に使っていますわれわれの
都市施設というものがいろんな意味で破壊されたり、いろんなことになって、そういうひずんでしまった
都市空間を異常時に活用して、われわれはまた
都市社会、人間社会を回復していかなければならないわけですけれ
ども、その辺の問題というのは火災問題だけにこだわっておりますとなかなか解決がつかない。どちらかと言えば人間社会のあり方と申しますか、そういうことをかなり考えていかなきゃいけない。
震災対策の
都市計画サイドから見ての一番の大切な点と申しますのは、
災害問題というのは、最初に言いましたように、いろんな空間領域、
施設領域を崩落して起こってくるような
現象でございますので、いろんな
施設間が、やはりお互いが助け合うような形というのが必要であるわけです。そうしますと、実際に
地震時に、あるものが有効になるためには相当平常時からお互いが協力するような体制の中で協調性を持った総合体制を持たない限り
地震対策はできない。そういう意味で、はっきり申しまして、予防的な意味での
災害対策を立てようといたしますと、相当にそういう意味の
基本的な問題あらゆる政策の基礎として
地震対策というものが必要ではないか。
災害対策というのは
基本的にそういうあらゆる政策の基礎に置かれて、そういういろんな政策の総合性を上げるために、それは国レベル、自治体レベル、
個人レベル、すべて含めてですけれ
ども、やはり提案すべき問題を持っていると思います。やっぱり人間社会にとって安全というのは
基本問題でございまして、先ほど
桜島のときに人命だけはというお話がございましたけれ
ども、これは非常に重要なことで、私は中南米で
地震が起こったときに現地に飛びますけれ
ども、はっきり申しまして人間が死んでしまう、死んでしまうという死んだ側の人というのは、どちらかといえばもうボデーになってしまって余り関係ございませんけれ
ども、ある人が死んだときに、その人が社会的な影響力が大きければ大きいほどやはり社会の悲しみは大きいわけです。そういう意味で、やっぱりいろんな現地で
地震が起こったときに、その社会が持っている世界とのかかわりと申しますか、もうちょっと広い意味での社会とのかかわりと申しますか、そういうことが大きければ大きいほど人間社会というのは非常に大変な
被害というか、悲惨な
状況に陥っていくわけです。やはり
都市社会で一番重要なことは、そういう何といいますか、残された人間の回復する気力をどういうふうにしてあと持つかというようなことを考えますと、やはり人命だけ失わないということは非常に大事で、物が壊れたという場合に対しては人間はかなりあきらめがつくと申しますか、これだけ大変なことになったのに自分たちだけは助かったというようなことで非常にあきらめを持っています。
で、つい最近、ことしの二月四日にございましたグアテマラの
地震の現地に行ったときも、現地の人たちとお話しいたしましたけれ
ども、家族がとにかくけがぐらいで済んだ、だれも亡くなっていない家族の方と、やはり奥さんも子供もみんな亡くなったような家族の方とお話ししているときに感じるんですけれ
ども、やはり残された人間がいかに大変かということを考えるわけです。結局残された人間が、
地震の後どれだけの形で、どういう
生活をして回復するかというのは、その
地震の程度、
被害の程度に大きく関係するわけでございますけれ
ども、はっきり申しまして、今日、
地震被害に対する
予測ということは科学的なデータではできませんけれ
ども、少なくともわれわれは小さく小さく考える癖を持っております。それはなぜかと申しますと、はっきり言って、
地震災害を社会
災害的にとらえようとか
災害から学ぶというようなことじゃなくて、われわれがいままで
災害をどういうふうに生かしてきたかというと、やはりその
災害から物をつくるためのいろんな情報が欲しいというようなことで
災害から学んでおります。そういう観点から
災害に学んでおりますので、何かいろいろ人間がやっておりますことを、それが悪く展開していくような場合の想定というのは非常にむずかしいわけです。日本の社会は特にその辺がむずかしいようでございまして、幸運にも、ある
災害が一次
災害、二次
災害というような展開があるとしたときに、次々と展開していかなくてうまくおさまったような場合は、その先の
災害のことを
基本的に考えないわけです。はっきり言って、日本で
災害とか事故が起こったときに
調査がなされますけれ
ども、
災害調査がなされたことは一遍もないと言っていいと思います。事故原因
調査とか、そういうことはやられておりますけれ
ども、
災害の
調査とは何かと申しますと、やはりこれは一大実験でございますから、その一大実験を人間社会に生かそうとすると、とことんまで現実に起こりました
災害を学んでいく必要というのがあるわけです。そういうための動きというのは非常に弱いんじゃないか。はっきり申しまして、いろんな実験を繰り返すよりも現場から学び取ることというのは非常にたくさんございます。そういう意味で、私がいままでやってまいりましたことは、
都市計画の中で
災害問題を生かそうということでございますけれ
ども、そういう
災害調査がないということで、現実の
災害を見ると
災害から学ぶということをかなりやってまいったわけでございます。
で、
災害調査の
必要性で、とにかく一番私が元気づけられたと申しますか、ショックを受けたと申しますのは、一九七一年のロサンゼルス
地震のときに、現地に亡くなった河角先生にお供しまして行ったときに、現地には、一九三三年のロングビーチ
地震のときに、たとえば
学校建築の安全性に関する
委員会といいますか、そういうコミッティーがつくられて、その下に
技術集団が張りついていたわけですけれ
ども、それがいまでも継続しているわけです。日本の場合だと、
災害原因を
調査して、終わってしまうと終わるわけでございますけれ
ども、その
災害をいかに社会に生かすかということを考えますと、やはり非常に粘り強いそういう
研究と申しますか、
調査と申しますか、それからその後の、自後の手当てというものが必要でございます。今日でもそういう
学校安全のためのグループというのがあって、そこでいろんな設計が上がってきたのをかなりチェックしていろんなアドバイスをしている。これは三十何年たってもまだやっておるわけですから、そういう意味で非常にショックを受けたわけです。そういうことが日本にはないということ。ぜひこれから先、やっぱり起こってくる
災害を人間社会——社会に還元するためにはそういう
災害の
調査のための
研究機関とか
研究体制の充実というのはどうしても必要で、それは相当しつこく恒常的に
研究していかない限り、なかなかむずかしい問題を持っているんじゃなかろうかと思っております。
それからもう
一つ、イギリスの例でございますけれ
ども、イギリスではパブリック・インクワイアリーというような制度が十数年前からできて、それはある程度大きな
規模の
災害が起こったときには、とにかく国を挙げてその
災害の
調査をやろうというような動きでございます。で、その中で、はっきり申しまして、その起こっている
災害現象からどれだけ人間社会が学び取るかというようなことを非常に真剣に考えていっているわけです。
日本の場合、どちらかと申しますと、何かやってしまって終わってしまうわけですけれ
ども、本来大切なことは、継続的にそういうことを続けることと、それに張りつく
研究者がやはり長くそれをやっていてもやりがいがあるような形の
形態を整えない限り、その日暮らしと言ってはおかしいですけれ
ども、やはりどうしても起こったとき起こったときにしか問題を提起できないような感じになってくるんじゃないかと思います。やっぱりそういう意味で、日本の社会が
地震災害をいかに社会化するかというのが一番大切な問題で、関東大震災のときに東大の
地震研究所というのがつくられて、初期のころはその震災予防
調査会の
一つの動きというのをかなり踏んでいたわけですけれ
ども、なかなかそういう動きがうまく構築されていかない。それは人間社会が
一つはだんだん
災害を忘れていくという特性を持っているわけで、その辺が非常にむずかしい問題でございますけれ
ども、これから先、日本の
震災対策とか
災害対策を考えるときにぜひ必要ではなかろうかと思うわけです。
それから
地震対策には
都市計画サイドから——
都市計画というのをどういうふうに定義したらいいかというのは非常にむずかしいと思うんですけれ
ども、非常にソフトなこと、ハードなこと、すべて含まれておりまして、やっぱりただ物的に何かを用意いたしましても、それを使える人間がいるかいないか、いろんな意味でむずかしい問題がある。たとえば今日の
都市なんかを見ますと、
河川なんかはだんだん、ちょっととした小さな
河川はどぶ川みたいになってしまって、それが暗渠化されていくような形で下水道みたいになりますけれ
ども、関東大震災のときに助かった神田の和泉町とか何かを見ますと、やはり裏にちょっとした川が流れていて、その川の水をちゃんとだれでも利用できるような形の水がそろっていたということとか、それから、たまたま風向がうまく変わってくれたとか、いろんな条件が重なってそういうことが成り立っているわけですけれ
ども、
地震対策を考えるときに一番大事なのは、やはり最後は、人間が手を尽くして
地震災害と戦えるような
都市社会をつくらない限り本当はだめだと思うんです。で、いまの
地震対策が一番欠陥を持っておりますのは、やっぱり
避難対策と申しますか、逃げの
対策と申しますか、完全に追われて逃げる話だけに終わっております。その逃げる話を全ういたしますためにも、やはり
地震災害に対して戦うような、攻め側に回るような装置というのを
都市が十分に自然の
状況も生かして持ち込まなきゃいけないという感じがいたします。
これから先、やはり
地震対策として非常に重要なことは、
一つ一つの
施設として見ると、
都市耐火というようなことから考えると、余り強くないかもしれないけれ
ども、まあそれが、人間がうまく
活動できるようなことと一緒に考えると、非常にうまくいくというようなものをやっぱり
都市の中にそろえていって攻め側の
地震対策をやる必要があると思うわけです。はっきり申しまして、私、江東の再開発を担当したり、その後防災遮断帯と申しますか、ああいう危険なコンビナートとの間にああいう空地を設けなきゃいけないというような仕事に携わったり、いろいろやってまいりましたけれ
ども、はっきり申しまして、
都市が成長するということの中に危険ということの
要因があるとすると、そういう危険に成長していく
都市をそのままにして何か設備的な物をほうり込んでいくことのむずかしさというのをつくづく感じるわけです。ですから、そういうどうしても危険だから何かそういう設備的な物を入れなきゃいけない
地区が
一つはございますけれ
ども、もう
一つは、やっぱり日常的な
都市開発の中でやはり
都市が安全になっていくような仕組みというのを持ち込んでいきたい。それから、今日はまだ空地がたくさんあって危険じゃないんだけれ
ども、地盤が悪くて、ほっておくとだんだん建て売りとかなんかで埋まっていってしまって危険になるようなところをどういうふうに考えるか、そんなことも非常に重要じゃないかと思うわけです。それで、ですから、
地震対策を考えますと、町の中にございます
道路とか、それからいろんな橋とか、それから
建物とか、あらゆる物が総がらみでやはり
地震対策を支えていく
一つ一つの財産であるというふうに考えなければならない、そういう
都市構築全体の問題として
都市の
地震対策を考えていく必要があると思うのです。とはいっても、はっきり申しまして、これだけ危険になってしまった中で何ができるかということがございますけれ
ども、過去の不燃化のいろんな流れを見ておりますと、どうも運用とか何かがまずかったために、せっかくいい制度が途中で立ち消えになっていくようなことがございますけれ
ども、過去にやはり本当にそういう
地震災害とか火災とかを考えて先達が考えられたような法制度をもう一遍今日の社会に適合するように考え直して生かしていくようなことというのがどうも必要じゃないか、そんな気がいたします。
それから、いろんな
施設が絡む問題の中で一番問題となりますのは、たとえば
避難地をつくって、
避難路をつくろうと、そういうことを考えた場合に、その
避難路をつくろうとしているところが、現実には木造の
建物で狭い
道路であるような場合に、たまたまそこが
都市計画決定なんか
道路の設定がされておりますと、不燃化するということと
道路ということが
二つ絡まりまして、なかなか不燃化の筋に乗らないわけです。で、そうこうすると、その地元の方の人たちの考えですと、われわれがいろんな
地震の危険について申しますと、とにかく不燃化したいのだ、だけど
道路がここへ決まっているのでどうしようもないと、そういう問題が出てまいります。そうするとはっきり申しまして、
道路と
都市社会とはどういう関係にあるのだというようなこともやはり根源から考えていかなきゃいけないし、そういう意味で
地震対策から見ると、
既存のいろいろ行われております
都市計画のいろんな財産と申しますか、われわれがいままで構築してきたいろんなそれぞれの物を
地域の住民のいろんな動きと考え方と重ね合わせていろいろ評価するようなことというのをやっていかない限りむずかしいのじゃないか。まあ
道路は決まっているけどなかなか
道路はできない、だけど建て直したいのだけれ
ども、
道路があるために
道路の方がうまくいかないとこっちもうまくできない、その辺が非常にむずかしい問題だ。これは大正八年に
都市計画法ができたときの担当者だった芳川さんという方が、
都市計画を考える中で一番大事なのは、やっぱり家屋の不燃化というのが家屋の規制の問題だということがあるけれ
ども、それに対してかなり
意見を述べていらっしゃる方がいるけれ
ども、とにかく今回は
道路とか
河川、橋梁にとどまってしまった、それは非常に残念なことだけれ
ども、おのずとそういうふうな
都市の基幹的な
施設ができ上がれば、まあ家屋もちゃんとした
都市の家屋になるんだろうというような何とも言えないような文章がございますけれ
ども、その辺の感覚とその後の日本の
都市計画の歩みというのは非常に一致しておりまして、やっぱり
都市の
地震対策というのを考えますと、やっぱりもう一度、その辺で議論された問題をもう一遍
繰り返して、
都市の中の日々の開発行為の中に、やっぱり
地震対策、
防災対策をどういうふうに盛り込んでいくかという議論を含めていく必要があると思うわけです。
ですから、
道路の問題とか家屋、特に大切なのは
個人個人の家屋が不燃化しない限りむずかしいわけですけれ
ども、今日われわれが持っております
都市を不燃化する財産というのは、いわゆる家屋を不燃化するということについてはそれほど十分ではなくて、どちらかと取えば駅前の再開発とか、それから限られたところ、経済的な力のあるところだけの不燃化にとどまって、先ほど申しましたように、空から見ますと、一枚裏はもう木造の薪の住宅である、そんな
状況になっておるわけです。木造が——まあ確かに不燃建築物もふえておりますけれ
ども、はっきり申しまして東京でも毎年どんどん木造建築も建てられております。特に外周部、練馬とか杉並とかあのあたりの木造建築のスピードは大変なものでございまして、そういう意味で昨年ですか東京消防庁のレポートでも見られましたように、ドーナツ的に危険だというようなことが出てまいりました。で、そういうふうな形で
都市が形成されていく
一つの動きに対して、
都市の
基本的な問題から、やはり
震災対策をベースに置いてこれから先どう考えるか。そうすると、すでに危険になっているところ、それからだんだんほうって置くと危険になってしまうかもしれない、目詰まりになってだんだん危険になっていくようなところと、それからまだほとんどいまは人間は立地していないけれど、これから先もしそういう悪いところに立地したとしたら、いろいろな問題を持ってくる問題などはどういうふうに考えるかということが非常に重要だと思うのです。
いま、ある
地域の地盤と人間の集落の関係とか、それから
建物の関係の
調査をちょっとしていますけれ
ども、はっきり申しまして、たとえばある
一つの
道路がすっとできる、それからある
一つの鉄道がすっとできる。そうすると地盤のよしあしと関係なくやっぱり人間の住まいが張りついてまいります。公共投資サイドから、やはりいろいろな問題をやるときに、どちらの方に戦略的に
都市を広げていくかというときに、やはり地盤の問題というのは根源的に大事な問題だということをもう一度見直していく必要もあるのではなかろうかと考えます。それから、
都市計画サイドから、これはロサンゼルスの
地震のときも指摘されましたけれ
ども、いざというときに非常に重要な
施設が
地震で壊されてしまって、たとえばロサンゼルスのオリーブビュー病院の救急自動車の車庫がつぶれてしまって救急自動車が出られないとか、そんなことが起こるわけですけれ
ども、やはり
地震問題を考えますと、
都市の中の
施設というのは、地盤条件と
建物ということもございますけれ
ども、
施設の使われ方とか、異常時にその
施設をどういうふうに活用するかということを含めて考えますと、やはり大切な
建物には、重要な
建物にはある強さを持って十分に、いざというときに活躍してもらわなければいけない、そういう
状況があると思います。その辺の問題をどういうふうに考えていくかというのが非常に大事な問題だと思います。
私は、きょうは提案というようなことは余り持っておりませんけれ
ども、とにかくできるだけ
都市の中にあいた空間をつくりたいというのが私の望みでございます。ところが、今日いろいろ、たとえば空地があいてまいりますとどうしてもある目的的な利用
計画がない限り、その
施設をなかなか公共サイドで保有することは困難でございますけれ
ども、はっきり申しまして、
都市の
地震対策を考えますと、無目的でもいいから空地を買えるような何か起債と申しますか、そういうものが地元にできてくるようなことというのは非常に大事じゃないか、それが結果的には
都市のいろんな再開発の、いわゆる転がし方式とか何かそういうものを含めて、
都市が不燃化の一歩を歩む
一つの大事な起点ではなかろうかと考えておるわけです。
それから、これは関東大震災の後に実際の
地震の体験を持たれた東京市の
技術者の方が、とにかく
都市の全面不燃化はできない、とにかく
学校だけは不燃化して耐震的にしようということで、東京の古い小
学校なんかはかなり丈夫に耐震化されて、
学校を耐震化するだけでなくて、そばに公園を持ってくるとか、それからよく調べますとそばに病院があるとか、いろんな意味でそういう
施設がお互いに寄り添って競合的に存在しているわけです。これは、今日の日常的な行政のいろんな縦割りの中から見ますと、まあ
学校と公園と病院とかいうのは全然別の行政でございますので、何ゆえに一緒になっているかということがわからないために、ある病院が手狭になって郊外に出ていくとその後が駐車場になると、そういうふうに変わってまいります。だけれ
ども、はっきり申しまして、
都市の
地震対策、
防災対策とか大
規模な
地震被害に対して
都市を強くしようというようなことを考えますと、やはり
都市の中にあるいろんな
施設がやっぱりそういうふうにお互いに協力して、ある強さを発揮できるようにしなければならない。はっきり申しますと、たとえば
学校をどういうふうにいざというときの
地震対策の核にできるんだ。まあそういうテーマがもしあったとしたら、
学校だけで足りないときにはどうするんだと、いろんな問題があるわけです。そういうあたりで
地震というような
災害を鏡にしてまいりますと、日常の、ふだんの行政ではそれほどお互いに話し合いをすることが必要でない問題もやっぱり一遍俎上に上げて考えていかなきゃいけないという問題が起こると思います。やっぱり
地震対策というと設備的に何か
都市大火に対して強いものをつくるんだということだけじゃなくて、やはりそういう意味でいろいろお互いに考え合っていこうということとか、それから現実にそういう困難な問題を解決する中で、新しい
都市のあり方に対する
一つのいい提案が出てくる、そういう意味でいろいろな
事業というのはやっていくべきじゃないか。で、いま大変に……。まあ時間が参りましたので、あと少しでやめますけれ
ども、とにかく大切なことはいますぐに的確な
地震対策というのができるかできないか、むずかしい問題でございますけれ
ども、現実に普通の行政から考えると、まあ絡まった問題という非常にむずかしい問題を含んでおりますけれ
ども、その絡まったむずかしい問題を一遍
地震という場にのっけてみんなで議論して、その中から
一つでも
二つでも何か解決の道を見つけようというような動きをやはり
都市計画の中でもつくっていっていただきたいというのが一番大切な問題ではなかろうかと思います。
時間が参りましたので……。