○中西
一郎君
選挙制度審議会の中ででもそういう議論をすることは可能であるというふうに伺いましたが、テクニカルに、何といいますか、
選挙制度だけやるんでなしに、その前提を置いて議論してもらうということもぜひどこかでやらなければいかぬし、
政府でもしできるならばそういうことも取りかかっていただければ幸いである、また恐らくこれはなかなかむずかしいことですけれ
ども、
議員としてもそういう勉強をする
ような段取りになれば大変幸せなことでないか、か
ように思うんです。いささか議院
制度が混迷に陥っておる、で、これはやはりもとへ返っての整理をすべきではないか、これは私の所見でございます。
それから次は、言い残しておりますんで簡単に触れておきますが、全国区
制度は大変候補者にとっても有権者にとっても無理な
制度ではないかと申し上げましたが、大変例外的な、
選挙運動をなさらない
議員さんも少数はいらっしゃるんですけれ
ども、私、やはりこれは廃止すべきではないか。たまたま地方区
制度というものがきょうも午前中
お話がありました。
質疑の中で伺っておったんですけれ
ども、アメリカの連邦、州といった性格といまの
参議院というものとは歴史的な経過からいっても違うし、
制度的にも直に結びつかない、こういう
ような
お話が出ておりました。確かにそうではあると思うのです。しかし、そうではあるとは思うのですけれ
ども、地域代表という性格はなくはない、ウエートがそれだけではないということだと思うのです。そういう
意味でいまの地域代表というものの性格をもっと明確にするということは考えられるのではないか。
選挙制度審議会のずっと初めの方の御議論の中で、これは少数意見だった
ようですが、二百五十名というふうな数字にとらわれることなく、各都道府県裏表で一名ずつ二名ということで九十何名かに定員をして、で、あとの余った分は削減するか、あるいは全国区へ持っていくかという
ような議論も出たことがある
ように聞いております。そういったことを考えますと、少数意見ではあったのですけれ
ども、しかし地域自治体というものはいまの現状のままでいいかというとそうではない、州の
ようなところまで持っていくべきかというと、これはまた大変な議論がある。しかし、きょうの本
会議でもいろいろ御議論が出ておりましたけれ
ども、地方自治体というものの自主性、主体性というものはもっと強化していく必要があるのではないか、これは大方の意見が一致するところだろうと思うのです。そういう
意味合いでの地域性を明確にするということを
一つの柱を立ててみたらどうか。で、同時に、その柱のもとで行われる
投票の結果をもとにして比例代表で
各党が推薦するいろいろな方面での学識経験者の方々を、その御本人
たちは
選挙をしなくても国政に参加できる、そして先ほど申し上げました、基本法と一口に言っておりまするけれ
ども、いまの自由を民主主義というものを守る、そして平和と繁栄を築こうとしておる
憲法の精神にかかわる
ような、公法と言ってもいいと思いますが、そういうものに専心取り組むと。一〇〇%ということになるとこれは問題がありますけれ
ども、いまの
憲法上の問題も出てくる。しかし、大きなウエートを置いてそういうところをやるところが
参議院なんだというふうに持っていけないものだろうかというふうに実は考えて以上御
質問をしてきたわけであります。
次に移りますが、これは
最高裁の四月十四日の
判決にかかわることであります。中身の詳しいことには触れませんが、こういう疑問が提起されています。私自身も、かねて、いろいろ一票というものの重さというものは単にその抽象的な数字だけの量的な判断でいいんだろうかどうか。
最高裁に逆らうわけではございません。
最高裁でお決めになったことはそれで従うのですけれ
ども、しかし、こういう
考え方もある。
最高裁の中にも少数意見があったのですから少し違った意見を申し述べても差し支えないだろうと思うんです。というのは、東京の
議員さんは毎日十人に会える。もっと会えるかもしれません、近いですしね。ところが、鳥取の——たまたまおられますが、
議員さんは毎日十人には会えない。ともかく、十日に十人かもわからない、一週間に十人かもわからない。有権者の側から言いますと、自分
たちが選んだ人であって、自分
たちの意見をのみ込んで仕事をしていただかなきゃいかぬ。自分
たちの選んだ人である。で、選んだ側から言いますと、大変疎遠な
議員さんと非常に緊密に
連絡がとれる
議員さんとが出てくるわけです。これを、単純にそういう実態を捨象して
議員一人当たり人口はどうだとかいう
ようなことを言ってもいいんだろうかしらんという疑問が
一つです。それからもう
一つは、一人当たり県民所得なんです。この議会制民主主義が一体何をねらっておるかということになると議論は大変複雑になるんですけれ
ども、ともかく、貧富の大きな格差があるのは是正していかにゃいかぬということが
一つの柱だろうと思います。福祉政策もそうでしょうし累進所得税もそういうことをねらっておる。上をなるべく抑え、下をなるべく上げる。で、貧富の差が極端な社会構造でない
ようにしていこうというねらいが民主主義にあると思うんです。としますと、一人当たり県民所得の差は大変開いておる。で、その、たとえば東京の有権者が持つ
議員の数というのは、鹿児島か鳥取か、どちらでもいいんですけれ
ども、の
議員さんが持っておる有権者の数、確かに数字では開きがある。で、
憲法違反だどうだと、こう言われておるわけですけれ
ども、少なくとも、一人当たり県民所得が低いだけの分は逆の割り算で人数をふやさにゃいかぬのじゃないか、そういう議論もあり得るんじゃないか。特に日本は細長い列島ですし、過疎地と過密も歴然としておるし、県民所得の差も大変なものがある。それだけでなしに、たまたま手元にあるんですけれ
ども、最近、総合的な指標、二十幾つの指標を使いましてそれぞれの県の民力といいますか、道路とか交通とか医療とか所得とかいういろいろな要素をかみ合わせて民力というものを数字にして比較する技術が発達してまいりました。で、その作業は、これは
政府がやっておるわけではございませんけれ
ども、
一つ御紹介しますと、ある新聞社なんです、二十年来こういう作業をやっている。で、二十四指標で、総合指標というのがありまして、全国を千といたしまして、東京は百四十八・七というんです。全国千の中で百四十八・七のシェアがある、民力として。鳥取は、これは最低なんですが、四・九なんです。三十分の一なんですよ。で、その三十分の一を押し上げていくエネルギーがどっかになきゃいかぬ。ところが、いままでの
議員一人当たり人口論でいきますと、そのエネルギーを減らす方へこそいけ、ふやす方へいかないです、ふやす方へは。これは、アメリカはどうなっておるか、イギリスがどうなっておるか知りませんけれ
ども、単純な算術的な発想だけで果たしていいんだろうかしらんという疑問を持たざるを得ない。そういったことももう少し議論を
政府の審議会等におきまして深めていただきたいと思うのであります。私がきょうの
質問の大きな柱にいたしましたのは大体以上であります。
後の
質問もたくさんおありの
ようでございますし、始まったのも遅かったからこの辺で締めくくりますが、
参議院が——私が言うんじゃないんですけれ
ども、ミニ
衆議院と批評をされることもある。そういったことは
憲法も
国会法も予測したことではないんじゃなかろうか。何か違ったものを先ほど法制局次長も
お話しになりましたが、チェックするということだけでなしに、それを何か補完してプラスしていく、実定法上は書いてないですけれ
ども、しかし、素直に考えればそういうことも期待はされておったんではないか。その期待にこたえる努力というものが余りされてない。これではやはりあるべき姿とは言いにくいだろうという
ようなことが前提にあって、そしてハイエクの
考え方を引用したりしたんでありますが、最後に法制局次長にお聞きしたいのは、あなたの言われた意見と少し違う点があるんです、私の考えは。それは自然法という
考え方ですけれ
どもね。いろいろ具体的な
法律が
国会で成立していく。これ全部
法律と言いますね、いま。しかし、そういう
法律と違った、利害
関係の調節ということでなしに、人間社会という組織を組み立てるための法というものがあるだろうと思うんです、それを何と呼ぶかは別にしましてね。これ以上は申し上げませんが、そのことが人間の尊厳とか自由とか民主主義とかいう
ようなものと結びつくところがある。そういう
意味で、これは法理論と言うのか法哲学と言うのか知りませんけれ
ども、そういう
立場からもいまの両院
制度を見直す
ようなことを法制局でもやっていただきたい。
政府は
法案を持ってきて徹夜で手直しされる努力はよくわかりまするけれ
ども、しかし、それだけでなしに、そういった議院
制度のあり方ということとも関連づけながら、ハイエクが言っておる
言葉は熟してないとは思いますけれ
ども、本来の法というものと命令法というものとは理論的には分けられると思うんです。きょうはこれ以上は申し上げませんけれ
ども、御
検討をしていただければ幸いであります。
委員長、大分時間残しましたが、私はこれで終わります。ありがとうございました。