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説明員(今野尚君) お答えいたします。
いろいろ御迷惑をおかけしまして申しわけございません、冒頭におわび申し上げます。
いま、先生の御
質問でございますが、新聞にいろいろ出ております
概要とそう変わりございませんが、かいつまんで御
説明さしていただきたいと思います。
博多の総合
車両部と申しますのは、新幹線の博多開業と同時に発足いたしまして、逐次
整備を進めてまいりました。最終的な博多総合
車両部の仕事の
目的は、国鉄の
工場でやっております仕事と、それから、これは御存じかと思いますけれども、
運転所——鳥飼にございますが、ああいう
運転所でやっている仕事と一諸にまとめまして、そこで能率のいい作業を将来やっていこうということで建設されたものでございます。したがいまして、博多開業は
昭和五十年三月でございましたが、その後約一
年間ぐらいの間に設備の
整備その他を行いまして、片やそこで要します諸要員が職員の数で現在千六百名おります。これを
全国の各
工場、それから主として関西以西の機関区とか電車区とか、客貨車区、そういうところから配転で集めまして、これを適宜の
教育を行いながら現場の仕事につかしてきておったわけでございますが、その間いろんな準備に約一
年間要しまして、ことしの一月末から本格的に、
工場でやっている仕事と、それから
運転所でやっているような仕事を開始したんでございます。その間に設備的な準備、それから先ほど申し上げました職員の養成その他も含めまして、相当準備はしたのでございますけれども、ただいま申し上げましたように、
全国各地から要員を集めたということ、従来の職場におきます慣習が違いましたり、それから
工場での日常の仕事を含めた生活と、それから区での一日の生活と、これやっぱり職場によって在来線でも多少違っております。その辺のなれの問題がございまして、なかなかチームワークがとりにくいという点が
一つございました。もう
一つは、これは主として問題になりましたのは、台車検査という検査でございますが、これは
自動車で申し上げますと、何といいますか。下回りの車の
部分と申し上げましょうか、もっと複雑でございますけれども、これを解体しまして、部品ごとに検査をしてさらに組み立てて、
一つの検査の終了になるわけでございますが、これを全部流れ作業でやるような設備をつくったわけでございます。いままで申し上げましたような諸事情が絡み合いまして、この流れ作業の中でどこか一カ所で何かつまづきが起きますと、
一つの台車の検査が完成しないという
事態が起きました。まあ、二月いっぱいはなれの問題もあるということで、当局としましても多少ゆとりを見ながら二月いっぱい見守っておったんでございますが、三月へ入りまして、なかなか能率が上がらないということをいろいろ情報が入りまして、それから所管の新幹線はもちろん本社からもいろいろ現場へ出向きまして、種々の
指導をしたわけでございます。三月いっぱいかかりまして、なかなか所定の画数までこなせないという
事態になりまして、四月になりまして、なおその
指導の
強化、それからいろんな仕事のやり方の変換を行いまして、四月半ば以降からようやく何といいますか、そういうアンバランスがバランス化されたような感じが出てまいりまして、五月に入りまして、ようやく所定の作業量に達したわけでございます。この五月初めまで、主として三月、四月に大体所定の作業量の七割ぐらいしか消化できなかったものですから、その分検査不足になりまして、使える
車両がその分だけ減るようなかっこうになったわけでございます。この減りました
車両をどういうふうにあんばいするかという問題でございますが、七月の十日ぐらいから八月にかけまして非常に多客期を迎えます。国鉄の輸送の
状況を季節別にちょっと見てみますと、大体五月の半ば以降六月いっぱいが非常なお客さんの御利用の少ない時期に当たりますので、この期間に三月、四月でショートした分を運休さしていただきまして、七月以降の多客期に万全を期すということで、この前新聞発表いたしましたような運休
計画を立てた次第でございます。
かいつまんで申し上げますと、以上のとおりでございます。