○春日正一君 そういうことで、本当に入れない人たちをどうするかという問題ですね。
公営住宅を建ててほしいという
要求というものは非常に強いのです。
地方自治体も建てたがっておるんですよ。たとえば東京都なんかでも、二、三年前は年に一万八千戸ですか、何千戸というような大きい
計画も立てた、これはやっぱり都民の
要求があるから、それにこたえようとしてそういう数字を挙げたんだと思うんですよ。ところが、実際にはそれがほとんど三十数%しか実現できなかったというようなことで、さっき挙げたような
計画戸数に対して実績が非常に劣ったというような結果が出てきたんだけれども、これは要らないということではなくて、土地が上がったとか、あるいは
建設費が高くなったとかいろいろの
条件があって、それがつくりたくてもつくれないという
条件のもとで、そういうふうに下がったということですから、その点はやはりはっきり承知しておってもらいませんと、できないのは、要らなくなったからできないのだということじゃないということになれば、それでは土地が上がったからとか、あるいは建築費が高くなったからとかいろいろなそういう
条件があって、それで建たなくなったというものを、建たなくなったから仕方がない、そうして地方に聞いてみたら、いまの
地方財政の状態ではなかなか
公営住宅をはでに建てるというわけにいきませんから、積み上げてみたらこれしか出なかったというようなことで、それでいいわということでは政治じゃないんじゃないか。やはりそういう困難があったら、その困難をどう打開して
国民のニーズにこたえていくかということが政治なんじゃないのか。そこらの辺の姿勢が私は変わってきているように思うんですわ。
これは経団連なんかでもこう言っていますね、
住宅、土地問題に関する見解というのを見ると。すべての者が
努力すれば家が持てることこそ自由主義社会の基盤強化の最大の
政策手段であるというようなふうに言っていますし、それから三木総理のライフサイクル
計画というものですね、これを見てもそうですけれども、「だれでも
努力すれば家が持てる制度」、こうなっているんですわ。見出しでは「
持ち家・
借家選択の自由」ということを言って、どうするかと、「(イ)
持ち家を認めない (口)
持ち家によって得られる利益分を課税で吸い上げ、この分を
借家の利子補給に回す(八)すべての人に
持ち家と
借家の選択が可能な
条件を与える——の三つの
政策か
考えられるか、
国民的コンセンサスの面から実現性が最も高いのは一八一である」、つまり「
持ち家と
借家の選択が可能な
条件を与える」というのが一番いいと。私もそう思っていますよ。その点では恐らく
大臣も違わないと思う。コンセンサス得られると思います。
ところが、実際には貸し家に住みたくても貸し家がないんですわ、良質の貸し家が少ない。だから、仕方なしに質の悪い
持ち家を持つようなことになっている。私はこの前もそれ言ったんですけれども、そういうことなんですね。だから、やはりそういう
意味で言えば質のいい
公営住宅なり、特に
公営のが一番家賃が安くていいと思うんですけれども、そういうものをたくさんつくって、そしてそこに入ると。そしてそういうものよりも
自分の家を持った方がいいし、自由になるという人には、大いに
公庫の金も
融資をつけて、それでつくらしてあげるというようにしていかなきゃならないんだけれども、ここのところずっと、いわゆるいま言った経団連の方針ですね、すべてのものが
努力すれば家が持てる、そういう前提でとにかく金を貸してやる、一生かかって払いなさいと。
しかし、これは言ってみれば手本は二宮金次郎的な発想だと思うんですよ。
努力すればだれでも家が持てるというほど単純に割り切れるなら、この世の
中心配ないですわ。みんな苦労し、
努力しながら、いろいろの災難に遭ったりなんかしながら、先ほど言ったような劣悪な木賃アパートその他に住んでいるような人がおるわけですから、そういう人たちに対してはやはり公的な手段で一定
水準の住居を提供しなきゃならぬ。その数と今後の
計画に出されている数を見ても、その数より少ないんですから。本当はその数よりももっと多くなきゃ間に合わないはずなんです。だから、そこらの辺でやはり
持ち家を、この経団連の見解あるいはライフサイクルに出ているような——このライフサイクルでもそうですよ、「選択の自由」と言いながら、あと書いてあることは、「
持ち家促進はインフレ傾向を強めない」とか「自家取得を容易にする新しい制度をつくろう」とか言って
持ち家のことばかりしか書いてないんだから、三木さんは。貸し家を与えるという方はちっとも強調されてないんですわ。
だから私は、この法案は
持ち家をつくらせる法案なんだけれども、しかし、その場合に国の
住宅政策として
持ち家と貸し家の公的な
比率をどうするかという問題をまずはっきりさした上で、その位置づけられたいわゆる
公庫住宅ですね、こういうものについていまの制度でいいか悪いかという議論していかなければ、
公庫だけ議論しておったんでは、結局
持ち家で結構でございますというような印象を与えてしまうから、最初に私は
持ち家と貸し家の
比率をどう
考えておるんだと、いま貸し家をもっと重視すべきときじゃないのかということを言っているわけですわ。その点、
大臣の方から
政策としてどうなんだということを聞かしてほしいと思います。