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政府委員(
竹内良夫君) まず第一番に、先ほどの一四%
程度の
金額でございますが、三兆一千億円の中でいわゆる
港湾整備費として充てますのは二兆二千八百億円
程度でございます。その中で一四%と申しますと、
数字といたしましては約三千百億円
程度を頭に置いてやっていきたいというように考えております。
第二番目でございますが、
御前崎港の
計画等の際に、あるいは実行の際に、
人家との間にくぼ地ができまして浸水したというようなことがございます。これは
港湾をつくるときに
海面を埋めてまいります。
海面を埋めますと、どうしても水面から
プラス五メートルぐらい高くする、こういうことになります。ところが、実際の山からずうっと海に至る間に
人家がございますけれ
ども、海岸の付近にある土地は大体
プラス一メートルとか二メートルとか、そういう低いところもあるわけでございまして、この
御前崎の場合には低いところが一部ずうっとございまして、そこに
集中豪雨のときに浸水したというような経緯がございました。私
ども本当に遺憾に思っておる次第でございます。ただ、こういうことに対しましては、その後直ちに県の方が処置をいたしまして、新たな
桃水路をつくりまして、その
排水路をつくることによって雨水を排除する、たまりを、
湛水を少なくするということで、現在、地元の
方々との間ともうまく調整がとれている次第でございます。これは実は後から気がついたことで、本当に私
ども計画をする者の
立場としては恥ずかしいものでございます。
こういうことのないように、今後は
計画の前から、実際にかかる前から
住民の
方々とも話し合い、それに対応するような
仕事を進めていかなければいけない。これは
全国港湾管理者に、あるいは
建設局全体の
港湾関係者はそのつもりで
計画に取り組み、
実施に取り組むようにしたいと思っている次第でございます。そのほかいろいろ、その例にもありますように、
港湾の
計画を進めてまいりますと、そこにいらっしゃる
住民の
方々が、一部の
反対の
方々、全体的には
賛成だけれ
どもその目の前の
仕事には
反対であるというような方もございます。そのほか、
漁民の
方々との話し合いで海が汚れる、あるいは埋め立てをするということのために漁場が荒らされる、あるいは
漁業が行うことができなくなるというような
漁民の
立場からの
反対が間々ございます。こういう
動きに対しましては、頭から公共的な
仕事だから必要であるというようなことをごり押しするという
時代はもうすでに私たちも過ぎている、やはりこういう
皆様方と全体の
必要性について話し合い、そして、もし
反対的な給付と申しますか、
補償等も十分に話し合いながらコンセンサスを得た上での
事業の
実施、
計画の遂行が必要であるということは肝に命じている次第でございます。特に
港湾の
計画に当たりましては、
港湾管理者並びにその
関係者が
計画し、これを進めていくということを思ったときには、何といいましても
港湾はその
地域のためにつくるわけでございますから、そのこと自体をよく地元の
方々と話し合いながら進めるように指導している次第でございます。
話し合いの仕方等につきましては、これは大変むずかしゅうございまして、公民館とか何かでいろいろ話し合ったり、そのほか具体的に、それは個々のケースによって違うわけでございますけれ
ども、ひざを交えて話し合うというような姿勢でこの
計画を進めていくということが必要であると思っております。もちろん、最終的にはそこの議会の問題、いろいろシステムに従った方法論をとるわけでございますけれ
ども、
計画の立案に際しましては十分その関連者と話し合うということが必要でございまして、この
港湾の
計画を樹立するに当たりましては、特にその点を強調して、現在指導をしている次第でございます。
次に、
田子の浦の件でございますけれ
ども、あの
田子の浦港をつくりましたことによりまして、そこに船が入るようになり、あの周辺一帯に非常に
産業が発達してまいりまして、特に製紙
産業が非常に集まってまいりました。しかし、残念ながらその結果、製紙
産業のかすが工場の方で完全に処理しないままに海に流していたという経緯がございまして、海に直接流すよりも
田子の浦港に入る、河川にそれを流したために、海水と川の水がぶつかる
田子の浦港におきましてそのかすが沈でんいたしまして、大変なため池というような形で製紙業のかすが
田子の浦にたまったという経緯がございました。そこのところで、いろいろな臭いにおいであるとか、あるいは亜硫酸ガスとか、そういういろいろなものが発酵の結果いろいろな公害が起きたわけでございますが、これに関しましては、やはり製紙業の責任と申しますか、そういうことも十分考えながら、この
田子の浦の
港湾としての
機能の回復、あるいは
環境の回復ということにつきまして、現在、
港湾公害防止対策
事業という
事業を進めております。
で、現在までにこの
ヘドロをしゅんせついたしまして、このしゅんせつしたものは、従来、昔は海に捨てていたのでございますけれ
ども、海に捨てるということは取りやめまして、パイプで、富士川の河川敷を掘りまして、その中の方に捨てていくというような処置をとっておりまして、現在までに百二十万立方メートルの
ヘドロの処置を完了しているわけでございます。ところが、この百二十万立方メートルの
ヘドロを取っている間にも、相当工場の方としては処理するような手当てをしてきたわけでございますけれ
ども、その間に相当また川の方にどうしても出てくる。その残っている分が五十万立方メートルまだ現在残っている、こういうような次第でございます。したがいまして、今後はこの五十万立方メートルをどうやって取り、そして、取ったものをどうやって処置していくかということが今後の研究課題でございますけれ
ども、この方針といたしましては、公害防止対策
事業といたしまして、原因者の負担を十分参酌しながらやっていくべきであるというように考えている次第でございます。
また最後に、港をつくる際に、ただ水面と埠頭だけでなく、そこに緑のある市民の憩いのできるような地帯をつくっていくべきではなかろうかという
先生のお言葉でございますけれ
ども、私
どもも全くそのとおりであると思っております。明治の人には偉い方がおりまして、横浜港に山下公園というりっぱな公園を、あれは明治の
時代につくっております。その後、大正、
昭和、なかなかそれだけのものはつくれなかったのでございますけれ
ども、現在、私
ども計画しておりますのは、たとえば大阪にいたしましても、東京にいたしましても、日比谷公園の一倍、二倍、三倍という、数倍の公園をもこの埠頭の埋め立ての中につくり上げていくという
計画を現在持って、すでに実行している次第でございます。たとえば
田子の浦港につきましては、先ほど
先生おっしゃいましたあの貯木場がございますけれ
ども、たとえばそういう貯木場はすでに非常にいま汚くなっておりますので、これを埋めまして、その上を公園にするというようなことも考えている次第でございます。市民が海に出て散歩し、港を自分たちのものとするというような
環境にぜひ戻していきたいというように考えている次第でございます。