○秦野章君 いまの答弁に関連するんだけれども、
一つは偽証も外為も重大なんだと。重大といえばこれみんな重大になっちゃうんだけれども、ここで重大か重大でないかを比較する、別件論で比較すべきポイントは、いわゆる収賄罪との関係なんですよ。相対論なんですよ。収賄罪と本件
逮捕との罪名とがどっちが重大かという比較をしなけりゃいけないのであって、私は、ある
意味において偽証も外為も重要でしょう、それは認めますよ。しかし、ここで重要か重要でないかというのは、本件、本命との比較を言ってるんだから、そういう
意味において、軽い罪で引っ張って、重い罪の方の証拠がないからやったんだという
意味においては別件的であることは間違いないと思う。そして、
逮捕した罪名を取り調べるということのねらいよりも贈収賄こそ本命だといって、現にやっていることも間違いなかろう。そういうことであるならば、それを余りそういうことで突っ走れば、これは判例の上から言っても、言うならば別件の、本命の方の力に重点が行って、取り調べ上そっちの方へばかり行けば、少なくとも不当な
捜査になるという判例もあるわけだから、あなたのいまの
立場で不当の心配は全然ないとおっしゃっておられるけれども、私はその点はこれ以上伺ってもしようがありませんから、大変警戒すべき、慎重にやるべき問題があるというふうに私は思うのであります。
それからいま
一つ、なぜそういうことを言うかといいますと、やや関連する問題なんだけれども、
田中さんの
逮捕の状況を
新聞等で見たわけです。朝七時何分かに迎えに行って、それから一時間かあるいは一時間二十分ぐらいで
逮捕状を執行しているんです。この
逮捕の仕方というものも、やはりできるだけ犯罪
捜査は任意
捜査が原則ですから、朝から晩までやはりいろいろ事情を聞いてみる、むだかもしれぬが聞いてみる、そうしてどうしてもこれは
逮捕の必要があるんだということで、晩になって
逮捕したんだということの方が、まだ方法としては納得がいくし、またこれは通常検察庁も警察もやっている方法なんですよ。だけれども、いきなりやはり
逮捕状を突きつけて拘置所へ連れて行ってしまったという姿を見たときに、私は、しゃにむに身柄が欲しいという、そういう気持ちが先行したような
感じがするんですよ。外為法違反の立件とか検挙が悪いと言っているんじゃないんですよ。私は検察の運用のやり方というものについて言っているんで、そこは誤解のないように願いたいのだけれども、どうもその
逮捕状の執行の状況等についてもそういう
感じがするわけです。やみくもに身柄が欲しいという気持ちを持たしちゃこれはいけないんですよ。やむを得なかったんだということが、権力、検察運用の根本の思想ですよ。どんな悪人でも、縛るということはやむを得ず縛ったんだという、そこのところが私は一番大事だというふうに思います。
これは
法務大臣なんか大変人柄がもともとあったかいんだから、私は
指揮権発動はできない、これはあたりまえでけっこうです。しかし、やはり管理されるという
立場に立って、どうなんだ、一遍外国為替管理法で
逮捕しなければいかぬというふうな
報告を聞かれたときに、収賄罪の
逮捕というんじゃないんだなと、そっちでできないのか、検討してみないかということは、私は
指揮権発動にはならぬと思う。それからまた、
総理や
閣内にどういうふうに
報告があってどういうふうに処理されたかはまた後で伺いますけれども、政府部内でそういう
意見が出てもちっともおかしくない。そんなに腰を抜かしてびっくりしちゃいけないんですよ。堂々とやるべきものはやる、やらざるべきものはやらない。そこにしかし、心のこもった運用をするということが一番大事なことで、
国民はいま検察に、大変よくやったという評価がある。これは私もそうだと思いますよ。御苦労のことはよくわかる。しかし同時に、その心がにじみ出てないと、やはりよくやったということが続かなくなっちゃうんですよ。そういうものなんです。
これは私も
経験があるんだけれども、人が人を縛るということは果たしてできるだろうかということを
考えながら権力を運用する、そういう謙虚なものなんだということが根本になきゃ、しかも確かにいま丸紅の社長とか全日空の社長とかを
逮捕して、法の前に平等だというような
意見だけれども、
事件というものはことごとく
一つ一つ別なんだから、そういう簡単な
意味で平等論を言っちゃいけない。外国為替管理法で
逮捕者も出た。
逮捕しないで処理した者もある。平等か不平等かというのは、もっと形式的よりも実質的にじっと実態を見て平等ということでなければいけないんだから、それは平等でなければいけませんけれども、そこらのところに私はもっと実態的な真実の上に立っての判断を本当に願うわけであります。まあ、前
総理だからということで格別な
法律上の差別をつけるということは間違いだ。しかし、そういうことじゃなくて、やはり法にも情けもあるわけですから、法を曲げないで、その枠の中でやっぱり法の運用というものを、私は特に形式犯なんかの場合には、大変必要なことだと思う。
それらの点について、いささか老婆心を含め、自動車の
運転手が自殺したなんというような話を聞くと、実に痛ましい思いですよね。大きな
事件のときには、そういう犠牲者が出る。しかし、それはしようがないんだというふうに簡単に見ない。やっぱりその取り調べをしたときに、ああいう
人たちの中には、とても実直な人間もいるわけですから、やっぱり
真相究明で取り調べは当然だが、取り調べのやり方などにもよる。相手は非常に違った受けとめ方もするから、
捜査の目的を達成しながら、同時に相手の
立場というものを
考えてやるということが必要だ。あの
運転手が自殺した後の
新聞記事の検察官の
言葉も私は足らぬと思う。気の毒だったという
一つの
言葉が出れば、これまた違ってくるんですよ。
捜査の目的を完遂しなきゃならぬ、しかし、本当に完遂するためには、そういう態度を貫くということが私は非常に大事だと思う。前
総理の
逮捕ということで、私は格別に
田中個人をどうのこうのという問題じゃない。やっぱり権力というものが実行されていくということについての姿勢といいますかね、公正な
立場での
意見のつもり。
法務大臣いかがでしょうね、この点。