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上田哲君 そういうところにいかざるを得ないはずなんです。で、それは手続的にとか、まだ決定というところ
一つが決まってないとかいう言い方で言われるのは、そちらの
立場ですからいいんですけれ
ども、やっぱり私はもう結論として申し上げなければならぬけれ
ども、この
日米防衛協力小
委員会というのはPXL問題のやっぱり終着駅だというふうに
考えざるを得ないと思っているんです。
で、これはいまあなたの言われたように、効率を図ると
——効率を図らないような
作戦協力の検討なんてあるわけないんですから、効率を図るなら、やっぱり御指摘のとおりだと、おっしゃるように、こういかざるを得ないです。で、五十年十一月には
防衛庁はP3Cの五十機導入を打ち上げられたわけですよ。この十一月に打ち上げたものが、五十一年二月五日にロッキードが起きたものだから、慎重な取り扱いをしなきゃならぬということで、ちょっとトーンダウンしているんです。これがなければずっと進んでいるはずです。また上がってくるのは、三月一日にブラウン統幕議長が来ているわけです。白川議長と一緒に
会議をされる。制服の両議長の
会談というのは非常に私は異例なことであり、珍しいことだと思うんですけれ
ども、何とここでボディと電子機器を切り離して購入するということも結構じゃないかという話が出ている。私はふざけた話だと思うんです。ロッキード問題が重要な議題になっている最中に、両方の制服が集まってこんなことをやる。そしてそのわずかな後に白川統幕議長は退任をされる。何かイタチの最後っぺみたいな形でどんどん進んでいってしまう。もともとは、これはもう世上言われていたのは、例の四十九年十二月の専門家
会議——あの十月九日以降の専門家
会議が四十八年の八月にできて、四十九年の十二月に答申をした。それを受けて、その後、翌年の春ごろからこうした問題が、対潜能力の問題が
議論が活発化されてきて、その
段階では、
日米会談ではもうP3Cの合意ができるんじゃないかということが言われておりました。この席でも、
アメリカへ出発されるに際して、
三木総理に私
ども、私自身も厳しく追及しまして、ロッキードと結ぶべきではない、三十六位のロッキードなんというものに一生懸命加担すべきではないということで、その議題にはいたしませんと総理はそこで言われた。しかしそれが、
防衛分担という
言葉が
防衛協力という
言葉に
アメリカで変わったとわれわれは
考えるが、そういう中でその発端があって、ここに
協力小
委員会というのが生まれた。
この間、先ほど申し上げたような幾つかの経緯があるわけですけれ
ども、結局、上がったり下がったりはするんだけれ
ども、ロッキードが出たからちょっと慎重にと言ってみたり、かと思えば、ブラウンが来て話をしたり、こういう形の中で、延ばそうと思えば延ばせないことはないはずなんだが、いよいよタイムリミットとしてここで小
委員会が生まれるということは
——これは、決定は向こうに任せるか任せないかなんて
議論はしませんよ。しかし少なくともこちら側も、
作戦協力、共同指針をつくるんだと、こういうことであれば、どうしてもそこへいかざるを得ないわけです。あたかもね、あたかも
日本のドル減らしというときと同じような状況がまた起きていますね、いま、景気の回復とともに。そういう客観的な情勢もここに
一つある。そういうことを
考えると、この辺の形というものは大体一貫したように見なければならぬ。きょうは概論ですけどね。そういうところからも、今日までわれわれは、四十七年十月九日の、そこまでのところを一生懸命やってきているんですが、そこからこちら側へひとつやっぱり筋がついてきたんじゃないか。これは細かくいかなければなりませんが、きょう細かくは当然詰められないんですけれ
ども、そういうところへ、やっぱり来るところへ来たように見なければならぬのではないかと思うんです。
ここで、法務省にちょっと一言伺っておきたいんですけれ
ども、われわれはいままで十月九日の前までをずっとPXL問題では一生懸命お尋ねをしてきたんですが、その十月九日の後、ロッキードと丸紅の例の契約が四十七年十一月、それからロッキードと児玉の契約が四十八年の七月ということに、まあそれぞれ十五万ドルと五千万円ですか、大体同じような金額ですけれ
ども、これが結ばれると。これは十月九日よりこっちになるわけですけれ
ども、これがどういうふうにかかわるのか。これはこれからわれわれも一生懸命いろんな形の質問をするわけですけれ
ども、もし説明していただけるならですね、この二つの契約というものがどういうふうにかかわろうとしたかというようなところについては御
調査になっておられますか。