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1976-06-30 第77回国会 参議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 閉会後第11号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十一年六月三十日(水曜日)    午前十時七分開会     —————————————    委員異動  六月二十九日     辞任         補欠選任      久保  亘君     秦   豊君      太田 淳夫君     峯山 昭範君      近藤 忠孝君     内藤  功君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         剱木 亨弘君     理 事                 岡本  悟君                 林田悠紀夫君                 瀬谷 英行君                 黒柳  明君                 橋本  敦君                 柄谷 道一君     委 員                 石破 二朗君                 岡田  広君                 亀井 久興君                久次米健太郎君                 宮崎 正雄君                 上田  哲君                 対馬 孝且君                 野田  哲君                 秦   豊君                 矢田部 理君                 峯山 昭範君                 内藤  功君                 野末 陳平君    事務局側        常任委員会専門        員        池部 幸雄君    証 人                 黒部  穰君                 島田  豊君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○ロッキード問題に関する調査  (ロッキード問題に関する件)     —————————————
  2. 剱木亨弘

    委員長剱木亨弘君) ただいまからロッキード問題に関する調査特別委員会を開会いたします。  まず、委員異動について御報告いたします。  昨二十九日、近藤忠孝君及び久保亘君が委員を辞任され、その補欠として内藤功君及び秦豊君がそれぞれ選任されました。     —————————————
  3. 剱木亨弘

    委員長剱木亨弘君) ロッキード問題に関する調査を議題とし、証人証言を求めることといたします。  本日出頭された証人黒部穰君でございます。  まず最初に、委員長から確認をさせていただきます。  黒部穰君、あなたは御本人ですね。
  4. 黒部穰

    証人黒部穰君) さようでございます。
  5. 剱木亨弘

    委員長剱木亨弘君) 本日は当委員会に御出頭いただき、ありがとうございました。  証言を求めるに先立ち、証人に御注意申し上げます。  議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人には、証言を求める前に宣誓をしていただきます。  宣誓または証言を拒むことのできるのは、次の場合に限られております。  証言が、証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族、または証人とこれらの親族関係のあった者及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき、並びに医師歯科医師、薬剤師、薬種商、助産婦、弁護士、弁理士弁護人公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあった者がその職務上知った事実で黙秘すべきものについて尋問されたとき。  以上の場合以外は、証人宣誓または証言を拒むことができません。  正当の理由がなくて証人宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられます。  また、宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることになっております。  それではこれより証人宣誓を行います。  証人証言席宣誓書を朗読してください。  全員御起立願います。   〔総員起立証人は次のように宣誓を行った〕     宣  誓  書  良心に従って真実を述べ、何事もかくさず、又  何事もつけ加えないことを誓います。              証人 黒部 穰
  6. 剱木亨弘

    委員長剱木亨弘君) 御着席願います。  証人宣誓書署名捺印してください。   〔証人宣誓書署名捺印
  7. 剱木亨弘

    委員長剱木亨弘君) これより証言を求めますが、証人発言に当たっては、その都度委員長の許可を得て発言されるよう、また時間の制限もありますので、尋ねられた事項の範囲内において明確に証言されるようお願いいたします。  それでは委員から尋問いたします。順次御発言願います。
  8. 野田哲

    野田哲君 どうも黒部さん御苦労さまです。社会党の野田です。  まず証人にお伺いいたしますが、証人防衛庁装備局長にいつ就任をされて、退官をされたのはいつか、このことをまず伺いたいと思います。
  9. 黒部穰

    証人黒部穰君) 四十六年の九月一日に就任いたし、四十七年十一月二十四日に退官しているはずでございます。
  10. 野田哲

    野田哲君 装備局長就任される前は、通産省、一時経済企画庁に出向されたことがありますが、通産省で主に貿易関係経済交流関係職務を担当されていたと思うんですが、いかがですか。
  11. 黒部穰

    証人黒部穰君) 通産省では約二十五年、二十七、八年勤めまして、上の方といいますか、課長以上の職では経済協力行政がかなり長うございましたので、そちらの方の職務がやや長かったかと思いますが、若いときは種々のセクションに入っております。
  12. 野田哲

    野田哲君 黒部証人昭和四十六年九月一日に防衛庁装備局長就任された直後に記者会見をされて、装備局長としての抱負を語っておられますが、記憶されておりますか。
  13. 黒部穰

    証人黒部穰君) どんなような話をしたのか全然覚えておりません。
  14. 野田哲

    野田哲君 ちょっとこれを……。証人装備局長就任をされて記者会見をされた内容、いま証人手元へ当時の報道資料としてお渡ししたんですが、内容は三項目になっておりますが、その資料の中の証人貿易経済、この道を歩んでこられた抱負が三項目めに色濃く出ておるんですが、ここで輸入かあるいは国産か、こういう点に触れておられるわけです。これは航空機用エンジン電子機器の問題、こういう問題を出されているわけですが、このくだりは当然その当時といたしましては、航空機やあるいは電子機器の問題に触れておられるという点ではT2、T2改、あるいはPXLAEW、こういう点が念頭に置かれての発言だと思うんです。その第三項を見ると、これは明らかに輸入という立場に立っておられると思うのですが、念のために読んで見ますと、輸入国産の問題は注目されているが、実際には国産といっても、航空機用エンジン電子機器など重要部分はほとんどライセンス生産であって、本当の国産とはいえない、GNPでフランスを抜いたといっても、まだ国産のレベルには達していないように思う。こういうふうに語っておられるわけですね。そういたしますと、あなたは装備局長としては、これらのT2、T2改あるいはPXLAEW、当時問題になっていた国産か、輸入かという問題については、これを読んだ印象としては、輸入論立場に立っておられるように感じるわけですが、いかがですか、この点。
  15. 黒部穰

    証人黒部穰君) 自分自分の言ったことを、いま実は見ておるわけなんでございますが、私これ読んでみますと、先生おっしゃるように、輸入論立場のことは一つもうたってないで、むしろ国産といっても中身ライセンス生産ではないか、しかも開発能力はないというようなことをまあ言っているわけでございまして、決しておっしゃるように、輸入論というような立場でものを言ってはいないと思います。かつまた前装備局長の打ち出した路線をそのまま踏襲していきたいというような表現もございます。
  16. 野田哲

    野田哲君 そうすると別にこの輸入とか、国産とか、特に固定的な見解として述べたものではないと、こういうことなんですか。
  17. 黒部穰

    証人黒部穰君) この当時、ドル防衛策の問題がやかましい時代だったように記憶しておりますので、恐らく新聞記者がそういう観点で何か新味のあるもの、あるいは新しい政策を打ち出すのではないかということで質問を受けたのではないかと思いますが、当時といたしましては、就任直後でもございますので、前任者路線を踏襲してまいりたいということで述べたものと思います。
  18. 野田哲

    野田哲君 ちょっと立ち入ったことを伺いますけれどもね、証人東北大学の法科を卒業になって、それから通産省で先ほど述べられておるように、主に経済交流畑を、上級のポストにつかれてからは、主に経済交流ポストを歩んでこられた、こういうことなんですが、丸紅の大久保、大学では先輩後輩の間柄にあるわけですね。面識、あるいは交流、これはどうですか。
  19. 黒部穰

    証人黒部穰君) いま実はあの方が東北大学の出身だということを聞いたのですが、私、残念ながら、大久保さんには一回もお会いしたことないと思います。
  20. 野田哲

    野田哲君 あなたの在任中、たしか四十七年の八月ごろではないかと思うのですが、当時の中曽根通産大臣から、AEW——早期警戒、この開発について、まあこのAEWというのは当然御承知だろうと思います。中曽根通産大臣が以前の防衛庁長官当時に大きく構想を打ち出されたわけですが、中曽根さんが通産大臣になられてからこのAEW開発についてヒューズ社との提携、導入、こういう点についての話があなたのところへあったのではないかと思うのですが、これはいかがですか。
  21. 黒部穰

    証人黒部穰君) 中曽根通産大臣もしくは通産省からAEW開発について何か話があったような記憶はないんでございますけれども、あるいは何かあったかもしれませんが、それを忘れてしまったのか……。
  22. 野田哲

    野田哲君 当時の航空機関係専門新聞に出ておりますが、中曽根通産大臣から増原防衛庁長官に対して、AEW開発について、ヒューズ社からの導入、この話があったということ、こういう点を報道されているわけですが、当時、あなたは装備局長としてこの話について全く記憶はございませんか。
  23. 黒部穰

    証人黒部穰君) そう言われてみると、そんなこともあったかもしれません。ヒューズという名前を聞いて、いまヒューズのどの部分技術導入するんだったかいまちょっと思い出せないでいるんですが、何かそういえばそんなこともあったような気もいたします、まことに不勉強ですけれども。
  24. 野田哲

    野田哲君 これはその程度ですか。もっと具体的な記憶はありませんか。
  25. 黒部穰

    証人黒部穰君) ただいまはそのくらいしか思い出せません。何かそんなことあったかなと、いまヒューズという名前を聞いて、そう言われてみるとヒューズの何かの技術導入してやってはいかがですかという提案があったような気もいたすという程度でございます。
  26. 野田哲

    野田哲君 証人は、リチャード・スタッダードという方御存じでしょう。
  27. 黒部穰

    証人黒部穰君) よく覚えております。米国大使館の中の相互防衛援助事務所所長スタッダード大佐のことだと思いますが。
  28. 野田哲

    野田哲君 この、いま言われたMDAO所長スタッダード大佐、この人とは当然、装備局長ですからお会いになったこと何回かございますね。
  29. 黒部穰

    証人黒部穰君) 何回か会っております。
  30. 野田哲

    野田哲君 この何回か会われた中で、昭和四十七年の十月九日の例のPXL国産の問題が白紙還元になった。これは当然装備局長ですから記憶に明確だと思うのですが、この問題の少し前にこのスタッダード大佐と会われているはずなんだと思うのですが、具体的な、いついつ、こういう点は記憶にありませんか。
  31. 黒部穰

    証人黒部穰君) スタッダード大佐はまあどのくらいの頻度で来たのか、まあ言うなれば、二ヵ月に一回かあるいは二ヵ月に二回、まあ月一回ぐらいのペースか、ちょっと定かでございませんが、その十月九日云々の前に会ったことはあるのかどうかはっきりいたしません。その辺ははっきりいたしません。
  32. 野田哲

    野田哲君 そういたしますと、一年余り在任中ですから、五、六回ないしは約十回前後お会いになっておるようなお答えだと思うんですね、二ヵ月に一回か、月に一回かということですから。まあ十回前後ということだと思うんですが、そのスタッダードと会われた中で、ミスター・スタッダードがP3Cの話をあなたのところへ持ち込んできたことがあるんだと思うんですが、いかがですか。
  33. 黒部穰

    証人黒部穰君) 実は、スタッダード大佐が私のところへ額入りのP3Cの写真を持ち込んだことはいまでもよく覚えております。ただ、そのときはP3Cの話を余り詳しくしてないように思うわけです。で、いまになって振り返ってみますと、どうも感じとして四十七年の春ごろではないかと思うわけです。なぜならば、おぼろげ記憶ながら、彼がP3Cの写真を持ってきたときには、四十七年度防衛予算PXL開発の第一着手をしようという要求だったわけですが、大蔵省で認められず、調査研究という一歩手前の段階でとどまったわけで、それを知った彼が、まあ恐らくよく日本防衛予算研究をしていたんでしょう、ですから、予算の、政府原案の決まった、二月なのか、三月なのか、あるいは予算の通った四月なのかははっきりいたしませんけれども、ともかく十月ではないと、その時点写真を持ってきて、どうですか、ひとつ買うことを考えては、というような趣旨のことを言って、えらいまた早々ときめつけるものだなというふうな印象を持って、私が、開発は断念していませんよと、やりますよと言って一蹴したような記憶があるわけです。したがいまして、先ほど、時期は十月初めとおっしゃいますけれども、春ごろではなかったかなというふうにいまになってみると考えているのと、それからこのスタッダード大佐の性格にもよるんですが、非常に率直に物を言う人じゃありませんので、間接的に、まあちと防衛庁考え直したらどうだというぐらいのことか、あるいはまあヒントを与える程度のことで写真を置いていったと思うんですが、写真自体は何もこちらはもらわなくったって、P3Cの写真なんか何回も見ているわけですから。
  34. 野田哲

    野田哲君 証人は、春ごろじゃなかったかと言われておるんですが、そこのところはちょっと私は勘違いされているんじゃないかと思うんですよ。というのは、四十七年の防衛庁予算では、四十七年度は六億八千万円の日本でのいわゆる研究開発、この予算が成立をしておるわけですね。だから、そこのところはちょっと私は違うんじゃないかと思うんです。で、国産輸入かということでやりとりをした時期というのは、予算の問題ではなくて、十月九日に四次防の主要項目が決定をされる、その前の、この国産輸入かというやりとりをしている時期じゃないのかと、こういうふうに思うんですが、その点もう一回思い起こしてみていただいて、当時のいきさつを話してもらいたいと思うんですが。
  35. 黒部穰

    証人黒部穰君) 私の記憶で誤りなしとすれば、四十五年度、四十六年度はまあ基本的な技術調査、これはPXL基本になる技術的な調査予算だけがついてたわけです。四十七年度に基本設計を出したわけです。基本設計予算要求を出したわけです。まあ何と言いますか、開発の第一歩というのが私の主張なわけで——言った点なんですけれども、で、もちろん形式から申しますと基本設計やるあるいは開発するということは国産化と直ちに結びつくわけではありません、法的には。これはまあ試作までもっていってもそれがすぐ、じゃ国産オーケーということになるわけじゃないんです。ですけれども、われわれの考え——われわれというのは当時の防衛庁考えとしては、国産で調達しようという考えのもとに、まずそれでは基本設計要求するというのが四十七年……
  36. 野田哲

    野田哲君 そこのところはいいんで、スタッダードが来た時期のことをもう一回。
  37. 黒部穰

    証人黒部穰君) そこで、その基本設計予算が、国産開発の前提になる基本設計予算が認められないというのを知った上で来たのであるから、私は春ではなかったかというふうに考えているわけです。
  38. 野田哲

    野田哲君 わかりました。そうするとまあ春ごろであったと、あなたは記憶されておる。いずれにしても、十月九日の白紙還元になる前に、スタッダード写真を持ってあなたのところへ買ったらどうかという話で来られた、こういうことなんですが、そのときにあわせて説明書も持ってきているんじゃないかと思うんですが、この点いかがですか。
  39. 黒部穰

    証人黒部穰君) 私そういうものを受け取った記憶ございません。まあその何と言いますか、何のつもりなのかしれませんけれども、こちらは知っているP3Cの写真を、こういうものはいろいろな印刷物で世の中に出ております。われわれの手元にもP3Cの写真ぐらいはあったわけなんですから、ただそれをちょっと額に入れたような大きなものをわざわざ持ってきたということで、特別のことはなかったように思います。資料は全然そのときはなかったし、私が詳しく、どうなってますかというようなことも聞いたような記憶ございません。
  40. 野田哲

    野田哲君 そういたしますと、この黒部さんの証言では、スタッダードがP3Cの写真を持って、これを買ったらどうかと、日本防衛庁でも買ったらどうかと、そういう意向をもってあなたのところへ訪ねてきた、その時期は昭和四十七年の十月九日の白紙還元以前のことであったと、こういうことなんですね、もう一回はっきり確かめますけど。
  41. 黒部穰

    証人黒部穰君) 先ほども申し上げましたように、一体それいつ持ってきたのかという日時をはっきり覚えておりません、私は率直に申し上げまして。ただ、いま振り返ってみると、持ってきたのがどうも予算でまあ防衛庁が一生懸命開発に着手しようといって基本設計費要求して、ところが基本設計費は認められなかったという、そのことを知って来たはずですから、春ごろではないかなというふうに考えるのが一点です。  それから先ほどP3Cを買ったらどうかという、その辺も実ははっきり覚えてないんで、私はどうもどちらかと言うと、何といいますか、このスタッダードさんというのは非常にジョークを言ったり比喩を言ったりはしますが、ダイレクトに、そういうふうに率直に物を言う人ではなかったように記憶しております。まあいまやや、何といいますか、復元して言えば、防衛庁開発開発と言っていたけど、開発はだめになったようですねと、こういうものでも考えたらどうですか、お考え直したらどうですかぐらいの、そんなような表現ではなかったかなというふうにしか考えられません。
  42. 野田哲

    野田哲君 要点だけ言いますと、春ごろであったように思うと、それでスタッダードがP3Cの写真を持ってきたと、まあ話はなかなかはっきり言う人ではないが、ジョークを交えるような人だけれども、開発はだめになったようですねと、これいかがですかと、こういうような程度の話であったと、こういうことなんですね。一言でいいですから。
  43. 黒部穰

    証人黒部穰君) そのとおりです。
  44. 野田哲

    野田哲君 それで黒部証人はそれに対してどういう応待をなさいましたか。
  45. 黒部穰

    証人黒部穰君) これも覚えてないんですけれども、多分、とんでもないと、開発断念してませんよというような趣旨を言って、後は別な話に入ったんだろうと思います。
  46. 野田哲

    野田哲君 それまでの時点では、ずっと防衛庁の方からP3CあるいはP3Cに搭載をしているANEWI電子機器ですね。これらについてのリリース照会やらあるいはANEW機能等についての照会をやっておりますが、アメリカの方ではずっと断られておりますね。防衛庁外務省を通じて資料入手照会をしたのを断られておる。このことは御承知だったと思うのですが、いかがですか。
  47. 黒部穰

    証人黒部穰君) しかとは存じておりませんでした。要するにP3Cは日本海幕の持っている飛行場ではむずかしい面があると、離陸距離についてですね。むずかしい点があるのと、それから仮にリリースがあってもそれは開発したばかりの一番新しいものをリリースしてくれなくて、まあ従来使ってたとか五年前に使ってたとかいうような古い型のものはリリースしてくれるであろうと——中の電子機器でございますが、というように考えてましたので、かつて前にどういうような接触をして、どういうような回答を得たかということは存じておりませんでした。
  48. 野田哲

    野田哲君 それで、証人スタッダードがそういうような話を持ってきたと、写真を持って、日本開発はだめになるんじゃないかあるいはだめになったんじゃないかと、これはどうだということで来られた。その話を内局の中であるいは海幕との間で何か協議をされましたか。
  49. 黒部穰

    証人黒部穰君) 全然協議しておりません。写真だけは私の後ろのキャビネットの上にでも立てたような気もしますけれども、それも余り定かに記憶しておりません。
  50. 野田哲

    野田哲君 当時の状態としては、このP3Cについては正式ルート照会をしてもなかなかその資料が入手できないと、これは防衛庁の提出された資料の中でもそういう経過が述べてあるんですが、そういう状態の中で、ロッキードが売り込みに来るんだったらわかるんですけれども、MDAO所長スタッダード大佐、責任ある地位にある人があなたのところへそういう話を持ってくる、つまりこれは日米間のトップの方の、特にアメリカ側了解政府トップの方の了解がなければ、これはそういう話にはなかなか来れなかったんじゃないかと思うんですが、その点についてあなた何か感じられましたか。
  51. 黒部穰

    証人黒部穰君) そうやかましく私考えてもおりませんでしたし、日本防衛のためにアメリカの兵器をこういうものはいいでしょうというようなサゼスチョンすることは一向に差し支えない彼の任務だろうと思いますし、別に奇異に思ったわけでもございません。
  52. 野田哲

    野田哲君 当時あなたは防衛庁装備局長という重要なポストにあったわけです。日本防衛装備関係の、言うならば責任者であったわけですね。それだから当然この前後の経過というものを承知されておったと思うんですが、それまでずっと何回か防衛庁の方から外務省を通じてP3CについてのリリースあるいはANEW資料等について照会をしたけれども、ずっと断られているわけですね。そういうふうに断られている問題について、このMDAO所長があなたのところへそういう話を持ってくるということは、当然アメリカ政府了解がなければ持ってこられない話なんだと思うんですが、あなたは全然それについては当時装備局長として不審には思われなかったですか。
  53. 黒部穰

    証人黒部穰君) 先ほど申し上げましたように、当時はP3Cは日本では使いがたいということで、かつ、中身の一番大事な電子部品といいますか、そういうものについてはどうせ一番最新のものはリリースしてくれないであろうという、そういう知識しかございませんので、まあ実はもう一つは、私の着任前に、これは実は防衛庁からもらった資料ですが、断られたというのは四十三年ごろのようでございますけれども、四十三年、四十四年ごろのことのようでございますが、私はそういう詳細は実は知っておりません、その経緯については。
  54. 野田哲

    野田哲君 委員長に伺いますけれども、証人手元には私が渡した資料があるんですが、それ以外に相当資料持っておられるんですが、これは委員長、許可されているんですか。
  55. 剱木亨弘

    委員長剱木亨弘君) 証人に申し上げます。資料は持ち込むことができなくなっておりますので……。
  56. 黒部穰

    証人黒部穰君) あ、さようですか。
  57. 野田哲

    野田哲君 続いて、MDAOヘイデン中佐、この方ともお会いになったことがありますか。
  58. 黒部穰

    証人黒部穰君) 私、その人の名前覚えてないんですが。MDAOには何人かの海の人、陸の人、空の人、それぞれの制服の人がいたはずでございます。何人かにお会いしていると思いますけれども、私自体余り交渉したこともございませんし、会ってても、まあその当時は名前知ってたかもしれませんが、いま全然思い出せません。
  59. 野田哲

    野田哲君 四十七年の十一月の十五日にMDAOの方でP3Cの説明会をやっているわけですが、この点御承知でしょう。
  60. 黒部穰

    証人黒部穰君) 全然知りません。
  61. 野田哲

    野田哲君 その説明会をセットすることについて、あなたのところへMDAOから話が、相談があったんじゃないですか。
  62. 黒部穰

    証人黒部穰君) 恐らくその程度のことであれば、何も私のところへ来て了解を求めるというようなことはないと思います。
  63. 野田哲

    野田哲君 話をもとへ返しますけれどもね。いま証人はP3Cの資料の収集が断られたのは四十三年ごろだというふうに資料見ておっしゃったんですが、四十五年までずっと断られているんですよ。四十三年、四十四年、四十五年と断られているんですよね。その点は御承知なかったですか。
  64. 黒部穰

    証人黒部穰君) 全然知りませんでした。
  65. 野田哲

    野田哲君 じゃあ話題をちょっと変えさしていただきますが、四十七年の十月九日にT2、T2改の問題、PXLAEWの問題、十月二日から十月九日の一週間、大変防衛庁と大蔵省、国防会議、首相官邸、この間でいろいろあったわけですが、証人は十月八日、日曜日なんですが、防衛庁へ出勤をされておられますか。いかがですか。
  66. 黒部穰

    証人黒部穰君) これは実は防衛庁からも何回か問い合わせが、二月ころでしたか、三月ころか、ありましたけれども、残念ながら私、十月八日出勤したのかどうかも覚えておりません。なぜそこまで忘れてしまったかということを反省してみますと、当時防衛庁では日曜出勤というのはわりに頻繁にありまして、そのときだけ特別に出勤したというのであれば、あるいは記憶が、印象が強かったかもしれません。  それから第二点は、国防会議の問題で、もはやわれわれ下っ端の手を離れまして、事務次官、防衛局長あたりが中心になって国防会議に臨みまして、われわれはもちろん多分出勤していたと思います。で、随時参事官集まれという通知があって、状況の連絡を受け、必要あればまた資料を提出するというようなことを繰り返していたわけでございまして、いま尋ねられれば多分出勤していたものと思います。
  67. 野田哲

    野田哲君 当時の防衛庁としては大変重要な十月九日の国防会議の前の日、多分出勤したと思うということなんですが、その十月二日から十月九日の間、この間にT2、それからFST2改、防衛庁は引き続いてこの国産開発と、こういうことを強く主張しておられる。それに対して大蔵省あるいは国防会議の事務局の方から輸入という案が強く防衛庁に迫られたと、これは装備局長としてはもう大変重要なことですね。この間の経緯、少し伺いたいんですが、この間に防衛庁の方と大蔵省の方と、それから国防会議の事務局の方で協議をしてT2、FST2改にかわるF5の輸入を強く迫られた、そういう経過の中で折衷案をつくられたと、こういう経過があるようですが、この経過については当然装備局長であった証人は、その折衷案をつくる過程では重要なポストにあったと思うんですが、この経過を少し述べていただけませんか。
  68. 黒部穰

    証人黒部穰君) 結論的に言うと、あんまりはっきり覚えてないんですが、F5との優劣についてはずいぶんいろいろな資料をつくって、それで国防会議まではらはらしていたのはよく覚えております。折衷案は幾つかあったようでしたけれども、どんな案になっていたかも覚えてないんですが、ともかく何遍か幹事会でも議論が沸騰して、話がだんだん技術的な問題になってきて、それでは私ども応援行ってもどうにもならぬからもう少し詳しい技術屋さんを出そうかなんというようなことをやった記憶はございますけれども、まあそういう資料につきましては、大体は四十六年度の予算編成時でございます。四十七年……、四十七年度の予算編成時、つまり……
  69. 野田哲

    野田哲君 四十八年ですよ、予算編成時というのは。
  70. 黒部穰

    証人黒部穰君) 四十六年の十二月ごろからもうすでにそういうことは何遍も用意して、大蔵省とも一回議論した点でございます。それをまた四十七年の十月の段階でまたもう一度やり直すというような形になったわけで、一々細かに私まだ思い出せませんです。
  71. 野田哲

    野田哲君 どうも肝心なところが思い出せないということで、ちょっと困るんですが、少し具体的にそれでは私の方から申し上げて思い起こしていただきたいんですが、このT2、FST2改、これは防衛庁としては国産ということを非常に強く主張されておった。きのうの坂田防衛庁長官発言によると、長官、次官等は首をかける話であったと、こういうことですよね。そうすると、装備局長としてもそれに準ずる立場にあるんですから、これは大変な問題だったと思うんですよ。それでT2、FST2改にかわるF5の輸入論を持ち出されて、結局最後、途中に折衷案としてT2については当時生産段階に入っている二十機、これは残してあとF5にしていくと、こういう折衷案がつくられたというのが当時の経過だと言われているんですが、この折衷案、輸入を含めた折衷案というのはあなたのところへどこからだれが持ってきたのか、国防会議であるのか、大蔵省であるのか、あるいはあなた自身がそういう発想をしたのか、この点どうですか。
  72. 黒部穰

    証人黒部穰君) 一番最後の、私自身は絶対そんな折衷案を出しておりません。あの段階での折衝は、私が直接大蔵省とやるわけじゃなくて、もはや経理局長、防衛局長が主体になっていろいろな案を、どう対応しようかということでわれわれにもちろん相談があって、それで比較検討の資料などをつくったような記憶はございます。その中の一つに、先生おっしゃるように二十機だけを残し、それじゃF5で通すという案もあったかに思いますけれども、まあ言うなればしぶしぶ、しかもいかにそれがぐあいの悪いものであるかということを一生懸命書き立てたはずでございます。
  73. 野田哲

    野田哲君 その折衷案というのは、どこのだれが持ち込んできたか、防衛庁へ。わかりませんか。
  74. 黒部穰

    証人黒部穰君) 最終的な折衝には、私、入っておりませんので存じません。
  75. 野田哲

    野田哲君 どうも肝心なところがよくわからないんですが、最後に一つ伺いますが、結局あなたが防衛庁在任中で予算を手がけられたのは、四十八年度予算の概算要求を手がけられたわけですね。この四十八年度の概算要求、四十七年の夏からつくられたわけでしょう。この中でのPXL研究開発予算についてはどのぐらいのものを、どういう立場に立って要求されておられましたか、この点いかがですか。
  76. 黒部穰

    証人黒部穰君) まず第一に申し上げておきたいのは、在任中で一番力を尽くしたのは四十七年度予算の折衝でございます。大体、局長が出ていって折衝するのはどうしても煮詰まらないもの幾つかについて大蔵省なんかとやるのでございまして、したがって私の記憶に一番残っているのは四十七年度予算、つまりT2の二十機、これについては非常に強烈な印象をいまだに持っているわけでございます。  で、なお四十八年度のPXL予算要求は前年度アウトになりましたけれども、基本設計を再び出したように記憶しております。
  77. 野田哲

    野田哲君 私の調査をしたところでは、二十七億要求された、PXL開発について。こういうふうな資料があるんですが、思い起こしていただいて、いかがなもんですか。二十七億ということであれば、当然これは国内開発国産ということへ踏み込んだ予算だというふうに思うんですが、その点はいかがですか。
  78. 黒部穰

    証人黒部穰君) 用語の適正を期するために、国産開発とはまだ別の問題でございますけれども、四十八年度の概算要求では基本設計を含む開発に踏み込んだ予算要求したものと記憶してます。
  79. 野田哲

    野田哲君 終わります。ありがとうございました。
  80. 黒柳明

    ○黒柳明君 公明党の黒柳です。どうも御苦労様です。  いまの御発言で任期の期間から見まして四十七年度の予算を精力的に手がけられたと、こういうことを認識したわけでありますが、もう言うまでもなく四十六年度の予算、一回国会でストップがかけられました。十月にそれが解除された。この予算が使われないでストップになったんですけれども、本来、当然これは執行されるべき予算であったと思うんですが、なぜこれが執行されなかったのか、この点いかがでしょう。
  81. 黒部穰

    証人黒部穰君) 四次防の先取り問題ということで、国防会議の議を経ずに四十七年度予算にT2二十機、RF——忘れましたが、八機、RF4E八機だったかと記憶いたしますが、なお、それにC1の予算要求をしていたわけでございます。その手続が議を経ずにかけているとは何事だということで、国会の審議が中断したのを覚えております。
  82. 黒柳明

    ○黒柳明君 それから、十月のこの了解事項の後にたしか解除をされたわけですけれども、その後執行されてないんですけれども、それについてはいかがでしょう。ただ十月の二十四日ですか、退官なされたのは。ちょうどその時点なんですけれども、これについてはいかがでしょう。
  83. 黒部穰

    証人黒部穰君) 予算の凍結はT2の二十機、C1二機か四機か覚えておりませんが、RF4Eの輸入、これを凍結されたわけでございまして、凍結されていないのに云々というのはどの部分なのかちょっと明らかでございません。
  84. 黒柳明

    ○黒柳明君 四十五年、六年、そして四十七年ですね、引き続いて大蔵と防衛庁国産輸入をめぐっての論争があったと、四十七年の十月九日の国防会議直前の幹事会においても議がまとまらなかったと、こういうこと御存じのとおりでありますけれども、大蔵省と防衛庁とどういうことが装備局長在任中論議の中心であったか、これは輸入国産の問題が中心であることはこれは了解しておりますけれども、それを含めてさらにもうちょっとしさいに大蔵、防衛の論点あるいは話し合いの内容、これについてお知らせいただけますか。
  85. 黒部穰

    証人黒部穰君) 先生の御質問は、私、PXL予算のことではないかというふうに想定するわけなんですけれども、実は四十七年度予算のときにPXLにつきましては基本設計というものを要求いたしました。恐らく十数億円になるような金額ではなかったかと思います。これに対しまして、大蔵省は最後まで難色を示しました。実は防衛庁ではその前にC1を開発し、これを国産して、国産に入っているわけでございます。その前にPS1という飛行艇でございますが、これも開発いたしまして、開発が成功してこのまま国産に、生産に入ったわけでございます。大蔵省では、対潜哨戒機は必要なことはわかるけれども、あなたのところに開発費をつけると皆成功するじゃないですかと。開発というのは、もともと成功するかしないかわからぬところで研究して試作していくのが開発なわけですけれども、全部きれいなものができ上がると、でき上がると必ず今度は国産と、生産装備ということを主張すると、何かこれをうまい代案はないものかということを非常にしつこく言われたわけでございます。
  86. 黒柳明

    ○黒柳明君 そうすると、大蔵としては防衛庁開発研究——研究開発するとりっぱなものができると、できた段階で国産という意見に切りかわると、こういうことじゃ予算の関係でうまくないから、何かうまい代案はないのかと、こういうことが大蔵省と防衛輸入国産を含めての一つの論点であったわけですか、代案が何かないかと、重ねてお伺いします。
  87. 黒部穰

    証人黒部穰君) 直ちにそれがそのものを、たとえばでき上がったものを輸入するという案にはならないわけですけれども、当時、対潜哨戒機というのは、アメリカにP3Cがあり、ヨーロッパにニムロッド——ニムロッドは英国だったと記憶しますが、それからアトランティックという対潜哨戒機がありました。その中のものを輸入するのも一つの案でしょうし、また、あるいはまあ機体だけをライセンス生産するなり、輸入するなりして、それに電子機器国産開発して入れるというのも案でしょうし、あるいは当時、いま余り市場には上っておりませんけれども、通産省ではYXの開発というものがあったわけでございます。YXのどのくらいの大きさにするかというようなことは定まっておりませんでしたけれども、もしこれが防衛庁考えているようなものに近いものであれば、それを改造して利用するというような案もあり得たわけでございまして、大蔵省は決してそのまま輸入しろなどとは私に要求したような記憶は全然ございませんけれども、まあその日本の国土、国情に合わせたものをつくるといってすぐに機体の設計まで入るというのはいかがなものであろうかと、もっと何かがまんして節約するような方法を考えてみてくれというのが先方の主張でございました。
  88. 黒柳明

    ○黒柳明君 国産前提としたかしないかでいろいろ論議ありましたけれども、私はその予算の執行ないしは予算を計上する過程から見て、長官はできれば国産化と、こういうことは思っていたと、大蔵の方からそういうことについてクレームがかかってきた。当時の防衛庁の内部としてはこの国産を前提としたのかしないのか、あるいは前提としなかったとしても相当やっぱり国産に対して強い執念があったのかどうか、あるいは装備局長としての考えはこの点どうだったのか。
  89. 黒部穰

    証人黒部穰君) 用語の点から言うと、開発は直ちに国産にはつながらないわけです。開発して、成功してリーズナブルな値段ででき上がるということを見きわめた上で、それでは装備品として採用し、量産に入っていくと、こういう形になりますので、まあ形式的に言えば開発直ちに国産というふうには直にはつながらないわけですが、もともとアメリカのP3Cは離陸のための距離が非常に長くて、海幕の使用している滑走路ではたった一つの飛行場しか使用可能のものがないというふうに私は聞いておりましたし、先ほども申し上げましたように、中の対潜のための電子機器類は、最新のものは恐らく米側はリリースしてくれないであろうと、これは従来のいままでのいろいろなライセンス生産する場合、あるいは輸入する場合でも同じような経験をしておりますが、つまり第一線級の技術というものはなかなか教えてもらえない。やはりすでに二線級までいかなくとも、大体いままで使っているという在来のものならばリリースしてくれると。そういうことであるならばみずからの手で、しかも電子工学に関しては日本の潜在的な技術力はあるわけでございまして、これで開発していこうと。それから飛行機は離陸の距離の問題もありますけれども、またもう  一つ、P3Cは、あれはたしかエレクトラという、昔、二十年も前に使った飛行機の改造ですし、英国のニムロッドは、もはや昔のことになりましたが、コメットという飛行機の改造でございます。いずれもいま新たに使うとなれば余りにも時代おくれした飛行機であるという点を考えまして、われわれ防衛庁の中にいる者としては、当時はこれは国産よりしょうがないと、値段は極力安く仕上げるということで進めようとしておったわけでございます。それが不幸にいたしまして大蔵省の納得を得ず、四十七年度もついに日の目を見ることができなかった。ただ電子機器類の研究はいいでしょうということで、その分の予算がついたわけでございます。
  90. 黒柳明

    ○黒柳明君 いまの黒部さんのお話、もう国産より仕方がないと。これは先ほどから社会党の委員の質問に対しましても、電子機器リリースの問題、あるいは滑走路の問題、何回も繰り返しておっしゃったわけでありますけれども、仕方なかろうと、ということは、いま私言いましたように、防衛庁長官はできればと、こういう意思はあったけれども、前提とはしてなかったと、国産化をですね。前提としてなかったと。そうすると、私、いまのお言葉を聞くと、やっぱり客観的には、いままでも私は何回もそういう調査に基づいた質問をしてきたのですが、もう信念はかたかった、国産に対する防衛庁内部。あるいは信念がかたかったということはもう前提と言ってもいいぐらいの国産に対する研究開発をしていったと、こう受け取れるような御答弁だったと思うんですけど、もう国産より仕方ないと、こういういまの発言、ないしはいま申しましたように電子機器あるいは滑走路の問題と、こういう考えでよろしゅうございますかしら、重ねてお聞きします。
  91. 黒部穰

    証人黒部穰君) どうも説明が不十分でございますが、開発は直ちにこれは国産ではないという、これはまあ形式論上確かにそのとおりで、ですから、恐らくその防衛庁長官の御答弁も、政府として国産が決定したわけじゃないというのは、これは事実だろうと思います。ただ、担当する者としては、これは開発は必ず成功させる、成功したならばこれは国産に持っていくんだという意気込みであったということだけは事実でございます。
  92. 黒柳明

    ○黒柳明君 そうすると、海幕の、特にやっぱり担当の——今度は実戦に使う面ですね、海幕となると。もっとやっぱり物事をシビアに考えていると思うんですが、海幕の見解としては、特に日本の滑走路、これ使い物にならないと、こういうことをおっしゃいましたが、海幕としての見解はやっぱりどういうふうなことだったんでしょうか。
  93. 黒部穰

    証人黒部穰君) もちろん当時考えていたような物ができ上がるならば、これが一番いいということで、海幕が一番強い要求で、しかも当時使っております——現在も使っておりますが、P2Jでございますか、対潜哨戒機は私も乗ってみましたが、まことに古ぼけたような飛行機でございました。いい飛行機でいい電子機器を載せてやりたいというのが強い希望であったと、記憶しております。
  94. 黒柳明

    ○黒柳明君 まあ若干ニュアンスは違いますけれども、いままで確かに国産化決定したわけじゃない、この決定したわけじゃないということについても私たち若干疑義があるんですけれども、まあ証人のお言葉どおりに受け取っても、これは内局ないし海幕の当事者は相当国産に対して強い信念を持っていたし、また予算の執行状況等についても、先ほど、私言ったように、その方向に行ったことは間違いない、こういうふうに思います。  それで、先ほど十月八日のことを聞かれましたけれども、出席したかどうかも定かに記憶がないと、こうおっしゃったんですけれども、そうなりますと、さらに会議の内容につきましてはどの程度記憶されているかどうかちょっと疑問かと思いますが、そこで、言うまでもありません、大蔵省の宮下主計官から小田村経理局長に電話があった、それが直ちに内局会議に報告があった、T2改は国産PXLはあきらめろと、こういう電話があって、当然出席されているとするならば、その話はお聞きになった、そしてそこではどういう話になったのか。あっ、それならば大蔵省の言うとおりに合意しようと、そして翌日の九日の幹事会ないしは国防会議の了解事項、こう発展していくわけですが、十月八日の内局会議、これにおいて大蔵省から経理局長を通じて皆さん方に報告があった、これについてどのような検討がされたか、その結果どうなったか、御記憶ございませんか。
  95. 黒部穰

    証人黒部穰君) いまになって振り返ってみると、余りはっきり覚えてないわけです。で、それを申し上げますと、一つは八日九日は私が主役を演じてなかったということが一つだろうと思います。それともう一つは、実はジャーナリズムであそこが、何か白紙還元というところが非常に大きく取り上げられて、一日にしてひっくり返ったような書き方になっておりますけれども、私が担当している者の目で見れば、実はそれは一年前の十一月あるいは十二月の大蔵省との折衝、これは私が実は主役をやっておりますので、よく記憶しておりますが、T2二十機につきましても最後までうんと言ってくれない。そこへまた、PXLは何遍も申し上げますように、開発の第一段階としての基本設計要求したのですが、それをがんがん反対されました。もうそのとき、それで査定を受けた形が実は文章になって、主要項目表現になっておるわけでございます。口頭でお互いに話し合って、まあそれでも私らはまだ断念せずに、まあ来年があるさとかいうようなことで、ことしは認められなかったけれども、必ずや来年は説得して取ろうという気持ちだったわけです。ですから、私にしてみれば、そんなにその特別変ったように、まあわざわざ書きつけにして証文にされたというだけの話であって、もう勝負は、その年の勝負は少なくとも四十六年の十二月の段階で、内示の段階でほぼ固まったということになるわけです。
  96. 黒柳明

    ○黒柳明君 そうすると、十月八日の大蔵からいま言った国産、そして国産をあきらめろと、こういったことが経理局長から内局に諮られたその論議、その結果というものは記憶がないと、重ねて済みません。
  97. 黒部穰

    証人黒部穰君) いいえ、それはちょっとその辺どういうふうに説明すればいいのか、要するに問題は、主要項目にどういうふうに研究開発を書くかという問題だったわけです。そのまあ、対潜哨戒機能向上のための主要装備というような表現になっていると思います。われわれはそれでもまだ航空機開発、説得すればできるんだと、これで読めるんだと、こう思いますし、大蔵省の方は、これはもう機能の向上のための主要装備で、こんなわざわざ断って対潜哨戒機と書いてないのだから、これは飛行機はアウトじゃと、入れる入れ物の飛行機の方はアウトだと、中身の方のいろんな電子装備品は、これはいいんだぞと、こういう読み方をするんだよと、こういう構えなんでしょうけれども、お偉い人たちに上げる文章に、何といいますか、書きつけの表現で争っているということで、中身のことで実は争ってはいないです。中身のことはお互いに玉虫色といいますか、われわれはまだやれると思うし、向こうはこれで防衛庁はアウトにしているというつもりなのかもしれません。
  98. 黒柳明

    ○黒柳明君 いまおっしゃったことは、四十七年の二月七日、十月九日の大綱あるいは主要項目、この読み方、これをあくまでも玉虫色であって、われわれはあくまでも国産に対しての信念を、執念をそのまま延長できると、こういうふうに読んでいるんだと、こういうことなんですね。
  99. 黒部穰

    証人黒部穰君) まあ、さようでございます。
  100. 黒柳明

    ○黒柳明君 非常に、防衛庁長官ないし現在の防衛局長等が言っているいままでの国会の答弁と、当時の装備局長中心、海幕を中心にしての国産に対する執念、いまくしくも玉虫色だけれど、これは偉い人たちの話であって、内要はそんなものじゃないんだと、こういうようにおっしゃった。非常にやっぱり状態というものがはっきりしたと思うのです。それで、いま先ほどおっしゃったさらに了解事項、あれは十月九日の総理の相澤主計局長と後藤田さんと、この了解事項については事前にお知りになっておりましたでしょうか、十月九日、国防会議で出てきた。
  101. 黒部穰

    証人黒部穰君) その辺も実ははっきり覚えてないのです。いろいろ私、証人呼ばれてから聞いて、なるほどそうだったかなというんですが、しかし確信を持って——一体前の晩にそういう話があったのか、あるいはその当日帰ってきてからその話を聞いたのか、どうもやはり後者の方、つまり突然ああいうのが出てですね、というのがやっぱり正しい記憶のような気がいたします。
  102. 黒柳明

    ○黒柳明君 この点、海原前事務局長も、私も事前に知らなかったと、あの場で突然聞いておやと思ったと、こういう証言をしているわけですが、まあ一生懸命当事者として推進してきたわけですが、ああいう白紙還元、それから輸入を含めて国産考えると、国産輸入考えると、こういう了解事項がもうおやと事務局長も思うぐらいとっぴに出てきたんですけれども、まああの場には当然いらっしゃらなかったと思うんですが、それをお知りになって、あの了解事項の文面、どのようにお思いになったでしょう。
  103. 黒部穰

    証人黒部穰君) まあ、おやおやというのは、わざわざこういうことを書いたものだなということと、それから——というのは、なぜそういう表現を申し上げますかというと、実はもう輸入も含めて代案を考えてみなさいと、あなた方のはもうストレートに自分の手で開発せにゃいかぬという案しかないじゃないか、少しぐらい機能が不十分なとこあっても、何か輸入するとかなんかということも考えたり、あるいはほかのものを利用するということを考えろというようなことを盛んに言われていたものです。それはもうすでに十二月−もう半年以上前にその話になっておるわけであります。それがまあ書面といいますか、いうものに出たのであって、その中身について大きな変化があったというふうには考えていない。
  104. 黒柳明

    ○黒柳明君 そうすると、これも上の人たちのいわゆる玉虫色といいますか、専門家会議が答申してさらにこれは玉虫色になったんですが、PXL国産化断念と、こういうふうに別に読んではいなかったと、あの了解事項についてですね。国産輸入を含めてということは、別に国産断念と、こういうことにはわれわれは読んでいなかったと、こういうふうな判断でよろしゅうございますか。  それともう一点、ちょっと時間ありませんもので。結局先ほどの話からP3C、反対に言うと今度は輸入はできないと、こういうことに解釈してもいいんですか。
  105. 黒部穰

    証人黒部穰君) 一番最初……。
  106. 黒柳明

    ○黒柳明君 輸入する案は考えられないと、こういうふうにも解釈していいんですか。一つは、了解事項PXL国産化断念とは読まない。もう一つは……。
  107. 黒部穰

    証人黒部穰君) 当時の私の心境としては、ますますこれは手間暇かかるけれども、何といいますか、いろんな代案を考えてみても結局は国産した方がトータルにおいて安くなるということになりゃしないかと、それを執念深く説得していくよりほかあるまいと。それから輸入は、もちろん私は装備局長になったときから非常に弾力的に——余り防衛の昔のことを存じませんものですから、素人の考えで何でもやって、やりますよということをみんなに宣言しているわけです、素人の考えでみんなに質問しますよと。それでもちろん輸入の方が安ければ何らこだわることなく輸入でやっていきたいと思っていたんですが、当時私の知識ではやはりどうもP3Cというのは、入れるにしても日本の飛行場をもう少し広くするとか、長くするとかいうようなことでもあるならばまだしも、使いにくい飛行機ではなかろうかというふうに考えたわけです。
  108. 黒柳明

    ○黒柳明君 以上です。ありがとうございました。
  109. 内藤功

    内藤功君 先ほどの御証言で、前装備局長の蒲谷さんの路線をそのまま踏襲していきたいという記者会見をやられたいというお話でした。そこで、あなたが装備局長就任された際の引き継ぎの中では、次期対潜哨戒機の基本設計を含む開発についてはどのような引き継ぎがなされましたか。
  110. 黒部穰

    証人黒部穰君) まあ、いわば既定路線ということで、ぜひ開発基本設計費をかち取って——かち取るという表現、いけないかもしれませんが、基本設計予算をちょうだいして開発の一歩に入りたいと、入るべきであるということでございます。当時の研究開発の非常に大きなテーマであったと記憶しております。
  111. 内藤功

    内藤功君 そうしますと、昭和四十七年度の予算要求で非常に御努力をなさったという証言でありますが、このPXL基本設計を含む開発要求を四十七年度予算に含んで要求をされたと。当時の状況としては、この基本設計予算が通れば、この次はいわゆる装備品の制式に関する訓令というやつで、防衛庁長官技術本部の部長に何というか命令を出して、基本設計命令を出すと、そうなるともう国産の第一歩に入ると、こういうふうに理解をしていいわけですね、そういう段階まできておったわけですね。
  112. 黒部穰

    証人黒部穰君) こだわるようですが、先ほどから申し上げておりますように、国産というか量産といいますか、いくまでにはまだ幾つかの段階ありまして、基本設計から今度は細部設計に入りまして、それから試作をすると。試作ができますと、それを——試作機は大体一機か二機、まあ普通二機だろうと思いますが、二機試作でき上がりますと、それを試験をいたします。長い期間かけまして試験をいたして初めてそれから国産といいますか、量産といいますか、いうようなことで改めて予算要求をいたしまして、通りますと、装備品ということで部隊に配置、配備していくわけでございます。したがいまして、幾つかの段階を経ていくわけで、そのたびに、そのたびごとに長官から開発段階におきましては技術研究本部長に対しての指令が出されると記憶しております。
  113. 内藤功

    内藤功君 そうしますと、四十七年度予算要求基本設計を入れていたってことは、もうこの予算が通りさえすれば、次はもう基本設計、それから後はいまおっしゃったような試作機の製作ですね、ずうっと量産までの道が開けると、こういう見通しだったわけですね。
  114. 黒部穰

    証人黒部穰君) 先ほど黒柳先生にも申し上げましたように、形式上といいますか、法律上といいますか、開発段階ではこれは直ちに国産ということが決まるわけではございません。ただ、担当したわれわれの当時の気持ちといたしましては、必ずや設計から試作、試験まで完了させて、十分これは使用にたえるというものをつくり上げる。で、つくり上げたならば量産に国産と、量産といいますか、国産といいますか、国産に持っていくと、失敗させずに国産に持っていくという構えで、考えでおったということは事実です。
  115. 内藤功

    内藤功君 先ほどのお話で、四十七年度予算の折衝の中で大蔵側としては、その対潜機に積む電子機器研究はいいが、機体の方の研究はこれちょっと待ってくれ、こういう趣旨の応答だったように伺ったんですが、その点をもう少し正確に、この電子機器と機体との関係に触れながら、どういう回答であったか述べてください。
  116. 黒部穰

    証人黒部穰君) まあ、それぞれの目的に合った特別の飛行機が、航空機が欲しいという気持ちはわかるけれども、従来行ったもの、つまりC1を開発し、開発完了していよいよ量産といいますか、自衛隊に配備するために生産するという段階では非常にコストが高いではないかと。PS1も——C1にいたしましても、PS1にいたしましても私は開発は非常に成功だと思っております。成功だと思っておりますが、実は装備局長としても余りにもコストが高くなるというところに実は難点があったわけでございます。で、その後のT2も何年かかりましたか、三年かかりましたか、四年かかりましたかわかりませんが、もうちょっとかかりましたですね、T2も実は開発して成功し、ちょうど私のときがそれを部隊配備のために量産に持っていくというときだったわけでございます。
  117. 内藤功

    内藤功君 大蔵側の応答について。
  118. 黒部穰

    証人黒部穰君) そこで、防衛庁開発というものはいつも成功して、それが必ず今度は国産ということにつながってくると。で、どうしても量との関係になるわけですが、機数との関係になるわけですが、コストの高いものになると、これを多少がまんして何か別の飛行機で代替して対潜機能ということの目的を果たすようにするわけにばいかぬのかというようなことで研究してみてくれと。英国の物を使うのはなぜいけないのか、アメリカの物を使うのはなぜいけないのかというようなこと、まあYXの話は大蔵省からは直接出なかったようですが、ひそかにYXの活用というようなことも実は代案としては考えなきゃいかぬかなというようなこども研究はしておりました。
  119. 内藤功

    内藤功君 端的に聞きますが、大蔵側から電子機器研究を大いにやるのは結構だけれども、機体についてはちょっと待ってくれと、こういう話はあったかなかったか、その点。
  120. 黒部穰

    証人黒部穰君) アメリカ側リリースを求めても最新の電子機器についての情報、技術情報はリリースしてもらえないであろうと、かつまた日本には工業潜在力があるわけですから、これをみずからの手で開発したいと、それはそれで結構であると、しかし機体まで一緒に含めてするのは何かもう少し代案はないかということだったわけでございます。
  121. 内藤功

    内藤功君 ところで、当時この四十七年度予算の折衝をなさっている間に、防衛庁として次期対潜機のいろんな問題につきまして部内だけではなくて、防衛庁の外部の人の——専門家ですね、外部の専門家などの意見を聞くというような会議を持ったことがないですか。全然ないですか。
  122. 黒部穰

    証人黒部穰君) ございます。  内幕を言えば、これも大蔵省からのサゼスチョンで、防衛庁の中だけで対潜哨戒をやるためには飛行機から中の電子機器まで一切そろえて開発し、国産するというのでなくて、もうちょっと代案を考えるために外部の人の意見も聞いてみてはどうかというようなサゼスチョンがあったものですから、予算折衝の激しくなる前に、十月の末か十一月ころかと思いますけれども、外部の方も来ていただきまして、懇談会という形で非公式に意見を拝聴したことはございます。
  123. 内藤功

    内藤功君 その懇談会には外部の人はどういう方を呼びましたか。
  124. 黒部穰

    証人黒部穰君) 日大教授の木村秀政教授、それから電子工学院だと記憶しておりますが、の岡田実教授、それに野村総合研究所の佐伯喜一所長さんの三名だったかと思います。そのほかにはなかったんじゃないかと思います。  それに実は役所関係では科学技術庁の振興局長、運輸省の航空局長、通産省の重工業局長にも来ていただきまして、それで懇談会を開いた記憶がございます。
  125. 内藤功

    内藤功君 その懇談会は名称は何と言うのか。それから、だれの名前でそういう懇談会を招集したか。
  126. 黒部穰

    証人黒部穰君) 非公式なもので、何々委員会というような正式に法的根拠のあるものではなくて、外部の方々の御意見を聞きますという形で、言うなればPXL懇談会というような名前をつけたんではないかと思います。  招集者は事務——招集といいますか、出席依頼の手紙は事務次官名かなんかで出したように記憶しております。
  127. 内藤功

    内藤功君 そこへは大蔵省は出席しましたか。
  128. 黒部穰

    証人黒部穰君) 大蔵省出席いたしました。
  129. 内藤功

    内藤功君 そこでは、この三人の外部の学者の方々はどういう意見を言われたか。また大蔵省はどういう発言をされたか。
  130. 黒部穰

    証人黒部穰君) まあ、あんまりはっきり覚えていませんが、木村先生は、いろいろ御説明、われわれ防衛庁側で御説明申し上げたところ、いまさらエレクトラではねというようなことで、P3Cの——もう飛行機が古いということをおっしゃられましたし、岡田先生は、まあそういうような電子機器ならば資金と時間をかしてもらえれば開発できるであろうと、佐伯先生の意見は、私はっきりは覚えておりませんが、恐らくなぜそういうものがまず必要かというようなことからいろんな質問が行われていたように思います。  現実の審議では、実は私が座長みたい——座長といいますか、司会役みたいな役をなしまして、まあほかの委員会の例にならいまして、防衛庁側がるる説明申し上げると、外部の方が大体御納得いただけるような段取りに持っていけると思ったんですが、実は大蔵省の主計局の人が出席しまして、かなり激しい質問を浴びせまして、先ほど私が断片的にちょっと申したような質問がかなり強烈にありまして、本当ならば、これに対する答弁を十分用意していたわけなんですが、何かあんまり対抗できるほど十分な説得力のあるようなものではなかったので、これが実は四十七年度の予算で私が残念ながら開発のための第一着手としての基本設計費を取り得なかったと、電子機器部分だけで取ったはずですと、こう申し上げたのは、その辺が影響したのではなかろうかと思っています。
  131. 内藤功

    内藤功君 そうすると、このPXL懇談会というのは、大蔵省の主計局がサゼスチョンをしてつくられたもので、しかもその席上で大蔵省は非常に鋭い、激しい質問を防衛庁側にやったと、こういうことですね。
  132. 黒部穰

    証人黒部穰君) まあ、そういうことになります。
  133. 内藤功

    内藤功君 ついでに伺っておきますが、このときの三人の専門家の方の御了解を得るにはそう大して困難や時間がかかるということはなかったですね。
  134. 黒部穰

    証人黒部穰君) 委員というようなことではなくて、御意見拝聴ということで、ただし、こういう懇談会をやりますのでということで、私も実はほかの候補者にも当たりまして断られたようなことも記憶しております。で、この御三人は、それではちょうど当日あいているから出ていってあげましょうと、こういうことになったように覚えております。
  135. 内藤功

    内藤功君 この問題で主計局のどなたからサゼスチョンがあったか、主計局のどなたが出席されたか。
  136. 黒部穰

    証人黒部穰君) 主計局は恐らく、まあ主計局の主計官だろうと思います。というのは、私が直接受けたんじゃなくて、課長がそのことの趣旨を持ってきて、まあ私もあるいは行ったときにそんな話あったかどうかちょっと思い出せませんが、まあ要するにそれは主計局の意思として外部の意見も聞いてみなさいということでサゼスチョンはありました。それから御案内を申し上げましたところ、主計局の当時の次長が出席しました。
  137. 内藤功

    内藤功君 主計局長の相津氏からサゼスチョンなりあるいは会議への出席はなかったでしょうか。
  138. 黒部穰

    証人黒部穰君) 相澤主計局長はわれわれ局長クラス折衝の相手じゃなくて、電話でこういう日にこういうことでやりますよと、どなたか出ますかと言うたら、主計局次長の大倉眞隆氏が出てまいりました。
  139. 内藤功

    内藤功君 次に、年が変わって四十七年二月七日の日に四次防大綱ができるわけですが、この中の「対潜哨戒および早期警戒機能向上のための各種装備等の研究開発」とありますが、「機能」という言葉、非常に私は見なれない言葉なんであります。そこで私は端的にお伺いしますが、四次防大綱をつくるときに、その過程の中で最初から対潜哨戒機能というのが書いてあったんですか。途中から変わったんですか。その点、端的に伺いたい。
  140. 黒部穰

    証人黒部穰君) われわれの原案は対潜哨戒機です。それはもう中の電子機器から機体から全部含んだものを開発したいというのが防衛庁の当時の考え方でありまして、それが先ほど来申し上げましたような事情これあり、特に十二月におきまする予算の折衝で、まあ平たく言えば私らが負けまして、で、まあ大蔵省は機体の方は後じゃと、よく研究してと、まず電子機器からやりなさいということで、それを表現したのが対潜哨戒機能でございまして、機とは書いてないわけです。原案は、原案といいますか、われわれが要求していたものは機であったんです、文章の方も。大体まあ十二月に勝負はついているんですけれども、それをわざわざ文字の面であらわされたというのがまあ実情かと思います。
  141. 内藤功

    内藤功君 端的に聞きますが、この「機能」というふうに「能」という字がつけられたのは二月七日のどのぐらい前なんですか。
  142. 黒部穰

    証人黒部穰君) はっきり覚えていませんが、恐らく前日ぐらいに幹事会、次官レベルの幹事会に出す前に、大蔵省ではこれ、機じゃだめだよと、これ、能に直してくれというような話があって、まあ大分抵抗したんですが、それじゃまあ私らの方では「機能」と書いても何も飛行機開発するのをこれは断念することを意味しないと、恐らく大蔵省の方はこれは機とやると危ないから「機能」にとどめておくと、この次、要求来てもこの書きつけ見せて何じゃと、こういうことでやれると、こういうまあ腹づもりだったかもしれません。ですから、余りそこを最後は詰めずにお互いにこちらは——こちらというのは防衛庁の方はまだまだやれるというつもりで、まあちょっといやらしい字が一つ入ったけれども、がまんしようということで妥協したように記憶しております。まあ前の日か、前々日か、はっきり覚えておりません。
  143. 内藤功

    内藤功君 直前の前日か前々日、しかも大蔵省の幹事会に出るクラスの人だということで承っておきます。  そこで次に伺いたいのは、十月九日の了解事項の中で「今後輸入を含め、この種の高度の技術的判断を要する問題については、国防会議事務局に、専門家の会議を」設置する云々、この専門家会議の設置ということをお知りになったときに、あなたとしてはこの専門家会議が一体どんな時間かかるであろうか、あるいは専門家会議ということによってこれからの対潜機はどうなるであろうかということについて、どういうお感じを持ったか、率直に簡明に述べてもらいたいと思います。
  144. 黒部穰

    証人黒部穰君) PXL懇談会のお話を先ほど申し上げましたが、まあ実はあれは一回しかやりませんでした。というのは、予算の最後の決定で、私が、私らがねらっておりました基本設計というものをまず取るというのが失敗に終わりまして、電子機器だけで終わったわけでございます。しかし、さらにこれを進めるためには時期を見てまたああいう会を開くか、何かだんだん説得の道を考えなきゃいかぬと、こう思っておったわけでございます。国防会議の方でこの専門家会議というのができたのを見まして、あの文章を見まして、おやおや今度はお座敷がちょっとりっぱなところへ——防衛庁の中で非公式に一回開いただけですが、非公式にやったものを今度はりっぱな国防会議の事務局でやるのだなということで、まあ少し説得する対象の方々がたくさん、先生方はふえるなという印象は受けましたが、真実とこの必要性ということをよく御説明すれば、まあ必ずや初志の意思は貫徹できるのではなかろうかというふうに考えました。
  145. 内藤功

    内藤功君 しかし本心のところ、これは長引くだろうと、説得する相手もふえるし、長引くだろうと、いやだなという気持ちは持ちませんでしたか。
  146. 黒部穰

    証人黒部穰君) いま先生おっしゃるほどの感触ではなかったのです。お座敷がりっぱになるから手数も踏まなければいかぬけれども、かえって多くの方々に御理解していただいて、すれば、大蔵省も納得してくれるであろうと、こういう、かえってあるいはチャンスではなかろうかというふうに考えたわけです。
  147. 内藤功

    内藤功君 ぼくの言ったほどじゃないけれども、めんどうだなという感じは残ったというふうに私は理解をします。  もう一つ、十月の八日のことです。もう時間がないので端的に聞きますが、十月八日日曜日に登庁なさった、これは結構ですが、十月八日の夜、大蔵の宮下主計官から防衛庁に電話があったということは御記憶がありますか、どうですか。
  148. 黒部穰

    証人黒部穰君) ただいまそういう記憶はございません、私は。あったかもしれないし、なかった……、あったような気もしますけれども、どうもその辺はっきりいたしませんです。
  149. 内藤功

    内藤功君 次が、スタッダードさんの話ですけれども、そうすると、このスタッダードさんが来たのは春にP3Cの額入り写真を持ってきたとおっしゃるのですが、そうすると、その記憶は、四十七年度の基本設計予算部分が削られて間もなくすぐに来たという御記憶ですか。
  150. 黒部穰

    証人黒部穰君) 間もなくかどうかもはっきりいたしませんですが、まあ大体は持ってきた趣旨基本設計費をまずアウトにされた防衛庁をひやかしに来たような感じでしたから、私は春だろうと思います。まあ一月や二月ではなかったように記憶いたします。
  151. 内藤功

    内藤功君 非常にスタッダード氏というのは俊敏で、もうそういう防衛予算が削られたと、すぐ来たという感じが非常によくわかりました。  そこでお伺いしたいのは、その額入り写真を持ってきてから後、もちろん来ているわけでしょうが、十月九日の前にも後にも来ていると、これは間違いないでしょうね。
  152. 黒部穰

    証人黒部穰君) まあ月一回か二ヵ月に一回ぐらい会っていますから、恐らく十月九日の前にも後にも来ていると思います。
  153. 内藤功

    内藤功君 それぐらい俊敏な人ですから、十月九日の記事を見た後も当然来ているとぼくは思うんです。  最後に、時間がありませんのでもう一つだけ聞いておきますが、あなたは、P3Cについては滑走路が日本の飛行場では非常にこれでは短いという難点と、それからもう一つ、これは難点とまでいかないけれども、アメリカ海軍はP3Cの特別新しいものはくれないであろうと、少し古くなったやつをくれるだろうというお見通しを持っていらしたというお話ですが、潜水艦がどこの国の潜水艦かを発見するための電子計算機に入れる、音紋と言われているようですが、潜水艦の発する音ですね、ソ通ならソ連の何型の潜水艦がこういう音を出すという、この音紋など、いわゆる電子計算機のソフトウエアの提供について、アメリカ海軍は、P3Cを、機体を入れた場合でも簡単に、それを容易に日本に提供するであろうか、条件づき、あるいは部分的にしか提供しないのではなかろうかと、その点については在職中どういうふうにお考えになっていましたか。さっき機体と滑走路の話が出たのでついでに聞いておきたいんですけれども。
  154. 黒部穰

    証人黒部穰君) 実は、その音紋そのものについては何も私は知識ございません。その辺のことのリリースやなんかにつきましても一切知識ございません。まあ古いものしかよこさぬというのは、実は一番大事な電子機器類のことを言っているわけでございます。飛行機自体は新しく製造したものにしても、型としては二十年も前の、もう先生方もあるいはお若いときにお乗りになったかもしれませんが、ターボプロップの飛行機で、もういまや世界のどこにも使ってないような飛行機なわけでございます。
  155. 内藤功

    内藤功君 よくわからぬということですね、音紋のことは。じゃ……。
  156. 柄谷道一

    柄谷道一君 民社党の柄谷でございます。  最初にちょっと確認をしたいんですが、ただいままでの証言の中で、あなたは、四十六年九月一日に局長に就任した際引き継ぎを受けた。その引き継ぎは、既定路線を踏襲する、必ず基本設計予算を取って研究開発を進めると、こういう申し送りであった。また、あなたは経企庁、通産省等の御経験が長いわけでございますが、当時関係しておられなかったとしても、通産行政のベテランとして、通産省は知識集約産業である航空産業を育成強化しなければならぬという立場に立って国産化の、PXLについても国産化の方針を堅持されておったということは御承知だと思うんです。そういった一連の問題から、御証言によりますと、形式的には国産化は決定していなかったけれども、必ず開発は成功させる、そして成功すればそれを国産化するという決意であった、こう述べられたわけでございますが、就任当時の御決意はそのとおりと理解して間違いございませんか。
  157. 黒部穰

    証人黒部穰君) まあその新任当時というのはどこまで言うのかわかりませんが、新任当時は何もわからず五里霧中というのがむしろ真相でございます。PXL予算なぞは着任してからだんだん話を聞き予算要求もしていると。もちろん私自身は、やや大蔵省的というわけでもないんですけれども、なぜそういうものが必要かというようなことまで一々聞いて、なるほどそういうことであるならばやはり開発せにやなるまいなということで進めたということでございます。
  158. 柄谷道一

    柄谷道一君 あなたのそのお考えは、装備局、経理局、防衛局を初めといたしまして、当時防衛庁の一致した物の考え方である、決意であると理解してよろしゅうございますか。
  159. 黒部穰

    証人黒部穰君) そのとおりでございます。ただ、ちょっとここで蛇足ながら、先ほど通産省国産だから、あなたは通産省出身だから国産推進するのはあたりまえだというふうなおっしゃり方されましたけれども、まあ私自身は、そういう出身だからどうということじゃなくて、全く素人として最初から聞いていくという弾力的な構えでしたし、まあ率直に言いますと、実は先ほど懇談会の話しましたが、通産省はそれほど国産を執拗にということじゃなくて、防衛庁がおやりになるなら結構ですがと、やや受け身というと変ですけれども、まあ輸入となるとあるいはまた別な意見が出てきたかもしれませんが、私のしりをたたいて何とか国産に持っていけなんというようなことを一回も言ってきたことございません。
  160. 柄谷道一

    柄谷道一君 防衛庁の一致した国産化の強い決意によりまして一まあ室井証人国産化が前提であった、そのところは若干食い違いますけれども、少なくても防衛庁の意向はそれでわかりました。その防衛庁の意向を受けて川崎重工は、設計室を設け、四十七年にはこれを設計部に昇格をいたしました。電子機器専門家等を含めました九十二名のスタッフで防衛庁のその決意に対応する体制をとったわけでございます。この川崎重工のこのような意図は、防衛庁の意向をそのまま反映しての措置であると理解してよろしゅうございますか。
  161. 黒部穰

    証人黒部穰君) 多分そうだろうと思います。
  162. 柄谷道一

    柄谷道一君 防衛庁の意図がそうであった、これを受けて川崎重工は対応する体制をとった。といたしますと、昭和四十五年は川崎重工との契約は七月九日であります。四十六年は九月九日に契約が締結されております。ところが、あなたが局長に就任されましたこの四十七年は、あなた初め防衛庁幹部のそのような意向にもかかわらず、十月の国防会議時点まで契約は締結されておりません。なぜ契約の締結がおくれたのか。もし、その間に川崎重工との間の交渉は精力的に進められていたのか、この点はいかがです。
  163. 黒部穰

    証人黒部穰君) 実は残念ながらはっきり覚えてません、そのなぜおくれたかという。電子機器開発予算は取ってるわけでございますから、まあ川崎重工そのものは主契約者としてですね、重工と仮に契約しても、電子機器関係の専門の会社のところのスタッフを中心にして開発進める予算をつけても、予算を何といいますか、執行する、執行をしても差し支えなかったんじゃないかと思いますが、まあ一つは、御承知のような大きな費目につきまして予算の凍結ありまして、それ以後、防衛庁の職員も大蔵省の職員も非常に何といいますか、防衛予算の実行にしても何にしても神経質になったことは事実です。私、神経質になったような記憶ございますから。そういうことで、そこへもってきて四次防の主要項目決定という別の問題ございまして、大蔵省の事務当局も非常に多忙をきわめて予算の示達がずっとおくれたんじゃなかろうかというふうに考えます。もう一つ考えられる、なぜ使わなかったかというので、恐らくはまあ、三月まであれ契約すりゃいいわけですが、まあ機体そのものの方が宙に浮いたようなかっこうになりましたので、それとの結びつきでの電子機器ということであると、あるいはなかなか実行が、執行がむずかしかったのかもしれません。
  164. 柄谷道一

    柄谷道一君 では、観点を変えますけれども、四十七年十月の国防会議は、言うまでもなく四次防整備五ヵ年計画の大綱を決める会議でございます。当時の焦点は、四次防をめぐる最大の焦点は、その対地支援戦闘機、これをFST2改とい形で国産にするか、大蔵の言っているようなF5Eの輸入を行うか、それが最大の焦点であったと思うわけであります。PXLは五次防に属する問題であります。しかも、証人はこのPXLの問題については、その前年の十二月にもう勝負はついている。したがって、了解事項を見たときにおやおやと、いまさら文書でなぜ書かなければならなかったのかと、こう感じたと、こう言われました。ということは、あなたは少なくてもこの国防会議でPXL問題が取り上げられるものとは思っていなかったと、こう理解してよろしゅうございますか。簡単にお願いします。
  165. 黒部穰

    証人黒部穰君) PXLを装備するか——装備というのは、量産にして自衛隊に配備するかどうかというのは、これは恐らく五次防以降のことになると思いますけれども、この四次防とともに開発をする予算をつけてもらうというのが眼目でございます。これは、四次防のときの研究開発の眼目だったわけです。で、片やT2、FST2改の問題ございまして、これはまあ実ははらはらするような局面のあったことだけ覚えております。私も非常に心配いたしまして、したことは覚えておりますが、これがPXLが全然問題じゃないんであって、やはり主要項目の中に次期対潜機云々という対潜機能の向上のため主要装備の研究開発を行うというのが一項目入っておるわけでございます。やはりこれが問題点の一つではあったわけでございます。
  166. 柄谷道一

    柄谷道一君 まあ、前の証言では、おやおやと思ったと、こう言われたわけでありますから予期はしておられなかったと私は理解いたします。  そこで、八日、大蔵省の宮下主計官から防衛庁に電話があった。T2シリーズの国産化と引きかえにPXL国産化は断念してもらうと、こういう趣旨の連絡であった。あなたはそういう連絡のあったことを承知いたしましたか。
  167. 黒部穰

    証人黒部穰君) 何遍も申し上げますように、八日のことは実ははっきり覚えてないんで、恐らく八日の前にその研究項目の、四次防の主要項目ですか、主要項目の中の研究開発項目の中でこの対潜哨戒機は落ちまして、しかも二月の大綱のときの表現よりももうちょっと、一歩われわれに不利なような形に、これは十月の文章と二月の文章をお比べいただけばわかりますが、また少しきつくなったような、われわれの目から見るときつくなったような感じになったわけです。その辺のところは、すでに私の感じでは、もう、まあ、じゃあこの辺の表現でがまんしようということで八日の晩でなくともまあ大体……
  168. 柄谷道一

    柄谷道一君 いや、簡潔に。電話の内容を知ったかどうかですよ。
  169. 黒部穰

    証人黒部穰君) それは存じません。
  170. 柄谷道一

    柄谷道一君 しかし、防衛庁に大蔵省の主計官からそういう連絡があったことは事実です。もう他の証言で明らかになっております。そこで防衛庁は翌日、八日ですか、庁議を開きましてT2シリーズの国産化はまあやれやれだと、しかし、まあここまでいったんだから、PXLについては国産化を断念しようというような庁議での決定はございませんか。
  171. 黒部穰

    証人黒部穰君) 私、断念しておりませんでしたから、恐らくそんな決定ないと思います。
  172. 柄谷道一

    柄谷道一君 そうしますと、これは新聞報道でございますけれども、後藤田さんが、国防会議前日防衛庁は庁議を開き、PXL国産化について大蔵省の反対を考慮して国産化を断念したはずで、島田次官と海原事務局長が私の自宅を訪ね、この方針を伝えてきたと、こう反論されたということが新聞記事に出ておるわけですが、そういう事実は全くないと、こう理解してよろしゅうございますね。
  173. 黒部穰

    証人黒部穰君) 断念しろと島田次官から言われた記憶ございませんし、問題は、その表現を、表現中身——中身は大体大蔵省との話でもう半年以上も前の、約一年前の大蔵省との折衝で、機体はだめだぞということで、しかし私らはそれを何とか盛り返そうと、で、だんだんそれを表現として、まあ証文みたいな形で、二月のあるいは十月ということで表現されていたわけでございます。しかし、まだ断念はしていないと、ただその大蔵省的な言い方すれば、あの表現防衛庁のんだんだからまあ断念したろうというふうに受け取られ——そういうふうに、そういう印象をお持ちになるかもしれないし——かもしれませんけど、私らはまた新たな国防会議のまあ九日にわかったことですけれども、国防会議の議員懇談会で——失礼、国防会議の事務局に設けられる専門家会議でいろいろ実情を申し上げれば機体の方の復活も可能ではなかろうかというふうな気持ちでおりました。
  174. 柄谷道一

    柄谷道一君 まあいまの証言で、少なくても新聞紙上で反論された後藤田さんのこの発言防衛庁の当時の状態とは異なっているという点だけは明確になったと思います。  そこで、時間がありませんので最後に一問だけ御質問いたします。  いままでの証言で、あなたはこの、議員懇談会の了解事項、これはその前年十二月の予算折衝における段階の経緯を文章化したにすぎない。しかも四十七年度の予算は、いろいろ折衝した結果不満足ではあったが、哨戒機ではなく哨戒機能ということになったと、しかも当時大蔵省はこの予算について国産化を前提とせずという条件がついていたと、としますと、全然この了解事項が決められてもあなたの証言によれば情勢の変化はないわけです。予算案が決まった十二月時点了解事項時点とは変化がないわけです。ということでしょう。にもかかわらず、機能研究のための予算をなぜ執行を停止したのですか。
  175. 黒部穰

    証人黒部穰君) それは先ほども答弁申し上げましたように、私もまあ十一月でやめたわけで、なぜ三月までできなかったかなと、で、まあ二つ三つ理由を挙げたわけでございます。一つはまあ非常に神経質になっていて、まあ議員懇談会せっかくかけるんだからというような——失礼しました、専門家会議でこれから検討するんだからということで様子を待とうということもあったかもしれませんし、それからもう一つは、まああの電子機器がやはり機体の方の大体こんなような感じのものをつくるのだということがなければ、その電子機器といえどもそれ独立ではやっていけないと、飛行機のスピードだとか大きさとかいうようなことも十分計算に入れないと基本的な項目すらできないということでやめたのか、その辺は私は覚えておりません。
  176. 柄谷道一

    柄谷道一君 時間が参りましたので、疑義はまだ残りますが一応質問は終わります。
  177. 野末陳平

    ○野末陳平君 いままでの委員と重複するところがあると思いますけれども、お願いします。  これまでの証言を聞いておりますと、防衛庁としては国産以外は考えておらず、意気込みとしてはもう国内開発の実現を信じて疑わないというムードととれますが、それでいいですか。
  178. 黒部穰

    証人黒部穰君) そういうつもりでやっていたというふうに御理解いただきたいと思います。
  179. 野末陳平

    ○野末陳平君 対しまして大蔵省の方ば、現実に要求予算を削るということで、むしろ輸入を進めるという立場をとっていたわけですか。
  180. 黒部穰

    証人黒部穰君) 何か代案ということになると、機体を輸入して電子機器自分の手で開発してそこへ入れるというようなことも考えられましょうし、あるいは、これは現実には不可能ですが、C1をすでに開発して自衛隊に配備しております、これをそれなりに改装して、それに電子機器を組み込むということも考えられると思うんですが、そんなような代案を研究してみてはどうかと、もちろん十分の、要求に対して十分の役は果たせなくても多少はがまんしてコストを安く上げるということを考えてはどうかというような話でございました。
  181. 野末陳平

    ○野末陳平君 積極的に輸入を進めるという立場ではなくて、PXLの国内開発はちょっと無理だということですよね。そうですね。  そこで、それが四十七年の十月九日の例の了解事項以前のムードだというふうに受け取って、次に質問しますが、今度は、例の了解事項出ましたね、その了解事項が出た、この白紙還元ですね、国産化問題、この白紙還元を、あなたを含めて装備局全体ではどういうふうに受け取られたか。もしショックがあるとすればどういうショックであったのか、その辺のことも簡単にお願いします。
  182. 黒部穰

    証人黒部穰君) まあ、大蔵省のやりとりはもう一年前からやっていて、しかも一年前に、ありていに言えば私が負けたわけです。それをわざわざ、何というか、文書になったというような形なわけですから、中身としてはそれほど変わったわけじゃなくて、前一回やった懇談会がりっぱなお座敷で、国防会議で今度はやるんだなということで、さりとて少しずつ形勢は悪いようだけれども、まだまだ断念できないというのがわれわれの当時の印象でございました。
  183. 野末陳平

    ○野末陳平君 しかし、現実に国産化問題ただの白紙還元でなくて、輸入も含めてという、輸入が前面に押し出されてきているということについてまた別の受け取り方があったと思うんですが、いかがですか。
  184. 黒部穰

    証人黒部穰君) 四十七年度の予算折衝を通じ、あるいは四十八年度の予算編成を通じて、日本技術レベルはかなり高くて開発はできるんだけれども、どうもコストが高くなるというのが偽らざる私の悩みの、内心持っている悩みでしたから、もちろん同じような機能を果たすもので輸入できるものがあるならば、私は過去に何らこだわるような理由がございませんから、部内を督励して、じゃひとつ輸入にしたらどうだというような気持ちも、もちろん発言もするでしょうし、やったと思います。そこはこだわらずにやるつもりで、もちろん就任当時からやってました。ただ、いろいろ研究して、これはちょっと無理だなと、やっぱり開発せにゃいかぬなと、こう思ってたわけです。まあ同じことをまたもう一回、一からやり直してやらなきゃいかぬなという印象でございました。
  185. 野末陳平

    ○野末陳平君 そうすると、国防会議の例の了解事項が出る以前と出てからと、要するに端的に言ってどの部分が変わったんでしょうか、考え方として。
  186. 黒部穰

    証人黒部穰君) ちょっと御質問の趣旨がよくわかりませんが、私ここで申し上げたいのは、いま世間一般には白紙還元のところをばかに大げさに書き立てているように思うわけですけれども、担当した私といたしましては、あの思想というものはもう一年も前から大蔵省と私がやり合って、それでなかなか説得できずに、それで、しかも私自身はまだ断念せずにということでやってきてますので、まあ表にまた麗々しく書かれてちょっと大変だけれども、まだまだやれると、やろうという気持ちでおったわけでございまして、むしろ、私自身が、なぜこの世の中で、現在の日本で十月八日のことを、十月九日のことをあんなにやかましくおっしゃるのか私には不思議でならない。私自身としては、まあ率直に言うなれば、そんなものはもう一年前に私が大蔵省とさんざんやり合ってどうも説得できないと、それでそれが予算の内示になり、あるいは国防会議のいろんな文章となって少しずつ克明に表に出てきたというだけであるというふうにしか理解してないわけです。
  187. 野末陳平

    ○野末陳平君 黒部さんの考え方わかりました。要するに、中身としては、あの了解事項中身はもう一年も前からのことであって、突然出てきたことでなくて、しかも文書にするのも大げさという感じであなた自身は受け取っていたということになりますね。  しかし、あれで、時間的な制約なぞも考えれば、国内の開発というものが非常に無理になったんではないかと危ぶまれる状態になったんではないかと、いかにこれを実現したいというつもりでも現実には無理になったんではないかという受けとめ方もあの時点では考えられる。そういうことは全然装備局全体でなかったんですか、そういう声は。
  188. 黒部穰

    証人黒部穰君) 当時としましては、早く開発に着手して——やっぱり六年から七年ぐらい実際に配備するまではかかるわけです、その間古い型のP2Jというものを使っていかにゃいかぬということですから一日も早くやりたいと。大蔵省との話はつかない。それから、まあ専門家会議にかければ多少の時間はかかるかもしれぬけれども、しかし説得することによって皆さんの御了解を得れば大蔵省も納得してくれるであろうと。場合によってはかえってそれの方が筋道として、毎年毎年予算折衝してはけ飛ばされるくらいならば、外部の方々にも公平に判断していただいてやった方がいいんではないかというような気持ちもありました。
  189. 野末陳平

    ○野末陳平君 川重の方に対して装備局長としてはこれをどういうふうに説明されたんですか。
  190. 黒部穰

    証人黒部穰君) 私、余りその辺はっきり覚えてないんです。なぜなれば、実は私の方に開発担当参事官という制度ありまして、私も装備局長であり参事官であり、地位としては対等でございます。ただ、装備局の所掌事務の中に開発に関することがありまして、したがいまして、この開発担当参事官と装備局長はどういうふうに仕事を分配するか、これは内部で次官の通達のようなものがございますが、要するに最終的な調整は私が開発担当参事官にするということになっています。実際問題としては、開発問題については大半の仕事はこの開発担当参事官に担当していただいたわけです。したがいまして、開発問題について、技本——技術研究本部、あるいは場合によってはそれの命を受ける、契約する川重との交渉などというものは主としてこの開発担当参事官がしたわけでございます。
  191. 野末陳平

    ○野末陳平君 あなたは、了解事項中身は大した新しいものではないと受け取ったけれども、しかし川重としては五億円も予算以上につぎ込んで、自分のところの金をつぎ込んで国内開発路線を進めてた、研究開発を進めていたわけですね。ですから、国産化問題が白紙になったと、改めて輸入と同列で検討されることになったことに対して相当なショックを受けているわけですね。その辺を考えると、問題少し戻りますけれども、川重と防衛庁の、少なくも装備局との間にかなりの暗黙の了解で、これは国産大丈夫だということでなくて、もっとそれ以上の申し合わせなり、大丈夫なんだから五億円もつぎ込んでも間違いないというようなムードが強くあったんではないかと思われるんですが、いかがですか。
  192. 黒部穰

    証人黒部穰君) 基本設計要求は、実は四十六年度の予算のときにも要求していてこれはアウトになって、私が担当をしたのは四十七年度予算でこれはアウトになったわけです。ですから、当時情勢としてはもう四十六年ぐらいから基本設計に取りかかるという構えのもとにそれだけの人間も集めていたと思います。ですから、人も、お金があるいは相当かかったかと思います。ただ川重としても私らがPXL懇談会を十一月でしたか十二月初めでしたか定かに覚えてませんが、四十六年に開いて、しかも四十七年度予算の内示は十二月の末にあったわけですが、そのときに基本設計費が落ちているというのも恐らく漏れ聞いていると思います。したがって、十月九日に突然として世の中変わったというふうには川重としては受け取ってないんではなかろうかと、これは私の推定でございますけれども、やはり役所の方の動きというものはそれなりにどういう動きであるかということは見ているだろうと思います。ただなかなか一回集めた人間をそう急には散らすわけにはいかぬという問題もあったんではなかろうかと。それから何か防衛庁と川重の間に特別の約束のようなものがなかったかということですが、それについては何ら私は記憶してございません、覚えておりません。
  193. 野末陳平

    ○野末陳平君 いいです。
  194. 剱木亨弘

    委員長剱木亨弘君) 以上をもちまして、黒部証人に対する尋問は終了いたしました。  黒部証人には長時間にわたり御証言をいただき、ありがとうございました。  午後一時三十分再開することとし、休憩いたします。    午後零時二十三分休憩      —————・—————    午後一時三十二分開会
  195. 剱木亨弘

    委員長剱木亨弘君) ただいまからロッキード問題に関する調査特別委員会を再開いたします。  ロッキード問題に関する調査を議題とし、休憩前に引き続き証人証言を求めることといたします。  本日午後出頭された証人は島田豊君でございます。  まず最初に、委員長から確認をさせていただきます。  島田豊君、あなたは御本人ですね。
  196. 島田豊

    証人(島田豊君) そうです。
  197. 剱木亨弘

    委員長剱木亨弘君) 本日は当委員会に御出頭いただき、ありがとうございました。  証言を求めるに先立ち、証人に御注意申し上げます。  議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人には、証言を求める前に宣誓をしていただきます。  宣誓または証言を拒むことのできるのは、次の場合に限られております。  証言が、証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族、または証人とこれらの親族関係のあった者及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき、並びに医師歯科医師、薬剤師、薬種商、助産婦、弁護士、弁理士弁護人公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあった者がその職務上知った事実で黙秘すべきものについて尋問されたとき。  以上の場合以外は、証人宣誓または証言を拒むことができません。  正当の理由がなくて証人宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられます。  また、宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることになっております。  それではこれより証人宣誓を行います。  証人証言席宣誓書を朗読してください。  全員御起立を願います。   〔総員起立証人は次のように宣誓を行った〕     宣 誓 書  良心に従って真実を述べ、何事もかくさず、又  何事もつけ加えないことを誓います。              証人島田 豊
  198. 剱木亨弘

    委員長剱木亨弘君) 御着席願います。  証人は、宣誓書署名捺印してください。  〔証人宣誓書署名捺印
  199. 剱木亨弘

    委員長剱木亨弘君) これより証言を求めますが、証人発言に当たっては、その都度委員長の許可を得て発言されるよう、また、時間の制限ものりますので、尋ねられた事項の範囲内において明確に証言されるようお願いいたします。それでは、委員から尋問いたします。順次御発言願います。
  200. 亀井久興

    ○亀井久興君 島田証人は、四十七年の五月から出十九年の六月まで防衛事務当局の最高責任者としての立場におられたわけでありますが、次官にはられます少し前に四次防の大綱が決定をされて知るわけでございます。防衛当局は、その装備の国産化、中でも高等練習機並びに支援戦闘機及び対潜哨戒機、こうした装備の国産化を強く要望しておられるというようにいわれておるわけでございますが、この四次防の大綱を読んでみまするし、装備の適切な国産化を行うということは書いてありますが、PXL研究開発ということについては、国産化を前提としたというようには必ずしも受け取れないんではないかというように考えられるわけです。そこで、この中の「主要整備内容」の四項、「技術研究開発」のところに、「各種誘導弾、電子機器ならびに対潜哨戒および早期警戒機能向上のための各種装備等の研究開発を行なうとともに、技術研究開発体制を強化する。」というように書いてございますが、ここでの「各種装備等」とございますが、「各種装備等」に国産による機体が含まれているというように理解しておられましたでしょうか。
  201. 島田豊

    証人(島田豊君) 当時の防衛庁は、「各種装備等」の中に機体を含むと、こういうふうに解釈をしておったと思います。
  202. 亀井久興

    ○亀井久興君 そこには機体を含むというように理解しておられたということでありますが、その大綱を受けまして、四十七年の十月九日に主要項目が決定をされておるわけですが、ここには大綱において「各種装備等」と書かれていた部分が「電子機滞等の研究開発」という表現に変わっているわけでございます。この「電子機器等の研究開発」という部分にも機体が含まれるというように理解しておられましたでしょうか。また、このように表現が変わったことについて、当時どのような理解をしておられたかということをお聞きしたいと思います。
  203. 島田豊

    証人(島田豊君) 四次防の主要項目を定める前に、大蔵省から十月の二日に内示がございまして、それからこの対潜哨戒機の研究開発ということにつきまして防衛庁と大蔵省との間にいろいろなやりとりがございまして、議論がずっと平行線で来たと思います。そこで十月の七日の幹事会、これは主要、項目その他につきまして次官レベルにおいて検討いたした幹事会でございますが、そこで私から……。  その前に、「各種装備等」から「電子機器等」に変わりましたいきさつでございますが、これはなかなか両省庁間で意見がまとまらないということで、当時の意見のまとめ役であります国防会議事務局の方において、何らかの文案の中で両者の間の妥協点を見出さなければならないというふうなことで、そういう文句を発案いたしまして、これをもとにして両省庁間でいろいろ議論をいたしました。そういうこともございまして、事務的にはなかなかその文句をめぐっても解釈が違っておったということで、私から七日の幹事会で、この「電子機器等」という言葉と「各種装備等」という言葉との間にどういう違いがあるのかと、これは表現としまして内容的にかなり違う感じを与えますので、これはもとの「各種装備等」でいいじゃないかというふうなことを提案いたしまして議論をいたしたと記憶しております。しかしながら、幹事会におきましてはそれについては結論を得なかった。私どもはしたがいまして文句は変わりましても実体的には二月の大綱の線と大きく違っておるとは考えておらなかったのでございます。
  204. 亀井久興

    ○亀井久興君 重ねて確認しておきたいと思いますが、その「電子機器等」の中には機体も含まれるということでございますね。
  205. 島田豊

    証人(島田豊君) そのように解釈をいたしておりました。
  206. 亀井久興

    ○亀井久興君 次に、わが国の防衛装備の調達については昭和四十五年に装備の生産及び開発に関する基本方針が決定されているわけでございますが、装備の国産輸入、このどちらをとるかということについてのメリット、デメリットについてのお考えを伺いたいと思います。
  207. 島田豊

    証人(島田豊君) 私どもの考え方としましては、兵器類の研究開発あるいは兵器の装備ということにつきましては、やはりいろいろな面から原則的には国産なりいわゆる国内開発の方が望ましいという考え方でございました。しかしながら、実際に研究開発をやる、あるいは装備化をするという点につきまして、装備費の中には、たとえば非常に技術的に困難である、あるいは日本の国内開発をやります場合には著しく経費の増額をしなければならないというふうな場合もあり得ますので、この辺は、装備を研究開発いたしますその前提として、いろんな装備品を整備する必要性あるいはそれに要求するところのいろんな性能、その前にいろんな運用構想等を議論いたしましてその方針を決めるという過程を経るわけでございますが、その間におきまして、いろいろそういうことを勘案いたしましてもなおかつ国産というものが非常にいろんな面で無理であると、むしろ性能的に見ましたら輸入をした方がよろしいというふうなものもあり得る、そういうこともありますので、その辺は慎重に検討しなければならないと。したがいまして、よしんば国内開発を目的としまして研究開発に着手いたしましても、それは研究開発の途中においてこれを再評価する、そういう過程があってしかるべきではないか。一たん国産化を前提とした研究開発に着手したら最後まで国産化を図るという、そういう柔軟性を欠いたような態度で一貫をするということじゃなくて、やはりそれは途中で見直しましてそこでもう一遍評価をしてみる。そして研究開発についてもさらに検討を加える、こういう過程があってしかるべきではないか。原則はしたがいまして国内開発をわれわれは希望しますけれども、やはりその兵器なり装備品によりましてはそういうケース・バイ・ケースで考えなきゃならないと、こういうふうな方針であったように私は認識をいたしております。
  208. 亀井久興

    ○亀井久興君 PXLに関連してお尋ねしたいと思いますが、島田証人在任中であった四十七年八月に、従来アメリカがその技術資料の提供というものに余り積極的ではなかったP3Cオライオン、これの日本へのリリースについて、当時ワシントンにおられた玉川海上一佐から海幕の方へ連絡があったように聞いておりますけれども、そのことについては当時知っておられましたでしょうか。
  209. 島田豊

    証人(島田豊君) そのことは承知しておりませんでした。
  210. 亀井久興

    ○亀井久興君 事務当局としては、この問題については全然関知していなかったということでございますね。
  211. 島田豊

    証人(島田豊君) 情報として聞いておらなかったということでございます。
  212. 亀井久興

    ○亀井久興君 それでは、P3Cオライオンについてはどのように理解をしておられましたでしょうか。
  213. 島田豊

    証人(島田豊君) わが海上自衛隊が保有しておりますP2V7あるいはその後の改造型のP2J、これをかなり保有をいたしておりましたけれども、やはり各国の飛行機の技術の進展からいたしまして、もうかなり性能的に見まして一流とは言えないという認識を私どもは持っておりまして、これはいずれ対潜哨戒機の優秀な飛行機を導入する必要があるということはわれわれも考えておりましたけれども、P3Cというアメリカの対潜哨戒機の存在はもちろん知っておりましたけれども、当時の情勢といたしましては、とてもアメリカが、ことにこのエレクトロニックス関係につきましてリリースをするというふうな状況ではないというふうにわれわれは認識をいたしておりましたので、そうこの問題について私どもも深く検討をしたことがないような気がいたします。
  214. 亀井久興

    ○亀井久興君 次に、高等練習機並びに支援戦闘機の件でございますが、四十七年の十月の八日に大蔵省の宮下主計官からT2並びにT2改の国産化のかわりにノースロップのFsBの輸入を示唆されたということが言われておりますが、その当時の経緯をできるだけ詳しく御説明いただきたいと思います。
  215. 島田豊

    証人(島田豊君) ちょっとお尋ねいたしますが、宮下主計官から……、F5Bの輸入の問題でございますか——
  216. 亀井久興

    ○亀井久興君 丁2とT2改、これの国産化ということのかわりにということです。ノースロップのFsBを輸入すべきであるということが、当時の宮下主計官から小田村経理局長あてに伝わったということが言われておりますが。
  217. 島田豊

    証人(島田豊君) 十月八日のことでございますが、宮下主計官から小田村局長に連絡してまいりましたのは、高等練習機なりあるいは支援戦闘機の国産につきましては——国産につきましては、大蔵省としては異存がないと、こういうことでございまして、F5系統を輸入するというそういう電話の内容ではなかったように思います。
  218. 亀井久興

    ○亀井久興君 ちょっと聞き違いがあったんでもう一度お尋ねしますが、十月八日では日にちがちょっと違いましたけれども、それ以前に大蔵当局の方からそういう話があったわけですが、その間のいきさつについてお伺いしたいと思います。
  219. 島田豊

    証人(島田豊君) 四十七年の十月二日に大蔵省から内示がありました。その際に、高等練習機、支援戦闘機について輸入を検討をしてほしい、こういう希望が大蔵省からあったと。したがいまして、防衛庁としても、それについて大蔵省に繰り返し、われわれとしては当初の方針で臨んでいきたいということを主張をしておったわけでございます。
  220. 亀井久興

    ○亀井久興君 そのときに輸入を大蔵当局の方から示唆された背景については、当時どのようにお感じになりましたでしょうか。
  221. 島田豊

    証人(島田豊君) まあ当時の情勢の日米間の経済関係の背景は、やはり大きな問題としてドル減らしの問題があったというふうに私どもは当時考えております。それ以前からドル減らしについて、防衛庁としていろいろ協力をしてほしいというようなこともありまして、そういう背景があったことは事実でございます。と同時に、大蔵省は財政的見地から、やはり輸入の方が経費が少なくて済むと、こういう配慮もあったというふうに考えております。
  222. 亀井久興

    ○亀井久興君 四十七年の十月九日にいわゆる国防会議議員懇談会の了解事項が決定をされたわけでございますが、この了解事項が決定されるいきさつについては、島田証人はどの程度理解をされておられましたでしょうか。
  223. 島田豊

    証人(島田豊君) 十月九日の国防会議議員懇談会でございますが、最初国防会議の事務局長から主要項目、あるいは情勢判断、あるいは防衛構想等について、一応幹事会でまとまった点につきまして御説明を申し上げて、その後総理から、支援戦闘機につきましてはいろいろ議論があったけれども、まあ国産でいきたいと、こうい、う話があり、それを議員懇談会の席では了承いたしまして、それから、まあ言葉の正確なところは必ずしも十分覚えておりませんけれども、とにかく対潜哨戒機あるいは早期警戒機のような非常に高度の技術的な問題については、専門家の会会議を設けて慎重に検討しろと、こういうふうな御発言があったと、それに基づきまして、まあ事務方においてその趣旨を取りまとめたのでございまして、その結果を皆さんに国防会議事務局の方から御披露して、そしてこれは懇談会の了解事項にすると、こういうことが決まったというふうに承知しております。
  224. 亀井久興

    ○亀井久興君 国防会議につきましては、島田証人は正式のもちろんメンバーでもなかったわけですし、それから議員懇談会についてはいわゆるオブザーバーという立場であられたと思うんですが、その十月九日の国防会議の内容でございますが、PXLの問題よりも高等練習機並びに支援戦闘機の問題がその議題の中心であったというように聞いておりますけれども、そこらの事情はいかがだったんでしょうか。
  225. 島田豊

    証人(島田豊君) 当時防衛事務次官は幹事会のメンバーでございますけれども、国防会議のメンバーではもちろんございません。  それから、当時の四次防の主要項目を最終的に決めます段階におきまして、当時われわれの最大の関心事は、いま御指摘の支援戦闘機を国産にするという問題でございまして、そのためにわれわれとしてはあらゆる努力をしてきたつもりでございます。したがいまして、当日これが国産に決まったということで、われわれとしましては、大変内心ほっとしたというのが偽らざるわれわれの気持ちでございました。したがいまして、ただいまの了解事項に関係しますところのそのいわゆる対潜哨戒機につきましては、私どもはそれほどの重大なる関心を払っておらなかったと、これが偽らざる事実でございます。
  226. 亀井久興

    ○亀井久興君 この十月九日の議員懇談会においての了解事項の決定、それを受けて専門家会議が発足するわけでございますが、本来、航空機の機種選定というのは、防衛庁設置法五条によって権限が与えられておりますとおりに、防衛庁が中心になって当たるべきではないかと思うわけです。それにもかかわらず、専門家会議を防衛庁の相談なしに設置するということは問題だという、そういう意見もあるわけでございますが、このことについてはどのようにお考えになりますでしょうか。
  227. 島田豊

    証人(島田豊君) 機種決定につきましては、過去におきましてこれを国防会議で決定をいたしたという事例がございます。その後、御承知のとおりに四十七年の通常国会におきまして予算の先取り問題というものがありまして、それに伴って文民統制のための措置が講ぜられると、その一つとして、防衛庁設置法の例の国防会議の章でございますけれども、そこに国防会議に諮問すべき「重要事項」という言葉がございますが、その重要事項内容をもう少しきちっとしたいということで、それが多分当時の国防会議におきましても決定になっているということでございまして、防衛庁限りにおきましてこういう機種の決定をするということは、過去の事例からしましても、またそのときの方針からしましてもこれは必ずしも適当でない。ことに長期的な整備を要し、あるいは非常に経費がかさむというふうなものにつきましては、過去においてもそういう国防会議に諮るという事実がございますので、その辺については、これは文民統制という見地からしまして国防会議に諮るということが至当であろうというふうにわれわれは考えておったのでございます。
  228. 亀井久興

    ○亀井久興君 この了解事項の結果、四十五、四十六の予算で執行されました次期対潜哨戒機の調査研究費、これが四十七年産は執行停止ということになったわけでありますが、このことについてはどのようにお考えになっておられたでしょうか。
  229. 島田豊

    証人(島田豊君) これは十月九日の議員懇談会におきます了解事項が定められまして、国産を前提とするような研究開発、従来防衛庁が主張してまいりましたそういう国産化を前提とする研究開発について、専門家会議においてこれを慎重に検討するという方針が決まったわけでございますので、四十七年度に要求しておりました予算につきましても、とにかくこれを一応専門家会議の結論が出るまで不執行にしようと、こういう考え方であったと私は記憶しております。
  230. 亀井久興

    ○亀井久興君 時間前ですが、終わります。ありがとうございました。
  231. 上田哲

    ○上田哲君 伺います。  私は、PXLをめぐっていま焦点が合わされている十月九日の二十分、それが何であったのかと、それからたとえば海原さんの猛烈なあの七日からの動きが何であったのかというところに焦点を合わせながら、実は防衛庁がそこでどういう役割りを果たさしめられたかと、せしめられたかというところをちょっとあなたの具体的な事実の証言によって明らかにしたいんです。  そこで、ひとつ具体的に具体的は伺いますけれども、もう一遍伺うんですが、一年も二年も前からPXL輸入がいいか、国産がいいかということについて、防衛庁考えていたこと、大蔵省が考えていたことというようなことは別にして、予算要求と政策の決定という具体的な問題として、つまりは四十七年十月九日に向かって防衛庁がもう一つ前の問題、われわれはT2、T2改とPXLをつながって見るわけですから、いまこの話はT2、T2改にしますけれども、T2、T2改の国産でなくて輸入という話を聞いたのは、十月二日からだということでいいですね。
  232. 島田豊

    証人(島田豊君) そのように認識しております。
  233. 上田哲

    ○上田哲君 そのときはT2、T2改しか頭になかったと、こういうことになっているんですが、そういうことでしょうか。
  234. 島田豊

    証人(島田豊君) T2、T2改の問題は、もう現実の当面の問題でございまして、一方、PXLについては、かなり研究開発に長期の期間を要すると、こういうふうな認識をわれわれ持っておったと思います。
  235. 上田哲

    ○上田哲君 丁2、T2改だけじゃなくて、PXLが頭の中にあったということは事実であったと、これはそういうふうに理解していいですね。
  236. 島田豊

    証人(島田豊君) 防衛庁としましては、ことに防衛庁研究開発部門は、対潜哨戒機の開発ということについては大変重大な関心を持っておりました。
  237. 上田哲

    ○上田哲君 そこで、これまでの証言でも出てくるんですが、ここでT2、T2改がもし輸入なんということになったら、防衛庁の長官、次官なんというのは首にかかわると、こういう証言がずっとあるわけです。当時の御自身、これは、T2、T2改にかける決意、国産にかける決意ですが、そういうようなものでありましたか。
  238. 島田豊

    証人(島田豊君) 十月九日の最終段階に至りますそれ以前の数日間というものは、私どもの頭の中を占めておりましたのは、この問題でございました。
  239. 上田哲

    ○上田哲君 なぜT2、T2改が国産でなくなってしまうとあなた方の首が飛ぶというような関係になるんですか。
  240. 島田豊

    証人(島田豊君) 首が飛ぶというふうな表現がどうか、それはわかりませんが、御承知のとおりに、T2は三次防の開発事項でございまして、恐らくもうかなり、五、六年の期間がたちまして、これが一応試験飛行も終えて、これを装備化するということができるという段階でございまして、支援戦闘機についてもそれを改造するものを考えておったわけでございまして、これが輸入ということになりますれば、やはり一つの軍事的な意味で、一つの兵器体系といたしまして大変無理がある。他の要素によりましてそれを変えると、方針を変えるということは、これはなかなか私どもは説明がつくまいと、これは部内に対してのみならず、対外的にも説明がつくまいという、非常に強い認識を持っておったのでございます。
  241. 上田哲

    ○上田哲君 そこはよくわかりますね。現にそのとき、T2に関して試作機と実用機、合わせて五機もう飛んでおると、こういう中で、輸入なんということが切りかえられるべきことで常識的にあり得たかどうか。
  242. 島田豊

    証人(島田豊君) これは私どもは、その辺については、やはり日米間のドル減らしの問題が非常に大きな、政府の大きな課題の一つでございましたので、その辺に主たる理由があるんではなかろうかというふうに当時は考えたわけでございます。
  243. 上田哲

    ○上田哲君 つまり、大きな政策としての日米関係のドル減らしということがあるならば、これはまあ防衛庁としては考え及ばないようなところになるけれども、そういう特別な理由がないならば、T2シリーズというようなものをここで国産から輸入に変えるということは、あらゆる意味で考えられない、こういうことですね。
  244. 島田豊

    証人(島田豊君) そのとおりでございます。
  245. 上田哲

    ○上田哲君 そうすると、ドル減らしだと言うんですね。ドル減らしの問題とT2シリーズの軍事技術論の問題と、二つありますね。そこで、軍事技術論的にはもう切りかえようもないというところをもう少しく具体的に説明していただきたい。
  246. 島田豊

    証人(島田豊君) これは、T2を開発いたしますときに、すでに将来の支援戦闘機はT2改を一応専門家の方は考えておったのでございます。そこで、もし一部輸入ということになりますれば、支援戦闘機を輸入をする、T2につきましてはすでに予算化しておりますので、これは国産でいくということになりますれば、これはせっかくT2というものの性能を当初決めました——つまり、超音速の戦闘機に対する練習機でございますので、これはやはり実用の戦闘機にいろいろな面で似通っておる、性能的に非常に近いという練習機が望ましいわけでございまして、本来であれば、もう戦闘機そのものを訓練に使うということも可能でございましょうけれども、わが国の場合はそうもいきませんので、やはりそれに近い性能を持つ練習機というものを絶えず考えておったわけでございます。したがいまして、これはやはり同じ系列、同じシリーズのものが必要であるというのが、そもそもの当初からの考え方であったと思います。現に、欧米におきましても、練習機と戦闘機とを同一シリーズにしておるという例がございまして、わが国もやはりそれが望ましいというふうに考えておりましたし、それから、練習、戦闘機操縦の練習の段階におきましても、やはりこれを二つの機種によります訓練ということは、やはり非常にこれは繁雑になりますし、さらにまた転換教育等につきましても所要の時間がかかりましょうし、やはりこれも一つの同一機種の方がよろしいというのが当時のわれわれの考え方でありまして、まあこれがやはり練習の問題といたしましても、また練習から、練習機から戦闘機につなげるという問題におきましても、この方が軍事技術的には非常に望ましいというふうに考えておったのでございます。
  247. 上田哲

    ○上田哲君 よくわかります。つまり、もう軍事技術論的にも、まあそれから教育訓練上からも、これはもう防衛庁の庁内の常識として、切りかえということはもうあり得ないことでありますね。それはよくわかりました。  そこで、そのとき出てきたその海原調停案ですね、この海原調停案というのは、御記憶でありますか。
  248. 島田豊

    証人(島田豊君) 十月二日、つまり前日でございますが、海原事務局長が……
  249. 上田哲

    ○上田哲君 八日ですな。
  250. 島田豊

    証人(島田豊君) 八日でございます。失礼しました。  自分一つの妥協案といいますか、調整案といいますか、これを防衛庁なり大蔵省に提示されたということは、承知しております。
  251. 上田哲

    ○上田哲君 中身は。
  252. 島田豊

    証人(島田豊君) 中身は、まあT2の二十機はすでに予算化されておりますので、それにさらにアメリカのFsB、これを六十機と提示されたように記憶しております。それから支援戦闘機につきましては、これは大蔵省の査定のとおりと、こういう案であったように私は知っております。
  253. 上田哲

    ○上田哲君 そのとおりです。私どもの調べでも、T2の二十機、これを国産で、あと六十機をF5Bという形、それからFST2改国産と、こういう調停案ですね。これは、先ほど来あなたから御説明いただいた防衛庁の常識となっているまあ戦闘技術論、教育訓練論から言っても、とうていこれは受け入れられないというか、納得できない内容であったということになりますね。
  254. 島田豊

    証人(島田豊君) 私どもとしてはそういう認識でございまして、したがいまして、海原事務局長のこの一つの調整案というものは、まあ各省庁の意見を調整いたしましてそれを取りまとめるというのが事務局の一つの仕事でもございますので、まあそういう見地からこういう案を出されたというふうに当時は考えておりました。
  255. 上田哲

    ○上田哲君 とうていまあ防衛庁内の常識としては考えられないものが出てきたということになるので、久保さんがそのとき、海原さんの話によると、よくわかりましたと、納得的な表現をされたということになるんですが、とうてい考えられないことだと思いますが、いかがでしょうか。
  256. 島田豊

    証人(島田豊君) まあ久保君の発言については、私もどういうふうな発言をしたかちょっとわかりませんので、それについてはちょっと差し控えます。
  257. 上田哲

    ○上田哲君 私は久保さん自身に聞きましたがね、あなたはそのわかりました結構でございますと言うはずがないと、こういうことですから、まあこれはあなたから御証言を得ることはないでしょうし、常識的にこの流れから言ってこれは受け入れられない。流れから言って受け入れられないだけではなくて、どうもその輸入問題の流れが出てきたものだから、これは大変だという、防衛庁大騒ぎでしたね。そこで、いろんな案をつくった。で、いろんな案をつくって、大蔵省といろいろ折衝をするんです。私がこれから申し上げるところが間違っていれば訂正をしていただくのは簡単だと思いますからこっちから申し上げておきますけれども、そのときそういう調停案が出てきて、あるいは上のドル減らしだというのでは、あなたがさっきおっしゃったように、ドル減らしだというもっと大きな政策的なニードがあるのなら仕方がないのだということで、防衛庁としては、たとえば泣く泣くですね、一生懸命折衷案というのをつくった。つまり、海原調停案の二十機、六十機、T2改国産というその骨組みに合わせてつくるんだが、どうしてもたとえば転換教育の必要ということから五機余る、二十五機丁2、五十七機FsB、六十八機FST2改という形でなければならぬというのがぎりぎりはじいた数字だということになった。この数字、内容について御記憶ありますか。
  258. 島田豊

    証人(島田豊君) その数字が必ずしも私にはそのとおりかどうか、ちょっとよくわからぬ点がございます。ございますが、海原案をもとにしまして、防衛庁内でいろいろ議論をいたしました、検討したという記憶はございます。
  259. 上田哲

    ○上田哲君 こういうようなものを出したなあという記憶はある、そうですね。そうすると、それは数字は細かくまあそこにお持ちじゃないからわからぬけれども、つまり内容は何だと言ったら、海原さんの言う二十機、六十機あるいはT2国産というようなことじゃはまらないのであって、少なくとも転換教育から言って、こういう数をふやさなきゃだめだと、輸入というなら、ふやさなきゃだめだという形になったんだということは御記憶になっていらっしゃいますね。
  260. 島田豊

    証人(島田豊君) これは防衛庁におきましても、その前の段階で、一時そういうことを検討いたしたことがございまして、やはりその際も、両機種の高等練習機を導入するとすれば、やはり機数が若干ふえるという結論だったと思います。
  261. 上田哲

    ○上田哲君 そのとおりでいいんです。実は、これによって大蔵省はおりたわけですよ、ね。つまり大蔵省は、これではかえって輸入が高くつくということがわかったわけです。どうしてもこういう高等練習機から支援戦闘機への態勢を組んでいくことになると、途中でこういう二重構造になると、転換教育その他のために機数がどうしてもふえる、そうでなければやっていけないということになるんで、何のことはない、単価論でやってきたんだけれども、単価論でいっても、総額論としてはこっちの方がふえてしまうということになっては、財政的メリットがないという理由で、実はそういう理由がなくなって、そこでT2、T2改というのが、まさにどっちかの力関係で押されたということじゃなくて、理詰めに大蔵省が納得をしたということがあるわけですな。こういう経過になっている。御記憶になっていますね。
  262. 島田豊

    証人(島田豊君) その辺は、私余り正確には記憶しておりません。
  263. 上田哲

    ○上田哲君 これはね、あなた、ここへ出てこられる前に、決して打ち合わせという、悪い意味じゃないですよ、当時のことをずうっと防衛庁なんかもいろいろその思い出し会をやっておりますね。当然あなたもその中にお入りになるのがあたりまえだと思うんだが、そういう中で私はもう確認されていることだと思うんですよ、確認されていることだと思うんです。これは証人じゃありませんけれども、防衛庁の人に来てもらって確認すれば、すぐ確認できるはずなんです。私は確信持っているわけですがね、データの上から言っても。思い出していただけますか。
  264. 島田豊

    証人(島田豊君) まあ当時の担当者からそういうことを聞いた記憶はございます。
  265. 上田哲

    ○上田哲君 はい、わかりました。そういうことなんですね。まさにそういうわけで、国産輸入かといういろんな議論は、少なくとも一単価を安くする、財政的な軽減になるということにならないということになって、これは了承がついた、こういう形で、この海原調停案にしても何にしてもまあけりがついたということになるわけですよ。  そこで今日になりますと、一体その十月九日のあの朝の二十分というのは何だったのか、海原調停案が何だったのか、防衛庁が何だったのかということをずうっと追っかけていきますと、防衛庁自身にとって——きょうはもう防衛庁ですから、そのときの担当者であったあなたに来ていただいているのはそのことなんですが、防衛庁自身にとって、その当時はわからなかった、いまになってわかったということのギャップがあるんですね。このギャップが非常に問題なんです。そのギャップの一番大きな一つは、大蔵省は十月九日の朝までじゃなくて、その前にもうこのT2、T2改の国産というのはもうおりたと、そういう段階があるわけです。これはもうはっきりここで証言もあるんですが、十月の七日には、つまりあの夜の幹事会で大蔵省側は納得したと、これはもうはっきり証言で出ているわけです。防衛庁はそのときそれを知っていたんですか、知っていなかったんですか。
  266. 島田豊

    証人(島田豊君) 七日の段階のことは防衛庁承知しておりませんでした。
  267. 上田哲

    ○上田哲君 そこが問題なんですね。これは大変おかしなことなんです。大蔵大臣まで報告が行って、大蔵大臣ははっきりもう了承をしておる、それが防衛庁にはわからない、十月九日の朝の決定になるんだということで、幹事会もわざわざ開かれ、その幹事会で結論が得られない、とびらの向こうへ行って、ツルの一声という、こういう話になる。これ、まことに茶番的なんですね。ここのところがどういうことになるのかということを解明できないと、政治は全部物語でつくられてしまうんです。具体的にもう少し伺っていかなきゃならぬのです。  で、十月七日から、ちょっと戻りますけれどもね、十月七日の幹事会があったと。そこの議論は非常に厳しいものでありましたね。御記憶ですか。
  268. 島田豊

    証人(島田豊君) 大変厳しいものであったという印象はいまはございません。もちろん議論したことはございますが、大変厳しかったかどうか、これは一応感じの問題でございますけれども、まあ議論はいたしました。
  269. 上田哲

    ○上田哲君 じゃ、厳しいかどうかは別問題にいたします。  あなたは議論の一つの極の代表者でありましたね。
  270. 島田豊

    証人(島田豊君) そのとおりでございます。
  271. 上田哲

    ○上田哲君 そのときの相手の極はだれでしたか。
  272. 島田豊

    証人(島田豊君) 七日の日はいろいろな経過をたどるわけでございますが、まず幹事会……
  273. 上田哲

    ○上田哲君 いやもうその答えでいいです、相手はだれか。
  274. 島田豊

    証人(島田豊君) 幹事会でございますね。
  275. 上田哲

    ○上田哲君 そうです。
  276. 島田豊

    証人(島田豊君) ちょっと余り具体的に思い出せませんが、大蔵次官がその一人であったことは間違いないと思います。
  277. 上田哲

    ○上田哲君 それは当然ね、あなたが思い出さないというところに問題があるんです。相手が大蔵省じゃ思い出せないんですよ。当然な形とすれば、防衛庁と大蔵省が向き合って四つに組まなきゃならぬのです。ところがいま思い出せないんです。思い出せないというほどの会議ではないんです。そのときの会議で結論が出なくて、その日はニュージャパンでパーティやることになって、終わることになっていたのに、さらにあわてて部屋を取って夜の幹事会をやらなければならないほどの、議論が激しかったかどうかは言いませんよ、少なくともまるっきりまとまらなくて、後へ引き継いでそういうことになったし、あなたは筒井さんという大変優秀な人を代理人に立てて議論に加わったでしょう。で、相手はだれだったのかと言うと、大蔵省じゃなくて、海原さんだったでしょう。失礼な言い方だけれども、わかりやすく言っちまうんだけれども、一方的にまくし立てられたという表現が当たるような状況で、あなたはもう非常に困却した状況になった相手は海原さんだったでしょう。証言ですよ。
  278. 島田豊

    証人(島田豊君) 海原事務局長はFST2改の研究開発につきまして、いろいろ疑問を提示されたことは事実でございます。と申しますのは、海原氏は昔からこの研究開発につきましては非常に精密な……
  279. 上田哲

    ○上田哲君 説明は要らないです、事実だけでいい、事実だけで。時間がもったいないです。
  280. 島田豊

    証人(島田豊君) 見解を持っておられまして、したがいまして、T2改、これから開発しようというものにつきまして、その性能等について非常に疑義を述べられたということは事実でございました。
  281. 上田哲

    ○上田哲君 じゃあなたはその疑義に対してお答えができたんですが。
  282. 島田豊

    証人(島田豊君) まあいろいろもちろん御説明をいたしましたけれども、非常に高度の専門的な事項になりました、技術的な事項になりましたので、これは担当者を呼ぼうということで、夜、ホテルニュージャパンで議論したと、こういうことでございます。
  283. 上田哲

    ○上田哲君 もうちょっとずばりと答えていただきたいんだけれども、それじゃ伺うけれども、その日の夜の幹事会、二回目の幹事会、これは何時までやりました、ずばりで結構です。
  284. 島田豊

    証人(島田豊君) その時刻についてはちょっと記憶ございません。
  285. 上田哲

    ○上田哲君 八時半までやりました。  その部屋は予定されておりましたか。
  286. 島田豊

    証人(島田豊君) 記憶にございません。
  287. 上田哲

    ○上田哲君 会議の予定はありましたか、朝。
  288. 島田豊

    証人(島田豊君) これはございません。
  289. 上田哲

    ○上田哲君 そうですね。会議が終わるはずのものが終わらなかったので、あわてて部屋を新しく取り直して会議をしたんです。そのときあなたは、前にいなかった筒非さんを連れて行ったことはお認めになりますね。
  290. 島田豊

    証人(島田豊君) これは幹事会の後、この問題については幹事会で結論を得ませんので、官房副長官の部屋に場所を移しまして関係者でさらに議論をいたしました。それでもなかなか議論が尽きませんので、夜のホテルニュージャパンに場所を移したということでございまして……
  291. 上田哲

    ○上田哲君 その筒井さんの話です。
  292. 島田豊

    証人(島田豊君) その際に筒井君に来てもらいまして、いろいろ海原氏の疑問に対してこれを解明する、こういう手続をとったわけでございます。
  293. 上田哲

    ○上田哲君 島田さんもうお役人じゃないから、もう少しずばり血の通うようなお話をしていただいていいと思うんですがね。防衛庁じゃいま語りぐさになっているじゃないですか。そのときの筒井さんという人の実に、防衛庁を救ったといわれる、これは一つの庁内で自分のことをほめているんだから、そういうことになるんでしょうけれども、これは大変な静かにしてしかも鋭い議論であったのだと、いろんな形容詞がついているぐらいの語りぐさになっているでしょう。あなたはそれをごらんになっていたでしょう、そこで。その状況、そして言ってみればいままでこうなっていたものがこうなったと、つまり論破できたと、こういう状況になったということを思い出しませんか。
  294. 島田豊

    証人(島田豊君) 海原事務局長からいろいろな質問がございまして、それに対して筒井君の方から非常に私の印象では明快に答弁をしておったように思います。
  295. 上田哲

    ○上田哲君 海原さんはどうでした。
  296. 島田豊

    証人(島田豊君) 彼の答弁に関する限りは若干、一〇〇%の御理解であったかどうか知りませんけれども、その説明の限りにおいては、御理解いただいたというふうに私どもは考えておりました。
  297. 上田哲

    ○上田哲君 最後の結末はどうなりました。
  298. 島田豊

    証人(島田豊君) 結末はそのときには得られなかったというふうに記憶しております。
  299. 上田哲

    ○上田哲君 論破と、得られなかったというのはどういう関係になるのですか。納得をしていただいたということと、結論が得られなかったということはどういうことですか。
  300. 島田豊

    証人(島田豊君) 完全には、ですから海原氏の疑問は解明されなかったということではないかと思います。
  301. 上田哲

    ○上田哲君 こんなことをくどく聞くのはね、海原さん途中で帰ったんですよ。海原さん途中で帰ったんですよ。ここにいない人のために論破されたという言い方は言いませんけれども、完全に防衛庁側は旗色を戻したんです。なぜ私がこんなことを執拗に言うかというと、実はこのとき出ていた大蔵省、大蔵省はその会議で、これは理屈がある、計算してみてもあえて輸入の方が金がかかる、したがって論理は失われたという納得をしているんです、ここで。後藤田さんもここで納得をしたんです。といわれています。傍証です。伝聞ですがね。だから来ていただかないと、ここは本人からの証言がとれませんけれども、そういうことになっているんです。そのときに結論が得られなかったが納得されたような気がするぞというので懸命になってやっていた防衛庁のいじらしい姿は私は尊重しますよ。尊重はしますけれども、実は状況はそうなっていたということをほうふつとしてそこであなたは見ていたはずなんだから、それを実は思い出していただきたいんですがね。まあそれ以上生々しくお話しにならないならまたしようがないので、記憶の問題だといたしましょう。そこで大勢は決まったはずなんです。  翌日、五月の八日に庁議を開いたわけですね、日曜日。それは何時から、どこで、どういう人が出席をされましたか。
  302. 島田豊

    証人(島田豊君) 八日の日は大体昼ごろから集まりまして、正式に最初次官の部屋で、私の部屋でいろいろ議論したり、長官においで願って長官室で議論したりしておりましたので、正式に庁議という形、そういうかた苦しい形ではなかったと思いますけれども、その時刻は恐らく——その前に防衛局の方でいろいろ検討いたしておりましたので、三時かそこらからどれぐらいの時間だったか、ちょっと記憶しておりませんけれども、二、三時間は議論しておったというふうに思います。
  303. 上田哲

    ○上田哲君 私どもの調査と大体それは一致いたします。  そこで問題は、あなたは後藤田さんとお会いになるわけですね。後藤田さんとはどういう理由でお会いになって、どういうお話をされました。
  304. 島田豊

    証人(島田豊君) そういう長官を囲んでの協議の中で、まあ海原氏の提案の問題もございまして、防衛庁の検討の結果については、さらに後藤田副長官の方へ説明をしておく必要があるだろうというこれは皆の意見であったと思いますけれども、それを受けまして、私が経理局長と二人で夕刻後藤田副長官の方に訪問をいたしまして、そこでやはり防衛庁としてはいろいろ検討したけれども、結局これは両方とも国産でいきたいということを御説明をいたしました。それに対して後藤田副長官の方は、別にいいとも悪いとも言われなかったように記憶しております。
  305. 上田哲

    ○上田哲君 そこで、実はさっき申し上げたように、七日の二回にわたる幹事会の防衛庁の奮戦によって、理論的にもT2、T2改は国産以外にはないのだということになって、財政当局側は納得をしておる、後藤田さんもそういうふうに認めておる、海原さんは退席をした。形式的には結着はついていないのだけれども、そういう状況が一方にでき上がったところで、防衛庁は懸命に担当庁としてはがんばっておったという姿になる。これはもうそれで間違いないと思うのです。それはそれでいいですよ。  そこで後藤田さんのところへも行く、後藤田さんのところで格別な意向は確かめられなかった、まあそれもそれでいいでしょう。それからあなた相澤主計局長に面会を申し込まれるわけですね、その経過を詳しく。
  306. 島田豊

    証人(島田豊君) そのときに私が相澤局長に面会を申し込んだかどうか、ちょっとそこのところは記憶は定かでございません。まあ何らかの連絡をしたいという気持ちはあったと思いますけれども、正式に申し込んだかどうか、そこのところはちょっと記憶がありません。
  307. 上田哲

    ○上田哲君 いろいろ思い出していただきたいためにいろいろなことをちょろちょろ出してみてゾンデ入れているんですがね。思い出してください。ここは大事なところなんです。前ではありませんか、後藤田さんのところに行く前。それより前にあなたは相澤さんに会わなければならないことになった、会わなければならないと思ったのではありませんか。それはあなた一人ではないのです、出席者がいるんです。三時から五時までということで大体結構です。  そこであなた方のところは大蔵省がどうなっているかということがよくわかっていなかった。幹事会でも激論のままだという印象がある。T2、T2改は首がかかっている。何とかしてこれは国産にしなければならないのだという気持ちの中で相澤主計局長にどうしても会いたいということになったであろう。これはほかの人々は認めているのですよ。あなたが思い出していただければぴしっとそこは埋まるのです。思い出してください。
  308. 島田豊

    証人(島田豊君) そこのところどうも私当時の状況を思い出せないのでございますが、まあ後藤田副長官のところに説明に行くわけでございますので、当然大蔵省に対しても、われわれの検討の結果につきまして説明をしたいという気持ちが起こったのはこれは自然だと思いますけれども、それも私、いま非常に現実にこう思い出すことができません。
  309. 上田哲

    ○上田哲君 吉國さんに声をかけようとしたことはありませんか。
  310. 島田豊

    証人(島田豊君) 吉國次官に声をかけようとしたことはないと思います。
  311. 上田哲

    ○上田哲君 相澤さんがゴルフに行っておられるので会えないという返事をもらったということは思い出しませんか。
  312. 島田豊

    証人(島田豊君) その辺はゴルフという話はちょっと私も承知しておりませんでした。不在であるという記憶はございました。
  313. 上田哲

    ○上田哲君 それじゃ連絡をしたということはあるわけですね。
  314. 島田豊

    証人(島田豊君) ですからそこのところはいま思い出せばそういう連絡を受けたという記憶はございます。
  315. 上田哲

    ○上田哲君 そこです。それは何時ごろだったでしょうね。後藤田さんの前か後か、前だったと思うのですが、どうですか。これはだんだんわかってきた。もうちょっと思い出してください。
  316. 島田豊

    証人(島田豊君) その辺わかりません。
  317. 上田哲

    ○上田哲君 とにかくそういうことをやったということはおぼろげながら思い出していただけた、まあゴルフであったかどうかわからぬけれども不在だという返事があったということは思い出したわけですね。ちょっともう一遍確認してください。
  318. 島田豊

    証人(島田豊君) その辺の記憶はございます。
  319. 上田哲

    ○上田哲君 とにかく会えなかったわけです。あなた方が大蔵省へも後藤田さんへも、つまり総理へもと思うのだけれども、そのもう一つ手前として、後藤田さんといえば——そのとき総理ですから、当然レベルとしてはそういうことになるのでそういう努力をした。日曜日だ、自宅まで行ったということをやっておられたのはそれは当然だと私は思いますよ。そこで返事がなかったと、庁議は続いていた。そこでもう少し時間は早いんですけれども、海原さんが来られる。まあ海原さんのことを言っていると時間がもったいないから、私飛ばすんですが、どう考えても御本人がおっしゃっているような調停ということにはならないですね。調停というのはもう少し、こう両方に向かって言う話であって、大きい声でどなることを調停というのは余りないわけで、まああの人がああいう形でどなられると、全く後輩の人たちはもう物が言えないという状況であったということは、その後たくさんの証言で明らかにわれわれなっているんですがね。そんなことを聞いても、これは無理だと思うけれども、とうてい調停など受けている感じはしなかったということについては、あなたの御認識を一遍聞いておきたい。
  320. 島田豊

    証人(島田豊君) 私はやはり国防会議事務局長としての職掌、職務柄、ああいう行動に出られたというふうに当時は考えておりました。
  321. 上田哲

    ○上田哲君 それはもうそれで結構です。いずれにしても海原さんはこのとき、八日の午後以降消息を断つわけです。あしたの朝の準備に入っちゃうわけです。いなくなっちゃう。だから、はっきり、簡単に言えば、主たる役割りはもう果たしていないんです。ある意味ではわき役だったと言ってもいい、ピエロと言ってもいいような感じになってくるんです。  そこで、もう一遍防衛庁に戻りますが、防衛庁は懸命になって、首がかかっているというT2、T2改をやっておる。しかも、忘れちゃいけないのは、頭の中にPXLというのはないわけはないとおっしゃるわけですよね。そういう当然な状況の中で主計局長はいなかった。主計局長の返事を待ちますね。どうなっているかということを待っていますね。その待っていた返事として宮下主計官の電話がかかったということでありませんか。
  322. 島田豊

    証人(島田豊君) その辺はいささか推理になりますけれども、まあ、何らかの意思表示が大蔵省からあるということは、まあ、ある程度私どもも期待しておったと思います。
  323. 上田哲

    ○上田哲君 それはもう当然ですから、よくわかります。  そこで、その宮下さんの電話の内容というものをもう一遍思い出して、正確にひとつ言ってもらいたいんです、どういう電話の内容であったか。
  324. 島田豊

    証人(島田豊君) その言葉ずばり私いま記憶しておりませんけれども、そのときの印象といたしましては、大蔵省としては、この戦闘機の国産化については異存はございませんと。ということは、結局大蔵省に対して意見を求められれば、大蔵省としてはこれに対して異を唱えない、こういう趣旨だったと思いますけれども、そしてまあそのかわりというのは適当ではないかもしれませんが、従来から大蔵省として主張しておったこのPXLについてはあきらめてくれませんかと、こういう趣旨だったと思います。まあ、そういうことです。
  325. 上田哲

    ○上田哲君 よくわかりました。それを私たちは聞きたかったんです。T2、T2改の国産ということは認めるよということだけでなくて、これはPXLというのはあきらめろということが当然ついてこなけりゃ、このときの流れにきちっと合わなくなるわけですよ。当然なことです。私は、そこのところを私たちは正確に知りたかったんです。  つまり宮下さんが電話かけてきた。これはこちら側から相澤さんに会いたいということであって、会えなかったということの返事ですけれども、相澤さんと宮下さんがどういう話をしたのか、どういう命令事項があったのか、そんなことはまた聞いてみなきゃわかりません。少なくともしかし、防衛庁担当の主計官という立場で、こんな重大なことを個人の判断で言ってくることはできないことは確かですね。
  326. 島田豊

    証人(島田豊君) そのとおりでございます。
  327. 上田哲

    ○上田哲君 そこでやっぱり、T2、T2改というのは、だれが考えても常識であった。海原さんの何か大変ピエロのように打ち出したような、ああいうF5の話というのはうたかたのごとく消えた。そして防衛庁の筋も通って国産化というのは、金から言ったって単価の軽減にはならない、いや単価はともかくとして、輸入することによって金が浮くわけではない。したがって、T2、T2改はあらゆる意味で、軍事技術論的に、財政論的に、これはT2、T2改の国産をしなきゃならないということになる。したがって、その中で、防衛庁の言うことを聞いてT2、T2改というものは国産にしましょう、しかしPXLは、これは輸入ですよと、つまり国産というのはあきらめてくださいよと、てにをはは結構ですけれども、趣旨はそうだということを、大蔵省の一主計官の判断ではない形で、庁議の行われている防衛庁に入ったのは十月九日の朝より前だったわけですから、十月九日の二十分の間にツルの一声でぱっと決まったなどということは、これはあり得ないわけですね。私は、私たちはそのところをどうしても分明にしておきたいと思ったわけですけれども、よくわかってきました。  そのことを裏づけることがもっとあります。その庁議の中で、これはひとつPXLの話が出てきたから海幕長には連絡をしておかなけりゃならぬなという話が出たのを御存じ——記憶ですか。
  328. 島田豊

    証人(島田豊君) そのようなことがあったようなまあ印象は持っております。
  329. 上田哲

    ○上田哲君 島田さん、ほんとによく思い出していただいた。これは非常に大事なところでした。この会議でPXL国産だめだと、こういう話が出たので、防衛庁にとってはこれは大変なことですから、そしてT2、T2改以外の、そのときは頭にはなかったんだということでない証拠なんです、これは何より。当然なことです。さっきも黒部さんが言ったんだが、なるほど研究開発の段階で、次期防の問題ではあったけれども、これは主要装備品目の中に入っているわけですからね、このことが頭になかったと言ったら、防衛庁じゃ飯が食えないんです。したがって、これが頭にあった。しかし、目の前の問題がT2、T2改であったってことは、これは当然ですよね。だからそれは懸命になった、首が飛ぶくらい大変だったというのは、あのときの防衛庁の姿というのは私はよくわかる。われわれはこの装備に反対ですけれどもね、その反対か賛成かの問題じゃなくて、お役人として、所管の省庁として、その問題に懸命になっていた防衛庁の姿というのはよく理解できますよ。  で、そういう理解の中で、PXLはだめになったというのはここで出てきた。それは、海幕長に連絡しておかなきゃならぬなとみんなが言ったが、待て待て、これは——お役所なんですね、やっぱりここは。あしたの朝はっきりすることなんだから、ここではまだ向こうから通ってきた夜の電話だし、ここはこうしておこうということになったと。そこで、海幕長にはその日連絡をとらなかったですね。
  330. 島田豊

    証人(島田豊君) そのように記憶しております。
  331. 上田哲

    ○上田哲君 大変よくわかりました。  じゃ、なぜそれから後、明くる朝田中さんのところへ出かけたのかというのはわからずにいたというのは、ここでわかってくるんですね。つまり、あの当時はわかっていなかった、いまわかってきたことのギャップがあるわけですよ。あの当時は海原さんがどんとこられる、久保さんも反論できない、海原さんの後ろには、これは大変な力を持っている後藤田さん、親友の後藤田さんと相澤さんがいて、その後ろには田中さんがいらっしゃる、まだ組閣早々なんですから。そういう力があるんじゃ、とても防衛庁じゃどうにもならぬという気持ちがあるし、石川さんからは、しっかりやってくれという国際電話が入る、これは増原さん行ってもらわなきゃならぬというので行かれたということは、それなら筋が通ってきてわかります、それは。  そこで、絡みになったということがわかればこれでいいんですけれども、あなた、増原さんと一緒に朝行かれた。で、会いましたね。どれぐらいの時間、何時ごろからお会いになりました。
  332. 島田豊

    証人(島田豊君) 朝七時ごろ総理の私邸へ伺いました。あそこで長官と落ち会ったのでございますが、それからしばらく控え室かどこかで待たされまして、恐らくあそこを辞去したのが八時ごろじゃなかったかと思います。といいますのは、私は八時半から幹事会で総理官邸へ参るという予定ございましたので、それに間に合うような時間に辞去したと思います。  そこで、状況といたしましては、まず長官から、この高等練習機、支援戦闘機の問題につきまして、防衛庁としてあらゆる角度から、輸入問題を含めましてあらゆる角度から検討いたしました。しかし、結論といたしましては、やはり既定の方針どおり両方とも国産でいきたいと、御了承願いたいと、まあこういう話があったと思います。どうも、その辺の正確な言葉の一々のやりとりは、私、そう正確には記憶しておらないと思いますけれども。  それから、私から、高等練習機につきましても、あるいは一部輸入ということになりますればこういうことになりますと。それから支援戦闘機は、たとえばアメリカのF5B、F5Eと比較いたしますればこれだけの性能の違いがございますと、アメリカにおきましても、この練習機と戦闘機が同一シリーズでございますし、わが国としてもやはりそれを考えておるんですというふうなことで、いろいろ性能比較等について御説明を申し上げたように思います。  それから、総理から価格の問題等について御質問があって、それに答えたというふうな感じもいたします。したがいまして、そういうことで話は大体三十分前後ではなかったろうかというふうにいまでは思うわけでございます。
  333. 上田哲

    ○上田哲君 わかりました。その席は増原さんとあなたと田中総理と三人だけですか。
  334. 島田豊

    証人(島田豊君) そのとおりでございます。
  335. 上田哲

    ○上田哲君 海原さんが、その朝も民間人もいただろうからという言葉がありましたけれども、その席にはだれもいられなかったですね。
  336. 島田豊

    証人(島田豊君) はい、どなたもおいでになりませんでした。
  337. 上田哲

    ○上田哲君 その待っていたときに、一緒の席ではなかったけれども、メーカー関係の人たちが、三菱というようなメーカー関係の人たちがそこにおられたということはどうですか。
  338. 島田豊

    証人(島田豊君) 全然承知しておりません。
  339. 上田哲

    ○上田哲君 だれかの人影もあったということじゃなくて……。
  340. 島田豊

    証人(島田豊君) 人影らしいものを見た記憶ございません。
  341. 上田哲

    ○上田哲君 はい。じゃその辺のところはあなたの方をとりたいと思います。  そこで価格の問題といわれたけれども、どんなお話だったですか。
  342. 島田豊

    証人(島田豊君) 正確には記憶いたしませんが、要するに国産の場合と輸入の場合で価格に違いがございますので、それについての御質問があって、私が答えたような記憶をいたしております。その細かいやりとりはちょっとここで申し上げられませんけれども。
  343. 上田哲

    ○上田哲君 想像されるところでは——これは全く私の想像でしかないんですが、あなたの方は後のいろいろなところの説明を聞いてみると、T2、T2改のT2シリーズのいろんな問題を性能を重点において御説明になったと、総理の方からは価格の問題がどちらかというと出たと、そこで結論がなかったと、増原さん出てきて、せっかく行ったのに国防会議の直前であるのに結論がなかったということに失望されたと、こういうことでいいんですか。
  344. 島田豊

    証人(島田豊君) 総理は性能その他についてもやはり関心をお持ちであったように思います。それについてもいろんな質問があったのではないかと思いますけれども、ちょっと記憶ございません。
  345. 上田哲

    ○上田哲君 はいわかりました。そこで十月九日の問題のとびらが閉じられて総理が後藤田さんと相澤さんと三人で話された二十分の間に、何遍会議をやってもまるで決まらなかった、平行線をたどったそれがそこでツルの一声でぱっと決まった。そしてそのときになぜPXLが飛び出したのかというと、相澤さんがたまたまそのときにそれ以外の話はなかったはずのT2、T2改の話を国産だよと総理が言われたら、結構だが、ただしPXLはと言われたところからPXLが出ることになっているんだが、そんなばかなことはあり得ないんであって、結局これはずっと前から、そのかなり前からいろんな声が出ていたということがはっきりしてきたのですが、そういう中で言うと、これまだ手探りの段階でお伺いするんですけれども、さっきMDAOの話なんか黒部さんと話をさしてもらって証言も得られたのですが、ペンダゴンから春の段階でP3Cの問題が入っていたと、こういうわれわれは話を聞いて大変八月八日の玉川情報に先立つ当然の流れというのはそこで感ずることができたのですが、念のために伺いますけれども、元MDAOにいたローガンという人を御存じですか。
  346. 島田豊

    証人(島田豊君) その名前記憶ございません。
  347. 上田哲

    ○上田哲君 ロッキードと契約を結んでいた横山海将補は御存じですね。
  348. 島田豊

    証人(島田豊君) 承知しません。知っておりません。
  349. 上田哲

    ○上田哲君 ああそうですか。じゃ御存じないと思いますが、その横山さんがロッキードと契約を結ぶ場合の仲介といいますか、その役を果たしたのが、この以前にこの大きい問題が起こっているころにMDAOにいたローガンという人であったということも御存じありませんね。
  350. 島田豊

    証人(島田豊君) 承知しておりません。
  351. 上田哲

    ○上田哲君 はいはい。つまり、十月九日以前にそうした問題のさまざまな動き、接触があったということについては御存じありませんか。
  352. 島田豊

    証人(島田豊君) 承知しておりませんでした。
  353. 上田哲

    ○上田哲君 はい。時間がなくなりましたから、もう一辺整理しながら伺いたいのでありますけれども、海原さんのあらしのような活躍はともかく別としまして、海原さんはどうもやっぱりたくさんの流れがあるんですけれども、ノースロップに対してばく進をされておった、十月七日から、急に十月二日から始まるこの予算国産輸入、T2改、T2の問題の中で、十月七日、九日の二日前になって、突如としてあらしが巻き起こり、これが懸命に動き回るという、しかも十月八日の午後からはぷっつりと作業段階に入ってしまうという、海原さんは、このことに関してのみにおいては、これはどう考えてもちょっと脇役である、いってみればこの流れの上にすいと乗ったので、乗らされたのだといってもいいわけで、ちょっと私はそんな感じしかしないのです。しかし防衛庁がまた懸命に必死の防戦をしておられたということは、それでまあよくわかるのですが、その奥に単なるドル減らしだ、単価問題だということの問題も決着ついている中で、このPXL国産から輸入へという動きが着実に進んでいた、あるいは決定されていたと、十月九日以前に。そういうことは私どもにははっきり見えてくるわけです。で、いまここで最後に一つ、ぴしっとしておきたいから伺うのでありますけれども、輸入か、国産かということが十月九日の段階で同じように並んで決められたというはずはないと思うのですよ。大事なことは、国産をやるのならここでゴーと言わなければいけないのです。輸入というならずっと後でいいわけですね。つまり輸入という問題は、イン・ザ・フューチャーの問題であって、国産の問題は、そこでとどめが刺されるという時期に来ていたということは確かだと思うのです。それはどうですか。
  354. 島田豊

    証人(島田豊君) それはちょっと、あの質問の御趣旨よくわかりませんが、PXLに関してのことでございますか。
  355. 上田哲

    ○上田哲君 そうです。
  356. 島田豊

    証人(島田豊君) あの了解事項は、国産化を前提とした研究開発をやるかどうかというような問題について、これをまあ白紙に返すということでございまして、国産を否定をしたということでもございませんし、輸入にするという方針を決めたわけでもございません。とにかく、それは慎重に今後検討しようということでございまして、御質問の趣旨が、輸入であれば将来の問題、国産であれば決めなければならない問題と、こういうことでございますが、確かに国産を、あの際にPXLについては国産化を決めると、こうなりますれば、当然あの段階で決める、まあ、しかしながら考えてみますと、これは従来はずっと防衛庁と大蔵省との二省庁間のやりとりでございまして、本来であれば年度予算で、毎年毎年この問題についての結論を得ていくものでございまして、ああいう閣僚レベルのところでこの問題が決められるというのは、これは四次防という大きな課題がございましたので出てきたわけでございますけれども、従来の例からすれば、当然両省庁間の予算折衝という形でこの問題はけりがつけられると、こういうものではなかったかというふうに思うわけでございます。
  357. 上田哲

    ○上田哲君 本当にPXL国産ということが大事であれば、あのときにがんばってなければならぬはずだったというのは、いまになればだれでも常識なんですよ。そのときあなたは、たとえば国防会議議員懇談会に陪席をしていて、あるいは長官がいて、増原さんも、それはそのときのタイミングに合ったか合わないかわからないけれども、ツルの一声に抗しがたく、何にも言わずにすっといっちまったというのは、いまになれば、国産化というものは、非常に絶望的になってくることになったわけですね。そういうことでいえば、そのときは死にもの狂いに目を血走らせて走っていたけれども、T2、T2改までが輸入にされちまうというようじゃ首にもかかわると、これ表現いろいろあるでしょうけれども、それほどの大変な問題だということで走らされていたので、PXLというのが白紙というような表現になっていて、輸入だとまだ書いてないならば、この勝負はこの勝負、あしたの勝負はあしたの勝負だということで、そこまでの勝負に出なかったのだということであったと、いま思えばやっぱりこういうことになってしまったというふうな感じというのはありましょうね。
  358. 島田豊

    証人(島田豊君) そういう感じでございました。
  359. 上田哲

    ○上田哲君 もう一つ聞きますけれども、そうすると、T2、T2改というのは、いまから考えてみれば——これもいまからですが——いまから考えてみれば、当然国産しかないわけです、あの段階、あそこまで来ていたことからすれば。それが輸入などというものがぶつけられ、しかもあらしも、つむじ風も一つ起こって、そういう中でがしゃがしゃになって防衛庁が走らされてしまったという図柄というものはおかしかったなあということはお考えになりますか。
  360. 島田豊

    証人(島田豊君) 当時としては全くそういう感じは持っておりません。
  361. 上田哲

    ○上田哲君 いまです、いま。
  362. 島田豊

    証人(島田豊君) いまも先生のおっしゃるような筋書きで当時そういう事態が続いておったというふうには考えられません。
  363. 上田哲

    ○上田哲君 これは愚問でありました。何とかしてそういう言い方をするようになっているんでありましょうけれども、あなた方の具体的な事実関係の中で、十月九日にツルの一声であの部屋の中で決まったんだということのつくり方、筋書きは崩れましたよ。いいですか。私は、久保さんが、部屋の外からあの中に飛び込んでいった三人であっという間に決められてしまったんだと思ったこと、これは事実だと思うのです。電話がかかってきたので、考えてみればそうではなかったということになった統一見解も事実だと思うのです。みんなこれひとつ事実だと思うのです。全部事実であったのは、防衛庁がその分だけ主流の中にいなかったから、もっと大きなフィクサーが後ろにいたからわからなかったのであって、まあ、あなた、いまになっても官に忠誠を誓って、そんなことになっているなとは思わなかったとおっしゃるのはそれは結構。それはあなたのいまの忠誠です。しかし、事実関係で言えば、あのとびらの中でつくられた話だということにはもうならないんです。明らかにT2、T2改というものがあたりまえに——防衛庁が主張するのが正しかったから勝っただけではなくて、財政当局も認める論理が十分にあってそうなった。しかも前に決まっていた。そしてそれが連絡があった。しかし頭は向こう向いていたから防衛庁はそっちに行かずにわっと飛び込んでしまうだけであって、PXLはそのときに決まっていた。相澤主計局長の十月九日の九時五、六分ごろに出した一言で決まってしまったんだというフィクションは、これは崩れました。  なお、私たちはこの後、防衛庁に向かってというのではなくて、防衛庁も含めてですけれども、政府中枢に向かって、ロッキード社と丸紅、それからロッキード社と児玉、この関係に結ばれた契約というのはどういう役割りを持っていたのかということを解明することが非常に重要なところに来ると思うのですが、きょうあなたの非常に具体的な御証言は役に立ったことを感謝します。ありがとうございました。
  364. 峯山昭範

    峯山昭範君 初めに、証人防衛局長並びにその後官房長を経まして防衛次官まで相当長期間にわたって携わっていたわけですけれども、私は、初めにこのPXLですね、P2Vの後継機ですけれども、このPXLの問題について防衛庁の中ではこれが必要であるかないかという議論を実際にどういうぐあいにやっていらっしゃったのか、この点ちょっとお伺いしたい。
  365. 島田豊

    証人(島田豊君) 防衛庁としてある装備品について研究開発を開始するにつきましては、それぞれの担当の各幕僚監部におきまして、それぞれの装備品に応じまして、まず、それの運用構想、必要性、運用構想あるいはその装備品に対する要求性能、期待する性能諸元、こういうことにつきまして部内で十分討議し、検討いたしまして、そして防衛庁としての一つの方向を定めるというのが普通であったと思います。PXLにつきましても、これを当初予算要求する時点におきまして、この問題についてのただいま申しましたような諸点についての討議は行っておったというふうに考えておりますが、四十五、六年からのことで、要するに三次防の末期でございますか、そのころのことでございまして、私、その当時の書類等最近見たことございませんので、まあ具体的にどういう問題についてどういう討議をしたかということについては明確な記憶はございません。
  366. 峯山昭範

    峯山昭範君 具体的にその記憶にあるのはいつごろですか。
  367. 島田豊

    証人(島田豊君) やはり三次防の末期におきます予算要求のころだというふうに考えます。
  368. 峯山昭範

    峯山昭範君 四十五年、四十六年の、要するに予算要求の時代であろうと思いますが、その後、まず私が聞きたいのは、あなたは事務次官になりまして、昭和四十七年の五月に事務次官になっていらっしゃるわけですが、事務次官になりましてから、国防会議の幹事会のメンバーになったわけですね。そうしますと、その幹事会のメンバーになってから国防会議の幹事会で具体的にPXLが必要であるかないかという議論はありませんでしたか。
  369. 島田豊

    証人(島田豊君) それについて幹事会で議論したという記憶はございません。
  370. 峯山昭範

    峯山昭範君 それでは、違う方向からお伺いします。  午前中の証人証言で、PXLの懇談会を開いたということが証人から話がございました。これは事務次官の名前で招集をしたと、こういうふうな話がございました。これは記憶ございますか。
  371. 島田豊

    証人(島田豊君) そういう懇談会の存在については承知をしておりましたけれども、事務次官の通達は、それは私が次官になります前の段階ではなかったかと思います。
  372. 峯山昭範

    峯山昭範君 これはPXLの懇談会を開いたということで聞いたんですが、あなたが事務次官になる前でございますか、これは。記憶全然ございませんか。
  373. 島田豊

    証人(島田豊君) その前の段階だと思います。
  374. 峯山昭範

    峯山昭範君 前としましても、あなたも防衛庁にいたわけですね。全くはずれたわけじゃないんですけれども、そこら辺のところは全くあなたが事務次官になる前で、そうすると施設庁長官の時分ということになりますが、ここら辺の記憶は全くないわけですね。
  375. 島田豊

    証人(島田豊君) 記憶ございません。
  376. 峯山昭範

    峯山昭範君 それでは、この点は後ほどまた違う時点で話をしたいと思います。  それからもう一点、このPXLの配備の問題ですね。これは防衛庁としてはいつの時期ですね、配備の時期。これはどういうふうにお考えだったんでしょう。
  377. 島田豊

    証人(島田豊君) その後いろいろ聞いたところでは、五十七年ごろが一つの装備の時点ではなかったかというふうに記憶しております。
  378. 峯山昭範

    峯山昭範君 五十七年ということは、その後の証言でもずいぶん出ておりますが、これはもう絶対的なものだったんですか。
  379. 島田豊

    証人(島田豊君) これは海幕で、いまのP2VなりP2Jの減耗状況からいたしまして、それに対する機種の更新でございますので、その辺の計算をいたしまして五十七年という年度が出てきたと思いますけれども、これは絶対不動というものではないと思います。そのときの情勢によりまして、場合によってはあるいは現在の、現有の航空機を若干引き延ばして使用するということも全く不可能なわけではないと思いますし、一応の研究開発のめどというものをその辺に置いて装備化の時期を考えたというふうに思っております。
  380. 峯山昭範

    峯山昭範君 それからもう一点お伺いいたしておきますが、MDAOのメンバーですね、先ほども話がございましたが、二ヵ月に一遍か、一ヵ月に一遍、毎月ですね、大体ごあいさつに来ると。−装備局長会っておられたようですが、次官は当時会われたことございますか。
  381. 島田豊

    証人(島田豊君) 当時のMDAO所長スタッダード大佐でございますれば、会ったことがございます。
  382. 峯山昭範

    峯山昭範君 次官になって直後会ったことございますか。
  383. 島田豊

    証人(島田豊君) 次官になってから来られたことがあると思います。
  384. 峯山昭範

    峯山昭範君 先ほどの証人の話によりますと、要するに開発基本設計要求して、その予算がだめになって、その直後P3Cの写真を持って装備局長のところへ来た、そうしてその基本設計が認められなかったということを知って来たと、こういうふうな証言が先ほどございましたが、その開発がだめになったそうですねと、それでP3Cはいかがですか、こういうふうな話で来たという評言だったわけですが、こういうふうなことについての話なり何なり聞いたことございませんか。
  385. 島田豊

    証人(島田豊君) 私は装備局長からそういう報告を受けたという記憶ございません。
  386. 峯山昭範

    峯山昭範君 次官がお会いになったときにPRCの話は出てきませんでしたか。
  387. 島田豊

    証人(島田豊君) 全く出ておりません。
  388. 峯山昭範

    峯山昭範君 ロッキード社の関係者、ずいぶんいるわけですが、そういう方とお会いになったことございませんか、当時。
  389. 島田豊

    証人(島田豊君) 会った事実はないと思います。
  390. 峯山昭範

    峯山昭範君 それでは違う角度から質問いたします。四十七年当時ですね、これは当時は現在とずいぶん違いましてね、いわゆる産軍癒着という問題が相当問題になっていたんじゃないかと私は思うのですが、どうでしょう。
  391. 島田豊

    証人(島田豊君) 産軍癒着の問題はときどき問題になるものでございますが、当時特に産軍癒着の問題が強く言われておったかどうかちょっと記憶しておりません。
  392. 峯山昭範

    峯山昭範君 それでは多少その問題についてもうちょっとお伺いしておきたいと思います。  今回のPXLの問題で川重が大きな役目を果たしているわけですが、川重に対して当時川重自身が相当な先行投資をしておったということについてはもう御存じですね。
  393. 島田豊

    証人(島田豊君) 当時の段階におきましては私はそういう事実は承知しておりませんでした。最近、新聞紙上等でそれを承知しております。
  394. 峯山昭範

    峯山昭範君 当時は知らなかったとしましても、最近知ったということですが、現実の問題として総額八億余の投資をしておったということはもう明らかですね。そこで従来、川重にいたしましても、それぞれの兵器メーカーが、先ほど装備局長が相当国産ということについての執着、粘り強さを聞いておりますと、少なくとも当時は開発費がつきますと、調査費がつきますと必ずそのあと国産という方向にいくというふうないわゆる一つ考え方というのはあったんじゃないでしょうか。
  395. 島田豊

    証人(島田豊君) まあ以前の時期におきましてはそういうことがあったかと思いますけれども、防衛庁としましても、その後いろいろ確かにおっしゃいますような癒着問題等の反省から、一たん研究開発に着手をしたらあくまでそれを量産までもっていくんだということは必ずしも適当ではない。やはりある段階におきましてこれを再評価いたしまして、さらにその後これを続けるかあるいは別途の方向を考えるかということについてはその都度検討すべきである、こういう意見が防衛庁の中で非常に有力であったというふうに考えておりますので、ある程度その辺は柔軟に考えておったように思います。
  396. 峯山昭範

    峯山昭範君 当然その時点で再検討しまして、開発が成功したら、成功した暁には当然国産に、量産にもっていく、そういう方向であったことは先ほどの装備局長証言でも明らかですからそうじゃないかと私は思うんですがね。そこで、証人は当時調達実施本部の駐在官事務所、これが防衛庁の細則の中でそれぞれの軍事産業の中に駐在官事務所が設けられておったということは御存じですね。
  397. 島田豊

    証人(島田豊君) 承知しておりました。
  398. 峯山昭範

    峯山昭範君 それで、それぞれ駐在官事務所がありまして、次官の当時だと私は思うのですが、山中防衛庁長官の当時に、これは非常にいろんな問題があると、現実の問題として詳しい問題があるわけですが、非常にいろんな疑いを受けるということで、この駐在官事務所はすべて取り払おうというふうな話が出たということは御存じですね。
  399. 島田豊

    証人(島田豊君) 山中長官がそういう方針を出されたことは承知しておりますし、それによって直ちにかなり場所を変更したという事例もございます。ただ、なかなか実際問題としてむずかしい場面もありまして、その辺が現在どういうふうになっているかというのは承知しておりませんが、そういう方針で調達実施本部もいろいろな措置をしたということは承知しております。
  400. 峯山昭範

    峯山昭範君 そういうふうな疑いがいろいろ持たれるので、当時、少なくとも川重の岐阜工場にはどの程度のスタッフがいらっしゃったか御存じですか。
  401. 島田豊

    証人(島田豊君) その数字は承知しておりません。
  402. 峯山昭範

    峯山昭範君 そこら辺のところは結構です。いずれにしましても、去年次官が退官された後、去年の七月に法改正がすべて行われて、駐在官事務所はすべてなくなった、こういうふうになっております。いずれにしましても、この産軍癒着という問題が大きな問題として当時取り上げられていたことは明らかだろうと思います。  それから十月九日の問題に移りたいんですけれども、その前にもう一点だけただしておきたいと思います。四十八年の八月にロッキード社と児玉とのP3Cに関する契約があるわけですけれども、この契約——五十機輸入が決定したら二十五億の報酬という、私たちもこれ見てびっくりしたわけですが、あなたこのことは御存じですね。
  403. 島田豊

    証人(島田豊君) 新聞紙上で承知しております。
  404. 峯山昭範

    峯山昭範君 当然新聞紙上で、当時から知っていたわけはないと思いますし、新聞紙上で知ったんだろうと思いますが、とれを見ましてあなたどういうふうに感じましたですか。当然こういうふうなことがあるような、何というか、思い当たる節があるかないか、またあるいはそういうようなことに関連して何か感じていることをお伺いしておきたいと思います。
  405. 島田豊

    証人(島田豊君) 対潜哨戒機の米国機の輸入に関連いたしまして、金の受け渡しがあったというふうなことはわれわれとしましては全く考えられないことでございまして、もしそういう金の授受があったとしましても、これは防衛庁に関する限りは全くそれに関連する事実はないと私は確信をいたしております。
  406. 峯山昭範

    峯山昭範君 それではもう一点、専門家会議の問題について二、三お伺いしておきたい。  防衛庁としては専門家会議の発足、この問題ですね、どういうふうに考えていらっしゃったんでしょうか。
  407. 島田豊

    証人(島田豊君) まあ、私どもはああいう了解事項が出ましたので、それに基づきまして専門家会議の結論が早く出されるということが望ましいという考え方でおりました。しかしながら、ああいう第三者的な専門家会議というものが設置されるわけでございますので、防衛庁がその委員の方方に何らかの予見を与えるとかあるいは何らかのプレッシャーをかけるというふうなことはこれは一切やらないという防衛庁全体の方針でございました。ただ、しかし専門家会議が推進されるについての協力は十分したいと、資料の提供あるいは資料の収集あるいは技術的な問題等についての説明、こういうものについては十分協力をしていくという方針でございました。
  408. 峯山昭範

    峯山昭範君 それでは答申の時期については、防衛庁としてはいつまでに出してもらいたいというような希望を持っておられましたですか。
  409. 島田豊

    証人(島田豊君) まあ五十年度の予算に間に合うことを希望しておったと思います。
  410. 峯山昭範

    峯山昭範君 その五十年度の予算に間に合うっていう話ですね。これは先日、証言でもございましたですが、これ五十年度の予算に間に合うということで、要するに防衛庁考えていたタイムスケジュールからいえば間に合ったんですか、国産は。
  411. 島田豊

    証人(島田豊君) 五十七年度までに研究開発が終了するかどうかということについては、必ずしもそれだけの確信はなかったのではないかと、当時のことを考えまして、と考えております。
  412. 峯山昭範

    峯山昭範君 いや、その五十年の予算に間に合うような答申ということで、五十七年に配備が完全にできると、いわゆる国産ができるということを考えてなかったということになると、そうすると、初めから国産はあきらめて輸入の方向ということになるんですがね。そこら辺のところはどうなんですか。
  413. 島田豊

    証人(島田豊君) それにつきましては、五十七年度という年度が絶対不動のものでもないという感じもわれわれ持っておりましたので、できるかけしかし、それに近づくように研究開発に着手いたしましたら努力をすべきであるという考え方はあったと思いますけれども、それによって国産の方針が出ました場合に、出ました場合といいますか、その前に国産化をあきらめるというふうな考え方は毛頭ございませんでした。
  414. 峯山昭範

    峯山昭範君 そうしますとね、私初め、先ほどお伺いしましたように、配備の問題ですね、この五十七年配備という問題については、これはもう現在の時点では相当おくれているわけですけれども、当時の配備の詰めですね、これはもう五十七年というのが絶対的なものだったのか、あるいは多少の余裕があったのか、ここら辺のところは実際どうなんですか。
  415. 島田豊

    証人(島田豊君) 研究開発の問題でございますので、確実に予定のとおりに進むかどうかということについてはいろいろ問題もあるわけでございますけれども、これもやりようによりましてはある程度の当初の研究開発の期間を短縮するということも、これも不可能ではなかろうという感じも一方にあったわけでございまして、できるだけその五十七年度装備ということに向かって努力をするという考え方であったと思います。一面、この五十七年度というものが絶対不動であるとか、絶対動かさないと、こういうかたいものでもなかったというふうな認識であったと思います。
  416. 峯山昭範

    峯山昭範君 多少質問の方向を変えますが、もし配備がおくれるとすれば、いわゆるどの程度の余裕があるか。これは余裕についてはどの程度考えておられたですか。
  417. 島田豊

    証人(島田豊君) その辺の正確な数字的な問題についてはちょっと私いま確信を持ってお答えできません。
  418. 峯山昭範

    峯山昭範君 それではこの問題についてはこの程度にして次にいきます。  それでは先ほどから多少、先般から相当問題になっております九日の前後の問題についてお伺いします。  まず、T2及びT2改の国産については防衛庁としては相当準備を進め、前年度の二十機購入という問題も相当取り組んできたわけですけれども、この問題について輸入という話がぽんと出てくるわけですね。これは十月二日の大蔵省から内示の時点で出てきたというふうに聞いているわけですが、これは防衛庁にとっては寝耳に水みたいな感じだったわけですか。これはどうです。
  419. 島田豊

    証人(島田豊君) 率直なところ、そういう印象であったと思います。
  420. 峯山昭範

    峯山昭範君 私は寝耳に水、そういう印象であったということですが、この年の七月の二十五日には日米通商会談でアメリカ側がエアバス及び兵器購入を要請し、日本側はその緊急輸入を約束したと、現実に報道されております。また八月の十五日の日には経済閣僚懇談会がありまして、大平外務大臣が当時の増原長官に米兵器の輸入を申し入れたと、さらに八月二十二日には中曽根当時の通産大臣が同様の要請を防衛庁に対して行ったと、これは当時事務次官でございますし、ここら辺の話は詳しく御存じだと思いますが、これは御存じですか。
  421. 島田豊

    証人(島田豊君) そういう文書による要請があったということは、ちょっと私いま記憶しておりません。
  422. 峯山昭範

    峯山昭範君 いや、文書による要請じゃなくて、当然口頭だろうと思うんですがね。
  423. 島田豊

    証人(島田豊君) これは関係各省から防衛庁に対しまして、まあ四次防を検討しておる段階でございますので、それについて輸入という問題について極力考えてほしいと、こういうふうな要望があったことは記憶しております。
  424. 峯山昭範

    峯山昭範君 その要請がありまして防衛庁としては、これはもう当時の通産大臣、大蔵大臣等から兵器の輸入という話はあったわけですからね。やっぱり防衛庁としても何らかの取り組みをしたと思うんですがね。少なくとも十月二日までの段階です。これはどうなんですか。実際問題、何かこういうものを輸入しようとかいうふうな話は防衛庁の中では議論はしてないんですか。
  425. 島田豊

    証人(島田豊君) 四次防の全体経費の中でかなり輸入部分もございます。たとえばミサイル等につきましてはかなりの部分輸入しておりますので、そういうものによって防衛庁としても協力できるのではないかと。したがいまして、特定の装備品についてこれを従来国産の方針できておったのを輸入に切りかえる、そういうふうなことについての具体的な検討はなしておらなかったというふうに思います。全体的にかなりの部分、かなりの金額につきまして輸入ができると、こういうことであったというように思います。
  426. 峯山昭範

    峯山昭範君 かなりの部分についての輸入はできるかもわかんないけれども、具体的にどれをということは検討しなかったということですね。そうしますと、十月二日にこういう話が出てまいりまして、防衛庁としては具体的にどういう組り組みをやったんですか。   〔委員長退席、理事岡本悟君着席〕
  427. 島田豊

    証人(島田豊君) ですから、復活折衝の段階におきましては、もちろん防衛庁としては既定の方針どおり両方とも国産ということを主張してまいったわけでございます。
  428. 峯山昭範

    峯山昭範君 それでは五日の日にもさらに事務当局で交渉やっておりますね。これは五日の日の交渉はどういうふうな交渉が行われましたですか。
  429. 島田豊

    証人(島田豊君) 五日の日には課長レベル、局長レベルのことはちょっといま記憶しておりませんが、五日の日は多分大蔵省との間に四次防の総経費枠についての折衝をいたしました。さらにそれが私と主計局長の間で折り合いがつかず、両省庁の大臣の間におきまして一応総経費枠が決まったと。その間においてやはり両機種につきまして、大蔵側からは輸入論が出てまいりましたけれども、われわれとしてはそれには同調できないということで、それは平行線をたどっておったのでございます。
  430. 峯山昭範

    峯山昭範君 この大蔵の輸入論の根拠はどういうことだったでしょうか。
  431. 島田豊

    証人(島田豊君) これはやはり全体の通貨政策の問題と、それからやはり財政枠の問題というふうにわれわれは当時認識しておりました。
  432. 峯山昭範

    峯山昭範君 これは九日に向けて連日事務レベルの折衝が行われたわけですけれどもね。当時の新聞等、また当委員会における証言等によりまして大体わかってきているわけでございますが、十月六日の日にやっぱり事務レベルで折衝が行われて、そして先ほど海原調停案というふうな話が出てまいりましたが、T2の国産ですね、これは二十機で中止をして、F5Bを輸入にして、それからFST2改とPXL国産ということで報道されているわけですけれども、こういうふうな途中での試行錯誤のいろんな状況というのは大体記憶ございますか。
  433. 島田豊

    証人(島田豊君) 十月六日の国防会議議員懇談会、これに主要項目等の案が出されまして、いろいろ審議がございました。その際に高等練習機、支援戦闘機についての問題が出まして、議員の間では国産論と、それからもし非常に安くていいものがあるならば輸入してもいいじゃないかという論もあったように記憶しております。  それから翌日が幹事会でございまして、幹事会ではこの問題がけりがつきませんで、さらに関係省庁の間の協議に移されたわけでございまして、引き続き後藤田官房副長官のところで関係各者が集まりまして議論をいたしました。さらにそこでもなかなか結論を得ませんので、夜、先ほど上田先生にもお答えしましたように、ホテルニュージャパンにおいてさらに技術的な、専門的な問題について詰めたと、こういうことがございました。そして十月八日海原事務局長が一つの妥協案を提示されたと、こういう経緯になっております。
  434. 峯山昭範

    峯山昭範君 それでは詳細聞いておる時間ございませんので、いま話ございました七日の問題を一遍もうちょっと詰めてお伺いしたいと思います。  まず七日の幹事会はどこで開かれたんですか。
  435. 島田豊

    証人(島田豊君) これは通常、次官会議の後幹事会をやるというのが通例でございますので、恐らく二階の方の、あれは何間といいますか……。
  436. 峯山昭範

    峯山昭範君 総理官邸ですね。
  437. 島田豊

    証人(島田豊君) 総理官邸でございます。
  438. 峯山昭範

    峯山昭範君 時間は何時から。
  439. 島田豊

    証人(島田豊君) 時間は、土曜日でございますが、恐らく九時か十時ごろではなかったかと思います。
  440. 峯山昭範

    峯山昭範君 午前ですか。
  441. 島田豊

    証人(島田豊君) 午前ですね。
  442. 峯山昭範

    峯山昭範君 これは土曜日の午前九時か十時ごろ——九時か十時と言うと、大分一時間時間ありますけれども、これはもう少し詰めて、何時ごろから何時ごろまで。もう少し思い出してください。
  443. 島田豊

    証人(島田豊君) どうもその正確な時間ちょっと思い起こせません。
  444. 峯山昭範

    峯山昭範君 大体で結構です。——これは何時ごろまでであったと。大体お昼ごろまでとか、これはどうなんですか。
  445. 島田豊

    証人(島田豊君) 大体お昼ごろまでだったと思います。
  446. 峯山昭範

    峯山昭範君 これは昼ごろまでと言うと、ホテルニュージャパンの会合は何か夜八時半ですね。その間どうなっておりますか。   〔理事岡本悟君退席、委員長着席〕
  447. 島田豊

    証人(島田豊君) そこで幹事会で結論を得ませんので、場所を後藤田副長官の部屋に移しまして関係省庁集まって、さらに引き続き協議をしたと、討議をしたということでございます。そしてホテルニュージャパンの方は夜であったというふうに記憶しております。
  448. 峯山昭範

    峯山昭範君 そうしますと、後藤田副長官の部屋では午後でございますね。
  449. 島田豊

    証人(島田豊君) 午後から夕方にかけてではなかったかと思います。
  450. 峯山昭範

    峯山昭範君 後藤田副長官の部屋でのメンバーはどういうメンバーでございますか。
  451. 島田豊

    証人(島田豊君) 副長官初め、海原事務局長、それから大蔵省からは主計局長、主計官、通産次官もおったかと思います。それから防衛庁から事務次官、防衛局長、経理局長、防衛課長、こういうメンバーであったように記憶しております。
  452. 峯山昭範

    峯山昭範君 そうしますと、特に後藤田副長官の部屋では相当長時間にわたって議論をしているわけですが、この長時間にわたる議論は主にどういう議論だったわけですか。
  453. 島田豊

    証人(島田豊君) 逐一内容記憶しておりませんけれども、国産を主張します防衛庁。それから大蔵省はこれに対しまして輸入論を唱える。それから海原事務局長の方は新しい支援戦闘機のFST2改についてまだ開発段階のものでありますので、これについて疑問を出すと、こういうふうないろいろな議論のやりとりが行われたように記憶しております。
  454. 峯山昭範

    峯山昭範君 結局、結論としてこの日は結末は得られなかったと先ほどもおっしゃっておりましたが、そのとおりですね。
  455. 島田豊

    証人(島田豊君) ホテルニュージャパンにおいて技術的な検討をいたしましたが、結局、どうもこの問題については幹事会で結論を得ることがむずかしくないかと。したがいまして、数案をつくってこれを国防会議議員懇談会に上げたらどうかというふうな意見が出ておったように思います。
  456. 峯山昭範

    峯山昭範君 もう時間がございませんので、詰めて話をします。  それから八日の日の話は先ほど出てまいりましたので、多少飛ばしまして、八日の話の中で一点だけお伺いしておきますが、増原長官が当時八日の日ですね、後藤田さんに会いましたですか。
  457. 島田豊

    証人(島田豊君) そういう事実はないと思います。
  458. 峯山昭範

    峯山昭範君 後藤田さんが新聞の報道で八日の日に増原長官と会ってFST2改の国産についての話を聞いたと、こういうことを言っておりますが、この事実については知りませんか。
  459. 島田豊

    証人(島田豊君) そういう事実はなかったと思います。
  460. 峯山昭範

    峯山昭範君 それでは、次に九日の日の幹事会で、まず七日の日に大蔵省の方ではT2及びFST2改についてはもう国産にするということは、大蔵大臣までちゃんと報告をして了解を得ているという証言が先日ありました。防衛庁としては全くこれはまだ国産になるということについては、八日の日の宮下主計官の電話まで詳細に大蔵省の意向というのはわからなかったわけですか。
  461. 島田豊

    証人(島田豊君) そのとおりでございます。
  462. 峯山昭範

    峯山昭範君 そうしますと、九日の日の幹事会で、やはり非常に短い時間ですけれども、特にT2改について防衛庁は当然国産を主張しただろうと私は思うんですが、そのとき大蔵省はどういう主張をされたのですか。
  463. 島田豊

    証人(島田豊君) これにつきましては、幹事会においては余り議論をいたしておりません。結局、その七日の日の幹事会でこの問題については関係省庁でもう少し詰めたらどうかということで、結局関係省庁でいろいろ協議いたしたけれども、これについては合意を得ておらないということをそこで披露いたしまして、それでこの問題については国防会議の審議にこれを上げようと、こういうことを申し合わせしたのでございます。
  464. 峯山昭範

    峯山昭範君 これは結局、九日の日の幹事会では特にT2及びT2改の国産という問題については、要するにそれぞれの省庁の幹事の方々から意見を出して議論をするというんじゃなくて、もう土曜日までのいろんな結末が得られないままのそれを受けてこうだということで、国防会議懇談会あるいは国防会議に持ち越したと、こういうことですね。
  465. 島田豊

    証人(島田豊君) これについてはそれ以前から、六日の日の議員懇談会から話が続いておるわけでございまして、この問題はやはり四次防の中でも非常に大きなプロジェクトでございますし、当然国防会議のマターである、こういうふうなわれわれ認識でございましたので、この問題は幹事会で結末がつけられない限り、これはやはり国防会議で審議していただくというようなこと、それが適当であるというふうに判断をいたしたわけでございます。
  466. 峯山昭範

    峯山昭範君 時間が来ましたので、最後に、まずこの国防会議で、要するに専門家会議の設置とそれから国産化問題は白紙というあれが決まったわけですけれども、これで防衛庁としてはどういうふうに了解事項考えておったかという問題が一つと、それからもう一点は、国防会議の二日後の十一日の日に、田中総理が外人記者クラブで記者会見をいたしまして、研究中の対潜哨戒機はまだ国産に手をつけていないから、輸入をするか国産にするかを白紙で輸入にウエートを置いて検討と、こういうふうな発言をしているわけです。これに対して当時PXLの問題については、T2改が終わった後はPXL防衛庁としては重要な問題になるであろうということはわかっていたわけですから、当然新聞の報道を見ますと、防衛庁の中でも相当議論になったろうと私は思うんですが、こういうことを新聞等あるいは報道で聞かれて防衛庁ではどういうふうな議論があったのか、それで次官はどういうふうにお考えであったか、そしてどういうふうな動きをしたのか、この点最後にお伺いしておきたい。
  467. 島田豊

    証人(島田豊君) 当日の了解事項につきましては、私どもといたしましてはその前日大蔵省の意向が示されたということもございますし、大蔵省はもう四十五、六年ごろから絶えずこの国産化を前提とした研究開発じゃないということをもう繰り返し繰り返し主張し続けておりましたので、われわれは大蔵省の考え方を十分承知しておったわけでございます。片やT2とFST2改の問題が一応われわれの主張どおりに決まったと、こういうことで大変われわれとしてもほっとしたような気持ちもございまして、このPXLの問題につきましては、表現からしましてこれで国産化を否定されたわけでもないし、輸入と決まったわけでもない、むしろ問題は今後に残された問題であるという気持ちもございまして、私増原長官ともお話ししまして、これはどうもやむを得ないことではなかろうかということでお話をしたわけでございます。したがいまして、これについてはまあその後の専門家会議の結論に待つと、こういう心境でございました。  それから田中総理の新聞記者クラブにおける発言について私も当時聞いたと思いますが、私の印象では、これはPXLはこれからの研究開発に着手すべき問題でございまして、国際収支の問題といいますか、ドル減らしの問題には直接寄与するものではないが、やはり総理のお立場として日本の、わが国が日米関係についてこれだけ努力をしているんだというふうなことを政治的に発言をされたのではなかろうかという私は印象を持ちました。また、これにつきまして防衛庁内で総理の発言をもとにしていろいろこう協議をしたり、討議をしたりというふうなことはなかったように記憶しております。
  468. 橋本敦

    ○橋本敦君 証人昭和四十七年の八月二十九日に行われた四十八年度防衛庁の概算要求、これを決定した庁議には参加をされておられましたね。
  469. 島田豊

    証人(島田豊君) 参加しておりました。
  470. 橋本敦

    ○橋本敦君 防衛庁のこの四十八年度の概算要求は、いよいよ次期対潜哨戒機の国産に向けて具体的に一歩を踏み出していくという基本設計、これを主眼としたものであったことは、これは多くの今日までの審議で明らかですが、これは間違いありませんね。
  471. 島田豊

    証人(島田豊君) 間違いないと存じます。
  472. 橋本敦

    ○橋本敦君 ところで、四十七年度予算について防衛庁はすでに大蔵省からクレームがついて苦杯をなめている。つまり四十七年度の予算でも国産を前提とする研究は認めないという、そういう条件をつけられている。したがって、この四十八年度の概算要求についてはかなり腰を入れて大蔵省と折衝をしなければならぬと、こういうことで長官、次官以下防衛庁はかなりかたい決意、かたい意思を燃やしていたと私は思うんですが、その点はいかがですか。
  473. 島田豊

    証人(島田豊君) 防衛庁は毎年国産化考えながら研究開発予算要求しておりましたので、あの時点におきましては、その方針をまだ変えるという必要がなかったわけでございまして、既定方針で予算要求すると、こういうことであったと思います。
  474. 橋本敦

    ○橋本敦君 かなりかたい決意を持って四十八年度臨もうと、こういう皆さんの空気であったのではないかと、決意のほどを伺っているわけです。それはそうでしょう。
  475. 島田豊

    証人(島田豊君) 特に強い決意を持ってこの問題を審議したかどうか、ちょっとそこのところは記憶ございません。要するに既定方針でいくと、こういうことであったと思います。
  476. 橋本敦

    ○橋本敦君 既定方針でいくためには当然がんばらなくちゃならぬということは、もう歴年の話からわかっていますからね、率直に物を言っていただきたいんですよね。  ところで、その四十七年の夏ごろというのは、あなたがさっきお話しになった日米関係においては対米ドル協力問題というのが大きな政治課題になっていたことは、当時あなたも十分認識をなさっていたと思いますが、いかがですか。
  477. 島田豊

    証人(島田豊君) その辺の背景につきましては私も認識しておりました。
  478. 橋本敦

    ○橋本敦君 したがって、兵器輸入という問題ももちろん出てきてはいるけれども、何としてもその夏、総理に就任をされた田中氏が八月三十一日、九月一日、つまり庁議決定をあなた方がされた二日後にはハワイでニクソンと会談をする。これに並行して鶴見・インガソル会談というものも行われる。この動きがどうなるかということは、当然防衛庁としても、次官としても十分な関心を持って見ておられた問題だと思いますが、いかがですか。
  479. 島田豊

    証人(島田豊君) そのとおりでございます。
  480. 橋本敦

    ○橋本敦君 私はあなたに率直に伺いたいのですが、四十六年、四十七年、大蔵省は国産を前提とする研究は認められないという言い方をしてきた。ところで、この対潜哨戒機、これの問題について十月九日に至るまでの間輸入をしてはどうかと。つまり国産を前提とする研究開発は認めないということじゃなくて、輸入を検討してみてはどうかと、こういう輸入論の話があなたの耳にどこからか十月九日までに届いておったということはありますか。
  481. 島田豊

    証人(島田豊君) そういう事実はございません。
  482. 橋本敦

    ○橋本敦君 しかし防衛庁としては、たとえばあなたは御存じないと言うけれども、四十七年度の予算国産を前提とするということは認めないということが出た後で早速MDAOスタッダード氏はそれを見透かしてP3Cの写真を持ってきている。これはあなたは知らぬとおっしゃるけれども、役所としての防衛庁にそういう動きは現に出てきているという事実がもう春から始まっている。そして一方でドル減らしという問題が大きな政治課題になってきた。これは次期対潜機の問題についてもT2、T2改はもちろん含んでもいいわけですが、かなり四十七年度という年は厳しい年だという認識はあなた方としてお持ちになったはずだと思いますが、どうですか。
  483. 島田豊

    証人(島田豊君) そういうことでございますが、十月九日の時点あるいはそれ以前の時点、まあそうでございますが、要するにアメリカの対潜哨戒機を輸入できるというふうな状況ではわれわれはなかったというふうに思っております。大変とにかく輸入は困難であると、したがいまして、わが国としては研究開発に乗り出すべきであると、こういう認識でございました。
  484. 橋本敦

    ○橋本敦君 あなたはそういう認識だけれども、これが輸入が可能であるということを知っていた一部の人がいた可能性があるわけです。現に四十七年の夏にはワシントン駐在武官の玉川氏がアメリカのP3Cのリリースは可能だという私信を海幕に寄している。これはもうはっきりしました。あなたは知らぬとおっしゃるけれども、防衛庁にそれが届いている。そしてMDAOからの売り込みということで写真まで持ってきているという動きがある。だから、こういう動きが出てくるということは、アメリカの首脳部においてP3Cを諭出することが可能だと、リリースが可能だという動きがあるからであるし、そして日米関係のトップクラスにおいてこれを知らないというわけじゃなくて、知っている人があり得たということもこれは推測できるわけですよね。だから、あなたはなるほどドル減らし論はあった、厳しい年ではあった。しかしP3Cに関して輸入というのはこれは困難だという、これはあなたの認識だけれども、可能だというそのことを知っていた人があり得たという推測は、これは推測する人の自由だけれども、なし得て不思議ではないという事情があるわけですよ。  ところで、あなたにもう一つ伺いたいのですが、十月二日になって大蔵から内示としてT2、T2改を国産をあきらめると、国産を認めないと、そしてF5の輸入へといくような、こういう内示があったということですが、この内示というのは、四十八年度の大蔵折衝の予算関係の内示ではなくて、四次防についての大蔵の意見だと、これは間違いありませんね。
  485. 島田豊

    証人(島田豊君) ただいまのお言葉でございますが、これは輸入にすべきであるという、そういうきつい内示でございませんで、輸入を検討してほしいと、こういう大蔵省の希望であったと思います。
  486. 橋本敦

    ○橋本敦君 内示の性質。
  487. 島田豊

    証人(島田豊君) 内示の性質は、これはまあ四次防の主要項目に関してでございますし、それはもちろんその年度からの予算要求にもこれは反映してくるというものでございます。
  488. 橋本敦

    ○橋本敦君 予算にかかわりがないとは言いませんが、基本的には四次防を決定するというその前提としての意見であるということは動かせない事実ですよね。  ところで、十月二日以後、いろいろT2、T2改の輸入問題が突然出されてきたために防衛庁が大変な苦心惨たんをしたということはわかりました。  で、問題の十月八日のことについて私も具体的に伺いたいと思うんですが、きょう午前中にここで証言をされた元黒部装備局長は宮下主計官から十月八日に電話があったということは記憶がないと、こうおっしゃっている。装備局長ともあれば、十月八日のあなた方の庁議にも当然参加をしているし、一応重要な役割りであったと私は思うんですが、その方が記憶がないと、こう言っている。防衛庁久保次官は最初その電話、記憶がないと言っていた。ところが、その後帰って調べてみると電話があったようだということに変わっていくと。この電話がそれほど大事ならば、そういう人たちが記憶がなかったというのは、これもおかしな話であると、こうなるわけですね、  で、当時、官房長はどなたでしたか。
  489. 島田豊

    証人(島田豊君) 田代君でございました。
  490. 橋本敦

    ○橋本敦君 その田代一正氏が随筆集で「決断」という本を書いています。この中で十月八日のころの記述が出てくるんですが、これを読んでみても電話があったというように思えないんですね。読んでみますと、つまりT2、T2改をめぐる問題ですが、「この問題について、部内で何回か協議を重ねるが結論が出ない。新聞紙は、毎日のように大々的に報道を繰り返すという雰囲気のなかで、明九日には四次防を決定せざるを得ないという八日の日を迎えた。午後から長官室で庁議を開き、いろいろな角度から検討を加えるが結着がつかない。ついに、夜十時すぎに、防衛庁としてはF15導入に反対する、明日早朝に増原長官から総理にこの旨を説明してご了承をいただく、という結論に到達し、長い庁議の幕を閉ずることとした。」と、こう書かれていますね。これを見ると、いまあなたがおっしゃったような重大な電話が出てきた事実は全然ないんですね。これを読んでみると、その電話の問題に関連して議論したという様子もうかがえない。  そこであなたに伺いますが、あなたは直接電話をとった人ではない。あなたが電話があったということを何時ごろ、だれから聞いたという御記憶なんですか。
  491. 島田豊

    証人(島田豊君) この時刻ははっきりいたしませんが、九時から十時ごろまでの間ではなかったかと思いますが、小田村経理局長であったと思います。
  492. 橋本敦

    ○橋本敦君 この本にあるように、夜十時ごろに大体皆さんの議論が終わって、あすの朝増原長官とあなたが田中邸に行くということを決めて、散会されたのが大体夜の十時ごろ、これは間違いありませんか。
  493. 島田豊

    証人(島田豊君) そのころであったと思います。
  494. 橋本敦

    ○橋本敦君 あなたはその電話は、それを受けた小田村氏から直接聞かれましたか。
  495. 島田豊

    証人(島田豊君) どういう場面で小田村君から聞いたかということを必ずしもはっきりいたしておりませんけれども、確かに聞いたという覚えはございます。
  496. 橋本敦

    ○橋本敦君 この電話がもしあなたがおっしゃるようにあったとすれば、二日以来さんざん苦心をしてきたT2、T2改の国産を認めるということがまず入っていますから、これはよかったなということでみんなが約一週間にわたる苦労、それを喜び合って、本当に印象深い記憶がないと私はおかしいと思うんですね。この電話を受けた途端にあんた方はばらばらであったのか、みんな集まってこの電話の問題について協議をしたのか、意見交換をしたのか、その点はいかがですか。
  497. 島田豊

    証人(島田豊君) そのときは正式に庁議という形の協議をしておりませんで、人々は出たり入ったりしておったと思いますけれども、そこへそういう電話がありまして、長官のところでそれについて協議をして、そしてことにPXLの問題についてはどうもやむを得ないかなという感じでおったのでございまして、これについてはもちろん了承したとかいうようなことを大蔵省に返事をしたということはございませんが、われわれの気持ちとしてはそういうことであったと。それから支援戦闘機等につきましては、これは大蔵省の内意はわかったということでございますが、しかしながら、これが直ちにもうすでに関係各省庁の調整が翌日幹事会の段階でとられて、そしてそれが幹事会の結論として国防会議の段階に上げられると、こういうふうな、そういうものではないのだと、やはりこれはまだいろいろな意見がございますので……。
  498. 橋本敦

    ○橋本敦君 簡単でいいです。わかりました。
  499. 島田豊

    証人(島田豊君) それについての調整はまだ必要だという感じでございましたので、一応大蔵省の内意はよくわかりましたけれども、それで直ちにこの問題落着というふうには考えなかったのでございます。
  500. 橋本敦

    ○橋本敦君 しかし、これまでの議論の経過からすると、なるほど七日の幹事会にしろ、海原氏がいろいろ意見を言われたことはわかりましたが、基本的に防衛庁と対立している省庁と言えば大蔵省、これが中心であることは明らかですね。いかがですか。
  501. 島田豊

    証人(島田豊君) そうでございます。
  502. 橋本敦

    ○橋本敦君 だから、したがってその問題の大蔵省が国産を認めるということであれば、なるほど関係各省の協議は要るにしても、基本的にはよかったと、こうなる、これはあたりまえじゃありませんか。  そこでもう一つ聞きたいのは、そのときにPXLはT2、T2改を国産認めるかわりにPXLはあきらめてもらいたいと、こういう話があったということですか。ここであきらめてもらいたいというのはどういう趣旨と受け取りましたか。
  503. 島田豊

    証人(島田豊君) まあ大蔵省にとりましては、PXLはこれを国産化を前提とした研究開発を認めるということになりますと、かなり将来に財政的に経費が大きくなってくるという心配を持っておったと思います。四次防の全体の枠という問題に関連しまして、そういう懸念を持ったと思いますが、したがいまして、それまでの間大蔵省はその都度、機会あるごとに……
  504. 橋本敦

    ○橋本敦君 経過はいいです。
  505. 島田豊

    証人(島田豊君) この問題についての意見、要するに国産化を前提とするものじゃないという意見を述べておりましたので、われわれとしては再びそれが繰り返し主張されておるという感じを持ちました。
  506. 橋本敦

    ○橋本敦君 そうしますと、例年の予算折衝で言っていることと変わらぬと、もう将来国産化は全然認めないよと、そんなきついものじゃなくて、予算折衝で話をすればまだまだ道は開けると、こういう感じで受け取ったという意味ですか。
  507. 島田豊

    証人(島田豊君) まあ、そうわれわれとしても安易にこの問題を考えたわけでございませんで、なかなかこの壁は厚いという認識は持ちましたけれども、しかし、これで政府の段階においてこれで最後的に決まったんだというふうな認識ではなかったように思います。
  508. 橋本敦

    ○橋本敦君 だがしかし、坂田長官の答弁によれば、翌日の了解事項というのは一遍死んだ子が生き返ったというようなかすかな光が見えた思いだと、こういう言い方をしている。だから、この電話でPXL国産をあきらめてくれということはかなり深刻なものとして防衛庁受け取って当然だと私は思うのですが、そんな深刻な受け取り方はなかったということですか。おかしいじゃありませんか。
  509. 島田豊

    証人(島田豊君) 先ほど申しましたように、やはり壁が非常に厚いという印象はそのとき持ちました。
  510. 橋本敦

    ○橋本敦君 あなたの答弁は率直な気持ちを表現されないので、理解がしにくいところがあるんですがね。PXLあきらめろ、あきらめろというのはきつい言い方ですよね、防衛庁にとっては国産目指してがんばってきたわけでしょう。それをあきらめろと、こう言われているわけですよ。そこであなた方はこれはやむを得ないと、やむを得ないとしてPXL問題はどうするつもりだったんですか。
  511. 島田豊

    証人(島田豊君) これは……
  512. 橋本敦

    ○橋本敦君 簡単に言ってください、時間がありませんから。どうするつもりだったか。
  513. 島田豊

    証人(島田豊君) 年度の予算でさらにまた当方の主張を繰り返すと、こういう気持ちでございました。
  514. 橋本敦

    ○橋本敦君 わかりました。  年度の予算での交渉が結果的にできましたか、どうですか。四十八年度どうですか。
  515. 島田豊

    証人(島田豊君) これはただいまの了解事項が出てまいりましたので、まあこれは専門部会の検討に待つと、こういうことになったわけでございます。
  516. 橋本敦

    ○橋本敦君 もっとはっきり言ってもらいたい。四十八年度せっかく力を入れて要求をした概算要求二十七億に上る基本設計、これはどうなりましたか、査定はどうですか。
  517. 島田豊

    証人(島田豊君) 認められなかったと思います。
  518. 橋本敦

    ○橋本敦君 ゼロでしょう。しかも四十七年度せっかくついている予算さえ執行留保ということになっておる。だから、七日の日にこの電話があって、予算段階で勝負をすればいいと考え考え方はまさに甘かったということをはっきり認められますか。予算折衝できる余地なんかなかったわけです。どうですか。
  519. 島田豊

    証人(島田豊君) この了解事項がなければ、年度の予算でいろいろさらに折衝を続けたと思います。
  520. 橋本敦

    ○橋本敦君 はい、わかりました。
  521. 島田豊

    証人(島田豊君) しかしながら、この了解事項もそれで将来にわたって国産化を前提とする研究開発がアウトになったという結論でもございません。慎重に検討するということでございますので、その限りにおいてわれわれは一応やむを得ないと、こういうふうに考えたわけでございます。
  522. 橋本敦

    ○橋本敦君 あなたの答弁率直じゃないですよ。四十八年度力入れて概算要求決めた、PXLはあきらめろと言われたけれども、予算段階で折衝すればいいと考えた。ところが、折衝どころか四十八年度予算はゼロ査定、四十七年度不執行、その原因がまさにこの九日の国防会議懇談会の了解事項だ。あなたも認められているとおりですよ。だから、この了解事項というのは、あなたが考えて、防衛庁考えているような、予算折衝でまた何とかなるわというような性質のものじゃなくて、それをはるかに超えた、国産化を目指した防衛庁の方針が大きく曲がっていく決定的な力を持った。これは明らかじゃありませんか、事実として明らかではありませんか。この事実は認められますね。事実としてそうなっている。
  523. 島田豊

    証人(島田豊君) そのときの防衛庁のわれわれの最大の関心事が練習機、戦闘機……
  524. 橋本敦

    ○橋本敦君 それはよろしい。
  525. 島田豊

    証人(島田豊君) の問題にございまして、その問題が国産というわれわれの主張が通ったという、そういう非常に何といいますか、激しい一つの背景がありまして、それを御理解いただきたいと思います。
  526. 橋本敦

    ○橋本敦君 私の質問に答えてください。あなたが私に理解してくれというのは、それはいいです。  結果として、この了解事項というものの事柄は、いいですか、政治的にも体制的にも予算折衝で勝負ができるというような性質のものでなくなって、決定的にあなた方が考えたことと違う方向へ大きく動いた原因になったと、事実としてこれは認められないとおかしいじゃないですか。その事実は認めますかと、こういう質問です。
  527. 島田豊

    証人(島田豊君) 四十八年度の予算はそういうことで認められませんでしたけれども、結局、現在引き続き各省庁間で専門家会議の結論をもとにして検討いたしておるようでございますので、まあ今後はその結論を待って防衛庁としても処置をしていく、こういうことになろうかと思います。
  528. 橋本敦

    ○橋本敦君 つまり延ばしに延ばされて、今後処置をしていくというところへ追いやられてしまっているわけですよ。  で、この九日の問題の朝の幹事会では、先ほどのあなたの御証言ですと、前の日に主役を果たした大蔵がT2、T2改の国産了解するという連絡があったにかかわらず、幹事会ではまとまらぬというままで国防会議懇談会の方へ行ってしまった。これも不思議な話ですね。大蔵があの幹事会で、事務次官出ておられたと思うんですが、T2、T2改の国産は大蔵としては了解だと一言おっしゃれば、ほかの関係省庁もちろん結構ですという空気になるはずの性質のものではありませんか。どうですか。
  529. 島田豊

    証人(島田豊君) これは先ほども答弁いたしましたように、まあ大蔵省の内意は内意といたしまして、これですぐ幹事会で結着をつけるというような状況ではなかったと、当時の状況は。そういうことでございました。
  530. 橋本敦

    ○橋本敦君 それもわからない、おかしな話ですが、何のために幹事会、わざわざ次官まで出てやるか話がわからぬですよ。この日、大蔵は方針持ってきてないんですか。国産認めるという方針持って九日に臨んでいるはずですよ。そうでしょう。それを幹事会で物を言わない、おかしな話だ。その前に田中総理邸であなたは三十分ばかし長官と一緒に田中総理にお会いになったそうですが、三十分といえばかなりの話ができますね。この話の中で一つ伺いますが、総理が価格の問題を聞かれたと、こう言いますが、これは具体的に言うと、国産輸入とどっちが安くなるかという意味での価格の問題ということですか。
  531. 島田豊

    証人(島田豊君) まあ端的に言えば、そういうことだと思いますけれども、要するに国産の場合にはかなり高くつくというのが普通でございます。どれぐらいの開きがあるかというふうな問題、だったと思います。
  532. 橋本敦

    ○橋本敦君 それに対するあなた方の説明で総理は納得された様子でしたか、どうでしたか。価格問題は。
  533. 島田豊

    証人(島田豊君) 結局初度調弁的なものの経費につきましては、国産の方が高いというのが普通でございますが、長い後の維持関係、たとえばアメリカの場合に生産が中止されるとか、あるいは縮小されるというふうな場合に部品の補給が非常にむずかしくなる、それが価格に反映するというような問題がございますので、長期的に見れば、それほどの大きな開きではございませんよというふうな説明をしたように思います。
  534. 橋本敦

    ○橋本敦君 納得されたかどうか。
  535. 島田豊

    証人(島田豊君) そこで納得をされたかどうか、ちょっと記憶いたしておりません。
  536. 橋本敦

    ○橋本敦君 朝から必死になって行っておられるのに、大事な問題を話して総理が納得されたかどうかわからぬというのは、これはおかしな話ですよ。  もう一つ伺いますが、このときにPXL問題はあなた方総理に話しましたか、話しませんか。
  537. 島田豊

    証人(島田豊君) 話しておりません。
  538. 橋本敦

    ○橋本敦君 これも大きな問題で頭の中にあった。表にはT2、T2改が出ていても頭の脳裏に離れなかったとは先ほど上田委員の質問であなたおっしゃったとおりです。これがあきらめろと言われて、これが一言も言えない、これもおかしな話です。総理の方からPXL問題の話は出ましたか。
  539. 島田豊

    証人(島田豊君) 出ておりません。
  540. 橋本敦

    ○橋本敦君 そのような大事な話も出ないということは、これはきわめておかしいと思うのです。たとえば総理は、その後あなたが証言なさったように、懇談会になってPXL問題についてはこれは専門家会議を設置して検討してはどうかと発議をしているわけですね。だから、総理はこの日の朝からPXL問題もどうするかという頭があったはずなんです。その日議員懇談会が始まって、あるいはその直前突如として発想されたということがあったかもしれませんよ。しかし、筋書きから言えば四次防きょう決定する日に、PXL問題も片をつけようという総理の意思があったと理解できるならば、全然総理から話も出ない、あなた方も話をしない。これはなぜ不思議かと言えば、この問題はまさに防衛庁それ自身にかかわる重大な問題でしょう。防衛庁の意見も聞かないで、国産論議を白紙にして、輸入を含めて、そして専門家会議で決定するというような了解事項が突然出てきた。これはあなたも出てくるまで知らなかったでしょう、どうですか。
  541. 島田豊

    証人(島田豊君) 承知しておりませんでした。
  542. 橋本敦

    ○橋本敦君 こういう問題について防衛庁の意見も、わざわざ朝行っているのに聞いてはくれない——言わない方も悪いですよ、聞いてはくれない。防衛庁の意見を何ら聞かずにこのような発議を総理がなさるということについて不満はありませんか。
  543. 島田豊

    証人(島田豊君) 御承知のとおりに、その……
  544. 橋本敦

    ○橋本敦君 簡単で結構です、時間がないから。不満はあるかないかだけ。
  545. 島田豊

    証人(島田豊君) 当初練習機なりあるいは支援戦闘機について、われわれとしては最後まで努力をいたし、総理にも要請をしたようなことでございまして、こういうやはり高度の技術的な問題について一々最後に自分が結着をつけなければならないというふうなことは、これはやはり適当でなかろうと、こういう感じをお持ちになったのではなかろうか。それがPXL等につきましては専門家会議と、こういう御発想になったものだと考えております。
  546. 橋本敦

    ○橋本敦君 高度の技術的な問題を一々自分のところへと言うけれども、朝あなた方PXL問題出していないんだよ。総理のところへそれまで防衛庁持って行っていないんだPXL問題は、そうでしょう。一々総理のところへ持って行ってあなた方やんやん折衝していたらその話はわかりますよ。総理はそういう言い方をしたかもしれないが、事実としてはそんな持って行っていない。突然出てきたことはあなたもおっしゃったとおり。いいですか、つじつまが合わないんですよ。しかも、この総理の発議に対して当時出席していた防衛庁長官もあなたも一言も異議も言わなければ、その問題はもう少し検討さしてほしいという言葉も差しはさまない、こういう状況だったのですか。
  547. 島田豊

    証人(島田豊君) そのときの状況私どうも思い出せないんでございますけれども、少なくとも私はその文章が起草される、それは承知しておりましたけれども、私からは特に意見を差しはさまなかったということでございます。
  548. 橋本敦

    ○橋本敦君 あなたも長官も意見を言わない、総理が発議をして、それですぐ決まってしまう。まさに独断専行の形で行われちゃっているわけですよ。いま文章化の問題が出ましたが、この文章はその議員懇談会が行われている部屋の片すみで文章化作成をされた、その場にあなたはおられましたか。
  549. 島田豊

    証人(島田豊君) その状況を見ておりましたけれども、私もその場所へ行ったり、あるいはほかの場所へ行ったりという状況ではなかったかと、いまから考えてみると思うわけでございまして、そこへ私はつき切りでおったという状況ではなかったわけでございます。
  550. 橋本敦

    ○橋本敦君 大事なことが決まろうとするんです。あなたが証言されたように、これができたために予算折衝の勝負なんて吹っ飛んでしまう大事な大きな政策の転換が行われるんですよ。そのときに、次官であるあなたがそこにおったりいなかったり、これはもう理解できない状況ですがね。田中さんにいかれたらそんな状態になっちゃうんですか。具体的に聞きますが、この了解事項を書く、文章を書くその役目は、長岡大蔵主計局次長がやったということは、これは答弁でもありますが、それは記憶されていますか。
  551. 島田豊

    証人(島田豊君) それは記憶しておりました。
  552. 橋本敦

    ○橋本敦君 海原証人は私の質問に対して、国産化論議を白紙にして輸入を含めて専門家会議で検討という、輸入を含めてという文言は多分大蔵省側から入ったんだろうという証言をされました。ね。この大蔵省側というのは、その場に立ち会っておられた人で大蔵省側というのは、長岡次長以外にどなたですか、はっきりしているでしょう。
  553. 島田豊

    証人(島田豊君) 主計局長だと思います。
  554. 橋本敦

    ○橋本敦君 そうですね。相澤主計局長、それから長岡次長、この二人しか文案作成の場にいないんですからね。だから、輸入を含めてという文言は、具体的に入れるようにという意見を述べたとすれば、海原証人証言でも大蔵側だろうと、こう言っている。そうだとすれば、それは相澤主計局長だと、こうなるわけですが、あなたはそばにおられてそれを確相していますか。
  555. 島田豊

    証人(島田豊君) 確認をいたしておりません。
  556. 橋本敦

    ○橋本敦君 なぜ確認ができなかったんですか。そこにいたり離れたりしてたからですか。
  557. 島田豊

    証人(島田豊君) だれがどういう発言をしたということを一々私は記憶しておりません。
  558. 橋本敦

    ○橋本敦君 先ほどあなたは、次期対潜哨戒機ば輸入という古葉で言われたことはこの九日まで聞いていない、なかったと証言されましたね。そうですね。だから、この日に輸入を含めてという言葉が公然と了解事項の中に入ってきたということは、これは防衛庁にとっては大事な大きな問題だということになるのはあたりまえではありませんか。
  559. 島田豊

    証人(島田豊君) 国産化を前提とする研究開発をどうするかという問題でございますが、国産化を前提とする研究開発をしないということでありますれば、まあ幾つかの、たとえば既存の航空機を改造するという問題もありましょうけれども、輸入というものも当然概念的には入ってくると思いますので、輸入という言葉が出てくるのばそう不自然なことではないのではなかろうかというふうに感じるわけでございます。
  560. 橋本敦

    ○橋本敦君 そう不自然ではないというあなたの御意見は事実に合わないですよ。それまで輸入という話は一遍も聞いていないんだ。国産前提認められない、そう言われながら国産に向かって一生懸命防衛庁はやってきたんだ、そうでしょう。そして、ここで輸入を含めて検討というこの了解事項になって大きく転換したことは事実としてはっきりしている。この輸入を含めてという言葉が入ってきた問題を含めて、了解事項がどういう文章でできるかについてそれだけ特段の関心がなかったというのは、私は、次官としての職責にいささか不熱心だというようなことを言いませんけれども、真剣さが欠けるか、記憶余りにも薄れ過ぎるか、どっちかだと思いますよ、大事な問題をいま聞いているんだから。  時間がありませんから、最後にもう一問あなたに確認して終わりたいと思うんですけれども、この了解事項ができた後、これはあなた方としては、まだまだ輸入国産専門家会議で慎重に検討されると、だから、したがって防衛庁としては、国産のための研究をやるとかなんとかいう動きも四十七年度予算不執行になってとまって、慎重に様子を見ると、こういう状況であったという話ですね。ところが、一方でどうですか、十一月十五日にはMDAOがP3Cの説明会をやる、海幕は行ってますよ。五十年になってP3Cに試乗するようにということになれば、これは海幕の重立った人たちが技術陣を含めて行ってますよ。国産の方は慎重に検討する、何もしないと、こういってじっとしながら、このP3Cの売り込み、MDAOの動き、試乗についてはどんどん海幕が行ってる。この事実、あなた、どう思われますか、率直に答えてください。おかしいじゃありませんか。
  561. 島田豊

    証人(島田豊君) まあ、そういう事実を当時私ははっきり記憶にして、なっておりませんが、多分八月、四十八年の八月、正式に諸外国に対しまして照会をいたしておる事実がございます。それに対して米国から返事も、回答も参っておりますが、まあこれは結局、専門家会議というものが開かれます場合に防衛庁に対する協力を求められる、その際に防衛庁としては諸外国のそういう航空機なり、あるいは諸外国の意向というものについて十分承認しておくことが必要である、まあこういう趣旨から当時調査もし、また先方の話も開いたと、こういうことであったと思います。
  562. 橋本敦

    ○橋本敦君 ちょっと、余りにもおかしいですよ。十一月の十五日、MDAOのP3C説明会行ってるんだ、専門家会議なんて関係ないですよ。試乗も関係ないですよ。こういう海幕のP3Cの売り込みに対応していく姿勢、国産化は一方慎重だといって何もしないでおきながら、これをどう思うかと、これに答えてください。リリース照会の問題じゃないです。いまのは答えになってない。
  563. 島田豊

    証人(島田豊君) それは、当時としては、先方からそういう申し込みがありましたにつきましては、当然情報収集という意味もございますし、海幕としてはそれに−応じたと、こういうことであろうと思います。
  564. 橋本敦

    ○橋本敦君 全然答えになりませんが、時間が来ましたので終わります。
  565. 柄谷道一

    柄谷道一君 まず最初に、十月七日から九日まで、まことにいままでの御証言によりましても長くかつ暗い三日間が経過したわけですが、私はそれ以前の段階について、いままでの証言を集約をいたしまして、確認をいたしたいと思います。  主要武器の国産、これは防衛庁の既定の路線であった。したがって、それまで大蔵大臣や通産大臣からの庁に対する要請があったり、十月二日大蔵当局から内示的なものがあったけれども、功術庁としては、この十月七日以前は、T2、T2改の国産、そしてPXL国産という既定方針には毫も変更がなかった。その間確かに、四十七年予算では大蔵省の異議によって国産化を前提とせずという条件をつけられたり、また、三次防大綱で新固定翼対潜機の整備という表現が、四次防大綱では「電子機器ならびに対潜哨戒機および早期警戒機能向上のための各種装備等の研究開発を行なう」、そういう変化があったり、また田中・ニクソン会談にも重要な関心を持っておったけれども、これらの動きにかかわらず冒頭申し上げた防衛庁の所信は変わるものではなかった。で、きょう午前中に証言されました証人は、まあ形式的には国産化は決定していなかったけれども、必ず開発は成功させる、このためには基本設計予算をとり、試作、量産まで進めていきたい。これは装備局のみならず、防衛局、経理局等、庁を一貫する防衛庁としての意思であった。こういうふうに理解してよろしゅうございますか。
  566. 島田豊

    証人(島田豊君) 大体において先生の述べられたとおりだと思います。
  567. 柄谷道一

    柄谷道一君 そのような考え方で臨んでおった防衛庁がこの三日間を迎えるわけであります。  まず、十月七日の幹事会ではどのような話し合いが行われたのか、具体的にはその際PXL問題は話し合われたのかどうか、このことをお伺いします。
  568. 島田豊

    証人(島田豊君) 七日の幹事会では四次防の主要項目その他につきまして、が議題になりまして論議いたしたわけでございます。ただし、その場所におきましては、T2とT2改、FST2改の問題につきましては両省庁間の意見がまとまりませんので、これは別途関係者会議に一任するということになったわけでございます。  それから対潜哨戒機の問題につきましては、これはまさに主要項目の中の表現の問題でございまして、その中にいま御指摘のように対潜機能、対潜哨戒機能向上のための電子機器等の研究開発と、こうなっておりますが、これはまあ二月に決定されました大綱のときの表現と異なると、したがってわれわれとしてはこれは二月の方の大綱の線に戻してもらいたいという主張をいたしました。それに対して両省庁間の意見が合意を見なかったと、こういう状況でございました。
  569. 柄谷道一

    柄谷道一君 すると、そういう議論が行われましたけれども、PXL国産化輸入かというものはそのときの話し合いの爼上に具体的には上っていないと、こう言われるわけですが、それでは同日、ホテルニュージャパンにおける関係者会議で海原さんはF5輸入を説かれた、これに対して防衛庁はやはり国産、T2改の国産でいきたいということを主張されたわけですね。そのとき大蔵省はどういう対応をされましたか。
  570. 島田豊

    証人(島田豊君) ただいまの電子機器等の表現の問題は、結局防衛庁としましては、それで機体を含むというふうに読みたいということでございますし、大蔵省は機体は含まないと、こういうまあ解釈で、その解釈の対立があったわけでございます。それからホテルニュージャパンでの論議は、FST2改という、これから研究開発いたします戦闘機について、それが開発の見込みはどうであるか、それから性能等についても所期するところの性能が発揮できるかというふうな非常に技術的な、専門的な事項についての論議が行われたわけでございます。そこで、そのとき海原事務局長からも一部輸入の議論が出たと思いますけれども、それについては若干の論議があったと思いますが、結論を得ないままにその当日は終了したと、こういう状況でございました。
  571. 柄谷道一

    柄谷道一君 そのような経過で七日は終わった。八日に至って宮下主計官から、ただいままでの御証言によりますと、夕方の九時ないし十時ごろ電話が防衛庁にあった。趣旨は、T2及びT2改の国産化は認めるが、PXL国産化はだめだと、まあそういう趣旨の電話を経理局長が受け、あなたもこの連絡を受けたということでありますが、この内容増原防衛庁長官の耳まで当日届いておりますか。
  572. 島田豊

    証人(島田豊君) 当日その場所において長官も承知されました。
  573. 柄谷道一

    柄谷道一君 そこで、当然これはT2、T2改については防衛庁考え方が通った。しかし、PXL問題については従来の方針とこれは違ってくるということがここで予測されたわけでございます。きのうの証言によりますと、九日七時ごろ、増原長官が首相の田中総理のところを訪れておりますが、これは、大蔵からそういう意向は伝達されたけれどもなおT2改の問題については確定的ではないので、その念を押しに総理のところへ行ったんだ、こういう陳情でございますが、内容でございますが、そのときにPXL問題について長官は総理に何らかの意見を述べられましたか。
  574. 島田豊

    証人(島田豊君) 特にその問題については触れておられません。
  575. 柄谷道一

    柄谷道一君 そうなりますと、一応丁2改については大蔵の意向をその国防会議以前には知っておった、しかし、PXL問題については防衛庁の意向は表明しなかった、そういう状態の中で十月七日の——失礼しました。再び幹事会が持たれるということになるわけですが、その過程であなたは海原さんとともに後藤田さんの私宅を訪問されております。御証言によりますと、T2改及びPXL、双方とも国産でいきたいという趣旨を述べに行ったんだと、こう証言されたわけでございますが、間違いございませんか。
  576. 島田豊

    証人(島田豊君) それは事実に反します。私と海原事務局長が一緒に後藤田副長官の私邸を訪問したという事実はございません。それから私が後藤田さんを訪問いたしました目的は、高等練習機と支援戦闘機は双方とも国産でいきたいという防衛庁の意向をさらに伝えたということでございます。海原氏がどういうふうな動きをされたかということについては私は承知しておりません。
  577. 柄谷道一

    柄谷道一君 すると、これは昨日もお伺いしたんですが、久保発言、海原発言がありましたときに、新聞発表によりますと、後藤田さんが反論の、反駁の意見を表明されているわけです。それによりますと、あなたが私邸に来られまして、そしていろいろ話をした、そのときにPXL国産化問題については大蔵省の強い反対を考慮して国産化を断念したはずであって、島田次官はこのことを承知しているはずであると、こういう声明をされているのですが、これは全く事実無根のことを後藤田さんが言っておられるということになりますね。
  578. 島田豊

    証人(島田豊君) 後藤田さんのそういう発言自体がまあ事実かどうか、私は承知しておりませんが、後藤田氏のお宅を訪問しましたのは恐らく六時前後じゃなかったかと思いますし、大蔵省から電話が来ましたのが九時から十時でございますので、そういう内容を後藤田氏に私が私邸訪問したときに申し上げるというはずはございません。
  579. 柄谷道一

    柄谷道一君 どうもこれは現代の怪事ですな、これは。その究明は別途の機会に行うとして、それでは九日の幹事会でですね、いままでの質問にも触れられておりましたけれども、大蔵省はT2、T2改の国産化の方針を前日決めている、防衛庁はこれ、もともと主張しておったところである。にもかかわらず、これらについて国産化案、輸入化案、折衷化案三つのたたき台をなぜつくらなければならなかったのですか。
  580. 島田豊

    証人(島田豊君) この二案ないし三案を用意するということになりましたのは、七日のホテルニュージャパンの協議におきましてもそういう議論が出ておりましたが、とにかくその前の幹事会におきまして、この問題は、専門——でございません、その関係者の間で討議をするということにゆだねておりますので、その関係者の討議が当日の午前までには完了しておらない、確かに大蔵省の内意は防衛庁としては承知しておりますけれども、しかしながらこれはやはり各方面にそれぞれの意見もございますので、それを幹事会で取りまとめて、幹事会の一致した意見として国防会議に上げるというような状況ではなかったということでございまして、したがいまして、この問題についての意見がまとまらないままに国防会議の議員懇談会に上げる、こういう申し合わせにしたわけでございます。
  581. 柄谷道一

    柄谷道一君 大蔵省はいいと言っているのでしょう、防衛庁はいいと言っているのでしょう、いままとまらないと言われるのですね。どこの省が反対したのですか。
  582. 島田豊

    証人(島田豊君) これはどこの省ということでございません。いろいろそれぞれの関係者の間にいろいろな異論がある。まあ内閣官房にはそれぞれの意見がございましょうし、国防会議事務局にも多数の意見がございましょうし、そういう意味でございます。
  583. 柄谷道一

    柄谷道一君 そこで、増原防衛庁長官と当時の久保防衛局長は、T2シリーズの国産PXL白紙還元輸入を含め云々という問題については会議の席上初めて知ったと、こう言っておられるわけですが、ただいままでの証言によりますと、八日の日大蔵省の意向は、そこに、防衛庁に伝わって、そして長官のところまでその意向は届いておったという御証言だったわけですね。すると、初めてそこで知ったということは事実と異なるんではありませんか。
  584. 島田豊

    証人(島田豊君) 大蔵省の意向というものはわかりましたけれども、それは従来から防衛庁としましては両省庁間で絶えずこの問題は議論してきた問題でございますので、大蔵省の壁は非常に厚いという感じを持ったわけでございますが、それが閣僚レベルの国防会議議員懇談会において申し合わせ事項として取り上げられるということは増原長官以下われわれは全く事前には承知しておらなかったのでございます。
  585. 柄谷道一

    柄谷道一君 そこで今度は、会合の途中で、田中総理、相澤、後藤田三者が集まられましていろいろ協議がされた。そのときあなたは別室で待機をされておった。そこへ田中総理大臣の裁断なるものが出てきた。T2改は国産でいこう、PXL専門家会議でと。ところが、防衛庁立場からすれば、これは五次防にかかわる問題である。しかも四十七年度予算編成のときに大蔵とそして防衛庁の意見が相対峙して、前提にせずという表現はされておるけれども、形式的にはまだ国産化ということが決まっているわけではない。わざわざ白紙に戻す必要はないわけです。従来からも白紙なんですから、白紙に戻す必要はない。しかし、変わっていることは、輸入を含めてという字句が入ってきた。これは従来の方針というものが転換する一つの可能性を含むのではないか、これは次官として当然思い当たらなければならない点だろうと思うんです。この三者による意向が伝えられましたときに、あなたはこのことに対してどう判断をされましたか。
  586. 島田豊

    証人(島田豊君) 一つの問題は、政府としてPXL国産化を決定したという事実はございません。防衛庁は主張しておった、大蔵省は反対しておったという状態が続いておったわけでございます。そして、了解事項の中の文句が、国産化を白紙にするということでなくて、国産化問題を白紙にするということで、これは国産化を前提とする研究開発をするかどうか、あるいは輸入とか国産とかいう両省庁間の議論がいろいろありました、そういう議論を白紙に戻して、そして検討しようと、こういうことになったわけでございますので、これで国産化が否定されたとも、また輸入という方針が決められたとも、その中には書いてないわけでございますので、われわれとしてはこれは今後専門家会議で慎重に検討されるということならば異存はないと、こういう気持ちであったわけでございます。
  587. 柄谷道一

    柄谷道一君 あなたはそういう形でロジックをこう合わせておられるんですけれども、それでは、この了解事項ができた後の動向というのを見ますと、一つは、白紙である、まだ問題は依然として従来のまま持ち越されている、防衛庁の意見は変わらない。にもかかわらず、一つの現象としては、四十七年度の予算の執行が停止されているわけであります。国産に関してはストップがかかったわけであります、研究開発はですね。一方、専門家会議はその発足がごたごたいろいろ事情があっておくれまして、その間、政府から出されました資料によりますと、第一回専門家会議、八月までの時点は、一方国産をストップしながら、国産開発研究をストップしながら、一方においては急速にP3Cの実態を把握するというための行動が、専門家会議が開かれるまで急速に進められているわけです。ということは、この状態というものは、この了解事項というものは、従来の経緯と、そしてこれが決まった後の予算執行停止、そして急速なP3Cへの傾斜という事実を考えますと、これは従来の決定とその趣を異にするものであったということが客観的に言えると思うんですが、あなたはそうお考えになりませんか。
  588. 島田豊

    証人(島田豊君) 国産化の問題はそういうことでスローダウンをせざるを得なくなったと思いますが、一方、P3C等につきましては、それまでには余り自衛隊としましても確実なる情報を持っておらなかった。それについてアメリカ側から提示をするとか、あるいは搭乗を認めるとか、こういうふうな話がありましたので、これは海幕としてはP3Cに関する情報収集、入手という観点からそれに応じたということであろうと思うわけでございます。したがいまして、自衛隊そのものがあの了解覚書、了解事項を契機としまして輸入の方に傾いていったというふうなことにはならない、やはりこれはあくまで専門家の会議の結論に待つと、こういう姿勢であることには変わりはないように思うわけでございます。
  589. 柄谷道一

    柄谷道一君 あなたは国産開発がスローダウンしたといま言われましたけれども、ここでストップしたのですね。そこで、こういう事態をかんがみまして、十月九日の午後、海幕幹部が海原氏を訪問いたしまして、専門家会議は早期に開催をしてもらいたい、こういうことを申し入れたと私は聞いております。それは、何とならば、早く専門家会議を開き、そしてタイムリミットをつけて専門家会議の結論を出さなければ期間的に国産化というものが結果して間に合わない結果になっては困るというのが海幕の意図ではなかったかと思うんです。また、専門家会議の発足のもたつきに対しまして、それでは依然として国産化の方針を堅持されておりました防衛庁としては、それを早期に構成し、かつ早期に始動すべきである、動き始めるべきである、こういう強力な運動といいますか、動きを国防会議事務局に対してなされましたか。
  590. 島田豊

    証人(島田豊君) 防衛庁としましては、やはりできるだけ早く専門家会議を開いてもらい、そしてその結論を早く出してもらいたいということを希望しておりまして、こちらから積極的にいついつまでにこうしてほしいというふうな注文をつけることはなかったと思います。と申しますのは、やはりこれはあくまで専門家会議にゆだねられました以上、防衛庁がこれに対して何らかのプレッシャーをかけるというふうなことは、これは適当でない、やはりあくまで専門家会議の結論に待つと、こういう態度をとるべきであるというのがわれわれの考え方でございましたが、一方におきまして、その結論が早く出るということは、それはわれわれとしてももちろん望んでおったわけでございます。したがいまして、いろいろ資料の提供なりあるいは説明の要求がありました場合には、こちらからどしどし積極的に資料提供等を行いましてそれに協力をすると、こういう姿勢をとってきたわけでございまして、一方におきまして、われわれの方が何らかの影響力を及ぼすということを避けつつ、しかしながら協力する面においてはできるだけ協力していくと、こういう態度をわれわれはとっておったのでございます。
  591. 柄谷道一

    柄谷道一君 昨日の証言で、内海国防会議事務局長は、この専門家会議に対してはタイムリミットは設けなかった、ただ、なるべく早くという意向を伝えた、しかし、防衛庁の方からは四十九年末までにひとつ答申を出してもらいたいという、そういう意見を述べたと思うと、また土屋証人は、この専門家会議は五十年予算に間に合うよう四十九年末までに作成するということを前提として検討が進められた、こう、それぞれ言っておられます。すると、防衛庁国産化の方針をまだ放棄してないわけですから、しかもこの国産化のためには七年間の期間を要するということが従来からわかっているわけですから、当然国産化のためにはタイムリミットというものが明確にされなければならない。それでは防衛庁は、四十九年末までに答申が出れば国産化はなお依然として可能である、こういう確固たる確信を持っておられたわけですか。
  592. 島田豊

    証人(島田豊君) まあこの辺は、研究開発の実施期間というものが厳密に何年で、その時点までにわれわれの所期するところの研究開発が実現できるというふうに、なかなかこれは、研究開発の問題というのは計画どおりにはいかないという面もございます。それからまあ装備化の問題につきまして——装備化と申しますのは、要するに研究開発が終了しまして、それが量産段階に入りまして、それが実際に装備がされるということでございますが、これにつきましてもいろいろな計算がございまして、たとえば現有航空機の損耗状況をどういうふうに見るかというふうなことで、それについても全くこれが不動なものではない、必ずしも動かしがたいものでもないというふうな、若干のその辺に余裕というものは考えられないこともございませんので、まあ既定の方針は方針として持っておりまして、しかし研究開発の面はできるだけ努力いたしまして能率を上げていく、こういうことで所期の時期にできるだけ近づけることということが可能ではないかというふうな考え方もあったとわれわれは考えておるわけでございまして、その辺は、その段階におきまして、四十九年度予算に、四十九年度の末までに結論を得られれば絶対に確実であるというほどのものでもなかったんではなかろうかというふうに思いますが、そういう努力はするという考え方でございました。
  593. 柄谷道一

    柄谷道一君 時間がありませんので、最後にもう一問だけ質問して終わります。  いままでの証言を通じまして、十月七日以前の防衛庁PXL問題について国産化という路線を堅持されていたということが明らかになりました。そこで、今度九日以降ですね。いまタイムリミットの設定についても、予算執行の停止という問題についても、その態度がやや変わってきた、こう思います。そこで私は、専門家会議でございますが、土屋証言によりますと、輸入化もやむを得ないという答えを出しました根拠は大きく言って二つございます。一つはコストの問題であります。コストの問題について、それではあなたはライフ・サイクル・コストという点を十分専門家会議のメンバーに説明をして、コスト的にも国産化という方針をとっても遜色はないという委託研究の結果を浸透されましたでしょうか。また、第二のやむなしという理由は、電子機器開発等含めますと八ないし十年間ぐらいかかる。どうしても五十七年配備というものには間に合わない、こういう一、二の委員のその発言に対しまして、いまあいまいではございましたけれども、期間的に国産化というものが可能であるということを正確に浸透されましたか。これは専門家会議における防衛庁国産化方針というものが堅持されたかどうかというきわめて重要な決め手でございますので、この二点をお伺いいたしまして私の質問を終わります。
  594. 島田豊

    証人(島田豊君) 先ほど申しましたように、防衛庁として一つの方針を立てまして、これを専門家会議を通じて貫徹をしていくというような態度というものは必ずしも望ましくない、あくまでやはり専門家会議にこの問題はゆだねまして、それに対する資料提供なり説明というのは十分やっていこうということでございましたので、まあ現実の姿も、そういうことでいろんな説明なり資料提供をやったということでございまして、その辺についての私は確固たる自信を持っておったかと言われますと、必ずしもそうでもないということでございます。
  595. 柄谷道一

    柄谷道一君 終わります。
  596. 野末陳平

    ○野末陳平君 率直に言いまして、島田さんの証言は、まあ何となく、ぼくの印象ですけれども、何かこう歯切れが悪いというか、奥歯に物のはさまるというか、はっきりしないところが多いので、また肝心なところが記憶がないそうですけれども、ひとつ最後ですから、締めくくりの意味も含めてお聞きしますので、簡潔に答えてくださいね。  黒部さんの証言によりますと、十月九日の了解事項は世間じゃちょっとこれは騒ぎ過ぎると、何か大げさに受け取り過ぎているんだと。で、黒部さんは、ここに、了解事項に盛られた内容は、一年前から問題になっていたことをたまたま、わざわざ文書にしたというだけのことで、大した新しいことが盛られているとは思ってないというようなことをぼくに対して証言したんですね。しかし、島田さんのあれ聞いてみますと、輸入については少なくも寝耳に水という、いわば寝耳に水だったというようなことだったんですが、そうなりますと、例の十月九日の了解事項というのは、やはりこれはあなたにとっては少なくもそれなりの意外性といいますか、ショックといいますか、そういう感じのものではなかったのかと、こう思うんですが、いかがですか。
  597. 島田豊

    証人(島田豊君) 大蔵省は、防衛庁研究開発につきまして、これが国産化を前提とするものについては認めがたいという主張をずっと続けてきておったわけでございまして、国産化というものをやめて、当該機能を有するところの航空機については輸入しなさいという意見を述べてきたわけでもないというふうに思うわけでございます。したがいまして、その「輸入を含め」といいますのは、国産化というものを前提にした研究開発というものがもし認められないとすれば、そしてそういう航空機が自衛隊にとって必要であるということが認められる場合には、方法としては、現在のものを改造するか、あるいは外国から導入するかというふうなことにならざるを得ないわけでございまして、そういう意味では、「輸入を含め」ということはそうわれわれとしても奇異な表現ではない、そういう認識でございました。
  598. 野末陳平

    ○野末陳平君 そうすると、さっきの、いわば寝耳に水だったというのは違うんで、それほど奇異ではなかったということですね、輸入というのはね。輸入という文言がここに入ってきたのはそれほど奇異にはあなたは感じなかったと。いいんですね。そこであなたは、防衛庁としては四十五年、四十六年、四十七年ごろずっと国産化を前提とする開発研究をやっていたというふうにお答えになりましたけれども、そうでいいですね。
  599. 島田豊

    証人(島田豊君) そのとおりでございます。
  600. 野末陳平

    ○野末陳平君 しかし、これまでのこの委員会でぼくの受け取っている範囲では、防衛庁は必ずしもそういうふうにははっきり言わなくて、国産化を前提とはしていないんで、国産になってもあるいはまた輸入になってもいいような研究をしていたんだというような答え方もしたように受け取っているんで、あなたとちょっとニュアンスが違うんですね。現に川重との契約事項の中にも、開発着手を前提としないというような句もあるようなんで、政府は当然決定はしてませんよ、それはわかってますが、防衛庁としても国産化を前提とすると、そういう意味の開発研究をしたと、あなたのようにはっきりお答えになると——事実そうだろうと思うんですが、防衛庁の答え方がちょっと違うんで、若干疑問を持つんですが、いかがですか。
  601. 島田豊

    証人(島田豊君) 国産化を前提とするという表現は従来はあんまり使いませんで、要するに、機体を含むんだという表現で来たと思います。大蔵省は機体を含んだ研究開発ではないというふうに表現をしておったと思いますけれども、まあ機体を含むということは、要するに国内開発という意味でございますから、まあそういう意味では国産化を前提とするという表現も不適当ではないというふうに思うわけでございまして、やはり防衛庁としては機体を含めた研究開発ということを絶えず主張しておったという事実はそのとおりでございます。
  602. 野末陳平

    ○野末陳平君 そうしますと、まあ国産路線といいますか、国内開発に力を入れていたその防衛庁が、四十八年以降、まあ四十九年も一そうですが、この方面にぱたっともう力を入れなくなっちゃっている。本来ならばいままでどおりの方針で四十八年も四十九年もずっといけばいい、開発研究委託をなお積極的に続けていって何ら悪い理由がないのに、なぜぱたっとやめちゃったんですか。
  603. 島田豊

    証人(島田豊君) それは了解事項でございます。
  604. 野末陳平

    ○野末陳平君 いや、了解事項があっても、ここは、了解事項内容は慎重に検討しろということで、ね、慎重に検討しろということで、専門家会議の結論を待つということですな。あなたもさっき、これ以後、了解事項以降輸入に傾いたわけじゃないんで、結論を待つんだというふうに証言していましたね。すると、結論が出ないこの時点では、四十八年、四十九年防衛庁国産路線を中断する必要は全くない。了解事項の意味は、あなたの証言だったら、全くもうあれじゃないですか、中断を意味していることになりますね。慎重に検討した結論を待つということなんだ。だから、どう考えてもおかしいのは、なぜここでぱたっと四十八年、事実四十九年もやめているか、それがどうしてもわからない。どうですか。
  605. 島田豊

    証人(島田豊君) それは防衛庁としてやはり専門家会議の結論を待って処置をするということでございまして、やはりこの専門家会議の結論が得られる前に防衛庁としていろいろな要求をするということは必ずしも適当でない、こういう考え方だったと思います。
  606. 野末陳平

    ○野末陳平君 ああそう。結論が出るまでにいろんなことをやるのは適当でないから、要するに結論が出なくても了解事項が出た時点でまあ何もしないということですわね、いまのはね。そうするとですな、おかしいのは、それまでせっかくこの国内開発、お金もつぎ込んで進んでいたわけですわ。しかし、中断するとこれ、空白ができますね。なるべく早い結論を待ったにしても、この一年あるいは一年半の空白というのは、今後のことを考えれば、開発研究はこれはおくれるのは当然だ。ね。事務局長としてはこの空白が将来どういう結果を生んでいくかということ、これは頭にないはずないのね。時間的制約を考えればですよ、これはますます国産は無理になるんだと、空白をつくれば。だから、結論が出る出ないにかかわらず防衛庁の方針としてはやはりこれは空白を持っちゃいかぬと、ね、結論が出るまではこのままの路線でいいというのが普通じゃないかと思うんだ。なぜそんなにこの了解事項が出てから遠慮しちゃって——方針を変えたとは言いませんよ、あなたは輸入に傾いたと言っていないから。変えたとは言わないけれども、中断するのか、もっと積極的に、あるいはいままでどおりやって何が悪いのか、それが疑問なんですがね。
  607. 島田豊

    証人(島田豊君) まあ、現在の段階におきましては、私が退官した後でございますけれども、すでに専門家会議から答申がありまして、それに基づきまして財政当局との間にいろいろな折衝が続けられていると思います。したがいまして、それは近い将来におきまして何らかの解決方法が得られると思いますけれども、まあ当時としては、とにかく防衛庁はこういう了解事項ができた段階におきまして、まあできるだけ適正な処置を講じようと、こういう配慮があったというふうに私は考えております。
  608. 野末陳平

    ○野末陳平君 そうすると、あなたの考えは、了解事項内容のとり方がちょっとおかしいよな、慎重に検討するんだから。結論はまだ出てないんだから。それなのに、しかし結論をもう先取りしたように中断している。まあいいでしょう。もっと具体的に言ってみますと、四十八年度の予算要求は先ほどの証言でも出ましたがね。二十七億を要求したんでしたね。それで認められなかったですね。四十九年の要求はどうだったですか、この国内の開発委託に関する要求
  609. 島田豊

    証人(島田豊君) 四十九年度につきましてはちょっと正確に記憶しておりません。あるいは要求をしてないということも考えられます。ちょっと私そこのところ正確に記憶しておりません。
  610. 野末陳平

    ○野末陳平君 要求してないんじゃないかと思うんですね。事実要求してない。そうするとね、結論を待つ間に、もうあなたの方はもう結論が国産はいかぬと言われたと同じような態度とり続けていると、まあぼくには思える。ね。結論を待つまではやっぱりいままでの方針をずっと続けるのは、これは常識であたりまえ。なぜ予算要求すらもしないか。予算要求して大蔵省に削られたってなら、これは話がわかるんだけれども、要求もしてないということはね、初めからもうあきらめムード。もう投げているということにも通じる。だから、それ以前にですな、了解事項が出る以前にかなり積極的に国産路線を進めていた防衛庁にしては、この了解事項、この十月九日を境に非常にその態度が変わっている。意気込みが全く変わっていると、こういうふうにまあ客観的にとらざるを得ないんですよ。  そこで、この了解事項というのは、率直に読めば「慎重に検討する」と、こうなっているにもがかわらず、防衛庁はなぜかこの了解事項の意味を、国産が大幅に後退してですね、輸入がもうやむを得ないんだと、あるいはもう輸入が結果的に上のレベルで決まったんだというふうにもうとってるんじゃないかと、あなたの方の予算要求もしてない、国産化研究委託も中止した、中断した。それが少なくも一もうこの了解事項の読み方の、読み方の違いだ、ね。検討じゃなくて、そして結論を待つんだと言いながら、もう国産は後退、そういうふうにとっているんでしょう、結局は。そうしなければ、あなたが防衛事務次官として四十九年度予算要求もしてないという態度は非常にいままでの行き方を考えて無責任だと思うしね、ちょっと理解に苦しむんだけども、この了解事項の受け取り方、くどいようですが、もう一度聞きます。「慎重に検討する」となっているんだ、ね。国産化輸入。そしてあなたは結論を待つ立場にいる。しかし、現実に国産化路線は全くそこでもう中断しちゃっている。これ、どういうふうに読んだんですか、了解事項
  611. 島田豊

    証人(島田豊君) これはまあ国防会議の議員懇談会でこういうまあ高度の技術的な問題については十分専門家の会議において検討をして、そしてその結論によって決めていこうと、まあこういう方針になったわけでございますので、そのやはり結論が出る前に大蔵との折衝が、やりましても、なかなかそれは実行はむずかしいという、まあこともございますし、まあ現に現在の段階におきましてすでに結論、答申が出まして、それに基づいて両省庁間でいろいろ協議をしておるという段階であろうと思います。現在の段階におきましては、したがいまして、その協議が早く成立するということをわれわれはまあ念願をするということでございます。
  612. 野末陳平

    ○野末陳平君 さっきのとちょっとニュアンス偉うな。橋本委員に対して証言したのはね、予算面でがんばりゃね、何とかなるんだとか言って、かなりまだ意欲を捨ててないようなことを言っていて、いまになったら今度結論が出る前にいろいろ動くのはかえってまずいだろう、どうせ大蔵省認めてくれないだろうからって、ずいぶん違うと思うん、だけど、どっちが本当。
  613. 島田豊

    証人(島田豊君) まあ、そういう意欲を持つことは非常に結構ですし、われわれとしても意欲を持っていないわけではございませんけれども、やはりそういう一つ了解事項、申し合わせというものができました限りにおきましては、各省庁はその線に従って処置をするということが、これがまあ適当であろうというふうに考えておるわけでございます。
  614. 野末陳平

    ○野末陳平君 わかりました。そうすると、午前中装備局長が、この了解事項内容はそれほどの世間で大騒ぎして、特に質問する立場にいるわれわれが大げさに考え過ぎているようなことをぼくに言いましたけれども、やっぱり相当な意味を持っているね、この了解事項はね。専門家会議の結論よりも、この了解事項、十月九日の、これそのものが少なくも結果的には防衛庁の態度を消極的に、言いかえれば国産路線を相当後退させていることは、これは間違いないですな。
  615. 島田豊

    証人(島田豊君) まあ、それは大蔵、防衛両省庁間の折衝に待つということでありますれば、これはそれほど防衛庁としてはできるだけ自分の主張を通せばいいわけでございますけれども、やはりこれは閣僚レベルの懇談会における申し合わせでございますので、まあ、その線に沿って措置をするということが適切であるというふうな考え方でございます。
  616. 野末陳平

    ○野末陳平君 何か頼りないな。もう最後だから何となく、もっとはっきり言えばいいと思うんだけれども、まあしょうがないや。  要するに、あなたの話を聞いていても、この了解事項は相当な大きな意味を持っている。これを境に日本防衛政策、少なくもPXLに関しては方針が転換しているとぼくはもう思う。ですから、了解事項を決めたのがだれか、あるいは、これの発議は田中総理で、そして文書をまとめたのがと、まあ二、三いろいろ問題になっていましたけれども、少なくもあなた、これが防衛庁の方針を変えたということぐらいはもう認めざるを得ないと思うんですね。もうそれだけでいいですから、どうですか。
  617. 島田豊

    証人(島田豊君) そのようには考えておりません。
  618. 野末陳平

    ○野末陳平君 もうあきれ果てて、ちょうど時間ですけれども、これ以上聞く気もしません。やめます。
  619. 剱木亨弘

    委員長剱木亨弘君) 以上をもちまして島田証人に対する尋問は終了いたしました。  島田証人には長時間にわたり御証言をいただき、ありがとうございました。  本日はこれにて散会いたします。    午後四時五十三分散会