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証人(
室井則泰君)
先生のいま
お話のあった、二、三整理さしていただきたいですけど、当時四十七年の十月九日にいわゆる
白紙ということで−四十七年は私は東京に転勤しておりました。営業担当の担当部長といたしまして
仕事をやっていました。
それから三十五名の駐在員、駐在官といいますか
防衛庁側の、これは岐阜工場で日常
契約をしておるものの履行業務の監督をされておるという
立場の方々でございます。
そこ、ちょっと前後
関係、私伺っていまして、ちょっと僭越でございますけど、あれですが、
現状を整理さしていただいたわけですけ
ども、私の方としまして、私、最高スタッフ
——確かに部長で
仕事をしておりましたしするので、いわゆる最高責任者の補佐、スタッフというよりも補佐的な
感じで
仕事をしておったわけでございますが、ただ知り得たというような
——実際そういう通告というのはどういう形であったか、これは私、実際知りません。ただ
仕事をする上につきまして、例年なら、いつも七月とか九月に
契約するわけでございますけど、遅いものですから示達を欲しい、まず示達があってから
契約業務に入るものですから、示達をとって、その調達実施
本部といいますか、そちらへ流してくださいというようなことで、その示達を早く出してくださいということの要求をするようにというようなことで督励しておったかと思います。それが結局
契約に至らなかったという事実は、その十月の九日を境にして
契約まあ、いつ知り得たかということについては、ちょっと正直、記憶ございませんしするんですが、
防衛庁からは
白紙になったからだめだといって、少なくとも私自身は確かに知り得なかったかもしりません。そういう
状態であることば事実でございます。