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1976-06-03 第77回国会 衆議院 予算委員会予算審議とその執行に関する調査小委員会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    本小委員会昭和五十一年一月二十八日(水曜 日)委員会において、設置することに決した。 一月二十八日  本小委員委員長指名で、次のとおり選任さ  れた。       井原 岸高君    奥野 誠亮君       倉成  正君    小山 長規君       塩谷 一夫君    正示啓次郎君       谷垣 專一君    藤井 勝志君       山村治郎君    小林  進君       田中 武夫君    楢崎弥之助君       松本 善明君    山田 太郎君       小平  忠君 一月二十八日  小山長規君が委員長指名で、小委員長選任  された。 ————————————————————— 昭和五十一年六月三日(木曜日)     午後一時四分開議  出席小委員    小委員長 小山 長規君       奥野 誠亮君    倉成  正君       塩谷 一夫君    正示啓次郎君       藤井 勝志君    山下 元利君       山村治郎君    小林  進君       田中 武夫君    楢崎弥之助君       増本 一彦君    沖本 泰幸君       小沢 貞孝君  出席国務大臣         建 設 大 臣 竹下  登君         国 務 大 臣         (行政管理庁長         官)      松澤 雄藏君  小委員外出席者         行政管理庁行政         監察局長    鈴木  博君         建設省河川局長 増岡 康治君         予算委員会調査         室長      三樹 秀夫君     ————————————— 六月三日  小委員奥野誠亮君一月三十日委員辞任につき、  その補欠として奥野誠亮君が委員長指名で小  委員選任された。 同日  小委員小平忠君二月六日委員辞任につき、その  補欠として小沢貞孝君が委員長指名で小委員  に選任された。 同日  小委員谷垣專一君二月十四日委員辞任につき、  その補欠として谷垣專一君委員長指名で小  委員選任された。 同日  小委員藤井勝志君二月二十一日委員辞任につき、  その補欠として藤井勝志君が委員長指名で小  委員選任された。 同日  小委員倉成正君二月二十六日委員辞任につき、  その補欠として倉成正君が委員長指名で小委  員に選任された。 同日  小委員田中武夫君三月二十九日委員辞任につき、  その補欠として田中武夫君が委員長指名で小  委員選任された。 同日  小委員井原岸高君、松本善明君及び山田太郎君  同日小委員辞任につき、その補欠として山下元  利君、増本一彦君及び沖本泰幸君が委員長の指  名で小委員選任された。 同日  小委員山下元利君、増本一彦君、沖本泰幸君及  び小沢貞孝君同日小委員辞任につき、その補欠  として井原岸高君、松本善明君、山田太郎君及  び小平忠君が委員長指名で小委員選任され  た。     ————————————— 本日の会議に付した案件  予算審議とその執行に関する件(信濃川河川  管理に関する問題)      ————◇—————
  2. 小山長規

    小山委員長 これより予算審議とその執行に関する小委員会を開会いたします。  去る七十六国会昭和五十年十月二十九日、予算委員会において、信濃川河川管理に関する行政監察をめぐりまして、行政管理庁から、信濃川河川敷問題について、現存文書が限られており、客観的資料に基づいて問題の全般にわたり確認できなかった旨の答弁があり、建設省からは、現存文書によって問題の解明ができる旨の答弁があり、両省答弁不一致があることが指摘されたのであります。これに対して三木内閣総理大臣から、行政管理庁建設省から小委員会報告書を提出いたします。小委員会で御論議を願い、それが済むまでの間は処分はいたさせません旨の答弁があって、荒舩予算委員長から、そのように取り計らう旨の発言があったわけであります。その後、昭和五十年十一月二十一日に政府から報告書が提出されましたが、諸般の事情から本日に至るまで当小委員会において調査するに至っておりませんでした。  本日は、この行政管理庁及び建設省答弁の相違について明確を期するため、本小委員会を開会するに至ったものであります。  それでは、まず両大臣から報告を聴取することといたします。竹下建設大臣
  3. 竹下登

    竹下国務大臣 お許しをいただきまして、この報告書につきましては、両省名をもって去る五十年十一月二十一日に提出しておりますので、私から朗読することをもって御了承いただきたいと思います。    昭和五十年十月二十九日衆議院予算委員会における増本議員指摘事項について          昭和五十年十一月二十一日                行政管理庁                建 設 省   行政管理庁建設省との間に見解不一致があるとの指摘について  一 昭和四十二年度から昭和四十四年度までの工事実施計画書が真正なものかどうかについて    伺文(おもて紙)のない工事実施計画書が真正なものといい得るかどうかという点については、建設省としては、その保存状況内容等から真正なものと確信している。    行政管理庁としては、工事実施計画書におもて紙がついていないため厳密な意味で原義であると認定できないが、建設大臣承認書が添付されていること及び内容的にも工事実績に符合することから真正なものであることを否定するものではない。  二 現存する文書等によって計画変更経緯解明できたかどうかについて    昭和三十八年度以降総体計画において霞堤として掲上されており、連続堤とするかどうかは懸案事項となっていたが、その後昭和四十一年度に至るまでの間における検討経過を示す記録現存せず、また、昭和四十三年度において行われた計画変更について箇所別変更調書及び遊水効果についての検討記録のみが残っている現状で、計画変更経緯解明できたかどうかということについては、建設省としては、当時の関係者から事情聴取をした結果、昭和三十八年度以降総体計画策定昭和四十三年度計画変更されるまでの間において総体計画変更に関する検討は行われなかったと認められること、また、昭和四十三年度計画変更連続堤とするための検討資料として作成された箇所別変更調書及び遊水効果についての検討資料並びにその検討の結果決定された昭和四十三年度工事実施計画書等により、その経緯解明できるものと確信している。    行政管理庁としては、現存する記録から客観的な事実認定はできないが、この建設省見解推定としては否定するものではない。  三 総体計画及びその変更文書箇所別変更調書)は永久に保存すべきものかどうかについて    行政管理庁としては、総体計画及びその変更文書箇所別変更調書)は、その原議を永久に保存すべきものと考える。建設省としては、地方建設局内部資料であるという文書性格から必ずしもそのようには取り扱っていなかったが、行政管理庁見解も首肯しうると考える。    現在では、総体計画と類似の直轄河川改修計画は、建設大臣承認を要するものとし、その原議は永久に保存すべきものとして処理している。  次に、  一 工事実施計画伺文(おもて紙)が紛失したことは重大なことであるという指摘について    昭和四十二年度から昭和四十四年度までの工事実施計画書北陸地方建設局管内河川分直轄河川改修事業実施計画)のおもて紙が紛失しているが、内容となっている調書等は正規の手続を経て総務課長に引き継がれ、保存されてきたものであり、建設省としては、真正なものであると確信している。    なお、建設本省において調査した結果、紛失した理由は、計画書の頻繁な使用によりおもて紙が脱落したこと及びおもて紙の部分別綴にし、その別綴紛失したことによるものと推定され、故意に毀棄したものとは考えられない。    更に、建設省においては、今後、重ねてかかる事態を発生せしめないように建設事務次官より地方建設局長等に対して文書管理適正化を指示した。  二 箇所別変更調書は改ざんされているのではないかという指摘について    建設省としては、箇所別変更調書総体計画の一部変更の際に地方建設局本省と協議するために作成される内部資料として取り扱っており、その作成の過程において、工事事務所で作成された原案の内容地方建設局と打合せの結果、一部修正又は加減されることは当然ありうるとともに文書についても必ずしも一定の体裁を整えることを必要としないものと考えている。現存調書については、工事事務所が作成した原調書地方建設局において説明文及び掘削・築堤等工種増減数量内訳表を取りまとめ印刷して加えたと当時の関係者から聴取しており、建設省としては、これが当時計画変更検討資料として作成されたものに誤りないものと確信している。    行政管理庁としては、工事費昭和四十三年頃の単価を用いて計算されており、霞堤を締め切ることによって工事費が節減されるという認定など、内容については特に指摘すべき問題はないと考えている。  三 霞堤から連続堤への変更昭和四十三年七月になされたとすれば、当該年度工事実施計画書についての大臣承認が五月一日付けでなされているのはなぜかという指摘について    建設省においては、各年度実施計画は、一般的に四月以降本省において審査されるが、全国の河川昭和四十二年度直轄河川数百二十五 補助河川数約二千二百)についてその審査を完了するのに物理的に相当な日時を要している。このため工事の円滑な実施を確保する必要上審査が終了したものから逐次、本省の了承の上で工事の準備を進めることとしており、望ましいことではないが日付を遡って承認されることが多い。    蓮潟地区築堤計画については、七月に審査が行われたものであるが、当該計画は、それ以前に審査が終了した北陸地方建設局の他の地区計画と併せて一括して五月一日付け承認された。    なお、蓮潟地区築堤工事請負契約は、昭和四十三年九月五日に締結したものである。  以上が、提出いたしました報告書を朗読申し上げたものであります。  そこで、私は建設大臣でありますが、政府一体の原則から申しまして、これを作成し種々検討いたしました結果、私から総括的に申し上げますことは、建設行政の、なかんずく技術的な解明につきましては、従来よりいわゆるヒヤリングという言葉を使っておりますが、建設技術者の良心と見識に基づいて最高議論を行うものが、それが法律、省令、政令等に縛られていない限りにおいては記録として残すことになじまない性格があったというふうに私は判断をいたしました。  したがって、それらに基づきましては、行政管理庁から御指摘をいただきましたまず文書保管のことについては、謹んで従来のやり方を改めまして、そして永久保存とすることにいたしました。  いま一つの、いわゆるさかのぼって承認するという事項であります。これは厳密に言えば、あるいはこの条件つき承認の場合、そういうことは従来の経過からしてあり得たものであるという認定は私どにもできるわけでありますが、おかげさまで今年皆様方から事前工法協議という手法について御理解をいただきましたので、本年からさかのぼって承認するという行為は全く今後ともにありません。  それからいま一つは、この表現上の問題でありますが、行政監察はきのうきょうの問題ならともかくといたしまして、幾らか日にちの過ぎ去ったものにおきましては、少なくとも客観的事実認定あるいは記録中心主義、それが当然のことであろうと思いますので、私どもの主張に対していわば否定するものではないという表現がなされるということは、お互いの行政部内における合意に達しても、事国権最高機関たる国会への報告表現としてはそうあるべきであるという、政府一体の責任における私の考え方を申し述べた次第であります。
  4. 小山長規

  5. 松澤雄藏

    松澤国務大臣 ただいま竹下建設大臣から申し述べたとおりでございますので、御了承願います。
  6. 小山長規

    小山委員長 ただいまの報告に関しまして、質疑の申し出がありますので、順次これを許します。楢崎弥之助君。
  7. 楢崎弥之助

    楢崎委員 ただいま両大臣から報告のありました件については、私は昨年の十月二十七日の予算委員会で疑問を呈したところであったわけです。もう一度確認をちょっと経過的にしておきたいと思いますけれども室町産業がこの買収を始めたのは三十九年から四十年度である。当時坪当たり五百円、耕作料坪当たり百円、次に建設省霞堤工事を開始したのは四十年の九月で、当時の建設大臣橋本さんがこの霞堤を本堤に変更する意思はないと言明されたのは四十一年十月二十日の予算委員会、それから国道号バイパス長岡大橋建設計画が発表されたのがやはり四十一年、国道号バイパス工事開始が四十二年、長岡大橋信濃川河川敷にかかったのが四十二年十月、霞堤が本堤防計画変更されたのが四十三年の七月、長岡大橋が開通したのが四十五年十一月、そうして本堤防が完成したのが四十五年の十二月、ここで地価が坪当たり十万円に迫る。  以上、大体の経過、間違いございませんか、年月等について。
  8. 増岡康治

    増岡説明員 間違いございません。
  9. 楢崎弥之助

    楢崎委員 そこで、大体行管は何を明らかにするために監察をされたのか、それをもう一遍明確にしていただきたいと思います。
  10. 鈴木博

    鈴木説明員 行管といたしましては、蓮潟地区におきますところの霞堤連続堤変更になりましたその経緯等について、すなわち河川管理について監察いたした次第でございます。
  11. 楢崎弥之助

    楢崎委員 実はその問題も本件の重要な一つ解明さるべき問題点であることはわかっております。しかし、それだけではこの問題が国会で取り上げられた本質にかかわる監察ではないわけですね。たとえば室町産業はいずれ霞堤が本堤になるのを知っておったんじゃなかろうかとか、あるいは当時大蔵大臣をされておりました田中角榮さんが事前にそういう計画を知っておられたんじゃなかろうかといったような点が国会疑惑として出されたわけですね。そういう点までも解明しなくては、実はこの問題を国会で取り上げた意味がないと私ども思うわけですが、そういう点は行管としての監察対象にはなり得ないわけでしょうか。
  12. 鈴木博

    鈴木説明員 この監察をいたします前にいろいろな角度から検討をいたしたわけでございますが、御指摘の、この問題のいわゆる工期の面でございますとか、あるいはその他御指摘諸点等につきましては、私ども行政管理庁設置法上与えられております権限、それから実際問題として余りにも、十何年か前のことでございますので、その資料等、現在残されておる公文書中心にして監察する以外になかったわけでございます。その余のことにつきましては、強制捜査権を持っておりません関係上行うことが適当とも思いませんでしたし、仮に行ったところで、これを外部に対して客観的に正しいとか正しくないとかいうことを裏打ちして申し上げるわけにもまいりません。  そのようないろいろな観点から検討いたしました結果、問題の焦点でございました、行政霞堤連続堤に直りましたその行政上の問題を対象監察をいたした次第でございます。
  13. 楢崎弥之助

    楢崎委員 行管の任務上そういうことであれば、この本質関係委員会で明らかに解明していく以外にないと思います。  そこで、昨年の九月十日に監察報告を出されたわけですけれども、もう一遍聞きますが、正確に言っていただきたいのは、一体どういう文書紛失しておったのですか。解明することができないとおっしゃっておりますけれども、どういう文書紛失しておったからその解明ができないという結論になったのでしょうか。
  14. 鈴木博

    鈴木説明員 お答え申し上げます。  この問題の一番のポイントになる部分は、霞堤連続堤計画変更になりましたその経緯経過というものを追っていけば、その背景、事情等も一番明らかになりますので適当だったと存じますが、その面では何分古いことでもございましたので、また検討やり方等についてはそれぞれの各省大臣権限で行われるということもございますので、客観的に見まして、検討経過経緯というものを調べることはできなかったわけでございます。  また、工事関係のいわゆる実施計画につきまして監察の中で取り上げておりますが、これにつきましては、結論的に申せば、現在書類は残っておるわけでございますが、それが伺い書がついておりませんでした関係上、全くこれが正当であるということを積極的に言うことができなかった次第でございます。  なお、工事実施計画書におきまして、そのなかったという文書等につきましては数多くございますけれども、概して伺い書部分だけでございます。
  15. 楢崎弥之助

    楢崎委員 そうすると、工事に携わりました北陸地建永久保存が義務づけられておる、たとえば河川改修五カ年計画書あるいは信濃川改修工事実施計画(最終)関係書、こういったものは実体はあるけれども——実体があるなしで議論がありましたけれども、それらしいものはあるけれども、かがみがないために解明ができなかった、そういうことですかね。
  16. 鈴木博

    鈴木説明員 ただいま御指摘になりました、おおむねそのとおりでございまして、総体計画書等につきましては現在プリントされたものは残っておるわけでございますが、客観的にいわゆる監察する立場といたしまして、これが真正なものであるということを対外的に断言をすることができなかったという事情でございます。  それからまた、経緯等部分につきましては、先ほど申し上げましたとおり、これは記録が残されておりませんので、それを調べるすべもなかったわけでございます。
  17. 楢崎弥之助

    楢崎委員 この昨年十月二十七日の予算委員会で、まさに亡くなられた仮谷建設大臣松澤行管長官、完全に御答弁が食い違っておるのですよ。たとえば松澤大臣の方は、「行政管理庁といたしまして率直に申し上げてどうかと思いますが、検討する材料がないといった方が早口的に言い得るんじゃないか、」こう言われている。これに対して故仮谷大臣は、調査する上においては不便では決してない、ただかがみがなくなっているだけで、それは伺い書であるから、それに対する大臣承認書はあるんだからと言って、この十月二十七日では完全に対立されておるわけですね。それは何回も、この点は繰り返し言われておるのです。私が「今度の監察目的を果たせないほどの文書紛失があったという認識でございましょうか、」と松澤大臣にお伺いしたときに、松澤大臣は「さようでございます。」と答弁されている。つまり、監察目的を果たせないほどの重要な文書紛失という認識松澤大臣は持たれておった。これに対して故仮谷大臣は、ここでも「工事計画内容確認をする上においては格別支障はない、こういうように考えまして、」と。こういう食い違いが歴然としたために、これはどうなっておるんだ、調査の上で統一見解をひとつ明らかにしてくれ、こう私も三木総理にお願いをしたということですね。  先ほど建設大臣がお読みになったきょうの統一見解を見ましても、たとえば「現存する文書等によって計画変更経緯解明できたかどうかについて」というくだりでは、二の一番最後のところに、「行政管理庁としては、現存する記録から客観的な事実認定はできないが、この建設省見解推定としては否定するものではない。」これはどういう意味なんでしょう。「推定としては否定するものではない」から、したがってどうされるのですか。
  18. 鈴木博

    鈴木説明員 表現が「推定として」というような言葉を使いましてきわめてわかりにくかったと存じますけれども、真意は、私ども監察した結果というものを対外的に権威を持って表明いたしますためには、しかるべき法令等基準がありまして、それに照らしていいとか悪いとかいうことを言うのが通常でございます。推定という部分につきましては、連続堤に直します場合の検討が行われたかどうかという問題でございます。したがいまして、これは法令等基準にして行われるものでございません関係で、私どものいわゆる権限外と申しますか、調査するすべもございませんので、各省行政大臣立場で考えました場合にはそういうこともあるであろうという意味で書いたつもりでございます。
  19. 楢崎弥之助

    楢崎委員 たとえが適切かどうか知りませんけれどもロッキード事件証人喚問の際に、当初丸紅の大久保、伊藤両専務の証言が食い違っておったのですが、二回目にお呼びしたときにはどっちかに一致するように、私は談合という言葉を使ったのですけれども、昨年の十月二十七日の両大臣答弁で余りにも画然と食い違っておった、それがこのような形でどうして統一されたのか。しかも推定というような言葉を使わざるを得ない、つまり、「客観的な事実認定はできない」、こっちの方にやはり重点があるとわれわれは思わざるを得ないわけですが、そういう点はそういう認識でいいわけでしょう。
  20. 鈴木博

    鈴木説明員 そのとおりでございます。
  21. 楢崎弥之助

    楢崎委員 したがって、そういう点ではやはり疑問というものは残る、まさに疑問を表現するような文言になっているわけですね。  それでちょっとお伺いしますが、当時の橋本建設大臣が、先ほど申し上げたとおり、四十一年の十月二十日の衆議院予算委員会連続堤、すなわち本堤に変更する意思はないと明言されているのですね。それが四十三年の七月に本堤にするように計画変更された。じゃあ、どういう経過でどういう議論のもとに二年後にその計画変更されたかということを知るためには、実は四十二年なり四十三年なり、その辺の関係文書が必要になってくるわけですね。  ところが、建設省調査団が現地に派遣されて明らかになったのは、つまりあのかがみが、その分の経過解明するための一番大事な四十二年、四十三年、四十四年の三年分のかがみが実はなくなっておる。これはここでいろいろ説明されておりますけれども故意ではないとかなんとか説明されておるけれども計画変更経緯を知るための一番重要な時期の関係文書のかがみだけがなくなっておる。ここに私どもはその統一見解で示されたお考えを聞きましても、依然として偶然といえば偶然、非常に奇妙なものを感ずるわけです。したがって、その点も依然として疑問が残る。  それから監察結果によりますと、建設省は二十八年から霞堤建設計画を持っておられたわけですね。これは確認しておきますけれども、どうですか。
  22. 増岡康治

    増岡説明員 さようでございまして、二十八年に総体計画議論したことがございます。
  23. 楢崎弥之助

    楢崎委員 そうしてその計画を本決まりにして北陸地建本省に正式に上げてきたのは三十八年。そうですね。
  24. 増岡康治

    増岡説明員 三十八年に、再び十年たちまして総体計画計画各地建ともやったわけでございまして、この三十八年におきましては、いわゆる議論の結果、これは懸案事項として残されたということになったわけでございます。
  25. 楢崎弥之助

    楢崎委員 すなわち、「昭和三十八年度以降信濃川上流総体計画書 昭和三十八年五月 北陸地方建設局長岡工事務所」、そういう文書ですね。  で、私たちがもう一つこの問題の本質と絡んで疑問を呈しておるのは、実はこの信濃川河川敷蓮潟地区には国有地がある。したがって国有地の管轄は大蔵省である。で、当時の大蔵大臣であった田中角榮氏はそういう国有地が入っておるという関係から当然計画は知っておられたし、また、所管大臣として当然知っておくべき計画であったであろう。しかも一方においては、室町産業買収を始めたのが実はその三十八年の総体計画書が出された翌年の三十九年から四十年にかけてである。だから、そういう点で、やはり冒頭申し上げたとおり室町産業はその計画を知っておったのではなかろうか、あるいは田中角榮氏も当然そういう計画変更に携わったのではなかろうかという疑惑があるという点を、本質の問題として私どもは本件について出しておったわけですね。そういう点は実は解明をされていない。結局、四十一年の十月二十日に橋本建設大臣が本堤にする意思はないとあれほど確実に言われたのに、二年後変わった、この橋本大臣の言明は変更する場合にどのように考慮されたんでしょうか。どうでしょうか。
  26. 増岡康治

    増岡説明員 当時の橋本建設大臣が四十一年十月時点におきまして、霞堤はそのままにしておく、締め切らないとおっしゃったということでございますが、三十八年の総体計画に、先生も御承知のように、この部分については霞堤とする、ただし懸案として将来考えよう、こういう文句が残っているわけです。そのまま引き続いてずっと来たわけでございまして、そういう時期でございますから、それは生きておるわけでございます。そのときに橋本大臣大臣になられたばかりでございまして、当時河川局長その他にいろいろ聞かれたと思いますが、霞堤です。そういうことになったわけでございます。  その後、四十三年になりましていわゆる治水第三次五カ年もつくる、いろいろな迫力のある五カ年計画をつくるというようなことから、次第にこの点の問題を再び議論しようということで、四十三年にこの議論が出たわけでございます。四十三年になりまして、これは重大であるというので、ひとつ十分検討しようということで四十三年の七月にその議題を取り上げまして、いろいろな議論がなされた結果、いろいろな理由がございますけれども、締めることに決めたという経過でございます。
  27. 楢崎弥之助

    楢崎委員 この種の問題についての大臣国会における答弁が、たった二年間くらいでこのように根底から変えられるということは非常に重大な問題じゃないでしょうか。したがって、それには相当の理由がなくてはいけない。ところが、その理由を示す四十三年に至る重要なものがないと言うんでしょう、推定はできても、客観的に判定する文書はないと言うのですから。したがって解明はできていない、依然として疑問はそのまま残る、このように思わざるを得ないわけです。  結局、この統一見解でも言われておりますけれども、四十一年、四十二年の段階では計画変更のあれは全然なかった。四十三年に突如として出てきたということになっていますね。そのとおりでしょう。
  28. 増岡康治

    増岡説明員 いま残された文書を私ども全部調べましても、三十八年からずっと四十二年までこれに関して議論した結果は残っておりません。検討経過も残されておりませんし、そういう議論がなされてなかった、三十八年の総体計画の基本線が貫かれておった、そう考えておるわけでございます。
  29. 楢崎弥之助

    楢崎委員 いまの答弁でも、考えておると、客観的にそれを示す文書はないんでしょう。つまり重要な部分が欠落している、ないわけですね。それで結局は、箇所別変更調書というのですか、その中に「種々検討した結果」という言葉がある。そして変更によるメリットとしては、施工費が四千六百八十万円節減される、それから連続堤にしても流量の調整に大きな影響はない。こういうことは当初からその気になれば、簡単なことですからわかるはずでしょう。だから、こういう簡単な理由のために突如として連続堤になるというところに、何回も言いますけれども、疑問が残るわけです。この計画変更、どうしても連続堤にしなければならないという理由をもう一遍正確に言ってください。
  30. 増岡康治

    増岡説明員 先ほどのをちょっと補足いたしますが、三十八年から四十二年までの記録が残ってない。同時に、私どもも当時の担当をいろいろ調べましたところ、検討した時期がなかった、そういうことがわかりました。  それから、いまの御質問でございますけれども、当時全国に霞堤がたくさんあるわけでございまして、締め切る締め切らぬはいろいろな議論を呼ぶわけでございまして、これは全国的な問題でいつも慎重に対処しておるわけでございます。それで締め切るか締め切らないか、あと五十メートル残すか百メートル残すか、最後の場でいろいろな熟度のある協議をする場合も多いわけでございます。このときに締め切る理由になりましたのは、だんだんと信濃川上流の方の工事も進みますし、下流の方も進んでくる、そういう全体的に治水事業が進んだ段階におきまして判断されたものと思うということと、いわゆる第三次治水五カ年をつくるという迫力あるものが背景にあったということがありますが、直接的には本当に遊水効果があるあるというので、全国的に概念的には皆霞堤は残したいという当時の思想がございました。少しでも遊水効果がある方がよりベターであるという一つの問題があったわけでございますが、では残すにはどういう金がかかるかと言えば、いままである従来の控え堤に対して補強もしなければ遊水効果が保てないということで、いろいろ精査してみたわけです。もちろん霞堤そのものは導流堤の役目を果たしております。そういうことでどちらがいいのか、実は金ではじいたのは四十三年に入ってからでございまして、当時はそこまでの精査はしていなかったわけです。そういうことから、いわゆる工費の節減という問題は四十三年に至っては大きな一つの問題であった。大きな川でございますので、九千トンでは遊水効果はそうないであろうということは、先生のおっしゃるように前からわかっていたと思います。その程度はわかりますけれども、実際に計算したのはその時期にすべてを計算した。そういうような理由で、やはり工費の節減というのが当時としては大きな問題であった。デメリットがほとんどないという結論を出したのが四十三年でございまして、そういういろいろなことが当時考えられたわけでございます。
  31. 楢崎弥之助

    楢崎委員 それもやはり関係者から話を聞いたあるいは推定、その経過についてはそういうことなんでしょう、結局はそれを実証する文書はないんだから。そうじゃないのですか。
  32. 増岡康治

    増岡説明員 いまの四十二年の資料は皆残っておるわけでございます。
  33. 楢崎弥之助

    楢崎委員 それは箇所別だけでしょう。しかも四十三年度のものだけでしょう。一番大事な橋本大臣が言明された、四十二年、四十三年、四十四年という三カ年分が不思議にないんですね。そうなっておるでしょう、建設省報告書では。だからいわゆる推定である。  行管庁長官にお伺いしますけれども、これで計画変更解明ができた、そのように確信を持っておられるわけですか。
  34. 鈴木博

    鈴木説明員 この問題につきましては、書類の上から言えば二通りあると存じます。その一つ工事のもとになります工事実施計画等につきましては、毎年ちゃんとしたものがあったわけでございますが、それのいわゆるおもて紙、伺い文がないから、私どもの方として積極的にこれは全く正しいものであるということは言えなかったわけでございます。この工事の面は、実際現物が残されておりますので、それと照合して大体真正なものであるということは、伺いがつくつかぬにかかわらず、ある程度は言える問題ではなかろうかと存じます。  それからもう一つの書類の系統といたしまして、検討したかどうかということにつきましては、それぞれの省のやり方によりまして、内部で技術屋さんの方が何回もお打ち合わせしながらやっていくというやり方等も想像されますし、その他のことも想像されます。しかしながら、これはいわゆる法令で義務づけられている方法というものがあるわけでございませんので、それはやはりそれぞれの省のやったことを、推定としてそういうこともあり得るであろうという判断をいたさざるを得ない次第でございます。
  35. 楢崎弥之助

    楢崎委員 そうすると、もう一度これは簡単なことですから行管庁長官にお伺いしておきますけれども、まず霞堤にして、それが本堤、連続堤計画変更されたその経過について、不自然あるいは不当なところは全然ない、正当なものであったという監察結果になるわけですか。
  36. 松澤雄藏

    松澤国務大臣 率直に私は申し上げますが、形の上では、すなわち形式的には整ってないということが言えるかと思いますが、内容的においては、いまもお話しのようなぐあいに、きわめてよくできておるというふうに見受けざるを得なかったのであります。
  37. 楢崎弥之助

    楢崎委員 内容的にはうまくできておるというのは、どの点がうまくできておるのでしょうか。
  38. 松澤雄藏

    松澤国務大臣 率直に言って、工事の仕事といいますか、工事内容的な面において、率直に申し上げてよくできておったのじゃないか、かように私は考えております。
  39. 鈴木博

    鈴木説明員 ちょっと補足させていただきますならば、工事実施計画そのものは、私ども何ら問題はないという意味でよくできていたということだと存じます。しかし、書類のいわゆる処理の形式的な面においては必ずしも適当であったとは思われません。しかし内容につきましては、ただいま大臣がお答えいたしましたとおりだと存じます。
  40. 楢崎弥之助

    楢崎委員 やはり何といいますか、文書上きちっと整理されて結論が出されたものでないと、これに書いてあるとおりの推定なんですね。  それで一点聞いておきますが、当初行管としてはかがみの紛失を非常に重要に考えておられました。かがみの重要性というものについてきちっとしておっていただきたいと思います。どういう点で重要なのか。
  41. 鈴木博

    鈴木説明員 私ども一般に各省の文書管理等の問題につきましては、過去においても監察をいたし、それぞれ勧告やら所見表示やらをやってきておりますが、その際にも書類は、まずその起案の責任等がはっきりする必要もございますので、文書管理の面で原議等は厳格に保存すべきものであるというふうに指摘してまいってきておるわけでございます。したがいまして、今回の場合も、たとえ工事実施計画なるものが内容は全く真正なものでありいいものでございましても、形が、原議が整っていなければ文書管理上適当であったとは言えなかったわけでございます。
  42. 楢崎弥之助

    楢崎委員 昨年十月二十七日の質疑における松澤長官のかがみに対する考え方というものはもう少し厳しいものですね。かがみがない以上、これが本物であるかどうかは認定できない、だから言うなれば監察目的を果たすのに役に立たないと、それほど厳しく見られておったわけです。そういう認識については松澤長官、どうでしょうか。
  43. 松澤雄藏

    松澤国務大臣 現在でも私自体は一応そういうふうに考えておりますが、建設省の方から言わせますと、それを改善して現在やっておるということでございますので、したがいまして、それ自体が改善されておるとなれば支障がないんじゃないか、かように考えております。
  44. 楢崎弥之助

    楢崎委員 いまの大臣見解の変幻さについても私どもは納得できませんよ、それは。どうしてそんなにお変わりになったのか。ここでも口裏合わせが行われたと思わざるを得ない。したがって、この統一見解について私どもは依然として疑問が残る。  関連質問が小林理事からあるそうですから。
  45. 小山長規

    小山委員長 関連して、小林進君。
  46. 小林進

    小林(進)小委員 いまの楢崎委員の質問に関連いたしまして三点ばかりお伺いいたしたいと思います。  いまも議論になりましたこの推定ということですね。建設省は正確、確実であるということで認定をされているのに対して、行管は、推定としては否定できないという意味言葉を二つお使いになっているのでございます。これは文章上非常に疑問がありましたが、先ほどからの建設大臣のお言葉を聞いておりますと、行政庁内部、いわゆる両省の間では、両大臣の間では完全に一致している。一致しているが、完全に了解はできあるいは見解は一致しているが、ただ公式の文書として表へ出す場合、行政管理庁としてはこういう言葉を使わざるを得ないんだという意味のお話があったと思います。そういうふうな御説明と思いましたが、これはやはり問題の中心でございますので、この点、いま一回ひとつ明確に両大臣見解を承っておきたいと思うのであります。
  47. 竹下登

    竹下国務大臣 先ほど朗読の後に御説明を申し上げましたが、これはやはり小林委員御承知のとおり、この報告書が出ましたときには私もそっち側へ座っておりましたので、その後仮谷さんがお亡くなりになりまして、一月十九日以来今度私がお答えする立場になったわけであります。したがいまして、一月十九日以来、小委員会の御開催方をお願いしてきた立場上、もちろん言葉を合わすという意味でなく、両省のすり合わせは精力的にやってまいりました。そこでやはり私は、行政監察というものはもとより建設行政の責任者であると同時に内閣一体の責任においてこれは明確にすべきであるという考え方でこのすり合わせを私なりに検討し、いろいろ議論をしてみたわけであります。  一般的に申しまして、改正すべき点を指摘されたのが二点あって、これはなるほどと私も思って改正をいたしました。が、技術者の行っております行政事務というものは、これが物事を決定する間においては技術者の良心と技術者の誇りと、その中で猛烈なディスカッションが行われる。しかし、そういうディスカッションの行われた大事なものが記録されるということにいままでなじんでいない。その後改善されて、箇所別変更調書というものでそれがきちんと残っておるようになっておりますが、確かに私も建設省という役所へ一月十九日以来行ってみまして、技術者の誇りというものの中から現実こうなって、これが災害を防止するたとえば築堤になっておるという形において物事を立証していく立場にある。しかし、私はやはり内閣一体の責任に立ってまいりますと、行政監察というものはやはり、きのうのことであれば別、あるいはおとといとのことなら別でございますが、少しく古いものであるならば、当然のこととして客観的事実認定記録中心主義あるいは形式重視ということになるべきが当然だと私も思うのであります。そうなると、行政部内建設省の意見は理解ができる、こういう結論に達したといたしましても、事国権最高機関である国会に御報告申し上げる場合には、行政監察立場からしては、私の側から言えば残念ながら、この推定に基づいて否定するものではないという表現にならざるを得ないではないか、こういう考え方に部内の統一を行ったわけであります。したがって、疑いというものは主観的なものでありますが、この文言自体についてはある種の主観の立場からこれでは解明されないではないか、こういう意見があってもそれは謹んで承るしかないではないか、こういう考え方であります。
  48. 松澤雄藏

    松澤国務大臣 検討経過を示す記録現存せずに、また、昭和四十三年度において行われた計画変更について箇所別変更調書及び遊水効果についての検討記録のみが残っている現状において、行政管理庁としては、この間の経過について客観的な事実認定はできないけれども、当時の関係者の説明によって計画変更経緯解明できるとする建設省見解も成り立つであろうと考えておるような次第でございます。
  49. 小林進

    小林(進)小委員 建設省としては、建設大臣立場で物を考えれば、確かにこれは事実正確にぴしゃっと、ただ保存書類のおもて紙が一枚飛んでしまったということだけだというふうな考え方だと思いますし、おっしゃるとおり行管立場では、やはり書類は一〇〇%完全でなければ完全とは言えないという、それ以外のものは確実であろうとも推定という言葉表現せざるを得ないというこのお立場はいろいろわかるのですよ。これはわかりますが、それは両省あわせて建設大臣がるる御説明になりましたが、どうも総理大臣か副総理大臣答弁でございまして、これはなかなか、まああるいは内閣全般としては確かにそういうことが言えると思いますが、私はその点はひとつ追及をしないで、大体、言わんとせらるる両省のお立場はわかるような気がいたしますから、まあこの問題はひとつこれで終わりたいと思います。  いま一つここでお伺いしておきたいことは、私は実はこの信濃川河川敷地の五百メートルと離れないその付近に居住しているのでありますが、朝晩あそこをながめて暮らしているわけでございます。わが事務所もそこにあるのでございます。でありまするから、その工事の移り変わりは春となく秋となくながめておるわけでございます。また、非常に問題の多いところでありました。でありまするから、そういう世相のうるさい中でございましたから、私は四十一年の十月二十日、予算委員会で当時の橋本運輸大臣がやはり霞堤をそのまま変更する意思がありませんと言われたことは、地元の空気も察知せられた非常に偽りのない回答だと私は思ったのであります。それがわれわれに言わせれば、唐突として四十三年の七月に本堤と言いますか、連続堤というふうに変更されたというのでありまするけれども、これは実は、五百メートル離れた地元に住んでいた私自身がそれがわからなかった。実はこれがこの委員会で問題になって初めて、あああれはいつ霞堤計画が本堤になったんだと言って私自身が驚いているくらいなんであります。  そこで、こういう特に世人の疑問もあれば問題が幾つもあった個所であるだけに、そういう四十三年の七月、変更されたらその直後にもこれはやはり関係者はもちろんでありまするが、住民一般に理解できるように公に知らせるべきでなかったかと思うのでありまするけれども、私自身も知らないのでありまするが、そういう工事変更等があった場合、一体、建設省関係省はその公示をどんなぐあいにおやりになっているのか。それはこれだけの問題ではありません。どうも河川局長、近く退任されるようでございますが、その河川局長の先ほどのお話では、全国にもそういう変更個所が幾つもあるとお答えになりましたが、そういうのが変更になった場合に、どういうふうに一般世人に公示をされるのか、その手続を私はひとつお伺いしておきたいと思うのであります。
  50. 増岡康治

    増岡説明員 現在におきましてはいろんな打ち合わせメモを記録に残すとか、いろんな書類面のものはもちろん残るようにもう習慣づいてまいりました。おかげで、ずっとそういうことで技術的メモも残す、いろいろなものを残す習慣がついておりますが、実際に地元にお話をするのは、いわゆる工事に着工するときにどうせ用地その他のことがございますので、これはいま盛んな説明会というものが行われるわけですね。また、今回みたいにこのように大きな計画変更する場合は、当然これは地方公共団体その他に、現在では皆ちゃんとルールをもって、あるいは県に対してもあるいは市町村に対してもあるいは地元の皆さん方に対しても、その都度実はわれわれの方から積極的にお話しする体制が現在の体制でございます。かつてのことは私はよくわかりませんけれども
  51. 小林進

    小林(進)小委員 それがこの問題を今日なお混迷せしめて、私どもがこういうところで議論しなければならぬ問題だと私は思う。問題のある時点であっただけあの当時に、いまも局長のお話では四十三年七月の当時どういうふうに公示をしたかというのは、当時のことですからあなたは建設局長ではなしに、北陸の地建の局長でもなかったですな。なかったから、当面の責任者でないからわからないとおっしゃればそれきりだけれども、あのときにいま少しその周辺に住んでいるわれわれにもはっきりするような公示がちゃんと手続が整っていれば、これまで問題は混迷しなかったと私は思う。それが何しろおわかりにならぬと言えばやむを得ないですね、この質問は打ち切りまするけれども、現在はそういうことは正確におやりになっているというお言葉でございましたから、これは将来のためにこういうことは特に正しく理解するように処置していただきたい。  いま一つ、私は第三番目にお伺いしておきたい。これは関連でありまするから長話はいたしませんが、一体霞堤と本堤というものの工事やり方は同じものでございますか、変わったやり方をするものかどうか、これも実は私はお伺いしておきたいと思うのであります。
  52. 増岡康治

    増岡説明員 霞堤という言葉は、控え堤と導流堤がペアになって霞と言うわけです。その裏の控えも何もないでどんどんやるのが普通の堤防でございます。したがって、今回の蓮潟については、控え堤はずっと昔内務省時代に、非常に金のない時代にずっと袋のようにつくったわけです。したがって、水当たりがやわらかいために、本堤のような、導流堤のような強いものでなくてもいい。それでとにかく遊水させていく。本流ではないわけですから遊水させる。本堤は衝撃そのものを受けるわけでございますからこれはがんじょうにしなければいかぬ、その差は当然構造上出てくるわけでございますが、さらに本当の霞堤と申しますのは袋になっておりませんで、いわゆるずっと上流の方があいているのが普通の霞堤です。ずっと自然に上流の方へはんらんするようになっております。今回は袋になっておりまして、正しい意味霞堤と言えるかどうか、遊水地のような感じでございます。
  53. 小林進

    小林(進)小委員 これはおっしゃるとおりです。上流の方は、これは本堤からずっと堤防ができてきて、下流へ行って穴があいて遊水がこう回って衝撃を避けるような形になっていた。私どもはあのころ霞堤という言葉は使わなかった。仮堤防、仮堤防と言ったんです。その仮堤防工事ですから、これは当然本堤の工事とは少し内容が変わって、やや粗雑と言ってはなんでありまするけれども、仮堤防ですからそう厳重なものじゃないと私は思った。ところが、霞堤あるいは仮堤と言いながら、その工事の進行状態をながめていると、それは実にがんじょうなんだな、実にりっぱなんですよ。これは国道にも見られないような。だからそのときも、われわれ近隣にいる人たちは、霞堤とは言いながら本堤でもかつて見ないようなああいうりっぱな金をかけたすばらしい工事が行われているのであります。そのうちに、あれは何か変わるんじゃないか、そういう疑問が三十八年暮れあたりから、ずっと続いていたわけですね。ところが、いまおっしゃるように、四十一年の十月に、橋本建設大臣言葉を通じて、いや、あれはやはり霞堤なんだ、仮堤なんだ。実に仮堤というのは本堤にもないようなりっぱなものでございますね、と素人が考えていたら、はからざりき、四十三年になったら、それがすぽっと下流の方がふさがって本堤になったということでありますから、ここにもまた疑問があるわけです。これはやはり最初からもう本堤の計画で進めてきて、ただ世人をごまかすために霞堤だ、あるいは仮堤だというふうなことを言ってきたのではないか、巧妙ないわゆる建設官僚の込み入った一つの策謀ではないかという、実に巧妙なやり方ではないかという一つの疑問が残ったわけです。  そこで私は、一体霞堤と本堤の工事というものは内容が違うのかどうかということをお尋ねしたわけでありますが、この点、ひとついま一回お答えいただいて、私の関連を終わりたいと思います。
  54. 増岡康治

    増岡説明員 本堤あるいは導流堤あるいは控え堤あるいは霞堤といろいろな言葉がいま出ましたけれども、御承知のようにちょうど湾曲部であれは水がまともに当たるところでございますので、堤防をその前へ出せば、当然これは重要な堤防です。それがたとえ導流堤という名前がつきましょうと、仮堤という名前で当時言われたかどうか知りませんが、とにかくいまの位置へ堤防をつくるということは、これはりっぱな本堤でございまして、導流堤でございます。ただ、霞堤かどうかは一番先端を締めるかどうかによって決まるわけでございまして、どんな仮堤であろうが、どんな言葉で言おうとも、だれが言ってもあそこは依然水衝部でございまして、この水衝部を押さえるというのが大きな仕事で、それから流れを訂正しようというのであの法線が決まってくるということでございます。まあ、そういうことで、ひとつよろしくお願いいたします。
  55. 楢崎弥之助

    楢崎委員 それで、関連質問前の点に戻りますけれども、重要な点ですからもう一遍行管庁長官に確認をしておきますが、その監察報告をされたときに十分お調べになったんでしょう。そして結論を出されて、それに基づいて私どもが質問をしたときに——もう一遍ここでおっしゃったとおり言いますよ、その文書紛失しているという点についてですね。「この問題は、行政管理庁といたしまして率直に申し上げてどうかと思いますが、検討する材料がないといった方が早口的に言い得るんじゃないか、かように思います。決裁伺いの部分が保存されておらないし、現存する文書が厳密な意味で原議の一部であったかどうか確認ができない状態になっております。」十分調べた上でそうおっしゃっているんですね。そうすると、いまになって、検討する材料がないとまで言い切っておられるのに、そんなふうに、いまの御答弁のようにお変わりになるということは、これは考えようによっては、どっちかが重大な監察のミスというのか、あるいは食言に値するような重要問題じゃないかと思うのですね。これほど言い切られておるのに、いまのような答弁に変わってきた。その変わり方について私どもは納得ができないわけです。やはり推定のもとに調子よく建設省とすり合わせですか、すり合わせがどういう意味か知りませんが、結局これはそういうあいまいな統一見解だ、私はこのように指摘をしておきたいと思います。  それから、本堤に計画変更したそのメリットとして——私は素人ですから教えてください。本堤にした方が施工費が四千六百八十万円節減されるというのはどういう……。
  56. 増岡康治

    増岡説明員 四千六百万はどういうところから出るかという御質問だと思いますが、締め切らないであけておきます。百メートルなら百メートル、二百メートルなら二百メートルあけておきますと、本川に洪水が、水害がありますと、堤の中へ入るわけです。ところが、先ほど申し上げましたその控え堤の部分は、昔の盛り土でしたものだけでございまして、実際にこれを一つの遊水池として使用するならば、そういう遊水に対してもある程度の護岸も若干しておかなければいけない。こういうものの積み重ねが明らかにこれはプラスになる。それで、締めた場合の工費と締めないままで控え堤と本堤の先端の取り巻き、こういうものを両者比較して差額が出た。だから、霞堤として残す工事費をはじいて、それから本堤でつなぐとやはりプラスの工事費がかかりますが、二つの工法に対してお互いのレベルで工費をはじいた結果差額が出た、こういうのが四千何がしの差額でございます。
  57. 楢崎弥之助

    楢崎委員 私もその点は素人ですからよくわからない。常識的に考えれば、霞堤、仮堤と申しますか、そっちよりも本堤にした方が安くつくなんというのはちょっとわからないものですから、これは私も素人ですから、これ以上は御説明を聞いてもわからないと言うよりほかにないわけです。  それから、さっきのかがみの紛失の点ですけれども、これはやはり単なる紛失では済まされない、本件の中身との関係においてですね。これは問題いかんによっては証拠隠滅とか、あるいは公文書毀棄といったような問題にも発展しかねないほどの問題をやはり含んでおる。したがって、この統一見解で説明されたようなことでは私どもは納得できない、こう言わざるを得ません。  以上の疑問については、これはこの小委員会でこのまま解明していくのか、あるいは関係委員会で引き続いて解明していくかについては、申し合わせの点がございますので、疑問の点だけをここで提起をいたしておきたいと思います。この統一見解では、依然として疑問が残る、われわれの抱いておる疑惑解明されていない、そう指摘をしておきたい。  それで、約束の時間がございますから、最後に、十月二十七日の委員会で私は、そういう疑惑の問題は別として、実際的な河川敷の処理の問題についてわが党の考え方を提案しておったわけです。建設省としてはどのようなお考えを最終的にいまお持ちでしょうか。明らかにしていただきたい。
  58. 竹下登

    竹下国務大臣 ただいま楢崎委員の御質問でありますが、河川法上廃川処分は河川区域として存置する必要があるかないかのみを判断して行うのがたてまえである、これはその当時の答弁にも言われております。しかし、何としても、このような問題になりましたので、総理の御答弁にもありますごとく、国民の納得のいくように適正な措置をしたい、こう申しておるのが基本になるわけであります。したがいまして、私どもといたしましては、この国民の納得のいくようなとは何か、これは私が建設大臣に就任いたします前から、いわゆる住民のお方々との、道路でございませ、あるいは環境問題でありませ、ほとんどの問題を間接、民主主義の代表とでも申しましょうか、地域の国会議員の先生にお願いをしてと言うとちょっと表現がおかしいのでありますが、間に入っていただいてもろもろの問題を解決するという方針を今日まで貫いてきたつもりであります。したがいまして、そういう意味におきまして、やはり国会、それから県議会、そして町議会というところのある種の理解をいただくというのが国民の納得をいただくまず前提にあるべきではないか。その一つが本日小委員会等で御議論をいただいておることの重要なる一つであろうと思うわけであります。  したがいまして、その問題、そういうものが積み上がりました後におきましては、今日、これは私が就任以前でございますけれども仮谷建設大臣が長岡の小林市長さんから御報告を受けられたと聞いておりますところの、いわゆる  一、長岡市長と室町産業との間で次のとおり合意に達したこと。   (一)処分後の土地の利用は、長岡市の発展の見地から市民全体の利益を優先して行われるべきこと。このため、長岡市が必要とする用地については、室町産業は、これを長岡市に提供するものとすること。   (二)以上の認識に立って、今後、建設省が廃川処分を行った後における当該用地の利用計画の決定は、すべて小林長岡市長に一任すること。  二、長岡市長は、室町産業との合意結果を、長岡市議会各派代表者会議、総務委員協議会等において報告するとともに、市議会本会議において報告し、了解を得たこと。  三、また、長岡市長が、長岡市町内会長会議(約三百三十名出席)において、同じく室町産業との合意結果を報告、協力方を要請し、了解を得たこと。 このような御報告をいただいておるということを私はいわば引き継いでおるわけであります。  さらに、私も記憶しておりますが、当時の楢崎委員の御提案でございます。払い下げ価格というものについては、取得時の価格に金利程度を加味した、社会的に見て合理性があるという価格をもって行うということ、これはその後口頭で引き継ぎを受けておるところでございます。  したがいまして、仮にもし諸般の手続ができたといたしましたならば、行政指導という立場よりも、むしろ、地元の市長さんの方へ私がお願いをいたしまして、そして、これが開発について将来建設省として協力することがあれば協力させていただきたい由の申し出をいたすことによってこれの解決に当たりたい、私はこのように考えております。
  59. 楢崎弥之助

    楢崎委員 価格の点は、当時室町産業が買った坪五百円、それに金利を足してという考え方ですね。
  60. 竹下登

    竹下国務大臣 原則的にはそのとおりでございますが、たとえば登記手数料とかそういうようなものはある種の合理性のあるものがはじけるかもしらぬ。これはそこまで詰めておりませんし、この問題の間に長岡市長さんと仮谷大臣は詳しくお話ししたようですが、私は詳しく話しておりませんので、明確にその点を含むとかいうことは申し上げませんが、原則としてはそのとおりであります。
  61. 楢崎弥之助

    楢崎委員 そうすると、長岡市と室町産業の話し合いでは、市が必要とする面積ということですね。(竹下国務大臣「はい」と呼ぶ)そうすると、これは全部ではないということになるわけですね。残ったところはどうなるのですか。
  62. 竹下登

    竹下国務大臣 これは、市の必要とする面積がどれほどあるかまだ伺っておりませんし、仮にもし残った土地ということがあるとすれば、それは商行為の範疇に入るものであろうと思います。(「市は全部欲しいのだ」と呼ぶ者あり)しかし、全部欲しければ全部でいいという前提の上に立っておると承っております。
  63. 楢崎弥之助

    楢崎委員 市がたとえば全部お願いするということになれば全部でもいいといういまの大臣の御答弁は、そのとおりでいいのですか。
  64. 竹下登

    竹下国務大臣 そのとおりであります。
  65. 楢崎弥之助

    楢崎委員 室町産業が入手している土地は二十五万坪、羽田空港の三分の一と申しますか、甲子園球場の五十倍とも言われている膨大な土地であります。いまの建設大臣のお考えについてのわが党の見解は、一応そのお考えを国対に諮って明らかにしたい。それに対する見解は保留させていただきます。  最後に、先ほど申し上げたとおり、この現実の解決の問題と疑惑が残っておる件というのは別の問題でありまして、これは言わずもがなでございますけれども、そのような現実的な処分で決してその疑惑が免罪になるものではない。この処分で信濃川河川敷問題が決して解決したことにはならないということだけを明白にして、一応本日の質疑を終わりたいと思います。
  66. 小山長規

    小山委員長 次に、増本一彦君。
  67. 増本一彦

    増本委員 大臣がお読みになりました統一見解についてお尋ねをする前に、建設大臣に初めに、お伺いをしておきます。  実は、昨日の時事通信のテレックスによるニュースによりますと、「竹下建設大臣は二日、」つまりきのう「“田中金脈事件”の一環として国会で追及された信濃川河川敷を今月中にも廃川敷処分する方針を固めた。昨年、信濃川堤防改修工事計画のいきさつを示す建設省北陸地方建設局文書が正式文書か否かで、建設省行政管理庁が対立していたが、三日」つまり本日「開かれる衆院予算委員会調査委員会が正式の文書と認める見通しとなったため。」である、こういう報道がされています。  それから、本日付の朝日新聞の朝刊でも、「今月中にも処分を公示 信濃川河川敷で建設相」という見出しで、「竹下建設相は二日、「田中金脈」のひとつとして国会などで追及された信濃川河川敷の処分問題について、今月中にも河川区域の変更と廃川敷の公示を実施する意向を固めた。」これは、きょう開かれる予定の委員会で、この「文書問題に一応のケリがつけられるものと判断したためだ。」こういうように報道をされているわけです。  この問題については、大臣がすでに予算委員会の理事をなすっていらっしゃったときに、小委員会にこの問題を上げるという点で合意をなされ、このいきさつは十分御承知だと思います。つまり、そのときのいきさつでは、先ほど小委員長も開会の冒頭に指摘されましたように、三木総理大臣は私の昭和五十年十月二十九日の質問に関連して「行管建設省から、よく両省が相談をして小委員会報告書を提出いたします。徹底的に小委員会で御論議を願いまして、それが済むまでの間は処分はいたさせません。」荒舩委員長もこれを受けて「総理もそういうことをお認めになっておりますし」「したがって、委員長も責任を持ってそういうふうにいたすことを取り計らいます。」こういうことになっているわけであります。  したがって、本委員会でこの文書問題を中心にした問題についての結論が明確になるまで十分徹底した議論というものが行われない限り、このように廃川敷の処分を今月中にもやるというような態度をお示しになるということは、当委員会そのものを軽視するばかりか、予算委員会そのものをじゅうりんするものであるというように私は思うわけです。私は、こういうような建設大臣の現在の態度のもとでは、この文書問題を含めた今日の審議は進めるわけにはいかないというくらいに考えるわけです。大臣のまずこの点についての所見を伺っておきたいと思います。
  68. 竹下登

    竹下国務大臣 増本委員にお答えをいたします。ただ、お断りすることが一つありますのは、私も当時予算委員会の理事でございましたので、その間に感じたこと等が私の答弁の中に出まして、幾らか今日の立場と混合しておるようなことがありはしないかということがありましたら、また御指摘によっておしかりを受けるにやぶさかでございませんので、その点まず申し上げておきます。  私も院と政府関係は先生同様厳しく心得ておるつもりでございます。今日までこのことが——私も内閣官房長官ということばかりやっておりまして、それこそ院と政府の接点についてどれだけ苦吟し呻吟してきたかということは、私が皆さん方と同じ立場にあるときに行ってまいりました行為の中で私は理解していただけるではないか。したがって、さような記者会見等をするわけのものでもございません。国会意思決定というものをあらかじめ予測して、そうして準備を行う、景気回復の工事等を行うための事前工法協議すら、私は国会に出てそのことの理解を得ながらやったわけでございますから、その点において、国会の子であるというお方がございますが、そういう言葉が適切であるとするならば私も国会の子であるというつもりでおりますので、その点はよく御了解を賜りたいところであります。  ただ、いま一つ、問題が出ましたときに、私はそのときにとっさに感じましてひとり言、あるいはやじではございませんが私語で申し上げたのは、この行政権限を、言ってみればその当時の私の理解では河川法上のまさに行政行為を国会が凍結しておくという行為自体が三権のたてまえからいかがなものであろうか、こういう疑問をあの際申し上げてみました。しかし、総理が言ったから仕方がないじゃないか——仕方があるかないかは別といたしまして、確かに総理がそういう御答弁を申し上げたことも事実でございます。私も佐藤内閣の閣僚でございますので、その本質は曲げていこうとは思っておりません。そのことを基本的にお答えいたしたい。——失礼いたしました。三木内閣の閣僚でございます。
  69. 増本一彦

    増本委員 立法権と行政権との競合の問題につきましては、これは行政権の最高責任者である総理みずからが、この問題の処分の前提条件として立法府の議論を待った上で、そこでの解決を見た上で判断をするという趣旨ですでに述べられております。ですからその点、私たち立法府でこの問題について一方的に吸い上げをした、こういう経過でないことは、昨年の十月二十九日の予算委員会経過で十分御承知だと思います。ですから、私はその点についての大臣のいまの釈明というのは事実の経過からいっても適当ではないというように思います。  しかも、私はもう一度大臣確認をしておきますが、すでに三木内閣は総理みずからが、たとえば参議院の昭和五十年六月六日の決算委員会における答弁の中で、この信濃川河川敷の問題は、「私もこれだけ国会の問題になりまして、国民も非常にやはり疑問に思っている点ですから、これは建設大臣限りでなしに、私との協議を建設大臣にも指示する考えでございます。」あるいは「これだけ国会でもしばしば問題になった問題でございますから、この処置は私も建設省から十分な調査を聞きまして、国民の納得のいくような、慎重な処置をいたします。」こういう趣旨を述べておられるわけであります。したがって、これは建設大臣の一方的なその時期の判断で処分をされるということ以上に、総理大臣がその限りではやはり指示を出し、それに基づいて建設大臣がおやりになる。このことを三木総理が強調されていると思うのですが、そのたてまえは竹下建設大臣のもとでも私は変わらないはずであるというように思いますが、いかがですか。
  70. 竹下登

    竹下国務大臣 これは総理と協議をすることなくして私の専決で行うことはございません。
  71. 増本一彦

    増本委員 そこで、この問題に入るに当たりまして、やはりこの事件の根本的な問題というのは、先ほども指摘がありましたけれども昭和四十一年十月二十日の衆議院予算委員会における橋本建設大臣答弁です。本堤にする意思はない、霞堤である、こういう趣旨のことを明確に答弁をされています。ところが四十三年の七月に、本堤つまり連続堤計画変更したということを建設省がおっしゃって、四十五年十月にはそのとおりに完成をしてしまった。国会での建設大臣の明確な答弁霞堤であるということが明らかにされておって、しかも明確に連続堤ではないとあえて否定をしておきながら連続堤にしたのですから、なぜ変更されたのかを当時の記録でその経過を含めて調査をしよう、こういうことになって行政監察が行われたし、国会でもこの問題が信濃川河川敷問題の一つの重要な側面になったわけです。  ところが、御承知のように当時の記録で真正な公文書として通用するものがない。これは行政監察の結果の報告が明らかにしております。これは文書の保存問題、つまり今後文書をどうやって保存をするかということは一つの重要な問題だと思います。しかし、この議論されてきた経過からいきますと、最も重要な問題というのは橋本答弁をめぐる前後の経過です。そして、霞堤として進めてきた河川行政連続堤という河川行政変更をした、この経過が不明である、このことにあるわけでして、しかもそれが社会的には、いわゆる田中金脈問題と絡んでいるところから、河川行政として公正に行われたのかどうか、ここのところが客観的にも政府内部の文書等で明らかになるかどうか、こういうところに私は中心問題があると思います。そういう意味文書がどういう状態にあったのかということを前回の予算委員会でも御承知のとおり建設当局や行政管理庁に対してもお尋ねをしたわけです。  まず、行政管理庁にお伺いをしたいのですが、原議が存在しない、こういうようにおっしゃっているわけですが、一体原議というのは何か。その原議と定義づけるための要件ですね。それから、原議とそうでないということを区別するのはどこに意義があるのか。その点をまずひとつ明確にしていただきたいと思います。
  72. 鈴木博

    鈴木説明員 公文書におきます原議と原議でないものとの区別の基準でございますが、これは私の立場から申し上げることが妥当かどうかは別といたしまして、私自身は今回の河川管理上における原議ということで考えました場合には、現在残っておりますものの責任の所在がはっきりする、もとのものであるということが証明できるという点にポイントを置いて考えております。
  73. 増本一彦

    増本委員 証明できるもとのものというのは、やはり文書の作成名義人が明確である、そしてその作成名義人が作成をした文書であるということが客観的に明らかである、そういうものを指しているというように理解をしていいわけですか。
  74. 鈴木博

    鈴木説明員 形式的にはそのとおりだと存じます。
  75. 増本一彦

    増本委員 そうしますと、私の質疑に関連して建設省が今度出された指摘事項という文書を拝見させていただきますと、その第一に、昭和四十二年度から昭和四十四年度までの工事実施計画書が真正なものであると確信をしているという趣旨で書かれているわけですね。文書の作成名義人が明らかでない。しかも、その作成名義人が作成したものであるということも客観的に明らかでないものが、それを建設省文書が真正に作成されたものであると確信をしていると、こういうように言い切っているわけですが、これはこの原議という行政管理庁が出された基準からいってきわめて横暴な判断であると思いますが、どうですか。
  76. 増岡康治

    増岡説明員 ただいま先生のおっしゃいました工事実施計画書の問題でございますが、この計画書は、北陸地方建設局文書取扱規程の定めるところによりまして、局の文書管理責任者でございます庶務課長に引き継がれて、他の一般文書と同様に所定の書庫に保存されておるということでございまして、それが一つと、もう一つは、その計画書内容等が、工事の実績が記録されております工事台帳だとかあるいは河川現況台帳等照合してみましたところ、いずれも一致しております。そういうことから、私ども計画書が真正なものであるという表現をさせていただいたわけでございまして、なお当時の関係者からは、事情聴取によっても当計画書が真正なものであるということは疑いの余地はない、そういうことでこういう言葉になったわけでございます。
  77. 増本一彦

    増本委員 行政管理庁文書の作成名義人がだれであるか、それから文書の作成名義人が作成したものであるということを証明するものは、これがおもて紙とか伺い文とかかがみとか、こういうように言われているものでしょう。その点はいかがですか。
  78. 鈴木博

    鈴木説明員 そのように存じております。
  79. 増本一彦

    増本委員 建設省、繰り返すようですが、そのおもて紙、かがみ、伺い文と言われるものが昭和四十二年から四十四年度までの工事実施計画書にはついていないということは、これはもう既定の明らかな事実ですね。だとしたら、作成名義人がだれであるかということもわからぬし、——現在現存する文書がですよ、その者が作成をしたということも明らかにならないわけでしょう。そうですね。それを「確信している。」というように断定的におっしゃる根拠というのは全くないのじゃないですか。伺い文も何にもないのですから……。
  80. 増岡康治

    増岡説明員 工事実施計画書によってのおもて紙の判この部分は、御承知のように地方建設局長あるいは河川部長、河川計画課長、補佐あるいは担当係長、担当者と、こういうのが通例になっておるわけでございまして、たまたま四十二年から四十四年の間につきましては、先ほど大臣報告にもございましたように、いろいろな頻繁な使用あるいはまた別とじにしたのがたまたま紛失したということでございますけれども、当実施計画には大臣承認書もついております。ほかの書類は全部整っておりますので、そういう作業中に起こった一つのミスであろうということから、あとの点につきましては、それは遺憾でございますけれども、他のすべての方向からながめまして疑う余地がない、そういうのが建設省の私ども実務を通しての見解でございます。
  81. 増本一彦

    増本委員 この文書が「真正なものと確信をしている。」ということを国会建設大臣を通じてただいま御報告があったわけです。ところが私たちは、建設省の確信が正しいものであるかどうかということを判断する材料を持っていません。  そこで、まずお伺いをしたいのですが、この昭和四十二年度から昭和四十四年度までのいわゆる直轄河川改修実施計画書と言われるものは、もしこの当時この文書を作成するとしたら、その作成名義人とまたそれに関与する職員というのはどういう人たちなんですか。具体的な名前まで含めてひとつ教えていただきたいと思います。
  82. 増岡康治

    増岡説明員 四十二年度を申し上げます。局長松本正雄、河川部長寺師英雄、河川計画課長大枝市朗、河川計画課の補佐五十君亘弘、それから係長小宮山克治、担当者岸田澄樹それから佐藤茂、二名でございます。  それから四十三年度、局長松本正雄、河川部長京坂元宇、河川計画課長山田睦郎、補佐島倉幸夫、係長小柳乙彦、担当者は佐藤茂、平田健。  四十四年度は局長が佐々木茂雄、河川部長井田至春、河川計画課長山田睦郎、補佐島倉幸夫、係長小柳乙彦、担当が平田健、小池直史、そういうことでございます。
  83. 増本一彦

    増本委員 行政管理庁はこの監察をされた当時、これらの局長その他の担当者から事情をお聞きするということはなさいましたか。
  84. 鈴木博

    鈴木説明員 何分監察いたしました書類の所属年度が非常に古いことでございましたので、当時の人に一々当たるということは、調査期間の関係等もございまして、きわめて困難なことでございました。したがいまして、責任の所属が正当に継承されております現在のそれぞれのポストについておる職員の方から事情を聴取いたしたわけでございます。
  85. 増本一彦

    増本委員 当時の人たちからは事情はお聞きになっていない。そこで、行政管理庁は、四十二年から四十四年までの直轄河川の改修工事実施計画書が原議であるとは認定できない。これは私もそのとおりだと思います。しかし、「建設大臣承認書が添付されていること及び内容的にも工事実績に符合することから真正なものであることを否定するものではない。」こういうことをおっしゃっていますね。このおっしゃる意味をひとつ説明をしてください。
  86. 鈴木博

    鈴木説明員 一つには、文書の真正さを判断いたします場合の入り口と申しますか、形式面から判断するやり方と、もう一つは、その文書が実際公文書として有効な効果を発生していることからその内容の真正か否かということを判断する方法もないわけではなかろうと存じます。  私ども立場といたしましては、形式的にも文書伺い書き等が保存されていない限りは、全く真正であると対外的に断言するわけにはまいらなかったわけでございます。しかしながら、その文書の実際実効面で確保されましたたとえば河川の改修の実績等とその内容を照らし合わせました場合には、これは真正を疑う必要はないという意味でその建設省の方の判断を否定するものでない、こういうふうな見解を持った次第でございます。
  87. 増本一彦

    増本委員 「建設大臣承認書が添付をされている」、こう言いますね。私、昨年建設省からいただいた資料ですが、たとえば昭和四十三年度直轄河川改修事業実施計画書に添付されている建設大臣承認書と称するものは、ここにその文書の番号かあるいは申請の番号なのでしょうか、「昭和四四年三月一五日付け四三北建河計第二七号の九で申請のあった昭和四三年度直轄河川改修事業実施計画変更については、承認する。昭和四四年三月三一日 建設大臣」こういうように書いてあるわけですね。  まず第一に、建設大臣承認書がくっついているとおっしゃるけれども、この建設大臣承認書というものが昭和四十三年度直轄河川改修事業実施計画書そのものの承認文書なのであるということは、文書の体裁からどうして判断ができるのですか。これはたまたまそこに編綴をされていたからということ以外に理由や根拠というものはないのではないですか。
  88. 鈴木博

    鈴木説明員 したがいまして私ども立場といたしましては、この箇所別変更調書も厳密な意味においてはきわめてその取り扱いが不適当であったという見解を持ったわけでございますが、その内容というものは実施されました結果と符合いたしておりますので、それは建設省として行った行政行為でございます。その結果とこの文書内容が一致しておりますので、入り口における形式は不備であったかもしれないけれども内容については真正なものと見て差し支えないのではなかろうかと思うわけです。
  89. 増本一彦

    増本委員 いま私は、この文書が真正に成立しているかどうか。つまり、原議であるかどうかということは、作成名義人がはっきりしていて、その作成名義人が作成した文書であるということが明確である場合、これを原議というのだ。それには当たらないけれども建設大臣というもっとえらい人が承認をしている文書なのだから、だからこの「真正なものであることを否定するものではない。」という根拠になっているわけですね。そういうふうに理解していいわけでしょう。ところが、そのえらい建設大臣承認をした文書がたとえば昭和四十三年度のこの実施計画書なのだということはどうして証明ができるのですかというのですよ。  では、昭和四十三年度実施計画書でお尋ねしましょう。ございましたら、ひとつ見てください。私のを見せてあげても結構ですよ。この大臣承認文書で特定できるのは、昭和四十四年三月十五日付四三北建河計第二七号の九で申請があったということですね。それの「あった昭和四三年度直轄河川改修事業実施計画変更については、承認する。」こうなっていますね。そうすると、文書として特定できるのはこの番号でしょう、「四三北建河計第二七号の九」という。それでは実施計画書のどこにそういう記載があるのですか。この実施計画書の大臣承認書であるということがどこでつながるのか。そのつながりがはっきりしない限りは、えらい人が承認している文書だから真正な文書であることを否定するものではないということは言えないのではないかということをお尋ねしているわけです。
  90. 鈴木博

    鈴木説明員 ただいま御指摘になったとおりかと存じますけれども、ただ、その文書というものが当時の一件書類のままに何十年も保存されていれば、おっしゃいましたとおり、この内容承認通知というものが合体しているということはおおよそ推察できると思うのでございますが、それぞれの省によりましてはこの大臣承認書あるいは決裁伺いというものを別にとじて保存するという場合もございます。その場合には厳格な意味で私ども立場といたしましてその大臣承認書がその書類についたものであるかどうかということは、よほど科学的な調査方法を持たない限りは立証できない問題だと存じます。
  91. 増本一彦

    増本委員 では、増岡さんで結構ですが、この大臣承認書、これは文書に編綴をされて、そしてたとえば北陸地建に渡されるものなのか。大臣承認文書、これだけが一枚、所轄の局にいくのか。その点はどうですか。この前の予算委員会でも伺っていますけれども、その点確認しておきたいと思います。
  92. 増岡康治

    増岡説明員 この実施計画のヒヤリングというのに、四月に入りますとすぐ入るわけです。全体で八つの地建が終わりまして、日にちを決めて、それで済んだということで、大臣の決裁を一緒に書類のままいただくわけです。書類に大臣の決裁伺いが全部ついたものを伺いまして、それを済んだ後地建に送付するという方針をいままでやってきておる、そういうことでございます。
  93. 増本一彦

    増本委員 ですから、これだけ別で、これ一枚を後から北陸地建に送るわけでしょう。そのことをはっきり言ってください。
  94. 増岡康治

    増岡説明員 大臣承認書一枚が送られるわけでございます。
  95. 増本一彦

    増本委員 ですから、松澤長官も聞いていただきたいのですが、後から大臣承認書だけが一枚だけ郵便その他で送られるわけですね。だから、その後とじ込まれたもので、この大臣承認書で表示されている番号の文書大臣承認したんだというこのつながりというのは、ただ今日編綴をされているからということだけでは断定ができないということははっきりしていると思うのですね。そうでしょう。だから、そのことを一つの根拠にして「真正なものであることを否定するものではない。」などということは言えないと思うのですよ。それは率直にお認めになっていいのではないですか。
  96. 鈴木博

    鈴木説明員 大臣承認書がその実体の書類をあらわしているかどうかということを証明することは御指摘のとおりできないわけでございますが、ただ、これはわれわれ行政府の内部におきましてはそういうことが全く珍しいことでもございませんし、また、この内容というものがほかのいわゆる工事実績とか本体工事等々と照らし合わせてみた場合には、いわゆる大臣承認を要する書類であったし、それからその工事大臣承認を必要としたことから、これは真正なものであったかもしれない、真正なものを疑うものではない、こういう見解を持ったわけであります。
  97. 増本一彦

    増本委員 それからもう一つは、この私への回答では、「内容的にも工事実績に符合することから真正なものであることを否定するものではない。」内容的な工事実績のことを触れていらっしゃるわけですね。もうすでにこの文書を読みましたのでお気づきだと思いますが、皆さんがこういう結論を出される根拠としておられるのは、たとえば四十三年度実施計画であっても、これがつくられたのは四十四年の三月、四十三年度年度末ですね。そうでしょう。大臣承認文書も四十三年度の「実施計画変更については、承認する。」そして日付は昭和四十四年三月三十一日、建設大臣の大きな判こが押してある。つまり、これは当初計画についてではなくて、すでにやられてしまった後の決算の段階で、これはその決算の段階での最後の文書だけが永久保存になって残っているからという経過は私も承知しています。しかし、行政管理庁が「内容的にも工事実績に符合することから」というのはあたりまえなのですよ。もしこの文書のとおりに工事が行われている実績があるということを意味しているのだとしたら、四十三年の年度末につくられた実施計画書なのだから、四十三年分にやったことが書かれているということはあたりまえなので、実績に符合するから真正な文書だということにはならないので、実績を反映した結果をいわば表現している文書、こういう性質のものなんだから、この点でも文書が真正だというようなことを言うことはできない。これを一つの論拠にするのは行政管理庁としてはおかしいのじゃないか、こういうように思うのですよ。せっかくすり合わされて見解を統一されたけれども、しかし、その根拠というのは行政管理庁としてはきわめて薄弱な根拠じゃないか、そういうように考えるのですが、どうですか。
  98. 鈴木博

    鈴木説明員 書類の取り扱いの形式的な面を見ました場合には、増本委員指摘のとおり、年度末に承認されているという問題があろうかと思いますが、内容の問題になりますというと、たとえ工事がその年度末に完成した後で承認通知が来ましても、内容そのものが真正であったかどうかということは、問題が別であろうと存じます。その工事が行われました実績と合わせてみますと、時期の問題は適、不適の問題はございましょうけれども、その行われた実績とその内容とを合わせた場合には、間違いがおおむねなかったのであろうという推察はできると存じます。
  99. 増本一彦

    増本委員 あなたの方が混同しているのだな。私はこういうことですよ。現存しているいただいた文書のとおりに工事の実績がやられている、これはいいですよ、そうだろうと思います。見ても、百メートル、長岡市の蓮潟のところを延ばしていったということが築堤の中に書いてありますから、これはそのとおりだと思いますよね。しかし、これはその後の文書が真実を表現しているかどうかという問題であって、いま皆さんの方が原議かどうかということで言っているときには、これは作成名義人によってつくられた真正な文書であるかどうかということを問題にしているわけだから、そのときに中身は正しい、そのとおりやられたものだから、翻って、それは文書そのものが作成名義人によってなされたのだというようなぐあいに引き戻す論拠としてこれをお使いになるのはどうなんだろうかという趣旨で伺っているので、文書の成立の問題とそれからその成立した文書が正しいかどうかという問題とは、これはやはりもう一つ別の問題でしょう。真正に成立した文書であって初めて証明力というものが出てくるわけだし、そしてそれに基づいて行政監察というのはやられるわけでしょう。そうじゃないですか。だから、原議というものが一番中心の問題としてまず出てくるのと違いますか。そうだとしたら、このすり合わせにやっているのは、すり合わせとして対等にすり合わされたのではなくて、やはり建設省河川局の川の水、信濃川の水に流されるのと同じように、本当に厳密な意味ですり合わせをされたというぐあいには私は認められないように思うのですが、どうでしょう。
  100. 鈴木博

    鈴木説明員 行政管理庁といたしましては、その伺い書のついておりません文書につきましては原議を立証することができませんので、これは何と申しますか、適当だという表現は使ってきておらないわけでございます。  ただ、統一問題につきましては、不統一かどうかという内容は、これは文書の形式の問題ではなくて、推察に立っての問題になっております。したがいまして、いま御指摘の諸問題等は行管としては推察としては否定するものではない、推察としてはいいとも悪いとも言えないという態度をとっておるわけでございます。
  101. 増本一彦

    増本委員 では、それだったらそういうようにお書きになったらどうですか。だって「行政管理庁としては、工事実施計画書におもて紙がついていないため厳密な意味で原議であると認定できないが、建設大臣承認書が添付されていること及び内容的にも工事実績に符合することから真正なものであることを否定するものではない。」と言っているので、真正なものであることを推測するとかいう、あなたがおっしゃるような素直な表現にしたらどうなのですか、主語は「行政管理庁としては、」となっているの、だから。
  102. 鈴木博

    鈴木説明員 ただいまお読みいただきました最後のところは、「否定するものではない。」ということでございまして、積極的に肯定はしているわけではございません。
  103. 増本一彦

    増本委員 それなら「否定するものではない。」じゃなくて、「肯定するものではない。」と書いたらいいじゃないですか。
  104. 鈴木博

    鈴木説明員 これは立場の違いだと存じますが、私ども、挙証性、客観的に事実かどうかを判断する立場としましては、正式な文書の原議であるとかなんとかということを問題にして、それが原議であった場合には、はっきりとそれを真正であるということを認めますと書けるわけでございますけれども、いまそこで御指摘の点につきましては、そういう立場からすれば、はっきりと断定はできないわけで、しかし、行政府の一員として考えました場合には、そういうこともあるであろうということでもって、否定はできない、肯定もできませんけれども、むしろそういうことはあったであろう、あり得ることであろうという認識は現在でも持っております。
  105. 増本一彦

    増本委員 長官、いまのやりとりで趣旨はおわかりだと思うのですよ。行政管理庁としての見解としてはこれは非常に表現があいまいであるというように思うのです。これは、建設省とのお話し合いでこういう表現にしましょうということにしたのですか。代表して建設大臣がお読みになったものですから伺うのですが、長官の方としては、すり合わせをおやりになったときに、この表現自身も建設省とのいわば妥協の産物といいますか、協議の上で表現までも逐一お決めになったのか、その点はいかがですか。
  106. 松澤雄藏

    松澤国務大臣 率直に申し上げますけれども、これ自体は格別に建設省とというふうなことでもないと考えておったのでありますが、いろいろ検討した結果としてこれではどうだろうかというふうに私の方から相談した、かように申し上げた方がいいだろうと思います。
  107. 竹下登

    竹下国務大臣 私がすり合わせという表現を使いましたのはあるいは不適当であったかと思います。この報告書ができたときには私は建設大臣ではございませんでしたので、ただ、当然この監察を受ける側、監察をする側にいたしましても、政府一体の精神からは、こう書いてくれ、ああ書いてくれという表現の協議をするのではなくして、流れとしての、政府一体の責任においてこれは同一になっている一本の文書でございますから、当然お互いが、すり合わせという表現は適切でなかったかと思いますが、話をするということはあり得るというふうに御理解をいただきたいと思います。
  108. 増本一彦

    増本委員 松澤長官はその当時から長官でいらっしゃいますから、いまのお話で伺いますと、やはり建設省立場も非常に深く配慮をされて、そしてこういう表現でどうであろうかということで提起をされたというように私は理解できるのですがね。そういう御趣旨が含まれているというように理解してよろしいでしょうか。
  109. 鈴木博

    鈴木説明員 きわめて事務的な問題でございますので、私の方から答えさせていただきたいと思います。  この文書の発端というのは、衆議院の予算委員会でもって両者の不一致という点が問題になったわけでございます。これは決して不一致というような性格のものではないのではないだろうかという認識のもとに、建設省の方と話をいたしまして、どこが一体その答弁等を通じまして合っていなかったのかということで話し合って、文字で正確に書くとすればこういうことではなかろうかということでしたものがこれでございます。
  110. 増本一彦

    増本委員 私は、やはり問題の基本は、もう現にでき上がっている堤防と、いれから非常に不完全なといいますか、建設省自身は成立そのものを否定している、この実施計画書というものしかないわけですよね。そこで、この河川行政が行われたものが本当に真正にやられたかどうかという点でのいわば入り口、玄関の問題がこの文書の成立の問題ですから、その当時関与していた、少なくとも松本正雄さんですか、この方は二年やっていらっしゃいますから、それから佐々木茂雄さんという方が一年やっていらっしゃいますね、こういう方は、私はぜひ当委員会にでも呼んでいただいて、そしてそのときの事情を十分にただすというような手だてを委員長としても考えていただいて、その点をこれからひとつ各党間でお諮りをいただきたい。このことをお願いしたいのですが、いかがでしょうか。
  111. 小山長規

    小山委員長 御意向はわかりますが、本委員会の目的は、行政管理庁の言い分と建設省の言い分とが、どこが食い違っているのだと、これをただすことなんですから、そこまで入れるのかどうか、この点はいずれ皆さんと協議いたします。
  112. 増本一彦

    増本委員 ひとつ私の意向を十分配慮される御決定をお願いしたいと思います。  それでは次に移ります。  二番目の問題は、計画変更経緯解明できたかどうかということで、この点については建設省は、「経緯解明できるものと確信している。」行政管理庁は、「現存する記録から客観的な事実認定はできないが、この建設省見解推定としては否定するものではない。」こういうようにおっしゃっておられます。  建設省が、その経緯解明できるものと確信されている根拠というのは、この当時の関係者から事情を聴取された結果であるというようにこの文章ではうかがわれます。そこで、どのような関係者から事情を聴取されたのか。いつからいつまで、何人ぐらいか。できたら主なその方々について教えていただければと思いますが、いかがですか。
  113. 増岡康治

    増岡説明員 昭和三十八年度以降の総体計画策定後の四十一年十月、橋本建設大臣国会答弁に至るまでの間について主として私どももお聞きしようということで動いたわけでございますが、お聞きしましたのは、河川局長では四十年七月から四十二年十一月までに在職されました古賀雷四郎氏、それから河川局治水課長として昭和四十年七月から四十二年十一月まで治水課長であった渡辺隆二氏、それから次の問題として四十一年十月に橋本建設大臣の御答弁がありまして、それから四十三年の七月という締め切り決定に至るまでの間につきましては、主として当時、四十二年十一月から四十五年六月まで河川局長として在職されました坂野重信氏、それから四十二年十一月から四十四年八月まで、当時の治水課長西川喬氏、以上の方にお聞きいたしました。
  114. 増本一彦

    増本委員 この事情聴取はいつからいつまでおやりになったのですか。
  115. 増岡康治

    増岡説明員 この件につきましては、行政管理庁の方からいろいろと文書の勧告がございまして、実態がわからないというようなことから、その以後だったと思います。勧告を受けましてから以後でございまして、主として治水課長が当たったわけでございます。
  116. 増本一彦

    増本委員 先ほどいただいたものと同じような一表がございませんか。あったら後でいただけませんか。人名ですから正確に、当て字や何かだといけませんから。
  117. 増岡康治

    増岡説明員 後で……。
  118. 小山長規

    小山委員長 後で渡してください。
  119. 増本一彦

    増本委員 そこで、三十八年度総体計画以降四十三年の計画変更がなされるまでの間検討は行われなかった、こういうように認められるというようにおっしゃっているわけですね。そうすると、三十八年度総体計画では、この蓮潟地区築堤工事霞堤だけれども、本堤にするかどうか、連続堤にするかどうかという点は懸案事項として残されていたというように理解をしてよろしいわけですか。
  120. 増岡康治

    増岡説明員 霞堤とするということがまず第一。「ただし」と、これはまた今度の実施に当たっての懸案というものがただし書きでついております。
  121. 増本一彦

    増本委員 ただし、何ですか。
  122. 増岡康治

    増岡説明員 ただし書きだったと——私いま記憶ございませんが、三十八年度総体計画文書があると思いますが、これを読ましていただきますと、「昭和三十八年度以降総体計画懸案事項の総括」という書類が残っておりまして、この中に「蓮潟地区築堤計画について」という題がございまして、「現計画霞堤となっているが、遊水池とすることの経済効果等を調査連続堤とする必要があるかどうか検討する。」という文章が残っておるわけでございます。
  123. 増本一彦

    増本委員 懸案事項になっていたのに、それが四十一年の十月二十日の橋本建設大臣答弁では、その具体的な経過をお述べになるのじゃなくて、読んでみますと、「これが本堤になるのかどうかという御質問に対しましては、その意思はない、霞堤として、いわゆる流れの調整をはかる導流堤である、かように御承知置きを願いたいと思います。」こういうように明確に検討事項として残っているそのことまでも否定される答弁をされておるわけですよ。そのことは間違いないわけでしょう。そうすると、いわば建設省の総括責任者の建設大臣国会でこういう答弁をされるということは、これは明確に霞堤ということで最後までいくのだということをはっきりと表明されたことであって、検討懸案事項になっているけれども、その懸案事項そのものもいわば消極的に処置をする、こういう趣旨だと私は理解するのですが、そういう方針をこの橋本答弁は明示をしたというように理解をして私はいいのだと思いますが、どうでしょう。これは建設大臣でしょうね。
  124. 増岡康治

    増岡説明員 当時の様子を当時の局長等にいろいろ聞きましたが、当時の橋本大臣が御答弁なさいましたのは、いま先生おっしゃるとおり、昭和三十八年の総体計画の思想を受けたということと、それから昭和四十年以降の五カ年計画霞堤になっている、その両方のことから当時耳打ちされたという程度のことしか実はわからないのでございまして、霞堤か、霞堤だということを当時の局長は大臣に進言されたようだという程度のことしか実は事情聴取でわかりませんでした。  そういうことで、私どもは、やはり当時、四十一年十月におきましては、少なくとも建設省河川局の態度といたしましては、霞堤となっておる時期でございますので、橋本大臣の御答弁もちょっときついように思いますけれども、一口で言えば霞堤という時期であったと考えておるわけでございます。
  125. 増本一彦

    増本委員 検討事項であるのだったら、本堤になるのかどうかという質問に対してはその意思はない、こうはおっしゃらないでしょう。懸案事項として今後どうするかということはまだ未解決の問題だということであるのだったら、その意思がないということまではっきり明確に答弁されて、総体計画で出されているそのままの線で進むのだ、これが答弁ですね。それが昭和四十三年に突如いわば百八十度の変更になった。この百八十度の転換の根拠は何かということが実はこの間に問題になっているわけです。ところが、その経過を証明するような文書が何もないということですね。この点は行政管理庁は「現存する記録から客観的な事実認定はできない」、こう断言していますね。これは、この経過を証明する文書というものは全くない、そういうことに基づいているのだというように理解していいわけですね。
  126. 鈴木博

    鈴木説明員 昭和三十八年度総体計画から四十一年十月の大臣答弁に至ります検討経過を示す記録はないという意味ではお説のとおりでございますが、四十三年に出ました箇所別変更の一連の表現といたしまして、遊水効果の問題、経費節減問題が出されております。これは検討の結果ではございますけれども、結果を出すためのいわゆる検討というものはあったであろうという推察は十分できるわけでございます。
  127. 増本一彦

    増本委員 しかも大臣がそういう明確な御答弁をされている中で、四十三年度計画変更が行われる。ところが、三十八年、四十一年、そして四十三年とここまでの期間について「総体計画変更に関する検討は行われなかったと認められる」、こういうように建設省は言っておられますね。そうすると、四十三年度になって突如としてこのことが問題になり、検討になった、こういうことを建設省のこの見解ははっきり言っているというように思うのですがね。それじゃどういう理由からこの四十三年に突如として連続堤計画変更するようになったのか、それはいつごろから検討が始まったのか、その点をひとつ明確にしてください。
  128. 増岡康治

    増岡説明員 当時の本省における河川局長、治水課長等の事情を聞きまして、四十一年までには本省検討したことはないということがわかりまして、その後、なぜ四十三年にこういう問題を出してきたか、これはやはり思想的には、橋本大臣の御答弁、これはもちろんありますけれども、三十八年度総体計画の思想等がずっと残っておりまして、やはりこの問題は第三次治水五カ年がスタートする時期でもございますし、そういう背景から、また締め切るかどうかをはっきりしなければいけない時期が四十三年でございます。これはもう御承知のように、四十五年には締め切りが終わる時期でございますので、四十三年の工事から締めるか締めないかを判断しなければいけない時期が四十三年に参ったというように私どもは理解しておりまして、四十三年度は、そういう工事的にも、また三十八年の懸案事項をまとめるにつきましても、両方の、あるいは第三次五カ年という一つのスタートであるということから、いろいろな客観情勢が相そろったという期が四十三年ではなかろうかと考えておるわけでございます。
  129. 増本一彦

    増本委員 建設大臣、一般的に大臣答弁と、それから実際に行政をやっていらっしゃる皆さんとの間に、こんな天地の開きのような乖離というものはあるものなんですかね。つまり、橋本建設大臣は明確に、霞堤であって本堤にする意思はないと国会答弁をされた。ところが行政の方だけは、どうもいまの局長の答弁を聞きましても、それと反する形で、いわば懸案事項だとずっと続けていって、そして最後にはつなげる、こういうぐあいになっていくわけですね。大臣答弁と、行政機関の実際にやっていることとがこうまで乖離をしている、建設大臣はどのようにお考えですか。
  130. 竹下登

    竹下国務大臣 大臣がその時点で答弁いたしましたことと、その後行われました行政行為そのものが変更されていくということはあり得ることであると私は思います。ただ、私も建設大臣に就任しまして素朴に感じましたことは、建設行政の責任者はもとより私であります。が、その都度都度の技術者の良心と見識においていろいろ議論されていくものを建設大臣一つ一つ理解に立っていくというのはなかなかむずかしいことである。なかんずく、橋本先生の答弁というものがいわば前期の長期計画の中に位置づけられておったときでありますだけに、私は、そういう答弁は当然あの時点で出てくる答弁ではなかろうか。ちょうど昭和四十一年でございまして、七月に改造がありまして十月の国会でありますが、言ってみれば、今日の私と同じぐらいな日にちを経ておられたとした場合、大きな技術的な懸案、検討事項としてそれを掌握するには至っていらっしゃらなかったではないかというふうに思います。
  131. 増本一彦

    増本委員 場所が予算委員会で、しかも総括質問の場であったようですね。だから当然質問通告も十分になされていますし、大臣答弁もそれなりの御用意がされてあった上での話だと思うのです。いま建設大臣がおっしゃったように、大臣国会答弁されたことや決められた方針がその後の事情によって変更されていくというのは、これはもう当然ですね。しかし、変更される過程では十分な検討がなされた上でそして変更されていくというのも、これは行政の通常であると思います。建設行政の責任者が国会答弁された中身が、実際にはこれは四十一年から四十三年、二年の間に変更が加えられるわけです。ところが、これを見ましても、建設省自身が「昭和三十八年度以降総体計画策定昭和四十三年度計画変更されるまでの間において総体計画変更に関する検討は行われなかったと認められる」、これは、大臣の決めた方針を変更するというとき、何の検討もずっとなされないで突如として四十三年にぼこっと出てきたということですね。だからこれは、大臣答弁で決められた方針が着実に検討対象になってきていた問題じゃなくて、突如引き金が引かれるような形で出てきた問題だ。しかも建設省自身もその間何にも検討していなかった。それが突如出てきた。だから、一体何なのだということが問題になるわけですよね。  一体こういうようなことがなぜ起こったのかという点では、単に、新しい治水五カ年計画が始まる初年度だからだ。だけど、治水五カ年計画はもう何年も前から十分な検討を進めていった上でなされるものでしょう。そのときに、これだけが便乗になる、されたんだとしたら、この便乗になった理由は一体何なのかということがまた問題になるわけでしょう。だから、この見解というのは事実の経過から見てもきわめて異常な建設行政だと思うし、こういう御説明というのは本当に納得できませんね。いかがですか。納得できる理由、根拠を、説明されるのでしたらもう一度それは伺いたいと思う。どうですか。
  132. 竹下登

    竹下国務大臣 この納得していただく、いただかないかもまた主観の問題に帰すると思うのでありますが、先ほど来技術者であります河川局長が御説明申し上げておることが事実であったというふうに私は認識をいたしております。
  133. 増本一彦

    増本委員 それで伺いますと、それでは治水五カ年計画というのはいつから検討が始められたのですか。
  134. 増岡康治

    増岡説明員 四十三年から第三次が始まるわけでございます。すぐにはやはり——ベース的に、表に出ない範囲では各事務所から積み上げてくるわけで、いろいろな検討ができるわけでございますが、これが実際に表に出るのが四十三年に入ってからの作業になって、実際に決まるのは四十三年のずっと後、後半期まで、そういう時期だ。いつからスタートかということは、まだはっきりわかりません、当時のことですから。
  135. 増本一彦

    増本委員 原議のついている文書で証明できるような検討が行われなかったということじゃないのですね、全く検討が行われなくて、そして四十三年に突如計画変更が行われたということになるわけですからね。だから、治水五カ年計画が下から積み上げられるにしても、その治水五カ年計画の中でこの蓮潟の霞堤連続堤にするのかどうかということは、少なくともその対象になって検討されたということが一度もないということでしょう。では、そのことはお認めになるわけでしょう。
  136. 増岡康治

    増岡説明員 これが本当に表に出て議論が出たのは、四十三年の七月の、いわゆる箇所別変更調書という一つの資料をもちまして本省議論されたのが本番でございます。それまでは、事務所その他ではいろいろ議論があったと思いますが、いわゆる本省に持ち込んで、一つ計画変更といいますか、そういう姿を示して箇所別変更の姿で持ち出されたのは四十三年の七月であるということが書類で見てわかるものですから、それまでは、またいろいろ事情聴取しましたところ、その後この問題については本省では議論していないという事情聴取しかなかったわけでございまして、その書類ももちろんないわけでございます。
  137. 増本一彦

    増本委員 ですから、昭和三十八年度から四十三年度計画変更が行われるまでの間、「総体計画変更に関する検討は行われなかったと認められる」と言っているのだから、あなた方が調査してもそのことは一つもなかったということですね。  それだったら、四十三年の七月だそうですが、なぜこれが出てきたのか。治水五カ年計画の初年度でもっと強力な計画になったからだということは、これは蓮潟の問題については、私は局長の説明は説明としてなってないと思いますよ。この点はもう一度お調べになることはできないですか。このように書かれているけれども、どうですか。
  138. 増岡康治

    増岡説明員 先ほど申し上げましたように、四十三年の工事というものは、導流堤が出ておりますね。締め切るか締め切らないかは、四十三年度工事のあり方にも関係してくるわけですね。そこまであの導流堤が延びてきておるわけです。そういうのが一つの事実であった、これは当然推定されます。いまの背景を申し上げたのは、そういう五カ年の出発のときであるからというようなことから出された。それで、四十三年の実施計画承認において、これは重要なことであるからということで、一般のものとは別に五月一日になっておりますけれども、実際には七月に——他の個所もあると思います。現在でもそうです。重要なものはすべての一般のヒヤリングが済んだ後もう一度やる、そういう場が設けられておる事実がございますので、そういう客観情勢から見ますと、先ほど申し上げた結論になってくるというわけでございます。
  139. 増本一彦

    増本委員 それじゃこのときに締めちゃえと言った人はだれなんです。ずっと堤防が延びてきて、旧堤がありますね、それとの間をつなげちゃえ、こういうように言った人はだれなんですか。
  140. 増岡康治

    増岡説明員 このいわゆる箇所別変更調書に参画したメンバーがわかれば非常にいいわけですけれども……。ただ、その当時の資料が残っておるわけでございまして、その資料等を見まして、やはり当時の治水課を中心とした、あるいは現場を中心とした者がみんな寄り集まりまして議論が行われたその結果決まった。決まったということは、同時に、治水課長、少なくとも河川局長が判断した、そういうことになります。
  141. 増本一彦

    増本委員 委員長も御理解ください。三十八年から四十三年までは全然、一度の検討もなかったのですよ。それが四十三年になって突如つなげるということに決まったわけですね。全く何にもなかったところから急につなげちゃえということになったのだということを建設省自身も認めておられる。じゃ突如本省でつなげるということが検討の課題になったのはどういういきさつかというのはわからないのですか。今日では全然わかりませんか。
  142. 増岡康治

    増岡説明員 北陸地建においては、当時締め切る案と霞案といろいろ持っておりました。そういう要望があるわけです。本省といたしましては、判断したのが四十三年である。その判断の根拠といいましても、過去のことでございますし、やはり資料をさかのぼって見なければいけませんので、私どもは私どもなりに当時の残っておる書類を見て当時を思い浮かべてみますと、四十三年七月、箇所別変更調書が残っており、そういうことを当時の関係の事務所長その他にいろいろ聞きました。そのときにいろいろな議論を東京でやった、そういうことでございますので、この資料がまさしくこれであろうということで、一般に全国的にもこういうような大きな変更はいわゆる箇所別変更調書でやるというルールになっておりますので、まさしくこれはそのときの問題であろうという推定は十分できるわけでございます。
  143. 増本一彦

    増本委員 本省にはこの四十三年の変更を記載してある、あるいはそれに関連する文書というものはないわけですね。それで、あなたの方がいま言われているのは、その箇所別変更調書及び遊水効果についての検討資料並びにその検討の結果決定されたさっきの工事実施計画書、これによってその経緯解明できるものと確信している、こういうようにおっしゃるわけですね。  もう一つは、それでは箇所別変更調書というのは何年何月何日に、だれによって作成された文書なんですか。
  144. 増岡康治

    増岡説明員 箇所別変更調書というのは一つ議論する内部資料でございます。したがって、これは保存規程も何もないわけでございますが、当時やはり議論されただけあって、北陸地建にその調書が残っておるわけでございまして、これは保存するだけの問題ではございません、内部資料でございますが、それがちゃんと残っておるということから申し上げておるわけでございます。しかし、これは内部資料でございますから、これが実際に反映するのは四十三年の工事実施基本計画において反映するということでございます。
  145. 増本一彦

    増本委員 ところが、この箇所別変更調書というのは作成年月日も作成名義人も一切わからないということでしたね。そうでしょう。
  146. 鈴木博

    鈴木説明員 そうです。
  147. 増本一彦

    増本委員 それから遊水効果についての検討資料並びにその検討の結果という文書も、作成名義人も作成年月日もわかない文書だ。これもそのとおりですね。
  148. 鈴木博

    鈴木説明員 そのとおりです。
  149. 増本一彦

    増本委員 ですから、これがいつごろ、だれによって作成をされたものかということは、この事情聴取の結果、建設省はおわかりになっているのですか。
  150. 増岡康治

    増岡説明員 いま先生がおっしゃるのは、この四十三年七月の「信濃川総体計画に関する変更調書河川計画課)」、これは北陸地建の書類でございます。これが出てきたわけです。  そういうことで、これを見ますと、いろいろなことが書いてあるわけでございますが、それで当時ちょうどおりました人にも当時のいきさつをいろいろ事情聴取しました。したがって、このいきさつはわかっておりまして、やはり四十三年七月、いわゆる地方建設局の本局において工事事務所から出されたものをいろいろ議論しまして、また本局で文章を直したり体裁を整えて東京へ持っていったのだ、いま事情聴取の結果そういうことがわかっておるわけでございます。
  151. 増本一彦

    増本委員 その箇所別変更調書、それを事情聴取をされた方は何という方ですか。
  152. 増岡康治

    増岡説明員 これは、ただいまは北陸地方建設局管理課長をしております小柳君でございます。
  153. 増本一彦

    増本委員 その方が当時つくられた文書なんですか。
  154. 増岡康治

    増岡説明員 当時の直接の担当は長岡工事事務所の吉村事務所長。この書類が局に保管されておりますので、局の当時の担当ということで小柳君の名前を出したわけでございます。
  155. 増本一彦

    増本委員 しかし「行政管理庁としては、現存する記録から客観的な事実認定はできない」、こうおっしゃっていますね。そうですね。
  156. 鈴木博

    鈴木説明員 そうです。
  157. 増本一彦

    増本委員 しかし、「この建設省見解推定としては否定するものではない。」というのはどういう意味なんですか。先ほど楢崎委員も聞いておられましたがね。これも否定も肯定もしない。こういうことですか。
  158. 鈴木博

    鈴木説明員 この部分検討やり方とかあるいは記録とかいうものにつきましては、これは法令体系において義務づけられている関係でもなくて、それぞれの省によって、内部の都合によって実際の効果が上がるようにやっているというのが現状でございます。したがいまして、判断の基準というものがない限りにおいては、建設省で通例行われておりますこういう方法というものを認めてしかるべきではなかろうかという気持ちから、こういう表現を使っております。
  159. 増本一彦

    増本委員 この箇所別変更調書については、私は改ざんじゃないかと言いましたが、改定の部分がありましたね。この改定部分はいつごろだれがつくったのかというのはおわかりですか。
  160. 増岡康治

    増岡説明員 だれがというよりは、これは北陸地方建設局、長岡工事事務所変更調書をつくって北陸地建に持ち出しまして、そこで議論した結果、また北陸地方建設局と事務所と打ち合わせた結果をまとめて資料にして残したものが残っておるわけでございます。これを現在いろいろ見てみますと、なるほどこれは一つ箇所別変更調書のスタイルになっておりますし、改ざんされたというか、ここにそういうことは全然ないと私は確信しておりますし、先ほど申しました当時の小柳君に聞いてもそのとおりだ。局と工事事務所で一緒に議論して、それで体裁を整えて、議論した結果を合わせて持ち出したものだ。したがって、この中には工事事務所の紙もあるし、局の紙もある。これはいわゆる技術資料でございまして、これが残っておるということで、私どもはこれは真正なものと確信しておるわけでございます。
  161. 増本一彦

    増本委員 しかし、この管理課長さんは文書管理している人でしょう。違うのですか。この小柳さんという方は河川管理の課長さんですか。
  162. 増岡康治

    増岡説明員 ただいまの職名を申し上げましたが、当時は河川計画課の係長のポストでございます。
  163. 増本一彦

    増本委員 けれども、その方ではなくて、その文書の大部分をつくったのは長岡工事事務所の吉村さんという方だ、作成名義人は。本来そういうことになるのでしょう。吉村さんから事情は聞いたのですか。
  164. 増岡康治

    増岡説明員 聞いております。
  165. 小山長規

    小山委員長 増本君、要領よく。
  166. 増本一彦

    増本委員 では、この遊水効果はだれがいつ計算したのですか、もう一度言ってください。
  167. 増岡康治

    増岡説明員 これは当時の付属資料で残っておりますが、だれが計算したか、私はまだ確かめておりません。資料として残っておるということでございます。
  168. 増本一彦

    増本委員 当時のというのはいつのですか。四十三年の締めるときに決めたのか、それとも後から計算したのか、その点ははっきりわからないのじゃないですか。これまでの皆さんとのやりとりを見ても、それはいつつくられたものかわからないというのが私たちに対する説明だったのですが、それは答弁を変えるのですか。
  169. 増岡康治

    増岡説明員 この資料はやはり四十三年七月のこの文書とともに出てきたわけでございますので、それは検討資料の一部であろう。まだほかにあったかもしれませんが、この二つが残っておるということでございます。
  170. 増本一彦

    増本委員 では、委員長、先ほどお願いしました人たちに加えまして、小柳管理課長、それから長岡工事事務所の当時の所長であった吉村さんについても、ひとつ当委員会事情が聞けますように、御検討対象にしていただきたい。このことをお願いいたします。
  171. 小山長規

    小山委員長 要望はわかりますが、当委員会でやるかどうかについては、いずれ予算委員会の理事会に諮ります。
  172. 増本一彦

    増本委員 それでは、もしお許しがいただけるのでしたら、これで一応第一の部分については終わって、その二というのがあるのですが、後、公明党さんの質問その他があるそうですから、これについては機会を見て当委員会でさらに引き続いてやらせていただきたい、こういうように思いますが、いかがですか。
  173. 小山長規

    小山委員長 運営については後で相談します。
  174. 増本一彦

    増本委員 では、本日の分はこれで終わります。
  175. 小山長規

    小山委員長 ちょっと、建設大臣から発言の申し出がありますから、これを許します。竹下建設大臣
  176. 竹下登

    竹下国務大臣 二つございます。  先ほど楢崎委員に処分後の土地利用について御答弁を申し上げました際、河川管理者としては指導する立場にはございませんがという前提のもとに、小林市長さんの御努力による合意事項を読み上げまして、私どもの協力する姿勢を申し述べました。その後で、全部とか一部とかいうことに対しまして私が発言をいたしました点は、いわば管理者としては指導する立場にはございませんがという筋にいささかはずれるきらいがございますので、その分に限って訂正をさせていただきとうございます。  いま一つは、先ほど増本議員に佐藤内閣という言葉を使いましたことは私の不徳でございまして、おわびを申し上げます。
  177. 小山長規

    小山委員長 ちょっと速記をとめて。     〔速記中止〕
  178. 小山長規

    小山委員長 速記を始めて。  次に、沖本泰幸君。
  179. 沖本泰幸

    沖本委員 あらかじめ申し上げておきますけれども、大分時間が延びて、私の時間がだんだんなくなって、質問が相当残るようなかっこうになりますので、十分質問できるとは思っておりませんし、その分に関しては、後の理事会なり何なりで、その質問なりわれわれの疑問にしておるところがある程度わかるような形で当委員会問題点が取り上げられるような形でお考えいただきたいというふうにあらかじめお願いしておきたいと思います。
  180. 小山長規

    小山委員長 できるだけ解明できるように質問してください。
  181. 沖本泰幸

    沖本委員 それで、まず、けさの新聞に建設大臣のお話が載っておりましたけれども、私たちは、この委員会で結論が出るような形の記事内容になっておりましたので、そういうふうな感じを受けたわけでございますけれども、その点について大臣のお考えを承りたいと思います。
  182. 竹下登

    竹下国務大臣 河川法上の廃川処分は、河川区域として存置する必要があるかないかのみを判断して行うものであるということは私も理解しておりますが、事の性格上今日まで、国民の理解を得て、なお総理とも協議の上ということが残されておりますし、その国民の理解を得てという一番大きな一つの柱が、小委員会のいろいろな面において理解を得て、こういうことでございますので、その結論をあらかじめ想定をして廃川処分を今月中にやるということを決定しておるというようなことは断じてございません。
  183. 沖本泰幸

    沖本委員 この問題は国民が一番注目しておるところでもありますし、また、田中金脈問題の重要な問題点となる問題でもありますし、ロッキード問題と二つ並べていろいろ国民の一番疑惑を持たれておる部分でもあるわけでございますから、先ほどからの質問のやりとりということで、私の方はいまのところ、あそこまで細かい点まで議論するところまでは持っておりませんけれども、この次に細かい点を御質問したいとは考えております。そういうところで、やはりお答えになる角度として、国民がよく理解できるような形でお答えいただきたいわけです。それが何か、やはり臭い物にふたをするようなお答えではないかと、疑問に疑問を生むようなかっこうにならないように、問題点解明に当局の方も真剣に取り組んでいただきたい。われわれの方もやはり政府を監督する国会に当たるわけですから、その点もやはり国民に対して議会として責任があるわけです。そういう角度からの質問に当たるわけですから、その点はぜひともそういう形で早く問題点解明されて、国民が納得できるようなところにお互いに協力して持っていかなければならない、こういう問題だと考えます。  そこで、きょうの質問につきましていろいろ資料をちょうだいはしておるわけですけれども、やはり問題になりますのは、まず四十二年度から四十四年度までの工事実施計画が真正のものであるかどうかということについて、「否定するものではない。」という結論づけがされておるわけですけれども、おもて紙がなくなったという点は、関係する役人が捺印されており、決裁の内容というものがそこにあるわけですから、その重要なものがなくなっているということに重大な疑義があるわけで、建設大臣承認書が添付されておるし、工事の実績に符合することで真正のものであると断定する、こういう表現をとられておるわけですけれども、そういうふうに断定できるものかどうかという点が一つは疑問なんです。  それから、現存する文書によって計画変更経緯解明できたかどうかについて、行政管理庁は、現存する記録から建設省見解推定として否定するものではない、こういう表現をしておられるわけです。  しかし、先ほどから議論が行われておりますように、四十一年の十月二十日、当時の橋本建設大臣は、霞堤から本堤に変更することはないと言っており、その後の変更になった経緯は、四十二年、四十三年、四十四年の間の書類を見なければ断定できないことからも、前の書類は重要な書類であるということが言えるわけで、その建設省見解を否定するものではないという根拠が薄いのじゃないか、こういうふうに考えられるわけですけれども、この点についてはどうでございましょうか。
  184. 竹下登

    竹下国務大臣 沖本委員にお答えをいたします。  建設当局が現存しております書類あるいは当時の事情を聴取し得る責任者等々から事情聴取した結果において、建設省としてはまさに真正なものと確信をしておる、こういう結論を出しておるわけであります。  そこで、政府一体の責任におきましてやはり行政監察を受ける立場と、また、政府一体の責任で行政監察を行う立場からいたしましたならば、やはり行政監察というのは、きのう、おとといのことなら別でございますけれども、客観的事実認定あるいは記録中心主義、そういうものがないことには実際問題として、断定することはできないというのが、政府部内で合意を見たにいたしましても、なかんずく国権の最高機関たる国会に対する報告書の中でそうした言葉は使い得ないというのは、私はそれまた当然のことではなかろうかと思うのであります。  そういう考え方からいたしまして、確かにおもて紙がないわけでございますから、おもて紙のないものを真正なものであるという断定ができない行政管理庁立場からして、これは私どもがこれに関しては否定するものではないという御指摘をいただくのもやむを得ないことではなかろうか。ただ、行政部内においてはお互いが真正なものとみなし得るというある種の合意には達しておる、こういうふうに非常に複雑な答弁でありますが、そう言わざるを得ないというふうに思うわけであります。
  185. 沖本泰幸

    沖本委員 その辺が、やはりだんだん調べていってわかった者同士のやりとりでわかったということと、それから、わからない国民が公平に聞いておってわかるということとの違いが、ずいぶんあると思うわけです。そういうことですから、やはりその辺、国民を納得させるだけの立証過程というものを経ていただかないと、これは問題点問題点ですから非常にむずかしい問題だということになるわけです。その点は立証できない、ただし、こういう形でほかのことがこういうかっこうになりますというふうなものをやはり先ほどのやりとりできちっと裏づけ的なものを並べていただく、そしてわれわれないし国民を納得さしていただく、こういう形をとっていただくことがさらに必要ではないか、こういうふうに考えられるわけです。  そういう関係ですから、関係者から事情を聴取したという点だけで、結果、総体計画変更に関する検討が行われなかった、こういう点重要な裏づけになるのかならないのかという点がどうしても疑問として残るのですね。これがさっきからの繰り返しのやりとりということ、ほとんどそこに尽きるのではないかというふうに考えられますけれども、それと同時に、総体計画及びその文書は現在では原議は永久に保存すべきであるとして処理されているようになるわけですが、地方建設局ではその当時、永久保存するということにはなっていなかった。永久保存にすべきだとしたのはいつなんだろうかという疑義がそこにあるわけなんです。途中で永久保存という形をおとりになったんじゃないだろうかというふうに。だから、永久保存には永久保存するだけの書類の形態なり何なりというものがあるはずですね。その形態そのものがとられないでおもて紙がないようになったというような重要な点が、消えれば消えるほどそれがやはり大きな問題点になってくるのじゃないか、こういうことになるわけですけれども、その点をやはり納得できるような形で裏づけてもらわなければならない、こういうふうになるわけです。したがいまして、その永久保存にすべきというふうにお決めになったのはいつなのか、だれだれが寄ってそういうふうにお決めになったのかという点、その辺はどうなんでしょうか。
  186. 増岡康治

    増岡説明員 いま先生がおっしゃいましたように、かつては総体計画というような言葉を使っておりましたが、昭和四十八年の三月に、今度は名前を変えまして、直轄河川計画という名前で永久保存ということでいわゆる文書規程が決められたわけでございます。それで現在はこういうことが実はないわけでございまして、先ほど大臣も再々申し上げましたように、技術的な要素の非常に強いものはとかく従来から、現在のようにしっかりしてない時代が確かにございまして、改善に改善を努めました。その結果、こういうものは現在はしっかりして永久保存になっておるわけでございまして、四十八年三月に決まっております。
  187. 沖本泰幸

    沖本委員 その建設省調査によると、紛失した理由は、故意になくしたとは考えられないというふうになるわけで、この辺もやはり一番疑問が残るところなんですけれども、ただ、そういうふうに故意になくするはずはないんだというふうにきめつける根拠というものですね。大体お役所というところは判こでみなおやりになるわけですから、どなたがお決めになったか、どうなったかということは一番重要視なさるわけで、そういう重要視しなければならない個所がなくなったわけですから、しかし、それは故意ではないというところに根拠がないわけですから、ただ、仕事の内容とかいろいろな人の関連とかそういうもの、あるいはその後のいろいろな計画の中でこれが生かされたとかどうとかということで、故意とは考えられないという認定をされているわけですけれども、法律から言えば、故意か過失か何かという決め方というのは裁判所でもなかなかむずかしいことではないかと思います。それについては、結局、断定するというためにはやはり断定するだけの根拠がなかったら、疑義を持っているわけですから、納得させられないということになるわけですけれども、その点の見解は……。
  188. 増岡康治

    増岡説明員 おもて紙というか伺い文書といいますか、地方建設局長から建設大臣へ伺い文書がつくわけです。ただ、これは何年の何月の実施計画書を申請いたしますという文章だけでございまして、あとは局長以下の地方建設局の名前がついておる、こういう紙でございまして、これがついて出るのは何も信濃川の問題だけじゃございませんで、すべての北陸地建河川全部の調書でございまして、こういう厚いものでございます。その上に伺い文書がついて送付される。その紙が実際はついて、現在の地方建設局の総務課にちゃんと保管してあるわけでございまして、それで今回改めて調査団を編成いたしまして、すべてその前後を全部調べた結果判明いたしましたことは、先ほど申し上げましたように、いわゆる総務課の倉庫の中からの文書でございまして、これは一般の文書と一緒でございます。そういうものを見たところ、ある年次につきましては剥脱されて、使用の頻繁によってなくなったらしいということがわかりまして、あとの二年間分は、どうもそのときの担当官がなくしちゃいけないと思って別刷りにしたものが二年分あったということが判明いたしまして、これは、ちゃんとのりで張って、しまえば何でもないことであったと思いますし、また、これがそういう送付書に近い伺い文書でございますので、これがなくなったといって、現場では大探しするようなことでもなかったようでございまして、その点は、今後りっぱに保管すべきであるという認識に立ちまして、次官通牒でこれはもう現在は徹底しておるわけでございますが、一枚の紙ですから非常に外れやすい形態になっておるということがやはりいけなかったように思っておりますが、私どもは、すべての調書がすべての工事台帳なりあるいは現場実績と合いますし、私ども実務経験者からいきますと、こういう脱落したり、こういうこともあったかもしれない、そういうことは当然想定されるわけでございます。残念ながら外れておったということは今回新たにわれわれが調査いたしましてわかったわけでございますが、今後こういうことは一切ないと思います。
  189. 沖本泰幸

    沖本委員 今後ないようにしていただきたいのはもちろんなんですが、そこのところが一番問題になっているわけですからね、疑問が疑問を呼び、いろいろな点がその辺に集中しているわけですから、それはやっぱりはっきり国民の目に見える、わかる形に、筋道をきちっとつくっていただかなければならないということで、これはきょうで解決するわけじゃありませんし、今後にもかかるわけでございますから、今後の問題にも、こういう点を真剣に検討していただいて、はっきり解明できるようにきちっとした裏づけをおつくりいただきたいという点です。  それから、あともう一つになります。箇所別変更調書は改ざんされたんじゃないかという疑問に対して、「現存調書については、工事事務所が作成した原調書地方建設局において説明文及び掘削・築堤等工種増減数量内訳表を取りまとめ印刷して加えたと当時の関係者から聴取しており、建設省としては、これが当時計画変更検討資料として作成されたものに誤りないものと確信している。」とこうしていられるわけですけれども、当時の関係者から事情聴取したことで誤りのない資料と、こうきめつけることはできないんじゃないかという、今度は反対の疑問が出てくるわけなんですけれども、その点についてはいかがなんでしょう。
  190. 増岡康治

    増岡説明員 この文書北陸地建にあるわけでございまして、これについてはもちろん私どもは当初何ら疑問を持っておりませんでした。そして、いわゆる技術内部資料でございますので、形態が全国的に統一されておりません。したがって、今日までそういう疑いを持ったこともございませんでした。ただ、増本先生から御指摘がありましたものですから改めて当時の担当を調べた結果、先ほど申し上げましたと同じ結果になったわけでございまして、当時の使途は、事務所の資料と局の資料と合わせて本省議論の技術資料に使ったということで、増本先生の御指摘以後のことでございます。それまでは私どもは何らこれについて疑ったことはございませんでした。  以上でございます。
  191. 沖本泰幸

    沖本委員 結論からすると、まだ完全に出発点から中へ入ったとは言えないので、ちょっと入り口の辺でぐるぐるしているような感じが強いわけなのです。それで、私たちとしては、すぐこの問題どうだという結論はまだちょっと出しかねておるわけで、さらにもう少し具体的な内容をお伺いしたいと思うのですが、もう時間もありませんので、この辺で終わりたいと思います。
  192. 小山長規

    小山委員長 時間はまだ結構ですよ。
  193. 沖本泰幸

    沖本委員 いまぼくはそれだけしか持ってきていないわけです。細かい点についての質問の内容の。ですから、この次に譲りたいと考えております。  以上で終わります。
  194. 小山長規

    小山委員長 ほかに質問の方はございませんね。——これにて通告のありました質疑は終了いたしました。  本問題に関する調査経過につきましては、予算委員長報告し、その取り扱いについては、予算委員会理事会で協議願うことといたします。  本日は、これにて散会いたします。     午後四時二十一分散会