○中川(利)
委員 あなたは、農業を
日本の安定の背骨だ、それほどおっしゃる。歴代の
総理大臣は大体あなたと同じようなことを言ってきたのです。そうしていながらこのような現状が生まれているということですね。あなたのそういう、後で引き合いに出しますけれども、かつて農基法当時でさえも、当時の
総理大臣や次の
総理大臣が何を言ったかというと、あなたと五十歩百歩なんです。農業を大事にしますよと言いながらこういう状況です。どこへそれが到達したかといいますと、新全総の中間報告の中にも述べられておりますように、このように若い青年が農業から離れていくのは、専業農家でさえも、つまり皆さん方が中核農家として自立農家として位置づけておったそういう方々においてさえも、農業所得だけでは都市生活者並みの暮らしができない、そういうことで離れていったという
反省をしているわけです。あなたはなかなか、農業を
考え直すと、その原因が社会現象だとか
経済現象に求めていますが、私はやはり一貫したそういう皆さんの農政を深刻に
反省しなければならない。したがって、いまのような傾向、あなたはいろんなことをおっしゃっているけれども、そのおっしゃっている間にも、新全総ではこのような指摘をしていることは
総理も御存じだと思うのですけれども、いまのような勢いでずっと減っていくならば、仮に最近の趨勢のままで推移するものと想定すれば、現状の約六百万人から、西歴二千年、つまり
昭和七十五年には約九十万人程度にまで激減し、しかもそのときの農業の担い手は、六十歳以上の者がその六割を占めるものと、こういうふうに新全総の中では指摘しているのです。しかもこの問題は、後継者の問題で私申し上げたのですが、後継者は
一つの引例でありまして、農業全般の中にこのような危機がずっと深化しているというところにより根源的な深い問題があるわけであります。私は秋田県の農村の出身でありますから、農家のいろいろな悲しみの声やら苦しみの声やら怒りの声やら、帰るたびに、山ほど、体の中にもうしみ込むようなかっこうであるわけで、もう体がふるえるような気持ちでいっぱいなわけであります。
そこで、このような、つまり農基法農政のときからぐうっとやられてきた——あのとき大臣がどういうことを言ったかというと、私は、
一つ例を引きますと、当時の
総理大臣の池田氏が何を言っているか。これは農地問題に触れた言葉ですが、農民が土地に執着するのは、もうぬぐい去ることのできない
中心的な重要問題だと言っているのですね。これを土台にして農業を伸ばしていくんだ、こういうことを言いながら、実際はどうであったかということを一応歴史的に検討してみることが、あなたの言う発想の転換、今後農業のあり方を変えなければならないという立場からするならば、そのことがぜひとも必要であると思うのです。
そこで、あの
基本法当時、
政府・自民党が掲げた目標とその実績がどうなったのか。こういうことで調べますと、農家戸数で言いますと、三十五年が六百万戸、これを目標年次の四十五年度には五百五十万戸にする、こういう予定でありましたね。しかし、実際出てきたのは五百五十万戸ではなくて、もっと多く減って五百三十四万戸であったのです。農業就業人口
一つとりましても、三十五年当時千四百五十四万人が、目標年次には大体千万人から千百万人ぐらいにしようじゃないか、こういうことでございましたが、実際その年度の中で何が起こったかというと、残ったのは千二十五万人で、千万人以上ということが目標でしたが、大体どっちも超過達成した。われわれの言葉で言えば大変なことをしてくれたということになるわけでありますけれども、そういう犠牲の中で、そうすれば自立経営農家が成り立つんだよというかっこうで皆さん方が問題を提起して、この自立経営農家——零細農民を切り捨ててそういう特定の農家を育成していこう、こういうかっこうの
政策の中で、皆さんは目標年次には最低百万戸の自立経営農家ができる、こうおっしゃったわけです。出てきたのは何ですか、三十五万戸。三分の一にすぎないわけです。
私は、ここで大変な問題があると思うわけです。つまり、農民の望まないもの、農民のいやがるもの、就業人口だとか農家戸数だとか、こういうものはどんどん目標以上に超過達成していく。その代償として自立経営農家はこうするぞとやったことが、自立経営農家の実態を見るならば、全く唖然たる状況が今日の実態ではありませんか。しかも、このようなやり方の中で、このような農業をつぶすと言えば言い過ぎかもわかりませんが、私から言わせればそのように思うわけでありますが、この中で、われわれの最も大事な食糧がどういうかっこうで痛めつけられてきたか。この歴史的経過を見るならば——これは皆さんの、農林省の三十七年五月十一日に公表した農産物需要と生産の
長期見通しとその結果という、これはまさにその当時から四十六年度を見通した農業
基本法第八条による公表結果であります。
それで見ますと、たとえば小麦につきましては、
昭和三十五年の自給率の実績が三九%あったのです。そこで、四十六年の見通しとして皆さんが期待したものは何ぼであったかというと、そのときに、三九%から四十六年には三二・五%から三六・七%へ落とそう、こういう
計画なんですね。ところが四十六年の実績として出てきたものは何だかというと、わずか八%。五十年はいまどうなっているか、四%。これは一体どういうことです。大麦、裸麦について見ましても、
昭和三十五年は実績として一〇七%であった。しかし皆さんの四十六年見通しを見ますと、これを九七・九%から一〇二・七%、こういうふうにやはり減らす
計画であったんですね。ところが、実績で出てきた四十六年度で見ますと二九%。去年の五十年度は一一%。またまたがたがたっと減ったんですね。大豆も同じことです。
しかも問題なことは、私がいま挙げましたように、このとおりの農業をやるぞ、土地も大事にするぞ、あれも大事にするぞ、自立経営農家もちゃんと暮らせるように都市並みのあれにするぞ、こう言いながら、出した
計画そのものを見ますと、全部減らしていく
計画なんですね。このことが私は農業
基本法の根本的な本質であるし、これはけしからぬことだと思う。下げる
計画を立てて、それ以上に下げていって、そしてもう歯どめのきかないところに、まさに農業危機へ追い込んできたという歴史的な足取りがここにはっきりあらわれていると思うのです。
しかも、こういう事態をもたらした背景を
一つ考えなければならないと思うのです。それはつまり
重化学工業優先だ。あるいは
アメリカ中心の外国農産物依存ですね。こういう
経済政策が優先的にとられて、そういうかっこうの中で、
国民の自給率だ。農民の問題だけでなくて、本当に
国民全体の民族の存立にかかわる、このような食糧問題そのものを、まさに世界にも例のないような危機的、破滅的状態にあなたは追い落としながら、いまだにそのうち
考え直さなければならないとか、それは
経済のせいだとか、あのせい、このせい。あなた方の責任をどう
考えているのかということを私は第一に聞きたいと思うのですけれども、いずれにしてもこのような、つまり国際分業という名前で言われているようでありますけれども、安易に外国依存のそういう
政策が大きい国の
政策の柱としてあって、その中で農業
基本法が位置づけられてきた。そういうことに対して、歴代の農基法農政以来の
政策のそういう
意味での戦後の総決算として、
三木総理は、いままでのこういう施策の、外国に安易に依存してきた、そうして
国内のそういう自給をつぶしてきたということに対する
反省があるならば、その
反省の言葉を、いま述べましたような総決算としても、私はここで
国民にお答えになる必要があるのではなかろうか、このように思いますのでお聞きするものであります。