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1976-08-04 第77回国会 衆議院 逓信委員会 第13号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十一年八月四日(水曜日)    午前十時三十五分開議  出席委員    委員長 伊藤宗一郎君    理事 稲村 利幸君 理事 加藤常太郎君   理事 志賀  節君 理事 三ツ林弥太郎君    理事 阿部未喜男君 理事 平田 藤吉君       金子 岩三君    亀岡 高夫君       廣瀬 正雄君    水野  清君       金丸 徳重君    久保  等君       下平 正一君    森井 忠良君       田中 昭二君    池田 禎治君       小沢 貞孝君  委員外出席者         郵政政務次官  羽田  孜君         郵政大臣官房電         気通信監理官  松井 清武君         郵政大臣官房電         気通信監理官  佐野 芳男君         日本電信電話公         社副総裁    秋草 篤二君         日本電信電話公         社総務理事   遠藤 正介君         日本電信電話公         社理事     玉野 義雄君         日本電信電話公         社経理局長   中林 正夫君         参  考  人         (武蔵大学学         長)      岡  茂男君         参  考  人         (日本経済新聞         社論説委員)  鈴木 幸夫君         参  考  人         (経済評論家) 高原須美子君         参  考  人         (日本消費者連         盟代表委員)  竹内 直一君         参  考  人         (法政大学工学         部教授)    力石 定一君         参  考  人         (新日本婦人の         会事務局次長) 八島 澄子君         逓信委員会調査         室長      佐々木久雄君     ————————————— 委員の異動 六月二十二日  辞任         補欠選任   池田 禎治君     小沢 貞孝君 七月十六日  辞任         補欠選任   小沢 貞孝君     池田 禎治君 八月四日  辞任         補欠選任   森井 忠良君     下平 正一君   池田 禎治君     小沢 貞孝君 同日  辞任         補欠選任   小沢 貞孝君     池田 禎治君     ————————————— 本日の会議に付した案件  公衆電気通信法の一部を改正する法律案(内閣  提出第八号)      ————◇—————
  2. 伊藤宗一郎

    伊藤委員長 これより会議を開きます。  公衆電気通信法の一部を改正する法律案を議題といたします。  この際、一言申し上げます。  本日は、参考人として武蔵大学学長岡茂男君、日本経済新聞社論説委員鈴木幸夫君、経済評論家高原須美子君、日本消費者連盟代表委員竹内直一君、法政大学工学部教授力石定一君、新日本婦人会事務局次長八島澄子君の御出席をいただいております。  参考人各位には御多忙のところ御出席いただきまして、まことにありがとうございます。  本日、御意見を伺うことになっておりますのは、第七十七回国会において本委員会に付託になりまして閉会中審査に付されております公衆電気通信法の一部を改正する法律案についてであります。本案は、日本電信電話公社財政基盤の確立を図るため、電報電話に関する料金を改定すること等を内容とするものであります。閉会中ではありますが、この際、本委員会は広く国民意見を反映させるため、皆様方の御出席をお願いいたした次第でございます。どうぞ御忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。  なお、議事の順序といたしましては、最初に参考人各位より十分ないし十五分程度意見をお述べいただき、その後委員から質問があればお答え願いたいと存じます。また、議事規則の定めるところによりまして、参考人方々が発言なさいます際には、委員長の許可を得ていただくことになっており、参考人委員に対して質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめお含みおき願いたいと存じます。  それでは、まず岡参考人から御意見をお述べいただきます。岡参考人
  3. 岡茂男

    岡参考人 それでは時間も限られておりますので、私が今回の改正案につきまして感じました問題点のみをお話し申し上げたいと思います。  公社経営がこのところ悪化しているということ、したがいまして、健全な経営基盤を確立する必要性があるということは、これは当然であろうと思います。しかし、この点について見ましても、なぜ経営が悪化したか、そういう一般的な観点から見ましても、利用度の低い住宅電話というものが六割を超えるようになったというふうなところから収入が減ったために公社経営が悪化したのだ、そういう側面もあるかと思いますが、それと同時にこの経営の悪化の原因の主たる要因としましては、やはり支出の面にも大きい原因があるのじゃないか、そういうふうに思われるわけであります。  たとえば利用度低下ということを見ましても、むしろ家庭用住宅用電話よりも事務用電話の方が利用度低下率ははるかに大きいわけでありまして、支出の面から見ますと、非常に支出面が最近の不況、それから、さらには経済が低成長時代に入った、そういうような情勢重大変化ということを前提として見ましたときに、今後予定されております支出というものが、果たしてそれが適正であるのかどうか、絶対不可欠であるのかどうか、特にこの建設投資等がそういう適正規模のものであるかどうかというところに一つの重要な問題があるのじゃないか。ですから、簡単に申しますと、支出を減らすことができるならば、経営赤字というものもかなり減らすことができるわけでありまして、収入も減ったとは申しましても、相対的な減少にすぎないわけであります。  それから料金そのものについてでございますけれども、まず第一点としまして、料金体系そのものは従来とは少しも変わっていない。つまりこれまでの高度成長時代料金体系そのものには何らの変化はないわけでありまして、ただ、収入をふやすために二倍ないし三倍というふうな単純な値上げ案が今回提出されているように思われるわけであります。もしもこれが増収だけを目的とした値上げ案であるといたしますと、その意味においてはこれは安易な値上げ案ではないのか、そういうふうに思われるわけです。と申しますのは、最近、一昨年でしたか、電灯料金等改正に際しましては福祉型の料金体系というものが導入されているわけでありまして、電話も、電気ほどではないにいたしましても、これは明らかに必需品と言えるものでありまして、こういう電話等につきまして福祉型の料金制度体系というものがこの際導入されてしかるべきではないだろうか、つまりある程度の応能性というふうなものも考慮されてしかるべきではないかというふうな気がしたわけでございます。  特に今回の値上げ案を見ますと、利用度の少ないものほど値上げ率が大きくなる。これは基本料倍額値上げになりますので、度数料の方は四二%ぐらいですか、そのために利用度が少なくなりますと値上げ率が高くなる。したがって、事務用よりも住宅用の方が値上がり率が高くなる。そういう意味ではいわば逆福祉的な値上げ案となっていることは否めないのではないかと思います。しかも、こうしたある意味では単純な値上げ案というものが実施されますと、当然これは需要減少をもたらすわけでありまして、この需要減少が、加入者減少ということと同時に利用度減少という形で減収をもたらす、そういう効果も一面においてあるわけであります。しかし、もしもこうした料金値上げ需要抑制目的としているものであるといたしますと、需要抑制によって完全充足ということが図られるというふうなことになりますと、これもどうも福祉的な観点が欠落しているようにも見えるわけであります。  それから第二点といたしまして、料金が十三年間据え置かれたというふうな文章も拝見したのでありますが、これは事実に反するわけでありまして、通話料基本料設備料電報料はもとより、これまで何回かにわたって実質的な値上げが行われています。それからまた、外国料金よりも相対的に安いと言われております。これは私も事実だろうと思いますが、しかしそれもただ単に料金だけを比較することはできないのではないか。つまり、加入者債券というふうな外国に例を見ないような強制的な負担というものもありますし、それから度数料等、これはアメリカヨーロッパ等諸国に比較してみましても著しく高いわけでありまして、そういう意味では、やはり総合的な負担というものは料金だけの比較だけでは必ずしも判定できないのではないかと思われます。  それから、収支部門別に見ますと、電話部門というのは従来は非常に大幅な黒字を出してきましたし、不況下の現在においてもほぼバランスのとれた状況が続いております。したがいまして、部門別独立採算というふうな見方からするならば、電話料金値上げ必要性と申しますか、根拠はないわけであります。しかし、ほかの電報部門みたいな赤字を抱えておりますので、そのためにこの部門料金負担をするということはある程度はやむを得ないだろうと思います。  しかし、そのほかにもデータ通信部門におきましてはかなりの赤字を抱えているわけでありまして、その他の電報以外の部門におきまして赤字があるにかかわらず、そこの料金は据え置きのままで、一般国民が多く利用する電話料金部門においてもっぱら値上げを図るということは、社会的な公正と申しますか、そういう観点からやはり若干問題があるのじゃないかというふうに思われます。  もちろんデータ通信は昨年約三割程度値上げをやっておりますのでまだしもでございます。ところが昨年、専用料金は最高六〇%にわたります大幅値下げを実行しているわけでございます。もちろん七キロ以下の近距離は除かれておりますが、そういう長距離専用線料金が六割にも及ぶ大幅値下げをして今回は値上げをしない、値下げのまま据え置くということ、これもこういう料金の公正といった観点からやはり問題のある点ではなかろうかと思うわけであります。  一般的に公社料金問題を見まして、料金決定原則というものが余りはっきりしていない、きわめて不明確である、そう言えるのではないか。しかも原価というものが公表されていない。公衆電気通信法の第一条には料金に関しては「合理的な料金で、」という七文字の規定しかない。「合理的」といってもこれはいかようにも解釈できるわけであります。したがいまして、料金原価との関連と申しますか、料金根拠というものがどうもすっきりしないように思われます。それと料金決定手続というものがアメリカヨーロッパ諸国に比べまして民主的でないのじゃないか。そういう料金決定原則をはっきりさせ、さらには手続そのものをさらに民主化するような必要性があるように思われます。  それでは時間が参りましたので終わります。
  4. 伊藤宗一郎

  5. 鈴木幸夫

    鈴木参考人 鈴木でございます。参考人として若干公衆電気通信法の一部改正についての意見を申し上げてみたいと思っております。  私はまず結論を先に申し上げますと、今回の電話電報料金値上げにつきましては、諸般の情勢から見てやはりやむを得ないのではないかというふうに考えております。むしろ、国会がこういう形でおくれておりますが、この実施がおくれれば、公社自体経営の改善がおくれるだけではなしに、あるいはまたサービス低下が再び問題になるというだけではなしに、電電公社関連する、数で言えば大体二千四百社ぐらいになるかと思いますけれども、相当数関連企業にも相当な影響を与えるであろう。特に中小の企業関連してたくさん電電関連の仕事をやっておりますので、そういうところが相当大きな影響を受けるのではないかというふうな感じもいたします。したがいまして、後で申し上げるように内容にはいろいろ問題があるかもしれませんけれども、当面この法案をできるだけ早く成立さしていただいた方がよろしいのではないかというふうに考えているわけでございます。  もちろんいま申し上げましたように、値上げの案の内容なりその理由の説明についてはいろいろまだ追及しなければならない点がございます。特に細部を吟味いたしますと決して問題がないわけではないわけで、私自身は今回の賛成については決して無条件で賛成しているわけではありません。  先ほどもいろいろ御指摘がございましたけれども、たとえば遠距離料金の非常な割高の問題と近距離が非常に安い、特に東京都内の場合は非常に安いというような問題がございます。こういう料金体系自体をどういうふうに是正していくかという議論が十分に詰められていないという問題。あるいは電報料金でございますけれども、これも後で申し上げますが、いまのようなコスト割れ状況の中で、電報制度というものをいまのような形のままで維持していくことが果たしていいのかどうかということまでもう少し深く突っ込んで検討してみる必要があるのじゃないか。あるいは野党の方々が問題にされておりますように、料金決定をめぐる制度だとか組織だとか、そういうもののあり方の問題についてこれもやはりもっと総合的な見地から検討してみる必要があるのではないか。こういったような点について私自身もいろいろ疑問を感じている点があるわけでございます。しかし非常に拙速的な言い方かもしれませんけれども、こういったような問題をいま非常にがっちりと根本的に議論していこうといたしますと、かなり時間もかかる。実際的にはなかなかこの数ヵ月やそこらで結論がつくような問題だとは思いませんので、そのことのために何が何でも値上げ決定をおくらしていいのかどうかということについては、私はやはり基本的に疑問を持っております。これは電電公社にとっては大変都合のいい意見になりますけれども、私は、上げるべきものは上げて、その上でもっと制度的に内部の補完的な是正を図っていくということに重点を置くべきではないか。そういう意味条件つき賛成という立場をとっているというふうに受け取っていただいて結構だと思います。  そこで問題点でございますけれども、まず私自身の基本的な考え方からすれば、公共料金というものの中で電報電話料金というものをどういうふうに位置づけして考えるかということから申し上げてみたいと思います。  これは、委員さん方、専門家方々が多いわけでございますので、蛇足になるかもしれませんけれども、私自身は、公共料金というものは何が何でも安ければいいというふうには考えておりませんし、これは当然なことだと思いますが、特に国の政策としてどうしても低く抑えなければならないという政策的な配慮というものが必要な分野というものは何であるのかということをいろいろ検討してみる必要があります。たとえば福祉、特に社会政策的な観点からいわゆるシビルミニマムの保障といったような問題とか、あるいは低所得者に対する所得の再配分の問題だとか、あるいは資源の適正な配分の問題だとかいうふうな見地、あるいは政府ができるだけある特定の部門について消費だとか需要を拡大していきたいというふうなねらいがあるもの、そういったようなものについては政策的に料金を低く抑えるということは必要なことだと思いますが、一体その限度というものをどう考えるかということをもう少しやはり国会でも十分に議論していただく必要があるのではないか。そういうことがはっきり詰まってくれば、それは当然財政でカバーすべき問題だと思います。  そこで電報電話料金の問題でございますけれども、電話料金の場合も、たとえばよく問題になりますように、寝たきり老人、体が動かなくなってしまった高齢者方々電話がなければどうにも生活ができないし、人に助けを求めることもできない、しかも電話料金支払い能力がないという方々に対しては、いまでもすでにそういう政策的配慮は加えておりますけれども、こういう分野についてはもっともっと徹底的にできるだけのことをする必要がある。そのために財政負担が必要であれば大いにやるべきであろうというふうに私は考えておりますが、そうではなくて、一般的な個人家庭住宅用電話だとか、あるいは事務用電話の場合、これを一律に何が何でも抑えなければならぬかという点については私は大変疑問に思っておりまして、むしろ高くなったから需要がかえって減るじゃないかという議論もありますけれども、この程度値上げでしたらばそんなに需要は減らないと私は個人的には考えておりますので、個人住宅増加によって非常に公社経営採算が悪化したということが上げなければならない一つ理由になっておりますので、そういう面から見ても、先ほど岡先生指摘のように、設備部門支出部門において若干問題があることは事実でございますけれども、基本的な原因個人住宅電話増加ということであるとすれば、そういう見地からやはり上げることをいとうことは非常に間違っているのではないかというふうに私は考えているわけでございます。これまで公社が一応四十八年度までどうやらこうやら収支を償ってこれたということは、やはり技術革新というものが非常に進んでおりまして、合理化だとか生産性の向上の余地というものが非常にあったということであるわけですが、しかしよく調べてみると、その四十八年に至るまでの数年間も、せいぜい一%か二%ぐらいの利益しか上げていない。常識で考えてみても、当時のいろいろな経済計画なり開発計画というものを前提にして考えると、いずれ個人住宅電話ウェートがより高くなってきて公社収支が悪化するということは、もうその当時から実は専門家であれば予測がついたことであるわけです。むしろ私は、ここで公社方々もいらっしゃるので一言申し上げておきたいのですけれども、こういうふうになることはわかり切っていながら、なぜいまごろになってがたがたと騒ぐのか——がたがたというのは大変失礼ですけれども、少々どろなわ式ではないかというふうな感じがするので、むしろもっと早くから打つべき手を打つ必要もあっただろうし、同時にまたそのための国民全般に対するPRの仕方、あるいは説得の仕方というものも十分に考えた上でやるべきではなかったか、その点についてはいささか官僚的な行動の鈍さがあったのではないかというような気もするわけでございます。  それから二番目の問題でございますが、先ほど申し上げたように、収入のわりに支出の多い住宅用電話増加ということが一つ原因になっているわけでございますが、一般的に、国民一般意見は、どうも住宅用電話の方はできるだけ上げるべきではない、事務用電話の方にもっとウェートをかけて上げていくべきであるという意見の方が強いわけでございます。私は、現在の料金体系においても事務用電話の方が基本料金にしても度数料にしても高いということになっているいまの格差というもの、これはどこの国でもそういう格差があるわけでございますし、それが理論的にどの程度適切かということは別といたしましても、それは個人の方になるべく安くしていくという考え方が間違っているとは思いません。しかしながら、さっき申し上げたように、今回の値上げ理由個人住宅用電話増加ということが非常に大きな原因であるということもありますし、値上げをする場合に、何が何でも住宅電話の方を抑えて事務用の方に傾斜をかけるというやり方がいいかどうかには、私は非常に疑問を持っているわけでございます。現に、現在の料金というものが本当に実態面企業優遇と言えるのかどうかということについては、いろいろ見方がございますけれども、私個人はそうは思っておりません。むしろ、ことさら住宅電話を安くするために事務用電話の方にしわを寄せることを余りいろいろ考え過ぎると、かえって問題がいろいろ起こってくるのではないか。現に今後安定成長と申しますか、減速成長と申しますか、企業一般収益率というものがかなり鈍化してまいります。企業コストというものは人件費を含めましていろいろ高まってまいります。その中で企業に対してそういう負担をふやすということは、これは全体としてふえていくのはやむを得ないことですけれども、ことさら企業に対してふやしていくことが果たしてどうかという問題は、たとえば物価に対する影響の問題だとか、あるいは場合によっては雇用に対する影響というような形で上がるかもしれない。いささかオーバーかもしれませんが、私は決して企業擁護という意味ではなくて、何かそこに感覚的企業批判的なものが少し強く出過ぎているのではないかという感じがいたします。  これはちょっと余談でございますけれども、最近の政治社会情勢の中で企業に対するいろいろの批判が強まってきていることは事実でございますし、政治との問題だとか、あるいは企業意思決定の問題だとか、あるいは企業市場行動におけるルールを逸脱した問題だとかというふうな問題は、これは社会的にも政治的にもいろいろ問題にしなければなりませんけれども、その問題と電話料金の問題とはやはり別でございまして、電話料金電話料金で、やはりたくさん使った者ができるだけ多く負担しなければならぬということにならざるを得ない。先ほどお話がありましたように、利用度の少ない者ほど高くなる傾向があるというお話がありましたけれども、確かにそういう面がないとは言えませんけれども、全体的に見た場合に、電話需要というものが相当急速に拡大してきて、収支の償わないものが非常に多くなっていることは事実であるという面から考えますと、その辺はやはり今回の引き上げを認めることはやむを得ないのではないかという感じがいたします。  これはいささか余談になるかもしれませんけれども、先ほど指摘のありました専用線の問題にいたしましても、確かにこの専用線料金が適正かどうかということはいろいろ問題のあることだと思います。しかし、これが企業優遇というふうに一般に言われておりますけれども、これは公社にとってはむしろドル箱でありまして、非常に黒字になっておるわけで、黒字になっているということ自体が実は負担する側から見ればどういうことかということにもなるわけでございまして、むしろ収益が上がっているのに今後一般的な電話料金引き上げに対応しながら仮に値上げをしていくというようなことになると、企業にとって本当にそれが割り安であるかということについての疑問というのはますます大きくなってくるのではないかという感じもいたします。  しかし、一般的に専用線の問題というのはいろいろ御批判がありますけれども、たとえば車で言えば、ダンプカーが通る道と自転車が通る道とはやはり仕分けして、区別して通す、そうしてやらないと、仮にこういう専用線的なものをどんどん設置しないということになりますと、一般個人電話にもやはり相当影響が出てくるというふうに感じますし、もうこういうものは区別せざるを得ないし、また区別するために設備投資がいろいろかかるということもある程度はやむを得ないのではないか、こういうふうに考えているわけでございます。  それから、日本電話サービス外国より、まあフランスだとかイギリスあたりに比べてみますと大変公衆電話の数も多いし、かければすぐかかるというふうなことで評判もよいし、基本料金とか通話料については非常に安い。設備費は確かに高いわけです。今度また引き上げになるわけでございますけれども、これは一遍設備費を払って電話を自分の物にすれば一生その人の権利としてそれはついて回るわけで、外国の場合のように、人が変わったらば、一々新しく設備費を払わなければならぬということにはならないわけで、そういう点で見ると、果たして日本電話設備費負担というものが本当に高いかどうかということは、もう少しやはり長い目で考えてみる必要があるのではないかというふうな感じがいたします。  ただ、これもまた公社に対する注文でございますけれども、今回のようなこういう値上げのときはパンフレットを配ったりいろいろ、大いにPRをなさるのは大変結構だと思いますけれども、日常的な国民に対するPR活動というものが果たして十分かというと余り十分ではない。また営業に対する——公社というものは公共的な仕事ですから若干お役所的な感覚になるのはやむを得ないとは思いますけれども、それにしても、たとえばプッシュホンを大いに宣伝しようというときには上から下まで、朝から晩までプッシュホン、プッシュホンと言っておって、ほかの、たとえば桃色電話をつけたいとかなんとかということを言ったって、もう公社の出先の人たちはそんなことには気が回らないで、ともかくこれをお使いなさい、これがいいんですと、そればっかり宣伝しているという、何か融通のきかない、思い込んだら命がけみたいなところが非常にあって、何かがあるとまたすぐがらっと変わって、また別なことを宣伝するというようなところがあります。いまのように小型の電卓が普及しているようなこの世の中に、プッシュホンで一々計算なんかする、料金払ってやるというのもどうかなというふうな意見は、当然一般の利用者の中にもあるわけでございますが、そういう点はどうも余りやり方がお上手ではないというふうな問題があるので、これはもう公社一つの体質的な問題につながってくるのではないか、こういうふうに考えるわけでございます。  余り長くなりますので、もう一言だけ申し上げますが、電報料金、これは今回の値上げ問題の一つの大きなポイントになっておりますが、私は、たとえば「チチキトク」だとかそういったような緊急の必要やむを得ざる電報、しかも電話が通じない地域、あるいは通したくても通せないような事情のある家庭といったようなそういう人たちに対してはやはりこの電報というものが依然として社会的な役割りを持っているということ、これは否定するものではございません。したがって、そういう電報のどうしても必要な、電報でなくちゃ役に立たないというふうな地域につきましては、特別に電報料金についても値上げについては配慮を加えるべきであるというふうに私は考えているわけでございますが、一般的な慶弔電報だとか、あるいは事務用電報というものについては取引上どうしても電報でなくちゃまずいということもあるかもしれませんけれども、現実に最近利用度がだんだん減ってきておりますが、むしろこれはもっと大幅に上げてもいい、慶弔電報も何もこんなに遠慮して小幅にすることはなかったのではないかというふうに私は考えております。いささか乱暴かもしれませんけれども、むしろ電報はどちらかというと禁止的な料金にしてもいいのではないかというふうに考えておるわけでございます。その理由は、もちろん電報事業というものの将来性、採算性という面から私は基本的に疑問を持っておるというふうに申し上げたいわけでございます。そのかわりさっき申し上げたように、採算はある程度合わなくても、どうしても電報でなくちゃ役に立たないような地域についてはある程度政策的な料金によって電報を配達する。その場合も、たとえばいまやっているような民間委託だとか、あるいは場合によったら警察の派出所などを使ってお巡りさんにたまには電報を配ってもらうのもいいのではないか、「チチキトク」の電報くらい配ってくれたっていいのじゃないかとわれわれは思っておるわけでございますけれども、そういうことによって人件費の節約を図るとかいうこともできるのではないか。そのかわり他方において雇用問題、組合問題も起こってくるわけでございますが、これはまた別の問題として合理化を図っていかざるを得ないというようなふうに考えておるわけでございます。  それから償却の問題についていろいろ御議論があるようでございますけれども、私もそちらの方の専門家ではございませんが、現在やっておる定率制というものをあえて定額にしなければならない理論的な理由というものはやはり乏しいのではないかというふうに考えております。むしろ技術上の変化というものがいろいろ激しい電信電話設備というものを考えた場合には、今後ともやはり定率制をできるだけ維持していくべきじゃないかというふうに考えているわけでございます。そのことの是非はともかくとして、いま定額制が問題になっておりますのは、とりあえず当面の赤字を見せかけだけ減らしていこう、したがって料金値上げをやめようというだけのことであるならば、結局問題は依然として後々に残ってくるわけでございまして、当座はそれで償うことができたとしても、後々にいろいろ問題を残すのではないかというふうに感じるわけでございます。したがって、これは議論を大いに詰めるべき問題だとは思いますけれども、見せかけの赤字を解消するために定額料金をどうのこうのという議論には、私はあくまで個人的には若干疑問を持っておるということを申し上げておきたい。  最後に先ほどこれは岡先生から御指摘になりました問題でございますが、日本電報電話料金というものは一体どういう理論的根拠でいまのような値段になっておるのかということは、実は私もよくわかりません。外国がこうだとかあるいは過去のいきさつがこうだったということでなっておるわけですが、たとえば二十八年に七円の料金を決めたときに、たしかあのころは五円という説もあれば十円という説もあればいろいろあったと思いますが、なぜ七円に決めたかというと、間をとって七円にしたという、感じ議論だったのではないかと思います。こういったようなことも、電話というものはコストの面、需要の面、それから供給サイドのいろいろな問題それから値上げした場合の波及効果、情報伝達の役割りとしてのいろいろな位置づけといったような問題を全部ひっくるめて総合的に検討すべきではないか。この点については、ここにも先生方たくさんお見えになっておられますけれども、私はその日本の専門の学者の方々にこういう問題をもっと専門的に総合的に研究していただきたい。いままでこういう点について十分御議論がなくて一部の専門の方からいろいろ御意見はございましたけれども、もっともっとやはり総合的な見地から電話料金の問題というものを議論していただくことが必要なんじゃないかというふうに考えております。これは国会だけではなしに専門の先生方に対する私自身の注文であるわけでございますが、以上のようなことでいろいろまだあと申し上げたいこともございますけれども、私自身個人的な見解といたしましては、当面今回の値上げはなるべく早く実施をして、実施をしながら問題をいろいろ洗い直していき、それによって今後料金体系その他を合理的に是正していくように漸進的に努力することしか、いまの段階では現実的な方法はないのではないか、こういうふうに考えておるわけでございます。  どうも長時間ありがとうございました。
  6. 伊藤宗一郎

  7. 高原須美子

    ○高原参考人 高原でございます。国会という晴れがましい場所に呼ばれて意見を言うのはきょうが初めてだものですから、近来になく緊張しておりますので、お聞き苦しい点があるかもしれませんが、その点お許しいただきたいと前もってお願いしておきます。  私としては、参考人といたしまして次の三点について意見を申し述べたいと思います。  第一は、今回の料金値上げに対して私がどう考えるかという点、第二は、料金体系に対して私なりの希望がある、その希望を申し述べ、第三点といたしまして料金決定方法についてちょっと意見を申し上げたい、この三点について意見を申し述べていきたいと思っております。  まず、第一点の料金値上げに対する考え方でございますが、私はまずそれを申し上げる前に、私自身公共料金というものについてどう考えているか、その基本的な私見をまず申し上げたいと思います。  いま鈴木さんからも公共料金についてのお話がありましたけれども、私は公共料金経済原則あるいは経済性にのっとって決められたのが最も効率的だと考えております。私自身は、大変景気のよくない会社に勤める主人を持ちまして、ベースアップもないしボーナスもほとんど出ないというような会社でございますので、その家計を預かる主婦として家計の運営には大変苦労いたしておりますので、できることなら必需品である公共料金というのは低く抑えていただきたいという気持ちなのでございますが、一方、経済を学んだ身といたしましては、やはり公共料金といえども経済性にのっとってコスト上昇分については値上げもやむを得ないではないかと考えて、主婦と評論家という二つの立場のジレンマに陥っているのでございますが、やはりこれは理屈として考えるべきでありまして、やはり経済原則にのっとっていくのが最も効率的であり、結局はその消費者のマイナスも少ないのではないかと考えているわけです。しかし、狂乱物価のような特殊な事情のときには、一時期公共料金を抑えて値上げに拍車をかけないというような形での対策はもちろん必要だとは思っております。  しかし、そのコスト上昇について経済性にのっとって認めると申し上げましても、水ぶくれのコストまで認める気は毛頭ございませんので、合理化努力、企業努力を十分に行った上で、やむを得ないコスト上昇についてのみ厳重なるチェックをした上で認めるべきではないか、これが結局は長い目で見て消費者としても損ではないのではないかと考えているわけでございます。  こうした基本的な考えにのっとりまして、それでは今回電電公社が出しておられる、申請しておられる公共料金改正というものについてどう考えるかということを次に申し述べたい。本当にやむを得ないコスト上昇であるのかどうなのか、その辺を次に検討してみたいと思うのです。  私、やはり主婦としてはできるだけ値上げがない方がいいわけですので、余り甘い採点ではなくいろいろ検討してみたのでございますが、その結果を先に申し上げれば、まあやむを得ないといいますか、条件つき賛成あるいは反対できないようなという感じの消極的賛成と申しますか、そういう結論になったわけなんです。  そして、電電で発表していらっしゃる資料を拝見いたしますと、加入電話一台当たりの支出というのは四十八年から五十年にかけて約一二%上昇しているわけでございます。このコストアップの理由を見ますと、それは人件費とそれから支払い利子の増加ということになっているのですが、このコストアップというのは本当に合理化の末、企業努力の末にやむを得ず出たものなのかどうか検討いたしますと、公社の場合、自動化それから小さな局の無人化というような形で省力化を中心に大変合理化は進んできていると思うのです。それが合理化でいままでコストアップを吸収して二十三年間、先ほど実質的な値上げはあったとはおっしゃいましたけれども、決定的な値上げをせずに今日まできた理由ではないかと思いまして、合理化努力はかなり認めてもいいのではないか、そういう気がいたします。  それから、コスト上昇がありました場合に、もう一つは、売り上げを増進することによってそのコスト上昇を吸収することもできるわけでございますけれども、最近電電公社の場合、数字を見ますと、さっきからたびたびお話が出ておりますように、非常に住宅電話がふえまして、その加入電話に占める比率が六〇%を超え、今後の新設電話では八〇%になるのではないかという数字が出ているわけでございます。それを見ますと、やはりこの売上増進によってコストアップを吸収するというのも無理で、逆に一台当たりの売り上げというのは減少しているような形で、ここでも電話の普及に努力すれば売り上げも伸び悩むあるいは売り上げが落ちるというジレンマにぶつかるわけでございまして、この辺でやはりコストアップの吸収は無理ではないかと思うわけでございます。  そうしますと、合理化努力、売上努力でもカバーできないコスト上昇分については、値上げを認めても私としてはやむを得ないんではないか。ただし、その場合にはそのコスト上昇の幅について厳重なるチェックをして、それを十分チェックした上でお決めいただきたいと思うわけでございます。  私自身はコストをチェックするという上で二つの疑問点を感じておりますわけで、今後値上げ幅を御決定なさる上ではこの辺を厳しく検討して決めていただき、なおかつ将来の課題として電電公社にも解決に努力していただきたいし、私自身消費者として厳しく見ていきたい点がございます。  それは二つの点で、第一点は、非常にさっき自動化により合理化が進んだと言ってほめたわけでございますが、その合理化というのは自動化中心ですと非常に人間が浮くわけでございますが、その浮いた人間というものは本当に活用されているのかどうかという点なんでございます。電電公社が出しておられる数字では、一人当たり生産性が非常に高くなったというように出ておりますけれども、三十一万人もの大きな世帯で、本当に十分にその人間が活用され、人件費の上昇を抑え込んでいるのかどうか、その点はぜひ問題にしたいと思います。  それからもう一つは、人間の適正な活用あるいは生産性の向上と絡んで、電報についてももっと合理化ができないのかどうか、その辺も検討すべき点ではないか、そのコストアップを見定める際に検討すべき点ではないかと思うわけであります。電報は今日非常にもうウェートが減ってきておりまして、しかもその中で緊急電報というのは二%しか占めないということでございますので、この辺今後電話が普及するにつれてどういうふうにするのか、電報のあり方についても根本的に——先ほど鈴木さんの御意見もありましたけれども、根本的に考え直す時期が来ているのではないか。この電報とそれから自動化による人間の問題、この辺はぜひ厳しくチェックしていただきたいし、私自身消費者としてもチェックしないといけないと思う点でございます。  それから次に料金体系に対する希望を申し上げたいと思います。これが第二番目の柱でございます。  先ほど料金体系についてはもっと専門的に検討を加えなければいけないというのがいままでお二人の参考人から出ておりましたけれども、私自身、今回値上げはやむを得ないにしても、その場合には私ども利用者がなるべく大きな効用を受けるような形での料金体系をとった上で値上げをしていただきたいと思うのです。そしてその第一点として、細かくなりますけれども、具体的に申し上げたいのは、夜間とか休日の割引をもっとしていただけないかという点なんです。電電公社の設備というのはピークに合わせてつくられており、このピークというのは事務所、企業電話が使う昼間なんですね。そうしますと電電の場合設備産業でありまして、そのピークに合わせた電話の設備というのは夜間とか休日においては遊んでいるわけなんです。そうしますと、そのピーク以外の遊んでいる時間をもうちょっと利用者にサービスして住宅用に安く使わせても、これは電電公社としては決して採算も悪くならないし、私どもは安い料金でもし二倍かけられるものでしたら利用者としてはそれだけ便益がふえるわけでございますので、ぜひこの辺を検討していただきたいと思うのです。いままでも夜間八時から四割程度の割引が行われていますが、これは諸外国と比べますと、諸外国では割引幅はもっと大きいようですし、あるいは休日、土曜、日曜、祭日の割引もあるようですので、その辺消費者が、利用者が自分の選択で安い料金の時間にかけられるようにしていただけたらと思うのです。私自身寝たきり老人を自宅に抱えておりまして、そういう場合にはこういう電話だけが唯一の楽しみですと、やはりそういう人たちは、夜ゆっくり、安いときに電話を使えばよろしいわけですし、そういう選択ができるような形にしていただけたらと思います。  それから二番目に、料金体系としての私の希望なんですが、慶弔電報というのは、電報が今後合理化が進められないという限界に来ているとすれば、私はもっと値上げしてもいいのではないかと思うのです。この慶弔電報というのは非常に虚礼的なものでして、お使いになるのは企業とかあるいはおつき合いの広い、高い所得者だと思いますので、この辺はかなり——別に皮肉を申し上げているわけではございません。この辺も値上げ幅は考えてもいただいていいのじゃないかと思うわけです。  それから、最後に三番目の柱として、料金決定の方法についての意見を申し上げたいと思うのですが、公共料金の決め方には、御承知のように国会の議決を経るもの、政府が決定するもの、政府が認可するものと三種類あるわけでございまして、電電は国会の議決を必要としているわけでございます。そうしますと、私は、国会で議決をする必要があるのかどうか、それがよいのかどうかという点につきまして最近疑問を感じてきておりますので、これは将来の問題ではありますけれども、この際検討していただけたらと思うわけでございます。  なぜ国会での議決に疑問を感じるかと申しますと、私は、先ほど申し上げましたように、料金というのは経済原則で決められるのが最も効率的だと思うわけなんですが、国会の議決を通しますと、どうしても政治情勢に左右されてしまいまして、政治の方で動くことになってしまいますと、どうしてもそこに矛盾が出てくるのではないかと思うわけです。たとえば国鉄を例にとりますと非常にわかりやすいわけで、私自身は国鉄の経営について批判はしたりしておりますけれども、何か気の毒な点もありまして、この前の値上げのときに政治で大分おそくなって、それが赤字原因になっている面も今日の国鉄経営悪化の一つ原因ではないかと思いますので、それを考えていただきたいと思うのです。  それから第二の疑問なんですが、国会で議決するといいますと、これは民主主義の最高の方法であるとは思うのですけれども、きめ細かい民意というのが反映されるかどうか。電力の場合には公聴会を開き、この公聴会が形式的だと言われますと、今度は民間公聴会を開いたりして、非常に消費者とコミュニケーシヨンを図り始めているわけなんですが、国会で決めるとなりますと、どうしても電電公社国会議員さんの方に顔が向きがちで、消費者とのコミュニケーションの図り方もほかの企業に比べて少なく、ちょっと官僚的だというような感じもいたしますので、これも料金決定方法に原因があるのではないかと考えるわけでございます。  こういう政治で動かされる、きめ細かな民意、利用者の声が反映できないという意味で、何か料金決定の方法についても今後検討があった方が公社経営のためにも、われわれ利用者のサービスのためにもいいのではないかと考えるわけでございます。  以上、三点だけ意見を申し述べさせていただきました。
  8. 伊藤宗一郎

  9. 竹内直一

    竹内参考人 竹内でございます。  電話電報料金意見を述べます前に、公共企業体というのはどういうものかということをまずお話をしてみたいと思うのです。  公共企業体の国鉄、電電それぞれ事業をやっておりますけれども、これは民間私企業がやってもちっとも差し支えない性質の仕事だろうと思うのですが、なぜあえてそれを公共企業体という形でこの事業をやるか、そこにはある政策目的がなければならない。民間と同じように、営利競争をやるために国が、公共企業体が事業をやるというのでは、これははっきりした目的はないのじゃないかというように思うのです。  そこで、あえて国やあるいは地方自治体が、こういう民間がやってもいい事業になぜ手を出すか、その目的は何かと言えば、やはりそれは福祉というか、一般公共のために必要だ、民間企業では利益が上がらないのでその事業をやめていく、これは自由経済原則なんですけれども、それではわれわれの福祉が保てないからというので、民間が利益がないからやめるという性質のものであっても、引き続き維持していくために国や地方自治体が手を出している、そういうように考えるわけなんです。  そういう考えのもとに、公共企業体が事業をやっているという場合の経営原則というのは、いま盛んに言われているように、受益者負担、それから独立採算、これが非常に強調されているわけなんです。これは確かに民間私企業はつぶれるのも自由、つくるのも自由という、営利を目的とする企業であるのは当然のことなんですけれども、政府や地方自治体が関与する事業については、そういうような民間私企業経営原則をもろに持ち込むということは間違いではないか。所得の高い低いにかかわらず、お金のある人だけはそのサービスを得られるというのは、これは民間私企業原則だと思いますけれども、そうでなくて、所得の低い人も高い人も平等にそのサービスが得られる、そういうことを目的とした企業体が公共企業体であり、それぞれの法律の第一条にそう書いてあります。  そういうことからいたしますと、公共企業体の経営原則というのは、何もでたらめにやれという意味ではなくて、やはりきちっとした、収支を償うという、そのけじめがなくてはいけませんけれども、しかし、赤字だから、コストを賄うために、収入を上げるために料金を上げる、民間私企業原則をもろに持ち込むことはない。その負担原則というのは、受益者負担あるいは利用者負担原則ではなくて、負担能力に応じて負担をする、応能負担原則というものを基本にすべきではないかというように考えるわけです。  そういう前提に立って、今度の電話電報料金値上げについてお話をしようと思うのですが、その前に、この値上げ案を正当づけようといういろいろな説明がなされております。これは公共料金一般についての議論なんですけれども、まず第一点は、ほかの物価に比べて安いじゃないか、これは国鉄においてもよくそういうことが議論されます。豆腐や新聞や、そういったものの昔の値段と比較しまして何倍にしか上がっていない、だから平均的な倍率まで上げるのは当然だというような議論がなされます。これは一般企業においてはそういう議論があるいはあっても構わないと思いますけれども、公共料金についてそういうことがあっていいのでしょうかということが第一点です。  それから第二点は、よく家計費の中に占めるウェートが小さい、個別の公共料金についてそれを分解すれば確かにそのとおりなんです。一つの費目でもって家計にずいぶん大きな影響を与えるというものはございませんけれども、公共料金全体で言うなれば、家計の中の二割というような数字も出ておる。だから個別の価格について、それが家計の中で占めるウエートが小さいからいいではないかというような議論はわれわれは承認ができない。というよりもむしろ公共料金の上がる倍率の方が影響が大きい。民間企業は、政府がこれだけ上げたのだからわれわれも上げていいのだ、いままでの公共料金値上げに伴って民間の諸物価がずるずると上がった。いわゆる政府主導型の物価高ということを現出している。そういう影響をいままで政府側は一切言わないで、ウェートが小さいから小さいからと言って、われわれに誤った判断をさせようとしている。これは納得のいかないことだと思うわけです。  それから三番目は、赤字だから値上げをするということですね。この議論は、商品を例にとれば、幾ら単価は上げても消費者は同じ数量だけ買ってくれる、そういう前提がなければ、コストが上がるからそれを価格に転嫁するという議論は通らないわけです。ところが自由主義経済というのはそうはうまくいかないので、価格が上がれば需要が減る、消費が減る、これは経済原則なんですけれども、こういう公共料金値上げ議論をする場合に、わざとそれをすりかえて、コストが上がります、それを料金に転嫁するためにこれこれの値上げですと言って持ち出す。私は、実はこの前の郵便料金値上げのときに参議院の逓信委員会でこのことを申したのです。いまや日本消費者は価格に対してずいぶん敏感になっているから、あの大幅な郵便料金値上げによって、消費者はどういう反応を示すか見ていてください、必ず売り上げが落ちるはずだと言ったら、最近の発表によれば、案の定郵便の売り上げは落ちてきている。だから、日本消費者の意識がこれほど高まっているということを忘れて、単価を上げても同じだけの郵便を出すという前提を置いた値上げ案がみごとぶっつぶれておる。そのことは電話の場合にも例外でないということをよくよく認識していただきたいというように考えるわけです。  そこで、今度の値上げ赤字であるからということなんですけれども、その赤字内容について、先ほど来皆さんから御意見があると同じように、まず赤字というものの計算の仕方に問題があるのではないか。  その一番大きな要素としては、減価償却費がずいぶん過大に見積もられている。民間私企業の減価償却の率に比べて飛び抜けて大きな減価償却が図られている。その原因が定率法で過大に償却しているからだ。これは確かに資本蓄積のために有利なことではあろうけれども、世間一般の常識からして、なぜそんな過大な償却を認めなくてはいけないのか。これはわれわれの納得のいかないところです。  それからもう一つは、データ通信そのほかのいわゆる企業専用事業といいますか、営利企業の営利の活動のためになされるサービス提供、そのための設備投資に金がかかる。それを料金に転嫁しょうという内容のものであるとわれわれは見るわけなので、そういうことからすれば、われわれ生活する庶民の側からすれば、そういう負担をわれわれの側に持ってくるということは納得がいかないというように考えるわけです。  そこで、今度はどういうようにしたらいいかということにお話を移したいのです。  まず第一に設備投資については、公共企業体は国の出資金ということを原則にすべきじゃないかというように考えるわけです。これは国鉄でもずいぶん議論がされて、ようやく国鉄に対しても国は出資金を出すということの道を開いたわけですけれども、こういう公共企業体の設備資金は国の出資である、税金で賄うということを基本とすべきである。そして経常の収支については一応独立採算制、これは諸外国の鉄道なんかについてはそういうことが行われている。そういうことはちっとも議論がなされていない。これはおかしいのじゃないかと思うのです。民間企業で資本金が過小資本だといってずいぶん議論が出るのだけれども、公共企業体について資本金の問題がちっとも議論されないというのはおかしいではないか、私はそういうように思います。  それから、次は料金負担原則なんですが、先ほど応能負担原則でやるべきだと申しましたけれども、それを具体的に申しますと、営利企業のための事業、企業専用事業といいますか、そういうものと、それからわれわれ生活者が利用する電報電話、そういったものとの料金負担原則ははっきりと分けるべきではないか。われわれ生活者のためのこの電報電話サービスというのはあくまでも憲法で認められている基本的人権、言論の自由といいますか、そういうものを保障するために、公共企業体としてわれわれにサービスを提供しているというなれば、ナショナルミニマムを保障するために、所得の低い人でも自由に電話電報サービスが受けられるような料金制度であるべきだ。安ければ安いほどいい、そういう無原則では困るという議論もございますけれども、私はこれはりっぱな憲法上の根拠があるというように見るわけなので、ナショナルミニマムを保障するためにこれは低く抑えるべきだということを主張したいのです。  そこで一つの例を申しますと、アメリカでは、大分前にスーパーが五%の値上げをしたときに、全国的なスーパーボイコット運動が起こりました。レディーコット運動といって有名です。それから後になって牛肉が値上がりしたので、全米の消費者が一週間ですけれども、牛肉のボイコット運動をやった。その口火を切ったのは、いずれも地方都市における主婦です。その主婦の呼びかけが、なぜ短い期間に二億何千万の全米の消費者に行き渡って同じ歩調をとらせたのか。これは最近アメリカから帰ってこられた消費者運動をやっていらっしゃる方のお話を聞いたところが、その秘密は電話にあるというのです。アメリカの主婦は、しょっちゅうお互いに電話で連絡し合っておる。あのボイコットも電話で通報がいった。もちろんそれはマスコミも担いだわけですけれども、マスコミの力だけではあれだけのことはできなかった。なぜそういうように電話が利用されるか。これは私しっかり調べていないのであれですけれども、その人のおっしゃるのには、近距離度数料金というのはないのだというのです。基本料金にそれが含まれている。だから自由に電話がかけられる。そういうことによって地域社会のコミュニケーションがずいぶん円滑に行われている。そういうことがアメリカ消費者運動を盛んにする大きな、有力な原因になっているということを聞いて、なるほどと思ったことがあります。これこそまさにナショナルミニマム、あるいはシビルミニマムの精神が料金制度に反映しているからだというように感じたわけです。そういうような料金体系にしていただく必要があるというように考えるわけです。  この考えは、電報について先ほどお話が出ておりますように、救急車を呼んでもお金は取られない、消防車を呼んでもお金は取られない、警察署に頼んでもパトカーはただで来てくれる、それと同じ意味で、「チチキトク」というようなことは、その人にとっては一番緊急切迫したことです。コストが上がるからといって上げるというのはおかしいじゃないか。人権無視ではないかというように考えます。  一方で企業専用事業についてはやはり応能負担というもの、その原則に比重を置くよりも、受益者負担という方に比重を移すべきであるし、またそれは応能負担原則を適用しても、企業というのはわれわれ個人に比べれば負担能力があるはずなんだから、そちらの方に負担を多くかけるというような料金体系にすべきではないかというように考えます。  そこで、最後にこの料金決定の方法についていろいろ議論が出ております。国会で決めるということにするから時間がかかってだめになるのだという議論も出ました。そしてそういう議論が次第に大勢を占めるような傾向にある、これは私非常に心配しております。と申しますのは、公共料金というのはあくまでも契約の当事者はわれわれ消費者なんです。ところが普通の契約関係ですと、その当事者が相対で、相談づくで納得のいったところでその料金を決める、価格を決める、そういう経済原則が、公共料金制度によってそういうことが保障されないようになっている。特に問題なのは、電気料金のように通産大臣が認可する、あるいは電力会社が通産大臣に申請をして役所が査定をやって告示をすれば、もうわれわれは一言も文句が言えない。公聴会があるといっても、一人十分間の言いっ放しで、ベルが鳴るとそれ以上しゃべるなということでおしまいです。そういうことで契約の当事者の権利が保障されるのかということです。国会で審議をされるということならば、まだわれわれの意向がわれわれの代表である議員を通じて反映されるという保障があるのですけれども、ただやみくもにそれではおくれるからそんなものはやめてしまえということでは、われわれの基本的な権利が剥奪される、そういうことを大変心配するものですから、私たちはむしろいま認可制度であるものを逆に国会審議の事項にする。大体もめるというのはその料金値上げ内容がおかしいからもめるのであって、それが国民の合意を得られるような妥当なものであるならばもめるはずがない、私はそういうように考えております。
  10. 伊藤宗一郎

  11. 力石定一

    力石参考人 電話料金値上げにつきまして、事務用電話住宅用電話支出は四千六百円、これに対して収入は、事務用が一本当たりについて七千四百円、住宅用が二千六百円で、住宅用赤字だということが言われているわけですが、このことにまず疑問があります。  といいますのは、一本当たりについて住宅用事務用とが同じ経費だということは、原価計算の理論から言っておかしいと思うのです。といいますのは、事務用というのはピーク時においては大変大きな負荷をかけるわけであります。ですから、先ほど高原さんが言われましたように全体の固定費を事務用住宅用にどのように配分するかということを慎重に検討しなければいけないわけです。これは、公益事業の理論から言いますと、最大需要時にそれぞれがどれぐらいかけているか、あるいはピークのときにそれぞれがどれぐらいの割合でこれに負荷をかけているか、あるいは全体として需要量全体がどのぐらいの割合で固定費に対して圧力を加えているかということについてそれぞれ検討する。つまり、最大需要量法だとか、ピークロード法だとか、あるいは需要量法だとか、いろいろあるわけです。電力の場合にはこういう固定費の配分について慎重な検討をやった上でコストの割り振りをやっているわけです。そうしますと、そういう考え方をとれば、一本当たりについて突っ込みで四千六百円というようなことは出てこないのでありまして、事務用が非常に大きな負荷をかけて固定設備を必要としているわけですから、固定費の配分ということを考えますと、これにはもっと格差が起こってしかるべきであります。もしこれが、そういう慎重な計算の結果公益事業の料金決定の場合に必要な原価計算の手続を経た場合には、共通の四千六百円じゃなくて、事務用の場合には非常に高いコストを負担しなければならぬ。それから、住宅用の場合にはもっと安いコストでこれは賄われたかもしれないわけです。  この点についての検討は、ほかのガスについても電力についてもやられておりますが、電電公社についてはやられていない。これは基本的な欠落であろうというふうに思います。これはどこに原因があるのかというのはよくわからないのですけれども、この問題の原因については後で検討することにいたします。  それから収入でありますが、住宅用については一本当たり二千六百円しかないが、事務用は七千四百円だということでございますけれども、住宅用から入ってくる直接の金というのは、これは住宅用電話をかけた場合に払う金であります。ところが、住宅の寄与は、かけなくても、たとえば事業用の電話あたりからたくさんかかってくる場合もある。私の友人なんかには、ほとんど自分はかけないけれども、受け取る方は物すごく受け取っている。その場合に、相手があってこそ初めてかけられるわけでありますから、事務用から住宅用に猛烈にかけたという場合には、実は住宅用電話があって、それがある一定の寄与をして事務用からのいわば料金として収入が入ってきているわけであります。したがって、いわば発信面からの寄与だけではなくて、受信面での寄与というものを考慮しなければいけない、そういう形で原価配分すべきだということになるわけです。  たとえば郵便の場合には、御存じのように家庭用から企業に、企業から企業にというようなそれぞれの流れについての検討をやりまして、どの程度の寄与をしているかということをはっきりつかまえて議論しております。電電公社の場合は、この流れについての調査がやられておりません。これはプライバシーにかかわるからやれないのだと言われますけれども、実は郵便の場合は郵便物を見て推定してやっているわけですが、電電の場合ですとモニター調査をやればいいわけです。モニターをたくさん頼んでおいて、どこからどこに電話が主として流れておるかというようなサンプル調査をやります。そうしますと、住宅用はかけないけれども相当受信面で寄与しているというようなことがわかってくるかと思うのです。そういうことも配慮した上で収入の金額についても考慮しなければならない。ですから、支出の面においても収入の面においても、これは非常にラフな議論であるというふうに考えざるを得ないわけです。これがまず第一点です。  それから、二番目の問題は、総合原価を償うのうに公益事業はやらなければいかぬということはいいのですが、個別原価との乖離の問題であります。個別原価と余りにもかけ離れた料金体系をとるということは非常に問題でありまして、総括原価の枠内で個別原価をある程度離れてもいいわけです。相手の事情とか能力とかいうことを考えて、あるいは便益性とか、その他を考えてある程度格差が起こってしかるべきなんですが、しかしながら余りにも原価から離れ過ぎるということは問題でありまして、たとえば日本電話遠距離料金というのは非常に高いわけです。市内料金を一といたしまして、千キロ離れた、たとえば九州あたりへかけますと、大体七十二倍の料金を取られます。外国の場合は百キロぐらいのところで十五倍に上がって横ばいになってしまいまして、遠くてもほとんど百キロぐらいと違わないわけであります。つまりフラットになってしまう。日本は遠距離逓増であります。遠距離逓増は原価から非常に離れ過ぎる考え方ではないかと思います。遠くになればなるほどコストが上がるということはあり得ないのでありまして、遠くだから便益性が非常に高いだろうというので高い料金を取っているわけでありますけれども、こういう料金体系というのは、私は余りにも原価から離れ過ぎるというふうに思います。ヨーロッパ、アメリカ料金のように、遠距離であっても百キロぐらいのところからはもうフラットにしてしまうというふうにすべきではないかと思います。  なぜこれを問題にするかといいますと、遠距離の料金が余りにも高いために、住宅用はほとんど遠距離はかけないわけです。かけても、はらはらしてすぐ切ってしまうわけです。こういうことをするものですから住宅用収入が入ってこないわけでありまして、はらはら電話というふうに名づけていいと思いますけれども、外国の場合のように十五倍ぐらいならば、もっとかけようということで住宅用をもっと遠慮なくかけるでありましょう。したがって、ここでは料金を下げることによって増収を図ることができるのではないか。たとえばふるさと電話というのがございますが、夜間料金の割引がやられています。価格が下がることによってそれは遠くにかなり利用されるわけであります。ですから需要の価格弾力性が非常に大きいと思うのです。したがって、住宅用収入が少ない少ないと言っていないで、遠距離料金を下げてごらんなさい、そうすればこれは非常に住宅用の増収になるのではないかという考え方ができるわけです。  それから事務用電話につきましても、遠距離が余りにも高いためにやはり節約をせざるを得ない。これはかなり節約を押しつけられております。これが外国並みの料金格差に訂正されますと、私は恐らく増収になるのではないかという感じがいたします。たとえば専用線の遠距離電話料金をかなり下げておりますが、この下げたことによって赤字になったわけではなくて、むしろ増収になっている。つまりこれは需要の価格弾力性が非常に大きいということであります。だから、下げることによって増収を考えるというようなセンスが電電公社の中に全然ないというのは、私はおかしいのではないかと思うのです。そういう意味遠距離料金は、この際外国並みに下げるべきである。  いままではとにかく増設をするために、ドル箱として遠距離を高くして、そこから大いにかせいで建設をやってきたわけですが、大体建設も一巡したわけでありますから、この際はむしろこの膨大な固定設備を使ってもらった方がいいわけです。いままでは大いにかせがなければいけなかった。これからは使ってもらった方が増収になる段階に入るわけでありますから、建設が一巡した段階においてはむしろ需要を喚起する。需要を喚起して資源を浪費する場合には、省資源の時代ですからよくないわけでありますけれども、実はこれは同じ固定設備でありますから、使えば使うほどコストは下がる。変動費用は、これは電流が流れるだけでありまして、ほとんど金がかからない。資源は使わないわけです。省資源的、省エネルギー的な需要でありますから、これはどんどん安くしてみんなに使ってもらう。使ってもらうことによって地域間の移動が少なくなる。地域間の移動が少なくなれば輸送エネルギーの節約になるわけでありますから、省エネルギーの観点からいいましても遠距離料金は積極的に外国並みに訂正すべき段階に来た。そのことが家庭用事務用ともに増収にもつながるのではないかという感じを私は持っております。  さて、第三番の問題は、公益事業の料金体系というものは便益の公平性をある程度確保しなければいけない。余りにも隔たった便益格差、便益が違うものを料金を同じにするということは不公平であります。つまり便益の公平性ということを考えなければいけない。この観点からいいますと、電話料金の場合に非常に大きな間違いを犯しておりますのは、たとえば、私、倉敷市の電話の数を調べてみたら、十万台あります。東京都内の市内電話は三百万台あります。倉敷市内には十万台しかありません。つまり同じ半径十五キロの範囲内に三百万台と十万台があるわけです。同じ十五キロであるからというので、その範囲内においては相手が三百万台あろうと十万台あろうと、これは三分七円で同じ料金になっておるわけです。これは便益の格差、便益からいいますと非常に大きな違いがあるわけでありまして、これを同じ料金で扱ってしまうということは、私は非常に問題ではないかというふうに思います。これが余りに大きな格差であるために、度数料については格差をつけておりませんけれども、御存じのように地域的な基本料金格差はついております。倉敷市の場合は、事務用電話につきましては大体基本料が月千百五十円です。それから東京の場合は、事務用が千三百円であります。百五十円の格差はついております。しかしながら、便益性からいいますと、相手がとにかく三百万台もあるということは、これはいわば倉敷に比べますと三十倍の便益をあらわしているわけです。それに対して基本料の差はたった一三%だけ東京の事務用電話基本料が高いというわけでありまして、これは余りにも便益とそれから料金との間に差があり過ぎると思うのです。したがって、これを修正するということを私は考えるべきではないか。この際、東京や大阪のような過密地域、これはとにかく電話はたくさんあるし、集積の利益が非常に高い。集積の利益が非常に高ものですから、企業はどんどん集まってくる。その結果、過密の弊害をつくり出している、大変な社会的費用を生み出しているわけですが、その社会的費用を負担するという意味において、事務用電話につきましては、この集積の利益をフルに享受しながら過密の弊害を生み出す源泉ともなるわけでありますから、たとえば事務所のビルの集中に対して、大都心部の事務所ビルに対しては事務所税を取れということが言われておりますが、あれと同じようなセンスでもって、大都市については事務用をもっと高くすべきではないか。私はいまの基本料格差というものをもっと大幅に拡大いたしまして、東京や大阪の場合には事務用基本料金を五倍ぐらい上げてしかるべきではないかというふうに思います。これは地方の場合には二倍か三倍ぐらいに事務用基本料金を上げる。これは基本料事務用について家庭用より大幅に上げる。私は家庭用基本料金は大体据え置くべきだという考えなのですが、家庭よりかなり大きく隔たってもいいと思うのです。といいますのは、先ほど言いましたようにピークロード的な固定費の負担という考え方からいきますと、格差は相当できてしかるべきであります。その基本料金は、家庭用に対して事務用が非常に高い、同時に大都市についての事務用基本料金は中小都市よりもっと大きく上げていくというふうな考え方をとる。たとえば東京、大阪が五倍ぐらいに上がりまして、地方都市が三倍ぐらいに上げる、こういうふうな格差をつけた形で上げますと、ざっと計算しますと、基本料収入で大体四千億くらいの増収が図れると思います。これでかなりカバーできます。これで事務用についてはっきりとした、これは景気変動に余り影響を受けないで基本料収入が入りますから、これで確信を持っておれば、遠距離料金を下げてドル箱を失うのではないのかというはらはらした経営状態というものも、しっかりとした収入をもとにして断行できるわけです。需要の価格弾力性というのは予測でありますから、当てが外れる可能性があります。当てが外れる可能性があるものだけで期待しますと、経営は困難に陥りますから、確実に入る収入としては事務用基本料、これを大幅に引き上げる、過密都市において大幅に引き上げるということに私は論理的な正当性があるのではないかというふうに思います。  それで大都市の家庭用基本料でありますが、これにつきましては大都市の家庭用電話というものは東京都市内が三百万台。三百万台もあるということによる利益というものは家庭はそんなに享受していないわけです。家庭は大体にコミュニティーの範囲における日常電話というものが多いわけでありまして、三百万台もあるということの利益をフルに享受しているのは事務用電話なんですから、事務用において大幅に電話を五倍ぐらい上げたらいいんだ。家庭用については、いまの地方の家庭用基本料金とそれから大都市の基本料金とに若干格差がありますが、その程度格差のまま据え置いてしかるべきではないか。それでいいんではないかというふうに感じるわけであります。  こういう点で個別原価から離れ過ぎたものを是正し、一方は便益の公平性に近づけるという意味で逆の是正を行うという、この二つの是正を行っただけで、私はかなり大きな増収が図れると思います。もしそれをやってみた上で、なおかつまだ赤字になるということならば、私は度数料金三分七円を十円に上げるということをその後で考えてもいいのではないか。まずやってみて、その上でまだだめならやるということにしたらいいのではないか。逆に考える。まず十円に上げてみて、後で料金体系をいろいろ考えようというのが鈴木さんなんかの考えでありますけれども、これは私は間違いではないかと思う。逆にいまやってみて、本当にそれが合理的だ、その結果七円のまま据え置くことができれば、これは世界の電信電話事業の中において日本は最も先進的ないい経営をやっているのだということで高く評価されることでありまして、七円であるということは自慢の種だ、外国はいかにだらしないかということを示すことになるのだと思うのです。そういう意味で、七円だから安いから上げさせてくれというような、そんな消極的なことでなくて、七円が守れるような料金体系であるということを世界の模範として示すべきではないか、私はこんなふうに考えるわけであります。  さて、その次は電報料金の問題でありますが、これにつきましては鈴木さんなんかの考えと同じでありまして、大体慶弔用が六〇%で、それから証拠を残さなければいけないので電話で済ますことができないので電報を使うという事業用、これがただ証拠を残すために使われているわけですが、これが三七%「チチキトク」型のものは三%にすぎないわけでありますから、したがってその三%のために料金を据え置くというようなことをやりますと、結局事業用や慶弔用のいわばコストに応じてとらなければならぬ人たちに対して、いわば全体として補助金を与えることになる。事業に対する補助金を出すようなことになりますから、これはおかしいのでありまして、したがって私は逆指定をやるべきだ。いま慶弔用につきましてはいまいろいろ案文があります。これを打ってくれというふうに、案文を別に書かなくても指定されていますが、あれを逆に指定する。つまり「チチキトク」だとか「〇オクレ」だとか、どうしても電話がない地帯に使わなければならぬ電報の案文を二十でも三十でもいいからいろいろつくりまして、この範囲内においてはこれを活用する限りにおいては安い料金で据え置く。そのかわり他については、大体原価計算に基づきますと十三倍に上げるということでありますが、電報料金は私は十三倍に上げるべきであるというふうに思います。慶弔用の電報国会議員の方が大分お使いになっていらっしゃるようでありますが、国会議員の方は歳費の面でそれぞれめんどうを見てもらえばよろしいというふうに思うわけであります。  こういうふうな考え方を今度はデータ通信サービス——これがまた三百億くらいの赤字でありますが、これについて問題があるかと思います。これは八年くらいで均衡させるということで努力しているようでありますけれども、私はこれはもっと早い時期にこの赤字を解消できたのではないかと思います。大体民間でいろいろコンピューターを買わされておる、持たされております例が、非常に非効率な形でやられている。これはデータ通信サービスに取りかえることができれば、これはちょうどマイカーからバスにかわるようなものでありまして、これは非常に合理化されるわけであります。合理化されるわけですから、データ通信サービスというものをどんどん積極的に促進して、そしてそれぞれマイコンピューターを持って非効率な経営をやっている、こういう中小業者を説得していくという積極的な攻勢的な姿勢が電電公社の場合には必要ではないかと思うのです。ところが電電公社というものは公益事業でありますので、そういう競争的にマーケティングをやるという体質になっていないわけです。したがって、しばしば公益事業は官業が民間の経営を圧迫してはいかぬというふうな議論に包囲されております。したがって非常に遠慮するわけであります。そうしますと、実際にはバスのような形でデータ通信を使ってもらった方がいいにもかかわらず、なかなかそれが促進されていかない。その結果、初期投資の回収がおくれてしまって赤字が長く続くということになっているのではないかと思うのです。だから官業が民業を圧迫するなんということをいわれてもそういうことにこだわることなく、もっと積極的にデータ通信サービスを拡大し、そして中小業者がコンピューターメーカーの売り込み作戦に乗せられる、大人のおもちゃみたいなものを持たされてしまっている、コンピューターをステータスシンボルだ何だかんだ言って買わされてしまっているわけですが、そういうふうなかわいそうな中小業者のためにもっと積極的に活動するということが必要なんじゃないか、そうすればこの赤字というのはもっと早く解消できたのではないかと思いますが、その点についてはやはり経営姿勢に問題があるというふうに思います。  さて最後に、料金の問題につきまして、私非常に不思議に思いますのは、私は郵政審議会の委員もやらされておるわけでありますけれども、郵便料金につきましては郵政審議会においてかなり専門的な議論が行われ、検討を加え、その後に国会に提出されております。ところが、電話料金につきましては、そういう専門的な検討をスクリーンを経ないで、いきなり国会に提出される、これは私はおかしいのではないかと思います。郵政審議会の法案の中には、電話料金についてあるいは電話事業について検討してはならないという法律はないわけです。すべしという条項もないわけです。これは中空状態になっております。その結果、いまはストレートに国会に出されているわけでありますが、さっき鈴木さんから専門家の検討をもっとやらなければいかぬということを言われましたが、全くそのとおりでありまして、専門的な検討を妨げておりますのは、そういうふうな公益事業に直接かかわるような料金決定、公益事業の料金決定について専門的な考察の機関が抜けているということが欠陥ではないかと思います。先ほど言いましたように、固定費の配分についての方法についてもはっきりしていないというふうなことは、公益事業の基本理論から言いまして、イロハのイのところが抜けているわけでありますから、そこが抜けているということは、結局そういうふうな慎重ないわゆる行政のレベルにおける審議が行われていないということを反映しているのだろうと思うのです。したがって、私は、郵政審議会に国会の方から必ずそこをスクリーンした上で持ってこいというふうな形の勧告をこの逓信委員会がやられることが望ましいのではないかと思います。最近電話の、どの問題でしたか、郵政審議会にかけろというのが出てまいりましたけれども、ああいうものはかけなくてもどうでもいいようなもので、それが出てまいりました。そうではなくて、そういう基本的なものをかけろというふうに言ってもらわなければ、これは話にならぬのでありまして、郵政審議会で私はこれを言ったのでありますけれどる、孤立してほかの人に無視されている状態であります。こういうあたりのことについてもぜひお願いしたいというふうに思います。  以上でございます。
  12. 伊藤宗一郎

  13. 八島澄子

    八島参考人 八島でございます。  今日のように非常に値上げ攻勢が次々続きますと、本当に人間らしく生きていきたいとか、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利ということはどこまでを言うのだろうかというようなことが非常に疑問になってまいります。ぜひ物価値上げについてお集まりの先生方も御検討をいただきたいというふうに思います。  電話料金値上げにつきましても、住宅電話が非常に普及してまいりまして七〇%に達するという現状では、買い物からPTAのつき合いから、家族の中でも、出勤して家族との連絡だとか、それから遠距離の親類とのつき合いなど、全く生活の中になくてはならない必需品という立場からこの問題を検討していただきたいというふうに思うのです。  私も今回自分の電話料金を計算してみて驚きました。昭和四十九年には平均しますと月に四千六十一円しか使っておりません。しかし五十年には六千八百六十六円、ことしになりますと五月までの平均でしましても一万百五十三円になっております。これは子供の成長だとか、家を離れて勉強しているとか、そういうことも影響しているわけですが、年ごとにふえてきているわけです。これが値上げされまして、住宅用が平均しますと六〇%上がるということになりますと、一万六千円を超える電話支出ということになるわけです。郵便料金が上がりますときには、いまは電話で用を足している時代だから郵便の値上がりは大したことはないということで上がっていきましたが、今回はどういう位置づけになるのだろうかというふうに思うわけです。たばこから郵便、麦から消費者米価、さらにまた電気、国鉄と値上げがメジロ押しの中で、大変な家庭の圧迫になっております。  私の所属しております団体、新日本婦人の会では全国から毎月家計簿モニターの方が集計を寄せてくれておりますが、そのデータによりますと、三十五、六歳で夫の基本給は、六月にささやかな昇給があって初めて平均十五万円をやっと超えるという状態で、集約数の三割の方はボーナスの支給がないという状況です。ボーナスの使途のうちで肉をたくさん食べたというような涙ぐましいものもあるわけです。ボーナス月である六月以外は給料だけでは家計を賄っていけないというのが今日の平均的な家庭の実態だということをまず申し上げたいと思うわけです。  さて電信電話料金値上げ案は、私たちのこの深刻な家計をまたも直撃するわけです。私は専門家ではございませんのでむずかしいことはわかりません。しかし値上げについて納得のできないこと、またお願いしたいこと、そういう問題が幾つかありますので、述べさせていただきたいと思うわけです。  まず一つは、赤字だから値上げする、その第一に、利用度数の低い住宅用電話増加したからだというふうに述べられております。そして値上げ案一般電話基本料金を二倍に、度数料は七円を十円にということで四三%、設備料は五万円を八万円にするなど、ほかのものの値上げに見られないような大幅値上げが全部一般電話に集中的にかけられてきていると思います。  しかし、設備料の問題にしましても、一般電話は一万六千円しかかかっていない、それが五万円も取られ、今度はさらに八万円に値上げしようとしている、その反面では、大企業の使っているビル電話の場合には十七万円もかかっているのに二万五千円しか設備料が取られておらず、データ通信は二十万円もかかるのに五万円、テレックスは九十四万円もかかるのに五万円しか取っていないし、今回はこれを据え置こうとしているというふうに聞きました。  また、大企業が使う専用線も安い料金なのに、先ほどお話にも出ておりましたが、これを昨年七月に料金体系の是正ということで中、遠距離を最高五七%まで大幅に値下げして、これは一般電話で言えば百分間の通話料金で二十四時間使えるものだというふうに聞きました。そのために、全国銀行協会のデータ通信システムだけで年に一億円以上の値下げになったというように聞けば、全く私たちにすれば腹が立つ限りなんです。しかも、赤字原因であるデータ通信、テレックス、専用線などの料金は据え置くわけですから、余りにも不公平だというふうに思うわけです。しかも、聞くところによりますと、このデータ通信会議用テレビ電話、自動車電話などの建設のために大金をかけるそうですか、一般電話の大幅値上げと借金で賄うこの計画をぜひ改めて、一般電話値上げをしないようにしてほしいというふうに切実に思います。  また、設備の耐用年数にしましても、次々に改定されまして、昭和二十八年では、二十四・五年であったものが現在では十三・五年というふうに半分に縮められております。そのうち電話機などは九年とされているそうですか、これは二十年以上ももつ、交換機は三十年から五十年、電線は半永久的にもつというふうに聞いておりますし、赤字なら新しく取りかえずに節約するというのが私たちの感情から言えば最も常識だというふうに思うのです。政府にしましても、あの石油ショック以来使い捨ての時代は過ぎた、節約だということを、そういう方向で進められていると思うのです。電電公社も使えるだけ使うという立場で、この耐用年数十三・五年は改めてほしいというふうに思います。そうしますと、減価償却費を大幅に減らして赤字をなくすことができるのではないでしょうか。  次に、基本料金の問題についてですが、現在東京では月九百円取られております。使っても使わなくても支払わされる基本料金、この倍加というのは最もひどい改悪ではないでしょうか。  第一、基本料金についてどのように定義されているのかもはっきり知りたいわけです。加入のときに、一般住宅用電話は、設備料が一万六千円しかかかっていないのに五万円取り、月々使用した分は度数料として払い、そのほかに取られるこの基本料金は何のための料金なのか納得いきません。外国の例が先ほどから出ておりましたが、イタリアでは昨年の秋に労働組合が政府に申し入れをしまして、基本料金を取るのは憲法違反だということで、ついに家庭用については撤廃したというように聞いております。日本でも大いに論議して、その撤廃目指して御検討をお願いしたいと思います。  次に、要望を含めて幾つか述べさせていただきます。  一つは夜間割引の問題です。  現在は六十キロ以上の遠距離について、夜八時から翌七時までが四割引きになっております。しかし、今日の核家族化であるとか、老人を置いて勤労者の都市への集中であるとかあるいは家族を残しての出かせぎであるとか、長距離電話必要性というのはますますふえてきております。ぜひ現行制度を六時からにして、土曜日の午後あるいは日曜、祭日、この日は一日適用できるようにしてほしいということを申し上げたいわけです。  公社がよく比較されております先進諸国との比で見てみますと、フランスでは午後八時から翌朝八時までと日曜、祭日含めて、普通の昼の五割引き、距離も二十キロから適用の制度になっているそうです。  家族が離れ離れで暮らしている家庭、都市に勉学に出している親の気持ちもくんでいただいて、ぜひ検討していただきたいことの一つです。  次に、請求書、領収証の問題ですが、現在では銀行と契約し、電電公社からの請求書は来ません。銀行からの振りかえ済みのお知らせ一本で、基本料金とダイヤル通話料、合計金額しかありません。内容の明細もそれから期間も非常に不明確です。  また、昔は納入日には催促の電話があったものですが、いまは何の連絡もなしに突然電話が不通になり、調べてみたら、うっかりして納期が過ぎていたというようなことで非常に不快な思いをさせられることもたびたびあるわけです。  故障に至っては、急ぐからこそ電話を利用し一分でも早く直してほしいということですのに、何時間も待たされて、ついに夜になったからあすにしてほしいというようなことでは、全く腹が立つわけです。  必要なところには必要な人員を補充して、もっと明細のはっきりした請求書、そして機敏に応じられる修理体制などこそ検討してほしいものだというふうに思っております。  このような運営の非民主的なやり方が、いまもって経営委員にロッキード疑獄で疑惑を持たれています小佐野賢治氏を任命していることにもあらわれていると思います。三月の逓信委員会では、共産党、社会党の議員さんからの追及に対して、総理大臣を含めて、もう少し事態の推移を見守るというふうに答弁されておりますが、今日でははっきりさせるべきではないかというふうに思うのです。  また、老人や障害者への福祉電話は一層増設して、片方で老人医療費の無料化への攻撃がかけられておりますが、ぜひ通信の面ではこの保障の枠を広げていただきたいというふうに思います。  また、公衆電話については、まだまだ不便な地域ほど設置がおくれているというのが実情ですので、増設を希望いたします。  最後に、電報料金について申し上げますが、通常電報が、二十五字まで百五十円を三百円に、五字までふえるごとに二十円を四十円にと、いずれも倍加、慶弔電報は約三倍の四百五十円にという、この大幅な値上げ案をぜひ取りやめていただきたいと思います。緊急な事態に使う電報さえこれでは利用できない状態に追い込まれます。  公共料金につきましては、常に国会審議から外すというような意見が出されますが、ぜひ料金法定制度を守って、国民の前にガラス張りの経営を公開して論議していただきたいと思います。  また、七十七国会値上げ法案が通らなかったからと、大企業の建設計画はそのままにして、一般電話の増設などの削減だとか建設工事の繰り延べなどについて述べている公社の態度は、全く私たちから見れば居直り的であるというふうな感じを受けます。金のかかる大企業向けの設備だとか、ファックス、自動車電話、そうした不急のものを削ってでも、一般電話や公衆電話の設置こそ優先すべきではないでしょうか。  全体として、大企業優先でなく、公衆電気通信法の「合理的な料金で、あまねく、且つ、公平に提供することを図ることによって、公共の福祉を増進する」という立場を貫き、国民本位の経営にして、一般料金据え置きのために一層諸先生方が御健闘くださることを心から期待しまして、私の意見を終わらせていただきます。
  14. 伊藤宗一郎

    伊藤委員長 以上で参考人各位の御意見の開陳は終わりました。  参考人に対する質疑は午後一時より行うこととし、この際、暫時休憩いたします。     午後零時十七分休憩      ————◇—————     午後一時六分開議
  15. 伊藤宗一郎

    伊藤委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。特に、鈴木竹内及び力石参考人に対する質疑を先にいたします志賀節君。
  16. 志賀節

    ○志賀委員 午前中はいろいろと私どもの蒙を開いていただきまして、まことにありがとうございました。時間の関係があるようでございますから、まず力石先生にお尋ねをいたします。  先ほどお話、まことに明快でございまして、住宅電話よりも事務用電話の方に負担を大きくかけることの御主張、またそういうことを基本としての電電の経営の抜本的な解決等にも言及されたわけでございましたが、私はただいま参考人の諸先生のお話をすべて承っておりまして、要は値上げというものは平衡感覚の問題じゃないかという気がしておるわけでございます。それが高過ぎると思うか、まあ安過ぎるということはないけれどもがまんできる範囲である、こういうことの平衡感覚によるものだというふうに受けとめておるわけでございます。  私は、諸般の問題を万般目を広く見渡しまして、たとえば昭和四十八年年末の石油危機、ショック以来、企業が非常に低成長に入って、たとえば国家の財源も税収が不足してきておる。そのため、増税によらずして国債発行によってこれを賄うという方向にいっておる。そういうような折も折、何か電報電話料金値上げにからんで企業の方にそういうもののウエートを移すということは、実はまことに時宜を得ていないのではないだろうか。そういうことの御主張があれば、もっと御主張を現実に生かすべき時期がすでに以前にもあったのじゃなかろうか。現在はタイミングとしては、その御主張は御主張としてわからないわけではないけれども、タイミングの意味で私は納得ができないという気がするのでございますが、その点について承りたいと存じます。
  17. 力石定一

    力石参考人 平衡感覚は私は保っておりまして、遠距離料金を安くするということは事業用について非常に大きな利益を与えることになるわけです。外国並みの倍率に、市内料金に対して十何倍というようなそういう体系に変えますと、とにかく遠距離使用者は事務用がほとんどでありますから、これをまけるということが一方にあるわけで、それと相殺するというような意味事務用基本料金を上げるという考え方になっております。ですから一方的に基本料を上げただけでいけば、いまおっしゃるような事務用にばかり負担をかけて、それでそれが企業のコスト圧力になるということが言えると思いますけれども、私は遠距離料金を下げることによるプラスというものによって相当部分は相殺される部分があるのではないか。その場合に、遠距離料金が下がることによって公社が減収になれば別ですけれども、現在では遠距離料金を下げますと、恐らく需要は伸びるのじゃないかと思うのです。つまり、余りにも高いものですから遠慮して、企業内でも節約の第一に、遠くへかける場合については慎重なコントロールをしておりますけれども、それが安くなりますと需要は伸びますから、公社としてもやはり収入はふえるわけです。収入をふやしながら、まけてやるという利益を企業に与え、一方ではそういう利益を企業に与えるのであるがゆえに基本料については値上げを求めるということでありまして、一方的な負担の増だけではないというふうに私は考えています。  それから、この問題につきましては、消費者の方から文句が出るのです。遠距離料金を下げると事務用を安くするということになるからおかしいじゃないかという議論があるのですが、これに対しては、私ははっきり答えるべきじゃないかと思います。  それは、第一に遠距離料金が安くなることによって、地方に事務所をつくる、事務所の分散効果があるわけですね。立地因子において電話料金がどの程度であるかということによって——東京はとにかく市内料金がこんなに安くてお互いに情報の集積の利益があるものですから、どんどん事務所が集中してしまうわけですけれども、これが情報収集部門だけは東京にある、そして情報処理部門は地方へ事務所を出してくれた方が過密対策になるわけです。そういう意味で、事務所の立地をコントロールする意味でも遠距離料金は安くして事務所を地方に分散をさせる、あるいはできるだけ電話で連絡をとるようにして、もう東京に全部集まるというようなことは避けてもらいたい、こういうふうな意味でのプラスが私はあろうかと思います。  それからもう一つは、消費者にとりましても、最近は田舎に老人がいますね。大体年代的に見ますと、六十五歳以上老人の四十何%は農村におりまして、地方都市に圧倒的にいるわけです。大都市に若い人がおりまして、若い人と年寄りとの間の交流があるということ、電話その他によって直接的な対話が行われるということは、地方の老人に対して非常に大きな福祉になるわけです。  そういう意味で、もっと遠慮なく、はらはらしないで消費者に遠距離に電話がかけられるようにするという意味遠距離料金を下げることは、夜間電話の割引率を広めるというだけではなくて、これは非常に大きなプラスが消費者にも与えられるのではないか、こういう観点。それから、できるだけ直接の移動を避けて、電話でコミュニケーションをするということによる省資源的な効果とか社会的な利益が非常に大きいわけです。そういう意味で、消費者としてもこの際は遠距離料金値下げという観点を承認してもらえるのではないかというふうに思うのです。  そういう意味で、いわばほかの公共料金の場合と違いまして、現在の電電公社料金の改定につきましては非常にやりやすい局面にあるのではないかというふうな感じがしています。一方的に値上げすることじゃなくて、値下げを含みながら説得していく。体系をいじることによって増収を図る。増収を図ることによって一応全般的な度数料金の値上げはある程度回避できるという意味で、私は、国鉄なんかと比べて、ずっと恵まれた条件に電電公社はあるのではないかと思っております。
  18. 志賀節

    ○志賀委員 ありがとうございました。  力石先生が先ほど言われました、国会議員の歳費あるいは通信費ですか、電報値上げを込みにすればいいというような、もっと電報料金は高くしていいというお話がございましたが、実は確かに慶弔電報が主に利用されていることは私も承知しております。しかし、これは同時に地方議会の人たちも少なからず利用しておる。そういう意味で、これはもしユーモアでおっしゃられたのであればそれはそれで結構なんでありますが、地方議会のこともあるし、それからよく結婚披露などに行けば、まだ年の若い新郎新婦の仲間が会社から、あるいは遠隔地から電報で祝福を贈る、こういうことも現にあるわけでございますから、ひとつ国会議員のことに限らず、この点もまた御銘記いただければ幸いであると思うのでございます。そのことに関しましては、特に御答弁がなくても私は差し支えございません。  それから八島先生に申し上げますけれども、基本料金を何か引き下げろというようなお話八島先生かと思いましたが、そういうようなお話でございました。この問題に関しましても、たとえば東京の住宅用電話基本料金九百円、先ほどお話がございました。この月額九百円に支出が、債券十五万円に対する利子だけでも月額一千円、百円の赤字がここにあるわけでございまして、これから考えていけば、なかなか大きな赤字が出てくるのは基本料金だけでもちょっと否めないことがあるわけでございますから、そういう点お考えの上でなお先ほどのような御結論が出たのかどうか、そんなことも承っておきたいわけでございます。
  19. 八島澄子

    八島参考人 私が申し上げましたのは、基本料金につきまして、月々使っております電話というのは度数料によって支払わされておりますし、それから取りつけますときには、先ほど申し上げましたように一万六千円という経費に対して五万円支出させられているというようなことで、日常的に取られています基本料金の九百円が今度は倍加されるというような事態というのは私どもにとっては納得できない。これはたとえば留守をしまして局預けにしていきましても基本料金というのは取られているわけです。ですから、そういう点で基本料金についてのはっきりした定義ですね、電電公社なり政府としてそういう点についてどういうふうに定義づけておられるのか、そういう点も一つは伺いたいということも申し上げたわけなんです。  特に度数料が七円から十円、それから設備料、それから基本料金という、総合的に考えましても基本料金を上げるということについては何としても納得できないということで申し上げたわけです。特に私ども利用者の立場から理屈がこうなる——もちろん、理屈から言ってもやはり値上げというのはおかしいと思うわけですけれども、総合的な電話代だけでなく、各種の値上げの中で二倍、しかも理屈のわからないもので取られるということが最も納得できない点だということで申し上げたわけです。
  20. 志賀節

    ○志賀委員 私は電電公社にかわって答弁する立場でございませんから、これは答弁ではございませんが、たとえば債券一つメルクマールにしても、こういうことになるのではなかろうか、こういうことでいま伺った次第でございます。  それから、減価償却がちょっと大き過ぎるんじゃないかという御意見先ほどございましたのは竹内先生でございましたでしょうか。——ただ、この減価償却でございますけれども、何か先ほどほかの産業と比べて著しく過大に見積もっているではないかというようなお言葉だったように記憶するのでありますが、実際には固定資産に対する減価償却率では、電電公社が一三・一%、それから全産業が一二・三%、それから国際電電が一七・二%、それから東京ガスが一四・六%というふうなことでございますから、これは比較対照して、そうべらぼうな数字のようには私どもには思えない点でございますが、こういうような点もどういうふうにお考えなのかも承らせていただきたいと存じます。
  21. 竹内直一

    竹内参考人 これは、こういう金額というか率でなければならないということを前提に申し上げているんではなくて、これはいま申しますと、事業支出に対する減価償却費の比率ということで見ますと、四十九年度のあれでいきますと、六千四百八十三億円で、三二・二%、国鉄が一一%、電力会社一七%、ガス一三%、こういったところと比較しますと高い。これはやはり装置産業であるとそういう固定資産の比率が高いということはあるとしましても、減価償却というのは、さっきも申しましたように、やはり社内留保を厚くするとか、そういう経営政策上の問題があるわけなんで、だからこれはもう税法上はこれまでというのはあると思いますけれども、これは公共料金なんですから、そんなに手厚くして、しかもそれが、だから赤字だ、こういうふうにわれわれに突きつけられますと、一体どういうことかとこう言いたくなる、そういう意味でございます。
  22. 志賀節

    ○志賀委員 ありがとうございました。  冒頭に平衡感覚ということを申したわけでございますが、結局、賃金は上昇する、一方、企業努力に努力を重ねさして一般料金、主として公共料金を軸としてこれの方が絶対動かさなくても大丈夫だとなれば、これはまことに理想的でありますけれども、私の平衡感覚ではどうもそういかぬのじゃないかという点では、高原先生と私は相似た感覚を持っておるような気がするわけであります。  そこでもう一つ、バランスの面から特に伺っておきたいと思いますのは、通話料電話の場合七円と定められたころのはがき代が一枚五円でございました。渋谷−銀座間の地下鉄料金が十五円でございました。現在は御案内のとおり、はがきは二十円、それから地下鉄、これは同じ渋谷と銀座が七十円となっておりますから、他の公共料金と比べてこれは安いんではないだろうかという気が私は少なくとも感覚的にするわけでございます。恐らく同じような感覚を高原先生お持ちかと思うのでありますが、高原先生はどういうふうにお考えになられますでしょうか、承らしていただきたいと思います。
  23. 高原須美子

    ○高原参考人 私は、他の料金との比較において、それだから安いんだということで決めるべきではないと思うのです。やはり公共料金と申しますのは必需品でございますし、それからもう一つ、これは独占ですので、私どもは、たとえば電話が上がったからこれを使わないわけにはいきませんし、あるいはそれじゃ、電話が上がったから、この店が高いからほかの店に行って、かわりにこっちの店の方が安いから利用しよう、そういうわけにもいかないわけですから、公共料金というのはやはりなるべく安くあるべきだと思うわけです。そこでこういう国会審議などを経て厳重にチェックをしていると思うわけです。ですから、安くあるべきでありますけれども、もしそれがどうしても維持できないような場合に、そのコストアップ分について認めるべきでありまして、ほかの料金に比べてこれが安いからこれを上げるべきだという考え方は私自身はとらないでおります。
  24. 志賀節

    ○志賀委員 ありがとうございました。  その点はまさにそうだと思うのでありますが、少なくとも調和を考える上におきましてそういうことも一つの判断のよすがになるのではなかろうか、私は、これをもってすべてを律するべきであるという主張ではございません。その辺は誤解のないように改めて申し上げておきたいと存じます。  以上、時間の関係もございますので、質問を終わります。ありがとうございました。
  25. 伊藤宗一郎

    伊藤委員長 阿部未喜男君。
  26. 阿部未喜男

    ○阿部(未)委員 参考人の先生方、きょうは御多忙の中大変恐縮に存じます。  早速岡先生に教えていただきたいのでございますけれども、先生、何かきょうは非常に抽象的にお話しになったようにも承ったのですが、たとえば第一点目に、支出の面でもいろいろ問題があるのではないか、そういう疑問を投げかけられたのですが、支出の面で問題があるとすれば、それは具体的にはどういう点が支出の面で問題点があるのだろうか、これが一点目でございます。  それから二点目は、福祉型の料金制度というものが導入できないものだろうか、これも、そういうお言葉でございましたけれども、福祉型の料金制度の導入といえば、たとえば具体的にどういう形での福祉型の料金の導入があり得るだろうか、これが二点目でございます。  それから三点目に、応能主義という意味のことをおっしゃられましたが、応能主義といえばたとえばどういうことになるのだろうか、これをもう少し具体的に教えてもらいたいと思います。  それから四つ目に、料金決定原則が不明確だというお話がございましたが、たとえば料金決定原則というふうなものはどういう原則が立てられるものだろうか、その点が四つ目でございます。  それから五つ目に、料金決定手続についてお触れになられましたが、料金決定手続というものは具体的にどうあるべきものなのだろうか、まず最初に岡先生からお教え願いたいと思います。
  27. 岡茂男

    岡参考人 最初に私、どうも時間を気にしておりましたものですから、問題点だけを抽象的に申し上げることになってしまいました。  まず第一点の支出の問題でございますけれども、これはほかの参考人の方からの御意見もございましたように、支出の面では、やはり公社の場合には建設投資というものが非常に大きい割合を占めておるわけでございます。その中でも特に資本費用と申しますか、これが、約五割近い四五%ぐらいになるかと思いますが、かなり大きい割合を占めている。この資本費用の中でも特に減価償却費というものが大きい割合を占めている。それと後の支払い利子でございますね、これが大きいと思います。こういう支出の面で、減価償却については、いますでに問題にされたところでありますが、定額法でなくて定率法をあえてとっている、そういう必要性というものは、特にこの数年来経済情勢も大きく変化をしておりますし、今後私どもが公社の事業の将来を考えた場合に、なお高度成長期と同じようなそういう支出というものが、投資が必要であるかどうか、こういうことはもっと厳重に検討する必要があるのじゃないだろうかということでございます。  それから二点目は福祉料金、この福祉型の料金と申しますのは、私はちょっと電灯料金について申し上げましたが、電灯料金の場合は三段階に分けて、使用量が少なければ料金を安くする、そういうことが考慮された料金体系になっておるわけです。この電信電話の場合に福祉型ということを言う場合には、一番はっきりしておりますのがたとえば寝たきり老人とかそういう人たち、社会的な弱者に対するそういう料金というものは特に考慮をしなければいけないのじゃないか。それから電報につきましても、先ほど指摘のありましたような「チチキトク」といったような、これは現在でも電話も引けないようなそういう人たちにとりましては、電報というのは唯一の残された緊急通信手段となっておりますので、そういう料金はやはり配慮をする必要があるのではないか。しかし最近公社が相次いで出しております新しい寝たきり老人に対する電話等が出ておりますが、ああいうものは料金はたしか月三千五百円でしたか、相当高いですね。ですから、ああいう料金に比べますと、むしろその他の付加料金とか工事費みたいなものは案外安くなっておりまして、ああいうところはもっと上げてもよろしいのではないか、そういう特に社会的な弱者に対する料金というものはいまよりかもっと安くする配慮が必要ではないのか、というふうに私は考えておる次第でございます。  それから、第三点は応能主義ですね。応能主義というのは、いま申し上げたような福祉的な、そういうものを考えておるわけでございます。  それから、第四点は料金決定原則でございますね。この原則は、法律的には合理的な料金でというふうな非常に単純な形でしかこれが決められていないということで、そのこともありまして、現実の公社料金というものを見ておりますと、やはりコストが高くなったから料金を上げるんだというふうなコスト主義と申しますか原価主義的なそういう原則も言われておりますし、ないしは、この方が便利だから、効果が大きいからこちらの料金を高くするんだというふうな、効用主義と申しますかそういう原則も言われておるわけです。それからさらには、先ほど基本料についても御質問がございましたけれども、基本料というものが一体どういう根拠に基づいて決められておるのか、その理論的、合理的な根拠というものが明らかにされてない。これは恐らく歴史的にこういうものがあってということで、伝統的なものとして引き継がれておるようなそういう側面が強いのではないか、私はそういう気がいたします。  それからさらにまた、いま応能主義とか福祉型と申しましたが、そういう配慮が現在の料金の中にないわけではございません。そういう配慮もやはりされておるわけでございます。特にこれは電信電話事業史等を見ますと、大正期から昭和期のころにおきましては、むしろ料金決定原則におきまして政策的と申しますか社会福祉的な、そういう低所得層に対する料金はできるだけ安くしろ、そういうことが決定原則の中にはっきりと出されておる時期もあったわけですね。ですからそういうことで、今日私どもがこの料金改定問題を考える場合に、この改定案というものが一体どういう原則に基づいて出されておるのか私にはどうもはっきりわからない。基本はやはり原価なら原価というものを基礎にして、その上でいろんな修正と申しますか配慮を加えるというのであれば、私はそれで納得はいくわけでございますけれども、やはり公社料金決定につきましては、私は法的にも原則をもう少しはっきりさせる、もっとはっきりさせた枠の中で料金という問題を考える必要があるのではないだろうかという気がいたします。  それと、最後の五点目の手続の問題でございますけれども、これも先ほど力石さんからも御指摘ありましたように、郵政審議会にもこの料金問題がかからないという現状でございまして、料金決定過程で利用者の意思と申しますか意見というものが反映できるようなチャンスというものがいま与えられていない、これはやはり問題であろうかと思うわけです。  それから、料金決定は法定がよろしいのかどうか、これは必ずしもそういうふうには私は考えがたいわけでございまして、料金の法定ということ、これが非常にいい面と同時に、やはり機動性と申しますか、それだからと言ってすべての公共料金を法律でもって決めていく、国会審議を経て決めていくというのは、これはなかなか大変なことではないかというふうな気がいたします。そういう意味で、できるならば、欧米の例を見ましても、たとえば行政委員会等権限と責任のはっきりとしたそういう新しい料金の審議をする機関を設けましてそういうところで利用者等の意見を十分に反映してそれを考えていく、原案、改定案を考え、勧告をするというふうなそういう組織の方がより合理的ではないかというふうな気もしております。  以上でございます。
  28. 阿部未喜男

    ○阿部(未)委員 竹内先生、お時間がないようでございますから先にちょっと質問させていただきたいと思いますが、竹内先生のおっしゃったナショナルミニマムと言いますかシビルミニマムと申しますか、そういうふうなものが料金制度の中で確立さるべきではないかというお話がございましたのですが、これは具体的に、では電電公社料金体系の中ではどういう形で持ち込まれることが妥当だろうか、二、三の例で結構ですが、お考えがあれば承りたいと思います。
  29. 竹内直一

    竹内参考人 ほかの参考人方々からお話しになったことも含めて、結局先ほども申しましたように、電話というのは、電報も含めてですが、私たちが私たち同士、自分たちの意思を伝達するための有力な手段であるので、これはやはり基本的人権を確保するために非常に有力な手段であるのだから、そういう意味で、所得が低いから、収入が低いからそれができない、その権利が確保できないというのではこれは国がやっておる事業として落第であるという意味で申し上げているので、具体的に申せば、先ほどお話が出ましたように、夜間の割引率を高くするとかいろいろございますけれども、もう一つ私が言いたいことは、この前の料金改定のときに、それまで市内通話は時間の制限がなかったのが時分制になった、あのとき私どもは大変反対したわけです。この時分制になっただけで、たとえばさっき力石さんがおっしゃったように、遠距離はもちろんはらはらしながら電話いたしますが、赤電話でも私どもははらはらするのです。十円玉がない場合は、ぷつんと切れてしまうと売店でお金をかえてもう一遍かけ直す。込み入った話をする場合に一番困るのです。そういうことが家庭でかける市内通話においても、時分制というものが持ち込まれてから落ちつかなくなってきた。そういう点はわれわれのナショナルミニマムという点からすればまことに困る制度である、だから時分制というのは一見合理的に見えるけれども、福祉という観点からするならば、この制度はもとの時分制のないあれに直すべきだというように考えているわけなんです。  あといろいろございますけれども、一例だけ……。
  30. 阿部未喜男

    ○阿部(未)委員 鈴木先生もお時間がないようですから、鈴木先生ひとつお願いしたいのですが、やはり同じ問題で、シビルミニマムの問題などで、たとえば政策的に押さえる場合もあるのではないかというようなお話があったわけで、そこに例として、たとえば寝たきり老人の場合の財政負担の問題が述べられました。NHKの場合にも私は非常に疑問に思っておるのですが、こういうふうな寝たきり老人に対する福祉であるとか、あるいはNHKの場合は受信料の免除だとかあるわけですが、そういう場合の負担、いわゆる社会福祉として国が責任を持たなければならないようなものに対する減免の措置を講ずる場合の負担は、ここで言うならば本来公社がやるべきなのか国が財政の中でやるべきなのか、どういうことになるのでございましょうか。
  31. 鈴木幸夫

    鈴木参考人 いま御指摘の御疑問は私も前から考えておりまして、私の意見から申し上げれば、基本的には公社料金でもってそういうものを考える必要はない、公社公社で、やはり料金決定については先ほどいろいろ御指摘のありましたように、全体のユーザーの負担の問題やら、企業個人の関係やら、料金値上げの波及効果やら、いろいろ検討しなければならない問題がありますけれども、料金体系はやはりそういう一つの論理を一貫した形で決めるべきものであって、やはり福祉的要素というものは公社負担においてなすべきではないか。ただしかし、それはあくまで理屈でありまして、現実にはなかなかそうはいかないという面があるので多少は考えなければならない。したがって、そういう意味で仮に料金政策的な要素を加えるとするならば、そういう部分はなるべく上げ幅を抑えた方がいいであろう。しかしその最終的なしりは結局財政が負わなければならないが、財政が負うという場合にはそういうかっこうで負うのがいいのか、むしろ老人福祉対策とか社会保障全般の政策的な支出をもっと高めていく方が必要だ、筋はそっちの方にあるのだというふうに考えております。
  32. 阿部未喜男

    ○阿部(未)委員 力石先生もお時間がないようでございますから、大変恐縮ですが、先生先ほど固定費の配分の問題それから寄与率を考える場合には発信だけでは誤りであって、着信と発信は寄与率の上では不可分な関係にあるのだ、こういうようなお話を承ったわけでございますが、それをずっと詰めていきますと、先ほど来問題になっておるナショナルミニマムというものと関連をしまして、いままでの議論では住宅電話についても値上げをすべきだという御意見があり、また一方ではシビルミニマム、ナショナルミニマムという御意見を敷衍していきますと、住宅用電話等は余り上げずに最低のものは料金をそのまま据え置いて、それによって利益を得るような営業用の電話はある程度上げてもいいのじゃないか、こういういろいろな御意見が出ておるわけでございます。これは先生おっしゃるように、ガスなり電力なりがやっているようないろいろな固定費の配分等を勘案してみなければわからないのですけれども、終局的に考えられることは、たとえば日常生活に欠かすことのできない生活の手段としての電話住宅用電話はこのまま据え置いて、電話の利用によって利益を得るような営業用の電話、そういうものはある程度上げてもいいのではないか、そういう結論にいくのかどうか。その点どういうことになりましょうか。
  33. 力石定一

    力石参考人 総括原価の枠内で個別原価を考慮しながら料金体系を組んでいくわけであります。ナショナルミニマムという問題は念頭には置きますけれども、基本的な固定費の配分云々というようなことは経済合理的な原価主義の行動であります。原価主義的な料金決定の作業というものがやられないでいきなり決まっているというところに問題があるのではないでしょうか。原価主義的にやればこの際は消費者にとって結果としては非常にいい結論になるのじゃないかということで私申し上げたわけです。  それから、先ほどちょっと言い落としたのですが、基本料金事務用について大都市で五倍くらいに上げろと言いましたが、これは非常に高過ぎるような感じなんですけれども、西ドイツの事務用電話は大体四千五百円くらいの基本料金だと思います。非常に高い基本料金をとっております。ですから、国際的な比較から見ましても五倍というのは決してむちゃな値段ではないというふうな感じがいたします。  そういう意味先ほど固定費の配分方法で三つあると言いましたけれども、三つのうちのどれをとるかということをもっとはっきりさしていただきたいと思います。たとえば需要量法というのはイギリスの電力会社においてとっている方法ですか、需要量法をとった場合には  たとえば使い方は事務用住宅用というのは圧倒的に事務用が多いわけですから、固定費の配分事務用にかなり大きなウェート配分しなければならぬということになりますね。そうしますと、事務用基本料金較差というのが非常に大きくなるということは自然な結論でありまして、政策的に、この際企業にふっかけて消費者はもっと免れたい、こういうふうな目的が先にあるよりも、まず原価主義で徹底してみると、結論としては消費者にとって悪い結論ではないのじゃないかというふうな考え方が私の背景にはあるわけです。ですから、ナショナルミニマムというのはそういうことを全部やった上で原価主義の枠内で内部補助として、こちらで取ったやつをこちらで埋めるというやり方で行われる操作でありまして、電力の場合なぜ福祉料金をとったかといいますと、使えば使うほど料金を高くする逓増型料金を一方でとっておりますね。逓増型料金をとりますとものすごくもうかるのですよ。一方でもうけておるのだからそれを吐き出せという意味福祉料金を今度は最底についてはやっておるわけですね。ですから、全体としては総括原価の枠内でやっておる、原価主義が貫かれておるわけです。いまの問題は原価主義の枠内でまず議論してみてもいいんじゃないかという感じがいたします。
  34. 阿部未喜男

    ○阿部(未)委員 ありがとうございました。  実はまだ高原先生にもお伺いしたいのですが、時間がないようでございますので、後で、保留させていただきまして、お帰りになる先生がありますので、途中で保留させていただきます。
  35. 伊藤宗一郎

    伊藤委員長 平田藤吉君。
  36. 平田藤吉

    ○平田委員 二時にもうお帰りになる先生方もいらっしゃるので、とりあえずお帰りになる先生方に対する質問だけさせていただきたいというように思います。  これは鈴木先生にちょっとお伺いしたいのですけれども、先ほども、鈴木参考人お話しですと、もし赤字であるとするならばというお話があるわけでしょう。公社で発表しておりますデータによりますと、昭和二十八年と四十九年——四十九年といいますと、電話が一番伸びておる時期ですね、住宅用電話が一番伸びておるわけです。この時期を比べてみますと、加入者数は二十八年が百七十七万台、四十九年は二千八百八十七万台になっているわけです。伸び率は十六・三倍です。つまり住宅用電話はずっとふえてこうなるわけですね。これに対して、収益の方で見ますと、昭和二十八年は千二十二億円、そして四十九年には一兆八千八百二十億円、十八・四倍になっておるわけです。つまり住宅用電話の伸び率が高い。確かに高い。ものすごい勢いで伸びておる。にもかかわらず伸び率よりも収益率の伸びの方が高いということになるわけですよ。この辺を一体どうごらんになるのだろうかということをひとつお伺いしたいわけです。
  37. 鈴木幸夫

    鈴木参考人 公社側でいただいた資料しか私は検討の材料がないわけでございますが、公社側でいただいたその資料で、私が拝見する限りにおきましては、住宅用電話が現実において収入支出の面でアンバランスになっておるという数字が出ているわけでございます。収益率が高かったということの詳しい数字は私もまだ検討しておりませんけれども、現状において住宅用電話赤字一つの大きな原因になっておるというふうに私は理解しているわけでございますが、その辺についてもし……。
  38. 平田藤吉

    ○平田委員 力石参考人に、この点でどうだろうかということをお聞かせいただきたいのです。
  39. 力石定一

    力石参考人 それは先ほど私が話しました原価計算全然やってないものだからそういうことになるわけでありまして、原価計算をちゃんとやって、それぞれの支出を、固定費の配分をちゃんとやっておればいまの議論は筋道立った説明ができるようになるんじゃないかと思います。
  40. 平田藤吉

    ○平田委員 竹内参考人にお伺いいたしますが、いまのことを踏まえまして、従業員数で見ますとどうなっておるかというと、昭和二十八年が十六万人、四十九年が三十一万人、伸び率一・九四倍ですね。二倍になってないですよ。つまり住宅用電話が十六・三倍になり、収益は十八・四倍になる。そして従業員数は合理化を進め、技術の進歩に応じてずっと抑えていって伸び率が一・九四倍なんですよ。そういう意味で、先ほどからの論議ですと、何か御意見聞いておりますと、もう少し労働者の配分の方をよくしたらいいんじゃないかなどの意見もあるわけですけれども、この点についてどうお考えになりますか。
  41. 竹内直一

    竹内参考人 この決算書を見ますと、費用の中で、先ほどお話の出ておりますように、減価償却費が大変に多い。その次多いのが利子及び債券取扱費というのですね。いわゆる資本費。私が先ほど申したように、設備投資の資金は国の出資金でやればこういう利子負担はかからない。また償還の必要がない。そういうことによってコストは軽減されるし、減価償却費については償却の方法を合理化することによって減らすことができる。だから、これは私の邪推になるかもしれませんけれども、料金値上げするために見せかけと言っては言い過ぎかもしれませんが、意図的にこういう赤字の見通しを立てているというように考えざるを得ないし、そういうことをすっきりさせれば人件費についても考慮できるのではないかというように考えます。  それからもう一つつけ加えますと、先ほどほかの価格との比較においていろいろお話がありました。はがきが何倍になっている、地下鉄が何倍になっているというお話なんですけれども、これはいわゆる労働集約的な産業のコストと、こういう資本集約的な産業のコストを同一に論じて、それが何倍だからこっちも何倍と一概には言えない。生鮮食料品の中でも卵というのは余り値上がりはしていなかった、そういうことを考慮していただきませんと、えらく大ざっぱな議論でもって一律何倍というのじゃ困ります、こういうことです。
  42. 平田藤吉

    ○平田委員 あとの参考人の皆さんに対する質問は後へ回させていただきます。
  43. 伊藤宗一郎

    伊藤委員長 田中昭二君。
  44. 田中昭二

    ○田中(昭)委員 きょうは参考人の先生方には御苦労さんでございます。時間の関係で、まず竹内参考人お話をお伺いしたいのです。  先ほど電電公社は公共企業体であるという原則をお述べになりました。私も大変貴重な御意見だ、同感であります。その公共企業体の公共料金であります電話電信料金の改定に当たっては、他の物価に比べて安いからということはとるべきじゃないということは大体ほかの先生方もそのような御意見でございましたし、私もそう思います。さらに家計費に影響を与えないからということでございましたけれども、これも私は先ほど先生がおっしゃったようにその倍率が二倍とか三倍とかということはやはり消費者に与えます影響というものが大きい、こういう意味でその御意見をとるわけでございますが、問題は三番目の赤字だから問題だ、これが問題だろうと思います。  それで公社は、公社自体の今度の改定案の前提になりました今後の経済情勢の中で、収入においては大体六%が増加するだろう、こういう収入増加前提に置いております。経費においては一二%といういままでの高度成長と余り変わらないような、この低成長、資源のないわが国の今後の経済の方向に向かっては大変ずさんと言いますか逆方向の前提条件をつくっておるように思います。  そこで、先ほど先生のお話の中で、計算の仕方が問題だ。減価償却が大きい。減価償却も、経済学的にも会計学的にもその損失を積み立てておりますし、そういう原価計算そのものの計算の仕方にも大変問題がある。私もいろいろ現地、各公社−の機関に行ってみますと、有形固定資産の中でその局にあります資産が、どういうものがどこにいっ買われたものがあるかわからない。普通だったら帳簿にありましてちゃんと何月何日に購入してどういうものだということがあるのですが、公社の場合は電算機に入れましたのかどうかしりませんが、符号にしてある。そういうものが途中で耐用年数を満たさずして償却されておる。それを償却するときには、未償却の金額については財産除却費というような名前で年間何百億、三百億、五百億という数字が落とされている。その除却の計算なんかでも私いろいろ現場に当たってみますけれども、わからないところがあります。それで除却費の中には土地が除却されたということになっているのですね。聞いてみますと、工事をするために砂利を敷きます。その砂利を敷いたものは土地の購入みたいな形になっている、そして工事が終わりますとそれは全部除却費で落ちておる、こういうこともございました。  そこで、私は設備投資の問題。やはり国民のための設備というものについては国の財政的な援助が必要である、こういうふうな御趣旨も聞きましたし、そのことにつきまして具体的にどのような公社の設備というものを財政的に補助していったらいいだろうかということをお聞きしたいわけでございます。  公社はいままで大変もうかってきましてもそれは全部設備投資に回っております。今度の第五次五ヵ年計画におきましても大変な五兆円を超すような投資を予定しております。そういうものを踏まえまして先生の御意見をお聞かせ願いたいと思います。
  45. 竹内直一

    竹内参考人 私が申すのは、政府の出資というのはこれは補助ではない、電電公社の仕事は国営事業ですから補助じゃないのです。出資金というのは資本金なんです。国有の企業ですから当然資本金を出すべきものを、国鉄も含めて公共企業体というのは資本金という観念がいままでなくて、全部償還を要する、そして利子を支払わなければならないそういうコストの高くつく資金で運用しているのが間違いだということを申し上げているわけです。それを何か税金で補助するというような観念でお受け取りになられますとちょっと困るのじゃないかと思うわけです。そこで電電の場合は設備費という形で利用者から取っているし、それから債券を強制的に、これは私から言わしめれば抱き合わせ販売でまことに不当なやり方ではないか、人の弱みにつけ込んで強制的に売りつける。政府のやることとしてはまことにけしからぬことだと思っておるのですけれども、そういうことが慣例的に何となしに認められているということ自体がおかしいと思うわけで、この際はっきり筋を通すべきではないかというように思うわけです。国からそれだけの資金を出す財政的な余裕がないという議論がすぐ出てまいりますけれども、私は税の制度をもっと抜本的に改めて、法人所得あるいは資産所得からそういうものを吸い上げて、こういう公共企業体の資金として使うというようにやっていくべきではないかと考えるわけです。  それからつけ加えますと、今度の電話事業の赤字、この見積もりなんですけれども、こういったものの見通しの数字のつくり方についてどういう物差しで収支の見通しをやるか。第一はその需要の見通しなんですけれども、いま問題になっている電気料金値上げについても、電気需要が昭和六十年にいまの倍になるという想定をしてやる。六十年倍ということは経済成長率六%。いまですら環境が汚れて大変だといっておるのに、昭和六十年に倍の経済規模を想定して電力の供給力をふやす、そういうことについての具体的な詰めというのがほとんどなされていない。電話事業についても同じような見積もりが電電公社の職員の手で一方的に行われて、こういう見通しに立てばこれだけ赤字になるから料金値上げだということを押しつけられてはまことに心外だ。  もう一つ電電公社の経理状況をこれは企業のディスクロージャーという観点から言うなれば、いまは会計検査院が監査をする、直接には監督官庁が監査するのでしょうけれども。そういうのでなくて、われわれ契約の当事者が必要とあらばいつでもその経理の内容を調べることができるといういわゆるガラス張りの経営に早く切りかえる必要があるじゃないかというように思うのです。
  46. 田中昭二

    ○田中(昭)委員 次に、力石先生にお尋ねしますが、基本的にどの先生も公社赤字、それは支出面にも問題があるというような御指摘がございました。  特に先生からは住宅用電話赤字になるというのは疑問だ、そういう御発言がございまして、私もそう思うのですが、いわゆる住宅用のコストは下がるはずであるというような先生の御発言でございました。これが基本的な公社の欠落である、その原因はどうかとおっしゃいましたけれども、その基本的な欠落であります住宅用のコスト、いわゆる原価計算そのものが公表されておりませんけれども、そういう面が一点と、それから先ほど先生から最後に厳しい御指摘ございました当然公社料金改定については郵政審議会にかけるべきである、ところが、公社を監督する立場にあります郵政省は、一切含めてそういうことをやらないのです。ですから、この際私は先生の御意見のとおり、全部含めて郵政審議会にかけて国民の利用者からの御意見を聞いた上でやるべきだろう、それで国会でも審議すべきだろう、こういう考え方を持っておるわけでございますが、その二点につきましてお話をお聞きしたいと思います。
  47. 力石定一

    力石参考人 後の方でございますけれども、この前認可料金については郵政審議会にかけるということになったようでありますけれども、法定料金はその限りにあらずというのはおかしいので、法定料金がまず先に問題になるべきものではないかというふうな感じがしまして意見を申し上げましたら、みんなそれは理屈としてはそうなんだけれども、慣行上そういうことをやっていないからというような、ただ慣行だけのようなんでございまして、これはしっかりとした指示を通信委員会の方で出されれば、これはそういうふうに改定できるんじゃないかという感触を私は持ちました。  それから最初の住宅用電話赤字という問題でありますけれども、原価計算に基づくところの赤字ではないということはもう先ほど来申し上げてきたわけでありますけれども、全体としてこれからの支出をどう考えるかという問題として先ほどちょっと私は皆さんの意見と違う意見を持っているのですが、電力なんかは、これからのGNPの成長を六%と踏んでも、電力は余り使わない経済を持っていった方がいいと思いますので、私は、むしろスウェーデンなんかは最近の国会では九〇年代のできるだけ早い時期にエネルギー成長率はゼロにしろ、GNPは数%成長するというようなことを、これは汚染が大きいし、資源問題がありますから、そういうふうな考え方国会は決議しているようですが、そういう考え方からいいますと、電力料金なんかについてやたらにこれからどんどん固定費も上がっていき、資本費も上がっていく、そういうことを前提として供給をふやすために、供給義務を果たすためにはこれだけの償却をしなければいかぬ、こういう投資計画のためにはこれだけのコストをどうしても必要とするというふうな形で出されることに対して私は非常に疑問があるのです。だけれども、私は電電公社につきましては、これは私はどんどんふやしていきましても実際に使うエネルギーというのはとにかく全原価の中の〇・三%ぐらいで、変動費というものは非常にウェートが低いし、使うことによって起こるところの省資源的な効果も大きいわけでありますから、したがって、電電公社の投資計画そのものが過大であり、支出をもっと緊縮できるのではないかというふうな議論には私は余り賛成できません。むしろ資源を余り使わないセクターとしてもっと十分に伸ばし、そしてみんながもっとこれを使えば使うほどコストが下がる、つまり費用逓減的なものというのはわりと少なくなってまいりまして、最近は費用逓増的になってくるわけでありますけれども、この費用逓減的なもので、しかも資源を余り使わないようなセクターというのは伸ばして、経済セクターというのは伸ばしていくという意味では私は電電公社が十分な加速償却をやって定率償却をやっても私は結構だと思います。  それをやって、なおかつそれをどういうふうな形で料金として負担をしていくかということについての合理的なコンセンサスが得られれば私はいいんじゃないかと思うのです。そういう意味で、まず料金体系をやってみて、それで増収が得られて黒字になればそれでいいし、それは大変な大成功だということになりますし、もしそれが予想が外れて弾性値が、需要の価格弾力性がそれほど予想どおりいか、ないということになった場合において、料金改定にいわゆる度数料引き上げというような問題にその次に議論してもいいんじゃないかと思うのです。そうしないと、まず上げておいて後から料金をということになりますと、こういうときでなければ苦労して考えないのですね。もう  一般的な水準で料金値上げができれば、料金体系については事情もあるしいろいろ圧力団体もそれぞれあるもんだから、適当にそれに歩調を合わせていくということになってしまって改定ができない。だから料金体系をしっかり筋の通った原価主義に基づくものにして、黒字になればあと苦労は要らないのですから、それをまずやってみることが必要なんじゃないかというふうに私は強調したかったわけであります。
  48. 田中昭二

    ○田中(昭)委員 鈴木先生にもありますけれども、時間があれですから次に……。
  49. 伊藤宗一郎

  50. 小沢貞孝

    小沢(貞)委員 両先生、時間が二時というのが多少過ぎているようですが、三点だけひとつ三先生にこれは御意見を聞かしていただきたいわけであります。  先ほど来遠距離電話を安くしろとか大変いい御意見をお聞きしました。そういう問題についても個々に御質問したいわけですが、時間がないので三点だけ私、鈴木先生、竹内先生、力石先生にお尋ねしたいわけです。  私は電報を廃止してしまえ、こういう主張を昨年来やっているわけです。いまの竹内先生及び力石先生からは、緊急なものはなるべく上げるな、略文使ってもやれ、慶弔みたようなものはうんと高くしろみたいなお話があるわけですが、私はやめてしまったらどうだろうか、それも一気にやめるということは、これはそれに従事している人もありますからそういうことはできないから、これ激変緩和でだんだんやめていったらどうだろうか、こう思うわけです。そのためにはまず慶弔電報はやめてしまう、緊急電報だけは、先ほど意見があったように略文なり何なりで残す、こういうような激変緩和で、そういうような形で三年計画、五年計画でやめていってしまう、こういうことはどうだろうか、それぞれ御意見をお伺いしたい、それが一点であります。  それから第二点は、どの先生もお触れにならないようですが、私は役所の機構というのが、たとえば農林省は本省があって、関東農政局があって、また県にある。電電公社もそうなんです。二県、三県にまたがっている何々局があって、県ごとに通信部があるわけです。私たちの長野県の方には信越電気通信局、そしてまた長野通信部、そしてその下へ行って松本電報電話局、こういう機構になっているわけです。  私は、役所が全部そういう機構になっていますから電電もそうだろうと思うのですが、これは交通通信の発達しないずっと前からの機構ですから、これだけ交通通信の発達した、しかも技術革新の最先端にある経営体である電電公社がまず率先一段階略すべきだ、こう思うわけです。信越電気通信局というその局は要らないわけです。各県ごとにある部でいいわけです。テレビ電話みたいなことまでできて、テレビ会議ですか、そういうことまでできるのは、公社みずからが幾らでもできるわけです。これも実は私は、人員がどんどんふえていくことを大変憂慮するわけです。これは一人当たりの能率を上げて人件費が上がることは賛成であります。がしかし、百人ふやすところを八十人ふやすとか五十人にとめておくためには、やはりこれは一段階外したらどうだろうか。大体公共料金の場合に、私たちはもっと民間経営のような感覚でもってシビアに検討して、それから国民にこのくらい上げてもらいたいというのが当然な話だ、こう思いますが、そういうことについてはだれも触れないわけであります。この問題について、これは三先生の御意見をお聞きしたいわけです。  それから竹内先生とどなたかの先生から——これは岡先生だったですか、岡先生後にして、三先生からお聞きしたいのですが、私は電電の経営を見ていると、通信機械設備投資株式会社、どんどん投資はするわ、定率法でその償却費はどんどん上がっていくわ、これは技術革新の最先端にある企業としてはそれに対応するために、償却をどんどんやって技術革新に対応しなければいけないということがあるのですが、これは高度経済成長時代のそのままの名残みたいなもので、減速経済時代に入れば投資ももう少し少なくする、そしてまた定率法を定額法にするか——民間ではその企業のもうけの状態なんか考えて臨機応変に定率と定額を転換させたりしてやっていきますから、そういうことで償却費のウェートが余りにも高過ぎることはどうだろうかということで国会でも論議したことがあるわけですが、この点についての御意見、三先生からお尋ねをしたいと思う。その三つだけ、御意見だけで結構でございます。
  51. 鈴木幸夫

    鈴木参考人 それでは簡単に、三つの御質問についてお答えしたいと思います。  第一の電報についてでございますけれども、先生のおっしゃるように、私自身は前々から電報廃止論者でございまして、できることなら全廃してしまった方がいいと考えているわけでございます。ただ先ほども申し上げましたように、地域によっては電話というものが使えないような地帯もございます。そういうところは電報というものをいままでどおり使わなければなりませんが、それは全国でも非常に限られた地域になってくるのじゃないか、そういうものについてはある程度のコストをかけざるを得ないというふうに考えているわけでございます。  ところで、現実にいますぐ一挙に全廃するということになれば、まずここにいらっしゃる先生方も大変御迷惑をなさるだろうと思いますけれども、私たちは基本的に慶弔電報なんというものは、ある意味では先ほど私が申し上げましたように、根本的には禁止料金的な考え方でできるだけ大幅に上げる。十倍あるいは十二、三倍上げても差し支えないというふうに考えているわけでございます。したがって、そういうものを使わなくなるようになることがむしろ望ましいのだというふうにわれわれは考えているわけです。  そういう意味で、その中でさっき申し上げたように一部の「チチキトク」だとかそういう特殊な用途に使われるものについては、仮に上げるにしても現在考えられている程度の上げ幅にとどめておいて、それ以外のものは大幅に上げるという形にした方が、だんだんと電報を漸減的にやめていくというふうな方向にはかえって望ましいのではないかというふうに考えております。  それから第二の電電公社の機構的な問題でございますけれども、私は、実は電電公社の地方における機構がどういうふうに動いているかということは、大変不勉強で申しわけございませんが、十分実態は存じ上げていないわけです。ですから、具体的にここでどうしたらいいということは申し上げかねるわけでございます。ただ私は湘南地方に住んでおりますが、自分の住んでいる周辺でのサービスの仕方とかあるいは故障の直し方というような面については、先ほどからもほかの委員の先生方からもお話がありましたけれども、何と申しますか、非常に官僚的と申しますか、ルーズであるという感じは持っております。結局これは一種の役所の機構と同じような形になっていて、しかも非常に役所的な気風の中でずっと育ってきたために、体質的にそういうものがあるのではないかというふうに考えておりますので、これはやはり機構を含めて、われわれ自体ももっと勉強して、基本的にそういう問題を洗い直してみる必要があるのではないかというふうに考えております。  ただ、その問題に入る前に、当面、いま問題になっております電報をめぐる人員の配置の問題だとか機構の問題にまず先に手をつけていかなければならない。いま一番目につく非採算的な、非合理的な部門を、まず先にそういうものから是正していかなければならないというふうに考えているわけでございます。  それから三番目の電電公社は一種の投資会社みたいではないかとおっしゃるわけですが、これはまさに二番目に御指摘のあった公社の官僚的な性格というものと要するに表裏一体になっているわけでございまして、ハード部門においては確かに優秀な技術者の方々がたくさんおられまして、技術革新という面では相当な効果を挙げてきている。現に四十八年度まで公社がどうやらこうやら黒字でいられたというのもやはり技術革新によって生産性なり合理化の効果というものがかなり上がっていたわけでございまして、そういう面でハード中心型で来たということ自体、高度経済成長時代はある程度やむを得なかったのではないか。ただしかし、同じ惰性でもって今後もそういうふうな経営態度を続けるということがいいかどうかという点については、先ほどほかの先生方からもいろいろ御意見がありましたけれども、私ももちろん投資主導型というか投資に傾斜したようなやり方については若干の疑問を持っている。やはりこれからのこういう減速成長の時代に入って、民間設備投資全体が伸び悩んでいく中で、ある程度電電公社設備投資についてもスローダウンしていくことはやむを得ないのではないか、むしろそうあるべきじゃないかと考えているわけでございます。  ただ、公社の今後の収支採算の面から見て、いま設備投資をしていかないために将来ドル箱を失うということになったのでは結局元も子もないということにもなりますので、その辺の判断をどうするかということは、もう少しこの値上げをする機会に詰めてみる必要があるだろうと思います。  それから償却の問題ですが、私は最初の午前の発言のときに定率制をいまここで一挙に変えなければならないという必然的な理由はないというふうに申し上げたわけです。理屈の上でともかく現段階において定率制をすぐに動かすには、それに対応するだけの理論的な説明が十分になされなければならないと私は思っているわけです。民間の場合ですと、最近は一部の企業では定率制を定額制に変えていくというふうないろいろ動きもあるわけでございますが、公社の場合はやはり設備投資そのものの内容自体技術革新というものにいろいろ影響されるわけでございまして、将来の耐用年数その他についても相当慎重に考えなければならないのではないだろうかというふうに考えているわけです。ただこれは、私は専門家ではございませんので余り突っ込んだことは申し上げられませんが、いま定率法をとっていることによって非常に前重の形で償却がふえていることは事実でございますけれども、今後、長期的に見れば、後半になればだんだんとウェートが少なくなってくるということもございます。ですから定率法の問題を目先の問題だけで議論することがいいかどうかについては依然として私は一つの疑問を持っているわけでございます。  大体そんなところで……。
  52. 竹内直一

    竹内参考人 第一点の電報なんですが、慶弔電報廃止は賛成でございます。結婚式の場合はあらかじめわかっているのですから、事前に心のこもった手紙を新郎新婦に出せばよろしいし、お葬式の場合はあらかじめわかりませんけれども、これだって何も告別式の席上に電報が届いていなくては失礼だというわけでもないのですから、そういう意味で慶弔電報廃止賛成でございます。  ただし、先ほど来出ておりますように、いわゆる生活電報ですか、「チチキトク」とかなんとかいう場合、これだけは最小限度のシビルミニマムとして、電話がきちっと普及すれば必要でないのかもしれませんけれども、それまでの手当てとしてはぜひこれは残しておくべきであるし、料金も安くしておくべきだというふうに考えます。  第二点の中二階のお話ですけれども、私ももと農林省におって、自治体の方の御意見を聞きますと、あの農政局というものができてからまことに不便になった、迷惑していると言います。結局あれは役人のポストを確保するために中二階をつくった、私率直に申せばそう思います。したがって、あれはなくてよろしい、しかしそうは言いながら霞が関の中央官庁に権限が集中し過ぎているから中二階が必要になると思いますので、できるだけ地方自治体あるいは府県単位の出先に権限を委譲して、そこで一般の者がいろいろ仕事を処理できるようにすべきである。その一助としてこの電電の仕事が役立つということになれば非常に結構なことだと思って、そういう意味で電電が真っ先に先頭切ってこの中二階を外す、そのためにはこういうシステムでわれわれの仕事がこういうふうに生きたというふうに見本を示してもらえばみんな右へならえするのではないかと思います。  三点の通信機械設備投資株式会社になっているではないか、確かにそういうように見受けられる面がございます。関連企業の操業度を上げるためにやたらにこういう新規の投資計画をやっているのじゃないか。これは私の邪推かもしれませんが、電電公社が考えておる今後のいろいろな新規の計画、これが本当に必要なんだという信念を持ってやるのであれば、利用者あるいは利用予定者に対してもっともっと説得する義務があるではないか。いまの電電公社の計画というのは何らビジョンがない。だから関連企業の不景気を直すためにやっている。本末転倒のような、これは私の邪推であるかもしれませんが、そういう印象を受けます。
  53. 力石定一

    力石参考人 電報廃止論でございますけれども、私は反対でございます。ナショナルミニマムという意味電報はシステムそのものはやはり残しておきたい。それから事務用としまして、たとえば電話では証拠が残らない。文書という形で残すという意味電報を使うという需要があるわけですから、その需要がある限りにおいてはやはり電報は残した方がいいだろう。恐らくファクシミリなんかがどんどん出てきて、そして電話が同時に文面にも証拠として残るようになれば需要はかなり減ってくると思いますが、その段階を通過しながら漸減することには反対ではございませんけれども、いきなりいまとにかく何でも縮小すればいいというふうなぐあいにはいかないのではないか。だから当面はそのコストに応じて、禁止的な水準というよりか、コストどおりとにかく払ってもらうということでありまして、事業用や慶弔電報についてはコストどおりちゃんと払ってもらう心そしてコストさえ払えばとにかく運んでも結構だ。どうせナショナルミニマムを維持するためのシステムがあるわけですから、それを利用するという意味で、これはいきなり除くわけにはいかないわけですから、できるだけ利用した方がそれだけ固定費の負担は下がるわけですから、平均費用は下がるわけですから、だからこれは意識的に減らすことをいきなり考えるよりも、そういう料金政策を通じて漸進的に撤退していくということでいいのではないかと思います。  二番目の局舎の問題でありますけれども、もしそういう官僚的な機構が機能の必要のないのに出てくるという必然性があるとすれば、当然除かれてしかるべきだと思います。ただ私は、日本の公益事業体が資本金が少ないということを先ほども言われましたが、私もその点で問題があると思います。同時に日本公社も出資機能を持って、たとえばデータ通信サービスなんというのは公益事業ではないのでありまして、他の競争者がいるわけです。ですから他の競争者と弾力的機動的に競争しなければ仕事にならない。マーケットで働いて、マーケットメカニズムが非常に重要な分野でありますから、したがって、こういう分野で仕事をする場合には、公社みずからがやるよりも、むしろ別会社をつくって、別の子会社、競争的公企業ですか、そういうものをつくって、そして積極的に、コンピューターを買わされているような人たちに対して、それは非常にむだなんだというようなことがはっきりさせられるような一つの仕事をやることは、私は非常に公益のためになると思います。そういう意味で、日本の民業を圧迫するからというので、公社に対して、民間と競合するような企業体に対する出資を抑制するという考え方がいままでありますけれども、これは間違っていると思います。逆に積極的に、社会的な利益に即して民間と競争してでも、別に親方日の丸の補助は何も得ないでも十分やっていける。民間が非常にむだなことをやったり、あるいは超過利潤を得ている場合に対して、それに競争的に割り込んでいくという意味で民業を官業が圧迫することについては問題はないわけでありまして、公益のために市場でそういう仕事をするというのを競争的公企業というわけでありますが、公益企業公社とは別にそういうものをつくって、どんどんおやりになって、人が余っているならば、そういうところへどんどん人を出して、そういう分野、市場分野を開拓していくということによって雇用を吸収していくということが望ましいのではないかと思うのです。そういう意味で、これはイギリスで公益事業論を論ずる場合にしばしば問題になっているところでありまして、競争的公企業を別に持つということは非常にいい。たとえば通信機メーカーのいいものを別に持っておりますと、大体コストがわかるわけです。公社の直属の競争的公企業、通信会社がある。そうするとそのコストをもとにして、購入する場合でもこういうコストではないかということで競争的な立場に立てますから、安く購入できるわけです。そういう意味での、ユーザーとしての公社の取引力を増加するという意味でも、そういうふうな競争的公企業をいろいろな形で持つということは、私は当然いいことじゃないかと思う。そういうふうなところへ人を使うということになれば、そういう中間的な人員を排除するということは幾らでもできるのではないかというふうに思います。  三番目の償却の問題でありますが、先ほど私言いましたように、われわれのこれからの経済の中で高度に伸ばしていかなければならぬ部門と、抑制しなければならぬ分野とあるわけです。この経済セクターによってその対策を選別的にやらなければいけない、選択的な経済成長に入らなければいかぬと思うのです。ですから、石油だとか電力であるとか、あるいは耐久消費財の耐用年数を短くして使い捨てをやるとか、そういうふうなセクターはできるだけこれを抑制して、資本とかエネルギーへの負荷がかからないような形の成長テンポに落としていくという意味で、償却の方法なんかも厳しく、定率にしていれば定額にするというふうなことをやるべきであると思います。しかしながら、これから資源とかエネルギーを余り使わないで、しかも全体として経済を豊かにできるようなそういう分野、たとえば情報社会に向かっていくということは、これはますます物から離れて、いわばポスト・インダストリアル・ソサエティー、脱工業化社会に向かっていく。それはエネルギーとか資源を余り使わないわけでありますが、そういうセクターはどんどん伸ばしていかなければならぬ。そういう意味で、ノーハウをどんどん開発するとか、あるいはサービス産業の分野とか福祉分野とか、こういう分野は資源、エネルギーあるいは環境への負荷が非常に少ないわけです。そういうセクターをオランダの経済学者ティンバーゲンはクリーンセクターと言っています。それに対して、資源とエネルギーに負荷量を非常にかけて環境にストレスを起こす分野をダーティーセクターと言っています。ダーティーセクターをできるだけ抑制的にして、クリーンセクターは選択的に伸ばしていく。そうしますと、比較的公害が少なくて、資源を余り使わない型の経済成長になっていくわけでありまして、そういう意味では私は、自動車はできるだけ抑制して、国鉄をどんどん投資して伸ばしていくべきだ、ハイウェー建設はやめて新幹線はどんどんやるべし、こういうふうな選択的な需要の刺激が必要だと思います。そういう意味では電電公社のような情報型のコミュニケーションを発達させる、特にハイウェーだとか、国鉄がネットワークを全国につくりましても、大都市にどんどん人が集中してくる集中効果が非常に働いておりまして、これはストロー効果といいますが、分散効果と両方働くものですから、やっても分散になるとは限らないわけですけれども、コミュニケーシヨンの中で、ネットワーク投資の中で電電のネットワークというのは料金体系さえ遠距離料金をもっと安くして合理的につけてやれば、分散効果は非常にあるわけです。そういう意味で、過密対策をも兼ねて、もっと積極的に電話部門は拡大投資をやっていくべきじゃないか。しかもその投資の中でノーハウ的なものをつくり出していく、あるいは世界の通信機メーカーやあるいはコンピューターメーカーと対抗する意味で、日本の技術開発を促進する一つの拠点、ベースになっているわけでありますから、そういうところでの研究投資を大幅に拡大して、IBMの国際寡占の支配に対して挑戦する力をわれわれはここに一つ持っているわけです。  そういう意味でも、私は国際的な観点からも、過密対策の観点からも、そしてまたセクター別の選択的成長という観点からも、私は積極的に加速償却を続行すべしという考え方を持っておりまして、減速経済であるということは一律に全部減速させるということではなくて、資源とエネルギーと環境へのストレスを起こす分野を極力抑えるということにしなければいかぬ。ところが、いまの経済政策というのは、どうも資源と環境とエネルギーに対してストレスを起こす分野を高成長させて、ストレスを起こさない分野を抑えるという傾向があるように見受けられます。そういう意味で逆にハンドルを切っているわけでありまして、ハンドルの切り方をもっと慎重に考える必要があるように思います。  以上であります。
  54. 伊藤宗一郎

    伊藤委員長 鈴木竹内力石参考人方々、まことにありがとうございました。お時間でもございますので、どうぞ御退席をいただきたいと思います。本当にありがとうございました。(拍手)
  55. 阿部未喜男

    ○阿部(未)委員 それでは、先ほど質問を保留させていただきました高原先生と八島先生にお伺いしたいと思います。  まず、高原先生の御意見の中で、料金法定主義については若干疑問がある——先生でしたか鈴木先生でしたか——その理由として、一つ政策的になり過ぎるのではないかということ、一つ電電公社国会の方へばかり顔を向けておって、利用者の方に顔を向けないから、コミュニケーションが非常に少なくなるではないか、そういうふうな御意見があったようでございますが、もし先生のお説のように考えるとすれば、では一体利用者の意見をどういう形で集約できるのだろうか、そのことに私は若干疑問がありますので、むしろある場合には、これは公共企業体でおやりになっている仕事ですから政策的なことも必要でありましょうし、もう一つコミュニケーションの問題は、国会で法定主義だからコミュニケーションができないというのは間違いではないか。むしろコミュニケーションを十分やりながらその意見国会に集約することの方が正しいのではないか、そういうことも考えられるわけですが、したがってもし法定主義を外すとすればどういう形でやればいいのか。それから私の意見としては、むしろ十分コミュニケーションをやった上でなお国会で法定すべきではないか、そういう考えがあるのですが、いかがでしょうか。
  56. 高原須美子

    ○高原参考人 それではお答えいたしますけれども、最初、政策的になるから料金法定主義に反対だということではなくて、政治情勢に左右されて経済原則がそこの中でうやむやにされてしまうので考え直すべきではないかということを申し上げたわけでございます。たとえば、今度継続審議になったり、その前に四十七年四月一日からの国鉄料金値上げ申請が出された場合に、それが廃案になったりしております。そういうのが本当に国会で討議されて、政策的に本当に討議された上で長々時間がかかっているのなら納得できるのですけれども、ほかの政治情勢でお忙しいために、それに巻き込まれて遅くなると非常に経済原則が通りにくくなって、そのために赤字が重なり、その赤字が利子を必要として雪だるま式になっていくというような形になることを私は恐れるわけでございますので、そういう政治情勢に左右されないような方式が何か必要なんじゃないかということを申し上げたわけです。  それから、第二点の利用者の意見の反映でございますが、この電電料金の場合、先ほど力石先生からの御指摘もありますように、郵政審議会の議も経ておらず直接ここの国会に持ち込まれているわけです。そうしますと、国会の議員先生の皆さん方は民意を反映して投票でお出になっておられるので、その方が議論してくだされば最高の民主主義であるとは思いますけれども、国民にとっては国会の中というのはどうしてもはるか山のかなたのようなところでございまして、非常に民意が直接に伝わりにくいという懸念がございますので、この点についても疑問を申し上げたわけでございます。  それでは、具体的にどうせよと言っているのかという御質問でございますけれども、私はむしろもし国会でどうしてもとおっしゃる場合には、郵政審議会のようなところでがっちり民意を反映した上でその法案の原案みたいなものが出されるべきであるというふうに考えますし、法定主義自身に疑問を持っておりますので、最終的にはもっと第三者的な機関を、何とか委員会というような機関を設けまして、そこで、さっき竹内参考人は反対していらっしゃいましたけれども、ああいう消費者団体の意見を含めて十分利用者の意見を聞き、あるいは専門家の学者先生方の料金体系についての意見も反映した上で決めるというような形をとっていただくのがベターなんではないかと考えているわけです。
  57. 阿部未喜男

    ○阿部(未)委員 それでは、八島先生の御意見で、間違っておったらお許しをいただきたいのですが、やはり法定主義が正しいのではないかという御意見であったように私思うのですが、いま高原先生の御意見もありましたが、また審議会などというふうなものが逆に非常に隠れみの的な存在になる場合もありまして、まあ米価の問題にしろ、あるいは郵政省お見えになっておりますが、郵政審議会などもわれわれの目から見ると隠れのみの的な存在になって、ここを通したのだからもういいのだということになりがちなところもあるように思われます。したがって、私はなるべく多くの手続を踏む方がより多くの意見を反映することになるのではないかという気がしますが、法定主義についてどうお考えでございましょうか。
  58. 八島澄子

    八島参考人 私も先ほど意見の陳述のときにも申しましたけれども、ぜひ料金法定制度を守って国権の最高の場で討議していただきたいということを強く希望している者です。いまたとえば電気の問題でずっと論議されておりますけれども、これが通産大臣の認可だということで、今回は通産省、通産局の公聴会のみでなく民間公聴会も全国的に非常に積極的に取り上げられているということについては、非常に私どもも積極的な評価をいたしているわけです。まだまだ県段階ではやっていただけないところ、民間公聴会でも開けないところもありますし、そういう点はいま先生もおっしゃいましたように、もっといろいろな機会を通じて国民の多数から私たち利用者の意見をくみ上げていただくことを基本に考えていただきたいと思うのです。そういう点でいまの法定制度ということになりますと、国鉄とか郵便料金とかNHKの受信料であるとか、それから今回の電信電話がそういうものになっておりますけれども、もっとやはり広げて徹底した審議をやっていただきたいという点では、ただいまの電気料金の問題ですとか、それからすでに問題になっておりますガスですね。ガスの問題も国会審議ということになっておりませんけれども、私どもでいまいろいろとデータを出して調べておりますが、天然ガスに切りかえた段階でその方ばかり考えておりましたけれども、いまこの値上げの中で料金を調べてみますと、やはり切りかえただけで三倍ぐらいの値上げになっているというようなことも国会の場でうんと論議していただくという機会を持って私たちも勉強の機会にしていくし、それから国会に向けてもどんどん要求を反映させていくことができるというふうに考えるわけです。  そのことと関連しまして各種の審議会ですね。ただいまもお話がございましたけれども、やはり一般の私たち利用者の代表、消費者の代表をもっともっと審議会の中に加えていただきたい。そのことによりましてうんとそこで論議できて反映できないと、なかなか私どもの意見がまだ反映しにくい委員会の構成メンバーになっているのではないかというふうに思うわけです。そういう点を含めまして法定制度の問題につきましても三月のたしか逓信委員会の場で検討されているように読んでおりますので、ぜひ守って先生方もがんばっていただきたいというふうに思います。
  59. 阿部未喜男

    ○阿部(未)委員 最後に岡先生をもう一遍煩わしたいのでございますが、同じ経済性という言葉が使われましても、高原先生のお説の経済性の場合と、それから力石先生の経済性の場合ですね、私どもの受けとめ方として幾らか違ってくるような気がいたします。具体的に言いますと、単なる経済性を追求していった場合には、住宅用電話が高くつくんだからこれを上げろという理屈にもなってくる。ところがいわゆる固定費の配分などを参考にして、そしていわゆる個別原価の問題等に入っていくと、あるいは住宅用電話の方が安くていいのではないかという理屈も出てくるようでございますが、それを抜きにしまして純然たる政策的に先ほどちょっとお伺いしたのですが、もう今日、電話が生活必需品として電気、ガス、水道と同じような役割りを果たして国民生活に欠かせない状態になっておる。とするならば、一般国民生活に最低限必要なものについては、これはナショナルミニマムと申しましょうか、安い料金で提供をする。これが営業用に利用されてそこから利益が上がってくるような利用方法をとっておられる方については原価主義での負担をしていただいても結構ではないか。そういう意味合いでこれが妥当かどうかわかりませんが、たとえば住宅用電話は現行のまま、営業用電話値上げはやむを得ない、こういう見方一つあると思います。もう一つは、営業用であってもその中に、先ほど着信の問題もありましたが、個人の日常生活にきわめて必要なために使う部分もあると思われます。そうすれば度数制というものを採用して、百度数までは七円である、百度数を超えて使う場合には幾らか高くなってもやむを得ない、そういうようなことが考えられないものかどうか、先生の御意見を伺いたいのでございます。
  60. 岡茂男

    岡参考人 私が先ほど福祉料金体系と申したのは、そういういまおっしゃったような使用量の少ないものに対しましては社会的な配慮を加えて、それは電灯料金の場合もそうでございますけれども、できるだけ低料金にする。そういう意味で使用度数を一つの基準にしまして、度数の比較的少ないものに対しましてはできるだけ料金は現行料金を据え置くような形でやる。これは一つのそういう福祉型の料金政策であろうかと思います。ところが今回の値上げ案は、むしろ逆になるわけでございまして、そういう百度数以下のところが事務用電話に比べますと値上げ率が高くなるようなそういう計算になってしまいますから、こういう点はむしろ逆だということを最初にも申し上げたわけで、私もそういう点は結構な案ではないかと思います。
  61. 阿部未喜男

    ○阿部(未)委員 終わります。ありがとうございました。
  62. 平田藤吉

    ○平田委員 初めに高原参考人にお伺いしたいのです。  先ほどお話を聞いておりますと、赤字だ、したがって、たとえば国会で審議で時間がかかるということは電電公社経営に非常に困難を来たすではないか、経済性を抑える結果が生まれるのだから、むしろ法定性を外した方がいいと言われる意見の基本をなすのは、赤字だという前提から出発されるわけなんですね。私が先ほど例を引きましたように、赤字だと言われるけれども、実際にはいま申し上げたような収益が上がっている。ですから、電電公社のデータによると、昭和二十八年から四十八年までの利益の累計、これが六千四百五十九億円に上っているのですね。ですから、たとえば四十九年度に赤字が出ました、幾ら出たというと、千七百五十三億なんですよ。ですから、この六千四百五十九億の中から千七百五十三億円の赤字を補てんしていったとしても四千七百六億円の利益になるわけですよ。これが現実なんですね。住宅用電話がぐぐっとふえた段階での現実なんですよ。ところが五十一年度予算を見ますと、大変奇妙な予算が組まれておる。私どもには理解できないのですよ。何ぼ電電公社に聞いてもこれはわからぬです。といいますのは、こういう仕組みになっているのですね。五十年度に三百万台住宅用電話をつけたわけです。それを含めた建設投資総額が一兆三千百七十億円だったのですよ。ところが五十一年度は五十年度より四十万台減らすのですね。二百六十万台なんですよ。ところがこの建設投資のかかる費用は一兆五千億だというのですよ。電話の設置台数が四十万台も減ったのに、五十年度の、つまり四十万台多い三百万台をつけたときよりも千八百三十億円も余計かかるというのは、これは一体何だろう。実際につける経費が上がったのかと言ったら、上がっちゃいないわけですよ。そうしますと、五十四年度の二百六十万台を五十年度並みの経費でつくるとすると、これは建設投資ですから住宅用電話だけではないのですけれども、ほかのものも含んでいる。しかし五十一年度が五十年度並みでできるとすれば、一兆五千億円からさらに三千八百億円ぐらい減らすことができるのですよ。何でこんな予算が組まれるのだろうか。それで赤字だ、赤字だと言って大騒ぎしているのですよ。高原先生のところの資料も、赤字でございます。赤字でございますというふうに資料を出していくわけですね。だから私どもは、これを審議し、皆さんの意見もお聞かせいただいて、さらに公聴会を開きなさいと言っているのですよ。意見を反映させてもらいたいというふうに言っているわけですよ。国会議員が代表してやっているだけじゃ、とにかく国民の皆さんの直接の意見も聞いた方がいいのですからというふうに言うのです。こんな予算の組み方をしているのですよ。  それじゃ一体、そんなに設置台数が減って予算が大幅にふえるというのは何だろうか。いろいろ検討してみますと、まあ問題はいっぱいありますけれども、たとえばデータ通信一般の通信綱と結びつけて、そして交換台を設けてデータ通信一般通信綱を使えるようにする、この交換台をつくるための費用だとか、あるいは自動車電話ですね、自家用車の中に乗っていて電話をかけましょうというのですよ。こういうものの開発とか、あるいはファクシミリを家庭へつけますとか、新聞社なら新聞社が打ち出すものが家庭でずっと印刷されて出てくるような仕組みをつくりますとか、とにかくそういう、私どもから言わせますと不急ですよ。科学技術の発達に反対するものじゃないです。しかし、いま値上げをしてまでそういうところへ金をつぎ込まなければならぬだろうかという疑問が出てくるのですね。こういうことをする予算がこの中に隠されているわけなんですよ。そして、ここのところはなかなか容易に問題を明確にしないわけなんです。ですからそういう意味で、高原参考人先ほど来おっしゃる基本が赤字だというところから出発されるわけなんで、私どもから見ればいま申し上げましたような設備投資のやり方、それから減価償却のやり方、その他の経費の節減の仕方、たとえば減価償却の中にもいろいろあります、耐用年数をめぐる問題とか、いろいろあります、そういうものを節約してがっちり締めてかかれば、何もここで一般電話値上げしなくたって済むではないかということを私どもは言っているわけなんですよ。  いま一定の数字を申し上げましたけれども、そういう点から見て、なおかつ高原参考人の場合には赤字なんだからしようがないというふうにおっしゃるのかどうなのか、お聞かせいただきたい。
  63. 高原須美子

    ○高原参考人 いまいろいろ細かくお引きになったことは、電電から聞かれてもおわかりにならない限り、私がお答えすべきことではないと思いますので、私が理解している私の考え方を申し上げたいと思います。  私は経済で習いまして、何と言うんでしょうか、収入支出が上回って赤字になりますね、いまの場合、電電の場合は需要がふえてきた、需要というか、普及台数がふえたことによって、収入はおっしゃるように確かにずっと伸びてきております。それから支出の方は、技術革新合理化に伴って、伸びてはいますけれども普及率の伸びほど大きくなくて、合理化によって私はかなりいままでカバーしてきていると思います。でも、あるときには必ずそこに限度が来るわけで、私は電電からしか数字をいただいていませんので電電からいただいた数字で見る限りは、ここで限界に来ているというふうに判断したわけでございます。  ただ、その中身をどういう形で、さっき申し上げたように料金体系をどうするかということはまた別の問題でございまして、赤字といいますか、かなりコストアップはすでに生じており、それがカバーできないというところへ来ておりますし、それから確かに住宅用電話が伸びるにつれて一台当たりの回数は減ってきております。ということは、収入は伸び悩んでいるということなんです。ですから、そこで赤字であるということを認めます。ただし後半の今後の設備投資に関しては、今後も住宅用が八〇%であるというのが同じ電電の資料に書いてございますので、そういう形で私どもの生活が向上するような形での技術革新、それから新しい投資をしていただきたいということははっきり申し上げたいと思います。
  64. 平田藤吉

    ○平田委員 いまおっしゃいましたけれども、電電公社の秋草さんでしたかな、一月に言われているのですよ。それはピーク時の施設が必要なんだ。ピーク時というのは大体九時から十一時、それから一時から二時、主としてこれは企業用が柱になっているのだ。それはそうでしょう。家庭にいないうちはいっぱいありますからね。これを基準にして電話の諸施設をつくるのです。だから、これがいっぱいになるまでの間は、住宅用電話が何ほふえたって別に経費がかかるわけじゃないのですよ。だから、ふえたら利用度が下がるからそれで赤字が出るなんと言うのは全くのごまかしなんだ。私どもも高原参考人と同様に電電公社からいただいた資料に基づいて検討しているわけなんです。同じ資料なんです。別に私どもがどこかから出してきた資料じゃないのですよ。まずそのことを申し上げておきたいと思うのです。  それで、次に八島参考人にお伺いしたいわけですけれども、電電公社も政府も、今度の電話料金値上げ消費者物価に与える影響というのは大体〇・四%ぐらいだから大したことはないのだというふうに言われておりますけれども、主婦の立場から見てどう考えられるかお聞かせいただきたい。
  65. 八島澄子

    八島参考人 私は、いまの電話料金につきましては、値上げしても〇・四%ぐらいしか影響がないというようなことを伺いまして、消費者米価の審議会のときのことを思い出すのですけれども、何というのですか、政府の出されている計算というのは私たちの生活の実態と非常に合わないということをまず感ずるわけなんです。消費者米価が審議されますときに農林大臣が、一〇・二%上がりましても家庭に対しては一人一ヵ月百円しか米代の値上げ支出増にはならない、それであれば一家四人であっても四百円ではないかというようなことを言われて、参加した者はみんな非常に憤慨したわけですけれども、私どもの方の家計簿のモニターで調べてみますと、四人家族で大体主食が、いろいろめん類だとかお米だとか合わせまして一万五千八百三十七円かかっているわけなんです。そうしますと、麦が一六・四%で、お米の値上がり分と計算しますと、これが一万七千六百六十一円になりますので、差し引き月に千八百二十四円増で、年間にしますと二万円を超すということになるわけなんです。そういたしますと、農林大臣が、月四百円と言いましたのと千八百二十四円では余りにも開きが大き過ぎるということで、実際の私どものこうした生活を、まあお米のことにいま関連して申し上げたのですけれども、御存じなんだろうかという点から考えますと、電話のことだけを考えて私ども生活していくわけにいかない。電話も上がると困るわけですけれども、電気ももうすでに五社が認可済み。電気は〇・三六%というふうに言われておりますけれども、全部がそういうことで総がかりになってくるわけなんです。先日もいろいろな団体との交流のときに、学生生協の人からお話を伺ったのですけれども、学生の方たちの大体六割の人が家庭を離れて勉学をしている。その人たちと話し合ってみたところが、アンケートの中で、この大変なインフレ、高物価の中でどういうふうにして生活をしていくかという中で、食費を切り詰めるというのが三九%あったというわけです。それから二食にするというのが二一%あったというわけです。ですから、私も子供を学校にやっておりますけれども、そういう点から言いましても、本当に次代を背負っていく子供たちがおなかをすかせながら勉強していく。次の時代をもっともっといい世の中にしていくためにということでいろいろなものを、理論を身につけ、実際の中から学んでいく子供たちがこういう状態の中で勉強をさせられているということ自身、親の立場からすると身を切られるような状態なわけです。そうしたお米にしてもそうですし、電気にしましてもそうですし、ガス代も先ほどもちょっと申しましたけれども、もうすでに公聴会の連絡も参っております。きのうも計算してみますと、天然ガスに切りかえまして三十九立方で三千八百五円のものが、切りかえ前ですと百二十五立方で三千八百六十円なんです。そうすると、実際三倍以上なわけですね。そういうことが全部生活にのしかかってまいりますし、そういう点では電信電話値上げということが、私どもの生活の中になくてはならない電話ということになるわけですし、そういう点から言いましても、いま先生がおっしゃいました〇・四%ということ自身も疑問に思いますし、それから生活全体から言いましてもどうしても値上げ賛成できないという気持ちを持つわけです。
  66. 平田藤吉

    ○平田委員 もう一つ八島参考人にお伺いしたいのですけれども、いま地域集団電話あるいは農村集団電話とも言われておりますけれどもあるのですが、これが人口のふえているところでは大変困難になってきているのです。何せ一本の線に五本ぶら下がり、七本ぶら下がり、十本ぶら下がるというふうになっているのですから、一本のケーブルしかないわけですから、一人がかけるというと、あとの家は全部通じないという状態で、何とかこれを早く解決してもらいたい。とにかく朝出がけに用を足そうと思っても用が足りないから、仕方がない公衆電話へ行ってかけるのだ。自分の家に電話があっても使いものにならぬという話すらある状態なんですよ。ところが電電公社の方は先ほども申し上げたように、普通電話の方が大体終わる五十三年以降だ、それに手をつけるのは、こんなことを言っているのです。地域集団電話については早く何とかしてもらいたいというふうに願っているわけなんですけれども、やはりこういうすでに電話を持ってはいるけれども使いものにならなくなっている電話を早く解決してあげるべきだというふうに思うけれども、どうだろうか、どう考えられるだろうか。ところが電電公社の方は会議電話だとか自動車用電話だとかあるいは家庭用ファクシミリだとかコードレス電話だとかこういうところへ大変力を入れている。さっきの予算のからくりもここら辺に問題があるわけです。技術進歩は結構だけれども、いま国民にとって急いでもらわなければならないところをまずやって、その上でこうしたものをやったらいいと思うのですよ。たとえば私どもの家庭で生活するのに、コードレス電話なんて要りますか。二階から、もしもし私は二階にいるんだけれどもなんというようなことをやる必要はないのだから、大体これは用がないのですよ。やはりかなり広いところでなければ用はないです。こんなことを、恐らく皆さんの家庭皆そうだろうと思うのですよ。こういうところへ力を入れているというやり方は私は考えものだと思うのですが、八島参考人の御意見を聞かしていただきたいと思います。
  67. 八島澄子

    八島参考人 ただいまのお話ですけれども、私も埼玉県にいるんですが、埼玉の中にもこの地域集団電話というのがまだまだ解決されていないということで、いまお話を伺いますと、五十三年以降ということで、やはり応急措置でつけたのだから、こういうところは優先的に認めて至急解決していただきたいということは私自身も非常に強くお願いしたいと思うわけなんです。ただいまコードレス電話ですか、そういうものですとか自動車電話とかデータ通信とかということが私どもの生活からすれば非常に縁遠いといいますか、小佐野賢治さんのお屋敷なんかでしたら、やはりコードレス電話なんか必要じゃないかと思うのですけれども、私どもは一声上げれば家じゅう響くような家に住んでおりますので、やはり家庭の中でどうししても緊急なもの、たとえば先ほどの集団電話とか、それから公衆電話ですね、私どもも全国に会員がおりますけれども、まだまだ公衆電話が少なくて、そして地域にぜひつくってほしいということを運動としてもやっているわけですけれども、こういう点をぜひ私どもの生活に直接関係ある部分を急いでやっていただきたいというふうに思うのです。これはきのうですね、電電公社から出されている「あすでは遅い…。」というのをちょっと見せていただいたわけなんですけれども、非常にいま、六月から上げる予定のがまだ上げられていないということで、この料金改定がおくれる場合にはもっともっといろいろなものが後退するのだ、すぐつく電話の実現が後退するとか、ダイヤル化も大幅に繰り延べになるとか、おくれる加入区域の拡大であるとか、お話し中の電話がふえるというようなことで、またまた非常事態とならざるを得ませんというふうに言われているわけですけれども、片方で、私たちに直接生活に関係のない大企業のためのコードレス電話であるとか、自動車電話であるとか、そういうものをやられるようでしたら、私はそちらはやはり削ってでも当面急ぐ方をやっていただきたいということを特に切実に思うわけです。  以上です。
  68. 平田藤吉

    ○平田委員 まだいろいろお聞きしたいことがありますけれども、時間の関係もありますので、以上で終わります。
  69. 田中昭二

    ○田中(昭)委員 まず最初に高原参考人にお尋ねしますが、先ほどから聞いておりますと、公社の提供しました資料によって、公社赤字になった、コストが上がれば当然上げるべきじゃないかというような最初からの御主張でございましたが、いま平田委員も言っておりましたが、赤字ということを、それがコストが上がればというようなことですが、まずその赤字ということでございますが、赤字というのは公社の計算によるところの赤字である、これはだれでも認めると思うのです。ところが、その公社の計算の赤字も、いわゆる支出面ですね、収入よりも支出が多いから、それが何年か重なりますと、今度の計画によりますと、第五次の計画によりまして五十三年までは二兆六千億ぐらい赤字になります、だから、これを補うためには値上げを、こうなっているわけですね。そこで、その赤字でございますけれども、この二兆円を超す、そしてまた二兆円に及ぶような建設投資を行うこの電電公社の、日本一つしかない独占企業です、それですから、高原先生初め私も経営内容については本当に余りにも膨大過ぎて内容について細かく当たられない、当たられないのに赤字だ、公社が提供する資料は赤字だ、こう決めつけられる問題、その辺に問題もございますが、その辺がいま提示されております公社収支内容につきましても、この値上げの問題はおととしごろから話が出ておりまして、去年の八月に値上げ案のあれをつくりまして、そして、これだけ足りません。数字ははっきり覚えませんが、去年の八月、五兆円超しておったと思いますが、ことしの二月、またつくり直しました。そこで、支出面は千五百億円削られている。去年の八月出したもの、同じ改定案の内容ですよ。それで二月に出している。千五百億円支出は削られている。だから、またいま出せば何千億か削られるかもわかりませんが、そういうことで、いわゆるいま参考人もお引きになりましたけちけち作戦、こんな国鉄のようなまねはしない方がいいのです。電電公社と国鉄とは違うのです。それで、本当はこういうけちけち作戦をするのだったら、これで百五十億ですよ。先ほどの減価償却にしましても、すべてそういう問題があるわけですけれども、これはまた一つ一つ参考人にお尋ねする問題ではございません。これはあくまで公社に、政府にただすわけでございますけれども、もう一つ申し上げますと、いまのコストが上がる。コストが上がるのも、これは技術の最先端をいく公社の通信施設ですね、技術革新により生産性は上がっております。それで具体的に人件費も昭和二十八年代からオイルショックの四十八年まで、この間の原価の中に占める労務費は、割合は下がっておるのです。ですから高原参考人がおっしゃるように、もちろん支払い利子の方はふえております。だけれども人件費の方は相対の原価に占める割合というのは同じか減っているぐらいです。そういうことも考えますと、私は、ただコストが上がるからという、そのコストの上がる原点をやはり国民に知らせなければ納得がいかない、こう思うのですが、その点はいかがでしょう。
  70. 高原須美子

    ○高原参考人 私も先ほど申し上げましたように、コストの上昇を認めると言っても決して水ぶくれ、水増しコストの上昇は認めるべきではないということを最初にはっきり申し上げてあるわけでございます。そこで、今日こういう形で検討が行われていると思いまして、皆様方はそういうふうに数字をお読みになっておられると思うのですけれども、たとえばいまの人件費をとりましても、確かにずっと四十八年ごろまで減ってきております。ただしその後、石油ショックの後の大幅な賃上げなどによりまして、その後の人件費はまたこれはふくらんできているわけでございますね。そうしますと、私どもの家計でも、収入がいつまでもずっと固定されていて、物価高で支出がどんどんふえていった場合には、どうしてもこれは赤字にならざるを得ません。そうした場合に何をするかと申しますと、私どもの家庭でもまずむだ遣いをなくす、つまり一生懸命合理化努力をしてその赤字幅をなくそうとするわけですね。そうしますと、私は電電公社の場合、かなりそういう努力をしてきていると思うわけです。私、特に電電の場合、ほかの料金値上げについて反対する場合も、もちろん全面賛成ではございませんので、反対する場合もございますが、合理化努力を一生懸命した場合のものについては認めるという方針をはっきり出さない限り、何でもいいからコスト上昇は認めるんだというような形のコスト上昇を認めるような形にしますと、いいかげんなことをしていても、これだけコストがふえたんだよ、はい上げてくれというようなことになると、私は逆に非常に危険だと思いますので、合理化努力がかなりある場合の合理化努力については認め、それでもなおかつ私が見た資料で計算する限り赤字であるならその分は厳重に皆様方にチェック、検討していただいた上で認めるべきではないかという意見なんでございますが。
  71. 田中昭二

    ○田中(昭)委員 私たちも厳重にチェックするという気持ちでやるわけでございますけれども、何さま膨大なこの経理の内容でございまして、高原先生も先ほど公共料金法定主義はどうだというような御意見も出ましたけれども、大体の意味はわかりましたから、もう議論はこれで先生のお話も大体わかりましたからやめますが、もう一つ簡単にお聞きしますが、これは常識的なことで、実は、いまおられませんが、鈴木参考人に聞きたかったわけでございますけれども、実は今度の料金改定を行いますと需要は減らない、こういう御意見鈴木参考人が言われました。私は常識的に、これはこの不況の時代に企業あたりがやはり一番節約したのはこの電話料でした。その証拠に四十九年度は公社の方も予算よりもぐっと落ちております。そういうことなりいままでの経過から見ますと、需要が——金額は別ですよ、需要というものはやはり節約ムードになって落ちるのじゃなかろうか、私はこう思いますが、落ちるか落ちないか、各参考人の一人一人の御意見をお聞かせ願いたいと思います。
  72. 岡茂男

    岡参考人 私もその点につきましては、料金が上がれば必ずそれだけの需要減少というものは起こるのじゃないか、そういうふうに思っております。  それで、これはいまも数字は申し上げませんでしたけれども、最近の不況下で、たしか事務用が一〇%以上減っておりますですね。これに住宅用が三%程度でございますから、三倍以上。ですから、景気変動なり価格弾力性に敏感なのはむしろ事務用の方で、そういう大きい変化があると思いますので、料金の方でもっとこれが大幅な上昇になりますと、家庭用はもちろん事務用の方でも相当需要減少というのは起こるのではないか、私はそういうふうに思います。
  73. 高原須美子

    ○高原参考人 いまの需要が落ちるかとの御質問でございますが、私、企業について、とりあえずは経費節減ということで落ちると思います。ただし、長い目で見ますと、さっき力石参考人がおっしゃいましたように、情報化社会でこの情報の武器をいかに使って能率を上げるかという形で利用してくると、またそれは回復するのではないかと思うわけです。  それから家庭につきましても、私は自分が主婦の立場でおりますので、値上げされた場合には、子供にもなるべくかけないように、私もなるべく短く切るというような、要するにさっき申し上げました家計が赤字にならないような、むだ遣いしないような努力をしていくので、落ちると思うのです。  そこで、先ほど前の先生の御質問にもあって、ピーク時に合わせて設備をしているというお話ございましたのですけれども、私、これは電力の場合には、家庭がクーラーを使うからピークは家庭に合わせてやっているのだから家庭が出すべきだと言い、電電の場合は、事務用に合わせてピークの設備が投資されてかなりの設備費を投じているのに、これをまた住宅が持てというのは、何か非常に矛盾して、両方とも不当のような気がいたしますので、家庭用需要が落ちることに対しては、先ほど申し上げましたように、ピーク時以外は電話の設備は遊んでいるわけでございますので、その辺の割引幅を大きくすれば、私どもといたしましては、その需要を落とさずに、しかも、たとえば夜間料金はうんと安ければ私どもの便益は非常に増すわけですので、そういう形の対策をぜひとっていただきたいと思います。
  74. 八島澄子

    八島参考人 私自身も今度自分の計算をやってみまして、家庭電話料金を計算してみまして、ふだんうっかり使っているといいますか、そういう感じを非常に持っているわけです。そういう点で、料金が上がりましたら、一般電話というのはやはり落ちるというふうに考えています。いまでも遠距離にかけますときには、八時を待って八時からかけているわけですけれども、いままでの委員会の御討議の中でも、夜間料金についても御検討をされたような文章を読んだ記憶があるわけですけれども、こういうことは絶対やめていただきたいということもそういう面からも強く要望したいわけです。やはりこの情報化時代に、先ほど竹内参考人お話もありましたけれども、アメリカなどで物価値下げに一役大きく買ったというような電話が、そういう形で私たちが本当に権利としてやっていけるということも奪われる一つになるのだという点も考えまして、やはり非常に大事な問題だというふうに考えます。
  75. 田中昭二

    ○田中(昭)委員 もう時間がないようでございますからまとめてお尋ねしますが、先ほどからの参考人のそれぞれの貴重な意見を聞いておりまして、特に力石先生、いまいらっしゃいませんけれども、具体的に公社のいまの料金の基本的な問題についての御示唆ある御意見を聞いたわけでございますが、私たちとしましても、公社のいま提示されております。先ほどから言いますように、公社経営を続けていくための費用として、それを料金に見合わせる、こういうことをやる以上は、やはり公社の事業計画の抜本的な見直しというものも必要でありますし、また多く指摘されております減価償却の方法も改善を必要としますし、また料金体系も、先ほどから言いますように、遠距離の分を安くすればかえって増収になるというような御意見、そういう問題、それから専用料金データ通信料金等もいろいろあるわけでございます。そういうものをひっくるめて、私はいま公社国会に提出しております料金改定には賛成ができないわけです。  いま各先生からもおっしゃったように、この改定を認めますと、かえって増収が期待できない。増収が期待できなければ、またけちけち作戦みたいな、国民にうそを言うようなことにならざるを得ない、困難をするということでございますから、この際この改定についてはもう一遍見直して、貴重なる参考人の御意見等も反映させ、そうしてこの改定案の内容をもう一回検討すべき必要があるのじゃなかろうか、私はこう思いますが、各参考人から、その私の意見に御賛同いただけるかどうか、簡単にひとつお聞きしたいと思います。
  76. 岡茂男

    岡参考人 私も前々から申しておりますように、公社経営状況というものが最近になりましてかなり悪化している、これは公社だけではございません。一般的にもそうでございます。そういうこともありまして、公社経営基盤というものを健全化する、確立する、そういう必要性は私は大いに認めるものでありまして、そのためには必要とあらば料金値上げもやむを得ないと思いますけれども、その場合にも、いま申し上げましたような料金体系なり建設投資なり、そういうものについて、本当に必要やむを得ない適切なものであるかどうか、そういうことを全面的に、もっと慎重に検討した上でそういうことをやるのが望ましいのではないかというのが私の考えであります。
  77. 高原須美子

    ○高原参考人 近いうちに経済白書というのが出ますが、私最近、経済白書の一等最初の号を読んでみたのです。そうしますと、それは都留重人先生が書かれた、家計も赤字企業赤字、政府も赤字という有名な白書なんですけれども、それに赤字が出た場合にどうするか、まず貯金をおろす、次に財産を売り払う、それから借金するというふうに家計もやるし、企業も政府もそういう形で赤字が出た場合は補うよりしょうがないというようなことが書いてあったわけなんですけれども、その赤字がどれくらいあるのかということは、先生がおっしゃるように本当に赤字なのかどうなのかは厳重に、やはりさっきから申し上げているように、やむを得ないコストアップについては私は認めるという意見ですので、その点については十分な検討を逆にこちらからぜひお願いしたいと思うわけです。  ただ、本当にもし赤字がある場合には、やはりそれが積み重なっていきますと、家計でも最後に借金するというようなことになりますし、家庭の存立もすでに危なくなるような形ですと、企業も同じことに追い込まれる。そうなりますと、今度また大幅値上げだとか、サービス低下だとかで、一番最後にツケをどかんと突きつけられるのは消費者である、利用者であるということ、その辺まで十分御検討いただいて最後にもツケが回ってこないようにぜひお願いしたいと思います。よろしくお願いします。
  78. 八島澄子

    八島参考人 先ほど御質問の点につきましては、ぜひ再検討していただきたいということが結論です。  生活必需品になっている公共料金というものが、私たちの生活にとってどれくらい大変なものかということの一例に、新聞にも報道されていましたので御存じと思うのですけれども、電気料金値上げ問題の中で、四国で、電気代が払えないために、家庭でろうそくをつけて利用していた。そのために出火して子供が四人焼死したというような事故を私ども読みました。そのときに、本当に生活の中に欠かせない必需品値上げ問題と、値上げだけでなく現行がすでに高いという問題についてもっともっと私ども真剣に考えてみる必要があるんではないかというふうにそのとき思ったわけです。そういう点でぜひこうした電気代のみならず、電話から国鉄、いろんなものについていまから値上げ問題が論議されておりますけれども、ぜひとも国会の場ですからあわせて要望をいたしたいと思います。  それから大企業に対するテレックスにしましてもデータ通信にしましても、高い料金がかかるのに実際には非常に安く売られているというような状況の中で、一切の負担が私たち一般住宅電話にかかっているという現状を何としても是正していただきたいというふうに思います。
  79. 田中昭二

    ○田中(昭)委員 貴重な御意見を長時間聞かせていただいて大変ありがとうございました。  以上で終わります。
  80. 伊藤宗一郎

    伊藤委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。  この際、参考人の各位に一言御礼を申し上げます。  本日は、長時間にわたり御出席を賜り、まことにありがとうございました。参考人各位より寄せられました貴重なる御意見は、本件審査に資するところ大なるものがあったと存じます。本委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。  本日は、これにて散会いたします。     午後三時二十二分散会