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1976-05-07 第77回国会 衆議院 逓信委員会 第7号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十一年五月七日(金曜日)     午前十時十二分開議  出席委員    委員長 伊藤宗一郎君    理事 愛野興一郎君 理事 稲村 利幸君    理事 加藤常太郎君 理事 志賀  節君   理事 三ツ林弥太郎君 理事 阿部未喜男君    理事 古川 喜一君 理事 平田 藤吉君       小渕 恵三君    金子 岩三君       地崎宇三郎君    坪川 信三君       大柴 滋夫君    金丸 徳重君       久保  等君    下平 正一君       土橋 一吉君    大野  潔君       田中 昭二君    池田 禎治君       小沢 貞孝君  出席政府委員         郵政省電波監理         局長      石川 晃夫君  委員外出席者         参  考  人         (日本放送協会         会長)     小野 吉郎君         参  考  人         (日本放送協会         副会長)    藤根井和夫君         参  考  人         (日本放送協会         専務理事)   藤島 克己君         参  考  人         (日本放送協会         専務理事)   野村 忠夫君         参  考  人         (日本放送協会         専務理事)   坂本 朝一君         参  考  人         (日本放送協会         理事)     山本  博君         参  考  人         (日本放送協会         理事)     川原 正人君         参  考  人         (日本放送協会         理事)     中塚 昌胤君         参  考  人         (日本放送協会         理事)     橋本 忠正君         参  考  人         (日本放送協会         経理局長)   堀場 仁徳君         参  考  人         (評 論 家) 有竹 修二君         参  考  人         (記録映画監         督)      岡本 愛彦君         参  考  人         (慶応義塾大学         経済学部教授) 加藤  寛君         参  考  人         (評 論 家) 北沢 方邦君         参  考  人         (東京大学名誉         教授)     杉村章三郎君         参  考  人         (マスコミ関連         産業労組共闘会         議事務局長)  隅井 孝雄君         逓信委員会調査         室長      佐々木久雄君     ————————————— 委員の異動 五月七日  辞任         補欠選任   池田 禎治君     小沢 貞孝君 同日  辞任         補欠選任   小沢 貞孝君     池田 禎治君     ————————————— 本日の会議に付した案件  放送法第三十七条第二項の規定に基づき、承認  を求めるの件(内閣提出承認第一号)      ————◇—————
  2. 伊藤宗一郎

    伊藤委員長 これより会議を開きます。  放送法第三十七条第二項の規定に基づき、承認を求めるの件を議題とし、審査を進めます。  この際、一言申し上げます。  本日は、参考人として加藤寛君、杉村章三郎君、岡本愛彦君隅井孝雄君、北沢方邦君及び有竹修二君の御出席をいただいております。  参考人各位には、御多忙のところ御出席いただきまして、まことにありがとうございます。  本日、御意見を伺うことになっておりますのは、日本放送協会昭和五十一年度収支予算事業計画資金計画について国会承認を求めるの件に関するものでありまして、特にただいま問題となっております受信料につきましては、国会がこの収支予算承認することによって決定されることになっております。本委員会はあらゆる角度から本件について検討してまいりたいと存じておりますが、この際、広く国民意見を反映させるため、皆様の御出席をお願いいたした次第であります。参考人各位におかれましては、どうぞ忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。  なお、議事の順序といたしまして、最初参考人各位より約十分程度に御意見を要約してお述べいただき、その後、委員から質疑があればお答え願いたいと存じます。また、議事規則の定めるところによりまして、参考人の方々が発言なさいます際には委員長の許可を得ていただくことになっており、参考人委員に対して質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめお含みおき願いたいと存じます。  それでは、まず加藤参考人から御意見をお述べいただきます。
  3. 加藤寛

    加藤参考人 私、NHK基本問題調査会というのが設立されましたときに、それに関係いたしましたときにいろいろ検討いたしました。その検討結果を踏まえて、時間の許す限りで私の考え方を申し上げさせていただこうと思います。  今回の受信料値上げにつきまして、前提となることが私は二つあると考えております。  一つは、言うまでもありませんけれどもNHKというものが、民間放送を含めまして二本立てになっている。つまり、わが国では御承知のとおり公共放送民放二本立てになっている。この二本立てになっているということの意義がまず強調されてしかるべきであると考えております。  その理由は、第一に、私はいかなる場合にも当てはまることでございますけれども、必要であるということと、それから欲せられていることという、この二つは別の問題である。もちろん関係はございますけれども、必ずしも一方が他方をすべて規制できるものではない。つまりニードとウォンツというものは区別されなければならない。区別されるということになりますと、この二つはそれぞれ補完的な働きを持っているということが考えられます。したがって、お互いに補完をするということは、これは公共放送だけでは不十分であります。しかし、同時にまた、民間放送だけでも不十分でありまして、これは両者が相まって初めて効果を発揮する、こう考えております。そしてまた同時に、民間放送だけで公共放送がない場合、あるいは公共放送のみで民間放送がない場合、それぞれそれには損失がございます。その損失を考えた場合に、私は二本立て放送形態を持っているということは、これは非常に高く評価さるべきことである、こういうふうに考えておるわけであります。  第二の前提は、それはこのNHK国庫収入による国営放送機関でもない、また広告収入基盤とする民放でもない、それが国民の手による受信料拠出によって行われている自主的な放送機関であるということが、私はやはり前提として評価されていなければならないと思います。  言うまでもございませんけれども公共放送任務というのは、公共的に起こってまいります種々の問題、争いの点というものが現実には多くあるわけでありますが、そのような公共的な争点というものをでき得る限りいろいろな角度から継続的に報道あるいは解説をしていく、そういう任務というものが公共放送の非常に大きな仕事だと私は思っております。  そのような仕事をしていくということになりますと、これは何らかの意味において中立不偏不党ということが必要になります。その中立不偏不党ということを考えていくといたしますと、もちろん放送機関としては国営のこともあり得るし、商業機関のこともあり得ますけれども、それは日本のような国民受信料によって運営されていくということが、私はできるならばきわめて望ましい方向であるというふうに考えております。  つまり、放送が行われるためには、もちろんそれについての多くの負担が必要になります。その負担国営で行うか、あるいは商業的に行うか、あるいは自主的に自分の手によって行うかということを考えますときに、報道中立不偏不党ということを考えるといたしますと、私はやはり国民自分の手によって、自分の自主的な運営によって行える、そういう仕組みを持っているということがきわめて望ましいと考えております。  そして、その受信料がまた、もちろん契約としては強制がありますけれども、それに罰則を伴わないということは、常に放送機関がリスクを考えながら自戒に努めていく、こういうことをNHKが考えていくということになりますから、その意味で私はこの放送形態はきわめて望ましいと考えております。  そういたしますと、この二つ前提にした限り、NHKがこれからどのように経営基盤を確立していくか、これは効率を考えなければいけないことはもちろんであります。同時にまた、番組の充実とかあるいはローカル放送とか難視聴の問題とか、いろいろ解決しなければならない問題がたくさんあることは事実でありますけれども、それを運営していくということになりますと、現在の状況でなおしさいに検討する必要はありますけれども、八年間据え置いてきた受信料からいきまして、とうていこれが今後も持続できる受信料であるとは考えられない。ということで、私は、この受信料の引き上げはきわめて適当な一つ方向であろう、こういうふうに考えております。今後さらに効率の問題を考えていきますときには、いかにしてもっと国民理解を得るか、あるいは国民理解を得るだけではなくて、公共放送というものがいかに必要なものであるかということを国民理解してもらう、こういうPRは非常に重要であると思います。その意味で、公共放送というたてまえをとっておりますこのNHKを私ども自分たちの手で支持して、それを発展させていく、こういうことを考えました場合には、受信料負担というものについて、それが適正であるならば、当然私どもが積極的にそれに力をかさなければならない。それがなければ、私は、日本におけるこのような自主的公共放送というものは成り立たない状況が来る。それが成り立たないということは、一番最初に申し上げた前提が崩れることになります。その前提を私どもが守るという意味において、あくまでもこのようなNHKの行き方を私ども受信料拠出によって支持していかなければならない、かように考えているわけでございます。  十分になりましたので、終わらせていただきます。(拍手
  4. 伊藤宗一郎

  5. 杉村章三郎

    杉村参考人 私の結論はただいまの加藤参考人と同様でございますが、結論を先に申しますと、今日議題となっておりますカラーテレビ受信料五割二分、白黒テレビ受信料三割二分の値上げを含みます五十一年度NHK予算につきまして、広範な業務執行上やむを得ないものと賛成するものでございます。ただし、これは無条件ではありませんで、若干の条件をつけたいと存ずるのでございます。  今回のNHK予算の焦点は、事業計画資金計画等もさることながら、何と申しましてもテレビ聴視者一般に対して負担増加となるべき受信料値上げの可否であろうと存じます。  現在受信料は、昭和四十三年カラーテレビ受信料を定めた際、すなわち、カラー月額四百六十五円、白黒三百十五円でありまして、この間諸物価高騰を続けたにもかかわらず、八年間据え置かれました。そのときの料金設定は、将来五年間の経済見通しのもとに行われたものでありますから、四十七年にはこれを再び問題とする時期が来たわけでありますが、料金据え置きとなりました。これは内幸町の旧放送会館売却益の若干の部分がその後の赤字補てんに充てられたからと存じております。いずれにしましても、当時の前田会長が宣言されましたそのときからさらに三カ年受信料値上げしないという公約は守られたわけでありますけれども、その間石油ショックなどによります諸物価高騰がありましたので、そのころから赤字経営となりましたNHKとしましては、この公約を守るためには相当の苦心とやりくりを行ったと推定されます。  私個人のことを申し上げて恐縮でございますけれども放送会館売却の当時、私は電波監理審議会委員をいたしておりまして、売却益をどういうふうに使用するかの問題につきまして、若干の御相談にもあずかったわけでありますが、この金額は五十年間にわたり国民が支払った受信料の蓄積であるという見地から、これを何らかの形で国民に還元すべきものであるということが国会の御決議でもあり、また世論でもありましたので、その益金を全部NHK運営のために使ってしまうことはしませんで、別に放送文化基金という財団法人をつくりまして、NHKだけでなく、これは民間放送を含め、広く放送文化向上に役立てることとし、この基金昭和四十九年に設立され、設立後まだ日が浅いのでございますけれども相当の活動をしておると信じております。  以上、四十三年料金改定以来今日までの経過を見ましても、八年を経た今日、大局的な見地からいたしますれば、NHK赤字財政から脱出し、国家その他に依存しない自主財政を堅持するためには、今回の料金改定はやむを得ないと存ずる次第でございます。  問題は、今回の料金上げ幅が適当であるかどうか、さらには新料金据え置き期間が適当であるかどうかということであります。上げ幅につきましては、平常時で言いますと五割増しというのは相当の負担増を身に感ずるわけでありますが、過去八年間における他の公共料金値上げ幅に比較しますとかなり低率のものであろうかと存じます。一例を挙げますと、同じ郵政省管轄郵便料金は当時十五円でありまして、現在御案内のとおり封書普通郵便料が三倍以上の五十円にもなっておりますし、私的な公共料金とも言える男の散髪料などにしましても、八年前は恐らく五、六百円でありましたのが現在二千円に達するというような時代でございます。ですから、問題はむしろ新料金据え置き期間にあろうかと存ずるのでありまして、今回のNHK改定料金は向こう三カ年間の経済情勢を見通してつくられておるようであります。経済変動の激しい今日、これより長期の展望は困難かと存じますけれども、相なるべくんばこの三年間にNHKが、内部においては経営効率化、外部に対しては未契約者を把握して受信料収納向上を図るというような格段の経営努力をされまして、もっと長期改定料金を据え置くことに心がけるよう期待するものであります。しかし、そうは申しましても、NHK放送法第七条でありますかによって「公共の福祉のために、あまねく日本全国において受信できるように放送を行う」という、至上命令とも申すべきもの、それを実現するために行うべき業務というものが非常に広範でありますし、また、物理的にも年を追うて経費の増大が予想されるので、その実現には多くの困難が予想されるのであります。一例を挙げますと難視解消のために中継放送局などを設置する場合、その必要経費は地域的な辺地になりますので多額の費用がかかるにかかわらず、人口が少ない地域でございますから、したがって、聴視者はその割りには増加しない。その他大都会における最近の高層建築物によって生ずる受信障害に対する手当てとか、あるいは国際放送に対する経費増加等々がこれであります。  これも、私の審議会委員をしておったころの話で多少古くなりますが、NHKに対する民間放送者批判としまして、NHK受信料のような安定した収入によって賄われる、いわば親方日の丸の企業であるというようなことも言われましたし、あるいはNHK公共放送として徹すべきであり、現在は娯楽放送に頭を入れ過ぎるというようなことを聞いたことがございます。この批判は、ある程度真理とも言えるのでありますが、しかし、第一点としまして受信料の問題でありますが、これは聴視者多数の賛同、広く言えば国民的合意を得て、初めて円滑に収入となるものでありまして、NHKとしましても、絶えず放送番組の質的な向上に心がけて、また広く国民各層希望を吸収することに努力することによって、初めてその目的が達成せられるわけであります。NHKは、決して安易に経営のできる事業ではないと思われます。受信料も、租税のように最後に法的強制力によって徴収できるようなものでもないことはもちろんでありますし、電気、ガス料金のように供給停止というようなことによって、事実上強制するということもできないわけであり、その徴収には相当の費用努力を要するものであります。したがって、何としましても、聴視者一般理解によりまして、初めて運営されてまいるものであることを考えなければならないのであります。  第二点は、わが国放送体制は、先ほど加藤さんのお話にもありましたように、公共民間二本立てとなっておることからくるものでありまして、民間放送が主として広告料による収入によって賄われている以上、娯楽放送基盤とするのは当然と言えますし、NHKは、主として公共放送を担当し、広告等営利目的とする業務を法律上禁止されておるのでありますから、ニュースあるいは教養あるいは教育番組に中心を置かざるを得なくなるのであります。ただし、娯楽放送が排除されておるわけではなく、むしろある程度聴視者NHK存在必要性を認識させ、またひいては受信料を確保するために必要であるという判断もあると思いますけれども、私の希望としては、NHKが本来の使命を達成するため、なるべく公共放送その他聴視者に対するいろいろなサービスに徹すべきものであるということを考えておるわけであります。これは、また同時に民間放送についても言えることでありますけれども、できるだけよい番組を提供するため、特に放送番組審議会というようなものの存在もありますので、それらの活動をもっと活発に、積極的になされることを期待したいわけでございます。  以上をもちまして、私の意見陳述を終わります。(拍手
  6. 伊藤宗一郎

  7. 岡本愛彦

    岡本参考人 私はかつてNHK、そして民間放送テレビ、ほぼ同じ年数にわたって勤務をしたことがございます。そういう意味で、NHKの特性というものはそれなりによくわかっているつもりです。NHKは、御存じのように国営放送ではございません。ましてや一政党放送局でもなければ、いわゆる政権の放送局ではない。このことは、世界の放送機構を見渡してみましても、非常に特徴のあるあり方である。つまり、国会予算審議なさいますけれどもNHK主権者は一人一人のいわば民衆であるというこの立場というものが、NHK理解する場合きわめて重要なことだというふうに考えております。  先ほど参考人の方がおっしゃいましたけれどもNHKは確かに年間の大きな予算というもので運営されております。その予算というものは、一人一人の聴視者が提出する聴視料ということです。一方、商業ベースでやっております民間放送の場合には、スポンサーが提供します広告費ということで運営されておりますけれども、これは先生方よく御存じのとおり、広告費というのは必ず商品に単価として組み入れられていくということで、民放投下原資というものは間接税的に一つ一つ商品の中に含まれている。つまり、国民はその中で民放に対して聴視料を支払っておるということになります。したがって、放送料というものと民放原資商品の中に含まれている広告費というもの、これは意味としては同じことであるということ、NHKを考える場合に、まずこれを一面で考えておかなくちゃいけないのじゃないかと考えるのです。  予算の問題を外れますけれども、現在国民の中で一番大きな問題になっておりますのは、自由民主党の中で、今回のNHK予算に対して、NHK報道が偏向であるとして非常に厳しい批判がそこに集中している。これは報道ですから、はっきり一つ一つ言葉については実証はございませんけれどもNHKをさらに追い詰めていくということ、さらに三カ月間の暫定予算状況の中で、それを経過した後で、郵政大臣のいわば認可事項ということで、NHKを無予算状態にすることも不可能ではないというようなことが報道されております。このことを国民は非常に憂慮しているというふうに考えるのです。  先ほど申し上げたとおり、NHKは一人一人の民衆基盤とした放送局になってほしい組織体であります。したがって政府が、ことに政府の与党である政党予算審議その他に対して介入するような、あるいは圧力をかけるようなことを、民主主義と自由を求める民衆は非常に憂慮しているであろう。私もまたそのことを非常に憂慮している立場の人間であるということをまず冒頭に申し上げておきたいと思うのです。  私は報道の一角で仕事をしておりますけれども、いま日本報道において一番大きな問題として、危惧としてありますのは、お隣の韓国における報道の自由の圧殺という問題が、日本においてNHKに対する圧力として連動していくことは、日本の真の自由と真の民主主義を求めている多数の国民にとって、非常に危険なことだというふうに考えるのです。ここに自由民主党委員の諸先生もいらっしゃいますけれども、どうか、知性のある御判断のもとで、少なくともNHK報道の自由に対して介入するがごときあるいは圧力をかけるがごとき態度だけはおやめになっていただきたい。  さて、新聞の報道によりますと、きょうはここに小野会長もお見えになっておるようですが、NHK報道管理体制を強化することを明らかにしたというようなことが出ておりました。これも、細かいことはいろいろ問題もあるかもしれませんけれども、欠員であったニュースセンターの副編集長を一人補充して二人にしたというような発言として報道されておりました。しかもその副編集長は、NHK内のいわば合理化推進のための合理化計画委員会ともいうべき経営改善委員会のメンバー、これは小野会長の側近だというふうに私たちはいろいろの方面から聞いているのですが、この方が副編集長ということになられて、いわば管理体制の一画を担うというようなことを報道によって知っております。このことは、NHK報道における主体制というもの、NHK存在そのものに対して、国民に非常に大きな疑惑を抱かせるポイントではないかというふうに考える。昨年発表されましたNHK労働組合、日放労の放送白書によりますと、NHK管理体制の非常に強い強化の中で、本来なら躍動すべき制作における創造性というものが非常に圧殺をされてしまっているということが報道されております。さらに、NHKのいわゆる公正中立という言葉の中で、本当は報道しなければならない面というものが報道されなくなっている面がかなりあるのではないか。こういうことを非常に私たちは心配をするわけです。  どうかNHK民衆の、つまり政府放送局ではない、国営放送局ではないということ、一人一人の主権者NHKを支えているのだということをしっかりと認識なさって、報道の自由というものについていかなる政府の介入があっても、厳然としてこれを拒否していくという強い姿勢をお持ちになっていただきたい。さらに民衆の意思というものがNHK経営に十分に反映するように、たとえば経営委員会その他にしましても、あるいは番組制作面につきましても、さまざまな面で民衆がそこにより多く直接参加していける形というものを考えていっていただきたい。そういうものなしに、単に予算だけを提起なさいましても、民衆はそれをきっと支持しないでありましょう。民衆NHKがなぜこれだけの予算が要るのかということについても、十分な知識というものを必ずしも得ていない。そういう中でこの予算が現在審議されていることに対して、非常に国民の一人として残念な感じがするわけであります。  予算の細かい問題についてさらに申し上げたかったのですが、時間が参りました。私の意見はこれで終わります。(拍手
  8. 伊藤宗一郎

  9. 隅井孝雄

    隅井参考人 マスコミ共闘の隅井であります。  放送、新聞、出版、映画、音楽などマスコミ文化産業に従事している労働者を代表して、意見を申し述べる機会を得ましたことを大変うれしく思っております。  さて、今回国会に出されておりますNHK予算でありますけれども、カラー契約の場合を例にとりますと、一挙に七百十円、五三%の引き上げですから、当然物価高に悩む庶民の家計に少なからぬ影響を与えるという意味で問題があろうかというふうに思います。確かに現在NHKの財政状態が困難であること、それを認めることに私はやぶさかではありません。しかし、その対策を考える前に、現在の危機を招来した原因について私たちは思いをいたす必要がどうしてもあるというふうに考えます。  御存じのように一九五八年以来NHKは、四回にわたる長期計画のもとで、大体三千億円を超える巨額な設備投資を行ってきたというふうに言われております。もちろんテレビの興隆期であったという事情はあるにせよ、コンピューターの導入とか放送センターの建設を主軸とする六八年以降七二年までの第三次構想というものは、金額の大きさからいっても、計画の内容から見ても、いわゆる高度成長の波に乗って巨大化を志向するものであった、そういうことについては疑いのないところだと思います。この巨大化志向というものが一九七二年を境にして破綻して、そして現在の財政的な行き詰まりを招来したというふうに私たちは考えております。  当時、NHK労働組合、日放労でありますけれども、はもとより有識者、一般国民の間で、こうしたNHKの膨張主義というものに対する批判が非常に数多く出されておりました。しかし残念ながら、当時のNHK経営当局は、その声に十分耳を傾けるという姿勢を持っていなかったと私たちは思います。  いまNHKに問われていることは、NHKがいろいろ計画を立てる場合に、その当否を十分国民に問い、経営についての国民の側からのさまざまな批判意見や注文に十分耳を傾けて、それを受け入れるという姿勢に転換することであって、そのことこそが現在の経営危機を打開する唯一の道だと私たちは考えているわけです。  五十一年度の予算とともにNHKが策定しております中期経営計画を見ますと、今年度は百七十九億円の黒字、三年後に大体同額の赤字が出て、それで補うというふうなことになっているわけです。三年分の赤字の先取りだという批判がありますけれども、それはさておいたにしても、これではまた五十四年度から再び赤字に転化するということになって、そこでまた受信料値上げという問題が当然起こってくると思います。したがって、私は、いま出されている予算案が、結局は一時的なびほう策ということであって、NHKのいまの経営の危機を根本的に打開する方策となり得ないのではないかという憂慮を持っているということをぜひ知っていただきたいというふうに思います。  難視聴解消という問題が、放送行政上NHKに対する至上命令ということになっていて、その建設費に約二百億円と言われておりますけれども、巨費が計上されております。テレビの普及率は御存じのようにすでに九八%に達しておりますから、残りの一、二%を埋めるということになれば、一年間の受信料収入のすべてを投入しても足りないというふうに思われます。いわば社会福祉的僻地対策ともいうべきこの種の公共事業が、NHKの責任だけで、言いかえれば受信料収入だけにすべてを依存するという形で行われていて、そのことがNHKの財政を圧迫している。そういうことはきわめて不自然なことだというふうに言わざるを得ないと思います。  このほか、国際放送とか通信衛星の開発とかに要する費用も、私たちが直接見聞きする放送番組に直接かかわっていないという意味で、それが受信者の負担において行われているということについての疑問も当然あります。もちろんNHKは言論機関でありますから、その独立性を貫く上からも、できるだけ外部資金に頼らずに運営されるべきだというふうに私も考えます。しかし、いま申し上げた点については、何らかの解決策がどうしても必要だというふうに思っています。  一方、効率的運用ということで、現在NHKでは、ローカル放送局や通信部の機能の統合とか縮小ということが行われている点を私たちは非常に憂慮しているわけです。地域社会とか地域文化の発展のために貢献するということは、放送局としてのNHKの基本的な任務でもあるでしょうし、NHKが地域社会にどのくらい密着するかということが、そのままNHKに対する国民の信頼の回復の重大な接点ではないかというふうに考えます。欧米諸国、アメリカとか西ドイツとかイギリスでは、近来、地域向けの番組とか地域の住民参加の番組というものが非常に重視されています。アメリカではゴールデンアワーに放送される中央からのキー局の番組が一定の制限を受けておりまして、夜七時から十一時までのゴールデンアワーの中で、最低一時間以上、その地域で自主的に制作された地域向けの番組放送することを義務づけられているという状況さえあります。  少なくともいま、NHKが全国各地にお持ちのスタジオを空にするのではなしに、そういう制作をする能力をフルに生かして、取材拠点などを縮小するのではなくて、いまのローカル番組というのは大体一時間半というふうに伺っておりますけれども、それを倍にも三倍にもふやすことなんかは、世界的な趨勢から見てもどうしても私は必要だというふうに考えます。そのために、もしどうしてもこれだけお金がかかるのだ、受信料が要るのだということで国民に提案があれば、われわれ国民の側もそういう提案に対してはやはり真剣に受けとめたいというふうに思います。  予算案の細部にわたってこれ以上指摘することは控えたいと思いますけれども、問題は、NHKの基本的なあり方や財政的な基盤、今後の方向について国民がすべて参加したような形で十分話し合い、討論し、そしてつくり上げられる必要があるというふうに思います。  基本問題調査会というものもありましたし、きょうの参考人意見表明も前進ではありますけれども、正直に言って必ずしも論議が尽くされているというふうには言えないと思います。国民の間に合意があるというふうにも言えないと思います。私は少なくとも向こう一年間——最低ですけれどもNHKに関して、NHKをどうするのかという論議を尽くす機会をつくられるように、NHK当局にも議会にもぜひ要望したいというふうに思います。  NHKは受信者の一人一人の負託によって成り立つ、国民基盤を置く放送局でありますから、私はこの受信料を中心とする制度が維持されるべきだというふうに思いますけれども、しかしいまともすればそれがたてまえに終わっていて、主権者である国民に向かってNHKが開かれた存在になっていないという問題があって、それが財政的安定を欠く一つの原因にもなっているというふうに思います。  たとえばNHKの首脳人事の決定に際して、政府や与党が強い影響力を持っているということが世上言われています。私は、せめて会長ぐらいは受信契約者を有権者にした投票によって決めてはどうかという意見を個人的には持っていますけれども、そうまでいかないまでも、もう少し広く人材を求めて、国民がみんな納得できる人たちNHKを委ねる、そういう選出の方法なども今後考えていく必要があるというふうに思います。経営委員会にしても、十三人の方のうち八人までが株式会社の社長とか会長だという役職にある方です。私たちはそれについてやはり納得できないものを感じざるを得ないわけです。勤労者とか主婦とか青年、婦人だとか、あるいは教師だとか医者だとか学者だとか作家だとか音楽家だとかという専門家の方々が加わって、NHKについて基本的に論議をできるような委員会というものを私たちは強く望んでいるということを知っていただきたいというふうに思います。たとえば国民の間で論議をするということになれば、この逓信委員会でのNHKをめぐる論議などはやはりそのまま生中継で全国に放送してもいい、そのぐらいやはりNHKの内部というものは公開をされてみんなで討議されてほしいというように思います。  ここ数年、総理対談についての反論放送というのが問題になっていますけれども、少なくともアメリカとかイギリスとかイタリーで定着している程度の反論放送、その程度の反論放送でもぜひ日本でも実現するというふうなことになれば、それは当然放送法の四十四条を具体的に生かすということでもありますけれども国民NHKに対する考え方も非常に大きく変わってくるのではないかというふうにさえ考えているわけであります。  最後に私がぜひ申し述べたいことは、NHKの内部での民主的な自主的な運営の問題であります。昨年、日放労がまとめましたNHK白書をお読みいただければおわかりいただけると思いますけれどもNHKの組織や機構が非常に巨大になった。そういう巨大化するにつれて番組制作の現場で働く方々の自主性や創造性がさまざまな枠で縛られるようになってきているという現実があります。また、外部からの政治的な圧力報道現場に微妙な影を落とすということだってあるわけです。上意下達の官僚機構がもしNHKの中で力を発揮するということになったり、あるいはそのときに政府を持っている与党や政府NHK圧力を加えるというふうなことが日常化するとすれば、生きた放送文化とか真実の報道というのはあり得ないと考えます。NHKで、現場で働く人たちの自主性や創造性、そしてみんなで集団的討議をしながら番組を送り出していくということが尊重されて、番組の内容とか取材活動なんかを理由にして懲罰的な人事が行われるということがあってはならないわけですし、問題があった場合には、それこそ内部でえらい方もえらくない人も含めて全部で納得のいくまでの論議がNHKの内部で保障される、こういうふうな形での民主主義NHKの内部で貫徹されるならば、仮に不当な干渉というふうなものがNHKに対して加えられた場合でも、NHK自体、自主性や主体性や放送の自由を標榜してそれに毅然として立ち向かう力というのを持つでしょうし、私たち国民もそういうNHKを支持することは疑いないというふうに考えます。NHK国民の信頼するに足る放送局たり得るかどうか、国民基盤を持つ放送局たり得るかどうか、そういった責任を私たちマスコミ産業に従事する労働者自身も国民に対して負っていることを十分自覚し、私たち自身も最大限の努力を傾ける決意を申し上げて、意見表明を終わりたいと思います。(拍手
  10. 伊藤宗一郎

  11. 北沢方邦

    北沢参考人 今回NHK受信料の大幅値上げが問題となっておりますが、まあ一種の公共料金でございますから、その値上げに関して大変慎重でなくてはならないわけですが、値上げそれ自体や値上げの幅が適正であるかどうかという問題以前に考えなければならない重要問題が幾つかあるということを申し上げたいと思います。  まず第一の点は、放送メディアとそれを取り巻く今日の状況でございますが、その中で公共放送としてのNHKのあり方はどうあるべきか。それから第二点といたしまして、その問題と関連しましてNHKのその経営自体において公共性というものをどう考えるべきか、この二点について私の意見を申し上げたいと思います。  第一の点でございますが、放送事業に限らず石油ショック以来高度成長政策というものが非常に大きな壁にぶつかっておりまして、国家目標やその方向づけというものについての根本的再検討に迫られているというのが現在の状況でございます。これは公共放送においても全く同じ問題があるのではないか。すなわち、高度成長政策は一方においては物質的な財貨というものが無限に生産でき、かつ消費できるのだ、そういう前提に立っておりましたのでございますが、NHKの問題においても、たとえばカラー受像機が急激に普及していく、そういう前提に伴いまして、そしてその受信料がやはり同様に大きく増加していくのだ、そういう高度成長的な一つの幻想のもとに、現在のたとえばNHK放送センターとかホールとか、そういったものに象徴されるような非常に大きな設備投資を行ってまいりました。こうした社会的背景としての高度成長が現在行き詰まりを迎えているわけですが、日本の国家全体がやはりその目標というものをひとつここで根本的に再検討を迫られていますように、NHKもその従来のいわば高度成長政策をこの時点においてやはり根本的に再検討しなくてはならないのではないか、これがまず基本問題であります。  こうした高度成長による過大な設備投資とかそれに伴う機構や人員の巨大化、これは一般巨大企業や国家全体の問題としても同様の問題がございます。そしてこれは社会科学において管理社会化という用語において検討されている問題なのですが、NHKの問題においても例外ではございません。すなわち機構の膨大化に対応して行われる管理の合理化、電算機その他を導入することによって合理化していくわけですが、その結果情報や意思決定権がきわめて少数の管理者に集中する。これが管理社会の特徴でございますが、この特徴がやはりあらわれておりまして、今日、各方面から批判を浴びているNHK経営体質というものも実はこういう管理社会化というものと無縁ではないと私は考えます。  この高度成長的なものの根本的再検討を行う、その点において二つの点から再検討を行うべきである。  第一は、大きいことはいいことだという、そういう高度成長的な考え方、それを今日改めるべきではないか。現在アメリカにおいては、たとえばスモール・イズ・ビューティフル、小さいことは美しいことだあるいはよいことだというような標語が流行しておりますが、集中した巨大機構というものをなるべく分散していく。たとえばNHKにおいてもその地域性に基づいて分散し、再編成を考えていく。また、そのために、内容においても量から質へ、そういう転換をまず考えるべきではないか。  それから第二の点では、管理社会化の問題でありますが、実質的に全国の独占的なネットワークであるNHKの動向は、国家自体の管理社会化の一つの重要なファクターともなっております。なぜなら管理社会の三悪というのは政治権力の集中それから経済体制とその権力の集中、情報の集中、こういう集中ということでありますが、情報の集中が悪であるということは、それによって国民大衆の情報的な操作がきわめて容易になるということであります。ですから量から質への転換あるいは地域的な分散ということは、それに対する重要な歯どめになるのではないか。  以上の問題と密接に関連していますが、第二の問題、これはNHKにおける公共性というものを一体どう考えるべきか、これをもう一度根本的に問い直してみる、そういうことであります。  放送メディアのあり方というのはいろいろございます。各国それぞれの事情によってございますが、そのさまざまな例は一応時間がございませんので省略いたしますが、NHK国営放送でもなくまた民間のスポンサーつきの放送でもないという非常に独自の形態を保っているわけなんですが、それが非常に世界的にユニークであるということはそのとおりであります。その受信契約に基づく受信料を独自に徴収する。これは確かにNHKの主張しているように、一方において国家権力の直接の干渉を受けないという利点がございます。それからもう一つは、他方においてスポンサーがないことによって、スポンサーからくる制約を受けないという美点を持っております。それは確かでございます。しかし問題は、NHKがこうした公共性を主張するあるいはその公共性を国民的と規定しておりますが、そう規定しますとき、公共性を担う主体というものは一体何か、あるいは国民性というときのその国民の実体は何かということであります。  放送法の第三十二条の受信料規定は、契約の義務をうたっているが罰則はございません。これはあくまでも社会的良識に基づく契約を義務づけている。契約というものは双務的なものでありまして、受信料を払う側からすれば、それは受信料を徴収する側、つまりNHKに対する社会的な期待をNHKが満足させるべきである、そういう期待が含まれているわけであります。受信契約者自分たち受信料が適正に使われているか、かつその運営放送内容に自分たちの共通の意思、すなわち公共の意思が反映されているかどうかということをチェックする権利があるというふうに考えていいと思います。しかし、この点で現在のNHKの機構や経営方法にかなり大きな問題があるのではないか、そしてある意味契約者の社会的期待というものを裏切っているのではないか、そういう現状と私には思われます。  すなわち、最も重要な点は、たとえば経営委員制度でございますが、総理大臣の任命制であるということだけではなくて、その扱う対象が非常に膨大な経営機構であるということなどから、きわめて名目的な機関に堕しているんではないか。ですから、実質的な修正やチェックがなかなかできないんではないか、こういう一つの問題点がございます。たとえば現在ある種の受信料拒否運動などがございますが、私はそういったことに決して単純に同調するものではございませんが、ただNHK契約者の社会的期待にこたえていないという点で、こういう受信料拒否運動というものが一つの社会的にそういう問題を呼び起こすショック療法的な役割りを果たしているということも事実であるし、また、もしNHKが期待にこたえないならば、この運動は広がるであろう、そういう見通しを持っている。ですから、現在、真の公共性の問題をどう考えるかということをまずその基本に置いていただきたいと思います。  たとえば、その問題を考えるに当たりまして、私は一つの例を引きたいと思いますが、それは私の沖繩の友人から聞いた話でありますが、たとえば、沖繩においてはNHK番組は余り好まれていない。なぜかというと、たとえば台風情報などは、沖繩に台風が上陸する、あるいは通過してからやっとその台風情報が来るとか、あるいはドラマでも大変沖繩人の生活とか環境とか、あるいは生活感情あるいは文化といったものに余り関係のない本土のことがドラマ化されている。それでちっともおもしろくないんだ、そういう話を聞きました。これはどういうことか。つまり公共放送公共性とは、政治的中立とか思想的公正という以前に、まずその地域の契約者に対する公共的なサービスでなくてはならない。これは沖繩はその一つの象徴的な例でありますが、各地域においてやはり大なり小なりこういう問題がある。それはNHKの現在の地域の軽視あるいは中央偏重といいますか、そういった姿勢から来ていることではないかと思います。ですから、まずこの地域的な公共サービスに徹する、まずここから出発しなくてはならない。これはNHKの全国ネットワークの長所を決して減殺するものではなくて、むしろその長所を補うものではないか、そういうふうに私は考えております。また、こうした地域性の重視というものは、地域の契約者とのコミュニケーションを密接にして、契約者経営参加への道をおのずから開拓するものとなり、公共放送の民主化に多大の貢献をすることになるのであろう。  以上のようなさまざまな条件がもし満足されるならば、われわれは多少の値上げ幅にかかわらず喜んで受信料を払うであろう、そういうことを申し上げたいと思います。  以上で私の口述を終わります。(拍手
  12. 伊藤宗一郎

  13. 有竹修二

    ○有竹参考人 最初、お断りしますが、私は放送事業、特にNHKについてまとまった学問的な研究はちっともやっておりません。ですから、いまこれから申し上げることは、ただ一受信契約者としての思いつき、私見の程度以上を出ないと思うのです。そういうことで御承知を願います。  二月十一日の朝日新聞の「声」欄という投書欄、そこに肩書きが大学の講師ですね、投書が出ております。「NHK受信料むしろ下げよ」という文章でございます。「二百億円の赤字を受信料値上げをして埋めればよいという考え方は不謹慎である。一チャンネルを見る限り、金に困っているとは思えない。ショー番組を見ても、ドラマで使う俳優にしても、豪華でぜいたくという印象が強い。国民はそれほど豪華なものを望んでいない。特派員の数も減らした方がいい」こんな趣旨のものであります。この投書の主張にむろんNHK当局には反論があるであろうと思います。私もこの投書に必ずしも全面的に賛成するものではないんですが、NHK全体が豪華な感じの存在であるということは言われてもいいような気がするのであります。第一、代々木の放送センターの景観を見ますとまさに大伽藍、宮殿、すばらしい建物でございます。それと建物の周囲の空間の広いこと。正面の入り口の広いこと。一体何に使うんだと思うような気がします。要するに豪華けんらん、少なくとももとの西新橋にありました旧会館に比べ、はるかに豪華であり、かつて愛宕山の建物を思いますと、全く隔世の感があります。  しかし物は考えようでありまして、日本放送協会なるものは私の営利企業ではない。また国家機関でもない。放送法の基本理念に従えば国民の物、一億国民の持ち物である。これはまたすばらしい財産である。全国の受信契約者の浄財二千数百億が投ぜられている。超大なる組織を形づくり、この組織が一日二十四時間のうち十七時間余り稼働し、報道、教育、教養、娯楽番組を作って人類の生活に無限の価値を送っておる。してみればNHKの豪華さは、ぜいたくと見るよりも日本国民のエネルギーの結晶として評価すべきものである、こういうふうに思うのであります。  ただ、この収支の計算が適合しないで赤字が出た。そしてその赤字を補てんするために受信料値上げする。そして事足れりとする。この点になりますと、経営の実態、放送内容をこの際見直さなければならぬ、こういう論が出てくるのは当然でございます。NHK事業の性格として時に思わぬ増収があるということはあり得ない。景気によって受信契約者が急にふえるということはあり得ない。してみますと、支出は収入をめどとして規制せざるを得ない。私たち明治年代に生まれた老年の者にしましては、大勢のタレントが続々登場するいわゆるショーというもの、また広いホールにいっぱい楽士が並んだいわゆるシンフォニーといいますか、交響楽、これはわれわれのような狭い家庭のお茶の間で視聴する者としてはどうかと思うのであります。また、一本当たりの制作直接経費が六百六十九万五千円という「風と雲と虹と」という、これは四十五分だそうですか、こういう大型ドラマはどういうものだろうか。それより私たち老人は、大衆芸能人中の名人級に十万円ぐらいのギャラをやると三十分ぐらい六十人ぐらい出して十分楽しめる。これは老人趣味である、若い者はもっと大型ドラマあるいは大シンフォニーというものを好むかもしれませんが、このごろの若い人の中でも大衆寄席芸能を好む者が少なくありません。それから見ますと、大相撲の実況放送は金がかかるそうですか、これは二時間近く、百十二分でありまして、二百三十二万ということだそうです。ですから将門のドラマの三分の一ぐらいで十分多くの人を楽しましておる。この娯楽番組、大相撲、野球、その他ゴルフの実況放送、これは少なくとも私にとっては楽しいものである。それから私の楽しいものは「自然のアルバム」とそれから「新日本紀行」。「自然のアルバム」のごときは動物の生態などを一年もかかってしさいに写したものを十五分程度で画面に出す、ある意味ではこんなぜいたくなものはないのであります。また「新日本紀行」も楽しいものである。弁当を持って一杖を携えて近県を歩く、こういう趣味を私やっておりますが、この道楽から見ますと、この「新日本紀行」というものはまことにうれしい番組でございます。  それから、私の本職の文筆の仕事から言いますと、国会の実況放送、それから「国会討論会」、これは実に結構であります。討論会はこのごろNHKの生え抜きの岡村さんが司会しておりますが、まことにさばきが公平で、そして運びがいい。そしてその討論内容については、私の仕事のために十分得るところがあります。私は五つばかりの新聞を読んでおりまするが、その記事を見る上で、この「国会討論会」の討論内容を視聴することによって大いに得るところがあります。極端に言うならば、この「国会討論会」さえ克明に聞いておれば、刻々動いておる政界の足取りが大体わかる。これともう一つ、夜四十分にわたる磯村さんの主宰する「ニュースセンター」、これを聞いておれば大体世の中がわかる。先ほどの朝日新聞の投書家は、NHKは生活の第一次的必需品ではないと決めつけておりますが、私にとっては少なくとも、仕事の上でこの放送番組は一日も逃せない必需品でございます。  このたびの受信料値上げでございますが、四十三年以来八年ぶりのことであって、これは新聞一ヵ月の購読料の半分以下でございます。というよりも、逆に新聞の方が高いじゃないかという言い方もありましょうが、とにかく新聞一カ月分の購読料の半分以下というので、これだけの報道と教養とそれから娯楽を兼ねた放送を満喫することができるのであります。  しかし、NHK二千億円の年収総額はこの際十分研究してほしい。そしてそれをなるたけ有効に使ってほしい。たとえば、恐らく共同通信にNHKは相当巨額の通信料を払っておられると思いますが、その通信記者の仕事ぶりから考えて、できるだけこの通信というものの内容を使って、その記者の仕事ぶりについて効率的にあんばいしてほしい、こう思うのであります。考えようによってはNHKぐらい恵まれた仕事場はないのであります。記者としてもこの仕事場ぐらいやりがいのある、またやりやすい職場はない。しかし、この一万六千五百六十人という従業員数はちょっと多いように思います。私の知る限り、新聞で従業員の一番多いのは朝日新聞でありまするが、朝日新聞が一万人、読売新聞が八千人ということになっておりますが、これは新聞の本来の経営から言いますると、新聞の購読者千部で一人、ですから百万部の部数でもって千人、ですから朝日新聞はこの節どうやら七百万部の購読者があると言いますから、七千人でいかなければならない。それを一万人使っておる。三千人多いというのですね。ですから、そういう点から見ますると、このNHK一万六千五百六十人というものはこの際考え直さなければならぬような気がします。  要するに、重ねて申しまするが、この巨大なる組織は国民のもの、公共福祉のためのもの、放送法第一条にそれが明記されております。したがって、放送番組については、「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。」と明記されておりますが、この第三条にうたわれておるNHKの特権を利用して、この大きな組織を効率的に運営をして、そしてNHK放送法第一条が求めておる趣旨に沿うということがあってほしい、そういう希望を述べて、私は今回の値上げに賛成するものであります。  ちょっとつけ加えて申し上げますが、先ほどから一、二の人から出ましたが、経営委員というものは大変な権力を持っておるのですが、その経営委員の顔ぶれを見ますと、国民大衆からきわめて縁遠いような名前が連なっておるように思うのでありますが、これは少し経営委員のあり方、その委員の選考ということについてこの際考え直してほしいような気がいたします。これはほんの私の思いつきでございます。  以上を述べまして、私の所見といたします。(拍手
  14. 伊藤宗一郎

    伊藤委員長 以上で、参考人各位の御意見の開陳は終わりました。     —————————————
  15. 伊藤宗一郎

    伊藤委員長 質疑の申し出がありますので、これを許します。特に杉村、有竹両参考人に対する質疑を先にいたします。愛野興一郎君。
  16. 愛野興一郎

    ○愛野委員 本日は、参考人先生方には大変御苦労さまでございます。時間が制約されておりますから、まず質問の方をまとめてさせていただきたいと思います。     〔委員長退席、三ツ林委員長代理着席〕  まず第一番に、先ほど委員長からお話がございましたように、杉村先生、有竹先生が早くお帰りでございますから、最初加藤先生、杉村先生、有竹先生に御質問を申し上げたいと思います。  まず加藤先生には、NHK受信料というものをもって運営をされておるわけでありますが、この経営実態として、今後受信料という制度をそのままずっと運営していっていいものであるか、それにかわる何か方法があるものかどうか、これをお伺いしたいことと、それからもう一つは、NHK公共放送であるだけに、国営放送でないということはこれはもうはっきりいたしておるわけでありますから、それだけにいろいろと国民にサービスをしていただかなければならない。そうなりますと、逆にやはり何か基準と目的を示して、ある程度はスポンサーつきの番組もあっていいのじゃないか、これは私の意見ではなくて聴視者の中にそういう意見があるわけですが、こういったことについてどう思われるか、お伺いをいたしたいと思います。  杉村先生には、先生は郵政省電波監理審議会委員を長く務められた御経験があられるわけでありますから、いまの日本放送体制NHK民放百五社、この放送体制の現状について、今後やはり共存する上においてどういう問題点があるのかお伺いをいたしたいと思いますことと、それからもう一つは、これもまた私の意見にあらずして、聴視者の一部に御意見があるわけでありますが、岡本先生NHKに対して権力が圧力をかけておるというような御認識を展開されたわけでありますが、人間千差万別でございますから、国民の一部には逆な見方もまたあるわけであります。したがいまして、そういう意味から、せっかく公共放送に一生懸命努力をしておってもそういう両方の御意見、御批判があるとするならば、純粋に国営放送をつくるべきじゃないか、こういう意見もあるわけでありますが、これは私の意見にあらずして聴視者の一部の意見でありますが、こういうことについてどういうふうに思っておられるのか、お伺いをいたしておきたいと思います。  有竹先生には、NHKニュース取材報道に関して国民はどのような期待をしておるとお思いになりますか。特に、NHK自体のニュース報道に対する取材姿勢あるいは取材に対する基本的な考え方はどうあるべきというふうな御意見をお持ちであるのか、お伺いをいたしたいと思うわけであります。  また、政府の政策の番組を、ことに総理やあるいは各省の大臣やあるいはまた各省のいろいろな問題をNHK番組として取り上げることがいいのかあるいはよくないのか。よくないとすれば、これはどういうふうなことで政府の政策を放送を通じてPRをすればいいのか。民主主義の体制でありますから、必ずしも政府放送をすることが権力を国民に押しつけるということじゃなくて、むしろ政府をチェックするためにも内閣総理大臣やあるいはまた各省大臣の話を国民放送すべきであるというふうに私は考えるわけでありますが、このことについて御意見をお伺いをいたしたいと思います。
  17. 加藤寛

    加藤参考人 お答えさせていただきます。  受信料という形をとるということにつきまして、私はこういうふうに考えております。  放送というものが行われますときに、民間あるいはいかなる放送形態であろうとも国全体としてこれだけの放送は必要であるという一つの額があると思います。その額をどういうふうに分担して負担をしていくかということで、NHK的な行き方もあるし、民間放送的な行き方もあるというふうに考えられます。そのような考え方をいたしますと、そのうちどのような形にした方が最も放送形態として望ましいかというときに出てきた、二十五年の歴史を持ったこの受信料の行き方というのは、日本人の一つの知恵であったろうと私は思います。それは、国のお金によってやるということは、ある場合においては戦時中のような問題が起こるかもしれない。あるいはもしこれを商業機関という形で行っていくとすれば、そこから出てくる制約があるかもしれない。そういう制約を考えたときに、国民受信料という形でこれを負担していくということがきわめて望ましい形態である、こういうふうに考えて、私は日本人の一つの知恵としてこのようなものができ上がった、こういうふうに考えております。  そういうふうに考えますと、この受信料の行き方というものは今後ともでき得る限りこれを続けていくことが必要になってくると思います。しかし、どうしてもできないという場合に、たとえば国からあるいはどこかからお金を借りていくという借金の行き方をするということも考えられますけれども、こういう行き方をすればそれはまた経営の悪化を招くという危険があります。そういう点で、私はやはりこの形態は何とか守らなければならないけれども、守れないような、つまり国民負担の限度を超えるような額になってしまった場合にどうするかというのがいまの御質問の意味であろうかと思いますけれども、そのようなことが起こった場合、私はやはりNHKとして考えるべきことは、たとえば国際放送は、これは国がやるべきである、国がこれをやってもいいのではないか、あるいは国の補助があってもいいのじゃないか、こういうことは当然出てくると思います。しかし、少なくとも基本的な放送形態としては国民が自主的に行うという形での受信料負担という形は堅持されていくべきである、こういうふうに考えております。  そこで第二の御質問に対しても、このような考え方でございますので、いま二つに分けました、つまりスポンサーという形で民間というふうに分けて、国民のスポンサーあるいは民間という形での商業機関としてのスポンサー、こう分けました場合には、この二つをきちんと分けたということによって両方が混在しないという意味でむしろよろしいのではないかというように私は考えますので、スポンサーつきのものがNHKの一部に入ってもいいのではないかというのは、かえっていろいろと混同を引き起こしやすいという意味において、私は截然と区別をした方がいいのではないか、かように考えております。
  18. 杉村章三郎

    杉村参考人 私に対する御質問は、放送体制におきまして公共放送民間放送というものが共存していけるかどうか、こういうふうなことにあったかと存じますが、これは非常にむずかしいけれども、しかし現に共存して何年間もやっておるということで、しかしながら、私が審議会委員をしておりましたときに、民間放送からのNHKに対する反論といいますか、そういうものが存外強いということもはだで感じた次第でございます。  それで、私先ほどちょっと申しましたように、放送法民間放送公共放送というものがいわゆる対立して定められておるのだからして、したがって、NHKというものはむしろ公共放送に徹すべきであり、また民間放送の方は娯楽を中心として行うべきだ。しかし、民間放送といえどもやはり一般国民に対していろいろな情報を提供するというような意味におきまして、公共放送的なこともやらなければならない。そういう兼ね合いで現在両方併存しておるのだろう、そういうように考えておるわけでございまして、しかしどっちかといえばNHKはむしろ公共放送に専念すべきである、そういうようなことであり、また民間放送娯楽放送が基礎となってスポンサーに支えられておる、そういうふうに考えるわけで、やはりその地盤を異にしておるというふうに私は考えておるわけでございます。そういうことで、いままでも共存しておりましたし、また共存しなければならぬ、こういうように考えておるわけでございます。
  19. 有竹修二

    ○有竹参考人 先ほどの御質問の趣旨は、恐らく一般新聞、マスコミというものとの関連という意味理解したらいいのですか。そういう意味でお答えしますが、要するに一般の人が知りたいこと、見たいこと、聞きたいことを適正に放送するというのが本来であると思うのですが、私はNHKに期待するのは、現に選挙のときに立候補者の政見発表というのがNHKの舞台が与えられるわけですね。これは一つの国事ですね。国事をNHKがやっておるということです。  それからもう一つ、もっと大きな問題は、このごろマスコミの偏向ということをしきりに言われます。ということは、よその国は知りませんが、わが日本の新聞界というものは、大体時の政治、行政等は非常に冷静に批判しますが、何となく醸成された世の中の動向、傾向というものに対しては反抗しないですよ。それに従っていく。その方が新聞は売れるということかもしれません。つまり、一般が幾らか左翼的になると左翼的になるというようなことがある。それがいわゆるマスコミの偏向と言われるゆえんだと思うのですが、そういう大きな波のうねりというものに対していささかこれを補正するというようなものが日本の国のどこかにあってほしいと思う。  というのは、最近私は広津和郎さんの「大和路」という随筆集を読みましたら、「作家の日記」というのが出てきます。それは昭和十九年六月のある日です。もう太平洋戦争の戦局が日本にとって非常に不利だ、そして、主として陸軍はその戦況の正直なことを国民に知らさない。戦争を多少批判するようなことを言うと憲兵がひっくくるというような時代ですね。そのときに広津さんのところへ栗原という海軍の報道部長から案内状が来た、水交社に来てくれ、お話しを願いたいと。どういう人が来るかというと、その当時の最高級の知識人が呼ばれた。小泉信三、長谷川如是閑、馬場恒吾、鈴木文史朗、信時潔という音楽家、それから西田幾多郎、それから小説家は武者小路、志賀直哉、広津和郎、正宗白鳥というような超一流の人が呼ばれているのです。  それで広津さんは水交社へ行った。そうすると、きょうは絶対に憲兵なんかに知らさないから、あなた方は本当に思うことをおっしゃってくださいということを言って、冒頭に小泉信三先生が、イギリスなんかは戦況が非常に正直に新聞に出ておるのに、日本はそれを封じているという意味のことをおっしゃった。そんなことで、それが憲兵に知れたら皆一網打尽にひっくくられそうなことが出ているのです。その栗原悦蔵さんはまだ健在だそうですね。  こういうことが、ある場合には必要ですね。いま仮にそういうことを——そこまで事態は差し迫っていないかもしれませんが、あるエマージェンシーというものは予想されなければならない。そういう場合に栗原海軍報道部長のやったようなことを、いまやるところが一体どこかにあるか。そうするとやはりNHKなんかにそういう気持ちがあってほしいですね。こういうような意味で、いまの形でNHKという特殊な放送機構というものがあってほしいと思うのです。  ほかにいろいろございますが時間がありませんから……。
  20. 三ツ林弥太郎

    ○三ツ林委員長代理 阿部未喜男君。
  21. 阿部未喜男

    ○阿部(未)委員 きょうは先生方御多忙のところ御出席をいただきまして、大変ありがとうございます。  それぞれの先生方にお伺いしたいことがあるわけでございますけれども、どうしても午前中しか時間のとれない杉村先生と有竹先生にお伺いして、あと午後の時間でひとつお伺いさせてもらいたいと思います。  杉村先生にお伺いしたいのですが、まず第一点は、今回のNHK受信料値上げ約五〇%、これは八年間受信料が据え置かれたそのことから考えて、また他の物価の上昇等とも考えあわせて余り高い値上げではないのではないか、こういうお話を伺ったわけですけれども、私は必ずしもこの八年間NHK経営努力によって値上げを抑えてきたというふうに国民は受け取っていないのではないか。御承知のように白黒からカラーに非常に速いテンポで変わっていった、そのことが値上げをせずにやってこられた大きな原因ではないかという気がするわけです。その意味ではむしろもっとカラーへのテンポが緩やかであった方がNHK経営にとってはよかったのではないか、余り速いテンポで白黒からカラーに変わったためにかえって経営上大きい蹉跌を来したのではないか、そういう気がするわけですが、この点が先生にお伺いしたい第一点目でございます。  第二点目は、前の前田会長のときにいわゆる内幸町の土地を売った、その益金をもって値上げを抑えてきた。これはもちろんNHK経営努力もあったと思うのですけれども、しかし実はこのために昭和五十年度において、予算上ではございますけれども二百億を超す赤字を計上した予算を組まなければならなかった。私考えますのに、国民、視聴者一人一人の支えによって成り立っておるNHKは、その年度ごとに明確な予算を組み、これだけのものが必要であるということを視聴者に訴えて、もしその年度で値上げが必要であるならば、たとえば昭和五十年度にも小幅な値上げをしてもよかったのではないか。また今日向こう三カ年間を見通しての受信料値上げを提起しておりますけれども、その意味では私は、五十一年度は五十一年度としてこれだけのものが必要であるということを訴えるべきではないか、三年先を見越していわば前取りというふうな形の予算の組み方はいかがなものだろうか、NHKのあり方としては年度ごとに国会審議をし国民、受信者の理解をいただく、そういうやり方の方が正しいのではないかという気がするわけですけれども、この点についてひとつお聞かせ願いたいと思います。  それから有竹先生、ちょっと思いつきだということではございましたけれども経営委員の任命がいまのような形のままでいいのだろうかという点について疑問があるように承ったのですけれども経営委員の任命なりあり方というものが、もしもっとほかの形、こうあるべきだというふうな御構想がありましたらお漏らしを願いたいと思います。  質問は以上です。
  22. 杉村章三郎

    杉村参考人 第一の御質問のカラーに変わったのが速過ぎてそのために経営が苦しくなったのではないかということでございますけれども、これは私ちょっと御質問にお答えする能力がないのでございますが、しかし白黒からカラーに変わるということは、これは時代の趨勢でそこまで技術が進歩したわけでございますが、また現在となってみますれば白黒などほとんどやっておるところはなく、皆カラーで庶民が楽しんでおるというようなことを考えますと、そう速過ぎたとかいうようなことではないのじゃないかというふうに推察するわけでございます。  それからもう一つ第二点の方は予算のやり方でございまして、前にはとにかく五年間据え置くという五年間の計画でカラーの料金を設定した。あのときはカラーの料金を定めると同時に白黒の方をたしか値下げしたというようなこともございますし、あるいはラジオの放送受信料はただにする、そういうサービスもやったように記憶しております。それからもう一つば旧放送会館を売却した益金というものも放送文化基金の方に百二十億ですか割きました。その結果存外後の赤字補てんに役立たなくなったというような事情もあるわけでございます。  そんなこともありますから、理想としては、三年間とか五年間という先を見通して大幅に値上げするよりは毎年毎年、もしできればその方が適切だろう、そういう予算の組み方ができるかどうか私存じませんけれども、その方がむしろ合理的ではないか、こういうふうには考えておる次第でございます。
  23. 有竹修二

    ○有竹参考人 経営委員というものの構成についてのお話ですが、あれを見ますと、要するにNHKという特殊法人の全体の運営経営ということに主眼があるとすればまあ全面的に否定はし得ないと思うのですが、NHKのその日その日の仕事は、これは大きな文化事業であります。学問、芸術、娯楽その他いろいろな総合雑誌、大きな一般紙というような性格を持っておるのですが、そういうことから考えますと、経営委員には知っている人もいるのだが、その人選、構成がぴんとこないのですな。ですから、恐らくあの経営委員の中に義太夫聞いた人があるかというようなことを言いたいですね。そういうような意味で、ああいう顔ぶれじゃいかぬと思うのです。ですから半分ぐらいはああいうセンスでいいでしょうが、半分はもっと学問、芸術、芸能というものをはだで感じるような人が入ってほしい。あなた、その日その日の放送内容を見てごらんなさい。それとあの顔ぶれは、悪いけれども全然関係ないから。それは一般の人もぼくと同感の人が多いと思うのですね。さっき一、二の人からそういう意見も出ましたが、そういう意味で、ではどうしたらいいか。半分は何か選挙を、どいうふうにやるかそれはちょっと言えませんが、何かの方法で半分は私が言ったような顔ぶれを入れる、半分はいままでどおり、こういうことでどうでしょうか。そんなことです。
  24. 阿部未喜男

    ○阿部(未)委員 杉村先生に重ねてもう一度お伺いしたいのですが、私は白黒からカラーへの移行を強調したものですから、質問の趣旨が理解していただけなかったように思うのですが、要するに八年間据え置いておったのだから五〇%の値上げは必ずしも余り高いとは思わないのだ、そういうふうな先生のお話だったと思うのです。しかし、八年間据え置いたという理由はそれなりにいままで申し上げましたような経過があったのであるから、したがって、いま五〇%という値上げはやはりかなり大幅な値上げだ、そういうように考えなければならないのじゃないか、そういう趣旨での質問を申し上げたわけです。  それからもう一点お伺いしたいのですけれども先生の御主張としては、公共放送はあくまでも教養、教育あるいはニュース、そういう公共放送に徹するべきで、娯楽番組はなるべく少ない方がいいのではないかという御主張でございまして、私どももその点賛成でございますが、ただ同じ娯楽と呼ばるるものの中にもある程度程度の高い娯楽と、そうでない低俗な娯楽と申しますか、そういうようなものもあるのではないか。それからもう一点は、娯楽と教養というものが一体截然と区別でき得るものだろうか、その辺に私は非常に疑問を持つのですが、ひとつ先生のお考えをお漏らしいただきたいと思います。
  25. 杉村章三郎

    杉村参考人 五〇%が高いとか安いとかいうことは、これは私ちょっと……。八年間の物価、これも決して学問的なものじゃありませんで感じだけでございますけれども、感じだけで八年間の物価高に対して感ずる考え方から言えば、そう高いものじゃないのだろうということを申しただけでございまして、先ほど申しましたように平常の考え方から言えば非常に高い。五〇%というのははだ身に感ずるのは非常に高いという感じは確かにいたすわけでございます。しかしながら八年という経過を見ますとそうであるし、また仮に旧放送会館売却益を、後の物価高というもの、経済情勢を考えてすべてのそれに使えば、まだあるいは残っておったかもしれませんし、そういうふうなことで、先ほども申しましたように恐らく無理をして過ごしたのだろうというふうに推察されるわけでございます。  それからもう一つ、教養と娯楽で娯楽にも非常に程度の高い娯楽もあるということ、これはまことにごもっともなことでございまして、実は旧時代においては御承知のように十チャンネルと十二チャンネルの番組につきましては、教養が何%、教育が何%というようなパーセンテージがつけられまして、それがかなりきついものですから、向こうから申請してくる毎年のものには非常に無理な考え方をして、実はたしか女プロレスでしたか、そういうふうなものを教養番組か何かに入れて申請してきたというような例もあるわけで、その区別というのは非常にむずかしいことで、私は何も娯楽をすべてやめろ、また制約しろという意味ではございません。ただ、公共放送というものが本来の使命だということを自覚すべきである、こういうふうなことを申しただけでございます。
  26. 阿部未喜男

    ○阿部(未)委員 どうもありがとうございました。
  27. 三ツ林弥太郎

    ○三ツ林委員長代理 平田藤吉君。
  28. 平田藤吉

    ○平田委員 参考人の皆さん、きょうはお忙しい中をどうもありがとうございます。  暫時お聞きしていきたいと思うのですけれども、初めに隅井参考人にお尋ねいたしますが、お話の中でローカル放送番組の充実という問題が出され、また地域の住民との結合という点で非常に大事なんだという点も特に強調されましたけれども、この点についてもう少し突っ込んでお話をお聞きしたい。  それから第二点として経営委員の構成についてですが、選出の方法それから全体の国民の意思あるいは視聴者の意思が反映できるような構成にすべきだという御意見、さらに若干触れておられましたけれども、反論権を保障していくことが大事ではないかという点などについてお話がありましたが、諸外国の進んだ例なども含めてもう少し詳しくお聞かせいただきたいというふうに考えます。
  29. 隅井孝雄

    隅井参考人 ローカル放送の問題でありますけれども、正直に言っていまNHK番組のほとんどが中央——若干は大阪、名古屋などもありますけれども、中央で制作されて全国各地へ流されるという形態をとっていることから、それぞれの地域、地方に住んでいる方々にとって必ずしも身近な存在ではないというふうに受けとめざるを得ないような状況があるのだろうと思います。私が申し述べたいことは、NHK国民放送局だというふうなことでみんなが納得するということであれば、やはり身近な放送局なんだというふうなことにぜひ転換をしていただきたいということを強く希望しているわけです。  たとえば先ほども沖繩の例が出ましたけれども、沖繩は沖繩で毎日のようにたくさんのニュースがあるわけですし出来事もあるわけですし、それから沖繩の方々は特に沖繩の民謡とかあるいは沖繩の基地の問題とか海洋博の問題とか、いろんなことで関心を持たれているわけですけれども、それが東京から突然来た取材班によって取材されて東京から流されるということでは、どうしても沖繩の人たちの気持ちにぴったりこないという、そういう指摘は間違いないと思うのです。ですから、たとえば沖繩であれば沖繩で沖繩の県民に向けてのニュースをたくさん取材し放送するとか、沖繩の県民が非常に望んでいる沖繩の民族芸能とか民謡とかいう放送時間をたくさんとるとかいうふうな努力を全国各地で積み重ねていくということがあれば、国民もやはりNHKは身近な放送局だというふうな、同時に中央での重要なニュースも全国ネットでちゃんと送られてくるというふうなことで信頼感がうんと強まるというふうに考えます。  先ほどもちょっと申し上げましたけれども経営状態が若干困難だということでいまNHKの当局が進められている政策は、それに逆行するようなことになって、地方で活躍をしたいということで期待をされて配属をされたローカル局のアナウンサーの方々が事実上かなり仕事がない、余りニュースの時間がなくて原稿も読めないという状態に置かれているということは、そういう意味では受信料が正しく使われていないということであるわけです。全国各地にNHKのスタッフもたくさんおりますし、働いている方もたくさんいるわけですし、それから幸か不幸かということになりますけれども、りっぱな放送会館もすべての都市にくまなくつくられているわけですから、できるだけそういったNHKのいま持っている力を十分発揮していただくように、ぜひ放送計画なり経営計画を考えていただきたいということをローカル放送に関しては申し上げたいと思います。  特に最近では、もちろん東京でいろいろな事件が起きる、ニュースが出てくるということだけではなしに、地域の住民の生活とか安全とか健康にかかわり合いのあるような大きな問題、たとえば環境問題だとか交通問題だとかが山積をしているわけですから、条件としても地方の放送番組を強化する、地方向けの放送番組をその地方ごとに強化するという社会的な要請は強まっているのではないかと私たちは考えているわけです。  二番目の経営委員会の問題であります。経営委員会については先ほども若干申し上げましたけれども、私たちは少なくとも国民基盤としたNHKであるのならば、国民のいろいろな階層を代表するような人たち、視聴者の一人一人が見てなるほどと思えるような方々が経営委員会の座に座り、そしてNHK運営されていくことになれば、私たちの払っている受信料はむだではないんだという実感が生まれるだろうと思います。先ほどは申し上げませんでしたけれども経営委員会のメンバーの平均の年齢からいっても非常に高いわけですね。五十代以上という方、六十代、七十代の方々で占められていることからいっても、いま若い人たちあるいは御婦人層あるいは中年のサラリーマンとかいう人たちの気持ちをくんでNHK運営していくということになりにくい側面もあるだろうと思います。  ヨーロッパの話ということも若干出ましたけれども、少なくとも私の見聞する限り、アメリカとかヨーロッパの経営委員会に類するような組織で、株式会社の社長さんなり会長さんなりが座に座っておられるということはないわけです。アメリカでもロッキードだとかGEだとかフォードだとかいう会社の社長さんが放送委員会のメンバーになるということではなくて、やはり社会的にも信頼されて放送の問題にも専門的な立場をとられるような方々、あるいは市民のいろいろな運動の中から出てこられた方々、専門的なジャーナリストの方々が共和党なり民主党なりの推薦の中で七人の委員を構成しているということで、企業家とかいわゆる資本家といわれている方が存在しているということはアメリカですらありません。  ヨーロッパでも、これは例を申し上げれば切りがありませんけれども、たとえばそういう意味では一番配慮がされている西ドイツの場合を取り上げますと、西ドイツの放送局運営している放送委員会、西ドイツの場合には州単位の放送局ですから、たとえばケルンの放送局ということで例にとりますと、日本経営委員会に当たる四十一人の放送委員の方がおられます。州の政府の代表の方も一名入っておられますけれども、州の議会を代表して九人の方々、これは政党の比例で入られているように思います。それから教会を代表する、プロテスタントとかカトリックとかの教会を代表される方が三名、労働組合の代表が二名、農民の代表が二名、それから経済団体ですね、日本でいうと商工会議所とかいうところですけれども、その方々が二名、自治体を代表される方が二名、あとは青年、婦人それから諸団体、諸団体と申しますのは、日本でいうと体育協会、体協とか、それから自家営業者連盟といいますと中小企業団体だと思いますが、そういうところの方々、スポーツ連盟の方々、PTAの方、大学から出てこられた方、その地域に住まわれている作家の協議会の代表の方、作曲家の代表の方、オペラ劇場の代表の方、ジャーナリスト協会の代表の方、そういう四十一人の方々が集団的に討議をしながら運営をしているという方法をとっているわけです。  民主主義が発達しているといわれているスウェーデンの場合には、二十二人で理事会が構成されていますけれども、議会の代表が十名です。これも先ほど申し上げたように政党の比例配分でありますけれども、あとは産業界から二名、新聞界から二名、それから各種団体、先ほど申し上げましたようなスポーツ団体とかPTAだとか教師の団体だとか社会的な団体から六名、そしてスウェーデン放送協会に働く従業員で組織している労働組合の代表が二名、こういった二十二名の方々で放送局運営されているわけです。したがって、私が申し上げたいのは、日本のように八人もの方々、名目はたとえば地域代表というふうなことになっておりますけれども、何々株式会社の取締役社長とか会長だとか元社長で顧問だとかいう方々が過半数以上を占めて放送局運営されているのは日本だけにしかない異常な事態です。むしろ企業の責任を持たれた方は企業活動に専念されていて、産業界、財界から出られる方は経済団体の代表ということになっていますから、そういう意味でも運営の面でNHK経営委員の場合にはぼくらはいろいろ問題があると言わざるを得ないと思います。  選出の方法は、できるだけ民主主義的な、国民の多数の意向を反映する方法をというふうに申し上げるしか方法はないと思います。たとえばそれぞれみんな立候補者がありまして、受信者が投票して選んでもいいということがありますが、そうすれば手数が非常に大変ではないかということもあるでしょう。あるいは議会で選んだらどうかということになりますけれども、議会の比例配分がどうなっているかということで問題点があると思います。どんな方法をとっても若干の問題点が残りますので、この場では断言することを避けたいと思いますけれども、要するに国民が納得し、これはやはり民主的に選ばれたものだし、私たちの代表だというふうに言われる方々が経営委員会の席に座られるようなことをぜひ検討していただきたい。若干の改善でも結構ですからしでいただきたいと思います。  それから最後に反論権の問題ですけれども、たとえばアメリカの場合の例をぜひ申し上げたいと思います。  御存じのように、前のエクソン大統領というのは、テレビを活用して政策の宣伝を行われたりキャンペーンを行われたりすることに非常に力を傾けられた方でありますけれども、しばしば全国ネットワークのテレビに登場して、大統領の演説を長時間にわたって重要問題について行うという方式をとってきました。しかしこのことが、アメリカの社会の中で放送の公正という原則からいって問題はないのだろうかということになりまして問題になった結果、一九七〇年の八月にアメリカの連邦通信委員会ではこういう決定をしております。  「ニクソン大統領のインドシナ戦争に関するテレビ演説が、アメリカの総司令官の立場でなく、一党の立場に立った、政治的な色彩の強いものであることをみとめる。反対党が、」これは民主党という意味です。「これに反論する機会を無料で与えるようテレビ会社に要求することは正当であり、連邦通信委「公正原則」にもとづき、テレビ会社はその要求にこたえなければならない。」このことをきっかけにしまして、最近ではアメリカのテレビ局では共和党と民主党との間での放送の利用の平等ということが行われておりますし、選挙のときにもそうですけれども、何か重要な問題での一方的な演説があった場合には反論が保障されるということで、片方がやめろということではなく反論を保障するということで運営されているというふうに私たちは伺っているわけです。  それからイギリスの場合ですけれども、イギリスのBBCの場合でも、たとえば国会予算委員会が開かれます。国会予算委員会で与党あるいは政府の方が予算の提案なり趣旨説明なりをしますと、その後でイギリスのBBCの放送局は、これは一定の義務になっているわけですけれども、反対党のシャドーキャビネットの大蔵大臣が自分たち予算の考え方あるいは政府の案に対する批判的な意見をテレビを通じて長時間、ほぼ一時間ぐらいになると思いますが、放送することが義務づけられています。与党の方は国会でやります。野党の方は施政方針演説ができないわけですから、テレビを使って一定の時間やるということが義務づけられているとか、あるいは選挙の近辺になりますと各政党が、民主党も、保守党も労働党も平等にこの政党の時間というのを夜遅く十一時台ですけれども、一時間ぐらい回り持ちで持ちながら自分たちの政策を訴えていくというふうなことでの反論権といいますか平等といいますか、そういうことが保証されているというふうなことがあります。  政党だけではありませんで、イタリアで最近放送法が改まりまして新しい方式がとられましたけれども、たとえば労働者なり労働組合の発言する機会がテレビでいままで非常に少なかった。政府のいろいろ労働組合の賃金の引き上げは不当だとかストライキはけしからぬとかいう放送はたくさんあったけれども労働組合はどういうつもりかということを言う機会が非常に少なかったという反省が議会の中で生まれまして、労働組合に一定の時間、幾つかの労働組合がありますから持ち回りということになりますけれども、その主張なり意見なり方針なりを述べるという機会を与えるというふうな番組が特別に設置をされたというイタリアの経験などもあります。  そういうことも含めて、私たちは、総理大臣がNHKを通じて国民に話しかけるということをやめろということを主張していません。しかし、総理大臣がやる以上、やはりアメリカとかイギリスとかイタリアで行われているように、それ以外の政党なり社会的なグループなり、そういう人たちがやはり平等に意見を述べる機会を、三木総理大臣が発言をしたら成田委員長も宮本委員長も、それから竹入委員長もやはり同じ時間ちゃんと国民に向かって意見が伝達できるのだという、そういうことにしていきたいし、NHKが積極的にそういう方向をとられるようにぜひ希望したいと思うのです。もちろん、野党の委員長ども最近テレビにしばしばお出になるという機会もふえているようですけれども、主としてやはり正月に改まったところで新春対談ということでお出になるというふうなことにほほ限られているということがありますから、重要な問題が起こったその都度ということになれば、やはり非常に少ないだろうというふうに思わざるを得ないわけであります。  それやこれやいろいろ勘案しまして、私は、日本NHKでも、やはり国民がいろいろな問題についてのいろいろな意見を多面的に摂取して聞きながら物事を判断していくということが可能な方策をとることができるのではないかというふうに考えますので、ぜひ皆様方のそういうことに対する積極的な御検討をお願いしたいというふうに思っているわけであります。     〔三ツ林委員長代理退席、委員長着席〕
  30. 平田藤吉

    ○平田委員 加藤参考人にお尋ねしたいのですが、いまのローカル放送についてどういうふうにお考えか、ひとつお聞かせいただきたい。  それから隅井参考人にもう一つ、いま問題になっております自民党総務会でNHKについていろいろ言われている事柄についてお考えをお聞かせいただきたい。お願いいたします。
  31. 加藤寛

    加藤参考人 ローカル放送につきまして、いまいろいろとローカル放送を拡大せよという話がございます。私は拡大には必ずしも反対ではございませんけれどもローカル放送をやることが公共放送であるというふうに考えることに対してはどちらかというと否定的でございます。と申しますのは、公共放送というのは、これは国全体にとっての必要な問題を提起していくということに意味がございますから、ローカル放送一つの重要な提起であります。地域に密着することも必要であります。しかしそれだけでは困るのでありまして、地域を越えた人とのつながり、あるいは国を越えた人とのつながり、こういうものを明らかにしていくことが必要なのであります。あるいは地域を越えたグループのつながりもございます。そういったようなものを明らかにすることが必要でありまして、地域放送、地域と密着することだけですべてが達成されることではございません。したがって、いまNHKとしてローカル放送にかなりの時間を割くようになり、それについて努力をしていることは、これはそれなりによろしいのでありますけれども、そうかといって、これを圧倒的に進めていって、すべて地域にしてしまえばいいというようなことまでいくのは行き過ぎである。したがって全体のバランスの上で考えるべき問題と思っております。また逆に地域放送というものを余りにも大きく拡大をしてまいりますと、これは国全体としての負担が非常に大きくなります。その負担というものを考えましたときにも、当然これは限度があるわけでありまして、ローカル放送はその意味でやはり限度を持った適正な範囲で考えるべきである、私はかように考えております。
  32. 伊藤宗一郎

    伊藤委員長 途中でございますが、杉村、有竹両参考人には貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。どうぞ御退席いただきたいと思います。  隅井参考人
  33. 隅井孝雄

    隅井参考人 私たちマスコミ関係の労働組合の主要な目標の一つに、言論の自由や真実の報道国民の知る権利を守るという方針があります。したがって、日放労も含めて私たちは、いまNHKの周辺で行われている問題に非常に大きな強い関心を持っているということを申し上げたいというふうに思います。  NHKが偏向しているのではないかという主張が自民党の方々におありのように伺っておりますけれども、このことについて、やはり個別の事実について本来であれば本当にそうなのかどうかということを明らかにする必要がありはしないかというふうに思います。余り時間がありませんので、いろいろな角度で申し上げることはできませんけれども、たとえば新聞などで報じられている問題について言えば、ロッキード事件に関係する高官の氏名を社会新報なり赤旗が報道したものをNHKがそのまま流したということが偏向だというふうなことで言われているというふうに伺っておりますけれども、いずれもこの場合には、公の責任を持った政党が、責任を持って調査した結果を内外に公表するということの中で発生をした問題でありますし、記者会見さえ行われているわけです。いま世の中で高官の氏名がどうなるかということほど国民の関心を寄せられている問題はないわけですから、当然そのことについて報道することは報道機関の責務でもあるだろうというふうに私は思います。したがって、これは当然のことですけれどもNHKだけではなしに民間放送の各テレビ局も新聞も、一斉に社会党なり共産党なりがそういうことを報道しているという問題について報道しております。もしNHKが自民党の主張どおりそのことを政党の言ったことだからということで報道しないということであれば、NHKは特だねを落としたというふうな結果にならざるを得ない。もし落としたとすれば実際になったわけですね。そういう種類の問題だということをぜひお考えをいただきたいというふうに思います。  しかし問題は、個別の問題であの報道がいい、この報道がいい、これは悪かった、あれはよかったということをほじくり出すというふうな問題ではなくて、やはり全体的な問題があるというふうに思います。たとえば自民党の総務会での発言の中に、上の方はいいけれども下の方は赤ではないかというふうな発言があったというふうにも伺っておりますし、伝え聞くところによれば、責任をとらせる必要があるんじゃないかという意見も出ているというふうに伺います。こういうふうなことになれば、一つ政党あるいは団体にとって必ずしも好ましくないようなことが報道された場合に、そのことを理由にして全体が赤だとか偏向しているとか直せとか謝れとか、そしてそういうことに謝らなければ値上げ案も通さないのだという一部の強硬発言もあるようですけれども、そういうことになれば、権力を背後に着た放送法にも反する不当な干渉だというふうに言わざるを得ないというふうに思います。こういうことでNHKの下部の従業員が赤だというふうなことで言論を封じようということになれば、アメリカで一時あったようなマッカーシズムの再来というふうなことも当然予想されるわけですし、民主主義社会の一番根幹である言論の自由がそういう形で揺らぐとすれば、私たちは単にNHKの問題だけではなしに日本民主主義そのものの問題だというふうに考えます。  ですから私たちが考えなければいけないのは、NHKが偏向しているかどうかということではなくて、真実の報道を守っているのかどうか、国民の知る権利にこたえているのかどうかということについて、報道番組について判断をするということはあるでしょうし、それはいろいろな政党なり個人なり団体なりがNHKに対する批判意見を言うということはもちろんあるでしょう。しかし、やはり権力を背後にした干渉とか介入というのは厳に慎んで、NHKの権力に対する自主性とか独立性というのを私たちは守っていく必要があるだろうというふうに思います。  ここで問題になりますのは、NHK当局のこの問題に対する対処がやはり問題になるというふうに思いますけれども、こういうことがあった場合に、私たちは、NHKの当局に対して望むらくは、毅然として、そういう干渉を受け入れるのではなしに、やはり自主的に番組を編成し、国民の知る権利にこたえていくのだという決意をぜひ明らかにしていただきたいということを強く望むわけです。  伝え聞くところによりますと、それ以降、報道局内で監視体制を強化してチェックをしていくという発言が上層部からあったというふうにも伺いますけれども、もしNHKの上層部が本当にそういうことをお考えのようでしたら、NHKにとって不幸なことだと思います。NHKという機構が実際の社会に存在をしていて重要な報道の役割りを果たしていながら、その上層部の人たちNHKの従業員が信頼できなくて、常に監視していなければならない、チェックしなければNHK放送がもし本当にできないのだとしたら、これは非常にゆゆしき一大事だと思いますし、そういう監視とかチェックとか管理とかということではなくて、やはりテレビの作業というのは、報道の作業でもそうですけれども、たくさんの無数の人たちが寄り集まって集団的に作業しながら、真実を明らかにしたり、事実を伝えていったり、番組を組んだりということですから、そういう仕事にかかわっているすべての人たちの集団的な討議によって、みんなのやはり意見によって物事を決めたり、判断をしたり、報道についての取捨選択をしていくというふうなことをぜひ守っていただきたいというふうに思います。  私は繰り返し申し上げたいと思いますけれども、もし自民党のそういう発言があったということが原因となってNHKの内部で、NHKに働く人々の労働組合員であるかどうかを問わず、もし不利益な待遇が行われるということになった場合には、それはまさにやはり民主主義の危機であり、私だちはもしそういう問題が起きた場合には、そのことを国民に広く訴えて大きな問題としていかなければならないだろうというふうに思いますし、そういうことがないことを切実に祈りたいと思います。  繰り返して申し上げますけれども、言論の自由、国民の知る権利は何によって守られているかというと、やはりそういった干渉に対してNHK自体が、これは新聞社とか他の民放局でもそうですけれども、敢然として自主的な運営を貫く、NHK国営放送ではありませんから、国民基盤とした放送ですから、国民基盤として自主的な運営を貫くというふうなこと以外にないだろうということを考えていることを申し上げたいと思います。  以上であります。
  34. 伊藤宗一郎

    伊藤委員長 参考人各位に申し上げます。貴重なる御意見を承り、まことにありがとうございました。  なお、午後も開会いたしたいと存じますので、御都合のつかれます参考人の方々には午後もどうかよろしく御協力をお願い申し上げたいと思います。  本会議散会後直ちに委員会を再開することとし、この際、暫時休憩いたします。     午後零時十三分休憩      ————◇—————     午後零時五十九分開議
  35. 伊藤宗一郎

    伊藤委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  参考人に対する質疑を続行いたします。田中昭二君。
  36. 田中昭二

    ○田中(昭)委員 きょうはNHKの公聴会に諸先生方参考人で来ていただきまして、心からありがたく思います。時間が大変短く制限されておりますから、早速お伺いするわけでございますが、まず北沢先生にお尋ねしたいと思います。  二点ございまして、一つ国民の意向をNHK経営事業にどのように反映するかということでございまして、御存じのとおり日本放送協会は、申すまでもなく放送法によりまして公共放送としての存在基盤があるわけでございますが、現在までそのような使命に立って全国に放送事業を行ってきたわけであります。しかし、最近に至って内外を問わず、放送法の精神、設立の目的とは大分異なってきたとの批判、批評がございます。その中で、公共放送として国民の意向を取り入れるということは当然のことでありますが、現在、協会では、この当然の重要な柱とも言えるものに重大な欠陥があるとも言われておるのであります。今回の予算承認に当たって、NHK自身も国民のための放送局と言っておりますが、また、この基本問題調査会の報告書にも、今後の事業運営が一層国民の意向に沿ったものとなるようにと、または、国民放送局としての設立目的を一層具現化するよう努める、など国民の意向収集を強く打ち出しておりますが、この国民の意向というものをNHK事業にどう反映さしていくべきなのか、先生の御所見をお伺いしたいと思います。
  37. 北沢方邦

    北沢参考人 国民の意向をどう反映するかという問題でございますが、一つは、フォーマルなといいますか、つまり特殊法人NHKというそういうフォーマルな存在としていかに国民の意向を反映するか、そういう問題がございまして、先ほど意見陳述の中でも述べておきましたけれども、それを本来代表するものは経営委員会のはずでありますけれども、残念ながらなかなか実質的に国民のチェックの役割りを果たしていないと私には思われますので、まずその経営委員会の問題を、フォーマルな存在としていかにあるべきか、あるいはその選出方法なども含めてひとつ考えるということも重要でございますが、ただ、先ほども申し上げましたように、一つは、NHKの機構やさまざまな組織全体が非常に巨大化して膨大化している。そして、膨大化する機構というものは、必然的に経営の合理化それから省力化のために電算機などを導入していく、そういうことになっております。そして、その電算機を導入するとどういうことになるかといいますと、非常に大きな経営に関するインフォメーションの流れというものが電算機の中で循環して、大体オートマチックにルーチン化していくといいますか、日常化していくわけでありまして、そして、その全体像といいますか、経営の全体像というものはなかなか余人には把握しがたい。もちろん、先ほど申し上げましたように、そういった情報の集中し、また意思決定の力の集中している最上層の管理者と申しますか、そういったところには入ってくるわけですが、それをたとえば外から入った委員がチェックするということがなかなか技術的に不可能になっていくというのが管理社会の現実なわけです。そういうわけで、それをいかにチェックしていくかということは、こういう管理社会の情報の技術の問題としても一つ考える必要がありますし、それから、かつ、先ほど申し上げましたように、それを妨げる、阻止するもう一つの問題点は、やはりある意味でスモール・イズ・ビューティフルと先ほど申し上げましたけれども、さまざまにチェックできるように、いわば一つ組織体を幾つかに分散させ分断していく、そしてまたその相互の関連を考えていくというような、そういう一つの組織論として考え得るということであります。そういったふうになっていった場合に初めて、それに対応するフォーマルなチェック機関というものがどうあるべきかとか、そういったことを考えることが可能になりますし、そういう実情に適応するように経営委員会その他の形態を考えていくということが可能だと思います。  それからもう一つ、これはもういますぐにでも手をつけるべき問題だと思いますが、必ずしもそういうフォーマルなものでなくてインフォーマルなものでいいから、もっとNHKの体質というものを本当に国民に開かれたものとするためには、もっとどしどし、そういうインフォーマルな形でいいから民意を反映をする、そういう非公式な機関や組織をどんどんつくっていく。それは確かに法的な拘束力や決定権はないかもしれませんけれども、本当にNHKの将来のあり方を考えていく場合に、そういうインフォーマルな形によってどういうふうに契約者あるいは聴視者意見を反映していくかということは、今後のNHKの動向にとっても非常に重要なことになるのではないか。それをまた具体的に一体どういうふうにインフォーマルな組織をつくっていくかということは、これまたさまざまな技術的な問題がございますし、それからまた、先ほど申し上げましたように、たとえば公共放送の全国的な使命というものと同時に、先ほど地域というものを重視していけということを私申し述べましたが、そういうわけで仮に地域が充実されていく場合に、その地域ごとにやはりそういう契約者の代表なり何なりが何らかの形で参加し、意見を反映していくという、そういう組織をつくることが可能ではないか。こういうフォーマルな面とインフォーマルな面、両面でNHKを開かれた体質にしていくべきではないか、そう考えております。
  38. 田中昭二

    ○田中(昭)委員 先ほどの陳述並びにいまのお話で一番大事な問題に触れていただいたと思いますが、もう少しこのことにつきまして、先ほど先生のお話の中にあることで、できれば具体的にお聞かせ願いたい。  特にNHKについては、先ほどから言いますように、国民放送局とすれば、この国会の場という以外に、チェックといいますか、そういう場がないということも言われます。NHKにおいても、ここでお述べいただいたことについては厳しく受けとめておられると思いますし、また受けとめてもらわなければいけませんし、そういう面ではNHKの、起こったことよりも今後の、いままでの経過から見て改めるべき、また将来の方向性というものについての厳しい御意見をいただきたいと思います。そこで、先ほどの中に、このNHKが管理社会化していく、それによって将来国民操作というようなものも十分考えられるというような点と、それから、受信料は社会的な期待が含まれておるというような御意見でございました。それをやはり、そういうことから考えればNHKがいままでやってきたことが必ずしも国民の要望に沿ってない、裏切っておるというような批評といいますか、批判もございますことを先生はおっしゃっていられたと思いますから、そういうものに対します具体的なチェックの方法なりそういうものをお聞かせいただければありがたいと思いますが、いかがでありましょうか。
  39. 北沢方邦

    北沢参考人 管理社会化の問題点、これはNHKだけではなく、巨大企業もそうですし、また国家自体がだんだん管理社会化するのではないかという危険も指摘されているわけなんで、これをいかに阻止していくかということもたとえば社会科学者その他でいろいろ議論されているわけで、実はなかなかこれといった妙案がないというのが実情でございますが、先ほども申し上げましたように、管理社会化ということは、つまりさまざまな経済的必要その他からそれぞれの組織の機構が膨大化していく、それによって日常業務が非常に巨大化していく、それを処理するためにどうしても電算機を導入する、こういうことでございますが、管理社会というと何か非常に進歩したすぐれた社会のように思うかもしれませんけれども、実際はそうではなくて、そういうふうに情報がコンピューターにインプットされて、そしてそういう形でオートマチックにルーチン化されていくと、実は意外な管理社会の落とし穴というのは、非常に保守化してしまうということなんですね。つまりかなり重要な業務を機械が代行するわけです。もちろん人間はチェックしたりあるいはプログラムをつくるわけですが、なかなかその状況に応じた臨機応変的な修正とか変化というものがだんだんできなくなっていくというのが、どうも管理社会化の一つの悪い特徴なわけです。そういう悪循環でもって、何といいますか動脈硬化的な官僚体質といいますか、どうしてもだんだんそういった方向にいくというのが一つの鉄則でございます。ですからそれを防ぐには、先ほど申し上げましたように一つはあらゆる面での集中を排除して、そしてまず一つの基本的な単位といいますか、それにそれぞれ権限その他を分散していきながら、その上に全体の責任や意思決定をどうしていくかという、そういう新しい組織論というものを考えていかないと、どうもこの管理社会的動脈硬化化というものが避けられないのではないか。NHKの場合に、では一体それを具体的にどうしろということは、いま私にも具体的に成案があるわけではありませんし、そういうわけでそれは今後衆知を集めて技術的に解決していかなくてはならない問題だと思うのです。  まず管理社会化ということにそういう問題点があるのだということ、それからそれに関連して操作、国民の意識とか意見とかさまざまのものを操作することが可能になるのではないかという指摘を私も申し上げましたけれども、そういう御質問でございます。よくそういうマニピュレーション、つまりマスコミを通じた操作ということを言われた場合に、政治的意見とかイデオロギーとかそういったものをある特定の勢力が強制的にそこに持ち込んで注入するというイメージを大体描きがちなんですが、今後のそういう管理社会におけるマニピュレーション、操作の問題というのは、必ずしもそういう古い形の大衆操作あるいは思想操作というかイデオロギー操作というか、そういった危険ももちろんまだ依然としてございますが、それ以上に危険なのは、先ほど申し上げましたようにだんだん機構的にも動脈硬化化していくと同時に、そういう個々の番組その他全体を通じて非常に画一化していく、そういう危険があるわけです。画一化あるいはステレオタイプ化と言ってしまってもいいのじゃないかと思うのですが、つまり人間の創造力の正反対で、社会の刻々の変動とかさまざまなことに対応して本当に人間の文化的創造力を働かせていくという、そういう方向とは全く逆に、だんだん画一化ステレオ化していってしまう。それによっていわば自動的に国民の考え方なり何なりから創造性が失われて、画一化していってしまう。だれに意見を聞いてもマスコミが述べていることをオウム返しに述べるというような事態にならないとも限らない。そういう画一化、ステレオタイプ化の危険というものがどうしても出てくる。そのためにも、先ほど申し上げましたように、本当に放送というものが文化的創造力を復活し、回復するためにも、機構的にもそうですし、また国民大衆あるいは契約者との関係というものをもっと活発なものに変えていかない限り、どうしてもそういう画一化の危険の方にいくということをまず指摘したいと思います。  私が申します社会的期待というものは、先ほど言いましたように自分の払う受信料が適正に使われているかどうかという問題ももちろんございますが、それと同時にわれわれの共有している公共放送というものはやはり本来そういう国家全体の文化的な創造力を活発にしていく方向でなくてはならない、そういう期待も含まれていると思います。  以上です。
  40. 田中昭二

    ○田中(昭)委員 よくわかりました。  そこで加藤先生にお尋ねいたしますが、先生は私の持っております基本問題調査会の報告書の議論にも参加なさったということをお聞きしておりますが、私たちもこれを読みましていろいろ勉強しました。私が先ほどから言いますような国民放送局という問題が一番初めに提言をされておる、このように思うわけであります。それが重要な課題になっておりまして、いま北沢先生から御意見の陳述をいただいたわけでありますが、お聞きしたこととここに書いてありますこととをどのように具体的に日本放送協会が受けとめておるかということについてお尋ねするわけです。  そこで、いろんなところにございますが、この中には「今後の運営にあたっては、受信者たる国民との間に生まれる相互理解と信頼こそがNHKの存立の基本条件である」というようなことが書かれております。しかし、この報告書の中のいわゆる国民との相互理解とか信頼という項目が、資料の中にも提言の中にも余りにも重要視されてない。一つ指摘しますと、この提言の材料になりました資料によりますと、数十ページの資料の中でいわゆる国民との相互信頼関係という項目がございますが、この中はほとんど受信料制度というものはこういうものだ、受信料は納めなければいけないのだ、こういう議論が書いてありましてこれが数ページに及んでおりますが、その相互信頼のところはただ最後に「受信者との結びつき」ということで、一ページにも足らないような状態で終わっている。こういうことを考えますと、本当は時間があれば一つ一つ伺いたいわけでございますが、そこで先ほど受信料制度はりっぱな日本国民の知恵であるという先生の御発言がございました。しかし、そのりっぱな知恵も、いまやこの受信料制度が問題になっている。そういうわずかな受信料でも納める人たち、いわゆる一般大衆といいますか、生活のボーダーラインにおられる方々といいますか、そういう方々にとっては、この受信料制度がNHK公共的な基本的な態度を崩すような方向にいっておることは十分言えるわけです。きのうも委員会受信料の不払い、支払い拒否というような問題も出ておりましたけれども、それを除いてみましても、いわゆる受信料の未収がだんだん多くなっている。それのいわゆる債権の償却もだんだんふえておる。そういう中で受信料契約対象もいままでのような伸びがない。そしてその受信料が、会長さんは特に世帯の問題についてよりも非世帯と言いまして、いわゆる世帯単位でとっておりますけれども、その受信の台数すら把握が困難であり、それは非世帯契約受信料契約数においても明らかになっておるわけであります。ということは結局、りっぱな制度があるけれども、その制度がかえって不公平と不満を生んでおるというようなことについては、私どもも大変心配するわけでございますが、先生の御意見をお聞かせ願いたいと思います。
  41. 加藤寛

    加藤参考人 いま御質問にございましたことを述べますために、若干先ほど北沢参考人に対する御質疑と関係ございますので申し上げさせていただきますが、私は一つ組織体というものは常にチェックされる必要があると考えております。そのチェックのやり方は三つございます。一つ経営面のチェックでございます。それから第二番目は市場のルールを通じてのチェックでございます。第三番目が住民によるチェックであります。この三つのチェックがいかなる組織体においても必ず行われるわけでありまして、経営面におけるチェックと申しますのは、これは国会における委員会審議もその一つでございます。そしてまた経営委員会によるチェックもございます。こういう形で経営委員会の組織そのものは、先ほどいろいろ問題がございましたけれども経営面のチェックということが一つ行われております。  それから市場のルールを通じてのチェック、これが非常にNHKにとって問題になる重要な点でございまして、受信料はみんなが喜んで払ってくれるようにならなければならないんだということで、国民のためにどうすればNHKは役立つであろうかということをたてまえとして常に努力を重ねることになります。これがNHKが常に自分を戒めながら、大きいからといっておごることなく、何とかして国民が喜んで受信料を払ってくれるようにしなければならないんだという一つ方向を持つことになります。不払いというようなことがございますが、これは逆に申しますと、不払いというようなものがあることがかえっていかにしてこれを納得してもらえるだろうかというふうに考えるNHK一つの市場チェックの役割りを果たすのでございます。  それから住民のチェックでございますけれども、この住民のチェックという点につきましては、これは御質問と直接関係がございませんので省略させていただきますけれども国民の気持ち、考え方あるいはどういう番組を望んでいるかということを常にいろいろな制度を通じてチェックしていかなければならないということでございます。  さて、そういうふうにチェックというものが三つの方面から行われているということは、これは管理社会になるということではなくて、むしろ管理社会の中で、どうすればNHK国民にとって最もふさわしいものになるかという努力一つの形になるのでございます。つまりどんな社会においても管理する者とされる者があることは否定できません。問題は管理する者がいかにして管理される者から信頼を受ける形になるかというところにそのチェックの働きがございます。そういうふうに考えてまいりますと、たとえばいま基本問題調査会の報告書でもって国民との信頼関係について十分に書いてなくて、受信料ばかり書いてあるとおっしゃったのでございますけれども、私は逆に、受信料というものを通じてNHKが非常に大きなチェックをされる役割りを持つのだ、こういうふうに考えております。そして国民番組に対するいろいろな要望についてはモニター制度を設ける、あるいは経営参加の方向をさらに考えていくとかあるいはフィードバックのシステムを考える、こういう各国における工夫もございます。あるいは日本NHKの場合でもこういうことについては多くの努力をしている、これは十分だとは私は申せないと思いますけれども、しかし少なくともいろいろな企業体と比べましてNHKがその点について不十分であるとはなかなか申せないのではないか。むしろNHKとしてはいかにして聴視者の意向を吸収するかということに努力を重ねているというふうに考えております。そのような意味でここに国民の今後の信頼をかち得ていくために受信料というものが持っている意味というものを訴えなければならなかった。その訴えなければならなかったということで、この「受信者とNHKの相互信頼関係の強化」の中で受信料にわりあいに多くのページを割いたのでございますが、決してそのほかのことを軽視しているのではなくて、そのほかにフィードバックシステムについては十分にNHKも今後考えていくのだということをここでもっていろいろな形で説明をしたわけでございます。  以上でございます。
  42. 田中昭二

    ○田中(昭)委員 確かに先生のお話はそれなりにわかるわけでございますが、もう時間もございませんから私は要望として言っておきます。  確かに基本問題調査会の提言に書いてあることを云々ということだけではなくて、いろいろなフィードバックの状況もあるでしょう。現実に努力がなされていると言いますが、それじゃその具体的努力をする問題点はどこから吸い上げるかと言いますと、国民大衆と言いますか、それからまたNHKの内部の一番現場で働いている人たち意見が返ってきていないという面がある。そういう面では大変残念な状態があるということを私はいままで委員会でも指摘してきましたけれども、それが結果が出てこないという面があったわけでございます。  並びに、組織の硬直化というようなお話がございましたけれども、硬直化によりますところの一番の弊害というものを常に当局は考えなければならない。たとえばいま先生は、モニター制度とかそういうものがある、やっていかなければならないとおっしゃいますけれども、その肝心なことは秘密事項だということが言われます。私はNHKのそういうことについては秘密にするべきものではないということも申し上げるのですけれども、そういう現状であるということを申し添えまして、時間でございますから終わらせていただきます。
  43. 伊藤宗一郎

    伊藤委員長 阿部未喜男君。
  44. 阿部未喜男

    ○阿部(未)委員 加藤先生それから岡本先生にお伺いしたいと思います。  まず加藤先生に教えていただきたいのは、先生基本問題調査会に参画をされて大変お骨折りをいただいたわけでございますけれども先生公共放送民放との二本建ては非常に意義があるというお話でございました。われわれ呼びなれておりますが、公共放送とは定義すれば一体どういうものだろうか。単に受信料制度であるから公共放送と言うのだろうか。たとえば先生が御指摘をされた中立不偏不党、こういうものが一般の報道機関に要請をされておるものであって特にNHKだけが要請されておるものではないとすれば、一体公共放送の定義はどういうものか。これをひとつ教えていただきたいと思います。  二点目でございますけれども先生のお言葉の中で、八年間受信料据え置きになっておった。したがって、適正であるならば当然国民はこれに力を貸してNHKを守らなければならない。果たしていまの五〇%の値上げ先生のお考えの中で適正なものであるということになるのか、まだほかにいろいろな方法が考えられるのか、適正であるならばということについて先生はどうお考えになっておるのか。二点目でございます。  それから三点目は、特に先生の経済学者的な立場からお伺いしたいのですが、先ほども御質問申し上げましたけれども、私はそういう意味で、NHKと受信者との間に深い理解と協力がなければならないと思いますから、そうなれば非常に経済の変動の激しい中で、NHK予算というものは、その年度ごとに編成をされ、その年度ごとに受信料が決定されることの方がはるかに深い結びつきが生まれる、それを三年先までも前取りにしておこうという半ば商業的な物の考え方はいかなるものだろうか。この点について先生からお教えをいただきたいと思います。  もう二つあるのですが、もう一つたち考えておるのは、法的にはNHKの電波を受信できる受像機を持った者が契約を結ぶことになっておるわけですけれども、しかしいまNHKがとっておる契約は世帯単位の契約になっております。果たしてこれが正しいだろうか。三台の受像機を持ち得る人たちは、私は必ずしも三倍とは言わないが、幾ばくかの割り増しという形でそれぞれの受像機について契約をする方が妥当ではないか、そういう主張を持っておるものですが、この点についての先生のお考えをお示しいただきたいと思います。  最後に、いま不払い運動等が起こっております。それなりに私は十分な理由があることだというふうに理解をいたしますけれども、しかしお互いに法のもとに平等であるという立場から考えれば、本来契約は早く言えば強制条項みたいなものでございますから、したがって——これは非常に危険だと思うのですけれども、何か国民の総意が得られるならば、受信者の総意が得られるならば、強制的な受信料の徴収というようなものが——非常に危険な気がしましてこわいのですが、しかし、だからと言って正直者がばかを見るという形も困るような気がしましてジレンマに陥っておりますので、以上の点について加藤先生の御見解をひとつ聞かしていただきたいと思います。  次に、岡本先生にお願いしたいのですけれども、特に先生NHKの中の管理体制強化の問題について、報道の自由を守る立場から非常に危惧をされておるように承りました。私どもも全く同じ気持ちを持っておるところでございます。そこで先生、特に報道関係の中におられたわけですからお詳しいと思いますが、いわゆる管理体制が強化をされてくると自主規制というふうな形があらわれてくると思われるのですけれども、そういう管理体制の強化、自主規制というようなものから報道の自由を守るためには、どういう手段がとられなければならないのか、この点についてひとつ教えていただきたいと思います。  それからもう一つ先生から特に民衆の意思が反映できるものでなければならないという御指摘をいただきましたが、これはもうどの先生も同じような御意見でございました。先ほどからの質問にもあったようですが、もし民衆の意思を反映するために具体的にこういうこと、こういうこと、こういうことが考えられるではないかという御意見があれば教えていただければ大変ありがたいと思います。  以上でございます。
  45. 加藤寛

    加藤参考人 五つございますので、順次お答えをさせていただきます。  まず最初に、公共放送とは一体何であるかという御質問でございますが、私は公共放送というのは、これはニーズとウォンツというものに分けました場合、ニーズはつまり必要とされるもの、ウォンツは欲望されるものでございますが、その欲望されるものというのにこたえていくのは、商業放送一つの行き方でございます。しかし、いかにウォンツにこたえましても、ニーズにこたえることはなかなかむずかしいのでございまして、この点はニーズにこたえるという意味で、どうしてもウォンツというものを補完しなければなりません。この補完しなければならないという機能が公共性の第一の機能である、こう考えます。  第二の機能は、公共というのは、地域を越えて結びつきを求めることでございますので、その意味におきましては公共というのはコミュニティーの連帯感を高めるものでございます。そのようなコミュニティーの連帯感を高めるということを一つ方向としてやっていこうとすることが公共でございます。それで、NHKはこの公共放送一つでございますけれども公共放送には国によって行われるものもありますし、あるいはNHKのように受信料によってやる場合もございます。それで、どちらが望ましいかといった場合に、これは国によって行うということよりも国民自分の意思でもってこの公共放送を維持していくのだという考え方をとること、これが公共放送という役目を十分に発揮するために最も望ましい方向である、私はこういうふうに考えております。したがって、公共放送のうちの一つの形態である自主的な受信料による放送機関というNHKは最も望ましい形態をとっているのではないか、かように考えます。  第二番目に、八年間据え置いて今度五〇%以上上げるということは適正であるかということでございますけれども、いま私が申し上げましたように、とにかくNHKとして八年間据え置いてきたということは、これはこの期間にもっと上げてもよかったのではないかという御意見もあろうかと思います。しかし、これは実は逆に申しますと、NHKが八年間受信料に手を触れないで何とかほかに活路を求められないかという考え方がそこに一つ努力としてあらわれているわけです。したがって、もちろんカラーテレビの有利な状況がございましたので、この点少しNHKとしては安易に流れ過ぎたことがあったかと私は思います。これは、しかしその当時の日本の経済、企業あるいはあらゆる分野において共通した現象でございまして、私はこれはNHKだけを責めることはできない、かように考えます。したがって、八年間据え置いてきたということは、これはむしろNHK努力として評価してもよろしいのではないか。  今回五〇%以上上げるということについてどうなるかということでございますが、これにつきまして、私は公共料金というものは一概に抑えておくべきものではない、これは適当な時期と適正な判断があるならば上げるべきものである、こう考えております。そのような観点からまいりますと、現在消費者物価指数からまいりまして、これから物価指数は来年、再来年になりますと少しわからなくなる点がある。つまり、消費者物価指数は上がるかもしれないと思っております。しかし、現在においては低下傾向にございますので、低下傾向にあるときには公共料金というものについて立ちおくれがあった場合には、これに速やかに手当てをしておきませんと必ず将来に禍根を残します。その一つの例として、私はここに名前を出すのはいけないかもしれませんが、国鉄などはそのような時期に、十分上げていくべきときに上げられなかったという限界がございました。この国鉄の二の舞を踏ませるべきではない、かように考えておりますので、五〇%というのは額として、これから後で申し上げる点を含めなければいけませんけれども、消費者物価指数から見てそれほどいま大きな問題になるとは考えられない。そして同時に、立ちおくれておりますので、その立ちおくれた面はこの時期にこそむしろ是正されるべきである、かように考えます。  そしてさらに五〇%という幅でございますけれども、これは幅としては確かに大きいのですけれども、新聞などと比較いたしました場合に、私は決してこれが高い値段のものであるというふうには考えておりません。ここでは時間の関係もございますので、細かい数字は省略させていただきますけれども、実質価値において、むしろ新聞をときには読まなくてもテレビ、ラジオでニュースを満たすという人たちも多くなってきている現状からいたしますと、私はこの公共性というものから考えて、テレビの、あるいはラジオのこの料金は不当なものではない、適正なものであろう、かように考えております。  それから第三番目でございますが、三年間の予算を考えているのはおかしいのではないか、これは毎年やるべきではないかということでございますが、経営のチェックというのは毎年やるべきでございます。しかしながら、予算というものは単年度予算であることは好ましくないわけでございまして、むしろ予算というものは二年あるいは三年という一つの見通しのもとにつくられるべきだと私は考えております。この点につきましてはいろいろ御意見もあると思いますけれども、しかし予算というものは一つ経営をしていくときの方針でございますから、その方針が狂ったときはもちろん是正を必要といたします。しかし、それだけの見通しを持って考えていかなければならないということでございます。したがって、この三年ぐらいの予算を考えて、こういうふうにしていこうというふうな一つの答えを出すことはそうおかしいことではない、むしろこれからは予算というものについてはかなり長期的な見通しを持っていくべきであろう、こういうふうに考えております。  それから四番目でございますか、いま世帯別の契約になっておりますが、これは私はいまお説のとおりだと思っております。つまり世帯別でいくことがいいと考えたのは、おそらくNHKとしては世帯別でも十分に収入があるからという気持ちがあったのだと思います。しかし、これは国民から見てもとても受信料では賄い切れないというような状況がだんだんと来るとすれば、当然世帯別契約というものについてはむしろこれを台数契約に変えるべき時期も来るかもしれないと思っております。ただ台数契約にいたしますと、今度はテレビのあるいはラジオのメーカー側からの問題もございますし、それからさらにこれをいかに徴収していくかという手続上の煩瑣の問題もございます。そういった点から考えまして、一挙にこれをやることはなかなかむずかしい。将来考えられる方向ではあるけれども、いまのところ、たとえばホテルにおける受信料などの場合には、これは割り増しでいくというようなことで特別料金のような考え方でいくべきではないのか、こんなふうに考えておりますので、いまのお説に対しては全く賛成でございます。  それから五番目でございますが、不払いの問題がだんだん大きくなってまいりましたので不公平になっていくのではないか、これは受信料強制化ということも考えられないかということでございますけれども、実はそこのところを先ほど日本人の知恵というか英知と私は申し上げたのでございまして、まさにそれがあったからこそ、いかに国民理解を得ようかという必死の努力が生まれてまいります。NHKというものはどうしても巨大でございますから、その点からまいりますと、とかく安住しやすくなります。それをこうやってとにかく集めなければならぬ、強制で集められないということからNHKとしては必死の努力を重ねる、これがNHKが現在いろいろな企業と比べてみて非常にモニター制やあるいは世論調査などが発達している一つの理由になっているんだろう、私はかように考えております。したがいまして、不公平の問題は確かにございますが、この問題についてはむしろNHKにあるよりも、国民の一人一人がボランタリーとしてNHKをつくっているんだ、こういう考え方に私どもは立ちまして、むしろ国民自体がみんなに納得してもらってみんなで払おうじゃないか、これは自分たちNHKなんだからわれわれが受信料を出そうじゃないか、こういう気持ちを国民の間につくっていくのが、私たち国民自体の責任である。そうしてそれは国民としてすべて考えていかなければならない。ボランタリーの問題というのはそういう問題でございますから、そういう意味国民一人一人がそれに対して積極的に努力をし、不払いをする人たちに対しては何とか、みんなそうじゃないんだ、君たちはそういうことを言うけれども民主主義というものは反対をする人があったとしても一度決まったらみんなそれをやっていこう、盛り立てていこうという気持ちがなければならぬ、こういうことを訴えていくことがどうしても必要なんじゃないかと私は考えておりますので、強制ということについてはいまのところ考える必要はないのではないか、かように考えております。  以上でございます。
  46. 岡本愛彦

    岡本参考人 先生の御質問は二点ございまして、一つは、管理体制が強化されていきますと、どうしてもその中で自主規制というものは強くなっていくのではないかということの中で、報道の自由を守るためにはどうすればいいのか、どのように考えればいいのかということだと思います。まず私たちは、将来いかなる社会体制を迎えた場合にしても、報道の自由というものが民主主義の基本であるということを確認しなければならないというふうに考えます。その中でいろいろ問題になります公正とか中立という言葉放送には、テレビには特に使われるのですけれども、この公正、中立、つまり純粋培養の公正、中立ということが果たしてあり得るのか、それは隅井参考人のさっきのお話にありましたたとえば反論権の問題とか、とにかく発言に対して、テレビ局、ラジオ局に勤めていらっしゃる方々、幹部の方々、いずれも十分なバランスのとれた感覚は皆さんお持ちなわけですから、その中でバランスをとった表現ということが十分に可能になっていくというふうに考えるのです。  現在この報道の自由という言葉を聞きますと、テレビの中で働いていらっしゃる皆さんにしてもそうでしょうけれども、一番大きな問題としてありますのは、やはり韓国報道ということだというふうに考えます。これはNHKの場合も幾つものケースがあったように聞いておりますし、民放テレビの中でも非常にたくさんのいわゆる権力の介入というものがあった。その権力というものをどういうふうに考えますか、これは非常にむずかしい問題なんですけれども、具体的に言いますと、たとえば韓国大使館から直接の呼び出し、あるいは直接局へ行って抗議をする。その場合に、ソウルの特派員を追放するとかあるいは支局を閉鎖するというふうな、私はその現場を聞いているわけじゃありませんから雰囲気はわかりませんけれども、かなり脅迫めいた発言があるというのが、各局の報道担当者から私が聞いているところなんです。現に金大中事件の直後に、国家権力が介入しているというふうに書いた読売新聞の支局が閉鎖され、追放されたということは御記憶だと思いますけれども、そういうことが繰り返されていく。それを、いわば政府のみならず全体の世論というものがそれに対して、それが報道のきわめて重大な危機であるということを直感しない中で、どうしてもその報道を規制していってしまうというふうなことが働いていくことだというふうに考えるのです。したがって、報道の自由を守るということは、つまりこの立法府であります国会もちろんでありますけれども政府におかれましても、やはり報道機関に対する介入というものに対してはこれを非常に厳しく、まあ国レベルといいましょうか、そういうレベルで抗議をしていく、そして民主主義の根幹である報道の自由というものを外国から侵されることがないような形にそれを保障していくということがまずなければならないというふうに考えるのです。  先生御存じだと思いますが、たとえばアメリカには三大ネットワークというのがございまして、その中のCBSニュースというCBSネットワークのニュースセクションでこれは年間に非常に巨大な予算を投下してスポンサーに余り左右されない形で報道というものがございまして、そこが、ペンタゴンのベトナム報道に対する介入に対して、裁判でこれを、国家を告発していくという、そういうシステムがアメリカの民主主義の中では定着をしているわけですね。つまり、こういうこともやはり政治家である皆さんも、あるいは政府関係者におかれましても、それをつまり認めていく形のそういうものを民主主義として日本で定着をさせていかないと、この日本民主主義というものは非常な危険な状態になっていくのではないのかというふうに考えるのです。  現実に申し上げますと、たとえば大統領緊急措置四号、それから九号というところで、日本報道機関が韓国の国内法によって日本の国内報道を規制されてしまっているということ、これが現実にあるわけであります。つまり、日本国内における報道の自由というものが、国際間の非常にむずかしい問題はございましょうけれども、韓国によって規制されているということ、これは非常に大きな問題としてひとつ国会でも十分に論議を尽くしていただきたいというふうに考えるわけなんです。  そういう中で、自主規制というものがどうしても、NHKにおいても中間管理職以上において特に際立っているということが言われております。先ほども申し上げました、NHK労働組合、日放労が作成しました放送白書を丹念に読んでおりましても、その中に、具体的な例こそたくさんは出ておりませんけれども、少数の例の中に非常にしばしばそれに対するチェックが行われていくということによって、次第に一定の限度というものが構築をされていってしまう、その制作者の中に、放送記者の中に構築されていってしまうということで、その点は労働者の皆さんに対してももっとがんばってほしいというふうに私、思いますけれども、と同時に、やはりそういう環境をつくったNHKの体質というもの、これは戦前からの体質がやはりいまだに残っているというふうに私考えます。そういった点で報道の自由ということは、先ほどから何人もの方がおっしゃっておりますけれども、純粋培養の蒸留水のような公正、中立ということは絶対にあり得ないわけです。これはそこをはみ出すかはみ出さないかということは非常に重大な問題だと思いますけれども、そこをお互いにチェックする能力は十分に皆さん持っていらっしゃる。それを私たちがやはり信じながら、その報道あるいは全くそれと逆の意見が当然出てきていいでしょう。そういうことの中で公正、中立が保たれていく。これがアメリカにおける民主主義の生成過程の中で報道の自由というものが生まれてきた唯一の理由だというふうに考えるのです。たとえばワシントン・ポストのキャッシーという方でしたか、社主の方がいらっしゃいますけれども、われわれはわれわれの目で見た真実を報道するだけであるということを述べていらっしゃいます。これはたとえば日本には一億一千万の人間がおります。仮にみんなが明確な意思を持っているとしましたら、一億一千万の意思があるわけなんです。しかしそこでは、それが出たにしましても、いずれにしても日本民主主義というものが定着をしていくならば、そこでいわゆるバランスといいましょうか、あるいは自浄作用といいましょうか、そういったものが十分に働いていくことを私たちは信じていく、そうでなければ報道ということはあり得ないんじゃないのかというふうに考えます。NHKの場合に特にそういうことで自主規制ということは非常に強くなってきて、したがって報道されなければならないことが報道されなくなっている傾向というものがございます。これはNHKだけではございません、民放についても同じことが言えます。幾つものケースがありますけれども先生すでに御存じだと思いますのでケースは申し上げませんけれども番組が何本か、当然放送されなければならない番組が中止されていったり、そういうケースは実は枚挙にいとまがないということでございます。  あるいは反対側の例を一つだけ申し上げますと、たとえば現在はパリに行っておりますけれども、山室解説委員というのがおりました。たまたまNHK、私と同期だったので、大変詳細に話を聞いてみたのですけれども、彼は例のトンネルが明らかに北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国側で掘られたものだという解説をしてしまったわけです。これは明らかにやはり偏向の報道である。それに対してやはりもっともっと大きな声が上がってこなくてはいけなかったのですけれども、それに対しては比較的抗議の声が上がらなかった。これは私は非常に危険なことだというふうに考えます。したがって、その意見があればそうでない意見もあるという報道が十分になされないといけないと思いますし、それを支えていくのはやはり国民全体ではありますけれども、最終的にはやはり国会にいらっしゃる皆さんあるいは政府民主主義に対する、報道民主主義に対する、報道の自由に対する認識、これがやはりとりあえず一番大きいのではないかというふうに考えます。長くなりました。  第二点の民衆の意思をどういうふうにすれば反映できるのかということなんですけれども、これもいまお話ししたこと、自由規制に多少関係があるのですけれども、たくさんNHKに仲間がおりまして、聞いてみますと、たとえば企画を出しましてもそれがたくさんの人たちのチェック機関を通らないといわば企画が実現されていかない、したがって、だんだんに企画を提案するのがめんどうになるといいますか、厄介になるといいますか、そういうことがやはり現場の目から見ますとあるようでございます。やはり私は現場で働いている放送記者の方々あるいはプロデューサー、ディレクターの方々、こういった方々、つまり非常に創造的な意欲をお持ちになった方々の意欲というものを、こういう方々は民衆の中で暮らしていらっしゃる方々なわけですし、それなりにかなりの勉強をしていらっしゃるわけですから、こういう方々のフレッシュな創造的な意欲というものをもっとくみ入れていくということが一番大事なのではないのか。NHKで一番大きな問題なのは、民衆意見を聞くということで、たまにはそういう番組をお組みになったり、あるいは公開でそういう討論をする場をお持ちになることはあるのですけれども、やはり基本的には聞きおくという態度がどうしても強い。この体質が残念ながら戦後三十年間たっていまだに十分には直っていない感じがいたします。  そのほか民衆意見をくみ上げるためには、地域のさまざまな団体その他に自主的にその番組にもっと具体的に制作に参加をしてもらうとか、それをNHKがもっと具体的に援助をしていくとか、あるいはこれは少し脱線の意見になるかもしれませんけれども、ヨーロッパ、アメリカその他でたくさんございますけれども、一部スタッフを外部から導入していく、そういう試みも一つは風通しをよくしていくという意味ではいいのかもしれないというふうに考えます。  しかし基本はやはり経営委員会その他の体質の問題であり、そこにいかに民衆の意思が正直に反映されていくのかということが基本的にはNHK番組民衆の意思を反映させるやはり最初の原点ではないのかというふうに考えます。  例はたくさんございますけれども、よろしゅうございましょうか。
  47. 阿部未喜男

    ○阿部(未)委員 加藤先生、非常によくわかりましたが、一つだけどうしても納得がいきませんので、反論する意味ではありませんが、いわゆる三年間の経営見通しに立って受信料を徴収するということで、先生の御意見では経済の見通しというものは長い方がいいのだ、私もそれはそのとおりだと思います。しかし、たとえば国が三年なら三年、五年なら五年という経済の見通しを立てて、三年先に必要な税金をことし取るということは、私はやはり許されないのではないか。したがって、NHKが三年なり五年の経営の見通しを立てることは大事であるけれども受信料そのものは年々必要なものを決めていく、その方が正しいのではないか。この点がどうも私は納得がいかないのですが、いかがでしょうか。もう一言。
  48. 加藤寛

    加藤参考人 私も、その点につきましてそれほど反論があるわけではございません。むしろ私は、NHKが現在の赤字を何年でもって回収し、そしてその赤字が大きくならないように維持していくためにどうするかということを考えると、この三年というのは妥当な一つの答えである、かように考えます。したがって、その三年間というのは、これは私はいまの経済状態からいきますと、ちょっとこれからまた変動が起こるかもしれませんので、少し危ないかなという感じもいたしますが、しかし、一応三年間のめどを立てたときにこれくらいになる、こういう見通しを立てている、こういう意味でこれはよろしいんじゃないか、こういうふうに申し上げたわけでございます。
  49. 阿部未喜男

    ○阿部(未)委員 終わります。ありがとうございました。
  50. 伊藤宗一郎

  51. 小沢貞孝

    小沢(貞)委員 時間がないようですから、先にいまの御発言の岡本さんの発言に関して、岡本さんと加藤先生からお聞きしたいと思うのです。  たとえば韓国によって報道が規制されておる、こういうように言われて大変御不満なようであります。これは私は確かなことかどうかわかりませんが、先般NHKが入国許可証か何か取りながら北鮮へ行った。そうしたら飛行場から追い返されてしまったみたいなことも聞いているわけです。だから言論に携わる者の報道の自由、こういうものが健全であってこそ、民主主義基盤というものは正しく育成されてくるんではないか、こういうふうに私は考えるわけです。  そういう意味においては、おととしだと思いました、IPU、列国議会同盟の会議があって、北朝鮮の国会議員が初めて入ってきたわけです。そうしたら、私たちびっくりしちゃったのは、国会議員でありながら金日成のバッジをみんな当てているわけです。ちょうどあのときは田中内閣の時分だったと思いますから、私たち国会議員が田中総理のバッジを当てていると同じように、われわれは大変異様に感じたわけであります。これは三権分立の問題とも関係ありますが、それよりまず以前に、いま岡本さんの発言によって、北はそれでは国によって規制されていないか、北の方の言論の規制されていることをいま少しやはり日本国内に放送されてしかるべきではないか。そうでなければバランスのとれた放送とは言えない、報道とは言えないんではないか。まずその点を両先生からお尋ねをしたいと思います。
  52. 岡本愛彦

    岡本参考人 ただいま先生から北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国の問題が出てまいりましたけれども、私、先ほどの発言の中でも韓国の報道の問題については触れておりません。つまり韓国から日本報道がさまざまな干渉を受けているという問題を申し上げたんで、国際間の問題というのはさまざまやはり事情があると思います。私は日本報道の問題についてだけいまこの場では申し上げたい、さっきそういうふうに申し上げたつもりなんで、国際間の問題については私のお話しするらち外だというふうに考えますので、控えさせていただきたいと思います。
  53. 加藤寛

    加藤参考人 いま韓国の話がございましたが、実は同じような問題を私はつい先日感じたことがございます。それはNHKでCIAの映画をやったのでございますが、このCIAの映画をやりましたときに私は、このCIAの映画をやったときは、CIAというのは非常にひどいんだ、要するに世界でこういうふうなことをやっているんだというようなことをやっておるわけです。そういうことで、私はむしろ専門といたしましてはソビエトをやっておりますので、それよりもむしろソビエトの方がすごいじゃないかという気持ちをそのとき持っておりました。しかし、このとき私が感じましたことは、一つ番組の中でたとえばCIAをやりまして、そしてCIAと同時にそれではソ連のゲー・ペー・ウーはこうだとかというようなことをやるのはむずかしいですから、そこでCIAを取り上げるときに、その最後でもってNHKの解説が言っておりましたけれども、CIAもそうだけれども共産圏にもやはりこういうようなものがありますというようなことを一言述べておりました。そういうやはり取り扱い方が必要じゃないか。つまり一つの行き方を示すときには、必ずそれに対してこういう見方もちょっとあるのですという、そのことをまた別の機会に取り上げる。そして全体として見ると中立になっている。中立といいますか、決して偏っていない。そういう形になる報道が私は最も望ましいのではないかというふうに思っております。したがって、一つ一つの場面を見ますと、非常にこれは何かおかしい、一方的だというような気がしますけれども、全体としてバランスをとっているということができていればよろしいではないか、こういうふうに考えます。  同時に、一つだけこれと同じことで関連してつけ加えさせていただきますけれどもNHKはいろいろとモニターをとるのでございますけれども、私はいろいろ思うのですけれども、どんな場合でもそうですか、一つ意見が出ますと、必ずそれに対して一方の意見あるいは別な意見等々多数出まして、なかなかこれはどの意見に従えば国民のためになるかわかりにくいわけです。そこで公共ということについて、これは一人の学者の意見でございますけれども公共的であろうとするためには、常にNHKあるいは公共放送機関というものが、ただ自分で聴取者の欲望にこたえていくのではなくて、それに対してどのように能動的な聴取者を受けとめていくかということをやればよろしいというようなことを言っておりますが、そういう考え方で運営をされていくならばよろしいのではないか、かように私は考えます。
  54. 小沢貞孝

    小沢(貞)委員 これも先ほどの御発言に関連してお尋ねしていくわけですが、管理体制が強化されている、強化されている、こういうような御発言があったわけです。先ほど加藤先生のお話ではないが、一つの組織の中には管理する者と管理される者とがある。これはけだし当然なことだと思うのです。私は放送法第一条の「不偏不党」、こういうことが一番大切ではないかと思います。管理者としてはそういうことにもう一〇〇%気を配って、社内のあらゆる機会を利用してやはりそういうことは従業員教育としてやっていかなければならない問題ではないか、こういうように日ごろ考えながら、たとえばNHK労働組合一つ政党を支持しておる。これは運動方針をはっきり見てないからそれは間違っていたらあれなんですが、私はそこの大部分の従業員が一つ政党を支持するような労働組合に一本化されているということは、逆に言うならば、不偏不党であるべき管理者が管理体制をちゃんとつくって、そして教育を末端まで十分行き届かせているようなことが日ごろ行われていないんではないか、逆に私はそう感ずるわけなんです。これについて隅井先生加藤先生と両方から所感をひとつお聞かせいただきたい。
  55. 隅井孝雄

    隅井参考人 御質問の趣旨がよくわかりかねる点がありますけれども、私なりの理解の範囲で申し上げたいと思います。  御存じのように、労働組合は独自に、労働組合の機関の討議の中でいろいろな運動方針や、どういう方針のもとに労働組合として活動していくかということを独自に決める権利を、固有の権利を持っています。したがって、その労働組合の、たとえば日放労でもそうですけれども、マスコミ関係の労働組合の方針がたとえば気に入らないとかぐあいが悪いからその労働組合をつくりかえるべきだというふうな御意見がこの場所で聞かれるということは非常に心外でありますし、そういうことのないように管理を強化しろということは、言ってみれば労働法の範囲を逸脱して不当労働行為を働けということをおっしゃっているというふうに私たち労働組合立場から言えば受けとめざるを得ないような御発言で、大変心外に思っているわけですけれども、しかし私たちは同時に、日放労が労働組合としての重要な方針の中に、政治的な問題に対して労働組合としてどういう態度をとるかという問題と同時にNHKをどう民衆といいますか、国民の間に支持されるようなNHKにしていくかということについてNHK労働組合が真剣な論議を行い、そしてこの取り組みを強めているということを高く評価したいというふうに思います。NHK労働組合は、労働組合独自で協会の側がなかなか十分手の届かないような十万人のはがき運動で視聴者の意見を集めるとか、放送白書運動の中でいまのNHKの問題点を大胆に明らかにするというふうな活動に取り組んでいますし、そういう活動は日放労を中心にしながら、NHKの問題だけではなしに、マスコミ関係のすべての労働組合が一体となって、いまの日本の社会の中で真実の報道国民の知る権利をどう守っていくかということに努力をしているわけですけれども、私たちは、そういう労働組合活動が、日放労がNHKをどれだけ国民に支持される存在にしていこうかということで努力していることそのものが、労働組合として越権行為であるとか、やり過ぎであることだとか、けしからぬとかいうふうな意見をしばしば外部から耳にしますけれども、しかし、話は全く逆であって、私たちはもっともっと労働組合自体としても国民とのつながりを深め、真実の報道を守っていくような諸活動を積極的に展開をしていきたいというふうに思っています。そういう活動に対していろいろな政党があるいはNHKの当局が妨害をされるという、あるいはやめるようにというようなことを働きかけるということのないように、ぜひ私たちのそういう真剣な活動を、皆さん方も協力をしろというふうにまでには言いませんけれども、ぜひ妨げるようなことを慎んでいただきたいということをお願いをしたいというふうに思います。
  56. 加藤寛

    加藤参考人 管理社会という問題につきまして、私は管理社会というのは三つの側面を持つものであると考えています。  一つは、巨大化をしていく。これは量的にでございますが巨大化をしていく。それから技術的に非常にコンピューターが使われるという意味での管理化。それから官僚化。この三つが管理社会の一つの特色だと私は思います。しかし、これをチェックするための方法を考えていくのが私ども一つの生き方でございまして、そのようなものに対して、たとえば巨大化に対しては、たとえばプロジェクト制を採用していろいろなスモールグループをたくさんつくってみんなの意見を集中していくというようなことも一つでございますが、そういうことを、巨大会社になればなるほど努力をしているわけでございます。それから技術的なものがふえてまいりますときには、これはフィードバックを強調することによって、その管理社会的な面を補っていくことができます。それからまた官僚化が進みますときには、これは参加のシステムをつくることによってこれを補っていくことができます。  したがって、管理社会になるからすべて監視されているのだ、こういう考え方は私はとり得ないのでございまして、監視されているというのは、これはそういうふうに思うからいけないので、むしろ問題は、よりよいものをつくるためにはどういうようなチェックがあるのかということを考えるべきである。そのチェックというのは、これは監視ではございません。よりよいものをつくるための努力でありますから、その意味で、たとえばNHKがよりよい報道番組にするためにどうしたらいいのかということで、たとえばプロデューサーの上の方がこういうふうにしたらいいじゃないか、こう言ったら、これは監視をしているのではなくて、それはよいものをつくるためのチェックでございますね。このチェックを拒否するというようなことを考えるのは、これは私は、社会に存在することは意味がなくなってしまう。社会というのはすべてじゃんけんぽんと同じでございまして、お互いにチェックされているからこそ社会が成り立つわけであります。それを一方的に自分立場だけを主張するというのは、明らかにこれは公共に反する、かように考えます。  そこで御質問に入りますけれども労働組合というものは、これは労働条件を向上させていくためにつくられた、弱者を保護すると言っては言い方が悪いかもしれませんが、弱者を強力にするための一つの組織でございます。そういうものとして発展した運動でございます。したがって、労働条件に関する限りは労働組合は積極的に自分立場を主張しなければなりません。しかし、番組をつくるあるいはどういうふうなNHK放送をやっていくかということについては、労働組合は、これは自分の労働条件の問題と別の問題でございますから、これに対してはむしろ意見は大いに話し合うことは必要でございますけれども、それに対して自分立場を鮮明にしていくということは、これは公共という立場からいくと好ましくないと私は考えます。したがって、たとえばいま御質問にございました、労働組合一つ政党を非常に支持するというようなことがあっていいのかという御質問でございますけれども、これにつきましては労働条件を向上させる運動としては結構である。しかしNHK放送をどういうふうに持っていくかということについて、それが一つ政党でもって言われてはならない、こういうふうに区別していくべきではないかというふうに考えております。
  57. 小沢貞孝

    小沢(貞)委員 それと関連するわけですが、先ほど加藤先生はやはりチェックの機能の中で市場ルールによるチェック、こういうことを言われておるわけです。そこで、このNHKの組織なら組織というものに市場性ということで、いま受信料のことを挙げられているわけです。ただ、労働組合が、NHK労働組合の性格上、恐らくそこの従業員は全部が、私は運動方針を見てないんでわからないのだが、生産性向上、合理化に対しては反対というようなことを主張しておるとするならば、そのNHK自体の中で自戒というか、自粛というか、自己反省というか、民間ならあたりまえのことでやっている生産性向上その他の運動が行われていないんではないか、そういうように私たちは勘ぐらざるを得ないわけであります。そういう意味においては私はNHKの中には大変むだがあって、非能率があってと、こういうように理論的にも考えざるを得ない、こう思うわけです。だからこういう面から一体どうやったらNHKの中の生産性向上、簡単に言えば冗費節約、そういう体制ができ得るだろうか、こういう点を加藤先生に伺いたいと思います。
  58. 加藤寛

    加藤参考人 生産性の向上という点につきましては、これはもう言うまでもございませんが、労使の協力ということが必要でございます。私はその実情をよく知りませんけれども、もしいまおっしゃるようなことがあるとすれば、つまり生産性向上労働組合が反対であるというようなことがあるとすれば、これは労働組合というものの考え方にやはり一つの問題があるわけであります。  つまり、生産性向上というのは常に効率化を図っていく、その効率化を通じて自分の生活水準も国全体の生活水準も上げられるのだ、そういう意味の生産性向上ならば、これは積極的に努力をしていくべきでございます。そういう意味で生産性向上は私は十分にやるべきと思いますが、それに対してNHK労働組合が反対であるかどうかということについて私は十分に存じませんけれども、しかし少なくともこれは私の個人的な経験からしか申し上げられないのですけれども、いまNHKでいろいろとプロデューサーの方々とお会いしたり、あるいはそういった番組などを見ておりますと、どうしても感じますことは、非常に手不足になってきている。この手不足というのは御承知のとおりNHKが人員を拡大しないでやってきたわけでございますね。その努力は私は評価していいのではないか。つまり人員をどんどん拡大をしてきてそして冗費が出てきたというならば、私はこれは非常に問題である。しかし、努力はしてきたんだ。それが十分であるかどうか、まだ判断の基準がいろいろございます。しかし、少なくともみんなが拡張してきている時期に人員をふやさないでやってきたということは、これは高く評価していい。そのようなことがいまはいろいろな面で、たとえば機械化が行われるということもありますけれども、全体として人手不足になってプロデューサーの方が自分でお茶を運んでこなければならぬというような、そういう状態も出てきております。そのような意味で私は冗費節約ということは必要なことである。しかし、冗費の節約ということは、経営委員会——組織はさっき申し上げたようにいろいろ考えなければいかぬ点がございます。しかし経営委員会あるいはそういった専門の財政委員会というものがございますから、そのことを通じてどんどん検討すべきである。そしてその検討を通じて、これはなかなか専門でないとわからない面がございますから、そういうものを通じてやっていくという努力NHKに要望されているという点については、私は先生と全く意見が同じでございまして、むしろそこでNHKは今後ここでたとえば予算の赤字をなくしていくことになるならば、今度はそれをさらに三年ではなくてもうちょっとふやしても、長く延ばしてもやっていけるのだという体制をどうやってつくるかということを考えてほしい。これが私ども効率化ということに対して要望した理由でございます。
  59. 小沢貞孝

    小沢(貞)委員 最後に、NHKとは直接関係ありませんが、ぜひこちらの参考人から所見をお伺いしたいわけです。  それは、国民の財産である電波を、民放もいまどこで使っても無料で使っているわけです。これは国民の財産を無料で使って、片方は営利をやって十分な配当をやっている、こういうことをやっているのだが、この中で私がいつも感ずることは、難視聴の解消に当たって、NHKは大体いま九十万ぐらいになっているわけです。ところが、民放はまだ二百四、五十万、こういう人々が辺地において民放を見ることができないでいる、こういうことであります。そういうことから、私はこの数年来主張しておるのだが、これはNHKを含めて、民放はもとより、これはある程度の電波使用料というものを国が取って、そして都会における民放は大変もうかっておる、そういうところで、田舎の民放は都会と比べてなかなか利益を上げることができないが、その田舎ほど難視聴解消のために投資をしなければならない、こういうことがあるので、ちょうど地方自治体における平衡交付金、あれにヒントを得ているわけですが、みんながひとつ電波使用料を拠出しようじゃないか、ある公団をつくってもよろしい、そしてその電波使用料にプラス国の財政、あるいはまた地方公共団体からある程度の補助をして、それをプールして、そして難視聴解消のためにNHK民放も共同でやっていくならば、難視聴解消というのは民放NHKとの格差がなくて、大変効率的になっていいことじゃないか、こういうふうにしょっちゅう考えておって、ここで主張してきたわけであります。基本問題調査会の中にもそういう意見が一、二出たようでありますが、どうでしょうか、そういうことについて、一言でいいです、御所見をお伺いできれば大変ありがたいと思います。
  60. 北沢方邦

    北沢参考人 ただいまの御質問でございますが、私最初NHKの非常に独自な、国営あるいは国民の税金による放送でもなく、またスポンサーの収入による放送でもないという、そういう独自性を申し上げたのですが、ただ、そのNHK事業の中に実は本来国家で行うべき事業を代行している、たとえば一つ国際放送もありますし、それからたとえばいま御指摘のあったような難視聴対策といったようなことですね。これは一NHKの問題とかあるいは一民放の問題とか、そういった問題ではなくて、これはやはり国民全体の問題、共通の問題であって、国家が何らかの形でめんどうを見なければならない性質のものである、私そういうふうに考えております。  ですから、したがって、そういう国家的性格を持つものについては、何らかの国家的な援助がどうしても必要だということは、これは常識的に見て当然であります。ただ、その援助の出し方とか、あるいはどういう形でどういうふうにやるかという、そういう問題については、十分にそういう問題を審議するこういう国会の場において慎重に考え、そしてさまざまな問題を討議し尽くした上で何らかの方法を選ぶ、そういうことになるのが妥当ではないか、こう考えております。
  61. 加藤寛

    加藤参考人 難視聴問題につきましては二通りございまして、一つは御承知のとおり僻地に起こる問題でございます。もう一つは都会に起こる問題でございます。  この都会に起こる問題につきましては、私は公害問題と同じようにPPP原則が適用されるべきである。つまりそれは発生者がある程度負担をしなければならない。もちろん、技術的に困難とかそのほかの問題があった場合にはNHKも考えなければならないことがあるかもしれませんが、しかし全体として、私は都会における難視聴については、これはむしろ積極的にPPPの原則に立って、いかにして発生者がそれを補っていくかということを考えるべきだと思っております。  それから、僻地の問題につきましては、これは確かに国がやるべきだという面が強いのでございますが、もう一つは、先生おっしゃったように、いろいろなところでお金を出し合ってやるということも考えられます。しかし、一様に問題になりますことは、だんだんコストが非常に高くなることと、それから、これは電電の場合も御承知のとおりでございますけれども、とにかくどんなところにでも電話をつけなければならないということになりますと、これはもう費用が大変なものでございます。そこで、そういう費用の非常に過大なものについては、これはNHKあるいはそのほかの拠出金によってはとうてい補うことができないというような場合には、これは当然政府援助が考えられるべき状況があるだろう、かように考えております。
  62. 小沢貞孝

    小沢(貞)委員 これで終わります。
  63. 伊藤宗一郎

    伊藤委員長 志賀節君。
  64. 志賀節

    ○志賀委員 岡本参考人はお帰りになられましたか。——それでは隅井参考人にお願いをいたします。  先ほどアメリカの連邦逓信委員会あるいは西ドイツ、スウェーデンのその種の委員会理事会等の人的構成等々についてお話がございましたが、私もアメリカ、西ドイツ、スウェーデンに旅をしたり留学をした体験がございまして、いささかかの地の放送の内容を知っております。これはどうもNHKと比較するにはそぐわしくない面の多い放送機関であると私は承知をしておる。むしろBBCのようなものの方がNHKとは比較をするのにはよろしいような気がするわけでございます。そこで、BBCはどういう委員会のようなものがあるのかないのか、これを参考までにお教えをいただきたい。  それからもう一つは、先ほどもお話がございましたこの冗費の節減等につきまして、どういう冗費の節減あるいは、先ほどの有竹参考人のお話には、一万六千人のNHKの定員では多過ぎるではないか、朝日新聞の例などもお取り上げになりまして、有竹さんは御承知のとおり朝日新聞のOBでありますから、きわめて説得力がございましたが、そういう面からの人減らしはどうかという意味合いに私は聞こえましたけれども、この点に関して、冗費の節減あるいは人減らしをどのようにお考えになるか。  それからまた、同様の人減らし、冗費節減について北沢参考人にも教えていただきたいと思うのでございます。  以上、まことに簡単でございますが、この点について御指導をいただきたいと存じます。
  65. 隅井孝雄

    隅井参考人 BBCの場合の具体的な資料をいま手元にたまたま持っておりませんので、細かく申し上げるわけにはいかないのが残念でありますけれども、BBCの経営委員会の場合にも、スウェーデンその他ヨーロッパの諸国や西ドイツと非常に似た形態をとっておりまして、まあ日本にも近いということがありますけれども委員の数は十二人であります。規模は大体日本と同じだというふうに思います。  で、やはり委員のメンバーは、先ほど申し上げた特徴で言えば、企業の経営者の代表の方が多数おいでになるということではなくて、やはり一定の学識経験者なり文化分野の専門家の方々なり何なりという方で占められておりますし、特にBBCの場合の特徴は、近来BBCの場合には、先ほど申し上げましたけれども、イギリスでのBBCのローカル放送を拡充するという方向で進展をしておりますけれども、その基盤として、ウェールズとスコットランドと北アイルランドの三つの地方に、それぞれ独自の地方経営委員会というのがあります。その地方のBBCの放送について運営の全権を握っているということですけれども、この地方経営委員会を代表する方たちがBBCの中央の経営委員会に参加しておられる、したがって十二人のうち三人はそういう方々だというところに一つの特徴があるというふうに思います。  日本の場合には確かに地域ごとの経営委員の代表というのがおられますけれども、その方々は必ずしも一定の地域の、九州なら九州でのNHKをどうするかということの責任を持たれているということではなくて、たまたま九州に在住されている方のうちから選ぶのだ、要するに平均的な国民の一人なんだというふうな意味で言いますと、イギリスの場合の地域の代表として入っている経営委員任務や機能とNHKの場合の任務や機能とが大分異なっておりますし、私の見解で申せば、やはり若干ではありますけれども、BBCの方がまだ、私ども視聴者の側から見て納得できる考え方が盛り込まれているのではないかというふうに考えています。  先ほど経営委員会が三地方にあるというふうに申し上げましたのはちょっと誤りでありまして、その三つの大きな地方からの委員が中央の経営委員会委員にも参加をしているということになりますけれども、地方の経営委員会自体は領域に従って七つございます。ですから、イギリスの地図を頭に浮かべていただけばわかりますけれども、一定のエリアごとに地方経営委員会というのが存在をしているというのが大きな特徴であると思います。  同時に、イギリスの場合にはアドバイザリーコミッティーと申しますか諮問委員会的な機能を果たす委員会が、NHKの場合には一般的な番組審議会と教育番組審議会と二つございますけれども、幾つかの一般的な番組審議会のほかに地域諮問委員会先ほど申し上げたような、地域の放送をどうするかということについて、経営委員会なり局長の諮問に答えるという地域諮問委員会というのもありますし、そのほか宗教、音楽、学校放送、科学その他の種々の具体的な問題についての諮問委員会もございます。それから児童番組について専門的に諮問を受ける諮問委員会もあるということで、いま政権を持っておりますイギリスの労働党は、これを基盤にしてさらにイギリスの場合地域的な放送機能を充実したいというふうな意向を持っておるようでありますけれども、そういう意味で言えば、私どもが考えております。もう少しNHKが地域の機能を充実できないか、そして経営委員会運営をもう少し全国的にも地域的にも民主的に行うことができないかという意向に、必ずしも沿っているというふうに断言しているわけではありませんけれども、やや近い形を持っているというふうにイギリスの場合は考えております。以上がお答えですけれども、不十分でありましたら、再度御質問をいただければ、不十分なところは補いたいと思います。  二番目に提起をされた人員の削減を中心とした冗費の削減について見解を述べたいというふうに思います。  参考人の方々の何人かの意見にもありましたけれども、いろいろ批判はあるにせよ、ここ十数年来NHKが築いてきた財産というのは、紛れもなしに国民の共通の財産として生かされるべきだというふうに考えています。放送センターが規模が大き過ぎるではないかということがありますけれども、しかし、それを壊すということではなくて、今後の方向としては、あのりっぱな機能を持った放送センターをどう国民のために生かすのか、それから、いまNHKが持っている人員をどういうふうにフルに活用して国民のための放送局としての道を切り開くのかということが大事だというふうに思います。もちろん、いまの経済状態の中ですから、規模の拡大ということは困難があると思いますけれども、私が主張しておりますのは、少なくともいま持っているNHKの機能、たとえば、先ほども申し上げましたけれども、最近のNHKではローカルに二つ放送局が、一つの県の中に二つ放送局があると、一つ放送局はスタジオがあってももうそれを使わないで引き揚げてしまう、松本の放送局はやめて長野一本にしてしまうとかというふうなことで引き揚げるとか、通信部がいままであったものをなくしてしまうというふうな計画で進んでおりますけれども、それは逆行するものであって、それがあるんだったらあるで、それをやはり基盤にして十分生かして、いま持っている力をもっとフルに活用することはできないのだろうかというのが私の主張であります。したがって、いまの人員を減らすということではますますNHKが取材能力とか番組制作能力を落とすということになりますから、国民から離れるということに拍車をかけることになりますので、現有の体制は一〇〇%生かすことをぜひ考えていただきたいというのが私たちの念願であります。  冗費の節減については、NHKの内部で、経理状態でも、国会で出される予算案というのは非常に大ざっぱな予算でありますから、どういう冗費があって、どのくらいどこをどうすれば浮くかということを私たちが容易にわかるという状態にはありません。しかし、最初に私が申し上げたように、NHK予算については細部までも、一体何に幾らかかって、どういうことで何人がつくっていて、だれにどういう手当を払っていて、経営委員会には一体幾ら出しているのかというすべての経理がやはり少なくとも国会ではすべて明らかになるし、国民に常に明らかになるような、経理面での公開ということが行われることによって、もしどこかに冗費があるとすれば、それはやはり自然に淘汰されざるを得ないという種類の問題だろうというふうに考えています。一部、経営が困難になると、幾つかの企業では廊下の電気を消してみたり、紙を節約してみたり、鉛筆を節約したりということがあるようですけれども、問題は、NHKが文化を創造し、言論、報道に携わっている重大な機関だということです。そこで報道記者の鉛筆やペンを一本取り上げ、暗いところで目を悪くしながら原稿を書くというふうな形での冗費の節約が、本当にNHKNHKたらしめるのかどうかというと、そういうことでは全くないというふうに思いますので、私は繰り返して申し上げますけれども、ぜひ率直にいまのNHKの経理の全般的な状況を繰り返し国民に公開をしていただくこと、それについて政党国民の一人一人や契約者の一人一人がいろんな形で意見を述べること、そのことがいま非常に必要とされているのではないかということを申し上げたいというふうに思います。
  66. 北沢方邦

    北沢参考人 人員や経費の節減についての御質問でございますが、私は、一般的に申しまして、人員や経費の問題に関しては、単に量的な問題だけで判断してはならない、そう考えております。つまり質の問題を考えなければ、果たしてそれが冗費であるのかあるいは人員が余っているのかどうか、そういうことは判断できないのじゃないかと思います。  NHKの場合に、一つ問題となって、先ほどからいろいろな参考人からもその内部事情のことが語られていましたけれども、私流に言いますと、非常に管理社会化していく、それに必然的に伴って官僚体質化しているということの一つ重要な問題というのは、つまり現場の制作その他に当たっている個々のメンバーの本当の創造をする力とか、それから個性とか、そういったものが十分発揮される体制ではない。官僚化というのは、むしろそういう芽をだんだん摘んでいってしまって、そして現実にいろいろな人の話を聞きますと、現場のメンバーのかなりの多くが、そういういろいろな、自発的にさまざまなプログラムをつくって提出していっても、どこかで修正されたりだめになってしまうというような、そういうことで、自分の持ち分を守って平穏無事にやっていればそれでいいではないかというような、どうしても現場の人間までが官僚化してしまうという、そういう危険が大変あるわけなんです。ですから、本当に個々のメンバー、単に制作に携わる人だけではなくて、個々のメンバーが、本当に自分の能力をフルに発揮しているのかどうか、その点の判断がなくして、ただ人員のわりに効果がないのではないかとか、そういった量的な判断では大変危険なのではないか。ですから、まずそういう体制、つまり個々の人間が、メンバーが、本当に自分の持ている力や個性を十分発揮できるようなそういう体質、体制というものをつくっていく。そしてみんなが活発に仕事をして、国民の文化水準を高めるためにNHKにおいてみんなが持てる力をフルに発揮できるという、そういう体制が整ったときに初めて本当の意味での合理化というものが問題になるのではないか。現在実はそういう本当の意味での合理化以前の問題であるのではないか、私はそういうふうに考えております。
  67. 志賀節

    ○志賀委員 どうもありがとうございました。  最後に、岡本参考人がお帰りになった後でまことに残念なんでございますが、先ほど岡本参考人は、自民党の総務会で偏向報道について議論があって、圧力がかけられたのではないか、こういう御趣旨のお話がございましたが、この間の放送を偏向報道と思うのは個々人の勝手でありますし、またそれを総務会で主張することも、これは自由でございます。ただその総務会の一、二の発言によって、われわれ自民党の逓信常任委員会委員が毫もその影響を受けてはおらない。それの何より証拠には、先ほど岡本参考人のお話によると、それを何か人質のようにしてこの委員会においてNHK予算を不成立に終わらせるような動きが自民党にあるやにおっしゃった。ところが、いまだかつて自民党はこの委員会を開くことについてはただの一度もブレーキをかけたことはございません。しかもわれわれは、基本的にこのNHK値上げ含みの今回の予算については賛成をしておるわけでございます。私は野党のことについては言及をいたしません。われわれ自民党のことについてのみ一言明瞭にここに申し上げまして、この御認識のもとになされた御発言については、私ははなはだ不服とすることを表明いたしまして、私の質問を閉じたいと存じます。ありがとうございました。
  68. 伊藤宗一郎

    伊藤委員長 この際、参考人各位に一言御礼を申し上げます。  本日は、長時間にわたり御出席を賜り、まことにありがとうございました。  参考人各位より寄せられました貴重なる御意見は、本件審査に資するところ大なるものがあったと存じます。本委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。  次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後二時三十分散会