○横山
委員 それではせっかく調査、
検討、立案、次の通常
国会までに、きちんとした御返事がいただけるように要望いたします。もちろん、その間であれ、いまお話し申し上げたようなこの事態については、やはり行政指導の適当な
方法があれば、ひとつ十分やってもらいたいと希望します。
次は、今度はマクロの問題でありますが、先般来この
委員会で
質疑応答の焦点となっていますこと、結局、この国債の
発行の是非は別として、これによってあしたはどうなるか、あさってはどうなるか、それをもう少し明らかにしろということに尽きるようなんであります。ところが、
お答えをされるあなた方と、質問をする私
どもとは少し次元が違うような気がする。なぜかと言うと、ちょうど
相談をして汽車に乗ろう、あなた方は広島まで行く気持ちになっているんだ、私
どもは静岡までで一応ことしは終わりだ、つまり単
年度ですからね。そして、それから米原は一体どっちへ行くんだと言っても、あなた方ははっきりしない。あなた方自身も、先ほど
大蔵大臣が答えたのは、先のことは
考えられぬ、いま脂汗を流して一生懸命やっているんだ。そんなことはないでしょうと私あそこで思っておったわけですが、少なくともあなた方はかなり中期的な展望に立っているけれ
ども、まだペンディングな点があるからそれを言うわけにいかぬ。ところが、その中身がわからぬから私
どもはこのことしの
予算、ことしの国債、そういうことであしたはどうなるんだ、あさってどうなるんだということが少しも十分なかみ合いを見せぬ、かみ合いをしないというところが私は今日的な現状だろうと思うのです。
そこで、
大蔵大臣がきのう
松浦君と堀君の質問に答えて、それなら、あしたあさってはどうなるか少し
検討して出してみましょう、こうおっしゃいましたね。そうですね。そのことは一体
考え方としてどういうものが出るか私は知りませんけれ
ども、
考え方なり、あしたあさっての展望のほかに、もう
一つ考えなければならぬことが、
法律的な問題だと思うのであります。
時間の関係で、私の
考えていることを列挙してみますと、私
どもとしても、
予算というものがこの一年のことだけだというふうに
考える者は一人もない。この
予算が来年、再来年どういう影響があるかということが論争の
一つの焦点である。
それから二番目に、現行の
財政法は単
年度主義ということになっていますね。
法律は単
年度である。しかし、われわれが実際
審議をしているものは、もうある程度中期的な物の見方がお互いの共通のベースではないか。そういうことが第二番目に言える。
第三番目に、ことしほど
財政が金融を動かすものはなかろう。三分の一が国債である。その三分の一が、
財政が金融を操作をして、金融は
財政に従属をしておる。一体、金融と
財政との関係はどうあるべきかという
問題提起をことしはしているのではないか。
それから、
指摘はされておるのですけれ
ども、国債の
償還計画、返します。また五十五年までにはゼロにいたします。こう言っているけれ
ども、しかし、どうやってそれをゼロにするか、どこから金が入ってくるかということについて、これは言葉はあってもそのシステムというものは皆無である。
それから、いまの
予算で私
どもがいつも
指摘をするのは、長期
計画というものが、各省で十か二十か、公認の長期
計画やら非公認の長期
計画を
考えますと、もう幾十とない長期
計画というものがいまわれわれの周辺にある。その長期
計画というものは
予算との関係というものがきわめて不明確である。
閣議で長期
計画が決まった、しからばそれは
予算でもう完全に保障されているか。そういう
法律的な仕組みというものは存在をしてない。政治的にそうだ、そうなっておるということだけではないか。
それから、
経済企画庁は常に中期的な判断で物を
考える。
大蔵省は常に単
年度の
予算ということを中心にして
考える。それは
閣議の中でもあるいは
経済閣僚懇談会でも、あるいは担当者間で打ち合わせができておるけれ
ども、それは
法律的なシステムというものには全然なっていない。
それから、別な角度で
考えますと、ことし租特が初
年度で百五十億ですか、切りました。補助金は八百億切ったというわけですね。ところが、この補助金とか租税特別
措置法というものが何かのときには見直されるけれ
ども、常時見直す、常時それを
見直していくというシステムがない。したがって、
財政の硬直性というものが何回も何回も言われていながら、硬直性を常に整理をしていく、そういうシステムがいまの
財政法なりあるいは
財政関係の諸法の中にはない。これが最初できたときには、そういう単
年度主義というものが中心になってできているからである。私は、断っておきますが、単
年度主義をやめろと言っているわけではありませんよ。単
年度主義でいい。いいけれ
ども、いま実態というものは、もはや単
年度主義だけではわれわれが
審議に当たってあなた方とかみ合わなくなっている。あなた方は常に中期、特に
経済企画庁は中期、そういう状況であると
考えますときに、この際
財政計画法なり
経済計画法なり、名前は何でもいいのでありますが、少なくともいまの
財政法を見直すとか、あるいは新たに
財政計画法をつくって、それによって出される
財政計画というものは
国会の
議決を経るまではいかないにしても、少なくとも
審議の参考資料としてあなた方の
考えの裏づけというものを提起をする必要があるのではないか。かつて四十八年でございましたか、
経済安定に資するための
財政金融に関する特別
措置法のようなものが日の目を浴びそうになってそれはやめましたけれ
ども、あれは狂乱物価のときの問題であります。あるいは西ドイツの
経済安定成長促進法のようなものも、これは成長のための
法律であって、今日の日本の
経済状況に合わないと思います。そしてまたアメリカの
予算教書のようなシステムも日本のそれとは違いますから、これまた必ずしもわれわれの見本にはならぬでありましょう。
ただ私が言いたいのは、冒頭言ったように、私
どもの目の前には
法律によって
予算が出てくる。それに対して参考資料が出てくる。それだけの
法律的な資料である。そしていやがるあなた方を無理にああやれ、こうやれということに時間を少し浪費し過ぎるような気がするわけであります。ですから、あなた方も中期的な
財政計画がなければうそなんでありまして、
大平大臣が言うように、とんでもない、先のことは
考えない、いまのことに脂汗を流しているということは絶対にないと私は思うのです。あなたが抱懐するもの、
予算を立てた骨格になった長期の
計画、展望、そういうもの
——先般来出ております
概案のようなものでなく、あるいはA案、B案のようなたわいのないものでもなく、少なくとも骨格になるものが参考資料として
法律的に
国会へ出てきて
審議が順調に進むようにするということが必要ではないか。しかも、
経済はブルドーザーの時代から人間の時代へと変わる。そしてこれから高
負担あるいは借金
財政の幕あけということになる。だれが
考えてもあした、あさっての、明年、再来年の
財政はどうなるんだということが論争の焦点で、それをこの間来入れかわり立ちかわりあなたとやっているわけですね。だからそういうことについて
考えますと、この際
予算のシステム、
財政法のシステム、
経済計画法のようなもの、そういうものがひとつ
考えられるべき時期ではないか、きのう、うっかり聞いておりましたが、あなたがそのようなことについてちょっと言われたようでしたね。
財政諸法について
検討もしたいということをちょっと言われたように思っております。
まあ、時間の関係上全部言ってしまいましたが、私が
大臣に聞きたいのは、
大臣は大蔵
委員としてもう長い経歴もあって、そして
大蔵大臣として未曾有の
公債政策をことしやって、たくさんの経験をお持ちになってさぞかしお
考えになっておることがあるであろう。これからはどうあるべきか。下僚の
局長が言うばかりでなくて、あるいは
経済企画庁が先々のことをしゃべるばかりでなくて、
大蔵大臣として、単
年度主義を踏まえながらも
経済政策のこと、
予算の提出の
あり方等についてお
考えになっておるところがなければうそだと私は思うのであります。
整理して質問をいたしますと、
財政諸法の
見直しが必要ではないか。単
年度主義を堅持しながらも中期的な視野の
予算提出が必要ではないか。あるいは金融と
財政との新しい展開をどういうふうに調節をしていったらいいのか。今日の
財政の状況からの
脱却でありますが、このことについては先ほどから同僚諸君の質問に
お答えになっていらっしゃいますからともあれとして、それらを含んでこれからの
予算、これからの
財政、これからの
財政諸法の
あり方についてひとつ率直な意見を承りたい。