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1976-05-06 第77回国会 衆議院 社会労働委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十一年五月六日(木曜日)     午前十時三十二分開議  出席委員    委員長 熊谷 義雄君    理事 住  栄作君 理事 竹内 黎一君    理事 戸井田三郎君 理事 葉梨 信行君    理事 山下 徳夫君 理事 枝村 要作君    理事 村山 富市君 理事 石母田 達君       伊東 正義君    大野  明君       加藤 紘一君    瓦   力君       小林 正巳君    田川 誠一君       高橋 千寿君    中山 正暉君       野原 正勝君    羽生田 進君       橋本龍太郎君    粟山 ひで君       山口 敏夫君    金子 みつ君       田口 一男君    中村 重光君       森井 忠良君    八木  昇君       田中美智子君    寺前  巖君       大橋 敏雄君    岡本 富夫君       小宮 武喜君    和田 耕作君  出席国務大臣         厚 生 大 臣 田中 正巳君  出席政府委員         内閣総理大臣官         房総務審議官  島村 史郎君         厚生省公衆衛生         局長      佐分利輝彦君         厚生省医務局長 石丸 隆治君         厚生省援護局長 山高 章夫君  委員外の出席者         内閣総理大臣官         房参事官    小林 功典君         沖繩開発庁総務         局総務課長   大濱 忠志君         沖繩開発庁総務         局参事官    瀬沼  勤君         大蔵省主計局主         計官      梅澤 節男君         郵政省人事局厚         生課長     岩田 立夫君         社会労働委員会         調査室長    濱中雄太郎君     ――――――――――――― 委員の異動 三月五日  辞任         補欠選任   山口 敏夫君     森山 欽司君   稲葉 誠一君     阿部 昭吾君   島本 虎三君     堀  昌雄君   大橋 敏雄君     正木 良明君 同日  辞任         補欠選任   阿部 昭吾君     稲葉 誠一君   堀  昌雄君     島本 虎三君   正木 良明君     大橋 敏雄君 同月十日  辞任         補欠選任   寺前  巖君     金子 満広君 同日  辞任         補欠選任   金子 満広君     寺前  巖君 同月二十九日  辞任         補欠選任   伊東 正義君     瀬戸山三男君   加藤 紘一君     江崎 真澄君   中山 正暉君     永山 忠則君   稲葉 誠一君     田中 武夫君 同日  辞任         補欠選任   江崎 真澄君     加藤 紘一君   瀬戸山三男君     伊東 正義君   永山 忠則君     中山 正暉君   田中 武夫君     稲葉 誠一君 四月七日  辞任         補欠選任   伊東 正義君     倉成  正君   瓦   力君     西村 直己君   小林 正巳君     奥野 誠亮君   小宮 武喜君     小平  忠君 同日  辞任         補欠選任   奥野 誠亮君     小林 正巳君   倉成  正君     伊東 正義君   西村 直己君     瓦   力君   小平  忠君     小宮 武喜君 同月八日  辞任         補欠選任   伊東 正義君     小澤 太郎君   加藤 紘一君     植木庚子郎君   瓦   力君     黒金 泰美君   森山 欽司君     山口 敏夫君 同日  辞任         補欠選任   植木庚子郎君     加藤 紘一君   小澤 太郎君     伊東 正義君   黒金 泰美君     瓦   力君 同月二十八日  辞任         補欠選任   伊東 正義君     天野 公義君   高橋 千寿君     小泉純一郎君 同日  辞任         補欠選任   天野 公義君     伊東 正義君   小泉純一郎君     高橋 千寿君 五月六日  辞任         補欠選任   稲葉 誠一君     中村 重光君 同日  辞任         補欠選任   中村 重光君     稲葉 誠一君     ――――――――――――― 四月二十一日  身体障害者雇用促進法及び中高年齢者等の雇用  の促進に関する特別措置法の一部を改正する法  律案(内閣提出第六四号)(予) 同月二十二日  廃棄物の処理及び清掃に関する法律及び廃棄物  処理施設整備緊急措置法の一部を改正する法律  案(内閣提出第六三号)(予) 同月二十三日  厚生年金保険法等の一部を改正する法律案(内  閣提出第二七号)  原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律  の一部を改正する法律案(内閣提出第四〇号) 同月二十七日  賃金の支払の確保等に関する法律案(内閣提出  第二六号) 五月六日  健康保険法等の一部を改正する法律案(内閣提  出第二四号) 三月四日  全国一律最低賃金制確立等に関する請願(清水  徳松君紹介)(第六六五号)  同(竹村幸雄君紹介)(第六六六号)  同(塚田庄平君紹介)(第六六七号)  同(中澤茂一君紹介)(第六六八号)  同(細谷治嘉君紹介)(第六六九号)  同(松浦利尚君紹介)(第六七〇号)  同(嶋崎譲君紹介)(第六八九号)  同(高沢寅男君紹介)(第六九〇号)  同(村山富市君紹介)(第六九一号)  同(八木昇君紹介)(第六九二号)  同(和田貞夫君紹介)(第六九三号)  同(久保田鶴松君紹介)(第七一〇号)  同(金子みつ君紹介)(第七三〇号)  同(多賀谷真稔君紹介)(第七三一号)  同(堂森芳夫君紹介)(第七三二号)  同(野坂浩賢君紹介)(第七三三号)  同(原茂君紹介)(第七三四号)  同(板川正吾君紹介)(第七五四号)  同外一件(江田三郎君紹介)(第七五五号)  同(金子みつ君紹介)(第七五六号)  同(野坂浩賢君紹介)(第七五七号)  同(長谷川正三君紹介)(第七五八号)  同(島田琢郎君紹介)(第七八八号)  同(高田富之助君紹介)(第七八九号)  同(堂森芳夫君紹介)(第七九〇号)  同(森井忠良君紹介)(第八一一号)  同(山崎始男君紹介)(第八一二号)  同(湯山勇君紹介)(第八一三号)  全国全産業一律最低賃金制確立に関する請願(  寺前巖君紹介)(第六八四号)  原子爆弾被爆者等援護法案成立促進に関する  請願(塩川正十郎君紹介)(第六八五号)  老人福祉に関する請願(金子満広君紹介)(第  六八六号)  戦時災害援護法制定に関する請願(赤松勇君紹  介)(第六八七号)  同(田中美智子君紹介)(第六八八号)  同(山本政弘君紹介)(第七二七号)  中国残留日本人孤児肉親不明者調査等に関  する請願外一件(原健三郎君紹介)(第七二八  号)  同(河野洋平君紹介)(第七五二号)  同(中山正暉君紹介)(第七五三号)  同(受田新吉君紹介)(第七五八号)  同(野中英二君紹介)(第七八六号)  同(平田藤吉君紹介)(第七八七号)  療術の制度化に関する請願(大野潔君紹介)(  第七二九号)  同(大野潔君紹介)(第七五一号)  同(大野潔君紹介)(第七八四号)  同(大野潔君紹介)(第八〇九号)  業務災害者医師選択自由保障に関する請願  (多賀谷真稔君紹介)(第七七五号)  短期雇用特例保険者失業保険金改善に関す  る請願外一件(岡田春夫君紹介)(第七七六  号)  同(島田琢郎君紹介)(第七七七号)  同外一件(美濃政市君紹介)(第七七八号)  雇用及び失業対策緊急措置法案成立促進に関  する請願(島田琢郎君紹介)(第七七九号)  同(塚田庄平君紹介)(第七八〇号)  同外一件(美濃政市君紹介)(第七八一号)  労働行政充実のための増員に関する請願(島田  琢郎君紹介)(第七八二号)  雇用及び失業対策緊急措置法制定に関する請願  (岡田春夫君紹介)(第七八三号)  同(青柳盛雄君紹介)(第八一四号)  同(荒木宏君紹介)(第八一五号)  同(諫山博君紹介)(第八一六号)  同(石母田達君紹介)(第八一七号)  同(梅田勝君紹介)(第八一八号)  同(浦井洋君紹介)(第八一九号)  同(金子満広君紹介)(第八二〇号)  同(神崎敏雄君紹介)(第八二一号)  同(木下元二君紹介)(第八二二号)  同(栗田翠君紹介)(第八二三号)  同(小林政子君紹介)(第八二四号)  同(紺野与次郎君紹介)(第八二五号)  同(柴田睦夫君紹介)(第八二六号)  同(庄司幸助君紹介)(第八二七号)  同(瀬崎博義君紹介)(第八二八号)  同(瀬長亀次郎君紹介)(第八二九号)  同(田代文久君紹介)(第八三〇号)  同(田中美智子君紹介)(第八三一号)  同(多田光雄君紹介)(第八三二号)  同(津金佑近君紹介)(第八三三号)  同(津川武一君紹介)(第八三四号)  同(寺前巖君紹介)(第八三五号)  同(土橋一吉君紹介)(第八三六号)  同(中川利三郎君紹介)(第八三七号)  同(中路雅弘君紹介)(第八三八号)  同(中島武敏君紹介)(第八三九号)  同(野間友一君紹介)(第八四〇号)  同(林百郎君紹介)(第八四一号)  同(平田藤吉君紹介)(第八四二号)  同(東中光雄君紹介)(第八四三号)  同(不破哲三君紹介)(第八四四号)  同(正森成二君紹介)(第八四五号)  同(増本一彦君紹介)(第八四六号)  同(松本善明君紹介)(第八四七号)  同(三浦久君紹介)(第八四八号)  同(三谷秀治君紹介)(第八四九号)  同(八木昇君紹介)(第八五〇号)  同(山原健二郎君紹介)(第八五一号)  同(米原昶君紹介)(第八五二号)  全国一律最低賃金制の確立に関する請願(庄司  幸助君紹介)(第八一〇号)  雇用、失業対策確立に関する請願(村上弘君紹  介)(第八五三号) 同月五日  全国一律最低賃金制確立等に関する請願(木島  喜兵衞君紹介)(第九一一号)  同(木原実君紹介)(第九一二号)  同(八木昇君紹介)(第九九九号)  同(山田芳治君紹介)(第一〇〇〇号)  同(山本政弘君紹介)(第一〇〇一号)  同(吉田法晴君紹介)(第一〇〇二号)  療術の制度化に関する請願(大野潔君紹介)(  第九一三号)  同(大野潔君紹介)(第九九七号)  短期雇用特例保険者失業保険金改善に関す  る請願(村山富市君紹介)(第九一四号)  同(渡辺惣蔵君紹介)(第九九八号)  全国一律最低賃金制の確立に関する請願(石母  田達君紹介)(第九一五号)  雇用、失業対策確立に関する請願(栗田翠君紹  介)(第九一六号)  雇用及び失業対策緊急措置法制定に関する請願  (諫山博君紹介)(第九一七号)  同(石母田達君紹介)(第九一八号)  同(柴田睦夫君紹介)(第九一九号)  同(田代文久君紹介)(第九二〇号)  同(田中美智子君紹介)(第九二一号)  同(多田光雄君紹介)(第九二二号)  同(津金佑近君紹介)(第九二三号)  同(寺前巖君紹介)(第九二四号)  同(三谷秀治君紹介)(第九二五号)  同(三浦久君紹介)(第九二六号)  同(村上弘君紹介)(第九二七号)  同(渡辺惣蔵君紹介)(第九九六号)  社会福祉制度改善等に関する請願(青柳盛雄  君紹介)(第九五五号)  同(荒木宏君紹介)(第九五六号)  同(諫山博君紹介)(第九五七号)  同(石母田達君紹介)(第九五八号)  同(梅田勝君紹介)(第九五九号)  同(浦井洋君紹介)(第九六〇号)  同(金子満広君紹介)(第九六一号)  同(神崎敏雄君紹介)(第九六二号)  同(木下元二君紹介)(第九六三号)  同(栗田翠君紹介)(第九六四号)  同(小林政子君紹介)(第九六五号)  同(紺野与次郎君紹介)(第九六六号)  同(柴田睦夫君紹介)(第九六七号)  同(庄司幸助君紹介)(第九六八号)  同(瀬崎博義君紹介)(第九六九号)  同(瀬長亀次郎君紹介)(第九七〇号)  同(田代文久君紹介)(第九七一号)  同(田中美智子君紹介)(第九七二号)  同(多田光雄君紹介)(第九七三号)  同(津金佑近君紹介)(第九七四号)  同(津川武一君紹介)(第九七五号)  同(寺前巖君紹介)(第九七六号)  同(土橋一吉君紹介)(第九七七号)  同(中川利三郎君紹介)(第九七八号)  同(中路雅弘君紹介)(第九七九号)  同(中島武敏君紹介)(第九八〇号)  同(野間友一君紹介)(第九八一号)  同(林百郎君紹介)(第九八二号)  同(東中光雄君紹介)(第九八三号)  同(平田藤吉君紹介)(第九八四号)  同(不破哲三君紹介)(第九八五号)  同(正森成二君紹介)(第九八六号)  同(増本一彦君紹介)(第九八七号)  同(松本善明君紹介)(第九八八号)  同(三浦久君紹介)(第九八九号)  同(三谷秀治君紹介)(第九九〇号)  同(村上弘君紹介)(第九九一号)  同(山原健二郎君紹介)(第九九二号)  同(米原昶君紹介)(第九九三号)  障害者の生活及び医療保障等に関する請願(加  藤清政君紹介)(第九九四号)  建設国民健康保険組合に対する国庫補助増額に  関する請願外二件(加藤清政君紹介)(第九九  五号) 同月六日  戦時災害援護法制定に関する請願(土井たか子  君紹介)(第一〇二六号)  療術の制度化に関する請願(大野潔君紹介)(  第一〇二七号)  雇用及び失業対策緊急措置法制定に関する請願  (石母田達君紹介)(第一〇二八号)  全国一律最低賃金制確立等に関する請願(平林  剛君紹介)(第一〇二九号)  同(美濃政市君紹介)(第一〇三〇号)  同(村山喜一君紹介)(第一〇三一号)  同(山本幸一君紹介)(第一〇三二号)  社会福祉制度改善等に関する請願(青柳盛雄  君紹介)(第一〇三三号)  同(浅井美幸君紹介)(第一〇三四号)  同(荒木宏君紹介)(第一〇三五号)  同(新井彬之君紹介)(第一〇三六号)  同(有島重武君紹介)(第一〇三七号)  同(石田幸四郎君紹介)(第一〇三八号)  同(諫山博君紹介)(第一〇三九号)  同(石母田達君紹介)(第一〇四〇号)  同(梅田勝君紹介)(第一〇四一号)  同(浦井洋君紹介)(第一〇四二号)  同(小川新一郎君紹介)(第一〇四三号)  同(大久保直彦君紹介)(第一〇四四号)  同(大野潔君紹介)(第一〇四五号)  同(大橋敏雄君紹介)(第一〇四六号)  同(近江巳記夫君紹介)(第一〇四七号)  同(岡本富夫君紹介)(第一〇四八号)  同(沖本泰幸君紹介)(第一〇四九号)  同(鬼木勝利君紹介)(第一〇五〇号)  同(金子満広君紹介)(第一〇五一号)  同(神崎敏雄君紹介)(第一〇五二号)  同(木下元二君紹介)(第一〇五三号)  同(北側義一君紹介)(第一〇五四号)  同(栗田翠君紹介)(第一〇五五号)  同(小濱新次君紹介)(第一〇五六号)  同(小林政子君紹介)(第一〇五七号)  同(紺野与次郎君紹介)(第一〇五八号)  同(坂井弘一君紹介)(第一〇五九号)  同(坂口力君紹介)(第一〇六〇号)  同(柴田睦夫君紹介)(第一〇六一号)  同(庄司幸助君紹介)(第一〇六二号)  同(鈴切康雄君紹介)(第一〇六三号)  同(瀬崎博義君紹介)(第一〇六四号)  同(瀬長亀次郎君紹介)(第一〇六五号)  同(瀬野栄次郎君紹介)(第一〇六六号)  同(田代文久君紹介)(第一〇六七号)  同(田中昭二君紹介)(第一〇六八号)  同(田中美智子君紹介)(第一〇六九号)  同(多田光雄君紹介)(第一〇七〇号)  同(高橋繁君紹介)(第一〇七一号)  同(竹入義勝君紹介)(第一〇七二号)  同(津金佑近君紹介)(第一〇七三号)  同(津川武一君紹介)(第一〇七四号)  同(寺前巖君紹介)(第一〇七五号)  同(土橋一吉君紹介)(第一〇七六号)  同(中川利三郎君紹介)(第一〇七七号)  同(中路雅弘君紹介)(第一〇七八号)  同(中島武敏君紹介)(第一〇七九号)  同(野間友一君紹介)(第一〇八〇号)  同(林百郎君紹介)(第一〇八一号)  同(東中光雄君紹介)(第一〇八二号)  同(平田藤吉君紹介)(第一〇八三号)  同(不破哲三君紹介)(第一〇八四号)  同(正森成二君紹介)(第一〇八五号)  同(増本一彦君紹介)(第一〇八六号)  同(松本善明君紹介)(第一〇八七号)  同(三浦久君紹介)(第一〇八八号)  同(三谷秀治君紹介)(第一〇八九号)  同(村上弘君紹介)(第一〇九〇号)  同(山原健二郎君紹介)(第一〇九一号)  同(米原昶君紹介)(第一〇九二号)  同(青柳盛雄君紹介)(第一一一二号)  同(荒木宏君紹介)(第一一一三号)  同(諫山博君紹介)(第一一一四号)  同(石母田達君紹介)(第一一一五号)  同(梅田勝君紹介)(第一一一六号)  同(浦井洋君紹介)(第一一一七号)  同(金子満広君紹介)(第一一一八号)  同(神崎敏雄君紹介)(第一一一九号)  同(木下元二君紹介)(第一一二〇号)  同(栗田翠君紹介)(第一一二一号)  同(小林政子君紹介)(第一一二二号)  同(紺野与次郎君紹介)(第一一二三号)  同(柴田睦夫君紹介)(第一一二四号)  同(庄司幸助君紹介)(第一一二五号)  同(瀬崎博義君紹介)(第一一二六号)  同(瀬長亀次郎君紹介)(第一一二七号)  同(田代文久君紹介)(第一一二八号)  同(田中美智子君紹介)(第一一二九号)  同(多田光雄君紹介)(第一一三〇号)  同(津金佑近君紹介)(第一一三一号)  同(津川武一君紹介)(第一一三二号)  同(寺前巖君紹介)(第一一三三号)  同(土橋一吉君紹介)(第一一三四号)  同(中川利三郎君紹介)(第一一三五号)  同(中路雅弘君紹介)(第一一三六号)  同(中島武敏君紹介)(第一一三七号)  同(野間友一君紹介)(第一一三八号)  同(林孝矩君紹介)(第一一三九号)  同(林百郎君紹介)(第一一四〇号)  同(東中光雄君紹介)(第一一四一号)  同(平田藤吉君紹介)(第一一四二号)  同(広沢直樹君紹介)(第一一四三号)  同(不破哲三君紹介)(第一一四四号)  同(伏木和夫君紹介)(第一一四五号)  同(正木良明君紹介)(第一一四六号)  同(正森成二君紹介)(第一一四七号)  同(増本一彦君紹介)(第一一四八号)  同(松尾信人君紹介)(第一一四九号)  同(松本善明君紹介)(第一一五〇号)  同(松本忠助君紹介)(第一一五一号)  同(三浦久君紹介)(第一一五二号)  同(三谷秀治君紹介)(第一一五三号)  同(村上弘君紹介)(第一一五四号)  同(矢野絢也君紹介)(第一一五五号)  同(山田太郎君紹介)(第一一五六号)  同(山原健二郎君紹介)(第一一五七号)  同(米原昶君紹介)(第一一五八号)  同(渡部一郎君紹介)(第一一五九号)  予防接種による被害者の救済に関する請願(近  江巳記夫君紹介)(第一一〇九号)  同(林孝矩君紹介)(第一一一〇号)  保育事業振興に関する請願(土井たか子君紹  介)(第一一一一号) 同月九日  療術の制度化に関する請願(大野潔君紹介)(  第一二二四号)  同(大野潔君紹介)(第一二二一号)  社会福祉制度改善等に関する請願(浅井美幸  君紹介)(第一二二五号)  同(新井彬之君紹介)(第一二二六号)  同(有島重武君紹介)(第一二二七号)  同(石田幸四郎君紹介)(第一二二八号)  同(小川新一郎君紹介)(第一二二九号)  同(大久保直彦君紹介)(第一二三〇号)  同(大野潔君紹介)(第一二三一号)  同(大橋敏雄君紹介)(第一二三二号)  同(近江巳記夫君紹介)(第一二三三号)  同(岡本富夫君紹介)(第一二三四号)  同(沖本泰幸君紹介)(第一二三五号)  同(鬼木勝利君紹介)(第一二三六号)  同(北側義一君紹介)(第一二三七号)  同(瀬野栄次郎君紹介)(第一三一二号)  心身障害児者国立コロニーの建設に関する請願  (吉田法晴君紹介)(第一二九六号)  日雇労働者の雇用、失業対策確立に関する請願  外一件(枝村要作君紹介)(第一二九七号)  同外一件(島本虎三君紹介)(第一二九八号)  戦時災害援護法制定に関する請願)(吉田法晴  君紹介)(第一二九九号)  中国残留日本人孤児肉親不明者調査等に関  する請願(岩垂寿喜男君紹介)(第一三〇〇  号)  同(佐々木更三君紹介)(第一三〇一号)  同(中村茂君紹介)(第一三〇二号)  同(伏木和雄君紹介)(第一三〇三号)  建設国民健康保険組合に対する国庫補助増額に  関する請願(井上泉君紹介)(第一三〇四号)  同外一件(久保三郎君紹介)(第一三〇五号)  同外一件(小林信一君紹介)(第一三〇六号)  同外一件(清水徳松君紹介)(第一三〇七号)  同(田邊誠君紹介)(第一三〇八号)  同(長谷川正三君紹介)(第一三〇九号)  同(山本政弘君紹介)(第一三一〇号)  雇用及び失業対策緊急措置法制定に関する請願  (石母田達君紹介)(第一三一三号) 同月十一日  中国残留日本人孤児肉親不明者調査等に関  する請願(大石千八君紹介)(第一三六五号)  家内労働者労働条件改善等に関する請願(枝  村要作君紹介)(第一四一三号)  同(岡田春夫君紹介)(第一四一四号)  同(加藤清政君紹介)(第一四一五号)  同(金子みつ君紹介)(第一四一六号)  同(佐藤観樹君紹介)(第一四一七号)  同(田口一男君紹介)(第一四一八号)  同(高沢寅男君紹介)(第一四一九号)  建設国民健康保険組合に対する国庫補助増額に  関する請願(松本忠助君紹介)(第一四二〇  号)  同(青柳盛雄君紹介)(第一四六七号)  同外一件(井上普方君紹介)(第一四六八号)  同(高沢寅男君紹介)(第一四六九号)  同(津金佑近君紹介)(第一四七〇号)  同(土橋一吉君紹介)(第一四七一号)  同(中路雅弘君紹介)(第一四七二号)  同(不破哲三君紹介)(第一四七三号)  同(増本一彦君紹介)(第一四七四号)  療術の制度化に関する請願(大野潔君紹介)(  第一四二一号)  雇用及び失業対策緊急措置法制定に関する請願  (石母田達君紹介)(第一四二二号)  高齢者の年金制度改善等に関する請願(松尾信  人君紹介)(第一四六三号)  乳幼児の医療費無料化等に関する請願(石母田  達君紹介)(第一四六四号)  同(田中美智子君紹介)(第一四六五号)  全国全産業一律最低賃金制確立に関する請願(  金子満広君紹介)(第一四六六号)  日雇労働者の雇用、失業対策確立に関する請願  (石母田達君紹介)(第一四七五号)  社会福祉制度改善等に関する請願(浅井美幸  君紹介)(第一四七六号)  同(新井彬之君紹介)(第一四七七号)  同(有島重武君紹介)(第一四七八号)  同(石田幸四郎君紹介)(第一四七九号)  同(小川新一郎君紹介)(第一四八〇号)  同(大久保直彦君紹介)(第一四八一号)  同(瀬野栄次郎君紹介)(第一四八二号)  同(正木良明君紹介)(第一四八三号)  同(松尾信人君紹介)(第一四八四号)  同(松本忠助君紹介)(第一四八五号)  同(矢野絢也君紹介)(第一四八六号)  同(山田太郎君紹介)(第一四八七号)  同(渡部一郎君紹介)(第一四八八号)  保育予算増額等に関する請願(石母田達君紹  介)(第一四八九号)  同(田中美智子君紹介)(第一四九〇号) 同月十八日  社会福祉制度改善等に関する請願(大野潔君  紹介)(第一五三六号)  同(大橋敏雄君紹介)(第一五三七号)  同(近江巳記夫君紹介)(第一五三八号)  同(岡本富夫君紹介)(第一五三九号)  同(沖本泰幸君紹介)(第一五四〇号)  同(鬼木勝利君紹介)(第一五四一号)  同(北側義一君紹介)(第一五四二号)  同(小濱新次君紹介)(第一五四三号)  同(坂井弘一君紹介)(第一五四四号)  全国一律最低賃金制確立等に関する請願(井上  普方君紹介)(第一五四五号)  同(佐藤観樹君紹介)(第一五四六号)  同(柴田健治君紹介)(第一五四七号)  同(高沢寅男君紹介)(第一五四八号)  同(野坂浩賢君紹介)(第一五四九号)  予防接種による被害者の救済に関する請願(阪  上安太郎君紹介)(第一五五〇号)  同(和田貞夫君紹介)(第一五五一号)  建設国民健康保険組合に対する国庫補助増額に  関する請願(大久保直彦君紹介)(第一五八六  号)  同外一件(加藤清政君紹介)(第一五八七号)  同外一件(下平正一君紹介)(第一六三〇号)  同(高田富之君紹介)(第一六三一号)  中国残留日本人孤児肉親不明者調査等に関  する請願(内海清君紹介)(第一五八八号)  高齢者の年金制度改善等に関する請願(枝村要  作君紹介)(第一五八九号)  同(高沢寅男君紹介)(第一五九〇号)  同(村山富市君紹介)(第一五九一号)  雇用及び失業対策緊急措置法案成立促進に関  する請願(安田貴六君紹介)(第一六二九号)  短期雇用特例保険者失業保険金改善に関す  る請願(枝村要作君紹介)(第一六三二号)  同(伏木和雄君紹介)(第一六三三号)  同外一件(安田貴六君紹介)(第一六三四号)  同(島田琢郎君紹介)(第一六七〇号)  社会保障制度改善等に関する請願(小川新一郎  君紹介)(第一六三五号)  同(田中昭二君紹介)(第一六三六号)  同(松本忠助君紹介)(第一六三七号)  同(細谷治嘉君紹介)(第一六七二号)  同(村山富市君紹介)(第一六七三号)  雇用保障及び労働時間短縮等に関する請願(増  本一彦君紹介)(第一六六六号)  歯科補綴師法の制定に関する請願(久保田鶴松  君紹介)(第一六六七号)  保育所の父母負担軽減に関する請願(金子満広  君紹介)(第一六六八号)  同(寺前巖君紹介)(第一六六九号)  日雇労働者の雇用、失業対策確立に関する請願  (寺前巖君紹介)(第一六七一号) 同月十九日  建設国民健康保険組合に対する国庫補助増額に  関する請願(大野潔君紹介)(第一七〇六号)  同(紺野与次郎君紹介)(第一七〇七号)  同(紺野与次郎君紹介)(第一八四二号)  全国一律最低賃金制確立等に関する請願(板川  正吾君紹介)(第一七〇八号)  同(川崎寛治君紹介)(第一七〇九号)  同(板川正吾君紹介)(第一七八二号)  同(板川正吾君紹介)(第一八四八号)  社会保障制度改善等に関する請願(川崎寛治君  紹介)(第一七一〇号)  同(堀昌雄君紹介)(第一七一一号)  同(井岡大治君紹介)(第一七八三号)  同(村山喜一君紹介)(第一七八四号)  同(加藤清政君紹介)(第一八四七号)  大腿四頭筋短縮症患者の救済に関する請願(浅  井美幸君紹介)(第一七一二号)  同(新井彬之君紹介)(第一七一三号)  同(有島重武君紹介)(第一七一四号)  同(石田幸四郎君紹介)(第一七一五号)  同(小川新一郎君紹介)(第一七一八号)  同(大久保直彦君紹介)(第一七一七号)  同(大野潔君紹介)(第一七一八号)  同(大橋敏雄君紹介)(第一七一九号)  同(近江巳記夫君紹介)(第一七二〇号)  同(岡本富夫君紹介)(第一七二一号)  同(沖本泰幸君紹介)(第一七二二号)  同(鬼木勝利君紹介)(第一七二三号)  同(北側義一君紹介)(第一七二四号)  同(小濱新次君紹介)(第一七八七号)  同(坂井弘一君紹介)(第一七八八号)  同(坂口力君紹介)(第一七八九号)  同(鈴切康雄君紹介)(第一七九〇号)  同(瀬野栄次郎君紹介)(第一七九一号)  同(田中昭二君紹介)(第一七九二号)  同(高橋繁君紹介)(第一七九三号)  同(竹入義勝君紹介)(第一七九四号)  同(林孝矩君紹介)(第一八四三号)  同(広沢直樹君紹介)(第一八四四号)  同(伏木和雄君紹介)(第一八四五号)  同(正木良明君紹介)(第一八四六号)  保育料の値上げ反対等に関する請願(金子満広  君紹介)(第一七八〇号)  療術の制度化反対に関する請願(内田常雄君紹  介)(第一七八一号)  保育所の父母負担軽減に関する請願(金子満広  君紹介)(第一七八五号)  同(寺前巖君紹介)(第一七八六号)  短期雇用特例保険者失業保険金改善に関す  る請願(岡田春夫君紹介)(第一八四一号) 同月二十五日  療術の制度化反対に関する請願(住栄作君紹  介)(第一八八一号)  社会保障制度改善等に関する請願(井上泉君紹  介)(第一八八二号)  同(枝村要作君紹介)(第一八八三号)  同(小川省吾君紹介)(第一八八四号)  同(石母田達君紹介)(第一九四七号)  同(柴田睦夫君紹介)(第一九四八号)  同(平田藤吉君外一名紹介)(第一九四九号)  雇用及び失業対策緊急措置法制定に関する請願  (大出俊君紹介)(第一八八五号)  同(田口一男君紹介)(第二〇〇四号)  高齢者の年金制度改善等に関する請願(梅田勝  君紹介)(第一八八六号)  同(紺野与次郎君紹介)(第一八八七号)  大腿四頭筋短縮症患者の救済に関する請願(松  尾信人君紹介)(第一八八八号)  同(松本忠助君紹介)(第一八八九号)  同(矢野絢也君紹介)(第一八九〇号)  同(山田太郎君紹介)(第一八九一号)  同(渡部一郎君紹介)(第一八九二号)  福祉年金の引上げ等に関する請願(青柳盛雄君  紹介)(第一八九三号)  同(石母田達君紹介)(第一八九四号)  同(浦井洋君紹介)(第一八九五号)  同(金子満広君紹介)(第一八九六号)  同(神崎敏雄君紹介)(第一八九七号)  同(木下元二君紹介)(第一八九八号)  同(小林政子君紹介)(第一八九九号)  同(紺野与次郎君紹介)(第一九〇〇号)  同(田中美智子君紹介)(第一九〇一号)  同(津金佑近君紹介)(第一九〇二号)  同(寺前巖君紹介)(第一九〇三号)  同(土橋一吉君紹介)(第一九〇四号)  同(中川利三郎君紹介)(第一九〇五号)  同(林百郎君紹介)(第一九〇六号)  同(東中光雄君紹介)(第一九〇七号)  同(不破哲三君紹介)(第一九〇八号)  同(村上弘君紹介)(第一九〇九号)  寝たきり老人への訪問看護制度改善に関する請  願(金子満広君紹介)(第一九三四号)  家内労働者の生活権確保に関する請願(金子満  広君紹介)(第一九三五号)  東京都文京区小日向地域に公設公衆浴場の建設  に関する請願(金子満広君紹介)(第一九三六  号)  医療・年金制度の改善に関する請願(石母田達  君紹介)(第一九三七号)  同(柴田睦夫君紹介)(第二〇〇七号)  医療保険制度の確立に関する請願(石母田達君  紹介)(第一九三八号)  同(庄司幸助君紹介)(第一九三九号)  同(津川武一君紹介)(第一九四〇号)  同(庄司幸助君紹介)(第二〇〇八号)  雇用及び失業対策緊急措置法案成立促進に関  する請願(田中美智子君紹介)(第一九四一  号)  同(田中美智子君紹介)(第二〇〇六号)  業務災害者医師選択自由保障に関する請願  (田代文久君紹介)(第一九四二号)  同(寺前巖君紹介)(第一九四三号)  短期雇用特例保険者失業保険金改善に関す  る請願(石母田達君紹介)(第一九四四号)  同(田中美智子君紹介)(第一九四五号)  同(寺前巖君紹介)(第一九四六号)  同(田中美智子君紹介)(第二〇〇五号)  北海道の季節・出かせぎ労働者の失業保険制度  改善に関する請願(田中美智子君紹介)(第二  〇〇一号)  健康保険の改悪反対等に関する請願(山田太郎  君紹介)(第二〇〇二号)  雇用、失業対策確立に関する請願(平林剛君紹  介)(第二〇〇三号)  全国一律最低賃金制確立等に関する請願(佐野  憲治君紹介)(第二〇〇九号) 同月二十七日  保育所の父母負担軽減に関する請願外一件(田  邊誠君紹介)(第二〇八八号)  同(大久保直彦君紹介)(第二一五九号)  同(金子みつ君紹介)(第二一六〇号)  同外一件(田邊誠君紹介)(第二一六一号)  社会福祉制度改善等に関する請願(瀬野栄次  郎君紹介)(第二〇八九号)  全国一律最低賃金制の確立に関する請願(平田  藤吉君紹介)(第二〇九〇号)  建設国民健康保険組合に対する国庫補助増額に  関する請願(金子満広君紹介)(第二〇九一  号)  同(金子みつ君紹介)(第二一五五号)  同(山本幸一君紹介)(第二一五六号)  同(米原昶君紹介)(第二一五七号)  中国残留日本人孤児肉親不明者調査等に関  する請願(赤城宗徳君紹介)(第二〇九二号)  同(田川誠一君紹介)(第二〇九三号)  雇用及び失業対策緊急措置法制定に関する請願  (浦井洋君紹介)(第二〇九四号)  戦時災害援護法制定に関する請願(金子みつ君  紹介)(第二一五三号)  短期雇用特例保険者失業保険金改善に関す  る請願外一件(金子みつ君紹介)(第二一五四  号)  医療保険制度の確立に関する請願(米原昶君紹  介)(第二一五八号) 同月三十日  生活保護基準の改善等に関する請願(多田光雄  君紹介)(第二二四三号)  全国一律最低賃金制の確立に関する請願(岩垂  寿喜男君紹介)(第二二四四号)  建設国民健康保険組合に対する国庫補助増額に  関する請願(金子みつ君紹介)(第二二四五  号)  同(森井忠良君紹介)(第二二四六号)  同(山原健二郎君紹介)(第二二四七号)  同外一件(大柴滋夫君紹介)(第二三〇〇号)  同(小林信一君紹介)(第二三〇一号)  同(加藤清政君紹介)(第二三六〇号)  同(平田藤吉君紹介)(第二三六一号)  同(和田耕作君紹介)(第二三六二号)  社会保障制度改善等に関する請願(竹村幸雄君  紹介)(第二二四八号)  同(上原康助君紹介)(第二二四九号)  同(高沢寅男君紹介)(第二三〇二号)  同(森井忠良君紹介)(第二三〇三号)  同(久保等君紹介)(第二三七一号)  同(中路雅弘君紹介)(第二三七二号)  同(松本善明君紹介)(第二三七三号)  保育所の父母負担軽減に関する請願(石母田達  君紹介)(第二二五〇号)  同(金子みつ君紹介)(第二二五一号)  同(佐藤観樹君紹介)(第二二五二号)  同(田中美智子君紹介)(第二二五三号)  同(田邊誠君紹介)(第二二五四号)  同(村山富市君紹介)(第二二五五号)  同(佐藤観樹君紹介)(第二三〇四号)  同(田邊誠君紹介)(第二三〇五号)  同(佐藤観樹君紹介)(第二三六六号)  同(山田耻目君紹介)(第二三六七号)  同(和田耕作君紹介)(第二三六八号)  保育事業振興に関する請願(渡海元三郎君紹  介)(第二三〇六号)  短期雇用特例保険者失業保険金改善に関す  る請願(渡辺惣蔵君紹介)(第二三六三号)  日雇労働者の雇用、失業対策確立に関する請願  (和田耕作君紹介)(第二三六四号)  戦時災害援護法制定に関する請願(塚本三郎君  紹介)(第二三六五号)  医療保険制度の確立に関する請願(和田耕作君  紹介)(第二三六九号)  雇用及び失業対策緊急措置法制定に関する請願  (中路雅弘君紹介)(第二三七〇号)  母性の社会保障に関する請願(石橋政嗣君紹  介)(第二三七四号)  同(石母田達君紹介)(第二三七五号)  同(木下元二君紹介)(第二三七六号)  同外一件(木原実君紹介)(第二三七七号)  同(栗田翠君紹介)(第二三七八号)  同(小林政子君紹介)(第二三七九号)  同(斉藤正男君紹介)(第二三八〇号)  同外一件(坂本恭一君紹介)(第二三八一号)  同(島本虎三君紹介)(第二三八二号)  同(嶋崎譲君紹介)(第二三八三号)  同(庄司幸助君紹介)(第二三八四号)  同(瀬長亀次郎君紹介)(第二三八五号)  同(田中美智子君紹介)(第二三八六号)  同(多田光雄君紹介)(第二三八七号)  同(竹内猛君紹介)(第二三八八号)  同(津金佑近君紹介)(第二三八九号)  同(津川武一君紹介)(第二三九〇号)  同(寺前巖君紹介)(第二三九一号)  同(土橋一吉君紹介)(第二三九二号)  同(中川利三郎君紹介)(第二三九三号)  同(中路雅弘君紹介)(第二三九四号)  同(東中光雄君紹介)(第二三九五号)  同(不破哲三君紹介)(第二三九六号)  同(細谷治嘉君紹介)(第二三九七号)  同(増本一彦君紹介)(第二三九八号)  同(三谷秀治君紹介)(第二三九九号)  同(三宅正一君紹介)(第二四〇〇号)  同(米原昶君紹介)(第二四〇一号)  同(和田貞夫君紹介)(第二四〇二号)  同(渡辺三郎君紹介)(第二四〇三号)  同(渡辺惣蔵君紹介)(第二四〇四号)  母性給付に関する請願(林百郎君紹介)(第二  四〇五号) 四月六日  乳幼児医療費の無料化等に関する請願(田中美  智子君紹介)(第二四六七号)  建設国民健康保険組合に対する国庫補助増額に  関する請願(有島重武君紹介)(第二四六八  号)  同(小川新一郎君紹介)(第二四六九号)  同(平田藤吉君紹介)(第二五四七号)  中国残留日本人孤児肉親不明者調査等に関  する請願(木野晴夫君紹介)(第二四七〇号)  同(伏木和雄君紹介)(第二五四八号)  保育予算増額等に関する請願(石母田達君紹  介)(第二四七一号)  同(庄司幸助君紹介)(第二四七二号)  同(田中美智子君紹介)(第二四七三号)  同(村上弘君紹介)(第二四七四号)  母性の社会保障に関する請願(新井彬之君紹  介)(第二四七五号)  同(石橋政嗣君紹介)(第二四七六号)  同(上原康助君紹介)(第二四七七号)  同(木原実君紹介)(第二四七八号)  同(佐々木更三君紹介)(第二四七九号)  同(斉藤正男君紹介)(第二四八〇号)  同(島田琢郎君紹介)(第二四八一号)  同(瀬野栄次郎君紹介)(第二四八二号)  同(田中武夫君紹介)(第二四八三号)  同(竹入義勝君紹介)(第二四八四号)  同(長谷川正三君紹介)(第二四八五号)  同(松尾信人君紹介)(第二四八六号)  同(山田太郎君紹介)(第二四八七号)  同(山田芳治君紹介)(第二四八八号)  同(大野潔君紹介)(第二五四〇号)  同(勝澤芳雄君紹介)(第二五四一号)  同(坂本恭一君紹介)(第二五四二号)  同(島田琢郎君紹介)(第二五四三号)  同(瀬野栄次郎君紹介)(第二五四四号)  同(山田太郎君紹介)(第二五四五号)  全国一律最低賃金制確立等に関する請願(河上  民雄君紹介)(第二五四六号)  保育所の父母負担軽減に関する請願(山田耻目  君紹介)(第二五四九号) 同月八日  准看護婦制度廃止に関する請願(有島重武君紹  介)(第二六六六号)  同(鈴切康雄君紹介)(第二六六七号)  全国一律最低賃金制確立等に関する請願(田中  美智子君紹介)(第二六六八号)  障害者の生活及び医療保障等に関する請願(横  路孝弘君紹介)(第二六六九号)  建設国民健康保険組合に対する国庫補助増額に  関する請願(平田藤吉君紹介)(第二六七〇  号)  同(井上泉君紹介)(第二七五二号)  短期雇用特例保険者失業保険金改善に関す  る請願(横路孝弘君紹介)(第二六七一号)  雇用及び失業対策緊急措置法案成立促進に関  する請願(横路孝弘君紹介)(第二六七二号)  社会保障制度改善等に関する請願(石母田達君  紹介)(第二六七三号)  同(浦井洋君紹介)(第二七六〇号)  同(木下元二君紹介)(第二七六一号)  同(柴田睦夫君紹介)(第二七六二号)  同(楢崎弥之助君紹介)(第二六七三号)  同(東中光雄君紹介)(第二七六四号)  社会福祉制度改善等に関する請願外一件(村  山富市君紹介)(第二六七四号)  同外一件(村山富市君紹介)(第二七五四号)  保育所の父母負担軽減に関する請願(増本一彦  君紹介)(第二六七五号)  母性の社会保障に関する請願(井岡大治君紹  介)(第二六七六号)  同(石野久男君紹介)(第二六七七号)  同(岡田哲児君紹介)(第二六七八号)  同(金瀬俊雄君紹介)(第二六七九号)  同(小林信一君紹介)(第二六八〇号)  同(斉藤正男君紹介)(第二六八一号)  同(坂本恭一君紹介)(第二六八二号)  同(横山利秋君紹介)(第二六八三号)  医療保険制度の確立に関する請願(石母田達君  紹介)(第二六八四号)  同(庄司幸助君紹介)(第二六八五号)  同(田中美智子君紹介)(第二六八六号)  同(津川武一君紹介)(第二六八七号)  同(中川利三郎君紹介)(第二六八八号)  同(平田藤吉君紹介)(第二六八九号)  同(山原健二郎君紹介)(第二六九〇号)  同(柴田睦夫君紹介)(第二七五五号)  同(多田光雄君紹介)(第二七五六号)  同(平田藤吉君紹介)(第二七五七号)  同(米原昶君紹介)(第二七五八号)  社会保障制度の拡充等に関する請願(加藤清政  君紹介)(第二七五〇号)  全国一律最低賃金制の確立等に関する請願(久  保田鶴松君紹介)(第二七五一号)  雇用及び失業対策緊急措置法制定に関する請願  (津金佑近君紹介)(第二七五三号)  母性給付に関する請願(金子みつ君紹介)(第  二七五九号) 同月十二日  建設国民健康保険組合に対する国庫補助増額に  関する請願外一件(大久保直彦君紹介)(第二  八三四号)  同(佐野進君紹介)(第二八三五号)  社会福祉制度改善等に関する請願(村山富市  君紹介)(第二八三六号)  同(村山富市君紹介)(第二九六九号)  医療保険制度の確立に関する請願(青柳盛雄君  紹介)(第二八三七号)  同(石母田達君紹介)(第二八三八号)  同(大久保直彦君紹介)(第二八三九号)  同(庄司幸助君紹介)(第二八四〇号)  同(田代文久君紹介)(第二八四一号)  同(土橋一吉君紹介)(第二八四二号)  同(不破哲三君紹介)(第二八四三号)  同(松本善明君紹介)(第二八四四号)  同(山原健二郎君紹介)(第二八四五号)  同(山原健二郎君紹介)(第二九七二号)  社会保障制度の拡充等に関する請願(太田一夫  君紹介)(第二八四六号)  同(金瀬俊雄君紹介)(第二八四七号)  同(三宅正一君紹介)(第二八四八号)  母性の社会保障に関する請願(井上普方君紹  介)(第二八四九号)  同(鬼木勝利君紹介)(第二八五〇号)  同(近江巳記夫君紹介)(第二八五一号)  同(金瀬俊雄君紹介)(第二八五二号)  同(久保三郎君紹介)(第二八五三号)  同(高沢寅男君紹介)(第二八五四号)  同(長谷川正三君紹介)(第二八五五号)  同(川崎寛治君紹介)(第二九七三号)  同(田口一男君紹介)(第二九七四号)  同(高田富之君紹介)(第二九七五号)  准看護婦制度廃止に関する請願外一件(有島重  武君紹介)(第二八五六号)  同外一件(鈴切康雄君紹介)(第二八五七号)  同(瀬野栄次郎君紹介)(第二八五八号)  同(高沢寅男君紹介)(第二八五九号)  同(小宮武喜君紹介)(第二九七六号)  同(竹内猛君紹介)(第二九七七号)  同(和田耕作君紹介)(第二九七八号)  婦人保護政策の確立に関する請願(鈴木善幸君  紹介)(第二九六三号)  原爆被爆者援護法の制定に関する請願(鈴木善  幸君紹介)(第二九六四号)  社会福祉施設従事者の人材確保対策確立に関す  る請願(鈴木善幸君紹介)(第二九六五号)  遺児家庭の母親の雇用促進法制定に関する請願  (鈴木善幸君紹介)(第二九六六号)  難病対策の推進に関する請願(鈴木善幸君紹  介)(第二九六七号)  各種障害年金制度改善に関する請願(小宮武喜  君紹介)(第二九六八号)  福祉年金の引上げに関する請願(津金佑近君紹  介)(第二九七〇号)  社会保障制度改善に関する請願(松本善明君紹  介)(第二九七一号) 同月十三日  健康保険法の改正反対等に関する請願(多田光  雄君紹介)(第三〇三一号)  社会福祉制度改善等に関する請願(村山富市  君紹介)(第三〇三二号)  同外一件(村山富市君紹介)(第三一一六号)  健康保険の改悪反対等に関する請願(中島武敏  君紹介)(第三〇三三号)  全国一律最低賃金制の確立に関する請願(正木  良明君紹介)(第三〇三四号)  准看護婦制度廃止に関する請願(石野久男君紹  介)(第三〇三五号)  同(河村勝君紹介)(第三〇三六号)  同(清水徳松君紹介)(第三〇三七号)  同(高沢寅男君紹介)(第三〇三八号)  同(竹本孫一君紹介)(第三〇三九号)  同(長谷川正三君紹介)(第三〇四号)  同(村山富市君紹介)(第三〇四一号)  同(竹内猛君紹介)(第三一三二号)  同(長谷川正三君紹介)(第三一三三号)  同(和田耕作君紹介)(第三一三四号)  母性の社会保障に関する請願(岩垂寿喜男君紹  介)(第三〇四二号)  同(太田一夫君紹介)(第三〇四三号)  同(金子みつ君紹介)(第三〇四四号)  同(木原実君紹介)(第三〇四五号)  同(久保三郎君紹介)(第三〇四六号)  同(鈴切康雄君紹介)(第三〇四七号)  同(瀬野栄次郎君紹介)(第三〇四八号)  同(長谷川正三君紹介)(第三〇四九号)  同(正木良明君紹介)(第三〇五〇号)  同(金瀬俊雄君紹介)(第三一二五号)  同(佐野憲治君紹介)(第三一二六号)  同(鈴切康雄君紹介)(第三一二七号)  同(瀬野栄次郎君紹介)(第三一二八号)  同(土井たか子君紹介)(第三一二九号)  同(中村茂君紹介)(第三一三〇号)  同(米田東吾君紹介)(第三一三一号)  社会保障制度改善等に関する請願(柴田睦夫  君紹介)(第三〇五一号)  同(兒玉末男君紹介)(第三一一八号)  身体障害者雇用促進法の改正に関する請願(小  宮武喜君紹介)(第三一一二号)  同(和田耕作君紹介)(第三一一三号)  短期雇用特例保険者失業保険金改善に関す  る請願(大橋武夫君紹介)(第三一一四号)  雇用及び失業対策緊急措置法案成立促進に関  する請願(大橋武夫君紹介)(第三一一五号)  各種障害年金制度改善に関する請願(和田耕作  君紹介)(第三一一七号)  大腿四頭筋短縮症患者救済に関する請願(田邊  誠君紹介)(第三一一九号)  医療保険制度の確立に関する請願(紺野与次郎  君紹介)(第三一二〇号)  同(鈴切康雄君紹介)(第三一二一号)  同(中島武敏君紹介)(第三一二二号)  同(松本善明君紹介)(第三一二三号)  同(和田耕作君紹介)(第三一二四号) 同月十四日  社会福祉制度改善等に関する請願外一件(村  山富市君紹介)(第三一八五号)  同(石母田達君紹介)(第三二二六号)  同(村山富市君紹介)(第三二二七号)  同(瀬野栄次郎君紹介)(第三二八七号)  同外一件(村山富市君紹介)(第三二八八号)  各種障害年金制度改善に関する請願(伏木和雄  君紹介)(第三一八六号)  同(石母田達君紹介)(第三二三三号)  同(田中美智子君紹介)(第三二三四号)  身体障害雇用促進法の改正に関する請願(伏木  和雄君紹介)(第三一八七号)  同(石母田達君紹介)(第三二三六号)  同(田中美智子君紹介)(第三二三七号)  同(寺前巖君紹介)(第三二三八号)  大腿四頭筋短縮症患者救済に関する請願(田邊  誠君紹介)(第三一八八号)  同(石母田達君紹介)(第三二五六号)  同(浦井洋君紹介)(第三二五七号)  母性の社会保障に関する請願(佐藤観樹君紹  介)(第三一八九号)  同(清水徳松君紹介)(第三一九〇号)  同(鈴切康雄君紹介)(第三一九一号)  同(中村茂君紹介)(第三一九二号)  同(長谷川正三君紹介)(第三一九三号)  同(山田耻目君紹介)(第三一九四号)  同(米田東吾君紹介)(第三一九五号)  同(金瀬俊雄君紹介)(第三二三九号)  同(清水徳松君紹介)(第三二四〇号)  同(鈴切康雄君紹介)(第三二四一号)  同(高田富之助君紹介)(第三二四二号)  同(岩垂寿喜男君紹介)(第三二九二号)  同(金瀬俊雄君紹介)(第三二九三号)  同(金子みつ君紹介)(第三二九四号)  同(川崎寛治君紹介)(第三二九五号)  同(兒玉末男君紹介)(第三二九六号)  同(坂本恭一君紹介)(第三二九七号)  同(島田琢郎君紹介)(第三二九八号)  同(堂森芳夫君紹介)(第三二九九号)  同(野坂浩賢君紹介)(第三三〇〇号)  同(長谷川正三君紹介)(第三三〇一号)  同(渡辺三郎君紹介)(第三三〇二号)  同(渡辺惣蔵君紹介)(第三三〇三号)  准看護婦制度廃止に関する請願(石野久男君紹  介)(第三一九六号)  同(枝村要作君紹介)(第三二九七号)  同(長谷川正三君紹介)(第三一九八号)  同(枝村要作君紹介)(第三二四三号)  同(田邊誠君紹介)(第三二四四号)  同(広瀬秀吉君紹介)(第三二四五号)  同(島本虎三君紹介)(第三二八九号)  生活保護制度の改善に関する請願(三浦久君紹  介)(第三二三三号)  国立療養所松江病院の施設整備拡充に関する請  願(野坂浩賢君紹介)(第三二二四号)  健康保険法改正反対に関する請願(石母田達君  紹介)(第三二二五号)  健康保険法の改正反対等に関する請願(中島武  敏君紹介)(第三二二八号)  医療・年金制度の改善に関する請願外二件(多  田光雄君紹介)(第三二二九号)  短期雇用特例保険者失業保険金改善に関す  る請願(多田光雄君紹介)(第三二三〇号)  同(多田光雄君紹介)(第三三〇四号)  同(増本一彦君紹介)(第三三〇五号)  社会保障制度改善等に関する請願(寺前巖君紹  介)(第三二三一号)  全国一律最低賃金制確立等に関する請願(多田  光雄君紹介)(第三二三二号)  全国一律最低賃金制の確立等に関する請願(村  上弘君紹介)(第三二三五号)  結核患者の医療保障等に関する請願(諫山博君  紹介)(第三二四六号)  同(田代文久君紹介)(第三二四七号)  同(田中美智子君紹介)(第三二四八号)  同(寺前巖君紹介)(第三二四九号)  同(三浦久君紹介)(第三二五〇号)  健康保険の改悪反対等に関する請願(庄司幸助  君紹介)(第三二五一号)  同(津川武一君紹介)(第三二五二号)  同(寺前巖君紹介)(第三二五三号)  同(中川利三郎君紹介)(第三二五四号)  同(米原昶君紹介)(第三二五五号)  社会保障制度の拡充等に関する請願外一件(美  濃政市君紹介)(第三二九〇号)  戦時災害援護法制定に関する請願(赤松勇君紹  介)(第三二九一号)  雇用及び失業対策緊急措置法案成立促進に関  する請願(多田光雄君紹介)(第三三〇六号)  同(津川武一君紹介)(第三三〇七号)  同(中川利三郎君紹介)(第三三〇八号) 同月十九日  社会福祉制度改善等に関する請願外一件(村  山富市君紹介)(第三三四九号)  同(瀬野栄次郎君紹介)(第三三八七号)  同(村山富市君紹介)(第三三八八号)  雇用及び失業対策緊急措置法制定に関する請願  (林百郎君紹介)(第三三五〇号)  健康保険の改悪反対等に関する請願(多田光雄  君紹介)(第三三五一号)  母性の社会保障に関する請願(川俣健二郎君紹  介)(第三三五二号)  同(渡辺三郎君紹介)(第三三五三号)  同(稲葉誠一君紹介)(第三四〇〇号)  同(木原実君紹介)(第三四〇一号)  同(小林信一君紹介)(第三四〇二号)  同(佐藤敬治君紹介)(第三四〇三号)  同(鈴切康雄君紹介)(第三四〇四号)  同(村山富市君紹介)(第三四〇五号)  同(渡辺三郎君紹介)(第三四〇六号)  准看護婦制度廃止に関する請願外一件(島本虎  三君紹介)(第三三五四号)  同(田邊誠君紹介)(第三三五五号)  同(広瀬秀吉君紹介)(第三三五六号)  同(青柳盛雄君紹介)(第三四一二号)  同(荒木宏君紹介)(第三四一三号)  同(諫山博君紹介)(第三四一四号)  同(石母田達君紹介)(第三四一五号)  同(梅田勝君紹介)(第三四一六号)  同(浦井洋君紹介)(第三四一七号)  同(小川省吾君紹介)(第三四一八号)  同(金子満広君紹介)(第三四一九号)  同(神崎敏雄君紹介)(第三四二〇号)  同(木下元二君紹介)(第三四二一号)  同(栗田翠君紹介)(第三四二二号)  同(小林政子君紹介)(第三四二三号)  同(紺野与次郎君紹介)(第三四二四号)  同(柴田睦夫君紹介)(第三四二五号)  同(島本虎三君紹介)(第三四二六号)  同(庄司幸助君紹介)(第三四二七号)  同(瀬崎博義君紹介)(第三四二八号)  同(瀬長亀次郎君紹介)(第三四二九号)  同(田代文久君紹介)(第三四三〇号)  同(田中美智子君紹介)(第三四三一号)  同(多田光雄君紹介)(第三四三二号)  同(津金佑近君紹介)(第三四三三号)  同(津川武一君紹介)(第三四三四号)  同(寺前巖君紹介)(第三四三五号)  同(土橋一吉君紹介)(第三四三六号)  同(中川利三郎君紹介)(第三四三七号)  同(中路雅弘君紹介)(第三四三八号)  同(中島武敏君紹介)(第三四三九号)  同(野間友一君紹介)(第三四四〇号)  同(林百郎君紹介)(第三四四一号)  同(東中光雄君紹介)(第三四四二号)  同(平田藤吉君紹介)(第三四四三号)  同(不破哲三君紹介)(第三四四四号)  同(正森成二君紹介)(第三四四五号)  同(増本一彦君紹介)(第三四四六号)  同(松本善明君紹介)(第三四四七号)  同(三谷秀治君紹介)(第三四四八号)  同(三浦久君紹介)(第三四四九号)  同(村上弘君紹介)(第三四五〇号)  同(山原健二郎君紹介)(第三四五一号)  同(山本政弘君紹介)(第三四五二号)  同(米原昶君紹介)(第三四五三号)  大腿四頭筋短縮症患者救済に関する請願(田口  一男君紹介)(第三三五七号)  同(小林信一君紹介)(第三三九七号)  戦時災害援護法に関する請願(赤松勇君紹介)  (第三三五八号)  同(赤松勇君紹介)(第三三九六号)  短期雇用特例保険者失業保険金改善に関す  る請願(多田光雄君紹介)(第三三五九号)  雇用及び失業対策緊急措置法案成立促進に関  する請願(多田光雄話紹介)(第三三六〇号)  社会福祉事業法の一部改正に関する請願(野中  英二君紹介)(第三三八六号)  身体障害者雇用促進法の改正に関する請願(枝  村要作君紹介)(第三三八九号)  同(田口一男君紹介)(第三三九〇号)  同(森井忠良君紹介)(第三三九一号)  各種障害年金制度改善に関する請願(枝村要作  君紹介)(第三三九二号)  同(島本虎三君紹介)(第三三九三号)  同(田口一男君紹介)(第三三九四号)  同(森井忠良君紹介)(第三三九五号)  医療保険制度の確立に関する請願(有島重武君  紹介)(第三三九八号)  社会保障制度の拡充等に関する請願(渡辺三郎  君紹介)(第三三九九号)  結核患者の医療保障等に関する請願(井上泉君  紹介)(第三四〇七号)  同(坂本恭一君紹介)(第三四〇八号)  同(中村重光君紹介)(第三四〇九号)  同(成田知巳君紹介)(第三四一〇号)  同(森井忠良君紹介)(第三四一一号) 同月二十一日  社会福祉制度改善等に関する請願(青柳盛雄  君紹介)(第三五〇〇号)  同(村山富市君紹介)(第三五五二号)  保育所の父母負担軽減に関する請願(青柳盛雄  君紹介)(第三五〇一号)  身体障害者雇用促進法の改正に関する請願(川  俣健二郎君紹介)(第三五〇二号)  同(島本虎三君紹介)(第三五〇三号)  同(金子みつ君紹介)(第三五五九号)  建設国民健康保険組合に対する国庫補助増額に  関する請願(長谷川正三君紹介)(第三五〇四  号)  同(不破哲三君紹介)(第三六〇五号)  社会保障制度改善等に関する請願(青柳盛雄君  紹介)(第三五〇五号)  戦時災害援護法制定に関する請願(赤松勇君紹  介)(第三五〇六号)  同(赤松勇君紹介)(第三五五六号)  同(赤松勇君紹介)(第三六一六号)  結核患者の医療保障等に関する請願(坂本恭一  君紹介)(第三五〇七号)  同(中澤茂一君紹介)(第三五〇八号)  同(中村重光君紹介)(第三五〇九号)  同(金瀬俊雄君紹介)(第三五五七号)  同(島本虎三君紹介)(第三五五八号)  准看護婦制度廃止に関する請願(小川省吾君紹  介)(第三五一〇号)  同(島本虎三君紹介)(第三五一一号)  同(山本政弘君紹介)(第三五一二号)  同(稲葉誠一君紹介)(第三五六四号)  同(金子みつ君紹介)(第三五六五号)  同(小泉純一郎君紹介)(第三五六六号)  同外一件(島本虎三君紹介)(第三五六七号)  同(山口鶴男君紹介)(第三五六八号)  同(島本虎三君紹介)(第三六〇九号)  母性の社会保障に関する請願(阿部助哉君紹  介)(第三五一三号)  同(大出俊君紹介)(第三五一四号)  同(川俣健二郎君紹介)(第三五一五号)  同(木原実君紹介)(第三五一六号)  同(清水徳松君紹介)(第三五一七号)  同(鈴切康雄君紹介)(第三五一八号)  同(山田芳治君紹介)(第三五一九号)  同(久保等君紹介)(第三五六二号)  同(坂本恭一君紹介)(第三五六三号)  同(木原実君紹介)(第三六〇八号)  全国一律最低賃金制確立等に関する請願(寺前  巖君紹介)(第三五五三号)  雇用及び失業対策緊急措置法制定に関する請願  (上坂昇君紹介)(第三五五四号)  全国全産業一律最低賃金制確立に関する請願(  寺前巖君紹介)(第三五五五号)  各種障害年金制度改善に関する請願(金子みつ  君紹介)(第三五六〇号)  社会保障制度の拡充等に関する請願(板川正吾  君紹介)(第三五六一号)  短期雇用特例保険者失業保険金改善に関す  る請願(多田光雄君紹介)(第三五六九号)  同(多田光雄君紹介)(第三六〇七号)  雇用の安定に関する請願(野田毅君紹介)(第  三六〇〇号)  暮らせる年金制度の確立に関する請願(八百板  正君紹介)(第三六〇一号)  医療行政確立に関する請願(八百板正君紹介)  (第三六〇二号)  失業対策事業の賃金引上げ等に関する請願(吉  田法晴君紹介)(第三六〇三号)  皇法学師の許可に関する請願(吉田法晴君紹  介)(第三六〇四号)  中国残留日本人孤児肉親不明者調査等に関  する請願(佐々木秀世君紹介)(第三六〇六  号)  医療保険制度の確立に関する請願(津金佑近君  紹介)(第三六一〇号)  同(津川武一君紹介)(第三六一一号)  同(中島武敏君紹介)(第三六一二号)  同(不破哲三君紹介)(第三六一三号)  健康保険の改悪反対等に関する請願(津金佑近  君紹介)(第三六一四号)  生活保護基準及び老齢福祉年金の引上げ等に関  する請願(中島武敏君紹介)(第三六一五号)  大腿四頭筋短縮症患者救済に関する請願(小林  信一君紹介)(第三六一七号) 同月二十四日  戦時災害援護法制定に関する請願(赤松勇君紹  介)(第三六五二号)  同(赤松勇君紹介)(第三六八一号)  同(赤松勇君紹介)(第三七二一号)  社会保障制度改善等に関する請願(高沢寅男君  紹介)(第三六五三号)  同(荒木宏君紹介)(第三六八三号)  同(諫山博君紹介)(第三六八四号)  同(柴田睦夫君紹介)(第三六八五号)  同(田代文久君紹介)(第三六八六号)  同(寺前巖君紹介)(第三六八七号)  同(中川利三郎君紹介)(第三六八八号)  同(三浦久君紹介)(第三六八九号)  同(三谷秀治君紹介)(第三六九〇号)  同(長谷川正三君紹介)(第三七二三号)  同(河上民雄君紹介)(第三七六七号)  同(多田光雄君紹介)(第三七六八号)  同(増本一彦君紹介)(第三七六九号)  同(渡辺三郎君紹介)(第三七七〇号)  社会保障制度の拡充等に関する請願(島本虎三  君紹介)(第三六五四号)  健康保険の改悪反対に関する請願(津金佑近君  紹介)(第三六五五号)  同(津金佑近君紹介)(第三六八〇号)  医療保険制度の確立に関する請願(津川武一君  紹介)(第三六五六号)  同(平田藤吉君紹介)(第三七二二号)  同(平田藤吉君紹介)(第三七七一号)  短期雇用特例保険者失業保険金改善に関す  る請願(多田光雄君紹介)(第三六五七号)  同(多田光雄君紹介)(第三六八二号)  同(多田光雄君紹介)(第三七八一号)  社会福祉制度改善等に関する請願(田中美智  子君紹介)(第三六七四号)  結核患者の医療保障等に関する請願(竹村幸雄  君紹介)(第三六七五号)  同(山田芳治君紹介)(第三六七六号)  准看護婦制度廃止に関する請願(羽田孜君紹  介)(第三六七七号)  同(小川省吾君紹介)(第三七二八号)  同外十七件(中村弘海君紹介)(第三七二九  号)  同外四十九件(灘尾弘吉君紹介)(第三七三〇  号)  同外二十一件(羽田孜君紹介)(第三七三一  号)  同外一件(原健三郎君紹介)(第三七三二号)  同外四十五件(三原朝雄君紹介)(第三七三三  号)  同外一件(白浜仁吉君紹介)(第三七七五号)  同外四件(中山正暉君紹介)(第三七七六号)  同(橋本龍太郎君紹介)(第三七七七号)  同(長谷川四郎君紹介)(第三七七八号)  同(坊秀男君紹介)(第三七七九号)  母性の社会保障に関する請願(河上民雄君紹  介)(第三六七八号)  同(中村茂君紹介)(第三六七九号)  同(川俣健二郎君紹介)(第三七二四号)  同(河上民雄君紹介)(第三七二五号)  同(木島喜兵衞君紹介)(第三七二六号)  同(佐藤観樹君紹介)(第三七二七号)  同(河上民雄君紹介)(第三七七二号)  同(佐藤観樹君紹介)(第三七七三号)  同(横山利秋君紹介)(第三七七四号)  政府関係法人における労働条件改善等に関する  請願(長谷川正三君紹介)(第三七一九号)  同(長谷川正三君紹介)(第三七八〇号)  失業労働者の就労保障に関する請願(多田光雄  君紹介)(第三七二〇号)  水道事業に対する補助金増額等に関する請願(  赤城宗徳君紹介)(第三七三四号) 同月二十七日  旧ソ満国境及び満州国間島省延吉付近丘陵地の  遺骨収集等に関する請願(旗野進一君紹介)(  第三八〇八号)  保育所の父母負担軽減に関する請願(荒木宏君  紹介)(第三八〇九号)  同(寺前巖君紹介)(第三八一〇号)  同(大橋敏雄君紹介)(第三八一一号)  同(広瀬秀吉君紹介)(第三八一二号)  同(田口一男君紹介)(第三八九三号)  同(八木昇君紹介)(第三八九四号)  同(横山利秋君紹介)(第三八九五号)  業務災害者医師選択自由保障に関する請願  (大橋敏雄君紹介)(第三八一三号)  全国一律最低賃金制確立等に関する請願(村上  弘君紹介)(第三八一四号)  社会福祉制度改善等に関する請願(瀬野栄次  郎君紹介)(第三八一五号)  身体障害者雇用促進法の改正に関する請願(大  橋敏雄君紹介)(第三八一六号)  療術の制度化反対に関する請願(高橋千寿君紹  介)(第三八一七号)  短期雇用特例保険者失業保険金改善に関す  る請願(大橋敏雄君紹介)(第三八一八号)  同外三件(島田琢郎君紹介)(第三八九六号)  各種障害年金制度改善に関する請願(大橋敏雄  君紹介)(第三八一九号)  医療保険制度の確立に関する請願(大橋敏雄君  紹介)(第三八二〇号)  同(大橋敏雄君紹介)(第三八九九号)  政府関係法人における労働条件改善等に関する  請願(山本政弘君紹介)(第三八二一号)  准看護婦制度廃止に関する請願(小川省吾君紹  介)(第三八二二号)  同(唐沢俊二郎君紹介)(第三八二三号)  同外九十五件(高橋千寿君紹介)(第三八二四  号)  同外百七十五件(谷垣專一君紹介)(第三八二  五号)  同(島村一郎君紹介)(第三九〇〇号)  同外二十一件(福田篤泰君紹介)(第三九〇一  号)  同(森井忠良君紹介)(第三九〇二号)  母性の社会保障に関する請願外二件(川俣健二  郎君紹介)(第三八二六号)  同(河上民雄君紹介)(第三八二七号)  同(坂本恭一君紹介)(第三八二八号)  同(湯山勇君紹介)(第三八二九号)  同(横山利秋君紹介)(第三八三〇号)  同(河上民雄君紹介)(第三八九七号)  同(木原実君紹介)(第三八九八号)  社会保障制度改善等に関する請願(青柳盛雄君  紹介)(第三八三一号)  同(浅井美幸君紹介)(第三八三二号)  同(荒木宏君紹介)(第三八三三号)  同(諫山博君紹介)(第三八三四号)  同(石母田達君紹介)(第三八三五号)  同(梅田勝君紹介)(第三八三六号)  同(浦井洋君紹介)(第三八三七号)  同(金子満広君紹介)(第三八三八号)  同(神崎敏雄君紹介)(第三八三九号)  同(木下元二君紹介)(第三八四〇号)  同(栗田翠君紹介)(第三八四一号)  同(小林政子君紹介)(第三八四二号)  同(紺野与次郎君紹介)(第三八四三号)  同(柴田睦夫君紹介)(第三八四四号)  同(庄司幸助君紹介)(第三八四五号)  同(瀬崎博義君紹介)(第三八四六号)  同(瀬長亀次郎君紹介)(第三八四七号)  同(田代文久君紹介)(第三八四八号)  同(田中美智子君紹介)(第三八四九号)  同(多田光雄君紹介)(第三八五〇号)  同(津金佑近君紹介)(第三八五一号)  同(津川武一君紹介)(第三八五二号)  同(寺前巖君紹介)(第三八五三号)  同(土橋一吉君紹介)(第三八五四号)  同(中川利三郎君紹介)(第三八五五号)  同(中路雅弘君紹介)(第三八五六号)  同(中島武敏君紹介)(第三八五七号)  同(野間友一君紹介)(第三八五八号)  同(林百郎君紹介)(第三八五九号)  同(東中光雄君紹介)(第三八六〇号)  同(平田藤吉君紹介)(第三八六一号)  同(広瀬秀吉君紹介)(第三八六二号)  同(不破哲三君紹介)(第三八六三号)  同(正森成二君紹介)(第三八六四号)  同(増本一彦君紹介)(第三八六五号)  同(松本善明君紹介)(第三八六六号)  同(三浦久君紹介)(第三八六七号)  同(三谷秀治君紹介)(第三八六八号)  同(村上弘君紹介)(第三八六九号)  同(山原健二郎君紹介)(第三八七〇号)  同(山本政弘君紹介)(第三八七一号)  同(米原昶君紹介)(第三八七二号)  同(和田貞夫君紹介)(第三八七三号)  同(渡辺三郎君紹介)(第三八七四号)  同(青柳盛雄君紹介)(第三九〇三号)  同外二件(浅井美幸君紹介)(第三九〇四号)  同(荒木宏君紹介)(第三九〇五号)  同(諫山博君紹介)(第三九〇六号)  同(石母田達君紹介)(第三九〇七号)  同(梅田勝君紹介)(第三九〇八号)  同(浦井洋君紹介)(第三九〇九号)  同(金子満広君紹介)(第三九一〇号)  同(神崎敏雄君紹介)(第三九一一号)  同(木下元二君紹介)(第三九一二号)  同(栗田翠君紹介)(第三九一三号)  同(小林政子君紹介)(第三九一四号)  同(紺野与次郎君紹介)(第三九一五号)  同(佐藤観樹君紹介)(第三九一六号)  同(柴田睦夫君紹介)(第三九一七号)  同(庄司幸助君紹介)(第三九一八号)  同(瀬崎博義君紹介)(第三九一九号)  同(瀬長亀次郎君紹介)(第三九二〇号)  同(田代文久君紹介)(第三九二一号)  同(田中美智子君紹介)(第三九二二号)  同(多田光雄君紹介)(第三九二三号)  同(津金佑近君紹介)(第三九二四号)  同(津川武一君紹介)(第三九二五号)  同(寺前巖君紹介)(第三九二六号)  同(土橋一吉君紹介)(第三九二七号)  同(中川利三郎君紹介)(第三九二八号)  同(中路雅弘君紹介)(第三九二九号)  同(中島武敏君紹介)(第三九三〇号)  同(野間友一君紹介)(第三九三一号)  同(林百郎君紹介)(第三九三二号)  同(東中光雄君紹介)(第三九三三号)  同(平田藤吉君紹介)(第三九三四号)  同(不破哲三君紹介)(第三九三五号)  同(正森成二君紹介)(第三九三六号)  同(増本一彦君紹介)(第三九三七号)  同(松本善明君紹介)(第三九三八号)  同(三浦久君紹介)(第三九三九号)  同(三谷秀治君紹介)(第三九四〇号)  同(村上弘君紹介)(第三九四一号)  同(山原健二郎君紹介)(第三九四二号)  同(米原昶君紹介)(第三九四三号)  社会保険診療報酬の引上げ等に関する請願(浅  井美幸君紹介)(第三八九一号)  障害者の生活及び医療保障等に関する請願(北  側義一君紹介)(第三八九二号) 同月三十日  准看護婦制度廃止に関する請願(森井忠良君紹  介)(第三九五八号)  同外二十八件(島田安夫君紹介)(第三九八九  号)  同外九十九件(増岡博之君紹介)(第四〇三二  号)  社会保障制度改善等に関する請願(諫山博君紹  介)(第三九五九号)  同(石野久男君紹介)(第三九六〇号)  同(勝間田清一君紹介)(第三九六一号)  同(金丸徳重君紹介)(第三九六二号)  同(河上民雄君紹介)(第三九六三号)  同(広瀬秀吉君紹介)(第三九六四号)  同(松浦利尚君紹介)(第三九六五号)  同(武藤山治君紹介)(第三九六六号)  同(山本政弘君紹介)(第三九六七号)  同(和田貞夫君紹介)(第三九六八号)  同(渡辺三郎君紹介)(第三九六九号)  同外三件(新井彬之君紹介)(第三九九三号)  同外十三件(有島重武君紹介)(第三九九四  号)  同(井岡大治君紹介)(第三九九五号)  同(石野久男君紹介)(第三九九六号)  同(梅田勝君紹介)(第三九九七号)  同(浦井洋君紹介)(第三九九八号)  同外三件(大久保直彦君紹介)(第三九九九  号)  同外四件(大橋敏雄君紹介)(第四〇〇〇号)  同外二件(近江巳記夫君紹介)(第四〇〇一  号)  同外二件(岡本富夫君紹介)(第四〇〇二号)  同外二件(鬼木勝利君紹介)(第四〇〇三号)  同(金丸徳重君紹介)(第四〇〇四号)  同(木下元二君紹介)(第四〇〇五号)  同外二件(小濱新次君紹介)(第四〇〇六号)  同外一件(坂口力君紹介)(第四〇〇七号)  同(島田琢郎君紹介)(第四〇〇八号)  同(庄司幸助君紹介)(第四〇〇九号)  同外九件(鈴切康雄君紹介)(第四〇一〇号)  同(瀬野栄次郎君紹介)(第四〇一一号)  同(田中美智子君紹介)(第四〇一二号)  同(土橋一吉君紹介)(第四〇一三号)  同(中島武敏君紹介)(第四〇一四号)  同(野間友一君紹介)(第四〇一五号)  同(芳賀貢君紹介)(第四〇一六号)  同(長谷川正三君紹介)(第四〇一七号)  同(林百郎君紹介)(第四〇一八号)  同(東中光雄君紹介)(第四〇一九号)  同(村上弘君紹介)(第四〇二〇号)  同(村山喜一君紹介)(第四〇二一号)  同(阿部未喜男君紹介)(第四〇三三号)  同(井岡大治君紹介)(第四〇三四号)  同(石野久男君紹介)(第四〇三五号)  同(加藤清政君紹介)(第四〇三六号)  同(田中武夫君紹介)(第四〇三七号)  同(芳賀貢君紹介)(第四〇三八号)  同(堀昌雄君紹介)(第四〇三九号)  同(美濃政市君紹介)(第四〇四〇号)  同(井岡大治君紹介)(第四〇六二号)  同(石野久男君紹介)(第四〇六三号)  同(上原康助君紹介)(第四〇六四号)  同(小川省吾君紹介)(第四〇六五号)  同(斉藤正男君紹介)(第四〇六六号)  同(島田琢郎君紹介)(第四〇六七号)  同(高沢寅男君紹介)(第四〇六八号)  同(成田知巳君紹介)(第四〇六九号)  同(芳賀貢君紹介)(第四〇七〇号)  同(美濃政市君紹介)(第四〇七一号)  同(八百板正君紹介)(第四〇七二号)  同(安井吉典君紹介)(第四〇七三号)  同(米原昶君紹介)(第四〇七四号)  同(勝間田清一君紹介)(第四一二七号)  同(広瀬秀吉君紹介)(第四一二八号)  同(福岡義登君紹介)(第四一二九号)  同(八百板正君紹介)(第四一三〇号)  同(和田貞夫君紹介)(第四一三一号)  国立病院・療養所の医療改善等に関する請願(  大橋敏雄君紹介)(第三九七九号)  全国一律最低賃金制確立等に関する請願(坂口  力君紹介)(第三九八〇号)  同(辻原弘市君紹介)(第三九八一号)  同(村山富市君紹介)(第四〇五二号)  同(辻原弘市君紹介)(第四一二〇号)  同(村山富市君紹介)(第四一二一号)  政府関係法人における労働条件改善等に関する  請願(青柳盛雄君紹介)(第三九八二号)  同(浦井洋君紹介)(第三九八三号)  同(木下元二君紹介)(第三九八四号)  同(田代文久君紹介)(第三九八五号)  同(土橋一吉君紹介)(第三九八六号)  同(中川利三郎君紹介)(第三九八七号)  同(中路雅弘君紹介)(第三九八八号)  同(加藤清政君紹介)(第四〇五三号)  同外一件(高沢寅男君紹介)(第四一二四号)  保育所の父母負担軽減に関する請願(小宮武喜  君紹介)(第三九九〇号)  同(伏木和雄君紹介)(第三九九一号)  同(村山喜一君紹介)(第三九九二号)  同(金子満広君紹介)(第四〇五四号)  同(坂口力君紹介)(第四一二五号)  同(高沢寅男君紹介)(第四一二六号)  全国一律最低賃金制の確立に関する請願(野間  友一君紹介)(第四〇五一号)  家内労働者の生活権確保に関する請願(金子満  広君紹介)(第四〇五五号)  同(小林政子君紹介)(第四〇五六号)  同(平田藤吉君紹介)(第四〇五七号)  同(不破哲三君紹介)(第四〇五八号)  医療保険制度の確立に関する請願(中川利三郎  君紹介)(第四〇五九号)  生活保護基準の改善等に関する請願(多田光雄  君紹介)(第四〇六〇号)  医療・年金制度の改善に関する請願(多田光雄  君紹介)(第四〇六一号)  母性の社会保障に関する請願(嶋崎譲君紹介)  (第四一二二号)  社会保障制度の拡充等に関する請願(河上民雄  君紹介)(第四一二三号)  は本委員会に付託された。     ―――――――――――――  三月二十三日  社会福祉施設の充実強化に関する陳情書  (第八四号)  市町村社会福祉協議会の充実強化に関する陳情  書外一件  (第八五号)  身体障害者等に対する福祉対策強化等に関する  陳情書  (第八六号)  身体障害者手帳の障害程度等級区分の是正に関  する陳情書  (第八七号)  国民健康保険制度の改善に関する陳情書  (第八八号)  歯科補綴師の法制化促進等に関する陳情書  (第八九号)  療術の法制化反対等に関する陳情書  (第九〇号)  雇用の保障及び安定対策確立に関する陳情書外  二件  (第九一号)  身体障害者の雇用促進に関する陳情書  (第九二号)  季節労働者の雇用安定対策確立等に関する陳情  書外二件  (第九三号)  三公社五現業のスト防止対策確立に関する陳情  書  (第九四号)  一般廃棄物処理施設整備事業等に対する助成措  置に関する陳情書  (第九五号) 四月九日  市町村社会福祉協議会の充実強化に関する陳情  書外二件(  第一七四号)  乳幼児医療費の公費負担制度実施に関する陳情  書(第一七五号)  厚生年金制度の改善等に関する陳情書  (第一七六号)  健康保険に対する国庫負担率引上げ等に関する  陳情書  (第一七七号)  社会保障制度改善等に関する陳情書  (第一七八号)  労災保険の保険料率引下げ等に関する陳情書  (第一七九  号)  失業対策事業就労者の賃金引上げ等に関する陳  情書  (第一八〇号)  季節労働者の雇用安定対策確立等に関する陳情  書外十七件  (第一八一号)  三公社五現業のスト防止対策確立に関する陳情  書外一件  (第一八二号)  原爆被害者援護法の制定に関する陳情書  (第一八三号)  廃棄物等の終末処理対策確立に関する陳情書  (第一八四号) は本委員会に参考送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律  の一部を改正する法律案(内閣提出第四〇号)  戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正す  る法律案(内閣提出第二三号)      ――――◇―――――
  2. 熊谷義雄

    ○熊谷委員長 これより会議を開きます。  原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律の一部を改正する法律案を議題といたします。  まず、提案理由の説明を聴取いたします。厚生大臣田中正巳君。
  3. 田中正巳

    田中国務大臣 ただいま議題となりました原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律の一部を改正する法律案について、その提案の理由を御説明申し上げます。  昭和二十年八月、広島市及び長崎市に投下された原子爆弾の被爆者については、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律により健康診断及び医療の給付を行うとともに、原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律により特別手当、健康管理手当、保健手当その他の手当等の支給を行い、被爆者の健康の保持向上と生活の安定を図ってまいったところであります。  今回、原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律について改正を行おうとするものでありますが、その内容について御説明申し上げます。  改正の第一点は、特別手当の改善であります。特別手当は、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律の規定により原子爆弾の傷害作用に起因する負傷または疾病の状態にある旨の厚生大臣の認定を受けた被爆者に対して支給されるものでありますが、この特別手当の額について、現に当該認定に係る負傷または疾病の状態にあるものに支給する特別手当の額を現行の月額二万四千円から二万七千円に引き上げ、その状態にないものに支給する特別手当の額を現行の月額一万二千円から一万三千五百円に引き上げるものであります。  改正の第二点は、健康管理手当の改善であります。健康管理手当は、原子爆弾の放射能の影響に関連があると思われる造血機能障害等の特定の障害を伴う疾病にかかっている被爆者で特別手当の支給を受けていないものに対して支給されるものでありますが、この健康管理手当の額を現行の月額一万二千円から一万三千五百円に引き上げるものであります。  政正の第三点は、保健手当の改善であります。保健手当は、爆心地から二キロメートルの区域内において直接被爆した者で特別手当または健康管理手当の支給を受けていないものに対して支給されるものでありますが、この保健手当の額を現行の月額六千円から六千八百円に引き上げるものであります。  今回の改正は、これらの改善を通じて被爆者の福祉を一層増進しようとするものであります。  以上がこの法律案を提出する理由でありますが、何とぞ慎重に御審議の上、速やかに御可決あらんことをお願い申し上げます。
  4. 熊谷義雄

    ○熊谷委員長 これにて提案理由の説明は終わりました。      ————◇—————
  5. 熊谷義雄

    ○熊谷委員長 次に、戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を行います。橋本龍太郎君。
  6. 橋本龍太郎

    ○橋本(龍)委員 きょう私は、この援護法の審査に際して、主として二つの点について政府の答弁を求め、また政府の決断を求めたいと思います。  いまさら同僚委員の各位に申し上げるまでもなく、すでに戦後三十年という歳月を経て今日なお遺族援護に関して私どもがこうした問題を取り上げなければならないということ自体が、私は、きわめて残念なことだと思います。ただそれだけに、今日まで残っておる問題は、それぞれにあるいは非常に心情的に気の毒だと思いながらも法律に乗りにくいとか、あるいは証明する資料が不足だとか、あるいは援護法と一般の問題との接点部分に当たるものだとかいうことで、政府として取り上げづらい状況があることを私も知らないわけではありません。しかしそれと同時に、少なくともこれだけの歳月を経て、法律条文を理解する上できわめて厳正に運用を図ることだけが、私は、政府として好ましい態度だとも思いません。ことに戦争による犠牲者に対しての援護というようなものについては、私は、ある程度弾力的な見解を政府にも持ってもらいたいと日ごろから考えております。  きょう取り上げたい第一の問題は、すでに何回も本院において、あるいは参議院において質問がなされ、質問趣意書等も出されてきました対馬丸の問題についてであります。  これは、いまさら私が細かく申し上げるまでもありませんが、第二次世界大戦中における大きな悲劇の一つとして、今日もなお当時を知る者の胸から去らない事件であります。要点は、この対馬丸に乗っていて海没し、死亡した学童たちを準軍属として処遇してやってもらいたいということであります。これは、いままで政府としてはたびたび拒否の回答をなされてきました。そして、それはそれなりの理由があったと思います。しかし本年は、対馬丸事件が起きましてからちょうど三十三回忌であります。そして本土においてもこの風習は同じことでありますけれども、沖繩県における伝統的な慣習からして、三十三回忌というものは、県内の人々には私どもが考える以上の大きな意味を持っているわけであります。それだけに何とかして本年この問題に解決をしてもらいたい、これは私、たまたまきょう質問に立たせていただきましたが、沖繩県出身国会議員団、党派を抜きにしてすべての方々の希望であることを最初に私は政府に対して申し上げたいと思います。  簡単に事件の経過を振り返ってみますと、昭和十九年の七月七日にサイパンが玉砕をいたしましてから、本土においても学童疎開が行われるようになりました。東條内閣の緊急閣議の決定により学童疎開が行われたわけであります。沖繩県当局でこの閣議の決定を受けて七月十九日に、内政部長名により宮古、八重山、那覇・首里、三郡の学校長あてに「学童集団疎開準備に関する件」という通達が出されました。その文章は左のとおりであります。「時局の現段階に対処して、一億国民総力を挙げて敵反攻にそなうる国土防衛態勢確立急務なるとき、人口疎開の一翼として県下学童を安全地区に集団疎開し、戦時といえども少国民の教育運営に遺憾なきを期し、併せて県内食糧事情の調節を図らんがため、標記疎開につき、計画いたし度きにつき、左記事項参照の上、速急に可然措置相成度くこの段通牒す」これに実施要綱がつけられ現地軍との協力のもとに学童疎開が行われた、これがこの対馬丸事件の発端であります。  この「県内食糧事情の調節を図らんがため」というのは、東京においても大阪においても同じような内容の通達が出されました。私どもも、それで学童疎開をした一人であります。しかし、沖繩県という地域を考え、その後の戦局の推移を考えたときに、当時沖繩県において「県内食糧事情の調節を図らんがため」という一言が、どれだけ県民の上に大きな心理的影響を及ぼしたかは、恐らく政府の皆さんにも御想像がつくことと思う。そして、その第一船が出発し、撃沈をされた。そして多くの学童が死にました。乗船人員千六百六十一名中、生存人員は百七十七名、戦没人員は千四百八十四名であります。その中には引率の教師、世話人あるいは学童の付添人もあります。しかし、ここで私が問題にしたいのは、この学童であり、七百三十六名の対馬丸とともに沈んだこの学童を準軍属にしてもらいたいという点であります。  今日まで対馬丸の問題が何回か議論をされてきました中で、昭和三十七年には疎開学童及び引率教師の遺族に対して政府は見舞金を支出され、また昭和四十七年には学童の付添者の遺族に対しても見舞金を支給された。また、昭和四十一年にはきわめて特異なケースでありますが、靖国神社に合祀がされました。また、さらに昭和四十八年には叙勲が行われ、勲八等の勲記並びに端宝章が贈られております。そして昨年の八月二十二日には、遭難現場において国が海上慰霊祭を執行され、東宮殿下御夫妻の献花等も行われました。  疎開船は、沖繩県内を考えましてもこの一隻ではありません。また、南洋諸島等からの疎開船も多くあります。しかし、その中で対馬丸だけがなぜこうして特殊に扱われてきたか、政府自身が特別にお扱いになったか、それはただ単なる一般の疎開船とは違い、戦時協力の一還として行われた学童の疎開船であり、そして多くの犠牲者を出し、この対馬丸が沈んだために沖繩県における学童疎開が実質的には中止をされたという状況があったからだと私は思います。  今日まで政府がどうしてこういうふうに対馬丸だけを他の疎開船とは異なって処遇をしてこられたのか、まず一番最初に、私は援護局長からその点を答えてもらいたいと思う。
  7. 山高章夫

    ○山高政府委員 御答弁申し上げます。  ただいまの御質問の点でございますが、遺族等援護法によります援護は、国に勤務した者、すなわち国と一定の使用関係を持っている者、あるいはそれに準ずる者に対しまして、雇用主としての国がいわば業務上の災害補償として援護を行っているものでございます。  対馬丸の遭難の場合は、これは沖繩戦の始まる前のことでございまして、戦闘から退避するために疎開する途上の事故であるということで、本土の学童疎開と同様の事情にあるものと考えられます。そういう点で、沖繩戦を目前に控えて国策に協力したというものであったといたしましても、そういう身分関係があるとは認めがたいということで、従来、準軍属として処遇することは困難であるということでございます。
  8. 橋本龍太郎

    ○橋本(龍)委員 援護局長、それは私の聞いたことに答えていただけてませんね。その経過は私も知っています。ただ、それを言われるなら私は一つ申し上げたい。私は、初め山梨県の大月に疎開をしました。そして、その疎開先が空襲を受けました。現地で一たんまた東京へ戻され、その後今度は兵庫県の但馬海岸の方に疎開をやり直しました。その途中、浜松で私どもの疎開列車そのものが銃撃を受けました。私どもの同じ学校で疎開をした子供たちの中で三人が死傷をいたしました。しかし、海の上で船が沈められて皆が沈むのと、陸上で逃げ走れば逃げられる余地のあったものと私は同じだと思わない。私ども自体が線路わきのみぞの中に飛ぎ込んで機銃掃射から逃げたのです。私は、おかげさまでけが一つしなかった。しかし、現実に私どもの列車の中で死んだ子供たちがいるのです。逃げられる場所のある陸の上と、海の上で船一隻が沈められる場合と機械的に一緒だと言い切ってしまってそれでいいものだろうか、私はそう思う。  それと同時に、私が聞いたのは、疎開船というものは、沖繩県からの場合でも、政府自身が四十七年に対馬丸と同じように特別の措置をされた第一千早丸とか第五千早丸の例もある。南方諸島から引き揚げ中に沈められた船も多くある。その中で対馬丸というものを、特別にいままで何回か見舞金を出し、あるいは国の行為ではないが、靖国神社に合祀をされ、また四十八年には叙勲をした、その学童自体にも叙勲をされた、一体その理由は何なのだ。戦闘協力をしなかったという一点であるならば、この子供たちは、ただ単に疎開の最中に船が沈められた犠牲者というだけだ。なぜ叙勲をしたのか。  私は、ここに参議院において喜屋武委員が総務長官に対し、この対馬丸の事件で叙位叙勲したことの根拠等を質問したときの議事録も持っておりますが、総務長官の答弁自体でももう一つ漠然として、痛ましい事故だというような言葉遣いのままに、叙勲の理由は非常にあいまいにしてあります。痛ましい事故ならば叙勲をするということであるならば、痛ましい事故はいっぱいほかにもある。対馬丸だけが特別に痛ましいと政府が認定をされるには、それなりの理由があったでしょう。  これは賞勲の方に伺った方がいいのかもしれませんが、政府の中でどなたでもいい、責任持って答えられる方からこの点は答えていただきたい。なぜそれでは叙勲をされたのです。なぜ特別扱いをされたのです。南方からの疎開船で、疎開船が沈められたために叙勲をされた例がありますか。同じ沖繩から疎開船で出ていった、ただし、学童疎開ではない、一般の疎開船として出ていった第一千早丸、第五千早丸の諸君は叙勲をされておりますか。痛ましいという理由以外に何らかほかの理由がなかったのですか。痛ましいということだけが理由で叙勲をされるなら、痛ましい、人の心を打つような事件が起きたならば、それで死んだ人たちを政府は全部叙勲されるのですか。私、質疑時間を大変制限されておりますので、その点はっきり答えていただきたい。だれからでも結構です。
  9. 山高章夫

    ○山高政府委員 叙勲につきましては、一般的には国家または公共に対して功労のある者に対して行われるものであると思いますが、対馬丸で遭難された学童の方々について叙勲された事情はつまびらかに存じておりません。総理府がお見えになっていると思いますので、そちらで……。
  10. 大濱忠志

    ○大濱説明員 お答えいたします。  この事件は、先生のお話しございましたように、当時といたしましても非常に痛ましい、胸を締めつけられるような思いのする事件でございまして、当時、沖繩開発庁がまだ設置される以前の話ではございましたけれども、その当時からいろいろ関係省庁にもお願いいたしまして、何か救済措置はないだろうかということで検討してまいったわけでございますが、現行法上、この援護法上からいきましても、救済措置が困難であるということでございますので、私どもといたしましても、当時の沖繩戦の事情等も考えまして、せめて何か、亡くなられた多くの方々、あるいは残された遺族の方々に特別の配慮をする必要があるのじゃないかというふうなことをいろいろ考えまして、手続的には総理府の賞勲局の方へお願いしたわけでございます。
  11. 橋本龍太郎

    ○橋本(龍)委員 それは、いま申し上げたように、参議院の喜屋武さんの質疑応答を見せていただいておりますから、その答弁ならよくわかっています。ですから、そういう御答弁なら要りません。ただ、私がここで、大臣にもお考えをいただきたい、それから同僚委員の方々にもぜひ一緒にお考えをいただきたいと思いますのは、現実に実はこの対馬丸の沈没以来、沖繩からの学童疎開はとまったわけであります。そして沖繩戦の当時、ほとんどの学童は親たちとともに戦場を逃げ歩いたのであります。そして学童で、万をもって数える子供たちが巻き添えを食って死んだのです。そして、その子供たちに対しては、私はだれだとは言いません、厚生省のある局長さんが沖繩県の現地へ行き、それまでは戦闘協力、戦闘参加で準軍属としての処遇をするのを中学生以上に限っておられたのを、現地の人々の声にほだされて、小学校一年生以上の学童を厚生省援護局は認定をして、現に準軍属として扱っているのです。申請の出てきた子供たちは、もうすでに準軍属としての処遇をしておられる。私は、これがなければ——そのことがいい悪いは別です。そして対馬丸の死んだ子供たちを準軍属にしてくれというお願いは、非常に無理なお願いだということはわかる。しかし、対馬丸が沈んだために後の本土への学童疎開が打ち切られて、結果的に戦場で巻き添えを食って死んだ子供たちは、準軍属としてすでに政府は処遇をしておられる。しかも、これは援護法の改正等をした上で処遇をしたのじゃありません。厚生省の局長さんが現地に行かれ、現地の状況を見、そしてその心情を聞き、法律上の処置として、要求の出てきたものは準軍属としてその子供たちを処遇されている。  そういう実情がある限りにおいて、対馬丸の学童を準軍属にしてくれという声が沖繩県内で関係者以外にも出てくることは、私は、あたりまえのことだと思う。同時に、ことしがその三十三回忌に当たる年であるだけに、この国会の間に政府としても三度はっきりした方針を示してもらいたいという現地の気持ちがあることも私は当然だと思う。陸上戦で巻き添えを食って亡くなった子供たち、もちろん本当に気の毒であります。しかし、仮に引き続いて学童疎開が沖繩から行われていたとしたならば、それは無事に本土に送り届けられた子供たちもあったでしょうが、当時の戦況から考えれば、そのうちの何割かはやはり船とともに沈んだでしょう。第一船の対馬丸が沈んだために、実際の疎開作業はそれで打ち切られた。打ち切られた結果、戦場で逃げ惑いながら死んだその子供たちは準軍属として扱った。ならば、実際上沖繩の疎開作業となり、閣議決定に基づいた沖繩県庁の通達の第一船で送り出された子供たちに、なぜ準軍属という名を上げることができないのだろうか。法律というものは、それほど情がなく運用されなければならないものなのか、厚生省はそれほど情のない行政をやることが厚生行政だと思っているのだろうか、私は、どうしてもその点が納得いかないのであります。  ほかにもお聞きしたいことがありますので、私は、この問題これ以上言うつもりありません。ありませんが、この点に関して逆に、いままでの議事録を何回読んでみても、また、いまお話のあった点を考えてみても納得するわけにはまいらない。私は、この点についてどうお考えなのかを大臣に聞かせていただきたい。
  12. 田中正巳

    田中国務大臣 対馬丸遭難学童につきましては、心情的にまことに気の毒な状況でお亡くなりになったものであるということは、先生と私も同感でございます。先生の御主張は、戦傷病者戦没者遺家族等援護法による準軍属として扱え、こういうことでございますが、先生、これは法律上いかに温情をもってしても——この援護法における準軍属として扱うのに一体どの条項に当てはめたらいいだろうか、いろいろ苦心して考えてみました。一番近い条項というのは、現実の戦闘参加者という条項が一番近いのじゃないか。他の条項はほとんどほど遠いものがあります。しからば一体、対馬丸遭難学童というものは戦闘参加者として扱えるものであろうかどうか。実態等をいろいろ調べてみますと、できるだけ処遇しようとしても、残った学童が戦塵の中でいろいろと軍に協力をし、弾薬を運び、あるいは糧食等を運び、傷病者の手当て等をやったという実態もあるそうでございまして、これはある程度、いろいろ努力すれば戦闘参加者として観念することもできるかもしれません、また、そういう趣旨で戦闘参加者にいたしたものというふうに思うわけでございますが、何分にもこの対馬丸遭難学童というのは、亡くなられた状況というものがまことに気の毒であり、悲惨なものでございますが、援護法による戦闘参加者ということにするのには、どうも実態がなじまないというところに実は悩みとジレンマがあるわけでございます。  したがって政府は、今日までこの援護法によらずして、そうした状況に対応して見舞金を差し上げるということによって、この援護法外の措置をとっておったものというふうにわれわれは解するわけでございます。しかし、いろいろな御意見がありますので、今後とも慎重に検討、研究を重ねてまいりたいというふうに思っているのが、今日の私どもの考え方でございます。
  13. 橋本龍太郎

    ○橋本(龍)委員 三十分間でこれを議論することは容易じゃありません。ただ、それならば、軍属でもなく、もちろん軍人でもなく、準軍属でもなく、気の毒だということだけで、総理府あるいは沖繩開発庁が賞勲局に書類を提出され、叙勲をされたという一点について、それならば私は、もう一度当時の資料を洗いざらい出してもらいたい。ただ気の毒だということだけで、当時の状況が悲惨だったということだけで叙位叙勲の対象にできるならば、同じように叙位叙勲をすべき者はたくさんあるいはずだ。だから私は、最初に、対馬丸をなぜ特別扱いにされたのか、政府はなぜこの問題だけは特別に扱われたのだというお尋ねをしているのです。  現行の援護法の中でできないと言われるのは、それはそのとおりです。だから私は、援護法を修正してもらいたい、少なくとも附則でこれが読み込めるようにしてもらいたいと思う。しかしそれ以前に、政府自体が処理をしないつもりの答弁を今後とも繰り返すならば、何らこれは前進のできない問題だということも、私はあわせて申し上げておきたい。  そして私どもは、与党ですから、政府の提出した案件についてクレームなんぞはつけたくないが、内閣としての姿勢がそういうことで終始をされるということならば、われわれなりにやはり考えさせていただかなければならぬ点が出る。立法府の立場と行政府の立場と相異なる場合に、立法府は立法府としての権限を行使しなければならなくなる。私は、一厚生省とは言いません。政府として、こうした問題はよほど慎重にお考えおきを願いたい。これは党派の問題ではないということだけは申し上げておきます。  そしてあと、同じようなケースで私はもう一つお願いをしたいものがある。それは直接には満州国の殉職者に対する援護法の適用についての問題であります。  これは、たとえば実例でいきますならば、昭和十二年七月七日、支那事変以降軍の要請に基づき、または軍と行動をともにした匪賊討伐戦に参加して戦死し、あるいは戦傷病者となった者、この大半は警察官であり、一部地理不察内の軍の道案内として郵便配達等に従事をしておられた方があります。もう一つは、昭和二十年八月九日、ソ連参戦後の混乱時において、やはり同じように軍の要請に基づき、または軍と行動をともにしてソ連軍、当時の呼び方でいくならば中共軍、国府軍等と戦闘して戦死し、または戦傷病者となった者、これも大半は警察官であります。また、郵便配達等に従事をされていた方々、あるいは満鉄の職員の一部であります。それからもう一つは、二十年八月九日以降において関東州あるいは満州、または中国本土の地域内において生存していたと認められる資料があり、まだ帰還をしていない未帰還者留守家族援護法がらみの部分になるわけでありますが、この中の具体例としては、二十年八月九日以降にソ連軍、それから当時の呼び名で言うならば中共軍、国府軍等に逮捕抑留をされ、人民裁判等の名目で処刑をされたケース、またはその逮捕抑留中に死亡したケース、こうしたケースがあります。  これは一つの問題がありまして、すでに援護法の改正後ある程度のものはこの中で拾えるようにはなっているはずなのでありますが、たとえば市町村役場等が法律改正の内容に暗かったために、当時関係者が照会をしても、適用対象にならないということで、そのままあきらめてきたケースが相当例実は残っているわけであります。今日、むしろ請求権の時効は、厳密に言うならすでに七年を経過して成立をしておるわけでありますが、この関係者が請求をあきらめた原因は、市町村役場に問い合わせて明確な回答が得られなかったために、自分たちは適用対象にならない、あるいは自分の家族は適用対象にならないということであきらめてしまったものでありまして、当時市町村役場が正確な回答をしておれば、すでに救われているケースであります。  これは関係者の方々から何とかしてほしいという話が出てきまして、しばらくの間調べてみました。そうしますと、当時市町村役場に相談をし、その相談に対する回答が出てきた、その事実関係の証明を持っておられる方々が相当数ある、そうすれば、この不的確な答えによってあきらめてしまったという事実関係が明らかにされる場合には、これは時効の中断ができるのではないか。時効の中断が立てば当然請求権は残るわけでありますから、こうした関係の人々は救われるわけであります。この点については厚生省としてどう対処をされるか、聞かせていただきたい。
  14. 山高章夫

    ○山高政府委員 ただいまお尋ねの点でございますが、実例として挙げられましたいろいろのケースは、それぞれ実態を個別に調査してみないとわかりませんが、ほとんどいわゆる戦闘参加者に該当するものではないかと考えられるわけでございます。従来、こういった戦闘参加者に該当される方はかなり出ておりまして、いずれも認定されておるわけでございます。  ただ当時、市町村役場の窓口の担当者がこの点について十分に理解ができずに、そこで請求はしながらもそのままになってしまったというケースでございますが、こういった点につきましては、個々に具体的に調査して、審査の対象になるものは改めて審査の対象にしてまいりたいというぐあいに考えております。
  15. 橋本龍太郎

    ○橋本(龍)委員 確認をしますが、その時効の中断を言う言わぬにかかわらず、そうすると、再審査の要求を出してその事実関係が明らかになれば、法律上の運用で救い得る余地があるということですね。間違いありませんね。事実上時効の中断を立てることになりますよ。
  16. 山高章夫

    ○山高政府委員 時効の完成前に市町村役場に裁定請求を出しておった、それが明らかに証明される場合というお話でございますので、そういうケースについては十分に検討してまいりたいと思っております。
  17. 橋本龍太郎

    ○橋本(龍)委員 もう理事の方からやめろと言われましたから、これ以上の質問はしません。ただ私は、最後にこの点だけは申し上げておきたい。  私は、この援護法という法律には個人的に非常な関心があります。私の父親が厚生大臣をみずからやめた原因の法律であります。そしてそのころは、この問題を取り上げたことが早過ぎたという世間の批判を浴びた。二十年たって今日では、むしろどうやら政府は、忘れよう、忘れよう、援護法に絡む問題は、なるべくこれ以上拡大しないようにしよう、どうもそういうおつもりがあるような気がしてならない。そしてその中には、いろんなケースがあることは私も知っておりますが、政府自身が特別な扱いをされたこの対馬丸のようなケースについてまで、法の適用を、あるいは現行法が運用できないならば修正しようという動きを抑えつけようとされることは、私は、政府として決して国民に対してほめられる姿勢ではないと思う。わが党の組織しておる内閣ではありますが、私は情けない。そして党派を抜きにして、沖繩出身の国会議員団みんなが、この問題の解決をどれほど熱望しておるかは、大臣もよく御承知のはず。関係者がどれぐらいこの解決を待ち望んでおるかも御承知のはず。しかも、むしろ私どもの先輩として、長年私どもを指導してこられた厚生大臣でありますから、この三十三回忌という、ことに沖繩の場合には、死者の霊が本当に安まるか安まらないかという民俗的な慣習を持つ土地で、ことし解決をしてほしいという気持がいかに強いかは御理解がいただけると思う。現行援護法でできない、結構です。それならできるように修正しようじゃありませんか。しかし、修正までいかなくても何とか救う道があるのじゃないのか。われわれと違って、国家公務員上級職試験を通られた方は秀才ばかりでありますから、そして、いろんな大きな知恵を出してくださる。この問題に限り、その知恵が閉ざされて一切出てこないとは私には思えない。もう私はこれ以上言いません。言いませんが、この問題についてのこれからの政府の対処の仕方を私は見せていただく、それだけは申し上げておきます。  終わります。
  18. 熊谷義雄

    ○熊谷委員長 次に、田口一男君。
  19. 田口一男

    田口委員 遺家族援護法の問題に関連をして、三点ほどお尋ねしたいと思います。     〔委員長退席、竹内(黎)委員長代理着席〕  第一は、今回の改正で附則第三条の俗に言う再婚妻の問題ですね。現行でいきますと、昭和二十七年四月二十九日までの間に、再婚をし、何らかの理由で離婚をし、死別をする、こういった遺族の方につきましては、援護法の対象にするということなんですが、これも今回の改正で二十八年七月三十一日まで延ばした。いわゆる線を一年余り後に持ってきた。この理由は一体どういう点にあるのか、まずそこから。
  20. 山高章夫

    ○山高政府委員 ただいまの御質問でありますが、今回、再婚解消妻の解消期限を援護法施行の日の前日から軍人恩給の復活の日の前日に延ばした理由でございますが、これは援護法施行の日の前日までに再婚解消ということに現行法でしてあるわけでございます。婚姻解消の終期として援護法施行の日の前日を定めているわけでございますが、実態は、この日で婚姻を解消しているけれども、なお形式的な手続をとっていないというようなケースも間々ございまして、これは援護法施行の前日ということになっているためであると思うわけでございます。そして、遺族に対する実質的な処遇措置が開始されましたのは、軍人恩給が復活しました昭和二十八年八月一日以後と考えられるわけでございまして、したがって、そういう点を考慮しまして、再婚解消の期限もこの日がより適切であるということで、今回お願いしているわけでございます。
  21. 田口一男

    田口委員 いまお答えがあったように、俗に言う軍人恩給復活の前日ですね、そこに線を引いた。ここで私が言いたいのは、この法律の改正案が発表されてから、いろいろな方にお話を聞くのですが、たとえば正式に言うと再婚解消妻といいますか、こういう表現を使ってどうも釈然としないという御遺族もあるわけですね。二十数年、三十年たちましたけれども、いわゆる孤閨を守ってきた——孤閨というのはさびしいねやということてすが、孤閨を守ってきたわれわれとしてはどうも釈然としない、こういう気持ちもわかると思うのです。ところが一方では、戦後のあの混乱期、しかも大変生活にお困りになっておったということは、生活保護法の対象にもなっておったのですから、これはわかるのですが、好きこのんで再婚をしたのではない、生活上からそうなったのだから、結局、こういう法律ができたことを知った——まあ無制限に延ばしては困るけれども、少なくとも子供が、当時の子供は新制中学以下の方が多かったと思うのですが、もう少し延ばしてもらえぬかという意見もあるのです。一方では、孤閨を守っていたのに釈然としないという意見もあれば、一方では、そういう事情があるのだから、少なくとも昭和三十年ごろまでには延ばすべきじゃないかという意見がある。  そういった点で、この問題を私は長々とは言いませんけれども、軍人恩給が復活した日をもって線引きをした。これはいつにしても前後でいろいろな問題がある。それじゃ八月一日のはどうなんだという意見も出ると思うのですけれども、そういう問題は別として、今後この線引きを、二十八年七月三十一日が二十九年になり三十年になりというふうなことが、いろいろな世論として、そういった該当者の声として強まってきた場合には、考慮する余地があるのかどうか、この辺のところだけまず確かめておきたいと思います。
  22. 山高章夫

    ○山高政府委員 ただいまのお話でございますが、先生のおっしゃるとおり、御遺族の中にもいろいろな意見がございます。長らく孤閨を守ってこられた方が釈然としないという御意見もあれば、また別な御意見もあるわけでございます。これは、そもそも再婚なさった方というのは、本来援護法の適用の対象とはしてないわけでございますけれども、軍人恩給が停止になったために、生活上御遺族が非常な苦境に陥られて、やむを得ず再婚なさったという方が、現行法で申し上げますれば、援護法の施行の前日までにその再婚を解消している場合には、再婚しなかった者と同様の扱いをするという考え方に実はなっておるわけでございます。いま申し上げましたように、戦後軍人恩給が停止になって生活上非常に苦境に陥られたという特殊な事態に対処する特例的な措置でございます。したがって、そういう特例的な特殊な事情のなくなったと考えられる軍人恩給が、御提案申し上げております改正案で申し上げますれば、軍人恩給が復活した日以後のケースについては、ただいまのところ全く考えるあれはないのではないかというぐあいに考えております。
  23. 田口一男

    田口委員 私は、あえて線引きと言うのですが、この軍人恩給が復活をした日を境にして、いまの恩給法の定めからいっても、厳格に区分すれば、一たん対象であった遺族が再婚なり何なりをすれば、もう恩給の遺族年金の対象にはなりませんね、いまのところ。そういう意味合いからいっても、この二十八年七月三十一日に線を引くということは、ほかに手がないだろうという気持ちは、そういう考え方はわかります。ところが、この線引きで、じゃ昭和二十八年八月一日に、何らか手続がおくれて再婚を解消した、九月に解消したとかいうことが、大せいの方ですからずいぶんあると思うのですが、そういったものにまでこれをどんどん延ばすともう際限がなくなるだろう、だから、その辺での線引きは、ある程度冷酷な点を持たなければならぬということはわかるのです。しかし、いまから申し上げる点については、いまさっき橋本委員からお話もあったようなことに関連をするのですが、援護法の中で考えられないものか。  たとえば、これは一つの例なんですが、昭和二十年の八月十五日に戦争が終わった、その二十年八月十五日以前に、戦争中いわゆる旧軍が各所にいろいろな陣地を構築をしたり弾薬庫をつくったり、こういう工事にその地元の消防団員といいますか、警防団員が町村長の指示によってその作業に従事をした、そこで不幸にして事故があって死んだりけがをする、こういう場合にはいまの援護法で、一昨年あたりから改正されましたけれども、旧防空法云々ということから援護法の対象になる。ところが、二十年八月十五日以降、しかも、それは二十年中と言った方がいいのですが、私が聞いておるのは、昭和二十年十二月一日ですが、旧軍の施設、弾薬庫を撤去するために、町村長の命令によって当時の消防団員が撤去作業に従事をした、ところが落盤、その落盤に起因をして弾薬が破裂をして二人死んでおるのですが、こういつた方については一体どうなるのかという意見がいまもってあるわけですが、こういう点については一体どうなんでしょう。
  24. 山高章夫

    ○山高政府委員 ただいまの昭和二十年十二月一日というお話でございますが、旧軍の構築した陣地、弾薬の整理中事故が起こったというケースでございますが、警防団とかそういうものが援護法の適用の対象になると申しますのは、実は援護法で、旧防空法の規定に基づきまして防空従事命令をもらって防空に従事したという者について、これは防空の実施に従事したということで、援護法の適用の対象にしているわけでございます。  それで、お話しのケースでございますが、二十年十二月一日に進駐軍の命令によってやったというケースでございますが、これについては旧防空法に基づく防空の実施に従事中の事故とは考えられないわけでございまして、いわば消防防災業務に従事中の事故であるというふうに考えられます。したがって、援護法の援護の対象にはならない、なかなか対象にしがたいということでございます。
  25. 田口一男

    田口委員 私は、さっきから線引き、線引きと言っておるのですが、いま私が申し上げた実例をやや詳しく申し上げたいと思うのです。  前文は略しますが、「本村におきましても旧陸軍が各所に防空壕を設置し弾薬を格納致しました。これが為本村の警防団は空襲警戒のため防空団員として郷土防衛のため努めました。」これは戦争中ということですね。ところが「終戦後マッカーサー司令部より格納弾薬の搬出処理が命ぜられ、昭和二十年十二月一日警防団員がこの作業に従事致しましたが、その作業中落盤により三名の犠牲者を生じ、村ではその内二名の遺族に対し遺族扶助料として旧軍人遺族扶助料を基準としてその七割を支給しております。」というのです。現にこの援護法に準拠してその七割を遺族に金を村独自で出しているわけです。ところが、以来ずっと経過をしてまいりまして、先年、警防団員の防空作業従事者に関する犠牲者に対しても補償、救済されることになった。そうしますと、当時の作業指令を受け、監督した村として、この十二月一日に事故によって亡くなった遺族の救済措置が援護法の対象にならないのはどうにも納得できないということは、これは厚生省としても御理解いただけると思うのですが、こういう問題について一体どこがこれを救済するのか。ただ単に二十年八月十五日という線を引かれたために——八月十四日にこれをやれば、旧防空法によって当然に援護法の対象になると思うのです。ところが、二十年の十二月一日というために、同じ仕事をやっておりながら、これが対象にならない。この陳情をしてきた村長の納得ができないという気持ちは、私は無理からぬと思う。この辺の問題についてはどこが救済をするのか、できなければ、援護法で何とかならないのか、こういうことをお聞きをしたいわけです。
  26. 山高章夫

    ○山高政府委員 どうもこういうお話については、気持ちの上でなかなか御答弁しにくいのでございますが、このケースの場合には、初めに申し上げましたように、戦時中のいわゆる防空業務と考えられないわけでございまして、援護法の上からはどうにも適用できないとお答え申し上げるよりほかに御答弁申し上げ得ないわけでございます。  なお、これは私どもの所管ではございませんが、この死亡なさった方の御遺族に対しましては、連合国占領軍等の行為等による被害者等に対する給付金の支給に関する法律という法律がございますが、その規定に基づきまして処遇の対象にされていると聞いているわけでございます。
  27. 田口一男

    田口委員 私は、いまの十二月一日の件で、これは一件ぐらいかなと思っていろいろ調べてみたのです。そうすると、同じようにわずか二日違いですが、昭和二十年の十二月三日に、やはり旧陸海軍の爆弾等の投棄作業に従事中、積載中の爆発物に引火、船が爆沈をした、こういう例があります。その処理についてずっと見ますと、これは鹿児島県の大神丸という船なんですが、沈んだという船自体に対する補償、それから乗組員に対する補償、こういった問題について何らかの補償措置はしなければならぬ、こういった話を聞いておるのです。それをずっと調べてみますと、昭和四十七年六月二十九日、防衛施設庁長官代行が、全国的にあるかもしれないから調査を進めますと言っておるのですが、いま局長が言ったように、その結果、占領軍云々ということで補償されておるのか、もうそれっきりになっておるのか。ちょっと私は不勉強なんですが、じゃ私がいま例に出した十二月一日の分も、その占領軍云々の補償措置によって別個に措置をされておれば一件落着、こういう態度に政府は出ておるわけですか。
  28. 山高章夫

    ○山高政府委員 先ほどからも御答弁申し上げましたように、このケースにつきましては、援護法ではいわゆる防空従事者でないということで適用にならないということを御答弁申し上げたわけです。  なお、これについては、先ほど申し上げました法律の規定によって、遺族給付金とか葬祭給付金というようなものも処遇の対象に、これは私どもの所管ではございませんけれども、なっておると申し上げておるわけでございます。
  29. 田口一男

    田口委員 そうすると、大臣にお聞きをしたいのですけれども、いま局長が言ったように旧防空法の対象にもならない。そうすると、さっき私が申し上げたように、その村が独自でこの援護法の金額の七割を基準にずっと支給をしてきておるのですが、最近の地方財政逼迫の折から、何だかんだと注文がついておるのですけれども、こういう問題に対して何らかの方法をとるということは考えられませんか、村自体に対して。
  30. 田中正巳

    田中国務大臣 本件につきましては、援護法でこれを読み込むことは法律上なかなか困難だ、援護法の「軍人軍属等」第二条の第三項の七ですか、旧防空法による規定による防空の実施に従事中の者の云々というふうになっておりまして、これらの方々が業務に従事したのは、旧防空法によったものではない、したがって、この法律でそのまま当然読むということはできないということから、いろいろと苦心をした結果、いわゆる連合国占領軍等の行為等による被害者等に対する給付金の支給に関する法律等で措置したものというふうに思われるわけであります。  島ケ原村というのが条例でたまたま援護法の金額の七〇%支給しているというのは、一つの金額をなぞらえるための基準であったというふうに思われるわけですが、もしこうした措置について不十分であるということならば、これは、やはり何らか特別な手当てをしなければならないということに相なるものだろうと思うわけであります。そうしたことについて、いろいろともしどうしてもやらなければならぬということならば、さらにこれ以上のことをやろうとするならば、何らかの法的根拠を見出さなければなるまいというふうに現在のところ考えるわけでございます。
  31. 田口一男

    田口委員 じゃこの問題は、ひとつ研究課題ということでお願いをしておきたいのです。時間がありませんから最後に一点だけ。  この援護法は、いまさら私が申し上げるまでもなく、いわゆる国と権力関係、雇用関係にあった者を対象にする、こういうふうになっておることは承知をしておるのですが、もう前々から一般戦災者、内地におる戦災者に対しても、これは当然、国の責任で宣戦布告をし、また戦争終結をしたのだから、援護措置を講ずべきではないかというので、わが党から参議院を先議として戦時災害補償法なるものを提案いたしました。これは御存じだと思うのですが、ところが、いろいろな問題でいまだに日の目を見ていない。  ところが、こういう例が昭和五十一年度の予算編成の過程に起こったのです。もう時間がありませんからずばり申し上げます。本年の一月十六日付の往復はがきなんですが、「昨年十二月十七日付にてご報告申し上げましたが、其の後自民党戦災犠牲者対策議員連盟の先生方のご努力にて年末十二月二十九日午後六時政策審議会の最終決定にて一応五十一年度予算壱億壱千万円也の予算化が承認されました事を報告致します。ついては貴地区の戦災犠牲者の実態を把握する必要が有りますので、送信ハガキにて大至急御回答下さるようお願い申し上げます。昭和五十一年一月十六日。」発信人は全国戦争犠牲者遺族会連絡協議会会長、会長は参議院議員の迫水久常氏。それから会長代行。これが戦災を受けた、たとえば名古屋、静岡の浜松、こういった市の福祉事務所を経由して、それぞれの代表者のところに行っておるのです。  そこで私は、七十五回国会におけるこの社労委の附帯決議として、御存じのように、昭和五十年二月二十七日ですが、「一般戦災者に対し、戦時災害によって、身体に障害を受けた者及び死亡した者の実態調査を行い、当時の救済状況を明らかにすること。」こういう附帯決議を付しておりますから、この一環としてこの一億一千万円ということになったのかというふうに実は理解をしておるのですが、その辺のところを御存じなんですか。
  32. 山高章夫

    ○山高政府委員 ただいま先生のお話の一億一千万円の話につきましては、私ども存じておらないのでございます。恐らく総理府の関係かとも思います。一応総理府がお見えになっておりますので、総理府から御答弁申し上げるようにお願いしたいと思います。
  33. 島村一郎

    ○島村政府委員 予算のときに、そういう話があったということは聞いておりますけれども、政府としては、現在のところまだそういうことを決定しておるわけではございません。
  34. 田口一男

    田口委員 そういう話を、実は一月十六日、この手紙を私がもらったのはもう三月に入ってからなんですが、総理府でもちょっと確かめたことがあるのですけれども、いま言ったように、話はあったけれども予算化はしていない、そういう返事をまともに私は地元に持って帰って、戦災のいろいろな会がありますから、返事をしましたら、いや予備費で組んである、こういう返事をこの連絡協議会からもらったというのですが、そういう申し合わせなり何なりというものは全然ないのですか。これは総理府なり援護局は知りませんか。
  35. 島村一郎

    ○島村政府委員 そういう話は聞いておりますけれども、私どもとしては、まだ正式には聞いておりません。
  36. 田口一男

    田口委員 ということは、話は聞いておるが、まだ決まっていないという意味ですか。そういう要求があるけれども、それをこういう方向に、いま言った一億一千万ですから、どういうふうに使うか知りませんが、そのように使おうということには決まってないけれども、その話はいま煮詰めておる段階だ、こういうことですか。
  37. 島村一郎

    ○島村政府委員 その予算の話は一応別にいたしまして、要するに戦災者の慰霊祭をやるとかいうようなことにつきまして、厚生省等と私どもとで若干の相談はいたしておりますけれども、まだ具体的にそういう話が詰まっておるわけではございません。
  38. 田口一男

    田口委員 どうも私は疑問に思うのです、何回聞いても。一億一千万という具体的な金額まですでに出されて、それが戦災犠牲者対策というふうな、目か節か知りませんけれども、そういうふうになっていないけれども、予備費の中で組んである。いずれ、一億一千万というのは五十一年度中には支出ができるだろう、戦災犠牲者の方についてはと、こういう受け取り方なんですね。だから、やぶから棒にこの一億一千万という話が出てきたのではないだろうし、おたくの方との折衝の中で、実は慰霊祭とかなんとかに金を使おうとか、これをもって調査費にしようとか、こういったような話まであるのですか。これをひとつざっくばらんに答えてもらいたいのです。
  39. 島村一郎

    ○島村政府委員 具体的にそういうことはまだ考えていないわけでございます。
  40. 田口一男

    田口委員 そうすると、これは他の団体が出した文書ですから、政府の方でどうこうということは言えないにしても、ここで出されておる一億一千万の予算化が承認された云々ということは、これは事実でない、こう言い切ってもいいわけですね。
  41. 島村一郎

    ○島村政府委員 政府の方では、そういうことは全然関知をしていないわけでございます。
  42. 田口一男

    田口委員 じゃ、これはまだそこまで煮詰まっていない、こういうことで理解をしますが、私は、これはけしからぬとかどうかとかという意味じゃないのです。  ここで大臣にお答えを願いたいのですが、前々からこういう話があって、七十五国会でも附帯決議が付された。この一般戦時災害そのものに対する、これは財産をどうするとかいろんな問題が出てくると思うのですが、少なくとも戦後三十年たった今日なおこういう要求がある。しかも、けがをしたり何かした人は相当年をとってきておる。ですから事を急いで、一遍全国的に調査をする必要があるのじゃないか。これは戦後、米国戦略爆撃調査報告ということによって、どれだけ死んだか、そういった調査があったそうですけれども、これを政府自身としてやっていないと思うのです。だから、実態をつかむことが必要なんじゃないかと思うのです。その実態をつかんだ上に立って、この戦時災害についてはどういうふうにしていくのか、もっと私はここで——国との権力関係、雇用関係にある者だけを援護法が対象にするのだということには異論がありますけれども、一応それば横に置いておきまして、三十年たった今日、なお要求が強いこの問題について、政府としては前向きといいますか、積極的に対応策をとることが必要なんじゃないか、こう思うのですが、大臣どうでしょう。
  43. 田中正巳

    田中国務大臣 一般戦災者の援護につきましては、すべてに関して厚生省所管だというふうに決まっているわけではございますまい。ただ、一般戦災者中身体に傷疾を受けた者については、かねがねいろいろ御議論がございまして、私どもとしては、今年度に予定している身体障害者の調査の中に調査をいたして、その中で検討をするということをかねがね御答弁を申し上げておったわけでございまして、さような調査を今後続けるつもりでございますが、この調査についても、ある方面から非常な反対がございまして、私どもとしては、非常に難渋をいたしたという実情があることは、先生御案内のとおりであります。私どもとしては、身体障害者の調査をやることによって、この問題の今後の措置について考えていきたい。他の一般戦災について、財産上の問題について厚生省所管であるかどうかはわかりませんが、これらについては、私どもとしては、今日のところ、これをこれ以上やるということは、政府としては考えておらないというのが今日の実情だろうと思います。
  44. 田口一男

    田口委員 この傷を負った方についての調査中、反対の動きもあったということは知っておるのですけれども、一般的な、一般論としての身体障害者の中に含めるというところに、この調査が難渋をするという原因があったのじゃないかと思うのです。ですから、ずばり戦災によって傷を負ったり、または肉親を失ったり、こういった単独でそのことだけを、目的を限定して調査をするということ、これならば問題はそう起こらないのじゃないか、むしろ積極的に協力をするということが生まれるのじゃないかと思うのです、こういったいろんな団体があることから見て。これはどうでしょう。
  45. 田中正巳

    田中国務大臣 調査の方法として、そういうカテゴリーに限定するのがいいのか、あるいは一般的に身体障害者の調査というものに広げてやることがいいのか、方法論としていろいろ議論のあるところでございまして、この点については、さらに検討をいたしたいと思いますが、政府としては、目下のところ、予算を計上いたしまして、一般的な身体障害者の調査を通じて本問題の今後の考究の糸口を見出したいというふうに思っているところでございまして、いろいろ今後の検討課題ではあろうかと思います。
  46. 田口一男

    田口委員 では終わります。
  47. 竹内黎一

    ○竹内(黎)委員長代理 次に、森井忠良君。
  48. 森井忠良

    森井委員 会期末でございまして、時間がきわめて短縮をされておりますので、ずばりお伺いをしたいと思います。  二つございまして、一つは、旧逓信省の雇用人の遺族の年金の問題、もう一つは、昭和四十九年に新たに旧防空法六条一項、二項によりまして、警防団、医療従事者等の準軍属の扱いにつきまして確認をされましたが、それに漏れている問題、この二つについてお伺いをしたいと思います。  まず最初に、旧逓信省の雇用人の遺族の年金に対する要望につきましては、もう昭和四十三年ころからずっと当委員会で問題になっておりまして、先ほど自民党の橋本委員からも、戦後三十年たった今日なおこういう問題があるという御指摘がございましたが、逓信省雇用人につきましても、本当にまゆをひそめて一日も早く解決をしなければならない問題だというふうに理解をして議論が進められてきたと思うわけであります。  そこで、まず郵政省にお伺いをしたいのでありますが、旧逓信雇用人の年金化の問題についてどの程度進んでいるか。特に昭和五十一年度予算の中にどのように盛り込まれておるか、お伺いをしたいと思います。
  49. 岩田立夫

    ○岩田説明員 郵政省としましては、これまでの経緯いろいろありますが、これを踏まえまして関係の向きとも連絡をとりつついろいろ研究してきたわけでございます。が、現段階では年金を支給するというのは非常に困難な情勢にあります。しかしながら、郵政省としましても、旧逓信雇用人で原爆に遭われた遺族の方で、しかも年金を支給されていないという方の置かれた特殊な立場と申しますか、これにつきましては十分理解ができるわけでございまして、郵政事業の使用者と申しますか、この観点から何らかの措置はできないかということでいろいろ検討した結果、五十一年度におきまして、これは五十一年度限りの措置ということになろうかとは思いますが、一人当たり六十万円の特別支出金を遺族に対してお払いする、それによって原爆により殉職された方の霊を弔いたい、このように考えております。
  50. 森井忠良

    森井委員 年金にしないで六十万円という要するに一時金を支給するということでございますが、これは今回だけですか。前例があるように思いますけれども……。
  51. 岩田立夫

    ○岩田説明員 四十六年にも出した経緯はあります。
  52. 森井忠良

    森井委員 私は、ゆゆしい問題だと思うのです。いま答弁がありましたように、四十六年に一回すでに一時金として支給がされておる。そして、このたび五十一年度で今度は六十万円の一時金を支給する。二回にわたっておるわけであります。これは、もちろん措置しないよりははるかに前進をした、いい措置だと思いまして、当然評価を申し上げておるわけでありますが、率直に、極端に申し上げるようでありますけれども、遺族の皆さんは、お金の問題じゃない、亡くなった自分たちの子供の扱いについてなぜ差別をされるのであろうかということが、一番大きな遺族の不満になっておるわけであります。  この問題につきましては、私は、同じような例でたとえば先ほどちょっと申し上げました旧防空法第六条の一項、二項によりまして警防団あるいは医療従事者、そういった方々の準軍属の扱い、具体的には年金化が実現をしたわけでありますが、こういった方々も、かつて金額は違いますけれども、一時金を支給されておる、そして昭和四十九年に年金化をされたという経過があるわけであります。  そういたしますと、私は、余り前例のない二回にわたる一時金を支給をしなければならないという状態は、きわめて異常な状態であるというふうに思うわけです。なぜ二度にわたって一時金を出さなければならないか。率直に言いますと、もうすでに年金化をしなければいけない時期じゃないか、こういうように考えられるわけでありますが、いままでどこに隘路があったのですか、郵政省にお伺いをしたい。
  53. 岩田立夫

    ○岩田説明員 この問題は、先生も御承知のとおり、昭和二十年当時ですか、戦時災害に対してどんな措置をとるかというようなことが発端となっておるわけでございます。そういうことでいろいろ関係の向きと折衝なり連絡なりをとりながら進めてきたわけでございますが、やはり年金化するということについては、いずれにしても無理だろうというようなことが、関係の向きといろいろ協議もした結果決まったと申しますか、現段階ではそのような状況でございます。
  54. 森井忠良

    森井委員 厚生省にお伺いしますが、たとえば長崎医大生というのがございましたね。これは現在、準軍属の扱いをされているわけですが、当然、文部省所管の大学でございましたから、一時金については文部省から出しておられる。それを後で受けて厚生省が準軍属の扱いをされたという形になっています。警防団につきましても、一時金を出したときは、これは自治省から出しているわけですね。そして、これを引き取って援護法の準軍属の扱いをして今日に来ておられます。したがって出発点は、それぞれ関係各省からお出しになったものを、やはり戦時災害ということで最後は援護法の適用にしておられる経過があるわけであります。一体、旧逓信雇用人について、なぜ厚生省は援護法で引き取って年金化をしないのか、まず、その辺のお考えをお伺いしたいと思うのです。
  55. 山高章夫

    ○山高政府委員 援護法は、御承知のように戦時中、旧陸海軍と身分的なつながりのもとに軍事業務に従事されていた方の業務上災害に対するいわば補償制度でございまして、この逓信雇用人の方々の場合でございますが、この方々は逓信省の職員でございまして、旧逓信省の共済組合の組合員になっているわけでございます。援護法でお話しの長崎の学生をこれまた対象にいたしておりますが、これは文部省、また警防団は自治省で一時金を出しておられるわけでございますが、それに引き続いてと形の上ではそうなっておりますけれども、そういう方々は、旧防空法の規定によりまして、防空業務従事令書のもとに身分的な拘束を受けて防空業務に従事していた、したがって、軍属に準ずるものであるということで対象にしているわけでございまして、旧逓信雇用人の場合には、そういう身分関係がございませんので、これは対象にはならないというふうに解するわけでございます。
  56. 森井忠良

    森井委員 厚生大臣に私の資料を差し上げたわけでありますが、「戦時災害を支給事由とする遺族年金につき遺族が父母である場合における生計維持要件の有無に関する一覧表」というのをお見せいたしました。これをごらんいただくとわかるのでありますが、本来、年金化をされなければならない人々の中で、旧逓信共済組合の雇用人につきましては、生計維持要件が必要であったわけであります。一番右端にそれが出ております。  それから、その下の国鉄共済組合につきましては生計維持要件がなかった。あるいは専売局につきましても同じでございまして、結局、生計維持要件があったのは、陸海軍雇用人、それから大蔵省所管政府職員共済組合、この二つがあったわけであります。  それで、大蔵省所管につきましては、すでに国会でも確認をされまして、該当者はほとんどいないということが言われております。陸海軍共済組合の雇用人につきましては、昭和三十八年まではなかったのであります。他との均衡から復活をさせなければならないということで、陸海軍雇用人につきましては、この表では生計維持要件があるようになっていますが、申し上げましたように、昭和三十八年に援護法を改正いたしまして、陸海軍雇用人については現在年金化をされておるわけでございます。  そういたしますと、これは戦時規定が違うからといって措置しないということは、法のもとに平等という憲法に違反をしておると私は思うわけでありまして、先ほど申し上げました国鉄や専売などの遺族と比べてきわめて均衡を失しておるものだというふうに思うわけでございます。  これは先ほど、援護局長が共済組合で措置をしておったからという言い方をしておりますけれども、なるほど表面上は共済組合なんですが、これの根拠になったのは、昭和二十年の勅令第四百七十八号「大東亜戦争二因ル戦時災害二関シ特別ノ給付ヲ為ス共済組合二対シ政府給与金ヲ給付スルノ件」したがって、これは業務上災害じゃなくて戦時災害ですから、共済組合から給付をするのは無理だという判断で、申し上げましたような勅令が出されまして、それぞれの共済組合で戦時災害を受けた遺族の年金を支給するような形になっておるわけであります。したがって、その当時の共済組合どれを調べてみましても、費用の負担は、たとえば逓信共済組合の場合も、第二十六条におきまして、「戦災給付二要スル費用ハ総ヘテ政府ノ負担トシ政府給与金ヲ以テ之二充テル」と、こうなっておるわけであります。はっきり申し上げますと、共済組合から支給をしたのじゃなくて、要するに一般会計から、国費からその当時戦時災害を受けた者に補償するという形になっておるわけでございます。したがって、先ほど援護局長が答弁をされましたように、いま郵政省や電電公社の共済組合があるから、これから支給をするというのはかなり無理がある、こういうように私は感ぜざるを得ないわけでございます。  したがって、これは、やはり当然援護法になじむものとして扱う必要があるのではないか、こういうように考えるわけでありますが、まず最初に、援護局長からもう一度この件に関して、あなた方が援護法に入れない根拠を出してみてください。
  57. 山高章夫

    ○山高政府委員 これは繰り返し申し上げておりますように、旧陸海軍と身分的なつながりを持つて軍事業務に従事していたということでないということで適用にいたしていないわけでございます。  それで、いま先生からちょうだいしましたこの表で申し上げますと、それじゃ何で軍属がなっているのかというお話でございますが、援護法は、そもそも軍人軍属の公務上の災害に対する補償制度として出てきているわけでございまして、当初から軍属は対象であったわけでございます。ただ、陸軍なり海軍の共済組合で年金等の支給がなされるということで、重複支給を避けるために援護法の適用対象から除外していたわけでございますが、その後、内地の軍属の遺族のうちに、戸籍要件とか生計維持関係で年金の給付を受けられない方がいるということで、三十八年改正の際にこれを取り入れたということでございます。また、これは軍事用務でございますので、内地勤務の軍属であっても、参謀本部とかあるいは連隊区司令部とかいったような官衙に勤務している方は対象になっていない、そういうような関係にございます。
  58. 森井忠良

    森井委員 ちょっとお伺いしますが、陸海軍雇用人が昭和三十八年に復活をしていますね。準軍属の扱いになっています。これと旧逓信雇用人との戦争中の扱いの違いがありますか、生計維持要件その他。
  59. 山高章夫

    ○山高政府委員 生計維持要件に関しましては、先ほど御答弁申し上げましたように、ほぼ同様であるというふうに考えられます。
  60. 森井忠良

    森井委員 同様なら、あなた方は引き継ぎ官庁があるのだから郵政省でやりなさい、あるいはまた電電公社でやりなさい、こういう主張だと思うのですけれども、郵政省や電電公社が戦時災害の問題を所管する役所だとお思いですか、あるいは企業だとお思いですか。もとは戦時災害なんですよ、これは。
  61. 山高章夫

    ○山高政府委員 遺族要件の問題だけに限って申しますと、形の上では同様でございますけれども、身分関係では違っているということで、要するに、この生計維持要件の有無については、それぞれの共済組合の問題であったわけでございます。
  62. 森井忠良

    森井委員 それではお伺いしますが、軍人恩給は御案内のとおり、昭和二十一年のいわゆるポツダム勅令六十八号によりまして停止をされましたね。そして昭和二十七年に、戦傷病者戦没者遺族等援護法ができたときに、一たんこの援護法で復活をした。その後、昭和二十八年に今度は恩給法に引き継がれています。筋が通らないと思うのです。  本来あなた方は、引き継ぎ官庁がないところは、たとえば陸海軍のように引き継ぎ官庁のないところは厚生省が引き取って援護法で見ました、こう言っておるのでしょう。軍人恩給の引き継ぎ官庁は戦後、現在恩給を所管しておるところですか。総理府やあるいは大蔵省ですか。軍人恩給というサイドでいくなら、これは厚生省が引き継ぐべきでしょう。私は、筋が通らないと思う。軍人恩給がなぜ現在の恩給法に引き継がれたのか、明確な理論上の根拠を示していただきたい。
  63. 山高章夫

    ○山高政府委員 軍人恩給が復活して、軍人恩給が規定上優先するということで、自然にそちらにいったということであろうかと思います。
  64. 森井忠良

    森井委員 だめですよ、そんな答弁では。いいですか。旧逓信省の雇用人を援護法で見なさい、これは戦時災害だから。しかも、戦争中に共済組合の金から戦時災害の補償をしたのじゃないのです、先ほども指摘をしたとおり。一般会計、国の費用で、たまたま共済組合という名前をかりて戦時災害の補償をしてきた。だから、援護法で引き継ぎなさいと私がしばしば申し上げたら、引き継ぎの役所がありますというのがあなた方の理論的な根拠でしょう。軍人恩給を引き継ぐ役所が総理府でしょうか。私は、そこに一貫性がないと思う。
  65. 山高章夫

    ○山高政府委員 これは、援護法の趣旨そのものは、そういうことになっておるものですから、そういう結果になったと思います。
  66. 森井忠良

    森井委員 それでは答弁にならぬじゃないですか。そういう言い方をされると前に進みませんよ。  いままでは逓信雇用人については、はっきり引き継ぎの役所があるから、したがって、その役所でとってもらいたい、こういうことなんでしょう。先ほど申し上げましたように、郵政省や電電公社は、戦時災害まで扱う役所やあるいは公共企業体ではない。軍人恩給にしても一、これは、はっきりしておるじゃないですか。旧陸海軍の軍人に恩給は支給されていた、引き継ぎ官庁がないからということで一たんこれは援護法に入れたのでしょう。まさに筋が通らないけれども、その後恩給法の中に入れてしまった。厚生省、首尾一貫しないじゃないですか。  それじゃ、もう一つ申し上げます。例のいままで警防団や、あるいは医療従事者、長崎医大生、そういった方々に特別支出金制度というのがありまして、つまり一時金を支給しましたね。しかし、当初は厚生省からじゃないのです。警防団については昭和四十四年九月、自治省告示百四十二号で死亡者については七万円、長崎医大生については昭和四十二年の八月、文部省告示二百二十六号で同じく七万円支給されております。それが先ほど申し上げましたように、昭和四十九年に援護法で引き取ったわけでしょう。厚生省所管にされたのでしょう。引き継ぎ官庁というなら長崎医大生は私は明らかに文部省だろうと思う。なぜ援護法に入れたのですか。逆に言えば、なぜ旧逓信雇用人が入れられないのでしょうか。
  67. 山高章夫

    ○山高政府委員 ただいまのお話でございますが、これは、たとえば長崎医大生の場合におきましても、引き取ったというようなことではございませんで、旧防空法の規定によりまして、防空業務従事令書をもらって身分的な拘束のもとに防空業務に従事したという観点から見て、これを援護法の対象にしたわけでございまして、逓信雇用人の方々の場合には、これは身分的には逓信省の職員でございますし、また身分的拘束を受けていない、そういう関係にあるわけでございます。
  68. 森井忠良

    森井委員 援護局長、あなたは具体的に去年あるいはおととしと議論をされた経過を踏まえていらっしゃるのでしょう。当然、いまおっしゃったようなことでは、これは筋が通りませんよ、いま時間がないから議論できないわけですけれども。長崎医大生は明らかに文部省の所管なんですよ。だからこそ、一時金は文部省から出しているじゃないですか。そうして現在、援護法の中に含まれておる、今後がありますから、このことを明確に私は指摘をしておきたいと思うのです。  そこで、お伺いしたいわけでありますが、去年の二月二十七日、衆議院社会労働委員会におきます戦傷病者戦没者遺族等援護法の一部改正案の審議の際に、やはり旧逓信雇用人の問題がその当時与野党でも問題になりました。結局同日、与野党理事が話し合いをいたしまして、これは大蔵省も立ち合ったわけでありますけれども、大蔵省はもちろん所管ではありませんが、大蔵省も立ち合いましていろいろ話し合いをしました。結局言えますことは、先ほど言われておりますように、二度も一時金を出さなければならない、つまり年金にしたいが、法律的にどの法律を適用するか、あるいは単独立法にするか、少なくとも厚生省、それから郵政省、電電公社、さらに年金ということになりますと、共済組合等がありますから大蔵省も入るわけでしょうけれども、非常に各省間の意見の違いがある。したがって、年金化の必要は当然認めながらも意見が折り合わない。そこで与野党理事、社会労働委員長、それぞれその場で話し合いをいたしました。各省間の意見は、いまのところ統一できないけれども、年金化に向けて努力をしょう、私は、そのときこうまで言った。努力という形じゃなくて、具体的に五十一年度から実施をするためにやろうじゃないか、これは、その当時いた者が全員異議なく了承されて今日に至っているわけであります。  いまお聞きしますと、厚生省は厚生省で、郵政省は郵政省で、いまこれだけの見解の違いがあって、結局年金化がまだ実現をしておらない。六十万円と言えば、決して小さな金額ではありませんけれども、二回にわたって一時金を出さなければならないということは、明らかに年金の必要を認めたものだと思う。したがって大蔵省には、先ほど申し上げました与野党理事、社会労働委員長の話し合いを承知しておられるかどうか、この点をお伺いしたい。  それから、厚生省と郵政省につきましては、一時金ではこれは承知できないわけでありますから、したがって、もう五十一年度はどうにもなりませんけれども、予算もすでに衆議院では通過をしておる段階でありますから、新しい年度に向けて、長崎医大生あるいは陸海軍雇用人が準軍属の扱いにされたわけでありますから、そういう方向で両者話し合っていただけるものなのかどうなのか、この点明確にしていただきたいと思うのです。
  69. 梅澤節男

    ○梅澤説明員 旧逓信雇用人の問題につきましては、ただいま森井委員が御指摘になりましたように、五十一年度予算編成の過程で関係各省寄り寄り集まりまして、何らかの結論を出すということを、与野党の理事の方々お立ち合いの上でお話し合いがあったことは事実でございます。そういう検討の結果、先ほど郵政省から御説明がございましたように、五十一年度の処置といたしまして、旧事業主の立場から見舞金が、今回で二回にわたるわけでございますけれども、特例の処置ということで、そういう処置をとるということになったわけでございまして、これを年金化する問題につきましては、時間が長くなりますので、御説明は省略いたしますけれども、厚生省の所管のいわゆる援護法の体系にはきわめて乗りにくい、恐らく無理であろうという結論がございましたし、共済組合の年金につきましては、これは先ほど委員が御指摘になりました二十年の勅令のものの考え方の問題でございますけれども、私どもといたしましては、あの勅令には、給与金として、なるほど財源的には政府が負担をするとなっておりますけれども、その支給要件は、それぞれの共済組合の支給制度によるのだ、こういうふうになっておるわけでございます。したがいまして、その支給要件というのが、先ほど来問題になっております生計維持か、あるいは生計同一という要件でいいのかという問題でございまして、なるほどあの時点で確かに旧逓信雇用人の場合、国鉄等と比べますと、若干支給要件が異なっておるという面があるわけでございますけれども、反面、たとえば配偶者の要件などを見ますと、旧逓信雇用人の場合は事実上の婚姻関係でいい、一方、国鉄の方は法的な婚姻関係を必要とするというふうに、両制度の間では種々の違いがあるわけでございまして、ある点を見ますと、いろいろ問題もあるかと思うわけでございますけれども、そういう経緯もございます。  で、現時点では現在の各種の共済制度、それから恩給制度はもちろんでございますけれども、支給要件というのは生計維持ということで統一されております。そういう問題がございまして、いまの援護年金はもちろんでございますけれども、共済年金にもこの問題は非常に乗りにくい。これは私ども、関係各省にもお集まり願いまして、寄り寄り議論したのですが、どうもむずかしい。そういうことで、郵政御当局で旧事業主の立場から特例措置として今回の措置をとろうということで五十一年度の予算を計上した、こういう経緯でございます。
  70. 山高章夫

    ○山高政府委員 逓信雇用人の問題につきましては、先ほど来繰り返し御答弁申し上げておるような理由で援護法では非常に困難であるというふうに考えられますが、必要があれば各省と相談してまいりたいと思います。
  71. 岩田立夫

    ○岩田説明員 郵政省としては、五十一年度の措置としてできる限りの措置をとったつもりでございまして、これ以上の措置というものは、現段階ではちょっと困難じゃないか、このように考えます。が、なお私たちとしましても、逓信雇用人の遺族の方々の置かれた立場と申しますか、これは十分理解できるわけでございまして、関係の向きとも連絡をとりつつ、その動きには十分注意していきたい、このように考えております。
  72. 森井忠良

    森井委員 梅澤主計官、あなたはかなり中身にわたってまでいま答弁がございました。議事録を調べてみないと、さだかにわかりませんけれども、あるいは所管をオーバーした発言があったかとも思うのですけれども、いずれにしても、そこまでおっしゃるのなら、昨年の二月二十七日に、ちょうどこの遺族援護法の審議をしておる真っ最中でありましたけれども、大野委員長立ち会いのもとに与野党理事で話し合いをして、五十一年度から年金化をしようじゃないか、そこにあなたはいらっしゃったわけです。いま約束したとは申しません。本来約束したと同じだと私、評価しておりますけれども、いまここでは申し上げません。先ほど橋本委員もいみじくも言われましたように、立法府の見解と行政府の見解が違う場合に、やはり私は、諸制度等ありましょうけれども、あなた方に聞いてもらわなければならない点はある。このことを明確に申し上げておきます。この点については厚生大臣からお考えを承りたい。  それから厚生省は、先ほど申し上げました二月二十七日の与野党の合意を受けて、具体的には先ほど梅澤主計官がおっしゃいましたから申し上げますけれども、関係各省に集まってもらっていろいろ協議をなさったということであります。したがって、当然あなた方は、自分の所管だけよければいいということではなくて、郵政省とあるいは電電公社ともっと協議をして、これだけ深刻な問題です、だからこそ、一年間法制化の努力をしたが間に合わなかったということで、六十万という一時金をお出しになるわけですから、ここのところに注目をして、ぜひとも旧逓信雇用人の年金の問題について制度化できるようにひとつ努力を願いたいと思う。
  73. 田中正巳

    田中国務大臣 本件につきましては、ちょうど私、欠席をしておりまして、授護法の審議にほとんど参加しておらないわけでございますが、話は後で聞いております。ただ、授護法において措置をするかしないかということは、その人の、あるいはそのグループの勤務の実態、身分関係、そして殉職をしたときの態様等々によって決まるわけでありまして、この場合、旧共済組合法に生計維持要件がたまたまあったということから、直ちに授護法の中に入れなければならないという論理には、かなり実はむずかしい問題があろうというふうに思われるわけであります。実態はわかりますが、であるから、直ちに授護法の中で措置をしなければならないという法理につながってくるということについては、私は、なかなかむずかしい問題があろうと思われるわけでございまして、そういうわけで、いろいろ関係各省庁で知恵をしぼった結果、問題は、旧共済組合法の規定にたまたま生計維持要件があったということで、問題の処理がむずかしくなっているということだろうと思いますので、そこで一時金という便宜な措置をとったものというふうに思われるわけでございまして、このこと自体について、ずいぶん苦心をしたものというふうに思いますが、これを授護法の中でもって年金の形をとれということについては、なお多くの考究すべき問題があろうと思われます。  さようなわけで、今後検討はいたしまするが、今日の時点でこれを直ちに授護法に入れないからどうのこうのというようなおしかりを受けることについては、事態の経緯はともかくといたしまして、なかなかむずかしい問題があるということを御承知願いたいと思います。
  74. 森井忠良

    森井委員 厚生大臣、結局、生計維持要件については陸海軍雇用人と全く同じなんですよね。これは先ほど授護局長から御答弁があったとおりです。ですから私は、一歩譲りまして、援護法かどうかは別にいたしまして、そのほとんどすべてが救済をされているのに、旧逓信雇用人だけ残っておるということについては、厚生大臣、政治家として御認職をいただきたいと思うのです。だからこそ、与野党で話がそこまで煮詰まってできた。結局私は、法的な措置の問題に詰まってきておると思います。  そこで、もうすでに遺族が七十歳、八十歳という方がずいぶん多いんですよ。私の想像では、恐らくものの十年もいたしますと、もう対象者はほとんどなくなるのではないか。つまり限られているわけです。ですから、内閣法制局の藤田参事官によりますと、先に限度が見えていますから、むしろ毎年毎年のいわゆる行政措置といいますか予算措置といいますか、そういうことでもできるのじゃないかというふうな意見すら出てきておるわけです。こういった点も重要な参考にしていただきまして、たまたま本委員会がいままで舞台になっていますので、一層の御努力をいただきたいと思うのですが、いかがでしょうか。
  75. 田中正巳

    田中国務大臣 旧陸軍共済組合の問題を援護法の中で処理をしたというのは、さっき援護局長が説明をしたとおり、この人の身分関係が他の共済組合の者と違うというところが、その一方の趣旨だったと思います。ただ、逓信共済につきましては、独特な体系になっているものですから、問題が起こっているわけであります。これの措置として、いまおっしゃるような一時金を年金の形で支給することが予算措置としてできないかということについては、いろいろ問題があろうかと思いますが、一つの示唆であろうかと思います。いろいろ今後の検討の一つの参考資料にはいたしたいと思います。
  76. 森井忠良

    森井委員 すでに時間が参りましたので、この問題については、まことにお名残惜しゅうございますが、一応切らしていただきまして、一点だけ冒頭に申し上げましたので、指摘をしておきたいのですが、これは旧警防団の問題でございます。  私が具体的に申し上げたいのは、昭和十四年の四月九日に、警防団員として、下関市の風師山という山があるのだそうですか、警戒警報発令中に高射砲をそこに設置しようとして動員をされた。たまたま警戒警報発令中ですから、真っ暗な夜道を山に運んでおりますうちに、高射砲が後ずさりをいたしまして、即死なさったという方でございます。名前は門司市警防団第一分団警護員太田一夫さんでございます。ところが、法の不備でございまして、旧警防団員を準軍属に扱ったのは、昭和十六年からになっているわけであります。本件は、昭和十四年、紛れもなく警防団員として殉職をされたということでありまして、当時の町葬その他ありますし、記録によりますと、殉職が明確に確認をされています。しかし、いま申し上げましたように、昭和十六年からでないと警防団員としては救済できないということで、これは紛れもなく警防団員でありますけれども、たまたま十六年ということで切ったために、いま遺族が泣いているというケースでございます。いろいろ問題はありましょうけれども、警戒警報の発令中の出来事であり、しかも、警防団としての業務を遂行している間に亡くなって、いま何ら補償がないという形になっているわけであります。  時間の関係で具体的な措置等について細かくお伺いすることはできませんけれども、この問題について、事情はいまお聞きのとおりでありまして、非常に気の毒な状態でありますので、厚生省において何らかの措置ができないものかどうなのか、その点だけお伺いしまして、私の質問を終わりたいと思います。
  77. 山高章夫

    ○山高政府委員 ただいまのお話は、昭和十四年のことでございますが、援護法で援護の対象にしておりますのは、警防団であるという理由で実はしておるのではございませんで、旧防空法の規定によって防空従事者となっているということで対象にしているわけでございます。  それが実は、立法の不備ということではございませんで、旧防空法が改正されて、こういう方々が身分的拘束を受けるようになりましたのが、十六年の十二月二十日以降ということでございまして、したがって、お話しの太田さんについては、援護法の対象となることは、現行法の規定の上では困難ではないか、かように思っているわけでございます。
  78. 森井忠良

    森井委員 時間がありませんから一言だけ申し上げたいと思うのですが、警防団として身分的な拘束力を受けたということになると、あなたは、そうおっしゃいますけれども、同じなんですよ、昭和十四年の時点でも。そういうことになりますと、具体的に身分的な拘束力があったかどうかということが問題だと思いますので、もし身分的な拘束力があれば、ぜひひとつ再考を願いたい、このことを申し上げて私の質問を終わります。
  79. 竹内黎一

    ○竹内(黎)委員長代理 この際休憩し、本会議散会後直ちに再開することといたします。     午後零時三十五分休憩      ————◇—————    午後三時三十一分開議
  80. 熊谷義雄

    ○熊谷委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案の質疑を続行いたします。  田中美智子君。
  81. 田中美智子

    田中(美)委員 昭和四十九年の七十二国会で、旧防空法による医療従事者、警防団員、この人たちを遺族年金、障害年金の対象者に拡大をしたわけです。     〔委員長退席、戸井田委員長代理着席〕 そのときの拡大の人数というのは、伺いましたところ、遺族、障害合わせて千六百三十二名というふうに聞きましたが、いままで拡大された分は大体その程度でしょうか。
  82. 山高章夫

    ○山高政府委員 大体そのくらいの数字だと思います。後ほど正確な数字を報告させていただきます。
  83. 田中美智子

    田中(美)委員 もうちょっと声をはっきり言ってください、私、聞きにくいので。  その次に、そうしますと、四十四年、四十五年あたりですが、そのころに厚生省、自治省、文部省が、この援護法の対象者にならない人たちに特別支出金というのを払っているわけです。それは大体そのころ三千二百十六名に払っているというふうに聞いているわけですけれども、大体この人数でしょうか。
  84. 山高章夫

    ○山高政府委員 警防団に限って申しますと、特別支出金の受給者が合わせて三千三百九十八名という数字を、私ただいま持っております。
  85. 田中美智子

    田中(美)委員 そうしますと、この特別支出金の対象者になった人たちと、またそれから外れていた人たちもあったと思うのですね。そういう中からこの対象者が拡大していっているわけですね。なぜここの人数までにこないのかというところを不思議に思うわけですけれども、それは亡くなった方もあるでしょうが、しかしまだ半分にしか達していないわけです。そこら辺はどういうわけでしょうか。
  86. 山高章夫

    ○山高政府委員 これは実は細かい実態がよくわかりません、正直に申し上げまして。それから、先ほど援護法関係でどのくらい出ているかというおよその数字で申し上げましたけれども、千七百四十七名になります。大体五一・四%の人が出ておりますが、従来の経緯からいきまして、法律改正直後に出てくるというのは少なくて、比較的時間がたつにつれてだんだんふえていくという傾向にございます。これは援護法一般についてそういう傾向がございます。それから、自治省で出された場合と援護法とではケースが若干違うことがございます。たとえば亡くなられた方の場合でありますと、援護法の場合には遺族の範囲というものがはっきりしておりますが、そういう点が違うとか、そういうケースもあると思います。
  87. 田中美智子

    田中(美)委員 いろいろそういうことはあると思いますけれども、まあ年月日は一、二年ずれていますが、大体四十二年、四十四、四十五年ぐらいからこの支出金をもらっているわけですね。そうすると、それを拡大するときに周知徹底しなかったということが、結局知らないでいるんではないか、いつもそういうことが私らは非常に多いように思うのです。半分しか実際には援護法の適用になってはいないということは、いろいろ理由はありますけれども、やはり半分くらいは漏れているんじゃないかというふうに、大ざっぱに網をかけてみますと考えられる。そのためにどういう周知徹底の方法をいままでとっていらっしゃるでしょうか。
  88. 山高章夫

    ○山高政府委員 周知徹底につきましては平生非常に心を使ってやっているところでございますが、今度の場合には特に、先ほど先生のお話の特別支出金の対象者名簿がございます。各都道府県にこの受給者名簿を配付して指導するようにしている。それ以外にも通常の、団体を通じてとかいろいろなことをやっておりますが、特にこの特別支出金の受給者名簿を都道府県に送ってその徹底に努めておるところでございます。
  89. 田中美智子

    田中(美)委員 名簿を送っただけで、そちらの方の団体なんかを通じてと言いますけれども、結局団体のトップのところでとまっている、トップでなくてもある程度のところまでで、下まで行かない、それを全部団体に任し切りにする、そういうことからこういう五〇%というふうな数字になっているのじゃないかと思うのですけれども、これに対してぜひ新聞でPRするとか、まだ五、六年前のことなんですから、住所などが変わっているにしても二十年も三十年も前の話じゃないのですから、そういうところに全部はがきで知らせていくとか、そういうふうなやり方というのはできないものでしょうか。時間がありませんので簡潔にお願いします。
  90. 山高章夫

    ○山高政府委員 考えられるいろいろな方法を通じて周知徹底を図りたいと思っております。先生のただいまのあれも十分検討させていただきたいと思います。
  91. 田中美智子

    田中(美)委員 ぜひ、新聞PRとか直接本人にはがきを出すとかという形で御指導をしていただきたいというふうに思います。  次に、いま申請されていてまだ未審査のものが七百三十六件というふうに、これはおたくの方で伺ったのですけれども、これが非常にまだおくれているということですので、大至急この審査をしていただきたいということをちょっと要請しているわけです。その質問ではありませんで、この未審査のものを早く解決してほしいということです。  それで、そのときにその証拠が要るとかいろいろあるわけですけれども、これは昭和四十九年三月十七日の朝日新聞の見出しに、「遅すぎた三十年目の救済、遺族の名乗りわずか、名簿なし、すでに散り散り」というふうに出ているのです。この中で、その当時の長尾立子厚生省援護課長の話として、証拠がない場合も検討するとか、必ずしも二人の生き証人が必要と決めつけているわけではないとか、新聞を読みますと時間がかかりますが、そういう発言があるわけなんですね。こういう未審査のものでも、遺族の方たちに聞いてみますと、死んだ本人でもなかなか大変なのに、ましていまから遺族が友人や何かのつてを求めて生き証人を見つけたり証拠を見つけるということは非常に困難なわけですね。ですから、遺族の気持ちとしては、ぜひ直接に遺族の話を聞いてくれということを盛んに言っているわけですね。そういう中で信憑性があり、また多少おたくの方でも調べまして、この元の援護課長が言われたように、証拠がない場合でも検討して、大体まともらしい、うそではなさそうだということならば、こうした未審査のものをいつまでも残しておかないで、PRすると同時に、申請してきたものをどんどん処理していくという方向でいっていただきたいというふうに、これは要請したいと思うのですけれども、大臣、よろしいでしょうか。
  92. 山高章夫

    ○山高政府委員 援護法の裁定に当たりましては、できるだけ簡略化するような方向でやっておりますけれども、何分これは年金の裁定という問題でございますので、全く何もない、心証だけというのは、これはできかねることじゃないかと思うわけでございます。できるだけいろいろな資料を多角的に出していただいて、それで裁定するように努力いたしております。
  93. 田中美智子

    田中(美)委員 こういうふうに前からの課長がかわりますとやり方が違うというのじゃなくて——これは言葉だけですから、実践としてどうであったかわかりませんけれども、証拠がない場合でも、聞き取りをしたり、そちらで調べたりして、少しでも証拠に近いものがあればやるという、そういう血の通った行政をやっていただきたいというふうに思います。これほどたくさん漏れているわけですからね。数字で見まして漏れているわけですから、そういうふうにやっていただきたいと思います。  それで次に、これは太田一夫さんという方が昭和十四年の四月九日に死亡しているわけです。これはいろいろおたくの方で断られているケースですのでよく御存じだと思います。この人の場合にははっきりこうした令書があるのです。昭和十六年十二月二十日、大東亜戦争が始まった真珠湾攻撃の後ですね、そこを境にして前後で区別しているようです。そうですけれども、この場合に太田さんはちゃんとした証拠品としてのあれをもらっているわけですね。辞令を、令書をもらっているわけです。それから、その令書のあるものはというところで境を区切っているようですけれども、十六年十二月二十日前にも令書が出ているわけですね。それは御存じでしょう。御存じですね。
  94. 山高章夫

    ○山高政府委員 ただいまのは私ちょっと目が悪くてよく見えませんが、警防団員に任命する辞令であろうかと思います。援護法の場合には、防空従事令書というものを本人に交付して、そして防空業務に従事させるというのがたてまえになっておるわけでございます。
  95. 田中美智子

    田中(美)委員 そうすると、昭和十六年前には出していませんか。
  96. 山高章夫

    ○山高政府委員 はい。
  97. 田中美智子

    田中(美)委員 そうすると、これは門司市の警防団ですよ。「班長ヲ命ズ」と書いてありますね。それからこういう人のもあります。これも「警防団部長ヲ命ズ 警視庁」こういうふうに書いてありますね。こういう令書があるわけですね。こういうのは全部無効ということですか。
  98. 山高章夫

    ○山高政府委員 有効、無効ということじゃございませんで、警防団の団員に任命するという辞令であろうかと思います。私の申し上げておりますのは、旧防空法の六条の規定によりまして防空業務に従事するという令書をここに出しておるわけでございまして、それによって初めて防空法による防空業務に従事した、何といいますか、身分的な拘束を受けて従事したということになるわけでございまして、そこの違いでございます。
  99. 田中美智子

    田中(美)委員 そうしますと、いまあなたのおっしゃっていることは——大臣もよく聞いていてくださいよ、現状をよく見ないとわからないのです。紙切れ一枚ですが、これは警防団となっていますから、これは警防団の班長ですから防空に従っていたということですけれども、そういう防空にという言葉がないとだめだ、こういう言い方ですが、第一、この人は、もうよく御存じのことだと思うのですけれども、昭和十四年の四月二十一日の大阪朝日北九州版というのに「未亡人と遺児 涙誘ふ焼香 初の門司市警防団葬」、そしてこれは防空に従事していたということはもう事実なわけです。そのときの写真もありまして、あなたは目が悪くてごらんになれないかもしれないけれども、大臣見てください、そのときの警防団葬をしているわけです。これが防空に従事してないと言われるのですか。それから、こういう「殉職ノ状況」というので、この太田一夫君は「警戒警報下命ノ為メ出動任務二従事中特命ヲ受ケ団員百五十名ト共二」というふうにして、運搬作業中に事故を起こして亡くなられたわけですね。そうすると事実としては、こうした証拠品が全部、防空業務に携わっていたということ、自分が勝手に好きで行ったのではなくて、こうした令状をもらって、そして携わっていたということは数々の証拠があるわけです。それからもう一つ、ここに弔辞というのがある。そのときの弔辞を写してきているわけですけれども、ここでは「謹んで英霊太田一夫君に告ぐ」というふうな、こういう弔辞が読まれている。  これだけの証拠品がたくさんあって、事実防空に携わり、そしてそこで殉職をしていらっしゃる、それでも昭和十六年十二月二十日以後でなければ、以後防空に携わったという令書がなければ年金はもらえないということですか。大臣もはっきりそこのところあれしていただきたいと思うのです。机上の空論じゃないのです。事実、生きた人間なんです。お願いします。
  100. 山高章夫

    ○山高政府委員 現行の援護法の規定によりますと、警防団に属していてその業務で亡くなった場合に適用するというたてまえじゃございませんで、旧防空法の規定によって防空従事令書なり何なりもらって、それで防空業務に従事した方を援護法の対象にするという仕組みになっておるわけでございます。
  101. 田中美智子

    田中(美)委員 あなたのお答えはもう結構ですので、大臣にもう一度聞きます。  防空に従事したという昭和十六年以後の令書がない限りは、その前は、防空に従事し、実際に殉職をなさり、そしてこういう数々の証拠品、そのときの写真から何からすべてあっても、それでもこれは該当しない。その上に、先ほどから言いましたように、大まかに網をかけますと三千人を超すこの援護法の対象者があるであろうというのに、この人たちは、PR不足であろうと思うのですけれども、そういうものを知らないためにたくさん落ちこぼれがいるわけですね。そういう者に対しては払わない。あなたの言う十六年以後の令書をもらった人がたくさん落ちこぼれている、それはもらわない。これほどはっきりした人が、そしてもう奥さんが非常に老齢化して生活にも困るのだ、そういう人に対してそれを救うという道はないのですか。そこのところを私は大臣に聞きたいわけです。
  102. 田中正巳

    田中国務大臣 いま援護局長がるる申し上げていることは、援護法の二条の三項七号に該当するかどうかということをいろいろ議論しているらしいのであります。七号じゃ私は無理だろうと思います。しかし、その他の条項を駆使して何とかなるかどうか、これは検討してみたい、かように思います。
  103. 田中美智子

    田中(美)委員 それでぜひ検討していただきたいのは、この太田一夫さんと、それからもう一人、小橋潔さんという方がいます。これはもう御存じだと思いますけれども、この方も昭和十六年十二月八日以前に死んでいる。この人は一月二十二日に死んでいるのですね。ですから、やはりいまおっしゃったような形でひっかからないわけですけれども、そういう意味で断られているわけです。現在この奥さんの房子さんというのは六十二歳になっているわけですね。ですから、こういう境目のところで何とか救う道がないのか。法律一本で、紙に書いてあったか書いてないか、それが何カ月違うかという形でこういう人たちが出てきている。現に非常に本人たちは援護法を適用してほしいということで何遍も足を運んでいるわけですね。それはもうたくさんの数じゃないわけですから、それくらいのことは救えるのではないかというふうに私は思いますので、この二人の分をぜひ検討していただきたいというふうに思います。
  104. 田中正巳

    田中国務大臣 よく実態を調べまして研究をいたします。必ず出すという意味ではございませんで、聞く耳持たないという意味ではないのだということで、ひとつ研究をさせていただきたい、こういうことでございます。
  105. 田中美智子

    田中(美)委員 少しいやがらせというわけではありませんけれども、同じあの戦争中に軍人であった人たちは恩給をもらっているわけですよ。同じように、国にいて警防団員として命令を受けて出てきている人が、日にちのちょっとのずれによって、令書があったかないかということで、実際はちっとも変わらないのに、片方は恩給をもらい、遺族年金ももらっている。その上に、私としてはどうしてもおさまり切れないのは、戦争犯罪人ですね。戦争犯罪人が、岸さんのような人まで、これは二百六十万、二百八十万という大きな年金をもらっている。人によっては三百六十万円もの年金をもらっているわけですね。こういうことをして、一般の兵士はその十分の一、二十分の一というふうな少ないものです。いま私はこれをどうしてくれと言っているわけではありませんけれども、こうした戦争犯罪人までもらっていながら、その犠牲者の人たちを、こういう問題がちょっと外れているからといってこれが救えないということは、どう考えても私としては納得いかないし、本人たちも納得いきませんし、それから、戦災犠牲者遺族の会という会ができていますが、この会の人たちというのは非常にそれを言うわけですね、納得できないと。もう少し愛情のある特例というものがあってもいいのではないかというふうに思うわけですので、ぜひこれを検討していただきたいと思います。  それから、これは太田さんの奥さんで太田アヤ子さんという人が私のところへ届けたんですけれども、「厚生大臣様」という長い手紙を書いております。いま私が話したようなことが書いてありますので、一度大臣みずからそれを読んでみていただきたい。そして、その基準に達していないのはみんな切ってしまうのだ、言ってこないのはみんな知らぬ顔をして払わないのだという形でなくて、数が少ないのですから、何とかひっかけてやろう、準じてやろうというぐらいの考え方をぜひ持って、この問題を慎重に検討していただきたいと思います。  くどいようですけれども、大体いつごろまでかかりますでしょうか。いつごろにその結論がわかるでしょうか。
  106. 山高章夫

    ○山高政府委員 いまの太田さん、それから小橋さんとか——小橋さんについては私どもただいまよく存じませんが、十分調べて先生に御返答したいと思います。
  107. 田中美智子

    田中(美)委員 私の質問に答えていただきたいのです。何日ぐらいその検討時間がかかるか。また一年も二年も三年もというふうに検討されていますと、もうお年寄りですので、やはりできるだけ早くしていただきたいので、何日ぐらいあったら検討していただけるでしょうか。
  108. 山高章夫

    ○山高政府委員 できるだけ早く、できれば来週にでも御返事したいと思いますが、何分これはむずかしい問題であろうと思いますので、中間にでも御連絡申し上げたいと思います。
  109. 田中美智子

    田中(美)委員 じゃお願いします。  その次に、沖繩開発庁の方にお尋ねしたいのですけれども、昭和四十九年に、那覇市の排水溝護岸工事をしているときに旧日本軍の地雷が爆発しまして、四人死亡、三十二人が重軽傷を負ったということがありました。このときにどのような対策をなさったのでしょうか、簡潔にお話し願いたいと思います。
  110. 瀬沼勤

    ○瀬沼説明員 お尋ねのただいまの事故につきましては、事故の後に政府の関係機関が集まりましていろいろその措置について協議をしたわけでございますが、結局、沖繩開発庁が災害の事情その他いろいろ調査をいたしまして、しかるべく適当な措置をできるだけ早くとるということで、結論的に申しますと、四十九年の末に総額で一億六千万余の見舞い金ということで、被災者の方々にお渡しをしたわけでございます。
  111. 田中美智子

    田中(美)委員 そうしますと、これと同じ事故ですが、相模原市の古川直繁さんという方で、いま相模原市で文房具屋をしていらっしゃる方です。この方は那珂湊の海岸の旧日本軍の不発弾にやられまして障害者になられたわけですね。この診断書やそういう証拠などは全部そろっています。この人がこの新聞を見まして、事故としては自分と中身が同じだけれども、ここの那覇市で事故に遭った方は見舞金をもらっているけれども自分はもらっていないのだというので、どうしてなんだというふうに言ってこられているわけですが、それで私はこの訴えを聞きまして、もっともだ、人数が多い場合には支払われるけれども一人ではだめだというのでは、これはおかしいのであって、そういうことから、なぜ沖繩県の場合に払われたのか、その根拠をお聞きしたいというふうに思うのです。それは大臣にお開きしたいと思うのです。これは閣議決定をしているようですので、大臣としてどういう根拠でもってこういう場合には見舞い金を出すというふうに決定なさったのか、その根拠をお知らせ願いたい。
  112. 瀬沼勤

    ○瀬沼説明員 私からかわって申し上げますが、実はこれは政府部内でも責任論をめぐりまして、法律的にどうかということでいろいろ議論があったわけでございます。国家賠償法による賠償責任があるかどうかというようなことも非常に問題になりまして、あるいはこれは市の下水道工事でございますが、国あるいは市あるいは県、それぞれどういう責任があるかということでいろいろ議論が行われたわけでございますけれども、なかなかこれは政府部内でもいろいろな意見がございまして、そして国家賠償法をはっきり適用できるという結論を得るまでには至らなかったようです。それで、かたがたその被災者の状況などから、しかもそういう旧日本軍の機雷と推定されるという話があったわけですが、そういうようなことで、特に沖繩の方々は非常に苦労をされておるわけで、こういう事故に遭われて、われわれとしてはできるだけ手厚い措置をできるだけ早く行いたいということで、名前はそういうような経緯からいたしまして見舞金ということになったわけでございますけれども、実質的にはただいま申しましたように……。  それからちょっと補足いたしますが、ただいま一億六千万余りと申しましたのは、これは物的な損害も含んでございますが、とにかく相当厚い、単なる見舞金ということじゃなくて、中身的には相当厚いものにしたというような次第でございます。
  113. 田中美智子

    田中(美)委員 私がいま根拠を聞いていますことは、先ほどの太田さんの場合にはこれだけのいろいろな、現状では間違いなく防空に従事していてけがをしたのだということがわかっていても、法的に令書がない、十六年以後の令書がないということでそれでだめになった。しかし、この沖繩の場合には、沖繩開発庁のやったことは非常にりっぱなことだと思うのですね。根拠がなくて、どうしたらいいか、いまの法的にはこれに対して見舞い金というか補償金を出すことができない、できないけれども、現状は余りにもお気の毒だということで、そしてこういう特別な措置をとった、根拠もはっきり出せなかった、そのままで出したということ、これは政治として非常に人間的なやり方だと思うのです。私はそういうふうな政府のあり方であってほしいというふうに思うのであって、払ったことがけしからぬと言っているのではないのです。こういうふうな考え方で接していただきたい。これが本当に血の通ったやり方だと私は思うのです。いま、沖繩の方は非常に御苦労もなさったし、現場も非常にひどかった、こういうふうに言われますけれども、古川さんの場合も非常に重傷を負っていらっしゃるわけですね。そういう点では私は同じではないかというふうに思うのです。そういう点で、この古川さんの場合をどういうふうに考えられるか。ぜひ沖繩と同じような考え方をしていただきたいということで、大臣にお伺いしたいと思います。
  114. 小林功典

    小林説明員 ただいまのお話の不発弾の事故による賠償あるいは補償という問題でございますけれども、この問題は、いまも答弁の一部にございましたように、たとえば砲弾がその当時どういうふうな状態に置かれていたか、またどういう管理のもとに置かれていたか、あるいは被災者が事故に遭われました際に、どのような目的でどのような方法で取り扱ったかというふうな問題あるいは仮に管理者の方に過失等の責任がある場合でありましても、それと事故との間に相当因果関係があるかどうか、いろいろな法律的な問題がございます。この問題は、お聞きするところによりますと、たしか昭和二十年八月、終戦直後のお話でございますので、私どもの方にも記録はございませんけれども、やはりそういういろいろな要素を総合的に判断いたしまして、ケース・バイ・ケースで処理せざるを得ないだろうというふうに考えます。  先ほど沖繩の問題が出ましたけれども、沖繩の場合には、御答弁にもありましたように、地方公共団体が行っている下水道工事の最中に起こったという点、それから、沖繩は御承知のように全島が戦場になったという特殊性も恐らく考慮されただろうと思いますけれども、そういう問題とちょっとこの場合はケースが違うのではなかろうか。むしろ類似のケースとしましては、新島事件と申しまして、新島の海岸に打ち上げられた不発弾を中学生がたき火の中へ投入しまして、それで爆発事故を起こしたというケースがございました。これと非常に近いだろうというふうに思っております。ただ、これは現在東京高等裁判所で裁判が係属されておりますものですから、その訴訟の経緯等も見ながら研究をさせていただきたい、このように思います。
  115. 田中美智子

    田中(美)委員 その新島の問題もよく存じておりますが、国は一審で敗訴しているはずですね、その問題は裁判所でも。子供がいたずらをしたかどうかわかりませんが、いたずらできる場所にあったということですね。この人の場合はいたずらでも何でもないですし、そういうところに不発弾が転がっていたわけですから、それにいたずらをしてやったわけではありません。そのときの証明書など何人もの連名で、そのとき診察した医者の診断書から、それを目撃した人のものもあるわけです。そういう意味で、ケース・バイ・ケースとおっしゃいましたけれども、私は、沖繩県の場合とこの場合はそんなに変わらないというふうに思います。新島の場合も、確かにまだ裁判中のようですけれども、一審では国が敗訴しておりますので、そういう点でこの問題を慎重に検討をしていただきたいというふうに思います。大臣、お答えいただきたいと思います。
  116. 田中正巳

    田中国務大臣 この二十年八月二十四日の事件はどういう状況で起こったのか、実は私知りません。よく事案を調べてみなければならぬと思います。同時に、不発弾の爆発事故問題は厚生省の所管ではございません。したがって、事情をつまびらかにいたしませんけれども、沖繩開発庁の方の御答弁を聞きますと、沖繩という特殊な事情をかなり政治的に加味したもののようでございまして、この措置が二十年の事件に直ちに援用できるかどうか、これは相当問題があろう。いずれにいたしましても二十年八月の事案について調べてはみます。
  117. 田中美智子

    田中(美)委員 十分にお調べいただきたいと思うのですけれども、やはり大局から見れば、確かに沖繩は全島で非常に激しい戦闘の行われたところで、特殊な事情があるということは十分にわかります。しかし、個人個人で考えた場合に、それでは個人としてその人がどのように戦争のあれにあったかということを考えますと、これは必ずしもそういうふうには言えないというふうに私は思うのです。そういうことから見まして、この古川さんの問題をもう一度お調べいただきたいというふうに思います。それはよろしいですね。十分にお調べ願いたいと思います。
  118. 田中正巳

    田中国務大臣 私の申したのは古川さんの事件の内容を調べてみたいということでございまして、調べてみるからといって、沖繩の事件の延長線上にこれを置けるかどうかというのは別問題でございます。
  119. 田中美智子

    田中(美)委員 十分にお調べになって御返答をいただきたいというふうに思います。  それから三番目に、これは前田和博さんという方ですけれども、この人は国民学校の高等科、いまは中学になっております。この高等科にいるときに、校長からの指示で勤労動員の作業中、まきを伐採しているときに非常にひどい障害者になっていらっしゃるわけです。これが結局申請しても却下されてしまい、そして異議申し立てをしているわけですけれども、今日、一年過ぎてもまだそれに対する回答がないということが私の申します第一点です。なぜ一年たっても放置しているのかということで、私はいましつこく、何日ごろに返事をくれるのかと言っているのですけれども、これは異議を申し立てるのが間違っているというのならば、もっと早くこれを回答していただきたいということがまず一点です。  それから第二番目は、これを却下している中で、発令者が知事か文部大臣のいずれかでないとだめだ、こう言っているわけですけれども、この当時の日誌が学校にあるわけです。現在、そこの学校の校長先生がはっきりと、これは勤労動員の作業中に負傷し、身体障害者となったものであるということを、いま熊本市立京陵中学校の塩津さんという校長先生がそうした陳述書を書かれているわけですね。かつての写しを私のところに送ってこられたわけですけれども、これに、昭和十九年十月二十日から二十年一月二十七日まで勤労動員をしていたのだと、いまの校長先生は言っているわけです。そのときの日誌なんです。これに当時の校長先生の判こも押しているわけですけれども、この日誌の写しの中にメモが出ているわけです。これに、「勤労動員につき」ということが、朝会の訓辞で校長先生が話しているということがメモとして現在も残っているわけです。これをコピーして私のところに送ってこられたわけです。そうすれば、校長先生の指示でもって、いまで言えば中学一、二年の子供が山に伐採に行った、勤労動員として行ったということであれば、この準軍属に適応するのではないかというふうに私は思うのですけれども、この点はいかがでしょうか。二点あります。
  120. 山高章夫

    ○山高政府委員 ただいまの前田和博さんのお話でございますが、昨年の暮れに御本人が援護局に来ております。そこでいろいろ異議申し立ての内容についてお話を聞いたり、提出されている資料の不十分な点、そんなところをお話ししておりまして、その結果、御本人が傷を受けられた当時、学徒勤労令による動員学徒と見るにはなお資料が不十分であったわけであります。私どもの方は同時に、熊本県を通じて昔の熊本国民学校に保管されている資料について照会して、いま先生の書類も実は提出がございます。そういうものを現在検討しておりまして、さらに文部省の当時の資料と突き合わせてみて、それでどちらになるか、いまのところははっきりしませんが、裁定に持ち込むようにいたしたいと思っております。
  121. 田中美智子

    田中(美)委員 しつこいようですけれども、きっちり何月何日と言わなくてもいいですけれども、できるだけ期限をある程度切ってお返事いただきたいのです。一年もまたずっと放置されないように、大体どれぐらいかければそういう突き合わせやあれができるのでしょうか、おたくの方で。
  122. 山高章夫

    ○山高政府委員 これは不服申し立て、異議の申し立てでございますので、援護審査会の意見を聞かなければいけないことになっておりますので、援護審査会は月に一回開かれておりますので、援護審査会にお諮りして、意見をちょうだいしてから先生に御連絡申し上げたいと思っております。
  123. 田中美智子

    田中(美)委員 そうすると、月に一回ということは、どんなに長くとも一カ月以内にはこれのお返事をいただけるということでしょうか。
  124. 山高章夫

    ○山高政府委員 文部省との書類の突き合わせが終わった後、援護審査会に諮ることになりますので、その辺御了承いただきたいと思います。
  125. 田中美智子

    田中(美)委員 それでは大体その見当でお待ちしておりますので、ぜひお返事をいただきたいというふうに思います。  それから最後に、太田さんの問題で、もしお入り用な資料がありましたら、要請していただければ、写真なり弔辞なり全部私が持っておりますので、ぜひ要請していただきたいというふうに思います。よろしくお願いします。  これで質問を終わります。
  126. 戸井田三郎

    ○戸井田委員長代理 寺前巖君。
  127. 寺前巖

    寺前委員 戦傷病者戦没者遺家族援護法、私もこれで国会で何回か法案の審議に参加をしてきましたけれども、どうもこの法律はよくわからぬというのが、申しわけないけれども率直な私の実情です。一体、この法律は戦後何回改正されたのでしょう。毎回毎回、単に数字が変わるだけではなくして、制度の年限や部分的な改正がいっぱいあるので、要するによくわからぬようになるのですよ。そこで、一体戦後何回改正があったかということと、こういうものはわかりやすい手引きのようなものをつくってもらわなければ、私、国会に六年半おって、道で聞かれても、あるいは事務所で聞かれても、ぱっと即答しかねる。そこで、すぐ相談に乗り得る、また、家族の方からすれば、それを見て自分で整備して自分の持っている権利を行使することができる、そういうようなことを親切に考えなければいかぬなと、私は自分が勉強不足だから言うわけじゃないので、率直にそう思うのですが、大臣いかがですか。むずかしい話は別にして、まず……。
  128. 田中正巳

    田中国務大臣 大変同感するところが多いので、先生、六年と言うのですが、私、二十一年、実はこんなことをやっているのですが、やはりどうもよくのみ込めない部分が多い。大体、規定を見ますと、いろいろあるようでございまして、この種の法律というのは、制度の骨子をなすものと、例外規定みたいな、要するにレアケースをいろいろ書いておるのとごっちゃになっておりますものですから、なかなかわかりにくいということだろうと思います。要するに、本当の骨組みについてはそうむずかしいものではないようでございますが、しかしまた、恩給法との関連もあり、のみ込みが非常にむずかしい法律であることは事実であります。私もかねがね援護局に対し、骨子だけでもひとつ何とかこれがわかるようにできないかということを言って、ある程度のものはできましたが、使い物になるものはなかなかできないというのが実情のようでございます。寺前先生のおっしゃることは私にもよく腑に落ちますから、今後とも努力してみたい、かように思います。
  129. 寺前巖

    寺前委員 大臣がああいうようにおっしゃっているのですが、局長さん、これ、早急に何かちゃんとしたものをつくれませんか。何か計画でも持って、いつごろまでにこんなものをつくりたいというようなものがあるのか、いや、いま大臣から言われたからこれから考えますというのか、ちょっと、どんなことを考えておられるのか、聞かせてもらいたいのです。
  130. 山高章夫

    ○山高政府委員 ただいま先生から、援護法が非常にわかりにくいというお話でございますが、援護法は戦後、政令、省令合わせますと、恐らく三十数回の改正があったと思います。その都度いろいろ仕組みが追加されておりますので、非常にわかりにくい。これをまたわかりやすいようにすると、落ちがあったり、事務上使えないようになったりということで、実は悩んでおるわけでございますが、大臣もわかりやすい骨子をつくれとかねがね言われておりますので、概観できるようなものをひとつできるだけ早く整理してみたいと思っております。
  131. 寺前巖

    寺前委員 本当に役に立つように一日も早く改善をしてほしい。特に、戦後三十一年間たっているだけに、戦争犠牲者の方々も、家族にしてもかなり老齢化してきています。それだけに一日も早くお役に立つようにするためにも、さきの質問じゃございませんが、わかりやすいものを早急につくっていただくことを繰り返しお願いしたいと思います。  次に今度は、申請を出した場合、親切に扱ってもらうという問題です。これがまた大変な問題です。さっきもずっと何人かの話を具体的にお出しになっておりましたけれども、本当にそういう問題があると思うのです。  私のところによく手紙が来るわけです。いまここに持っておりますのは、岩手県に住んでおられる斉藤義雄さんです。昭和二十年に陸軍の研究所に勤めておられて、その工員として、軍属ですね、広島に八月六日に軍の命令で出張しておったというのですよ。そこで被爆して障害を負って、昭和二十四、五年ごろ、公務上の疾病だということで障害年金を申請した。厚生省から、障害が軽過ぎるのでという理由で却下通知が来た。その後、斉藤さんは再び病状が悪くなって、昭和二十九年岩手医大に入院、生死の間をさまようという状態になった。これだけ病状が悪くなってもなお却下するのだろうか。昭和四十八年五月ごろに第二回の申請を出した。しかし再び却下通知であった。今度の却下理由は、さすがに軽いとは言えなくなってしまった。なぜかというと、認定被爆者、肝機能の障害者であるわけですよ。ですから軽いということは言えなくなったので、次には軍との命令関係が明確でないという理由になってき、岩手医大の病床日誌を持ってこいということになってしまった。  きわめて明確なことは、これは調べたらわかるのだが、本人が軍属であるということをちゃんと言っているのだし、公務で広島に派遣されているということも明確だし、障害の程度も、認定被爆者であるという事実から見てもかなり重いものであるという、いずれにしても要件はそろってきていると思うのですよ。ところが問題は、ああやこうや言われて本当にいや気が差してしまったという事態が生まれているというのが斉藤さんの率直な意見であるわけです。そういう意味では、こういう制度があっても、その制度がいろいろの理屈がついてあいまいにさせられて長年放置されていく、こういう事態が生まれている例というのがかなり多方面にわたってあるのではないか。ですから当然、認定被爆者でもあるこういう人々に障害年金が支給できるように、この対応をもっと親切にしなければいかぬのじゃないか、こういう手紙が私のところに一通来ています。  それからさらに、ことしの四月十日付、広島県の人からも、一昨年旧防空法による防空従事者をこの法の対象にするようになった。ところが、防空従事者であった夫が昭和二十八年三月二十八日に死んだ、あるいは五月二十三日に死んだ、そういう方々の家族が裁定の申請を出したわけですが、遺族年金の支給の申請の裁定業務が非常におくれて一年もたつという問題が手紙で来ているわけですよ。  一体、こういう裁定業務というものはどうなっているのだろうか。一年間も待たせておいて、そしてそのあげくの果てはだめでしたと言われたときの気持は一体どうなんだろうか。たとえば、県だったら県で事前に必要最低限の書類をぱっと指導してあげて、そして最短距離でもって審査するという体制をもっとまじめに研究しなければいかぬのじゃないだろうかということを、つくづくこれらの事態から感ずるのですが、そこで現在の法律の、行政のあり方の問題として改善点はないのか、あるいは改善するとすればどこをどう改善したらいいと思っているのか。こういう事態に対して速やかに改善する方向をこういうように考えているんだということをひとつお述べをいただきたいと思うわけです。  このことは、昨年の七月に日本遺族会が「昭和五十一年度政府予算編成に対する戦没者遺族の処遇改善に関するお願い」の中でも、一番最後にこう書いてあります。「裁定手続きの簡易化をはかっていただきたい。とくに、軍務に服したことが明らかであるが、傷病等について、資料、証明等の入手が困難で却下されている遺族について、戦後三十年の実情を考慮し、特別措置により救済していただきたい。」全国の遺族の方々の声として、こういう要求で厚生大臣のところにお願いが出ている最後の締めくくりの言葉であります。     〔戸井田委員長代理退席、委員長着席〕 私は、現実にある法律がお役に立つようにするためには、行政機関が本当に真剣にこの声に耳をかすべきだと思うのですが、このことに対してどういうふうな改善をされようとしているのかをお聞きしたいと思います。
  132. 山高章夫

    ○山高政府委員 援護法の運用の問題になるわけでございますが、申請から裁定までの期間が非常に長くかかる、この点については、私どももその都度手続を簡略化するとか、いろいろやっておりますが、何にいたしましても何らかの資料がなければならないわけでございまして、そういう点が一つの悩みの的でございます。お話のように都道府県なりなんなりの窓口で十分指導していただくのが一番いいわけでございまして、そういう点からいきまして、毎年法律の改正の都度、都道府県の職員に、ブロックごとに研修会をやるとか、そういった努力を積み重ねてきているところでございます。何分、援護法の関係の職員がすでに三十年、このベテランの職員の方々がそろそろ職場を去るような時期になっておりますので、そういう点も考慮しまして、先ほどのお話のしおり等も含めて、第一線において十分その辺、申請者にお手伝いできるような仕組みにしてまいりたいと思っております。
  133. 寺前巖

    寺前委員 一般論としてはそうなりますけれども、正直言って、一年もかかっているというこの事実に対してはどうします。そんなことはあり得ない、問題はここにあるんだというふうに明確にお答えできるのだったらその点を明確にされたらいいし、いずれにしても一年近くもかかるという事態が現実の事態だとしたら、少なくとも三カ月以内には解決するようにする、そのためにはこういう体制をやることによってできますとか、明確に改善方向が打ち出されなかったならば、一般論、改善を検討しますだけではこの問題は解決しないだろう。現に遺族会の方々が提起しておられるのは、裁定手続の簡易化という問題まで提起しておられるのですから、はっきりとこれに対する対応を言われるべきだと思うのですが、改めてもう一度聞きたいと思います。
  134. 山高章夫

    ○山高政府委員 一年という、いまの斉藤さんとかそういう具体的なケースについて私調べておりませんが、現在のところ、障害年金等につきましては、請求を受理してからおおむね三カ月ないし六カ月以内で裁定しておるところでございます。中には、現在の障害あるいは死亡原因の公務性について顧問の医師の判断を要するなどむずかしい問題もあったり、あるいは添付書類、これは簡便化しろというお話でございますが重要な書類の整備のために時間を要するような場合もございます。しかしながら、御遺族がだんだん老齢化してまいりますので、そういう点はできるだけ簡略化して早く裁定ができるように努めたいと思っております。
  135. 寺前巖

    寺前委員 できるだけという言葉でなくして、最低三カ月だったら三カ月の間に解決するのを基本とするとか、そしてそれにふさわしい体制はこうするとか、きちんとひとつ検討してください。そして、こういうことが二度と批判の対象にならないようにしていただくということが私は大切だと思いますので、特に大臣にひとつ指導をよろしくお願いしたいと思います。  そこでその次に、これもよくわからぬ話なんですが、今回の法改正で、再婚を解消した妻に対する再婚解消時期の延長がなされている。改正前は昭和二十一年二月一日から二十七年四月二十九日であったものを、二十八年七月三十一日までに延長した。これは何かと言ったら、軍人恩給の復活との関係だ、こういうお話でした。ところが一方で、養子縁組の場合には昭和三十年までということになっている。離婚の話とこっちの話とでは何でこんなに日が違っているのか、その根拠は一体どこにあるのだ、よくこれも理屈がわからない。どうせするのだったら全面的に同じように扱ったらいいのと違うのか。なぜ同じように扱えないのだろうか。  私はこういう手紙を京都の宮津市の字喜多、天神団地の三十七号の藤原さんという方からもらった。「私は戦争未亡人でありながら、何の恩典も得ておりません。再婚したからお金はやらないということですか、他の再婚している人も恩典を得ている人がたくさんあります。私は腑に落ちません。私たちのような人が何百何千とおります。再検討していただくことを切にお願いします。私も神戸の県庁に訪ねて確認をとりましたところ、私のような者ばかり一緒になって府庁へ行って話し合ってもらえと教えてくださいました。」というようなことで、この人は要するにいま問題になっています養子縁組の場合の三十年の段階に離婚をするという事態が生まれている人なんです。そうすると、二十七年までだったら、あるいは二十八年までだったらその離婚の場合は対象にする。何で二十九年だったらだめなんだ、養子縁組の場合だったらいけるのだ。きわめて不合理な諸関係が生まれている。社会生活の中で不合理ほど気のまずいものはないわけです。そういう意味で、直すのだったら何で同じようにできないものなのだろうか。  それで、先ほども申し上げました遺族会の、去年の七月の厚生大臣に対する「戦没者遺族の処遇改善に関するお願い」の中にも、やはりそれに似たようなことが書いてあるのです。「再婚解消の妻に対する遺族年金等の支給についての期間を延長し、昭和三十年六月三十日までに再婚解消した場合にも、遺族年金等を支給していただきたい。」というふうに、やはり不合理の問題について指摘があるわけです。何でそういう不合理の問題を解消されないのか。恐らく、地方でさえもこうやって話が来ているくらいですから、あなたのところにはいっぱい来ているだろうと思う。私は、その辺は不合理でないとおっしゃるのだったら、どこに不合理性がないのかを説明していただきたい。
  136. 山高章夫

    ○山高政府委員 再婚解消の期限を援護法の施行の前日から恩給法の復活の前日までやりましたことは、実質的な戦傷病者、戦没者の御遺族の処遇がそのときをもってはかられた一つの区切りであるということで、その日をもってするのが再婚解消妻の実質的な処遇に当たるものであるということで今回お願いしておるわけでございます。また、養子縁組解消についてでございますが、これはお話しのとおり昭和三十年六月三十日でございますが、これは三十年の改正法附則第六項、この法律の公布施行の日でございまして、公布施行の日までに解消された者というぐあいになっておるわけでございます。これは、子供の場合には戦没の当時非常に幼少であって、いろいろの事情があって養子に行って、その後解消された。解消されても、本来戦没者の子供であるということで法律制定の日までということにしたわけでございまして、妻の方は、本来再婚した場合には援護法の対象にならないわけでございますが、軍人恩給の停止の際、非常に生活上困窮に陥られたということで、実質的な処遇の開始をされる前に再婚を解消しているという場合には、再婚がなかったものとしてこれを援護法の適用の対象にするということであったわけでございまして、日にちの食い違うのはいま申し上げたような理由でございます。
  137. 寺前巖

    寺前委員 時間が来ておりますのでやめますけれども、正直言うてようわからぬですよ。どうせめんどうを見なければならないという法律をつくろうというんだったら、養子縁組であろうと離婚  であろうと、同じようなときまでやったらいい。その時期は、そこがどういう時期かというそれなりの根拠は確立するにしても、一日違いで、それでは何で私は一日であかんのですか、こう言われたら、それも根拠のない話になると思うのです。そういう意味では、一定のどこかで線を切らなければならぬという問題として処理をされるのでしょうけれども、いずれにしたってアンバランスがあるということは社会的に気まずい思いがあるという問題について、遺族会の方々が提起しておる問題について、よく研究をしてもらうということをもう一度提起したいと思います。  あわせて、私は最後に、これも遺族会の方々がこういう問題を提起しています。「特別弔慰金の支給される遺族の範囲について、三親等の親族まで支給されるよう範囲を拡大してください」という問題が来ています。これは遺族会の申し出の中にあります。私のところに請願書で来ている文書の中にも、私はきょうだいで墓守をやっているんだ、せめてこのくらいのものは考えてもらえぬのかという形の請願書が出てきております。実際、戦死した諸関係の人々といえば、遺族の場合には必ずしも子供だけじゃなくして、あるいは親だけではなくして、そのきょうだいによって墓守のめんどうを見ていくという実態も現実には起こっているのだろうと私は想像することができますよ。とするならば、この問題についても、遺族会の方々が真剣に提起しておられる問題に対して率直に検討すべきだと思いますが、もう時間が来ましたので私はやめます。  大臣に、これらの昨年の夏に提起されている遺族会の申し出について真剣に検討してくださるかどうか、その点をお伺いして質問を終わりたいと思います。
  138. 田中正巳

    田中国務大臣 いろいろ問題が提起されていれば、われわれは検討いたします。  再婚解消妻につきましての議論についてはいろいろあります。養子縁組の解消と同じにすべきか、違うべきか、これはいろいろ問題のある点でございます。再婚した者については恩給法上これを遺族にしないということが明治以来の原則であったものに、これはわれわれが国会議員になってから例外をつくったわけでございまして、いまの日本の法制上は相当思い切った措置をとったわけでございまして、そうしたことを踏まえてみるときに、いろいろな国民感情上の問題もあり、いろいろ検討はいたしますが、なお慎重に対処いたさなければならないというふうに思います。
  139. 山高章夫

    ○山高政府委員 特別弔慰金の問題については、遺族会のいろいろな御意見もございますので、慎重に検討してまいりたいと思います。
  140. 寺前巖

    寺前委員 終わります。
  141. 熊谷義雄

    ○熊谷委員長 次に、岡本富夫君。
  142. 岡本富夫

    岡本委員 時間が非常に短かいから、率直に明瞭に答えていただきたいと思います。  最初に、これは四月二十九日ですか、ソロモン諸島のベララベラ島に二人ないし八人の旧日本軍人と思われる人がいるというような報道がございます。それについて、この報道によりますと、厚生省はあす、と書いていますから三十日と思いますが、連絡をとって本格捜査をやりたいというような報道でありますけれども、すでに御承知のように、人の命は大切で、小野田さんやあるいは横井さん、こういう人たちが救われておりますが、このソロモン諸島の旧日本軍人と思われる人たちの救済、これに対してはどういうように厚生省は手を打つのか、これをひとつ局長からお聞きしたいと思います。
  143. 山高章夫

    ○山高政府委員 ソロモン諸島のベララベラ島に日本兵が生存しているという報道があったわけでございますが、この報道された生存情報はただいまのところすべて伝聞によるものでございます。また、昭和四十八年五月政府派遣団が戦没者の遺骨収集に参りました際に今回情報のあった地域も入っておるわけでございますが、原住民の案内で地域を踏査しておりますけれども、生存情報は当時は全く得られていなかった、そういうような事情がございます。しかしながら、新聞によりますと、調査に赴いた方が幾つかの資料も、伝聞でございますけれども持っておりますので、そういったものについて十分に聴取し、また当時あの地域に行っていた方々の情報も聞きつつ判断してまいりたいと思っております。
  144. 岡本富夫

    岡本委員 これは報道でありますけれども、当時、終戦直前、このベララベラ島に駐とんしていた陸軍見上大隊、特に東海あるいは熊本出身者が多いらしいのですけれども、ここでブーゲンビル島への撤収作戦の指揮が出た。そういうことで、私はこの記事を読みまして、私たち、また当時の状況を知っておる者は、戦争中ですから、これは非常に可能性が多い、こういうように思われるわけです。あなたの方では四十八年に向こうに行ったときにはわからなかった。それからもう二年たっているわけですから、その後こういった情報が明らかになったら、率先して援護局の方でこの問題を解決していく、救済していくということが大切ではなかろうかと私は思うのです。腰の上げ方が非常に遅い。こういうことでは、前の小野田さんの救出のときももう一人亡くなっていますね。ですから私は早急な対処が大事だと思うのですがね。もっと早急な、急速な救済法、これを考えられませんか。いかがですか。
  145. 山高章夫

    ○山高政府委員 先ほど御答弁申し上げました今回の関係者、それから終戦時の関係者、そういう方の意見をきょうから聞き始めておるわけでございまして、それがある程度の確度が得られますれば直ちに外交ルートを通じて、一応生存情報の確認を求めるようにいたしてまいりたいと思っております。
  146. 岡本富夫

    岡本委員 報道によると、二十九日に厚生省援護局の調査課長の話では、あすにも連絡をとって事情を聞きたいというような、非常に機敏な態度に見えるのですね。いま聞くとまたあしたからということですな。あすというのは毎日ありますけれども、私はできるだけこういった方々の救出を早くすることが大事だと思うのです。大臣はどう考えられますか、この点について。ひとつ最後に大臣にだけ聞いて……。
  147. 山高章夫

    ○山高政府委員 あすにもという気持ちでやっておるわけでございますが、当時の関係者を探すとか、あるいは来ていただくのについてもおいでになる方の御都合もありまして、実はきょうから聞き始めるということになっております。決してぐずぐずしないように十分留意してやってまいります。
  148. 田中正巳

    田中国務大臣 本件が新聞に報道されまして、私としては非常に心配をいたし、直ちに援護局に対して事情を聴取いたしました、連休前でございますが、その結果、ある程度の心証を得まして——今日私の聞いたところでは、真実であるかあるいは誤報であるかわからないという実情でございますので、速やかにまず本省において調査をいたします。その心証によってはまた現地において調査をするということを遅滞なくやろうというふうに思って、本問題についてはいま先生のおっしゃったような実例もございますから、したがって後日あれこれ申されないように真剣に取り組みたい、かように考えております。
  149. 岡本富夫

    岡本委員 次に、戦時中、戦傷で手術を受けた人たち、私も野戦病院へ入ったことがありますけれども、エックス線用の放射性物質、すなわちトロトラストによる障害が問題になっておりますけれども、このトロトラストの使用の経過をひとつ簡単に御説明願いたい。
  150. 石丸隆治

    ○石丸政府委員 トロトラストはドイツのハイデン社が戦前開発したものでございまして、戦時中製造され、昭和五年ごろから昭和十七年ごろまで世界各国でこれが使用されたものでございますが、肝臓、脾臓、血管等の造影剤、いわゆるエックス線の造影剤として当時広く利用されたものでございます。
  151. 岡本富夫

    岡本委員 そこで、推定になるかわかりませんが、大体ドイツのハイデン社からの輸出記録、これから見ると負傷兵三万人に用いておる、こういうふうに推定されるというのですが、いまこのトロトラストについて、政府は、使用した病院あるいは患者、こういうものを把握しておるのかどうか、これをひとつお聞きしたい。
  152. 山高章夫

    ○山高政府委員 戦争中、傷病によりトロトラストを使用した患者については、これはただいまのところ全くわからない状態でございます。なお、これについてはかなり古い話でございますので、なかなかむずかしい問題であろうかと考えております。
  153. 岡本富夫

    岡本委員 どうも消極的ですね。これは学会あたりでも相当問題になったのでしょう。たとえばポルトガルでは国が調査をしておりますね。そして推定二千五百名ですね。そのうちわかったのが二千四百三十三名。あるいはデンマークでは約千名から千二百名の推定の中で約千名。ドイツでは推定六千名から一万八千名、それに対して六千名の追跡調査をしておりますね。ところが日本では学会で、森さんとおっしゃるのですか、この方が大体推定で一万七千から三万三千、ところが学会の皆さんのお力によって百四十七名ですか、こういうことを見ますと、各国に比べてわが国では、国が追跡調査、また現在保有しておる人たちの症状、こういうようなことについて全然調査を行っていない。これはどういう圧力によったのか、あるいはまた厚生省の怠慢なのか、この二点についてひとつお聞きしたい。
  154. 山高章夫

    ○山高政府委員 この疾病の調査研究が私の所管かどうかよくわかりませんが、トロトラストにつきましては、これは戦後、昭和四十九年、五十年、五十一年と、厚生省の研究助成金を先ほどお話の森教授を中心とする方々に出しまして、いろいろ研究を御依頼申し上げているところでございます。
  155. 岡本富夫

    岡本委員 そこで医務局長、トロトラストによるところの被害はどういうものが出ておるのか、ひとつ説明をお聞きしたい。
  156. 石丸隆治

    ○石丸政府委員 先生御指摘のように、本物質は二酸化トリウムという物質が主成分でございまして、アルファ線を出す放射性物質でございまして、特に、この薬品を使用いたしますと肝臓、脾臓等に特異的に沈着いたしまして体外にほとんど排せつされないという、そういう特異的な物質でございまして、ただいま援護局長からお答え申し上げました、いわゆるわれわれの方で研究的にいろいろ調査いたしております範囲内におきましては、肝臓の悪性腫瘍、いわゆる肝臓がんというような肝臓に生じます悪性腫瘍あるいは肝硬変、それから白血病等、そういった障害が生じておるという、これは世界各国の報告がございます。
  157. 岡本富夫

    岡本委員 そうしますと援護局長、簡単に見分けがつくのですね。いまそうした一人の方の写真を持ってきておるんですけれども、これは大臣、胸部の写真を撮りますと、肝臓、脾臓、たまたますぐぴしゃっと写真に出るわけですよ。こんな簡単に出るもので、じきにはっきりするわけでしょう。しかも、戦時中に負傷してトロトラストを注射された人はこういうようにはっきりすぐ出るわけですから、私は、本当に国の方でやる気になれば全部出てくると思うのですよね。なのに、ドイツやほかの国ではどんどん国を挙げて調査をし救済をしておるのに、なぜ厚生省はやる気にならないのか。あるいはまた何らかの圧力でやらさぬようにしておるのか。寝ている子を起こさぬ方がいいというような考え方を持っておるのか。これは私はぐあいが悪いと思うのですがね。しかも、森教授のかどうか知りませんが、こういった学会の調査報告を見ますと、いまお話しのように、肝臓がんあるいはまた胃がん、ちゃんとそういう答えが、症状が出ているわけですね。それであるのに、なぜ真剣に取り上げて厚生省でやらないのか。ここがどうも腑に落ちないのですが、この点いかがですか。
  158. 石丸隆治

    ○石丸政府委員 私から技術的な面について御説明申し上げたいと存じますが、ただいま先生、写真をお示しになったわけでございますが、やはり相当沈着いたしまして症状の出た患者さんにつきましては、ただいま先生のお示しのような写真、あるいはそのほか肝臓機能検査とか、そういった検査である程度わかるのでございますが、やはりこういった特異な物質でございまして、非常に線量の低い、そして長期間暴露した人のものでございまして非常に微量蓄積したものをさらに精密に検査するためにはホール・ボディー・カウンターというような特殊な機械を必要といたしまして、現在わが国では科学技術庁の放医研と長崎医科大学が持っておるのでございまして、そういった点でさらに今後精密に調査するという点に関しまして、ただいま科学技術庁の方ともいろいろ相談をしておるところでございまして、さらに精密な検査をいたしますには、やはり技術的な問題も今後さらに詰めていく必要があろうかと考えております。
  159. 岡本富夫

    岡本委員 この放射能は百四十一億年後にやっと半減するというんですからね。この一つの例を見ますと、簡単にこれは出てくるんじゃないかと私は思うんですね、何かむずかしそうにしておりますけれども。  それでは、現在どのくらいの人が生存をしておるというように考えていらっしゃるのですか。これは援護局長
  160. 山高章夫

    ○山高政府委員 戦時中、陸海軍病院で手術を受けた患者がどのくらいいるかということも実は非常にわかりにくいわけでございまして、戦傷病者の数は約十五万おります。
  161. 岡本富夫

    岡本委員 戦傷病者の数が十五万いる。その中でこういつたトロトラストの注射をされた経験のある、こう考えられる者、こういう人を聞けば簡単に、私はその注射を打ちましたというようにわかってくるんですね。であるのに、結局、進んでそうした人たちの調査を行わなかったということに問題があると私は思うんです。  そこで、今後どういうようにこれを調査をして救済をしていくか。いま一人一人の病状を訴えておることについては私触れませんけれども、今後どういうふうに処置をされるか、これをひとりお聞きしておきたい。
  162. 山高章夫

    ○山高政府委員 調査ということでございますが、戦時中の旧陸海軍病院は、中には廃止されたものもありますし、あるいは中には国立医療機関に移管されたものもあり、またその他の経路をたどっているものもあるわけでございます。いずれにいたしましても三十年以前のことでございますので、診療録の保存されていないところがかなりあると思われるわけでございます。したがって、対象をつかむことはきわめて困難であると思いますが、関係の向きと相談しながら対処していきたいと思っております。  なお、これについて、私どもの方では主として障害年金の問題になるわけでございますが、そういう点につきましては、戦傷病者が受けた公務傷病の治療のためにこういう血管造影剤を使用して、現在の疾患はそれに起因するものであるということが明らかな場合には、これは公務傷病に起因するものとして恩給法なり援護法の対象として処遇してまいる方針でございます。
  163. 岡本富夫

    岡本委員 この問題は、医務局長が言いましたように、いま二カ所しかそういったすばらしい機械がない、だからなかなかわかりにくいんだ、こういうことですけれども、やはり皆知らないと思うんですよ。ぼくも知らなかった、ぼくも野戦病院へ入ったことありますけれども。したがって、こういう症状の人は、あるいはまたこういう注射を打った人は、そういった何らかのPRをし、そして救済していくというようにしなければ、本人は知らずに苦しんでおるということで、いつまでたっても救済ができないのではないか、こういうように私は思うんですがね。どうも援護局長さんの話を聞いていると非常に消極的な、そういうのが認められましたらということではぐあいが悪いと私は思うんですね。しかも、当時のカルテやいろいろなものを出せと言っても、これは出てこないんですよね。ですから、もう少し積極的な救済方法がないもんだろうか、あるいは考えていないのか、この点についていかがですか。
  164. 山高章夫

    ○山高政府委員 さしあたり先ほど御答弁申し上げましたようなことで実態を調査すると同時に、さしあたりは、トロトラストの有無にかかわらず、その障害の程度が増進した場合には、これは援護法なり恩給法で見なければいけない問題でございますので、そういう点をむしろ積極的に見たらどうかということで対処してまいりたいと思います。
  165. 岡本富夫

    岡本委員 しかもあなた、WHOとかそういった国際三機関から三十八年に調査を要請されておるのではないですか。ところがわが国の方では、追跡調査といいますか、これが非常におくれておる。これをやはり取り返す、あるいはまた今後精力的に救済していくということになりますと、相当予算もかかると思うのですが、そういった予算関係はどういうようになさるつもりなのか。いかがですか。
  166. 山高章夫

    ○山高政府委員 森教授の五十年度の調査研究の結果が出てまいりますので、さしあたりはそれを見て関係の向きと相談をしながら対処していきたいと思っております。
  167. 岡本富夫

    岡本委員 これはあなた、すでにドイツやデンマークやポルトガルあたりでは、やっているわけですよね。そうむずかしい問題では私はないと思うのですよ。なるべく救済をしないでおこうということになればむずかしいかもわかりませんけれども、救済しようという決意に立った場合は、私はこの問題はじきに解決すると思うのです。そこで、この森教授あたりの調査研究結果というもの、すでに発表されたのが一九七三年ですね。こういった人たちの研究をされたものを土台にして、これはすぐにやろうとすればできるわけです。大臣、どういうふうにお考えになるか。また、今後の対策についてひとつ決意を伺っておきたいと思います。
  168. 田中正巳

    田中国務大臣 トロトラストによって障害の起こった戦傷病者の扱いについては万遺漏なきを期するようにいたしたいと思います。つまり、トロトラストによるところの障害というものに十分着目して、今後戦傷病者の扱いをその角度からしさいにながめる、また十分注意してながめるということを私どもはしなければなるまいというふうに思います。これをあくまで追跡調査をして、この事態を各人に知らしめることが一体いいのかどうかということについて、私自身は実は迷っておるわけでございまして、その辺の事情は岡本先生もおわかりになっていただけるだろうと思います。要は、国の措置、これに万遺漏なきを期しつつ、諸般の問題を踏まえて対処いたすべきものじゃなかろうかというふうにただいまのところは思っております。
  169. 岡本富夫

    岡本委員 そうしますと、どうも大臣はいままでと同じような姿勢と申しますか、本人たちに知らさずにそっとしておいて、そして見つかったら仕方がないから、というような感じに受け取れるわけです。局長はいま、予算措置をして、もっと研究をして、そういう追跡調査もできるようにしたいというお話だった。大臣、もう少しあなたの方が前へ引っぱっていくように、実力ある大臣だから。あなたの方が後へ引くと皆そうなっちゃうんです。その点は……。
  170. 田中正巳

    田中国務大臣 トロトラストによるところの障害、これをないがしろにしてはいけないし、また、これによるところの障害というものは十分あり得るんだ、したがって、こういう障害についてこちらが十分な援護をすることは、この問題がこれだけ浮き彫りにされた以上は、われわれとしては落ち度があってはいけないというふうな態度で取り組むというのは、私は厚生省として当然のことであり、この問題が出てから特にそういうことを考えたということでございますので、従来と同じだということではございません。ただ、これをあくまでも各人についてフォローアップいたしまして、おまえはトロトラストの注射を受けたんだ、したがってこういう問題が出てくるかもしれぬぞということを一々本人に知らせるということ、これについて的確な治療法があるならばこれはまた一つの方法だろうと思いますが、そうしたことについて、私、素人でございますが、なかなかそういったようなことも考えられないときに、一体政治の場でこれをそこまでフォローアップすることがいいのだろうかどうだろうかということについては、岡本さん自身もいろいろ御感懐があろうと思われるわけでございまして、そうしたことについてはさらに考究をいたしたいというふうに思います。
  171. 岡本富夫

    岡本委員 私は、ただ静かにしておいて、そうして死ぬのを待つというようなことでなくして、やはりこの治療法も研究し、そうして進んでこうした人たちの救済あるいはまた、そういった治療——これは報道によりますといろいろ治療方法もあるらしい。さらに、今日科学も進んでいるわけですから、治療法も考えていく。年いっておるからもう死んでもいいというような考え方はいけない。大臣も余りぼくと年は変わらぬわけですよね。あなたぐらいよりまだ若い人がたくさんいるわけです。ですから、こういった病気で苦しんでおる人たちに対しては、あなた、こういうことがあったんじゃないか、だからこういうところを気をつけてやっていかなければならぬぞ、またこういうようにしなければならぬというような、積極的な救済方法が大事だと私は思うのです。政治的に考えて、黙って知らぬ顔して抑えていくというような考え方では今日はいかない時代だと私は思うのです。大臣、いまの答弁がちょっとまずかったのであればもう一度。
  172. 田中正巳

    田中国務大臣 医学的な問題については医務局長から答弁をさせます。  私は、ほうっておいて死ぬのを待っておるということじゃないのですよ。戦傷病者援護法、それから恩給法によるところの国の措置については、こうした方々に対して十分の措置をとるのだということでございまして、何も問題をひた隠しに隠しておいたりあるいは死ぬのを待つなんという、そんな不見識な考えは持っていないのです。そういう不幸なことになった人についてはできるだけ積極的にめんどうを見るようにしようじゃないか、ことにこの問題が浮き彫りにされた以上はそうしていこうじゃないか、こういうことであります。こうしたトロトラストを受けた人に対して、何か医学上のいろいろなテークケアができるというならば、それも結構だろうと思います。研究はいたします。しかし、的確な方法があるかどうか、私の乏しい知識ではわかりませんが、もしこれがどんぴしゃりというふうな的確な方法がないときに一体どう考えたらいいか、この辺は非常に複雑な問題があるということを申し上げたわけであります。研究はいたします。  なお、医学上の問題については医務局長から答弁をいたさせます。
  173. 石丸隆治

    ○石丸政府委員 ただいま大臣からお答えになりましたうち、研究費の問題について私から御説明申し上げたいと思います。  このトロトラストの影響に関します調査につきましては、先ほど先生御指摘のように、WHOの方との関連もございまして、われわれの方といたしまして昭和四十九年度に名古屋大学の高橋教授、それから五十年度におきましては神奈川県立衛生短期大学の森教授に対しまして、二百五十万円の研究助成金を出したわけでございます。さらに、先ほど御説明申し上げましたように、本物質が放射性物質という特殊な物質でございますので、今後の研究の問題といたしましては、科学技術庁等とも連絡をとりまして、特調費等でさらに研究を強力に進めてまいる所存でございます。
  174. 岡本富夫

    岡本委員 大臣、幸いに、これは今後原子力発電やいろいろなことが出てくるわけですね。ですから、こういった問題で研究をし、こういった人たちを救済できるような治療方法、こういうものも開発しておく、これは私は大事だと思うのです。同時にわかった者を救済するということでありますけれども、積極的に、こういった人たちにはこうだ、それから若干カルテがなくてもやはり法的な処置をしてあげる、これをひとつ要請をしておきます。  次に、いま申しました中で、戦傷病者あるいは戦没者遺族等の援護法に対して、遺族の方々からいろいろな申請が出ていると思うのですが、認定された分と認定されなかったその割合はどのくらいになっているのか、ひとつ援護局の方でわかるはずですから。
  175. 山高章夫

    ○山高政府委員 例を障害年金にとって申し上げますと、いままでの類型で申し上げますと初度申請、初めて申請か出てきた件数が六万六千四百二十三件で、そのうち認定されたものが六万三百六十二件、却下が五千五百七十四件であります。
  176. 岡本富夫

    岡本委員 そこで、大体一割ほどの人たちが認定をされていないようでありますけれども、時間がありませんからあれですが、書類の不備ということが非常に多いそうです。そこで、たとえばこれは一つの例でありますけれども、淡路島に住む岬健一さん、この方は、昭和十八年の二月二十日、川崎航空機にいて、徴用工として入社中事故に遭い、頭蓋底骨折を受け、その後も後遺症に悩まされている。それで申請をしたのですけれども、当時の診断書がなくなっておる。昭和十八年といいますから大分前のことでありますけれども、ちょうど日本に初めて空襲があったころですね。こういった場合に当時の診断書がないということになると、今度新しく診断してもらっても、その因果関係、後遺症であっても因果関係というものはなかなかほかの医者ではこれは立証してくれない。こういう場合どういうように救済をしていくのか、ひとつ検討をしていただきたいと思うのですが、いかがですか。
  177. 山高章夫

    ○山高政府委員 この岬健一さんのケースにつきましては存じませんが、一般的に申し上げまして、受傷当時の診断書が必要でございますが、それにかわるべきその他の資料、たとえば病棟日誌とか患者名簿とかいろいろなものがございます。そういうものをあわせて総合的に検討して裁定をするようにいたしております。
  178. 岡本富夫

    岡本委員 これは川崎の診療所らしいのですが、その診療所も恐らくもうないと思うのです。会社も変っておりますし。ですから、当時一緒に働いておった人たち、あるいはまた当時の会社の在籍証明、こういったものでやはり私は検討をしていただきたい。これが一つ。  それからもう一つは、これは尼崎市に住む一婦人の例でありますけれども、この方がお一人で住んでいるところに、ちょうど家がなくて二階を借りたということによって、市役所でこれはもう結婚したんだというような考え方から間違って住民票に妻と書いてしまったということで、戦没者等の妻に対する特別給付金を請求したけれども認定されずに、二年以上も調査という名目でたな上げされておる。その前にこの方はすでに恩給をもらっておったわけです。このことについても、市役所の方からこれは間違いだったんだ、同居人だったんだという証明が出ているはずなんですが、これもひとつ御検討をお願いしたいと思うのですが、いかがですか。
  179. 山高章夫

    ○山高政府委員 ただいまのケースは非常に複雑なケースのようでございますので、個別のケースについて一般論でお答えしますと間違う可能性がございますので、後ほどその方のお名前を伺って調査させていただきたいと思います。
  180. 岡本富夫

    岡本委員 これは一つの例でありますけれども、今後もそういった面で、調査という名目で一年も二年もそのまま置いてあるというようなことで、じゃ本当に調査しているのかと思えばなかなかそうではないということで、私はもう少し認定に当たってはスピードアップをひとつ要求しておきたいと思うのです。そしてきょうの質問は終わります。
  181. 熊谷義雄

    ○熊谷委員長 これにて本案に対する質疑は終了いたしました。     —————————————
  182. 熊谷義雄

    ○熊谷委員長 これより本案を討論に付するのでありますが、別に申し出もありませんので、戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案について採決いたします。  本案に賛成の諸君の起立を求めます。     〔賛成者起立〕
  183. 熊谷義雄

    ○熊谷委員長 起立総員。よって、本案は原案のとおり可決すべきものと決しました。     —————————————
  184. 熊谷義雄

    ○熊谷委員長 この際、住栄作君、枝村要作君、石母田達君、大橋敏雄君及び小宮武喜君から、本案に対し附帯決議を付すべしとの動議が提出されております。  その趣旨の説明を聴取いたします。住栄作君。
  185. 住栄作

    ○住委員 私は、自由民主党、日本社会党、日本共産党・革新共同、公明党及び民社党を代表いたしまして、本動議について御説明を申し上げます。  案文を朗読して説明にかえさせていただきます。     戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案に対する附帯決議   政府は、次の事項につき格段の努力を払うべきである。  一 警防団員等に対する援護法上の取扱いについては、戦後相当期間経過していることにかんがみ、その認定方法等について弾力的に運用するよう配慮すること。  一 最近の急激な物価の上昇及び国民の生活水準の著しい向上にみあつて、援護の水準を更に引き上げ、公平な援護措置が行われるよう努めること。    なお、戦没者遺族等の老齢化の現状にかんがみ、一層の優遇措置を講ずるとともに手続等の簡素化を図ること。  一 戦傷病者に対する障害年金等の処遇及び原爆症等内科的疾患の認定基準については、更にその改善に努めること。  一 対馬丸遭難学童の遺族の援護についてなお検討を行うこと。  一 生存未帰還者の調査については、更に関係方面との連絡を密にし、調査及び救出に万全を期すること。  一 法律の内容について必要な広報等に努める等更にその周知徹底を図ること。 以上でございます。
  186. 熊谷義雄

    ○熊谷委員長 本動議について採決いたします。  本動議のごとく決するに賛成の諸君の起立を求めます。     〔賛成者起立〕
  187. 熊谷義雄

    ○熊谷委員長 起立総員。よって、本案についてば住栄作君外四名提出の動議のごとく附帯決議を付することに決しました。  この際、厚生大臣から発言を求められております。田中厚生大臣。
  188. 田中正巳

    田中国務大臣 ただいま御決議になられました附帯決議につきましては、その趣旨を十分尊重いたしまして、努力をいたす所存でございます。     —————————————
  189. 熊谷義雄

    ○熊谷委員長 なお、ただいま議決いたしました本案に関する委員会報告書の作成等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  190. 熊谷義雄

    ○熊谷委員長 御異議なしと認め、さよう決しました。     —————————————
  191. 熊谷義雄

    ○熊谷委員長 次に、原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を行います。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。森井忠良君。
  192. 森井忠良

    森井委員 きょうは、先ほどの遺族援護法に続きまして二回目のバッターになったわけでございますが、申し上げましたように、会期末でございますので、きわめて時間が限られております。本来ですと、私ども四野党は参議院に被爆者援護法を議員立法として提案をしておる立場でございますから、本委員会におきましてもかなり時間をかけて被爆者問題全般について議論をしたいところでございますが、先ほど申し上げましたように、会期末という特殊性にかんがみまして、はしょってごく簡単に御質問を申し上げることをまず御了解いただきたいと思います。     〔委員長退席、住委員長代理着席〕  そこで、まず最初に、質問に先立ちまして厚生大臣にお伺いしたいわけでありますが、五月三日は憲法記念日でございまして、政府主催の祝賀会が憲政記念館で行われましたことは大臣御承知のとおりでございます。しかし、その二百メートルそばで、自民党の皆さんを中心といたします、政府主催の憲法集会糾弾集会というものが開かれました。私は、このこと自体につきましてもきわめて遺憾だと思いますが、特に問題にしたいのは、その集会におきまして源田実参議院議員がきわめてゆゆしい発言をしておるわけでございます。速記録がありませんから、私どもの選挙区の五月四日付の読売新聞で申し上げるわけでございますが、源田参議院議員は、読売新聞の報道によりますと、この政府主催の憲法集会の糾弾国民大会におきまして、「原爆の一つや二つ、三つや四つ落ちても戦は何百年も続いただろう。それが陛下のお言葉で一遍に終戦となった。」本人の趣旨は占領憲法を破棄せよというところにあったようでございますが、申し上げましたように、原爆の一つや二つ、三つや、四つ落ちたところで云々というくだりにつきましては、被爆者や、平和を願う日本国民の感情を逆なでにするきわめて不穏当な発言であると私は思うわけでございます。なかんずく、衆議院におきましてはついせんだって核拡散防止条約を附帯決議をつけて通過させたばかりであります。しかも、この中には明確に非核三原則というものが盛り込まれておるわけであります。私はここでお伺いしたいのでありますが、自民党の閣僚として、また被爆者問題を扱われます主管官庁大臣として、一体この源田発言をどのように考えていらっしゃるか、まずお伺いしたいと思います。
  193. 田中正巳

    田中国務大臣 与党議員である源田氏がどういう趣旨でどういう発言をしたか、私はつまびらかにいたしません。しかし、憲法九十九条に書かれているとおり、国務大臣、国会議員その他、憲法を擁護する義務を負っているわけでございまして、こうした趣旨で、私は憲法を尊重し、これにのっとって行政をとり行っているわけであります。私どもは、政府の方針として非核三原則を堅持いたし、また平和を希求いたし、人道に反する行為は、仮に戦争であってもこれは許されないということでわれわれは国政に対処しているわけでございまして、政府はそういう方針であります。わが党の一議員がどういう御趣旨でどういう発言をいたしたか、これは私、いま詳しく存じておりませんので、ここで軽率にあれこれ論評することは差し控えさせていただきたいと思います。
  194. 森井忠良

    森井委員 速記録はございませんけれども、少なくとも読売新聞というわが国の大新聞社の一つが報道しておるわけでございます。もしあの発言が許されるなら、厚生省とされましても、今日まで長い間かけて被爆者援護の問題に取り組んでこられたという立場からすれば、私はきわめて憤りの多いことだと思うわけでございます。論評を差し控えたいということでございますが、厚生大臣として、事実をお調べになった上で問題を処置される御意思があるのかどうなのか。私はきわめて釈然としない。いまこういうふうに政府提出の原爆関係の法案を審議するに際して、きわめて胸につかえるものを感じますので、ぜひとも厚生大臣の責任において御調査の上、もしあの発言が事実とすれば、厚生大臣の置かれておる党内あるいは閣僚の地位の許す範囲内において適当な措置をとっていただきたい、こういうふうに思うわけですが、いかがですか。
  195. 田中正巳

    田中国務大臣 こうした一議員の発言を調べるのが一体私の仕事であるかどうか、これはまあいろいろ議論があるところだろうと思います。しかし、私も原爆被爆者対策の一翼を担っている以上、原子爆弾の問題について問題のある発言があるとすれば、これはやはり注目をしなければならないと思います。  ただ、森井さん、新聞の報道というものについては、私も経験がございます。私も閣僚ですからときどき記者会見をいたします。各紙に出るときには記者会見のような形でやるのですが、それでもときどき自分の真意とニュアンスの違ったものが出ることがありまして非常に困るのでございますが、一紙だけに出た場合には特にそういうことが間々あったわけでございます。決して源田氏のために私は弁護するわけじゃございませんが、私の経験から申して、したがってよく調べてみなければならぬ、こういうことでございますので、ひとつよくその点については党の方と相談をいたしまして、与党の方に、よく事情等を聞かせていただきたいということはお約束いたします。
  196. 森井忠良

    森井委員 時間が限られておりますのでこの問題はこれ以上申しませんけれども、同じ政治家同士として、源田実参議院議員とも、できれば厚生大臣ひざ詰めででも話をされて、発言の中身についてぜひとも明らかにされると同時に、重大な反省を求められる、そういう行動にお出になるように強く要求をしておきます。  さて、今度の改正案でございますが、公衆衛生局長、目玉というか、たとえば昨年は保健手当を新設をされましたけれども、ことしはそういう意味で一体どういうふうに受け取ったらいいのか。改正案の目玉と申してはなんでありますが、お考えを承っておきたいと思うのです。
  197. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 御指摘のように、昨年の保健手当のような大きな目玉というものは本年度の予算においては、ないのでございますけれども、ただ、たとえば広島の原爆病院の改築費三億二千万円の補助、また広島、長崎の原爆病院の二億六千万円の運営費の補助、こういったものは、ほかの制度と比較いたしますときわめて画期的な補助金であろうと考えております。また、じみではございますけれども、手当の額の引き上げもやっておりますし、葬祭料の引き上げもやっております。また所得制限も、できるだけ所得制限を受ける方が少なくなるように、たとえば普通の手当で申しますと、従来前年の所得税額が十一万七千五百円であったものを十八万三千八百円にするというような改善をいたしました。これは所得で申しますと二百九十六万円であったものを約四百万円にしたというように、いろいろなところでいろいろな制度の改善を図っております。そういう関係から、本年度の原爆対策費の総額も三百六十九億というふうに約百十五億、伸び率にいたしますと四五%強増額されているわけでございます。
  198. 森井忠良

    森井委員 厚生省は私どもから言えばまだ非常に歯がゆいのでありますが、先ほど申し上げましたように保健手当の新設をなさいました。また、健康管理手当の年齢制限の撤廃等も行われました。そう申してはなんでありますが、年々若干ずつでも厚生省の前向きな姿勢が予算なりあるいは法案なりにあらわれてきておったわけでありますが、残念ながら、ことし期待をしておりましたのにそれができない。そういたしますと、もう現行二法の枠では、厚生省としてこの点を改善したいというふうなところはありませんか。
  199. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 やはり、制度の改善の基本になりますものは、手当だとか葬祭料の大幅な引き上げでございます。また、所得制限につきましても、この制度の性格、他の制度との均衡の関係から撤廃することは困難と思いますが、大幅な所得制限の緩和をしていきたいと考えております。そのほか、関連施設の問題でございますけれども、原爆病院あるいは養護老人ホームに対する国の助成についても、今後さらに改善をしていかなければならないと考えております。  なお、先ほどお答えいたしました中で、広島、長崎の原爆病院の運営費補助金二千六百万円を二億六千万円と申したそうでございますが、一けた間違っておりますので御訂正いただきたいと思います。
  200. 森井忠良

    森井委員 厚生省は、いま所得制限の撤廃の問題について考え方がありましたが、本来は所得制限を撤廃したいんでしょう。昭和五十年度も五十一年度も、大蔵省に予算要求をしていらっしゃるときには所得制限の撤廃という項目で大蔵と折衝していらっしゃる。また厚生省の原案は所得制限撤廃ということで態度が決定をしておる。ただ大蔵省の関係があるから、結局査定をされて、一部まだ制限がついておるかっこうだというふうに私は見ておる。その点どうですか。
  201. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 実は毎年所得制限撤廃という予算要求をいたしております。しかし、最近の財政状況等諸般の行財政の事情から考えますと、原爆二法の制度の性格からいたしまして、所得制限を完全に撤廃してしまうということは問題があるのではないかと思うわけでございます。強いて申しますと、各種手当のうち認定患者に参ります特別手当だとか医療手当だとか、そういうものについては所得制限を撤廃したらどうかという議論が残るわけでございますが、その際も、現在の二法は決して国家補償の精神に基づく援護法ではございませんので、たとえば三井、三菱のように非常に多くの所得や財産のある方には御遠慮を願うというのが筋ではなかろうかと考えるわけでございます。
  202. 森井忠良

    森井委員 三井、三菱と、極端な議論を出さなくてもいいと思うのですがね。これは議論が長くなりますが、国際法違反のあの原爆投下、そして対米請求権を放棄した政府の立場からすれば、やはり国家補償の精神に基づくもろもろの補償をしなければならない、所得制限というのはあってはならない、こういうふうに感じておることを申し上げておきたいと思うのです。将来にわたってもこの所得制限の撤廃の問題については——いま公衆衛生局長は妙なことをおっしゃいましたけれども、私もあなた方が大蔵省に要求をされた五十一年度の予算要求の原案についてはお見せをいただきました。いま持っておりますけれども、所得制限の撤廃ということで要求していらっしゃるわけですから、まさか心にもないことを要求していらっしゃるとは思えない。したがって、一層所得制限の撤廃について御努力を願いたいと思う。  それから、現行二法の中でまだできる問題として、私は先ほど保健手当の問題を申し上げましたけれども、たとえば医療手当の支給範囲の拡大というふうなことはできないものだろうか。御案内のとおり、現在の医療手当というのは通院や入院をしていらっしゃる被爆者の皆さんに差し上げるものでありますけれども、これはもう認定患者に限られておるわけですね。しかし、被爆者全般について申し上げますと、現にお医者さんにかかっている人でなければ医療手当というものは出さないわけですが、被爆者のことをじっと考えてみますと、たとえば第一に治癒能力が非常に劣っている、回復が一般の人よりも遅い、さらにまた、最近は御案内のとおり被爆者の中に老人が非常に多くて、もう認定制度だけではだめになっておるわけですから、そういう点から考えますと、被爆者の方で病気にかかっていらっしゃる皆さんに、やはり医療手当というものを支給すべきじゃないか、認定患者に限るというのは間違いではないか、私は、こういうふうに思いますけれども、この点、改善の御意思はないのか、御検討の御意思はないのか、お伺いをしたい。
  203. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 医療手当を健康管理手当受給者等に差し上げるということは、現在全く考えておりません。医療手当に当たるようなものが、当の障害を有する、疾病を持つ方々に対する健康管理手当ではないかと思うわけでございまして、その健康管理手当がまだ低額過ぎるというのであれば、その手当をだんだんと引き上げていけばよろしいのではないかと考えております。
  204. 森井忠良

    森井委員 被爆者手帳を持ってお医者さんにかかっている方は、先ほど言いましたように、治癒能力が非常に遅い方々なんです。また加齢現象もあるでしょう。そうしますと、昨年思い切って保健手当を新設されまして、従来の医療法の考え方からすれば、当面健康な人にも手当が出るようになったわけでありますから、そういった点に着目をいたしますと、医療手当の支給範囲についてもぜひとも再検討を願いたい。再度お考えを承っておきたい。これは新しい課題として厚生省はせめて検討される必要があるというふうに考えるわけです。
  205. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 先生のように、医療手当を特別手当以外の手当の受給者に支給したらどうかというような御意見もございますが、一方においては、現在の原爆特別措置法は手当の数等が多過ぎるのじゃないか、統合したらどうかというような逆の御意見もあるわけでございます。要するに、そのような問題が起こってまいりますのは、現在のそれぞれの手当の額が低いから、そういう問題が起こってくるのじゃないかと思うのでございまして、この際、医療手当を認定患者以外の手当受給者にお払いするというような考えはございません。
  206. 森井忠良

    森井委員 この問題は、きょうは時間の関係からとても議論できませんので、改めて別の機会にじっくり話し合いをしたいと思っております。  保健手当の問題についてお伺いをしたいわけでありますが、これは一年たちまして、現在何名くらい保健手当を受給しているのですか。
  207. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 ただいま手元に資料を持ち合わせておりませんが、おおむね四万三千人程度に支給していると思います。
  208. 森井忠良

    森井委員 私は、昨年保健手当が新設をされましたときにも、例に引いたのでありますが、これは壁にきりで穴をあけたような状態で、やがて保健手当がもとになりまして手当を支給される皆さんがだんだんふえてくるのではないか。もうおやめになりましたが、広島原爆病院の重藤院長は、在任中にこういうことを私どもに話しておられます。被爆者は平常の健康体の人の二倍の栄養を必要とする、しかも平常人の三分の二の労働にしかたえられない、これは、長い間被爆者を治療してこられた重藤さんの貴重な体験の言葉だろうと私は思うわけであります。そういった被爆者に対して今回、先ほどの報告によりますと四万三千人、これは予算上の金額じゃないかと思うわけでありますが、実際もそうだとすれば、三十数万の被爆者の中で二キロ以内におられた四万人そこそこの方々に手当を差し上げる、これでは残りの被爆者に対しては、まさに分断差別をされたとしか私には思えない。現に昨年の参考人の意見聴取でも、広島、長崎の被爆者の皆さんから、そのことは出されておりました。したがって、保健手当は、昨年の社会労働委員会でも議論をいたしましたように、二十五レムで切っていらっしゃいますけれども、一体これでいいのだろうかどうだろうか、非常に大きな疑問が投げかけられたことは、御承知のとおりであります。  この二十五レムというのは、もともと無理なんです。ICRPのいわゆる許容基準——放射線に許容限度というのはないはずでありますけれども、白血病とそして放射線を浴びた量とは正比例をする、そういう点からすれば、閾値は全くないわけでありますから、たとえ微量の放射線を受けた人でも、必ず何らかの障害が出てくる、こういう観点から考えますと、二十五レムというのが、いかに大きな数字であるか。御案内のとおり、一般人の許容限度というのは〇・五レムなんです。職業人でその十倍の五レムという形になっておるわけでしょう。二十五レムというのは、職業人が緊急時に立ち入るその限度なんです。したがって、二十五レムで基準を出していらっしゃいますけれども、これは予算上の制約等があって、とりあえず二十五レムで切ったわけで、広島、長崎、二キロで切ったわけでありますけれども、本来、これは壁にあけたきりの穴なんだ。やがてそれをだんだん大きくしていく努力か厚生省になければならない。あなた方も、二十五レムでは無理だということは、もう重々承知のはずなんです。この二十五レムというICRPの基準について、もう一度厚生省の認識をお聞かせ願いたい。
  209. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 二十五レムについてお答えいたします前に、保健手当の対象人員でございますが、現在御審議願っております予算案では、約六万五千人を予定しております。昨年の十月から始まった新しい制度でございますから、いろいろPRに努力をいたしましても、申請がそれほどたくさん出てこないという問題があるわけでございます。そういう関係で初年度五十年度は四万三千人でございましたが、本年度の予算案では六万五千人を予定しております。  なお、広島、長崎で二キロ以内で被爆なさってまだ生存なさっていらっしゃる方は、九万一、二千人ではないかと思うのでございますが、多くの方々が特別手当や健康管理手当をすでにおもらいになっておりますので、そういった方々を除きますと、せいぜい七万人程度の方が保健手当の対象になるのでございましょうが、これも制度がまだ新しゅうございますから、初めから一〇〇%というわけにはいかないということで、六万五千人分予算を組んであるわけでございます。  次に、二十五レムの問題でございますが、これは、はっきり申しますと、先生の御議論と私どもの制度の考え方と、ディメンションが違うわけでございまして、たとえば現在の一般人に対する許容量〇・五レムと申しますのは、これは一般人の一生の許容線量でございます。少なくとも三十年以上の許容線量としてつくられているものでございます。ところが、私どもが基本的な方針として採用しております二十五レムは、ただ一回の被爆の場合の最大許容線量でございますので、そのあたりがもうすでに出発点が違うわけでございます。  そこで、昨年の第七十五通常国会でお答えいたしましたように、この二十五レムの基本的な基準につきましては、国際放射線防護委員会の勧告に基づくものでございますから、近くまた新しい勧告も出るようでございますので、その勧告を見た上で、そういった一生のうちに一回の被曝の許容線量というようなものが変わってくるならば、その際、私どもの方も再検討をいたしましょうということを申し上げたわけでございますけれども、来年の初めぐらいには新しい勧告も出てくるようでございますので、それをよく拝見をしたいと思っております。  なお、保健手当の制度を考えるときに、ただいまの二十五レムを基本的な基準として採用したのでございますが、制度といたしましては、昭和三十五年の特別被爆者の制度にならって、爆心地から二キロで線引きをいたしましたので、広島の場合には四・四レム、長崎の場合が十八・二レムとなっているわけでございます。
  210. 森井忠良

    森井委員 最初のくだりの〇・五レムの問題ですけれども、これはICRPがはじいた積算の根拠についてはお認めになるわけでしょう。一世代五レム、一世代というのは三十年で計算をしているわけですから。そうしますと、これは〇五レムということじゃなくて、むしろアメリカが一九七〇年に決めたように、〇・一七レムになるんですよね。五レムを三十年間、一世代で割りますと〇一七レムが正しい。しかし、これはアメリカで特別に決めたわけで、ICRPの基準は御案内のとおり〇・五レム。しかし、〇・五レムどころか、アメリカの資料によりますと、〇・一七レムでもやはり白血病、がん、そういったものがかなりふえるという具体的な指摘がされております。  時間の関係で多くは申し上げませんけれども、放射能には、何回も言いましたように閾値はない。ましてや世界の常識として、二十五レムという大きな数字で、それ以下の人は放射能を溶びても、そう影響はないだろう。逆に言えば、二十五レムで切っていらっしゃるということは、直接被曝で二十五レム以下については、そう影響ないだろう、こういう発想で物を考えていらっしゃるわけですか、それが一つ。
  211. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 ただ一回放射線を浴びました場合には、やはり二十五レム以上でないと心身の障害はあらわれないであろうというのが、現在の医学の定説でございます。また、臨床的にもそのような経験しか持っていないわけでございます。そういう意味で、ただ一回の被曝のいわゆる許容線量と申しますか危険線量と申しますか、そういったものは二十五レムが基準になっているということでございます。
  212. 森井忠良

    森井委員 それじゃ公衆衛生局長、あなた二十五レム浴びてみますか。私は、大変なことだと思うんですよ。赤ちゃんがお母さんの胎内にあるときに、エックス線をかけても白血病になる子供が多い。ある資料によりますと、胎内にいるときにレントゲンをかけただけで、かけない子供よりも八倍白血病になる子供が多いという資料がアメリカで出されている。私は、厚生省が放射能に対して、そういうふうな非常に安易なと申しますか、きわめて不用心な発言をなさることに本当に大きな抵抗を感じるわけですよ。  お伺いしますが、先ほどもおっしゃいましたが、今度の二十五レムというのは、ABCCの資料をとった。広島一・七キロ、長崎二キロということで、いずれにいたしましても、二キロということになさった、こういう御説明ですね。これは、資料によりますと、誤差が三〇%あるということについてはお認めになりますか。
  213. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 誤差が三〇%と申しますのは、一九七五年のTR1−57の資料が三〇%でございますが、一九六五年の第二次推定資料TR1−68、これは六八年に発表したから68になっておりますが、そちらの新しい推計は、おおむね一〇%強の誤差になっております。
  214. 森井忠良

    森井委員 誤差については、いまあなたが言われた資料と私が持っておる資料と違うのでしょうけれども、そのほかの数字については変わっておりませんか。
  215. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 その後TR12−71という資料が出ておりまして、これが中性子の新しい推定線量を出しておりますが、現在私どもが行政的に使っておりますのは、全部最も新しい数字を根拠にして計算しております。
  216. 森井忠良

    森井委員 それじゃ私が持っておるものがどれなのか、これはあなた方から得た資料なんで、ちょっと確認をしてください。——私が持っておる資料は、いま公衆衛生局長が御説明になりましたものの一番新しいものであるということが確認をされました。これによると平均誤差は、やはりプラスマイナス三〇%と書いてある。この点いかがか。それが一つ。それからもう一つは、一中性子線はガンマ線に直すと一体幾らか、これはどういうふうにお考えですか。
  217. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 その資料には確かに備考に三〇%と書いてございますが、これは先ほど申し上げましたいわゆる中性子線の推定線量の場合と、それから中性子線以外の、主としてガンマ線の推定線量と二つございまして、それぞれ誤差が違うわけでございます。私がおおむね一〇%強と申し上げましたのは、その中性子線以外の推定線量の誤差でございますから、その資料の備考に若干不備があると考えております。  それから、平たく申しますと、中性子線のガンマ線への換算値でありますが、RBEと申しておりますが、これは五倍、中性子一を五倍にしてガンマ線に換算するというのが、現在の定説でございます。御案内のように、中性子にもエネルギーの大きいもの、小さいものございまして、それぞれによって換算値が変わってくるわけでございますが、広島、長崎の実測値から考えますと、五として計算するのが一番正しいとされております。
  218. 森井忠良

    森井委員 どこから出たのか知れませんが、一中性子線はガンマ線に直すと大体五倍、こういうふうにあなた方はいまの説明でも言われておりますけれども、少なくとも十倍から十五倍というのが、私の知っています学者に聞いた範囲では全部そういう答えが返ってくる。あなたは定説だとおっしゃいましたが、どうも信用しがたい。これを一中性子線を五ガンマ線と見るか、あるいは十もしくは十五と見るか、大分違いが出てくるわけですね。ですから、この点はいまここで議論しても始まりませんけれども、私は、宿題として残しておきたいと思う。もし中性子線とガンマ線の計算の違いで、私が申し上げましたように、十倍なり十五倍に見るべきだということになれば、やはり二十五レムの計算が根本的に変わってくるわけですから、定説とおっしゃいましたけれども、これは、まことに申しわけありませんが、信用できません。したがって、中性子線の換算については、これからもっと議論を進めていきたいと思いますので、きょうはこの程度にはしょらせていただきたいと思うのです。  そこで公衆衛生局長、私は、いまここに「原爆医療必携」というのを持っているのですが、厚生省公衆衛生局企画課の発行で、昭和三十七年十一月、これを見ておりますと、私は、厚生省の考え方というものがほぼ出てきておると思う。この「原爆医療必携」の中で、たとえば「原子爆弾被爆者健康診断実施要領」というのがあります。これは「昭和三十三年八月十三日衛発第七百二十七号各都道府県知事、広島長崎市長 厚生省公衆衛生局長通知」三十七年発行のものですが、いま申し上げましたように、通達は三十三年のものです。これは文字どおり「健康診断実施要領」でありますから、「この要領は、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律に基き、被爆者の健康診断を行うに当たって考慮すべき事項を定めたものである。」こうなっておりまして、被爆者に対する厚生省の認識も明らかにされております。  こういうふうに書いてあります。十五ページでありますが、「被爆者のうちには、原子爆弾による熱線又は爆風により熱傷又は外傷を受けた者及び放射能の影響により急性又は亜急性の造血機能障害等を出現した者の外に、」その当時の話でありますから、「被爆後十年以上を経過した今日、いまだに原子爆弾後障害症というべき症状を呈する者がある状態である。特に、この種疾病には被爆時の影響が慢性化して引き続き身体に異常を認めるものと、一見良好な健康状態にあるかにみえながら、被爆による影響が潜在し、突然造血機能障害等の疾病を出現するものとがあり、被爆者の一部には絶えず疾病発生の不安におびえるものもみられる。」これは三十七年でありますけれども、私は、厚生省がその当時、被爆者の実態を非常に的確にとらえていらっしゃると思うわけです。私の認識では、いまこの言葉はずいぶん後に下がっておりますけれども、これを見ますと、その中に被爆距離の問題がうたってあるのです。十七ページでありますが、ここのところは非常に興味がございます。被爆距離は「被爆した場所の爆心地からの距離が二キロメートル以内のときば高度の、二キロメートルから四キロメートルのときは中等度の、四キロメートル以上のときは軽度の放射能を受けたと考えてさしつかえない。」もう一度言いますと「二キロメートル以内のときは高度の、二キロメートルから四キロメートルのときは中等度の」障害を受けたものとみなしてよろしい、こういうことなんですね。     〔住委員長代理退席、委員長着席〕 厚生省の通達です。いまの保健手当の基礎になっております二十五レム、二キロというものと私は非常に大きな矛盾があるように思うけれども、この点どうですか。
  219. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 この「健康診断実施要領」を出しましたときは、先ほどお話しいたしました第一次の放射能の推計値しかわからなかったときのものでございますから、その後新しい推計値が出てまいりました現在においては、やはりこういった技術的な部分は考え直さなければいけないのではないかと思います。したがって、新しい推計で申しますと、たとえば原爆の直接放射線でございますが、広島の場合には三キロになると〇・〇一レムぐらいになってしまいます。長崎の場合が四・四レムぐらいになってしまうわけでございますから、やはりここの考え方は、新しい推計値その他に基づいて若干書き直さないといけないのではないかと考えます。
  220. 森井忠良

    森井委員 本当に時間がなくてこの議論はすれ違いに終わってしまいそうで、大変遺憾でありますけれども、厚生省の昭和三十七年当時の、あるいは昭和三十三年当時の考え方がいみじくも出ておるわけでありまして、私は、放射能という、たとえ微量でも影響を受けるという点から見れば、やはり二十五レムにこだわられるというのは、きわめて問題があると思いますし、そしてまた、残留放射能による影響、あるいは核分裂生成物、いわゆるアルファ線、ベータ線を混入している井戸水を飲んだり、ほこりを吸ったり、そういった体内照射の問題が依然として残っておるわけです。きょう時間がありませんから申し上げられないわけでありますが、二十五レムは、これはいわゆる成人の基準なんですよ。胎児はその百倍と言われております。あるいは百五十倍とも言われておる。したがって、一律に二十五レムを切るということについては、私は、大きな問題があると思うわけです。ですから、保健手当の改善につきましては、これから鋭意御努力をいただいておきたいと思うのです。  時間がありませんから最後に一つだけお伺いしますが、四月の九日、原水禁や総評、被爆連の代表の皆さんが、厚生省で川野辺政務次官と被爆者援護の問題について話し合いをいたしました。そのときに明らかになったのは、被爆者の皆さんと現地に赴いて、いろいろ話を聞いたり、あるいはまた実態を調査したり、そういうことをしたらどうかということに対して、それをお認めになりました。しかも、これは期限がついておりまして、八月六日までには現地に行きたい、こういうふうに私どもも、そばにおりまして理解をしたわけでありますが、これはいつ、どういう方法で具体的に実現をなさるのか、お伺いをしたいと思います。
  221. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 広島の現地に参りまして、被爆者と原爆対策、原爆問題について御懇談する件につきましては、昨年、山下政務次官が原水禁の方々にお会いしたときには、やはり大臣、政務次官はお忙しいので、私が参りまして、現地でいろいろ原水禁の方々と御懇談をしようということになっておりましたが、四月九日の川野辺政務次官のときには、その点、いま先生からお話があったように、政務次官がいらっしゃるというふうには、まだはっきりはしていないわけでございますが、だれかが必ず行って、原爆記念日、慰霊祭の前に現地でお話し合いをしましょう、こういうことになっているわけでございます。  そこで、今後の段取りでございますが、昨年、原水禁にお会いしたときにも申し上げたのでございますが、六月の中ごろに放射線影響研究所の理事会がございますので、そのときに私が広島に参りますので、その前後に現地で原水禁の方々を中心にして御懇談をしようと昨年申し上げたわけでございますが、現時点におきましては、国会の情勢等からまだはっきりお約束はできませんけれども、一応同じように来月の中旬ごろ私が広島に行って、そのような懇談の機会を持ちたいというように考えております。
  222. 森井忠良

    森井委員 終わります。
  223. 熊谷義雄

    ○熊谷委員長 次に、中村重光君。
  224. 中村重光

    中村(重)委員 いまの森井委員の質問に対して、現地に行って被爆者と懇談をするというのは、広島、長崎ともにおやりになるという御方針ですか。
  225. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 ただいま森井委員からお話のございました件は、広島の原水禁の方々が昨年、ことし二回にわたってお見えになったときのお話し合いでございまして、まだ長崎の方にはお会いをしていないのでございます。したがって、長崎の方からも御要望があれば、それは広島にだけ行くというわけにはまいりませんので、十分その実現方について考慮をしたいと考えております。
  226. 中村重光

    中村(重)委員 認定患者の問題について、認定患者の申請に対する改善についてお尋ねをするのですが、最近、認定申請が却下される例が非常に多いわけですね。当初は認定申請をいたしますと、ほとんど認定をされておったわけですが、最近の状況ですと、四十八年が申請に対して六〇一五%、四十九年が四二・五〇%、五十年が三〇・五五%、十人の申請に対して三人程度しか認められない、こういうことなんですが、この認定の状況はどうなっているのか、まず、その点についてお聞かせ願いたいと思います。
  227. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 被爆者の認定制度は、昭和三十二年度から始まっておりますが、それ以後現在までの総数では、約九千人の申請に対して七千二百人の承認を与えておりますので、八四%程度の承認率になっております。ただ、ただいま御指摘ございましたように、最近は年々認定率が下がっておりまして、昨年の法案御審議のときには、これまでの総数が八五・二%であったものが、総計としても八四%に下がってきたわけでございますが、特に最近は年間三〇%強の認定率だというふうになってまいりました。これは被爆後三十年を経過しておりますので、やはりまず事実の証明が非常にむずかしくなってきているというのが第一の理由でございます。それから第二の理由は、昨年来たびたびお答えしておりますように、独特の原爆症というものがないわけでございまして、結局、普通の病気が原爆の放射線を浴びたためによく起こってくるようだ、治りにくいようだというようなところから議論が始まりますので、医学的な判断そのものも非常にむずかしいわけでございます。そういった関係から、最近は書類不備で差し戻しをするようなケースもふえておりますし、また最終的に認定率というものを見れば、だんだん下がって、年間では三〇%ぐらいになるというようになってきたわけでございますが、私どもといたしましては、原爆医療審議会の特別な御協力を得まして、いまでもできるだけ原爆症の患者と認定できる者は認定をするという基本方針で臨んでおります。
  228. 中村重光

    中村(重)委員 いまのお答えは、内部疾患という場合にはわかるのです。確かに三十年たちますと、事実の認定というものは非常にむずかしい。原爆症がないということについては抵抗を感じますけれども、なかなかむずかしくなったということは、考えられないではないかもしれない。ところが外傷の場合は、この二つとも当てはまらないんですね。事実の認定というのは、ケロイドである、あるいはガラスの破片が入っているとかいうようなことは、事実はすぐわかるわけです。それから原爆症じゃないといったようなことについても、原爆症ということは、これは外傷の場合は、熱線とか爆風とかいうような関係というのがありますが、明らかにわかるわけですね。問題は、当初は外傷の場合もさほど厳しくなかったんですよ。最近は非常に厳しくなりまして、レントゲンに撮りますと、ガラスが全身に入っている、それを一々ガラスを取り出す手術をしろという要求をする。それからケロイドであるとか、あるいは傷を受けて口がよく開かないとかいう不自由さ、ところがそれなりに固定している。不自由であってもがまんするんですよ。ところが、それを手術しろと、こう要求をするんだな。それからガラスも、全身を手術してガラスを全部出してしまえ、その手術を終わらなければ、認定の申請をしても卸下をすると、こう言うわけだ。おっしゃるように、三十年たった、一応固定している、不自由はあるけれども、手術をして治るか治らぬかわからないわけだ。もとの状態になるかならぬかわからない。指示のとおり手術をしたらば、それじゃ認めるというのであるならば、それは痛いのをがまんしてやるでしょう。あるいはガラスでも、あっちこっち切り刻んで出してしまうということだってある。しかし、そうやっても果たして認定をしてもらえるかもらえぬかわからない。そうすると、ちゅうちょするということは、私はわかるのです。  だから、そのやり方自体に、そういう要求をされること自体に問題があるのじゃないか。認定というものは、そういうわけなんですね。現在の外傷、それは非常に不自由なんだ、だから、それはそのままいかないから認定をして治療してやるということにならなければ、私は、認定患者を認定するという意味がどこにあるのだろうかという感じがしてならぬ。だから、そういうやり方自体に問題があるのではないかということを私は指摘したいわけです。その点はどうお考えになりますか。
  229. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 原爆二法は、原爆の放射線の影響を受けて心身に障害を起こして、いまなおそれで苦しんでいらっしゃるというような方々を対象にしているわけでありまして、特に認定患者の場合には、そういった障害でいまなお医療を受けなければならない状態にある方を認定患者にすることにしているわけでございます。そういう関係で、ただいまのお話のような場合には、ただ後遺症が残っているのだといった状態では認定患者にはできないのでございまして、その後遺症がもちろん悪くなったから、あるいは後遺症が激しいから何らかの医療を受けなければならないという場合に初めて認定患者になるわけでございます。これは、現在の原爆二法の一つの基本ルールでございまして、そのあたりを動かし始めますと、やはり一般戦災者の問題等が起こってくるわけでございます。現行制度におきましては、これはやむを得ないことと考えております。
  230. 中村重光

    中村(重)委員 それは、私が指摘したようなことは当初はそれで通っていたわけですね。最近非常に厳しくなったということ、これが問題の一つなんだ。  それから、治療を受けなければならないとある。この点をお考えにならなければならないことは、当初はそのとおりで、手当にいたしましても治療を受けている者あるいは病気が進行している、これは当然そのために治療を受けるわけですから。いまは治癒をしても半分は支給されるということになっているわけだ。だから、厚生省のこの問題に対する扱い方というものは変わってきたわけです。だから、この治療を受けなければならないとなっているのを、これはやはり削除するということにならなければいけないというふうに私は思うわけです。そうしなければ半額支給ということはどうしてしたのか、いまの答弁とは矛盾してくると私は思う。したがって、治癒をした者に対して半額を支給するという制度を新たにおつくりになったと同時に、その運用の問題ということについても、内容を改めていくということにならなければ、私は筋が通らないような感じがする。その点に対してはどうお考えになっているか。
  231. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 この認定患者が配慮を必要としなくなった状態に達しましたときにも半額を支給するという制度は、四十九年の十月から始まった制度でございますけれども、これは、やはり一たん認定患者として非常に御苦労なさった方、この方は本当に戦後二十年、三十年というふうに苦労なさった方であります。それからもう一つは、やはりそういうふうな医療を受ける状態にあったけれども、幸い病気がよくなって現在では医療を受けなくてもよくなったということでございますすが、医学的に見ますと、そういう長年医療で呻吟なさった方については、特に原爆被爆者の場合には、またいつ再発するかわからないという問題がございます。そういう特殊事情に着目いたしまして、四十九年十月から医療を必要としなくなった場合にも、二分の一の特別手当を差し上げることにしたわけでございまして、ずっと以前にもう治ってしまったという方々とはかなり性格が違うものでございます。
  232. 中村重光

    中村(重)委員 それは違わない。全身にガラスがいっぱい入っている、あるいはケロイドを受けて認定は受けてない、しかしながら寒くなったら、何と言うのですか、俗にわれわれはすぶくと言うのだけれども、神経痛の痛みという非常に痛みを感じる。それからいま申し上げたように、ケロイドで口が非常に不自由、三十年間苦労しているのです。認定を受けた人だけが苦労して、認定を受けてない人は苦労してないというのじゃないわけです。同じように苦労してきている。しかし、認定を受けた人には、やはり認定の手当というものが支給されている。認定を受けるだけの症状あるいは外傷を受けていながら、厳しい審査にひっかかって却下されている。したがって、そういう手当も受けてない、認定を受けてない人の苦しみというものは、想像以上のものがあるわけだ。精神的にもいやされない。なぜに認定を受けないのだろうか。肉体的、精神的な苦労というものは、認定を受けてない人に私は最もはなはだしきものがあるという感じがいたします。  したがってあなたが、三十年間苦労したのだ、治癒はしたけれども、苦労したから何というのか、その代償という形で半分支給するということとは——何か認定を受けてない人に対して余りむご過ぎる。そういうこり固まった考え方ではなくて、現在の審議会のその審議のあり方ということにやはり問題があるのではないか。それから、いまあなたが後段お答えになりましたように、半額を支給するということにしたのだから、その考え方をもう少し推し進めて、治療を受けていなければならないということであったけれども、そういう特別の扱いをしたのだから、したがって、そういう気の毒な人に対しては、何とかひとつ認定をもう少し緩やかにして認定をしていく、そういう温情ある扱いをしていくのでなければ、法のもとに平等でないということになるような気が私はいたします。気がするということより、むしろ確信を持ってあなたにそのことを指摘をしたい。もう少し弾力的に、もう少し緩やかに、もう少し実情というものを見きわめてその認定をしていくということでなければならないし、私どもが毎国会当委員会において、認定患者の認定の方法については緩やかにやりなさい、こういう附帯決議をつけてきた、院の決議を尊重するという立場からも、私は、もっと弾力的なやり方をする必要があると思う。この点については大臣からひとつお答えをいただきたい。
  233. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 二つの問題があると思うのでございますが、一つは、現在の原爆二法の運用の基本方針でありまして、やはり現に医療を受ける状態にないといけないということでございます。それからもう一つは、やはり被爆後三十年たってまいりますと、ガラスの破片もまたケロイドも、原爆以外でも起こることがございますので、そのあたりの事実関係の証明が非常にむずかしくなってくるわけでございます。このあたりは、本当の被爆者であれば、何十年たっても救うというのがやはり原則であろうかと思いますが、いろいろとむずかしいケースも出てくるわけでございまして、そういう関係から、先生の御提案も一つの御提案でございますけれども、いま直ちにそのような方向に進むことは考えておりません。
  234. 中村重光

    中村(重)委員 いまのお答えは、やはり半額を治癒した人に支給するということにしたということですね。しかし、そのことによって治療を受けなければならないということを残していること自体に問題があるわけなんだから、やはりこれを削除していくということが私は筋であると思う。  それからもう一つは、最近は原爆を受けた人でない者がケロイドになったり、あるいは外傷を受けたりしている人があるのだから、したがって、事実の認定がむずかしいというようなことでありましたが、私どもがこの委員会で責任を持って質問し、問題を指摘しているのに対して、あなたとしては、そういう余り非現実的な答弁をすべきじゃない。明らかに原爆によってケロイドあるいは外傷を受けて、全身ガラスの破片が入っている人があるんだ。そういう人は、いかにその人がごまかしても、周囲の柱がそういうことはわかっていますよ。だから、それほど疑いがあるのだったら、原爆はいろいろな団体がある、あるいはそのために市であるとか県であるとか、広島、長崎の被爆都市あるいは被爆県から、明らかにこれは被爆者であるという証明をつけさせればいいでしょう。そうすると、少しも疑う余地はなくなるのだから、そうこり固まったお答えをするのでなくて、先ほどあなたがお答えになったように、平均をすると申請八千六百四十に対して認定七千三百九人、八五%ということになっている。ところが、最近は三〇%程度に低下している。いかに厳しくなったかということがはっきりしている。しかも私は、外傷の例を挙げて申し上げているのだから、私の申し上げたことが一つの提案であるということをあなたがお認めになるならば、やはり審議会とも十分話し合いをされて、もう少し実情に即するような、何人も法のもとに平等だということで、被爆者の方々がいわゆる嘆かないようにおやりになる必要があるだろうと私は思います。もう一度お答えをいただきたいと思います。
  235. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 このあたりの問題は、医学的に申しましても、先生がお考えになっているほど簡単ではございませんで、現在の原爆二法というのは、被爆者が多量の放射線を浴びたというところに着目をして、特殊な健康と福祉の施策をお授けしようというようなところに特色がございますので、そのあたりを緩めてまいりますと、一般戦災者の問題がすぐ出てくるわけでございます。そういった制度の本質論が一つございますし、もう一つは、先ほど来申しておりますように、被爆後三十年も三十一年もたちますと、なかなか事実の認定が医学的にも、また社会的にもむずかしくなってくるということがございます。そういうことで、私どもといたしましては、できるだけ被爆者の方々のためになるように運用しているわけでございますけれども、今後もそういう点については、特別の配慮をしながら認定制度の適正な運営を図ってまいりたいと考えております。
  236. 中村重光

    中村(重)委員 それから、先ほど私が申し上げた治癒した人に対して半額を支給する、これは特別手当であることに変わりはないわけです。そうすると、医療を受けていなければならないというこの条項は削る必要があるだろうと私は思うのですが、その点いかがですか。
  237. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 先ほど来私の申したいことは全部申し上げたと思うのでございますが、医療を受ける状態にない方に初めから特別手当の二分の一を差し上げるということになりますと、いわゆる純粋な外傷が特に問題になってくるわけでございます。そうすると、これは一般戦災の場合も同じような方々がたくさんいらっしゃるわけでございまして、放射線の特殊な影響というところから離れてまいります。そういうふうな制度の本質にかかわるような重大な問題でございますから、先生御要望のように簡単に制度を改正するわけには、まいらないと考えております。
  238. 中村重光

    中村(重)委員 制度を改正するわけにはまいらないとおっしゃるのだけれども、明らかに治癒した人に対して前は支給していなかった、それを支給するようになったのだから、その事実の上に立つと、これは外していくということが当然であろうと私は思うのです。いまあなたは、放射能との関連性が認定の要素であるというふうにおっしゃったのだが、三十年を経過した今日、なかなか認定がむずかしいのだということになってくると、今後はほとんど認定被爆者というものはなくなっていくというようなことになるのではありませんか。いかがですか。
  239. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 そんなことはございません。たとえばがんの場合も、いろいろながんがございまして、白血病については原爆放射線との関係がすでにはっきりしておりますが、そのほかの甲状腺がんにしても乳がんにしても胃がんにしても、そういったものについても、最近は原爆放射線との関係がだんだんとはっきりしかかっておりますから、そういうふうなことがはっきりしてくれば、つまり医学の進歩があれば、新しい疾患が三十五年後でも四十年後でも認定疾患として認められるということは大いにあり得ると考えております。
  240. 中村重光

    中村(重)委員 医師が、診察を受けに行ったときに、あなたの答弁のようなことを言わなくて、ともかくガラスを出しなさい、ケロイドで外傷があるからこれを一度手術しなさい、放射能云々ということは言わない、ともかく手術をするのだ、ガラスを全部取り出すのだ、それを一応やらなければ、いわゆる治療を受けているという形にならないのだからと、こういうことを言うのだが、不自由なことに変わりはないんだね、非常に苦しんでいることに変わりはないのだから。だから、そういう手術を受けなさいという要求を今後はしませんか。治療を受けなければならぬという状態であるならば、いまあなたがお答えになったような放射能の影響ありというような判断だけでよろしいですか。
  241. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 ガラスは入っているけれども、全く医療は受けないというのでは現行制度の対象になりません。ただ、その場合の医療には外科的療法もありましょうし、内科的療法もあるかと思いますが、いずれにしても医療を必要とする状態になれば、認定患者として扱われるのではないかと思います。
  242. 中村重光

    中村(重)委員 ガラスが全身に入っておれば医療を受けなければならぬ状態にあることは明らかなんだから、受けなければならないことは、これはそのとおりなんです。ただ、私が先ほど申し上げたように、そういう無理な治療をしても、果たして認定をしてくれるかどうかわからないということで、いろいろな不自由を忍んでそういう徹底した治療を受けない、治療は受けるのだけれども、徹底したいわゆる治療を施さないというだけのことなんだから。いまあなたの答弁でそれがわかりましたから、医療を受けなければならないという状態であればよろしいということですから、今後はそういうことで徹底をしてもらいたい、こういうふうに思います。  それから、所得制限の問題について、先ほど森井委員の質問に対してあなたはお答えになりましたが、財政的な事情、それから二法との性格ということですが、そのいずれにウエートがかかりますか。
  243. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 基本的には二法の制度の趣旨に基づくものであると思います。ただ、所得制限の緩和をどれくらいにするかというようなことは、やはり財政的な事情も反映してこようかと思います。
  244. 中村重光

    中村(重)委員 むしろ私どもがいつも言っているように、二法の性格というのは社会保障なんだ、だから、それを国家補償、これによって処遇をするということに踏み切ったらいかがですか。
  245. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 原爆二法を国家補償の制度にするという考え方は、全然出てこないのではないかと思っております。これは制度論からしてそうなるのではないかと思います。またもう一つは、政策の実施面から出てくる問題でございますが、やはり一般戦災者との均衡というようなものを考えなければならないと存じます。  そういう両方の面もあわせまして、やはり原爆被害者を国家補償の制度で援護するという考え方は出てまいらないと思います。ただ、被爆者の中にも国と使用関係にあった方があるわけでございますが、そういった方々については、すでに援護法でお世話をしているところでございます。
  246. 中村重光

    中村(重)委員 制度上全然出てこないというのはどういうことなんですか。出てくるのがあたりまえで、出てこないことがおかしいじゃありませんか。これは森井委員もちょっと触れましたし、私もいつか申し上げたことがあると思うのですけれども、大体原子爆弾という、世界の法律によって使用してはならない兵器を使った。だから、アメリカが当然弁償する義務がある。それを講和条約の際に権利を放棄した。被害者に相談をして権利を放棄したのじゃないんですよ。日本政府か勝手に放棄した。それなら日本政府がアメリカにかわって補償する義務がある。それは当然国家補償じゃありませんか。出てこなければならないのを無理に出てこないように社会保障で処遇しているところに問題があるのであって、全然出てこないということはおかしい。これは出てくるのがあたりまえだ。  これは事務当局としての答弁というのでは適当ではないと思います。この点は大臣からぜひお答えいただきたい。−大臣答弁ですよ、これは。だめだよ、大臣が答弁しないと。
  247. 田中正巳

    田中国務大臣 昨年も中村委員お聞きになったと思いますが、例の国際法的な法理からはこの問題は出てこないということについては、るる私から御説明を申し上げたところであります。東京地裁の判決、それをめぐる国際法理等々から、当然これが国家補償の対象になるという帰結は出てこないということであります。  ただ、そうした国際法理というものを離れてこの問題をどう考えるかということをわれわれは判断をしなければなるまいということでございまして、前の斎藤厚生大臣も御答弁申し上げていますし、私も、この問題についての考え方を申しておりますが、多分に単なる社会保障的な感覚からだけ見て律することのできない、そうした関係にある法律制度である、この問題はそういうふうに考えるというふうに私どもは思っているわけであります。  さすればこそ、所得制限問題については、私どもとしては、これを他の社会保障立法のように一律に扱うことはいかがということで、制限撤廃の予算要求をしているわけであります。しかし政府部内において、この問題についての意見のコンセンサスをいまだ得ておりませんものですから、これについては逐次改善はされているものの、全廃をいたしていないというのが現状でございます。今後とも、これについてはやはり所得制限は撤廃する方向で努力をいたさなければならないというのが、現在この所得制限問題についての法律制度の趣旨から見ての私どもの考え方でございます。
  248. 中村重光

    中村(重)委員 東京地裁の判決は、私も承知しているのです。これは訴訟の趣旨が違うのです。しかも、あのときに論旨の中に、日本は経済は高度に成長している、にもかかわらず、被爆者に対するところの処遇はきわめて貧困であるということで、政治の貧困さというものを指摘しているということがあったことは、御承知のとおりであると思います。  それから、いまの所得制限の問題ですけれども、これは他の制度との関係上所得制限は問題がある、かといって原爆の問題については、所得制限の撤廃の必要があるであろうということで、厚生省としては絶えず要求をしてきた、こういうことなんですが、どうなんですか、現在の社会保障の趣旨によって制定されているこの原爆被害者に対する処遇は——現在の二法というのは、社会保障によってでき上がっているものですね。これを性格を変えないで所得制限の撤廃ということは可能でしょうか。
  249. 田中正巳

    田中国務大臣 この法律の立法の基底を流れるものは、社会保障的な考え方であります。しかし、これについての考え方は、単なる社会保障立法より第三の道を行くべきであるというのが、斎藤厚生大臣の御答弁であったようであります。私は、若干ニュアンスが違いますが、しかし、単なる社会保障立法でこれを律する、すべてを律するということについては、問題があろうということでございますので、これをいかに表現するか、適当な言葉をとっさに見出しかねますが、少なくとも所得制限を撤廃するに値するような環境にある法律制度であろうというふうに私どもは思っているものですから、したがって、所得制限の撤廃について予算要求をしているのですが、残念ながら政府部内で私どもの主張が通っておらない、実現を見ていないというのは残念でございます。それについての努力が足りないというおしかりも、また甘受いたしますが、私どもは、そうした方向で今後とも努力をいたしたい、かように思っているのが現状でございます。
  250. 中村重光

    中村(重)委員 そういったような考え方であるならば、私は、やはり戦争犠牲者ということを念頭に置いた考え方の上に立っておると思う。にもかかわらず、所得制限が社会保障の限度枠よりも低いということはいかがなものであろうか。さらに実施期日の問題に対しても、一般の社会保障の関係については所得制限の緩和の実施期日は五月から、被爆者に関しては六月からということになっている。明らかにいまのあなたの答弁よりもこれは矛盾している、おかしいじゃありませんか。
  251. 田中正巳

    田中国務大臣 これは支給時期の事務的な問題から出てきているわけでございまして、別に被爆者であるから、時期がおくれる、それであるがゆえに、そうした考え方についてわれわれが軽視をいたしているということではございません。その点については誤解のないようにお願いをいたしたい。
  252. 中村重光

    中村(重)委員 誤解をするなと言っても、一般の社会保障の場合、所得制限の緩和というものは五月から緩和するということになっているのに、被爆者に限って六月から緩和するということは、一カ月被爆者の場合に制限緩和をおくらせているじゃありませんか。おかしいじゃないですか。
  253. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 まず実施の時期でございますけれども、原爆対策の場合には伝統的に六月から実施をいたしております。五月中に申請、届け出をしていただくわけでございます。この問題は、早いからどう、遅いからどうとは一概に言えない面があるわけでございまして、高度成長の時代は遅い方がよかったわけでございます。(中村(重)委員「そんなふざけた答弁はないよ。何だ、いまの答弁は」と呼ぶ)  それから、所得制限の問題でございますが、過去において四十六年度以外は全部所得制限の緩和をしてまいりました。現在においても、いまの御審議をいただいております予算案では、先ほども御説明いたしましたように、健康管理手当のような場合に従来十一万七千五百円であったものを十八万五千八百円にした、所得額にいたしますと二百九十六万円であったものを四百万円にした。これは標準四人世帯でございますが、そのように緩和をしております。いつも比較になりますのは、福祉年金あたりの所得制限と比較されるのではないかと思いますが、私どもの方は、そのような一本の基準で所得制限をやっておりますが、福祉年金の場合には本人に所得がある場合には本人の所得の基準というのがございまして、これは二百七十数万円になっていたと思うのでございます。ただ、扶養義務者がございますような場合には、その所得が福祉年金の場合にはやはり八百二、三十万になっている、そこが違うわけでございますが、これは、やはり対象の年齢構造によりましてかなり影響が違うわけでございまして、被爆者の場合にも、被爆者の方がだんだんお年を召してまいりますと、老齢福祉年金のような所得制限の基準の決め方が有利でございましょうが、まだお若いうちには、やはり現在の原爆の所得制限の方が有利だという面もあるわけでございます。一概にどちらが有利、どちらが不利と言えないという問題がございます。しかし、先ほども申し上げましたように、これについては四十三年に特別措置法をつくりましてから、昭和四十六年度以外は年々改善してきたわけでございますので、その点の私どもの努力は一応考えていただきたいと思っております。
  254. 中村重光

    中村(重)委員 議論があるけれども、時間の関係があるから先に進みます。  原爆病院に対する運営補助が、予算要求に対して最終的な査定は額が非常に少ないですね。二千六百万円ということになっている。これは広島、長崎で二千六百万円だが、広島が幾らで長崎が幾らかということと、それから補助額の算定基準というのは、これは五千万円要求をしたのでしたか、二千六百万円になったんだが、これは、その算定はどういうことなんですか。
  255. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 算定の詳細な根拠につきまして……(中村(重)委員「詳細でなくていいから、額が幾らかということです」と呼ぶ)ただいま詳しい資料はございませんが、両方の病院合わせて二千六百万円が国費になっているわけでございます。その分配が問題になってまいりますけれども、これは、長崎の原爆病院と広島の原爆病院でベッド数も違います。ただ、長崎の場合には一般患者も幾らか入っていらっしゃいますから、それを除いた原爆被爆者の入院患者、こういったものを基礎に置いて考えるわけでございまして、大体六割が長崎に行き、四割が広島に行く、そのような配分になろうと考えております。
  256. 中村重光

    中村(重)委員 そうすると、長崎の場合に一般の患者が入院しているからそれを差し引くんだ、こういうことですが、そうすると病院が対象になりますか、あるいは入院している患者の数が対象ということになりますか。どうなんですか。
  257. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 制度としては病院が対象になるのでございますけれども、やはり補助金を差し上げます場合にはどうしても被爆者たる入院患者の数というものが基本になりまして、その入院医療を行うために医師が何人必要であろうか、看護婦またその他の補助者が何人必要であろうか、そういう計算をして配分をするわけでございます。
  258. 中村重光

    中村(重)委員 病院が対象である、だがしかし一般の患者が入っているからそれを差し引くということは、やはり患者が対象というようにもまた考えられますね。長崎の原爆病院は被爆者が六〇%、それから一般患者が四〇%入院している。なぜに一般の患者を原爆病院であるのに入院をさせるのかということについては、それは採算上の問題ですね。理由を挙げて、あなたの方にも日赤の方から赤字の原因について書類を出されたと私は思う。そうすると、長崎の聖フランシスコ病院は五〇%被爆者が入院している。これを患者を対象にするということになってまいりますと、フランシスコ病院も私は補助の対象にしていくということにならなければ、補助をするという点からいったら問題があるような感じがいたします。四〇%も一般の患者を入院させる。しかも一般患者の方がいつも患者の回りがよくて初診料ももらえるから収入がある。国が補助をすることに私は反対じゃないのですよ。しかし、補助をするからには権威がある、いつでも被爆者が入院できるという病床を一つか二つはあけておくということでなければいけないのだというような考え方の上に立って私は申し上げるわけなんです。ですから、今後どう指導するかということと、フランシスコ病院のように五〇%も常時被爆者を入院させているという、その病院に対して何とか補助の道を考えていく必要があるのではないかというようなことから申し上げるわけですが、いかがですか。
  259. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 私どもは長崎の原爆病院に対しまして、もう一〇〇%原爆被爆者だけにするようにという指導と申しますか、お願いを繰り返ししているのでございます。と申しますのは、確かに、一般患者の場合には年齢も低うございましょうから、病床の回転率も早くなりましょう。また急性、重度の医療が行われるので一人当たりの医療費も高くなるかもしれませんが、特に長崎の原爆病院の場合には差額ベッドなんかは全然していないのでございますから、一般患者であろうと原爆被爆者の患者であろうとそう大した違いはないと思うのでございます。また、一般患者をお断りするとベッドがあいてしようがないということも起こらないと思うのでございます。周りの病院にたくさん被爆者が入っていらっしゃるわけでございますから。要するに、病院の事務的な面というよりもむしろ医学的な面からの要請があるのではないかと思いますが、病院の医療スタッフがもう少し考え直してくれれば、あの病院もほとんど全部が被爆者になり、また被爆者がいつでもお入りになれるように運用できるのではないかと思うわけでございます。  また、運営費の補助の問題は、先ほども申し上げましたように、これは広島と長崎の原爆病院に対する運営費の補助でございまして、その補助金を分配する場合の基礎として、特に長崎の場合は一般患者が余りにも多くなり過ぎたものでございますからどうしてもそういうふうな方法をとらざるを得なくなっておるということでございまして、先ほども申し上げましたように、これは今後改善してもらいたいと思っているのでございます。したがって、ほかの病院がたまたま被爆者を二割収容なさった、五割入院させていらっしゃるという場合に、そういったものを対象にして補助金を差し上げるという考え方は全然持っておりません。
  260. 中村重光

    中村(重)委員 時間の関係がありますからこれで終わりますが、残留放射能の調査地域をどうお考えになっていらっしゃるかということと、地域拡大についての今後の方針についてお答えをいただきたいと思います。
  261. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 残留放射能の調査につきましては、現在御審議いただいております予算案が通り次第、正式に委員会を開いて方針を決めて、できるだけ早く実施に移りたいと考えておりますが、方針といたしましては、爆心地から六方向に向けまして大体二十キロ、各方向百地点の土壌を採取いたしまして、セシウム137の放射能を中心にして調査をする予定でございます。なお、この調査の結果が出ますのが九月までというわけにはまいらないわけでございますけれども、できるだけ早く調査結果を手に入れまして、今後の原爆対策、特に地域拡大の問題の参考にするようにしてまいりたいと思っております。  なお、本年の地域拡大の方針でございますが、これも現在御審議をいただいております予算案が通過いたしますれば、できるだけ早く、長崎につきましては爆心地から標準六キロ、場所によって七キロの地点まで拡大いたしまして、現在指定地域になっていないところあるいは健康診断実施地域になっていない地区について、健康診断実施地域に指定をいたしまして健康診断を行う予定でございます。また、広島の場合には、広島市の隣接北西部に黒い雨が降りまして、これが二重の楕円になっておりますが、中の楕円形の部分、特に雨のたくさん降りました部分を対象に考えております。このため対象人員は、現在健康診断の実施対象者といたしましては時津、長与の四千名ぐらいが従来指定されておるわけでございますが、新しい地域拡大によりまして約一万名の方々が新たに健康診断の対象になってくると考えております。
  262. 中村重光

    中村(重)委員 答弁は要りませんが申し上げておきます。十二キロまで現に被爆地域に長崎市内でなっているところがある。ところが今度一部については七キロまでということです。いままで八キロということを聞いていたんだけれども、いずれにしても十二キロのところで髪の毛は抜ける、歯ぐきから血が出るというような地域、たとえば長崎の伊王島といったようなところがそうなんだが、そういうところは早急に地域の中に入れなければならないということを、私どもは調査の結果痛感をしております。具体的な資料としてはあなたの方にもあるはずなんだから、精力的にこの地域の調査をやって、地域の拡大をやるということにしてもらいたいということを強く要求いたしておきます。
  263. 熊谷義雄

    ○熊谷委員長 次に、小宮武喜君。
  264. 小宮武喜

    小宮委員 昨年の七十五国会でこの各種手当の引き上げに際して、私から、やはり被爆者の生活の実態調査を行って、その実態に沿うように各種手当の引き上げも行うべきではないか、こういう質問をいたしました。その際、公衆衛生局長は、十月前後に五十年度の原爆被爆者実態調査を行う予定である、その実態調査結果に基づいて原爆二法の改正、被爆者の福祉向上を図りたい、こういう答弁をされているわけです。そこで、実態調査を行われたのかどうか。また、実態調査を行った結果、この被爆者の福祉向上にどのように生かされたのか。また、この原爆二法の改正についてもどのように考えられたのか。その点、まずお聞きします。
  265. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 昭和五十年度の原爆被爆者実態調査は、昨年も申し上げたかと存じますが、基本調査を九月一日に行っております。また、生活調査は十一月一日に行っておりますし、また、特殊な事例調査は七月から十一月までの間に行っております。このような調査資料は十二月に厚生省に上がってまいりまして、現在、電算機を使いまして集計中でございます。したがって、この結果がまとまり、さらに解析を行いまして公表できるようになるのは、早くてことしの暮れではないかと思っております。そういう関係で、昭和五十一年度の原爆対策につきましては、昭和四十年度の原爆被爆者実態調査の結果を使っていろいろな推計をし、分析をして予算要求をしたところでございます。
  266. 小宮武喜

    小宮委員 四十年に実態調査を行って、その結果、四十三年に現在の特別措置法を制定いたしました、こう言っているわけですね。だから、四十年から四十三年というと、三年間の間があるわけですけれども、今回行った実態調査に基づいて、そうすれば五十二年度においては、実態調査に基づいた結果、この原爆二法の改正なりあるいは被爆者の福祉向上にこれを生かしていくというように理解していいですか。
  267. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 ただいま申し上げましたように、昭和五十年度実態調査の結果は早くて本年秋になると思われますので、五十二年度の予算要求にその結果を使うということは事実上不可能であろうかと思います。ただ、非常にスムーズにまいりました場合には、五十年度の実態調査の結果を、本年十二月末の五十二年度予算編成の復活要求のときに一部活用させていただくということはあり得るかもしれないと思います。
  268. 小宮武喜

    小宮委員 それでは本格的な改正というか、いわゆる五十年度の実態調査を実際法律面あるいは福祉の面で生かすということになれば大体五十三年度ということになって、ことしは大臣の復活折衝あたりで少しでも生かしていきたいというふうに理解していいですね。  御存じのように、原爆被爆者というのは、われわれがこれまで何回となく言っておるように、やはり普通の一般の戦災者とは非常に違った趣をもっておるわけですから、そういった意味でいつもこの原爆被爆者の福祉の問題あるいはそれぞれの各種手当の問題にしても、やはり厚生省としては、いまの被爆者に適用すると一般の戦災者に波及するということを非常に恐れておるようでありますけれども、一般の戦災者も確かに言われてみれば戦争犠牲者には間違いございません。しかしながら、やはり被爆者というのは、これは何回もおっしゃいますように、いわゆる被爆者の人体実験によって戦争が終結されたので、もし戦争が継続されておったとすればさらに何十万、何百万の生命を失われたであろうし、そしてまたさらに、日本の現在の国体そのものの今日あるのは、これは大きく言えばやはり広島、長崎で原爆に遭われた方々の犠牲の上に立って残っておるというようにも私は考えているわけです。  そういうふうな立場から、いまの政府のこの原爆被爆者に対するいろいろな措置を考えてみると、何かやはり一般的な社会保障的な考え方にどうも立っておるようでございます。いまの大臣の答弁では、まあ一般の社会保障的な性格から少しはよくしておるんだというようなことを言われておりましたけれども、われわれも野党四党として被爆者援護法も出しておるわけですが、そういう意味では当然やはり国が責任を持ってこの人たちの救済をすべきだという論拠には一つも変わりはございません。いまこういう人たちの一番訴えておるのはまあ非常につつましい要求で、亡くなった方に対して弔慰金でも何とかひとつ支給してもらえぬか、あるいは財産だとか家だとかを喪失した人に対して幾らかでも見舞い金でも出してもらえぬかというような、決して無理な、むちゃなことは言っておらないわけですから、そういった意味で少なくともやはり五十二年度あたりに——あれもこれもということは言いませんけれども、しかしながら、少なくとも亡くなられた方に対する弔慰金ぐらいは私は五十二年度ぐらいではもう踏み切ってもらいたいということを考えるし、また被爆者の方々も非常に強い要請をしておるわけです。この点について私、五十二年度あたりでは弔慰金について何とかひとつ踏み切ってもらいたいということを強く要請したいのですが、ひとつ大臣、いかがですか、この問題は。
  269. 田中正巳

    田中国務大臣 昨年も私からこの法律の審議に際して申し上げました。原子爆弾被爆者に対する対策というものについて他の一般戦災者とは違った立法制度をとっているという趣旨のものは、この方々が不幸にして原子爆弾を被爆されまして多量の放射能を浴びておる、そのために健康上の特別の配慮が必要である、あるいはまた健康上特に損なわれるところが多い。他の財産的な損害ならばこれはリカバリーがきくわけでございますが、この方々はそういうわけにはいかないのだということで、特殊な理由に基づいて特殊な立法をしているというのは厚生省関係立法としては珍しい例なんでございまして、原因のいかんを問わず現在の実情をつかまえてやるというのが社会保障立法の普通の姿でございますが、これはそうしたような特殊な事情を考えて措置をしているわけでございます。こうした趣旨に基づく立法措置でございますので、したがって、現在やはり御存命の、放射能を多量に浴びて健康上支障があるとかあるいは御心配があるといったような方々に対してできるだけ手厚いことをやっていこうというのが私どもの趣旨でございまして、心情的にはわからぬわけでもございませんが、たとえば財産を喪失したとかあるいはすでに亡くなった方、この方に対しての遺族が何らかの給付を受けるという制度、施策というものは、この制度の中からはほど遠いものがあるのではなかろうか。よしそれが、そういう政策要請があるとしても、プライオリティーはこのシステムの中では劣るものではなかろうかというふうに私は考え、もしそういう余地があるならば、現在御存命のこうした気の毒な方にいろいろな措置を向上さしていくといったような方向が、法律制度のたてまえ上、趣旨から見て適当であろうかというふうに思って今後ともこの問題に対処をいたしたいというふうに私は考えておるわけでございます。
  270. 小宮武喜

    小宮委員 弔慰金といいますと、これはあくまで一時的な弔慰金ですから、その意味では遺族年金と若干趣を異にしておりますけれども、やはりそういった一時的な弔慰金ですから、それぐらいは踏み切っていいんじゃないか、私はこういうように考えますが、いまの大臣の答弁もなかなかむずかしいようでございますから、私は、援護法の中へ盛られておる中のある一つの部分として、弔慰金ぐらいは何とかひとつ考えてもらいたいということを申し上げておるわけでございますが、ひとつそういう意味で再考をお願いしたいと思います。  これはこれくらいにしまして、では、全国の被爆者手帳所持者は何名で、それから認定患者は何名ですか。
  271. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 最も新しい数字で申し上げますと、手帳の所持者は約三十六万名となっております。また認定患者は、累積で申しますと七千二、三百人になるのでございますが、中にはお亡くなりになった方もございますので、現在この制度の対象になっています方々は四千三百人程度でございます。
  272. 小宮武喜

    小宮委員 先ほども質問がございましたけれども、この認定患者の認定にかかわる審査規定の問題ですが、この審査制度というのは三十二年に制定された原爆医療法に基づいておるわけですが、この制度が実施された当時それに該当しなかったんでその後医療を必要とする人が出てきたり、あるいはその当時制度の趣旨が——原爆に遭われた場合に過去が散ってしまったわけですから、そういう意味で趣旨が徹底しなかったりしておる人がかなりたくさんおるのが判明しておるわけです。ところが、こういうような人たちはいまごろ申請しても非常に審査が厳しくて、それで却下される。もし三十二年当時であれば当然認定されていたであろうと思われる方々が現在認定できずに却下されておられる方々もあるわけです。その意味で、それでは申請した方が大体何名で、認定患者として認定された人がどれくらいあるのか、御参考までにひとつ御説明願いたい。
  273. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 本年三月末現在の数字でございますが、認定申請件数は八千六百四十、そのうち認定件数が七千三百九、認定比率と申しますか、合格率が八四・六%となっております。
  274. 小宮武喜

    小宮委員 先ほど申し上げましたように、この認定基準が非常に厳しいということで却下されるケースが多いわけですが、そういうような意味から見れば、この被爆による受傷というのが確認されて、そうして障害程度が身体障害者の六級程度以上であればやはり認定患者として認定すべきじゃないかというようなことを私は考えているわけですが、この点についての所見と、それから特別手当の問題にしても、これは治癒しておれば二分の一になるわけです。しかし、治癒したとして  もやはりケロイドの問題とかいろいろありますので、これを二分の一に減らすということはどうも酷ではないか。また、戦後三十年もたっていれば治癒するというのが大体普通ではなかろうか、そういうことになってまいりますと、特別手当のAランクをもらえる人は余りおらぬようになるのじゃなかろうかと思いますが、今度の改正による特別手当の該当者は大体どれくらいおりますか。
  275. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 特別手当の該当者でございますけれども、実際の支給件数というのはいま手元に資料がございませんので、予算件数になってまいりますけれども、大体全額お払いいたしますものと、それから医療を受けない状態になったというので半額お払いいたします方が半々でございまして、約二千名ずつでございます。半額の方が若干少ないという程度でございます。
  276. 小宮武喜

    小宮委員 合計四千名ですか。
  277. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 三千九百十一、正確に申しますとそのようになってまいりますが、これは予算上の数字でございますので、正確な実施実人員数ではございません。
  278. 小宮武喜

    小宮委員 それから、これも先ほどからいろいろ質問があっておりましたけれども、健康管理手当についても所得制限とか疾病制限がつけられているわけですね。この制限を撤廃すべきだというのが私のいままでの主張でもあります。これは厚生大臣もかなり前向きで努力されていることは承知しておりますけれども、今度五十一年度で税額が十八万三千八百円になる。この税額の問題、これはやはり本人の所得税額とすべきではないか。これは扶養家族とか扶養義務者は除いて、これと無関係にただ本人の所得税額を十八万三千八百円ということで所得制限を設けるならばまだ話もわかるけれども、やはり扶養義務者等も入れてどうこうということについては問題があるし、また疾病制限についても、満五十五歳以上になっていますが、この制限についても撤廃すべきだ、こういうふうに考えますが、どうですか。
  279. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 ただいまの所得制限の場合の本人の所得とそれから扶養義務者の所得でございますが、これは厳格に申しますとまた際限がないのでございますけれども、世帯が遠く離れているとかいろいろなこともありまして、その辺は現場においてよく御相談をしてやっているのではないかと思っております。  それからもう一つ御質問のございました健康管理手当の病気の種類でございますけれども、これも四十九年の十月から二つの疾患群をふやしたわけでございます。呼吸機能の障害、運動機能の障害という二つの疾患群をふやしたわけでございまして、その際も、これは第一線の指定医療機関あるいは一般疾病担当医療機関の先生方の御意見を集約したような形で、原爆医療審議会にそういった二つの疾患群を健康管理手当の対象にすべきではないかという御提案が委員からございまして、御審議の結果、ふやすことになったものでございますので、今後も、被爆者の年齢構造等の変化がございますからそれによく合ったような健康管理手当の疾患群を考えていかなければなりませんので、ただいま申し上げたような手続に従って新たに疾患をふやすかどうかの検討が医療審議会で行われるものと思っております。ただ、もうすでに十の疾患群を指定しておりますので、残ったものといたしましては胃腸等の消化器の障害と、それから皮膚の障害とか、こういったものしかないのではないかと思いますが、胃腸障害、皮膚の障害というのは被爆者以外の場合にも非常に多い病気でございまして、その点、原爆放射線との因果関係の証明がまた十分ではございません。やっと最近胃がんと原爆放射線の関係というふうなことが論議されるようになってきたところでございますので、ただいま御要望がございましたように直ちに疾患群をふやすということは、現在の医学の経験では無理ではなかろうかと思いますけれども、今後も引き続きその拡大について医療審議会では検討が続けられるものと考えております。
  280. 小宮武喜

    小宮委員 これは所得制限が十一万七千五百円から十八万三千八百円に改正されたわけですが、この改正によって大体どれくらいの人がこの恩典に浴するのか。それでその支給率は大体どのくらいになるのか。その点いかがですか。
  281. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 支給率で申しますと、健康管理手当の場合、五十年度の現在の所得制限では八三%の支給率になりますが、新しい基準でまいりますとこれが九〇%になると思っております。また、認定患者の特別手当の場合には、障害者加算がございますので、現在の基準で八九%の支給率でございますが、新基準でまいりますと九三、四%に支給率がなるものと考えております。
  282. 小宮武喜

    小宮委員 保健手当の問題ですが、この手当は爆心地から二キロ以内の人ということになっておりますが、この二キロ以内というのは特に放射能の影響を受けておる人たちであり、また障害を受けながらも認定患者として認められなかった人たちもかなりいるわけです。そういった意味で、この手当の該当者に対してはやはりもっと保健手当を引き上げるべきだ。そういうような意味では認定患者に次いで処遇をすべきじゃないのかということを考えまして、それを考えますと現行の保健手当というのは余りにも低過ぎるんじゃなかろうか。少なくとも保健手当は特別手当と健康管理手当の中間ぐらいに位置してもいいのじゃないか。せめて一歩譲っても健康管理手当額までは引き上げるべきじゃないか、こういうふうに考えますが、所見はいかがですか。
  283. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 確かに、ただいま御提案のように、保健手当の支給者は二キロ以内の被爆者でございますから、学問的に申しますと非常に重要な被爆者でございます。そういう意味で今後も保健手当の引き上げについては特別の努力をしなければならないと思うのでございますが、一方におきましては、これまでの原爆対策がたどってまいりましたように、地域拡大の問題がいつもついてくるわけでございます。私は、やはり狭く深く対策を立てるべきではないかと思うのでございますが、なかなか物事はそうまいりませんで、浅く広くというような経過をたどってまいりました。そういうこともございまして、もちろん保健手当は大幅に増額していかなければならないと思うのでございますが、一方においてはまたこれが六キロとか十二キロになられてはかなわないという問題がついて回るわけでございまして、その辺もよく考えながら制度の改善を図ってまいりたいと思っております。
  284. 小宮武喜

    小宮委員 この家族介護手当の問題にしても、これは、病人の看護をするのは家族がするのはあたりまえだというような発想もあるかもしれませんけれども、やはりそのために、看護、介護に当たる人は外で働くこともできないというような事情もかなりあちらこちらで伺っておるわけですが、この家族介護手当にしても介護手当と比べれば非常に低いわけです。その意味では、介護手当と家族介護手当を同列に扱えということまでは言わないにしても、少なくともやはり介護手当の二分の一ぐらいは支給すべきである。だから、介護手当を同じ基底に置いて、家族介護手当の場合はそれの二分の一にするとかいうように制度をやはり改正すべきだ、私はこういうように考えるのですが、どうですか。
  285. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 基本的には家族介護手当も今後大幅に引き上げないといけないと考えております。ただこの場合には、実際に介護人を雇っていない、あるいは介護してくださる方に賃金、お礼等を払っていないというケースでございますので、当然金額は介護手当の場合よりは少なくなってくるわけでございますけれども、大きな問題といたしまして、これは他の身障者などの家族介護手当、つまり福祉手当と横並びになっておりまして、原爆の家族介護手当だけを単独で引き上げていくということは現在の情勢では不可能でございます。そういう関係で、福祉手当の改善を待ちながら、またそれとの均衡を考えながら、今後改善していくべきものではないかと考えております。
  286. 小宮武喜

    小宮委員 御参考までにお伺いしますけれども、葬祭料ですが、この制度発足以来葬祭料を支払った件数は何件ありますか。
  287. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 ただいま累計が出してございませんが、ここ数年は大体四千件から五千件、毎年お出ししているわけでございまして、これも被爆者の年齢が上がってきたということもございますが、ここには四十四年度からの実績がございますが、四十四年度の二千六百件が現在では五千件近くになってきた、だんだんふえているということでございます。
  288. 小宮武喜

    小宮委員 これは被爆者の方々がやはりどれくらい亡くなっていくのかということを推定する資料にもなりますので、御参考のために聞いたわけですけれども、先ほどからこれも話がありました被爆者指定地域拡大の問題ですね。局長が言われるように、いわゆる六キロぐらいで今度おさめたわけですが、私たちはいろいろ理由は、言いたいことはたくさんあるわけですけれども、今度は何とか十二キロまでというようなわれわれも要求はしながらも、一挙には無理としても十キロぐらいまでは何とかいくんじゃないか。特にこれは局長、厚生大臣も一生懸命にやってくれておるし、特にわれわれも信頼をしておるわけですから、そういった意味では十キロぐらいまでいくんじゃないかと思っておったところが、あにはからんや、われわれの期待に反して六キロに押さえられたという点について、若干経緯についてひとつ御説明を願いたい。
  289. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 原爆放射線につきましては、大きく分けますと、原爆が爆発しましたときの瞬間放射線というのがございます。もう一つは、核分裂生成物質がいわゆる死の灰となりまして、その後方々に、また風向きによってはある特定の方向に降ってくる。こんなように大きく分けられると思うのでございますが、地域拡大の場合にまず問題になりますのは、その第一のいわゆる直接の瞬間放射線の強さが問題になろうかと思います。これについては、先ほども申し上げましたように、過去二回推定線量が出されて、国際的にも承認されているわけでございますが、その第二回目の一九六五年の推定線量を使いました場合も、たとえば長崎の場合でございますが、六キロというのは、瞬間の原爆の放射線の量が瞬間の天然放射線の量と同じであるというのが六キロなんでございます。長崎の場合にも大体百三十ミリレム、つまり〇・一三レムぐらいの年間天然放射線があると思うのでございますが、それを瞬間の放射線に日数とか時間で割り戻しまして、その天然放射線と同じの原爆の瞬間放射線の地域というのが六キロでございます。また、七キロになりますと、もう原爆の瞬間放射線はゼロになってしまうわけでございます。  そこで問題になりますのは、第二の死の灰がどういうふうに降ったかということでございまして、これは広島の場合にはたまたま風が市の北西部の方向に向かって吹きましたので、市の隣接北西部の部分に楕円形になって黒い雨が降った。そこで確かに当時の学術会議の測定データ等も一部ございまして、若干の放射能が証明されたということになっているわけでございますが、長崎の場合はまだ西山地区に灰が降ったということしか証明されていないわけでございます。また風向きも、被爆後三十年たちましたけれども、これまではっきりしなかったのでございます。場合によっては北の方へ吹いたように言われたり、あるいは東の方へ吹いたように言われたりというふうなことを繰り返してきたのでございますが、これは昨年の原爆慰霊祭、原爆記念日のときに長崎測候所が、なぜもっと早くそういう資料を持ち出さなかったのかと思っておりますが、正確な風向きの測候記録を持ち出してまいりました。これによって風向きははっきりしたわけでございます。しかし、やはりこういった放射能灰のようなものは東西南北、あらゆる方向にまんべんなく降ってくるのが普通でございますが、それが特に風が強ければ特定の方向へ降ってくるというものでございます。  そういう関係もございますので、いま御審議をいただいております予算案で残留放射能の調査費というのを計上しておりまして、予算が通れば、先ほども申し上げましたが、爆心地から六方向に向かって二十キロまでの地点、約百地点の土壌を採取して現在の残留放射能を調べて、これを当時の放射能に換算をしていくという作業をできるだけ早くやりたい。その結果を見て今後の地域拡大の貴重な参考資料にいたしたいと考えている次第でございます。
  290. 小宮武喜

    小宮委員 その調査はいつになれば終わるのですか。
  291. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 予算の関係で実施も二ヵ月おくれておりますので、この調子でまいりますと、先ほどの五十年度の実態調査と同じように、早くて年末ぐらいにその調査結果が出てくるかと思いますが、ただこれも、土壌を採取しておけば、まず最初にスクリーニングの調査をやりまして、土壌を残しておいて後から精密調査をするという方法がございますので、現在学者の方々と、まず行政的に特に必要な調査結果でも早くいただけないだろうか、国際的な文献として残すような精密調査は後でゆっくりやっていただけないかという御相談をしているところでございます。
  292. 小宮武喜

    小宮委員 従来は町村単位に指定していたのが、今回は大字単位に指定をしたわけです。したがって、いま地域は非常に開発されておるために、大字単位に指定をするというのは境界線がもうとにかく判然としておらぬということで、字単位にしていたためにかえって混乱を招いておるわけです。だから、すっきりするのはこれは旧町村単位で指定した方が一番いいわけで、その意味ではかえっていまの字単位に指定したということで混乱をしているという問題も起きておりますので、これはいまの調査とも関連するでしょうけれども、やはり町村単位に指定するようにぜひひとつ御再考を願いたいと思うのですが、ひとつ御意見を聞きたいと思います。
  293. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 長崎の場合にも、たとえば西部の方の旧三重村でございますか、このあたりばかなり大きな村でございます。また、広島の場合には南観音町という一・五キロから七キロにわたるような大きな町があるわけでございまして、やはり旧町村単位で指定するということはきわめて大きな不公平を生みますので、むずかしいと考えております。できれば、大字も問題がございますから、小字というのはないであろうかというような問題もありますし、もういよいよになってまいりますと、最近は内閣の統計局だとかあるいは建設省等が使っておりますが、全国をメッシュマップに地区をつくっているわけです。小さな地区に割っているわけでございますが、そういうふうなものを採用する以外にないかもしれない。どうも字でも不公平が起こる、町ではもっと不公平が起こるということで、現在現地の県や市の方々とも御相談をしているところでございます。
  294. 小宮武喜

    小宮委員 被爆二世、三世の問題ですが、これも昨年七十五国会で質問した際に、答弁によれば、財団法人放射線影響研究所でも研究を続けており、厚生省も四十九年度から学会に調査研究を委託しておるという答弁があっておりましたが、その後この調査研究は大体どの点まで進んでおるのか、その点いかがですか。
  295. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 まず、四十九年度から広島市と長崎市で始めております被爆世帯の研究、その中に二世、三世の健康状態の調査が入っているわけでございますけれども、これも四十九年度から始めまして、五十一年度はやはり一千万円程度の研究費で調査を継続いたしたいと思っておりますが、そのような普通の医学的な方法ではなかなか二世、三世の健康被害、健康障害は証明されないのでございます。これは旧ABCCが昭和二十一年以来、被爆者の二世につきまして死産率とかあるいはその乳児死亡率、さらに白血病の発生状況、また男女の性比、こういったものを詳細に調べたわけでございますが、従来の方法ではどうも被爆していない方との間に有意の差がないわけでございます。そこで日米双方協議いたしまして、放射線影響研究所におきまして五十一年度から遺伝生化学的研究という、血液の中の化学物質を測定いたしまして放射線の影響を証明しようという調査を始めることにしたわけでございますが、そのような調査もやはり少なくとも三年はかかります。学問的に申しますと五年間の調査が必要でございましょうが、そういった新しい血液生化学的な方法等も駆使して、二世、三世の放射線による健康被害の状態を早く解明してまいりたいと思っております。特にこの問題は、二世、三世の方たちの就職とかあるいは結婚問題にも一部においては非常に大きな影響を及ぼす問題でありますので、できるだけ早く正確な調査結果を手に入れたいと考えております。
  296. 小宮武喜

    小宮委員 近年、二世、三世の方で原因不明の疾病によって死亡する方とかあるいは生活能力に欠ける人がだんだんふえてきておるという現状ですが、こういった原因不明の疾病にある者については、何か難病と同じような取り扱いができないものかどうか。また、生活能力が極端に落ちた人に対してはやはり生活扶助の措置をするとか、そういった救済対策を考えてほしいと思うのですが、どうでしょうか。
  297. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 ただいま申し上げましたように、まだ原爆放射線の二世に対する影響が医学的には証明されておりません。したがって、原爆対策の一環としてそういう方々のお世話をするということは不可能でございますが、そういった方々につきましては、一般の社会保障制度あるいは難病対策、こういった関連制度の充実をまちましてお世話をしていったらどうであろうかと考えております。
  298. 小宮武喜

    小宮委員 これも原爆病院対策の問題ですが、被爆者の唯一の医療機関として原爆病院が存在しているわけですけれども、これは非常に赤字の連続で、しかも県、市、まあ国も助成をしておりますけれども、それでもなおかつ赤字の連続で、このまま続けていけば原爆病院がどうなるのかというような心配がされるわけです。そういった意味で被爆者あたりも非常に心配しておられるし、その意味で、被爆者あたりが安心して療養ができるように、むしろ原爆病院を国営に移管して、そして被爆者の医療専門の機関としての国立病院にすべきじゃないかという意見も非常に地元では高まっているわけですが、原爆病院の国営についてどのように考えておられるのか、ひとつ御意見を聞きたい。
  299. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 原爆病院の国立移管の構想はかねがねからあるわけでございますけれども、私どもといたしましてはやはり日赤の運営する病院のよさというようなものを最大限に生かしながら、国、県、市が十分な助成をしてりっぱな原爆病院を運営していく方法が現在においては一番よろしいのではないかと考えております。  また、具体的な問題といたしまして、広島の原爆病院の場合には、全体が原爆病院でございませんで、総体で五百床ぐらいの総合病院の中に原爆の病棟が百七十床あるという病院でございます。また、長崎の原爆病院の場合には、今度は全体が原爆病院でございますが、いろいろな関係で最近はどうも四割あるいはそれ以上一般患者がお使いになっているというような状態になってまいりました。そういうこともございますので、いま直ちに国立にしようとしてもそういうふうな問題がございますから不可能なことでございますが、そういった問題だけでなく、私は、ただいま申し上げましたように、日赤のよさというものを最大限に生かしながら原爆病院を運営していくのがまた被爆者のためにもなるのではないかと考えております。
  300. 小宮武喜

    小宮委員 被爆者温泉療養保養施設の運営費の問題ですが、この施設も被爆者に健康と憩いと安らぎを与えることによって非常に貢献しておるわけですが、やはり被爆者専用施設という性格上、どうしても独立採算にしなければいかぬ。しかしながら、実際上はもう非常にこの運営に困っておるという問題かありますので、いまは先ほど申し上げましたように被爆者の方々は非常に老齢化してきておるということを考えた場合に、これは特養、特別養護老人ホームあたりと同じような考え方で、少なくとも措置費ぐらいは助成してもいいんじゃないかというように考えておりますが、この点については局長としてどのようにお考えですか。
  301. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 そのような一種の保養施設と申しますか、本当の意味の福利厚生施設のようなものでございますが、そういうものに対して建物設備の補助をする、あるいは運営費の赤字を補助をする、あるいはいま御提案のように被爆者がお使いになったときに一人幾らという措置費を出すということは、現在の制度では不可能であると思っております。これは長崎にも広島にもあるわけでございますが、こういうふうな制度につきましては、やはり原則は利用者の被爆者の方に応分の負担をしていただく、またそのためにも私どもは各種手当等の引き上げをやっていく、それでどうにもならないところはまず地元の市とか県が何かの配慮をする、それでもどうにもならないようなときに初めて、国の方も何かしなければならないかなあという問題が将来起こるかもしれないという性格のものではないかと考えております。
  302. 小宮武喜

    小宮委員 もう時間がございませんから、最後に、原爆病院の国立移管というのが非常に困難であるというなら、これはやはり国は県なり市なりといろいろ相談をして、この抜本的な再建計画を策定させて、その計画に基づいて思い切った援助を行うべきではないか、こういうように考えているのです。具体的にいろいろ病院の実態を調査して申し上げるなら、国は原爆後遺障害研究の費用に対しては助成を行っておりますが、この助成をまず増額するということが第一点。第二点は、被爆者の老齢化に伴う特別介護要員費に対するいわゆる運営費に対する助成、これもことしから初めてついたわけでございますが、しかしまだまだ少な過ぎるという問題もあるので、これをやはり大幅に増額するということ。もう一つは、長期運転資金借入金の元利償還について、これは現在は県や市がただ利子補給だけをやっておるわけですが、そのために元金はそのままもう残っていっておるわけです。だから、この元金あるいは利息を含めて計画的に償還できるように国としての助成を行うべきじゃないか。第四は、過去の施設整備借入金の元利償還についても、利子補給だけは県や市がやっておるわけですが、国は何にもやっていないということで、この助成についてもひとつ国として考えてもらいたい。大体こういうような四点について国として思い切った助成策を考えていただくならば、無理に国立に移管しなくても何とか再建できるというような見通しも持っておるわけですが、この原爆病院の再建についてひとつ抜本的な対策を立ててもらいたいということを申し上げて、また厚生省からそれに対する見解を伺って、私の質問を終わりたいと思います。
  303. 佐分利輝彦

    ○佐分利政府委員 まず、原爆病院助成の第一の研究費の助成でございますが、昨年は一病院二千二百五十万程度でございましたが、新年度の予算案では三千二百八十万程度に約一千万ふやしてございます。これも今後できるだけふやしたいと思いますが、ただ、研究費はそうやたらにふやすわけにもいかないわけで、研究で実際使える程度しかお出しはできないであろうと思います。  第二は運営費の補助でございますが、先ほど来申しておりますように、両病院で二千六百万円国費を計上したわけで、これが三倍になって両病院にいくわけでございます。五十年度の決算がまだ終わっておりませんけれども、長崎の場合で赤字が二千万円弱、広島の場合で一千万円強ということではないかと思うのでございます。そういうふうに、やはり医療費の改定の方がよろしきを得れば病院の経営はかなりよくなるわけでございます。そのほかに、やはり職員の労務管理等、病院管理の適正化も図ってもらわなければならないと思いますが、端的に申しますと、五十一年度予算案の二千六百万円の運営費の補助金を今後続けていけば、それによって先ほどお話がございました第三の短期運転資金の元利償還の問題、また四番目の長期借入金の元利償還の問題もおのずから解決してくるのではなかろうか。これは大きな前提条件がございまして、現在の経済情勢ではということでございますが、将来大きな経済的な変動でもあればまたこれは二千六百万を倍にするとか三倍にするというようなことも必要でありましょうが、現在の情勢ではあの程度ですべての御要望にこたえられるのではないかと考えております。  なお、両病院とも日赤の病院でございますので、企業会計方式をとりまして、いわゆる償却費等を積み立てることになっております。そういう関係で累積赤字と称するものが非常に多目に出てくるわけでございますが、あの大部分は減価償却費でございますので、国公立の病院のようなセンスで言えば累積赤字もそれほど大きなものではないと思うのでございます。また、建物設備の場合でございますが、これはやはり日赤の財産になるわけでございますから、まず長崎とか広島の日赤支部がいろいろと努力をしなければならないし、また本社にしてもやはり何らかの応分の努力をしなければならないと思います。そういう関係で、本社から両病院に対する特別補助、これも原爆病院にしか出ておりませんが、そういったものもだんだんと引き上げられるような傾向にございますので、そのようなみんなの努力を合わせて両原爆病院の今後の経営の改善を図ってまいりたいと考えております。
  304. 小宮武喜

    小宮委員 時間が来ましたので、これで質問を終わります。
  305. 熊谷義雄

    ○熊谷委員長 次回は、来る十日月曜日午前十時理事会、十時三十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後七時五十四分散会      ————◇—————