○瀬崎
委員 結局、いま長官も認められたように、本来ならば、原子力
開発そのものが安全なんだという国民的
理解がある上に立って初めて、
長崎県でどうかひとつ引き受けてくれませんか、こういう話になる性質のものなんですね。国民が全然
理解を示していない、不信を持ったままのときに、一番条件の悪い
長崎に「
むつ」を押しつけようというんですから、これはもうどだい無理なことをしているのですね。
その無理なことをしている実例でひとつお答えをいただきたいと思うのですよ。ここ最近の
科学技術庁の
長崎県への押しかけぶりですね、これを私は一遍見てみたいと思うのですよ。
二月七日には長官自身が行かれている。それから三月の初めに評判の悪かった小沢政務次官御一行が行かれた。この後三月二十三日ごろから、今度は
石渡参事官を総指揮官として、まさに押すな押すなの盛況になってきたわけでしょう。三月二十三日から五月十二日までのわずか五十一日間に、一体何人の
科学技術庁の役人が
長崎市、
佐世保市に押しかけていったか。延べ二百三人ですよ。この人たちが一日の切れ目もなしにこの
長崎と
佐世保に出かけているのですね。まさしく異常としか言いようがないと思うのです。
政府に数ある役所の中で、こんな出張の仕方をしているところが一体あるかどうか、一遍聞きたいと思うのです。
この出張は
二つのグループに分かれますね。
一つは、
石渡参事官みずからが指揮者となって、通常の数日間の出張になっているグループと、もう
一つは、出張とはいいながら、事実上向こうにもう常駐してしまっているグループとあるわけです。まず、その
石渡参事官みずから乗り込んでいる通常の出張グループについて伺いたい。
二回行っていますね、参事官。一回目が三月二十三日から二十七日までの五日間。このときは五名ですね。二回目が六名ないし八名。これは若干途中で変動があるのです。四月十六日から四月二十三日まで八日間。合わせれば二週間ですね。これだけ大ぜいの人数が、月の半分も
長崎へ一体何しに行ったんだとお尋ねしたら、こういうことです。第一回目のときは、
長崎県、市、
佐世保市当局及びそれぞれの議会代表者との接触、それから原潜
事業団との
現地打ち合わせ、事務所の借り上げ交渉、こういうことであったというわけです。第二回目のときには、オフィスの進展
状況の視察、正式にできたパンフレットを持参する——まあ子供の使いですね。四月十九日には、
佐世保市の全員協議会に
出席。二十日、西海町全員協議会に
出席。二十一日、川棚町議会、総務
委員会の勉強会に出た。こういうことなんですね、
報告のあったスケジュールは。これでは、どう見たってこれだけの人数が半月出張した日程は埋まらないのです。では一体残りは何をなさっていたのですかと問い詰めたら、私初めてのことだから
長崎観光もさせていただきました、こういうことでしょう。この重大な「
むつ」問題のお使いに行った人が観光とは一体何ですか。
改めて参事官に、一体何の目的で、これだけの人数がこれだけの期間、
長崎、
佐世保に出向いたのか。また、私がいま言ったスケジュールに間違いがあるのか、一遍聞きたいです。
石渡参事官に私は聞いていますから……。