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木村国務大臣 佐藤委員から五
項目をお示しになって御説明を承ったわけでございますが、この五
項目の中では
運輸大臣の職責の上に立ってお答えできない問題もあるわけでございますので、それは御理解をいただきたいと思うのでございますが、こういう
事件が報道されて四カ月、その間
運輸大臣はこの
真相究明のためにどういう
努力をしたか、またどういう報告を閣内においてもしたかというふうなことについてお答えを申し上げたいと思うわけでございます。
申し上げるまでもございませんが、
運輸大臣の
航空行政に対します責任の
限界といいますものは、
航空法並びに
運輸省設置法によりまして一応の
限界が設けられておるわけでございます。したがいまして、今回の
事件のように、
航空会社が
自分の
会社で使います
機材の
購入に絡んでいろいろ
疑惑が持たれておる、こういう問題でございますので、
運輸大臣がその
疑惑そのものの
究明に当たるということは、
運輸大臣の
権限外のことであるわけでございますので、こういう問題についてできる限りの
調査はいたしておりますけれ
ども、全部を
運輸大臣が
解明をするということは事実不可能であるということを御承知いただきたいと思うわけでございます。
ただ、私といたしましては、
国民に対して適切な
航空輸送力を提供する、しかもそれは安全でなければならない、また迅速な、そして
国民の
需要に対して適切な
供給輸送力でなければならない、この
航空行政の
使命を果たすのが私の
仕事でございますが、今回のこういった
事件が
運輸大臣の果たさなければならない
使命に停滞を与えなかったか、また、そういう
使命を持ってやっております
運輸航空行政というものの方向をこういうことによって曲げられておる事実があったかどうか、そういう点に重心を置きまして、
昭和四十五年あるいはそれ以前にさかのぼっていろいろと
省内におきまして
調査をいたしました。それらのことにつきましては、いままで当
衆議院の
予算委員会あるいは
運輸委員会、
参議院の各
関係委員会等においても御
質問にお答えしながら申し上げておるわけでございます。
そこで、いま御
質問の中で一番問題になりましたのは、当時
大型ジェット機の
国内線への
導入を、ああいう
事件の影響を受けて
運輸省が故意におくらしておったのではないかという点で、これが
一つの
問題点となりていままでも御
質問を受けておるわけでございます。
当時の事情を私も一応詳細に調べてみたわけでございますが、
昭和四十五年ごろまで、
大型の
ジェット機を使用するということは
世界の趨勢でございました。それに備えて三社の
アメリカの
航空会社がこういった
機材の
製作にも取りかかっておった。取りかかると同時に、これの
販売のためにいろいろと
販売合戦も行っておったという事実がその
背景にあるわけでございます。わが国にこういう話が参りましたのが大体四十五年ごろであるわけでございます。当時、
政府といたしましては、ちょうど
万博が行われておりました年でございまして、
万博という
一つの大きな行事を通じて
航空需要もかなりふえておったこの段階で、今後の
航空輸送力をどういうふうに想定をするかということにつきまして、
運輸政策審議会に諮問をいたし、
運輸政策審議会の
答申ももらいました。この
答申によりますと、この
審議会で
審議をいたしておりましたころがちょうど
万博のころでございましたので、その当時の
航空需要というものを一応
前提にいろいろ
検討をいたしたわけでございます。その結果を受けまして、今後かなり
航空需要はふえるであろう、たとえば
昭和六十年に至ると一億二千万人のお客になるであろうというようなことで
答申をもらったわけでございます。同時に、
航空事業の再
編成の問題もここで
検討をしていただいた。それを受けまして、四十五年の十一月に
航空事業の再
編成につきまして
閣議了解をしたわけでございますが、その中でいま問題になっております
国内線に
大型ジェット機を
導入するということにつきましては、
航空企業の
基盤の強化あるいは
航空安全、そういうことを踏まえて将来
国内線におきましても
大型化を
導入するという
基本方針を一応
政府の
方針として決めたわけでございます。
そういう時代を踏まえまして、
日本航空あるいは
全日空が将来に備えて
大型ジェット機の
国内への
導入ということを
計画いたしておったわけでございます。
航空会社はいずれも大体五カ年というロングレンジにおいて一応の
計画の
基本を策定いたしまして、そして毎年毎年それにのっとってその年の
計画を決めるわけでございますが、
日本航空におきましては、四十七年に
ジェット機を
国内に
導入し、これは在来の
機材で
導入をし、四十八年に
大型化を入れるというふうな
計画を一応持っておったわけでございます。これは、
日本航空は国際線で普通の
ジェット機を使っておりましたので、そういった
機材を
国内線にも使うということは、
機材運用あるいは
乗務員の
回し等から
企業的にも合理的な経営になるので、そういう
計画を持ったわけでございます。一方、
全日空は
国内線のみでございますので、改めて
大型機を
導入しなければならない。これには相当な金もかかりますし、また
安全性の問題もまだ不安定であるということで、四十五年の早々に
機種選定の
委員会を設けて社内で
検討に着手をいたした、こういう
状況であったわけでございます。
当時、
売り込みも相当激しかったようでございますが、
万博後、
日本の
航空需要の
伸びも
鈍化をしてまいりまして、それから
両社の
計画を見ますと、
大型を
導入すると同時に
国内航空旅客の自社の占めるシェアを非常に大きく持っていこうという
計画がその根底にあったわけでございまして、そういうことを見ますと、
輸送の
伸びの
鈍化に対して供給しようとしておるこの
計画は非常に過大過ぎる。そうなりますと当然
両社の間で
過当競争といいますか、
ロードファクターもうんと落ちてきて、
企業的にも非常に問題である。また、
安全性の点から考えましても、
空港におきましては当時第二次の
空港整備計画に入ろうとしておるころでございますが、
東京、
大阪の
空港はよろしいとして、他の熊本あるいは鹿児島あるいは千歳、
福岡等は、
滑走路の長さにおいてはまあまあでございますけれ
ども、その他の点で
重量制限その他をしなければまだ十分に使えないというふうな
状況でもございました。
ことに、問題となっておりましたダグラスの10あるいは
ロッキードの一〇一一というものは、ようやく四十五年にそれぞれの
航空機製作会社で初飛行をやった程度でございまして、まだ
実用には供しておられない
状況でございますので、他の
航空会社が
実用に供した実績を調べるということもできない
状況であったわけでございます。
また同時に、
国内におきましては、
日本航空と
全日空の
両社が幹線をやるわけでございますので、
フェアコンペティションという
関係から、
片方だけが
大型機を
導入して
片方は
導入できないということであってもいけないので、
導入の時期は大体
両社が同じ時期であることが好ましいというふうなことが
背景にあったわけでございます。
こういう客観的事実があったのでございましょう、
国会におきましても、
予算委員会あるいは
分科会等におきまして、
野党の
委員の方からも、当時の
橋本運輸大臣あるいは
丹羽運輸大臣等に対しまして、
大型機の
導入の話があるけれ
ども、
航空の安全から考えて、また
日本の
航空需要その他から考えて、あわててやる必要はないではないか、
安全性その他も十分調べて、そして
導入すべきである。ことに当時、
フェアコンペティションの
関係から、同一
機種が望ましいというのが大体
運輸省の
考え方でございましたが、これにつきましても、何も必ずしも同一
機種などということにこだわらなくてもいいではないかというふうな御意見が
委員会等で盛んに出たわけでございます。こういう
情勢を踏まえまして、当時の
運輸大臣も、お説もっともなことで、われわれとしても十分慎重に構えたい、こういう答弁をいたしておったわけでございます。
そういう
情勢を踏まえまして、四十六年の春、二月ごろから折に触れて
両社の長期の
計画等も
検討をいたしまして、四十七年の
導入というのは時期尚早ではないかという考えがございまして、これを少し延期すべきではないかというふうな指導をしてまいったわけでございます。
こういうことにつきましては、
航空会社もこれに協力をいたしまして、最終的に四十九年というめどにそういう
大型化することに同意をしたわけでございますが、たまたま当時、
全日空におきます雫石の
事故等もありまして、より一層
早期導入ということがむずかしいという
条件もさらにあったわけでございます。
そういうことを踏まえまして、四十五年の
閣議了解の
基本原則というものを踏まえまして、四十七年の七月の
運輸大臣通達では、いつ
大型ジェット機を
国内に
導入するかという時期について、いわば自主
計画的な
基本方針でございますが、決めまして、四十九年に
国内線に
導入をするんだという
方針を決めたという経緯を持っておる次第でございます。
それから、四十七年のいわゆる
ドル減らしに関連いたしまして、三億二千万ドルは
航空機材の
購入によって
ドル減らしに協力するという当時の
方針につきましては、これはこのとおりでございまして、当時
ドル減らしのために、量的にといいますか、かなり協力できますのが、たまたま
航空機材の
購入の
計画を持っておるわけでございますから、これをこの
ドル減らしに協力をさすということで、両者を呼びまして
航空機材の
購入についていろいろヒヤリングもいたしました。ヒヤリングもいたしまして、まだしかし、当時どの
機種を
購入するかというふうなことは
決定いたしておりませんので、いわゆる概算、大づかみに、また中には新
機種でなくていわゆる中古的なものをリースの形で
購入するようなこともあり得るというような不安定要素もございましたので、大体の見当をつけまして、おおむね三億二千万ドル程度の協力はできるであろうということで、
大臣が当時発表いたしました数字がこのことでございます。
それからもう一点、
機材の価格の点でございますが、いまの
佐藤委員のお話の中にありました、
アメリカは損をしていない。それはリベートで
航空会社の方からちゃんと含めてあるというふうな話でございます。
航空機材の
購入価格も当時からの一覧表ずっとございますが、それを見ますというと、
機材の価格は決してそういう意味で当時の価格としては高くない、普通であるという判断をいたしております。のみならず、
全日空等から事情を聞きますというと、むしろ
大型機を
購入するために在来の
機材等も、いわば自動車等で言いますと下取り、ああいった必要もあるので、そういうものも含めましてかなり価格は低くたたいた、と言ったら語弊がございますが、買う方で非常に低く交渉をして買っておるということでございまして、これはやはり金額を見ますというと、そういうことが数字の上でも想定をできる価格でございますので、決して法外な余分の物まで入れたような価格にはなっていない、こういうふうな判断をいたしておることでございます。
落ちておる点もあろうかと思いますが、おおむね以上お答えを申し上げます。