○大出
委員 そこで、もう一点詰めまして、いま
お話がありましたが、私は担当課長に詳しく聞いてある。名刺までちゃんと持っておる。間違いない。張本人から聞いているのですから。一生懸命これは詰めて、もう一遍、いま大臣がおっしゃったように、
専門家会議で勝負しよう。ところが、この
専門家会議の中身というのは、YXまで絡んでしまうのですな、通産省との
関係が出てきて。だからいまだに通産省と冷たいのだ。本当にこれはひどいものですよ。何とも言いようがないな、
専門家会議の中身というのは。民間機のYXだから。いろいろなことがございます。
だがしかし、ここではっきりしていることは、言葉の形式はどうでもいいが、真実は
一つしかないのであって、つまり、一
段階つなぎというのは、さっき
お話があったように、九年なら九年もつのだったら、そこから先なんだから、それでもあきらめずにやっていこうという
防衛庁の気持ちがあってもそれはおかしくはないが、しかし、当面の
国産というのはここで
白紙になった。つまり
輸入である。
輸入なら、アトランティックもあればニムロッドもあれば737の改型もあるけれ
ども、P3Cしかないことははっきりしている、できていないのだから。ジェーン年鑑を見るまでもない。だから、それならば、
白紙還元の
白紙はよく見たらP3Cだった、こう書いてあったということになると私は言うのだ。
そこで、念のためにもう二、三点承っておきたいのであります。
それで長官、ここまで皆さんのレポートを問題にしたのだから、ちょっと違うぐらいはあるけれ
ども、全部お認めになったのだから、これは出してくださいよ。東京地検へだけ出しておいてこっちへ出さぬというのは、これはずいぶんふざけた話だから。こんないいかげんなのをお出しになって、あなた、いかぬですよ。
ところで、積極的に取り組むとおっしゃっている。そこで次に川崎重工との
関係。これもずいぶん気の毒なことをしているわけでありまして、ここに川重との
関係のものが全部ございます。さっき法務省の方にちょっと承りましたが、契約書もここにございます。実は室井さんとか――この人は副本部長さんですが、当時の契約書に基づきますと――契約書Fです。もう
一つは契約の6がございましたかね。ここでFだ、6だというのは皆さんの様式でございますから、四の五の言いません。ここで内野憲二さんという方が当時の航空機事業本部長さんですよ。当時の
事情を私は聞きたいのです。そしてその前の四十五年のとき、四十五年七月九日の契約、この契約書によりますと、事業本部長さんは三沢良雄という方ですよ。四十六年はいま常務取締役になっておられる内野憲二さん、こういうわけであります。
そこで、おたくの方がお出しになったものでございますけれ
ども、「四十五
年度の
次期対
潜機の
調査研究(その一)」それから「四十五
年度の
次期対
潜機の
調査研究(その二)」「四十六
年度の
次期対
潜機の技術
調査研究について」こういうふうに契約の中にございます。それで
輸入の輸の字がどこかにあるかと思って克明に調べたが、実はないのです。これもおたくの担当の方にも聞いてあります。ほかからも聞いてあります。川重からも聞いてあります。何と第一回、四十五年の
調査というのは、二千万からの金をお使いになりまして、皆さんは実行
予算でずばりそのものの金額まるまるで契約しておりますから、金はみんなその契約に基づいて川重にぽんと払った。そこで、まず第一の比較、つまり方々の対
潜哨戒機の比較なんというようなことをやると言っていますけれ
ども、そうじゃないのです。いろいろな対
潜哨戒機がある、それを調べて、目的は何だったかというと、
日本で詳しく言えば四十一年から、皆さんの報告では四十三年から、
アメリカにいろいろ言ったけれ
ども、け飛ばされて情報をくれない、取れない。そこで、仕方がないから
国産をするというような意欲になった。簡単に言えば、いろいろ調べてみて、
日本で
国産をするとすればどういう機種が一番いいかというのを調べるのが第一回なんです。それから第二回、航究業界との契約でございますけれ
ども、これは「
国内開発の技術的
可能性を
検討するため」こうなっている。これも
国内開発。それから四十六年、これも「電子情報処理装置に関する試験
研究及び空力特性の
調査研究のため高揚力装置等に関する風洞試験
研究など」こうなっておりますが、
国産をするために風洞実験を含めて内部構造が基礎的にどうあらねばならないか、これも
国産。
国産以外のことは何にもやっていない。
そこで、私は念のために、四十五年、六年のときの
大蔵省と
防衛庁との間におけるこの技術
研究調査費の認識はどういうふうに相互間でなっていたかという点を調べてみた。ここに書いてある。言われたとおりに書いたのだから間違いない。皆さんのおっしゃるとおり書いた。
国内開発を行うべきかどうかの
決定に必要な
調査研究費、こういうこと、よろしゅうございますね。
輸入とはどこにもない。
アメリカは当時は
リリースしてくれない、あるいは情報をくれない、こういうわけですから、だから
国内開発を行うべきかどうかの
調査研究費を使っていま申し上げたように
研究をしてきて、川崎重工以下の東芝その他三つの企業との連携その他の上に立って、五年目の五十二年には探知
機器、電子情報処理装置などの装備品を積んだ試作機第一号が初飛行できるという
結論に達した、これが
一つ。この試作機をもとにさらに実験改良を進めて量産体制に入り、八年目には量産第一号機を納入できる見通しがついた、足かけ八年正味七年、この
開発計画が
結論としてでき上がった。そして木でモックアップをつくったんですね。ちょうど
国産機四発の機体と同じ模型をつくった。そこへ皆さんは将官その他
防衛庁の幹部の方々、制服の方々みんな行って見学をしている。その後、翼の形、長さその他を全部細かく打ち合わせて川重との間に決めている。そして機体の製作
費用も出したが、四十七年
大蔵省はけった。四十八年二年目、
大蔵省もけりにくい、そこまでいっていた。自信を持ってお出しになった。それが四十八年、さっき私が取り上げた問題。
ところが、さっきのいきさつでこれが消されたわけでありまして、消された結果として、岐阜の工場に川重はPXL設計室をおつくりになって七十名の優秀なスタッフを取りそろえてあって、そしてそのほかにも川重と関連のある日立など三社協力の形をとって契約が結ばれていますよ、そこまでの
準備ができ上がっていた、にもかかわらずということに実はこれはなる。こういう
事情なんですが、おたくの命令
一つで動くというところまでいっていたという事実はお認めになりますね。