○青島幸男君 私は、第二院クラブを代表いたしまして、ただいま
議題となっております
郵便法の一部を
改正する
法律案に
反対の立場から
討論を行うものであります。
狂乱
物価は鎮静したとはいえ、国鉄
料金、酒、たばこ、私鉄運賃など相次ぐ公共
料金値上げで
国民は、インフレの後始末もできないまま、さらに
物価高騰の危機にさらされております。このような現状にあるとき、
郵便料金の
大幅値上げが
国民生活に大きな悪影響をもたらすことは当然と考えられます。
また、
郵便の
国民生活に占める利用頻度が減ったとはいえ、価値観の多様化からミニコミが新しい時代の新しい
文化を担う役割りを持つことによって、
文化の面から考えてまいりますと、
国民生活に
郵便の占める地位は、頻度に逆比例して重くなってきているのであります。今回の
郵便料金大幅値上げは、こういう
国民の
文化生活に大きな圧迫を加えるものでありまして、
郵便文化に頼ることの多い地方の人々には大きな
負担をさらに強要することになるのであります。そして、それは中央と地方の
文化の格差を時代の要請とは逆にますます大きくしていくことになり、この点からも私は今回の
値上げに
反対せざるを得ないのであります。
このように
国民の経済
生活、
文化生活を強く圧迫し、
社会的不公正を助長する
郵便料金の
大幅値上げが、十分なる
討論と努力がなされないまま、赤字は
値上げによって
解消するというきわめて硬直した安易な発想から提案されていることに私は強い憤りを持つものであります。
郵便法第一条には「
郵便の役務をなるべく安い
料金で、あまねく、公平に提供することによって、公共の福祉を増進する」、それが
目的としてうたわれております。また、第二十一条には、第一種
郵便物とは筆書した、つまり手で書いた書状を
内容とするものであるということが明確に定義づけられております。この二つの条文を素直に読みますと、安く供せられるべき
郵便役務とは、個人の意思の伝達
手段としてのものでありまして、麗々しく大量に印刷され、不特定多数の人々を相手にして企業利益を生むことが
目的の業務用
郵便でないことは明らかであります。
しかるに現在の
郵便利用状況は果たしてどのようになっているでありましょうか。安く供せらるべきでないはずの企業用
郵便がその大部分、つまり八〇%を占めているわけであります。これは、元来個人の福祉のために安く供せられる
郵便を、企業がみずからの利益のために逆用していると言わざるを得ません。この現実は、国家が
郵便の名において企業から業務委託をされているということと全く同じ意味であります。そして、これが
郵便事業に大きな赤字を与えているわけであります。今回の
大幅値上げは、
国民が企業の利益保持のためにその赤字部分を
負担するという、まことにあり得べからざる結果をもたらすことになるのであります。この事実は、
負担の公平の原則をはなはだしく逸脱し、非常に公平さを欠くものと言わざるを得ません。なぜこのような不公正な
値上げ案が
提出されたのでありましょうか。それは一に、
社会情勢の変化に対応し切れぬ硬直した
郵政当局の姿勢にあると私は考えるわけであります。
現在の
郵便料金体系は、飛脚から近代
郵便制度に移行いたしました百年以前も前に定められたそのままのものであります。明治時代は
郵便の利用主流は個人書簡でありまして、ダイレクトメールといったような現在の商法は
郵便概念の中には存在し得なかったのであります。だからこそ、
国民大衆の福祉のために
全国均一の利用
目的別なしの安い
料金体系ができ上がったわけであります。このような状況下で発足した
郵便事業は、百年を経た今日、先ほど申し上げましたように、その安さを利用した業務用
郵便が主流を占める、
郵便法の精神とは逆の、つまり革命的利用状況の変化をもたらせているのであります。このような変化の状況に対応することなく、なお百年前の
料金体系に固執して、そのあげく
大幅値上げで、保護されるべき
国民大衆に経済圧迫を加えることは、時代に即した適切な処置であるとはとうてい考えられないわけであります。
新しい事態に直面している現在、まず考えられなければならないのは新しい
料金体系の
確立であります。福祉の適用を受けてしかるべき個人書簡と、その適用外の業務用
郵便の間には厳しい
料金格差が設けられるべきであります。ところが
郵政当局は、
郵便の秘密保持を
理由に、
料金格差を導入する新
料金体系の
確立の努力を全くなさないわけであります。もちろん、個人用か業務用か、その
郵便物の一つ一つをチェックするということは困難また実行不可能のことであります。だとするならば、それにかわるべき方法が
論議、考慮されてしかるべきであろうと私は考えます。業務用
郵便の利用者には、たとえば
郵便利用税とも言うべき
目的税というようなものを設けて、実質的に個人用書簡と業務用
郵便の間に格差を設けるなど、幾つかの方法が考えられるべきであります。しかしながら、
郵政当局は、こうした考えは発想の転換が必要であると、考慮の対象にもしないのであります。戦後三十年を経て大きく変革したわが国において、
国民が心からいま求めておるものは、
政府、
郵政当局が否定する発想の転換そのものであります。
また、企業から
郵便利用税を取るといったことは大変むずかしい問題が残ると
郵政当局は言っておりますが、その一方、
郵政当局者が多数参加して構成されているテレビ難視聴
対策調査会の
報告書は、都市難視聴
解消資金として、原因当事者の判定が困難であることから、ある一定の基準以上の建築物に対しては、
目的税たる難視聴
対策負担税を取ることを提言しているのであります。この難視聴
対策負担税と
郵便利用税とは、先ほど私申し上げました、全くその
性格が同じなのであります。なぜ一方が可で一方が不可なのか、私にはその
理由が理解できないのであります。すべからく、原因者
負担の原則に立ちまして、赤字の原因である業務用
郵便利用者に赤字
解消を
負担させる新
郵便料金の体系を
確立すべきであります。
以上述べましたごとく、今回の
大幅値上げ案は、
国民の経済
生活、
文化生活を無視し、赤字になれば
値上げで
解消という慣習的安易な発想から一歩も出ず、赤字
解消のための根本的な努力を怠っているものでありまして、私は、愚直、怠惰な
政府、
郵政当局に対しまして怒りを持って糾弾するとともに、
政府がこの
値上げを撤回することを強く求めまして、私の
反対討論を終わります。(
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