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佐々木静子君 これは私の調べたところでは、当日は普通の
状態でもうじき恩赦になる可能性が強いというようなことをそのちょっと前、その日じゃないけれども看守の人にも自分から話をしておったそうですね、前日か前々日ぐらいに。そして、この日は普通に運動に出て部屋に入ったのが十時。入ってしばらくすると十時十五分に看守が迎えに来た。そして本人は、あっ、恩赦決まりましたかと言って喜んで立ち上がった、そこの恩赦決まりましたかと言って大きな声で喜びの声を上げたのは、これはほかの房にいる者も聞いているわけですね。これはいろいろな人から私聞きましたけれども。そして死刑の執行がもう十時三十分ごろに執行されておりますね。私あの人のいた房舎から死刑の執行場まで、これは私は歩かなかったですが、ほかの方が調べましたらかなり距離あるわけですね。所長室に行ってそれから死刑の刑場まで行っているわけですね。何の暇もないわけですね。そういうまあこれは苦痛を与えないという
意味では私はわからないではないですけれども、これは福岡の刑務所長さんやら拘置所長さんに聞いても、これは私はそういう死刑の執行指揮をなさる検察官の方は御存じだけれども、私は知らないからいろいろ聞いてみると、普通は一日前か二日前に言っておく。この事件だけは特別だと。
そして息子もいるんですね。それなんかも全部本当の住所に通知出してないんですよ。出したけれども返送された。
当たりまえですよ。その後みんな住所変わってるんですから。ですけれども、その人たちは面会にも来ているから、調べようと思えば現在の住所はすぐわかるわけです。これは死刑の執行後も知らしてないんですよ。十何年前の捜査記録に基づいて住所出している。それはみんな返ってきます。しかしその間手紙の閲覧とか何とかと、刑務所はやっているんですからね。本当に知らそうと思えば幾らでも知らせれるわけです。
それで私は遺言書はと聞くと、遺言はないと言った。あたりまえですよ。十時十五分に、しかも恩赦だと思って外へ出て、十時半に死刑の執行を着手された人が、いつ遺言書を書く暇があるんですか。私はこれは全然根拠のない話をしているんじゃなくて、
国会で以前に取り上げるについてN被告に、実際に出会ったのは一回ですけれどもね、出会っているわけですよ。体が悪い、非常に健康がすぐれないから獄死するかわからないと。しかし自分は遺言書をしっかり書いておく。万一のときには――彼は処刑されるとは思っていなかった、恩赦が認められると思ったけど、それまでに獄死するかわからない。遺言書にすべてを書いておくと、これ私もこの耳で聞いているし、
関係者の人は何人も聞いているわけですよ。ところが遺言はなかったと。十五分に迎えに来て、もう三十分には――三十分か二十九分ですね、執行の着手、で遺言書はないと、そして遺族にも知らしてない。
私は国外にいたけれども、もう恩赦出たころかな、出られはしないけど、恩赦になったころかなぐらいに国外で思っていたけれども、しかし
関係者も新聞を見て初めてびっくりして刑務所にかけつけたわけです。そういうふうな行政がありますか。これは血も涙もないというようなありきたりな言葉では言いあらわせない問題だと思いますよ。そして、そのことを言うと、えらい失礼だけれども、いやNは悪いやつですよ、あんな悪いやつはと。しかし仮にどんな悪いやつであったところで――私は悪いとは全然思ってないんですよ、まあしかし仮に悪いやつであったとしたところで、こういうことをこれは国家権力は許せるのかどうか。私はこの死刑の刑事
補償の問題を
考えるときに、いまの死刑の執行が密室の中でこんな
状態で行われているというこの悲惨な
状態を、これは死刑
制度自身が根本的には問題なのであろうと、それを執行する当事者を責めるのは酷だとは思いますけれども、しかしもうちょっと
考えがあるのではないか。
で私は、福岡の刑務所で抜き打ちにそれじゃ死刑の処刑をするのはこの人だけかと、Nだけかと聞くと、もう一人いると、これはMという人だと。この二人は抜き打ちでやってもいいことになっているんだと。それじゃそれはどういうことでそうなっているんだと言うと、これは死刑の確定囚からアンケートをとったと言うんですね。打き打ちにやるのがいいか、何日前に通知してほしいか。それに対してこのNとMとは返事を出さなかった。当然です。このNは無実を争っているんだし、それからMも、これは日弁連でいま再審請求をしている、無実を争っている被告ですね、死刑囚ですね。それはそれに対して回答は出さないでしょう。そうすると、刑務所長は、この二人は抜き打ちにやっていいんだと。ほかの人は何日前に知らしてくれとそれぞれアンケートがあると。それも聞いてみると、前々所長のときのころだとか、七年前にとったアンケートだとか、そういうふうなずさんなことで、そういう人間の、これが国家権力で人に死を与えるというふうなことが、私は矯正
局長が非常に近代的な矯正ということで取り組んでおられるということについては非常に敬意を表しているわけですけれども、現実に福岡のこのN被告はそういう殺され方をしたという事実は、やはり私は
日本のこれは処刑史の
一つの問題点として私は御当局が
考えていただきたいと思うわけです。
それから、私にもこれを聞いておりました。もし自分が獄死したならば、逮捕されたのは彼は
昭和二十一年だったと思いますね。そして死刑が確定したのは、してからもう三十年ほどたっているわけですね――三十年もたっておりませんか、二十数年たっているわけですね。その間、毎日日記をつけている。これを読んでもらえば事件の真相は理解してもらえるから、ぜひ自分が獄死した場合にもこれを読んでほしいと、これは私だけではなく、前についておった弁護人とか、いろんな人が聞いているわけですね。それはどうなったかと刑務所長に聞くと、処刑されるちょっと前に全部廃棄処分の申し出があったと言うんです。その廃棄処分の申し出の書類はどこにあるかと言うと、書類はないけど、口頭で全部の書類について廃棄処分の申し立てがあったから廃棄処分にしたというのです。そういうことがいまの
日本の行刑で行われているという、この点、私は非常に今度の刑事
補償の問題とあわせて遺憾に思うわけです。遺憾じゃ済ませないような気持ちになっているわけです。この点について矯正
局長とそうして大臣の御意見を伺いたいと思います。