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有田一寿君 まあ私もそうするだろうと思います。
それで、
角度を変えて、私も
意見を申し述べて−みたいと思いますが、この
主任問題の
議論というものが非常に微に入り細にうがち、あるいは左から
考え右から
考えということで、まあ
法律論的にもあるいは
実態論的にもどうだということで、大変これやかましい、もう
考えておると
考えるほどわかりにくくなる、まあ私自身正直に
——という
感じさえするわけですが、このよって来るところは何だというと、みんな口を緘して言いませんけれども、私はこうだと思うんです。
戦時規定と
平時規定というものが、まあ
国際法で言えばそういうものがありますが、
野党の方が、
現場は平和に明るくやっている、またそれが続き得るという前提でぼくは
考えての
発言が多いと思うんです。ところが、まあ与党と言うと語弊がありますが、まあ一部の人の中には
戦時状態を想定して
考えておる
発想がある。言いかえれば、非常に
学校の
現場が荒れた、あるいは
ストライキに突入するかしないかという
場面、あるいは突入した
場面等を
考えると、先ほどは
運動会の例でしたけれども、そういう場合に、やはりその何かここに
管理的な者が
校長、
教頭以外におった方がいいのではないかという
発想にいく、これも私は一概に否定はできないと思うんです。だから、願わくは、そういう
戦時状態のようなことが
学校現場で起こらず、平穏にいきさえすれば、そんなにむずかしく
議論はしなくてもいいんだろうという
感じがいたしまして、そのもとの
状態をひとつ
お互いに、われわれも極力、
学校現場の
正常化といいますか、
教育現場らしい
現場と申しますか、あるいは
大臣がいつも言われる静かなる
教育の場といいますか、そういうところに近づける努力をしなければいかぬと。ここで
考えますのは、じゃなぜそういうふうに
お互いが疑心暗鬼を持つような悲しい
状態になったかと。いまさらこれを、いや
日教組が
ストライキを構えるからこうなった、いや政党の方が弾圧を
考えるから抵抗上そうなったか、これはどちらがどちらとは言いませんが、ある程度私は
教育現場には
不信感を生むような面が現在でもまだあるということは否定できないという気がいたします。早く言えば偏向ですね。それをなくすることがどうしても先決だという気がするわけです。ですから、この
主任問題は
主任問題として私は後で結論的なことをお聞きいたしたいと思いますが、ひとつここに
権威ということを
考えなきゃならないのではないか。この
権威主義はいけません、これは人為的にいろいろつくるのですから。しかし
権威とかあるいはオーソリティー、リーダーシップ、こういうものは自然発生的に生まれるものは結構ではなかろうか。そういうことで、それが少し強く物を言ったっていいんだと、制度の裏づけはないけれどもその人の徳だとか
経験年数だとか
教養からにじみ出るものによってその人の
発言が強くなる、また片っ方はそれを快く受け入れるということになることが私は望ましいような気がするわけです。これがいわゆる研修だとか修養だとかいうことによって
教育者はそこを目指すべきであろう。その場合に静かなるところということを
考えますときに、私はどうしてもこれだけは、こういう例は少ないと思いますけれども、この場で申し上げておきたい。これだけ
現場が静かであるかないかという
議論になってくると、もうすでにこれは一遍、前に
予算委員会のときに出たことでありまして、
新聞にも一、二載ったことですから御承知のことと思いますが、私の方のこれは福岡県の昨年の
卒業式のときの話だものですから、こういう
状態があってはならないという願いを込めて、私ここを簡単ですからちょっと申し上げてみたいと思います。
これは
稲築高校というのが嘉穂郡にありまして、そこの
卒業生の答辞なんです。「校庭の白梅もひとしお高く香ってくるこのよき日に、県の係官はじめ来賓多数のご臨席のもと、このように盛大な
卒業の式典をあげていただき、また、ただいま
校長先生の温情あふれるご訓示をはじめ数々のご丁重なお
言葉をたまわりまして、
卒業生一同身にあまる光栄と存じ、深く感銘いたしております。
しかし、私はこの場を借りて、在校生ならびに、ご父兄の皆様に訴えたいことがあります。それは私
たち生徒にとって非常に関係の深い
先生方についてです。
進学や就職を目前にひかえた私
たちの人生にとって、最も大切な時期に一週間近くも
学校を休み、
教科書は半分ぐらいしか進んでいない
教科があります。こんなことって、あるのでしょうか。そのころ、ちょうど
日教組の
全国大会が開催されていました。
大塚先生。
先生方の
ストの日に、
ストに参加していない
先生の
授業などは受ける必要はないなどと言われましたね。私
たちはこの事実をどのように受け止めればよいのでしょうか。
また
授業中、中華人民共和国や
毛語録のプリントを配ったり、天皇は悪い奴だ、日の丸はきらいだと言っておられた
香月先生。
授業内容にしても、
資本主義については一時間しか
授業をせず、社会・
共産主義については四時間も念入りに
授業されました。
それから津野
先生。
授業中に「
先生という職業は、聖職ではないんだ。
自分たちは労働者である。」と言われましたが、それならば、なぜ生徒をなぐろうとなさるのですか。その時の
先生は、単なる教える側と教えられる側、生産者と造られる製品という、そんなお気持だったのです。
労働者が、ただ働けばいいのなら、生徒をなぐるというようなことはなさらないでしょう。そこには生産者と製品以上の何かがあるのではないでしょうか。それは聖職意識というものではないでしょうか。
松山
先生。あなたは
ストの前日の国語の
授業の時、国語とはまったく関係のない
ストに対する自己弁護をなさいましたね。それで、そのことを生徒が指摘すると、クラス
担任に、あいつは態度の悪い奴だと言われたと聞いております。
先生が、そんな視野の狭いことでよいのでしょうか。
岸田
先生、あなたも同じです。
文化祭の前日に、物理部員がステレオコンサートの実験のために間違って君が代を流した時に、血相を変え、息づかいも荒く、部屋にこられ、何のためにこんな曲を流すのかと言われました。
君が代や日の丸がなぜいけないのですか。私
たちは、ただそれらを国旗や国家として見ているだけなのです。なぜそれがいけないのですか。それは
先生方の偏見ではないのでしょうか。
A先生、B
先生。
先生方の
授業のあり方を
考えてみると、どうしても私
たちの目には無気力な教師としか見えません。
いいえ、これらの
先生方だけでなく
稲築高校には、本当に
教育というものを
考えていらっしゃる
先生方が何人いるのでしょうか。
生徒の受ける大学選択にしても筑波大学などを受けるのなら内申書を書いてやらないとか、防衛大学はどうのこうのと、これが
先生の生徒に対する助言なのでしょうか。
先生がどんな思想を持とうと、どんなことをおっしゃろうと、それは自由だとは思います。でも
自分の思想を生徒に押しつけるように、さも
自分の主義が正しいかのように、お話になるのはどうかと思います。
私
たちは真の
教育を望んでいます。みにくい利害関係を除いて、
教育ということについて、お
考えを新たにしていただけないでしょうか。そして、もっと生徒との対話を深めていただきたいのです。
これが
稲築高校を
卒業して行く私
たちの願いなのです。
在校生の皆さん。父兄の皆様、現在の
稲築高校の
教育のあり方をもっと見つめてほしいと思います。私にとっては、いまの
稲築高校の
教育方針は間違いとしか思えません。
稲築高校の発展と向上のためにも、これから先の
先生方の
教育方針をじっくり見守っていただきたいと思います。これをもって答辞といたします。」
以上なんですが、これは一例だということかも知れませんが、一例じゃなくて十例、百例ということで所々方々聞くわけです。
この
主任制につきましても、県名は挙げませんが、非常に
教育現場が正しく静かに行われているところでは迷惑かもわかりません、手当をつけることは。ところが、そうでない県におきましては、やはりそういうものが望まれておるという現実があるのです。ですから、ここのところは
教育現場を
正常化することから始める方がいいのかもわかりませんが、これもなかなか時間のかかることですから、今度の
主任問題を契機にいろんなチャンス、チャンスにそういう
議論をして反省をしていくことは私はいいことだと思う心からいまのこれを御披露したわけでございます。
諸沢局長にお尋ねしますが、今度の第三次給与改善、これは第一には、この前、
大臣もおっしゃいましたが、本俸の改定、これが第一だ。そうすると、その同じ本俸でも第二次改善のときのように特別手当をもってしてもよいと。本俸がいいんだけれども、特別手当でも一斉に昇給になるのならよい。それから、その次に優秀な教員の一等級への「わたり」、これが二番目ですね。それから次です、これ。
主任手当を仮に出すとした場合、出る見込みが、出るというのは該当させる出し方ですね、お見通しがつきましたでしょうか、どうでしょうか。どういうところでお出しになるか。人事院の方に来ていただけばよかったんですけれども、もう大体折衝しておられるでしょうから、感触があればここで述べていただきたい。
それからその次に、部
活動手当、これはいままでは遠征するとか、いろいろそういうときは出ていたんだと思うのですが、それを校内の練習だとか、土曜、日曜になおかつ出てきて部
活動をやられる、そういう
先生方に手当をつけるというのが
趣旨なのですけれども、見通しといいますか、現在の進行
状態と言うのですか、言える限度においてひとつます言っていたたきたい。