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1975-12-09 第76回国会 参議院 文教委員会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十年十二月九日(火曜日)    午前十時十六分開会     —————————————    委員異動  十一月四日     辞任         補欠選任      最上  進君     土屋 義彦君  十一月六日     辞任         補欠選任      加藤  進君     橋本  敦君  十一月十一日     辞任         補欠選任      橋本  敦君     加藤  進君  十一月十三日     辞任         補欠選任      矢原 秀男君     山田 徹一君  十一月十九日     辞任         補欠選任      粕谷 照美君     森中 守義君  十一月二十日     辞任         補欠選任      高橋 誉冨君     岩本 政一君  十一月二十一日     辞任         補欠選任      岩本 政一君     高橋 誉冨君      森中 守義君     粕谷 照美君  十二月九日     辞任         補欠選任      中沢伊登子君     向井 長年君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         内藤誉三郎君     理 事                 有田 一寿君                 久保田藤麿君                 久保  亘君                 加藤  進君     委 員                 山東 昭子君                 志村 愛子君                 高橋 誉冨君                 藤井 丙午君                 宮田  輝君                 秋山 長造君                 粕谷 照美君                 鈴木美枝子君                 宮之原貞光君                 内田 善利君                 山田 徹一君                 小巻 敏雄君    国務大臣        文 部 大 臣  永井 道雄君    政府委員        人事院事務総局        給与局長     茨木  広君        文部政務次官   山崎平八郎君        文部大臣官房長  井内慶次郎君        文部省初等中等        教育局長     諸沢 正道君        文部省大学局長  佐野文一郎君        文部省体育局長  安養寺重夫君        文部省管理局長  清水 成之君    事務局側        常任委員会専門        員        瀧  嘉衛君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○理事補欠選任の件 ○参考人出席要求に関する件 ○教育文化及び学術に関する調査  (当面の文教行政に関する件)     —————————————
  2. 内藤誉三郎

    委員長内藤誉三郎君) ただいまから文教委員会開会いたします。  理事補欠選任についてお諮りいたします。  委員異動に伴い、本委員会理事が一名欠員になっておりますので、ただいまから補欠選任を行いたいと思います。  理事選任については、先例により委員長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 内藤誉三郎

    委員長内藤誉三郎君) 御異議ないと認めます。  それでは理事加藤進君を指名いたします。     —————————————
  4. 内藤誉三郎

    委員長内藤誉三郎君) 参考人出席要求に関する件についてお諮りいたします。  教育文化及び学術に関する調査のため、本日、参考人として日本教職員組合中央執行委員長槇枝元文君の出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  5. 内藤誉三郎

    委員長内藤誉三郎君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     —————————————
  6. 内藤誉三郎

    委員長内藤誉三郎君) 教育文化及び学術に関する調査中、当面の文教行政に関する件を議題といたします。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  7. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 文部大臣にお尋ねをしたいと思いますが、教育政争の外にという政治姿勢三木内閣発足以来の総理並びに文部大臣の一貫した方針だと理解をいたしておりますが、いまも変わらないこの政治姿勢だと理解してよろしゅうございましょうか。
  8. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 三木内閣が成立いたしまして約一年を経るわけでございますが、私が本内閣文部大臣としてその職につくようにという総理大臣の御要請がございましたのは、党籍のない教育界出身民間人としてその職についてほしい、その意味合いは、わが国において教育がしばしば政治的な問題として過熱する、そこで君にその仕事についてほしいということでございますから、私はお引き受け申し上げたわけでございまして、そのときから今日に至るまで全く変わらない考えで臨んでいる次第でございます。
  9. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 この教育政争の外にという意味でございますが、私、先般の予算委員会でも御質問申し上げましたし、また、前の通常国会の本会議におきましてわが党の鈴木力君の質問三木総理は次のように答えておるのであります。「自民党考え方教育に押しつける考えは全然ない。」と、党人でない永井文相の起用もここにわけがある、「永井君は大いに自由にやってもらいたい」という答弁があっておりますが、私はこういう一連のやりとりの中からも、この教育政争の外にという意味は、従来、日本教育問題が常に与野党の激突の問題となり、非常に政治の舞台で大きな問題となってきた。したがって、そういう力と力の対決ではなくして、言うならば、対話と協調というこの中で、事、国民の合意を得なければならない教育の問題であるから、十分話し合ってやっていくところのものがいわゆるこの意味だと理解をいたしておるのでございますが、その点いかがでございますか。
  10. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) ただいまの宮之原委員の御質問に対して申し上げますが、自民党政策というものに従って教育を左右してはいけないというふうに総理が言われる、私はそれについてどう考えるかと申しますと、まず、私は文教行政責任を持っておりますから、したがいまして、その責任を遂行していく上では、第一に国民、特に教育に関心を持つ教員並びに教育関係者あるいは父母などの見解に耳を傾けるということが第一でございます。第二に、国会における御討議というものはそうした国民意見の反映でございますから、これに耳を傾けていかなければならない。自民党政党でございまして、当然教育政策というものは持っておりますから、そういう教育政策について耳を傾けて意見を聞くということもありますが、それは第三番目に来る、これが私は行政立場である。また、かようなことが、総理大臣が述べられたことを具体的に私が教育政策を展開していく上で進めるべき道筋であると考えております。
  11. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 なかなか大臣の御答弁はりっぱなんですが、ところが私は、いま文部大臣答弁をされたところのその政治姿勢という理念が最近大きく崩れつつあると、こう端的に言わざるを得ないのであります。特に、主任制の問題におけるところの文部大臣答弁は、ただいまのお答えあるいは国会のいままでにおけるところの答弁からいたしますと、全く納得できないものがある。それは去る六日でございますか、大臣記者クラブで発表されたところのこの主任制の問題、この具体的な中身ですね、これは、ちょうど大臣のこの記者会見と前後して持たれたところの自民党文教部会のこの問題に対するところの政策発表、これとほとんど変わらないんです。あなた、いま首かしげてみたってこれはあれなんですけれども、変わってないんですよ。こうなりますと、これはあれほど、いま大臣もおっしゃったように、国民各層意見だとか、国会皆さん方の御意向だとか、第三番目に自民党文教部の御意見も聞きたいんだと、こう言ったこととは全く逆な形になっておるのでございます。いま大臣が御答弁いただいたところの点は、先般の予算委員会の私の質問に対しても、大臣はいまのようなことをおっしゃった。こうおっしゃっておる、いわゆるこの具体的な問題について、「まず、一般には、教育の問題はきわめて広い国民的な問題でありますから、私は実は自民党の言うことだけを聞く必要もなく、場合によっては日教組の意見も聞き、その他の教育団体の御意見も聞く、さらにまた母親の意見も聞くという、広い国民の期待にこたえ、対話を交わしながら進んでいくべきであると考えております。また、自民党意見を聞く前に、なお考慮いたさなければならないものは国会でございます。」、こういうように、先ほど御答弁になられたことと全く同じことを言っておられた。そのことの限りにおいては、大臣の私は御答弁は違ってないと思うんですが、残念ながらやられておるところの行動は、これは全く私は事実と違うと思う。だから、行動の面で申し上げる限り、自民党の言いなりに全くなっておる、こう申し上げても私は言い過ぎでないと思います。しかも、国会が開かれておらなければ別ですよ。国会開会中なんです、現にこの問題は。しかしながら、この主任制あり方の問題については、いまだ国会において一回の議論もない、いわゆる外野の中においてはいろいろありましょうけれども。そういう段階において、全く先ほど申し上げたように自民党方針と同じようなことを同日にしゃべっておられる、文部省方針だと言って。こういうような事実を見れば、あなたがそれは事実と違うと、こうおっしゃっても、世の中は納得しないではございませんか。したがって、私から申し上げますならば、いまの御答弁なり先般の参議院予算委員会におけるところの御答弁は、あれは国会答弁であって中身は違うんだと、これは前の建設大臣仮谷発言以上の私は内容を含んでおると思うんですが、そうじゃございませんか、どうですか。
  12. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 自民党見解と私の考えとが全く同じではないかという御指摘でござい申すが、これについてはなお詳細に宮之原委員からどういう点が同じであるかひとつ承りたいと思うのでございますが、私の去る土曜日におきます記者会見記者方々説明いたしましたものは、これは全く私自身見解に基づくものであり、この見解に到達いたしますのには相当の時日を要して実態に即さなければいけない。また、これまで国会その他でも申し上げてまいっておりますことは、私は教育の問題、特にその制度などを考えていきます場合には、教育現場の事実を調べるところから始めなければいけないというふうに申してまいりましたので、そうした角度でこの文書をつくり上げたわけでございます。そして、それはかなり多岐にわたっておりますから、それを国会あるいは国会外言論界などで御検討を願いたい、かように考えている次第でございまして、私はそうした機会を本日与えられているというふうに自覚して、ここでの御議論というものに期待しているわけでございます。
  13. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 私が指摘をしておりますのは、きわめて具体的な問題なんです。なるほど大臣見解として表明されておるところの「調和のとれた学校運営」という云々の七項目にわたるところの問題はここにずうっと抽象的に出ております。しかし、それを具体的に、それを裏づけておるところのものとして新聞に出ておるのは、これは三つの新聞のあれですけれども、こういうように具体的に出ておるんですよ。言うならば、小学校に二種類主任を置くとか、中学には三種類だとか、高等学校には四種類ですか、こういうものを置くんだとか、それでこれは校長の推薦を得て地教委任命をするんだとか、いわゆる具体的なこの主任制あり方の問題について発表されておるんです。いわゆる先ほど申し上げたところの調和のとれた学校教育あり方という基本的な問題じゃないんだ、具体的にそれを出されておる。しかも、私が申し上げますのは、この中身自民党文教部会で決められたという中身とが全く同じですよ、あなたがどう否定されようと。私が明確にその筋から、関係者から聞いたところの中身も全く同じなんです。中間管理職は導入しないとか、五段階給与はとらない、しかし主任手当はやる、その主任手当というのは何々主任、何々主任、何々主任考えられる、それで省令の改正についてはこうこうしたいと、こういう中身とほとんどやはり変わらないものが出ておるんですよ。こういう事実関係を引き合わせてみれば、大臣がいかに私独自の見解ですと、こう申し上げても、これは世間でそう受け取られないのは無理ないじゃありませんか。私から端的に申し上げますならば、前の初中局長人事問題もそうであったけれども、この問題も全くあなたのいままでの国会におけるところの答弁と違った、自民党文教部会の軍門に下ったんだと、こう申し上げてもいいと思うんです。言葉は悪いですけれども、あなたは国民文教のいわゆる番人ではなくして、むしろ自民党文教部会の番見だと、こう言われたってしようがないじゃありませんか。どうです、これ、大臣
  14. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) ただいま宮之原委員が御指摘になりました点は三点にわたるかと思いますので、その三点について申し上げたいと思います。  まず第一には、小学校におきまして、二つの主任、あるいは二種類と申してもよろしいかと思います。それから中学校におきまして三種類高等学校において四種類、これが自民党と同じ案ではないかということでございますが、私はこれにつきまして、われわれの案は決して決定的な固定したものであると考えておりません。自民党の方がそれをどう考えているかは私は存じません。私どもは、なぜそれではこの二、三、四というものを出してきたかというと、それは、その仕事内容等検討を全国的に調査をいたしまして、そして二、三、四を出してまいりましたけれども、しかし、これが固定的なものでございませんから、もちろん、その裏づけというような資料というものも提供して御検討を願いたいと考えておりますが、しかしながら、決して固定的なものでないということが第一点でございます。  第二点でありますが、私は、この国会におきましてもあるいはいろいろな場所におきましても、主任の問題について宮之原先生にも多分お答えしたはずでありますが、これを考えていくときに管理主義的な立場をとらない、そういうふうにはとらえないというふうに申しました。しかるに、自民党におきましては、これまでともすれば学校主任というものを管理主義的な立場からとらえて言っていることが事実多かったと思います。これは議事録をお調べいただくとわかるんでありますが、私が初めに申してきたことであります。しかしながら私は、その限りにおいて自民党見解というものをとりません。なぜかと言えば、まず第一に、現在の主任実態というものを見ますと、これは管理というふうな仕事でとらえるべきではなく、むしろ教育活動指導等を行っていくべきものであって、そして学校というものを単純に管理という角度からとらえるのは、これはまあ政界の方々ですから仕方がないかもしれませんけれども、ともすれば、学校というものを行政官庁企業体のように見ているところから発しているのではないか。私は教育界出身でございますから、私としましては、その自民党見解はとりません。最終的に自民党が今度出した案は、私の案についに似通ったものになったようであります。しかしながら、これは時間の経過、議事録をお調べいただけばわかるように、私は前から主張していることであります。それを自民党人たちも同調せざるを得なくなったというふうに理解いたしております。なぜかなれば、私は教育界出身者である。自民党にも教育界の御出身者はおられるでしょうけれども、実態に即して教育について考えますのに、私は教育界考え方というものを押し出すべきであるという考えに基づいてやったわけでございます。したがいまして、先ほどどこの番犬かということがございましたが、私は自民党番犬ではなくて教育界番犬ということでございます。  さらに第三番目に、初中局長人事更迭を行ったのは、自民党人事更迭永井にやれと言ったからやりましたというのではございません。私はこの問題を進めてまいります上で、私が判断をいたしました。そして、初中局長は実は私の敬愛する、そしてきわめて善意な、りっぱな方と考えております。しかし、初中局長、そこで三部長案というものを考えられまして、この三部長案をまあ本来は実情に即して次第に展開していこうとされたのでありますけれども、事志に反してその三部長というものが現在の制度の上にあたかも覆いかぶさるかのごときものとして受け取られ、そして、それをめぐる議論が展開をいたしました。初中局長はきわめてこれを遺憾とされまして、実は私に文部省を退きたいという辞意を表明されたのであります。私はそれを慰留いたしました。慰留をして、私としてでき得る限り初中局長の本来の趣旨、そうしたものを徹底していくべく私も人々に説明を重ねてまいりましたけれども、しかし、言うなれば、この三部長案が上から降ってくるというのが、あたかもひとり歩きをするという状況に相なりました。しかし、これではこの教育界の問題というものを政治と離して冷静かつ具体的に論ずることはできない。私は、敬愛し、その善意なる人物である、りっぱな人でありますから、その方を文部省をやめていただくことはない、しかしながら、こうした状況において教育をより正常化してまいりますためにはどうするか、非常に私もこの点は苦慮をいたしましたが、今村初中局長文化庁次長としてお仕事をお願いして、そうして、これは三部長ひとり歩き、そうしたものができました以前の白紙に戻して、もう一回実情に即しての議論を展開したいというのが私の考えでございまして、政党の人が文部大臣にだれそれ局長を更迭せよ、あるいはだれそれ次官をかわれ、あるいは文部大臣は辞表を持って仕事をしたらいいではないかと、かようなことは三権分立原則に反するばかりか、教育基本法十条における教育行政は他の圧力に屈してはならないという原則に反することはきわめて明瞭でありますから、私は絶対さような立場において人事を行ったのではない。これは明言してはばからないところであるばかりか、これを原則として進めない限り、絶対にわが国教育を静穏化することはできないというのが私の信念であります。
  15. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 いま大臣はこれから論議をしなけりゃならない問題点の中心的な三点について御答弁がありましたから、私もその答弁に従ってこれから聞いてみたいと思います。  まず、逆に聞きましょう。初中局長人事問題ですがね。大臣のいまの表明を聞くと非常に断固たるものがあり、なかなかまた三権分立とか教育基本法十条云々と大上段に振りかざされて、厳然たる姿勢を示されたかのごとく答弁をされておりますけれども、これは全く私は白々しい答弁だと申し上げていいと思う。第一、それは大臣、信用されているところの皆さんいらっしゃるでしょうかね。きょうはマスコミの方もみんなたくさん来ておられますけれども、あのマスコミの評価を見てごらんなさいよ。また考えてごらんなさい。二カ月前に新しい初中局長官房長官任命をされたところの同じ大臣と補佐の次官の手で、今度は突如として一人は文化庁次長、これはあんた、どう言われようと閑職ですよ、盲腸みたいなものですよ、文化庁長官がおるんですから。一人はまたその後任の方に、しかも、その穴埋めに二カ月前には総理府におったところのある課長審議官になしたばかりなのに、その審議官をあっと言う間に今度は局長に上げる。こういう二段階特進をさせるという、こういうノーマルでない人事ですね。これは、いまあなたがおっしゃったような胸を張って答えられるような人事だと世の中で受けとめなさいと言われたってこれ受けとめれっこないですよ。これは大臣、先ほども申し上げたように、あの前後のマスコミ論説を見てごらんなさいよ。あなた自身もかつて朝日論説を担当されたところの経験のあられるジャーナリスト、その問題について筆をそろえるようにして各社が指摘しておるじゃありませんか。その事実、あるいは報道機関のいろんな論評、そういうものからして、これは何としてもこれは理解できないことなんです。それをあなたがいまおっしゃったような形で言ったって世の中理解するでしょうか、どうお思いになりますか。
  16. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) ただいまの初中局長人事異動の件について申し上げます。  初中局長今村氏は二カ月前に初中局長になりました、二カ月後に人事異動が行われるということは、これは通常人事でございません。それが通常人事でありませんから異常であるというふうにマスコミにおいても報道されている。そうして論説もまたさように指摘されたことは正しいと思います。なおまた、その私が先ほど申し上げましたような趣旨というものを私自身説明をいたしておりますけれども、しかしながら、マスコミにおいてさようなふうの解釈でないものが多々あったということは十分私は承知いたしております。しかしながら、問題は、私の職責といたしましてそうした報道がありましても、重要なことは文部行政を正常に遂行いたしてまいることでございますから、私は今村さんとも話し合いましたが、まことにいまもそうした異常なる人事を行わざるを得なかったことをきわめて遺憾に思っております。遺憾ではあるが、しかし事の軽重を問うた場合に、この学校主任の問題が重要な懸案であるということを私は承知をいたしておりました。そこでこれを静穏な場において行うためにさように決意した次第でございます。  なお、二階級特進人事があったということでございますが、それはございました。そういうふうに、そこもまた若干正常の人事と違っているということも私は認めます。ただ一つ御指摘申し上げておきたいのは、それは恐らく現大学局長を指されたものと思いますが、これは総理府にいた人をこちらに審議会に連れて参りましたのではなく、きわめて長期間にわたりまして高等学校教育課長を務め、そして非常にりっぱな成績を上げられた方が審議官になっていたわけでございまして、その点は事実関係でございますので、一言つけ加えさせていただく次第でございます。
  17. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 まあもっともらしい御答弁のように聞こえますけれども、恐らくお聞きになっているところの皆さんは内心笑っておるんじゃないかと思いますよ。まあしかし申し上げませんがね。これ十二月五日付の週刊朝日ですけれども、ここにもやはり大臣似たようなことを書いてあるんですよ。「永井文相政治家的成長度」というところに「主任問題にからんでのこんどの人事には、かなり政治色が感じられますが」という質問に、大臣、こういう物の言い方をしておるんです。「うーん、こんどのは少し型にはずれた人事になっちゃったけどねえ……ま、責任はかかってぼくにある。自民党人たちが、初中局長は変わった方がいいじゃないかといってたのは事実ですよ。」と、こう言っておるんですよ。ですから先ほど申し上げたように皆さん新聞報道機関に取り上げられたこともこれは否定できない事実だしね。またまあここにも後ろにおられるみたいですけれども、いわゆる実力者と言われるところの人からも私は間接的に聞いたこともある。しかしまあそれはやめましょう。やめますが、そういうようなことがいまの文部省内にどういう影響を及ぼしたかということについては大臣は御存じでしょうか。私は端的に申し上げますけれども、いまの省内の空気、私どもよそから見ていますと、あの人事で非常なショックを受けておるということ、これ否定できませんよ。あなたが胸を張られて言われておるような人事でないということだけは確かなんです。だからうっとうしい何とも物の言えない空気があるということは否定できませんし、ほかの官庁からのささやきを見てごらんなさいよ。文部省の官僚物笑いになっていますよ。私はここで言わんとしておるのは、あなたを責める前に自民党を責めたいんです、自民党皆さんを。そういう一々人事のことについてまではしを取れ、下げろと言われなければ、一体あなたの文部大臣としての仕事はお勤めになれないのかどうか、ちょっと度を過ぎておりはしませんか。これが政党の介入でなくして何ですかと言いたいぐらいの気持ちなんです。それは先ほど大臣はそういうことはないと、断固としておやりになるということは結構でございますけれども、答弁はあえて私は求めませんけれども、そのことだけは申し添えておきたいと思います。  次に、大臣に御答弁いただきましたところの第二の問題点でございますが、いわゆる新聞に発表されましたところのこの小学校主任、中学校主任あるいは高校の主任というこの名称を挙げての御指摘、しかも、これについての主任手当を講ずるというのは、いまの大臣の御答弁をお聞きいたしますと、決定的なものではないというお話なんです。言うならば、これは一応文部省の案ではあるけれども、しかしこれには固執しない、一つの検討課題と申しますか、たたき台なんだ、したがって、これを中心にして国会なり国民なりいろんな各層の意見を聞いて、これはやはりまとめていくものなんだと、こういうふうに理解せざるを得ないんでございますが、そのように理解してよろしゅうございましょうか。
  18. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) この主任方々には、私は給与というものをつけたいというふうに考えております。しかしながら、どの主任かということは先ほど申し上げましたように、小学校二、中学三、高校四というのを選んでございますが、これは先ほど先生に申し上げましたように固定的なものとして出したのではなく、先生ただいまたたき台というお言葉でございましたが、さようなものとして御理解いただいて結構でございます。
  19. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 私はこの問題は一番の基本は、むしろ十分お互いが議論をしなければならないのは、大臣の示されたところの「調和ある学校運営」というこの七項目を中心にした議論を本質的に、また本格的に議論をすることが一番ポイントだと、こう思っているんです。したがって、これは新聞に発表されて、いま私どもの手元に配られたばかりでございますから、これはいまから時間をかけて議論をしなければならぬと思うのですがね。しかし、そういう基本的なものの議論をする以前にばかんと出された、それを応用しての具体的な案を。しかし、いま大臣のお話をお聞きいたしますと、一応言葉は、ニュアンスは違いましょうけれども、検討のためだと、あるいはたたき台だと、こういうことですから、それはそれでいいにしても、そういうことになるとすれば、これは今後国会なり、あるいはまた、大臣大臣としてのいろんな立場から国民各層意見をお聞きになられると思うんです。そうして意見をお聞きになる中で少なくとも出されたところのたたき案というものは、今後、場合によっては大きな手直しもあり得るし、あるいはまた、この基本的な問題についての再検討もあり得ると理解するのが私は常識だと思うんですがね。そのように理解してよろしゅうございますね。
  20. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) ただいま先生が御指摘になりましたように、たたき台と御理解いただいて結構でございますが、ただ私どもは、この二、三、四というのを選びましたのは決して無根拠に二、三、四を出したというわけではございません。でございますから、この資料の裏づけ等につきましては、どうしてそれになったかということは十分御説明申し上げたいと思います。しかし、そうした資料の裏づけにもかかわらず、なお他のものの方が妥当ではないかというような御意見も当然出てまいりますでございましょうから、無責任に出しているわけではないんでございますが、先生が御指摘のように、それをいわば金科玉条として、もうこう出しましたから変えませんというようなものではございませんから、そこで御検討を願うというふうにしていただくのがよろしいんではないかと思っております。
  21. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 私は、時間がありますれば、いわゆるその中身についても相当議論をしたいと思うんです。確かにおたくがよく使われておるところの富山県の教育研究所のレポートとか、この国研の出しておるところのあたりのにもいろいろ書いてございますよね。ですから、それを恐らく参考にされて、有力な資料にされて出されておるんじゃないかと思いますけれども、これでもまた読み方によって非常に問題があるんです、読む角度によっては。皆さんの御都合のいいようなことばかり書いてない。事ほどさようにこの問題はきわめて議論を要するところの問題なんです。したがって、文部省が、いま大臣がお答えいただいたように、これは一応のたたき案だ、したがって、十分議論をしてもらいたい、場合によっては基本的な問題の再検討もあり得ると言うならそれでよろしいと思います。ただ、私が先ほども申し上げたように、この問題の基本は、あくまでもこれは恐らく大臣が直接筆をおろされたのではないだろうかと思うのでございますけれども、この「調和のとれた学校運営」というここのところを私はやはり議論をしなければならぬと思う。したがって、これが一番私はポイントになるんだと、こういうような理解に立っておるわけなんですがね、そういう理解でよろしゅうございましょうか。
  22. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) ただいま先生御指摘になりましたように、私の考えでは、これは文部大臣として責任を持ってやるべき非常に重要な事柄であると考えましたから、いろいろ初中局のデータその他を集めてもらいまして、そして最終的に発表いたしましたこの文書というのは「調和のとれた学校運営」、これは文部大臣見解でございます。したがいまして、何が基軸になっているかということになりますと、この文部大臣見解が基軸になっているものでございますので、さようなものとしてまずこの見解の是非を問うていただくということが私としても最も願わしいことでございます。
  23. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 確かに私もこの見解を拝見する中で、主任とは一体何か、こういう問題、あるいは学校行政官庁でも企業体でもない、教育の場であるというものの考え方、また、今日の学校がともすれば管理面のみが重視をされるところの傾向があるというこの指摘検討は、非常にぼくはやはり重要な要素だと思うんです。それだけに私は、やはりこの問題を相当時間をかけてこういう場でも意見交換なり議論をする必要があると思うんです。しかし、こういう議論は、早々に人を得て、ただ新聞に出てくるところの何か主任制のどうだこうだというようなことだけを早く決めるということは、いまの大臣のお説から見てもこれは主客転倒のあれを免れませんね。ですから、恐らく私は大臣の真意というのは、この基本の問題をまず議論をして、やはりそれに基づいた中で新聞に取りざたされているところの具体的な主任の問題の議論をすることが筋道だと理解をせざるを得ないのでございますが、そういう理解でこの問題に今後私ども対処してよろしゅうございましょうかね。
  24. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 宮之原先生がただいま御指摘になりましたように、まず、この文部大臣見解というものが一番下敷きと申しますか基本でございますし、その終わりの部分に私は、「この見解をめぐって具体的でかつ冷静な討議を経て今後の主任あり方を明確に定め」たい、そして「最もふさわしい校内組織を作りあげたいと考えている。」と書いてございます言葉のとおり、まず、これを具体的かつ冷静に御討議をいただくというのが順序でございます。その他の文書はいわばこの基本的考え方に基づくものというふうに御理解いただくのが正しいと思います。また、私もそれを願っているわけでございます。
  25. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 いまの御答弁でも一応大臣考え方というのはわかりますが、なお、これは私どもが大臣と、党の立場からお会いをいたしましたところの五日の日に、大臣はたしかやはりこの問題はいわゆる期限をどうするという問題よりも手続を重視をするということが非常に大事だから十分いろんな各所の意見を踏まえて聞きたいということを私どもの党に回答されたことがある。そういうことといま大臣の御答弁とから判断をいたしますと、私はやはり特に大臣の示されたところのこの学校教育あり方の問題は相当やっぱり議論をしておく必要がある。とすると、率直に申し上げて議会はもう二十日までしかない、しかも参議院には重要法案が山積をしてきている。きょう文教委員会が開かれておりますけれども、次の定例の文教委員会がその重要法案と絡んで一体開かれるのか開かれぬかさえも予測できないような状態です。仮に開かれても二回あるかないかというきわめて私は今度の臨時国会の中ではこれは期間が短いと思うんですよ。したがって、もし大臣がいま御答弁なされたような重要な問題であるし、できるだけやはり学校教育の問題であるからみんなの合意を得るような中で物事の判断をしたいという立場であるとするならば、私は少なくとも引き続いてのやはり国会の中でも、ある期間はこの問題について各委員皆さんを交えて十分議論をしておくところの値打ちがある問題だと、こう思うんです。したがって、それぐらいのやはり余裕というものを持ち、時間とそれに対するところの慎重な審議ということがない限り、私は、この問題については軽々に結論を出すべきところの問題ではない、このように考えておるわけでございますが、その辺、大臣の御所信をお伺いしたいと思います。
  26. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) ただいま先生御指摘になりましたように、五日にお目にかかりました際に、期限より手続というふうに私は申しました。そればかりでなく、六日に記者会見がございましたときにも期限よりも手続というものを重視したい、かように私は申した次第でございます。しかしながら、こうしたものはそう無限に延々と議論をするということではなく、私はでき得る限り速やかな方がよいと考えておりますので、本国会におきましてもでき得る限りこれは諸先生方のお力によるほかはないのでございますが、まだ相当時日もございますし、これはこの問題をめぐりまして御討議の機会をつくっていただきますならばきわめて幸いであると、かように思っている次第でございます。
  27. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 ぼくはどうしてそういうことを言うかと申しますと、去年でしたかね、奥野文部大臣のときに、いわゆるこれにかかわりますとやっぱりこれは一つの方針決めりゃ当然省令事項として出さなけりゃならぬことになるだけに、それを想起しながら聞いておるんですがね。あの奥野さんのときに、いわゆる地方教育行政の組織及び運営に関する法律に基づくところの通達問題のことがあるんです。そのときに文部省は、あるいは大臣はこの問題について四月の段階にいわゆる従来の解釈を改めて新しい解釈を出したいということを表明をされたことがある、近々のうちに。それで、この委員会でいろいろ議論をしました。しかし、事この問題はきわめて教育行政の根幹にかかわるところの問題であるので十分議論をすべきじゃないかと、こういうことから、結局四、五月に出すというのが十月になるまで半年間にわたって——その間通常国会から、それからまあ休会中も特別に開いてやったことがあります。それぐらいにやはり時間をかけてやったところの問題です。しかし、結局は平行線で、これは合意は見られなかったんですけれども、あれだけ対決をしたところの問題でさえも半年もやはり議論をお互いに国会でやるという場がつくられたことがあるんです。そういう過去の、タカ派の頂点だと言われるところの前の奥野さんには悪いですが、その奥野さんの時代でさえもそう言われた。あなたはよく新聞にはハト派と書かれている、最近はタカ派に変わったかもしれませんけれどもね。いずれにいたしましても、常に国民的な合意を得るということを信条にされておるところのあなたでございますから、そういう前の例からこう考えてみますれば、いまの御答弁は、私は自分なりに理解すると、相当ある程度慎重に議論をされるんだなというふうに理解もされます。とる人によっては、もう国会が終わったら処置をするというふうにしか考えられないところの要素もある、これでは事この問題は私は困ると思う。しかも、先ほど来私が言いましたように、「調和ある学校運営」という基本問題が問題だけに、これは十分議論をしてもらわなきゃならぬ値打ちのあるところの問題であり、また、このことがもしかじを誤ると教育界にまた勤評時と同じような混乱を招きかねないところの要素があるところの問題であるだけに、お互いの合意を得るための議論ということが私は必要だと思うんです。もちろん、合意が得られるまで絶対にどうしなさんなと私は言おうという気持ちはない。それは行政府のあれがありましょう。しかしながら、事少なくともそういう政治姿勢というのは、あなたのいままでの政治姿勢から見れば、当然これは肯定されていいことだと思う。それだけに私は具体的にも申し上げました。もう二十日までしかない臨時国会でこれから期待しますと言ったってそう期待できっこないんですから。これは少なくともやっぱり次の通常国会という展望の踏まえの中で議論をする値打ちがあるところの問題だし、それこそが本当にこの教育の問題を国民の可能なる限りの合意を得るところの中で処置をするという私は方針だと言わざるを得ないのでございます。したがって、そういう立場から私は先ほど来お尋ねしておるわけでございますので、その点についての大臣のお考えを重ねてお聞かせ願いたいと思います。
  28. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) ただいまの宮之原先生のお考え原則につきまして私は全く賛成でございます。ただ、その原則というものをどうやって生かしていくかということについて一、二の点を申し上げますと、先ほどの奥野文部大臣時分に半カ年にわたって議論されましたという事柄は、これは法律事項の解釈でございますから、当然国会においてまず行われることであるばかりでなく、相当時間を要すると、そういう性格のものであったのではないかと考えております。いま私がお出しいたしております基本見解というようなものは、これはもちろん法律事項ではございません。しかし、なぜこれを国会にお出しいたしましたかというと、これはやはりわが国教育全体にかかわってくる重要なことであると思いますので御審議願っているわけでございますので、原則として私はみんなが議論を闘わしていくということは大事と思いますが、いささか奥野大臣の時の法律事項とは性格が違います。  それから、これは先生そのほか、この席に御列席の諸先生方に私からお願いを申し上げたいことでございますが、先ほども申し上げましたように、ひとつでき得る限り討議の時間というものをこの国会においてもおつくりを願いまして、そうして討議を進めていただくということができますならば最も幸いであると考えております。また、新聞その他におきましても、いろいろな形の御議論というものがすでにこの土曜日以来爼上に上って、それについての社説なども出ておりますのを私、読んでおりますが、そうしたものがなお一層進んでくれることを期待しておるわけでございます。
  29. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 どうも大臣のお答えを聞いておると、さっぱりわからぬのですよ。どこにあなたの真意があるのか。法律事項と違うということはだれでもわかるのですよ、あなたが言われなくても。しかし、奥野さんの時代の問題にしても、これは行政府が一方的に出せる権限のものだったのですよ。これは通達ですから。いわゆる従来の通達を改めるということなんですから、いい悪いは別にして。しかし、事やはり教育行政の根幹にかかわる問題であっただけに、あれだけ議論をしたのです。なるほどこれは法律事項じゃないですよよ。これは省令事項というかっこうになるとすればそれもおたくの権限でしょう。しかし、この問題は先ほど来あなたのお答えになられたところのあなたの政治姿勢、並びにあなたがまとめられたという七項目の「調和ある学校運営」とは何ぞやという、一番基本にかかわるところの問題であるだけに、中途半端な議論だけをして、期限だけを気にしてやったのじゃ、話、始まらぬじゃありませんかと、これは相当の期間というものを、それは相当にはいろいろ取り方がありましょう。当然必要だということは、これはあなたはそれは理解できませんか、当然じゃございませんか、いままでのあなたの答弁からすれば。どうなんでしょうね。
  30. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) この問題が基本見解というものを中心にして議論になりますのは、まさに始まったところであるということは事実でございますが、他方、主任の問題について、実は宮之原先生とも国会で討論をいたしました。そうして、中間管理職といったものに考えてはいけない。私は実は三原則を申しました。それは第一点として、五段階賃金というふうなものではない。第二点として、管理主義的なものではない。第三点として、実情を踏まえるということを実は国会におきましても、その他の場所におきましても、繰り返し議論をしてきたのでございます。ところが私が遺憾といたしますのは、実はそのことの議論よりも、主任がいいんだ悪いんだというその議論の方が大変盛んになりまして、実は私の申し上げた三点をめぐる議論にいかなかったということは、これはそうなったのが事実でございますから、これを認めるほかありませんが、私は実は議論は土曜から始まったんではないと、私は先国会におきましてもそういう角度からの議論をしましたということはまずお断り申し上げておくべきことであろうかと考えております。にもかかわらず、どうもそこにいきませんでしたので、私はデータを集めて、そうして詳細にこれを説明する必要があるんではないか、そこでこの文書をつくったということでございますので、まあ私の申します三原則、この三原則というものについての議論は、実は私は教育界方々などにも聞きましたが、そうした三原則ならば妥当ではないかという、そういう御議論というものも承っております。これは国会の場ではございませんが、承っております。また、先生との間にも、私はその三原則的なものをいまと同じ言葉で申し上げた覚えがございますが、それについて特に御異論を承ったというふうにも記憶をいたしていないのでございます。それを敷衍したものでございますから、さほど何といいますか、斬新なことでもなく、比較的常識的なものと私は解しておりますが、しかし、本人が常費的であると考えているものが非常識な場合もございますから、決してそうした独断的な判定に私はこだわっているわけではございません。繰り返して申しますが、手続が大事でございます。そしてまた、手続について国会において諸先生方があ決めになることでございますから、私はこれを尊重いたします。
  31. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 くどいようですがね、何か大臣のいまの話は、主任制中身の問題と、あなたの示されたところの調和のとれた学校教育あり方という問題は、全然切り離していいような印象を与えるところの御答弁をされていますけれども、しかし、さっきはあんたはこれを一番基本に踏まえて、この立場からこういう主任制というものを考えておるとおっしゃっているんでしょうが。そうするとすれば、きょうは初めて国会に少なくとも示された「調和のとれたところの学校運営」とは何かという、ここの議論をうんとして、この合意を踏まえない限り、いかにあなた時間をかけましたと言ってみたって、私は新聞に伝えられているように、たとえば自民党皆さんは、何か十五日から二十日までにもうこれで省令化するのだというふうにも新聞に発表されておる。あるいは何が何でも、あなたの首にひもをつけてでもそうさせると、やらなきゃやめてもらうということまで言っておるということまでわれわれはいろいろ耳にする。そういう中で本当に、事、教育の問題というものが議論できますかと言っているんですよ。言うならば、こういう根幹に触れる問題ならば、きょう初めて出されて、二十日までしかない国会皆さん議論をしてくださいと、こう言ったって始った話じゃないでしょうが。本当にあなたは言行一致されるところの文部大臣であるならば、そういうものに対して、ある程度の時間をかけての議論というのが必要だということは常識で考えても否定できないじゃありませんか。そういうお心構えですかどうですかということを私は聞いておる。それを何だかんだとぼかされたのじゃ、どっちかあなたのとらえどころかわからぬから、私は改めてそのことを聞きますよ、あなたの姿勢を。
  32. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) まず、宮之原先生が御指摘になりましたように、これは確かに最近出たものでございますから……
  33. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 最近て、きょうですよ、国会に出したのは、きょう。
  34. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 国会はきょうでございます。そこで国会にはきょうですから、これが出てきたのは、まさにきょうではないか、それは御指摘のとおりでございますから、これを審議していただきたい。これが基本であるということは、先ほどから申し上げたとおりでございます。  なお、先生のお言葉の中に、まあ自民党人たちが十五日とか、二十日に省令化させるというようなことを言っているがどうかというお言葉がございますが、省令化というような問題は、これは自民党が省令化するのではなくて、私が省令化するのでございます。そこで省令化する責任者でない人が何日までに省令化するというようなことは、絶対にあってならないことであるということは明言さしていただきたい。それよりも私がいまこの場で申し上げたいことは、もし省令化というような問題を生じます場合には、これは私がやらなければならないし、私にのみその責任がございますのですが、これは党の方がおやりになるのではないということを繰り返し申し上げておきます。  そこでしかしながら、御審議の方は、これは国会がおやりになるのですから、それにつきましては、国会の進め方について、これをまた、私が決めるということがあるといたしますれば、これは大変な専断でございまして、かようなことがあってはならないと考えております。それは国会の諸先生方においてお決めいただく、そのお決めいただくものを尊重して私は仕事に当たらなければならない立場にあると解釈するわけでございます。
  35. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 私は省令化の権限がどこにあるのか、あるいは審議の責任と権限がどこにあるかという、そんな形式的なことを申し上げておるのじゃないのです。それぞれの責任の所在、あれがあるということはわかっておるのです。しかし、問題はそういう形式的に切り離せない問題でしょう、率直に言ってこの問題は。しかも、あなたがいま示されたところの「調和のとれたところの学校運営」というものの根本であるだけに、やはりある程度の時間をかけたところの審議ということを踏まえて行政府の権限を発動されるというのが常識ではございませんか。それだけに調和のとれた学校教育あり方という問題を中心にして、それに派生するところのいろいろ主任あり方の問題等について、相当私は議論をする値打ちのある問題だと思っておるのです、この国会は。だから、そういうことを十分踏まえて意識をして、十分な審議を踏まえて物事を考えたいという大臣考えですかどうかということを聞いておるのです、先ほどから。もう物理的に二十日までしかないから私申し上げておるのですよ。
  36. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 私は十分御審議を願いたいという考えでございます。したがいまして、それはこの国会の諸先生方の間においてどのぐらいの日数が必要かということの御決定に当然従うわけでございます。私の立場といたしましては、これは十分に御審議いただきたい。それは先ほどから申し上げておるとおりでございます。
  37. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 なお若干今後、いま大臣がおっしゃったように、この問題についてはうんと議論をしなきゃならない問題だと、こう思っておるのですが、ただ、私自体も引き続いて時間があればこの問題について聞いておきたいと思うのですが、今後この問題について、私自身検討をしなきゃならぬ立場から一、二だけ聞いておきたいことがあるのですが、それは大臣はこの「調和のとれたところの学校運営」という中で、非常にこの主任教育指導の役割りを強調されております。しかし、現在の教務主任なり学年主任の果たしておるところの機能の実態はどうかと申しますと、確かにその大臣の期待をしておるところの指導助言の面もあります。しかし、そればかりじゃないようですね。いわゆる管理職としての補佐的な機能も果たしておる、また連絡調整的な機能も果たしておる、これが全般的な様相ですよ、この主任なるものの、現在この置かれておるところのものは。しかも先ほど私ちょっと指摘しましたところの富山県の教育研究所の学校教育に関する調査研究の教務主任に関するところのまとめ、ここにもありますが、これを見ますと、これはまとめに共通的傾向として、こう書いてあるんですよ。人事的側面では、校長・教頭に次ぐ重要なポストで、中間管理者層で教員養成諸学校出身者が多いというまとめをしています。職務的側面では、校長・教頭の指揮監督を受けて学校運営の企画に参画をし、教育活動の教務研修に努めていると、こう述べると同時に、この職務内容については教務部などでたくさんのあれをこう出しまして、ずうっと書いてある。見てみると何のことはない、学校で教頭がやっていることと同じことをやっておるのだ。普通の学校の教頭がやっておるのと。いわゆる管理職でやっているところの皆さんと。こういうのがこれはまあ実態なんですね、こういう実態、あるいは国立教育研究所の紀要第七十集の小学校の学年主任の役割り、これも文部省が一番金科玉条としておるところのもののようでございますがね。こういうものをこう見ましても、学年主任の役割り、意識というものをこうずっと見ますれば、いわゆる管理職の補佐機能が最も高く、続いて指導助言云々というような形で、現実の主任なるものは、これは管理の補佐機能としての役割りに非常にウエートが置かれておるのですよ、率直に申し上げて。こういう現実を直視をした場合には、あなたのおっしゃったところの調和のとれたところの学校主任主任の現実とおよそあなたがこう思ってきたやっとかけ離れておるのです。それだけにこれに手当をつけるとかどうだという問題が、あなたの意図のごとくにいくかどうかという問題はきわめてこれはやはり重要な問題だし、学校教育がどうなっているのかという議論を深めなければならないところの問題なんですよ。私はきわめて一つの事例だけ申し上げましたけれども、ことほどさように、ただ、大臣が頭の中でこうありたいと考えておるところの現実と違っているだけに、この問題は先ほど来申し上げますように、相当な議論を深めなければならない問題ですよと、こう申し上げておるのです。したがって、私はそのことを踏まえて、大臣が先ほど幾つかお答えいただきましたけれども、私どもの国会においても、教育関係の機関においても、いろいろな団体においても、十分議論をさせて、その意向を踏まえて物事を判断するような処置をしてもらいたい、それだけにこういうふうに麗々しく挙げられているようなことなどにとらわれないで、本当に白紙に返ってやっていただきたい、そういうことを強く申し上げまして一応私の質問をこれで終わりたいと思います。
  38. 有田一寿

    ○有田一寿君 きょう参考人として槇枝委員長出席していただくことになっておりましたが、時間が若干おくれるようでありますので、槇枝さんに最初質問したいと思っておりましたが、文部大臣の方に最初に質問させていただきたいと思います。  先ほどからの議論を伺っておりますと、教育の中立性あるいは文部大臣は自由民主党の言うことに唯々諾々として従っておるのではないかという質問、それに対しまして大臣の方は、絶対そうではない、教育は中立であるべきだ、国民の声を聞くということをおっしゃっておられますが、私はいまの政治は憲法で示されておりますとおり、主権在民であって、その主権の意思は選挙によって反映されておる、しかも、民主主義政治の仕組みは多数党が内閣を構成するということになっておることは御承知のとおりであります。したがって、現在、多数党は自由民主党であり、それが三木内閣を構成しておる、その一大臣である文部大臣は党籍あるないは別として、当然閣僚としては三木内閣の一員としての責任を背負っておられると私は思うわけでございます。そうすれば、党には党としての一つの政策というものがございます。教育に関しても当然でございまして、それをこういう国会審議の場で表明する、あるいは文部大臣に対して、こういう政策は党の政策としてこれは実行したいと思うがどうだというようなことを強く申し述べるというようなことは私は当然のことだと思う。政権政党として国民責任を負っておる政党である限り教育は中立であるということは百も承知しております。しかも、その中立という意味は、純粋無垢の蒸留水のようなものであるべきだという意味では絶対にないと思うんです。だから先ほどからいろいろ議論が出ておりまして、文部大臣も大変気にされておりますけれども、私は自民党内閣文部大臣として自民党政策をある程度実行しようとなさることは当然であろう、それは決して悪ではないということを考えますが、それについての御見解を最初に伺っておきたいと思います。
  39. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 私は自民党員ではないのでございます。しかしながらわが国におきましては議院内閣制をとっております。そこで、本内閣自民党内閣であるということは十分承知をいたしております。したがいまして、自民党内閣の一員といたしまして国務大臣としての責任分担、役割りがあるということも承知をいたしております。  ただ、有田先生のそのお言葉に対して申し上げたいことを一、二申し上げますと、まず第一に、私が招かれて三木内閣に加わりましたのは、総理大臣教育というものは政争の外の静かな場に置くという、そうしたお招きによって私はこの地位についたわけでございます。それのみならず、総理大臣は最初の施政方針演説において、その中にいまのことを明言しておられるわけであります。したがいまして、私は、自民党内閣でございますから、これは自民党方々もさような立場をおとりになっているものと理解をいたします。したがって、その角度から申しましても、私は自民党の方たちが教育政策について意見をお持ちになる、あるいはそれを私にお述べになるということは、これは当然でありまして、そのよきを取り悪しきを拾てるということもこれ当然であると考えますが、しかしながらまず発足のときの原則、さらに、施政方針において述べられておる原則というものは、実は自民党も拘束するものであると考えます。ということは、私はそういう意味合いにおきまして、その原則に基づいて文部大臣としての仕事ができるというふうに考えているのでありまして、もしも自民党においてその基本原則に反するような姿で私にあれこれということを言われるということであるならば、私はそういう立場をとることができません。  次に、そもそも三権分立原則がございますから、もちろん、党はいろいろなことを大臣あるいは内閣にお述べになるでございましょうけれども、しかしながら、たとえば法律事項というような事柄については、党というものも国会においてそれを決めた上で内閣に渡すというそうした手続を踏んだ場合には妥当でございますが、行政の一々についてとやかく言われるというようなことが仮にあるといたしますならば、それを私がとりますというようなことは基本的な原則に反しますから、それもまたとることができません。  さらにまた第三に、教育行政につきましては、不当な圧力に屈することなく教育行政国民に対して責任を負わなければいけないというふうに述べられております。この場合に不当なる圧力とは何かということについていろいろ解釈もあるようでございますが、それは、たとえば自民党におきまして党の政策を決定いたしまして、そして教育行政にこれを、その実行というものをゆだねるということは不当な圧力と解釈されてはおりません。しかしながら、行政を進めていく上にあれこれ一つ一つの事柄について党ないしは党員が私にいろいろ意見を述べる——述べるまでは結構ですが、圧力を加える、それにまた私が服するというようなことは、これはそういうことをしようとする人があるならばそちらの方が間違いで、私の方が正しいのであります。さような意味合いにおきまして、私はそのお約束に基づいて、つまり施政方針演説のお約束に基づき、また、そうした法制上の裏づけのもとに文部大臣になっているわけでありますから、ですから、自民党教育政策というものも聞きますが、その聞き方というものは、いま申し上げたような順序、手続を踏むものであって、それを逸脱するということがあってはならないものと考えております。
  40. 有田一寿

    ○有田一寿君 私もまことにそのとおりだと思います。したがって、自民党も多数党内閣を構成している限り、その構成員である者がいろいろな面で強く文部大臣に実施を迫ることも今後あるかもわかりませんが、いまのような毅然たる姿勢で私は臨んでいただいて結構だと思うのであります。ところが、現実には文部大臣姿勢が必ずしもいまおっしゃったような姿勢でないがために今日の混乱を巻き起こしているのではないかと思われる節もございます。これは率直に歯にきぬを着せずに言えばそういう感懐を私は持っておるわけでございます。したがって、明日日教組がストライキを構えております。これは先般のスト権ストのときの状況を想起させるわけでございますが、今度のストライキをいつ計画したかということについて、これについて文部大臣見解を伺いたいわけですが、今村局長が私案を発表した、そのときに戦術会議を開いてこの撤回を迫るというその裏に、正式ではないまでもストライキをもって撤回を迫るということが決められたことは、これはもう疑いのない事実でございます。文部大臣として今度、省令化の問題を年内にやるかやらないかということが決定されなければならないその正念場に私は立たされておると思うわけでございます。これはスト権ストのときと同様に、私は日教組の構えたストライキはこの省令化を延ばさせる、でき得れば主任制を廃棄させたいという意図のもとに私はストライキ戦術がとられていると思うわけでございます。文部大臣が本当に自己の信念に従ってこの省令化は各方面の意見を聞いた上で是と判断したときに行うのだと、それまではどこが言おうと行わないというのなら私はそれも一つの見識だと思うわけですが、今度のストライキを回避するためにそういう判断をなさるとすれば私は大きな禍根を残すと思うわけでございます。もともと主任制については、これが学校教育にプラスになるかマイナスになるかという判断、これはそれぞれ置かれた人の立場によって違いましょう。しかし私は、この今度大臣が発表されたあの主任制度というものは学校教育に大変プラスだと判断しております。それから、管理と指導と両面分けておられますが、これはたとえそれが教育現場であっても截然と区別できるものではなくて、管理の中に指導面もあれば指導の中に管理面もある。ただ、それぞれ役職についてお世話をなさっておる方々に御苦労賃と、お世話賃だということで差し上げるということは、これはもう当然だと思いますが、ただ、ここであえて私の立場から言い添えたいのは、なぜ管理という言葉をそれほどおきらいになるかということでございます。ある程度大きな人間集団になれば、必ずそこに管理という面が要るわけでありまして、これは校長と教頭で十分だという人もありましょうが、私はそう思いません。教務主任あるいはそれぞれの学年主任、その他今度お考えになっておられるような主任、これは職場を秩序あるものにするには当然必要であります。しかも、その役職につくような主任、年齢でいえば四十歳前後の人たち、これに対して非常な不信感を持っておると、そういう程度の人が教職現場にたくさんおるんだ。言いかえれば、人間的に非常に他からきらわれるような未完成な人が多いんだというのなら何をかいわんや。いま教育現場の人を信頼していくとすれば、その中から経験、知識の豊富な人がそれに選ばれてついていく、手当を受ける。そのことは私は何ら差し支えはないことである。それを管理職といえば、私は管理職でいいと思う、日本語はいろいろ解釈できますから。ああ言いこう言い、しかし実態は一つも変わってはいないわけですね。特に大臣の場合は非常に語彙が豊富ですからいろいろおっしゃる。しかしながら、真実は私は何も変わってはいないんだ。だから何を言いたいのかといえば、管理ということをいろいろ排撃される。それに対して必死になって文部大臣もそうではない、そうではないということを言われますけれども、私はその必要もない。管理と思えば管理でよし、指導といえば指導でよし。要は学校現場を秩序立ったものにするために必要だと思うと、こう私はおっしゃればいいのではないかということでございます。まあそれについて、省令化の時期のことについていま御答弁になりましたから、それと同じであればもう簡単にお答えくださればいいわけですが、私は希望を申し述べてこの質問をいたしますが、省令化をやるならば堂々と省令化をおやりになるがよろしいと、そして人事院に対して勧告を求め、予算化をするということであって、このストを回避する目的でそういう処置をなさるということは、必ず私は後遺症を残すであろう。第一、今度構えておるストは一種の政治スト、違法ストでございまして、これに屈するような姿勢は絶対にとっていただきたくないという気持ちでございます。それに対しての御見解を伺いたい。
  41. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 有田先生の御質疑は三点にわたっていると思いますので、順次お答え申し上げたいと思います。  まず第一点、私が自民党との関係について申し上げましたが、それについて疑義あるところがあって、そういう点を率直に言わなければならないということでありますが、それについては、私はそういう疑義があるといたしますれば不徳のいたすところであるというほかありません。今後のことといたしますと、私がこの職におります限り、その原則というものに絶対に従って、私はこの自民党との関係というものは、政争から離れて教育を静かな場に置く文部大臣として仕事をしていきたいという考えでございます。これまでも考えはそうでございます。  第二点、今村初中局長異動。初めに三部長案を示された前後から、日教組においてストの問題があったではないか。また、日教組は明日ストを構えているではないか、こういうことについてどう考えるかということでございますが、それについては以下のように考えております。  まず、この今村初中局長人事異動は、日教組がストをやったから、決めたから人事異動したというようなことであってはとうていならないわけです。そして、先ほど申し上げたとおり、そういうことで私はやったのではない。  次に、明日に予定されているストですが、そもそもストは違法でございますが、私は、こうした教育の問題を論じる際に、一方はストといい、他方はこのストを断固粉砕せよという形でこれまでわが国教育界が展開してきたのをぜひともやめるということのためにこの仕事についたわけです。つまりこの種の問題は、違法であるばかりでなく、ストでは議論はできない。私がこの文部大臣見解にも書きましたように、冷静かつ具体的に御議論を願いたい、そしてその場は、新聞記者会見でも申しましたが、国会という場がある、あるいは言論界という場がある、そういう場で議論をしていただきたい、そのことを申しているのであって、私はストは対話とは思いません、ストは討議とは思いません。したがいまして、ストによって私の考えが変わったり、あるいはストによってこの考えの具体化の方法が変わるというようなこときことは、これは絶対にあってはならないことであります。  第三番目は、有田先生は、どうも私が管理をきらうということをおっしゃいますけれども、率直に申して、私は管理だけならいいんですが、管理主義という傾向があるのをどうしてもきらうのでございます。そのことが、これまでの教育界における政治的対立ということと関係があると考えております。そのほかいろいろな問題もありますが、どうも学校教育というものを管理主義的角度から見る人が、大変率直に申し上げて恐縮でございますが、保守的な方の人にもあり、また革新的な方の人にもあるようでございます。そこで、何か事がわからないんですけれども、何か起こると、一方は管理強化という、他方は管理阻止という、こういうことがすなわち教育というものが政治の静かな場に置かれていないということでありますから、私の今回の案は、そういうことに終止符を打っていただきたいという形の校内組織をどうつくるかという議論なんでございます。それは学校でありますから管理者も必要でしょう。校長、教頭も管理職というふうに呼ばれておりますが、その場合にも考えなければいけないのは、私はこの文書の何とか以下に書いてございますが、そうすれば管理は、具体的に申しまして法令、規則などに基づいてやるということになります。そのことだけを校長さんがやるのならば、これは校長さんは法学士でいいと私は端的に言ってそう思います。しかし、校長さんというのは法学士ではない、長い間教育をやってこられたベテランでありますから、校長さんの管理の場合にも、私はこの文書の中に書きましたように、教育指導のことを考えていく、そして長年の教育経験というものを生かしてやっていくというバランスを、調和を生み出していくようにしなければいけない。また事実、校長先生や教頭の中には、私どもも承知しているところでは、非常にそういう角度からやっていらっしゃる方もあります。   〔委員長退席、理事久保田藤麿君着席〕 方もありますが、他方において管理強化あるいは管理反対の勢いの中で非常にいわゆる管理に傾斜して教育指導面というものがいささか弱体化されているばかりでなく、社会一般がそのように見るというようなところにも実は今日の問題があると思いましたから、私はそう書きました。  もう一つのことを言いますと、たとえば、自治体におきましても管理主事と指導主事というものが二つある。これはまさに平等並列、相補的関係になければならないのでありますが、遺憾ながら現実においては、これは管理主事の方が何かにつけて幅をきかしているんではないかというふうに見る人も多く、また、そういう傾向が過去にあったことは否めないと思います。そこで私が提案しておることは、そうした自治体などの段階におきましても、また文部省におきましても、どうしても管理主義的という方向が続いていくならば、管理強化、管理阻止という、いわば不毛なる状況の中で、一番肝心な教育活動ないしはその指導というものがおろそかにされると考えましたから、私は春先以来管理主義というものをとらない、また今度の文書で一層明確にその点を申し上げているわけでありまして、この点は先生といささか見解を異にするかと思いますが、私はかように信じているわけでございます。
  42. 有田一寿

    ○有田一寿君 明日予定されておりますストライキのことについて、さらに文相の見解を伺っておきたいと思うんです。  先ほど私は、今村私案が出たときの戦術会議で決まったというふうに申し上げましたが、それは正確ではなくて、すでにその前の七月の初旬に行われた日教組の四十七回の定期大会のときに、主任問題についてはストを行うことを検討するということが出ております。これは御存じであろうと思いますが、これは後で槇枝さんが来たときに私は聞こうと思いますが、そうしてなおかつ今度行われますストの性格ですけれども、先ほど政治ストであり、違法ストであると申しましたが、これは私は明年の春闘の前ぶれ的な意味を持ったストでもあるし、また、公務員共闘の統一行動の一環として計画されているんだというふうに理解をしております。もし私の方が間違っておれば御訂正をいただきたい。早く言えばスケジュール闘争、これは七六年春闘を国民春闘としてより強大なものとするため、労働者、国民共通の生活、権利、福祉をさらに高める戦い、この戦いと結合して広範な各層を結集して戦う、日教組は七六年春闘に積極的に参加し、ストライキをもって戦うこととされた。これは、私は日教組が他の労働組合と同じに共闘を組んで、しかもスケジュール的にストライキを行うというこの認識、基本的に間違っておるのではないか。先ほどからこれは大臣のあれにもありますけれども、学校教育現場の特殊性ということをほとんど言っています。これは日教組の出された文書にもいろいろ出ていますが、学校とは何かという問題意識から発しなければならないということが文部大臣のこの文書にも指摘されております。ところが、学校現場といえば生徒を外して考えるわけにはいかぬ。だから同じくストライキをするといいましても、これは言い古されたことですけれども、明日にストライキを控えたきょうでございますから、あえて私は言いたいのですが、もの言わぬ生徒が被害者であるというこのストライキ、しかも他の生産現場あるいはサービス提供の現場、そこで構成されてある労働組合と教職員組合という労働組合は異質であると私は思っております。異質である。その異質である組合があえて労働基本権の獲得だとか、その最大公約数の共通のもののために、あえてストライキに参加して共闘を組んでいってやる、しかもスケジュールを組んでやるというこの事実にがまんがならないわけでございます。しかも、その悪い効果はきょうあす出るのではなくて、五年後、十年後に出てくるということを考えたならば、このストライキを平然と構えていくという日教組の姿勢は私は正されなければならない。あえて言いますならば、この日教組の姿勢考え方、いままでの行動経過、そういうものに対して国民は不信感を持っている。だから何かがここに生まれたときに、日教組は文部省を攻撃し、自民党を攻撃するけれども、片一方の側から言えば、また教育現場でこれを利用されるのではないか、日教組的に。そういう配慮というか、思惑が働くものですから、実態よりもより多く過激な姿がそこに露呈されてくる、これは大変悲しいことだと思います。その罪は文部省にあり、自民党にあるという人もおりましょうし、あるいは日教組にあるという人もいる。しかし日本人は賢明ですから、心の奥の奥ではすべてわかっておると私は思います。その声無き声を踏まえて教育行政というものは運営されなければならないのだ。これはまたあとで槇枝委員長が見えたときに私はそのことについてははっきり言いたいと思いますが、したがって最初申し上げたように、そうやって計画され、行なわれようとするストライキに対して、その省令化を明年に譲ればストライキはやめるであろうというようなこの日教組の対決の仕方に負けて省令化を延ばしたのだとするならば、悔いを千載に残しますよ。明年以降幾らでもこういうストは続く。何もこの主任制度だけが問題ではないのですから、日教組としては。あらゆることに反対をするということです。しかも最後の目標というものは日教組はちゃんと持っているわけです。これはもう申し上げませんけれども。そういうことを考えれば毅然とした姿勢がいま必要であります。しかも、主任制度化ということ並びに手当をつけるということはよほど悪いことのように日教組は指摘しますけれども、私は全然的外れである。だから毅然たる姿勢をもってひとつ文相は、ここは姿勢をはっきりとしていただきたいということでございまして、言い古されたストライキのことをまた持ち出した日教組の体質のことを持ち出すのは、明日に控えているから、私があえてここでもう一回言いたいという気持ちで申し上げるわけでございまして、これに対して、文部大臣はどういうふうに日教組の体質あるいはストライキその他についてお考えか、ここは国民の目の前ですからはっきりおっしゃるべきだと思うのです、どうぞ。
  43. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 私がちょうど一年前に文部大臣に就任いたしましてから今日まで日教組の全国ストというものは行われないで済みました。一年間済みました。これは私の考えでは、私の力によるというよりも国民の願望の反映であると考えます。それは学校といえば他のどこよりもストライキというようなもののなじまないそういう場でございます。先生方がそこにいらっしゃる、その先生方の相手は子供、そしてまた子供の後ろに親というものがいるのです。私は、実は大多数の国民は長い間どうしてこの日本教育というものはすぐ政治化する、そして組合はストをやるのかという疑問を持っていただろうと思います。したがいまして、今日まで幸いにほぼ一年間ストが行われなかったのは、私も困難な事態と思って日夜そのことのために働いてまいりましたが、決して私がこの職にあって政策を展開したからそうなったというよりも、むしろ国民の願望の反映だ、そういう意味においては、国民各位の御協力というものに私は感謝しなければならないと思います。そればかりでなく、実は先生方の相当数が同じお考えであるのではないかと思います。やはり学校の先生になる場合、まあ私もそうですが、何といっても一番の楽しみは教えることなんです。そして子供との関係、まあ私の場合は学生と、それが第一でございますから、そうした場というものが政治的な闘争の場になるということを好む先生は少ないと思います。  そこで、私思いますのに、しかし組合というものが存在いたしますが、この組合というものが経済的な待遇、処遇などの問題につきましていろいろ要求をしたりする、これは妥当なことだと思います。そうでなければ組合というものは存在しなくてもいい。しかしながら、組合が政治をするということは、これは組合の基本的な性格に反するものと考えます。したがいまして、この主任の問題につきましても、先生御指摘のように、七月の大会におきまして主任の問題も検討していくということは書いてあります。そしてなお、それが正確に決まったのは後でございまして、先ほどの今村初中局長の案が出た直後でございますが、十月十五日でございますけれども、それだからこそ私は実はこういう文書を書き上げて、そして国会や言論の場で御討議願おうと言っているんです。あしたの前のきょうというのですけれども、しかし、そんなに複雑な文書を私はここに出しているわけではございません。そして、日教組の方々も幾らでもこの文書を討議していただける、また、日教組といままで長い御関係のあった議員の方々もおいでになるわけでございますから、どうかそういう場で御討議を願いたい。そうしませんというと、どうしても教育というものが正常化されない。そういう考えで私はいまの問題に対処しているわけでございまして、先生申されますとおり、その点は先生に全く賛成でありますが、ストライキがあるから、したがって、それに対する対応として私の政策が左右されるというようなことは全く原則的に反していることでありますから、そういう考えはとらないのでございます。  実はこの文書でございますが、国会でも御討議願うのでございますが、もう早速印刷の仕事を始めておりまして、文部広報では十二月十三日号に掲載される。そして、全国にこれが送られますから、ここだけでなく全国的にも議論をすることが可能なわけでございます。私のストに対する見解、またストと政策との関係をどのように考えるかという先生の御質疑に対する答えは、以上のようなことでございます。
  44. 有田一寿

    ○有田一寿君 次に、十一月二十二日に日教組は三木首相に会見を求め、十一月二十五日には福田自治大臣、大平大蔵大臣に面会をして、第三次給与改善の財源は返上するということを申し入れておりますが、そのときに文部大臣にも何日の日ですか、たしか十一月二十八日ですか、同じ申し入れがなされたと私は聞いております。このことについて伺いたいわけですが、他の政党、社会党、公明党もこの主任制度の断念について申し入れたと思いますが、この財源返上論について申し入れがあったのかどうかも一つは伺いたい。  それから主任制制度化のための財源というのはわずかでございます。一%にもなるかならないぐらいだと思いますが、第三次改善の予定は五%、そうすると、文部大臣も書いておられるように、これは本俸の引き上げということを第一眼目にして予算折衝に臨もう、われわれもしてますし、みんなそうだと思うんですが、主任が気に食わないから主任手当分だけ要らないというのなら話はわかります。そうまでして好まざる制度を導入してもらいたくないというのはわかりますけれども、その全体を要らないんだと言って拒否する、これは全国の教職員一人一人の気持ちであるのかどうか、私は疑わざるを得ないわけです。   〔理事久保田藤麿君退席、委員長着席〕 しかも、幾ら取れるかわかりませんが、本俸引き上げ、これは人材確保法案のいわゆる第三次、最終ですから、もう今度がラストチャンスであるとわれわれは思っております。これをあえて捨てて、構わないんだという、この日教組の返上申し入れ、これは理解に苦しむところでございまして、だから巷間——これは私が言うわけじゃないが、巷間言われるのは、非常に極端な議論も行われておる。教員は給与が高まってくれば、給与が上がってくれば戦う姿勢がなくなってくる。俗に言えばネコは腹が太ればネズミを取らなくなる。だから給与はしかるべきところに抑えておいた方が団結力と戦う姿勢は維持されるんだと、これは暴論ですよ。が、そういうことを言う人もおるのです。ですから何のためにせっかくの教職員のために用意された財源を返上しようとするのか。坊主憎けりゃけさまで憎いという言葉がありますが、主任制が気に要らないから全部要らないのだという、この発想の飛躍が私はどうしても理解できない。これは文部大臣に聞くよりも、槇枝さんが来られたときに聞くべきことだと思うんですけれど、ちょっとおくれられるようですから、あえて筋違いかもわかりませんが、それに対してその陳情を受けた文部大臣の心境をここで伺いたいと思います。
  45. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) ただいまの有田先生の御質疑につきましては受け取りました書類に基づいて申し上げますが、まず、日教組槇枝委員長からの申入書の中の財源に関する個所では限定的になっておりまして、「主任制度化と手当支給を目的とする第三次給与改訂財源について」予算化を行うとなっておりますから、これは読みようがいろいろになるんですが、必ずしも全部こうだということでもないようであります。そういう読み方も可能でございます。  しかし、そこのところをもう一つ、非常に明確という文章でもないんですから、文章どおり読みまして、それから日本社会党の江田三郎議員からの申し入れのその部分につきましては、「主任手当導入のための第三次給与改訂の予算計上をやめ、」というふうになっております。  それから公明党の申し入れでございますが、そこでは「第三次給与改善財源が「主任制度」化設定を条件としたものであるとするならば」という文章になっておりまして、限定的な点がそれぞれございます。そこでこの文書の事実どおり申し上げたわけでございますが、したがって、二様の読み方が可能でございます。しかし、いずれの場合にいたしましても、第三次給与改訂は人材確保法にそもそも基づいておりまして、そうして私は文部大臣として責任を持って昨年度、就任早々第三次の一カ月分というものを昨年度の予算折衝において行ったわけでございます。それを獲得いたしました。実は、その際においては、さほど各方面からも御批判を受けなかったように記憶をいたしております。そこで、それに基づきまして本年度の概算要求には、私は概算要求を文部省から送りますものの責任者といたしまして、その平年度化予算を計上したものを要求したわけでございますから、当然、私といたしましては概算要求の責任者といたしまして、そうした自分で要求したものを、実は要りませんというようなことを、それは全く無責任だ。そういう考え方をとるはずはございません。そういう考えで臨んでいく、こういう考えでおります。
  46. 有田一寿

    ○有田一寿君 いまの読み方が二つに読めるということでありますが、新聞報道された限りでは二つに読めないように書いてあったと私は思いますが、したがって、国民はみんなその第三次の分は要らないんだと、もちろん、主任化反対だから要らないんだろうというふうには受け取っているでしょうが、いま御説明になったように、正確に二通りの読み方があるから主任制度化につながるものの、その財源は要らないんだというふうには受け取っていないと思いますが、そうなると、私が言いたいのは、要するに教育界に少しでもこの財源を導入したいというのがお互い教育関係者の悲願でございます。少しでも、それは何に使うかといえば、使い方はいろいろあるが、せっかくこれが給与に充てるべき財源だとしてあればそれは取りたい。だから、主任制度化の財源が要らないんだと。しかし、それ以外は一銭でも多く教員の本俸を上げることに導入したいという意思表明こそ私は正しいのであって、まるで全体がもう要らないんだと、それに主任制度をくっつけるぐらいなら全部要らないというのは決して一人一人の教職員の本当の気持ちではないであろうということを申し上げたいわけでございます。  それから、いろいろ主任を含んでストライキの問題等、特に最近論議が盛んになってまいりましたが、これは私は教師像というもの、教育現場というもの、それに対して国民の中にこうなければならないんだという考え、いやこれでいいんだという考え、いろいろ際立ってまいったことから、それにいろんな主任問題その他が絡んで盛んになってきたんだと思います。私は自分でこれも書いたものですが、少し申し上げますと、私はこういうことを考えるのです。この教育の成果は教育の技術によらず、教育者その人の人生観による、まあそういうことがよく言われておりますが、だから教育はまさに人である。教育者の人生に対する態度、教育への情熱あるいは思想的信念、これらのものが一つに統一、融合されて、その人の人生観、世界観を形づくるであろう。この確固たる人生観が導きとなってその人の教育に対するこの実践をよきものにしていくのであろう。そういう姿勢がやがて児童生徒だけでなく父兄までも感化するに至るのではないか。こういう意味における私は人生観が教師について今日ほど強く望まれておるときはないという感じを持っておるわけでございます。  私は三つの立場学校の先生にはあると思う。一つは、もちろん教壇に立って子供を導く立場における教師の姿でございます。これは組合員たることと直接関係はありません。自分自身の教養と研究によって児童の人間を形成していく、これが最も大事な教育者の第一の姿であろう。第二は、教員組合の一員としての立場であります。これは組合という組織に属し、経済的要求を掲げて相互に団結して闘っていく。これは教師も人間であるとみずから宣言し、聖職者としての祭壇を自分から飛び降りて人間宣言をした瞬間に始まった教育者の姿であると思うんです。これは過去の教師像とは異質でございます。教育の権威というのは、教育者が基本的人権としての生活権を私は要求したから損なわれるとは思っておりません。生活権とは別個のものだと認識しております。だから教権の維持は、教育者が人間性を没却して聖人になることによってではなくて、内なるものを培って、教え子や一般社会人と共通の地盤に立ちながら、なお理想社会追求の熱情と人間愛と知性においては一般より一歩抜きん出ているんだと、そういう自覚によって初めてなされるというふうに考えております。教育の権威というのは、教師が親権の被委託者であるという事実からくる面も大いにあります。さればといって劣等な教師が、おれは親権の被委託者であるといかに胸を張ってみても、だれもがそこに権威を認めません。だから、そういう教師論というものを、これをもう一回私は再認識する必要があるんじゃないか。第三の立場、これは教育者も家庭人でありますから、家に帰ったときは妻に対しては主人であり、親に対しては子であり、子に対して親である。宗教を語り、いろいろ友情を温める、そういう個人的な生活があり得る。この以上申した三つの立場というものが、やはり融合されていなきゃいけないんだ、これがばらばらで、どれかが、一つだけが抜き出た場合に、私は教育者がむずかしい立場に立つ。だからそれを三つが融合されなきゃいかぬ。だから教員組合であることを決して私は否定もしませんし、組合はあるべきだという論者でございますけれども、先ほどから申し上げましたような行き過ぎたこの組合運動に対しては、私は非常に反対の立場をとるものでございます。まあ憲法によって思想はそれぞれ自由でありますから、共産主義思想を持とうと、社会主義思想を持とうと、自由主義思想を持とうと私は教員はいい、また思想を持つことはいいことである。思想を持てば思想の戦いが始まりますから、自分はそれは正しくないと思えば自分の方の信じている思想を強く主張する、これも当然であります。ただし、基本法なり学校教育法で言われておりますように、キャンバスの中においては絶対にその思想を行動に移してはいけないと、これは大変むずかしい命題でありましょうけれども、これを実行すべきで、おれは思想は持っている。しかし思想を持っておれば、思想は当然生活ににじむんだから、学校の中でもやはりそれは言うよと、それをとめることはできないというような者は私は教師の資格がない。それは他の職場に行くべきであって、教職から離れるべきである。これがいわゆる一番大事な境目だと思う。ところが、最近そこが乱れてきているのではないかと、それがいろいろ国民から不信感を持たれるその大きな原因になっていないか。今度の明日に控えたストライキについて考えた場合に、私はこの動機が、直接動機は主任問題であれ、その遠因は必ずしも主任だけではないであろうと考えているものですから、主任のことについて文部大臣が先ほどおっしゃったように、そのストを回避するために、これを便宜的に妥協するんだとはおっしゃりますまいけれども、万そういうことがあってはなりますまいということを申し上げたいわけでございます。それについて簡単で結構ですが、もう一回心境をここで伺いたい。特に教員組合の姿勢に対する見解と、先ほどおっしゃいましたが、もう一回明確におっしゃっておっていただきたい。
  47. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 有田先生のお言葉に即して申しますと、教員に三面がある。一つは、教員として聖職という言葉もありますし、あるいは専門職ともいい、使命職とも、いろいろございましたが、そういう面、第二には勤労者としての面、そして第三が家庭人としての面いうことでございます。私はまさにこの三面というものを持っているという点にます先生に全く賛成でございます。  そこで、勤労者として組合をつくるということ、これまた当然であると考えます。ただ、その勤労者としての組合の活動は処遇、待遇の問題というふうなものの改善、そのために努力をするわけでございますから、それが政治、思想活動を行う団体になるということはいけないことであると考えます。しかしながら、それぞれの個人はまた日本の市民といたしまして政治的信条を持って有権者として活動するわけでございますから、これはまた、教員に個人としては当然に当てはまることであると私は考えます。  そこで、学校でどうするか。つまり、組合が非常に政治活動を行うということから学校にどういうことが行われてくるかというと、先生、思想という言葉で御表現になりましたが、そういう場合には政治的、党派的教育が行われることになるんだと思います。その場合は、これは教育基本法八条に申しておりますように、とうてい教育の中立を維持できないわけでございますから、教育の基本的原則に反している。ただ、八条はもう一項別の項がございまして、これは非常にむずかしいのですが、同時に民主的な国家においては政治的教養というものを教育しなければいけない。そこで、党派的でない政治的教養というものを学校で教えていくということは、私はむしろ今後積極的に努力すべきことであると考えます。果たして、それがどこまでできていくかということは問題があります。しかし、政治的教養を教育するという場合にそれがすぐに党派的なものに走ってしまうというところに問題点があるわけでありまして、これは学校教育の逸脱であります。  そこで、私は組合、それから学校教育者としての面について以上私の見解を申し上げたわけでありますが、したがいまして、組合が政治活動をして、そしてその政治活動によって制度上の問題などについて黒白を決するというストを行うことは、そもそもスト自身に問題がありますけれども、そうしたストというものは、これは絶対に許されるべきものではなく、また、それによって私の政策が左右するということは絶対にあってはならないものと考えております。
  48. 有田一寿

    ○有田一寿君 いまのことに付随してもう一つこれは伺っておきたいと思いますが、学校外における教職員のいわゆる政治活動ですが、学校内においてはもちろん当然そういう党派的活動を行ってはならない。ところが、教え子の目の前で思想の普及運動や政治運動を行うことは私は好ましくない。教え子は先生のすることは間違っていないという先入観念を持っていますから、法に触れないからといってそういう行動をとることは教師としては好ましくない。だから、他の労働組合の組合員の場合には職場以外での行動については自由であるし、法に触れない限り非難されることはないと思います。しかし、教師の場合のみは相手は生きた人間、しかも未熟な少年少女たちであることを考えると、学校というキャンパスの外なら何をしてもいいではないかということにはならないのではないか。これは法ではなく倫理であって、教育者の良心の問題ではないかと思いますが、そこら辺の境目のことについて大臣見解を伺いたいと思います。
  49. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 学校のキャンパス外において個人が当然わが国の市民として政治的な自由を持つということはあると思います。しかしながら、教職に携わる公務員の政治的活動というものがいかにあるべきかということについての規定がありますから、それはそうした規定に沿っていかなければならない。いわんや学校の中において政治活動ないしは思想活動というものを行うということは、これは明らかに教育基本法八条から申しまして許されない、かように私は理解しております。ただし、また、学校では政治的教養を教えなければいけないということでありますから、この関係は実はそれほど複雑ではないはずでありますけれども、そのことを十分に自覚した形で教育というものは政治とかかわっていかなければならないんだと思います。     —————————————
  50. 内藤誉三郎

    委員長内藤誉三郎君) この際、委員異動について報告いたします。  ただいま中沢伊登子君が委員辞任され、その補欠として向井長年君が選任されました。     —————————————
  51. 内藤誉三郎

    委員長内藤誉三郎君) 午前の質疑はこの程度にとどめ、午後一時三十分開会することとし、暫時休憩いたします。    午後零時二十五分休憩      —————・—————    午後一時四十分開会
  52. 内藤誉三郎

    委員長内藤誉三郎君) ただいまから文教委員会を再開いたします。  この際、御報告いたします。  本日、参考人として日本教職員組合執行委員長槇枝元文君の出席を求めておりましたが、ただいま都合により出席ができない旨の申し出がありましたので、さよう御了承をお願いいたします。  休憩前に引き続き、教育文化及び学術に関する調査中、当面の文教行政に関する件を議題といたします。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  53. 有田一寿

    ○有田一寿君 ちょうど持ち時間あと三十分でございますが、槇枝参考人がお見えにならないということになりましたので、文部大臣に槇枝さんのかわりに答えていただくというわけにもまいりませんから、主任問題についての質疑はここで終わらしていただきまして、高校問題についてお尋ねしたいと思います。  いま教育課程審議会の方で分科会の審議に入って、来年秋に最終結論を出すということでございますが、その中で、いろいろと小・中・高について教科課程について論議されている。ところがそれに付随して、高等学校全入を認めるべきである、あるいは認めるべきではないというような議論がこれまた非常に盛んになってきておりますが、以前朝日新聞で、これは文部大臣見解とは書いてなかった、首脳部と書いてありましたので、大臣はタッチなさっていないのかもわかりませんが、全入を考えるというようなことが載っておりました、御承知だと思いますが。それについてどういうふうにお考えですか、大臣からでも局長からでも結構ですけれども、なるべくなら大臣から。
  54. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 高等学校の進学率が戦前は中等学校二〇%でございましたが、昭和五十年度九二%までふえているという実態に踏まえまして、先生御指摘のように、一部には義務化というような声さえもございます。また、その全入というのがございますが、いま私ども文部省考えておりますのは、現段階におきましては、希望する人々はできるだけ入れる、多く入れると、そういう立場でございます。
  55. 有田一寿

    ○有田一寿君 一歩掘り下げていきますと、希望する生徒はなるべく多く入れる、ところが財政的な見地並びに教育内容を維持する見地、この二つの立場に立ちました場合には、いま大臣がおっしゃったことはなかなか現実には実現しにくいであろうと。九一・九%が昭和五十年度の全国平均進学率でございます。東京都などは九六%を御承知のように超えておりますし、あるいは過疎県においては八〇%そこそこのところもございます。これは直接予算に結びついてくる問題でございますので、その新増設対策については、いずれにしても早急に結論を出さなければならないということで、党の方としては一つの考えを発表したわけでございます。もちろん、文部省意見もその過程においてはいろいろ十分に承ったわけでございますが、個々にいろいろやはり問題があると思うわけです。一つは、ついていけない生徒がたくさんおる。まあ三割ぐらいはついていけないと言っても間違いではないと思います。もちろん、ついていけないと言っても、科目によってでございます。ただ物理的に建物を増設して希望者はどんどん入れる。もちろん、父兄は全部入れたいでしょう、ついていけないことがわかっておっても入れたい、これが私は親心だと思いますが、教育行政というものは、やはり大衆の意思に必ずしも合わない、それに逆らう面があっても、国としての一国の文教政策というものから、こうなければならないということで、断固たるやはりそこに姿勢が打ち出されなければならない、これは主任問題とはちょっと意味は違いますけれども、底に流れるものは同じであると考えておるわけでございます。能力主義、平等主義と、言ってしまえばそういう言葉になろうかと思いますが、いまは平等主義の時代だと思います。いま能力主義だということを言うと、大変反発を買いますけれども、高等学校全入ということを考えた場合は、これは一種の平等主義だと思うのです。本当にそれぞれの能力、適性に応じた教育を行っていくことができるのか、その自信がおありなのかということについて、重ねてお尋ねをいたしたいと思います。
  56. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) ただいま有田先生が御指摘になりました平等主義の問題と、それから能力主義の問題は、非常に重要であると同時に、複雑な問題をはらんでいると考えます。  まず平等の場合に、その意味するものは、機会の均等という意味合いにおける平等、特に教育の場合、教育の機会均等ということであるかと考えます。これは義務教育におきましても、もちろん、その精神をもって全国民に及んでいるわけでございますが、高校に進みました人々あるいは進んでいる人々の数が九二%に及んでいるという現在、やはりその教育内容の中で考えていかなければならないことは、機会の均等というものをどういうふうに確保していくかということであって、教育内容を均質化する意味において平等ということではないと考えます。教育課程審議会では中間まとめをいただきましたが、そういう角度から能力、適性との組み合わせを考えておられるというふうに私は理解いたしております。つまり、高等学校に進んでくる人たちについて、機会の均等を保障すると同時に、能力、適性を伸ばすのをどのように組み合わせていくかというこの三つの原則の結合関係をどのように考えていくかということが中間まとめが一番御工夫になっている点だと思います。そこで、これは先生はこの問題についてずっと御研究でございますから、余りくだくだしく申し上げるまでもございませんが、まず共通必修という形で下敷きをつくるという形が教育課程審議会のお考えである。さらに、その上につきましては、いろいろの勉強の学科というものをコース別に考える。その組み合わせの原則というのは、私は、ですから、いわゆる均質的平等主義に傾いているものでもなく、また、いわゆる能力主義ということで、機会の均等を人々から奪ってしまって、そして能力、適性を失わしめるというのでもなく、非常に工夫をして双方を結び合わせる、能力、適性と機会の均等を結び合わせるというお考えで中間まとめができているというふうに思います。これを具体的にどう実現していくかということは、非常にむずかしいことでございますし、とりわけいわゆるついていけない子供という問題がございますが、この場合に、やはり機会の均等というものを図るという限りにおいて非常にチャンスをつくっていくということでございますが、しかしその子供たちが持っております適性能力をやはりどうやって生かしていくかという角度考えていかなければならないことでございますが、大体以上申し上げたように、私の理解いたします点では、機会の均等と適性能力の組み合わせということがこれだけ大きくなってきた高等学校年齢の人たちにとって特に必要である。大体、能力適性というのは実は小学校においても考えなければいけない問題でございますが、特に高校などの段階にまで進みました場合には十分その面の配慮が必要である、かように考えている次第でございます。
  57. 有田一寿

    ○有田一寿君 実は中教審答申が昭和四十六年に出されまして、以後、今日までその答申案の実現について十分に文部省が取り組んでこられたとは思わないわけでございます。どういう事情があったかは存じませんが、あれだけ国民の多くの意見をくみ取ってまとめられた答申案は数少ないと思うわけで、いまから学校教育体系を考えていく場合にあの答申を無視することはできないと思うわけであります。明らかに間違っているという点があればそれを別にとる必要は毛頭ない、どこまでも諮問したものに対する答申でありますから。しかし、それがほぼこういうものであるということで正しいものだと認識をなさったのならば、これを実現に移すべきであろう。この六・三・三・四制につきましても、党の方としてはこの見直しを行って新たな教育体系を樹立するというような考えにいま立っているわけでございまして、もちろん、先ほどのお話しのように党が余り出過ぎて文部省の方に網をかぶせるというようなことのないように、これは十分お打ち合わせをしながらよきものをつくり上げたいということではございますけれども、いままでのどうも文部省姿勢が中教審答申を無視しているんじゃないかというふうに思いますが、これについては永井文相はやる決意というか、中教審答申、六・三・三・四制に限りませんが、これを前向きに実現していこうというお気持ちがおありでしょうか。それはぜひとも伺っておかなきゃならないと思います。
  58. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 中央教育審議会のかの有名な答申というのは非常に多岐にわたっておりますが、六・三・三・四との関連で先生がただいま御質疑なさいましたのは先導的試行に関連することだと理解いたしましてお答え申し上げます。  先導的試行の問題は実は非常に提案があったにもかかわらず長い間手つかずであったというのは私、事事だと思います。しかしながら、先導的試行はやはりいまの教育制度をどこをどういうふうに変えていくかと、あるいは現状のままでいいかという反省に基づいて出てきたものでございますから、実は私が就任いたしまして以来検討を始めてまいりまして、特に来年度から先導的試行検討という姿勢で取り組んでいく考えでございます。そこで、そのことにつきまして初中局長からいま文部省で先導的試行の検討について入っていこうとしていることについて御説明をいたさせたいと思います。
  59. 諸沢正道

    政府委員(諸沢正道君) 中教審で言われておりますところの新しい学校体系の開発というものは、中教審の説明によれば子供の成長発達の段階に最も適合した学校の区切りを考えようということで、具体的には幼小の連関であるとか、あるいは中高の一貫であるとかいうことを挙げておられるわけでありまして、そういう見地から文部省におきましては、教育研究開発室という部門で理論的に発達段階学校の区切りの関係はどうあるべきかというようなことを外部の専門家の方たちにお集まり願ってずっと研究してきたところでございます。また、一般の大学の先生等にこちらから個別に研究をお願いするというようなことをやりまして今日に至っておるわけでありますが、果たして、学校の現場で区切りがどうあるべきかということは、現実の問題としてはたとえば幼小との連関において教育課程をどういうふうに改めたならば最も子供の発達にふさわしい教育ができるかというようなことになるわけでありまして、そういう意味では常に学校が現在の文部省が定めております学習指導要領の基準を守って教育をしなければいけないというのではそういう新しい試みができないわけであります。そこで、いまの学校教育法の施行規則にはそういう新しい教育方法なり体系なりを考えるに必要な場合はいまの学習指導要領の基準によらないことができるという一項がございますので、その規定の趣旨を生かしまして明年度におきましては小・中・高の学校において主しして教育内容の見地から新しい将来の学校段階の区切りというようなものも頭に置きながら少し研究をしていこうということで、もう一歩先に進んで実際の現場における研究という形でやってみたいと、こういうように考えておるわけでございます。
  60. 有田一寿

    ○有田一寿君 いまの御説明わかりました。的に取り組んでいただきたいと思うわけです。  特に教科課程の改編に取り組んでいくということでありますが、いまの教育の中で抜けているものは、たくさんあると思いますが、一つは、汗を流す教育とといいますか、勤労教育というか、体を動かす教育、これは大いに欠けていると思います。第一、学校の教室の掃除、校庭の掃除等、すべてこれは私は生徒の手でみずからやるべきものである。それが必ずしもそうではない。父兄参観日にたまにお父さんが来るからまあ高いところはクモの巣を払うのはお父さんがよかろうというようなことでやったり、いろいろ実態を見てみますと、汗を流さない教育ということに傾いておるようにも見受けられます。それから人類普遍の原理というものは、教育基本法にもうたわれておるように、これはあらゆるところに見受けられますが、家庭愛から郷土愛、国家愛それから人類愛へつながるこの手順というか、道筋は私は抜けているように思う。これはまあそれぞれの見方で、いやそうではないとおっしゃるかもしれませんが、国家観念、国家を愛するということを遠慮しているように思うのは私だけではないというふうに私は思う。  それともう一つは、宗教的情操を養うということ、これは基本法あるいは憲法等で、宗教という言葉が出ると大変タブーのようにいやがりますけれども、宗教宗派教育は禁じられておりますけれども、宗教的情操を養うということはいささかも私は禁じられてはいないと思うわけでございまして、ただ、先般もあるところで、学校の生徒は恩師だとか先輩だとか友人とか、それがあるいは事故で死んだとかそういうときの墓参とか、遺族のところに行ってお見舞いを言うとか、そういうことには進んで参加させるべきではないかということを申しましたら、いやどうもそれは仏教のにおいがするからいけないんだろうというような意見も出ました。それで私はここにちょっと書いてみたのは、三つだけ、三項目書いてみたんですが、これならば私は異議はないんじゃないかと思うんですが、大臣見解を伺いたいのです。  一つは、人間の生命は、動植物の生命を滅ぼすことによって初めて維持されるという厳粛な事実に深く思いをいたすべきである。それからペン供養、針供養等により命なきものにも感謝するという心情を養う。それから次に大自然の恵みに感謝するとともに、自然を愛し、自然の前に謙虚であること。この心情は幼少のときから、私は植えつけられてしかるべきもの、これが他日どの宗派、宗教にいこうと、どういう人間に育っていこうと、いま申し上げたようなことは、私は人間が生きていく上での、それこそモーラルミニマムと申しますか、宗教的なにおいはしますけれども、これなくして人間はあり得ない。第一、日本人がよそへ行ってきらわれるというのは、こういうところがないからきらわれるのではないかという感じさえするわけでございます。これは教科課程にどういうふうにそれが入り得るか私はわかりませんが、教科課程審議会でもいろいろ検討しますが、どこかにこういうものを入れるということが可能であるか、また、入れてもらいたいという気持ですが、これについてはどういうふうにお考えでしょうか。
  61. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) いま先生がおっしゃいました三つの点でございますが、人間は動植物というものによって生きていくと、そういう意味において感謝の気持ちを持たなければいけない。同時に、動植物に、命なきものに対して敬意を持つべきである。第三には、大自然の尊重ということだと思います。私はそのいずれも、恐らくいろいろな宗派の宗教がすべて考えているものだと思います。同時に、まことに共通なものだと思います。ちょうど午前中の、この政治教養とそれから党派的政治教育というものの区別と同じように、いま先生おっしゃいました三つの点を宗派的でなく教えていくということは、私はまことに当然のことであると考えます。事実、私の理解いたしますところでは、たとえば公害というものが発生するようになりましてから、わが国民一般の自然に対する認識というものは、相当変わってまいりました。また、これに応じた教育についても、私は文部省の方でも配慮を始めてきたというふうに理解いたしております。  他の二点の問題でございますが、私は全く賛成でございますが、これをどのように実現していくかということを私たちは大いに工夫すべきだと思います。  それからもう一つ、先生は家庭愛、それから国家愛、そして人類愛ということをおっしゃいましたが、私はこれにつきましても、現在、わが国にいずれもが欠けているんではないかというふうに考える点で同じでございます。特に家庭に対する愛情というのは、核家族化に伴いまして、そしてまた、そこにテレビが入ってくるとか、そういうことも非常に関係あると思いますけれども、家庭生活への愛情といいますか、あるいは親子兄弟の関係を重んじて生活をしていく、これは学校教育においてもそのことを教えております。私、必要でしたら申し上げられるわけでありますが、指導要領でも学年に応じた家庭についての教育というものはございますが、これはやはり今後一層強めていかなければいけないことだと思います。  愛国心の問題は、戦争後一種のタブーのようになって、愛国心というものは戦争を遂行いたしました軍国主義と結合するというふうに直ちに考えるということが長く続きましたために一種のタブーのように考えられてまいりましたが、私は、そういう愛国心ではなくて、いま先生が言われた人類愛といいましょうか、事実、その人類と共存していくということなくしては、実は自分の愛する国というものの今後の存続、発展というものも事実上願うことができない、そういう世界史の変化が起こったという、それを踏まえまして、私たちが自分の国を愛し、また、日本人としての誇りを持って活動していくということが非常に必要であるという点において、先生のお考え方に賛成でございますし、またこれは、文部省としてこうした激動する世界史の中での自分の国というものを考えて、一層配慮いたしていくべき問題であると考えております。
  62. 有田一寿

    ○有田一寿君 先ほどお答えをいただいたものの具体化、各論の問題になりますが、高校段階でついていけない子供、これはまあ、いろいろありますが、この対策は、程度を科目によって下げるということも考えてしかるべきだと思います。と同時に、遅進児については促進学級を設けるとか、あるいは特殊学級を設けると、あるいはもっと言えば、別な高等学校を設けて、そしてクラス定員を少なくして行き届いた指導によって本人の持っている能力、適性を最高度に到達するようにするというようなこととか、いろいろあると思いますが、具体的には、特殊学級をつくると言えば父兄が反対するというようなことであったようですが、これは日教組でも特殊学級を考えるべきではないかというようなことの議論がなされておるやに私は聞いておりますが、金のかかる話ですけれども、高等学校を九二%まで全入を認めてきた限りは、やはりそれに相応した手だてというものがなければ無任だということになると思います。これが一つ。  それから職業観の確立ということが、大変いまや大事になってきていると思うわけですが、皆普通科高等学校に行って、それから大学に行ってというような路線を父兄は考えているのが現状だと思いますけれども、それぞれ自分の適性を考、高校在学中には少なくとも職業に対して使命感と申しますか、適性観と申しますか、何らか腹決めというものをしなきゃならぬ。いまの教育制度で追い込んでいる姿を見ると、全然、職業観の確立をしてやろうと、そういう指導をすべきだというのはわりに少ないように思います。これがいわゆる職業高等学校の軽視ということにもつながってまいりますが、今後、そういう面に関しまして、永井文相はどういうことでこれを解決していこうということをお考えか、なるべく率直に具体的に簡潔にお示しを願えたらと思うわけでございます。できるできないは別で、こういうことをしたいということを率直にお伺いしたい。
  63. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) まず最初の、ついていけない子供の問題でございますが、これは先生に申し上げるまでもなく、いわゆる遅進児の問題、それから精薄児の問題というものがごっちゃになって、いわゆるついていけない子供の中に入れられておりますが、これはやはり、区別して考えなければならない問題だと思います。そのそれぞれに対応してふさわしいコース、学習のコースをつくっていくということが大事であると考えます。先生は特別な学校をつくるということも検討課題ではないかというお話でございますが、私も検討課題であると考えますけれども、直ちにはなかなか進んでいけない。さしあたって考えるべきことは、むしろ特殊学級の方の問題だと思います。これも事実上は置けるわけですが、まだ置いていないという段階でございますから、私たちはやはり、歩一歩この問題に進んでいきますためには、新たに特別な学校を設けるというよりも、特殊学級の問題にどう取り組んでいくかということを考えるべきであると思っております。  次に、職業観の問題。私は実はこれは非常に重要であると考えております。といいますのは、普通高等学校の従来の普通課程を進みまして、そして大学に行くと、また、人によっては修士課程、さらに大学院課程に進むというような場合になりますと、実に二十年程度ほとんど具体的な人間の職業というものに接触をしませんで、書物中心に学習をすると。その年数が長ければ長いほどよいという考え方が、これはアメリカ合衆国に発したように思いますが、わが国にも非常な影響を及ぼして、現在そういう考え方が進んでいると思います。しかし、実は当のアメリカ合衆国でこの考え方ですと、非常に全部の人がそちらへ流れていくということになりますというと、本当に社会全体がかたわになる。また、事実学問によっては、そういうふうなやり方で果たしてよい学問が積めるかどうかという批判が非常に高まってきております。  私の将来の考えを具体的に述べよとおっしゃいましたので、いま考えていることを申しますが、高等学校で職業高校というものがございます。そういう中で、たとえば工業高校の卒業生、これが大学課程で言いますと、どういうものと関連してくるかというと高専と関連してまいります。現在この国会で継続御審議をいただいておりますいわゆる技術大学とさらに技術大学院と前は申しておりましたが、構想を変えて技術大学というふうに考えておりますが、それをつなげて考えますと工業高校、それから高専、それから技術大学、私は実はこの課程の組み方というものが今後非常に大事なんだと思います。その場合にも従来の普通課程からと同じように、実際の職場に全然出ないで、いわゆる職業教育をやってしまうというのでなく、むしろ一言で申しますと、サンドイッチ教育といいますか、実習を十分にやると。むしろ実習を十分にやった人がさらに上の学校に進んで行きやすいようにする、こういう方法を私は実は一つの理想としていま各界の諸先生方に、各界といいましてもこの問題については、工業関係の先輩である茅先生あるいは大山先生、そういう諸先生方の御意見を非公式に承りながら考えているものの一つでございます。これは具体的な考えで、今後どう進めていくかということは課題でございますが、非常に大事だと思っております。たまたま工業の例を挙げましたのは、そこのところが一番いままでのところ、すでに案として進行してきておりますし、また、高専までも実現しておりますが、何か普通課程より上下があるという考え方があるわけです。しかし、私はそうなのではなくて、むしろ新しい学習の仕方ということで、従来の普通課程コースに刺激を与えるというような方向で、実習やあるいは場合によっては工場その他における経験というものも途中に入ってくるというところまで考えてはどうかというふうに思っております。あと、他の商業とかあるいは農業などの場合にどうすべきであるかというところには考えが及んでおりませんが、さしあたって、私はこの工業のところで、相当いままで制度ができ上がってきているのに、上下関係になっておりますから、ここの是正をどのように考えていくかということが非常に重要な課題であると。そしてこの問題の御討議を進めていただいて、私たちもそれから学んで、少し新しい学校教育角度というものを開いていかなければならないと考えているわけでございます。
  64. 有田一寿

    ○有田一寿君 ありがとうございました。  これで私の質問は終わらしていただきます。
  65. 久保亘

    久保亘君 私は、午前中に引き続いて主任問題をめぐる問題について質問をいたしたいと思います。  最初に永井さんに、文部大臣を一年以上勤められて、あなたが理想とされておりました教育政争の外に置くということは大変むずかしいことであるという実感を持っておられるかどうかお聞きしたいと思います。
  66. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 一言で申しますとむずかしいと思います。と言いますのは、どうしてもいろいろな教育問題がすぐに政治化する傾向がございまして、そのことから非常に混乱を生ずる。一般には、たまたまきょうなどは文部省と日教組の関係というふうに論じられておりますけれども、そういうものに実はとどまらない。いま、大学の共通学力テストをやっておりますが、これも前には能研とかあるいは進適というものがあったわけですが、その場合に、どうしても文部省がそれを強行していくというふうな姿にとられやすかったことが、いろいろな努力にもかかわらず、あの案というものが終局的にうまくいかなかったことだと思います。そこで現段階においては国立大学協会でいろいろ御工夫を願ってやっておりますが、こういう方向というものが私はいいんだと思いますが、そういう場合に、文部省としては国立大学協会に奉仕すると申しますか、そういう形で自主的にやっていただかなければならない。そこにたどりつくまでに二度失敗したということもございますから、私はいまのことは、つまり文部省がやるとすぐに教育統制みたいにとられやすいというおそれがある一例として申し上げたわけですが、そういう面があると思います。ただ、全部むずかしいとばかりも思っておりません。それは私、どういうことであるかというと、先ほど宮之原先生でしたか、有田先生の御質疑に答えたんですが、幸いにして本年一年、日教組の場合に全国ストというものが展開されない姿で、いろいろ日教組の方とも私はお話を重ねることができたことをきわめて幸いに思っております。これは私やっぱり何と考えましても先ほど申しましたように、私が特にいい政策をしたというようなことではなくって、そうではなく、やはり国民というか両親というか、そういう方々がまあ教育の問題というものがむずかしいことはわかるけれども、静かな場で教育をやっていきたいという、そういう御意思の反映が何よりもあったのではないか。ですから私自身の体験から申しますと両面ございまして、むずかしいのはやはりどうしても文部省行動がよほど注意いたしませんといけないことですが、国家統制的にとられやすいですから、そういう点を十分に配慮していくべきことじゃないか。それからまた、文部省と申しましてもけさほどから議論がありましたように、わが国は議院内閣でありますから、したがいまして、自民党内閣である。そうすると自民党行政官庁である文部省との関係をどうするか、この辺を一番痛感している点でございます。
  67. 久保亘

    久保亘君 特に、この主任問題をめぐる最近の動きの中では、あなたが自民党文教部会の圧力に対して教育政争の外に置くという立場を守り切ろうとすれば、むしろ私どもにうわさで聞こえてくるところでは、もう思うとおりにならないなら文部大臣として永井は無用であるという声も聞こえるし、また、あなたの方はそういう圧力をはね返して自分の理想を貫くことができないとするならば自民党三木内閣にはそれこそ永井は無用、こういうことを考えざるを得ないようなジレンマに陥っておられるんじゃないかと深く同情をする気持ちもありましてね、お尋ねをしているんです。  それで、私が教育政争の外に置くことは大変むずかしいとお感じになりましたかということをさらに一歩進めて、教育政争の外に置くということは、与党に対してもかなりの勇気と努力が要るものだということをお感じになっておりますかどうか、お聞かせいただきたいと思います。
  68. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 与党に対しても、教育政争の外に置いていくためにはこれもけさほど触れた点でございますが、十分の努力をしなければいけないことであると考えております。
  69. 久保亘

    久保亘君 次に、あなたが新聞に発表されました文相見解の一番最初の項目に、「主任問題をめぐってその制度化の是否を論じる前に、主任とは何かを実態に即して正くし認識することが必要である。」、このことを前提としてお述べになっておりますが、この見解文部大臣文部省にとっても必要な認識としていまお感じになって述べられたものだと理解してよろしゅうございますか。
  70. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) まさに久保先生の御指摘のとおり文部省にとっても基本的な前提になるべきものだと考えます。
  71. 久保亘

    久保亘君 その前提に立って主任制度というのを考えていきます場合に、主任制度の扱いというのはわが国教育の現場の組織を扱うことによってある意味では教育のかなり根本的な改革にも通ずるものがある、こういうような理解をしなければならないと思うんですが、いま文部省が出されております主任制度の問題はそういう意味を持つというふうに理解をしてよろしいかどうか、お尋ねいたします。
  72. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) ただいま文部省が出しておりますものは、現状に踏まえて改革、つまり現状というものを十分に認識しないでやぶから棒と言うと変なんですが、木に竹を接ぐというのがもう一つの表現ですが、それを無視したような形で進めることは妥当でない。現状に踏まえまして、現状で私ども考えて特に強化をしていくべき面というものの改善、これを考えているということでございます。私がここに書いておりますのは、やはりどうしても管理に傾斜しておりますから、そうでない面を強化しないと調和がつくれない、かような角度でございます。
  73. 久保亘

    久保亘君 五日の日に、私どもが党の代表とともに文部大臣にお会いいたしました際に、主任の問題というのは、現在ある主任等について相当な調査をした上でそしてそれがどういうふうに制度として扱えるのかどうかというようなことについて、相当な検討をしなければならぬということをあなたはお話しになったように私記憶をいたしております。であるとしますと、六日の日に、たたき台とはいえ一日たたないうちに一つの文部省のまとまった構想のようなものが出されてきたということについては私どもは非常に驚きを感じているわけであります。そういう点について、これは現実に即して文部省がいま構想として出したものについては相当深く研究し、この内容を分析してみて結論に至るまでにはかなりの時間や場所が必要になるものだ、こういうふうな理解大臣がされておるのでなければ、この二十四時間足らずの間に、前日お会いしたときとその翌日に発表されたものとの間が結びついてこない、私はそのように感じておりますが、大臣のお考えをお聞かせいただきたいと思います。
  74. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 先生にお目にかかったのは五日、これを発表いたしましたのは六日でございます。ところで、この文章は実は私が一番最初に書きまして直しましたんですが、大変短い文章のようですが、これは正確に申しますと二週間かかりました。ですから、実は先生にお目にかかったときには最終案に近いものができていたわけでございます。文章を書きます前に、実態調査をいたしました。その実態調査につきましては初中局長から必要でしたら御説明申し上げますが、それは普及度などについての全国調査、それからそれぞれの主任の職務内容などについての調査、さらにまた、それぞれの主任というものがどういう形で発令されあるいは校務分掌という形でどの程度に行われているか、これらの実態調査というものが私の二週間かかってこの文章を書きます前に先行しておりました。それを踏まえまして私はこれを書きました。なぜ春先から管理主義はとらないということだけを言ってその内容に及びませんでしたかと言いますと、実はこの文章に倒達いたしますのには私はいわばおぼろげな感じで管理主義的なものをとらないというふうに考えておりましたが、それから実態調査をして、そしてその後でないとはっきりしたことを言えないということで、その限度にとどめていたわけですが、あの管理主義的でないということを申していた段階におきまして実態調査をしてさらにこれを書いた。ほぼ、もちろんほとんど完全にでき上がっておりましたときに先生にお目にかかった、そういう経過でございます。
  75. 久保亘

    久保亘君 この制度内容については、私どもとしましては大臣の方も国会や各種の機関各層の方々意見を十分聞いて、国民意見を聞き終わったと判断をした時点で決断をしたいと、こういうふうに述べられておりますから、国会においても、私どもはこの問題についてさらに議論を深めてみたいと考えているのでありますが、きょうはその内容を深く論議をするということではなくて、いま大臣が言われたような角度に立つならば、この問題については拙速に陥ることなくかなりな慎重な検討を重ねて、そして教育の根本にも触れるような問題であるから、それこそ百年の悔いを残さないような結論を求めるべきものだ、このように考えております。特に午前中、自民党委員質問の中でも、文相見解の中でいかなる言葉をもって説明されようとも、これは主任というのを制度にすればこれは管理職なんだというような意味の御発言もありました。私は省令で制度化し、そして地教委や県教委が発令をするという形をとってこの主任制度というものが生まれてまいりますと、これはこの制度をつくるときの文部大臣の意思のいかんにかかわらず、あなたの見解がどうあろうとも制度はやがてひとり歩きを始めるだろう、そのときにあなたが決してこれは中間管理職ではない、横の組織であると、あるいは教育指導上の組織であると言っておられても、そのときに永井文部大臣はそれが変質しても、もはや責任を持ち得る立場にはおられないわけであります。それならば、それらのことについて十分な保証が成り立ち得るのかどうか、そういうことについてもかなりな検討が必要であろう、こういうふうに考えておるのでありますが、それならば、これは十二月の十三日に文部広報をもってようやく全国に文相見解文部省の構想が流される、そして国会にはきょう初めて出されて、これから国会はこの問題の審議に入ろうとする、こういう状況考えてまいりますと、相当な時間が必要となってこざるを得ない、私はこういうような気持ちがするんですが、これを非常に拙速をとうとんでやらなければならない理由もない。むしろそうではなくて、先ほど申し上げましたように、教育の長い大計に立つならば、私は、この問題について、いま文部大臣がこの取り扱いを誤ってはならないと思うんであります。特にこの問題の発想が、一つには、第三次給与改善の実施手段を探り出すという発想から出発している面があります。それからまた、この自民党文教部会報道機関によって伝えられる考え方によれば、五十一年度の予算編成に間に合わせるという視点から、この問題が文部省に対してかなり強力な圧力として加えられているという報道もあります。私は、このような発想や視点にとらわれることなく、先ほど申し上げましたように、主任制度の持っている意義と影響の教育的な観点を十分重視をして慎重な態度を文部大臣はとられるべきものだと考えておりますが、このことについて御所見を伺いたいと思います。
  76. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) まず私はこの議論をしていきます場合に、そこで実は、今村初中局長の問題に言及をせざるを得ないのでありますが、前初中局長も九月から十月にかけて努力されましたことは、私がこの文章に書き上げましたのと、まず意図においては違いませんです。現在の状況に則しながら、どうそれを総括していくかという角度で実は議論を始められたわけでございます。ところが、その三部長というのがひとり歩きをしたということを先ほど申し上げました。私、正直に申しまして、非常に困りましたのは、この問題を論ずる場合に、一方に主任というのは非常にいいんだからすぐ制度化していいという議論と、それから他方に主任の話が出ると初めから管理的でいけないのだという議論がありました。そのことが、実は今村初中局長事志に反した一番重要なポイントだと私は理解しているわけであります。そこで、非常に遺憾でありましたが、人事異動ということになりまして、要するに私が申し上げたいのは、きょうこの機会にこういう話にまで及んできて私は非常に喜ばしく思っておりますけれども、いままでの時間というものは、相当内容に立ち入らない議論のために浪費されたようであります。別にどなたを責めているというわけではありません。それは従来からとかく教育に関する議論をする場合に是非が先に立つということであろうかと思います。幸いにこうしてきょう中身に入っていくことができるようになりましてありがたいのでありますが、つまり、私たちは実態調査というものに基づいてこの文章書くのに相当な月日を要しているわけです。それで、これを提出いたしました。さらにそれを、たとえば任命形態というものを先生がいま御指摘になりましたが、それにつきましても考えていることがございますから、このことをまたさらに御議論願えるとありがたいのでありますが、この任命形態というふうなものも、任命制反対というのがございましたけれども、実は通常言われる任命制というものを考えておりません。そうではなくて、現在の校務分掌という姿でありますものを原則としては維持していくという形の校長による委任任命考えております。  そこで、そういうふうに考えておりましたのですが、きょう幸いに御議論いただけることになりますので、まあ申し上げますと反対というふうな問題になっておりましたものの、私の理解するところでは相当部分は、実は私たちが考えていなかったものであるということがございますので、実はそういうことですと、永解いたしますとそんなに時間を要さないでも御理解いただけるはずのものではないか。しかし、それは私の判断でございますから、けさほども申し上げましたように、国会においての手続の運びというものを何といっても尊重すべき立場にありますし、また、私が文部大臣でなくても国民は尊重すべきであると思いますから、それについては諸先生方の御意向というものを尊重いたしますが、私としては、いまこの段階に参りますまでに相当実はむずかしい——先ほどお言葉ございましたが、わが国教育のことを論じていく場合、もちろん与党に対しても配慮といいますか、どういうふうに私は自律していくかということについて考えなきゃいけないんですが、どうもこの議論というものを進めていくときに、内容以前に反対、賛成があるということが進めにくくなるという重要な理由であるということを痛感していることは、また正直に申し上げさしていただきたいと思っております。
  77. 久保亘

    久保亘君 いま、大臣からいろいろ御説明がありましたけれども、そういう問題について議論をしようとすればかなりな時間を要すると思うのです。幸いあなたがこの問題について、この見解をもとにして国会教育関係者、言論機関との対話を続けていくつもりだが、国民との対話ができたかどうかを判断して最終的な判断をしたい、こうお述べになったと伝えられております。国会における論議もきょう始まったばかりであります。教育関係者新聞の報ずるところでは一昨日ですかこれを知ったであろうと思いますし、また、正確には十二月十三日号で出されます文部広報によってその内容を知っていくわけであります。この問題についてはいま論議が始まろうとしているときだと思うのです。大臣はこれをたたき台として国民との対話ができたかどうかを判断をした上で、最後の結論を出したい、こう言われておるのでありますから、その言葉どおりに受け取っていきますと、私どもはこの問題について、余り一つの時間を決めてそれに合わせるということではなくて、長い教育の経緯を考えながら、そのことが教育に果たす役割りについて十分な論議を尽くして結論を出すということに重点を置いて進むべきものだと考えております。これは、いろいろな周囲の思惑によってそういう問題が左右せらるべき問題ではない、こう思っておりますが、そういうふうに私どもは純粋に受け取って、この問題の論議をこれから進めていくという立場をとることについて、大臣は御同意いただけますか。
  78. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 先生のただいま申されたお考えに基本的に私は同意いたします。そして、私が相当国民の御意見を承ったと判断できたときというのはどういうことかといいますと、これは抽出世論調査をやるというような形で決めるのではないと思います。やはり、おのずからいろいろ関係者もございます。国会は大事でございますが、関係者もございますし、たとえば新聞の社説等も読んでおります。今日までのところ、毎日新聞、読売新聞朝日新聞内容については賛成であるという御意見が出ておりますから、そういうものだと私は理解いたしております。なお、朝日新聞につきましては運び方がよくなかったという御批判がございます。ですから、そういう点は反省しなければいけないのだと思います。ただ、内容については両紙とも——読売を実は読んでいる時間がなかったんですが、そういうことです。内容はこういう方向でやる。こうしたことを考えながら判断をしていくのだと思います。でき得る限り速やかにいたしたいと思いますが、原則として、先生のおっしゃる方向で行きたいと思います。  なお、実は今日までも関係諸方面の御意見を聞いてきておりますので、初中局長からお許しをいただいて報告させていただきたいと思います。
  79. 諸沢正道

    政府委員(諸沢正道君) 主任実情実態につきましては、ことしの五月一日現在で調査をいたしました。調査の方法は、小・中・高等学校につきまして、六学級以下、七学級から十二学級、十三から十八というふうに、おおよそ学校の規模区分を五つに分けまして、それぞれのグループの学校の一〇%に当たる学校数を対象として調査をいたしたわけでございまして、実際の調査対象校は、小学校千八百十校、中学校八百六十二校、高校二百八十六校となっております。調査内容といたしましては、当該学校の先生につきまして、その主任の担当職名、男女の区別、年齢、学歴、教師としての経験年数、週当たり授業数、現在の主任のポストにどのくらいおるかというようなことを調査いたしました。それとは別に、個々の主任というものにつきまして、全部の主任ではございませんけれども、教務主任、生徒指導主任等につきまして、それぞれの学校でそのような主任のポストにある方が具体的にどういう仕事をやっておられるかというようなことを詳細に調査をいたしました。これは小・中・高大体七、八十校ずつ実施をしたわけであります。そのほかに具体的仕事内容につきましては、直接現場の先生あるいは校長先生等に来ていただきまして、その実態についてお話も承ったわけでございます。また、任命の方法、手続等につきましては、各県の管理規則がありますところは管理規則を検討し、規則のありませんところは直接県に照会をして実情を調べるというような方法をとったわけであります。そのほか、この主任制についての意見につきましては、全国都道府県教育委員長協議会、都道府県教育長協議会、小学校長会、全国中学校長会、高等学校長会等の団体からも御意見を聴取しておると、こういうような実情でございます。
  80. 粕谷照美

    粕谷照美君 関連。各方面から意見を聞くということは私は当然のことだというふうに思っているんですが、いまの局長の御報告によりますと、意見を聞いたところ、まあ調査状況はわかりましたけれども、意見を聴取したところが、教育長協議会やあるいは教育委員長会というんですか、そういうところだったり、あるいは小・中・高の校長会であるわけですよね。もっと私は現場の声を聞いていただきたいというふうに思うわけです。それは大臣が先ほどジャーナリストの意見も聞かなければいけないし、いろいろな意見を聞かなければいけない、国会の話も聞かなければいけないの中に加えて、母親の意見も聞きたいということをおっしゃっていただきましたので、私は、これはなかなかいいことだというふうに考えていたのです。ところが、六日の日にこれは発表され、私どもがいまこの文部省考え方を手にしたのもきょうの午前中という、こういう段階で母親の意見なんか一体どこのところで聴取されるのであろうかという心配を持たないわけにはまいりません。  そしてまた、この一番最後のところで女教師に触れていますね。女教師も主任になるチャンスがあれば教頭や校長になるチャンスもまた大きいだろうという、その期待は大変うれしいわけですけれども、一体それは女教師のどういう部分の意見を聞くのかということについてもやっぱり考え方も聞きたいわけです。中教審答申については非常な批判も持っておりますが、その中教審の中にも、「各学校が、校長の指導と責任のもとにいきいきとした教育活動を組織的に展開できるよう」にと、そういうふうに書いてあるわけですね。そして、その中でも、この「職制を定めて校内管理組織を確立する」という、校内管理組織を確立するためにこの主任制を持っていくのだということになるわけですから、非常に婦人教師が心配しているというのは私は当然なことだろうというふうに思っているわけなんです。そういうような人たち意見をこれから聞くということになりますと、簡単な時間では終わらないだろうというふうに思うわけです。だからどういう層の人たち意見を聞いていくのかということもあわせて御見解をお伺いしたいと思います。
  81. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 婦人の教師の方々とは、私は、実は婦人の管理職におられる方々の大会が夏にございまして、そこでいろいろ御意見承りました。ただし、これは現在教頭、校長などの地位についている方の大会で、広島でございました。それから、あとデータを調べましてわかりましたのは、これは先生の方が私よりお詳しいと思いますけれども、小学校段階におきましては、学年主任という層をとりますと、婦人の先生方の方が男性の先生方より多いという事実がわかりました。私は、将来この婦人の校長先生あるいは教頭先生が多数出てくるということの方が、校内組織として、すでに婦人が五割参加しておられる小学校などの場合、適切であると考えるわけです。諸外国にも、たとえばイギリスなどは比較的そういう例があるというふうに私は理解いたしております。ただ、わが国で一気にこれを実現できませんというふうに考えました。そうすると、どうすべきであるか。そうすると、いま婦人がたくさん、男性よりも多くその主任の地位についておられる小学校段階では、学年主任というものを取り上げるべきだ。これは必要でございましたら統計資料というものも国会に提出させていただきたいと思いますが、こう考えたわけでございます。  なお、各方面の意見の中に、父母などについてどうするか。そうしたことについて、いろいろな運びについては、初中局長から足りない点を補足させていただきたいと思います。
  82. 諸沢正道

    政府委員(諸沢正道君) いまの調査の点につきまして、先ほど申し落としましたが、教員の団体としては日教連からは意見が出ておるわけでございます。また、婦人の先生方あるいは父母等につきましては、実はごく近いうちにPTAあるいは婦人教員の団体等から意見を聞くというつもりで考えております。
  83. 粕谷照美

    粕谷照美君 私は要望を申し上げたいというふうに思うわけです。  PTAの役員段階からお話を聞くというよりも、もっといろいろな層からの母親からの意見なども聞いていただきたいと思いますし、婦人校長会や教頭会あたりからのいわゆる管理職として位置づけられた人たち意見を聞くということもあると思いますけれども、そうならないで、一生やっぱり教員として生きたいという——巡査だったら偉い地位にいかないで万年巡査で生きたいという、こういう人たちだっているわけですから、そういう人たち意見も聞いて、本当に生き生きとした教育をやっていくためにはこういう制度はどうあるべきかという、そういう考え方を聴取するような場所というものをぜひ設定をしていただきたいという要望です。
  84. 久保亘

    久保亘君 それから、きょうの午前中の質問の中で、明日予定されているといわれる日教組のストライキについて御質問がありました。その質問の中で、結局この主任制を廃棄させようという目的ではないかと、こういう質問があったのですが、私は現在主任制というものはないと思っております。だから、主任制度というものがないものを廃棄させることはできないのでありまして、むしろ今度の場合は、現象としてのストライキを論ずるということではなくて、どこでこういう対立や混乱が起こってくるかという問題を見てまいりますと、現に自主的に、民主的につくられている主任、これに対して先ほど議論をいたしましたように、教育の根本的変革に連なる可能性のある制度化を試みる、そのことがこの職制化のおそれを持っている。こういうことについて、日教組の側が一つのこの問題に対する慎重な取り扱いの要求を出している。そこで問題が起こってきているのではないかと私は考えております。だから、そういう意味では、私ももちろんストライキがないことを望んでいます。そのことは、ストライキを認める、認めないの議論とは別の問題であります。私は、ストライキが現実にないことを望んでいます。しかし、そのことのためには、大臣がけさから何度も言われておりますように、この問題について十分な冷静で具体的な論議が行われることを望んでいると言われているのでありますから、そういうような十分な論議の場所と時間を保証をするという立場でこの問題が解決できるように、大臣は今後最大の努力をなさるべきではないかと、こう考えておるのでありますが、そういう点について大臣は、せっかくあなたが理想とされた静かな教育の環境、争いのない状態、こういうことをこの一年間、従来から比べるならばかなり自分としては成果を挙げてきたのだと言っておられるのでありますから、この一年間、あなたが成果と考えておられるものの上に立って、そういう問題を回避できるように、あなたが——仕掛け人の方は文部省ですから、だから仕掛け人の方でこの問題について回避し得る努力を十分に尽くされることが必要ではないか、こういう考えを持っておるのですが、簡単にひとつあなたの今後の努力についての態度をお聞かせいただきたいと思います。
  85. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 私もストライキが回避されることを望む者の一人でございます。特に、この職にあります者としてこれを切望いたします。  ただ、正直に申し上げまして、実はいま先生おっしゃいました主任制度に反対ではなくて、主任制度化反対のストと、そう理解いたしておりますが、相当早い時期に主任制度化反対という声が日教組から起こりまして、これは私は正直申しまして困りました。なぜかといいますと、そのときにデータを出して御議論をいただこうと思いましても、反対ということですと、なかなか御議論がいただけなかったという経緯も、これはぜひ御了解願いたいわけでございます。  先ほどから初中局長なども申し上げておりますように、私たちもいろいろ資料をもってお話し合いをしたいと考えておったのですが、そういう経過がこれまであったということもあわせてこの場で申し上げて先生の御理解を得たい次第でございます。  なお、こうした姿で国会議論をさせていただきたいということにつきましては、これは別にこの点も文部省で私が考えました案でございまして、自民党の方で特にお考えになったという案ではございません。私はこの道を選んだわけでございますから、したがいまして、この場で本当に、いま私の正直な気持ちを言いますと、この十月の初めからやれるはずだった議論に二カ月ちょっとかかっているという感じです。だから、むずかしいかとおっしゃればむずかしいと思います。なお、いろいろ議論をしなさいとおっしゃいますから、私はできるだけいたしたいと思いますが、ストライキというような形で制度化反対という対話になりますと、私は文部大臣になったかいがないのです。これはぜひ御理解願います。本当に二カ月半のことを考えまして、それは私にも重々不手際な点がございました点はおわびを申し上げますが、どうかかような問題につきまして、まだ中身に入らない前に反対ということはおっしゃらないようにしていただきたい。それでは全く議論ができないのです。本当に先生方のおかげで、きょう初めて私も議論ができるようになりました。感謝をいたしますから、どうかこの後は冷静かつ具体的にお進め願いますように、心から私もそれに御協力して進んでまいりますので、御理解をいただきたいと考えております。
  86. 久保亘

    久保亘君 これまでの大臣の御答弁によってこの問題については今後も民主的な、国民意見を聞くために国会や言論機関や、その他教育関係者などの多くの意見を広範に求めて努力を続けていきたいというお考えがわかりましたので、国会としても、文部大臣の要請といいますか、文部大臣のそのようなお考えにこたえて、この問題について十分審議を尽くして、そして私どもなりに一つの結論を求める努力をいたしたいと考えております。  それで、私の方で社会党、公明党、共産党、民社党所属委員の御同意を得まして、動議を提出をいたしたいと思います。  主任制度のあり方については、今後引き続き本委員会にて十分審議する必要があると判断されることから、各党よりなる小委員会を構成し、広く各界、各層の意見を聞く等の措置を構じて検討されたい。  委員長の方でこの動議のお取り扱いをお願いいたします。
  87. 内藤誉三郎

    委員長内藤誉三郎君) ただいま提出されました動議は、きわめて重要な提案だと思いますので、直ちに委員長といたしましては、理事会を開いて協議をいたしたいと思います。  暫時休憩いたします。    午後三時休憩      —————・—————    午後三時十六分開会
  88. 内藤誉三郎

    委員長内藤誉三郎君) ただいまから文教委員会を再開いたします。  御報告いたします。  久保君から提出されました動議の取り扱いについては、本日の委員会散会後、再度理事会で協議いたします。  なお、次回の委員会において取り扱いをお図りいたします。  休憩前に引き続き、教育文化及び学術に関する調査中、当面の文教行政に関する件を議題といたします。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  89. 秋山長造

    ○秋山長造君 一言、先ほどの久保君の質問に対する大臣の御答弁に関連をして資料提出をお願いしたいと思うんです。  この主任制度の問題について大臣の御見解を出されるについて、文部当局で全国の学校現場の若干の実態調査をなさった。さらにまた、その他教育関係のある程度の団体から御意見もお聞きになったというお話がございます。これらについては、大臣は十分御承知でしょうけれども、私どもとしては全然承知しておりませんので、それらの資料をひとつぜひお出しをいただきたい。私どももそれに十分目を通して研究してみたいというように考えますので、ひとつ大臣お願いしたいと思います。
  90. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) ただいまの先生の御要望は確かに承知いたしまして、直ちにさようにいたします。
  91. 久保亘

    久保亘君 先ほどに引き続いてお尋ねいたしますが、午前中、有田委員の御質問の中で、社会党が政府に出しました申入書等の中で、第三次給与改善に関する予算を返上をするような考え方を示していることに対して大変異常なもののような御発言がありました。しかし私は、今日の財政窮迫の中で、特に五十一年度の文教予算に関して大蔵省が大変厳しい態度をとっているやに報ぜられているときに、特に必要な私学振興とか高校急増にかかわる予算などを確保するために、そのことをまず五十一年度の重点的な問題としながら、そのための財源が得られないとするならば、この主任制度を含む第三次給与改善の予算を返上してでもまずそれらの問題から優先すべきではないかという立場をとっていることは、きわめて教育的な観点に立つものであって、私はこれを異常なものとして退けるには当たらない、こう考えております。  大臣にお尋ねしたいのは、来年度の文教予算の中で私学振興のための経費や高校急増対策や父母負担軽減などに関する予算が大変厳しい状況にあると言われていることについて、その実情を御報告をいただきたいと思います。中でも私立学校の助成につきましては、来年度文部省が要求されております私立大学の運営費助成一千五百五十一億八千四百万、高等学校の助成費二百十八億九千二百万という要求は、私学振興法の成立に伴い運営費の二分の一以内となっておりますが、当初この法律が目指しました二分の一という立場に立つならば、それ自体がきわめて低いものであります。しかも、それが、この文部省の要求すら満たされないということになれば、一方では大変大きな問題が出てくるのであります。それは、ことしの予算委員会において、私は大臣に私立学校における受験生からの前納金の納入について是正すべきことを検討する必要があるのではないかということを申し上げまして、文部省も、その後、この前納金制度の改革について私学側と協議を重ねられ、かなり前進するような方向が見られておったのでありますが、最近ではこの問題が再び後退し始めているような傾向があります。したがって、今日まで文部省がこの前納金の制度を改めていくことについてとられてまいりました私学側との折衝の経過、それから、そのことに対して来年度具体的にどういうような是正が行われようとしているのかということを御報告いただきますと同時に、そのことを実効あらしめるためには、私学振興費が少なくとも文部省の要求以上に保証されるということでなければ、文部省は私学側に対してその指導を思い切って行うことはできないと考えるわけです。だから、そういう点について、これを大臣並びに局長の現状の御報告もいただいておきたいと思います。
  92. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) ただいまの久保先生の御提案の趣旨は私もよく理解をいたします。私どものとっております方法はどういう方法であるかと申しますと、これは、申し上げるまでもないのでありますが、第三次の給与改善もやりたい、そして私学助成もやりたい、そしてまた高校増設もやりたいということで予算編成を行ったわけでございます。一般の財政状況については、これは、御案内のとおり、非常に厳しいものがございますから、私たちとしてはそのすべてを達成させるべく努力をいたしてまいりますが、さて折衝段階でいろいろのむずかしい状況が生じてくるという予測でございます。  私学助成につきましては、来年度概算要求は、今年度に比べますと六二・九%増ということで千七百七十一億円、詳細は省かせていただきます。その中には大学、高校が含まれますのでそういう数字になるわけでございます。  なお、昨年度、これは先生からもあったと思いますが、ほかの方々からも前納金の問題が出まして、私も、あれはどう考えても何とか早くかえていきたいという考えで九月一日付で通達を出しました。私学に要望いたしました。  その要望の趣旨は、入学金というものは別といたしまして、しかもそれを取る時期も限定をいたします。試験の後、——詳細は管理局長がご説明します。そして、それ以外の年間授業料とか施設費、これは取らないこと。これに対して、非常に明確なお立場を示していただきましたのは私立大学連盟で、完全に合意してその方向で進む。また、私の理解しておりますのは、そのほかに、私立大学協会の中でも、たとえば金城学院大学のごとさは、協会全体ではございませんが、同様の立場をとるということを表明されております。  なお、詳細については管理局長から御説明申し上げますが、少なくもその問題については、そういうお立場が団体並びに個々の大学から出ておりまして、むしろ前進という姿で来ているのが現状でございます。
  93. 清水成之

    政府委員(清水成之君) ただいまの点で大臣のお答えを補足させていただきたいと思います。  予算関係につきましては、ただいま大臣からお答えがあったとおりでございます。  なお、学生納付金の取り扱いの問題でございますが、ただいま大臣からお話しがございましたように、九月一日に通知を出したわけでございますが、それ以前から検討を口頭で再三お願いをしてまいった、こういう経緯がございまして、現在、私どもの方へ報告をいただいております現時点におきます状況についてかいつまんで御報告いたしたいと存じます。  私大連におきましては、二つの方針がございまして、一つは、早期には入学料以外の学生納付金は取らないという方式が一つでございます。それから、後で入学金以外の納付金を返還するという方式、この二つが出たわけでございますが、ただいま連盟加盟の大学から報告いただいております分を見ますと、早期に入学費以外の学生納付金は取らないという方が多い、こういう状況でございます。  それから、私大協会の関係につきましては、意見の交換が再三行われましたが、協会としての統一的な方針は現在まだ出ておりませんで、各大学で文部省の通知の趣旨を踏まえて自主的に措置を行うというのか現在の状況でございます。この加盟校の方からいただいております報告を見ますと返還方式をとるものが多い、こういう状況でございます。  それから、日本医科大学協会でございますが、これは私大連盟と同様の方針を決定をいたしております。  それから、私立大学懇話会につきましては、通知の趣旨にはおおむね賛成であるが、例示をいたしましたこの入学期日以前二週間以内と、こういう二週間について少し幅を持たせたい、こういう方針でございます。  それから、短大協会につきましては、この二週間という例示は少し短大によっては実情に沿いかねる、もう少し幅を持つ必要がある、こういう見解が出ておりますが、取りっ放しというのは本来好ましいことではないという意見理解できるので、各会員校は独自の措置をされることを望むと、こういう協会の態度でございました。いま文部省へ報告いただいております短期大学協会のうち、おもなものとしましては納付期限をおくらせる、こういう方向が多い、こういう状況でございます。  以上、各団体別の状況を申し上げたわけでございますが、私どもといたしましては、これからもなおこの御意見等いただきました趣旨を前向きに進めてまいりたい、努力をしてまいりたい、かように考えている次第であります。
  94. 内田善利

    ○内田善利君 最初に、本委員会で四十九年二月人材確保法案が成立したときに、全会一致で附帯決議をつけたわけですが、この四項目の附帯決議の実施状況ですね。特に五段階給与について、「この法律における教育職員の給与改善は、現行給与体系に基づいて行なうこととし、いわゆる五段階給与制度はとらないこととする」というふうに附帯決議がついていますが、このことについて、その後の状況をお聞きしたいと思います。
  95. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 初中局長から答弁させます。
  96. 諸沢正道

    政府委員(諸沢正道君) 五段階給与はやらないという附帯決議の内容につきましては、奥野前大臣のときにおきましても、再三そのようなことは考えていないということで答弁をいたしておりますし、また、現大臣になりましてからも、この国会の審議の過程での御発言を見ますると、この五段階給与であるとかあるいは職階制であるとかということは考えていない。学校における教育指導面における校務の取りまとめ役をやっておられる主任等の先生について、その付加的な仕事に対し、手当を支給するということを考えておるということを言っておるわけでありまして、そういう意味では、この附帯決議にありました意向、文部省においては五段階給与というような趣旨検討もしたこともございませんし、また、何らの見解も発表したこともないわけでございます。
  97. 内田善利

    ○内田善利君 五段階給与はとらないということなんですが、四十九年五月にいわゆる教頭職法案が成立したわけですね。このときには、給与体系は全然何もなかったわけです。ところが五十年の三月の第二次人事院勧告のときに、教頭職の一等級格づけが実施されたわけですね。こうした一連の動きを考えますと、今度の主任制も手当だということなんです。手当ということですが、教頭職の場合のように、また給与体系が人事院勧告によって成立するということにならないかどうか、はっきりしたお言葉お願いしたいと思うんです。
  98. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 教頭に対しまして法制化の後、まあ私就任したわけでございますが、特一等級というものができまして、そして現在、一等級は校長の一部分とそれから教頭の方がこれを受けておられるという形になっております。今回の主任問題に関連いたしましては、これは手当でございますから、そういう形の本俸の給与体系を主任に当てはめようという考えではないわけでございます。ただ、教頭につきましては、さような措置がとられておるということでございます。
  99. 内田善利

    ○内田善利君 今度の主任制については手当だ、教頭職のように人事院勧告によって等級化しないということですね。  それから、今度のこの主任制ですけれども、この主任制考えられた背景ですね、現在、主任制は各学校あるわけです、存在しているわけですが、そして十分教育について機能しているわけですね。その機能している主任制を省令化していくという背景、理由、これをはっきりお答えを願いたいと思います。
  100. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) これは歴史的経過がございまして、歴史的経過の詳細について初中局長からお話し申し上げますが、私はその歴史的経過に踏まえてこの主任をどう考えるべきかというところから私の見解というものをまとめ上げたわけでございます。そうして私は、これを何かきちんとした形にした方がよろしい、それは私の見解の四に書いてございます。それはどういうことであるかといいますと、けさほどから繰り返し議論になりましたように、私はわが国の校内組織の中で管理的な色彩のものが強い、そうして教育指導的なものが弱いというふうに見ております。これは事実、校長、教頭の場合にも学校教育法の文字を読みますと、双方にまたがるはずでございますが、必ずしも明確でないわけです。そのことからいわゆる管理ライン的な考えが出てくる。ところが主任等につきましては、これは主事というのもございますが、これは調べますと、けさほど宮之原委員が御指摘になりましたように、部分的には管理的になっているところもございますが、大部分は実は教育指導的な役割りをしているということがわかりました。私はこのことを明確にするということのために今回の措置をとることが望ましいんではないか、こういう考え文部大臣見解というものを書いております。その趣旨は、ですから趣旨の第四項目のところに述べているところでございますが、歴史的経過につきましては、初中局長が御答弁さしていただきたいと思います。
  101. 諸沢正道

    政府委員(諸沢正道君) 資料が手元にございませんので、正確な年月日ではございませんけれども、大体、昭和四十五年ころであったかと思いますが、毎年人事院に出しますところの先生の給与改善の具体的内容についての要望の中にこの主任というものの存在に触れまして、それについて特別な手当をつける方向で検討していただきたいということを申しておったわけであります。そういたしまして、中教審の答申が出ましたのが四十六年でございますが、この答申の中におきましても学校における教育活動を生き生きとして活発に運営するためには主任というような職務分担が必要であるという趣旨説明がありまして、その主任に対して特別の手当等を付与することを考えるべきだ、こういう形で中教審の方からも意見が出され、それを受けまして文部省としては引き続き検討しておったわけでありますが、たまたまこの人確法の制定と関連して文部省内に教員等給与研究調査会ですか、これが設けられまして、この研究調査会におきましてもいまのような点が検討されまして、本年の三月に人事院に対しまして第二次及び三次の具体的改善内容を要望するに際しまして、その中にいまの調査会の御意見を受け入れまして、この教務主任、学年主任、生徒指導主任等の主任について、制度の整備と相まってひとつ特別の手当の付与について検討していただきたい、こういう要望を出すという形において、もう一度従来の文部省考え方人事院に申し入れた、そういうような経過でございます
  102. 内田善利

    ○内田善利君 いま大臣、またこれにも管理には管理教育指導面と考えられると、現在の主任の先生方も大体そういう方向だということなんですが、それを明確にしたいと。私は教育指導のない管理というのは、これはもう企業体と同じだと思うのですね。やっぱり教育指導あっての管理であり、またそういった管理でなければ学校の運営はうまくいかないと思うのです。明確にしろと言ったって、教育指導のない管理はむしろ害をなすと、そのように思います。この点はどのようにお考えになります。明確にする、二つに分けるということですけれども、教育指導のない管理はないという私の考え方はどうでしょう。
  103. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) そのことは、項目の六でございます。従来の管理職というものに当てはまりますものが校長、教頭でございますが、校長、教頭の場合には、先生がおっしゃいますように指導なき管理というのはないはずなんでございますが、必ずしもそのように実効をすべての場合において上げているものではないということを指摘しております。  そこで私は、校長、教頭という従来の管理職という場合に、管理的側面だけではいけないと、まあ言葉が非常に混乱をいたしますものですから実は私は運営というのを一番上に置きまして、運営に二面があって、一方が管理、そして他方が教育指導という言い方をしておりますが、しかし、確かに管理一職というふうに従来言われているものは、本当は教育指導的なものを含まなければいけないという点で賛成でございます。  しかし主任につきましては、これは多様なものがございますが、私は現在の学校の組織について申しますならば、むしろ、事実、教育指導的なことをやっているんでありますが、要するに、このことの議論の過程において、自治体の管理主事、それから校長、教頭、主任といういわゆる管理ラインという形でとらえている方々もおられますので、そういうことであると実態から離れてくる。そこで四のところで、主任につきましては私、教育指導という角度から明確化するのがむしろ全体的に校内組織を考えたときには望ましい、かように考えたわけでございます。
  104. 内田善利

    ○内田善利君 この発表の前に初中局長から調査をしたということなんですが、ただ、単なる調査であってはならないと思います。私も現場で教務主任を七、八年、それから学年主任あるいは進路指導主事等もやりましたが、その中で本当に一生懸命にやっている先生はどういう先生かという問題、それから教育熱心で非常に研究心が強い、一生懸命にこつこつとみずからの研究もし、また教育にも熱心な先生、だけども、いろんな連絡といいますか、世話役といいますか、そういうことは余り上手でない先生等いろいろいらっしゃるわけですね。そして主任というのは校内で決めるわけですから、いろんな主任が各学校運営上あると思いますが、その運営していく上におけるこの主任、これを画一的に省令化していま——私はこの運営方法はそれぞれ学校によって決まっていると思いますけれども、まあ運営は円滑にいっているんじゃないかと、こう思うのです。私の経験上相当こう巡ぐりにやっておりましたから、また、そういう面の強い先生、弱い先生といいますか、上手な先生といいますか、そういうのをよく考え、お互いが一番よく知っているわけですから、そういう役職についていただいて、役職といいますか、主任についていただいて運営してきた、そこへ画一的に省令化していくという問題は相当考えないと混乱起こすんじゃないか。まず第一回目の省令化されてすぐ任命する、校長に委託して任命されるということですけれども、最初の出発点をどうやっていくか、私もいろいろ想像して大変ななことだなとそう思うわけですね。画一的なそういうことはやらない方がいいんじゃないかと。ところが、中教審の答申案を見ましたら、こういうふうに書いてあるわけです。答申では「教頭・教務主任・学年主任・教科主任・生徒指導主任などの管理上、指導上の職制を確立しなければならない。」、これは中教審の答申です。これを受けて中教審の一問一答、これは文部省が発行されているわけですが、この文部省発行の一問一答では、なおこのような校内の管理上、指導上の組織は画一的なものであってはならない、学校種類、規模など具体的な状況に応じて弾力的に定められるべきものであることは言うまでもありませんと、こういうふうに文部省見解で出ておるわけですがね。それを画一的に省令化して決めてしまうということはこの文部省見解とは矛盾しているんじゃないかと、こう思うんですが、この点はどうですか。
  105. 諸沢正道

    政府委員(諸沢正道君) ただいま御指摘のその解説のところの意味でございますが、私どもが先般発表いたしましたその主任としていわば省令に掲げようかというたたき台としたものは教務主任、学年主任、生徒指導主任、進路指導主任でございまして、これらの主任の実際の設置率というものを実態調査について見ますると、特にこの一定規模以上の学校だけをとりますと九〇%以上いずれも超え、高等学校などにいたしますれば一〇〇%になっておるわけでございます。そういうことを考えますと、おっしゃるように、すべての学校についてこの主任というものをたくさん挙げて、これを必ず置けというようなことにしますれば、まさに弾力的運営はできないわけでございますが、いま申しましたように、非常に設置率の高い幾つかのものにつきましては、その性質が教務、学年でありますれば教育活動という中枢活動の取りまとめをする仕事であり、生徒指導とか進路指導は現在の中高の子供にとって欠くことのできない指導実務でございますから、そういう最も基本的なものについては現在の設置率と、それから仕事の重要性にかんがみてこれを原則として置くんだという基準を定めることは私どもは決してこの弾力的運営を損なうということにはならないであろう、こういうふうに考えるわけでございます。  それからもう一点、任命をするということで初め非常に混乱するんじゃないかというお話でございますが、その点につきましてちょっと実情説明させていただきたいと思うんでありますが、この主任任命というものは先ほどもお話申し上げましたように、現在の実態としては教育委員会管理規則を定めて教育委員会自体が命令する、あるいは教育委員会が校長さんにお任せして校長が発令するというのが実情でございまして、任命といいますと市町村立学校の職員でありましても任命権は県の教育委員会にありますから、あたかもこの校長や教頭の発令を県教委がするがごとく、県の教育委員会でも任命するではないかと、そういうふうに変わるんではないかというような誤解の向きも私ども聞くわけでありますが、決してそういう新しい変わり方をするというつもりはないのでございまして、これはその先生の職務について付加的に職務を命ずるという、いわば一種の職務命令でありますから、服務監督者である市長村教育委員会が行うというたてまえ、従来と同じであります。そのたてまえによって市長村教育委員会がやると、あるいはこれまで保健主事や進路指導主事など学校の校長に委任をしておるところでは校長さんに委任してやると、それは当該市長村の判断に任せればよいであろうということでございますので、言ってみれば、その命令の形態は現在と少しも変わらないというふうに考えておりますので、そういう点で混乱が起こるということはないんではなかろうか。そういうふうに思うわけでございます。
  106. 内田善利

    ○内田善利君 現在、学校内には学校実情に応じて多種多様な主任がいまあるわけですが、それは必要性に応じてできた主任制なんです。それを今回考えられておるような小学校、中学校高等学校数種に限って制度化をするということなんですが、その制度化しない主任の先生方、同じ主任でありながら今回省令化される教務主任、生徒指導主任、進路指導教務主任と、教科主任ですか、高等学校で言えば。そういう主任以外の制度化されない、省令化されないその主任の先生たち、こういう先生と省令化された先生との間に混乱が生ずるのじゃないかと、同じ主任でありながら一方は省令化された主任の先生、一方は省令化されない、給料もない、手当もない先生と、これは当然学校には混乱が起こります。そういうことについてはどのように考えておられるのか。現在も実業高校は産振手当が出ているわけですが、同じ実業高校、工業高校でありながら、同じ大学の工学部を出て免許も、たとえば工業化学科の免許と理科の免許を持っている先生が、一方には学校運営関係で工業工学科に行った、工業化学科に行った、一方は理科として各建築科とか電気科とか各科を教育する理科の方に入ったと、手当が違うわけです。工業科の先生は産振手当が出る。理科の方に行っている同じ工業高校で働いている先生の方にはいってないと、これは私は何回もこの委員会で、この矛盾についてお話ししてきましたが、一つも手だてはされておりません。商業高校、同じ実業高校でありながら、商業高校の先生は産振手当はありません。そういう矛盾を解決しないで、手当、手当、手当、手当で一体どういうふうにこの学校の運営を一番最初に書いてある調和のとれた学校運営にされるつもりであろうかと、こう思うんですね。この点はいかがでしょうか。
  107. 諸沢正道

    政府委員(諸沢正道君) 主任を省令で設置と職務内容を掲げて、明らかにするということと、その省令化された主任のうちどこまでを対象として給与を、手当を支給するかということは別でありまして、後段の点は人事院の御判断に待つわけでありますが、ただ、いずれにいたしましても、そのような主任に手当を支給するというのは、その主任仕事責任と特殊性というものを考えまして、そのような付加的な仕事の重みに対して、言ってみれば給与を与えるわけでありますから、現在同じ学級担当でも多学級担当手当というふうに、一般の学級担当の先生方に比べて仕事のその特殊性というものに着目し、それ以上の給与をする必要があると判断すればそこに特殊勤務手当という形で手当を出しておるわけでありますから、いま申しました主任というものにつきましても、やはりたくさんある学校主任のうちでもその性格というようなものあるいはその責任と特殊性というものを判断して、ここまでは手当を支給する必要があるだろうというふうに人事院が判断された限度でひとつ手当をつけていきたいというのが私どもの考え方でございます。
  108. 内田善利

    ○内田善利君 答弁にならない答弁と思いますが、学校も、これにもありますように、小規模の学校、大規模の学校あるわけですが、画一的にこういう主任制を持っていきますと、非常に無理があると思うのですね。先ほどもお話しましたように、手当のいただける主任と手当のいただけない主任、恐らくこの主任はその学校で必要でありながらなくなっていくと思います。省令化されない、手当のない主任の先生は必要としながらもなくなっていく、恐らく私はそうなるのじゃないかと思います。せっかく学校独自の運営、先ほど管理のお話があっておりましたけれども、いまはりっぱな自主管理が私は行われていると思うのですが、それがだんだんだんだんなくなっていく、こう思うわけですね。この小規模学校、大規模学校についてはどのようにお考えですか、画一的にされるお考えか。
  109. 諸沢正道

    政府委員(諸沢正道君) 先ほども申しましたように、どの範囲に手当を出すかということは、また人事院に判断していただかなければならないわけでありますが、私どもの考え方としましては、やはり学校の規模によりまして、たとえば、学年主任なども同一学年に多くの学級を持っておる学年の学年主任の方とそうでない方ではやはりその仕事の特殊性、責任というものが違うでありましょうというふうに考えるわけでありますから、規模においてもやはり主任のその責任の重さ、仕事の困難さといいますか、そういうものを判断してすべての主任に給与を支給するというのではなくて、そこにある線を引かざるを得ないということ、これは先生がおっしゃいますように、全部の主任を見た場合、手当の出る人、出ない人があってはかえって混乱するではないかというお話ではございますけれども、やはりそれ相応の現実に責任と特殊的な任務があるという人と、それほどでない方は仕訳をして、手当の支給する、しないを決めるのが妥当ではなかろうか、こういうふうに考えるわけであります。
  110. 内田善利

    ○内田善利君 初中局長学校の教壇に立たれた経験がおありかと思いますが、学校はそんなものじゃないのです。時間割りの先生などは、朝行ったらもう真っ先になって時間割りの配当をその日の日課、お休みになる先生のための、どうやってほかの先生に行っていただくか、それと春休みなどはほとんど先生は休まれません、時間割り係の先生は。春休みは首っ引き、番を前にして割り振りする、これなどは非常にロードがかかっております。そういった実情考えますと、学校の場合はほとんどもう横の列、同じなんです。そしてもし時間割り係の先生が何かお休みになれば、ほかの先生が、あいている先生が行ってそれをやってあげる、そういうことなんです。それを主任制がしかれて手当で差別されますと、もう知らないぞと、こうならないとは私は言えないと思うのです。そういうことにはならないと思いますけれども、そういったせっかく四行目に「明るくのびのびとした場であるべき学校が暗くなることが多かった」と、私は現在よりもさらに暗くなるのじゃないかと、もしこういう画一的な主任制度がしかれ、手当が出されるようなことになれば、暗くなるのじゃないかなと心配するのですが、これ、心配する必要がないでしょうか。
  111. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 私は先生も教務主任をおやりになったということを承っておりますが、私は教務主任はやはり非常に忙しいということを先生もおっしゃっていらっしゃいましたが、具体的には教務主任がやっぱり責任上一番ロードが多いというこの辺はわりに異存のないところだと思います。それからその人が手当をもらいますとほかの人が元気がなくなるんじゃないかという御心配、実はそれについて考えてみたんです。私の考えを申しますと、まあ私実は小学校で教えたことないですけれども、いま実は小学校の教員の学歴構成と大学の教員の学歴構成もほとんど変わりがなくなりました。大体四年の大学の卒業生です。大学の場合も学科主任とか、それから学部長というようなものを引き受ける人がおりまして、まあ学部長などの場合に必ずしもこっちのローテーションということではなくて、いろいろ仕事にふさわしいだけの待遇を受けておりますけれども、しかし、別にほかの人はそのことによって、学科主任の方は受けておりませんが、文句を生じるということがないのが実情でございます。この学歴構成が変わった中で私自身実はこの主任というのを、その適格な方々をできるだけ多く参加させるということをこの文章の中に書いているのでございます。ですから、決してローテーションで自動的にくるくる回すということではなくて、やはり適格な方が選ばれてなるということでしょうが、しかしできるだけ多く参加していくという形をとりますというと、いま先生がおっしゃいましたような形で、もしある種の主任だけがまず今度きちんと整理され、そうしてそこに手当が与えられるとほかの人が元気がなくなるということはまあ私の大学の経験からいってそういうことは感じませんでした。ただ、私の思い込みであるといけないと思いましたから、こういうことは実は人事院の方でも学歴構成が変わった中で今後の小・中・高をどうするかという問題について考えていただくようにということを、私自身が参ったわけではございませんが、考えていただいております課題の一つでございます。
  112. 内田善利

    ○内田善利君 まあそのローテーションということですね、いろんな経験を先生方が積まれるという意味主任の交代制ということだと思いますが、手当が支給されますと、人間は非常に弱いもので複雑な面を生じてくることは間違いないと思います。簡単にはいかなくなるんじゃないか。ローテーションということでよさそうにございますが、主任がだんだん特定化してくる、あるいは教員間に格差を生じたりするということになってきて、しまいには形式的な順番制とか、そういう悪平等といいますか、そういうものを生じてきて、望ましい主任実態よりもむしろ経済面が先行するというようなことが起こってくるんじゃないかと心配するわけですね。そういうことなども、まあ先ほどからの手当制度云々の問題からしましても、もう少し検討する必要があるんじゃないか、現場の今後の起こり得べき問題点をもう少し検討して、余り早まってはいけないんじゃないかと思うんですが、この点いかがでしょうか。
  113. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 七のところを読んでいただきますと、「今後は、できる限り多くの教員が、各種の主任を経験し、その専門職としての能力を十分に発揮することによって、学校教育活動がより一層活発になることが望ましい。」というふうに書きました。これの意味は、実は先生がちょうどいま御心配になりましたように、多数の人が参加するというふうにいたしますと単純なローテーションあるいは順番制というものになってしまうのではないかという懸念が私たち討議している間に出てきたわけです。ところで、そこでまたこの大学の学部長の問題になりますが、しかし実際はローテーション、学科主任もそうでございますが、になっておりませんで、これは先生もおやりになったからそうだと思いますが、なっていないで、やはり適格な人がかわり合うということで、自動的ローテーションではない。ですから「その専門職としての能力を十分に発揮することによって」というのはそういう意味なんでございまして、ただ、いま先生の御懸念の点、これは重要なことでありますから、私たちもその御懸念の点についてはなお一層検討することがよいことだと考えております。
  114. 内田善利

    ○内田善利君 この主任制度の画一化ということについてはもう少し検討する必要があると思うのです。  もう一つは、先ほどちょっと触れましたが管理の面ですが、教育指導のない管理というのは私は学校には必要ないと思います。現在の校長先生方はほとんど授業をなさってはおりません。生徒も校長といったら、先生方もそうですけれども、それ以上に子供たちにとっては一つのシンボルであるわけですね。そういう先生と接触するのは朝礼ぐらいで、あとは接する機会がない。外部との折衝とかいろんな行政上の問題とか、そういった外部に出ていく先生、校長先生が多くて、もう少し教育面にタッチする、そういう校長先生が望ましい校長のあり方じゃないかと思いますが、また、教頭も制度化されまして教壇に立つ時間も少なくなっている、こういうことで、やはりもう少し子供のめんどうを見る管理職であってほしい。学校は先生と生徒の間しかないわけですね。その間に教育がある、だけであって、管理なんて本当はこれはもう付随したものであって、あくまでももう少し現在の校長、管理職も生徒を指導していくという立場に立つべきだと思うのですね。先生対生徒の、子供との問題をもう少し強くしていくべきじゃないかと、こう思うのですが、この点はどのようにお考えですか。
  115. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) ただいまのは問題点の六でございます。六に「校長、教頭についても、この二つの役割があることを実態に即しつつ、この際、一層明らかにし、各学校に校風をつくるようにしたい。」そこに説明をつけてございますが、学校によっては教頭先生が授業を持っておられるところもあります。しかし一般的な傾向といたしましては、まさに先生がおっしゃいますように、校長先生はほとんどお持ちにならない、そして教頭先生の場合もそうであるということが多いので、私はこの六のところはまさに先生と同じ考えでございまして、やはり教育なき管理というものはないわけでございますから、校長、教頭先生両先生ともに教育面の方で活動していただくということを現在よりもさらに強めていく、そういう姿でないと校風というようなものはなかなか生まれてこない。何といいましても学校の中で一番の教育のベテランでおられるのは大体において校長であるということは普通でありましょうが、そのせっかくの校長が教育面に接しられていないという姿に現在なっておりますから、そこは是正していくべきである。その点は先生おっしゃるとおりの趣旨のことがこの原則の六点に示されておりまして、全く同感でございます。
  116. 内田善利

    ○内田善利君 実際現在の校長は行政関係とか非教育的な面に、対外的な面の活動に追われ過ぎておられることは事実でありますし、また、事務職員が少ないという関係もありますが、教頭も行政関係等の調査等で雑用に追われておると、そういうことですから、こういう点はひとつもう少し検討して、雑用を排除していくという方向にいくべく検討していただきたいと、こう思うんですね。  それからもう一つ、土地確保の困難性から、あるいはその他理由もありますが、年々大規模学校が多くなってきたわけですね。これはある程度やむを得ないことかもしれませんが、ある学校では児童生徒数が数千人、教職員が五十名から七、八十名、そういう適正な学校とは言えないような学校があるわけですね。学校の適正規模、こういうことについて取り組んでいくべきだと、学校規模の適正化ですね。そして、そういう大規模学校の運営についても、画一的な主任制管理といいますか、そういうことをやっていくというのではなくて、こういう数千名、また七、八十名の教職員という大規模学校では新しい運営方法を考えていくべきじゃないかと、こう思うんですね。そういうこともなさずに、ただ、こういった手当問題だけを、主任制問題だけを取り扱っていくということも問題があるんじゃないかと、こう思うんですが、この点はいかがでしょうか。
  117. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) ただいま行われておりますのは、私も実はそういう学校にこの間参観に行ってまいりましたのは福岡市の長尾小学校、来年度から長尾小学校第一分校をつくり、さらにあと六年たちますと第二分校をつくるという計画が進行しているところに参りまして計画を聞いたわけでございます。この場合には学級定数というものが、新興住宅地でございまして、ふえてきている。そこで、それの年次計画を立てまして、学校を次第に分けていく、そして現在一校あるものを三校にしていくというところで、学級定数の問題と、それから学校の規模のことを考えているケースでございますが、これは比較的に自治体自身が計画的にやっている例でございまして、その詳細を教育長から聞いてまいりました。ただ、先生御指摘のよう、現状においては学級定数の方から生じます問題の処理について、原則的には全国で進めておりますが、規模からくる問題については部分的にしか進んでいないというのが実情でございます。私はこの両方の面から是正していくということか妥当であると、そういう考えで、たまたま福岡市の長尾小学校を訪ねたわけでございますが、これは確かにその問題として学級定数とそれから規模の両面から考えて、学校の将来計画を立てていかなければならないものと考えております。
  118. 内田善利

    ○内田善利君 学校では、先ほども申しましたように、生徒と先生、この関係しかないと私は思うんです。子供の教育を担当することが最も重要だと思うんですね。また責任もそういった意味で重いと言わなきゃならないわけですが、主任になるとか管理職になるとか、あるいは長という字がつくということは偉いんだと、責任が重いんだという考え方は排除すべきじゃないかと思うんですね。むしろ教育熱心な先生、その管理能力といいますか、お世話役とか、そういうことは下手でも、子供のために一生懸命に勉強し、研究している先生、主任制を省令化して手当を上げるよりも、そういった先生方にむしろ私は、校長、教頭並みの手当を差し上げるというのが教育行政にタッチする者の考え方じゃないかとかねがねそう思うんですけれども、そういう点は一つも配慮されてない、こういう点はいかがですか。
  119. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) ただいま先生の御指摘になりましたのは二点と思いますが、といいますのは、このいわゆる地位につきますというと、せっかくのその人の一番の持ち味である先生と子供の関係、それでなく管理だけに走ってしまう、私はこれとてもいけないと思います。いけないと思いますから、この六という原則を書いたのでございます。といいますのは、たとえば早稲田大学の村井資長総長は、あれだけ大きい学校でございますが、電気工学の授業をやっていらっしゃる。それから東海大学の松前重義総長も一般教養の授業を持っていらっしゃいます。あれだけ大きい大学の、マンモス大学と言ったらいいと思いますが、そういうところの総長でさえ授業を持っていらっしゃるというのに、私は、現在日本の小・中・高・でどうしていまのようになってしまったのかということに相当の疑問を抱いておりまして、これは事務煩瑣だからという角度も御指摘があったかと思いますが、私が管理主義に流れるという側面からけさほど有田先生の御意見に、はなはだ御無礼ですけれども、反対いたしましたのはそういう理由でございます。ですから、これをどう実現していくかということは非常に重要な課題と思います。  それから第二点の、そういうふうな地位につかないで、いわゆる授業一本ということでよくやっていかれる方というのがいないとこれまた困るわけです。そこで、仮に人事院の方でお考えいただけますならば、私どもが考えておりますのは、現在教諭の方で教諭のままこうしたいろいろの校長、教頭ないしは主任というような地位におつきにならない方に一等級の道を開くということを人事院の方で御検討願いたいというふうに考えている次第でございまして、これが今日まで実現しておりませんが、私は全くその点、先生と同じ考えでございまして、そういういわゆる役付というのに不向きと言うと変ですが、御希望にもならない、しかしながら、実に先生としてとうといという方、その方を一等級でいていただくという道は、できますならば、人事院においてもお認めいただいて開かれるというふうになればよいと考えているわけでございます。
  120. 内田善利

    ○内田善利君 それからもう一つは、先日申し入れに行ったわけですが、第三次給与改善分の予算ですね。この予算は本俸の引き上げを図るべきであると、こう思うんですね。しかし、それができないならば、本俸の引き上げができないならば、当面、教員の研修関係の経費とかあるいは私学の助成あるいは高校急造対策等、こういった緊急の対策に投入すべきじゃないかと、こう思うんですけれども、いかがでしょうか。
  121. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) したがいまして、給与改善につきまして考えておりますことは三点ございまして、先ほどから主任の問題が出ておりましたが、主任をさて置くといたしますと、いまのように教諭のままで一等級になられる先生の問題、もう一つは、今後特別教育活動が非常に盛んになってまいりますから、またなることが望ましいと思いますから、特別教育活動を御担当の先生にそういういわば部活動のために教育特殊業務手当というものの支給範囲を広めていただくように、これも人事院に御配慮願いたい点なのでございます。ただ、全体の先生について、いま先生、本俸というお話があったんですが、私どもが考えておりましたこと、つまり昭和五十一年度以降の第三次給与改善を私が大臣に就任いたしまして早々考えた時点におきましては、全体の先生の本俸五%ということを考えておりました。しかし、なぜいまそういう角度だけで考えないかというのは、やはり経済事情なども考慮したということがございますのと、本年度の人事院勧告の中に四%、三%という分け方がございまして、本俸という形は現在のわが国の経済状況からかなりむずかしいという御判断も私は推察するわけでございますが、しかしながら、それに対して要するに義務教育の特別手当という形をお考えくださったわけでございます。そこで、いまのところ私たちはいわば両面と申しましょうか、本俸の方向あるいは特別の手当、両方の側面を考えながらこの問題は人事院に対してお考えいただきたいというような角度で、まだ決して本俸放棄という考えでいるわけではございません。  それから、しかし、そういうふうなありさまだからもう少しほかの方のお金を考えたらどうかという御意見でございますが、それは先ほどどなたかからも同じ御質問が、久保先生だったと思いますが、出ましたが、私たちの考えといたしましては、ほかも当然私たちが要求さしていただいているものは実現したいし、また、この給与改善の問題もこの段階で私たちは、概算要求をいたしたものとして、放棄するというような考えはとらずに、でき得る限りこれを獲得したい、つまりこれもまた先生が申されました、また公明党の方からも伺いましたが、いろいろほかの方に回わしていくというのではなく、並べられてあります幾つかの項目、私、大体記憶いたしておりますが、並列的に要求をしていきたいというのが現在私が考えている考え方でございます。
  122. 内田善利

    ○内田善利君 いろんな教育関係者あるいは国民の合意がまだ得られない、こういう主任制度化の問題ですが、その主任制度化する問題よりも、現在の教育界を見ますときに非常に問題が多過ぎるわけですね。主任制度の問題よりも、授業についていけない子供が非常に多くなってきているとか、あるいは記憶力偏重の入試制度の問題とか、いろいろわが国教育の危機的な状況が言われておるわけですね。そういう問題を抱えておる中で、こういうように主任制度を行うということについては、もう少し国民の世論とかあるいは教育関係者のお考えとか、そういうことをよく聞いた上で慎重に臨むべきであると、検討すべきであると、このように思うんですが、この点は省令化を急がれるのか、もう少し弾力的に意見を聴取して検討してやるべきではないかとこのように思うんですが、この点はいかがお考えでしょうか。
  123. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 先ほど来申し上げておりますように、私はこの基本的な考え方というものをお示しいたしまして御検討願うということが何より大事だと思っております。先ほども新聞のことを申しましたが、その後新聞の他の社説も入りましたが、考え方それ自体はよろしいという社説が多いんでございますが、しかし、その運び方について、先生が御指摘になるように、やはり配慮すべき点はあると思います。ですから私は、けさほどから繰り返し申し上げておりますように、やはりずいぶんおかげさまできょうは内容について御説明する機会を与えていただいて大変感謝いたしておりますが、そういう点を御検討いただいて、そうしてやはりこうしたものが必要であるというふうに考えております私の考えを御理解いただけますならば、やはり実現したいと私は考えております。そうでありますからこそ、この文部大臣見解というものを執筆いたしたわけでございます。ただ、先生が仰せられますように、そのほかの教育問題が多々あるということ、これまた全く否定しがたい重要な問題でございますから、そうしたこと、いまついていけない子供というお言葉もございましたが、それも大事でございますし、本当に多岐にわたって教育問題はございますので、そういうものを解決していかなければいけない。しかし他方、それじゃこの主任というのはどうでもいいのかというと、どうも中教審以来の課題であったということもありますが、これは先生も学校においでいただいたから御理解いただけると思いますけれども、私はやっぱり仕事をやっていく場合に、校内組織ということはかなり大事なんじゃないかというふうに考えるのです。先ほどから、先生御自身からも校長と教頭のあり方という御提言がございました。私もこれに賛同いたしましたが、そういう点もどうもいままではっきりしなかった。つまり教頭を置くべきか、是か非かという議論が多くて、教頭が置かれたのに教頭が一体何をするのか、これの服務関係の規程などについてのデータも集めましたんですが、どうもはっきりいたしておりません。こういう点をやっぱりはっきりしてまいりませんというと、たとえばついていけぬ子供の問題その他、実は私は各学校が独自の指導要領をつくるというのも私のこの文書の中に入っておりますんです。まあそういうところまでいかないというと、それぞれの地域でいろいろ特殊な問題を抱えておりますから有効な教育指導ができないように思いますが、そのためにはどうしても校内組織というものを相当整備して取り組んでいくことが妥当ではないかと、かように考えましてこの文書をお示し申し上げたわけでございます。
  124. 内田善利

    ○内田善利君 一つの制度をつくったり改めたりする場合に、ただ単に処理すればいいという問題ではないんじゃないかと思います。言うまでもなく、制度は生き物ですから、人を動かすものですから、その制度にかかわる歴史、あるいはその制度にかかわる人々の理解、協力、そういうものがなければその制度はうまくいかないと思います。主任制度というのは、各学校の必要に応じていまできておりますし、また十分私は機能していると思います。それを制度化して、省令化して手当を差し上げていくということ、これもとりようによっては非常にいいことです。いいことですが、慎重にやらないと現場の混乱を起こすと、こういうふうに考えるわけですね。省令化する省令化するということで、余りにも制度進行的なものになってしまって現場に混乱を引き起こしてはならない、そう思いますので、もう少しこの点については検討をすることが必要であると、こう思うんですが、省令化のめどがおありになるのか、あるいは時期的なものがあるのか、もう少し慎重に検討していただきたいと、こう思いますが、いかがでしょう。
  125. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) ただいま先生の御注意の点はよく承り、これを体して私は進んでいくべきものと考えます。  そこで、大変繰り返しになって恐縮でございますが、私はですから期限よりも手続ということを申しているのです。ただ、これも先ほど申し上げましたんですが、是非論ということで内容に立ち入りませんで反対というふうなことですと、実はなかなか私がこの職について、私も教育界から出てきた人間でございますので、進めていこうとしても、どうもうまくいかなかったというこの問題に関して、おおよそ二カ月半ぐらいにわたりまして議論の展開を期待できなかったという、これは非常に遺憾に思っているわけです。  ただそこで、いまきょうこうして議論をさしていただいているのは非常にありがたいんでありますが、他方、言論機関でもほぼ各社とも御意見を表明しておられます。そういうものも参考にし、また、特に国会は重要な機関でございますから、国会については、そういう問題について、先ほどから何かいろいろ御意見もあったようでございますので、先生方がお考えになることを私は尊重いたしますが、他面、こうして作業をいたしてまいりました者といたしましては、決して無責任にこの文部大臣見解というものを出した気持ちもないのでございますので、でき得る限り速やかにこの問題の御審議をお図りいただきますならば、私といたしまして、まことに幸いに思う次第でございます。
  126. 内田善利

    ○内田善利君 時間が参りましたようでございますから、まだ意を尽くしませんが、反対の立場で一時間質問いたしましたが、小委員会も提案されておるようでございますから、またそのとき質問していきたいと思います。  以上で終わります。
  127. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 共産党を代表して文部大臣を中心に、特に大臣見解と省令改正の具体案が問題になっておりますので、それらの問題について質問をしたいと思います。  特に大臣は、私は七日の新聞で初めてこれを読者として読んだわけで、きょう初めて手元に政府の方から出された書面をもらい、新聞には掲載されておる具体案については、まだここでたださなければ私は責任ある答弁は聞いていないということですから、そういう立場でお伺いをするわけです。   〔委員長退席、理事久保田藤麿君着席〕 とりわけ、文部大臣教育政争の外に置くという、そういう観点からこの見解を書かれておるというスタイルになっておりますので、その内容面についてもお伺いをしたいと思うんです。  初めに戦後の教育史の総括とも言えるような文部大臣の見方が述べられて、いままで教育の場が管理面できしんできた、こういう問題に対して今回の措置は調和を取り戻す方向で考えたものだというふうに言われておるのですけれども、どうもわからない点もかなりあるわけです。戦後の教育史というのは管理と反管理の単純な対決であったのか、教育活動を忘れた不毛の対決であったのか、私としてはかなり異論もあります。こういう点から、抽象的に言われてもわかりませんので、戦後を振り返って、それではきしみと言われるような具体的な教育上の争点といいますか、問題というのはどういうものを頭に描いて言われておるのか。私などは直ちに勤務評定の問題とか教科書検定の問題とかあるるいは学習指導要領の法的拘束性の問題、さまざまな学力テストの、全国一斉の文部省学テの実施とかというものが頭に浮かんでくるわけなんですけれども、文部大臣の方から、具体的にはどういうものを浮かべてそのように言われておるのかということをお伺いしておきたいと思いますし、すべての時期にそうではなかったと思うのですね。激烈なときもあったし、そうでなかった時期もあるわけですね。きしまなかったときというのは一体どういうときであり、そのときの教育はどうであったのか、これらについて簡潔に、具体的に、二、三例示してお伺いをしたいと思います。
  128. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 確かに先生がおっしゃるように、きしんでいることは常にあったわけではなくて、「きしむことが多く」と私も書いております。また学校をめぐる政治的な事柄がありましたのは管理のことだけでないと思います。そのほかの問題ということで非常に争いがあったということもあるかと思います。  ただ、ここで一例を挙げよとおっしゃいますと、勤務評定のときの問題がございますが、勤務評定のときに実はサンデー毎日の緊急特集号というものがございまして、そのときに勤務評定をめぐる多分十の問いというのがございますが、これで、まあいわば勤務評定をぜひやれ、それからやるなという方の、双方のいわば指導的なお立場にあられる方、二百人に対してアンケート抽出調査をやった事実がございます。この勤務評定をめぐる十問でございますが、その答えを見ますというと、実は勤務評定問題というものについての、この十問についての理解度が非常に低いんです。これは一般の先生でなくて実はリードしておられた方々でございます。実は私はその問題をつくったものですから非常によく覚えているのでございますが。ところが実は対立論、これが非常に激しくなったことは詳細申し上げるまでもございません。大体においてあの場合には、まあいわば管理的な立場にある方の人が賛成、そうでない方の人が阻止というふうに色分けされていたわけなんですが、そういうふうなことが私の頭にありましたことの一例でございます。
  129. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 管理の側面と教育の側面というのを、教育行政を二分して説明をされておるわけですけれども、たとえば学力テストを全国に一斉実施するというのは、これは管理行政にかかわることではなくて指導行政にかかわる問題ではなかろうかと、これが管理の名において行われたのではないか。あるいは、これは必ずしも教組とのプロパーの関係の問題ではありませんけれども、教科書問題というのは大きな一つの教育裁判になっておりますけれども、これは管理か反管理かの不毛の論争であるのか、教育の行く先を決めます理念上の、日本教育史の発展課程の一つの論争ではないのか。学習指導要領の法的拘束性の問題についての文部省の路線転換、これが国民にとってどのように、あるいは教育の専門家にとってどのような意味合いを持つのかというので論争されている、こういうのが一つの流れであったのか。私はそういうふうに思っておりますし、私自身も戦後教育の領域で歩んでまいりましたから、これらのきしみと言われ表現される問題の中で二回刑事訴追を受けるというようなことになっておりますけれども、一回目の昭和三十三年の事件については、この勤務評定問題についての刑事弾圧を、これを地裁は非として無罪の判決を下し、高裁では、東京都教組判決の後を受けたものであったとはいえ、検事側が控訴を放棄をして二審で一審判決が確定をされて無罪になった。損害は償われませんけれども、少なくとも日本の三権のうちの一つの権力は、この問題を文部省側のやり過ぎとして確定をしておるわけであります。こういう問題ですし、その次の学力テスト反対闘争においても、これは大阪地裁、大阪高裁こぞって文部学テの違憲性と違法性、適法でないものを職務命令を押しつけたことによって職務命令無効だと、したがって公務の性格を有しないというような判決を引き続いて出しております。有罪とされた事件でも、福岡の場合にも、文部省のやった学テ自身は違法だということを述べておるので、これがおおよその戦後の文部省の有権解釈に対する裁判の主流的な判決の結果になっておる。それについて私は、この基本の立場で、いま文相が戦後教育史は不毛の対決であって、そして管理と反管理教育を忘れた対決だというふうに描かれることについては異論がありますが、しかし、まあこの点については具体的な内容でひとつお伺いをしておきたいと思います。  特に申し上げますけれども、きしまなかった時期もあるのです。昭和二十四年、五年、六年なんてのは何の紛争も起こっていないですね。しかし、朝鮮戦争が行われており、これは教育の中で物の言えない時期であったので、きしまなければよいのならああいう時期が理想の時代として描かれる、こういうことになってしまうのではないかと、まあそう考えてみると、この不毛の討論というようなものは戦後教育史に対する文相の不遜な総括というふうにも私としては言いたい点があるということであります。  特に、続いてお伺いしたいのは、教育行政について、管理行政と指導行政の問題についてまとめを行っておられるわけですね。それは見解の二並びに三等で、特に説明の中でまとめを行っておられる。学校生活には二種類の人間関係、一方は、これは管理で処するべき問題、一方は教育で処するべき問題、管理の方はいわば外面的な、外的な規律で管理をしていくと、それから教育の方は内的な指導になっていくというふうに、管理を外的事象として、そして教育問題を内的事象として二分して説明をされておるというふうに読むのですけれども、それでいいわけですか。
  130. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) まず、先生がおっしゃいますことに賛成する点を申し上げますと、戦後の教育史上非常にきしむことが多かったのは、この管理ないしはそれに対する反対という問題だけではなく、たとえば先生、教科書問題をお挙げになりましたが、そうしたものは違う種類のものであるという点、私もさように思います。「不毛な議論が繰り返される」というところですが、そこで「ともすれば肝心の教育活動が忘れられる」というふうに書いてありまして、必ずしも常にそういうものがなくなってきたというふうにも思っておりません。その点も先生がおっしゃるとおりだと思います。  外面ないし内面というのは、ちょっと区別の上でどういうことを意味するのか、少し私、考えさせていただきたいのですが、私が管理ということでとらえておりましたのは、法律、政令ないしは規則などによって必定つくり上げていく、そういうつくり上げていく機能、そういうものでございます。それからまあ学習指導あるいは教育指導といいますのは、そうした法律、政令ないしは規則ということではなく、文部省で申しますというと教育指導要領、これは、ですから法令によってということではなく、むしろこれの改善に当たる場合には、たとえば今日進行しておりますように、教育課程審議会という専門家集団の意見を聞いて改善に当たっておりますが、その種の事柄が文部省でも行われているように自治体内の学校で行われている、そちらの面、そういうふうに二つに分けて考えております。
  131. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 少なくともこの文面では、三の説明の後段などを見ますと、「学校運営は二つの柱によって立つ」と、一つは「法律、政令、また、諸般の規則を重んじて、校内の秩序」を維持する「活動」でこれが管理の主な任務だというふうに整理をされており、それからもう一つは、「教育活動を適切に指導すること」と、これは前段の説明による「規律正しい生活」ということと、「愛情、いたわり」あるいは「創造的」自発性というふうに整理をされておるわけですね。私は後段の整理については短く言えばこんなものかと思うのです。しかし、管理の面についても、教育における管理行政は、これは一般管理行政とは違って教育条理に従う管理行政が行われなければならないと、そういう点についてこの文章は安易に、管理の問題といえば一応一般の管理などと余り差のないものと、教育の領域において指導行政の特殊性が生かされるというふうに安易に整理され過ぎておるのではないかと、教育基本法や何かを一々挙げませんけれども、典型的には大学の運営を見れば、教授会が一元的に管理の面と教育の面と研究の面を掌握をしておって、これはたとえば民間の事業体の研究所その他の研究機関などとは著しく趣を異にしておるというような問題、こういう精神は、初等中等教育の中で生かされないにしても、教育の地方自治、学園の主動的活動による可能な限りの自治的機能というような点に管理も生かされるのではないかと、生徒に対してもべからず集でやるのではなくて、集団的自治能力を身につけさせるというようなのが管理面においてもなお軸になるべきであろうというふうに思うのですけれども、この点では整理が簡潔に過ぎると、こういうふうに御批判をいたしたいのですが、いかがですか。
  132. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) ただいまの先生の御批判いただいたことに賛成でございます。賛成、同感でございます。
  133. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 それでは続いて。  そういう観点からながめますと、文相の初めの総括ですね。文部大臣ですから、まあそうそう文部省が悪くってほかの方がよかったなどというわけにはいかないだろうという点は御同情申し上げる点もあるのですけれども、少なくともいまは教育者でもなければジャーナリストでもない文相としては、よしんば管理面が教育面に優越をしてきたきしみがあって教育がなおざりになっていたということが少なくとも文部省責任を負う欠陥であるとされるなら、一番手の届くところは日教組よりも先に文部省の中なんですからね。この点について管理優先をどのように抑え、教育条理をどのように行政の上に生かそうとされるのか、それの一つの抱負というようなものを聞かしてもらわなければならぬ。顧みて他を言う前に、一番自分のところをやらなければだめなんじゃないですか、それは。
  134. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) ただいま先生の御批判に同感、賛成でございますと申しましたのは本当にそうなんですが、ただ、少しちょっとそれに弁明させていただいて、それから次の点に移させていただきたいと思います。といいますのは、たとえば法令ないし規則というような場合にも、わが国の場合には教育行政の場合に当然地方教育委員会というものが行政責任主体であると、そういう意味において文部省がたとえば教員に対する任命権者でないというような特殊性を持っておりますが、そうしたことにまで論及しなかったという点において、いろいろ先生が他に挙げられたような教育に特有な法規の形あるいは大学の管理の問題、そうしたものはすべて省いてこの小さいまとめにおきましては二つの関係、ただ二つの関係ではなく、他の先生の参加というところが考えたのと、それから校長、教頭につきましては、いままでのような単純な管理のとり方ではいけないということは言及さしていただいたということをちょっとつけ加えさせていただきます。しかし、非常に厳格に法理論に基づいた論文として妥当かということになりますと、そういうものとして書いたものではないということを御理解願いたいと思います。  なお、また文部省もしっかりしなければいけないというのはまことに賛成でございまして、文部省で具体的な構造上これに当たりますのは他の部局もございますが、初中局であると思います。初中局は二人審議官がおりまして、一方が管理関係審議官とほぼ言うことができると思います。もう一人が教育指導関係審議官でございます。私この任に就任以来この教育指導の方を非常に重視いたしまして、まず教育課程審議会の審議委員が、私が就任いたしましたとき二十人、それをこの春先に四十人、さらにこの秋に二十人を加えて六十人にいたしました。しかし、この人数だけでは中央集権的な色彩が出てまいりまして、十分にこの地方の実態を生かすことはできませんので、春先に視学委員という制度を復活いたしまして、海後宗臣、上田薫両先生に教育指導面の審議官の指導助言をお願いいたしまして、そして夏以降に——しかしこの両先生は東京の方でございますから、全国をいわばブロック的に分けまして、そして各ブロックからそういう視学委員という者の御就任を願いまして、東京にないようなブロックの特有の問題というものを、また文部省の審議委員に御助言、御協力を願うという姿で強化を始めてきております。いままでのようにやってきたということを御報告できると思います。  なお、教育課程審議会というものにつきましても、これはいまたまたま日教組の問題に及びますと、日教組の制度検討委員会の梅根先生を初め、諸先生の御意見も承る、あるいは現場の先生との公聴会、こういうものの数もふやして、具体的に申しますと、これは常に十全というわけにはまいりませんから、いろいろ足りないところはございますが、そういう姿でいま先生がおっしゃいましたように、二つのものの運営のバランスを保つようにできるだけのことはやってまいりましたことの報告でございます。
  135. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 どうも答弁がずれているように思うわけですけれども、具体的な問題に入らなければならないので先に進みます。  主任制度について省令改正の具体案の中身もお伺いしなければなりません。しかし、先立ってすでに前質問者も尋ねられておるのですけれども、この主任制度というのは、第三次給与改善を行うに当たってというところから出されてきておる問題である。当然人確法実施の一環であるというふうに理解するわけですが、それでいいわけですね。まあうなずいておられますからその点は確認をしておきます。  そうであれば、先ほどもお答えになっておったように、人確法実施に当たっては自民党も含めてつけられた附帯決議、これは尊重されて当然五段階給与制度はとらないということ、だと思いますし、それについては先ほども御答弁があった、これも確認をいたします。  そこでひとつお尋ねをするのですけれども、かなり尊重する立場をとっておられる中教審答申にはいわば一般教諭の中により責任ある立場の者をこれを分離して優遇をし、職制化していく方向が管理上あるいは指導上必要だというようなことも書かれてある。こういうような制度は給与とは無関係にとろうとされておるのか、そうでないのか。一応、中教審問題はたな上げにして進むとされておるのか、その点をお伺いしておきたい。
  136. 諸沢正道

    政府委員(諸沢正道君) 中教審の答申ではいま先生が御指摘になりましたように、これらの必要に応じ「学校種類や規模およびそれぞれの職務の性格に応じて、校長を助けて校務を分担する教頭・教務主任・学年主任・教科主任・生徒指導主任などの管理上、指導上の職制を確立しなければならない。」といたしまして、別のところで「教員の研修を体系的に整備し、その適当な課程の修了者には給与上の優遇措置を講ずる。また、教頭以外の校内の管理上、指導上の職務に従事する者についても特別の手当を支給する。」と、こう言っておりますから、そういう職務の存在と手当というものを一緒にして考えておられると思います。
  137. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 つまり、五段階給与制度はとらないけれども、五段階職制はとる方向で作業をしておるということなんですか。
  138. 諸沢正道

    政府委員(諸沢正道君) 中教審の答申がありましたときから五段階給与ということをよく言われてきたわけでございますが、それが何であるかということは、中教審答申自体が何ら説明がないわけでありまして、言われるところの説によれば、校長、教頭、上級教諭、教諭、助教諭という俸給表をいわば五つつくって、それぞれの職に対応する俸給表をつくるのだ、こういうことのようでございますが、いま申しました主任の問題につきましては、たびたび申しますように、性格が一般の教諭についてそれぞれの主任に与えられます仕事、つまり、教務主任であれば学校の教務に関する連絡助言といいますか、多くの先生方の連絡助言の仕事を職務命令として付加するということでありますから、それは本俸それ自体の変更を来たすようなことを考えるわけではないんでありまして、教諭についてそのような特別の仕事を持つ方に手当を支給しようという考え方でございますので、いま言われましたところの五段階給与というような意味における給与の変化は何ら考えていないわけでございます。
  139. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 一般教諭の中から特定の部分を上級教諭として位置づけるというようなことに反対するところから五段階給与を実行するなと言っておるわけですから、その点は守ってやっていく、こういうふうに聞いていいですか。
  140. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) そのとおりでございます。
  141. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 そういう前提の中で、しかも、教育を充実するために主任制度を設けようというのが文相、文部省説明立場になっておる。  そこで、具体的に省令改正案というのはどういう範囲の人にどういう任命方法でどれほどの手当を出すのか、それは言われるような効果を保証するものであるのか。その反対の効果が生まれるのではないか、これらの問題が具体的審議の対象とならなければならぬというふうに思うわけであります。しかし、それはまあ具体的な問題というのはきょう一日でそれは討議を尽くすことはできない。先ほどからもお尋ねがあるわけですが、私としてもこれは回を重ねて討議をしたい。とりわけ今日の主任制度がすでに自発的に自治形態として全国各地で現存をしておる。この現状分析の上に立ってというふうにも説明をされておりますから、それらについては言われるようであるのかそうでないのか。また、抽象的に記述されておるが、全国の今日ある主任の現状は、その職務内容は、任命方法は、待遇は、あるいはまあ後ほどにもかかわりますけれども、性別はとかあるいは定着度といいますかね、まあいろいろな実態について知りたいと思うわけでありますが、それについて簡潔な御説明をいただいた上でひとつ全国各府県別の現状の資料をいただきたいと思うわけであります。
  142. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) いまの問題について初中局長から簡潔に説明をいたさせます。
  143. 諸沢正道

    政府委員(諸沢正道君) 主任というものがいろいろな名称を付されておりますので、名称だけで言えば、全国的に見て数十種類に及ぶわけでございますが、省令化をするという場合には、やはり最も定着率が高くてかつその仕事がいずれも大事な仕事ではございますけれども、特に必要で大事なものというような観点から整理してみますると、先ほども申し上げましたけれども、小学校におきましては教務主任と学年主任、中学校はそれに加えて生徒指導主任高等学校はさらにその三つに加えて進路指導主任と、この四つが挙げられるであろうということで、一応の案としては、その辺を省令に書いたらどうだろうかというふうに考えておるわけでございます。また、それについてどういう手当を出すかというような手当の性格につきましては、これは人事院と十分御検討願わないことでありますので、現在はまだお示しできるような状態にはないわけでございます。そして、その総額、どのぐらいの金額を考えるかというような点につきましては、来年の三月分として三十七億計上いたしておりますが、それは主任手当の分として全部使うわけではございませんので、先ほど大臣がお話し申し上げましたように、全教員に対する俸給の引き上げあるいは義務教育等教員特殊業務手当のパーセンテージの引き上げ等々の問題も含めて考えなければならないことでございますので、これまた、現在部会におきましてはどのくらいの金額を考えるかということは固定していないと、こういう現状でございます。
  144. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 この現状における省令化もされていない現時点での状況でこの見解の四などを見ると、「現状においても教育指導の面を担当している」というようなことが書かれてあります。本当に現在教諭が教諭を指導するというようなことを何の裏づけもなしに一般的にやっておるのか。やっておるところもあればそうでないところもあるのか。一面では調整、助言等の役割りを果たしているというようなところもあるわけですね。調整、助言というのと教育指導の面を担当するなどということは、まあ近い点もあるでしょうけれども、行政的に見れば必ず違うことであります。これが包括的に記述をされている。それは現状をしさいに見ていかないといけないだろうと思いますし、一面から言えば、教諭という児童の教育をつかさどるという職務を持った者が他の教員をも指導するという職務を同時に兼ね合わせて持つこととか、一面から言えばその指導に服さなければならぬというようなことは少なくとも職務に対する指定に対してやり過ぎになりはしないかというような点もあるわけですね。   〔理事久保田藤麿君退席、委員長着席〕 これらの問題で現状なかなか問題の多い状態だと思うわけです。これについて現に大部分が教育指導の面を担当しているというような状況になっておるのか、そうでないのかというような点と、それから現在は、まあいわば現在やっておる状況というのはどういうふうに位置づけられるのか。ぼくは校務分掌の一翼として対等平等の教員の中で分担をやっておる、そしてここに書かれておるところで言えば調整を主とした仕事をやっておるのが現状と、こう思うのですけれども、そうではないのか。それから設けようとされる主任は現状に対してどのように変わってくるのかというような点、これもひとつ説明をしていただきたい。  それから任用方法というのか、指名の方法は現状ではどういうふうになっておるのか。県教委の指名あるいは地教委の指名、校長の指名、特に校長はしないけれども、学校の自主的な校務分掌として選挙その他の方法によっておるものと、これらはどのくらいの率で配置されておるのか、ごく概括を数字だけ言っていただきたいと思います。
  145. 諸沢正道

    政府委員(諸沢正道君) 最初に先生の御指摘のありました主任はその教育指導に当たるという意味でございますが、主任仕事でも先ほど申し上げました四つをとりましてもやはりその仕事の形がちょっと違うかと思いますのは、教務主任学校全体の教育計画の立案調整ということでございますから主として同僚の先生方を対象とし、その調整あるいは助言というものが主となろうかと思うんであります。また、学年主任もそういう意味では学年全体の教育活動の調整あるいは助言というようなことになろうかと思うんでありますが、進路指導主事とかあるいは生活指導主事といったような主任はむしろ直接子供に接してその生活指導なり進路指導なりをする、また同時に同僚の先生方について、それらの問題について言ってみれば専門的な見地からアドバイスをするということであろうかと思いますので、そういう意味では連絡助言あるいは指導助言というようなふうに考えておるわけでございまして、ちょうど教師が子供を教えるような意味での指導というふうなのとはちょっと言葉のニュアンスが違うかと思うわけでございます。  ところで、現状におきまして教務主任なり生徒指導主任はどういうふうな形で命令されておるかということでございますが、いま教務主任というものは全部の県に置かれておるのでありますけれども、そのうち学校管理規則に規定のある県は五県ございます。規定のない県が四十二県ということになっております。そうしまして、規定のない県は教育委員会が発令するというのではなくて、校長にいわば委任しまして校長が教務主任を命じておる、こういうような関係になっておるわけでございます。また、生徒指導主事を見ますと、学校管理規則に規定のある県が十一県、ない県が三十六県ということでありまして、これもその扱いはないところでは校長が命令をする、こういうことでございます。いずれにいたしましても、これは服務監督権に基づく職務命令でありますから、この省令にこれを明記した場合にはたてまえとしては市町村の教育委員会か命ずるということになりますが、現実にはいま申しましたように学校の校長が一番よく適任者等を知っておるわけでありますから校長に発令を委任するということで、いままでと同じような方法でやっていただく、そのやり方は各市町村教育委員会の判断と従来の実態に即して取り扱っていただくということでよろしいのではないかと、こういうふうに思うわけでございます。
  146. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 結論的に見て現時点では任命の仕方はいろいろである、いろんな節でやっておると。県教委、規則を持っておる、それから市教委と、さらに校長。校長が任命するというのは校長が任命をして、ただ任命しておるところもあれば選挙で、その結果を要式行為として校長が任命をしておるというところもあるでしょうね。  最後に新しくやるとしても、いまのこの決め方をそのまま踏襲してやっていくんだというふうに言われたように思いますが、選挙であれ、校長任命であれ、あるいは市教委任命であれ、それは問うところなく、報告を受ければ手当を払うというそういう意味ですか。
  147. 諸沢正道

    政府委員(諸沢正道君) 要するに、主任というものの仕事の必要性があるからほとんどの学校でそれを置いておるのであり、また、置くからには最も適任の者をお願いするというのが当然だろうと思いますので、そういう意味で、現在置きますところの教務主任なら教務主任というものは、そういう見地から選ばれていると思いますから、そういう意味で、いままでと同じようなやり方でやるのが妥当ではなかろうか、こういうふうに思っております。
  148. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 同じようにはならんじゃないですか。全部市教委の任命に統一するということになるんじゃないですか、小中学校の場合には。
  149. 諸沢正道

    政府委員(諸沢正道君) 先ほども申しましたように、省令にこの設置の根拠を、いわば基準とし  て設けるわけでございますから、その場合、たてまえは確かに服務監督権者の市町村教育委、県立の学校は県の教育委員会になりますけれども、小中学校はすべて市町村立でございますから市町村の教育委員会考えていただいてよろしいと思いますが、市町村の教育委員会に職務命令を発する権限があるということと、その権限を実態に応じて校長に委任するということは、もう一つ段階を下げるわけでございまして、現在やっておりますのも、そういう意味では市町村の教育委員会が本来職務命令を発すべきところを校長さんにお任せしておるわけでありますから、お任せした方がよろしいという判断のもとにそういうふうにやっているのだというふうに考えますから、今後もそのような判断のもとにおやりになることは適当なことであると、こういうふうに思っております。
  150. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 この見解の中で説明されているところによりますと、職務内容については二つぐらいの部分で触れられておるわけですね。  一つは見解四の説明の中にあって、主任は規律を重んじ、校長、教頭を補佐するという面と、関係職員の意見をまとめこれを指導する、という面があるわけですね。  それからもう一つは、校長の部分、見解の六ですかね、その中で、校長は、ちょうど教育委員会の中に管理主事と指導主事が相補関係で置かれておるように、学校では教頭のように管理面をやる者と、主任のように教育面をやる者を相補関係にしてやれというふうにも校長の面から書かれているわけですね、六の部分で。それはそのとおりでしょう。——としてみると、現状をそのまま定着といわれるよりは、かなり重みが画一的についてくるのではないか、そういうふうに読み取れるわけであります。特に規律を重んじて、そして外的な規制をしていく方は管理の面だというところは別のところで書きながら、改めて任命された主任は規律を重んじて校長、教頭を補佐をするというような面が書かれており、同僚関係職員、対等平等の関係職員ですけれども、この任務につくとその意見をとりまとめ役をやり、これを指導すると、こうなってくると、一方で校長を補佐して上意下達をやり、一方ではグループの長としてこれの意見をまとめて校長と協力をしてやる、下情上通をやるというようなぐあいに、中間職制としての意味づけが色濃く浮かび上がってきて、従来あったように調整、助言を主とする校務分掌の一翼ですね、お互いに選挙で選んでローテーションで回しているというようなことは許され得なくなってくるのではないか、こういうふうに見えるわけですけれども、そうではないのかということですね。それから一面から言えば、府教委の中のこの指導主事と管理主事なんかの問題とも対比的に取り上げられておりますが、これはいずれも監督行政の二つの翼であって、指導行政も、それから管理行政も、いずれも行政に違いないわけですね。そういう意味で、学校の中に新設の学校内指導主事のようなものを設ける性格になってくるのではないか、それが大体現場の受け取り方になってくると思うのですが、それはどうですか。
  151. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) あるいはちょっと先生のいまの御質問意味を正確にとらえにくい面があるのですが、私の考えておりますところは、まず校長と教頭が、私がここで申しております管理教育活動の両方をそれぞれがやらなければいけないというのが六の場所にあるわけでございます。そうして主任は、先生御指摘になりましたように四の一番終わりに書いてあります「校内の規律を重んじ」というもの、これは主任に限らず学校の中で暮らしていく者すべてそうだと思います。その次のところが役割りになるのですが、「校長や教頭の方針に従って活動し、これを補佐する」、いままで中間管理職という言葉がよく主任に関連して使われました。実は、この文章のところをとらまえて中間指導職という表現をされた方があるんでございますが、中間指導職という言葉が妥当かどうかは知りませんが、もし中間管理職という言葉と対比いたしますとすると、その方がまだ私の意味しているものに近いと思います。つまり、何といっても、主任はいろいろな先生の参画を得て仕事をしていく、それは当然のことだと思うんです。しかし、学校全体の教育方針というものを決めていかれる方は校長なり教頭が主任以下諸先生の御意見をまとめて御自分でつくられるということであると思いますので、これはフィードバックといいましょうか、校長先生と、それからすべての先生の意見というものが相互に交流しなければいけないんですが、その結節点に教育指導の面では立たれるというふうに私は考えたわけです。
  152. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 ここで、一つ意見を申し上げておきますけれども、自主的な組織形態として自然に積み上げ、定着をしていった主任というものは、あくまでも教員相互では対等平等、最終的には職員会議の、全体会議の場面でさまざまな方向が全部で確認をされていく、これが一般の、とりわけ高等学校では定着をしておる方向でありますけれども、こういう制度が導入をされますと、自主的組織を校長を包む一定グループによって幹部教員団に転化をしていくという様相が色濃く浮かび上がってくるという、とりわけこれの解説においてさえも、その六の解説では、いま教育委員会内に管理行政と指導行政があるように、校長は校内指導主事とも言うべき識見高き教員グループを、これをもって校長の意思を全部に伝達せしめ、みんなから職員会議で聞くのではなく、そのグループで取りまとめさせた意見を掌握をして、スタッフを持って、いままでは管理スタッフばかりが先行しておったけれども、それに指導スタッフを持ってラインを指導するという様相が非常に色濃く浮かび上がってきておると、そうすると、前文における説明は別として、ここであらわれてくるものは、ライン作業層を、これをリードするスタッフが定着をされるというこの様相が浮かんできて、それはまさに中教審答申、いまも読み上げられましたけれども、第2章第2の8の「学校内の管理組織と教育行政体制の整備」と、「新しい学校経営の方式が必要」である、「これらの必要に応ずるためには、」わざわざ名を挙げて「教頭・教務主任・学年主任」、教科主任だけは今度採用しないようでありますが、「教科主任・生徒指導主任などの管理上、指導上の」とちゃんと書いておるのですから、そういう「職制を確立しなければならない。」、これを指導職制と管理職制と二本立てにして管理行政の貫徹をいまは指導主事の直接翼下に入るかもしれないものを学校の中につくり上げていくということに読み取っていく方が自然な読み方ではないか。この点では中教審のこの記述しておるところと、この大臣見解で書かれておるところは、ほかのところをむしり取ってしまえば寸分違いがないというような点が非常にはっきり見えてくるわけであります。そうなってくると、新たに職制を立てて教育を倒す路線をその前の方の部分で、私は文部大臣のなかなか言葉のあやも巧みな、リベラルな前文の中でこれで麻酔薬を打っておいて早期確立を図るというような行政効果になっていくのではないかと、そういうことを大臣は本意とされるのかどうかわかりませんけれどもね、これがかなり多くの現場の人たちの見方になるところは疑う余地がないと。これらの問題についてはもっと深めて、先ほども申しましたように現場の状況、新しく生まれてくる変化、それから今日行われておる管理行政実態、指導主事がいま何をやっておるか。学力テストのときはスタッフでありながら、ラインと同じように走り回ったり、評定書という管理面の仕事を校長のところへいってもぎ取ってきたり、やってきたのは汚辱に満ちた実際は指導行政の足跡なんですからね。こういう状況の中で持たれるものというのはいまこそ文部大臣よく見据えてやってもらいたいと思うわけであります。  この点は、今後継続して討議していく上でポイントになる問題だと思われますから、その面でぜひともよくもう一遍実態をながめ直していただきたいし、私も資料いただきましたら、現地の実態少しく離れておりますから、よくにらんで、引き続いてこの国政の場で審議を尽くしたいと思うわけであります。  さらに最後に、これはなかなか新聞でも評判のいい、当たりのいい部分があるんですね。見解の第七であります。主任は相当の時間数これを授業担当すると、それからもう一つは、固定化を防ぎ、多数の経験者をつくると。ある新聞はローテーション方式というふうに書いておりますけれども、また女性の登用、国際婦人年最後のボーナスというような部分もございますし、こういうような点があって、これに好感を寄せたような新聞論調もある。しかし、いいとこ取りをして読んでもらっては困るのでありますが、これについても相当の時間数を授業担当するというのは私、相当の時間ですから平均十八時間ということかと思うんですが、それを一つ念を押しておきたいと思います。
  153. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 時間については調査をしておりますので、初中局長からお答えさせます。
  154. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 実際には時間数担当はしないと。しかし、一面では校長のスタッフとして指導幹部教員グループになるということだと、これは甘いのか、辛いのかわからないですね。これりんしょくを表現しておるものかもしれませんからね、文部省の。実際には大阪の実態なんかを見れば、特定の個人を指定せず、そういう職に当たる者として学校全体に数時間の、時間配当をしております、これはですね。そして、全体の中から時間を生み出すようにと。かなり大規模学校であれば可能なことですから、その職が当たった者は四時間なり五時間なり軽減をする。これは措置をしておるわけでありますけれども、こういうことはやらないと一方で言い、固定化を防ぎ、そして多数の経験者をつくるというような点も挙がっておるわけです。私はこの点については、これは期待をされてだけでこうはならぬと思いますね。選挙制を残しておくのがこの実が一番上がるのであって、任命制を厳かにすればするほどこれは固定をし、幹部教員グループができると。  最後には女性の登用を期待されますけれども、これも余り期待効果は上がらないのではなかろうかというふうに思います。しかも、御丁寧にも最後に女性が登用されて主任に多数の女性が出るようになれば女性の校長、教頭もよけい出るだろうと書いてある。これは問わず語りに、これらのグループが管理者養成機能を持つということをみずから語っておるものではないか。亜職制層としてこの経験者は校長になる近道だということを文部大臣の解説でみずから解説をしておられるのでありますから、こういう点からながめてみても、必ずしも最後の三つの状況というのは、これはリベラルを表現するものではなくて、りんしょくを表現すると同時に、これを二面では幹部登用コースの一過程として白状しておるものであるというような読み方もできるわけであります。これらの問題についても、具体的に実態を調べることとあわせてよく検討していかなければならない。私はそういう見方をするのは好まない方でありまして、やっぱり教頭も授業を持った方がよろしいと、それから主任も授業を持った方がよろしいと。これが真に言われるように職場と密着をして、子供に対する愛情を失わず、動脈硬化にならないためにこれが書かれるのであればよろしいわけです。しかし、それを保証する道は一つもないわけですね。やっていくのは省令に画いて、そしてそれを実行するときは任命をして、もらった者は名刺に刷り、落ちたときは泣くんですからね。そういう実態をどうして是正するのか。これは任用行為をとるのじゃなくて、あなた方がよくやられる通達行政でこの趣旨を通達をしていくというやり方もあるわけであります。取り締まるときはよく通達をされるけれども、民主的な方向に行わせるための通達というものは余り見たことがないんですね、兵庫県教委のようなむちゃくちゃをやってもぼくらの知るような通達をあなた方出さないんですから。あのときは地方分権だ、自治だと言って通達しないんですね。処分させるときだけ通達を出したりなんかするのですから、こういうリベラルな方向を自主的に盛り上げさせるために通達を出すというような方法も考えられるのではなかろうか。その点では永井文相になってから出てきたところの民主化通達を一遍ぐらいは出してみられたらどうかと、こういったようなふうなことも私はお尋ねをしておきたいと思うわけであります。その点についてどうでしょうね。
  155. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) いま先生が御指摘になりましたように、いまの女性のところの校長、教頭が生まれてくる地盤をつくることができるというのを、だから結局ラインじゃないかという見方もできるが、先生はそういう意地の悪い見方はしないとおっしゃる。しないとおっしゃるのには裏付けが必要だと思います。裏付けはやはり通達ということも必要ですし、私は実はいろいろな教員の会議もございます、あるいは教育委員会教育長の会議などでも、すでに何回かそういうところでもこれを出します前に現場の自主性というものを活用するような方向で動かしていかなくてはいけないということを言っております。ですから、通達もありますし、会合もございましょうし、研修などの方法もあると思いますが、そうしたものは常にいままでのいわゆる管理ということのために用いられるというのではなく、むしろ本当に現場の自主性を生かしていくということのためにも用いられてしかるべきものであるという点で、先生の御指摘のとおりであると考えております。
  156. 小巻敏雄

    ○小巻敏雄君 それでは、主任問題について引き続く審議を期待をしてここで終わりたいと思うんです。最後に、私はスト問題について一つだけ質問した上で、委員長、関連して加藤委員から質問したいので、一、二分ぐらいの時間オーバーを認めていただきたいと思います。  スト権について自民党の有田理事の方からも話がありました。まあ違法ストをやるやつが文句を言うなとは言われなかったかな、そういうムードだったと思うんですけれどもね。先日から三木首相は日本も近代国の仲間入りをしたと、いまや世界大国と肩を並べてランブイエでりっぱな会合をしたと言われるんですけれども、あそこへ参加したような国の中でひとつストを禁止している国があったら教えていただきたいということと、とりわけ刑事罰を科しておるような国はあるのかないのか。英、米、仏、独、伊、日本、どういうぐあいになっておるのか。それから、教員のストライキについて刑事罰を科しておるような国がこの中には日本以外にはないと思いますが、ほかにあったらその国の名前でも一、二象徴的に挙げてみてもらいたい、韓国だけではないと思いますけれども。それだけをお伺いをしておきます。  私の方としては、スト万能論をとる者ではありませんけれども、近代国において教員にスト権を与えるというのはこれは常識であって、この領域では文部省の頑迷と、それから占領軍のスト禁止との結果、日本は前近代の沼の奥底深く沈み込んでおるのではないかということですね。こういう点では良識を発揮してもらいたい。今日のストという事態の中で、格別の厳罰をもって他の公務員以上に処分されてきたというのがまたいままでの経過でありますから、この問題についても大臣の所感をお尋ねをしておきます。
  157. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) ただいまの問題、初中局長から答弁さしていただきます。
  158. 諸沢正道

    政府委員(諸沢正道君) 公務員のストライキ行為の禁止につきまして、手元に資料がございませんので、現在知っておりますところで申し上げますならば、西独、それからアメリカの州のうちで全部ではございませんけれども、ストライキが禁止されておるように聞いております。ただ、それに対して刑事罰が科されるかどうかという点は詳細につまびらかにしておりません。
  159. 加藤進

    加藤進君 きょうは質問の最後になるようでございますから、まとめとは申し上げませんけれども、二点だけ大臣に確認をしておきたいと思います。  先ほど来の質問に対しまして、再三にわたって主任制度の法制化については期限を云々するよりも十分な手続をとるということが大事だと思うと、こういう答弁がございました。すでに御説明によりますと、今日までもう相当の手続きをとっておられるようなお話でございますけれども、私たちにとりましては、まだ十分に知らされておらない手続き上の問題でございますので、特に私が申し上げたいのは、さて、本日以降においてどのような手続をとり、その手続が完了した場合に、その法制化をいわば決断されるのかどうか、その点についてまずお答えを願いたいということでございます。  第二の問題は、内容も十分に知らないで反対されるのは残念だというお言葉がございました。私も反対の立場ではございますけれども、内容について、ではどれだけ知らされたかというと、先ほどもお話になりましたように、きょうのこの会議において初めて、委員会において初めてその文部省責任の資料が出されたという段階でございまして、知ろうにも知りようがない、こういうのが現状だったと思います。したがって、反対する者はもっと内容をよく知れと言われるほどなら、もっともっとこれから文部省の御見解について十分にわれわれ自身も知らなくてはならぬ、こういう気持ちをはっきり持ったわけでございます。したがいまして、私たちは国会といたしましても、この問題をさらに十分研究し、議論をし、そしてできるならば合意に達していくべきものであるというふうに考えますけれども、恐らく文部大臣もそのように言われる以上は、この委員会においても、今日において終わらないで、引き続き十分に御審議を国会において賜りたいという念願が秘められておると私は感ずるわけでございますけれども、その点について文部大臣は、今国会さらに引き続いて審議をもっと深めていただきたいという要望であるかどうか、その点をお聞きいたしまして、関連を終わりたいと思います。
  160. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) まことに加藤先生御指摘のように、国会委員会におきましては、内容にわたりますこうした御討議をいただくのは本日が初めてでございます。新聞等につきましては、もちろん記者方々に御説明申し上げましたし、それから論説関係方々の会合も持ちまして、論説はほぼ出そろっているという段階でございますが、国会の方がおくれたわけです。そこで今後の運びといたしましては、特に国会につきましては、私はまだ日もございますし、先生方の方で御決定いただきますならば御決定に従って参上いたしまして、なお引き続き御説明を申し上げる考えでおります。
  161. 加藤進

    加藤進君 ちょっと質問の第一問について、まだ明確なお答えを頂けないわけでございますけれども、手続が重要であると言われる、その手続の具体的な内容は今後どのようなものであるか、その手続が完了しない以上は、省令化をするということをなお考えていないというふうに理解していいかどうか、その点の手続の完了は一体どういうふうに考えておられるのか、どこまでの手続をとり行ったときに手続は終わりましたというふうに判断されるのかどうか、その点をお聞きしておるわけであります。
  162. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 手続の内容の限定というのは非常にむずかしいのと、それからもう一つ、私自身がどの段階においてすべての方々意見を聞いたというふうに判断するか、それは先ほど申し上げましたように、たとえば世論調査をするというようなことを別に考えてはおりません。そこでおのずから主要な場があると思いますが、それは一つは国会の場でございます。これは疑いないことでございます。  第二は、ある程度作業が進んできておりますが、教育関係方々、これは非常に大事だと思います。それと関係して、先ほど粕谷先生の父母の意見を聞けというお言葉がございましたが、そうしたものも大事、これも一般に教育関係。それからもう一つは、やはり新聞・テレビなどの言論の場、その三つの場というものが私は大事ではないかそこを進めていくことが手続というものの具体的な側面として考えていくわけでございます。
  163. 加藤進

    加藤進君 そうしまして、国会の論議等々をも考慮して、そして最後に省令化を考慮されるというわけでございますが、それは時期的に言えば年内などというようなことにとらわれるものではない、こういうふうな御見解考えてよろしゅうございましょうか。
  164. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) これはでき得るならば速やかにというふうに考えております。しかしながら、私がそのことを決めることは国会について僣越でございまするので、したがいまして、そのことを私は申し上げるということがあってはならぬ、かように考えております。
  165. 内藤誉三郎

    委員長内藤誉三郎君) 一つだけ私から大臣にお尋ねしたいと思います。  本日の文教委員会において文部大臣から、第三次給与改善の方向として三つのことのお話がございました。  全教員に対して待遇改善を行うことが一つ、それから教育経験の豊かな優れた教諭を一等級にすること、体育等の部活動の教員に対しても、教員特殊業務手当の支給範囲を拡大することの三項目のほかに、主任手当の問題が提起され七つの原則が明らかにされたのであります。この主任問題についての文部大臣見解について、本日、熱心な質疑が行われたわけでありますが、文部大臣はこの見解をめぐって、具体的でかつ冷静な討議を経て今後の主任あり方を明確に定め、最もふさわしい校内組織をつくり上げたいという柔軟なお考えであり、また、文教委員会でも今後この問題について引き続き討議することになっております。本日、槇枝委員長の御出席を得て、この問題について日教組の見解をお尋ねしたいと考えていましたが、都合で御出席がいただけなかったことは大変遺憾でありますが、本日、文部大臣と槇枝委員長との会談が報道されておりますので、この際、今後話し合いの機会を閉ざすような問答無用式の明日のストは何としても食いとめていただきたいと、私は心から念願し、文部大臣にお願いしたいと思っておるのでございますが、これについての文部大臣の基本的なお考えと、そして御決意を最後に承りたいと思っております。
  166. 永井道雄

    国務大臣永井道雄君) 私はきょうのこの委員会におきまして、まず、諸先生方がいろいろとこの問題について、私が用意いたしましたものについて御審議をいただいたことに深く感謝の意を表したいと思います。そして委員長ただいま御指摘のように、今後もこの委員会において御審議の方針をお決めの場合に、私は喜んで参加させていただきたいと考えております。  なお、ストライキの問題でございますが、こうした道が、つまり、いまこの場におけるような討議ということもございますので、私は明日のストライキというものは絶対に中止になりまして、そしてこの問題につきましてこうした場において討議を進めていくという形でわが国における教育というものを、この場合においては校内組織でございますが、静かに具体的に論じていくというふうになることを心から願うものでございます。そうした意味におきましても、諸先生方の今日の御審議に深く感謝し、その意を体して明日、私は文教行政をあずかっているものでございますから、槇枝委員長とお話をいたしまして、ぜひともストライキを中止していただくように、先生方のこうした御意思というものも体して努力をいたす考えでおります。  以上が私の決意といたしますところでございます。
  167. 内藤誉三郎

    委員長内藤誉三郎君) 本件に対する質疑は、本日はこの程度にとどめます。  本日は、これにて散会いたします。    午後五時四十三分散会      —————・—————