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国務大臣(
佐々木義武君) ただいま御
指摘になられました諸点は、そのものずばり、全部にわたりまして反省材料になっているわけでございまして、したがって、先ほど御
指摘ございました有沢
委員会は、そういう実態を踏まえましてただいま
行政改革の案をつくっているわけでございます。ただ、そういう際でございまして、私
どもは批判される
立場でございますから、自分の所見をこの際述べるのは大変僣越でもあり、また時宜にそぐわないものかと存じますけれ
ども、しかし、せっかくの御質問でもございますし、相当激しい批判でもございますので、私自体から自分の所見をお述べしたいと思います。決してこれが有沢
委員会の意見でも何でもないということをおくみ取りの上お聞き取り願いたいのですが、第一点は
開発推進の性急問題でございます。余りに
開発に急になり過ぎたんではないか。この点は
一つは当たっております。
一つは当たってないと思います。と申しますのは、二十年前私は初代の
原子力局長をやっておりまして、当時の様子をよく知っておりますが、当時から、日本の明治以来のこの種の産業の態度は、ややもすると外国から無批判に輸入して、そうして育てていったじゃないか、今度は新しい技術で非常に人類史的な大きい
意味を持っている問題だから、この過去の苦い経験を踏んまえて、ひとつ今度こそは基礎からしっかり築いていこうじゃないかというので、当時、湯川あるいは藤岡というふうな、日本では、あるいは世界的な原子物理の大家の人が
委員になっておりましたから、特にそういう主張が激しかった。ですから、御
承知と思いますけれ
ども、初期の
段階では基礎
研究の面に非常に力を入れたことは御
承知のとおりかと存じます。
しかし、その後軽水炉が出てまいりまして、これが実用になるのだと、ペイするのだといったようなことから、従来の古い、何と申しますか、日本の慣習と申しますか、そういう面がまたやはり出てまいりまして、そして軽水炉の
安全性に対する基礎的な
研究を十分しないで日本に輸入したというこの事実は私は否めないのじゃないかと思います。ただ、現在はほうっておりますかと言いますと、そうでなしに、軽水炉の安全という解釈もいろいろございますけれ
ども、しかし、これに関しましては
原子力研究所あるいは電力会社あるいはメーカー、
官庁名で言いますと、通産はもちろんのこと、
原子力委員会も、わが科学技術庁、全部総力を挙げてこの三年くらい前からこの問題に実は真剣に取っ組んでおります。私は、いまもう重大事故というものは起こり得ないということは明瞭でございますけれ
ども、しかし、そうじゃなくて小さい故障みたいなものは起きているわけですから、そういうものすらあってはやはり
国民の信頼をつなぐゆえんではございませんので、そういうふうなものも根絶しようというので、ただいま、いま申しましたような総力を挙げまして検討中でございます。大変遅まきじゃないかというおしかりをこうむるのは、これは甘んじて受けなければいかぬと思いますけれ
ども、しかし、そういう点はないように一生懸命ただいま検討中だということを御
理解いただきたいと思います。
それから、基礎
研究と応用の問題は、ただいまお話ししたので大体ダブっておると思いますので、そのことは回答は省きたいと思います。
それから三番目の、
開発と
規制を分離しろ、
開発をしておる機関が
規制もあわせてやるということはけしからぬじゃないか、ややもすれば
開発に急の余り
安全規制の方を犠牲にするんじゃないかと、こういう議論がございまして、御
承知のように、アメリカはことしから
規制委員会一本に変えまして
原子力委員会というものは廃止した。日本も同じような
状況にございますので、海外の
状況とも合わせまして、この際、苦い経験を反省しながら
開発と
規制を分断したらどうだろうと、この意見は確かに傾聴に値する問題でございまして、現実の面から言いますとそうした方が理論としてはすっきりすると思います。ただ、そこに
一つ問題がございますのは、
原子炉、
原子力の
開発というのは何ぞやと言いますと、いろいろな、熱効率のエフィシェンシーを上げるという問題がございます、取り出すための。ございますけれ
ども、
原子炉の一番の特性というのは、いかに安全であるかというそれを
確保するのが
原子炉の実態でございまして、したがって、小さい故障が大きい事故につながらぬようにあらゆる近代操作を独立的に、しかも、それもまた一切そういう大きい事故につながらぬようにというのでやっているのが実は
原子炉でございまして、したがって、
開発ということ自体が実は
規制につながる問題でございまして、
研究開発を抜きにしてただ
規制しろと、検査、監査を厳重にするというだけでは問題が片づかないのでありまして、問題はむしろ、検査、監査の問題もありますけれ
ども、その根底にあるハードウエアとしての
原子炉自体をいかに安全につくるかという、そのことが根本でございまして、したがって、
開発と
規制というものを切り離して考えるのは大変当を得ない問題じゃなかろうかと。アメリカでも
現状はああいうふうに分断してみましたけれ
ども、やはりその問題がひっかかってきて、大変実はその後苦しんでいるようにも聞いております。したがって、単純に
開発と
規制は一緒に混在さしてはいかぬというその議論は、そのまま
原子力に当てはまるかといいますと、これはなかなか議論のあるところだと思います。したがって、いまこういう点をせっかく踏まえて有沢機関で検討していると思いますし、単に
行政機構の継ぎはぎといいますか、の問題でなくて、そこにそういう大きい問題がございますから、そういう点を踏んまえまして私はいろいろ検討してみなきゃならぬかと思います。
それから三原則でございまして、これは「自主」の問題は、冒頭の
説明に申し上げましたように、あくまでもわが国では自分の力で
開発したいというのが当初から念願でありまして、したがって、ただいまファーストブリーダーとかあるいは核融合とかあるいはATRとかいったような、新しい進歩した技術の面のものは自分で
開発をし、したがって基礎
研究からあるいは原型炉、応用炉まで、ずっと一貫して自分の力でいまやっているわけでございまして、そういう点では私は決して自主の精神にいまの日本の
原子力開発というものは反していないというふうに実は考えております。ただ、たまたま、いまの軽水炉の問題では、経過的に必ずしもそう言われぬような
一つの
段階があったということは、これは否めない事実であろうと思います。
基本的な方針あるいは方向は、自主
開発という線を決してゆがめていないと私は考えております。
それから「民主」の問題でございますけれ
ども、民主は、私
どものあの
基本法をつくるときの解釈では、むしろ従来の
官庁的な行き方でなくて、広く学界あるいは民間等の知識経験も加味して、そして
開発行政を進め得た、あるいは
規制行政を進め得たというところに民主の意義があって、したがって、
原子力委員会の生まれた根本はこの原則から私はきていると思います。したがって、
原子力委員会が
基本法の精神を受けてできたものでありまして、御
承知のように、これはもうほとんど全員と言ってもいいほど、いま申しましたように民間の皆さんが、日本でこれぞと思う大家の人がお集まりになって、そして役所の方ではまだ経験者がおらなかったわけですから、それを
指導して今日の
段階まできたというふうに見られますので、その
原子力委員会の
現状が強いか弱いかといったような問題は別にいたしまして、精神は私は崩していないというふうに実は考えております。
それから、
最後のこの「公開」でございますけれ
ども、公開は、御
承知のように大変これが一番実はここで言っている本題でございまして、ですから、この問題に関しては、
研究成果の公開であって、
研究の課程のものまで公開するというのはこれまたおかしな話で、それから、あるいは商業機密まで侵してこれを公開するということになりますと、これは特許法その他、何のことだかわかりませんから、こういう点はやはりこの範囲からは逸脱しますよと、こういうふうにしております。主として、この公開の原則がどうしてできたかという根本は、軍事転用を公開という面で監視しようじゃないかという、いわば平和担保の
一つの原則でなかろうかと私は
解決しております。したがってこの面も、決していままでの
原子力行政はそれを逸脱しておったということは言えないんじゃなかろうかと思っております。
それから
最後の、
原子力委員会をなぜ
行政委員会にしなかったのかと、これはごもっともな議論で、いまでもこの議論が繰り返してあるわけでございます。これはアメリカのような
原子力委員会にすれば一番よろしゅうございます。しかし、当時私の記憶では、私は第一回の海外
原子力調査団に加わりまして、主としてこういう
行政機構あるいは財政等どういうかっこうで運用しているか調べてきたものでございますから、いま記憶をたどってみますと、日本ではまず一番この
原子力委員会を
行政委員会にするときに困難なのは、この民主という原則を生かそうとすれば、日本の一番の学界なり財界の大家を呼んでこなければいかぬ。たとえば石川一郎さんなんて初期の
委員ですけれ
ども、経団連の会長だったわけですから日本の一番のファーストですね、
事業・家としては。そういう人を呼んできたわけですから。ところが、当時の給与規程というものは全然これは官吏は安くて、いまは皆さんのおかげで大変よくなりましたけれ
ども、その該当する給与などをやったって来ないんですよ、これは。それからまた、専門に
行政委員会となりますと、やっぱり専属の
委員が多くならなくてはいかぬという
立場にございまして、そうしますと、いい人であればあるほどそれに専門にかかるというわけにはいかぬという、そういう点もございましてなかなか実は難渋いたしました。しからば、単なる総理の諮問機関でよろしいかというと、それもおかしいということで、いろいろあんばいいたしまして、あの規定にありますように、実は性格は形式的にはあくまでも諮問機関であるけれ
ども、実質的には
行政機関的な性格を持ち得るように、言うなれば権力よりは権威をうんと持たすべきだというふうにして、権威を持ってこの機関が言うのであれば、たとえ諮問機関であっても実質的には
政府の各
行政機関を納得させ得るんじゃないかというふうな実は仕組みにしてあるつもりでございます。
それから、
委員長が
長官を兼ねるというのはおかしいじゃないかと。これも非常に議論のあるところで、いま有沢機関で議論していると思います。ただ、私の解釈では、御
承知のように憲法は内閣
責任制をとっておりますから、内閣にあらざる人が決議をし決めて、内閣各
行政府を拘束するということは、これはまことに二重
行政になりますので、いろいろ過去に苦い経験を踏んだことがございます。したがって、その弊を避けるとすれば、あるいはまた
原子力委員会の決議して決めたことを各省に
行政的に拘束力を持たそうとすれば——持たさなければまた
意味がないわけでございますから、持たそうとすれば、やはり閣僚の一員である大臣がその長になって、そして閣議でそれを決めまして各省の
行政機構を拘束するというのがいまの憲法上のたてまえからいってよろしいんじゃないかということで、実は
委員長を
長官にしたという経過があるように記憶してございます。
スタッフの
充実の件でございますけれ
ども、これは御
承知のように、後で御
審議いただくかと思いますが、今度の安全局をつくった場合にはそういう点も加味して、
内容を強化、
充実するというのも、
責任の明確化と同時にわれわれに課された問題でございますから、その点も兼ねまして過去を反省しつつ
内容を
充実したいというつもりでございます。