○福間知之君 毒性が非常に高いのじゃないかということが最近言われているのです。で、その毒ガスの一つであるホスゲンとかいうふうな
物質が含まれている、あるいは、もちろん言うまでもなくビル火災なんかでよく言われている一酸化炭素が含有されているということが言われておるわけなんです。最近かなり大量に生産され、出回っておりますだけに、これは
建設省の方はきょうはおいでではございませんが、
環境庁、
厚生省とも
どもにひとつ十分監視をしていただきたい。事故が
発生した場合にそこまでなかなか追及はしにくいわけでございますので、事前にひとつ——私、毒ガスの原料が含まれているということを物の本で読みまして実はびっくりしておるのです。これは必要であれば、この問題は今後また当
委員会においても関心事であろうと思いますので、取り上げていってもいいと思います。建築資材として塩ビを使ってはいかぬということではなくて、そういうふうな有毒
物質が含まれており、あるいはまた、火災だとかあるいは老朽化が進むにつれて、そういう悪害
物質が露呈してきたら、露出してきたら困る、こういう意味合いで私言っているのでありまして、どんな
商品でも、つくる
企業、メーカーというのは、もちろんライブテストをやったり、いろいろ検査はしますけれ
ども、それならば、このようないままで問題になっておる
公害はなかなか起こるはずがないのでありまして、起こるところに問題が実はひそんでいるわけです。建築資材な
ども、塩ビ容器と同じように、私は私たちの生活に欠かせない日常的な
製品だけに大いに関心をひとつ高めていただきたい、こういうことを御要望しておきたいと思うわけであります。
それから、先ほど
公害問題につきまして
森下委員からも御
意見がございましたけれ
ども、私は、
環境庁が設置された意味からしましても、
公害を防止するという、そういう、これはたてまえも本音もありません。あるいはたてまえであり本音でなかったりしてはいけないと思うのです。そういう意味では
公害というものは、あるいは環境破壊というものは未然に防止する、それは塩ビ
製品であろうが、あるいはまた六価クロムの問題であろうが、何であろうが、
公害なり環境破壊は未然防止ということが本当に大事だと、そういうふうに思います。そのために、私は御要望を最後に申し上げたいと思うのです。私は、四つの
考え方なり原則というようなものがあるのじゃないかと考えます。
一つは、
被害というものの実態を徹低的に、そして総合的に把握をしていくという必要があるのじゃないか、こういうふうに思うのです。そのことは、当然、なぜ
公害が起こったのかという、その問題についての因果
関係というふうなものを明確にする必要があると思うのです。そういうところに
経済性という
観念が入ったり、合理性という
観念が必要以上に入ったりしてはいけないと思うのです。因果
関係を徹底的に明確化する、これがやはり
公害というものに対する科学の前進をもたらすだろう、こういうふうに考えるわけでございます。そのためには、国民の肉体的なあるいは精神的な健康状態、あるいは動植物の生態というふうなものを十分に調べなきゃならない。さらにはまた、往々にしてこれは見過ごされるのでありますが、二千数百年という古い私たち伝統を持つ
日本の
社会においては、貴重な文化財も
存在をしているわけです。そういう文化財の状況等につきましても、全的な
調査というものをやることから出発すべきだ、要するに
被害の実態を総合的に徹底して調べる、こういうことが非常に私は
公害問題に対処する上での
基本的な姿勢として大事だろう。
現実に、
公害の実態はまだ私よく
調査されていないと思うのです。塩ビ問題だけじゃありません、いろんな問題が私は十分な
調査が行われていないと思うんです。そのためには、もちろん
調査の体制、また、その財政的な
措置とか、いろんな問題があると思いますけれ
ども、
環境庁、特にこの点については来年度の予算編成も間近でございますので、ひとつ勇気を持って
被害の実態を一応調べる、そこから
公害対策は出発する、こういうように私は考えておるわけです。
それから二番目には、例の
被害者に対する救済の
措置を徹底して行うということ、それは私は単に補償金を出せば済むというふうな考えは安易だと思うんであります。そうじゃなくて、やはり
被害の救済という
考え方は、原則は、たてまえは、原状を回復するということだと思うんです。なかなか
被害を受けた肉体的な健康というものは回復が困難であると、こういうことが間々あります。しかし、それがゆえに先ほど来、私、御
質問申し上げたように、
被害が非常に微弱なときに徹底した検査をやり、あるいはまた、症状が軽微なときにひとつ回復に向って治療を施していく、こういうことが私は絶対必要だろう、こういうふうに思うわけであります。肉体問題、健康問題だけじゃなくて、たとえばヘドロで海水が汚染されたとするならば、このヘドロを除去して、そうしてもとの美しい海に戻すという、それが私は
被害の救済だと思うのです。単にそれは一部の地域住民に対する救済にとどまらず、私たち愛する国土全体をみんなで守っていくという意味において、
社会的な私は救済ということに連なると、このように考えるわけでありまして、金銭の補償というのは救済のごく一部でしかないのだ、こういうことを十分ひとつ含んでいただかなければならないかと、こういうふうに思うわけであります。もちろん、すべてその救済は国が行えというふうに私は言ってるんじゃありません。これはPPPの原則がございまするので、
原因者が原則として負担する、こういうことがもちろん必要でございましょう。それに対して国が一定の協力をしていく、こういうふうにあるべきだと考えるわけであります。
それから三つ目、したがって、私は
公害に対する規制というものはその次にどうしても必要になってくると思います。
公害の規制は、言うまでもなく、これまた未然に
発生源において防止をする、こういうことが第一義ではないかと考えるわけであります。
現実的には、技術上の問題、あるいはまた
経済的な問題等に限界がございますので、一〇〇%、一二〇%といっても、なかなかむずかしい面があるんですけれ
ども、それだけに
行政的な
措置、規制のための基準というものは厳格性を持たなければならぬ、こういうことではないかと考えるわけであります。厳密な、ひとつ厳格な環境の基準だとか、あるいはまた
公害を出した
企業に対しては厳しいひとつ罰則を科していくというようなことが必要ではないか、そういうふうに思います。
また、特に大気の汚染等につきまして、汚染源が、この排出の濃度を規制するというふうな
措置がいままでとられてきているようであります。しかし、排出の濃度よりも、やはり総排出量の規制ということの方が有効ではないのか、こういうふうに私のいままで多少かかわってきた経験から感ずるわけであります。また、たとえば非常に害毒を含んだところのばい煙をこう拡散するというふうな場合に、かつて、御承知のとおりに高い煙突を使って拡散をしておるというふうな方式がベターだと言われてとられてきたんですけれ
ども、それはいまやもう噴飯物になってきましたですね。あるいはまた、水が汚染される場合でも、そういう害毒を含んだ溶液を薄めて海水に流していく、こういうふうな希釈方式というものがとられてきたようですけれ
ども、これもやっぱり最近の水俣病等の事例からいっても、あまり効果的ではない、やはり排出する量的な面からの絶対規制というようなことがどうしても必要になってくるのじゃないか、
水質の汚濁に対しても、大気の汚染に対しても、効果を上げるために、排出量の規制ということを厳しくやっていただく方がいいんじゃないかと、こういうふうに考えるわけであります。
最後に私、四つ目に、
公害に対してはいままで申し上げてきた予防
措置というものを強めていくことが絶対に必要だろうと思います。
公害というのは、御
案内のとおりに、言うならば絶対的損失といいますか、個人的にも、
社会的にも、
経済的にも絶対的な損失を含んでおるわけでございます。
発生さしておるわけでございます。したがって
公害が出てからでは遅過ぎる。たとえば私たちが——お互い生身の体です。たばこを吸って仮に肺がんの危険がある、あるいは最悪肺がんになったとなったら、治る程度のものであればいいですけれ
ども、治らない場合だってある。治ったってそれでもともとだということであります。
公害というものは私はそういうものだろうと思うのです。それを出してしまって、それに対する補償だとか、あるいはまたその予防
措置に対する
経済的な
社会的な損失を考えますと、やはり未然に防ぐというために
努力する方が得であるということであります。したがって、
公害というものの予防が何としても
公害対策の決め手だろう。
環境庁はそのために大いにひとつ活躍を願わなければならぬのじゃないか、私はそういうふうに思います。一般論でございますけれ
ども、そのためには、特にこれからは
経済の大きな転換期でもございます。しかし私は、
経済も、その量的な、質的な
発展と改善ということはやっていかなければならぬと思うのです。
森下委員じゃないですけれ
ども、私もそれは原則としてはそう思うのです。その場合にやはり
経済開発をする上でのアセスメントと
公害予防というものをどう結びつけていくのか。いままで
日本の
経済政策なり
社会開発政策なりというようなものの中にはそういう発想は私はないと思うのであります。
経済開発のアセスメントに
公害予防というものをひとつ織り込んでいくという思想、そういうものをぜひ採用を願いたいのであります。さらにまた、最近では、結果として
公害が
発生したら、必ずその
関係地域におきまして、あるいはまたその他の場面で住民がこれに対して参加をしてまいりました。したがって、住民参加という方式も事前に
経済開発の中で取り入れていって、その上での評価を下していく、こういうことがやっぱり必要ではないかと、私はそういうふうに考えるわけであります。このことは、
言葉をかえれば、国民
経済全体として見た場合にやはり
産業構造をどうしていくのか、あるいはまた自動車等の問題につながる交通構造というものをどうしていくのか、交通体系をどうするのか、そういうふうなことにもなってまいると思います。あるいは一般国民の立場で言えば、したがって、それらの構造改善の影響によって生活の様式をもある程度将来的には転換を図っていく、こういうことがどうしても付随してこようと思います。したがって私は、
公害の予防とかあるいは環境の保全というふうな問題は、何といっても
産業上、
経済上、あるいはまた地域的な構造の改革というようなものを伴わねば、本来的にはなかなか首尾一貫しないのではないだろうか、そういうふうに考えるわけであります。
また、先ほど来問題にしてまいりましたような私たちの日常生活物資、
物質、まあ自動車もこれも含まれます。塩ビ
製品の多くのものも含まれるわけでありますけれ
ども、そういう
公害の危険をはらんでいる
製品については、生産者の側もあるいは
消費者の側も、あるいはそれをつくる場合、そして売る場合、また使用する場合にコストはどうしても安くはならないのだよ、コストは高くつくのだよ、こういう
考え方、これはやはり価格政策の中にも、税制の政策の中にも、財政政策の中にも私は採用していい時代ではないだろうか、こういうように考えるわけであります。
自動車の問題、ここで余りよく申し上げる余裕もございませんけれ
ども、皆さん御承知のとおり、過ぎたるは及ばざるがごとしで、自動車の量的な増大に正比例して交通の渋滞なり、あるいは排気ガスの増大なり、交通事故の犠牲者の増大なりというものが続出してきたわけでありまして、これに対して最近では来年度の予算で自動車諸税の引き上げという問題が出ておりまするけれ
ども、これは十分に私は検討に値する課題だと個人的には思っておるわけであります。
申し上げたいのは、これからの近代的な
製品というものは、多かれ少なかれ、進んだ高度な科学技術を盛り込んだプロセスを通じて出てくるわけでありまして、
公害が結果として
発生をする危険を含んでいるということを念頭に置かなければなりません。したがって、そういう
製品をつくって売る、あるいは使うという場合にコストが高くなるということであれば、私は結果として今日国民的課題である
資源の浪費を防ぐということにも行く行くはつながっていくのじゃないか。たとえば電力にしても、水にしても、ガスにしてもそうなんです。これを大口に使う
企業については、いままでは単位費用、単価は割り安になっておったわけですけれ
ども、この考えを少し改めていかなければならない、そういうふうな時代が来ていると私は実は思っておるわけです。
そういうふうにいろいろ考えてみますと、
公害を予防する上では、単に生産過程の規制を強めるというのみじゃなくって、もっと
社会的
経済的広範囲な転換というものを、政策の転換というものを伴わねば本当の予防というものには役立たないのじゃないか、そういうふうに考えておりまして、今後私
自身も当
委員会を通じて大いにひとつ問題の追及なり改善に微力を尽くしたいと思う次第であります。
環境庁長官、何か御
意見があったらひとつ。