○戸
叶武君
大臣が問題にしている
価格政策というものが
農業政策の中にも非常に重視されなければならないのに、これが
農業基本法をつくったときにおいても、西
ドイツでつくった
農業基本法の良心的なものと比較すると、
一大欠陥を内在させたのは、
主要農畜産物の
価格の安定を期しての
価格政策というものが抜かれていたのです。いまの
インチキ建築業者の
やり方と同じく手抜きをしてしまったのです。
農政においてやはり
政府の
財政支出を少なくさせるために米にだけしぼって
価格政策を行ったところに、米をつくらなければ金が入らない、麦をつくっていたのではとても
割りに合わない、麦をつくるのをやめろといわなくても、戦後において一応もっともらしく
農業基本法をつくったときに、
経済全体における総合的な観察のできない
農林官僚を
中心として、
政府の圧力によるものでありましょうが、
日本の
農政はつぶれてしまったのです。かたわになってしまったのです。そのとおり今日かたわの
状態のもとに
農村は荒廃している。
百姓やっていたんでは食っていけない、出かせぎ以外にない。結局炭鉱に行くなり、
地下鉄工事に来るなり、出かせぎ、いまのトルコの民衆が六十万ECの国々に流れ込んでいるように、東北の
農民のほとんどは
農外収入を求めて家庭を離れてそこへ流れ込んでいかなければならない、こういう悲劇ができてきているんです。だから
日本の体質の中にはアンシャンレジームがいまだに崩れず、
山林財閥は遺存し、
土地成金は続出するというような
病的構造になっておるから、何だか保守党を支持していれば金持ちになったような錯覚を持って、そうして
社会主義的な、
社会主義の中にもずいぶんあわて者があるから、それで不信用な
状態で
政権に近づくことができないのですが、このところで私は本当に
農業問題をして
農民が目覚めてくると思うんです。
あなたは特に金融の問題には詳しいですけれども、
フランスの
基盤の強いのは
官僚が堕落してない点と、もう
一つは、やはり
中産階級がプチブルジョアなどというんじゃなくして、手にすきを持って働く
自営農民というものの
基盤がやはりがっちりとあることです。それから金の
むだ遣いをしていないことです。パリのようなところは特殊なところとして、
農村においては堅実な
一つの
基盤がつくられているのです。
日本ではそれがなくなっていますよ。われわれは
中産階級擁護論じゃない。問題は
土地を愛し、
生産に対して、
労働に対して汗を流して報酬を求めるというだけの勤勉な気風というものが、浮薄なこの
高度経済成長政策の中において、ばくちと麻薬と
土地ブローカーと、そういうものが横行するような
昭和元禄——徳川時代の
元禄時代でも、最も悪性なメタンガスの発生する
基盤をつくってしまった。私は、ここで
食糧問題を
中心として本当に真剣に今度は
考え方を直さないと、
日本には実際
資源がないと言っているが、昔から
豊葦原の瑞穂の国といわれて、
天候がいいし、台風が雨を持ってくるし、米をつくり、あるいはその他の作物をつくってもその
基盤はあったのです。ところが人間が荒廃させられちゃったのです。
基盤がぶち壊されているのです。いまになってから今度はわけのわからないことをやり出しているけれども、御
承知のように、
農業基本法ができたときの
ドイツの
食糧農林大臣は
リビックでしたが、
リビックに対してアデナウワーが言っているのは、
高度経済成長によって
成長率は高くなるし
所得は多くなる
重化学工業部門と違って、第一次産業に従事している
農民というものは、
農業は
成長力も低いし
所得も低い、このアンバランスを是正しないと
国民経済というものが荒廃してしまう。あの
哲学のないエアハルトは調子に乗って、
ドイツ経済の奇跡などと言っておだてられているが、あんな
やり方は今後の
ドイツ、将来の
ドイツに対して不幸をもたらす結果の危険があるというので、あの
農業基本法は
政府の
責任において足腰の弱い
農業を助けるためにつくり上げた基本的な
政策です。
〔
理事増原恵吉君
退席、
委員長着席〕
そのまねをしているけれども、
哲学のない
日本の
官僚のつくりあげた
農業政策は、大地から遊離し、
農民の心を傷つけ、そうして今日のような
退廃を導いてきたのであって、こういう罪は、一池田さん、
田中さん、
下村治君だけの罪じゃなくて、この
日本の
政治、
日本の優秀な
官僚の中に、やはり
百姓とともに苦しみ、悩み、その苦悩の中から
哲学を生むというものを持っていないところがこのような
政治の崩壊を導いたのだと私は思うのです。
われわれは、
農業政策において
二宮尊徳の
勤倹貯蓄だけを教えこまれたけれども、
フランスでも御
承知のように
近代資本主義の発展する前における
政治の場において、国の
基盤を高めるために重
農主義が、国の
政策としては、
経済政策のセオリーとしては、マーカンチリズム以上に私は大きな
役割りをしたと思うのです。そういうものの芽が
ヨーロッパ社会にはある。だからこそこの
基盤というものにゆるぎがないし、
官僚の秀才が投機的に
政治の
世界なんかにのこのこ出てこない。そうして国のために最も良心的な
一つの貢献をしている。
日本でいま一番堕落しているのは、
自民党は官公労の
労働組合の幹部を攻撃しているけれども、
日本を本当に痛めつけているのは
大蔵官僚並びに
通産官僚です。この権力と金とが癒着した堕落というものが、柳澤や
田沼意次の悪政以上に今日のこの
退廃を生んでいるので、これから誘発するのは何かということを、この二、三年の間に思い知るときが必ず私は来ると思う。それは本当に
血盟団や五・一五や二・二六よりももっと物すごい形において人民の力によって
政治を奪還しなければならぬという非常に根強い
運動の根源になると思うのです。この
抵抗運動をいまますます助長させているのが、今日における人権の当然の基本的な
ストライキ権の確保ですらも、あれを与えたら何やるかわからないという、気違いに刃物のようなつもりで抑えつけようとする、この非近代的な
政治のあり方、
労働者を敵とし、
農民を滅ぼし、あとへ何が残るのか。こういう点において、これは漫然として、われわれはこの問題をいますぐにどうこうと言うんじゃないけれども、このマンネリズムから脱却するために、平地に乱を起こすわけじゃないが、もう少しわれわれが
農業政策に対して挑戦しないと
——昔の
小作人組合を
基盤としての闘争と違う。
生産に従事する全
農民がこの
生産の場から浮かされてしまった。
農村では
農協官僚がばっこしている。役所と
農協と、しかも行政と、
中央政権と
独占資本と結びついた働かない層の収奪が
日本を混迷に陥れている。私はこの問題に対して、本当に単なるその場限りの仕事でなくて、
農業問題をもっと深く考えてもらいたい。
ヨーロッパにおいて、
イギリスのウィルソンが、あれほど
食糧自給力がなかった
イギリスが
日本よりも
食糧自給力がはるかについているじゃありませんか。なぜそれをやったか。
日本よりひどく
ゴルフ場ができちゃったのです。あの
アメリカ横断鉄道ができたときに
アメリカから
穀物が安く入ってきた。四割ぐらいでもって入る。
小麦をつくったのじゃどうしようもない。フランダースの一帯と、あのオランダなりデンマークなり
イギリスにおいて、
百姓なんかやっているのはばかじゃなきゃやっていけないという
時代があって、結局は
農村におけるまじめな
農民は、
日本のこの二十年間のあり方と同じように都市へ都市へと流れ出してきてしまった。
農村で働くやつがいなくなった。そこに囲いができた。
イギリスでマルキシズムがなかなか入らなかったのは、
土地社会主義が根を張ったというのは、あの産業革命の外から見ると繁栄期と言われているときに、中は空洞化されてきたのだ。愛着すべき
土地から、アイルランドの小作人だけじゃなく、農奴的な小作人だけじゃなく、
イギリスにおいても
農村が荒廃していってしまって
ゴルフ場なんかできたのだ。
日本がいまあれよりひどい。
私が四十四年ほど前に
イギリスに行ったときに、あの文学者の正宗白鳥という半分ニヒリスチックな皮肉な文明評論家でしたが、彼が、なるほど
イギリスには
土地が広いからゴルフをやるようなところがいっぱいあるのだという皮相な見方をしましたが、そうじゃないんだ。あの
ゴルフ場へ行ってごらんなさい。昔はみんな
小麦をつくったところですよ。
小麦をつくったのじゃやっていけないので
ゴルフ場になった。
日本だってそうです。しかし、一度こういうことができたら、
イギリスでは大変な努力で、戦争中の苦悩から
食糧自給体制をつくらなければ危ないというので、いま
自給率を高めていったのじゃないですか。容易なことじゃないです。私は西
ドイツにおいても、
リビックの
食糧基本法の前にフォンゼクト、敗戦後における
ドイツの軍部の鬼才です。ヒトラーに倒されましたが、彼は、
ドイツが戦争に
軍事力で破れたのじゃない、共産主義のイデオロギーで破れたのでもない、国民の生活を安定すべき
食糧問題をおろそかにしたことが
ドイツの崩壊を招いたのだ。この見方が必ずしも当たってないかしれないが、彼は
ドイツ再建の基本問題として
食糧問題と真っ当に取り組んだのです。カウツキーの
農業問題よりも、イデオロギーは違うが、フォンゼクトの
ドイツ再建の基本問題はわれわれに教えるところは非常にあるのです。彼には彼なりに、軍部の鬼才であったが、ヒトラーのようなはったりもなかった、もっとまともに
ドイツの大地と取っ組んだんです。
日本の
官僚の中にも、私は大学の試験答案の秀才だけじゃなく、民族の苦悩を掘り下げて、その苦悩の中から解答を導くような良心的な者が私は出てくると思う。保守党の
政治家からも出てこなければならないと思うのです。
そういう
意味において私は、まあ
宮澤さんなんか最も良心的な
官僚出身ですが、ここいらでひとつ、もう
農林官僚に物言ったって手に負えない。
局長ぐらいになれば代議士に出ることか参議院へ出ることきりか考えていないのだから、こういう手合いを相手に私は物は余り言いたくない。本当に
日本のいま働く
労働者や
農民の苦悩というものを代表して、
国民経済の中で、働けばわれわれの生活の中にも将来があるという
ビジョン——ビジョンじゃない、本当の方向づけをやらなくちゃだめだ。そういう
意味において私はこの問題をかりて、かりてというか、これをたたき台としてあえて私は
——政治は具体的事実を
中心として問題を展開しないと、抽象論では聞いてくれないから、横道の
議論のように思われるかもしれないが、
田中正造が直訴したような気持ちで、真っすぐの気持ちで、私はあえていま
政権を握っている
政府に、もっと
食糧問題に対して、他産業との調整の問題、
成長力、
所得の問題、生活の安定の問題、そういうものをひっくるめて私はこの辺でやってもらわないと、外交は外交だ、
農政は
農政だ、通産、あるいは通貨、為替はこっちだ、みんなノミの頭、ノミのきんたまを研究するような
専門家ばかり多くなって、全体の人間の尊厳を
中心に物を考える
政治がなくなったことに対してどこからかやはり難癖をつけないと、本当の物を考える層がなくなってしまうんじゃないか。ぼくはやはり東畑博士とか小倉武一君なんかにも大きな期待を持ったんだが、やっぱり人間としてはスマートで知性人であるけれども、どろんこにならない人間は、しょせん民衆の憤りというものを胸の中に息吹のように通わせない人は問題に対する明快な解答をもたらすきっかけをつくってくれないと思うので、これはよけいなことのように思うかもしれないけど、どうぞパリに行くと、
フランスはハイカラのように見えるが、パリを一たび出たときに、リヨンに出たって違う、
農村地帯に出たときに、あの堅実な汚されていない
農村があるということを見て、古い城に入るのもいいし、あるいはパリのモードの中に酔うのもいいが、たまにはとにかく田舎を見て、
フランス人の
アメリカ人にも追従しない根性、通貨の問題でも、為替の問題でも、妥協はした、闘って調整はした。
日本のように何でも乗っかりましょうで、
アメリカ様々の上へ乗っかり専門だと、いつの間にか馬がはねてどこかへ吹っ飛ばされていく危険性もあるから、乗っかり専門の外交、あるいは
農業政策、
食糧政策、そういうものをよして、
日本は
世界に貢献するためにも何から始めなければならないか、この問題をひとつ、これは
宮澤さん
あたりが音頭を取る以外に、ほかの連中は次期
政権をめぐってがつがつ
——あなたはその次ぐらいだろうから、多少ゆとりのある人からそういう問題をやはり考えてもらわないと考えてくれる人がないから、あえてこういう問題を粗野な形でぶつけるんですから、ひとつあなたは受けとめてください。お答えを願います。