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政府委員(
後藤茂也君) この
条約で
無過失責任主義が採用され、したがいまして、お願い申し上げております
法案でもそういう
考え方に立っておるということにつきましてはいろいろの
理由がございます。
第一に、
タンカーが油濁
損害を出すというのは、従来の常識を越えた広範囲、かつ、したがって
金額的に大変な
損害でございます。で、従来の民法の
不法行為の法理というものによりまして、
過失なきところに
責任なしという法理をかたくなに守りまするならば、ものといたしましては、膨大に広範囲にあらわれます
被害者というものを
救済するのにこれは妥当でないという
考え方が
一つございます。
それから従来の
金額責任主義、五七年
条約についてるる御
説明申し上げましたこれらの海事法における
責任というものの法意は、これはいわば
船主あるいは
荷主といった大企業間、かつての大企業間の
相互の関係というものを主として念頭に置かれて立てられたものだというふうに理解されまするけれ
ども、この油濁
損害というものは全くその船の運航とは関係のない、いわば無関係の
第三者というものを大量に巻き込むものでございます。そういったような体系のもとで、あるいは大貿易商、大
船主といったようなものを歴史的に念頭に置きながらでき上がってきた
船主責任の
制限の
制度というものを直ちに適用するということが適当でないという
考え方もございます。
第二に、こういった
タンカーの油濁
事故という特殊な
損害というものに着目しまして、
船舶所有者に
無過失責任を採用するにつきましては、若干の類似の例というものを引用しながら御
説明することができるかと思います。たとえば、
原子力船についての
条約が同じようにその物自体が危険を包蔵しながら存在しておる、運航しておるというものでございます。航空機が墜落をして下の人に
損害を与えたと、この航空機の場合もこれがやはり落っこちるという危険を包蔵して、そして運航されるものでございます。こういった
タンカーの場合にも、これと直ちに同じと論ぜられるかどうか、いろいろと議論があると思いまするけれ
ども、一たん
事故があれば、油を流出して
汚染事故を起こすという物理的な危険性というものをもともと包蔵して、そしてやっておるものでございます。危険
責任主義とでも申しますか、そういった場合に、具体的な
過失というものを論ぜずして、この人に対して
責任を負ってもらうという
考え方がございます。また、この
タンカーもそうでございます。あるいは
原子力船、航空機の場合も同じでございますが、これらの危険を包蔵しながら運航されておるものは、それによって企業としての
通常の場合利益を得ているわけでございます。その利益を得た
人たちというものに対して、
過失の有無ということを論ぜずして、
支払いをしてもらうという
考え方もございます。報償
責任主義とでも申しましょうか、そういったようなことで、そういう
考え方がいろいろございまして、六九年
条約におきましては、この
タンカーの油濁
事故については
無過失責任主義を採用するという方針がとられ、したがいまして、ここで
国内法でも、そのような
考え方でできているものでございます。
別の観点から御
説明申し上げますれば、このようにして
船舶所有者に
無過失責任主義というものの
原則で
一つの規制を行うということについては、先ほどからるる御
説明申し上げておりますように、その
船舶所有者については
責任の
限度額という
制度を設ける、
被害者の
救済についてはその
国際基金の
制度を持つということでもって、その
責任を問うことが著しく片へんぱにならないようにということが配慮されているものでございます。