○
坂田国務大臣 従来、何といいますか、所要
防衛力と言われておりまするものは、潜在的な
日本列国を包む
軍事力、それに対応いたしまして、あらゆる侵略に対して即応体制をもってこれに
対処するというのが、簡単に申しますと所要防御力の
考え方だと思います。ところが、
日米安保条約というものがあって、そしてこれが有効に働いておるという場合において、直接侵略あるいはいろいろの侵略事態というものは非常に限定的になるであろうということが
考えられるわけでございます。しかもまた、最近五カ年間見ましても、世界のデタントの傾向というものがございます。もちろん朝鮮半島には若干の危険は残っておるという認識でございますけれ
ども、しかし基調はあくまでもデタントの
方向にある。そういう事態において、なおかつ
日本に侵攻しようという、そういういわゆる生起すべき可能性のある侵略事態というものは、非常に限定的なものになるであろう。争ういうことを
考えますると、所要
防衛力ですべてを即応体制にする必要はないんじゃないかという
考え方でございまして、基盤的
防衛力ということでたとえば限定的な侵略に
対処できる、これには基盤的
防衛力で即応できるという体制をとっておく。しかしながら、たとえば情報収集であるとかあるいはスクランブル等の警戒監視という面については、かなり平和時においても基盤
防衛力を超えた力をふだん持っておくべきじゃないだろうか。あるいは人的な基盤
防衛力というものは、たとえばパイロット等につきましては十年ぐらいの
経験を積みませんと一人前になりません。非常に時間がかかるものでございますから、そういう人的な基盤については、いまの私が
考えております基盤
防衛力よりもちょっとやはりそれを超えるような教育訓練を日ごろ平和時においてもやっておく必要があるのじゃないだろうか。その他のものについては小規模以下の侵略事態に即応体制を持てばいい、そしてそこに一線、ガイドラインを引きまして、それを
一つの整備すべき目標だというふうに
考えることの方が実現可能だ。またユニホームの方も、そのことによってむしろ安心をする。
所要
防衛力となると、どこまで
わが国の
防衛力が高まるのか、そして毎年の予算で示される
防衛力そのものは非常に小さいものであって、いつまでいったらそれが実現できるかという不安もあろうかと思います。また一面において、いままで四次防まで整備をしてまいりましたが、これはゼロから出発したのでございますから当然なことかとも思いますし、また
経済成長が非常に高度でございましたからそうなったのも無理からぬと思いますけれ
ども、どちらかと申しますと正面
装備に追われてきた、そして後方支援の整備はおくれてきておる。あるいは持久、耐久力と申しますか、抗たん性という非常にむずかしい言葉でございますけれ
ども、そういう抗たん性の
部面が非常におくれておる。あるいは弾薬、油等の蓄積というものが非常に少ない。これでは
有事の際においては即応力を持たないのだ。
考え方としては所要
防衛力では何でも
対処できるようだけれ
ども、現実の姿から言うと、後方支援体制及び油やあるいは弾というものが十分でなかったなら即応力を持ち得ない。そういう反省の上に立ちまして、むしろ正面、後方支援、あるいは抗たん性、そういうものがバランスのとれた
一つの基盤
防衛力、そしてその基盤
防衛力でもって小規模以下の侵略事態に対しては即応力を持つという
一つのガイドラインもつくってみたらどうかということで、長官指示をいたしたわけであります。
この長官指示の
一つのガイドラインから、しかしながら周囲の情勢、デタントの状況の基調があるいは壊れるというような事態あるいは
有事というようなことになりましても、この基盤
防衛力を土台といたしましてそれを積み上げていくならば、その
有事の際あるいは国際情勢が非常に変化した場合にも、短日月の間においてこれを高めることは可能であろう。しかしながら、いまの平和な時点、あるいは若干の危険は存在しましても全体として、基調としてデタントということ、そしてまた
日米安保条約というものが有効に働いておるとするならば、生起すべき侵略事態というものは非常に限定的なものであるだろう、そしてそれに対しては基盤
防衛力でもって
対処ができるだろう、こういう
考え方でもってひとつポスト四次防を
考えてみようじゃないかという長官指示を内部的に実はいたしたわけであります。
これは手続上は、来年の三月までに一応その
作業が終わります。それを踏まえましてもう少し
検討いたしまして、そしてさらに今度は
国防会議にかけます。そして
国防会議におきまして、今度は大所高所から、あるいは民生あるいは
経済あるいは外務等のいろいろの広い視野からもう一遍その
防衛構想を見直していただいて、そこで
検討した結果を私のところで引き取りましてまた
検討をして、そして来年の八月あるいは最終的には来年の十二月の昭和五十二年度予算編成時期までにはもう一遍
国防会議にかけて、そして国会に提出をいたしたいというふうに
考えておるようなわけでございます。