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佐々木国務大臣 先ほども繰り返し同様の
趣旨の御質問がございまして、私からお答え申し上げたのでありますけれども、抜本的な
根本的な改革であればあるほど、問題は非常に複雑で広範囲にわたりますから、これが実際
法案になり、予算が組まれ、人事を決定し、行政として動き出すまではそう簡単なものではございません。
法案が出たらすぐ明くる日から出発というわけにいかぬのです。ですから、
根本的な改革をやろうとするならするほど、私はむしろこの際は慎重に御
審議をいただいたらどうでしょうかと……。
一例を挙げますと、アメリカはなるほど
原子力委員会をやめて規制
委員会をつくりました。しかしその規制
委員会をつくった結果がよろしいかといいますと、これは他の国でございますから私から何とも申せませんけれども、しかしアメリカからこの種の
関係の人
たちもたくさん日本に来ますから聞いてみますと、明らかにこれは問題がある。それは非常に私は問題があると思います。なぜかと申しますと、規制というのは要するに、できたものあるいはこれからつくろうと思うものが安全かどうかということを検査するだけである。実際はそのものが安全であることが一番大切なわけです。そのものが安全だということはどうしてかというと、それは研究、実験を重ねる以外にしようがないのであります。したがって、実験、研究とうらはらになって規制というものが進まなければ
意味がないのでありまして、ただ規制だけしますといってそれだけ強化していきますと、今度は逆に
開発研究というものがおろそかになってくる。新しい
開発というものがなかなかできかねるというふうなかっこうになってきまして、ここら辺の兼ね合いは、こういう新しい世紀の科学技術を
開発するという場合には非常にむずかしい問題であります。いまアメリカほど進んだ国でも、もう軽水炉は大丈夫であろうとああいうふうに分けても、なおかつ問題が残って、規制
委員会だけにしては大変問題があるじゃないかという実は批判もあるやに聞いております。
そういう際でございますので、抜本的と言えば言うほど、
根本的にこの行政を進めるにはどうするかという問題は、極端に言えば、明治以来いままで、日本の科学技術、そういう技術を本当に自分で身につけて進んでいったかどうか。ただよそから
開発したものを入れてくる、それだけではこれからの日本はいけないのでありまして、今後少なくとも
原子力時代に入るためには、本当に自分で研究もし実験もして、身につけたものをこれから
開発していくといったようなそういう
事態を踏んまえて、果たしてそういう単に分けるというだけでよろしいかという問題すら、私は、恐らくは大家の皆さんがそろっておる
委員会でございますから、深刻な
議論をしているのじゃないかと思います。ただ安易に、早く出せ、約束じゃないかというだけで出せば、これは恐らくそんなものはのめるかというふうなことになりかねない状況にもあります。そこら辺を踏んまえますと、この問題は私どももできるだけ早い方が望ましいのでありますけれども、しかし、
行政機構というものは一たん改革いたしますと相当長きにわたります。現在の
機構でも、私どもがつくったのですから、もう二十年
たちます。一たんつくりますとこれはなかなか動かせるものじゃございません。ですから、やはりやるときには慎重に考えて問題を処理するのがいいんじゃなかろうか。
ただ、それでは、それが定着するまで何にもせぬでよいかといいますと、そうはいきません。また客観情勢もそれを許しません。ですから、いまの
安全局をとりあえずつくって、そして先ほど申しましたように、NPTを批准した場合には、査察の任務も今度は日本自体が持つのですから、軍用、核兵器に転用するかしないか、あるいは盗難の防止をどうするとか新しい問題も出てきていますし、あるいはいま言ったように、軽水炉の
安全性をどうするか、これから新しく
開発していく炉、利用形態をどうするか、しょっちゅういま問題になっている燃料サイクル、核再処理の
段階あるいはできた廃棄物の処理の問題をどうするか。これだって、海への捨て方を一歩間違えば、あるいは将来人類のためにえらい禍根を残すかもしれません。ですから、決して
原子炉だけではないのでございまして、非常に広範囲な問題を含んでいる問題の処理でございますから、私は、そう半年くらいでやっつけ仕事でどんどん出してくれと言うのは、これはちょっと少し考えてみると酷じゃないかと、実は心ひそかに憂えております。聞いておりますと、どうもやはり
委員会自体もそのようでございまして、
議論すればするほど大変むずかしい問題ではなかろうかという感じがいたします。
さらばといって、それを待つまで私どもは何もせぬでいいかと申しますと、それはそうはまいりませんので、ただいまこの安全の面に対しては何が一番大事かというと、当面の問題は三つあると私は思います。
一つは、軽水炉——ほとんどの炉が軽水炉でございますから、この軽水炉の
安全性というものをどういうふうにして
確保するか。この問題は、いまやむしろ検査あるいは
審査の
段階よりは、アメリカのをそのまま入れた軽水炉を、ドイツがやるようになぜ日本は自分でそれをそしゃくして、そして自分の技術としてこれを
開発していかなかったか、いま遅まきながら、二、三年前から、総力を挙げて電力会社、メーカーあるいは原研等で、その軽水炉の安全はいかんと……。そうして大体いま落ちつきつつあるのは、これは世界的な現象でありますけれども、第三者に被害を与えるとかあるいは環境を汚染するとかという重大事故というのは、事柄の性質上、あるいは軽水炉の厳密な
安全性の装置からしてまずあり得ない、いま起きておるのはそういう事故じゃなくて故障である、これは未熟な技術であるから故障は起こります。それはすぐ発見できるようにしてありますから、炉をとめて直せばまたやれますというのが現在でございまして、しからばその故障のようなものは何ぼ起きてもよろしいかというと、そうはまいりません。やはり炉がとまりますと、一般の人は不安に思います。ですから何も経済性あるいは電力の安定供給という面ばかりでなしに、やはり国民の
皆様の安心を得られるためには、わずかの故障でもないにこしたことはございません。
それが一体どういうところに起きるのか。いま総力を挙げて日本は詰めておる最中でございます。
原子力委員会を初めとして
通産省でも。それがもうほぼ煮詰まってきておりますから、あるいは材料なのか、あるいは回しておる水の性質なのか、その中の薬品なのか、その問題をいま詰めておる最中でございます。そうなってきますと、
審査、検査の
体制もさることながら、むしろ問題の焦点は研究あるいは
開発あるいは原因を究明してそれを改善していく、そのところに焦点があるんじゃないかといったような問題とか、あるいは再処理、このものこそは使用済み燃料を処理してプルトニウムをつくるのですから、これは非常に高レベルの放射能を持った物質が出てきます。これに対する安全の措置をどうするか。これはまことに大きい問題です。それから最後には、それを将来廃棄物として処理する場合にはどうするかといったような問題、同じ平和利用の安全の問題だけでもそういう非常に複雑な問題が介在しておりまして、これを一歩間違えると、肝心のことがどうなるのだということになりますから、ですから私は、非常に大事をとっていま
検討しておるのじゃなかろうかと思います。
私どもといたしまして、それじゃたとえば
一つの廃棄物の処理の問題を考えましても、低レベルの、いま
発電所や何かで使っておる手袋とかあるいはくつ下とかいうものに放射能がついておった、それをどうして処分するかといったような問題まで全然ほうっておけますかというと、やはりこれはそうはいきません。そういう問題はそういう問題で
一つ安全というものを方式を立てまして、そうして処理するものは処理していこうじゃないかということで
事務的に進めるものは進めてまいりませんと、これはやはり行政にはなりませんので、そういう点を考えまして、くどいようでございますけれども、そういう
根本策は国の大本でございますから英知をしぼって慎重にひとつやってくださいよ、さらばといって、私どもはそれを待つわけにいきませんので、こういう
安全局というものをつくって、そうしていまアップ・ツー・デートに要求されておる行政的な
事務、そういう点をひとつ進めようじゃないか、こういうことでございますので、どうぞ御
理解いただければありがたいと存じます。