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竹本委員 私は、
質問の初めに国会の解散の問題について、政治家としての
大平さん、
大蔵大臣としての
大平さんの御意見を簡単に承りたいのです。
と申しますのは、ストの最中に国会解散論が出て、まあともかくもストが終わりましてその空気は遠ざかった、こういうような記事が新聞には出ておる。しかし私は、あの混乱の最中に、やっつけるような意味で解散をぶち食らわすというような発想はいささか感情的であるというふうに思います。しかしストが一応収拾したいまだから、改めてこの問題を
考えたい。
私は
理由が三つもしくは四つあるのです。第一は、ストの問題についての本当の意味の決着を国民的規模においてつけるべきである。それから第二は、赤字
公債を出した、あるいは出さざるを得なかったという
経済政策の失敗について国民の批判を受けるべきである。第三は、福祉国家建設。
高度成長は改めろ、あるいは改めようということでありますけれ
ども、いわゆる
政策転換の
基本路線について国民と相談をする、国民と協議するというチャンスはないままである。第四は、特に
大蔵大臣として、春になれば解散だという声もありますけれ
ども、通常
予算を通した後は解散だというような雰囲気の中で、果たしてまじめに真剣に通常
予算が審議できるかどうかという点を心配するからであります。
一つずつ簡単に私の
考え方を申し上げて結論だけ
大臣に聞きたいのであります。
第一は、ストの問題であります。私の方の民社党は本日夕方の四時ごろに声明書を発表いたしまして、従来言っておるところをさらにその
延長線で「スト権問題に関する公労法の
改正および関係法規の整備などについては、これを国会の場に移し、それを審議する特別の
委員会等を設け、早急に結論を出すべきである。」というのが結論でありますが、もちろんこの特別
委員会には
政府の提案を含め、各党も対案を出し合い、国会において処理するようにしなければならないということで、国対
委員長は本日各党に、ひとつどこでどういうふうに論議すればよろしいのか、特に国会がこの問題についていままでのように黙っておるということはおかしい、そういう立場でひとつ審議をいかにすべきであるか、その場をどこに決めるべきであるかということを中心に国対
委員長会談もやりたいという申し入れをいたしました。
今回のストは御承知のように国民の声あるいは国民の御迷惑ということをひとつ
考えて最終的には終結をしたようでありますけれ
ども、ストの中止も国民の立場を
考えながら中止をする。これからスト権をどういうふうにするかという問題につきましても、今度のストについての評価もそれぞれ違うようでございますけれ
ども、ある意味で言えば、みんな勝ったと思っておるし、みんな自今の意見が最高に正しいと思っておる。
考え方としては、スト権は全然与えるべからず、危ないという
考え方もあるでしょう。あるいは労働者である以上無
条件にスト権は与えるべきである、闘い取るべきであるという
考え方もあるでしょう。あるいは第三に、私
ども民社党のように、スト権は与えるべきものであると思うけれ
ども、やはり公共の福祉という立場に立って、一定の制約なり歯どめなり
条件が必要であるという
考え方もあるでしょう。しかし、それは政党それぞれみんな自分が正しいと思っておって、ゆうべNHKのテレビ等も聞いてみましても、国民の視聴者の声もそれぞれさまざまであります。そういう意味で、スト権は一部に言われるように、これは本当に重大な問題でありますし、国民の全体に関する大きな問題でございますので、おれの党が一番正しいんだなんて独喜的な結論を出さないで、国民とともにこのスト権の問題は
考えるべきである。そして国民とともに結論を出すべきである。そういう立場に立ってスト権のあり方はどうあるべきか、国対
委員長の提案では、各党がそれぞれ案を持ち寄りましょうと言うのだけれ
ども、それも必要でありますけれ
ども、さらに一歩広げて、あるいは深めて国民的規模においてこの問題は論議して悔いを残さないような形で結論を出さなければいかぬ。もう一遍やり直しだとか、あるいは権力でこうしようとか、また第二次的にもいろいろの
考えがありますけれ
ども、これはやはり決着はつけなければならぬし、そして決着は急がなければならぬ、がその決着の
方向を誤ってはならない、こういうまじめな気持ちで私は国民とともにスト権のあり方というものをひとつ結論を出すきべである。こういう意味で、私が解散を要求する第一の
理由はそれであります。
第二の問題は赤字
公債、大変なものでございますけれ
ども、ことしはあれこれ八兆七千億円の、地方債も含めて
公債を出さなければならぬというような
状態に陥っております。これは後でも少し論議をいたしたいと思っておりますけれ
ども、それを、一応細かいことを省きまして結論だけですが、今度の国会においては、実は三木総理が誠実な方として国会の劈頭において、最近における
経済政策は大いに一生懸命やったところもありますし、それも
認めておりますが、それにもかかわらず成功ではなかった、国民にこれだけの
不況をもたらしてまことに申しわけなかったという、私の言うデプロアが出るかと思っていたのだけれ
ども、途中から
政府の
考え方も変わったようでございまして、その言葉は余り聞かない。先ほど
大蔵大臣は、申しわけないというような言葉をちょっと言われたように承りましたけれ
ども、ちょっとよく聞かれなかったのですけれ
ども、いずれにしたしましても私は、申しわけない、あるいは国民に対して全く申しわけなかったということを率直に非は非として
認めるべきであって、全部オイル
ショックの責任にするような行き方は、まじめな責任政治のあり方とは思えません。
そういう意味から言いましても、一体、従来の
経済政策あるいはスランプフレーションというものは必然的なもので、
政府に何ら責任ないと国民は
考えておるのか、あるいは
政府には当然謝罪すべき責任があるというふうに国民が意見を持っておるのか、これも聞いてみなければ、みんな自分の党の立場が正しいということだけでは決着はつきません。そういう意味で、赤字
公債発行の今日の
段階において、三木
内閣発足以来一年間の
経済政策に対する評価の総決算をすべきであるというのが第二であります。
それから第三番目は、もっと深刻な問題でございますけれ
ども、
高度成長が行き詰まったということはよく言います。そして福祉国家の建設が大切だということもよく言われる。しかしどういうふうに、どういう
方向で、どういうテンポでこれを進めていくのであるかということについては、だれも具体的な構想はほとんど示していない。しかし、
日本がこれから本当の意味で生き残るためには、もうこの辺で従来の
政策の矛盾や欠陥を総反省し、総検討をして、新たなる、いわゆる
政府で言う安定的な路線というものを確立しなければならぬ。しかしそれの内容も、言葉があるだけで内容は何もない。今度中期
経済計画が出れば、ある程度おぼろげながらアウトラインが示されるかと思いますけれ
ども、それについても各党それぞれいろいろな注文があるはずです。それを国民的な規模においてやはり論議して、いままでの間接
金融と低金利によってどんどん進めてきた
高度成長経済がいわゆる減速
経済になる場合には、どの点とどの点を注意しながら
経済の大きなカーブを切りかえるかということについてもう少しまとまった意見がないと、みんな勝手に新しい福祉国家——福祉なんという言葉ほどあいまいもこたるものはない。みんな自分の言いたいことを福祉として言っている。そういうことではなく、国民的な視模においてやはり
一つのコンセンサスをまとめ上げるということになる一番プラスのケースは総選挙ではないか。こういう意味でいわゆる
政策転換の
基本路線を国民とともに決めるべきであるというのが第三の
理由。
第四は、先ほ
ども申しましたが、通常
予算を通してその後解放だというのが解散が延びた場合における
一つの常識になると思うのでございますけれ
ども、しかしそういう前提、そういう雰囲気の中で国会審議がどういうふうに行われるであろうかということを私はむしろ心配をするのであります。あるいは必要以上の混乱が起こるかもしれない。あるいは選挙のためのゼスチュアばかり流行するかもしれない。あるいは議事引き延ばしが起こるかもしれぬし、あるいは定足数がそろわないで開会ができない場合もあるでしょう。
そういうことを
考えると、私は、
経済に一番大きな影響のある本
予算だけはちゃんとして論議を進めて早くまとめるということに重点を置かなければならぬのではないか。そういう意味から言えば、特に
大蔵大臣の立場から言えば、確かに一月なら一月解散ということになれば、
予算の問題から言うと非常に残念な問題も出てきますけれ
ども、しかし四月にやるということで二月、三月が国会ががらあきになったり宣伝戦になったりする場合に比べればまだ歩どまりがいい、まじめな議論ができるのではないか、こういうふうに思うわけであります。
そういう意味で、国会解散論が一部に出たり引っ込んだりしているわけでございますけれ
ども、政治家として、あるいは
大蔵大臣としてこの問題についてどんなようなお
考えを持っておられるか、簡単で結構ですが、明確にお
考えを承りたい。