○林(義)
委員 外国の
実態、
実態とおっしゃるのですが、
公害の問題は、やはり日本が相当、先進国的にいろいろ
対策を考えていかなければならない立場にあると私は思うのです。それで、いまの
食品の中にあるところの
PCBの量が三ppmという問題についても、
一つ、
安全性の問題がある。これは
食品安全ということからの問題でありますが、
食品衛生法ではその安全規格をつくる。そうすると安全だということだけでやれば、もう少し厳しくしても差し支えはないということになるのだと私は思うのです。望ましくはゼロであるのがいい、こういうことであると思うのです。それをゼロとしないで三ppmとしたのは、やはり何か別の要請があって、社会的に
PCBが汚染をしているから、この程度のものはある程度まではしようがない、ここまでは安全だろうということで考えられたのが、いわゆる
食品の安全
基準だろう、こう考えるのです。したがって、そこまでだったら絶対に大丈夫である、こういうふうに言っていいのだろうと私は思うのですね。つまり三ppmの魚を食べるならば安全である。
ところが今度は、その魚にどうして入るかというと、魚を機械でつくったり
PCBを入れてつくるわけではないので、魚はプランクトンを食べたり、大きな魚が小魚を食べたりして摂取する。そういたしますと濃縮度が一万倍になるというのが
環境庁の方の
報告であります。魚は一万倍になる。これもアメリカの
研究で七千八百倍から一万何千倍というふうな
報告がありますが、一万倍と定めるのも、きわめて乱暴と言えば乱暴な話であるし、大ざっぱと言えば大ざっぱな話である。一万倍を定めれば、まあまあ絶対に安全
基準だということがあると思うのです。
ところが、もう
一つ言いますと、魚というのは一定の範囲を泳いでいるのじゃないわけであります。海洋に出て、先ほどの例で言いますと、
富士市の周辺で言うならば、
富士市の沖合だけを遊よくしている魚もあるでありましょうし、はるか太平洋の向こうからやってくる魚もあるだろうし、いろいろな魚があるだろうと私は思うのです。そういうふうに魚がいろいろありまして、たまたま
PCBによって汚染されている
地域を遊よくして、その
地域のえさを食べる。その
地域のえさは、汚染された土壌からプランクトンとかなんとかに
PCBが入って、そのプランクトンを小魚が食べる、それをまた大きな魚が食べるというような形で食物連鎖がある、こういうようなことでありましょうけれども、どうも、いろいろ見てみますと、二百から三百メートルのメッシュの結果で、いろいろ試料を調べてやっておるわけです。そこでもまた非常な安全なことを考えてやっておられるわけだ。魚ですから、そんな二百メートル、三百メートルの中だけで一生すむわけではないと私は思うのです。もう少し広い範囲で魚というものは泳いでいるだろう、こう思うのです。ですから、そんなものであるから、魚は一体どのくらい泳ぐのだろう、あるいは魚が、どのくらいなものを、どこで、どうやるだろうかというようなことも、やはり、これは学問としては、ひとつ
研究をしていかなければならない問題ではないか、私はこう思うのです。
そうでないと、二百メートル、三百メートルの範囲だけ魚が泳いで、そこのものを食べるから、それで一万倍掛けて、そうすると三ppmの魚にならないようにするには、どのくらいにしたらよろしいかという形で、実は、そこで今度はもう
一つ、その
地域の
環境濃度というか、そういったものも決めておられる。ちょっと、この
基準の決め方は、魚のところでも
安全性をとる、それから、もう
一ついって、その魚がえさを食べるところの
環境についても非常に
安全性をとっておる。二重に
安全性をとっておられる。しかも、その
安全性のかけ方が、私、申し上げたいのは、これは掛け算だということであります。
安全性は足し算でやる場合と掛け算でやる場合とは大変、違う、私はこう思うのです。足し算でやる場合では、これだけの
安全性があります、こちらにこれだけの
安全性があります、それを足してやる場合には、実は程度の差というものは、そんなに変わらないわけであります。掛け算でやるということになりますと、非常に厳しい
基準が出てくるわけであります。いろいろなことを計算するときに、よく言われるのですが、一プラスxというものの自乗をする、こういうときに、概数的にいたしますと一プラス二xというものでやるといえばよろしい。xというものが〇・〇幾つということの場合には、大体概数計算をするときには一プラス二xということで、ほぼ同じだということであります。そのくらいのことで考えればいいわけでありますが、実はそういう
考え方でなくて、これを掛け算で、xの自乗またはxの三乗というような形で、非常に微細なところに入っていくというのが、私は
公害行政の
一つの問題点と言わざるを得ないと思います。
食品の立場からすれば、
食品は三ppmである。
環境の方の立場から言えば、いや魚が三ppmと決めましたから、私の方も、できるだけ安全度をとりました、こういうことになれば、それは、それぞれの立場においては、私の守備範囲においては絶対に安全でございます。こう言えると思うのです。言えますよ、これは。ただし、その掛けたことによって非常に安全度の高い結果というものが出てきておるのじゃないか、私はこう思うのです。恐らく、現在やっているところの
排水中の
PCBの三
ppbという、十億分の一というような
基準というものは、そういったところから出てきているものだろうと私は思うのです。
しかも、そのことによって、先ほど私がお話し申し上げましたように、
ちり紙屋さん、
中小企業者の方では、実は大変に困った問題が、いま
方々で出てきておる。
通産省の課長さんは、いや、大体何とかいきそうだ、こうおっしゃるけれども、必ずしも何とかいっていないように私は思うのです。そこで考えなければならないのは、それぞれの立場において、非常にきつい
基準をつくるということは、
一つの
考え方でありますが、現実に、
ちり紙というものは
生産をし、やっておりますから、
ちり紙の
生産に、それでは大変な費用がかかる、あるいは
ちり紙の
生産が非常にむずかしくなるというような場合においては、
ちり紙というものも、やはりお互いの
人間生活にも必要でありますから、こちらの
環境の
基準について、
PCBが恐らくあるであろうということは、
ちり紙以外には、いまのところ考えられないわけでありますから、その辺を少し、やはり両方を一緒にとって比較をして
基準というものをつくっていくべきではないか、私はこう思うのです。
特に
PCBのこういった
排水基準というものは、たしか昨年から、もう実施をされているのですね。一年間
ちり紙については延長しているというのは、やはり、
ちり紙製造業者というものが実は大変、困る、
故紙を使わなければならない、あるいは中小零細企
業者ばかりである。大きな企業で、
ちり紙をつくっているところは余りないと思うのです。そうしたところから、一年間の延長措置というものをやったのだと私は考えているのです。だから、そういった措置を考えるならば、余り
ちり紙屋をいじめるということは、お互いの立場、魚の立場もあるでしょうし、それから
環境の立場も、それぞれの立場もあって、それぞれで完全無欠な
安全性を主張するのはいいのですが、同時に、
ちり紙がなくなったら、お互いの
人間生活においても衛生上は困るわけでありますから、その点もやはり考えてやる必要があるだろう、こう思うのです。
そうした点について、これから、どういうふうにやっていかれるのか。
指導しておられるのは
環境庁もあるでしょうし、
厚生省もあるでしょうし、また
通産省もあるでしょう。各省で、いま私が申し上げたようなことについて、どういうふうに、これは基本的に考えていかれるのか。いや、私のところは、私のところの範囲だけは絶対に守ってやらなくちゃならない、こういうふうにお考えになるのか、どういうふうにされるのか、忌憚のない御意見を承っておきたいと思います。