○田村
参考人 田村でございます。私は現在自治体におりまして、自治体の中の
行政を実際にやっているという
立場、その中では
建築基準法だけ外はございません、
都市全体の
住環境あるいは
都市環境というものをどういうふうに総合的につくっていくかという
立場からやっているわけでございます。そのような
立場とあわせまして、私自身も一人の研究者としても
都市計画及び土地問題、こうしたものについて多少の勉強をしておりますので、自由にその両方の
立場から発言をさしていただきたいと思います。
この日照問題でございますけれ
ども、いままでたびたび御指摘がございましたとおりに、これはもともと土地の高度利用ということが突如として
都市の中に舞い込んできたというときから生じたわけでございます。その
原因をたどりますと、
都市に対する過度の集中あるいは地価の高騰ということが高度利用を余儀なくしたということでございますし、あるいは一方、
都市が巨大になってくれば、当然にある程度の高度利用というのが土地利用上出てくるという当然のこともございます。ただし、その高度利用をする場合に、一般的な従来ありましたような低層的な、低密的な利用をしていたところに突如としてそうしたものが舞い込んできた。前提が何ら加えられていなかったというところに大きな問題があった。単に高度利用がいけないということではなしに、前提を欠いていたというところが非常に大きな問題であると思います。
つまり無計画、無前提にこの高層化あるいは高度利用が行われ、それがきわめて個別的な土地所有権を絶対視するところに行われたというところが問題でございます。
それであるならば、一体どのようなことを基本的な
対策としてすべきであるか。日照の問題はそもそも木賃アパート、これはもう
東京都の中でも三分の一を超えるような非常に多くの木賃住宅がございます。このようなところでは、日照権が問題になる以前の問題
住環境としてそもそもの問題がございます。こうした木賃アパート等、
住環境そのものについてまず問題をしぼっていくべきである、問題を提起していくべきである、こういうふうに考えます。
あるいはまた入澤先生御指摘のとおりに、土地利用計画、これは単なる現在行われているような法制的な土地利用計画ではなしに、詳細計画といいますか、ベバウングスプランというものが西ドイツの
建築法でもございますけれ
ども、かなり詳細なる土地利用計画というものを前提として立てていく。その中で高層化すべきものは高度利用を図っていくということが必要であったと思います。
さらに敷地分割についてでございますけれ
ども、敷地分割については何ら日本の場合には規制がございません。自由に土地分割が可能でございました。このような状態でございますと、非常に劣悪なる土地条件を生み出すわけでございまして、この敷地分割に対してもはっきりした
考え方を持つ、それについての適正なる規制を持つということが必要でございます。一方において、細分化しました土地を共同利用した場合にさらにこれが有利に働いていく、あるいは共同利用を積極的に推進していくような、このような方策も逆の方向として必要でございます。
あるいは土地所有権というものが無制限に上下に及ぶ。これは現在のところそのようなことはございませんけれ
ども、しかし、土地所有権は明らかに
都市環境の中で限定された土地所有権でございます。これに対して限定的な土地所有権を使っていただく。そうして、従来土地所有権があるがために外部
環境を自分で内在化し、あるいはこれの利益を内在化できた。こうした
制度は徐々に改められつつはありますけれ
ども、これについて基本的な、特に
都市の高密な地帯については基本的な反省ということが必要であろうというふうに考えます。
このような中で総合的な
住環境と
都市構成、
都市そのものの
あり方ということを考えていくのが大きな前提であろうか。このような前提がございませんと、幾ら日照の問題だけを取り上げましても基本的な
解決にはならない、こういうふうに考えるわけでございます。したがいまして、この日照権につきましてのいろいろな法制化の問題の前に、ぜひこうした基本的な問題についても十分御
審議願い、その中でしかるべき
対策がされるように
お願いしたいわけでございます。
しかしまあそうは言うものの、これは非常に時間のかかることでございます。現実に日照を奪われている人、日照に泣いている
人たちが現実にいるわけでございます。この現実にいる人々の存在ということは、その百年の大計のほかに無視するわけにはいきません。私
どもさきに申し上げましたのは、五十年、百年のこれからの日本の
都市の大計でございますが、一方において、現実に困っているこの
人たちをどう救うのかということがわれわれとしての
課題でございます。特に地方自治体はその場合に直接に
住民と接しております。この
方々が現在の状態で非常に困るということを、私
ども基本的な前提を
解決しなくても、それなりに
解決を図っていかなければならない、こういうふうに考えているわけでございます。
したがいまして、
都市構成全体について、これは国の中で中央でも大いに御議論はいただき、私
どもは私
どもなりに考えるということでできてくるわけでございますけれ
ども、この現実に困っている日照問題に対応しようということが私
どもの
考え方でございますし、またそのような形でこの日照権に関する
住民運動が各種起きてきたわけでございます。したがいまして、これについては法的な
措置があればよかったわけでございます。しかし法的
措置がなしではございません。現在までも用途
地域もございましたし、高さの制限もございますし、あるいは道路からの斜線制限その他の
法規もございます。しかし
法規がなかったんではなしに不備であったんだということであると思います。
法規は全くなかったわけではない。その不備を補うということが私
どもの仕事だというふうに考えまして、この日照等
指導要綱等のものをこしらえてきたわけでございます。
これは四十六年あたりから各自治体で行われ、先ほ
ども御紹介ありましたとおりに、現在約二百の自治体がこのような
指導要綱並びに
条例等を持っているわけでございます。こうして、
都市問題全体にはこたえ得ないかもしれないけれ
ども、現実に困っている市民の
方々に対応していこうということをやったわけでございます。
しかし、私
ども決して要綱だけに頼っているわけではございません。横浜市の
実例で恐縮ではございますけれ
ども、同時に私
どもは高さ制限ということを全
地域に対してかけました。並びに北側斜線制限、これは現在の
法律でも一部ございますけれ
ども、これをさらに強化いたしました。
東京都以上にさらに厳しいものを横浜市としてはかけております。こうした現実にある
法律制度も使いながら、なおかつその不備を補って要綱を生かしているわけでございまして、決して私
ども要綱だけに頼っていこうという姿勢ではございません。
法律で使えるものは十分に使っていく。しかしその中で、必ず
法律というのは、やはり現実の方が早く進行いたします。
法律で十分でない点がある。こういう問題については要綱等で十分補っていこうということでございます。
なお本論からややはずれますけれ
ども、いまの高さ制限、北側斜線制限等は、先はど飯田さんのお話にもございましたけれ
ども、やたらと全部規制して住問題を厳しくしようという
意味ではございません。私
ども、一方において規制を図ると同時に、これを積極的に緩和する
基準等もこしらえまして、規制をすると同時に、一定条件がかなうのであれば積極的に高度利用を図っていってもいい、こういうふうな
基準もあわせて持っております。このように私
どもとしては現実の問題に対応していくというのがこの日照問題の最大の
課題でございます。
しかし、現在は御承知のとおりに、単なる日照問題だけではございません。すでに日照のほかに風害の問題あるいは圧迫感とか心理的なそうした問題あるいは電波障害の問題、その他いろいろな
住環境に伴うものがあわせて出てまいります。したがいまして、この
住環境全体の問題としてこの問題を処理いたしませんと、
一つの
基準からだけでは見にくいという状態になっております。
このように
都市の問題は非常に複雑な様相を呈しておりますし、先ほど申し上げましたようにより本質的な問題に触れなくては根本的な
解決にはならないわけでございます。
したがいまして、私、二つの方向がある。
一つはそのような本質的な
都市の問題にこたえていくということが
一つの方法でございます。第二には、とりあえず現在の困っている状態ということを救っていくということでございます。この両者が私
ども必要だというふうに考えております。しかし、ただいまの日照問題につきましては、どちらかというと、より後者の方でございまして、それだけで本質的な問題が
解決すると考えているわけではございません。本質的な問題にこたえるためには、より根本的な検討が必要である。しかし、だからといって現在を放置することができない。この両方の
立場をあわせとることが必要であるというふうに考えているわけでございます。
このような中で、国も法制化を考えられたということは一歩の前進であろうかとは思います。しかし、私
どもこの法制化につきまして
内容を拝見いたしますと、きわめて疑問の点が多い。その点は後ほど申し上げますけれ
ども、私
ども大きく言いまして、二つの点から反対でございます。しかし私は一定のルール化をするということに反対をしているわけではございません。
都市の中には当然に市民が多く住んでおります。その中ではむずかしい条件でお互いにそでをすり合い肩を寄せ合いながら住んでいるわけでございまして、一人だけのわがままが許されるわけではございません。その中に当然にルールが必要だということは私
ども承認する
立場でございます。ただし、現在の
法案のような形で、このような形でおさめることが果たして問題がないかということについて、私
ども大きな疑問を感じているわけでございます。
この大きな問題として私二つの点から申し上げます。
一つは、現在これまで自治体が努力していろいろなルールをこしらえてきた、こういう問題にこの
法律がどのように作用するであろうかということが第一点。それから第二点といたしましては、この
法律に規制されていますような日影規制という方法が、一体
行政的あるいは技術的、理論的、そのような観点から可能であろうか、適当であろうかという点でございます。
まず第一点は、この
法律が、現在行われてきたような、しかも自治体が先導的に
住民を守るという
立場から行ってきましたような
行政にどのような効果を持つかという点でございます。
御承知のとおりに、数年前から自治体がいろいろな
立場でこの日照の問題を取り上げ、あるいは
住民の
方々の非常に強い運動という中から生まれてきたいろいろなルールがございます。私
ども要綱
行政というのは、決して自治体が通り一遍に
法律的につくったのではなしに、むしろそうした
住民の
方々の
意見を背景としながらその中から生まれてきた現実的な
一つのルールであろうか。
法律ではないかもしれません。しかし
一つの現実的なルールである。私さっき申し上げましたとおりに、現実的にいま
解決することが
一つの問題でございます。そのような中から生まれてきたルールでございます。
したがって、その中に時間を書いてあるものもあれば、合意を書いてあるものもあれば、あるいは手続その他につきまして書いてあるものもございます。単なる一片の、時間がどうであるとかいうことだけではなしに、そうした全体の手続を含めまして、それが
住民の
方々の中で
一つのやむを得ないルールであるということに順次定着しつつある。これこそ
都市の中の
一種の市民法であろうというふうに私思います。このような
建築基準法等は、そもそもは特に相隣的な問題でございますけれ
ども、そのような市民的な市民法として生まれるものであるというふうに考えます。
これは
実情に応じても違います。京都のように古い伝統的な町、横浜のように比較的新しい町、小さな町、
東京のような非常に大きい町、これはそれぞれ違ってよろしいのではないかというふうに思われます。当然にその中の伝統的な住み方、あるいは京都のような町でございますと日照は余りなくてもいい、そのかわりに真ん中のところに大きな広庭をとって共同の庭に出る、こういうような方式だってございます。これは町によっていろいろな方式があり得るわけでございまして、
一つの
法律で全国、日本の北海道から沖繩まで
一つのものでおしなべてしまうというところに私、大きな疑問を感じます。このような
法律で、
一つのもので割り切ってしまうということは、現在いろいろなものができてきたせっかくの努力ということをブルドーザーをかけてならしてしまうということでございます。当然出っぱり、引っこみもございます。それによって上がってくるところはよろしゅうございますけれ
ども、せっかく盛り上がってきたようなものを頭を削ってしまう、こういうふうなこともあり得るわけでございます。このような
法律そのものの
あり方というのが、市民の本当の合意の中で生まれてきた、それを国の
法律の中で壊してしまうということは、むしろこれは国の
法律としては逆の行き方ではないか。せっかくでき上がってきたルールが各地にございます。このルールを生かしながらそれを育てていく。国はそれなら最低の
基準をつくり、それをさらに盛り上げてやるようにする。このような
立場が国の
法律ではなかろうか。しかし、その中に自治体あるいはその
地域によってさまざまな事情がございます。そのようなものが十分に中に反映されるということがございませんと、この数年間
住民運動あるいは自治体、両方の努力によってできましたせっかくのルールが一遍ぶち壊されてしまう。そこに新しい
法律というものができる。そこで新たな
紛争ができることは当然でございます。片方ではその
法律のとおりやっているのだからよろしいという
意見もございましょう。しかし、やはりこれは困るんだということも片方でございます。そうなりますと、必ずしも
法律のとおりに施行はできないだろうと思います。一方の切り捨て御免的なもので済むのであれば、すでにいままでも
法規が全くなかったわけではございません。
法律どおりであればいままでも済んでいたわけであります。しかし、そこに、済まないところにこの日照問題が起きているわけでございます。
したがって、今回の
法律もそのような切り捨て御免的な
法律になるのであれば、私、反対せざるを得ないわけでございますし、せっかく積み上げてきた、現在まででき上がった市民法的なそうしたものを壊すことになるのではないか。これはこうした相隣
関係的な非常に特殊な
法律でございます。国全般にいきなりいくようなそういう種類の
法規ではございません。本当にお互いの隣同士間の向こう三軒両隣の合意的な
内容を多分に持っております。私はその合意だけでやれというわけではございません。一定のルールは当然必要でございますが、しかしそのように非常に身近ないろいろな諸条件の中でつくっているということが無視されるということでありますと、再び日照問題について新たなる
紛争を巻き起こすことにかえってなってしまうということでございます。
さらに商業
地域その他につきましてもあるいは手続等につきましてもこれが欠落していることはすでに御指摘のあったとおりでございます。
したがいまして、私は
法律をつくることに反対するわけでもございません。ルールをつくることに反対するわけでもございません。しかし、それはいままででき上がってきたそのような実績を踏んまえ、それを助け、それを育て、その中でさらに自治体が独自の
住環境をつくっていく、このようなことに
法律があるべきではないか、こういうふうに思考するわけでございます。
それから第二の点でございます。第二はかなり技術的な問題になります。現在この日影制限という方向をとっているわけでございます。この日影制限というのは
一つの議論ではございます。あるいは
一つの方法であるということを私、考えないわけではございません。しかし、現在の日本の
都市の状態、その中で起きてきた日照問題という動的な
関係の中からこの日照問題ができているわけでございます。それを現在
一つの割り切った形ですることが可能であるかどうかということについて、私はきわめて疑問を持っております。
先ほど申し上げたとおりに、
都市の基本的な土地分割の問題あるいは土地利用の問題その他の問題につきまして、基本的にそのような町に日本の
都市がなっているのであれば、これは
一つの方法であるかもしれません。しかし、先ほど申し上げたとおりに、そのような前提は何ら施されておりません。そのときに一方だけが割り切ったこのような日影規制ということをやるのはアン
バランスでございます。そのような中でさまざまな問題が起きてくると思います。
もう少し技術的な問題を申し上げます。これは作図上の問題も、かなり日影規制という問題にはやり方のむずかしさがございます。なれている方は非常によろしいのでございましょうが、私も一通り
建築というのを昔勉強はいたしました。しかし、私自身もなかなかこの日影図がうまくかけるかどうか非常に疑問でございます。このような
建築の規制というのは素人にとっても非常にわかりやすい、高さがどのぐらいだ、それからこの辺からこう後退しなければいかぬ、そういうことが一目でわかるということが、私、
行政として望ましい。非常にむずかしいかき方、それはおかきになれる方はなれるかもしれません。しかし、そのような方でなければかけないということが問題でございます。
さらにこれを自治体としてチェックする
立場でございますが、それの前提となります敷地の境界線その他作図についてもう一遍そこでやってみるというのは、自治体の職員に非常に過度な要求をすることになります。そうであれば、当然いまの
建築基準を扱っている
行政の人数をはるかに増加しなければなりません。しかし、そのようなことは現在の自治体の財政の中で許されるべき問題でもございません。したがって、そうなりますといままでどおりやってしまう。非常にラフに、出てきた申請書をああ、そうですかということでこれを受け取ってしまう。こういう形で非常に無責任な
行政が行われざるを得ない。
建築確認というものはそれでいいのだという御議論があろうかと思います。しかしそれは若干大きな問題があろうかと思います。
これはあるところの研究会でいろいろ討議された結果でございますけれ
ども、実際に作図上の問題、あるいは敷地の問題、あるいは鉛筆の太さの問題、あるいは磁石でやった場合にはもちろん相当度数が狂います。このような角度の誤差の問題、それから地形。横浜などでは地形が非常に複雑でございまして、平たい地盤などはなかなかございません。一体それをどうとるのか。それから、敷地が真っすぐなっているとは限りません。ジグザグになっていたり、曲がっていたりいたします。そのような非常に複雑な地形というのが一般的でございまして、きれいにでき上がっている土地でございますと余り問題はございませんでしょうが、むしろそのような土地が多いわけでございます。
そのような条件の中から、ある
建築専門家の
方々がいろいろ研究された、正式発表はされていないようでございますけれ
ども、実際これをやった場合には著しい誤差を生じる、場合によりましては数分ですけれ
ども、一定の条件によっては時間単位でもあるいは誤差が生じ得るのではないか、こういう議論さえあるわけでございまして、正式な
法律に基づく
建築確認書としては、技術的な問題が余りにも多いということを考えます。あるいは、それを正当にするためには、物すごい事務手続をかければこれは可能でございましょうけれ
ども、それができないことはいま申し上げたとおりでございます。
あるいはこの敷地境界線の問題、これが非常に決定的な条件になる。この
法律の
内容でございます敷地境界線でございます。しかし、御承知のとおり、この敷地境界線を画定するということは最もむずかしい状態でございます。いわゆる官民境界と言われる道路と敷地、このような境界でも相当境界査定においては時間をかけてやっているわけでございます。まして、今回のこれは民民境界、民間と民間同士の道路の敷地の境界の問題でございまして、これは自治体あるいは
建築基準法を扱う主事等が容喙することができないものでございます。この容喙のできないものを
基準にして、これを法的に公認するということに非常に大きな疑問を感ぜざるを得ないわけでございます。
あるいはまた、その違法
建築の摘発でございます。私は
機会がございまして、前回の
建築基準法の
改正のときにも
参考人としてここにお呼びいただき、
意見を述べる
機会を得ささしていただいたわけでございますけれ
ども、その際も違反
建築が非常に多い、これをやめさせなければいけないということが、非常に強くその
改正の理由にあったというふうに私承知しているわけでございます。しかし、たとえばこの違反
建築でございますけれ
ども、このような日影規制というところでやりましたものを、これは要綱じゃございません、
法律でございますから、一分一厘そのとおりにしてもらわなければいけないわけでございます。しかし一体、仮に現地にこれをパトロールいたしまして的確にそれを指摘できる、そうした
行政官というのは一人もいないはずでございます。図面と参照し、いろいろ全部はかって、
最後にはどこかまた測量——しかし測量はだれの測量費でするのか、測量
費用を出すところもございません。そういうものを全部完全にし、あるいは
建物でございますと、御承知のとおり、塔屋、ペントハウスその他が出ております。こうしたものが一体どういうことになるのか、そういうことを詳しく確認した上でないと、これは違反を摘発するわけにいきません。
やはり私は、
行政としましては、せっかくパトロールしたら見たらわかる。高さがおかしい、あるいは斜線がどうもこうながめてみたらおかしい、あるいは引っ込んでいない、こういうふうなもので違反をどしどし摘発していくということが最も望ましいものであり、最も能率的であり、最も市民的でもあるというふうに考えてございますけれ
ども、こうした非常にむずかしいものを導入した結果、十分なる違反
建築の摘発がかえってできない、むしろいろいろな
意味の違反ができてしまう。しかし、できた以上、これはわずかなところで生じてきます、非常にむずかしい理論に基づいておりますから。したがいまして、そのような問題を是正するというのは著しく困難になってしまう、このようなものがございます。
ですから、日影制限をやる方法ということは確かに
一つの根拠ではあろうが、これは、たとえば団地
設計などを下見しました場合に、一個の
建築者が団地で住棟を配置します場合にこのような方法をとるということは、これは十分考えられます。しかし、それは
法律ではございません。しかし、
法律とするのにはまだまだ熟さない点が余りにも多いのではないか。このように多少理論だけが先走って、現実の
行政あるいは現実にそれを行う主事あるいはそこにいる
人たち、こうした
行政官の実際の仕事ということから少し遊離し過ぎているのではないかというふうに思います。このような中で、
行政上、技術上で、この日影規制という方法は
一つの方法であるにしても、さらに十分検討する必要がある、このように思うわけでございます。
以上のように、現在まで上がってきました、自治体がこの
住民の日照を
確保するために現実的に適応していく、そうした努力を殺してしまうのではないかということが第一点と、いまのようにこれを実際に
行政に移した場合に、さまざまのトラブル、さまざまの誤差、さまざまの誤謬、さまざまの違反、そのような問題を引き起こすのではないか。
行政というのは、わかりやすい
行政が一番でございます。そのような点について大きな欠点があるのではないかというふうな、この二点が大きな点でございまして、現在の
建築基準法一部
改正案につきまして、私、大きな疑問を投げかけざるを得ません。したがいまして、私、こうした問題についてはさらに技術的な問題をどのような方法がいいのか十分に検討されると同時に、先ほど冒頭に申し上げましたような、
都市の基本的な
住環境の問題についてさらに基本的な御検討を加えた上、さらにこうしたものをやられたいというふうに思うわけでございます。
問題か起きたからといって一遍に——
法律というものは非常にとうといものでございますし、かたいものでございます。それをやったがために、かえってまた他のひずみを生ずるということがあってはなりません。これは日本
建築学会の
建築計画委員会の有志の
方々の日照問題研究会も、そういう御
意見をされております。
一つの問題をやったがために、
一つの問題を抑えるために、さらに、次の将来の
都市に対するはっきりしたイメージがなくて、現実の問題を
法律という形でやってしまうということに問題がございます。先ほど申し上げたとおりに、将来の問題と現実の問題とございます。現実の問題の対処の仕方はもっといろいろな柔軟な対処の仕方があろう。しかし、より根本的な問題をとらえる中でこの現実的な問題も処理していくということが正しいやり方ではないか、このように思考する次第でございます。
以上です。