○
山中(吾)
委員 医師というのは生命を守る仕事でありますし、生命を育てるのが
教育でありますから、最低の生命をという点から言ったら一番緊迫した職業ということになるけれども、その生命を育てるということなくして、ただ生存だけ保障するのでは、いまの国の任務を果たさないという立場で同列に考えるべきだ。そして、当然それは公共的な性格を帯びているものですから、私は医業に対しても、医業即公共的なものにすべきだという持論でありますから、医師に一番高い生活を保障することは賛成でありますが、利潤を追求する動機のもとの医業は正しくないのだ、定額の高い所得の中で国が保障して、そして医業に従事すべきであり、教壇に立つ
先生が定額所得者として公共的
事業を行っておるように、倍の所得でもいいが定額所得で国が保障して医業は行うべきだ、それなら同列に論議ができる。そうでない形態のために、一応私は、国の税金の使い方について
教員養成というものにもっと力を入れるべきだという論理を出しているわけであります。
そこで私は、どうしたら
教員養成政策が有効に働きかけて、しかも国が最少の費用で最大の効果を上げ、
教員養成というものを豊かにする
政策はないかと考えて、数年来教師の船というものを提案をしてきたわけであります。いま
文部省においては、何年か教壇に立った者を論功行賞の形の危険のある海外派遣をしておる。これは現職
教員に対するおみやげ旅行みたいになって、個人が思い出に残るというふうなことになっておるので、私は批判があるのですが、そういう構想でなくて、
教員養成学部あるいは
一般学部の
学生も含んで結構でありますが、教壇に立つという意思が決定した者に対して、教壇に立つまでに、
教員養成課程の一環として国費による海外視察を制度として置くべきではないか。
ことに東南アジアのようなヨーロッパの植民
政策の中で苦しんでおるアジアの貧乏な国、そういう国を視察をして、教壇に立てたときに、いまのような外から勤務評定で非人格的に拘束するような、
教育意欲をさらに抑えるようなものでなくて、東南アジアをちゃんと見せて教壇に立てば、おのずから国際的な中における日本の位置、日本の
国民形成に対する使命感をみずから身につけて教壇に立つだろう。
そういう意味において、私は調べてみますと、小
学校、中
学校、
高等学校に教壇に立つ者は毎年約二万人であります。小
学校一万人、中
学校、
高等学校五千人、大体二万人の教師が
大学教育を受けて教壇に立つのでありますが、この全部を、教師の船をつくり、東南アジアを見せて教壇に立てる。船上においては洋上
大学として
教授と
学生が人間
関係を
共同生活の中で深めながら、必要なるゼミナールをやる。教師の船即洋上
大学にして、そうして東南アジアのいまの地域を見れば、本当に問題意識を持って帰るであろう。ヨーロッパなどを見ても楽しいだけである。大して役に立たぬ。共産圏に行くと、べたぼれをして帰ってくるだけで意味がない。いま人類の一番の問題を持っておるのは東南アジアである。船ではゼミナールを開きながら、いま
教授と人間が疎外されて
大学が荒廃をしておる、この人間
関係も復活をしながら、ベトナム、カンボジア、タイ、インド、インドネシア、その辺を見るだけで教壇に立てれば、そういう
教育課程の中に
国民の税金を使う制度をつくれば、最も有効な
教員養成の費用になり、そういう国費による海外視察制度は、また一方青年諸君に魅力のある
教育学部として志願者がふえるのではないか。そうして国際的な自覚と、いわゆる祖国愛というふうなものの中で、
教員としてのエネルギーが出る
一つの体験になるのではないかということを考えるのであります。
現在の青年の船などは弊害が非常に多いし、
国民の税金の使い方としては、少しぜいたくだと私は思っております。
一つの船に三百人乗せる。そうしてその青年だけが身につけて個人の生活を豊かにするだけである。三百人船に乗せて東南アジアを見た、その体験は三百人の
国民だけの収穫になるにすぎないと思います。教師の船はそうではないのである。一人の
教員が教壇に立てば、平均三十年勤続をする、一年学級担任の子供は四十五名卒業するとすれば、三十年に千三百人の未成年の
国民形成、大きい人格形成に影響を与える人間なのであるから、教師の船におけるいわゆる有効なる効き目というものは、青年の船の税金の使い方とは雲泥の差がある。ふんだんに使えばいい。
仮に一人の
学生の海外旅行に百万要るとして、二万人ならたった二百億である。二十五兆円の国費の中で、教壇に立つ前に、教師を志す
学生を国費で外に出してもたった二百億である。十分の
教育と、
教育に対する生きがいを感じない、そういうままで教壇に立った
先生に一号俸を上げた場合には、これはその
先生が三十年勤続すると、大体国費は百二十万の
支出になると思うのであります。
教員養成課程に一号分に
相当する
国民の税金を使って教壇に立てるのが有効な税金の使い方なのか、
教員養成を何もしないで、教壇に立った者に一号上げることによって教師の使命感向上を期待するのが賢いのか、どっちですか。
私は、軍国主義の思想を肯定するのではありませんが、戦前の海軍兵
学校の卒業生は卒業までに世界を見せた。陸軍よりもっと平和主義者が出ておるはずである。海軍はわりあいに侵略戦争に対する批判的思想があった。平和主義、民主主義の日本の国家形成に意気込みをもって敗戦後出発したはずであります。
教員養成課程にそういうものを考えながら、私は、
教員養成課程の中に全
教員を海外に、東南アジアに行かせる
施設があってしかるべきである。ことに、現在すでに夏休みのレクリエーションに生徒自身がハワイとか、あるいは香港に行くようなところまでなっておる。
国民形成のために教壇に立つ
先生が海外を全然知らない、むしろ教え子が海外に行っている、こういう時代になっているのですよ。
私は、そういう意味において、よい素質の青少年を吸収するためにも、あるいは本当の
教員養成課程になる、ふさわしい
施設として、教師の船を制度としてひとつ提案したらどうか。その中に、官僚統制という非難を受けないで解決するいろいろな問題が含まれていると思うのであります。私は、これが言いたかったのである。日本の
教員養成費のあり方の中に、こういう着想がなければ、どうしても
一般の政治家の共感を得ることにもならないし、また他の
学部と比べ算出の基礎を——いまのように
理科が多い、実験室が多い、そういうことだけで算出の基礎とすると、依然として
教員養成における
学生費は少なくなる。こうい、うところに金を使ったらどうか。
また、そういう教師の船が同時に、一方に
社会に出る普通
教育の終着駅である
高等学校の生徒の修学旅行、交通困難で、いまの陸上交通機関に乗って交通事故をいろいろ起こしているぐらいなら、こういう教師の船を修学旅行の船として、港、港を、いまの日本列島の全貌がわかるような修学旅行、海の修学旅行を考えてもいいのではないか。特に海洋国日本である。陸地ばかり考えて侵略的国家になったのですから、これからの人類は海洋をどう活用し、どう見ていくかということが国際
会議の主要課題にもなっておるし、わが国は海洋国家なのですから、海洋
国民としての
教育のあり方も検討すべきである。
私は、全
国民が一度船に乗るべきである、海を見せるべきであるということも考えて、教師の船を同時に教師と子供の船にしてもいい、そういう活用の仕方で、教師の船というものを文教
政策として考えてはどうか。政治家が個々の青年の、青年の船を考えても、これは思いつきである。政治家が青年の船に乗る者を推薦することによって、あるいは次元の低い政治家が、自分の支持者をつくることにもし動いているとすれば大変なことである、そういうものへ
国民の税金を使うべきではない。一億
国民の人格形成に大きい影響を与える、生涯教壇に立つ教師に海外を見せることによって、どれだけ
国民の税金を有効に使うことになるか、はかり知れないものがあると私は信ずるのであります。
文部大臣の御所見を聞きたいと思います。