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吉田委員 時間がございませんから、あとは全部一括して申し上げます。簡単に要領よくお答えを願いたい。
覇権反対条項についていろいろな留保条件をつけようとしたり、
日本としての独自の認識の表明をしようとしたりしていることに対して、
中国側は鄧小平副総理から基本的に
共同声明からの後退を図るものとの解釈をされ、小坂さんに対してはその旨を強調されたということも、私は当然じゃないかと思います。これは小坂さんの報告を読みながらそう感じたところであります。それだけではございません。
宮澤外相は日台航空
協定を復活させるために、台湾
政府を
承認している国にとっては、
日本を含んで、青天白日旗は国旗と受け取られておるということを国会で述べておられます。これは、
日中共同声明にはっきり書いてございます復交三原則、その中にあります二つの
中国の
立場をとらぬと言いながら、実際には二つの
中国の
立場に返ったものではないかと私は思います。それから藤山日中議連会長が
中国を訪問されて、鄧小平あるいは病気の周総理にもお会いになりました。帰国後りっぱな報告を、これは私自身自分の耳で聞きました。
小坂善太郎氏の報告も読みました。十月に訪日されました中日友好協会の孫平化団長その他最近訪日をされた
中国の代表団の団長から伺いますと、自民党の議員を含んで
日本でお会いするすべての人が、
覇権条項をはっきり入れて、
日中平和友好条約を早期に
締結すべきだと言われたと報告をされております。私は北九州の市長をして
中国展の成功を経験をしたから言うわけではございません。ことしの福岡の
中国展でも、小型
中国展でしたけれ
ども、小さな
中国展でさえ五十数万人の人間がこれを参観をしております。私は一九五五年バンドン
会議を傍聴することができました。あのバンドン
会議で採択されたバンドン十原則の中に、新植民地主業反対というのがございました。これは私はいまの覇権主我反対と同じ精神だと思います。このことはインドシナにおけるアメリカ帝国主義の失敗、撤退後、タイ、マレーシア、フィリピン等でアメリカ離れが行われ、覇権主義反対で
中国との間に
共同声明が結ばれておることは御
承知のとおりであります。このことは何よりもあの一九五五年当時のバンドン十原則、その中には平和五原則と新植民地主義反対がうたわれておりますが、それがいまでは覇権主義反対だということの何よりの証明ではないかと私は思います。日清戦争以来といいますかあるいはまたその前からも含むかもしれませんが、
中国を侵し、第二次大戦の中心は
中国でございました。
中国全土を侵略し、三光作戦を通じて焼き尽くしあるいは殺し尽くし等々のことをいたしましたが、
共同声明にもうたわれておりますけれ
ども、
中国にあれだけの迷惑をかけた
日本は、
中国に謝罪をすると同時に、遺憾の意が表明されておりますが、再び
中国侵略の過ちは繰り返すことはないという覇権反対を
日本こそ明確にして、
中国との間の戦争状態を終わり、再びああいう不幸が起こらないように宣言すべきだと思います。そしてそのことによって初めて子々孫々に至る不変の
友好関係を
日中関係に打ち立て、アジアの国々との間の真の
友好関係と交流と繁栄、そして平和五原則に基づく
関係が打ち立てられると
考えます。
日中共同声明の中にもうたわれておりますが、その
共同声明の中にうたわれている平和五原則と覇権主義反対の原則を平和友好
条約に盛り込むのは
日本として当然だと私は思います。それだけではございません。この
覇権条項にそういう
意味を盛っていることは、私が申し上げなくても
外務大臣よく御存じだと思いますが、それに
覇権条項を無条件で入れることにいろいろ論議がなされるのは、これは三木総理あるいは官澤外相の個人的な
立場等が影響しているかと
考えられますが、もしそうでなければ
日本が再び覇権主義をとろうとしておるからではないかと、ほかのいろいろなことを通じて疑うわけでありますが、そういう疑う必要がないかどうか、この段階で明確な決意を
外務大臣から承りたいと存じます。