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分科担当委員外委員(玉置和郎君) 結局ね、外務
大臣、そうした
答弁をあんたからしてもらうと、ぼくは言わざるを得なくなる。変わってしまったと——この前三木さんとぼくはやりとりをしたんだ、総理官邸で総務懇談会のときに。いわゆる日中平和友好条約を結ぶということについては、総理はアジアの安定につながるんだと、こう言ったんだ。ぼくはアジアの安定につながらないと言ったんだ。その
一つの見解は——二つ見解があるんです、そこに。いわゆる中国大陸からの軍事的脅威というものとソ連の持つ軍事的脅威というもの、これを
一つ考えるわけです。それから日中平和友好条約を、いわゆる尖閣列島という問題を何かたな上げしたような形で、明確化しないでやっていくことによって起こる中華民国、台湾との
関係、これを考えたときに、そう容易なものじゃないんです、これは。結局、拙劣外交、大平外交の誤りが今日こういうことをまた論議せにゃならぬのです。ぼくらは非常に残念です。与党の一員として残念ですが、仕方がない。やっぱり国の平和と安全を考えた場合に、言うべきことは言わなきゃいかぬ。それだけにいま言っておるんですが、これはね、三木さんあのとき何て言ったかといったら、空洞化したと、こう言ったんです。もうすでにこれは空洞化しておるんだと、こう言った。ほんなら、中ソ同盟条約が空洞化しとるんだったら、大平さんが日華平和条約はもう機能を失いましたと言って宣言したんです。それと同じように北京が宣言すりゃいいじゃないかということ、これは三木さんに申し上げた。それと、もう
一つ大事なことは、主権国家と主権国家、情勢がどう変わろうとも、変わったら変わったで、ちゃんとこれは改めなきゃならない、お互いが話し合って。自分たちが、中ソの間でちゃんと主権国家として結んだ条約が、平気で空洞化したと言ってそのままほったらかして条約を尊重しない国と、何で日本が条約を結ばにゃならぬかということなんだ、これ。この理論、間違ってますか。間違っとったら教えてください。間違ってなかったら黙っとってください。間違ってないと思います、私は。
この理論に対して、結局、もう少し日本の国が、やっぱり日本の外交というのは国連中心主義、
アメリカと協調、アジアとの協調、それから平和主義に徹すると、こういうことであるならば、第一義に考えなければならないのは国連中心ということですが、その国連と一緒になってやっていく相手というのはやっぱり
アメリカなんです。私は
アメリカという国は決して好きな国じゃない。しかし、日本のいまの力というのは、私から見るならば、
アメリカと比べてそんなに大きな力じゃない。私なんか特に大きく言いたい方だけど、その私でさえ、日本のいまの国力というものを考えていくと、
アメリカ抜きにして
世界の進運に寄与するというわけにはいかない。この厳粛なる事実というものをはっきり認められるか認められぬか、これを
防衛庁長官とあなたに両方ともお聞きをしたい。ただその最後の一点だけでいい。
アメリカを抜きにして考えるのか、第一義に
アメリカを考えるべきである、第二義的に何を考えるべきであるというふうな、このちゃんとしたとり方を、これから日本の外交でも日本の防衛戦略でもやっていくという基本の姿勢がこの国会で確認されることが必要である。ぼくはもちろん共産主義諸国家とも仲よくしていくことは必要であると思います。しかし、
現実にベトナムにおいて、このベトナムの停戦協定がもう一方的に破られて、そしていま北ベトナムの応援を得た解放戦線というものがどんどん入っていっている。なぜああした難民がダナンから逃げなきゃならぬか。彼らが本当に平和主義に徹して、彼らの
生活を守ってくれるということがわかっておったら、難民は逃げませんよ。こういう
状態を日本の政治家として、もう少しくマスコミに迎合することなく——あえて私はマスコミに迎合することなく、と言います。私もベトナムに四回行ってきたんです。だから、この辺のところをしっかり踏んまえて日本の外交というものをやってもらいたいし、日本の平和と安全を守っていくこの防衛戦略というか、安全保障戦略というものをやってもらいたい。これはもう
答弁を求めません。
で、次に行きます。——私の方は楽でいいですよ、これ。
答弁要らぬからね。しかし、これは大事なことなんです。与党というのは私はやっぱりこういう見解を述べるべきだと思うんです。そうして国会において
政府を、ときには叱咤し、ときには激励をして、小さなことでなく、大戦略を持たなきゃだめなんですよ。いまの日本の外務省というのは、宮澤さんになって大分よくなりましたが、国家戦略なんてちっとも考えていない、ぼくに言わしたら。もう一部分一部分ですよ。アジア局ならアジア局、中近東はあれはどこの課になるんだ。欧亜局か。アフリカ局ならアフリカ局。ばらばらですよ、これ。やっぱり宮澤さんのもとで、ときには総理
大臣も入って、
関係大臣も入って、日本の国がどういうふうにしていくかという大戦略を持つべきなんです。ちっともそんなことはない、目先のことばかり考えて。そして国会論議といったら、もうすでに終わった、すでに済んでしまったことについて、ああでない、こうでない、こうである、ああである——こういう政治を、おわい屋の、くみ取り屋の政治と、こう言うんです。すでに出てきた排せつ物だけをどうして
処理するかと、分けてこうしてやる。これは政治じゃない、こんなものは。政治というのは、やっぱり日本国の国家意思の最高の創造です、これは。どういうふうに向かうべきかということでやるべきなんだ。
私は、ちょうど去年の十月の末に、不覚にも病を得て、危篤
状態から脱してみて、病院に四十日ほどおって、そうして日本の歴史というものをもう一回
見直してみるということで、いわゆるカイロ宣言、テヘラン、ヤルタ、ポツダム、ずっと日本に
関係のあるものを拾い上げてみた。そうしたら、もう興味しんしんです、これは。最後に残るのは何かというと、人間対人間の
関係だけなんです。最後に残るのは人間対人間。ソ連であろうが
アメリカであろうが、結局列強の首脳者というものは、残ったのは最後は人間対人間のぶつかり合いでこれは話し合っていくんです。それだけに、いまのような日本の政治をやっておったんでは、これはとてもじゃないが、平和と安全は守れないという心配から、私はあえてここに立ったわけです。どうかそういう気持ちで、宮澤さんはもう非常に頭もいいし、坂田さんも非常に頭のいい人ですが、
国務大臣の間で三木さんは、この前、私は読みましたと言ってちっとも読んでないな。読んでおったら、もっとちゃんとした
答弁ができるはずなんだ。ルーズベルトとそしてスターリンのやりとり、すでにスターリンがルーズベルトと最初やりとりしたときに、もうルーズベルトが病気であったということをソ連がスパイを入れて見抜いておったんだ。そして、じらしていくんです。そのやりとり。トルーマンが結局ルーズベルトの跡を継承して、そして最後ヤルタでもって交渉をしていく。そのときに、ルーズベルトが約束をしたそのことをとらまえられてぎゅうぎゅうやられるんです、スターリンに。
アメリカはソ連が参戦してくることを阻止したかった。チャーチルが日本を占領するのに手伝おう、戦争して手伝おうと言ったのを、チャーチルの要求、英国の要求だけはトルーマンは退けたけれ
ども、スターリンがあのかつてルーズベルトとやった約束を盾にとってやられて、とうとう参戦を認めざるを得なくなっていくんです。
そういう大きな列強の首脳者というものが今日どういうふうな
考え方をしておるのか。そしてカイロからポツダムに至って、ポツダムからさらに朝鮮動乱に至る、これまでの間の列強の首脳者のいろんな言行録が残っております。これを重ねてみるんです、重ねて。重ねてみて、そしていまだに日本に対して、日本民族に対して
一つの恐怖を持っておるというその中から日本の外交を出発せにゃいかぬのです。日本の政治はそこから出発せにゃいかぬのです。甘えた政治じゃいけません。とにかく日本の政治というのは甘ちゃん政治ですよ。経済大国になった、ちっとも経済大国でない。伸び切った輸送路を持っておる。鉄と油、食糧、ちょっと紛争が起きたら皆とまっちゃうんです。どこが経済大国ですか。これほど危うい国家はないんです。砂上の楼閣どころじゃない。うたかたのあわのごとく消えていくような経済的存在です。それだけに外交がしっかりせにゃいかぬのです。
それから、
防衛庁長官、最後に聞きますけれ
ども、有事の際の局地的シーパワーという問題、これはあなたはやっぱり必要だと思いますか、どうですか。