○井上吉夫君 私が言いたいことも若干触れていただきましたけれ
ども、文部省からもらった資料で調べてみますと、これは視聴覚障害も入りますけれ
ども、大体四十八年の五月一日現在の
調査で、義務教育段階の心身障害児童の数が五十四万人程度と押えられておる。この中で
精神薄弱児の数が三十万、この出現率の傾向から見ましても、かなり心身障害者の中で、
精神薄弱者の出現率というものが非常に高い、だから、これは絶対落ちこぼれなしにやってもらわなければならぬわけですけれ
ども、
対象が多いだけにその対策が急がれなければならぬと思うのですが、いま御説明がありましたように、そういう中で十七万五千人
——三二%は養護学校、特殊学級等の施設によって手当てがなされている。薄弱児についてみますと、四三・二%という
数字をもらっております。さらに、普通学級で教育を受けておる者等も相当な数に上がりますので、五十四万人の中で、就学援助を受けている数は二万人程度という内容のようであります。したがって、
お話がありましたように、学齢段階においての子供に対する対応というものは、かなり進みまして、特殊な病弱者等を除いて、教育の場というところで、親は曲りなりに手も省けるし、ある程度安心してお任せができるという
状態にあります。しかしながら、御説明のように、学校を終わったあとの、それからの長い生涯を
一体どうやっていくかということが親の最大の心配です。私がこうとりわけ強く申し上げますのは、私の子供にも一人脳性麻痺の子供がおりまして、四十一年に三歳のときに、鹿児島の伊敷の整肢園に入れたわけです。まだそのときは立ち上がることもできない、哺乳びんからころんで飲むという
状態でした、そういう
状態のときに子供を預ける親の心情はもうそれは体験者でなければわからないほど大変な厳しいものがあるわけですけれ
ども、それまでにもちろん一般
質問の中で、木島さんでしたか言われましたように、最初はもうどっかに何とかなる
病院があればということで、全国に適当な場はなかろうかということで一生懸命医療的な面で探し求めるのが親の心情です。
結論的にこれがもう医学的に
治療の方法が特別にないとするならば、幾らかでも社会的訓練を受けたいと、だからこそ一番手離したくない子を、それこそ心を鬼にして手放さざるを得ないということに到達するまで大変な苦しみを親は味います。そういう中で、どうやらそういう場を見つけ得た者はいいのですけれ
ども、先ほど申し上げましたように、心身障害児の場合でも、まだまだ私は学校という、就学免除の数はいま申しましたように少なくなっておりますけれ
ども、特殊学級だけでは足らずに、これは文部省サイドですけれ
ども、まだまだ私は養護学校というものも必要だと見ております。しかし、それよりもその段階を経て、どうやら養護学校等でめんどうを見てもらっている親の共通の願いというものは、もう学校終わったあと、養護学校あたりはほんとうにりっぱな施設ができております。親の率直な言葉をかるならば、この施設は半分の経費でもいい、これほどぜいたくに、これほど整っていなくてもいいと、その金を今度は学校を出た後のわが子の場に充当してもらいたい、というのは、一方から見ますと、養護学校等は大変りっぱな施設が整っております、大変ありがたいことです。しかし、それから終わりましてがらっと変った環境の場に投げ込まれるわけですから、そのショックはさらに大きい。いま世の中に社会的公正なり弱者の救済ということがいろいろ言われますけれ
ども、私はそういう
関係の親としばしば、しょっちゅう接触をしながら、丈夫な子供は乳幼児医療だ何だかんだというものなどは全くなくても、われわれは親として十分めんどうを見ていくと、しかし、この子だけはわが家で甘やかして育てるならば、どうにもならないということなんです。そういう親の切実な願いをしょっちゅう聞きながら、やっぱりいま社会福祉という面で何から手をつけなければならぬかということになれば、これはまあ老人医療の無料化も年限も下げた方がいいでしょう。あるいは乳幼児医療というものも、それは社会で見るということもいいことには違いありません。保育所もどんどんどんどん整っていくこともいいことでありましょうけれ
ども、少なくともすべてのそういうものがいまの財政段階なり、いまの
状態の中で整うことが、一気には無理であるとするならば、
一体どこから先に手をつけていかなければならないか。私は自分がそういう立場にあるから申し上げるわけじゃなくて、そうして、ひとり精薄児なり精薄者のことだけではなくて、もちろん肢体不自由児もあるいは難病奇病も含めて、これはいわば決して私は
本人の罪でもないし、親の罪でもなかったと思うのです。不幸にしてそういう境遇になっている者について、少なくとも世の中に、下手をすれば親子ともに自殺を
考えたいとまで
考えるような、そういう
状態のものがゼロになると、そこから私はやっぱり支えていかなければ世の中よくならないという感じがするわけです。そういうようなふうのことをしばしば聞きながら、いま申し上げましたように、親の最大の願いというのは、こういう
対象児のために扶養保険
制度などを創設されて、そうして親が亡くなった後扶養するきょうだいなり何なりに年金をやるという、そういうようなふうの仕組みも創設されましたけれ
ども、共通して私はそのことに期待する親はきわめて少ない。それではなくて、もしわれわれ親が亡くなった後に、そのきょうだいにいつまでもめんどうをかけられるかどうかというその心配が一番大きい。だからこそ、いま申し上げましたような施設を十分に整えてほしいと。この場合に、流れをずっと見てみますと、最初のころは公立が多かったようです。そしていま説明がありましたようにこの五年ぐらい急速に数がふえたことも資料でいただいております。現実にも見ております。もちろん公立だけで完璧に整うということは無理かもしれませんけれ
ども、いま特老あたりの場合どんどんどんどん社会福祉法人が多いということと全く軌を同じくして、社会福祉法人だけに頼るということに私は若干問題があるような気がいたします。できるだけこれはボランティアにもめんどうを見ていただかなきゃなりませんし、社会全体の意識をそういうぐあいに持っていただかなきゃなりませんけれ
ども、できるだけ私は公立の面の充足もぜひお願いをしたい。そうしてそれと並べ比べしながら民間の施設というものも施設であれ運営であれ、それを参考とし、互いに連携をとうながら伸びていきますから、オール公立とは申し上げませんけれ
ども、公立の充足という面にもうんと力を入れてほしいというぐあいに
考えるわけですが、ひとつ厚生
大臣、お
考えをお伺いしたい。