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青木一男君 私は、
自由民主党を代表し、独禁法と憲法の関係について
政府に質問します。
今国会において、稻葉法務大臣が憲法
改正を目的とする会合に出席したこと、国会で現行憲法に欠陥があると述べたことの二点を理由として、野党は稻葉大臣の罷免を要求し、これがため約二週間国会の機能は停止した。私は、憲法の尊重と
改正は両立するものと考えるが、憲法に欠陥があるという表現をも許さないという野党とこれに頭を下げた
政府当局の憲法尊重の熱意には驚いた次第であります。(
拍手)
しかし、憲法尊重といえば憲法全体の尊重でなくてはならない。自分の好む条文は尊重するが、他の条項はどうでもよいというのでは憲法尊重ではない。いわんや、憲法に違反する
法律制度が自分の政治目的に都合がよいというので憲法違反に目をつぶるのは、これまた憲法尊重ではありません。私は、先般の予算
委員会で独禁法と憲法の関係で質問し、総理並びに法制局長官の
答弁をいただいたのであるが、憲法違反の疑いを晴らすことができなかった。ここに改めて数点お尋ねします。
第一点。まず行政権が内閣に属し、内閣総理大臣は行政各部を指揮
監督し、内閣が行政権の行使について国会に対し
責任を負うという憲法の
規定は
国家統治の根本原則であり、いやしくもこれに違反があってはならないと思うが、
政府の見解を伺います。
第二点。予算
委員会で私は、憲法に
規定された機関のほかに統治権の最高権威として行使する機関は存在するはずがないと思うがどうかと質問したのに対し法制局長官は、憲法第六十五条、第七十二条の
趣旨にかんがみ、会計検査院等憲法上明文の根拠がある場合は別として、それ以外に内閣から完全に
独立した行政機関を設けることは憲法違反の疑いがあると答えた。また長官は、独禁法の施行、運用は行政権であると答えた。行政権であるとすれば、独禁法の施行は内閣の権限に属し、
公正取引委員会は内閣総理大臣の指揮
監督に服し、内閣は独禁法の施行について国会に対し
責任を負うこととなるがと質問したのに対し、総理並びに長官から
答弁があったけれども、私は承服ができなかった。
第三点。そこでまず憲法上の指揮
監督の意味について
政府の見解を伺います。長官が予算
委員会で引用された学者の中で、宮沢博士は、指揮
監督とは、上級機関が下級機関に対し、後者の事務処理に関し一定の行動を命ずることをいうと定義しておる。
佐藤功教授は、指揮とは、上級機関が下級機関に対して、その所掌事務について
方針、
基準等を示し、これに従わせることをいい、
監督とは、ある機関が他の機関の行為について、その機関の遵守すべき義務に違反しないかどうか、また目的達成上不適当かどうかを監視し、必要あれば指示命令することをいうと説明しておる。他の学者の説も大同小異であるが、いずれの説によるも、指揮
監督は行政機関の職務上の行為についての関係であるという点では一致しておる。これは法解釈の常識であると思うが、
政府の見解を伺いたい。
高橋公取
委員長は私の質問に対し、職権の行政については内閣の指揮
監督を受けておらない、その根拠は独禁法二十八条にあると答えた。職務権限の行使、すなわち
委員会の職務上の行為について内閣の指揮
監督を受けないとすると、完全な
独立機関であると思うが、
政府の見解を伺いたい。
第四点。総理も法制局長官も私の質問に対し、内閣は公取
委員会に対して任命権と予算編成権を持っているから、一般行政機関より軽度ではあるが、指揮
監督権を持っておると
答弁された。宮沢博士の指摘しておるように、もし任命権と予算編成権を握っているから指揮
監督権があるとするならば、最高裁判所についても長官、裁判官の任命と予算編成権は内閣の手にあるから、最高裁判所は内閣の指揮
監督下にあると言わねばならない。これは容認しがたい解釈であります。この点、
政府の見解を伺います。
また、公取
委員会の委員は
法律上身分が保障されており、人事
監督権の働く余地もない。かように、任命権と予算権が指揮
監督権でなく、人事権も働く余地がないとすれば、内閣の公取
委員会に対する指揮
監督権は、弱いというのでなく、ゼロであり、公取
委員会は完全な
独立機関ということになると思うが、
政府の見解を伺いたい。もしゼロでないとするならば、何が残るか伺いたい。
次に、第五点。法制局長官は私の質問に対し、行政事務の性質上、政治的な支配を排除して、政治的中立、公正な立場から事務を処理することが社会的にも要請されるというようなものについては、内閣総理大臣の指揮
監督権が制限される、それは独禁法第二十八条の
規定によって明らかにされておると説明しておる。しかし、憲法の「行政権は、内閣に属する」という
規定、「総理大臣は、行政各部を指揮
監督する」という
規定は無条件であり、例外を認めておらない。
法律で憲法に反して例外をつくるのは許されないと思うが、
政府の見解を伺いたい。
長官は、同じ
答弁の後段で、公取
委員会の職権行使の
独立性は職務の本質に由来するのであって、第二十八条があって初めて認められたものではないと前段と異なる説明をしておる。一体、どちらが
独立権限の根拠であるか、改めて長官の考えを伺いたい。
高橋公取
委員長は、独禁法第二十八条によって
独立に職権を行使していると答えておる。これは当然の解釈である。
法律を離れ、政治上の中立という職務の本質が
独立権限の根拠であるならば、だれがそういうことを決めたか伺わねばなりません。また、仮に第二十八条が廃止されても、公取
委員会の
独立権限は残ることとなる。そういうことがあってはならないのであります。私は、長官の言う政治上の中立というのは、第二十八条の立法理由であって、
法律を離れた
独立権限の別の根拠ではないと思うが、長官のはっきりした見解を伺います。
また、政治上の中立公正を
確保するため公取
委員会に
独立権限を与えるということは、内閣が不公正をするものであるとの前提に立っており、議院内閣制の本旨に反すると思う。これがため内閣の権限を縮小し、国会に対し
責任を負わない
独立機関をつくることは憲法の本旨でないと思うが、
政府の見解を伺います。
また、あらゆる行政は公正でなくてはならない、独禁法の分野に限ったことではないと思うが、この点も
政府の見解を伺います。
次に第六点。法制局長官は、独禁法第二十八条と同じ
規定が公害等調整
委員会、公安
審査委員会、公害健康被害補償不服
審査会、航空事故調査
委員会等にもあって、
独立して権限を行使している。いずれも事務の性質に基づくものであり、公取
委員会の
独立権限もこれと同じで憲法違反ではないと主張された。私は、これらの
委員会は二つの点で公取
委員会とは全く性格を異にし、同列に論ずるのは誤りであると思う。
第一は、これらの
委員会の関連する事務全体について所管大臣が存在し、その事務の目的をよく達成する手段として、一部の事務を
独立機関に扱わせておるのである。公害等調整
委員会の例をとると、公害対策
基本法によって
政府は公害の
防止対策の
基本を定める義務を負い、その施行機関として、内閣の外局として環境庁を設け、
国務大臣をもってその長とし、公害行政の
責任の所在を明らかにしておる。ただ、公害紛争の迅速適正な解決を図るため公害等調整
委員会を設け、
独立して権限を行使させているのである。その仕事が一種の裁判であるからである。独禁法については、その法文中にも、各省設置法にもどこにも独禁法施行を担当する大臣が存在しておらない。独禁法施行の唯一の機関は公取
委員会であり、その点が他の
委員会と全く異なる点である。
第二は、
委員会の職務の本質の差異である。長官の指摘しているとおり、問題の
委員会の多くは行政処分に対する不服
審査をする機関であり、その本質は裁判に類するから、
独立して職権を行うこととなっておるのは当然である。宮沢博士は、一般行政権に属する
国家作用でも、国会のコントロールに適しないもの、たとえば
異議、訴願等の争訟の裁決、技術上の能力の試験採点のようなものは、性質上
独立に行わるべきもので、内閣から
独立の機関でなされても憲法違反ではないと説いておる。要するに、事務の性質上、内閣の指揮
監督を受けなくとも憲法違反とならないのは裁判に類する行為、
国家試験等を指すのであって、これは常識の認めるところである。しかるに公取
委員会の職務には、違反事件についての審判手続、審決のような裁判に類するものも若干はあるけれども、大部分は強力な自由裁量による行政処分である。これらの行政処分は、問題の
委員会と異なり、性質上当然に
独立性を与えらるべきものではない。公取
委員会の職務中審判、審決の部分に
独立権限を与えるということであればこれは問題がない。一般行政処分を含む全部の職務に
独立権限をも適用しておるから憲法違反の問題が起こるのである。公害等調整
委員会の
独立権限の条項を法の
改正で削除しても、裁判の実体を持つ
委員会の
業務に干渉する内閣はないでありましょう。独禁法第二十八条が廃止されたときは、
高橋委員長といえども
独立権限は主張しないでありましょう。これが両者の異なる点であります。他の
委員会の
独立権限の例をもって公取
委員会の
独立権限を正当化することは誤りであると思うが、
政府の見解を伺います。
次に第七点。独禁法の施行についての内閣の国会に対する
責任について予算
委員会で総理のお考えを伺ったのであるが、
答弁は明瞭を欠いておるので、改めて伺いたい。任命権、予算編成権の分野だけで国会に対し
責任を負うのであるか、それとも独禁法施行の全部について
責任を負うのであるか、この点を明らかにしていただきたい。総理のお考えは、独禁法施行全部について
責任を負われる意味であると解しますが、それならば、内閣が行政権の行使について
責任を負うという
規定は、内閣が行政各部を指揮
監督するという
規定と表裏をなすものであり、指揮
監督権はないが
責任を負うというのは、憲法の精神に合致しないと思う。総理のお考えを伺います。
次に第八点。最後に総理にお伺いします。いまの独禁法は、終戦直後
日本の産業が壊滅し、独禁法の必要などは全然なかったときに、占領軍の
基本的対日政策である
日本弱体化の一環として、
日本が経済強国として再起できないようにするための立法であった。そうして
アメリカの法制をそのまま
日本に移したものであり、当時の国会の
諸君は、独禁法とはどんなものか理解できないままに、占領軍の指示に従って通した
法律であると思う。占領軍の指示による
法律は憲法に違反しても問題はなかった。しかし、わが国が
独立を回復した後には再検討すべき
法律であった。
憲法との関係で同じ問題のある
国家公安
委員会については、
委員会の
委員長に
国務大臣をもって充てるという法の
改正で
委員会の
独立権限を弱め、憲法との抵触を緩和し、内閣の行政上の権限との調整を図っておる。しかるに公取
委員会についてはこれと逆行し、公取
委員会の権限を
強化し、産業構造に介入させ、
政府の産業政策との摩擦の種をまくような
改正を行う必要はどこにあったか伺って私の質問を終わります。(
拍手)
〔
国務大臣三木武夫君
登壇、
拍手〕