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秦豊君 先日、
日本を訪問されました
エリザベス女王御夫妻、あれほどのハードな
日程を終始にこやかに、いつも微笑を絶やさないでこなし切って無事に帰国をされたわけです。見る人さまざまな
立場、
価値観によって異なった
反応が出てくるのは当然といたしましても、少なくとも私
自身の
印象は、この
エリザベス女王の振る舞いのすべてが、
日本訪問のすべてが私
たちに多くの
印象というか、あるいは鮮やかさというか、こういうものを残してお帰りになったと思うんです。目の当たりに見る身についた優雅な身のこなしであるとか、あるいはみがき抜かれた美しさであるとか、あるいはおのずから備わったであろうその威厳をさらにリファインされた
ようなあの洗練さといいますか、そういうすべてが、やはり初めて見る
女王に対する非常に深い親愛の気持ちをかき立てたことは
否定ができないと思うんです。
しかし、やはり、ただ美しい
女王、気品のある
女王というんじゃなくて、やはり私、いまもなお生々しく覚えていますのは、
女王としての
努力である。
努力を感じた。力さえ感じた。そうして、それを延長すれば、やはりこの
王室の
あり方、
イギリスの
王室というものが、なぜあれほどまでに圧倒的な
国民の
敬愛と
信頼の
対象たり得ているのか。資料によれば、
イギリス国民の九二%がいまのあの
王室の
あり方に大きな
信頼と
敬愛を寄せています。このことは、当然
日本皇室に対する
世論の
動向等、後ほどずっと掘り下げていきたいと思うんですけれども、そうして、もう御存じの
ように、あれほど
階級対立の激しい
イギリスの
階層社会の中にあって、なぜあの
王室が
イギリス国民融合の
ポイントとして有効に機能をしているのであろうか。たとえば、私どもとはかなり
世界観の近い
イギリス労働党の
ウィルソン党首にしてからが、こう言っていますね、
わが国の制度的な資産の中で
王室こそは最善のものであると、
社会主義者として生涯を律し
ようとしている
ミスター・
ウィルソンが、この
ような素直な、また、きわめて高い
評価を与えていることも隠れもない事実です。しかも、あれほどのゼネストという大きな社会的な
緊張関係にあって
交通機関の不便なときに、あんなハンディを乗り越えて、実に十一万四千人という
東京都民が、あるいは近くに住む
市民たちが、あのハイライトとも言えた
テレビ中継つきの
国立劇場へのパレード、あの中に、なぜあれほど自然で、しかも温かい素直な
反応をほとばしらせたのか。このあたりに私
たちとして大いに考えるべき問題がありはしないか。同時にこのことは、
イギリス王室と
日本の
皇室のあり
よう、もちろん
歴史の伝統や、あるいは課題や、あるいは
価値観や、さまざまなものをいきなり捨象して、それを置いておいて比べるという単純な発想には立ちません。おのずから
歴史の必然が絡んでいると思います。しかし、多くの
皆さんは、それにしても
日本の
皇室はという思いを果たしてお持ちにならなかったであろうか。で、私
自身が、きょう
宮内庁長官の
宇佐美さんに、まあ短い時間ではあるけれども、大体百二十分ばかり、主としてお尋ねをしたいという
ポイントは、まさに今度の、いわゆる
女王外交と一言で言われているあの
エリザベス女王が残されたさまざまの問題と引き比べて、ひいては、あなたが所管をしていらっしゃる
宮内庁の
あり方、
日本皇室の
あり方、過去、現在、未来につながるその問題を、ずっと集中的に伺っていきたいと思うんです。
で、私
自身の
基本的な視点を御参考のために述べておいた方が後ほど
宇佐美長官から御答弁をいただく際によかろうと思うので、もう少し私のいわゆる概論を補足しておきたいと思うんです。極端に言いますと、私
自身がいま
印象をまとめている一番大きな
関心は、
王室と
国民の距離、隔りの問題です。近さの問題です。遠さの問題でもあります。言いかえれば、
皇室と
国民の
つながりの問題です。で、私がこういうことを
宇佐美長官に、特に
植樹祭で旅行をされているあなたの
日程に合わしてなぜきょうまで
質問を留保したかというと、
宇佐美長官のお
立場が非常に特殊であるからです。あなたは、三年間
次長として在任された後、二十八年の十二月十六日にたしか
宮内庁長官に
就任をされていますね。そうすると、
長官に
就任されてからだけでも二十三年間たっています。
次長としての三年を加えれば当然二十六年、四半世紀を超えています。
日本のあまたの
行政諸
官庁の中で、
宇佐美長官ほど長い
在任期間のいわゆる
責任者長官はほかに例を見ないわけです。したがって、
宮内庁行政を論じ、
質問をする場合には、あなた
自身の
皇室観、あるいは
皇室と
国民観、これを抜きにして語ることは、これはむしろ意味がないと思います。つまり、あなたはこの二十六年という間ないし二十五年という間、
文字どおりミスター宮内庁として、生き
字引きの
ような、あるいはすべてがあなたの決裁とフィルターを通して実行されるというあり
ようにおいて、あなたの
責任もしたがって大きいと思うからです。
それから、もう
一つの大きな前提は、やはり私ども、ともすれば、これは
マスコミにも一部見られる現象ですけれども、私も
マスコミ人として多くの年月を生きてまいりましたが、その私にしてからが、やはり
皇室についての率直な論議というものをきわめて自己
規制的に、いわばタブー化するおそれがおのれ
自身の中にもあり得たと思います。あり得さしめてはいけないんだけれども、知らず知らずのうちにそこに陥っているということを、私
自身の反省として持っています。たとえば私が、前の仕事であった
ニュースキャスターとして振る舞っている間にも、もっと踏み込んで率直に論評すべきではないかとおのれが思っても、ちょっとマイルドにする、手前でとどめるというふうなことが、やはり私
自身否定ができません。そして、いまの
イギリス王室が、
王制支持者九二%という圧倒的な
支持に裏づけられているのに引き比べて、
日本の場合には、これは
総理府の
植木長官のところで、あなたのまだ御
就任前のデータですけれども、これを見ますと非常に歴然たる差異が目立ちます。つまり、
日本の場合には、
総理府広報室編さんの「
世論調査」、七四年七月によりますと、現在の
国民世論の
動向が非常に率直に出ています。反映されています。
天皇は
国民の精神的な
支えとなっているというふうに、きわめて肯定的に答えられた方が四二%であるのに対しまして、儀礼的な
役割りをしか果たしていないという、まあこれは
否定というか、中立というか、ややさめた
評価をしている人が四一%、何の
役割りも果たしていませんと、きわめて端的に答えられた方が七%であります。で、このことは、
国民的の精神的な
支えであるという肯定的な
評価よりも、ややさめた目か、あるいは
否定的な
反応を示している
国民の
皆さんの比率の方が、つまり四十二対四十八で多いということになるわけです。この
ような
世論の
動向は、特に二十代の若者の中に、あえて言えば
皇室否定、さらに無視、いまの
天皇はともかく、次の
世代——皇太子のときにはというふうな非常に生の
反応を示していることが、この
総理府の
調査を初め、朝日新聞のことし一月元旦の
特集記事、
世代間の断絶という
特集であらわれています。たとえば、
皇室関係の
ニュースやあるいは論調に興味を持つと答えた方が、これが五〇%でありますけれども、持たないという層が四三%である。これをまあフィフティー・フィフティーと割り切ることはラフに過ぎるとしましても、少なくともほとんど
半数に近い人は、
皇室の
記事、
ニュース、動き、
動向、あり
ように、
関心ありません、こう答えているのですね。このことは、やはり非常に重大な問題と結びつくと思います。しかも、
関心を持つと言った
世代の大半が六十歳以上という
年代層に限られておるということも
一つの
問題点でありますし、逆に、
関心を持たないと答えた
年代層が二十代にほとんど集中しているという事実も、
天皇から
皇太子への
つながりを考え、今後の
皇室のあり
ようを考える上では、またきわめて大きな問題を投げていると思います。
そこで、
イギリス国民の圧倒的な
王制支持がどこから根差しているのかということを、私なりにまとめてみましたけれども、やはりいま
イギリスの
王室というのは、かつての神権絶対
主義というものから、
敬愛すべき象徴としてふんだんに
マスコミに乗る
ような、いわば
テレビ君主制とも言うべき第三の
開花期に入っている、こういうことを
イギリスの
社会心理学者たちは指摘しています。つまり、明らかに一〇〇%、いや一〇〇%以上
人間である、生々しい
人間であるという、しかもそれがマスメディアに乗って正当に
イギリス国民に受け入られているという、そこも第三期に入っていると言います。毎朝ロンドンで発行されている
タイムス紙は、
宮廷欄というのを必ずレギュラーに掲載しています。そこには、王族が自由に意見を述べるコラムも掲載されれば、あるいはきょうフィリップさんはどうする、
女王はどうする、だれがどう訪問して何を言ったということが事細かに述べられていて、それは読者の
関心度の最もシャープな、非常によく読まれている欄だとされています。そうして一方では、
イギリス国民というのは、いまの王制というもの、
王室というものについて、たとえばこう言っていますね。多くの
世論が、王制が存続し得るのは働く
王室であるからである、役に立つ
王室であるからである、
女王の押す決裁は盲判ではなくて
一つ一つ吟味をしているからである、絶えず時代の変化に適応し
ようとしているからである、だから許容できるというわけです。たとえば
イギリスの議会は、もう
皆さんも御存じの
ように、
イギリス議会の
王室経済論議というのは名物になっておりますけれども、実に率直にずばずばと、
王室費が高い、安い、削れ、こういう論議を堂々とやっています。そして、その
イギリスにおいてさえ、
イギリス王室は、では浪費をしていると思いますかという
調査に対しまして、三九%しか浪費しているということを認めていません。逆に、りっぱにお金を使ってくれている、
イギリス国民の
敬愛の
対象だ、りっぱにお金を使っているという層が五一%にも達しているということは、やはり私のいま申し上げた
ような時代変化に適応し
ようとする絶えざる
イギリス王室の
努力というものがそれを
支えていると思います。
イギリス王室というのを何も私は絶対視して、
皇室のあり
ようが全然だめで、
イギリス王室がすばらしい、そんなちゃちなことを申し上げるつもりは毛頭ありません。ただ、
イギリス王室というものが、大きな働きに比べれば実に小さな権力をしか持っていない、首相任免権くらいをしか現実には行使をしていないけれども、それにしてはよく働いてくれている、こういう温かい
評価をしております。もちろん働く
王室と
日本の
皇室のあり
ようを単純に短絡して比較をするつもりは、先ほども申し上げました
ように全くありません。ありませんが、やはり
日本の
皇室、あるいは
皇室を
支えている
宮内庁のあり
ようは、
国民にもっと溶け込み、もっと
敬愛されるためにどうすればよいかという最も
基本的な視点が、残念ながら私の
価値観によれば、私の眼によれば、
宇佐美さん長年の
努力にもかかわらず、あるいはその
努力のゆえに、私はそういう
基本的な視点が決定的に欠け落ちているのではないかと思います。
以上のことを私は概論として
長官にお聞き取りをいただいたわけでありますし、これからいろいろと具体的な
質問で、こういう機会なかなかないと思いますし、私と私のスタッフが調べたところでは、少なくとも国会の場で、
宇佐美宮内庁長官が全体像として、
皇室のあり
よう、あるいは
宮内庁行政の方向、理念、哲学、こういうものをお述べになったことはほとんどないやに理解しております。この理解が間違っていればきょうの私との応酬の中で正していただきたいと思います。
そこで、まず
長官に伺いたいのですけれども、私の意見はもう意見としてで結構ですが、あなたは
エリザベス女王の
日本訪問というものをどんなふうにお受けとめになったのか、学ぶべき点が仮にあるとすればどんな
ポイントにしぼられているのか、その辺をまず伺っておきたいと思います。